経済制裁発動を要求する緊急国民集会(9)
司会 櫻井よしこさん
さてここで会場の前の方にですね特定失踪者のご家族のかた方、44家族70名のかたがいらしております。ちょっとご起立をお願いします(大きな拍手)
この70名のかた方の家族が特定失踪者となって私たちの助けを待っている。(拍手で不明)
70名のかた方、さらにその後ろにいらっしゃる多くの特定失踪者の家族の方々を代表致しまして、藤田進さんの弟藤田隆司さんにご挨拶をお願いしたいと思います。
私は藤田進のひとつ下の弟藤田隆司と申します。よろしくお願い致します。
9 特定失踪者ご家族代表 藤田隆司さん挨拶
兄藤田進は、今から約28年前、昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅を出て未だに家に帰って来ません。兄は家を出る時「明日、洗濯は自分でするよ。」と言って出て行きました。兄は当時19歳です。東京学芸大学という大学の1年生でした。そして将来体育の先生を目指していたわけです。 当時、母を4年前に亡くしていまして私と父は悩みました。「何で、帰って来ないのか?」「何かトラブルに巻き込まれたのか?」「自殺したんじゃないのか?」「家出したんじゃないか?」「やむにやまれぬ、何か理由があったんではないのか?」と、ずーっと悩んで参りました。そしてすべて悩み尽くしたという風に思っていたわけです。
ところが迂闊にも北朝鮮による拉致ということだけは、何故か考えなかったんです。しかも、蓮池さん、曽我さん、地村さん5人が日本に帰って来たその時でさえ、まだ私の兄の失踪と北朝鮮による拉致というのが結びつかなかったんです。極一部の北の悪人がたまたま犯した突発的な誘拐事件だという風に、その当時思っていました。 川口というところは、海から離れている、しかも、日本海側からは相当離れていると。どうして拉致できるんだろう、拉致なんてできるわけがないというふうに、まだ5人が帰ってきた時も、そう思っていました。しかしその後色々話を聞いてこれは一部の犯行ではなくて北朝鮮の国の政策として日本人拉致が、長期間・組織的に・計画的に・日本全国どこでも・海外でも・拉致を行っていたということが判りました。 そして「兄ももしや拉致かもしれない。ということで、約1年前に(特定失踪者問題調査会)に届け出ました。
そして先月、北朝鮮から流出した右側の写真ですね(写真を指して)、それが東京歯科大学の鑑定の第一人者橋本先生によりまして、私の兄藤田進であるという鑑定結果がでました。兄はやっぱり思ったとおり北朝鮮にいたと、そしてやっぱり北朝鮮に拉致されていたんだということです。 失踪して28年、初めて出てきた兄の唯一の証拠です。そして先月北朝鮮から流出した(写真の)兄と同様、特定失踪者と呼ばれている拉致の疑いがある失踪者が今、荒木先生からもお話がありましたが、4420名もいます。警察はその2倍以上把握していると、私は聞いています。すべてが拉致でないにしろ、自殺や家出が考えにくい失踪がこれほど多く、未解決のままでいるということです。このことは、北朝鮮拉致事件が明らかになる前までは、あまり知られていませんでした。私も知りませんでした。
忽然と失踪した多くの人がいることを、是非知っていただきたいと思います。私の兄も特定失踪者の一人です。死んだと諦めかけていた自分の家族が北朝鮮に拉致をされ、今も生きているかもしれないと思えば、きっと皆さんも私たちと同じ事をするだろうし、同じように訴えていくだろうと思います。
*拉致された人は、極々普通に生活していた日本人です。
*日本の若者です。
*400名を越える特定失踪者のことを忘れないでください。
*家族と再会をずっとずっと待っている人が大勢いることを是非知ってください。
*北朝鮮のどこかでじっと今でも助けを待っている、苦しんでいる多くの日本人がいる事を皆さん1日1秒でも2秒でも思ってください。
日本は、北朝鮮の現政権に対して「すべての拉致した人を即刻安全に解放せよ」と是非強く迫ってほしい。そして「すべての拉致した日本人を母国日本に帰せ」と全世界に発信してほしい。日本の政治家を始めとする指導者の皆さん、日本国民のこうした総意・民意を背に日本の代表者として北朝鮮に立ち向かってください。お願いします。
そして会場の皆さま、拉致に関心をお持ちの皆さま、この問題をもっともっと広めてください。拉致問題の全面解決、拉致被害者全員救出のためにこれからも力を貸してください。
私は日本人のひとりとして、それから藤田進の唯一の弟として、自分にできることはこれから何でもやっていこうと思います。よろしくお願い致します。
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さてここで会場の前の方にですね特定失踪者のご家族のかた方、44家族70名のかたがいらしております。ちょっとご起立をお願いします(大きな拍手)
この70名のかた方の家族が特定失踪者となって私たちの助けを待っている。(拍手で不明)
70名のかた方、さらにその後ろにいらっしゃる多くの特定失踪者の家族の方々を代表致しまして、藤田進さんの弟藤田隆司さんにご挨拶をお願いしたいと思います。
私は藤田進のひとつ下の弟藤田隆司と申します。よろしくお願い致します。
9 特定失踪者ご家族代表 藤田隆司さん挨拶
兄藤田進は、今から約28年前、昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅を出て未だに家に帰って来ません。兄は家を出る時「明日、洗濯は自分でするよ。」と言って出て行きました。兄は当時19歳です。東京学芸大学という大学の1年生でした。そして将来体育の先生を目指していたわけです。 当時、母を4年前に亡くしていまして私と父は悩みました。「何で、帰って来ないのか?」「何かトラブルに巻き込まれたのか?」「自殺したんじゃないのか?」「家出したんじゃないか?」「やむにやまれぬ、何か理由があったんではないのか?」と、ずーっと悩んで参りました。そしてすべて悩み尽くしたという風に思っていたわけです。
ところが迂闊にも北朝鮮による拉致ということだけは、何故か考えなかったんです。しかも、蓮池さん、曽我さん、地村さん5人が日本に帰って来たその時でさえ、まだ私の兄の失踪と北朝鮮による拉致というのが結びつかなかったんです。極一部の北の悪人がたまたま犯した突発的な誘拐事件だという風に、その当時思っていました。 川口というところは、海から離れている、しかも、日本海側からは相当離れていると。どうして拉致できるんだろう、拉致なんてできるわけがないというふうに、まだ5人が帰ってきた時も、そう思っていました。しかしその後色々話を聞いてこれは一部の犯行ではなくて北朝鮮の国の政策として日本人拉致が、長期間・組織的に・計画的に・日本全国どこでも・海外でも・拉致を行っていたということが判りました。 そして「兄ももしや拉致かもしれない。ということで、約1年前に(特定失踪者問題調査会)に届け出ました。
そして先月、北朝鮮から流出した右側の写真ですね(写真を指して)、それが東京歯科大学の鑑定の第一人者橋本先生によりまして、私の兄藤田進であるという鑑定結果がでました。兄はやっぱり思ったとおり北朝鮮にいたと、そしてやっぱり北朝鮮に拉致されていたんだということです。 失踪して28年、初めて出てきた兄の唯一の証拠です。そして先月北朝鮮から流出した(写真の)兄と同様、特定失踪者と呼ばれている拉致の疑いがある失踪者が今、荒木先生からもお話がありましたが、4420名もいます。警察はその2倍以上把握していると、私は聞いています。すべてが拉致でないにしろ、自殺や家出が考えにくい失踪がこれほど多く、未解決のままでいるということです。このことは、北朝鮮拉致事件が明らかになる前までは、あまり知られていませんでした。私も知りませんでした。
忽然と失踪した多くの人がいることを、是非知っていただきたいと思います。私の兄も特定失踪者の一人です。死んだと諦めかけていた自分の家族が北朝鮮に拉致をされ、今も生きているかもしれないと思えば、きっと皆さんも私たちと同じ事をするだろうし、同じように訴えていくだろうと思います。
*拉致された人は、極々普通に生活していた日本人です。
*日本の若者です。
*400名を越える特定失踪者のことを忘れないでください。
*家族と再会をずっとずっと待っている人が大勢いることを是非知ってください。
*北朝鮮のどこかでじっと今でも助けを待っている、苦しんでいる多くの日本人がいる事を皆さん1日1秒でも2秒でも思ってください。
日本は、北朝鮮の現政権に対して「すべての拉致した人を即刻安全に解放せよ」と是非強く迫ってほしい。そして「すべての拉致した日本人を母国日本に帰せ」と全世界に発信してほしい。日本の政治家を始めとする指導者の皆さん、日本国民のこうした総意・民意を背に日本の代表者として北朝鮮に立ち向かってください。お願いします。
そして会場の皆さま、拉致に関心をお持ちの皆さま、この問題をもっともっと広めてください。拉致問題の全面解決、拉致被害者全員救出のためにこれからも力を貸してください。
私は日本人のひとりとして、それから藤田進の唯一の弟として、自分にできることはこれから何でもやっていこうと思います。よろしくお願い致します。
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