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2005年1月13日 (木)

松木薫さんを救うぞ東京集会(3)

 松木信宏さんのお話2

よくまぁ、私の家に兄がいなくなってから、2~3年後くらいからおまわりさんが来るようになったんですよね。
「年寄りの家庭だから、年寄りとちっちゃい子供のいる家庭だから、見回っている」と言って来たんですけど、それがずっと代々引き継がれていって。
その手紙が来て、神戸の有本さんたちと連絡を取るようになってからはじめて言ったのが、
「松木さん、どっかから手紙が届いたとかって言う、連絡が来ませんでしたか?」
「え?なんでそういう話を知ってるんですか?」って言ったら、「実は・・・」ということで。

おそらくいなくなってから何年か後には、ひょっとしたらそういうことを把握していたのかなぁ?と。
それまではよく家に来てくれて私のアルバイトの世話をしてくれて、親切なおまわりさんたちだなと思ってたんですけども。
実際は私らの家庭の行動を確認というか、ひょっとしたらそういう思想の家庭ではなのか?と思われていたのかな?と思います。

ずっと家にこられていれば分かるんですけど、うちはそういう家庭ではないと分かるんですけども。
だから終わりの頃はうちの家に上がってきて「ちょっと今日は眠たいから寝させてくれ」といってよく寝ていったり。
「ご飯を食べに行こう」と言ってご飯食べに行ったり。
私が就職が決まったときはスーツを作ってくれて、熊本にいたときは何かとお世話になりました。

ホントにそれで3家族集まってから・・・が結構長かったです。
会ってすぐに帰って来るものかなぁ?と思ってたんですけど、なかなか。
初め確か私一人で行ったんですけども。
神戸のほうに行ったんですけど、外務大臣宛に嘆願書を出すという形式だったんですけど。
それで上京して記者会見すると。

そのとき有本さんや石岡さんが、「松木君はまだ高校生だから、そうやってテレビの画面とかそういう映像に出ると、将来何かあったら困るから」って言って。
「私は構わないからどこへでも行きますよ」って言ったんですが、石岡さんとかが、「いや、まだね、そういう将来があって、この先何があるか分からないんだから、ついて来ちゃだめだ」って言うことで。

「私たちでやるから」ということで。
会見をするぞということで行ったんですけども。
それは皆様ご存知かも知れませんけども、そういう北朝鮮とのコネクション持つという人が「この会見、取り合えず取りやめてくれたら何とかするから」というふうなことでお流れになって。
それから有本のお母さんお父さんとかがだいぶご苦労されて、それはよく放送などで出ているんで分かっていると思います。

ただ、私らの場合は、母親が「言うな、しゃべるな」というタイプでしたし。
「なんでかな?」と思ったんですけど、やはりもちろん兄の身に何か起こるかもしれないということもあったんでしょうけども。
ひょっとしたら本当はやってくれという気持ちがあったんじゃないか?と。
ただ相手が私ですから、やはり石岡さんとかと同じで、要らぬ気苦労をかけさせたくなかったというのがあったのかなぁ?とも思います。

その間、考え方の違いで連絡を取らない時期もありまして、石岡さんや有本さんとかとの交流が途絶えた時期もあって。
私も仕事で、大阪に行ったり東京に移ったりしましたもんですから、家族会結成とかそういう風なことは丸っきり耳に届かなかったと。

でまぁ、もし届いたとしても、姉はどうだか知らないんですけど、姉の場合は届いたら参加してた?(隣の文代さんに問いかける)
(文代さんの言葉)一緒にやりましょということで・・・その間に・・・最初は(後は聞き取れず)
うちの場合は、最初に集まったときにやるときは皆一緒でと。
石岡家もやるときは一緒にと。
みんなでやると決めたときに一緒にやろうと。
なんとなく暗黙の了解があったんですよね、表に出ることを控えようと。

それぞれ言葉に言うあれじゃないんですけど、なにかあったら?とかって。
そのあと、点点点ということになるんですけども。
有本さん場合はお父さん母さんの場合はご存知かもしれませんけど、叔母さんという方がいらっしゃって。
叔母さんという方も、やはり何かあったら、点点点と。

私なんかも今のまんまじゃ・・・というのがちょっとありました。
その手紙の中に私の兄の筆跡が何も無いもんですから。
熊本の警察の方にも「今声を上げても、向こうが知らぬといったらそこで、松木薫という者の存在自体が否定されちゃうぞと、なくなっちゃうぞ」ということを言われたんですよね。

なにも物証が無いもんですから。
やはりあの・・・生きてて欲しいという気持ちが家族にあるもんですから。
変に・・・
有本さんたちは証拠があるもんですから。
本人の顔写真もあるし、旅行保険もあるし、石岡さんももちろんあったんですが。
でもうちの場合は石岡さんの代筆で何も無いんですよ。
だから声を上げようにも上げられないと、いう状態でいて。

これはもう、ちょっと本音の本音なんですけど、ちょっといやらしい気持ちがありまして。
あわよくば、本人じゃないかも?しれないと、淡い期待を抱いていたんですよね。
本人の筆跡じゃないから、ひょっとしたら本人じゃないんじゃないか?と。
スペインでパスポートだけ盗られて帰るに帰れなくてスペインでね、現地人に成りすましているのかな?と。
言葉が出来るし、どこへでも行けると。
ひょっとしてそういう状態なのかな?とか。
ひょっとしたら北朝鮮に渡ってないのかな?と、ほんのちょっとだけ淡い期待を抱いていたこともあります。

ただ結果は、本人は向こうにいるということを北朝鮮は認めましたんで。
で、実際こうやって写真も持ち帰りましたし。
遺骨は人様のものでしたけども、ああいうシナリオも日本語のテキストとして使ってるということもいってるんですけども。
前にもここの場所で言ったんですけども、シナリオを日本語の教材というのはちょっとおかしいなぁ?と。
シナリオってその時代時代の流行語があるじゃないですか。

だから十年たったら使いものにならないフレーズというのもあるわけですし。
そういうものを日本語の教材に使うのはどうなのかな?と思って。
ひょっとしたらシナリオというもの自体が、「これは北朝鮮の“シナリオ”なんだから、あんまり信用するなよ」と、私なんかそういう風にとったんですよね。
姉なんかはその「出航」というドラマのビデオを見て、また違う思いを抱いたみたいで。
これはもう、兄が帰ってくるまで、どっちが本当のことかわかんないですけど。
本当にそういうものだったんではないか?と、何がしかの意味があるんではないか?と思っています。

ずらずらっとしゃべったんですけど、最初に姉も言ったんですけど。
私の兄がよく報道などでなにか色仕掛けとか、一度ならずも二度までも夕刊紙にちょっと書かれちゃいまして。
何の根拠があって言っているのかな?と。

その当時よど号の妻たちのアパートに出入り、兄と石岡さんがしてたもんですから。
そのとき一緒に出入りしていた女性がいるんですが、一緒にスペインに行ったことがあるんですが、その方にテレビでは露骨過ぎて放送できなかったんですが。
そのとき行かれたプロデューサーの方が「ずばり単刀直入に聞きます」というふうな形で、「何ですか?」と。
「松木さんとよど号の森順子(よりこ)っていうのは、肉体関係があったんですか?」と。
私なんかとなりでぐっと息を飲み込むばかりで、「何てこと聞いてくれるんだ」と。

思って聞いてたんですけど、そしたら一言で、「それは絶対にありません」と。
すくなくとも、スペインからウイーンにって言ってたんですけど。
まぁ、実際にウイーンに行ったかどうかもわかんないですけど、証拠が無いんで。
そのときに「少なくても私たちと一緒のときは、そういうことが出来る環境にはありません」と。
私の兄は勉強だけじゃなくて、トランプゲームも暇つぶしにやってたらしくて、「私は松木さんにトランプを教えてもらいました」と。

で彼女たちは、よど号の妻たちはふたりで自分たちのベッドで寝て、泊まることは私の兄や石岡さんたちは滅多に無かったと。
必ず遅くても帰って。
そのまま帰って、二度と行かなきゃいいんですけどね、なんか次の日にまたやってきたと。
だから、どういうふうな誘い方というか。
だから、一緒に食事をするのが色仕掛けだったら、それはね、どんな若い人は毎日色仕掛けを受けてるようなもので。
だから何を持って色仕掛けというのかな?と。

そういうことを書いて結局何もこういうこと、皆様はご存知でいらっしゃいますけども、拉致問題について。
何も知らない人が見たら、「なんだ、そうやってだまされてるんだから、帰ってこられなくても仕方が無いじゃないか」といった雰囲気を作ることになったりしないか?と。
私なんか、そういう報道を憤懣やるかたない思いで見ている。

あと、政府の発表と違うことを、さも政府の発表のように番組で言う方もいらっしゃいますし。
なんでうちの家ばっかりこんなこと言うのだろう?と。
お骨も2回も持って帰って来るし、と。
何かあるのかなぁ?と。
そのお骨のときも、薮中局長とかが帰ってきて個々の家族に説明するまでは何にも言わなくて。
次の日の新聞報道かなんかに、何気なく新聞を開いたらえ~?って感じで。
「何で話してくれなかったんだ?」ということで、問いただしたりもしたんですが。

そしたら「私たちは松木さんたちのものとは思ってないんで、言わなかったんだ」と。
「だったら鑑定が終わるまでマスコミにも言わなくていいじゃないか?」と。
変にそうやって流れるから、私たちいらない気苦労をしなきゃいけなくなるわけですし。
私らはいいんですけども、母親がもしテレビの放送とかを見たらまた「松木薫の遺骨」その後に「らしきもの」と付くんですけど。

「松木薫の遺骨」とかいうのが出るだけでも、痴呆といってもすべてが痴呆なわけじゃないですから。
読み書きはまだできる、あ、書くのはもう出来ないね。
読むのは出来るんだよね?
でも読むのは私の目の前でも、これなんていうの?というと読めますし。
活字は見れるわけですから。
そしたら活字はちゃんと頭の中に入っていくわけですから、どう思うのか?と思うと

うちの家ではポリシーがあってふたりとも。
松木薫のことについて、松木薫の名誉を傷つけられるような事については、どんなことをしてでも抗議するぞと。
うちの母親が泣くようなことをするやつは絶対に許さないぞ、というのが絶対条件であって。
だから、ほかのご家庭よりも過敏に反応する面はあるんですけど。

いや本当になんていいますか、私の兄は反論したくても反論できない環境にあるわけで。
かたや、いまよど号の妻たちが帰ってくるわけです。
いろいろ私が裁判とかへ行ってもいろいろ言ってるわけですよ。
そいつら自分たちの主張をね、いろいろ言ってるわけなんですよね。
それを聞きながら思うのは「いいよなぁ」と。
「おまえらいいよなぁ」と。

私の母の気持ちを代弁すると、自分が丹精こめて育てた息子を勝手になんの理由もなく連れ去ってて。
で、自分は向こうに居づらくなったから帰ってきて、そういう環境の中で、なに言ったって日本じゃ殺されるようなことは滅多に無いですしね。
仮に刑務所の中に入ったって、死ぬということはないですよね。

かたや自分が連れ去った人間は置いてけぼりで、いつ何があったっておかしくないようなところに置いてくる。
そんな理不尽なことあってもいいものかな?と思ってます。
それをずっと言ってたら、3月には石岡さんのまあ、ペアって言ったらおかしいですけども、拉致のときに石岡さんと接触してた若林佐喜子というのが帰ってきますし。
7月になったらいよいよ、兄のまあそういう相手だったといわれる森順子というのが帰ってきます。

帰ってきて・・・私の兄が帰ってきてからだったら、いつ帰ってきてもいいんですけども。
今のままで帰ってくるんだったら・・・まぁ、これは家族のエゴかもしれないんですけど、どうしても心の中に引っかかるものがあって。
少なくとも自分の兄たちが帰ってくるまでは、加害者が帰ってくるというのはどうかなぁ?と。
姉はどう思ってるか知りませんけど、私個人の気持ちとして日本の刑罰では軽いですから。
そのまま北朝鮮の刑法で罰してもらえたらな?と、そういうことすら考えています。

それに自分たちで好きで行ったんですから、そのまま向こうにいればいいんじゃないかな?と。
で、お子さんたちは罪がないと私も思うんですけど、でも毎月のように北朝鮮に行ってるらしいですから。
そんなに北朝鮮が好きだったら、もうまた北朝鮮に永住しちゃえばいいんじゃないかな?と。(拍手)
僕はそういう風に思ってます。

裁判に行って、これは笑い話なんですけど。
私は直接聞いたわけじゃないんですけど。
よど号のメンバーを支援している方々たちが、まぁ松木家は私の姉と私と、有本さんのお父さんお母さんと・・・石岡さん来られてたんです、今度は。
そしたら、ふた家族って言ってると。
石岡さんが余りマスコミに出ないもんですから、どれが石岡さんか分かんないで、ふた家族来てるとよって言ってたらしくて。

馬鹿じゃないの?って思いながら。(笑い声)
少しは学習しろと。
そんなことしてるとよそ見している間に刺されちゃうぞと。
石岡さんに刺されちゃうぞと。
そういう風に思ったりしたんですけど。

裁判でもよど号の弁護士さんたちのほうが迫力があるんですよね。
日本の検事さんたちの方はなんとなく弱々くて。
「これじゃ、大丈夫かな?頼みますよ」と。
なんか傍聴してて祈るような気持ちで、「もっとやってください、お願いします」という感じになりました。
まだ石岡さんなんかは、たまたまこの前は水谷、田中協子って言って元は水谷って言うんですけど、裁判の傍聴に行ったんですけど、やはり自分たちの主張をするわけですよね。
それを聞いて「私は拉致なんかに関わってない」ということを言う。

石岡さんなんかは肩をぶるぶる震わせちゃって。
「で、どうでした?」って私が聞いたら、「いい勉強をさせて、も・も・もらったよ」とかって顔を笑おうとしてるんですけど、顔を笑えずに引きつってひくひくしてる訳なんですね。
用事があるからって言ってすぐいなくなったんですけど。

普通なら感想を私にメールなどで送ってくるんですけども、待てど暮らせど送って来なかったんで、きっと相当ショックだったんだろうと。
昔は石岡さんなんかは「帰ってきて自分たちの罪を償いなさい」と、メンバーに対して比較的寛容なことを言っておられたんですけども、「一度裁判を見てください」と。
「考え絶対変わりますから」と。
変わったみたいです。
「帰ってくるな!」って言ってますから。
もう「帰ってくるな~!」ていうふうな。

私母親が元気な間は母親を悲しませることしたくないですし。
とにかく母親を一日でも長く長生きしてもらうということを、二人とも至上命題にしてますんで。
最後は時間の勝負かな?と。
母親はまだ元気なときに私に、あのこういうことを言ってはどうかな?と思うんですけど。
「私が生きてる時には間に合わないかもしれない」ということを、北朝鮮にいるという手紙が来たときに、すぐ言ったんですよね?
「なんで?」と。
「まだ70、大丈夫だよ」
「いや・・・」って黙るんですよね。

だからおそらく北朝鮮がどういう国なのか、薄々感じてたんじゃないかと。
そういう戦争体験もありますし、あとは母親の勘なのかよく分かりませんけど。
でも本当に母親が言ったとおりのことになってきてると。
なかなか・・・なんていうんですかね、その、兄が生きているということは日に日に強くなるんですよ。
もう間違いないと。

ただ、兄が帰ってくるということが、それと平行してなかなか行かないですよね。
進んだりこう後ろに下がったり、じれったいというか。
こんなじれったいことしてたら、うちの母親なんて今83になりますけども、今度4だよね。
何歳まで生かさなきゃいけないのかな?と。
120歳くらいまで生かさないといけないのか?と、それはちょっと難しいと、ホントそう思います。

私たちはこうやって訴えさせていただいたりお話させていただいたり出来ますけども、実際の交渉は政府ですから、政府の方にはしっかりやっていただきたいなと思います。
ただ私らに出来るのは母親をどんなことをしてでも、一日でも一時間でも一分でも長くやって生きててもらうと。
それしかないと思ってますんで。
これからもちょっとそういうふうなことでやっていきたいと思います。

あと私は、よど号のメンバーたちに対して、いろいろ出来得ることを、ね。
帰ってくるというのを「帰ってくるな!」といって、成田空港にバリケード張るわけにも行きませんから。
どうにかして、少しでも彼らが日本に居心地を、日本にいて快適だな?と思わないようにするしかないですよね?
性格悪いかもしれませんが。

それしか出来ないんで、無い知恵を絞って、いろんな人に協力を頼んでそういうことをやって、出来得ることならば「自分たちがやりました」ということを、正直に言えるような。
言わせると言ったら、あの人たちはおそらく意地でも言わんごとなるので、言っていただけるように丁重に丁重にいろいろ考えてやっていきたいと思います。
長くなりましたけど、本当、今後ともよろしくお願いいたします。(拍手)

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