横田めぐみさんの小学校時代の作文
横田めぐみさんの作文:「思い出」
蒼き星々詩に込める想い より
初めてこの小学校に来たのは、1年生の3学期父と、いっしょに階段を登ってへとへとになっていたあのころ・・・もう私たちは卒業を真近にひかえている。
そんなに早く過ぎた6年間だから何もなかったのだろうかとふり帰って見るとたくさんの事がある。クラブの仲間入り、はんごうすいさん、修学旅行、このほかまだまだある。
そんな、なつかしい思い出のたくさんある学校、それはほかにないくらい階段があって、うらの山にはキノコや花がさき、ある時はヘビもいた。運動場からは瀬戸内海までみわたせるかんきょうのいい所にある。
そして4月6年生は、中学へとあがっていって、私たちの上はいなくなった。・・・・やがて、オーシャン回転シーソーなどもせんりょうし始めて、自由に遊んだ。
先生もかわって、親友もできた。毎日、手紙や絵を、かえっこして楽しんだ日々をなつかしく思う。でも、父の仕事の関係で、ひっこしにきまってしまった。
4年半いたこの牛田新町小学校とも、おわかれになった。親友と別れるのはさびしい・・・いずれ、卒業の時こうなるのだろうけれども、卒業までまだ5ケ月もある。
この5ケ月間には、まだいろいろな事がおこるだろう。卒業までの、5ケ月間、小学校生活の最後として、なるべく牛田新町小学校に、いる気持ちでがんばろうと思っています。(原文のまま)
~~~~~◇~~~~~~~~◇~~~~~
◆工藤新一さんから
めぐみさんの直筆のまま転載できないのが、残念ですが、小学生らしい、まだたどたどしい筆跡と文章で、卒業前に去り行く小学校の思い出を語っています。仮定の話になってしまいますが、新潟に引越をしなければ、北朝鮮に拉致されることもなかった。まだ、その時のことなど夢にも考えていないだろう時期のめぐみさんの作文を読むと、涙を誘われます。
牛田より太田川を望む(南方面)
広島市内
◆明るい広島の気候が大好きだっためぐみさん
広島の街は今も変わらずめぐみちゃんを待っている
※写真は2点とも広島在住のサンデーさんから、頂きました。
ありがとうございました。
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蒼き星々詩に込める想い より
初めてこの小学校に来たのは、1年生の3学期父と、いっしょに階段を登ってへとへとになっていたあのころ・・・もう私たちは卒業を真近にひかえている。
そんなに早く過ぎた6年間だから何もなかったのだろうかとふり帰って見るとたくさんの事がある。クラブの仲間入り、はんごうすいさん、修学旅行、このほかまだまだある。
そんな、なつかしい思い出のたくさんある学校、それはほかにないくらい階段があって、うらの山にはキノコや花がさき、ある時はヘビもいた。運動場からは瀬戸内海までみわたせるかんきょうのいい所にある。
そして4月6年生は、中学へとあがっていって、私たちの上はいなくなった。・・・・やがて、オーシャン回転シーソーなどもせんりょうし始めて、自由に遊んだ。
先生もかわって、親友もできた。毎日、手紙や絵を、かえっこして楽しんだ日々をなつかしく思う。でも、父の仕事の関係で、ひっこしにきまってしまった。
4年半いたこの牛田新町小学校とも、おわかれになった。親友と別れるのはさびしい・・・いずれ、卒業の時こうなるのだろうけれども、卒業までまだ5ケ月もある。
この5ケ月間には、まだいろいろな事がおこるだろう。卒業までの、5ケ月間、小学校生活の最後として、なるべく牛田新町小学校に、いる気持ちでがんばろうと思っています。(原文のまま)
~~~~~◇~~~~~~~~◇~~~~~
◆工藤新一さんから
めぐみさんの直筆のまま転載できないのが、残念ですが、小学生らしい、まだたどたどしい筆跡と文章で、卒業前に去り行く小学校の思い出を語っています。仮定の話になってしまいますが、新潟に引越をしなければ、北朝鮮に拉致されることもなかった。まだ、その時のことなど夢にも考えていないだろう時期のめぐみさんの作文を読むと、涙を誘われます。


◆明るい広島の気候が大好きだっためぐみさん
広島の街は今も変わらずめぐみちゃんを待っている
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コメント
私は漫画アクションの「めぐみ」の後にある、「13年間のアルバム」を読むだけで泣けて泣けて仕方がない人間です。ましてや、めぐみさんの作文とあっては。ちょっと、冷静な思いでは読めませんでした。それにしても小学生にして「父」という言葉を使う礼儀正しさ。当時の日本人は、それが当たり前だったのかも知れません。が、最近は三十路を過ぎても記者会見で「お母さん」なんて平気で言うスポーツ選手もいるくらいなので、ちょっと驚いてしまいました。日本人は、この四半世紀に色々なものを失ってきたのかも知れませんね。
投稿: ろぐ | 2005年4月16日 (土) 07時59分