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2005年4月10日 (日)

横田早紀江さんのお話

4. 横田早紀江さんのお話

皆様、こんにちは。沢山の方が来て下さった様で、あの、部屋が小さな所で短い時間で申し訳なく思いますけれども、本当に今日は御集まり下さいまして有難うございました。

拉致問題というのは本当に考えられない様な、子供を連れ去られたこの悲しみと苦しみは、こちらの飯塚(繁雄)さんも同じですけれども本当に家族にとって、もう地獄の様な、生殺しの様な、長いあいだ何にも分からないで、本当にあの、何が起きたか分からない様な状態が起きた訳ですね。

そしてもう家のすぐ近くの角までお友達と一緒に帰って来て、一人になって、その角まで来たのに、そこで煙の様に消えてしまって。もうすぐ曲がって二筋目の所の角から2軒目が私達の家なんですけれども、いつもこう覗いて、「まだかなあ」って窓から覗いて、こっちから戻って来るのを見ている事がよくあったんですけれども、その様な近い所で煙の様に消えてしまいました。その時に、丁度あの、新潟日報にも本が出ましたけれども(『祈り 北朝鮮・拉致の真相』)、こちらにも書かれてありましたけれども、私達の住んでいた角の家、隣の家の2階にその当時、今はお医者さんになっていらっしゃるんですけれども、女の方で医学生の方が下宿をしてらしたんですね。
その頃ね、私達がいた時に。

その時に丁度あの、(昭和)52年の11月15日の夕方、丁度めぐみがこの角で消えた丁度その頃に、はっきりとした時間は分からないんですけども、その2回の医学生さんが悲鳴の様な声、はっきりとは覚えていないんですけれども「助けてー」という様な声だったような気もするし、「ギャー」という様な声だったような気もしたそうですけども、その声を聞かれていたんです。

それだけが、あの、何にも分からない中でその事だけがあの頃からありました。で、その下のおばあちゃまに「何か凄い女の人の声が聞こえたのよ」と言って後で話されていて、そしてびっくりして窓を開けて一生懸命こちらの方をこうして見て下さったんですけども、お隣の家もかなり大きな家で、木が茂ってて邪魔をして何にも見えなくて、しばらくこうして見てたんですけども、女学生が騒いで来る様な気配もないし、車が発車する音もないし、何にもなくて、どうかなあと思いながらも窓を閉めて、(聴き取れず)、で、おばあちゃまもそれをすぐにお聞きになって、「うちの2階のおねえちゃんがこんな事を言ってたけど、それはどうか分からないけど、そんな声を聞いたという事を言ってましたよ」という事をすぐに知らせて来て下さった事がありました。

それは私もいつも気にはなっていたんですが、それはあの、丁度この前、3組の御家族の方が御帰りになった時に、曽我さんも御帰りになって、曽我さんが少しずつ色んな事を、めぐみと一緒に暮らした時の状況を、皆さんも御存知の様に(聴き取れず)書いたりなさっている中で、私にもちょっと教えて下さった事があるんですね。

それはあの、めぐみと1年あとに曽我さんは連れて来られて、北朝鮮に連れて来られて、しばらく違った招待所に住んでたんですけども、ある時に曽我さんをめぐみがいる招待所に、「一緒に過ごして、一緒にここで勉強しなさい」という事で、初めて連れて来られた後の事、と言っておられました。その時にあの、とてもめぐみは喜んで、1人でいたところを、「同じ様な、私の様な人が来てくれた」というんで凄く喜んだと思うんですけれども、「こんにちは」と言ってくれた時のその感じがとっても可愛くて、もう本当にほっとしたというような事を仰ってまして、その時にはジュースを頂いたりしながら、夜に布団を敷いて寝る時に、曽我さんは何かその時に、足に、どういう傷か分かりませんが、かなりひどい傷を負ってらしたらしくて、めぐみちゃんはびっくりして「その傷はどうしたの?」って訊いてくれたと仰ってました。

そして、そんなに優しく訊いてくれた人は今までなかったので、本当に嬉しくて「思わず本当の事をお話したんです」という事で、「実は私、お母さんと一緒に佐渡の浜辺から連れ去られて、船に乗せられて来たんですよ」という事、「でもお母さんはそれっきりいない」という事を言ったら、そしたらめぐみちゃんは「実は私も、バドミントンの帰り道に、友達と別れてこの角の所で男の人に捕まって、そして船に乗せられて連れて来られたんです」、「怖かったねえ」という事を2人で囁き合ったという事をね、初めて聞きました。

だから私は、その時に矢張り誰かがそこにいたんだという事を話して、どういう姿だったとか、何人いたとか、誰か顔見知りのような人がいたという事を言ってませんでしたかと訊きましたら、「それは何も言わないで、その事だけを仰った」いう事で、(聴き取れず)言わなかったし、「もっと聞いとけばよかった」っていうような事も仰ってましたけども、だからやっぱりあの、誰かがそこにいた。それはめぐみを捕まえようと思ってたのか、もっと違った、短大生か誰か来るのを待ってたか、それは全く分かりませんけど、やっぱりあそこで「ギャー」と言ったのは、あのおねえちゃんが聞かれた声は、めぐみに違いなかったんだと、その時に私は思ったんです。


そうやって、皆様も御存知のように、蓮池さん御夫妻も地村さん御夫妻も、それから曽我ひとみさんも御母様も、みんな同じ様にこう、袋に入れられて括られて船の底に転がされて、北朝鮮まで運ばれて、そして20何年間という間あちらで監禁状態の様な物凄い惨い生活をさせられて来たという事が分かって来ました。

めぐみも、たった一人ですけど、何が起きたか分からないような状態で、あの、余りにも泣き叫ぶので船の底に放り入れられて、もう物凄い絶叫して泣いて、あの、「助けて、助けて!」って泣きながらチョンジン(清津)まで運ばれたという事がアンミョンジン(安明進)さんの本に書かれてありましたけれども、本当にもう、こんな事が今この平和な日本の中で行われていたなんていう事が、私達当事者であっても「そんな事があるんですか?!」っていう信じられない、半信半疑の思いで、あの、名前を公表して、めぐみの写真と名前を出して来た訳です。

その中で色んな事が表れて来て、そしてあの、中々解決に向かわなかったんですけども、小泉さんの訪朝がありまして、初めてキムジョンイル(金正日)という、あちらでは滅多に会えない人に会う事が、トップ同士が会う事が出来て、初めて向こうが拉致を認めて、そしてあの、「我が国がやった事だ」っていう事を言いました。

けれども、そこまではよかったんですけども、返って来た答えは、たった5人だけが生存で、9月17日のあの凄い日の事を思い出しますが、5人生存8人死亡というように、それも向こうが「この5人は生きてる。この8人はもう死亡したんだ」と。「あとの2人は入って来た事がない。曽我さんのお母さんも見た事がない」という風に言ってますけども、その事を日本政府に伝えた、その伝えた事を何にもそれを調べないで、どうして死亡したのかという事を、証拠がどこにあるのかも何もなしに政府は帰って来られて、そしてもういきなり私達に「あなたのお嬢さんは亡くなりました」と、はっきりと明暗を分けられた訳ですね。

そういう風なこの、どうしてこんな酷なんだろうと、私達当事者は(聴き取れず)、こんなに簡単な言葉で、紙切れだけで決着が付くような問題じゃないのにという思いを抱いていました。係りの方が北朝鮮に行きまして、亡くなり方とか色々、また色々と訊いて来て、こうだこうだと紙切れに書いてくれて(聴き取れず)こうこうこれですというのを配られて読んだんですけれども、本当に何て言うかもう、これだけの長い年月をね、私達は死に物狂いで生きて来たその思いというものは全然やっぱり理解されないで、ただもうこうですよという事務的な処理のされ方をしたという事に対して、本当にもう悔しくて堪らなかったですね。

誰がこんな目に遭われても同じ思いになるんだろうと思います。その中で私達は、そんな死亡なんて信じられないという事ではっきりと政府に向けて発信して来ましたし、家族会が一緒になって頑張って来ましたけども、未だに死亡と言われた人達の事は益々エスカレートして、この前の様にめぐみは亡くなってますよという事で、夫であるチョルジュンさんという人が大事にしていた骨ですから間違いありませんという形で、直接その人から藪中(三十二氏・当時、外務省アジア大洋州局長)さんの方へ渡されたものが提出されましたけれども、「私はこんなものはめぐみと思っておりません。全然信じておりません」とはっきりその前で言いました。

で、悲しい顔の写真とかが出て来た時は、本当にもう悲しくて遣り切れなくて、拓也たちも一緒に泣いてしまったんですけども、そういう風にこう何か非常にこう全ての事が、生命というものが軽くあしらわれているなという感じがもう本当にいつもするんですね。

それであの、飯塚さんも一緒に行きましたジュネーブで、国連の強制失踪者調査会に行って、めぐみ達の写真を持って訴えて来たんですけれども、その時、本当にあちらの方は一つ一つ、「母親であり父親でありお兄さんであるあなた方がどんな思いで過ごして来たか」を本当に1つ1つ身を乗り出して聞いて下さって、涙を流して、「こんな事は許せない。あなたも頑張りなさい。私達も一生懸命応援するから」という思い、その心がね、響いて来るんです、こちらに。そういう事が日本の元政治家の方達と何度もお会いしましたけども、本当に不思議なんです、何が足りなくてああなるのかなと思うほど心が響かないんですね。

ただこう、「お話の事は分かりました。お気の毒だと思います。一生懸命に頑張りますから」と言って下さるんですけども、ジュネーブとかワシントンに行ってあちらの高官にお会いした時の、あの感覚って言うか感性と言ったらいいんでしょうかね、琴線に触れる、もう本当に話してても涙が止まらないような、そういう思いにならないというのが不思議でしょうがなくて、何かが日本の中に欠けてしまってるんじゃないかなあっていうのを感じるようになっていますし、そして本当に今も、小泉さんもまだ対話対話対話です、と如何にも無表情に仰る姿を見ると本当にこの方は人の苦しみを、御自分の御子様がこうなってもああいう風に言えるのかなと思うくらい寂しいなあと思って見てるんですが、その小泉さんと本当にお話をしたいと、直接会ってお話をしたいと申し入れてるんですけど、中々御忙しくて会って頂く事が出来ません。

だけど本当にこれはめぐみや田口八重子さんや増元るみ子さんの(聴き取れず)一人一人が可哀想で御気の毒ですね、何とかしなくちゃ、というような問題でなくて、誰がこんな目に遭ったかも分からないし、まだこれからだってこのまま放っておけば幾らでもこう乗じて色んな事をまだやってくると思いますから、国としての指令ですから何をやってくるか分からない、その様な恐ろしい状況の中にもう落とされているんだという事に私達は気付くべきだと思いました。これはもう(聴き取れず)「私の子供だったら私はどうするだろう。こんな事でいいんだろうか」と、何はさておき生命がまだ助けを求めていて、そして危険な国に置かれていて、助けてって言っている人達を放っておいて他の事をもっと優先して動くというその姿勢というのは、私は信じられないですね。自分の子供だったら絶対に飛び込んで、自分はもう溺れてもいいから助けに行くでしょう、海に。

もし溺れていたら。その状態にまだいるんですから、どうしても一番に生命を助けてあげなければならないというこんなに大事な事が、相変わらず何となくのんびりと見過ごされて、他の事件が起きるともうそちらの方だけがワーッと優先的になっていって忘れ去られていくような形になっていくという事が、非常に怖い事だなあと思います。もし御自分の御子さんがこうだったら、御家族がこうだったら、将来こういう事になったらいけないという思いがあれば、全部が一つになって、政治家もそうです、外務省もそうです、警察もそうです、そしてマスコミもそうですし、国民全部が、こんなひどい目に遭わされてまだ苦しんでいる人がいる、「うちがやったんだ」とその国が言ったのに、取り返す事が出来ない、こんな事でいいのかという事を真剣に考えて頂いて一緒に、私達と一緒に、こういう国ではいけない、本当に大事な事をまず優先して皆がもう一丸となって闘えるようにしていかなければならないんだという事を分かって頂きたい。

そういう事を私達は全国を回って、もう3県だけ、沖縄と青森と山梨だけ残して、あと全部で講演会の(聴き取れず)になりますが、本当にもう一生懸命に聴いて下さる様になって、(聴き取れず)皆さんが怒って下さいまして、(聴き取れず)沢山の方が、講演会に溢れるばかりの人が来て下さるようになりましたし、この事を絶対に消さないように一生懸命に守り続けて、必ずまたあのタラップの向こうから有本さんの恵子さんもめぐみもるみ子さんも田口八重子さんも、皆が(聴き取れず)元気で帰って来てくれる姿をいつもいつも想像して頑張っているんです。

るみ子さんの御父さんや地村さんの御母さんの様に、あんなに待って待って待ち望んでいた御家族達が帰って来られても、また死亡と言われて何も分からないままであの世に逝かなければならなかった、その様な方の様にもうこれ以上、年老いた御家族の方が無念の思いをする事がないように、絶対あの子達のこの長い間の苦労、悲しみ、どんな生活をさせられてるかと想像するだけで私達はもう本当にのめり込んでしまうほど悲しいんですけども、絶対その嫌な事を思わないで必ず元気でいるんだと思って助け合って闘っている訳です。だからもうあの子供達の苦労、苦しみは、これがあの、この(聴き取れず)が絶対、無駄だった、しょうがなかったというような事で終わらないように、こんなに苦労してきた事が、こんなに日本が良くなって、甲斐があったのよ、あなた達の御蔭よって言ってあげられるように、私は絶対頑張りたいと思ってますので、どうかこれからも宜しく御支援下さいますように御願いを致します。有難うございました。

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