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2003年5月 7日 (水)

第5回国民大集会(2)

1.帰国被害者の挨拶 地村保志さん

《桜井さん(司会)》
ではここで四半世紀ぶりに日本の地を踏みました5人の方々にご挨拶をお願いしたいと思います。いろんな事情がございますのでみなさん方はここでご挨拶を頂いたあと、別室にさがりましてこの会の模様を見守ることになっています。
では5人の皆様方どうぞ。

帰国の5人会場中央へ
(長い拍手なりやまず)
台上中央に舞台右手から地村夫妻 蓮池夫妻 曽我さん、男性2人はダークスーツ、冨貴恵さんはピンクのスーツ、祐木子さんは淡いオレンジのスーツ、ひとみさんは、紺のブレザーに白のブラウス、プリントのスカート5人とも胸にブルーリボン、バッチはない。
舞台に向かって右側に、来賓(石原氏、石破氏、安倍氏、中山氏)、拉致議連議員他の席、左手に家族会(横田夫妻をはじめ帰国、未帰国被害者の家族)救う会の席、中央に演台、舞台後ろにはワイドスクリーンで発言者を大きく写し出し、2F席からも表情がよくみてとれた。客席右に手話通訳席が設けられ、耳の不自由な方も手話でこの大会をしっかり受け止めていた。
舞台向かって左手横にカメラマン席、目視で10台以上のテレビカメラ他新聞雑誌などのカメラ。
5人は演台の前で話し始めた。

《地村保志さん挨拶》
今日はお忙しい中、私たちの拉致問題解決のため沢山のみなさんにお集まり頂き、まことにありがとうございます。昨年私たちは帰国しまして約7ヶ月がすぎようとしていますがおかげさまで帰国しその間みなさまの絶大なるご支援とご協力の支えにより、きょうは帰国した当時と少しちがった面もち(気持ち)でこの場に立つことができました。またこの4月からは夫婦揃って仕事を頂いて二十数年前と同じように社会復帰もはたしました。

(大きな拍手、鳴り止むのを待つようにして。。)

これひとえに私たちの帰国を暖かく迎えてくださり、物心両面で支援をしてくださったみなさまのおかげと深く感謝しております。(拍手)

しかしご存じのとおり、まだ北朝鮮に残してきました家族との再開を果たせぬまま今日に至っております。この問題につきましては、日本政府の責任ある対応によりまして、早期解決するものと信じておりますが、これにはみなさまの深いご理解と認識そしてご協力とご支援がなくては難しいと思っております。

そういった意味で今回の大会が成功裏におわることを心から望んでいます。
最後にみなさんの変わらぬご支援とご協力を再度お願い申し上げ、挨拶に代えさせて頂きます。

               (大きな拍手)
          
朴訥とした地村さんの話し方はTVで拝見するのと同じに優しさがあふれていました。
地村さんの感謝の気持ちと、これから私たちに期待することの重さを、訥々とした話しことばのはしばしに感じました。
誠実な人柄、北朝鮮できっと随分自分を押さえて耐えてきたからこそ、あのようにお話になれるのだと思いました。
支援と声をあげ、私たち市民が彼らを後押ししなければならない。必ず経済制裁などの北に対する圧力を政府に実行させなくてはと、思いを新たにしました。
どうぞ、参加できなかった方も、同じ想いを感じ取って頂きたいと思います。

2.帰国被害者の挨拶 地村富貴恵さん(浜本)
みなさんの励ましと支援の中でおかげさまで私も職場にもだんだん慣れて生活に張りがでてまいりました。本当に帰ってこられてどんなにか良かったと思う毎日です。
本当にありがとうごさいました。

              (大きな拍手)

でも、日がたつに連れて、子どもたちへの想いは募るばかりです。親が子を、子が親を慕う想いはここに参加しているお父様、お母様も一緒だと思います。私は今、親兄弟の愛を受けながら暮らしていますが子どもたちには誰もいません。
どうか早く逢わせてください。みなさんのご支援とご協力、もっともっとお願いします。

              (盛大な拍手)

『帰ってこれてどんなにか良かったと思うと』というところでは、明るい富貴恵さんの笑顔が印象的でした。
募るお子さまたちへの想いを早く叶えて差し上げたい。
もうこれ以上耐えるのはあまりにかわいそうです。
まわりは、目がしらを押さえる人、ハンカチをバックから取り出す人が目立ちました。
拉致問題の解決なしに、食料援助などありえません。

3.帰国被害者の挨拶 蓮池薫さん
拉致問題まだ拉致疑惑と言われていた時、孤独とそれから絶望の中でうちの両親たちは私たちの救出運動を続けていました。その中で一筋の希望そして勇気と力を得たのはみなさまのくださった署名であり、又そのときにかけてくださった『がんばってください』という一言でした。

             (おおきな拍手)
             
そして私たちが帰国して日本に留まって子どもを待つという決心をし、その後一向に先の見えないそういう不安の中でも子供達を迎える準備をし、そして社会復帰の一歩一歩を歩んでこれたのも、みなさまの下さった励ましの手紙と声援と支援でした。

(支援協力がなければ)そのような拉致問題解決のための気運が高まることはなかったでしょうし夢にも思わなかった我々の帰国、帰郷という事実はありえなかったと思います。
現在我々が、私たちのひとつの又最大の願い、(それは)やはり子供達北朝鮮に残してきた子供達が1日も早く帰ってきてそして自分の意志で家族で自分の将来をきめるという、そのことです。
           (拍手)
我々、わたしたちは本当に、自分の意志に反して拉致されていった以上、これは我々が日本に留まって子供たちを待つというのは当然のことであり、(拍手)だれにも指示されたわけでもありません。(拍手)ありがとうございました。

只、言うか言われないかという事情、子供たちに知らせることができなかったという事情をすべて話し、そういうことを知った上で、本当に子供たちが自分の意思で将来を決めていく、これは我々の当然の権利であると思います。(拍手)

本当に我々の願いは平凡でありながら切実な願いであります。
我々はこの問題がみなさまの支援なくしては到底解決できないものと思っています。(拍手)
特に、今情勢が流動的な現在、みなさまの支援とご声援によって問題解決の気運がさらに高まることを心からお願い申し上げます。

                (大きな拍手)

4.帰国被害者の挨拶 蓮池祐木子さん(奥戸)

(さらに大きな拍手)

日本に帰ってきて7ヶ月、羽田空港であんなに沢山の方々が私たちを迎えてくれるとは夢にも思っていませんでした。歳月がたつに連れ、両親に私たちが元気でいることを伝えたいという気持ちが大きかったのですがどうしようもありませんでした。
元気でいてくれるのか、夜月を眺めながら思ったものでした。

それが、24年ぶりに現実となり、再会することができました。
両親は老人になり、私も中年になりました。本当に長い間離ればなれになっていたということを痛感しました。この日を迎えるために長い長い年月信念を持ってこの問題をなんとか解決しようと活動してくださった方々のおかげで私たちが帰ってこれたんだと思っています。心から感謝しております。(拍手)
そして、私たちの出身はもちろん全国各地から激励のお手紙をたくさん頂き大きな励みとなっています。(大きな拍手)
有り難くて何回も読み返したお手紙もありました。本当にありがとうございます。(拍手)
日が経つにつれ日本で子供たちを待つ決心をしたことをつくづく良かったと思っています。(拍手)

半日あったら行って連れて帰ってこれるところなのに、子供たちがいる大学もわかっているのにと考えるとたまらなくなるときもあります。いつも心の中で元気でいてほしいと、いつ帰ってきてもいいようにみんな待っているのだからと思います。

子供たちと1日も早く会える日を信じて、精一杯頑張ります。これからもご支援お願いします。
             (大きな拍手)
こんど東京に来るときは、子供たちを迎えに来るときだと思っています。
           (『そうだ』の掛け声と拍手)
こんなに多くの方がこの集会に参加して頂いて本当にありがとうございます。(拍手)


◆お二人とも、はっきりと『日本で子供を待つ』と、『自分たちで決めた』と仰いました。そして『日本で待つことに決めて良かった』と仰っています。『北に一度帰れ』などと言っていた識者のみなさんに会場に来てていただき、このはっきりとした発言を生で聞いてほしかったです。
上へ 2-5.帰国被害者挨拶 曽我ひとみさん  下へ
《曽我ひとみさん挨拶》
こんばんは。(客席からも『こんばんは』の声)
本日は行方のわからないわたしの母のことを知って頂きたくて佐渡からまいりました。
母について申し上げる前に日本に来て以来全国のみなさんから頂いた貴重なご支援に対してこの場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。
また先日は肺ガンの手術を受けご心配をおかけしてしまいました。
みなさん、重ね重ねのご支援に感謝しております。

さて日本に来るまでは、母は日本に暮らしていると思っておりました。大好きな、そして心の支えでもありましたので、北朝鮮にいる家族にも母のことはよく話をして聞かせておりました。
24年前に私と共にいなくなってしまったきりだと知った時、信じられないというショックで、呆然とし涙が止まりませんでした。
佐渡の実家に残された母の着物や日用品を見るのがとても辛く感じました。日本に来てしばらくはそれを見ながら毎晩泣いていました。
この半年の間いろいろな体験をさせていただき、だんだん日本の生活にも馴染むにつれて、冷静になってみると北朝鮮にいる家族のことと同様に母の事がとても気がかりになってきました。

一週間まえに私はある夢をみました。その夢はとても悲しく辛く信じられない夢でした。
母が死んだということがテレビで放映されている夢でした。朝起きてからそのことを考えると一日中何も手につきませんでした。突然の夢に心の中に、大きな穴が開いてしまったようで寂しさを堪えられませんでした。

しかしそのあとで、私は思いました。これは絶対夢で、現実ではないと。(拍手)
母に会ったら『生きていてくれてありがとう』とお互いに強く抱き合いながら涙が枯れるまで泣いてみたいです。(拍手)
まだまだ娘としてしてあげたいこと、そしてしてほしいことが数え切れないほどいっぱいあります。この24年間は母の大切さをとても深く感じる結果となってしまいました。生死もはっきりしない家族を想うことは辛く辛くほんとに苦しいことです。今日ここにいらっしゃる被害者の方々は、そのことを一番わかってくださると思っております。

明日からは又、心から願っているその日のために力を合わせて強く強く前進してください。
わたしも。(拍手)
今拉致被害者として手厚い保護を受けておりますが、わたしも母の行方を知りたい家族のひとりとして、なにか少しでもお手伝いさせていただきたいと思い、この国民大集会に参りました。

今日はお忙しい中を参加してくださった国民の皆さんに心から感謝しています。(拍手)
家族の大切さ、家族の絆の深さを少しでも理解していただければありがたく思います。
国民のみなさんの強い力を信じております。よろしくお願いします。
わたしの話をお聞きいただきほんとうにありがとうございます。
 
             (盛大な拍手)

《櫻井さん(司会)》
地村さん、冨貴恵さん、蓮池さん 祐木子さん、そして曽我ひとみさんありがとうございました。
私たちはこの5人のみなさんをここに迎えている喜びとともに、ここにいない多くの人々の哀しみも知っていたはずです。壇上に座っていらっしゃる拉致被害者の家族の皆さん方の哀しみを思いますと、私たちはここでもう一度、全ての人達が救われるまでは、みんなで力をあわせて、け・っ・し・て 諦めることはしないということを、大きな拍手でしめそうではありませんか。(長い長い拍手)
ありがとうございました。
わたしたちは、け・っ・し・て ここにいない人たちを忘れることはありません。



◆曽我さんの夢は、逆夢に間違いありません。『絶対夢で、現実ではないと』とのことばを聞いて曽我さんの強さを改めて感じました。北朝鮮のご家族とお母様と全員が帰国できますように。
ベーカー大使との面会の実現は解決に向け、心強いものになりましたね。

桜井さんの『け・っ・し・て』と『全ての』と『忘れることはありません』ということばには、力がこもり、心から被害者と家族を支援する気持ちがよく表れて胸に響くものがありました。

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