« 特定失踪者ご家族井上イトノさんのお話 | トップページ | ビーズのブルーリボンで拉致の理解を広げる »

2005年5月21日 (土)

山下春夫さんのご家族・山下孝治さんのお話

救う会群馬:増元照明さんを囲む会(2005/5/21)にて

◆資料  山下 春夫   失踪年月日 昭和49(1974)年8月
ふりがな やました はるお 生年 月日 昭和21(1946)年3月25日
性別 男 当時年齢 28
当時身分: 会社員 特徴: 泳ぎは得意だった。
失踪現場: 北陸・福井県小浜市一番町
失踪状況 朝8時の始業時間前に、同居していた大工から「山下さんが昨夜夜釣りに出かけたまま戻らない」と報告がある。会社前面の岸壁に本人の作業靴を発見。
*------*-------*------*

司会:それでは、山下孝治さん(79才)からも伺いたいと思います。
弟さんの山下春夫さんはお年が20歳以上離れていらっしゃいます。

山下春夫の兄、山下孝治さんのお話
山下春夫の兄ですが、この上に長男がいて、うちの田舎の方で一生懸命やっているんですが、私の方はこっち(前橋)の助っ人みたいなかっこうで(活動を)やっています。

失踪当時というと資料にあるように、朝は一緒にいた人が夕べ出たっきり返ってこないと言うのが始まりなんです。
その時分は北朝鮮拉致なんて事は全然夢にも考えないで、いなくなったんだから、「家出かな?それとも自殺かな?」と、一週間ばかり見つけ歩いたわけですが、作業靴があったぐらいで、他のものは何にも見つからないんで、これはもうだめだろうと。。

こっちも死んだもんだと諦めていたわけですが、ただ北朝鮮問題が出てきて、うちもそうじゃないかと、こっちも調べるだけ書類の上で調べてみた訳なんですが、住民票はあるわけですが、そのまま全然動いていない。健康保険だの、厚生年金の関係が49年からあとは全然金が入っていない。これでもう、日本にはいないんだということで、何とかしなければならないと言う考えではじめたんですが。

第一回目の特定失踪者リストがあって、「じゃぁ、同じ事例だからうちもそうでないか」と思って、田舎の方で北朝鮮に拉致された日本人を救う会に相談に行って、事情を話したら、「これはそうだろうから、上げてみたらどうだ」ということで2回目(第二回特定失踪者リスト)の時、2月にあげてみようとしました。「同じケースがいくつもあるんだからお宅もそうだ」と(いわれました。)

そういうわけで我々も北朝鮮に持って行かれた確信は有るわけではないのですが、ただ、いなくなったから北朝鮮だろうとしか考えられなかったわけなんです。

父親は30年に亡くなって、その時は何もわからないんですが、母親が63年に亡くなった時に。。(涙があふれる。。涙声、話せなくなる)持っているものを、遺品を整理して、その時に春夫にも何か(不明)母親は一応用意していたようです。(一部不明)それもお棺の中に入れて火葬にしたんですが。

墓の方は、(すすり泣きながら)失踪して6、7年ごろにはもうたててあります。年期ごとにそういうこと(法要)なんかは今までやっています。

なんとも、ほんとに北朝鮮には何とか早く調べたいとそう言う気持でおりますが、なにとぞ、どうぞよろしくお願い致します。

司会:山下さんは、今でも測量関係の仕事を現役でなさっていらっしゃるそうで、そういう測量関係のお仲間にはご自分で署名用紙を集めてお願いして、今まで集めていらっしゃったそうです。けれどもそれもほんとうに限界があって、今一人では何も出来ないと、さきほどもお話しになっていらっしゃいました。
この場に来て頂いたのは初めてなんですけれど、みなさまにもこのことを知って頂きたいと思ってご紹介致しました。


―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。


|

« 特定失踪者ご家族井上イトノさんのお話 | トップページ | ビーズのブルーリボンで拉致の理解を広げる »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 山下春夫さんのご家族・山下孝治さんのお話:

« 特定失踪者ご家族井上イトノさんのお話 | トップページ | ビーズのブルーリボンで拉致の理解を広げる »