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2005年5月12日 (木)

曾我ひとみさんがジュネーブ人権委員会に提出した書簡

曾我ミヨシさんを救うぞ東京集会で配付された資料
           (2005年5月12日豊島公会堂にて)

◆曾我ひとみさんが2003年11月12日
  ジュネーブ人権委員会強制的失踪者作業部会に提出した書簡
 

 1978年8月12日土曜日、19時頃、家を出て私と母は近所のお店に夕食のおかずを買いに二人で出かけました。その日は、ごく普通の日を過ごし二人で出かけた買い物が母と生き別れになってしますとは知る由もありませんでした。
 私の家から、逸見商店までは、まっすぐな一本道で500メートル位離れている場所にあり、歩いて5~6分の距離です。私の家も、お店も国道沿いです。国道沿いには四日町の家並みが続いていますが、その当時はとても暗く、当時街頭は数少なかったので、大変くらい道でした。灯りと言えば、家並みの中の灯りがぼんやりと照らされる程度でした。最初、家を出て反対側に渡り、海側の歩道を母と一列になって歩いていました。生きも帰りも車の往来は2~3台程度でした。
 お店について、お店の中には10分もいなかったと思います。品物をみながら「あれにしようか、これにしようか?」と決めたりして、お店のおばさんと少し会話をしてお店を後にしました。帰り道も海側を歩きました。帰りは母と二人並んで歩いていました。その日の帰り道に、私と母に挨拶をしたと言う、近所のおばさんの証言がありますが、私には覚えがありません。

 私と母は、買い物を終えて、話をしながら家に向かっていました。お店と家のちょうど真ん中辺りを少し過ぎた頃、国道沿いにある農機具整備工場の手前、Nさんのお宅辺りだと思います。背後に人の気配がして、私が後ろを振り向くと、男の人が3人横並びに私達の後ろをついてくるのが見えました。私と母は、その男達3人を見て「気持ち悪い、怖いね」と話をしながら歩き続けました。その後少しして、私と母が足早に歩き始めた途端、急に後ろから男達3人が、走って来て私と母は、国道沿いの農機具整備工場から14~15メート李先のお宅の敷地内にある、歩道と敷地内野坂委に140cm位の高さの赤い実のなる木の辺りに引きずり込まれました。
 私はすぐに、口をふさがれ、手足を縛られ、袋の中に入れられました。私はちょっと果て移行しましたが、男性3人の力と私の力では抵抗できず、体をバタバタさせるぐらいしか出来なかったのです。母は襲われるまで横にいたから一緒に襲われたと思いましたが、私はすぐに、袋に入れら担がれ、その場を去った様なので、母の気配は感じることさえ無理でした。そして、私は1人に担がれ数分運ばれて、小舟らしいものに乗せられて、しばらくして、膿にでた気配を感じました。
 縛られて、袋の中に入れられたまま船の中で出発を待っている時に日本語を話す女性の声がしました。しかし日本人ではないような気がしました。日本語の話し方が少しおかしいようでした。小さな声で話をしていたので内容は聞き取れませんでした。そして、誰と話をしているかも、その中にいる人数も、わかりませんでした。
 海に出た後、もう少し、大きい船に乗り替えました。袋のまま船室の中の一室へ運ばれ初めて袋から出して貰いました。部屋の中からは、一日中出ることもなく、その船の中で人を見たのは、朝と昼、2回の食事を運んできた男性のみ1人だけでした。
 1978年8月13日、17時頃、北朝鮮の清津に到着。(13日17時頃と、時間がはっきり覚えているのは、拉致されたとき腕時計を身につけていましたので時間は覚えています)清津について後、招待所に移動しましたが、その責任者に母の行方を聞きましたところ、「日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言われました。

◆曾我ひとみさん、ミヨシさんに関する北朝鮮側の「情報」

「(曾我ひとみさんは)、1978年8月12日、特殊機観光索引が未分化串および語学教育の目的で現地請負業者(日本人)に依頼し、引き渡しを受けて連れてきた」「母・ミヨシさんについては承知していない。特殊機関工作員が現地請負業者から引き渡しを受けたのは曾我ひとみさ一人だけ」(「拉致に関する調査結果」平成14年9月28日~10月1日)

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