キング牧師の祈り
◇蒼き星々 詩に込める想いより(yuriさんの投稿)
友よ、私は今日あなたがたに言いたい。
われわれは、今日も、明日も、多くの困難に直面するだろうが、
それでも、私には夢がある。
私には夢がある。
それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「われわれは、すべての人びとは平等につくられていることを、自明の真理と信じる」という信条を、真の意味で実現させることだ。
私には夢がある。
それは、いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ。
私には夢がある。
それは、いつの日か、不正と抑圧のために熱く蒸しかえるミシシッピ州でさえも、自由と正義のオアシスへと変わることだ。
私には夢がある。
それは、いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ。
私には夢があるのだ!
われわれが、すべての村や集落で、すべての州や町で自由の鐘を鳴り響かせるとき、そのときこそ、われわれは、黒人も白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントもカトリックも、すべての神の子たちが手を取り合って、あの古い黒人霊歌を口ずさむことができる日が来るのを、早めることができるのだ。
ついに自由だ!ついに自由だ!
全能の神に感謝せん、われわれはついに自由になったのだ!
もし私の最期の日に立ち会うことがあったら、長々と弔辞を述べないで下さい。
私がノーベル平和賞を受賞したことなど言わないで下さい。
そんなことは重要なことではないのです。
何百もの賞を受けたことなど言わないようにお願いします。
どこの学校に行ったかなど、どうでもいいことです。
最期の日には、私マーティン・ルーサー・キングJr.は、人のために一生を捧げた、と言ってもらいたいのです。
戦争の問題では、つねに正しい立場に立ったと言ってもらいたいのです。
すべての人間を愛し、仕えたと言ってもらいたいのです。
私は、お金もぜいたくな物も後に残すつもりはありません。
ただ私は献身的な生涯を残したいだけです。
もし、私がキリスト者としての義務を果たすことができるなら、もし世界を救済することができるなら、もし、御言葉を広めることができるなら、私が生きたことは無駄ではなかったのです。
そうです。イエス様、私は利己的な理由からではなく、あなたの御許にいたいのです。
政治的な思惑や野心からではなく、愛と正義と真実と人にたいする思いやりをもって、あなたの御許にいて、この古い世界を新しい世界にしたいのです。
これから先、何が起ころうとしているのか、私にはわかりません。
たしかに、われわれの行く手にはさまざまな困難が待ち受けています。
しかし、私にとって、それはもはや問題ではありません。
なぜなら、私は、山の頂にのぼったのです。
私は、もう何も気にしてはいません。
ほかの誰もがそうであるように、私も長生きをしたいと思っています。
長く生きることには、それなりの意味があります。
しかし、私は、いま、そのことに執着していません。
私は、ただ、神の意志のままに行動したいのです。
神は私に山の頂へ行くことをお許しになりました。
そして、私は山の向こうを眺めてみました。
そこに、私は約束の地を見たのです。
みなさんとともに、あの約束の地へ行くことは、私にはできないかもしれません。
けれども、今夜あなたがたに知ってほしいことは、われわれは、みな、いっしょに、約束の地へ着くことができるということです。
私は、いま、とても幸せです。
何も心配しておりません。
誰もおそれておりません。
私の目は、主の降臨の輝きを見たのです
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友よ、私は今日あなたがたに言いたい。
われわれは、今日も、明日も、多くの困難に直面するだろうが、
それでも、私には夢がある。
私には夢がある。
それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「われわれは、すべての人びとは平等につくられていることを、自明の真理と信じる」という信条を、真の意味で実現させることだ。
私には夢がある。
それは、いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ。
私には夢がある。
それは、いつの日か、不正と抑圧のために熱く蒸しかえるミシシッピ州でさえも、自由と正義のオアシスへと変わることだ。
私には夢がある。
それは、いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ。
私には夢があるのだ!
われわれが、すべての村や集落で、すべての州や町で自由の鐘を鳴り響かせるとき、そのときこそ、われわれは、黒人も白人も、ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントもカトリックも、すべての神の子たちが手を取り合って、あの古い黒人霊歌を口ずさむことができる日が来るのを、早めることができるのだ。
ついに自由だ!ついに自由だ!
全能の神に感謝せん、われわれはついに自由になったのだ!
もし私の最期の日に立ち会うことがあったら、長々と弔辞を述べないで下さい。
私がノーベル平和賞を受賞したことなど言わないで下さい。
そんなことは重要なことではないのです。
何百もの賞を受けたことなど言わないようにお願いします。
どこの学校に行ったかなど、どうでもいいことです。
最期の日には、私マーティン・ルーサー・キングJr.は、人のために一生を捧げた、と言ってもらいたいのです。
戦争の問題では、つねに正しい立場に立ったと言ってもらいたいのです。
すべての人間を愛し、仕えたと言ってもらいたいのです。
私は、お金もぜいたくな物も後に残すつもりはありません。
ただ私は献身的な生涯を残したいだけです。
もし、私がキリスト者としての義務を果たすことができるなら、もし世界を救済することができるなら、もし、御言葉を広めることができるなら、私が生きたことは無駄ではなかったのです。
そうです。イエス様、私は利己的な理由からではなく、あなたの御許にいたいのです。
政治的な思惑や野心からではなく、愛と正義と真実と人にたいする思いやりをもって、あなたの御許にいて、この古い世界を新しい世界にしたいのです。
これから先、何が起ころうとしているのか、私にはわかりません。
たしかに、われわれの行く手にはさまざまな困難が待ち受けています。
しかし、私にとって、それはもはや問題ではありません。
なぜなら、私は、山の頂にのぼったのです。
私は、もう何も気にしてはいません。
ほかの誰もがそうであるように、私も長生きをしたいと思っています。
長く生きることには、それなりの意味があります。
しかし、私は、いま、そのことに執着していません。
私は、ただ、神の意志のままに行動したいのです。
神は私に山の頂へ行くことをお許しになりました。
そして、私は山の向こうを眺めてみました。
そこに、私は約束の地を見たのです。
みなさんとともに、あの約束の地へ行くことは、私にはできないかもしれません。
けれども、今夜あなたがたに知ってほしいことは、われわれは、みな、いっしょに、約束の地へ着くことができるということです。
私は、いま、とても幸せです。
何も心配しておりません。
誰もおそれておりません。
私の目は、主の降臨の輝きを見たのです
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