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2004年6月

2004年6月19日 (土)

小泉総理批判考―国家と個人と民主主義について-

小泉総理批判考―国家と個人と民主主義について   2004 6月19日(土)  

 学生時代に1年間、ある欧米圏の大学に滞在した。初めての海外経験ゆえカルチャーショックも大きく、中でも(レジャーランド化した日本の大学と比べ)学生の熱意や学究レベルの高さとともに印象に残ったのが、彼等の “社会性のある個人主義”だった。同世代でありながらずっと大人の雰囲気があり、多くの学生が経済的にも自活していた。またその国の義務教育では学齢期に達する誕生日から学校に通い始め終了年齢の誕生日に学校を去る、全員揃っての入学式や卒業式は無い、「へぇ、これぞ個人主義社会だ」と感心した。自己主張も強い明快な個人主義社会ながら国家帰属意識が強いのも(今思えばどこの国でも当たり前なのだが)印象的だった。

個の集団として国家がある、個の幸福実現ために国家がある、そういう民主主義の基本意識が浸透していた。それに比べ我々日本人は政治に対していまだに江戸時代の“お上意識”が残っているように思えた(自分も含め)。それは遊び三昧に身を置きながら体制批判をしている日本のサヨク学生も同じなのではないか、当事者意識のない責任転嫁と他者非難の快感に酔うのは体制依存と同根に見える、これは日本人特有の甘えであり、個人の尊厳とともに社会責任を伴う本来の民主主義とは対極にあるものだと、今も私は考えている。

当初300万円近くしたトヨタのプリウスはいずれ100万円台になることになっている。そうしないと一般に普及しないからである。この「エコ車を一般に普及させる」という方針は国の環境政策ともリンクしている。(中国が日本からODA供与された脱硫装置もはずしてゼニモウケを優先し大量の有毒ガスをまき散らし西日本に酸性雨被害をもたらす一方で、日本は血の滲む努力で空気をきれいにしようとしているわけだ、権兵衛が種撒きゃ・・・) 実業に関わっている人なら生産コストの3~5割削減がどんなに困難を伴うものかおわかりだろう。

しかし競争市場経済ではまず最終価格を決定し、部品、素材納品業者にもどっとしわ寄せが来る。今皆さんが眺め触れているパソコンも然り。1~2年ごとに倍々で機能を向上させながら価格はほとんど頭打ち(これも普及のためには40万円以上にはできない)、その背後には技術屋と営業屋の、文字通り血の滲むような努力がある(ことにもたまには思いを馳せてくださいね)。徹底した合理化と競合の中で無駄が省かれ、結果的に使いやすく高機能な製品ができていき世の中が便利になっていく。IT社会もそういう生産者の自助努力と社員・下請け虐め(と捉えるかは別問題だが)の上に成り立っている。

今我々はそういう社会システムを選択している、その中にいくつも矛盾が生まれるから少しでも改善しようと声を上げる。しかしそういう清濁併存するシステムの成果の利便のみにしっかりあやかりながら、その自分の依ってすがるシステムを完全否定する人間、こういうのを当事者意識のない寄生虫という。以前左翼ネット人とやりとりしていて感じたのはこの自己責任を伴う社会的当事者意識の欠落である。もとより自分の気に入らぬシステムだから、全否定、反対のための反対、アラ探しでおしまい。スジ論でいえば彼等にパソコンを使う資格はない、算盤と糸電話と馬車で暮らすべきなのだが、“悪い奴から盗むのは正当行為”なのなら北朝鮮の意地汚い泥棒乞食的発想に似ている。

 大使公邸事件において国際赤十字はテロリストと政府、公邸内部と外部の唯一のリエゾン役として大活躍したが、事件中は徹底した中立主義を貫いた。

 スタッフの多くは30歳前後と若く、しっかりした見識と技術(豊富な経験に基づく詳細な危機管理マニュアル)をもち、数カ国語を話し(スイス人が多かったせいもあるが)、そしてなにより社会人としての人間性において柔軟なバランス感覚に優れていたため垣根を越えてみんなから信頼された。彼等も問題意識を持った生身の人間であり言いたいこともあったろうが、事件に関する発言は決して口にせず沈着冷静かつテキパキと対応していた。同時期に日本からやってきて数日だけ自己主張し騒いで帰っていった赤みがかったスーフリのようなピースボート連中とあまりに大きな隔たりを感じたものだ。

 そのピースボートと似たような腐臭をあのイラク人質3(5)人組にも感じ不快感に吐き気すら催した、そのあまりに無責任な一方的甘ったれぶりに。先日犠牲になった2名のジャーナリストについて(わたしと同郷であり)次回帰省したら墓参したいと思っているが、前者3(5)人組ならたとえ首を切られ火炙りにされてもそういう気にはならない、哀れみを感じるだけである。

  “おれは正しいから犯罪も許される”(罪と罰の)ラスコリニコフ症候群が集団化すると、本来の社会正義も倫理も論理もへったくれもなく自慰的思想で思考停止した考えぶりっこ狂信エゴ集団が生まれる。今回の日朝首相会談の結果を野党側が賞賛し一般国民がブーイングするという、奇妙なねじれ現象が起きているが、これは“ねじれ”というより、この狂信集団によってすでにねじれきってしまった日本社会のヨリを国民が戻そうとしている姿であり、ヨリ戻しを妨害する狂信集団すなわち犯罪者と国民とのはざまでふらついているのが、対中・朝政策で何ら外交戦略も哲学も持たなかった小泉ということではないのか。そして今回は残念ながら犯罪者側の狡知が長けていて向こう側に引っ張られてしまったということ。

 北朝鮮拉致事件は誰がどうみても邪が正を一方的に蹂躙強姦殺害した明確で分かりやすい不条理であり、その犯罪当事者への譲歩は方便以外にはあり得ない。政治は結果だ。もし思想的な贔屓の引き倒しで小泉の失態を弁護するなら、その姿勢には北朝鮮擁護にいまだに引きずられる左翼や総連と同様な腐臭を感じる。今回のような恥さらしの売国外交が批判糾弾受けるのは当たり前だ。ただし、彼の人格否定までする気はない、憎さ余って人間性まで貶めることに私は興味を感じない(嫌みったらしいイメージ操作による相手の人間性否定による攻撃はこれまで日本のサヨクが常用してきた卑しい戦法だ)、日本国の首相としてやるべきことをやってもらえれば、家庭の事情などどうだっていい。

 本板ではあくまで「拉致事件」を機軸に評価判断すべきと考える。「小泉の他にいない」という議論の視点にも違和感を覚える、それが失策の言い訳にはならない。為政者の政策を変えさせるのは我々の役目だろう。小泉総理は機を読む才は確かにあるし少なくともカルト思想に染まってはいないから、世論がもっと強く騒げば案外簡単に変わるのではないか(行革も押し切られっぱなし、結局口先だけの尻窄みじゃないか)。総理や政治家や政府は、我々国民のために何かをして下さるのではない、我々が彼等を使って我々の望む政治をさせるのである。

 戦後50余年間、朝鮮との関係の中で日本の政治活動は正義を殺しチンピラを増長させ、日本は物理的・精神的な深い損傷を負わされた。犯罪者たちは被害者を孤立させ国民がこの問題に“飽きる”ことを必死で狙ってるんだろうが(その使い走りが時々この板にも現れる)、そう甘くはない、蓋をするにはこの事件は臭すぎる、腐りきっている。

 これまでのような姑息・卑怯な犯罪隠しや開き直りが続くほど、いずれ来るその反動も大きくなるはずだ。年金問題のツケを先送りにして誤魔化そうとする者も北朝鮮犯罪の汚点を誤魔化そうとする者も同質である。国民主権国家においては自国の政治家のレベルをあまり悲観する必要はないのではないか、日本の一般国民のレベルは(黙っているだけで)決して低くはない(中間層の質の高さは日本の強みだ)。多くの国民=優秀なるサイレントマジョリティーは特定の政治思想にはとらわれていないからこそ、自分の頭で判断できる。自分の感性の中の義と道理に基づき是々非々で判断し批判するのは健全な本来の民主主義社会の姿である。今回の国民の小泉批判は当然であり、国民の批判を批判するほうがおかしい。

 なお、拉致被害者が国政選挙に立候補することに最初は抵抗を感じたが、今回の増元さんの件では考えを改める。HPも拝見した。本人が考え抜いてそれが最善策と判断されたのなら、蔭ながら応援したい、これも日本の民主主義が成熟する過程の、個人が個人として国に参加する意識改革のきっかけの一つになるのではと期待したい。ふつうの政治家になっては意味がない、無党派ゆえ、増元さんが志を通せるかは我々未組織個人の支援にかかっている。

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ますもとさんを励ます会 にて(2004/6/19)

荒木和博さんの挨拶 (拓殖大学助教授・特定失踪者調査会代表)

2004年6月19日~ますもとさんを励ます会(照北会主催)にて~

ご紹介頂きました荒木でございます。現在『特定失踪者問題調査会』と申します、北朝鮮に拉致された可能性のある人の失踪事件について調査する団体の代表を致しております。

私は昨年の一月まで『救う会全国協議会』の事務局長を致しておりましたが、9.17以降、曽我ひとみさんがでてきたことによって『あるいは自分のところの家族も拉致をされたのではないか』との問い合わせが救う会に相次ぐようになりました。これに対応するために別途の団体を作りその代表となることになった次第でございます。

そして、特定失踪者問題調査会がスタートするときに、家族会からもだれ理事を出てくれないかとお願いしたところ増元さんが快く引き受けてくださいました。『私しかやる人はいないでしょう』というふうなことで自分からすすんでで私どもの活動にご協力をして頂き、ご家族とお会いいただいたりいろいろ議論をするということで忙しい時間の中を割いて頂いてきました。

私と増元さんは救う会のときからご一緒に活動しているのですが、(3年前になりますか)一緒に二人でジュネーブに参りました。-国連の人権委員会に要請を行うと言うことだったのですけれども-その帰りの飛行機の中でお話をしていて、-まぁ、その当時で23年間ですか-『大変だったでしょうね』という話をいたしましたら、増元さんがポツッと『よくおふくろが頭がおかしくならなかったと思いますよ』というふうに仰っていました。
こういう苦しみというのは我々いくら支援者として活動していてもあくまで支援者でありまして、そういう苦しみを自分が受けることはありません。『ひょっとして自分の家族がそうなったらどうだろうな?』と考えることはありますけれど、しかしいくら想像しても想像の範囲とそれ(苦しみ)を実際に受けてきたと言うことはそれは全く違うのでございまして、わたしはそういう意味でも、そういう苦しみを26年間これまで受け続けてきた増元さんが国政の場で活躍して頂くと言うことが、やはり大きな意味があるのではないかというふうに思っているわけでございます。

自分自身この救う会でやって参りました5年間の間『家族のいなくなる』と言うことの苦しみが眞にお恥ずかしい話ですが正直言って解りませんでした。
-被害者は北朝鮮にる、それをどうやって取り返すか-ということに自分の気持ちも焦点がいっておりましたので(家族が)その間どういった想いだったかということについて、思いを致すことはなかったわけです。

ところが、失踪者のことをやりまして、失踪者のご家族とお会いをする。(まだ北朝鮮かどうかわからないというところからスタートするわけですけれども)その家族がいなくなったときの気持ち---ある日お母さんからタバコを買いに行ってと言われて家を出ていく、わずか50mさきのタバコの自動販売機のところまでダバコを買いに行く、短パンにTシャツで、そしてわずか2~300円のお金だけ持って出で行ってその後全く行方がわからない---そういうような話を次から次に聞きまして家族が消えるということの恐ろしさというものを、もちろんそれは実感ではないんです、人から聞いた話でしかないんですけれども、それでもこんなに恐ろしいことだったのかとホントにつくづく感じました。
考えてみれば家族会の皆さんも全く同じ苦しみをそうやって受けてきたわけでありまして、5年間救う会の活動をしてきて自分がそんなことにも気が付かなかったと非常に強く反省をした次第でございます。

北朝鮮は今でも拉致をやめていないのです。これから先も必要で有ればいくらでも拉致をしてくると思います。そして今、この国はそういった拉致に対して本当に無防備な国です。
日本の海岸線というのはアメリカの半分あるんだそうです。どっからでも入れます。
韓国は、(今もう随分いい加減になりましたが)かなりきっちりと海岸線にず~と陸軍の兵士を歩哨にたてて警戒して、鉄条網を張り巡らせていたわけです。それでも入ってくるのです。
日本はもう、何もしていないと同じです。

そして拉致も、いわゆる海岸線で袋をもって待ちかまえるというようなケースはおそらく極少ないのではないかと思っています。私どもは増元さんと市川さんの拉致も、やはりある程度周到な準備されていておこなわれたのではないかというような感じがしております。
準備をしていて、どこかで騙して、そして一端(この部屋でも同じですが)密室の中に入ってしまえば跡は何してもわかりません。当て身を食らわせて気絶をさせて、あとは箱とか袋に詰めて荷物に偽装して持ち出せば誰にも解らない。車で走ればすぐに海岸にでる。おそらくそれも、工作船がまっているところにいきなり捕まえて連れて行ったと言うケースよりも、どこかにアジトがあってそこに何日間か監禁した上で連れて行ったというケースも少なくないと思っております。

そうすると、今でも拉致というのはいくらでも出来るんです。
そして増元さんがそうであったように拉致される対象というのは北朝鮮と何の関係もない人たちです。
ここにおられるみなさんやそのご家族が拉致の対象になるということも十分に考えられると言うことございまして、この拉致問題というのは正に『我々が我々自身、あるいは我々の家族を救う為にどうするかという戦い』であるのだと私は思っております。今この国は拉致と言う拉致に本当に無防備なのです。

私自身もスタートしたときは、横田さんのご両親あるいは増元さん、みなさん一生懸命やっていらっしゃるのをみて、これはやっぱりなんか少しは役に立たなければいけないということではじめたことではあったんですけれども、今私の気持ちは、単にこれがご家族が、あるいは被害者がかわいそうだからやるというのではなくて、これをやって拉致をされた方を全員連れ戻すことがイコール私達自身の安全を守ることになるという風に感じています。

東京の町中からも消えた人の数というのは非常に沢山いるんです。
拉致は北海道から沖縄まで、日本海側であろうが内陸だろうが太平洋だろうが関係なく行われております
そしてなおかつ始末の悪いことにはこの国の政府はその事実をず~と隠蔽をしてきました。拉致などと言うことは有ってはならないことだと言ったときに、当然拉致をされたならそれを絶対に取り返すんだというふうにならなければいけないのに、この国のやってきたことは『有ってはならないことだから無かったことにしよう。。。。』いう方になってしまったのです。

その為に被害者が更に増えていった。昭和52年の9月に久米裕さんが拉致をされました。見つかったときに石川県警は犯人の一人を逮捕しています。しかしその事実は一切外に出しませんでした。もしあのときにせめて日本海側だけでも『こういうことが行われている、(北朝鮮に拉致だと言うことは間もなくその犯人が自供して解るんですが)拉致が行われている、警戒をしてください』ということを一般の国民に広報することが出来たなら、そのあと2月後に起こった横田めぐみさんの事件、あるいは翌年におきた増元さんをはじめとするアベックの拉致事件は起きなかったかもしれないのです。
しかしそれを一切政府は明らかにしてきませんでした。

時間がないので詳しい話はできませんが我々やってくにしたがって、そういうことについての話を次から次に聞くに至りまして、本当にこれは『国の問題だ』ということを感じました。
今、日朝の国交正常化ということを言う人がたくさおられますけれど、しかし必要なことは国交の正常化ではなくて『日本と北朝鮮のそれぞれの正常化』です。日本が正常な国になり、北朝鮮が正常な国になったら国交なんかその次の日にでも結ぶことが出来るです。両方が不正常な状態で国交を結ぶなんてことは絶対に有ってはいけないことだと私どもは考えております。

どうかこの今回増元さんの選挙、厳しい中で増元さんが決意をしてくれました。
私どもとしても、決意に答えてそして増元さんの当選をステップとして拉致問題の全面解決へと一気に乗っていきたいと思っております。

日本と北朝鮮を比べた時に、人口で言えば3倍、面積で言えば6倍、経済力などくらべものにもなりません。軍隊は北朝鮮は100万いると言いますけれど、その大部分がまともに飯も食えないで山賊まがいのことをしていると言う国です。こんな国に日本が負けているはずがありません。我が国が力を出せばこの問題は絶対に簡単に解決することが出来ます。しかしその決断を下せる人間がいないと言う残念な状況がずっと続いています。増元さんが国会議員になることでそこに何とか持っていきたい。この国の国民が決意をもって北朝鮮に対するとき絶対に全ての拉致被害者を取り返すことができます。どうかみなさんこの選挙を通じてそれを実現するための場だと、是非ともお考え頂きたいとお願いを申し上げまして私のご挨拶を終わらせて頂きます。
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2004年6月12日 (土)

日本の支援は誰も知らず

日本の支援は誰も知らず 2004年6月12日(土)

これは北朝鮮の場合に限らず、日本の援助につきまとう問題しです。3年前のペルー南部アレキーパ地震のとき、家を失った多くの住民に各国から天幕が届いた。日本からも多量の救援物資が送られたが、他の国が援助物資に国名や国旗を印刷しある天幕には企業名までプリントしていてニュース画像見ただけで支援者が分かるのに、日本のテントは無地だったのでほとんど誰も気付かなかった(これには外務省内部でも反省の声があった)。大和民族は自己主張が下手なのだ。

欧米・アラブ(や中国・朝鮮)流の露骨な自己主張は日本人古来の美意識には合わぬが、世の中黙ってたら相手も分からないのが当たり前で、誕生プレゼントもらったその場で開封し披露し内容確認し謝辞を述べるのも長い人付き合いの中で生まれた彼等の知恵の一つなのだろう。ましてや殴られたら黙って切り返すくらいの毅然とした姿勢も、自己主張以前の人間の基本「マナー」であり、その程度の矜持すら持てない人間はむしろ蔑まれるものだ。

それにつけても、血を吸うだけのダニのような北朝鮮をなんでこっちが分かってさしあげなきゃならんのだ? 分からせるのはむこうだろに、そのへんは日本人も変わらねばならぬ、足だってそんなに長くないのだ。
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コンプライアンス(compliance)

コンプライアンス(compliance)  
                  2004 6月12日(日)

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コンプライアンスという言葉が最近の日本の企業経営のキーワードの一つになりつつある。
もともとcomplianceは「追随」といったような意味だが、企業倫理の中では“遵法精神”、つまり「反社会的行為、不正による浮利を廃す」という風にとらえている。

表向きは倫理規定みたいだが、要は悪事がバレることを恐れる、消費者にバレてイメージダウンで売り上げと株価が落ちること、即ち「実害」を恐れての対策である。三菱自動車の“惨状”をみて冷や汗をながしている企業も多いはずだ、我が身でなくて良かったと。そして、小ずるく儲けるより地道に正直にやったほうが損をしない(結果的に儲かる)と考える。これが企業の腐敗ベクトルのフィードバック効果の一つとなっている。

企業に限らず、官もODAも政治家もあらゆる組織団体・制度も、独善に陥ったときに腐敗が始まる。人の組織はもともと腐りやすいのだろう。腐るのを防止するのが第三者の監視と外部が与える実害である。だから我々はあらゆる権力の監視を続け声を上げ続ける必要がある。自国民の声を封じ外部から情報を遮断し独善の極みに達し、自分でとことん腐りきってしまったのが北朝鮮だ。

これまで長い間サヨクだけが市民みたいだった日本の奇妙な市民運動史において、北朝鮮の腐臭と一体化したサヨクが死滅しかかった今こそ、本来の市民運動が日本に立ち上がる好機なのかも知れない。生物学で「亜種は共存できない」という法則がある、一方が絶滅することでもう一方が繁栄できる。(例はマズいが、そう感じる)

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2004年6月 1日 (火)

官僚たち  

官僚たち  2004 6月1日(火)

“北京で会え”と自分の都合で勝手に決めといて、思い通りに言うことを聞かぬと、お為ごかしついでにイヤミと脅し、もし国民の目が無かったらもっと徹底した恫喝がなされるだろう、天下国家のために愚民なぞは依らしむべしってね。似たような体験を紹介する。

ペルー大使公邸事件も大詰めにさしかかった1997年3月下旬、人質解放時のロジについて外務省対現地策本部から人質企業側に提案がなされた。「マスコミを敵に回すと何を書かれるかわからない、あいつらのガス抜きはどうしても必要だから、解放後の人質の記者会見はやらざるを得ない、しかし青木大使は記者会見には出さない、本部からの通達だ、したがって解放後の記者会見はあなた方民間の人質に出席してもらう」 そう突き放すように命令口調で伝える外務省キャリアMの人を見下した冷たい目つきを今も良く覚えている。
自分たちの(警備上の)落ち度で来客を人質にしておきながら、被害者を表に晒して自分は被害者の裏に隠れて保身をはかろうとするこの傲慢かつ意地汚い姿勢には、人質の命がかかっている故にそれまでずっと我慢してきた民間もキレた、全ての企業が激怒し、人質引き取り場所には「(外界から隔離された最も安全な)日本大使館内を使わせよ」と、何だかんだと抵抗する外務省を押し切り、社有車を大使館敷地内に待機させ人質を回収したあと一斉に引き上げ、外務省には総スカンを喰らわした。

困り切った外務省は解放直後の青木大使に2時間余りブリーフィングをして記者会見に臨ませた。その結果が、フジモリファンのペルー人も呆気にとられ大顰蹙を買った、あのタバコスパスパ、「カーチャンに会えなくて寂しかった」と語った使記者会見である。(上述と別のある官僚はこうも語っていた、「役所もリークによる世論誘導などではマスコミを上手く利用していて、まぁおたがい持ちつ持たれつの関係にはあるんだがね」)

外務省に限らないが政策に関わるキャリア職員に比べればノンキャリの扱いは虫けら同然、自分の息子のような歳のキャリアに顎で使われりゃノンキャリ職員はウップンも溜まる、業者からのピンハネ裏金づくりも公金流用で囲った女も馬も、ノンキャリのガス抜きの意味合いもありキャリアは黙認しかつ便乗している。

こういう上から下まで糞と小便がズブズブに混ざり合ったような組織も外圧に対しては見事に一丸となって徹底抗戦する。2000年から始まった特殊法人改革の動きに際してはキャリ・ノンキャリあげてあらゆる存続理由をでっちあげて存続をはかった、その結果はみてのとおりである。ふだんは天下国家を論じているキャリアも、自分のシマを守るためには国も国民も売る。これは彼等の人間性というより、組織の特性なのだろう、思想の右左も関係なく、いわゆる“官僚的”なあらゆる組織に当てはまるように思える。

今この拉致事件の日本政府対応をめぐって覚える怒りの向く先には、日本政府も民社・共産も自民も、この官僚的組織保全の論理が見えてくる。我々が戦う相手は、金正日に加えにこの官僚の論理である。彼等がマスコミや世間の目を一番恐れるのは、それにより自分たちの権力が削られてしまう場合だけである、そこに大義はない。そして北朝鮮も中国も、独裁体制とは官僚体制そのものなのだ。

曽我さん、これはあなただけの問題ではない、外務省・政府はあなたの生命の安全のことは屁とも考えていない(ことはご自身が一番よくわかっているでしょうが)、自分と組織保全のためのメンツが優先している、そんな下らぬ奴らの下らぬメンツにあなたがこれ以上気を使って差し上げる必要はない、外務省があなたの言うことを聞かないならすっぽかせませんか、味方はたくさんいますから。さいわい参議院選が近い、公示前までなら我々も自由に騒げる、官僚も政治家にはかなわないのだ、つまるところでは。

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