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2005年5月13日 (金)

「責任」について 荒木和博氏

2005年5月12日、曾我ミヨシさんを救うぞ東京集会翌日
       調査会ニュース Vol.246(2005.5.13付け)より
■「責任」について                 荒木和博 

 昨日の曽我さんの講演が関心を集めています。私たちとしては目撃したとの日本人らしき人物の問題にも強い関心をもっており、今後何らかの対応をしていこうと思っています。

 それはさておき、私は曽我さんのこととなると思い出すのが平成14年12月18日、帰国2ヶ月後に5人が初めて一同に会したときのことです。あのとき、ちょうど拙著『拉致救出運動の2000日』ができたばかりで、新潟のホテルに送ってもらい、5人に配りました。

 そこで、渡すときに気付いたのが、この2000日の記録の中で曽我さんのことは一番最後のところにしか出てこないということでした。「佐渡で看護婦さんがいなくなっているんだ」という話は9.17以前から新潟の小島さん(元救う会全国協議会会長代行)に聞いていましたし、9.17の3ヶ月前に佐渡で地元の清野県議(当時)らが中心になって開催された集会の折にも「このあたりでいなくなったらしい」とは聞いていました。ただ、新潟県警は拉致ではないとみているらしいとのことで、佐渡の場合、状況は曽我さんよりも大沢孝司さんの方が怪しかったということもあり、自分自身何も手をつけようとしませんでした。

 そのことに、本を渡す段になって気がつき、曽我さんに謝りました。もちろん、自分が拉致だと思っていたところで、どれだけのことができたか分かりませんが、少なくとも運動をやってきた者としての責任はあると、今でも思っています。

 このとき気付いたのは、曽我さんの拉致が分かってから、国の機関、警察でも、内閣でも、だれも責任をとっていないということでした。24年間拉致に気付かなかったことにはどこかに責任があるはずではないのか、逆に言えばこの国には拉致された人が誰なのか、調べる機関がないのではないか。その思いが年明けの1月10日に特定失踪者問題調査会設立へとつながりました(12月18日の時点では正直なところ特定失踪者問題調査会はまだ影も形もありませんでした)。

 曽我さんの場合、帰国から家族を取り返すまでの一連の騒ぎの中で、24年間放置されたことの責任は誰も(私も)とっていません。JRの事故は、ある意味責任が一目瞭然だから、あれだけ問題になりますが、拉致問題はそれが分かりにくいのと、そこを突き詰めるとあまりにも大きな問題であるためにかえって責任問題が見過されているように思います。

 田中実さんの認定は一歩前進です。しかし同時に、認定に27年かかったことの責任も問われるべきです。また、それ以上に、今でも拉致された状態が続いていることについての責任問題もあることは忘れてはなりません。認定に至る捜査は警察の責任でも、警察には拉致被害者を救出する能力はないのですから、それはもっと上、政府、総理の責任ということになります。

 拉致が放置されてきたのは、ある意味では国民全体の責任でもあり、責任の問い方を誤れば、現在真剣に取り組んでいる人の動きを止めることにもなりかねません。その意味では個人を苛めて憂さ晴しをしたりするものであってならず、あくまで一刻も早い全被害者の救出が最優先ですが、「誰が拉致被害者を見つけることに責任を持つのか」「誰が拉致被害者を救出することに責任を持つのか」という、職務上の責任関係はもっと明確にされるべきだと思います。

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