特定失踪者ご家族井上イトノさんのお話
2005年5月21日
救う会群馬主催 増元照明さんを囲む会にて
※『前に出たことがないので。。』ととてもためらっていらっしゃいました。
司会:井上克美さんは、21才の時に埼玉県の川口で失踪しました。
川口の失踪者の方を支える活動、克美さんがいなくなられたときのことをお話しください。
◆井上 イトノさん 82才 井上克美さん(当時21才)のお母様のお話
うちの子は昭和46年ですからもう今年で(失踪してから)34年目になるんです。その当時電気工事士だったんです。その会社の忘年会に出て、その帰りにいなくなったんです。
34年前の12月です。こちらには31日の夜に電話があって、うちでは『お正月には前橋にくるよ』っていう話でしたから、家は待っていたんですけども。(その頃)実は、親の反対を押し切って結婚していたんです。12月の31日の夜になって家に電話があったんです。『克美さんはそちらに行ってないですか』って。こっちは来ていないので、明くる日早速行ってみました。それは元旦でした。
驚いて主人と二人1月1日、お正月です、川口に行ってみました。(川口の住んでいるところの)近所をずいぶん歩いたんですけど、1日(ついたち)ですから、工場も経営者の人もみんないなかったんですね。働いていた工場の家族も実家に帰っていいなかったんです。だから何方にも会えなかったんです。どれでそのまま一日、散々捜してうちに帰ってきたんです。
それで、こっちに帰ってきてからは、30年も前の話ですから、私は占い師の所に通いました。5回目ぐらいにこういわれたんですよ。『この人は小さな日本がイヤで、外国に、今飛び立っています。』『あ~これは騙されたな』と思って、あとは、そこはもう行かなかったんです。
そのあと(前橋の人はわかりますよね)渋川のかさみ稲荷さんがよく効くと言われたので、そこに行ってみました。30年前だから私も若かったから行けました。今なら行けないですよね。そのころは勇気もありました。そして(渋川のかさみ稲荷に)行って見ました。そしたらね、見て貰ったら、他のことは何も言わなくて、『この方はもう帰ってきません』と言われたんです。
それでもうがっかりしちゃいましてね、何もする気が無くなっちゃったんですよ。(涙が流れる、声が震える)そして帰ってきて、がっかりして半日は泣いていました。戸も閉めてしまって。泣いていました。誰がきても居留守使って。。それも家族にも言いませんでした。。今初めて言ったような話なんです。(絶句)
9月になると失踪者のリストの公開がありますね。埼玉にも行きました。埼玉でいなくなったので東京にも行きました。東京に行ったときには、『何故、群馬県の人がこんな方まで来るんですか』といわれたんですけれども『埼玉の川口でいなくなったので。。』と言って聞きました。
テレビで失踪者の相談会があるというのを見て、埼玉の浦和にある鑑識課まで、電話をかけておいて、行きました。こっちから行ったんですから半日ぐらいですよね。その当時の失踪者の写真が、その本(ファイル)がこんなに厚くあったんです。(手で厚みを示して)いなくなった前後のものを見せて頂きました。だけれどもそれらしい人はいませんでした。そこでは全国の刑務所までわかるそうです。『刑務所まで探したけどもいません』と言われました。私は『そんなこと(犯罪)出来る子供じゃないんですよ』と言いましたけれど。(涙声)でもそこまで捜して頂いて、帰ってきてず~ともう諦めていました。もう亡くなったと思って。何処に行ったかもわからない。何ともないんですから。
でも、免許書も書き換えていない。免許書を書き換えていればどこかにいるんでしょうけど、免許書も書き換えていないからもうだめですね。結局は警察の方でもわからない。川口の警察にも何度も行きました。でも何にもわからない。警察からは何の音沙汰もないですね、去年もいきましたよ。
5年ぐらい前のことですね、ちょこっと新聞に拉致被害者のことが出ていました。初めて見たんです。息子と離れて暮らしているので、息子が帰ってくるのを待っていて、『こういう新聞記事が出ていたんだけれど、どうする?』と相談して、息子(長男)が見て『じゃぁ出してみよう』というので、早速出してみて、そこ(救う会)から通知が来るようになりました。そこから今のこの活動が始まりました。
川口でいなくなったんですから、川口の人と一緒に活動することになりました。川口の人はとても熱心なんですよ。川口には(特定失踪者が)6人いらっしゃるんですよ。(家からは何回も行けなかったんですけれど)去年の夏はほとんど日曜日ごと、毎週のように、川口の西口で署名活動をしていました。今年は浦和の西口だそうですが、署名運動をしているそうです。私はこんな風ですから、いけません。息子も仕事の合間に行けるときだけ参加していました。
先月でした。内閣府まで(署名を届けに)行ってくださったそうです。『川口の人たちが一番一生懸命だ。』って言われたそうです。ほんとに一生懸命なんですよ。(感激している様子)私は、余り行けないので、電話がかかってきても申し訳ないんですけど『連絡だから気にしないでください』って川口の人たちは言ってくださるんですよ。いつも『井上さんの分まで、私達が頑張るから気にしないでいてください』と言ってくださるんです。
それで、ある時、今年になって、自治会にいったら拉致被害者のポスターが貼ってあるんですよ。それで『前橋にあるんだったら一緒に活動したい』と思って、東京の会(特定失踪者問題調査会or救う会?)に連絡して、『前橋の会の方があったら、一緒に活動したいので教えてください』と、FAXしたらこちらの会のことを教えて頂きました。それで群馬の会、大野さんにお世話になれるようになったんです。それで一緒に活動できるようになりました。こういう会にでたのが先月初めてで、これで2回目なんですけれど。
どうぞみなさんよろしくお願いします。とりとめのない話で申し訳ありません。
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