増元るみ子さんを救うぞ東京集会(2)
平野フミ子さんのお話 続き
でこの話とダブるんですけど、平成12年現在ですね、子供が二人いるという未確認情報でありますけども。
(情報が)ありますので!
絶対に私たちは死んでると言う事を信じていませんけども、子供がいるという話も私は信じております。
色々な情報を集めれば、確実な情報になっていくと思います。
父も本当に残念ながら、一昨年、10月の15日に5人の方が帰っていらした翌々日に、肺がんで、10月に17日に、本当にるみ子に会いたくて会いたくてたまらなかったと思います。
末期がんの中でですね、苦しい中で、私はどんなしても父に生きていて欲しかったから、延命措置もさせました。
うちの父は「そんなのはよか」と首を振りました。
声が出ないくらい、喉が皆さんの中でもそのような状況で旅立っていかれた方がいらしてると思うんですけど、私も初めて家族がそういう状態になるのを目にしたもんですから。
ここの喉が吸引でからからになってるんですね、干からびてるんですね、ミイラに近い状態で。
私も本当にあんな状態で、父も我慢強い父でしたけども、肺がんというのはとにかく痛いらしくて。
看護婦さんにも初めの頃はですね、お下の世話をしてもらう時でも「恐れ入ります」(と言って)礼儀正しい患者だったんですよ。
ところが9月の17日、訪朝が決まったあと、心筋梗塞を起こしてですね。
相当のプレッシャーだったと思うんです。
10月になって急にガクッと体調を崩しまして、起き上がれない状態になって、吸引もしょっちゅう受けておりました。
私はもう、父は一日でも長く生きていて欲しかった。
ですから、延命措置してもらったんですけども、その時にですね。
10月の10日に延命措置をしました。
私はそれを見きりませんでした、もう怖くて。
父がどんなに苦しい思いをするのか?と思うとですね・・・(照明氏の方を見て)あ、10月の11日だったね?延命措置受けたの。
10月の11日に延命措置受けましたから、その午前中に、私に言うんです。
血圧が低下して「延命措置するなら今しかないですよ」って、病院の先生に言われてましたので、私たちきょうだい、決断をする場面があったんですけども。
うちの父が最後に力を振り絞って、あのがらがらの喉の状態の中でですね。
「おれは、るみ子と市川君との結婚を許す」って言いました。
もう本当に私はね、今までクローズアップされてから、修一君とるみ子が付き合っていると言うのを、父親は知らなかったんですよ、それまでは。
で、いなくなってから、いなくなってから初めて、付き合ってると言うのを父は知ったんです。
というのも、厳格な父でしたので男女交際には凄く厳しかったんです。
もし結婚を前提にしてないふたりがね、二人は結婚を前提にしてると思ってたんですけど、まだそう煮詰まった話じゃなかったから、言ってなかった。
私と母は知ってましたけど。
テレビに婚約間近とか婚約したとかいう話が先にたって、いかにも婚約中ということで話が出てましたので、そのときでも「おれは許しとらん」て言ってました。
そして9月17日以降もですね、テレビの中で妹たちを紹介するのに、婚約間近とか解説がついてたんです。
その時でも、病室のベッドの上で「まだおれは許しとらん」って言うんですね。
父親というのはすごいなぁと思いました。
自分が知らないところでそういう話がいってると言うのが、とても許せなかったんでしょうね。
10月の11日、延命措置を受ける午前中にですね、父親は「結婚を許す」って言ってくれました。
もうその時は自分でも死期が分かってたから、これだけは言って旅立ちたいと思ったんでしょうね、
父親の責任として。
なんでそんな気になったのか?
(このあたりから会場内あちこちから、すすり泣く声。以後最後まですすり泣き止まらず)
声が小さいから、耳元に私こうして(顔を寄せるしぐさ)近づけて聞いたんですけども。
「修一君とるみ子、二人は愛し合ってる」って。
「なんで愛し合ってると分かるの?」って聞いたら、何か、悪者がですね、市川君を刀で切りつけて2~3刃、刃を受けたそうです。
軽症になったそうですね。
それをるみ子がかばったんですって。
だから「二人は愛し合ってるんだ」って、言う。
傷を負ったんだけども、二人のかばい合うその姿にですね・・・父の夢なんでしょうけど・・・父は「二人を許す」それしかないんだと思ったんでしょうね。
ですから自分がこの世を去るけれども、妹にはそれを伝えて欲しい。
私も本当「とうちゃん良かったね。やっと許す気になったね」って。
「るみ子が帰ってきたらちゃんとそれ言うからね。市川さんにもそれ報告するからね」って言いました。
私は父にいつまでも生きて欲しかったけども、あの痛みの中ですね、いつまでも頑張ってもらうのは、私は酷じゃないかなぁって。
79歳の老体にですね。
精神的にも、あのような死亡って言う事をもたらされた、あのような現実を見ないといけない。
24年間ですね、本当に妹に会いたくて会いたくて。
でもね、ひとつも「会いたい」って事、言わなかったんです。
大正生まれの人間だと思いました。
「父ちゃん、なんで言わなかったの?」
私は葬式の時に、法事の時に「言って欲しかった」って。
「るみ子に会いたか」ってなんでいってくれなかったの?って、私は本当に思いましたけど。
それが父親の最後の強がりだったのかなぁ?って思います。
私の父は本当に私たちには厳しかったけども、地域の人たちには本当に良くしてくれてました。
亡くなってから初めて父の偉大さってのを分かりました。
もっと父親に優しくしてればよかったなぁっていう・・・後の祭りですけども。
ですから、妹をですね、取り戻すのが父に対する孝行だと思ってます。
生前に会わせられなかったけども、絶対にるみ子をですね、取り戻さなければ。
母親ももう身体をやってますけど、妹に会うためにがんばって・・・してます。
でも、いずれは(母も)あの世に逝くでしょう、父親の元に。
その時にですね、母親に妹を会わせるだけ会わせて、報告させたいんです。
あの世に逝って「とうちゃんるみ子は元気だったよ、子供も何人おったよ。本当に日本の人が良くしてくれたよ」て言う風な、そういう気持ちをですね。
持って、あの世に、父親に報告させてあげたいんです。
父親の命日もいつも思うんですけど、この前の10月17日、1年忌を迎えました。
「今年もやっぱりだめだった」って。
国民の人たちも理解を示されて、妹たちのことがですね。
皆さんに一杯いろんな人たちに知ってもらえるようになった現状なんですけど、北があのような事ですのでなかなか前に進みませんけども。
こんなして皆さんが・・・めぐみちゃんのことも、私は信じておりませんでした。
あちらの言う事は嘘ばっかり・・・うちの父も9月の17日にベッドで言ってましたけど・・・8人死亡2人未入国ということを、それをわたしは一緒にテレビで見てたんですけども、あ、私は東京にいたんでした。
「とうちゃん、かあちゃん信じないで、がんばろうね」って、言うのが精一杯でした。
父親はその時母と一緒にテレビ観てて「北の言う事はうそばっかりじゃぁ」って。
いままでずっと騙され続けておりますので、それに屈する事はなかったんです。
でもあのようにバンって言われますとですね、やっぱり弱い、人間ですから、どんなに落胆しただろうかと思うと私は想像も出来ませんけども。
わたしもひとりの娘をもつ身ですので、13歳のめぐみちゃんが突然いなくなった。
それを私に合わせると、私も自分の娘をひとり持つ親として絶対に取り戻さないと、という思いがいっつもしてるんですよ。
わたしも妹に早く会いたい。
でも、めぐみちゃんはぜったいに早紀江さんに会わせてやらないと、日本の名折れですよね?
皆さん、そう思いませんか?(拍手)
本当に一生懸命、早紀江さんは日本の為に頑張って下さっています。
私たちの代表する方ですけども、本当にめぐみちゃんだけの問題ではない。
日本国中の津々浦々からですね、大根を引っこ抜くようにして連れさられて行った人たち、皆を救わなければならない。
その崇高な目的のために、動いてくださっています。
私は昔は日本が大好きでしたけども。
でも今日本が嫌いになりつつあるんです・・・政府の人ですよ?(笑い声)
国民の方々は、こんなにたくさんの方々が理解してくださって、日本も捨てた物では無いんだなぁと、そういう思いになってますけど。
ただ、私たちは家族に会いたい、それだけのためなんです。
それだけの為なのに、どうして日本の行く末の事まで論じなければならないのか?という思いが今してるんです。
早紀江さんもおっしゃってます。
この問題は今の日本を問いただしてるんだということをですね。
妹たちもこんなに大きな事になってるとは、つゆ知らないと思いますけども。
私は絶対に妹を取り戻すんだ。
そして、母親に会わせてあの世に逝かせたいと、その思いだけで動いております。
特定失踪者のことも忘れてはならないと思っております。
「未知との遭遇」という映画がありましたけども、UFOが世界の各地から連れて行った人たち。
丁度妹たちはUFOの仕業じゃないか?と言われてたこともありましたので、あれとオーバーラップしてですね。
UFO中からいろんな人が降りてくるんです。
今度もですね、絶対取り戻して、羽田のタラップにですね、日本の各地から拉致された人々を、皆さんの力で降ろす。
そういう夢を持とうではないですか。
絶対実現する夢だと思います。
日本人の力を、底力を見せてください。
私の父は弟にですね「わしは日本を信じる、だからお前も信じろ」といって旅立っていきました。
あんなに日本の政府に切り捨てられてきた父でしたけども、最後まで日本国民だったと思います。
ですから皆さん。
まだ、あの地で日本を見ながら、日本の地を、そして肉親を思って涙してる人たちに思いを馳せてください。
私たちはこんなしてぬくぬくした、平和な生活しておりますけど、あちらに拉致された人々は、今年また冬を極寒の地で迎えようとしています
絶対に助けなければ日本が世界の物笑いになります。
どうぞお願いいたします。
めぐみちゃんの遺骨も嘘ということが分かって、絶対に良い方向に。
小泉さん今度こそ経済制裁、何がしかの知恵を、意思を示していってくださると思います。
それでなければ日本の元首じゃ無いと私は思っています(拍手)
ありがとうございます。
これからもどうぞこの拉致問題に関心を持っていただき、そして全員救出するまでお力を貸してださい。
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でこの話とダブるんですけど、平成12年現在ですね、子供が二人いるという未確認情報でありますけども。
(情報が)ありますので!
絶対に私たちは死んでると言う事を信じていませんけども、子供がいるという話も私は信じております。
色々な情報を集めれば、確実な情報になっていくと思います。
父も本当に残念ながら、一昨年、10月の15日に5人の方が帰っていらした翌々日に、肺がんで、10月に17日に、本当にるみ子に会いたくて会いたくてたまらなかったと思います。
末期がんの中でですね、苦しい中で、私はどんなしても父に生きていて欲しかったから、延命措置もさせました。
うちの父は「そんなのはよか」と首を振りました。
声が出ないくらい、喉が皆さんの中でもそのような状況で旅立っていかれた方がいらしてると思うんですけど、私も初めて家族がそういう状態になるのを目にしたもんですから。
ここの喉が吸引でからからになってるんですね、干からびてるんですね、ミイラに近い状態で。
私も本当にあんな状態で、父も我慢強い父でしたけども、肺がんというのはとにかく痛いらしくて。
看護婦さんにも初めの頃はですね、お下の世話をしてもらう時でも「恐れ入ります」(と言って)礼儀正しい患者だったんですよ。
ところが9月の17日、訪朝が決まったあと、心筋梗塞を起こしてですね。
相当のプレッシャーだったと思うんです。
10月になって急にガクッと体調を崩しまして、起き上がれない状態になって、吸引もしょっちゅう受けておりました。
私はもう、父は一日でも長く生きていて欲しかった。
ですから、延命措置してもらったんですけども、その時にですね。
10月の10日に延命措置をしました。
私はそれを見きりませんでした、もう怖くて。
父がどんなに苦しい思いをするのか?と思うとですね・・・(照明氏の方を見て)あ、10月の11日だったね?延命措置受けたの。
10月の11日に延命措置受けましたから、その午前中に、私に言うんです。
血圧が低下して「延命措置するなら今しかないですよ」って、病院の先生に言われてましたので、私たちきょうだい、決断をする場面があったんですけども。
うちの父が最後に力を振り絞って、あのがらがらの喉の状態の中でですね。
「おれは、るみ子と市川君との結婚を許す」って言いました。
もう本当に私はね、今までクローズアップされてから、修一君とるみ子が付き合っていると言うのを、父親は知らなかったんですよ、それまでは。
で、いなくなってから、いなくなってから初めて、付き合ってると言うのを父は知ったんです。
というのも、厳格な父でしたので男女交際には凄く厳しかったんです。
もし結婚を前提にしてないふたりがね、二人は結婚を前提にしてると思ってたんですけど、まだそう煮詰まった話じゃなかったから、言ってなかった。
私と母は知ってましたけど。
テレビに婚約間近とか婚約したとかいう話が先にたって、いかにも婚約中ということで話が出てましたので、そのときでも「おれは許しとらん」て言ってました。
そして9月17日以降もですね、テレビの中で妹たちを紹介するのに、婚約間近とか解説がついてたんです。
その時でも、病室のベッドの上で「まだおれは許しとらん」って言うんですね。
父親というのはすごいなぁと思いました。
自分が知らないところでそういう話がいってると言うのが、とても許せなかったんでしょうね。
10月の11日、延命措置を受ける午前中にですね、父親は「結婚を許す」って言ってくれました。
もうその時は自分でも死期が分かってたから、これだけは言って旅立ちたいと思ったんでしょうね、
父親の責任として。
なんでそんな気になったのか?
(このあたりから会場内あちこちから、すすり泣く声。以後最後まですすり泣き止まらず)
声が小さいから、耳元に私こうして(顔を寄せるしぐさ)近づけて聞いたんですけども。
「修一君とるみ子、二人は愛し合ってる」って。
「なんで愛し合ってると分かるの?」って聞いたら、何か、悪者がですね、市川君を刀で切りつけて2~3刃、刃を受けたそうです。
軽症になったそうですね。
それをるみ子がかばったんですって。
だから「二人は愛し合ってるんだ」って、言う。
傷を負ったんだけども、二人のかばい合うその姿にですね・・・父の夢なんでしょうけど・・・父は「二人を許す」それしかないんだと思ったんでしょうね。
ですから自分がこの世を去るけれども、妹にはそれを伝えて欲しい。
私も本当「とうちゃん良かったね。やっと許す気になったね」って。
「るみ子が帰ってきたらちゃんとそれ言うからね。市川さんにもそれ報告するからね」って言いました。
私は父にいつまでも生きて欲しかったけども、あの痛みの中ですね、いつまでも頑張ってもらうのは、私は酷じゃないかなぁって。
79歳の老体にですね。
精神的にも、あのような死亡って言う事をもたらされた、あのような現実を見ないといけない。
24年間ですね、本当に妹に会いたくて会いたくて。
でもね、ひとつも「会いたい」って事、言わなかったんです。
大正生まれの人間だと思いました。
「父ちゃん、なんで言わなかったの?」
私は葬式の時に、法事の時に「言って欲しかった」って。
「るみ子に会いたか」ってなんでいってくれなかったの?って、私は本当に思いましたけど。
それが父親の最後の強がりだったのかなぁ?って思います。
私の父は本当に私たちには厳しかったけども、地域の人たちには本当に良くしてくれてました。
亡くなってから初めて父の偉大さってのを分かりました。
もっと父親に優しくしてればよかったなぁっていう・・・後の祭りですけども。
ですから、妹をですね、取り戻すのが父に対する孝行だと思ってます。
生前に会わせられなかったけども、絶対にるみ子をですね、取り戻さなければ。
母親ももう身体をやってますけど、妹に会うためにがんばって・・・してます。
でも、いずれは(母も)あの世に逝くでしょう、父親の元に。
その時にですね、母親に妹を会わせるだけ会わせて、報告させたいんです。
あの世に逝って「とうちゃんるみ子は元気だったよ、子供も何人おったよ。本当に日本の人が良くしてくれたよ」て言う風な、そういう気持ちをですね。
持って、あの世に、父親に報告させてあげたいんです。
父親の命日もいつも思うんですけど、この前の10月17日、1年忌を迎えました。
「今年もやっぱりだめだった」って。
国民の人たちも理解を示されて、妹たちのことがですね。
皆さんに一杯いろんな人たちに知ってもらえるようになった現状なんですけど、北があのような事ですのでなかなか前に進みませんけども。
こんなして皆さんが・・・めぐみちゃんのことも、私は信じておりませんでした。
あちらの言う事は嘘ばっかり・・・うちの父も9月の17日にベッドで言ってましたけど・・・8人死亡2人未入国ということを、それをわたしは一緒にテレビで見てたんですけども、あ、私は東京にいたんでした。
「とうちゃん、かあちゃん信じないで、がんばろうね」って、言うのが精一杯でした。
父親はその時母と一緒にテレビ観てて「北の言う事はうそばっかりじゃぁ」って。
いままでずっと騙され続けておりますので、それに屈する事はなかったんです。
でもあのようにバンって言われますとですね、やっぱり弱い、人間ですから、どんなに落胆しただろうかと思うと私は想像も出来ませんけども。
わたしもひとりの娘をもつ身ですので、13歳のめぐみちゃんが突然いなくなった。
それを私に合わせると、私も自分の娘をひとり持つ親として絶対に取り戻さないと、という思いがいっつもしてるんですよ。
わたしも妹に早く会いたい。
でも、めぐみちゃんはぜったいに早紀江さんに会わせてやらないと、日本の名折れですよね?
皆さん、そう思いませんか?(拍手)
本当に一生懸命、早紀江さんは日本の為に頑張って下さっています。
私たちの代表する方ですけども、本当にめぐみちゃんだけの問題ではない。
日本国中の津々浦々からですね、大根を引っこ抜くようにして連れさられて行った人たち、皆を救わなければならない。
その崇高な目的のために、動いてくださっています。
私は昔は日本が大好きでしたけども。
でも今日本が嫌いになりつつあるんです・・・政府の人ですよ?(笑い声)
国民の方々は、こんなにたくさんの方々が理解してくださって、日本も捨てた物では無いんだなぁと、そういう思いになってますけど。
ただ、私たちは家族に会いたい、それだけのためなんです。
それだけの為なのに、どうして日本の行く末の事まで論じなければならないのか?という思いが今してるんです。
早紀江さんもおっしゃってます。
この問題は今の日本を問いただしてるんだということをですね。
妹たちもこんなに大きな事になってるとは、つゆ知らないと思いますけども。
私は絶対に妹を取り戻すんだ。
そして、母親に会わせてあの世に逝かせたいと、その思いだけで動いております。
特定失踪者のことも忘れてはならないと思っております。
「未知との遭遇」という映画がありましたけども、UFOが世界の各地から連れて行った人たち。
丁度妹たちはUFOの仕業じゃないか?と言われてたこともありましたので、あれとオーバーラップしてですね。
UFO中からいろんな人が降りてくるんです。
今度もですね、絶対取り戻して、羽田のタラップにですね、日本の各地から拉致された人々を、皆さんの力で降ろす。
そういう夢を持とうではないですか。
絶対実現する夢だと思います。
日本人の力を、底力を見せてください。
私の父は弟にですね「わしは日本を信じる、だからお前も信じろ」といって旅立っていきました。
あんなに日本の政府に切り捨てられてきた父でしたけども、最後まで日本国民だったと思います。
ですから皆さん。
まだ、あの地で日本を見ながら、日本の地を、そして肉親を思って涙してる人たちに思いを馳せてください。
私たちはこんなしてぬくぬくした、平和な生活しておりますけど、あちらに拉致された人々は、今年また冬を極寒の地で迎えようとしています
絶対に助けなければ日本が世界の物笑いになります。
どうぞお願いいたします。
めぐみちゃんの遺骨も嘘ということが分かって、絶対に良い方向に。
小泉さん今度こそ経済制裁、何がしかの知恵を、意思を示していってくださると思います。
それでなければ日本の元首じゃ無いと私は思っています(拍手)
ありがとうございます。
これからもどうぞこの拉致問題に関心を持っていただき、そして全員救出するまでお力を貸してださい。
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