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2004年11月

2004年11月24日 (水)

殺される側にならぬために

殺される側にならぬために   
  アンデスの声さん  2004年11月24日(土) 


政策〔policy〕を実現するために戦略〔strategy〕が、その戦略の具体的展開方法として戦術〔tactics〕がある。民主国家であれば政策と基本戦略については国民への事前開示と支持の取り付けが必要だが、個々の戦術まで公開するとその意味が無くなるのは新人さんの指摘通り、むしろ私が気になるのは戦術以前の日本の対北朝鮮政策と戦略である。政策(まず全員奪還ありき)と戦略(圧力行使)の方針はむしろ相手にはっきり示したほうが効果がある。しかし表向き「まず拉致被害者奪還」を唱えながら真意は疑わしくその戦略も「圧力と対話」か「対話だけ」なのか、どころか敵の言いなりだ、そのような煮え切らぬ状態のまま戦術の一つ経済制裁の功罪の罪のみが表だって取りざたされる、こういう足元の定まらなぬ姿勢を凶悪狡猾な敵の前に曝すのはみっともないだけでは済まぬ、極めて危険な自滅行為だとなぜ感じないのだろう、もっと痛い目に遭わないと分からないのかと危機感を覚える。

一方の北朝鮮の日朝交渉への構えは盤石である。目的は「金正日独裁体制存続」、その戦略は「恫喝と略奪」、具体的戦術は「殺人、誘拐、脅迫、洗脳、虚飾うそ偽り、ならびにその実動工作組織の相手中枢への浸透。」 邪悪な前近代的ヒトゴロシ国家の謀略そのものだが、その効力は今回交渉に臨んだ日本側の体制よりもずっと“強い”。

似た力関係をサンティアゴの日中首脳会談にも見る。原潜領海侵犯、尖閣諸島侵攻、中国人凶悪犯罪など現在日本社会を脅かしている自分のあまたの不義理はシラッと流し、唯一のカード“靖国”で逆に日本を脅し、ついでに戦前日本を“ファシズム”とまで言った。日本の首相が靖国参拝しようがしまいが今の中国に利害が生じるわけではないのに中国が毎度「被害者意識」をタテにこれを持ち出すのは、抗議が実利につながるからである。中国の恫喝にさっそく幇間よろしく社説に「言い換えれば、靖国問題を打開できれば、少なくとも当面の日中関係にそう心配はないという現実が見えたと言っていいだろう(http://www.asahi.com/paper/editorial.html)」とまで書いてくれる御用新聞も確保している。これも日本社会の脆弱な部分を突いた中国らしい外交“戦術”だ。中国の対日基本戦略は“圧力=脅し”、その政策目的は“中国への利益誘導と中国国家体制護持”である。したがって国交樹立後30余年間、中国から日本へもたらされた恩恵はほとんど無く中国による一方的搾取略奪、この国に日本の北朝鮮政策に対し社会正義からの協調連帯を期待するのは無理、中国(に限らずだが)は自国独裁政党の党利でしか動かぬ。

それにしても、往時の日本を仮にファシズムと(彼等が勝手にそう)とらえたとしても現在の相手国首脳に面と向かってこれを口にするのは非礼きわまりない、相手次第ではとても危険な挑発行為であり、これまで数千万の人民を殺した/今も殺し周辺国を恫喝する国家の独裁政党のボスにそこまで言われるなら、「我々日本にも反ファシズム勝利記念館が必要にならぬよう、北東アジアの平和非核化を願っています」とサラリと応酬するくらいの気概が国家首脳には必要なのに・・・、小泉の狼狽振りに胡錦涛は内心呆れてんじゃないか。

長い歴史の中では正義が邪悪に勝ち続けてきわけではない、むしろ、断罪処刑されたヒトゴロシの数よりもヒトゴロシに殺された側の数の方が圧倒的に多い、ここ南米史だけを見てもスペインによる植民地侵略だけではない、スペインに侵略虐殺され滅亡したインカ帝国はその帝国拡大過程で自らすさまじい他民族浄化を行っており当時の先住民族間の力関係は今も残る、弱いものが負け歴史から消えていく理は昔も今も変わらぬ。正義は必要だが脆弱な正義は負ける、負ける正義は正しくない、いや、負けてはならぬというべきか。そういや「侵略されても抵抗せずに殺されましょう」と公言した党首がいたな、陸続きの大陸ではそういうオメデタイ民族はご希望通りとっくに消滅してしまったのだろう。

自分の利益生命を守るための方策について日本はこのしたたかすぎる隣国中国・北朝鮮との接触の中でこそ身につけるべきだ(そのままマネしてはいけない)。「人を殺さないため」はごもっとも、しかし今の日本人はまず「自分が殺されないため」の政策+戦略+戦術を身つけねばならぬ。

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2004年11月22日 (月)

制裁する・しない、小田原評定の段階は過ぎた

制裁する・しない、小田原評定の段階は過ぎた 
2004年11月22日(月)

この板は「拉致被害者を救いたい」意志があるなら少々の考えの違いや思想信条にはこだわらない(はずだ)、小泉評なんて5月22日を境にもう気の毒なくらいボロクソ、これも目的が具体的かつ明確なので自ずとそうなった、事実を前に君子は豹変するのであります(変われないカルト思想諸君、羨ましいだろ)。でも、目的が同じでも手段までみ~んな全く同じというのも気味が悪く、自分の考えを相対化する上でも新人さんの書き込みにややホッとしました。

私は、経済制裁に100%確実な効果がありそれだけで全てが解決するとは思わないが、やる必要は100%あると考える。相手に全く誠意が無く交渉は暗礁に乗り上げたまま2年以上たっても先が見えない以上、可能な方法は試みる、まず石を投げてみる、やってみる、寝た振りを決め込む相手をゆすり頬をつねってみること、そして反応を見ながら次々に手を講じる、中・露・韓が妨害(=北朝鮮へ援助)するかどうかもやらずに案ずるより、日本が制裁発動することで彼等の立場思惑がより鮮明になる、妨害するなら個別に抗議制裁すればよい、もともと相手は近代社会の常識・ルールの全く通じない連中だ、最善の方策は(机上論ではなく)走りながら考えれば良いではないか。

官庁では国会質疑に限らず記者会見などの前には関係担当者総動員ねじり鉢巻きで「想定問答集」を作る。ああ言われたらこう言う、すなわち「ワタクシどもはまちがってはおりません」のためのマニュアルづくり。リスクを伴う制裁措置のような思い切った決断ができない背景には、さいしょから明確な妨害意志のある北朝鮮利益グループだけでなく、「後でまずいことになったらまずい」というマニュアルことなかれ役人気質も大いに作用しているのではないか。役人が気にするのは「世論」と「自分の瑕疵」、向こう傷を容認する世論が形成されれば、政府も動きやすくなる、そのためにも制裁発動のための世論形成が大切と考える、「世論が騒ぐので中国原潜の領海侵犯に正式抗議」なんて実に情けない話だが、日本政府が情けないのは我々は拉致事件で十分に学習した、これはもうしょうがない。

ところで何もしないうちから「制裁は効果がない」や「危険」などと(政治家であれマスコミであれ)しかるべき立場の人間がベラベラと喋ることで制裁の潜在効果そのものも削がれてしまう、こういう際どい外交にポーカーフェースは当然だろうに、・・・わざとやってんのかな。
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2004年11月17日 (水)

拉致事件と日の丸

拉致事件と日の丸
2004年11月17日(水)

4月30日の日比谷集会の後、デモ行進のために配られた日の丸の小旗に抵抗を覚え、私はデモの隊列から離れた。当時ポークさんから「そこまで気にしなくても」という指摘を受けたが、私もなぜ気になったのだろうと気になっていた。

私は日本人、その文化、歴史、社会を含めての「日本」を大事に思う気持ちはきちんと備えているつもりだ、特に海外での様々な場面に遭遇する中で、自分の祖国日本のかけがいのない大切さを、理屈よりもまず実感として身に染み込まされてきた。

しかし、私は右翼の街宣車の日の丸を見ると吐き気に近い嫌悪感を覚える(これは彼等の構成員の多くが在日ヤクザと知る前からそうだった)。武道館を訪れたついでに近くの「物議の耐えない例の靖国」を訪れたとき、隅に止めてある日の丸街宣車と戦闘服集団を見て「ああ、やっぱりこういうことだな」と胸クソが悪くなった(が、境内に私の郷里が生んだ大村益二郎の像を見つけたときは、フンフンと胸を張って「これがな、・・・」と自分の子供たちに説明していた)。

日本の学校の校庭に掲揚してある日の丸は自然に映るが、強制問題が生じてからの卒業・入学式の日の丸・君が代には、それまで感じなかったよじれた抵抗感が生まれた。リマ日本人学校*に日の丸とペルー国旗が並んで掲げてあるのには好感を覚え、ペルー人との連帯感とともに「頑張れよ~、ニッポンの子供たち」と声をかけたくなる。遠く離れた異国の地で日本大使館の屋上にはためく日の丸と玄関の菊の紋を見るとなぜかホッと安堵し、外国船のひしめく港の中に日本のマグロ漁船の日の丸を見つけると「お、はるばる遠くまで、日本人の台所のためにがんばってんな、丘の夜の散財はホドホドにな~」とエールを送りたくなる。

中国大陸で日本軍の日の丸を見た中国人と日本人は、もちろん、それぞれ全く逆の印象を抱いたはずだ。そしてその当時の中国人の立場でのみ、何が何でも日の丸を『』カッコ付きで捉えたがる日本人がいる。拉致事件被害者奪還運動の日の丸にカッコを付けてはいけない、それでは真の国民運動にならないし、敵はカッコを付けレッテル張りによる妨害を狙っている。ブルーリボンの生まれた意味もそこにあると私は考える。日比谷公園で私がデモの列を離れたのは、その日の丸にカッコを警戒してしまったためだ(真偽は配布を決めた当人に聞かねば分からぬが)。

1996年12月17日の宵、ペルー日本大使公邸の庭の壁を破り爆音・銃撃音とともになだれ込んできたゲリラの戦闘服姿を見た多くの出席者は絶望的な恐怖に襲われたが、事情に詳しい者はゲリラたちの胸のマークが(凶暴なセンデロよりマシな)MRTAであることに気づき「あ、これですぐに皆殺しになることはない」と“安堵”した。そして4ヶ月後、同様な爆音、銃声とともに突入してきたペルー海兵隊の戦闘服は、囚われていた人質達にはまさに救世神のように輝いて見えた。

北朝鮮に囚われている日本人被害者を武力救出することになった場合、救出に来る兵士たちの腕に「UN」でも「USA」でもなく、もし「日の丸」があれば、その「日の丸」を見付けた日本人人質達はどんなに感激することだろうと思う。残念ながらそれはできなくとも(そういう事態にはならぬ方が良い)、日本人被害者の救出活動は我々日本人が、つまり“日の丸”が常に主体的に主導して当たらねばならない、それはもちろん、カッコの無い日の丸である。

ところで。 「すみませんでした...また、日本へ戻りたいです」と、か細い声で語っていた香田さんはアメリカ国旗の上で惨殺された。星条旗の上に押し倒された時、彼の目には遠く日の丸が映っていたのではないか。日本は、彼を救えなかった、いろいろな意味において。彼の祖国では死んだ者は全て仏になる。改めて合掌。、

リマ日本人学校 のスペイン語名称が学校(colegio)ではなく日本文化協会(academia cultura japonesa)となっているのは、学校法人にするとペルー文部省の管轄になり日本式教育ができなくなるからです。独自の教育を行っている朝鮮学校に日本の高卒(=大学受験)資格がないのは当たり前のことであり、自国内にそういう破壊工作教育機関が存在すること自体考えられない。リマ日本人学校はペルーの教科書は使いませんが反ペルー教育はやりませんし、行事の時に生徒たちはペルー国旗と日の丸を掲げ、校歌→ペルー国歌→君が代の順に斉唱します。

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2004年11月16日 (火)

制裁の賽は投げられた

制裁の賽は投げられた
2004年11月16日(火) 

日朝実務者協議は表向きは外交交渉だが実質は“犯罪者の取り調べ”だったはずだ。しかし犯人を拘束せず強制捜査権もなく、自由のままの犯人の居間に通されて口で聴取するだけじゃ、何かを期待する方がもともと無理だったのだ、それに、いくら嘘をならべても本人が痛くも痒くもないんじゃ外交交渉にもならない。

ふと、ロッキード事件を思いだした。田中角栄の受託収賄の事実は国民の誰も疑っておらず、国民が見つめ騒いだのは、角栄側がどう誤魔化すか検察側とのその攻防についてだった。北朝鮮が嘘を付いていること、しかも日本人被害者が10名どころかとんでもない数に上りそうな未曾有の国家犯罪であることも多くの日本人が感づいていて、いま注視の的になっているのも北朝鮮の嘘との攻防。しかしロッキード事件と違うのは、これは過去の済んでしまった事件についての攻防ではなく、現在進行中の事件であり、多数の人命が失われかけている、こちらが負けることはさらに多数の人命が失われること、そして一刻の猶予も許されない事件だということ。さらに、このままでは独裁者は権力を手放す気も独裁体制を変える気も、さらった日本人を返す気も全く無いことがこれまで3回の協議で明らかになったことは、経済制裁発動に反対する日本人も認めるところだろう。

こういう場合にふつうの国は国交断絶し武力を使うのだろうが、日本は北朝鮮とは国交はないし武力行使もできない。これは憲法上の問題だけではない、自衛権の拡大解釈で可能との意見もあったが、今回の場合日本のような諜報能力の裏付けのない武力は役に立たぬ。私は被害者の解放と奪還が最大の願いであるが、彼等を無事に救出するには日本人拉致被害者の居場所と状況を正確に把握した上で実戦に精通した特殊部隊を突入させないかぎり不可能だし、それならピンポイントで金正日を狙う方が簡単だが取り巻きが証拠隠滅する前に国全体を押さえる必要があるが今の日本の実力と体制じゃ無理だ、武力行使はアメリカに丸投げするしかない最後の手段だろう。

我々に残された可能な“平和的”方法が経済制裁だ、まず日朝間すべての物流を止めること、中露韓への協力要請はそれから、まず隗よりはじめよ。同時に日本国内の犯罪組織、総連と社民その他拉致容疑者の強制捜査と摘発、これはいつでも可能なはずだ、この両方をやれば必ず状況は動く、独裁者は自分の体制崩壊を最も恐れるもので、その場しのぎでも拉致被害者解放を体制崩壊よりも優先させるはずだ。ところでなぜ逃げも隠れもできない国内の犯罪組織の強制捜査が未だ行われないのだろう、そりゃちょっとした騒動にはなろうが、ことは独裁国家体制を一つ崩壊させ殺されつつある2000万の被抑圧人民を解放しようという話だ、そのついでに自民の汚い老獪連中が失脚しようが社民や総連がつぶれようが大した問題ではない。ファルージャもケリがつきそうだしブッシュ新内閣はさらに凶暴そうだし北朝鮮に時間的精神的余裕がないことは間違いない、どうしたらいいか分からなくなっているのは彼等のほうだろう、落ちかけた犯人を(本当の意味で)助けるにはさらに締めること。

と、私の素人考え通りにいかないように長年かけて日本社会の至る所に爆弾を仕掛けてんだろうなきっと。 ・・・ったく差別反対を口にする前に嫌われることをするな。

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2004年11月 8日 (月)

横田家の決意 横田拓也さん(2004/11/8)

今回の第3回実務者協議おそらく北朝鮮は国家をあげて安否未確認者、横田めぐみをはじめとする死亡とされる人間達があたかも死んでいますと言うことを、思いっきり仕掛けてくると思います。
私たちはこのような仕掛け=欺瞞工作に絶対に乗じてはならない。
すなわち、今回の実務者協議で日本政府がどういう事を北朝鮮に対して言っていくのか、そして北朝鮮政府が、関係者がどのような事を日本に対して言って、仕掛けてくるのかということを本当に凝視して、注視していく必要があると思います。
日本政府は何処まで真剣になってこの問題に対して取り組むのか?そして自国民の命、人権、生活、こういったものを何処まで真剣に考えてくれるのかと言うことを私たちは真剣に捉えてこの問題の成り行きを見守っていく必要があると思います。
今回の実務者協議、一回目、二回目と同様、何もないゼロ回答、もしくはウソの上塗りのような状態であれば、私たちは、国に対して、政府に対して、速やかに経済制裁を発動するように声をあげて行動に動くべきだと思います。

そして本日私たちは家族会として、横田家として、町村外務大臣宛に一通の横田家としてのお願い文を出させて頂きました。
文章が長いので3つだけご紹介します。

(一つ目)
私たちは今回の実務者協議で過去の情報の是非を問うようなことをして欲しくない、そう言うことに時間を割いて欲しくないということをまず訴えています。すなわち、現在の事実、今の横田めぐみ、他の安否未確認者の安否、今を調べて欲しい、これに時間を費やして欲しい。
現在の事、今を調べてほしい。めぐみの病院の履歴、パスポートなど偽の情報に時間を割いて欲しくない。今どこにいるんだということをどうか突き止めてほしいということを町村外務大臣宛にお願いして参りました。

(二つ目)
そしてめぐみの夫とされるキムチョルジュ氏、この人に合う場合は、本人が本物であるかどうか、必ず、血液採取、人物の顔の撮影をしてくるようにお願いをしました。
私たちは彼が本物であるかどうか検証する術はありません。彼の血液、顔を知ることによってめぐみが本当に何処にいるのかと言うことを真実の情報を彼から引き出したいと思っています。
また同時にヘギョンちゃんの弟(異母弟、ほんとうかどうかわからないんです)も含めて科学的検証ができるように、その要求を北朝鮮に突きつけて欲しいという事をお願いして参りました。

(三つ目)
3点目です。拉致を実行したのは、北朝鮮政府です。独裁者である金正本人の指令によってです。ですから今どこにいるかを知っているのも北朝鮮なんです。すなわち一から再調査するような必要はないと言うことです。したがって、手元にある情報を速やかに出すように、全て出すように強く毅然とした態度で望んでほしいということを訴えました。

そして北朝鮮仕掛けてくるあらゆる謀略、欺瞞工作によってですね、私たちは、もしくは日本国民の多くが騙されるかもしれない。そう言う報道が繰り返されるかもしれない。そう言うことがあってはならないと言うことです。私たちは国が責任をとって調査してきてほしい。従って私たち横田家としてはキムチョルジュ氏との面会ですとか、彼らが仕掛けてくる情報の確認のために横田家が訪朝する意志は一切ないと言うことを お伝え申し上げてきました。

これは国の責任です。国が責任を持って自国民を救出すること、これが日本政府に求められる国の当然とした機能であります。私たちはこの問題を本当に日本政府に、そして北朝鮮に対してお願いしていく必要があります。

私はいろいろな場でお話申し上げます。横田めぐみの失われた過去の時間を取り戻すことはできないかもしれませんが、これからの時間を作ってあげることは出来ます。その力添えを。みなさまのお力なんです。

なんでもない一日を、自由で暖かい一日を送ることが出来るようにお力添えを頂きたい。
そしてどうか両親に本当の、心からの笑顔を授けていただけるように、皆様方にお力添え頂ければと思います。どうぞよろしくお願い致します。【横田拓也氏】


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