有本惠子さんを救うぞ東京集会(5)
西岡力副会長のお話1
ちょっと風邪をひいてますのでお聞き苦しいところがありますがご了承ください。
今のお話を聞きながらいろいろ思い出していたんですけど。
実は私はいろいろな所で書いたりしゃべったりしてまして。
97年の3月の家族会結成までは、日本は国家として、そしてマスコミも国民も拉致被害者北に囚われてきた人とその家族を見捨てて来たと思うんですけども。
97年の3月に至るまでの過程で、大きく2段階があったんだなと、今も思い出しながら頭を整理してたんですけど。
77年から78年に拉致が多発する訳ですね。
めぐみさんの事件は77年で、78年には蓮池さんたちや曽我さんがやられていく訳ですけども。
それ以前にどれくらいのものがあったのかということが、まだ分からないので私の分析は今かなり明らかになってる物だけの分析なんです。
これはまたその枠組みが大きく変わるかも知れないんですけど、その前提でお聞きいただきたいんですけども。
77、78年くらいに多発して発生したわけです。
日本政府が認定しているものもそこが多いわけです。
10年間は何もしなかったわけです。
日本政府は今認定できてる77年78年の拉致については、事件直後から拉致であることを知っていたんです。
だから認定できてるんです。
後になってから証拠が出て来たんじゃなくて、当初から拉致であることについて分かっていたから、認定できてるんです。
分かってなかった拉致もあるんです。
それはもっともっと時間が経てば証拠が出てこないですから、認定は難しいですね。
具体的にいうと電波です。
工作船が来てるとき電波を出してるわけです。
暗号がかかってるんですけども、この電波帯を日本は掴んでいたわけです。
電波が日本海を飛び交えば北朝鮮から船が来てる。
何ヶ所かで傍受しますと、場所が分かるわけです。
来てるというと、警戒をするわけです。
警備警報と言いまして、警察がコリアンボート警報というのをかけるわけです。
1978年の8月には何回もコリアンボート警報というのがかかっていたんです。
警察庁の中でその電波を傍受していた実務責任者の幹部が、2002年の年末にある大手の新聞のインタビューに答えて、「当時私は徹夜で家に帰らなくて泊り込みで仕事をしていた」と。
そして福井沖に来てると。
工作船が来てると言って警戒していると、福井県警からおかしなアベック失踪事件が起きたという報告が上がったと。
その後新潟沖に来てると。
分かって警戒していたらば、またおかしなアベック失踪事件が起きたと報告が上がってると。
そしてその次に鹿児島から来たと。
北朝鮮による拉致だと報告書を書いたと。
その時点ですね。
と言うことをある大手の新聞にしゃべっているんです。
もう辞めてらっしゃる方ですけども。
私はそのことに付いて関心がありましたのでいろいろ調べたんですが。
その記事には無いんですけども、その報告書は警察庁の長官まで読んでた。
その上の政治家まで読んでたかどうかは分からないですけども。
それから富山で未遂事件があったんです。
曽我さんの事件についてまでは分かってたのかどうか分かりません。
その時に分かってたのかどうか、分かりません。
その人の証言には出てきてないです。
ただ、3組6人の失踪事件と1件の拉致未遂事件については、発生時から北朝鮮によるものだと言うふうに、警察のごく少数の幹部たちは知ってたんです。
そして79年の初めに東京で会議が開かれるんです。
そこには鹿児島県警、富山県警、福井県警、新潟県警からも来るんです。
これをどう処理するか?と言うことになるわけです。
公開しないことが決められるんです。(「え~?」と言うささやき声)
その目的は何なのか?と言うことについていろいろ議論があったそうです。
当時は日本人になりすますための身分を取得するためじゃないか?と思われていたんで。
戸籍が謄本が取られることがないか?チェックしろと言うことになったんですね。
多分そのことを知ってた何人かの内の誰かが、産経新聞にリークしたんだと思います。
80年の1月に産経新聞が書くわけです。
ですから蓮池さんたち、地村さんたち、増元さんたちの拉致については最初から分かっていたんです。
分かっていたけれど会議をして公にしないと決めたんです。
田口さんのことについてはちょっと分からないですね。
曽我さんのことについても分からない。
めぐみさんのことについてはどうも電波情報があったらしい、と。
でもあまりにも子供なので、と、いうことだったか?のようです。
でもこれは分かりません。
まだ情報が少なすぎて断定的なことはまだ言えません。
しかし少なくとも、あの6人についてと、久米さんについては分かってたんです。
現場で犯人捕まえたですからね。
富山の未遂事件が起きて、海岸でメチャクチャやるような拉致は少なくなったですね。
そのあともちろん、原さん型の国内にいる協力者がおびき出してやる拉致が始まった。
それから日本人に日本人が拉致される、と言うものが今度80年から始まるんです。
今お話があったように海外で日本人に日本人が拉致されるという、犯人のリーダーが20人って言ってるわけですね。
あと17人についてはまだ分からないんです。
海外でいなくなった場合は、家族も特定失踪者のところに訴えようとはなかなか思わないですねよね?
どんな事故があるかわからないですから。
多分有本さんのところも手紙が来てなければですね。
(嘉代子さんの声で「そうですね」)荒木さんのところに。
うちは留学してたんだからということに多分なってたと思うんですね。
手紙が来なかったら、(明弘さんの声で「これは分かってない」)海外からの拉致ということは全く分からないまま、今も私たちは拉致のことを分かっていても、よど号のグループが拉致をしていたということを全く分からないまま終わってたと思うんですね。
これは本人たちも必死で。
つまり日本政府も誰も分かってなかった拉致を、本人たちが必死で手紙を書いてくれたから。
3人のことだけじゃなくて実は後17人の人たちについても、こういう人たちがいるんだという情報を出してくれた訳ですね。
88年の8月に手紙が来たんですね。
この87~8年というのは拉致が多発してから10年経つわけです。
この10年間、皆分かってても見捨ててたわけです。
分かってても見捨てていたし、分かってなかった部分もあったんです。
実は10年経って87年に寺越さんから手紙が来るわけです。
(明弘さんの声で「寺越さんと北海道のこの子だけ、手紙が来たの」)
そして88年に石岡さんのところに手紙が来るわけです。
これで確実に北にいるという証拠を日本政府が握ったわけですね。
そしてもうひとつ、大韓航空機爆破事件が起こるわけです。
これは87年の11月ですね。
金賢姫が生き残って、拉致の目的が日本人になりすます身分をとるだけはなくて、なりすます工作員の日本人化教育の教師を確保するためだということを、その秘密が明らかになるわけです。
それが88年の1月です。
日本側が77、78年に拉致をされたことが分かってたけど目的が分からなかったんですけど、それが分かるわけですね。
そこで警察署は態度を変えます。
警察はそれまでは秘密にするという方針を決めたわけですね。
それはなぜ決めたのかについては今後検証しなくちゃいけないんですけど。
我々が専門家としていろいろ分析したりして、今の段階で考えているのは当時の世論と国会です。
当時の世論は韓国について非情に厳しくて北朝鮮に対して大変甘かった。
北朝鮮の工作員が日本に侵入して日本人を拉致していると言うと、韓国のKCIのでっち上げだろうと。
皆が思った。
裁判をするんだったらば、そういう世論の中で裁判をするんであれば、証拠を全部出さなければならない。
無線を傍受しているということも明らかにしなければならない。
彼らの電波帯を掴んでるという事実も当然言わなければならない。
そうすれば彼らは電波帯変えてきますから。
久米さん事件では一部暗号の解読が出来たんです。
暗号解読が出来たということを言ってしまうと、当然向こうは変えてくる。
そしてもうひとつ、無線を傍受していること事態を秘密にしていたわけですけども。
傍受をしているということを公にすれば当然、野党当時社会党が3分の1くらい占めていた国会やマスコミの中で、なんで警察が傍受するんだという議論になる。
どこで傍受してるんだ?
傍受している基地の場所が明らかになるということは大変今後の傍受活動が難しくなるわけです。
スパイ防止法が無い中で、北朝鮮の工作船が領海内に侵入して来て工作員を挙げているという現実の中でどうやって戦うのか?とするときに、傍受が出来てるということは大変な武器だった訳ですけども。
それを明らかにしなくちゃいけないと言うこととの、プラス・マイナスを考えたんだと思いますけども。
その判断が正しかったかどうかは今から考えれば、その結果救える人を見捨ててたんじゃないかと言えると思いますけども。
しかし警察は分かっていたんですから。
大韓機爆破事件が起きたので、ここで明らかにしなければ駄目だろうと。
そしてもうひとつ実はヨーロッパルートでも、手紙が来たのが88年ですけども。
先ほどコペンハーゲンの空港の写真の話がありましたですね。
あの写真は83年に撮られていた写真でしたね?
あの写真がいつ日本の警察の手に入ったのか?という問題があります。
(嘉代子さんの声「私が見せてもらったのは1995年の5月ごろだったと思います」)
私は88年には写真は日本の警察の手に入っただろうなと思ってます。
根拠はですね。
情報機関同士で、つまりあの写真を撮ったのは日本の情報機関じゃないんですね?
西側のどこかの情報機関がキム・ユウチョルを追ってたんです。
そしたらば、東洋人の女性とたくさん写ってるわけです。
で、その情報から、よど号の妻たちがヨーロッパで活動してると、いうことが分かるわけです。
そしてよど号の妻たちの旅券返還命令が出るのが88年の5月です。
そのときと一緒に、だから有本さんも実はよど号の妻なんじゃないか?と最初照会が出たんですね。
で黒田や森なんかが一緒に写ってる写真もあるわけです。
キム・ユウチョルとね。
彼女たちの旅券返還命令の根拠は、北朝鮮の工作員と一緒に行動しているから、日本の国益に反するということなんです。
だから恵子さんについても、これは日本の過激派じゃないですか?という最初は問い合わせだったんです。
それはなぜそんなことが起きたのかというと、ソウルオリンピックを守れという国際包囲網があったんです。
88年の9月にソウルオリンピックが開かれたんです。
それにはソ連も中国も参加したんです。
邪魔をするのは平壌だけだった。
世界中の情報機関が北朝鮮のテロに対して網を張ってたんです。
それでも大韓機爆破事件は起きたんです。
具体的なことは聞かないですけど、韓国のある辞めた公務員の人が、数年前に自分が辞めてから大分時間が経つからもう時効だからといって教えてくれたんですが。
当時日本の警察は大変な能力があると思ったと。
日本の警察のおかげでソウルオリンピックは無事に出来たんだと。
内部で話してたんですよと。
日本の警察もソウルオリンピックに対するテロを防ぐ活動をずいぶんやったわけです。
そういう情報交換の中で、つまりよど号の妻たちも日本の警察は最初分かってなかったんです。
結婚してるということは秘密にされてたわけですけども。
しかし、写真からこれは誰だ?って、出入国記録が出てきますからね。
そしてもうひとつ88年にソウルオリンピックの数ヶ月前に、新宿でよど号の犯人の柴田が捕まるんです。
戻って来てたんですね。
その妻の八尾恵が横須賀で捕まるのも88年です。
あれなんか私文書偽造罪で捕まえるわけですね。
アパート借りるときに本名書かなかったと。(笑い)
本当はスパイ防止法があればスパイ罪で捕まえるべきなんですね。
あるいは私は外患罪で捕まえるべきだと思ってますが。
自衛隊の中に北朝鮮のスパイを入れようとして、横須賀で自衛隊の防衛大学の学生を相手にスナックをやってたわけですから。
外患罪だと思うんですけど。
今でも刑法に外患罪があるんですから外患罪で捕まえるべきだと思うんですけど。
なんですか、私文書偽造罪とかそういうものでやって。
警察が悔しいからスパイだとちょっとリークして、新聞がスパイだと書いたんですね。
そしたらば彼女が名誉毀損だと新聞社全部を訴えて、新聞社全部負けたんです。
裁判負けました。
スパイだったんですけど、証拠が無ければ負けるんですよ。
そこでですね88年のころに、八尾・・・本当だったら八尾がそこでしゃべってれば、手紙が来て八尾がしゃべってくれれば、ヨーロッパの事件はそこで一気呵成に片付いたはずなんですよね。
(明弘さん「早い時期に、この家族会出来て7年でしょ?もっともっと早い時点でな、今の状態が出来とったらな」)
ところが今度は警察が本気になって、1988年の3月の梶山答弁になるわけです。
大韓機爆破事件についての質問だったんですけど、大韓機爆破事件については金賢姫が自供したわけなんですけど、金賢姫は蓮池さんや地村さんを見たとは言ってないんですよね。
金賢姫が捕まったことと、蓮池さん事件や地村さん事件や増元さん事件は関係ないんですよ。
だけどもあそこで初めて北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であるとの答弁が出てきたわけなんです。
それは以前から知ってたからです。
事件の発生のときから確実だと思っていたけど、出さないで置こうという決定があったんだけども、大韓機爆破事件で金賢姫が捕まって自供したことを契機として、内部で会議が開かれて多分方針が変わったんです。
で、梶山答弁が出たんです。
警察は本気になって大韓機事件でも公開捜査をして、金賢姫の証言も間違いないと最初から思ったんです。
だから似顔絵も全国に張り出すなんてこともやったんですね。
なぜそう言えたのか?と言うと、北は拉致をする国だと思ってたんです。
最初の1人が田口さんであれば、そう簡単じゃなかったと思いますよ?
金賢姫の言うことは本当かどうか検証しなければならなかった、ということになったと思うんですが。
特に日本の警察機関は韓国の情報機関好きじゃないんです。
1973年の金大中拉致事件がありますから。
大変仲が悪かったんです。
通常から協力関係があるか?というとそうじゃないんですね。
そういう中で大韓機爆破事件が起きたんですけども。
しかしそれは間違いが無いと思ったのは、増元さんたちの事件について決定的な証拠を握ってたから、もう一人(被害者が)増えたというだけなんです。
ところがその87年~8年で政府は決定的な証拠を全部握るんですけども、そして警察は表に出すんですね。
ところがマスコミがまずそれを報道しないんですね。
先ほどマスコミについておっしゃってましたけど、梶山答弁について朝日・毎日・読売3大紙は一行も書かなかったんです。
ファクト(事実・証拠・実説の意)ですから。
産経新聞も一段記事ですね、小さな。
日経も一段記事です。
あとは調べてないから分かりませんですね。
ニュース、テレビのほうは録画が無いので分かりません。
とにかく大騒ぎにならなかっただけは事実ですね。
本当はですね、国家公安委員長が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と言ったんですから、北朝鮮って言ったんですからね。
第三国とか言わなかったんですから。
産経新聞だって98年には北朝鮮って書けなかったんですから。
「ある外国の情報機関か?」とか書いてたのに。
役所のほうが北朝鮮って言ったんですから、けしからんって思う立場でも問題にするべきだったんですね。
根拠があるのか?とか。
根拠が無くてやるなら、また在日朝鮮人がいじめに遭うじゃないか?とかね。
そういう言っても良い位に重大な答弁ですよ?
無視したんですね。
無かったことにされてしまった。
で、警察は相当焦ったんだと思います。
だから先ほどの多分90年の12月に(有本家に)マスコミが来たことも、お父さんの推測どおり警察によるリークじゃないか?って言うのは僕は正しいんじゃないかと思いますけども。
状況証拠からみてね、思いますね。
マスコミが報道しなかったことと、政治の中に逆の動きが起きたんです。
88年ソウルオリンピックが成功したあと、韓国が抱擁政策みたいのを取りましてね。
盧泰愚政権が日本とアメリカが北朝鮮と接触することを反対しないと言ったんですね。
それで竹下内閣が竹下総理が国会で、北朝鮮に対して謝罪する談話を出すんですね。
そして田辺さんが動いて金丸さんを連れて行くのが90年の9月です。
88年に警察が覚悟決めて拉致でやろうとしてマスコミに出なくて。
逆に89年から日朝国交正常化のほうに自民党政権も舵を切り始めるんです。
そして90年の、これは3月だと思うんですけども、もしかしたら月が違ってるかもしれませんけども。
ちょっと風邪をひいてますのでお聞き苦しいところがありますがご了承ください。
今のお話を聞きながらいろいろ思い出していたんですけど。
実は私はいろいろな所で書いたりしゃべったりしてまして。
97年の3月の家族会結成までは、日本は国家として、そしてマスコミも国民も拉致被害者北に囚われてきた人とその家族を見捨てて来たと思うんですけども。
97年の3月に至るまでの過程で、大きく2段階があったんだなと、今も思い出しながら頭を整理してたんですけど。
77年から78年に拉致が多発する訳ですね。
めぐみさんの事件は77年で、78年には蓮池さんたちや曽我さんがやられていく訳ですけども。
それ以前にどれくらいのものがあったのかということが、まだ分からないので私の分析は今かなり明らかになってる物だけの分析なんです。
これはまたその枠組みが大きく変わるかも知れないんですけど、その前提でお聞きいただきたいんですけども。
77、78年くらいに多発して発生したわけです。
日本政府が認定しているものもそこが多いわけです。
10年間は何もしなかったわけです。
日本政府は今認定できてる77年78年の拉致については、事件直後から拉致であることを知っていたんです。
だから認定できてるんです。
後になってから証拠が出て来たんじゃなくて、当初から拉致であることについて分かっていたから、認定できてるんです。
分かってなかった拉致もあるんです。
それはもっともっと時間が経てば証拠が出てこないですから、認定は難しいですね。
具体的にいうと電波です。
工作船が来てるとき電波を出してるわけです。
暗号がかかってるんですけども、この電波帯を日本は掴んでいたわけです。
電波が日本海を飛び交えば北朝鮮から船が来てる。
何ヶ所かで傍受しますと、場所が分かるわけです。
来てるというと、警戒をするわけです。
警備警報と言いまして、警察がコリアンボート警報というのをかけるわけです。
1978年の8月には何回もコリアンボート警報というのがかかっていたんです。
警察庁の中でその電波を傍受していた実務責任者の幹部が、2002年の年末にある大手の新聞のインタビューに答えて、「当時私は徹夜で家に帰らなくて泊り込みで仕事をしていた」と。
そして福井沖に来てると。
工作船が来てると言って警戒していると、福井県警からおかしなアベック失踪事件が起きたという報告が上がったと。
その後新潟沖に来てると。
分かって警戒していたらば、またおかしなアベック失踪事件が起きたと報告が上がってると。
そしてその次に鹿児島から来たと。
北朝鮮による拉致だと報告書を書いたと。
その時点ですね。
と言うことをある大手の新聞にしゃべっているんです。
もう辞めてらっしゃる方ですけども。
私はそのことに付いて関心がありましたのでいろいろ調べたんですが。
その記事には無いんですけども、その報告書は警察庁の長官まで読んでた。
その上の政治家まで読んでたかどうかは分からないですけども。
それから富山で未遂事件があったんです。
曽我さんの事件についてまでは分かってたのかどうか分かりません。
その時に分かってたのかどうか、分かりません。
その人の証言には出てきてないです。
ただ、3組6人の失踪事件と1件の拉致未遂事件については、発生時から北朝鮮によるものだと言うふうに、警察のごく少数の幹部たちは知ってたんです。
そして79年の初めに東京で会議が開かれるんです。
そこには鹿児島県警、富山県警、福井県警、新潟県警からも来るんです。
これをどう処理するか?と言うことになるわけです。
公開しないことが決められるんです。(「え~?」と言うささやき声)
その目的は何なのか?と言うことについていろいろ議論があったそうです。
当時は日本人になりすますための身分を取得するためじゃないか?と思われていたんで。
戸籍が謄本が取られることがないか?チェックしろと言うことになったんですね。
多分そのことを知ってた何人かの内の誰かが、産経新聞にリークしたんだと思います。
80年の1月に産経新聞が書くわけです。
ですから蓮池さんたち、地村さんたち、増元さんたちの拉致については最初から分かっていたんです。
分かっていたけれど会議をして公にしないと決めたんです。
田口さんのことについてはちょっと分からないですね。
曽我さんのことについても分からない。
めぐみさんのことについてはどうも電波情報があったらしい、と。
でもあまりにも子供なので、と、いうことだったか?のようです。
でもこれは分かりません。
まだ情報が少なすぎて断定的なことはまだ言えません。
しかし少なくとも、あの6人についてと、久米さんについては分かってたんです。
現場で犯人捕まえたですからね。
富山の未遂事件が起きて、海岸でメチャクチャやるような拉致は少なくなったですね。
そのあともちろん、原さん型の国内にいる協力者がおびき出してやる拉致が始まった。
それから日本人に日本人が拉致される、と言うものが今度80年から始まるんです。
今お話があったように海外で日本人に日本人が拉致されるという、犯人のリーダーが20人って言ってるわけですね。
あと17人についてはまだ分からないんです。
海外でいなくなった場合は、家族も特定失踪者のところに訴えようとはなかなか思わないですねよね?
どんな事故があるかわからないですから。
多分有本さんのところも手紙が来てなければですね。
(嘉代子さんの声で「そうですね」)荒木さんのところに。
うちは留学してたんだからということに多分なってたと思うんですね。
手紙が来なかったら、(明弘さんの声で「これは分かってない」)海外からの拉致ということは全く分からないまま、今も私たちは拉致のことを分かっていても、よど号のグループが拉致をしていたということを全く分からないまま終わってたと思うんですね。
これは本人たちも必死で。
つまり日本政府も誰も分かってなかった拉致を、本人たちが必死で手紙を書いてくれたから。
3人のことだけじゃなくて実は後17人の人たちについても、こういう人たちがいるんだという情報を出してくれた訳ですね。
88年の8月に手紙が来たんですね。
この87~8年というのは拉致が多発してから10年経つわけです。
この10年間、皆分かってても見捨ててたわけです。
分かってても見捨てていたし、分かってなかった部分もあったんです。
実は10年経って87年に寺越さんから手紙が来るわけです。
(明弘さんの声で「寺越さんと北海道のこの子だけ、手紙が来たの」)
そして88年に石岡さんのところに手紙が来るわけです。
これで確実に北にいるという証拠を日本政府が握ったわけですね。
そしてもうひとつ、大韓航空機爆破事件が起こるわけです。
これは87年の11月ですね。
金賢姫が生き残って、拉致の目的が日本人になりすます身分をとるだけはなくて、なりすます工作員の日本人化教育の教師を確保するためだということを、その秘密が明らかになるわけです。
それが88年の1月です。
日本側が77、78年に拉致をされたことが分かってたけど目的が分からなかったんですけど、それが分かるわけですね。
そこで警察署は態度を変えます。
警察はそれまでは秘密にするという方針を決めたわけですね。
それはなぜ決めたのかについては今後検証しなくちゃいけないんですけど。
我々が専門家としていろいろ分析したりして、今の段階で考えているのは当時の世論と国会です。
当時の世論は韓国について非情に厳しくて北朝鮮に対して大変甘かった。
北朝鮮の工作員が日本に侵入して日本人を拉致していると言うと、韓国のKCIのでっち上げだろうと。
皆が思った。
裁判をするんだったらば、そういう世論の中で裁判をするんであれば、証拠を全部出さなければならない。
無線を傍受しているということも明らかにしなければならない。
彼らの電波帯を掴んでるという事実も当然言わなければならない。
そうすれば彼らは電波帯変えてきますから。
久米さん事件では一部暗号の解読が出来たんです。
暗号解読が出来たということを言ってしまうと、当然向こうは変えてくる。
そしてもうひとつ、無線を傍受していること事態を秘密にしていたわけですけども。
傍受をしているということを公にすれば当然、野党当時社会党が3分の1くらい占めていた国会やマスコミの中で、なんで警察が傍受するんだという議論になる。
どこで傍受してるんだ?
傍受している基地の場所が明らかになるということは大変今後の傍受活動が難しくなるわけです。
スパイ防止法が無い中で、北朝鮮の工作船が領海内に侵入して来て工作員を挙げているという現実の中でどうやって戦うのか?とするときに、傍受が出来てるということは大変な武器だった訳ですけども。
それを明らかにしなくちゃいけないと言うこととの、プラス・マイナスを考えたんだと思いますけども。
その判断が正しかったかどうかは今から考えれば、その結果救える人を見捨ててたんじゃないかと言えると思いますけども。
しかし警察は分かっていたんですから。
大韓機爆破事件が起きたので、ここで明らかにしなければ駄目だろうと。
そしてもうひとつ実はヨーロッパルートでも、手紙が来たのが88年ですけども。
先ほどコペンハーゲンの空港の写真の話がありましたですね。
あの写真は83年に撮られていた写真でしたね?
あの写真がいつ日本の警察の手に入ったのか?という問題があります。
(嘉代子さんの声「私が見せてもらったのは1995年の5月ごろだったと思います」)
私は88年には写真は日本の警察の手に入っただろうなと思ってます。
根拠はですね。
情報機関同士で、つまりあの写真を撮ったのは日本の情報機関じゃないんですね?
西側のどこかの情報機関がキム・ユウチョルを追ってたんです。
そしたらば、東洋人の女性とたくさん写ってるわけです。
で、その情報から、よど号の妻たちがヨーロッパで活動してると、いうことが分かるわけです。
そしてよど号の妻たちの旅券返還命令が出るのが88年の5月です。
そのときと一緒に、だから有本さんも実はよど号の妻なんじゃないか?と最初照会が出たんですね。
で黒田や森なんかが一緒に写ってる写真もあるわけです。
キム・ユウチョルとね。
彼女たちの旅券返還命令の根拠は、北朝鮮の工作員と一緒に行動しているから、日本の国益に反するということなんです。
だから恵子さんについても、これは日本の過激派じゃないですか?という最初は問い合わせだったんです。
それはなぜそんなことが起きたのかというと、ソウルオリンピックを守れという国際包囲網があったんです。
88年の9月にソウルオリンピックが開かれたんです。
それにはソ連も中国も参加したんです。
邪魔をするのは平壌だけだった。
世界中の情報機関が北朝鮮のテロに対して網を張ってたんです。
それでも大韓機爆破事件は起きたんです。
具体的なことは聞かないですけど、韓国のある辞めた公務員の人が、数年前に自分が辞めてから大分時間が経つからもう時効だからといって教えてくれたんですが。
当時日本の警察は大変な能力があると思ったと。
日本の警察のおかげでソウルオリンピックは無事に出来たんだと。
内部で話してたんですよと。
日本の警察もソウルオリンピックに対するテロを防ぐ活動をずいぶんやったわけです。
そういう情報交換の中で、つまりよど号の妻たちも日本の警察は最初分かってなかったんです。
結婚してるということは秘密にされてたわけですけども。
しかし、写真からこれは誰だ?って、出入国記録が出てきますからね。
そしてもうひとつ88年にソウルオリンピックの数ヶ月前に、新宿でよど号の犯人の柴田が捕まるんです。
戻って来てたんですね。
その妻の八尾恵が横須賀で捕まるのも88年です。
あれなんか私文書偽造罪で捕まえるわけですね。
アパート借りるときに本名書かなかったと。(笑い)
本当はスパイ防止法があればスパイ罪で捕まえるべきなんですね。
あるいは私は外患罪で捕まえるべきだと思ってますが。
自衛隊の中に北朝鮮のスパイを入れようとして、横須賀で自衛隊の防衛大学の学生を相手にスナックをやってたわけですから。
外患罪だと思うんですけど。
今でも刑法に外患罪があるんですから外患罪で捕まえるべきだと思うんですけど。
なんですか、私文書偽造罪とかそういうものでやって。
警察が悔しいからスパイだとちょっとリークして、新聞がスパイだと書いたんですね。
そしたらば彼女が名誉毀損だと新聞社全部を訴えて、新聞社全部負けたんです。
裁判負けました。
スパイだったんですけど、証拠が無ければ負けるんですよ。
そこでですね88年のころに、八尾・・・本当だったら八尾がそこでしゃべってれば、手紙が来て八尾がしゃべってくれれば、ヨーロッパの事件はそこで一気呵成に片付いたはずなんですよね。
(明弘さん「早い時期に、この家族会出来て7年でしょ?もっともっと早い時点でな、今の状態が出来とったらな」)
ところが今度は警察が本気になって、1988年の3月の梶山答弁になるわけです。
大韓機爆破事件についての質問だったんですけど、大韓機爆破事件については金賢姫が自供したわけなんですけど、金賢姫は蓮池さんや地村さんを見たとは言ってないんですよね。
金賢姫が捕まったことと、蓮池さん事件や地村さん事件や増元さん事件は関係ないんですよ。
だけどもあそこで初めて北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であるとの答弁が出てきたわけなんです。
それは以前から知ってたからです。
事件の発生のときから確実だと思っていたけど、出さないで置こうという決定があったんだけども、大韓機爆破事件で金賢姫が捕まって自供したことを契機として、内部で会議が開かれて多分方針が変わったんです。
で、梶山答弁が出たんです。
警察は本気になって大韓機事件でも公開捜査をして、金賢姫の証言も間違いないと最初から思ったんです。
だから似顔絵も全国に張り出すなんてこともやったんですね。
なぜそう言えたのか?と言うと、北は拉致をする国だと思ってたんです。
最初の1人が田口さんであれば、そう簡単じゃなかったと思いますよ?
金賢姫の言うことは本当かどうか検証しなければならなかった、ということになったと思うんですが。
特に日本の警察機関は韓国の情報機関好きじゃないんです。
1973年の金大中拉致事件がありますから。
大変仲が悪かったんです。
通常から協力関係があるか?というとそうじゃないんですね。
そういう中で大韓機爆破事件が起きたんですけども。
しかしそれは間違いが無いと思ったのは、増元さんたちの事件について決定的な証拠を握ってたから、もう一人(被害者が)増えたというだけなんです。
ところがその87年~8年で政府は決定的な証拠を全部握るんですけども、そして警察は表に出すんですね。
ところがマスコミがまずそれを報道しないんですね。
先ほどマスコミについておっしゃってましたけど、梶山答弁について朝日・毎日・読売3大紙は一行も書かなかったんです。
ファクト(事実・証拠・実説の意)ですから。
産経新聞も一段記事ですね、小さな。
日経も一段記事です。
あとは調べてないから分かりませんですね。
ニュース、テレビのほうは録画が無いので分かりません。
とにかく大騒ぎにならなかっただけは事実ですね。
本当はですね、国家公安委員長が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と言ったんですから、北朝鮮って言ったんですからね。
第三国とか言わなかったんですから。
産経新聞だって98年には北朝鮮って書けなかったんですから。
「ある外国の情報機関か?」とか書いてたのに。
役所のほうが北朝鮮って言ったんですから、けしからんって思う立場でも問題にするべきだったんですね。
根拠があるのか?とか。
根拠が無くてやるなら、また在日朝鮮人がいじめに遭うじゃないか?とかね。
そういう言っても良い位に重大な答弁ですよ?
無視したんですね。
無かったことにされてしまった。
で、警察は相当焦ったんだと思います。
だから先ほどの多分90年の12月に(有本家に)マスコミが来たことも、お父さんの推測どおり警察によるリークじゃないか?って言うのは僕は正しいんじゃないかと思いますけども。
状況証拠からみてね、思いますね。
マスコミが報道しなかったことと、政治の中に逆の動きが起きたんです。
88年ソウルオリンピックが成功したあと、韓国が抱擁政策みたいのを取りましてね。
盧泰愚政権が日本とアメリカが北朝鮮と接触することを反対しないと言ったんですね。
それで竹下内閣が竹下総理が国会で、北朝鮮に対して謝罪する談話を出すんですね。
そして田辺さんが動いて金丸さんを連れて行くのが90年の9月です。
88年に警察が覚悟決めて拉致でやろうとしてマスコミに出なくて。
逆に89年から日朝国交正常化のほうに自民党政権も舵を切り始めるんです。
そして90年の、これは3月だと思うんですけども、もしかしたら月が違ってるかもしれませんけども。
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