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2004年9月17日 (金)

経済制裁発動を要求する緊急国民集会(4)

4 中川経済産業大臣の挨拶 (ぴろんさんテキスト化による)

ただ今櫻井さんからご紹介いただきました、中川昭一でございます。
お暑い中、本当に大勢の皆様、この熱気、この熱気は正義の熱気だと、私は思っております。
改めて皆様方と共に、国家として当たり前の事をやって行かなければならないという事を・・・(聞き取れず)

未だ未帰還の方々、30年前後、日にちにしますと一万数千日になるんでしょう。あるいはまた帰ってこられた皆様方も、失われていた数十年、これを取り戻すという事は並大抵の事ではないと、言わざるを得ません。そういう中で今、横田会長・平沼会長からもお話ございました様に、国民の皆様のご支援をいただいて、改正外為法あるいは特定船舶入港法、これらを国会で成立させていただきましたが、私は現在内閣の立場で、更には外為法を所管する責任者といたしまして、日々私の微力を家族会の皆様方、そして国民の皆様方に本当にお詫びを申し上げなければいけない、と言う風に思っております。

2年前確か、私の理解では拉致問題を解決して正常化交渉、そしてそして経済支援をやるという風に私は理解をしておりました。そして今年になりましてから対話と圧力と言う言葉が随分我々も使っていた訳でありますけれども、今お話があったように、やはり相手が相手だけに圧力と言うものが必要でありますし、法律が出来ましたけれども、抜かずの法律だったら圧力でも何でもないわけです。

総理として、あるいはご家族の皆様の数十年にわたる悲痛なご苦労のお気持ちを考えた時に、何としてもご期待に沿っていかなければならない。一日一日が大変長い日々をお暮らしになっている皆様に一刻も早く、せめて第一段階としてのやるべき事をやっていかなければいけないと言うのが国家の責任だろう。

私は7月の末にたまたま仕事でジュネーブに行ったときに、去年の4月にご家族の皆さんと国連人権委員会のデメロさんという特別代表にお会いをいたしましたが、その数ヵ月後にイラク担当になってイラクで爆殺されたデメロさんのお墓にお参りに行ってまいりました。去年の4月に家族の皆さんのお話、とりわけ横田夫人がめぐみさんのお写真を出しますと、自分にも高校生の子供がいるといってぽろぽろと涙を流し、そして家族の皆さんのお一人お一人と手をがっちりと握って、共に戦いましょうという風に言っていただいたんですけれども、その2ヶ月後にイラクで大変悲惨な最期を遂げられたわけであります。

多くの国民の皆様のお気持ちはもとより、そして家族会の皆様のお気持ちは言うまでもございませんが、私はジュネーブに静かに眠っておられますあの美しい公園の中のデメロさんに、一日も早く良い報告が出来るように、私は全力を挙げて戦っていかなければなりません。

その事を家族の会、世界中の人達の前でお誓いを申し上げまして私の挨拶に代えさせていただきます。

司会 桜井よしこさん
力強い中川大臣のお言葉をいただきました。本当にありがとうございます。
さて、今日この会場にはいらしておりませんけれども、石原東京都知事をはじめ、多くの方々から祝電と言いますか、励ましの電報・メッセージを頂いております。それを田口八重子さんの御子息であります、飯塚耕一郎さんにお願いをいたします。田口さんは1978年の6月頃に拉致をされてしまいました。そしてその時残された小さなお子さんが、今これから私たちにメッセージを読み上げてくれます。
飯塚耕一郎さんです。
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