有本惠子さんを救うぞ東京集会(6)
西岡力副会長のお話 2
朝鮮総連の幹部に安という人がいるんですね。
副議長ですね。
北の最高人民会議の代議員、国会議員を当時やってた人です。
安商宅さんといって平壌に安商宅通りって言う通りがあるんですね。
50億円献金して彼の名前が付いちゃったんです。
50億円献金したといわれているんだけど、本当は値切って30億円だったとかいろんな説があるんです。(笑い声)
その50億円献金した年の所得税は日本では0円だと。
いわく付の人なんですが。
その人とその人の部下が田口さんが働いていたお店にしょっちゅう出入りしてて。
田口さんの拉致とも関係があるんじゃないか?と。
当時はまだ田口さんと分かってないですからね。
金賢姫が書いた似顔絵の人と似てる女性と一緒にいるところを目撃されたという証言があって、警視庁は家宅捜索令状を取ったんです。
(会場より「5月ですね」の声)
5月。
ところが大規模な家宅捜索になるのでなんか近くの県警からも動員したのかな?
かなりの大規模な体制で、北朝鮮側が反対するだろうと思ってたから、チームを組んでやろうとしてたら数日前に中止になったんです。
そのことについて警察の中にいた人がジャーナリストに金丸によって止められたと。
話してるんです。
そのことは文芸春秋が2003年の5月号に書いてます。
産経新聞も、いつだったかな?
ちょっと覚えてないですけど、その文芸春秋出た後書いてるんです。
2003年じゃない、98年に文芸春秋ですね。
98年の6月に衆議院の防衛委員会に有本さんたちと一緒に参考人で出たときに、名前入りでちゃんとこのことしゃべってます。
国会の議事録にこのこと書いてあります。
名誉毀損で訴えられてませんからね(笑い声)
僕は自信のあることしか言いませんので。
具体的に名前出せるのはちゃんと根拠ありますので。
ということがあったわけです。
つまり拉致を警察は87~88で完全に掴んで、明らかにしようという流れに出たんですけども、マスコミがビビッて報道しなかったと。
判断が出来なかったかもしれませんけどもね。
それまでの北朝鮮報道と全然違う流れですからね。
とにかく様子見で全然報道しなかった。
そしたらば自民党の一部が拉致を棚上げにして国交正常化をしようという、強烈な動きに出てきた。
というのが87年88年くらいなんですね。
その中に有本さんたちも巻き込まれちゃったわけですね。
ちょうど手紙が来たのが88年で、マスコミはまだ覚悟が決まらないと。
警察はやろうと思ったと。
しかし自民党と外務省は拉致を無視して国交正常化の方に行こうと思ったと。
だから警察は一生懸命話を聞いてくれたというのは、外務省が冷たかったというのはよく分かる。
そして安倍事務所は福田派ですからね。
金丸さんの竹下派がやろうとしてたことについて、全然巻き込まれてなかったというのもよく分かる話だと思います。
そして北朝鮮側も遠藤さんという人を使って。
この遠藤さんはですね。
私が聞いてるのは、金丸さんと直接の関係というより、本当に北朝鮮のエージェントで金日成の主席級と関係のある人と繋がりがあったと。
なんか遠藤さんが別のところで動いて、日本の大手の航空会社に北朝鮮の上空を通過する通過権をやるから、中国行くときそこ行くと近いんですってね。
その代わり、主席がもしもっていうような時に日本から医者を急遽連れて行くときに協力して欲しいとか。
そういう話が80年代にあったらしいですね。
その秘密交渉の一部に加担している人です。
遠藤はウニタ書店ていう左翼専門の、書店って言っても売る方です。
神田の方で。
売れなくなって本屋たたんで、重信たちのよど号の機関紙などを作ってた人です。
同じ赤軍つながりで田宮たちとしょちゅっう会ってたことも確かです。
その人を使って、向こうは向こうでやっと金丸という人まで北朝鮮は動かすまで工作したわけです。
ところが拉致が出てきたら大変なことになるので、遠藤さんを使ったという事だと思いますね。
(明弘さん「表の顔は見えとうけどな、裏にな、どんなのがおっとたか分からんけどおるのよ」)
この一番問題は外務省だと思うんですね。
お父さんが抗議に行ったら次の日に遠藤が出てくるって何でかな?と。(笑い声)
外務省と遠藤さんが何で繋がってるのかな?と言う事になりますよね?
(明弘さん「そりゃそうだ、部外者やからな遠藤は」)
そして外務省は静かにしてた方がいいですよって、言ってるわけですよ。
つまり北朝鮮っていう国は人を拉致しておいて、拉致されたと言って親が騒いだらば被害者に危害を加えるテロ国家だというふうに、もう90年の時点で外務省は分かってたということになるんですよ?
そのテロ国家と拉致を棚上げにして国交を正常化しようとしてるのか?と
テロ国家だと分かっているから、我々がテロリストと交渉します、と。
親は出なくていいですよと言って、1対1で返さないんだったらおまえら容赦しないぞと。
こちらは経済制裁だって出来るんだぞ、って言ってるんだったら、親は静かにしてくださいなら分かると思いますけども。
結局外務省も当時は政治家の言いなりになって、拉致を棚上げにして国交正常化をしようとしてたんだ。
これは間違いが無い。
じゃあその動きが何で止まったのか?ということですけども。
警察は必死で止めようとしていたのは間違いが無いです。
僕はある席で海部という元総理大臣と一緒になったことがあるんです。
2002年の春ですね。
拉致問題について私が講師で呼ばれて話をすることになってて、その前にお茶を飲んでたんですけど。
「私は拉致問題に詳しいんだ、」と言うんですね。
「何ですか?」って僕が膝を乗り出して話を聞いたら、実は自分が総理だったときに金丸訪朝があったと。
そのとき警察が自分のところに来て「総理、日朝関係を軽々に動かさないでください。拉致問題は深刻です」って言ったと、言うんですね。
もっと具体的な中身があったと思いますけど。
つまり88年梶山答弁をしたのに政府は全然動かなかったと。
逆に金丸訪朝の動きになっちゃったから。
総理直々に、拉致問題のブリーフィングに警察の幹部が来たわけです。
オープンにしていても世論も動かないしマスコミは報道しないし、政治家は逆の方向に行こうとしていると。
何とか止めようとしたわけですね。
だから私は詳しいんだと。
海部さんは言うんだけど、「だから海部さんあなたは何をやったのか?」ということなんですけども。(笑い声)
海部さんは金丸さんに自民党総裁として親書を渡してるんです。
(明弘さん「親書持っててるのや」)
さっきお父さんが言ったように、その親書には拉致のらの字も書いてないんです。
詳しいのに、詳しかったら書けよ!(笑い声)
(明弘さん「海部なんかもっとしゃべらにゃいかん。あれも総理大臣辞めても何もしゃべってないやないか。なぁ?おってもおらんでもええ人間なんや」)(拍手と笑い声)
当時は本当に危なかったんです。
あのまま91年から日朝国交正常化交渉が始まったんですね。
総理に言っても警察は止められない、マスコミも書かない。
週刊誌を使ってリークしたり写真の一部を週刊誌に出したりして、リークして書かせても世論が盛り上がらない。
ただお父さんと今回僕がひとつだけ違うのは、田口さんのことについては分かっててあの時点で出したんじゃなくて、あの時点でやっと分かったんです。
(明弘さん「そやろ」)
91年の5月にやっと分かったんです。
(明弘さん「いやちょっとそれ言わせてくれるか?」)
(明弘さんマイクを握って話し始める)
田口八重子さんの件でね。
まだ金丸さん逮捕されてないのよ、な。
で、わし警察があそこまで踏み込んでやったということに関してな、警察は皆情報網持っとるのよ。
あれやった人な、韓国まで行って捜査やった人な。
あれ大丈夫かと?
首が飛ぶんちゃうかと?
俺そこまで話したよ?
その人の身辺気遣こうて。
政治の力って恐ろしいよ?
首が飛ぶんじゃないか?と
それからしばらくして反対に金丸がこれになった。(両手を体の前でクロスさせ逮捕の仕草)
あの金丸がな。
それである程度警察信用してるのよ。(笑い声と拍手)
(西岡氏の話に戻る)
それはですね、それはもっと大きな力が多分働いたからだと思います。
金賢姫の証言は全部いっぺんにわっと出てきたわけではないんですね。
やっぱり彼女を安心しなくちゃいけないし、あと思い出し方があるわけです。
「ちとせ」ということなんか後で思い出したんです。
僕は最近その金賢姫という人の証言を取った人からだいたい話を聞いたんですけども。
取調べの調書を作った人じゃなかったんですね。
そうじゃない人が安心させながら、「女同士だからあの時どんな話をしたの?」とかね。
「一緒にお風呂に入ったんじゃないの?」とか。
「入ったとき体の特徴はどうだったとか、見なかったの?」 とかね。
なんかそういういろんな話をしながら安心感を与えて、それがいっぺんに日本政府に入ったんじゃなくて、飯塚家にいったんじゃなくて五月雨式に来てて、決定的だと思えるのが来た。
そして最後に一回だけ。
つまり警察は慎重ですから。
どこかで報道されたことが彼女の口から出ても駄目なんです。
どこにも報道されていないことが彼女から出なくちゃいけない。
当然飯塚さんが表に出なかったというのは良かったわけで、田口さんの写真は出てなかったんです。
田口さんの写真か?というのが一度テレビなんかで出ちゃってて、それを2番目に警察が持っていって、(金賢姫が)これだと言ったら。
彼女がテレビを見てて「ああこれかもしれない」と言ったんじゃ駄目で。
一度も公開されていない田口さんの写真と他に何枚かの別の写真とを持って行ったんですね。
で、これだと選んだんで、これは間違いがないと。
いうやり方をしてたんですね。
91年の5月に取れたのは実はカツカツだったんですね。
91年の5月には第3回の日朝国交正常化交渉が開かれたんですね。
1回目と2回目ってのは平壌と東京でやるもんで、お互いが暗号が使えないですからね。
大使館がないですからね。
見合うだけですからね。
3回目の北京からが本番だったんです。
そこに間に合ったんです。
田口さんの捜査が。
その直前に(警察が)記者会見をしたんです。
で、漏れ聞くところによると、金丸事務所が大変強く圧力をかけたと。
外務省も圧力をかけたと、言う報道があります。
裏は取れてないですけど。
でどっかの週刊誌が書いてましたけど、「あんなキャバレーの女1人がなんだ」と金丸が言ったと。
警察の幹部呼びつけてという話があります。
当時の金丸事務所がどういう事務所だったかというと、核問題で西側の情報機関の人が頭を抱えているわけです。
日本政府に説明しなくちゃいけない。
日本政府の実力者は金丸事務所だと。
金丸事務所に核の情報を説明に行くと、FAXで平壌に流れちゃう、と。(笑い声)
これは私が西側の情報機関の人間に直接当時聞いていたんですから。
そういう事務所だったんです。
それが日本の警察に頭を潰しにかかってたわけです。
危なかったんです。
じゃあなぜ潰れたのか?というとアメリカの力が働いた。
アメリカは拉致でないです。
核です。
核問題で絶対に譲歩しない、いうことで日本に強い圧力をかけたんです。
実は金丸はですね、当時の谷野というアジア局長をワシントンに送って、「核問題は米朝でやってください」と。
「日朝国交正常化交渉では核は扱いませんと言いに行け」といって、言いに行ったんです。
そしたらワシントンはカンカンに怒って、「核問題では1ミリの譲歩もしないからな」と。
「日朝国交正常化交渉でも核をやれ」と言われて帰ってきたんです。
これはワシントンの駐在の当時の特派員から聞きました。
日本も当時の91年からの交渉に核を出すわけです。
それで3回目に田口さんのことを出すんです。
これは警察が必死に捜査したわけです。
しかし増元さんのことは出さなかった。
槙田というアジア局長がいたわけですね。
2000年に何かのことで陳情に行ったんですね。
私と増元さんと横田早紀江さん3人しかいなかったんですね。
何か他の人ちょっと都合が悪くて。
あ、荒木さんもいたか。
荒木さんと4人で行ったんです。
そしたら偉そうにしててね。(ふんぞり返る仕草をする)
もう本当に嫌だけど会ってやってるというのが顔に出てるんですね。
それで私は拉致問題に詳しい」、詳しいというやつは悪いやつです。(笑い声)
「私は拉致問題に詳しいんです」っていうんですね。
だから「何ですか」って聞いたら、「前回の日朝交渉決裂したでしょ?」
「その席に私いたんですよ」って言うんですよ。
それでもう僕はかぁ~っとなって、「ここに増元さんがいる」と。
「あなたは1回目から8回目までの交渉で増元るみ子のまの字も出したのか?」と。
「素人だと思ってなめるんじゃないぞ!」ってそう言ったんですね。(笑い)
「あなたは家族ですか?私は家族としか話さない」って真っ青になって。(笑い声)
まあそれ以上は喧嘩しませんでしたけども。
だから外務省は、警察は88年に増元るみ子の拉致の疑いは十分濃厚だと言ってるんですよ。
ただ国交が無いから駄目だって言ってるんでしょ?
じゃ国交交渉すればそこに出せばいいじゃないですか?
じゃあ、いつ出すんですか?
国交交渉で出さなかったら出す場所が無いのに出さなかったんですよ?
有本恵子も出さなかったし、増元るみ子も出さなかったんですよ。
田口八重子について、一回だけ出してるんですよ。
3回交渉で。
警察が記者会見したからね。
したら北朝鮮が席を立ったんですよ。
そしたら外務省どうしたか?というと、秘密にいろんな学者を送ったりとか、外務省の役人を平壌に送って北朝鮮に何とか頼んで第4回交渉やりましょうと。
第4回交渉から拉致問題は我々本会談出さないから戻って来てくれと言ったんです。
それで出さないことにして、でも日本の世論があるから本会議では出さないけど、実務協議と称して主席代表がいないナンバー2同士が別室で、「前回お願いした田口さんの調査はどうなってますか?」と聞くわけですよ。
それを北朝鮮側は黙って聞くわけですよ。
何も答えない。
それで日本側は「拉致問題も出しました」と言うわけですよ。(笑い声)
北朝鮮側は「出しませんでした」って言えるわけです。(笑い声)
ということを4.5.6.7.8回とやったわけです。
ところが8回目になったらその別室での交渉でも北朝鮮はけしからんと言い始めたんですよ。
さすがに日本側は我慢出来なくなって決裂になるわけなんですけど、その背景にはアメリカが「核問題でこれ以上交渉するな」と、日本に圧力かけてきたのがあるんです。
核問題でアメリカが強い態度をとったので日朝は進まなかったんですよ。
しかし、94年で核が妥協したんです。
クリントン政権の中途半端な立場でジュネーブ合意というのが出来たんですね。
そしたらば、電話がかかってきまして、当時の村山総理に「日本は10億ドル出してくれ」と。
拉致問題が一切解決してないのに、「分かりました」って言ってアメリカに。
北朝鮮に対して10万ドル出したんです。
それが経過なんですけども。
88年から97年まで間っていうのは外務省と自民党の当時、金丸以降ず~っと竹下派内閣ですよ。
中曽根さんも竹下の力でなったわけでしょ?
小泉政権になって初めてそこが切れるわけですよね?
だから政府与党と外務省にとって、有本さんたちは敵だったんですよ。
だから扱いが厳しかった。
そして申し訳ないんですけども、僕らは91年、有本さんたちの事件を知ったのは週刊誌の報道で新聞の報道で91年で、そのときに救う会を作っていれば、一緒に行動していればこんなに孤立されなかったのかな、というふうに思うんですけども。
僕らは当時金丸訪朝反対のキャンペーンをやってまして、拉致については私91年の3月の「諸君」という本に私論文を書いたんですね。
そしたら周りの人に「お前、命の危険は無いのか?」とずいぶん心配されて。
拉致のことを書くだけで、そういう時代だったですよね。
そういう中で大阪にいらっしゃったということもあって、会いに行ってもうちょっとお手伝いすればよかったかな、と今の話を聞いて思ったんですけども。
だから僕らは91年の時から関心があったので石高さんにも記事を書いてもらったし。
石高さんに情報を出した身元の人にも接触をして、めぐみさんのことに間違いが無いと思ったので、家族会を作った後救う会を作ったんですけど。
87年から88年というのはひとつのピークだったんですね。
警察は本気になろうとしたけれども、逆に自民党と外務省はそれを押し潰して国交正常化に向かおうとした。
でもそれは93年4年のアメリカの核問題の緊張で一応止まったと。
逆に言えば核問題が起きてるわけです。
ここで何回も申し上げてますけども、私たちの問題意識は93年4年のときの苦い経験があるもんですから。
国際社会は拉致問題は置いていってしまう。
北朝鮮問題が大問題になるのは、核問題であると。
そしてアメリカも今本格的に北朝鮮問題に取り組もうとしてますけども、それはあくまでも核問題で。
拉致問題について日本政府が独自にきちんとした対応をしなければ、いつでも置いてかれてしまうと。
ということなんです。
北朝鮮は今日、6者協議に出ないといったわけですよね。
家族会の見解をあとで増元さんと飯塚さんにお話いただこうと思ってるんですけども。
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朝鮮総連の幹部に安という人がいるんですね。
副議長ですね。
北の最高人民会議の代議員、国会議員を当時やってた人です。
安商宅さんといって平壌に安商宅通りって言う通りがあるんですね。
50億円献金して彼の名前が付いちゃったんです。
50億円献金したといわれているんだけど、本当は値切って30億円だったとかいろんな説があるんです。(笑い声)
その50億円献金した年の所得税は日本では0円だと。
いわく付の人なんですが。
その人とその人の部下が田口さんが働いていたお店にしょっちゅう出入りしてて。
田口さんの拉致とも関係があるんじゃないか?と。
当時はまだ田口さんと分かってないですからね。
金賢姫が書いた似顔絵の人と似てる女性と一緒にいるところを目撃されたという証言があって、警視庁は家宅捜索令状を取ったんです。
(会場より「5月ですね」の声)
5月。
ところが大規模な家宅捜索になるのでなんか近くの県警からも動員したのかな?
かなりの大規模な体制で、北朝鮮側が反対するだろうと思ってたから、チームを組んでやろうとしてたら数日前に中止になったんです。
そのことについて警察の中にいた人がジャーナリストに金丸によって止められたと。
話してるんです。
そのことは文芸春秋が2003年の5月号に書いてます。
産経新聞も、いつだったかな?
ちょっと覚えてないですけど、その文芸春秋出た後書いてるんです。
2003年じゃない、98年に文芸春秋ですね。
98年の6月に衆議院の防衛委員会に有本さんたちと一緒に参考人で出たときに、名前入りでちゃんとこのことしゃべってます。
国会の議事録にこのこと書いてあります。
名誉毀損で訴えられてませんからね(笑い声)
僕は自信のあることしか言いませんので。
具体的に名前出せるのはちゃんと根拠ありますので。
ということがあったわけです。
つまり拉致を警察は87~88で完全に掴んで、明らかにしようという流れに出たんですけども、マスコミがビビッて報道しなかったと。
判断が出来なかったかもしれませんけどもね。
それまでの北朝鮮報道と全然違う流れですからね。
とにかく様子見で全然報道しなかった。
そしたらば自民党の一部が拉致を棚上げにして国交正常化をしようという、強烈な動きに出てきた。
というのが87年88年くらいなんですね。
その中に有本さんたちも巻き込まれちゃったわけですね。
ちょうど手紙が来たのが88年で、マスコミはまだ覚悟が決まらないと。
警察はやろうと思ったと。
しかし自民党と外務省は拉致を無視して国交正常化の方に行こうと思ったと。
だから警察は一生懸命話を聞いてくれたというのは、外務省が冷たかったというのはよく分かる。
そして安倍事務所は福田派ですからね。
金丸さんの竹下派がやろうとしてたことについて、全然巻き込まれてなかったというのもよく分かる話だと思います。
そして北朝鮮側も遠藤さんという人を使って。
この遠藤さんはですね。
私が聞いてるのは、金丸さんと直接の関係というより、本当に北朝鮮のエージェントで金日成の主席級と関係のある人と繋がりがあったと。
なんか遠藤さんが別のところで動いて、日本の大手の航空会社に北朝鮮の上空を通過する通過権をやるから、中国行くときそこ行くと近いんですってね。
その代わり、主席がもしもっていうような時に日本から医者を急遽連れて行くときに協力して欲しいとか。
そういう話が80年代にあったらしいですね。
その秘密交渉の一部に加担している人です。
遠藤はウニタ書店ていう左翼専門の、書店って言っても売る方です。
神田の方で。
売れなくなって本屋たたんで、重信たちのよど号の機関紙などを作ってた人です。
同じ赤軍つながりで田宮たちとしょちゅっう会ってたことも確かです。
その人を使って、向こうは向こうでやっと金丸という人まで北朝鮮は動かすまで工作したわけです。
ところが拉致が出てきたら大変なことになるので、遠藤さんを使ったという事だと思いますね。
(明弘さん「表の顔は見えとうけどな、裏にな、どんなのがおっとたか分からんけどおるのよ」)
この一番問題は外務省だと思うんですね。
お父さんが抗議に行ったら次の日に遠藤が出てくるって何でかな?と。(笑い声)
外務省と遠藤さんが何で繋がってるのかな?と言う事になりますよね?
(明弘さん「そりゃそうだ、部外者やからな遠藤は」)
そして外務省は静かにしてた方がいいですよって、言ってるわけですよ。
つまり北朝鮮っていう国は人を拉致しておいて、拉致されたと言って親が騒いだらば被害者に危害を加えるテロ国家だというふうに、もう90年の時点で外務省は分かってたということになるんですよ?
そのテロ国家と拉致を棚上げにして国交を正常化しようとしてるのか?と
テロ国家だと分かっているから、我々がテロリストと交渉します、と。
親は出なくていいですよと言って、1対1で返さないんだったらおまえら容赦しないぞと。
こちらは経済制裁だって出来るんだぞ、って言ってるんだったら、親は静かにしてくださいなら分かると思いますけども。
結局外務省も当時は政治家の言いなりになって、拉致を棚上げにして国交正常化をしようとしてたんだ。
これは間違いが無い。
じゃあその動きが何で止まったのか?ということですけども。
警察は必死で止めようとしていたのは間違いが無いです。
僕はある席で海部という元総理大臣と一緒になったことがあるんです。
2002年の春ですね。
拉致問題について私が講師で呼ばれて話をすることになってて、その前にお茶を飲んでたんですけど。
「私は拉致問題に詳しいんだ、」と言うんですね。
「何ですか?」って僕が膝を乗り出して話を聞いたら、実は自分が総理だったときに金丸訪朝があったと。
そのとき警察が自分のところに来て「総理、日朝関係を軽々に動かさないでください。拉致問題は深刻です」って言ったと、言うんですね。
もっと具体的な中身があったと思いますけど。
つまり88年梶山答弁をしたのに政府は全然動かなかったと。
逆に金丸訪朝の動きになっちゃったから。
総理直々に、拉致問題のブリーフィングに警察の幹部が来たわけです。
オープンにしていても世論も動かないしマスコミは報道しないし、政治家は逆の方向に行こうとしていると。
何とか止めようとしたわけですね。
だから私は詳しいんだと。
海部さんは言うんだけど、「だから海部さんあなたは何をやったのか?」ということなんですけども。(笑い声)
海部さんは金丸さんに自民党総裁として親書を渡してるんです。
(明弘さん「親書持っててるのや」)
さっきお父さんが言ったように、その親書には拉致のらの字も書いてないんです。
詳しいのに、詳しかったら書けよ!(笑い声)
(明弘さん「海部なんかもっとしゃべらにゃいかん。あれも総理大臣辞めても何もしゃべってないやないか。なぁ?おってもおらんでもええ人間なんや」)(拍手と笑い声)
当時は本当に危なかったんです。
あのまま91年から日朝国交正常化交渉が始まったんですね。
総理に言っても警察は止められない、マスコミも書かない。
週刊誌を使ってリークしたり写真の一部を週刊誌に出したりして、リークして書かせても世論が盛り上がらない。
ただお父さんと今回僕がひとつだけ違うのは、田口さんのことについては分かっててあの時点で出したんじゃなくて、あの時点でやっと分かったんです。
(明弘さん「そやろ」)
91年の5月にやっと分かったんです。
(明弘さん「いやちょっとそれ言わせてくれるか?」)
(明弘さんマイクを握って話し始める)
田口八重子さんの件でね。
まだ金丸さん逮捕されてないのよ、な。
で、わし警察があそこまで踏み込んでやったということに関してな、警察は皆情報網持っとるのよ。
あれやった人な、韓国まで行って捜査やった人な。
あれ大丈夫かと?
首が飛ぶんちゃうかと?
俺そこまで話したよ?
その人の身辺気遣こうて。
政治の力って恐ろしいよ?
首が飛ぶんじゃないか?と
それからしばらくして反対に金丸がこれになった。(両手を体の前でクロスさせ逮捕の仕草)
あの金丸がな。
それである程度警察信用してるのよ。(笑い声と拍手)
(西岡氏の話に戻る)
それはですね、それはもっと大きな力が多分働いたからだと思います。
金賢姫の証言は全部いっぺんにわっと出てきたわけではないんですね。
やっぱり彼女を安心しなくちゃいけないし、あと思い出し方があるわけです。
「ちとせ」ということなんか後で思い出したんです。
僕は最近その金賢姫という人の証言を取った人からだいたい話を聞いたんですけども。
取調べの調書を作った人じゃなかったんですね。
そうじゃない人が安心させながら、「女同士だからあの時どんな話をしたの?」とかね。
「一緒にお風呂に入ったんじゃないの?」とか。
「入ったとき体の特徴はどうだったとか、見なかったの?」 とかね。
なんかそういういろんな話をしながら安心感を与えて、それがいっぺんに日本政府に入ったんじゃなくて、飯塚家にいったんじゃなくて五月雨式に来てて、決定的だと思えるのが来た。
そして最後に一回だけ。
つまり警察は慎重ですから。
どこかで報道されたことが彼女の口から出ても駄目なんです。
どこにも報道されていないことが彼女から出なくちゃいけない。
当然飯塚さんが表に出なかったというのは良かったわけで、田口さんの写真は出てなかったんです。
田口さんの写真か?というのが一度テレビなんかで出ちゃってて、それを2番目に警察が持っていって、(金賢姫が)これだと言ったら。
彼女がテレビを見てて「ああこれかもしれない」と言ったんじゃ駄目で。
一度も公開されていない田口さんの写真と他に何枚かの別の写真とを持って行ったんですね。
で、これだと選んだんで、これは間違いがないと。
いうやり方をしてたんですね。
91年の5月に取れたのは実はカツカツだったんですね。
91年の5月には第3回の日朝国交正常化交渉が開かれたんですね。
1回目と2回目ってのは平壌と東京でやるもんで、お互いが暗号が使えないですからね。
大使館がないですからね。
見合うだけですからね。
3回目の北京からが本番だったんです。
そこに間に合ったんです。
田口さんの捜査が。
その直前に(警察が)記者会見をしたんです。
で、漏れ聞くところによると、金丸事務所が大変強く圧力をかけたと。
外務省も圧力をかけたと、言う報道があります。
裏は取れてないですけど。
でどっかの週刊誌が書いてましたけど、「あんなキャバレーの女1人がなんだ」と金丸が言ったと。
警察の幹部呼びつけてという話があります。
当時の金丸事務所がどういう事務所だったかというと、核問題で西側の情報機関の人が頭を抱えているわけです。
日本政府に説明しなくちゃいけない。
日本政府の実力者は金丸事務所だと。
金丸事務所に核の情報を説明に行くと、FAXで平壌に流れちゃう、と。(笑い声)
これは私が西側の情報機関の人間に直接当時聞いていたんですから。
そういう事務所だったんです。
それが日本の警察に頭を潰しにかかってたわけです。
危なかったんです。
じゃあなぜ潰れたのか?というとアメリカの力が働いた。
アメリカは拉致でないです。
核です。
核問題で絶対に譲歩しない、いうことで日本に強い圧力をかけたんです。
実は金丸はですね、当時の谷野というアジア局長をワシントンに送って、「核問題は米朝でやってください」と。
「日朝国交正常化交渉では核は扱いませんと言いに行け」といって、言いに行ったんです。
そしたらワシントンはカンカンに怒って、「核問題では1ミリの譲歩もしないからな」と。
「日朝国交正常化交渉でも核をやれ」と言われて帰ってきたんです。
これはワシントンの駐在の当時の特派員から聞きました。
日本も当時の91年からの交渉に核を出すわけです。
それで3回目に田口さんのことを出すんです。
これは警察が必死に捜査したわけです。
しかし増元さんのことは出さなかった。
槙田というアジア局長がいたわけですね。
2000年に何かのことで陳情に行ったんですね。
私と増元さんと横田早紀江さん3人しかいなかったんですね。
何か他の人ちょっと都合が悪くて。
あ、荒木さんもいたか。
荒木さんと4人で行ったんです。
そしたら偉そうにしててね。(ふんぞり返る仕草をする)
もう本当に嫌だけど会ってやってるというのが顔に出てるんですね。
それで私は拉致問題に詳しい」、詳しいというやつは悪いやつです。(笑い声)
「私は拉致問題に詳しいんです」っていうんですね。
だから「何ですか」って聞いたら、「前回の日朝交渉決裂したでしょ?」
「その席に私いたんですよ」って言うんですよ。
それでもう僕はかぁ~っとなって、「ここに増元さんがいる」と。
「あなたは1回目から8回目までの交渉で増元るみ子のまの字も出したのか?」と。
「素人だと思ってなめるんじゃないぞ!」ってそう言ったんですね。(笑い)
「あなたは家族ですか?私は家族としか話さない」って真っ青になって。(笑い声)
まあそれ以上は喧嘩しませんでしたけども。
だから外務省は、警察は88年に増元るみ子の拉致の疑いは十分濃厚だと言ってるんですよ。
ただ国交が無いから駄目だって言ってるんでしょ?
じゃ国交交渉すればそこに出せばいいじゃないですか?
じゃあ、いつ出すんですか?
国交交渉で出さなかったら出す場所が無いのに出さなかったんですよ?
有本恵子も出さなかったし、増元るみ子も出さなかったんですよ。
田口八重子について、一回だけ出してるんですよ。
3回交渉で。
警察が記者会見したからね。
したら北朝鮮が席を立ったんですよ。
そしたら外務省どうしたか?というと、秘密にいろんな学者を送ったりとか、外務省の役人を平壌に送って北朝鮮に何とか頼んで第4回交渉やりましょうと。
第4回交渉から拉致問題は我々本会談出さないから戻って来てくれと言ったんです。
それで出さないことにして、でも日本の世論があるから本会議では出さないけど、実務協議と称して主席代表がいないナンバー2同士が別室で、「前回お願いした田口さんの調査はどうなってますか?」と聞くわけですよ。
それを北朝鮮側は黙って聞くわけですよ。
何も答えない。
それで日本側は「拉致問題も出しました」と言うわけですよ。(笑い声)
北朝鮮側は「出しませんでした」って言えるわけです。(笑い声)
ということを4.5.6.7.8回とやったわけです。
ところが8回目になったらその別室での交渉でも北朝鮮はけしからんと言い始めたんですよ。
さすがに日本側は我慢出来なくなって決裂になるわけなんですけど、その背景にはアメリカが「核問題でこれ以上交渉するな」と、日本に圧力かけてきたのがあるんです。
核問題でアメリカが強い態度をとったので日朝は進まなかったんですよ。
しかし、94年で核が妥協したんです。
クリントン政権の中途半端な立場でジュネーブ合意というのが出来たんですね。
そしたらば、電話がかかってきまして、当時の村山総理に「日本は10億ドル出してくれ」と。
拉致問題が一切解決してないのに、「分かりました」って言ってアメリカに。
北朝鮮に対して10万ドル出したんです。
それが経過なんですけども。
88年から97年まで間っていうのは外務省と自民党の当時、金丸以降ず~っと竹下派内閣ですよ。
中曽根さんも竹下の力でなったわけでしょ?
小泉政権になって初めてそこが切れるわけですよね?
だから政府与党と外務省にとって、有本さんたちは敵だったんですよ。
だから扱いが厳しかった。
そして申し訳ないんですけども、僕らは91年、有本さんたちの事件を知ったのは週刊誌の報道で新聞の報道で91年で、そのときに救う会を作っていれば、一緒に行動していればこんなに孤立されなかったのかな、というふうに思うんですけども。
僕らは当時金丸訪朝反対のキャンペーンをやってまして、拉致については私91年の3月の「諸君」という本に私論文を書いたんですね。
そしたら周りの人に「お前、命の危険は無いのか?」とずいぶん心配されて。
拉致のことを書くだけで、そういう時代だったですよね。
そういう中で大阪にいらっしゃったということもあって、会いに行ってもうちょっとお手伝いすればよかったかな、と今の話を聞いて思ったんですけども。
だから僕らは91年の時から関心があったので石高さんにも記事を書いてもらったし。
石高さんに情報を出した身元の人にも接触をして、めぐみさんのことに間違いが無いと思ったので、家族会を作った後救う会を作ったんですけど。
87年から88年というのはひとつのピークだったんですね。
警察は本気になろうとしたけれども、逆に自民党と外務省はそれを押し潰して国交正常化に向かおうとした。
でもそれは93年4年のアメリカの核問題の緊張で一応止まったと。
逆に言えば核問題が起きてるわけです。
ここで何回も申し上げてますけども、私たちの問題意識は93年4年のときの苦い経験があるもんですから。
国際社会は拉致問題は置いていってしまう。
北朝鮮問題が大問題になるのは、核問題であると。
そしてアメリカも今本格的に北朝鮮問題に取り組もうとしてますけども、それはあくまでも核問題で。
拉致問題について日本政府が独自にきちんとした対応をしなければ、いつでも置いてかれてしまうと。
ということなんです。
北朝鮮は今日、6者協議に出ないといったわけですよね。
家族会の見解をあとで増元さんと飯塚さんにお話いただこうと思ってるんですけども。
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