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2004年11月22日 (月)

制裁する・しない、小田原評定の段階は過ぎた

制裁する・しない、小田原評定の段階は過ぎた 
2004年11月22日(月)

この板は「拉致被害者を救いたい」意志があるなら少々の考えの違いや思想信条にはこだわらない(はずだ)、小泉評なんて5月22日を境にもう気の毒なくらいボロクソ、これも目的が具体的かつ明確なので自ずとそうなった、事実を前に君子は豹変するのであります(変われないカルト思想諸君、羨ましいだろ)。でも、目的が同じでも手段までみ~んな全く同じというのも気味が悪く、自分の考えを相対化する上でも新人さんの書き込みにややホッとしました。

私は、経済制裁に100%確実な効果がありそれだけで全てが解決するとは思わないが、やる必要は100%あると考える。相手に全く誠意が無く交渉は暗礁に乗り上げたまま2年以上たっても先が見えない以上、可能な方法は試みる、まず石を投げてみる、やってみる、寝た振りを決め込む相手をゆすり頬をつねってみること、そして反応を見ながら次々に手を講じる、中・露・韓が妨害(=北朝鮮へ援助)するかどうかもやらずに案ずるより、日本が制裁発動することで彼等の立場思惑がより鮮明になる、妨害するなら個別に抗議制裁すればよい、もともと相手は近代社会の常識・ルールの全く通じない連中だ、最善の方策は(机上論ではなく)走りながら考えれば良いではないか。

官庁では国会質疑に限らず記者会見などの前には関係担当者総動員ねじり鉢巻きで「想定問答集」を作る。ああ言われたらこう言う、すなわち「ワタクシどもはまちがってはおりません」のためのマニュアルづくり。リスクを伴う制裁措置のような思い切った決断ができない背景には、さいしょから明確な妨害意志のある北朝鮮利益グループだけでなく、「後でまずいことになったらまずい」というマニュアルことなかれ役人気質も大いに作用しているのではないか。役人が気にするのは「世論」と「自分の瑕疵」、向こう傷を容認する世論が形成されれば、政府も動きやすくなる、そのためにも制裁発動のための世論形成が大切と考える、「世論が騒ぐので中国原潜の領海侵犯に正式抗議」なんて実に情けない話だが、日本政府が情けないのは我々は拉致事件で十分に学習した、これはもうしょうがない。

ところで何もしないうちから「制裁は効果がない」や「危険」などと(政治家であれマスコミであれ)しかるべき立場の人間がベラベラと喋ることで制裁の潜在効果そのものも削がれてしまう、こういう際どい外交にポーカーフェースは当然だろうに、・・・わざとやってんのかな。
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