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2005年6月

2005年6月30日 (木)

一通の手紙 (2005/6/26)

一通の手紙 
(2005/6/26)座り込み最終日・星陵会館の集会にて

~原良一さんに頂いた音声ファイルより~
(進行の増元さん)
昨日、小さなお子さんを連れて一緒に座り込んでいただいた方が、その女の子がお帰りになってから、横田のご両親に書いてくれた手紙を今日持ってきてくれました。
これを最年少の哲也くんに読んでもらうのが、一番年齢が近いのかなと。
(哲也さん)
昨日に引き続き最年少の哲也が読みたいと思います。
-S.Nさんの手紙--------------
私は今日、不思議なことがありました。テレビでよく見る関西弁のおじさんと会ったり、横田めぐみさんのお父さんやお母さんに会ったからです。それは北朝鮮に経済制裁を迫るため、座り込みにお父さんと一緒に参加したからです。お父さんは昨日もきたそうです。
私は、「悪いのは、北朝鮮なのだから、北朝鮮に抗議すればいいのに」と思いました。
お父さんは「北朝鮮とは正式な国交がないから、政府の、特に総理と外務省にお願いしないと向こうに伝えることができないんだよ。」と言ってました。
私は拉致されためぐみさんが北朝鮮にいることがわかっているのに、何で助けられないのか不思議でなりません。
めぐみさんはお父さんよりひとつ年上で、13歳のときに拉致されたと聞きました。
プラカードで見せてもらった写真のめぐみさんは、とてもさびしそうで、「早く助けて」と言っているようでした。

家でも、ニュースで見るたびに家族で話をします。
「遠くで起きてることでなく、私自身が拉致されたり、家族の誰かが拉致されても不思議なことじゃないんだよ。」と。
でも私は、テレビの中のことのように感じていました。

今日初めて、めぐみさんのおかあさんと握手して、声を聞いて、皆さんの話を聞いて、何でこんなに苦しんでいる人がいるのになぜ助けられないのか、本当に不思議です。

私はよくお母さんと一緒に、買い物に行きます。いろいろなことを相談したりもします。
たまに喧嘩もするけど、お母さんが大好きです。
私には何もできないけど、おとうさんに「早く、めぐみさんがお母さんのところに帰れるようにしてね」と言いました。

めぐみさんのお父さん、お母さん、めぐみさんが帰ってきて早く一緒に買い物したり笑ったりできるまで、元気にがんばってください。
------------------------
S.Nさんからでした。
増元さんが哲也さんに感想を促す。
(哲也さんの感想)
何才とは書いていないのですが、おそらく、小さなお子様だと思いますけど、私自身がこのぐらいの年齢の時に、ここまで考えられたかというと、昨日に引き続き、その自身もありませんし、本当に、人を思いやるということが大事なんだという気がします。

この3日を通して、内閣の一人である中川経済産業大臣がいらしましたが、それ以外の総理以下、政府関係者は一人もいらっしゃらなかったわけであります。

本当に薄情というか、情けないというのが、この3日間通しての思いでありますけれども。
およそ、この私たちの住む人間社会というものは、信頼ですとか思いやりで成立していると思うのですけれども。

本当にこの3日を通して、私は、家族会は、日本国民は、総理・政府に対する信頼を失ったのではないかと思っています。

この信頼を、総理・政府が取り戻すのは並々ならぬことだと思いますけれども、やはり効果が一番覿面と思われる、経済制裁であり、主権国家としての意地、プライドを示していただきたいと思います。

S.Nさんは存じ上げませんが、私の両親であり、家族会、拉致された被害者の方々のことを思いやってくださった、(S.Nさんの)その心を、私も(私の)心にしまって明日から頑張りたいと思います。

◆この手紙の朗読を聞いていた早紀江さんは、一瞬、闘う表情から、本当の素顔に戻ったように思えた。
ハンカチで何度も涙をぬぐう姿。
「早く一緒に買い物したり笑ったりできるまで、」と言う言葉は、いつも拓也さん、哲也さんがいう「私たちの両親に、なんでもない普通の一日を味わって欲しい」を表現していた。

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2005年6月29日 (水)

内側に響く声

3日間の座り込みが終わった。
連日マイクを持って訴えるご家族の声は悲痛であり、その声が官邸に届かないむなしさが支援者に更なる苛立ちを覚えさせる。
勢い集会では、マスコミ批判、政治家批判が過激になる。ご家族の気持ちはよくわかる。

だが、奪還のためには、私たちは、その声に寄りそうだけで良いのだろうか?
参照:お気に召すまま

集会の帰り電車の中で、「しばらく活動から離れようと思う」という声を聞いた。苛立ちのあまり過激なヤジが多かった集会に少しばかり嫌悪感を感じてのものらしい。

ご家族は只、走り続ける、走り続けないではいられない、その気持ちは、よくわかる。走り続けることを助け、支援していくだけで良いのだろうかという疑問がわいてくる。

ご家族は必ず「私たちはみなさんの支援が力になります。勇気を貰っております。」と言う。
私たちは、彼らを走らせる為のカンフル剤なのだろうか?

少なくとも、今回の座り込みは政府を動かさなかった。マスコミの反応も鈍かった。
外側からは、「なんでこんな時期に座り込みなんてするの?」という声も聞いた。

参照:山際澄夫のESSAYS6/24~26
引用------
家族はどこかに待機していていただいて、支援者だけで座り込んではどうなのか。それも国会を包囲するぐらいの勢いが重要だと思います。
--------
煽るだけではいけないと改めて思う。

酔夢 in Voiceで取り上げられているように、アメリカの人権団体が横田夫妻に支援の手を差し伸べようとしている。

記事:拉致問題の手記米宗教関係者に

これをアレンジしたのは、3日間ご家族に寄りそった、フォラツェン氏だ。(私は日本に山といる医師の一人も被害者ご家族に付き添いを申し出なかったのかとがっかりした。)医師も人権団体も国内からは積極的な支援がない。それともアメリカからの申し出なら受け入れられるという素地が救う会にあるのだろうか?そんなことは無いと思う。

我々は、すべての被害者を救い出すという目的のために、何が有効なのか、何をすればいいのか、救う会にも戦略を持って欲しい。私たちも、それを考え提言し、実行して行かなくてはならない。

声は内側に響かせるものではない。外側に広げ、支援の輪を広げ国民運動として拡大して行かなくてはこの問題は動かない。ご家族の疲労は増すばかりであり、それはとりもなおさず命を削ることになる。

今日も、家族は走り続けている。都議選の応援に立つ横田滋さんの表情を見るのが辛い。

参照リンク:奪還

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2005年6月28日 (火)

横田早紀江さんの訴え(2005/6/26)

2005/6/26、夕刻5時前、僅かにかげった日差しの中で、
北朝鮮の空を見上ているめぐみちゃんを瞼に描いているようにみえた早紀江さん
この願いを、何故日本政府は聞き届けられないのか?

私は、すべての日本の政治家、すべての日本人、世界中の人に、この声を聞いて貰いたい!


------------------------

みなさまお暑い中、本当に長時間、一緒に、このように座って頂きましてありがとうございます。
今日が最後の座り込みになってしまいましたけれども、この3日間、家族の者は小泉総理に一生懸命に訴えてまいりました。

本当に、今も、13才で囚われたまま、何にも罪もないのに、学校の帰りに突然連れて行かれて、船に乗せられて、北朝鮮で30年近くも監禁されながら、監視の中で故郷を思いながら暮らしている、めぐみのこと。また、るみ子さんや惠子さん、田口八重子さん、市川修一さん(松木薫さん・曾我ミヨシさん)をはじめ、多くの拉致被害者のお一人お一人。みんな今も、向こうで、このように今もこのような夕方の空を見ながら、「故郷の日本の空はどんなだろうな~」「暑かったけど今も暑いかな~」、「お父さん達はどんなに年をとったかな~」って、みんな思いながら毎日故郷を想いながら暮らしているはずなんです。

一日も早く、子供達を元の自由に返して頂きたい。

その為には、今まで北朝鮮に何度も訪朝なさっていらした政府の議員の方々、たくさんいらっしゃいます。特に「拉致などは信頼できない。そんなものはなかった。」と言い続けていらした土井たか子さんや、野中広務さん、橋本龍太郎さん、また、金正男を「早く返せ、返せ、早く返して」と仰ったと言われている、田中真紀子さん。このようにお名前を出して言って良いのかどうか私はわかりませんが、本当に、私たちは悲しいんです。

皆様、もし本当に、ご自分のお子さまがこのような状態だったら・・(このような状態ではないだろうと思うと)、どんな人の名前も出して私は言いたいと思います。そのような方は、今拉致問題をはっきりとあちらが認めた段階で、「どのように考えているのか?どう思っていらっしゃるのか?家族のことをどう思われているのか?」又、「残されている向こうにいる方たちのことをどういう風に思ってくださっているのか?」表に出て、テレビに出て、はっきりと国民の前に言い表して頂きたいと、私は何時も思っているんです。

そして、マスコミの方々もどうかそのようなこと(政治家への取材)を通して動いて頂きたいと思います。同じ日本人でありながら、あちらに行って、いろんな事も、きっとご存じではないかと思うほどです。何にも、判っていても、仰らないんではないかと思うこともたびたびあります。

外務省や上の方とお会いしたときに、「何にも仰らないけれども、何か知っていらっしゃるのではないですか?」「生きているのか、死んでいるのか、どうなっているのか、何処にいるのか、誰かのことぐらいご存じじゃないんですか?」 時々、私はお聞きすることがあります。けれども「イヤ、何も判りません」と仰いっていますけれども。

本当にこの北朝鮮の拉致問題というのは、特に闇の中に隠されたまま、向こうが拉致を認め、そして3組の方がお帰りになっても、あとの者のことは全く判りません。

「めぐみさんの骨です」と出された骨も、鑑定の結果、全く違うお二人の他人のものでありました。
そのような恐ろしい、冷酷なことを、やり続けている国に対して「もう許せない、制裁をするぞ」とはっきりと仰るのが、本当の日本の国の姿ではないかと思います。

お帰りになった方は24年間もあちらで生活していろんな事を経験してきておられます。
せっかくお帰りになったんですから、小泉総理、警察庁、外務省、政府、それらの方々が、お帰りになった家族の方々といっしょに組んで、あの方々をしっかりとお守りして、危害のないようお守りをして、そして、しっかり責任を持って「どうしたらいいか?」「ではこれはどうしたら良いんだろう」と計画して知恵をもって、日本の政府が動いて頂かなければ、(取り戻せません。)

せっかく持って帰られた情報も、(何か私たちには判らないこともいっぱいあります。もしかしたら、知っていることがあるのかと思うこともあります。)そのようなことを、みんなで、一つになって、心合わせて、心一つにして、「じゃぁ、どうしたらあとの人たちを救えるんだろうか」と計画してくださり、具体的に実行してくださらなければ、事は進みません。

せっかくお帰りになった、ほんとにやっと帰ってこられた方を、これは国がお守りする責任と義務ありますからどんな危害が加わるかもしれませんから、大切に守らなければなりませんけれども、本当の事が判るまでは、きちっと、みんなが、力を合わせて計画をして実行して頂きたいと思っています。

今は只、経済制裁をしなければ、本当に何にも日本は動かないというそのような思いにしかなれない。
そのような情け無い国にだけはなって欲しくありません。

小泉総理どうか、お願いです。
子供達を助けてください。
お願い致します。


※横田早紀江さんの訴えlogさんの音声ファイルからテキストにさせて頂きました。
logさんファイルを聞かせて頂いてありがとうございます。

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パチンコ業界と拉致問題

蒼き星々サブボードより

パチンコ業界と拉致問題①
   P(パチ)撲滅委員さんの投稿

現在のパチンコ業界は30兆円産業といわれるほど拡大している。これほど巨大な市場が何故出来上がったのか。戦後、在日朝鮮人たちは駅前の一当地を割り当てられパチンコ屋、焼肉店などを経営し始めた。当時から昭和50年代前半までは、それほど規模は大きくなかった。しかし、昭和50年代後半からフィーバー機が登場し、この業界の売り上げは鰻登りに急成長した。パチンコ人口も一時2~3千万人と言われるほどになった。(現在は1千万人位と言われている)

しかし、このパチンコ業界が盛況になるにつれ世間では色々な問題が生じた。「パチンコ店の脱税」「乳児の車内置き去り死亡」、パチンコ依存症による「借金による夜逃げ・家庭内不和・失踪・自殺」等、多くの社会問題が発生している。これ等の社会問題に対し、ようやく世間では「射幸心を煽り過ぎる」と批判が出始めた。しかし、その対策は未だになおざりにされている。

拉致事件が公になってからは、このパチンコ・マネーが朝鮮総連を通し北朝鮮に送金されていることも大きな問題となっている。パチンコ屋の経営者は7割が在日朝鮮人、2割が在日韓国人、1割が日本人と言われている。この日本人の中には帰化人も含んでいるため、パチンコ屋の経営者のほとんどが半島人であり、在日朝鮮人はおろか韓国人の中にも北へ献金している者がいるとさえ言われている。

この北朝鮮に渡った莫大なパチンコ・マネーが拉致の活動費や核開発に使われているというのに多くの日本人はこの事を知らないままにいる。戦後より日本人の間では北朝鮮という得体の知れない国に触れることをタブー視する傾向があった。(総連がすぐに「差別だ」「人権だ」と騒ぎ過ぎるから)同様に、経営者の多くが北朝鮮人であるパチンコ業界にも出来るだけ触れないようにしてきた。このことが後年、日本人の生命を脅かす「拉致」「核」も問題を大きくしたと言ってよい。

2002年9月17日、小泉総理がピョンヤンで日朝首脳会談を行い、金正日は「拉致」を認めた。この時から北朝鮮がいかに恐ろしい国であるか白日の下に晒された。そして、この後、日本国内から沸き起こる「反北朝鮮」の機運は在日朝鮮人や総連を特別視する風潮を吹き飛ばした。

これ以降、総連による北朝鮮への送金は問題視され、その総連に多額の献金をするパチンコ業界にも批判の矢は向けられたが、総連批判ほど、パチンコ業界への批判は表立っていない。何故か?それは、業界が各方面にパチンコ・マネーをばら撒いて沈黙させているからである。

パチンコ業界と拉致問題②
パチンコ業界は政治屋には献金、警察の大量の天下りを引き受け、マスコミに対しては広告のスポンサーになり多額のパチンコ・マネーをばら撒いている。何故なら業界にはどうしても世間が沈黙していてほしい別の大きな問題が内在するからである。

それが、「違法換金システム」の問題だ。現在、パチンコをやって勝てば(玉を多く出せば)景品と交換できること、その景品がすぐに現金に代わることは誰でも知っている。しかし、
パチンコをやって「現金」を受け取れること自体が異常である。パチンコは「遊技産業」であり「ギャンブル産業」として認められていない。

パチンコ業界は「第3者方式」をとっており、この違法な換金システムを温存している。この方式は、①客がパチンコ屋で景品を受け取る。②その景品をパチンコ屋の近くの換金所でお金に代える。③換金業者はその景品を再びパチンコ業界に買ってもらう。

こうして「第3者」を介入させ、表向きは業界と換金業者が関係ないフリをしておりますが、誰もそんな事(両者が無関係)は信用していない。このやり方が、世の中で通用するなら、この世から「違法なギャンブル」などというものは無くなってしまいます。違法賭博を取り締まる法律は無用になります。

例えばこの「第3者方式による換金システム」などゲームセンターが真似をしようと思えばいくらでも出来ます。ゲームの得点の高かった客に景品を渡し、その景品がすぐに「第3者」によって換金できるならゲームセンターは大繁盛します。しかし、そんな事は認められておりません。パチンコだけが認められている事がオカシイのです。

>>>

さて、現在の「拉致問題」の進展状況を見れば全くといっていいほど解決に遠い状態です。かって日本政府は「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」、「対話と圧力」、「誠意ある回答なくば厳しい対応をせねばならない」と言っていたのに、小泉総理からして「北朝鮮への経済制裁」をする気が全く無いようであります。

被害者のご家族はどんどん老齢化されているのに、政府の無策ぶりは目に余るものがあります。経済制裁ひとつ取っても実行する気がないのか、或いは出来ないのかはともかく(日本国内の)北朝鮮シンパ達が妨害していることは間違いありません。北朝鮮シンパには総連関係者や左翼だけではありません。総連から献金を受けている政治屋、大量の再就職者を世話してもらっている警察関係者などパチンコ・マネーの恩恵にあずかっている者達も少なくありません。

この北朝鮮シンパ達を撲滅し、「経済制裁実施」を実現させる「切り札」があります。それがパチンコ業界が懸命に隠している「違法換金システム」の問題です。私はこの問題を追及する事が北朝鮮シンパに対する「最終兵器」と呼んでいるほど「強力なカード」になると確信しております。


パチンコ業界と拉致問題③  
このパチンコ業界が抱える「換金システム」は現在メディアで全くといっていいほど騒がれておりません。パチンコに関して「脱税問題」「乳児の車内死亡事故」「パチンコ依存症」という問題がひと頃騒がれたことはありますが、何故、“根本問題”である「違法換金システム」について取り上げられないのか?

実はこれこそ、この問題こそがパチンコ業界が“絶対に表沙汰にしたくない問題なのです。”マスコミも絶対この問題だけは大事(おおごと)に扱いません。何故ならこの問題が世間を賑わせ社会から問題視する声が大きくなれば30兆円産業といえどもパチンコ業界は崩壊してしまいます。

違法換金システムの問題は司法界や世間で是か非かを問われたら間違いなく「違法」と判断されます。よって、業界はこの問題が世間で騒がれないように、マスコミに多額の広告料を払い社会問題となるのを防いでいます。マスコミもスポンサーであるパチンコ業界を崩壊させたくないのか、この問題だけは見事に公にはしません。ですから、この問題が巷間大きく取り上げられたことがないのです。

しかし、世間から大きく注目されている拉致被害者の支援者たちがこの問題を追及したらどうなるでしょう。「家族会」や「救う会」が「経済制裁をしないならこのパチンコ業界を
問題視する。違法な換金システムを問題視する」と主張すれば、今まで拉致問題を大きく扱っていたマスコミも沈黙を続けるわけにはいきません。ましてや司法問題にでもなればいやでも世間は注目します。

知名度のある拉致被害者・支援者からこの問題を追及されたらパチンコ業界に波乱が起きます。そして業界は大至急、問題追及の矛先を変えようとするでしょう。絶対にこの「換金問題」を議論したり自ら司法の場に持ち込みません。そんなことをしたら自分の首を絞めるだけです。

そして業界がこの問題を重視される原点が「拉致問題」であり「北朝鮮への制裁不実行」にあると判れば、陰で制裁を潰してきた活動を中止せざるを得ません。逆に制裁賛成派に回り、「制裁を実施させてこの問題の矛先をかわそう」「北朝鮮と心中したくない」といった意見が出てきます。業界もパチンコ・マネーの恩恵にあずかっている連中も北朝鮮のために自分達が窮地に陥るのは真っ平だと思っております。

総連の最大のスポンサーであるパチンコ業界が「制裁賛成」に回れば北シンパも大いに困窮するでしょう。パチンコ業界は「金」を持っていますから、こういう時、発言力があります。この業界が賛成派になれば北シンパは防ぎきれません。今まで陰で制裁に反対していた政治屋その他の連中も、制裁反対行動を取らなくなります。そうしてパチンコ業界を守ろうとするでしょう。


パチンコ業界と拉致問題④
これは「兵法」の一つです。先の拉致被害者のご家族や支援者がなさった「座り込み」は正面からぶち当たる戦法ですが、この「換金問題追求」は搦め手(からめて)から攻め込む戦術です。

しかし、この戦術はかなり「強力なカード」です。北へ多額の資金提供をしているパチンコ業界にとってこの「違法換金問題」は絶対に闇に眠らせておきたい「弱点」です。パチンコ・マネーの恩恵にあずかる者達にとっては言わば「触れてはならない、触れられてはならない、聖域」のようなものです。

>>>

私は、パチンコ業界を壊滅させようと言っているのではない。「パチンコ・マネーを北へ送るな。」「経済制裁の邪魔をするな。」「若し業界が金政権を援助し続け、制裁の妨害をするなら、パチンコ業界を問題視する。その時にはこの換金問題も当然取り上げるぞ!」と言っているのです。

要約すればパチンコ業界及びその恩恵を受けてる連中に対し「違法換金問題を大きく取上げる」か「北への制裁に賛成する」か、さあ、オマエさんたちどっちを選ぶかね?と暗に要求することが大きなポイントです。

私個人ではとてもこの問題で太刀打ち出来ませんが、拉致被害者を救うため立ち上がった多くの人達の力を借りて成し遂げたいと願っております。パチンコ業界は本来の「遊技産業」に戻るべきです。景品に「違法な現金」を使うのは「遊技」ではありません。ただの「博打」です。「博打の金」が北朝鮮へ渡り、金政権を支えるのは、もう辞めましょう。

最後にもう一度言います。「家族会」や「救う会」の方々には次のようにコメントして頂けるだけで良いのです。

『我々は、小泉総理に経済制裁を求めてきたがいっこうに発動されない・・・この上は、北へ多額の資金を提供している 日本のパチンコ業界を問題視せざるをえない。この業界が何故これほどの資金が潤っているかと考えればパチンコの景品は安易にお金に代わるシステムがあるからだ。・・・ところでこのパチンコの「換金システム」は本当に合法なのだろうか?我々はこの点から追及していく・・・』


(後書き)
最近の支援者の方々は「アサリの不買運動」「座り込み」などを実施されて何とか「経済制裁」を発動させようとされましたが、残念ながらまだ政府の腰は重いままです。しかし、30兆円産業といわれるパチンコ業界、その中でも長年闇に眠る「違法換金問題」に火を着ければ嫌でも燃え上がります。必ずやこの戦術は奏功すると信じております。

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2005年6月27日 (月)

横田拓也さんの挨拶(2005/6/26)

2005年6月26日、座り込み終了後星陵会館での集会にて挨拶
(原良一さんから頂いた音声ファイルからテキスト化)
原さんありがとうございます。

事務局次長の横田拓也さん

皆様方本当にありがとうございました。(拍手)
今回本当に3日間、何の事故もなく終えられたことは本当に皆様方のおかげだと思っております。

はじめ、実施する前には、本当に高齢者の方を猛暑の中に座らせて良いのかどうかというご声もございました。また、5.22の頃のように私たちが官邸周辺の中で、本当に抗議活動アクションを起こして良いのかどうかというお声もありましたけれども、3日で合計2500人以上という方々がおいでになってくださって、何の呼びかけもないにもかかわらず、私たちの願いに賛同してくださって一緒に活動、行動してくださったことは、本当に私たちにとって大きな力ございますし、勇気を与えてくださいました。本当に心からお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。

そして、この3日間の活動を、何の滞りもなく進めることが出来たのは、この会場にもまだ多くのかたが見えていないと思うんですが、救う会の皆様方のおかげだと思います。
本当こういった皆様方のおひとつおひとつの志によって助けられていることを重ねてお礼申し上たいと思います。ありがとうございます。

私たちも、この3日間を通しまして、そして何時も思うんですが、みなさ方から「力」を頂いています。
こうした人の気持というのは伝わるんだなと常々思うわけであります。一方で私たちの気持、切なる思いが何故小泉総理に伝わらないのかというのが判らないわけであります。

私たちの家族愛、人間として当然のことを言っているこの気持を、どうか小泉総理には正面から受け止めて耳を傾けて欲しいいうふうに思います。

私たちの座り込みは今回で3回目ということで、前回は約5年の実施でありました。
座り込みという行為自体は全く同じなのですが、状況は全く違うと言う環境認識をした方が良いと思います。
というのは、5年前というのは、(もちろんそれまで私たちは同じ事を訴えてまいりましたが)日本の世論の皆様も、情報が無かった為だと思いますが、金正日が認めていなかったために、拉致というのが本当にあったかどうか、ということが言われていた時代なんです。ですから私たちが座り込みをしても多くのかたが知らないために、お集まりになる方もほんとに少なかったですし、報道のみなさんも取り上げてくださらなかった訳なんです。

しかし、02年の9月に小泉さんと金正日の会談によりまして、「拉致が彼らによって為された」と言うことを彼自身が認めた訳であります。つまり被害者と加害者という構図が明らかに明白になって、誰もが判る構図があるにも関わらず、日本政府が私たちの叫びに答えてくれない。そして被害者がお願いする。被害者が総理官邸に対して、抗議、座り込みをしているという、この不自然な構図をどうしても私たちは理解が出来ない訳であります。(拍手)

昨日集会の中でも家族の誰かが申し上げておりましたが、本来であれば家族が日本政府が経済制裁をすると言った時に、私たちが「それは危険だから」と「待ってください」と言うのが本来の流れなのかもしれません。

今は全く逆なんです。私たちは命をかけて、リスクを承知で、日本政府に対して、被害者を一人残らず返して貰うために、日本政府に「こう言って欲しい」ということを言っているんです。何年も言っているんです。拉致されたのは昨日やおとといの話ではないのです。30年も40年も前に拉致されて判っていることなのです。しかも、先ほど申し上げたとおり、加害者が認めている事なんです。

それでいて、日本政府にお願いしなくてはならない。そしていつものように、聞き流してしまう小泉総理がいらっしゃるというこの構図がどうしても判らないのであります。

私たちの家族愛としての、人としての気持をどうか正面から受け止めて欲しいというふうに思います。(拍手)

もう一言言わせて頂きたい。
もしかしたら私の誤解かもしれませんが、小泉総理はこの拉致問題の救出のために、家族会・救う会が好きでやってるんじゃないかと思っていらっしゃるのではないかと思えてなりません。それであればほんとにそれは大間違いです。

私は座り込みの場所でも申し上げましたが、本来であれば、家族が言うべき事ではないんです。
日本政府が責任を持って、先頭に立って、やる必要のある事なのです。
小泉総理、日本政府、外務省は必死になって取り組んで頂ければと思います。


相手は北朝鮮。対話が通じる相手ではないんです。対話対話と言って、対話の一つも出来いない。
対話が出来たとしても通じる相手では無いのです。相手はテロ国家なんです。テロリストなのです。(拍手)

つまり、(一部拍手で不明)「経済制裁を発動する」、「工作母船の万景峰号の入港を阻止する」、これを実現して行かなくてはならない。

相手に対して下手に出ては、絶対にこの問題は解決しないんです。(拍手)

私たちの家族を取り戻すため、どうか国民の皆様、引き続きのご支援とご理解をよろしくお願いします。(拍手)

関連リンク
人生とんぼ返り

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有本嘉代子さんの訴え(2005/6/26)

有本嘉代子さん
logさんの音声ファイルからテキストにさせて頂きました。ありがとうございます。

みなさんこんにちは。本当にこの暑い最中、3日間どうもありがとうございました。
本当に、お向かいの沿道で一生懸命、聞いてくださるみなさま方、それと、参議院の方からちらにきましたんですけど、ここに、こんなにたくさんの方が座っていらっしゃるのが、私は判りませんでした。
ほんとに、みなさんのおかげで本当に私たちは心強く思っております。
この運動を始めて、皆様の応援してくださる、このことが一番有り難いと思っております。

どうぞ、総理ここで見ていらっしゃるなば、この皆様方の熱い想いをくんで頂いて、ほんとに経済制裁を発動していただきたい。

早急にして頂きたいことは、又、明日新潟に万景峰号が入ります。
そのたびに家族の有志の方々が、行ってくださるんです。救う会の皆さんも行ってくださって抗議してくださるんですけど、今飯塚さんが仰ったように、向こうで抗議するときに、本当に空しい想いがすると思うんです。

何故あの船が止められないんですか?
早急に止めてください。
これが第一の問題だと私は思っております。

「経済制裁をしてもダメだダメだ」と仰いますけれど、きちっと日本が(経済制裁を)して、どういう結果が出るか、きちっり見て頂きたいと思います。
日本としてはこの拉致問題は、避けて通れるものではないんですから。
この問題があって初めて、経済制裁をどうでもしなければいけないということが、国民の皆様方が解っていらっしゃるのですから。
何故総理が決断できないんですか?
どうか私たちの3日間の熱い想いを胸にきっちりと止めて頂きて、則、経済制裁の方をよろしくお願い致します。

みなさまほんとにありがとうございました。


座り込みを終え、集まった応援の人々に感謝を伝えながら、
集会会場の星陵会館へ歩いて向かう有本嘉代子さん
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平野フミ子さんの訴え(2005/6/26)

座り込み終了にあたって

官邸に向かって、悲痛な高い声で、懸命に訴える平野さん。

平野フミ子さんの訴えlogさんの音声ファイルからテキストにさせて頂きました。
logさんファイルを聞かせて頂いてありがとうございます。

平野フミ子さんの訴え
皆さん本当にありがとうございます。
小泉総理に申し上げます。このポスターが小泉総理の部屋にありますでしょうか?
おととい安倍晋三さんに託しました。このめぐみちゃんの悲しそうな顔を見てください。
これに心を動かされない人間はいません。
私の母でさえ、この写真を見て泣いてしまいました。妹るみ子とだぶったのだと思います。

どうぞお願いします。
私たちには時間がないんです。
一刻も早く決断をしてください。
「経済制裁をするぞ」という決断してください。

今でも、この日本に、朝鮮総連、北朝鮮の工作員が何人もいるということです。そして、日本人の協力者もいると言うことです。そして(不明)。。摘出してください。
私たちは平和な日本でゆっくり住めないではありませんか?

どうぞお願い致します。
そして、私たち拉致被害者を見捨てないでください。
絶対にめぐみさんも、惠子さん、るみ子も、田口八重子さんも、修一くんも松木薫さんもみんな生きているんです。

どうぞお願いします。このまま見殺しにしないでください。
絶対にあの羽田空港にみんなを降ろすまでみなさん、私たちと共に、怒りの声をもって小泉総理に迫ってください。

そして小泉総理が日本人を返せと金正日に言う日まで皆さんどうかお願いします。
私たちと共に一緒に闘ってください。私たちはみなさんの支援が力になります。勇気を貰っております。

本当に今日はありがとうございました。
3日間本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

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マスコミは何故伝えないのか?

座り込み終了後のマスコミ報道に注目していたが、ニュースの取り扱いもTOPではない。時間もごく僅かだ。
3日間、多くのマスコミが取材をしていた。データも、フィルムも相当な量になっているはずだ。
汗をかいて取材した記者やカメラマンの宝物である、その素材を扱わないのは何故なのか?

若貴も、気候の話よりも、バレーボールよりも、最初に扱わなくてはならない記事ではないのか?
昨日の集会では、過去、マスコミが如何に拉致に冷たかったかを有本さんが吐露していた。会場からは、「筑紫が悪い」「古館だ。」「NHK不払い」などとの声も聞こえた。

しかし増元照明さんは「私は支払った上で文句をいいます」とコメントし、更に佐藤会長は、「マスコミが冷たかった頃、私たち国民も拉致に冷たかった。街頭ではほとんど立ち止まる人もいなかった。我々にも責任がある」と仰っていた。

私たちが、今、マスコミにもっと報道を促す努力をしたい。「報道してください」とメールや電話をかけよう。マスコミ批判だけでなく、マスコミ対策も重要。悔しいけれどNETでの発信よりもマスコミの10秒、20秒の効果は否定できない。

マスコミを味方につける術を。。。。

マスコミのみなさんへ
私たちも支援者として、ひとりの国民としてご家族の苦労に目を向けなかったことを反省しています。あなた達も反省してください。そして、もっと拉致問題を取り扱ってください。お願いします。

横田早紀江さん

佐藤会長

表情に疲れの見えるご家族

苦しかった時代を語る有本さん

有田さん、小川さんの2ショット

西村幸祐さん

※座り込み最終日には、中川昭一大臣、議連の原口氏も応援に駆けつけたとのこと。

関連リンク
酔醒慢録(有田芳生さん)
酔夢inVoice(西村幸祐さん)

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2005年6月26日 (日)

座り込み最終日


飯塚繁雄さん 

横田早紀江さん

めぐみさんの写真              

3日間ご家族の側を離れなかったフォラツエンさん

取材する有田芳生さん 

応援に駆けつけた小川晴久さん

さすがに3日目、少し風があってしのぎやすかったとはいえ、みなさんお疲れの様子は隠しきれなかった。それでも家族は、気力を振り絞って、マイクを持ち、姿を現さない小泉首相に訴え続けた。

支援者だって疲れている。3日間連続で永田町に通った人たちの表情には疲れと共に怒りが募っている。

小川晴久さんが駆けつけてくださって、マイクをもたれた。
取材の有田芳生さんは「萩原遼さんもくればよかったのに」と仰っていた。

それにしても、政治家も知識人も、もっと応援に駆けつけても良かったのではないだろうか?
支援者から、「芸能人でも有名人でもいいからもっと応援があればいいのに」との言葉も聞いた。

ご家族の皆さん、本当にお疲れ様でした。
応援の皆さんも、お疲れ様でした。

昨日飯塚繁雄さんに「終わったら、一日ゆっくり休んでくださいね」と申し上げたら、「いや、休んでもいられないんです。集会もありますし。万景峰号もありますから」と。

何時になったら、ご家族は体を休められるのでしょう。
どうしても、早く、被害者を取り戻したいと言う気持がわき上がりました。
集会には、特定失踪者のご家族も多く参加されていました。
追ってまたご紹介します。

※写真はご自由に転載してください。

関連リンク
あんた何様日記
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大和撫子は眠らない

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寺越昭男さんの挨拶

3日間、どうもご協力ありがとうございました。
言いたいことは、今拓也さんが全部言ってくれましたので、一点だけ。

北朝鮮にいる武志、私のいとこなんですけれども、今平壌の職業総同盟の副委員長という地位にいます。いるというか、触らされているというか、こっちのほうが本当だと思うんですけど。
武志は今、お母さんの友枝さんが、北朝鮮へ、物と金と持っていっているんですね。これができなくなったときの事を、ものすごく心配しているそうです。

友枝さん、今、74~5才だと思いますけれども。これから、はたして3年、5年、物と金を持っていけるんだろうかという。。そして、それができなくなったときに武志自身がどうなるかということを、武志本人が一番心配しているそうです。

こういう国に10年、20年というこれから、生活していかなくてはならないという事を考えたときに、本当に、私は、それが幸せな人生なのかなと。

小泉総理は、国会で「人生いろいろ」と言いましたけども、国民の人生は、それはみんないろいろです。しかし、このいろいろな人生を少しでもよくしようとするのが、国会議員や、それから、総理の仕事ではないかと思います。(拍手)

「拉致された被害者や、我々家族の人生もいろいろで済ますんですか?」

これだけを言いたいと思います。
どうもありがとうございました。


※寺越昭男さん 、北野政男さん 、内田美津夫さん他ご家族は当日石川に帰る飛行機の都合で、この話が終わると退席なさった。

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2005年6月25日 (土)

座り込み2日目報告


平野フミ子さん(増元るみ子さんの姉)

座り込みのご家族

森本美砂さん(山本美保さんの妹さん)

斎藤文代さん・市川龍子さん

シュプレヒコール 

2日目の横田夫妻

寺越さんのご家族

座り込みに参加したさるのジョニーくん?            

新潟の大沢さん

有本ご夫妻のシュプレヒコール

訴える斎藤さん

フォラツエンさん

猛暑の中、ご家族は、強い意志で一日3度もマイクで訴えていました。
最初は座り込み開始から1時間30ほど。2度目は、座り込み終了前の4時~5時の間。そして場所を星陵会館に移して更にもう一度。
何故、これほどまでしなければならないのか?
政府は、拉致事件を真剣に解決する気持があるのか?

ご家族、特に女性陣の叫びは悲痛であり、官邸の方向に向かって、響くその声を、その訴えを聞く者がいない状況を悔しく思いました。
支援者は、その叫びを立ち上がり、聞き耳を立てて受け止めていました。
永田町には怒りが満ちていたように思います。

西村慎吾議員は一日中その場でご家族に付き添い、フォラツェンさんは体調を崩された支援者のひとりを丁寧に診察なさっていました。

有田芳生さんは開始から、星陵会館まで一日今日の活動に付き添っていました。

西村幸祐さん、山際澄夫さんともお会いしました。

酷暑の中明日もご家族は気力を振り絞り、座り込みをなさいます。

気になったこと
ゴミは綺麗に処理されましたが、明日以降は不燃と可燃の分別をしたほうが良いと思います。

追記
警備の警察の方にうかがったところ、今日は300~400の座り込み人数を想定し、約100名の警察官が警備と通行の整理にあたったとのこと。
警察の方は、丁寧にその仕事をなさってくださいました。警察の方の配慮のおかげで2~3の小さなトラブルもすぐに収まりました。何人かの警察官にそのお礼を伝えました。警察官の方も一緒に汗をかいてくださっていました。彼らには、家族の声が聞こえていたはずです。。。

※写真はご自由に転載してください。

関連リンク
山際澄夫さんのHP
酔醒慢録(有田芳生さん)
プロテクトX -傍観者たち-
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酔夢ing Voice(西村幸祐さん)
あの国の大きさと日本の小ささ

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佐久間隆義市原市長のあいさつ

佐久間隆義市原市長のあいさつ

 皆様こんにちは、ただ今ご紹介いただきました市長の佐久間隆義と申します。お母さん(古川了子氏のご母堂)があちらにいらっしゃっておりますが、私は2年前に市長に就任を致しました。もう2年が過ぎようとしております。そういう中で、私も大変ご指導いただいておりました古川様のお兄様、その妹様が拉致をされたということで、その話を聞きました。

 市原市民の命と財産を守る責任は、私たち行政にもあります。事件や問題が起きた時に、警察だけにお願いすることなく、行政としてもしっかり対応していかなければいけない、という基本的な考えに立って、日々の活動をさせていただいておりますが、お話しをいただきました時に、私たちはできる何かをやらなければいけない、いつ私たち自身が被害者になるかもしれない。

 そういう思いの中で、町会長会長の小池さん、まだお見えになっておられないようですが、まもなく来られると思いますが、町会長の連合会の皆様にご相談をいたしました。市民のお一人である古川さんがこういうことになった。市を挙げて、市民を挙げて何か声を挙げなければいけない。

 そしてその声は、必ずあの国にも届くはずだ。そういう思いで署名を集めていただきました。今お話しの通り、15万弱の署名が集まった。その後もずっと思いを持っている方がたくさんいらっしゃいます。

 その皆さんの心と力を合わせて、是非お母さんがご健在な内に、この日本(にっぽん)に、祖国に身柄を引き渡していただきたい。こういう思いを、私たち市民一同持たなければいけない、こういう考えで私もおります。

 これから先も、拉致認定をされる、されないの問題はありますが、市原市として、市原市民として、市民の一人である古川了子さんが元気で、この故郷(ふるさと)に…(涙で声が詰まる)帰ってきてほしい…。(涙をこらえながら)心からそう思っています。

 私たちは人間です。みんな父や母があって生まれました。そしてその父や母によって育てられています。今、私たちの国で、子供たちに関わる様々な事件が、問題が、あっちこっちで起こっています。それは、どこにその原因があるのか?

 自分さえよければいい、自分だけ儲かればいい、自分だけいい思いをすればいい。そんな自分勝手な思いが、日本だけじゃなくて世界中に広まっている。だから自分の得のためには何でもしてしまう。そういうことが、今の私たちの社会の中で、悲鳴を上げているのが子供たちだと思います。

 被害者も加害者も、みんな私は犠牲者だと思います。社会がもっと、私たちがもっと周り中に目を配り、気持ちを注いで、より良い社会の実現のために、まず家庭から、地域、この町、この国、どんどんその思いを、思いだけじゃなくて、行動として進めていくその責任と義務が私たちにあると思います。

 どうぞ今日は、この集会にご参集いただきました皆様、本当にありがとうございます。私は市長という立場で、これからも最前線に立って、皆さんのために、私たちのために、未来のために、子供たちのために努力をさせていただきますので、どうぞお力添えをよろしくお願い申し上げます。

 古川了子さん、そしてご家族の皆様、今日(こんにち)までの苦しみ、そしてこれからもまだまだ大変なことがあるかと思いますが、共に一生懸命頑張りますので、お母さんもお元気で頑張っていただきたいと思います。どうぞ皆さん、これからもよろしくお願い申し上げます。どうもありがとうございました。どうぞ、よろしくお願いします。


原良一さんの投稿より
同じテキストを話の花束でぴろんさんもお書きです。こちらもどうそ。

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増元照明 家族会事務局長のお話 その1

古川了子さんを救う千葉集会in市原(2005/6/25)

こんにちは。
今紹介いただきました家族会事務局長の増元照明です。
先ほど中村さんからご案内頂き、今日はこの炎天下家族会一同、衆議院議員会館前で座り込みをやっております。
私は前からこの「古川了子さんを救う千葉集会」へ呼ばれておりまして、どうしようか考えたのですが。
私たちは両方とも大事なことです。
首相にやはり決断を促すための座り込みも必要ですし。
こうやって各地を回って、皆さんに拉致の真実と言うものを知って頂くことも重要だと私は思っていますので、今日は横田拓也事務局次長に全て任せてこちらに来させて頂きました。
私たちはなぜ座り込みをやるのか?
まずこれから多少時間をいただき、お話したいと思います。

私たちは昨年の12月24日に第3回日朝実務者協議でもたらされた北朝鮮の調査結果、小泉総理が5月22日に白紙に戻して再調査すると言質を取ったと言うふうに、成果を言っておられましたが。
その調査の結果がすべて捏造であって、更に横田めぐみさんの骨と称するものは他人の物であったということが判明し、日本政府はあの時点では死亡とする物証を全く認められない。
生存を前提にこれから交渉をするというふうに閣内でもというか、政府内でも意見が180度転換しました。
それまでは日本政府はほとんど北朝鮮の発表どおり、ほとんど人は死んでいるという、そういう考え方で。
官邸サイドが特にそうでしたけど。
そういう考え方で北朝鮮に再調査を依頼し、そして死亡の物証をどんどん出せと言う話をしてたんですが。
昨年の12月からは生存を前提に、生きてる人をどんどん返しなさいと言う、そういう姿勢で臨むと言う。
これは外務省で谷内事務次官が私たちに説明なされました。
というふうに方針転換したはずでした。

12月24日細田官房長官が、「迅速かつ誠意ある対応がなされなければ、日本政府としては厳しい対応を取らざるを得ない」というふうに言ったんです。
12月24日に言って、それから更にに3ヶ月経ち4ヶ月経ち、北朝鮮はその間に核の保有は2月9日に核の保有を宣言し、さらに外務省とは対話をしないと言う。
その話を聞いても小泉総理は「対話と圧力」と仰っておられます。
対話と圧力、対話がなされていない状況なのに圧力もかけていない。
じゃあ、いつ圧力をかけるんですか?いつ対話をするんですか?
それについても全く話をされないまま、今年になって郵政民営化のほうに興味を持たれた様で、ほとんど拉致問題に関しては話をされなくなりました。
対話と圧力、その一言だけ、ず~っとこの6ヶ月間言い続けています。

私たちはもう待てないとその意思表示をしておりましたけども、いつ政府は拉致被害者を救出してくれるんだ。
生存として方針転換したはずなのに、生存している人たちを全く助けようとしないことは、国家の総意として国民の命を預かるトップとして本当にそれで良いのか?と言う思いを、私たちは常に思っております。
政府に対する不信感もそうですが。
ただもうひとつ、私たちがこうやって大きな声を上げていかなければ、この拉致問題と言うのは核問題とそれと郵政民営化の間に埋もれてしまって、これから先いつになれば私たちの家族を取り戻せるのか?
そういう先が見えない状況に陥ってしまって、非常に危機感を持っておりました。

更に、これは蓮池薫さんが仰っておりましたけれど、朝鮮で情報収集するときに日本の新聞・雑誌を翻訳する仕事に従事していたということですが。
その時に向こうの担当者のミスで、お父さんが載っている写真を見たことがあるというふうに仰っています。
そして日本で拉致被害者の救出運動が起こっていることを知ったと言います。
それが今北朝鮮にいる人たちが3年前に蓮池さんや地村さん、そして曽我さんたちが帰っていったことを当然知っていることでしょう。
その彼らが次は自分の番だというふうに思っていて、ところが日本ではほとんどその他の拉致被害者のことに関してはほとんど騒いでいなくて。
そのような状況作っていては、彼らは向こうで日本に帰るという希望を失ってしまいます。
このまま向こうの体制の下に自分の人生を終えなければならないと言う、そういう悲しい思いをさせることは出来ない。

ですから私たちはあの官邸前で私たちが声を上げて、そして救出の火を絶やさないために体を使って座り込みをする決意をしました。
おかげさまで昨日から報道を一杯してもらっておりますけども、北朝鮮にいる拉致被害者に届いてくれることを望みながら、私たちはあそこの場で座り込んでおります。
その点いろいろとご批判も有るし、お年寄りをああいうところに座らせて良いのか?と言うそういう批判もありますが。
そのご老人たちが率先してやりたいということを仰っています。
それだけ今のこの現状には満足していないし。
私たちは政府のやり方に、今のやり方に非常に不信感を持っているということです。
それだけご理解頂きたいと思います。

私ひとりこういう涼しい場所でしゃべっていて良いのか?と言う、ちょっと思っておりますけども。
あの、「古川了子さんを救う千葉集会in市原」こういう非常に重い課題にこれだけの方が、しかも土曜日の昼下がりお集まりいただいてありがとうございます。
今特定失踪者問題調査会に依頼されている440名中400名ほど。
そのうちの12名、13名ほどは日本にいるもしくは死亡されているとされておりますけども。
その他400名強の方たちは全く分かっておりません。
それが拉致であるのか?拉致で無いのか?
ただ拉致の疑いが濃厚であるという方たちが今33名いらっしゃり、更に告発がなされております。

古川了子さんの場合先月でしたが、すでに裁判に持ち込んでおりますけども。
その裁判に持ち込んだと同時に4月の25日に、私が丁度ワシントンに着いた時だったんですけど、新聞記者のほうから田中実さんという方が拉致認定されたという話を伺いました。
この田中実さんそれからもうひとり小住健三さん、このお二人の方がいらっしゃいますけども。
私はその時にハッキリ自分で感じたのは、何で田中実さんだけなんだ?ということなんです。
田中実さんそれと小住健三さん、これは救う会の調査でまず拉致はまず拉致は間違いないだろうというそう言う決定をして、まず救う会の拉致被害者救出の救出しなければならない人の中にもうすでに入っております。
古川了子さんは9.17以降、安明進その他の証言その他で特定失踪者問題調査会が救わなければならない人の中に入れてほしいということで、救う会認定にはなっておりますが。
田中実さんと小住健三さんはもうずっとそれ以前から、救う会の救わなければならない人たちの中に入っておりました。

それがなぜ?今年の4月24日に。
今年の25日ですね。
急に拉致認定されたのか?
私たちが古川了子さんの拉致認定を求めて裁判を起こしたことが、これが田中実さんを拉致認定するひとつの要因となったのではないか?
すなわち政府は一生懸命調査しております。
警察は一生懸命調査しております。
だから裁判沙汰をしないでも私たちはちゃんとやっておりますと、今の政府の言い方なんですが。
裁判沙汰を、裁判に持って行かれたと言う時点で、政府のその姿勢を一応見せておかなければならないから田中実さんを政府認定し、私たちは一生懸命調査をしてそして拉致認定をしているんですよと。
裁判に有利な非常に姑息なやり方だと私は思うんですが、それしか今考えられません。

2年前に田中実さんと小住健三さんは、すでに警察庁その他警察関係の方たちにとっては、すでに拉致と言う、拉致容疑と言うことで官邸サイドに上げております。
官邸サイドは、そのとき福田官房長官でしたけども。
官邸サイドで小泉さんがそれを積極的にやったとは思えません。
ただ小泉さんはほとんど関心が無いですから、全て北朝鮮問題は福田官房長官、それから田中均外務審議官に全て任せておりましたので。
警察から上がった拉致認定の要請に対し、福田官房長官が官房長官のところでおそらく握りつぶしていたんじゃないかと。
拉致認定まで持っていってなかったと言うのが事実です。
なぜそこまで持っていかないか?
これ以上日本政府は、官邸は、特に拉致と言うこの事象。
拉致と言う事件をこれ以上大きくしたくないんです。
なぜ大きくしたくないか?
日朝国交正常化をしたいからです。

1990年以来政府・与党はずっと北朝鮮との国交正常化を望んでおりました。
これ、金丸信さんからずっとそうです。
なぜそれを望んだのか?
北朝鮮利権と言うものがあります。
さらにおそらく総理には名誉があるでしょう。
日中では田中さんが、私は今の日中友好条約それは汚点があると思っていますが、今の日中関係の悪さを作っているんだと思いますが。
それでも日中友好を成し遂げた人たちとして田中角栄さんの名前が載っております。
最終的にこのアジアの中で国交の無い北朝鮮と国交を成し得た総理として、名前を残したいと言うのが総理の自民党の政府与党の総理、全てにとって念願であったと言うのは事実です。

田口八重子さん、皆さんご存知のように田口八重子さんの事件が明らかになったのが1988年。
6件9人のアベックを含む、6件9人の拉致認定を国会の中で認めたのも1988年です。
1989年から金丸さんが北朝鮮外交を主導するようになって、その後日朝国交正常化交渉で拉致被害者を返せ、田口八重子さんを返せと言うのはほとんど行われておりません。
日朝国交正常化を優先するために拉致被害者の救出、返還を求めることをほとんどやっておりません。
名前だけ出して向こうが否定したので引っ込めたと言う、そういう状況がずっと続いており。
さらに第8回日朝実務者協議では日本サイドが事務レベルでの折衝の中で田口八重子さんと言う名前を出して。
出したが為に北朝鮮サイドが席を蹴って出て行ったと。
こちらも後を追わずに日朝国交正常化の政府間交渉がずっと流れていったんですけど。
そのように今の日本政府にとって拉致被害者の返還を要求するのと、日朝国交正常化をするのを比較したら、格段に日朝国交正常化の方が考えられていたと思われます。

金丸信さんはその時酷いことを言っております、その時に。
田口八重子さんと言う方は、東京の昔有名なキャバレーに勤められていたんですけども。
その事象を知って「女給の一人や二人で日朝関係がおかしくなっても良いのか?」と言ったのがあの金丸信です。
私たちはこれを聞いて非常に腹が立ってしまいましたけど、その程度の認識しかない。
6件9人のアベック10人、6件9人のそしてめぐみちゃんを入れて10人になっても外務省の槙田、
槙田なんて言いましたっけ?
今のエジプト大使でしたけど、その方が「9人や10人で日朝関係おかしくなって良いのか?」と、外務官僚がそう言った。

これが示すように日本政府はずっと日朝国交正常化を望んでおります。
今でもそうです。
小泉さんは今はもうほとんど諦めたと思いますけど、昨年の5月22日以降2~3ヶ月は私の任期中に日朝国交正常化をやるというふうに仰っておりました。
ですからどうも拉致問題はあれで終結したんだと言う、国民に知らせるために。
そして北朝鮮政府の望むように拉致問題を終結させて、日朝国交正常化に取り組もうとしていたんですけども。
結局北朝鮮が、アメリカの言うずさんな調査結果、あれがあったが為に日本国民の怒りが収まらずに日朝国交正常化を安易に出来る状態ではない。
これが今の現状です。

あの時私たちは横田めぐみさんの骨が出てきたとき、本当にドッキリしました。
特に横田家はやはり多少の覚悟はされていたと思います。
自分たちはあの骨は絶対にめぐみちゃんの骨ではないと言っておりましたけども、もしかしたら向こうで処刑されてそして骨だけ持ってこられたという可能性があるということまで考えました。
実際は別人の骨であった。
でももしもあの骨がめぐみちゃんの骨かどうか分からないとか。
もしかしたらめぐみちゃんの骨だったかも知れないという事だったらどうでしょうか?
国民の皆様の中に5人の被害者は帰ってきた。
5人の家族も帰ってきた。
で10人はもう死んでるというと言うふうになれば。
そして特定失踪者も無いという流れになれば、国交正常化が、何となく国交正常化の道へとなったのではないでしょうか?

私はそれが狙いで下手をすると、日本の官邸サイドから北朝鮮にあの骨を1200度で焼いたら鑑定が出来ないから、1200度で焼いてめぐみちゃんの骨と証する物を出しなさいと。
例えば日本の世論も沈静化できると、そのようにレクチャーした人がいるんではないか?
そのように思っています。
それほどあの骨はタイミングがよく出されている。
骨と言う物を出すタイミングは北朝鮮政府も狙っていたでしょう。
なぜなら8人死亡の内、骨が流されていないのは松木薫さんと横田めぐみちゃんだけでした。
他の人はみんな流されて分からなかった。
松木薫さんも流されたけども、その松木薫さんの骨があったところから拾い集めてこの中に松木薫さんの骨があるんではないか?と言って2002年の9月の末の調査団に渡されております。

その時に科警研がその骨をDNA鑑定できるかどうかやってみたんですけど、1200度程度の焼却をなされていたということです。
しかもご丁寧に2回焼かれていると言うことでしたけど。
最初に焼いた奴が埋められててそれが流されて、更にもう一回焼いたというふうに北朝鮮政府が言っておりますが。
それで科警研はDNA鑑定できませんでした。
そのDNA鑑定が出来ないという結果を持って、北朝鮮政府があのようにやればDNA鑑定ができないんだと。

あの時には60歳以上の女性の骨だったが、今度は30歳代の女性の骨を焼いて日本にやったら分からないだろう。
北朝鮮はめぐみちゃんの骨だと言い張って、そして終結に持っていこうと言うふうに持っていこうとしたのではないか?
日本政府も松木薫さんの骨は出来なかったんだから、あれと同じやり方をすれば分からないよと言う風にレクチャーをした。
とにかく終結をさせようとしたとしか思えない。
それほど私たちは日本政府に不信感を持っています。
特に官邸には不信感を持っております。

なぜなら飯島さんと言う今の総理の筆頭書記官ですが、あの人と朝鮮総連のチョ・ソンマン責任副議長が直結ラインを持ったという事が昨年の春位です。
直結ラインを持って北京に親書を持たせて北京に山拓さんと平沢さんを派遣した。
で、山拓さんは自分の選挙が近かったもので、ご自分の選挙の為に目立たなければならなくなったので、秘密裏ではなくて結局ジャーナリストを連れて行って。
北朝鮮サイドもあの時に、何だあれは?って言ってたそうです。
秘密の話だと言ったのに、日本サイドはジャーナリストを連れてきてカメラを連れてきて何だあれは?と。
と言うふうに言っておったということですが、山拓さんはご自分の選挙のためには自分が主導でやらなければならない。

結局その程度なんです。
国会議員の考えているのは。
票にはならない、金にはならないことがこの拉致問題であった。
ずっと拉致問題を、北朝鮮による拉致問題を隠蔽し、そして聞いても別に動かなかった。
そんなもんだろうと。
自分の選挙には関係ないしこの問題をやっても票にはならないから。
ほとんど積極的に動いてこなかったのがこの20数年間です。
それが今でも私たちには残念ですが。

ただ私たちもそうなんですが。
私たちの拉致認定と言うのは2002年の9月以降です。
私たちは平成9年の3月に家族会を結成いたしました。
家族会を結成してそして政府関係者、それからいろんな赤十字にも行きましたし、アムネスティにも行きました。
でもありとあらゆる所に要請しお願いしてきましたけれども、すべて拉致疑惑と言う言葉で片付けられておりました。
特に共産党それから社会党の方たちは、疑惑の段階でこれは共産党の・・・(聞き取れず)、疑惑の段階で拉致を持ち出すのはいかがな物か?と言うふうに言っておりましたから。
拉致と言う物を疑惑で全て闇の中に葬り去ろうとしたのが社会党と共産党です。

なぜそこまで言ってるのか良く分かりませんけど。
社会党は友党関係があったから、その自分たちの社会党と友党関係の朝鮮労働党がそのような非道ことをしていると明るみに出れば、それは社会党の威信にも関わるし。
社会党の今現在そうですが、社会党の票が減るということ。
共産党もまさしくその通りです。
共産党は2000年から朝鮮労働党との友党関係を回復し始めていて、特に朝鮮総連との関係を2000年の初めくらいから回復し始めました。
ですから朝鮮総連という組織が日本に行ってきた破壊活動や拉致と言う、これは朝鮮総連全てがそうだとは言いません。

朝鮮総連の一組織である非合法組織、洛東江とか、この前結成されたそうです学習組、あの中にも拉致に関わった人がいるんではないか?
確かにそこにいた人たち、朝鮮総連の商工人たち、それがすでに田中実さんの拉致に関係していたと言うのはもうすでに明らかになっております。
韓竜大と曹廷楽というこの二人の方たちなんですが。
この方たちも今日本でのうのうと暮らしてますから。
それに対して警察は手を出すことが出来ないのか?手を出そうとしないのか?
今でも青森とそれからこの前行きました山形に、二人は別々に暮らしております。

それほど朝鮮総連と言う組織が関わっていた。
特に責任副議長であるチョ・ソンマンはこのことを知らなかったことは無いと思います。
朝鮮総連と共産党が友好関係をまた再び復活させておりましたが、そこにやはり拉致と言う問題が大きくクローズアップされると、共産党の評判も落ちると。
共産党も中々手を出せなかった。
ですから議員秘書だった兵本さんを除籍したんです。
また先日萩原遼さんも除籍したそうですが。

萩原遼さん、今年の朝鮮総連の50周年記念パーティーの所で、北朝鮮人民の人権を守ると言うビラを配っていただけ。
共産党の悪口も言っておりませんし、共産党の批判もしていない。
そのビラを朝鮮総連のパーティーの出入り口で配っていたという事実を持って、共産党は萩原遼さんを除籍しているようです。
これは内部事情ですからハッキリ分かりませんけど、外部から見ているとそうとしか思えない。
そのような行為をしている。
だからよっぽど北朝鮮に何らかの借りが有るのか?
よっぽど北朝鮮と仲良くしたいのか?
よく分かりませんけども、共産党がどこを目指しているのか私は良く分かりません。

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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増元照明 家族会事務局長のお話 その2

で、まずそういう方たちが日本の中に大勢いらしゃって、だから拉致問題はず~っと疑惑のままで伏せられていた。
疑惑のままで国民の皆さんに知られることが無かった。
疑惑ず~っと疑惑で、報道も疑惑と言っておりましたし。
2000年米食糧支援のときに、私たちは2回座り込みをやっております。
私たちは2000年米食料支援の時に2回座り込みをやっております。
その時に、その当時の外務大臣である河野洋平さんに私は強く言いました。

「河野さんあなたはこの拉致と言う物が本当にあったことだと思っていますか?それともでっち上げだと思っていますか?」
と言ったら河野さんは
「もう間違いなく北朝鮮による拉致だと思っています」
と言ったんです。
「じゃあ外務省の大臣として外務大臣として、マスコミに間違いないと発表してください」と。
「今政府がハッキリ言わないから、この拉致問題が大きくならないし、国民の皆さんに行き渡ることが無いんです。
だから外務大臣として正式に発表してください。
すでに1988年国会の予算委員会の中でそれをやってるじゃないですか?
ハッキリしてください」
と言ったら、河野洋平さんは
「いやそれは警察の頭越しに外務省が勝手にするわけに行かないんですね」
と言うふうに言ってるんですね。
外務省のトップがそう言ってました。

警察庁に行って
「あなたたちはこれは拉致が本当だと思ってるんですか?どうですか?」
と聞いたら
「いや限りなく黒に近い灰色です」と。
「じゃあ発表してくださいよ、警察庁の権限として。
警察庁が自信を持って発表してください」
って言ったら
「いや今は調査中ですので、中々そのこれを表に出すと言うことは出来ない
んです」
というふうに言ってるんです。
両方ともやることが出来ない。
責任を持ってこの拉致を国民の皆さんに知らせることをしないでいる。
この国の一番の問題だと私は思っておりますが。

今現在も小泉総理は対話と圧力と言っています。
しかし北朝鮮政府は対話を拒否しています。
更に圧力はほとんどかけておりません。
更に拉致問題の解決の為に、誰が責任を持ってどうやって助けるのか?と言う所を話し合う部署を作らなければならないと思っているんですが、それが全く作られていない。
だから小泉が対話と圧力と言うと、外務省もそれに従わざるを得ないですから。

でも拉致問題を担当し、被害者を救出するためにはどうすればいいのか?と毎日毎日話し合って。
それこそ経済制裁をシュミレーションやって、どうすれば効果があるとか。
毎日韓国に対して拉致被害者を救出するために私たちは経済制裁をかけようと思うけれど、協力してくれるとか。
そういうことを常にやらなければならない部署がひとつも無い。
責任者が誰も決まっていないから、みんな他の人に責任があるんだろうと思って、自分が責任を持って拉致被害者を救出しようとしない。
するような部署が無いからできないと言うのが現状です。

ですからこの拉致認定もほとんどなされていない。
警察庁に全て一応任せているわけですが、でも20数年前の話です。
20数年前に失踪と言う形で処理されて、20数年後30年近く経って新しい目撃者、新しい証言、中々得る事はできない。
よっぽどの捜査体制を組まなければ得る事ができない。
その事実がありながら、拉致認定が積極的にやる部署をほとんど持たない。
何人の人たちが拉致されているのか、何人の人がいつからどこで拉致されたのか?
それさえも把握しないで、北朝鮮政府に突きつけられるか?
突きつけられるはずが無いんです。

日朝国交正常化交渉も途絶えておりますが、とにかく日朝協議は3回行っております。
その時に今調査会に出ている33人に関しても、ほとんどと言うか全くほとんどですね。
昨年の6月に藤田さんの写真が出て、更に加瀬テル子さんの写真が出たので、そのお二人は出す気になったんですけど。
日朝国交正常化の場面でもそうですし、実務者レベルの実務者協議でも日本政府がその人たちの安否を尋ねることはないんです。
一回もしていないんです。
古川了子さんに関してはただの一回もしていません。
これだけ安明進の証言があります。
間違いないだろうと思うのに一回もやられることは無いんです。

私は先日、どこかの集会で申し上げたんですけど、古川了子さんのお母さんとお姉さんたちが家族会を結成して2~3年後に家族会と共に一緒にやってたら、もしかしたら今回は向こうが認定してきたかもしれません。
それぐらいの重要な事案であるにも拘らず、日本政府は認定をしていないということで積極的にその名を出して北朝鮮での実務者レベルでの協議では言っていません。
これが何を意味するのか?
私たちは家族会を結成する時に、実名を出してそして報道もらうことを決定したんですが。
その実名を出すことによって、やはり北朝鮮政府に下手な動きをさせないためです。
更に実名でしか国民の関心を呼ぶことは出来ないと思ったからですね。
ですから実名を出して、私たちは活動してきたんですけども。

今日朝実務者協議の場でさえ名前が出ていないと言うことは、北朝鮮は日本は何人いつから拉致しているのか全く認識していないと言うことを彼らが思って。
そして名前の出ていない拉致被害者を隠蔽する可能性があるということです。
日本政府、何も私たちは知らない、捉えていないこの段階と言うようなスタンスであれば、北朝鮮は自分の国にいる拉致被害者を、名前の知られていない人は自分の思い通りに生死を握ることができると言う。
これが一番の問題なんです。

認定作業を進めていかなければ、あの政府間交渉の中で名前が出ない。
名前が出なければ北朝鮮はどうでも出来る。
ただ日本政府がこの人を確実な認定ではなくても、とにかく拉致の疑いが濃厚であると。
日本政府が認定しますと言えば、北朝鮮政府もその人に対し簡単に手を出すことは出来なくなる。
これが私たちの一番の危惧なんです。
ご家族にとって特にそうだと思います。
私たち認定家族、2002年の8月17日から認定されていますが、それまでは先ほど行ったように疑惑疑惑と言う中で。
自分たちも実際北朝鮮に拉致されたと言う物証を持ってるわけではなく。
ただ安明進氏の証言とか、いろいろな状況から、まず北朝鮮の拉致に間違いないだろうと思いながらそれでも心のどこかでもしかしたら違うのではないか?とそういう思いを持って運動しておりました。

日本政府があの時にしっかりと拉致認定しておいていてくれば、私たちはもっと助けてくださいと言うことを大きく声を出して動くことも出来たでしょうし。
もっと早くに拉致の問題を国民の問題として、解決の方向に持っていけたのではないか?と私は思っておりましたし。
それが政府が認定しなかったが為に、政府がハッキリと公表しなかったが為に、結局金正日が拉致を認めるまで、国民の皆さんには日本に拉致と言う問題があると言うことが大きく報道されると言うこともなくて、知らない方も大勢いらっしゃると言うことなんです。

特定失踪者問題と言う、特定失踪者と言う名前はある程度定着していまして、しかし何人程度いるのか?
ほとんど日本の皆さんには良く分かっていらっしゃらない方も多いと思います。
めぐみちゃんの報道には非常に時間を割いて報道はされております。
しかし他の拉致被害者のことに関しては知らない方が多々あるんではないでしょうか?
例えば私、よく間違われるんですけど、増元るみ子さんのお兄さんといつも紹介されております。
それほど私のるみ子がどういう人間であったのか?
更に市川修一さんがどういう家庭に生まれてどんな人だったのか、ほとんど知られていない。
それと同様に特定失踪者の方たちの名前すら知らない人が大勢いらっしゃると思うんです。
その人たちを埋もれさせてはいけない。
それが日本政府の責任だと私は思っているんです。
埋もれさせてしまったら、もうこれから拉致問題は終結にどんどん向かっていく時に、日本政府は名前が出ていない人たちをどんどん切り捨てていくでしょう。

先ほど言ったように日本政府は日朝国交正常化を最優先で考えている節があります。
拉致認定を増やすと言うことは、拉致問題を大きくすると言うことですので。
それは日朝関係を修復するためには良くないと考えている政府与党の中に、特に力を持っている実力者と言う方たちがそれを重ねております。
ですから彼らにとっては国民の10人や20人、100人位は今の北朝鮮利権それに名誉欲、それに匹敵するのかと思う方たちが、大勢いるんだと私は推測いたしております。
そんな方たちに私たちは何を言わなければならないのか?
国民は馬鹿ではないと言うことをハッキリと示していかなければならないと、私は思っています。

本当に国民の命、先ほど市長さんも仰っていましたが、市原市民の命を守るのが市長の務めである。
市民の幸せを守るのが市長の役目である。
国会議員は何をするのか?
国会議員は国を司る人たちです。
そして国民の生命と財産に対して大きな責任を持たなければならないはずです。
そのトップである小泉総理は、やはりその責任の一番重い方であるということを自覚して頂かなければならない。
昨日私たちの座り込みに対して、小泉総理がコメントを求められてコメントされているようです。
「ご家族も辛いだろうが経済制裁をして、今拉致が解決するような現状ではない」と。

じゃあ、いつが経済制裁を課す現状となるんでしょうか?
昨年の12月8日にめぐみちゃんの骨がめぐみちゃんの遺骨と称される物が、めぐみちゃんのものではないと言う時に大きな渦が日本国内に舞いました。
その時も総理は対話と圧力と仰りました。
更に他の調査結果、北朝鮮の出した調査結果を精査してみなければ何ともいえないと言う風に言って、回答を引き延ばしました。
12月24日に政府が調査結果が出て、北朝鮮に言った、先ほどの細田官房長官が言った「厳しい対応を取らざるを得ない」と言う、その事を明確にした時も対話と圧力が必要だと仰ってます。

私たちが1月に会って申し入れした時も常に対話と圧力と言うことがずっと続いております。
じゃあいつが経済制裁の発動をいう現状なのか?
私たちには全然見えてこない。
それが非常に不安でなりません。
私たちは今経済制裁を求めてそして座り込みをやっておりますけども。
なぜ経済制裁をしなければならないのか?

6者協議を上手くまとめようとしている中国・韓国・ロシアがいます。
北朝鮮の現体制を維持しながら、6者協議で合意を得ようとしています。
中国はホスト国ですから当然それをやろうとしておりまして。
しかし6者協議の場で拉致問題を扱うのは北朝鮮政府が嫌だと言うことで、中国・韓国がそれに対して消極的です。
アメリカは一応日本の支援をするような形で協力すると言っておりますが。
アメリカも現時点でとにかく一回は6者協議を開かなければならない。
一回開いてそこで何らかの成果が出なければ、安保理だと。
そこまでは考えているようですが。

今この現況で6者協議優先になっております。
そして6者協議の場では拉致問題を話し合う場ではないと言うことは、皆さんも何回か行われている6者協議の場で話し合われていないことは皆さんもご存知でしょうから、分かると思います。
でも、あの6者協議の中で日本が持つ役割と言うのは、他の国からとってはお金だけなんです。
先ほど北朝鮮は日本の参加を望まないと言っておりますが、望まなければ私たちがあの6者協議に参加する必要は無いんです。
あの6者協議では核問題しか話し合われないのは事実です。
そして下手に合意がなされれば、私たちはその合意に基づいて経済協力を課せられることになる。

これは11年前の1990年、米朝実務者協議で米朝間の間で交わされたジュネーブ協約。
この中で日本は参加していないにも関わらず、軽水炉の建設に10億ドルの資金を払わされることになっておりました。
拉致問題が全く解決していない状況の中でアメリカに言われ、そして合意したから韓国と日本に手伝いなさいと。
その命令を受けて日本は10億ドル支払わされることになってたんです。
4億ドルしか今の所出していませんけど。
それは軽水炉が破綻したから。

これを6者協議、自分たちが入っている6者協議でもし下手に合意がなされたら?
まあ合意はなされないと思いますけど、そしたらば日本は北朝鮮に対して経済協力をしなければならなくなる。
しかも北朝鮮を支えるのは、皆日本の金だと思っています。
中国は自分の国であの北朝鮮を支えようとは思っていません。
どちらかと言えば放っておきたい。
出来れば日本の金で持ち直してくれれば、そして共産主義の防波堤になってくれればと思っているでしょう。
韓国は今の経済事情ではあの国を抱えることは出来ません。
ですから日本の大量のお金、1兆2兆という大量のお金が流れてインフラがなされて、そして普通の国になってから統一したいと思っています。
ロシアは無関心ですから。

すなわち6者協議の中で他の全ての国が、日本の金を当てにして6者協議で核合意をしようとしているんです。
そこに日本が入らないよと言ったら、他の国があわてるんですよね。
だから、慌てるから日本の言うとおりじゃあ拉致問題も少し入れようかと言う。
そういう動きになって当然だと思うんですが。
それさえも今の日本政府はしようとしていない。
今6者協議優先で拉致問題を取り上げようとしていない。
実際本当に拉致被害者を救出する気があるのか?と。
私はその辺が非常に腹立たしい思いで言ってるんです。

ですから、とにかく日本は6者協議に埋もれることなく。
6者協議に埋没することなく拉致問題が、日本と北朝鮮の間には拉致問題と言うものがあり、被害者がいまだに幽閉されていると言う事実を世界中に突きつけて。
そして日本の意思を世界中に突きつける必要があるんです。
それをしなければ、6者協議の中に核問題の中に拉致被害者が埋没していってしまいます。
日本政府は一歩もひかないと言う、拉致被害者を救出するために一歩も引かずに絶対に経済協力は出来ない。
被害者が帰ってくるまでは経済協力は出来ないということを表明しておかなければなりません。
その意思の発動が経済制裁の発動です。
国会意思の表現が経済制裁の発動です。
それをもって日本の国家意思の、国民を守ると言う国会意思を示すことが、この拉致問題を埋もれさせない唯一の方法だと私たちは信じています。

経済制裁を発動すれば宣戦布告とみなすという北朝鮮は一時期言っておりましたけれども。
30年近く前に国家主権を侵して、日本の国民を日本の領土から連れて行った時点で、北朝鮮は宣戦布告を日本に対してしていると考えても結構であると私思っています。
普通の国家間でしたら、それでもうすでに戦争が始まります。
経済制裁はまだ武力制裁よりもまだましなんだと、そういう気持ちで北朝鮮に当たらないと全ての被害者を取り戻すことは出来ません。
ですから私たち家族の覚悟だけでなく、そこには国民の皆さんの覚悟もひとつずつ何らか必要なのかもしれません。
北朝鮮と言う国は、しかし戦争を仕掛けたら自分が負けると全て分かっていますので、そのような馬鹿なことはしないでしょう。

でも覚悟だけはしなければならない。
それはなぜかと言うと、自分たちの国を守るためには、自分たちの安全を守るためには、やはり自分たちは自由と平和を守るためにはどこかで強い覚悟を持っておかなければならないんだと言うことを。
それがこの国のあり方、この先中国に脅されて北朝鮮に脅されて、更にお金をどんどんどんどん吸い上げられる国になって陥ってしまうという。
私たちこの拉致問題を通じて、この国のあり方を本当にこれで良かったのか?と。
今のままで良いのか?と学んでおります。

私たち家族の独りよがりにならないように私たちは皆さんに訴えてはいるんですが。
一人一人の家族を取り戻すためには、やはり国民の皆さん一人一人が大きく変わっていって頂くしかないのかと思っています。
北朝鮮に対してひとつになって拉致被害者を返せと言う声を上げていくこと。
経済制裁、万景峰号の入港は絶対に許さないという声を上げて頂くこと。
日本の国が、ひとつにまとまれば大きな圧力になります。
ぜひ皆さんにもこのことをご理解して頂いて、この拉致問題全員救出の為に。
日本人ひとりの命もおろそかにしないために、全ての拉致被害者・特定失踪者を救出するために最後までご支援頂きたいと思います。
本日はありがとうございました。(大きな拍手)

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 その1

皆さん、こんにちは。
ただいまご紹介をいただきました、特定失踪者問題調査会の一応専務理事でございます。(笑い声)
この暑い中ですね、多数「古川了子さんを救う千葉集会」にお集まりいただいて心から感謝を申し上げます。

私どももこの古川さんの問題、ある意味で400何十人と言われる特定失踪者の問題の中でも、思いを代表するような形でですね。
この度訴訟と言う形でですね、取り組まさせて頂いております。
訴訟となりますとですね。
大変難しい問題を抱えますので、私ども弁護士の先生方、法律家の会と呼んでおりますけども。
30人の弁護士の先生方が、団結してこの古川了子さんの訴訟に当たると言うことでございます。
訴訟のことですから、その結果がどうなるか?
予断は許さないわけですけれども、大変重要な意味を持つ訴訟ですので、我々としてもですね。
ぜひ良い結果を生むように頑張っていきたいと言うふうに思っています。

最初に今日は大町ルートのお話をしながらですね、千葉県における特定失踪者の方々に触れさせて頂いて。
この拉致問題の拉致問題の全容解明のごくごく一部に当たると思いますけども、これを皆様にぜひご報告をさせて頂いて。
また皆様の方でお気づきのこととかありましたら、ぜひ情報としてお知らせいただければ幸いでございます。

冒頭千葉と言うことなんですけども。
皆様ご存知のことと思いますが、千葉県議会で千葉県警本部長の答弁というのはご存知でらっしゃいますでしょうか?
あれはいつだったか?私もちょっとハッキリしませんけど、千葉県議会でですね。
「千葉県における拉致問題はあるのか?」と言う議員さんの質問のときに、千葉県警本部長は「千葉においては拉致はありません」と言うふうに県議会の場で答弁をされました。

その後ですね私ども、その時はすでに古川了子さんの案件は明らかになっていたわけです。
しかしながら、千葉県警としては正式のコメントとしてですね。
千葉においては拉致は無いというふうに言明をされたわけです。
これ今どうなっているのか?私つぶさには知らないんですけど。
警察の方でもですね、この千葉には拉致は無かったと。
無いという見解をですね、ぜひ改めて頂きたいなと思っております。
少なくとも千葉において、拉致の容疑は濃厚であるという方の存在は認めていただいてですね。
やはり千葉県警挙げて、古川了子さんをはじめとする特定失踪者の問題に全力で取り組んで頂きたいと、思っております。

そうなんですけども、あまり警察ばかり責めているわけにはいかないんですね。
私どもが拉致問題を始めてからしばらくの間。
そして特定失踪者問題調査会と言うのを立ち上げてからしばらくの間、私も千葉には何度もお邪魔していろんな方と話をいたしました。
ところがお会いした方々皆さん異口同音に「千葉?千葉に拉致あるわけないよ」と。
「日本海側じゃないし、太平洋側だから拉致なんて無いよ」
いうのが警察の方々、他の政府機関の方々、そして普通の住民と言いますか市民の皆さん方も同じようなコメントが返って来ておりました。

それだけですね。
やはり太平洋側の、新潟と反対側の太平洋側の千葉県ですから、当初そういう認識を持たれていたと言うのはある意味では自然なことなのかな?と思っておりますが。
今に至ってそのような認識を持っていらっしゃる方、まさかいらっしゃらないというふうに私信じておりますけども。
信じるどころか私自身は、この千葉県と言うのはこの拉致問題を解明するに当たって、とっても重要な場所であると言うことを認識したわけであります。
このきっかけになったのがいわゆるカッコ書きの「大町ルート」と言う物であります。
このカッコ書きであるのは、まだまだ検証していかなければならない部分がたくさんありるので。
確証にまでは至っていないのですけど。
調べれば調べるほど大町ルートに怪しい存在と言いますかね。
拉致との関わりが大変強いルートだなと言うことを認識しつつあります。

で、もちろん、こうした拉致ルートと言うのは全国にいくつもあると思っております。
そこが具体的にどこなのか?と言うのが中々解明されていないのですけれど、少なくとも拉致された被害者と言うのを運ぶルートと言うのがあるんですね。
田口八重子さんは東京の池袋のど真ん中で、工作員によって誘き出されているんです。
仕事場から誘き出されてそして、まだまだ分からないんですけど、宮崎県の青島海岸まで連れて行かれてそこから工作船に乗せられて運ばれたと。
言うことのようなんです。
まだこれはハッキリ分かっていません。

とすると、当然東京から遠路はるばる2000キロくらい離れている宮崎の青島海岸までどうやって運んだのかな?と、言うことなんですね。
それだけの長い距離を運ぶとすると、そうとうご苦労が工作員にも発生していると思います。
車で運ぶとするなら何泊もしなきゃなりませんね、当時としては。
一人や二人じゃ絶対無理です。
工作員だって腹が減るからどこかで飯を食わなきゃいけないし、トイレ休憩しなきゃいけないし。
と言う所で普通のドライブをしているような物じゃないわけですから、当然そこで協力者と言う者が存在しなければ、それだけの距離を運べることは出来ないわけですね。
その協力者の存在なくしてこの拉致問題は無いと言う前提に立って、大町ルートと言うものをまた眺めて見ると、いろんなことが分かってきたと言うことでございます。

最初にちょっとこの大町ルートと言うものをですね、時間が許す限り詳しくお話したいと思いますけども。
お手元に大町ルートの地図がございますですかね?(大町ルートの地図はこちら)
ちょっと暗くて見辛いかと思いますけど。
これに基づいてご説明をさせて頂きたいと思います。
この絵はですね、私どもが作ったんじゃなくて、特定失踪者のご家族で高野美幸さんという方がですね。
一生懸命作ってくださったもので、大変重宝しているのですが。
これに基づいてお話をしていきたいと思っております。

この大町ルート、出発点が銚子周辺という事になります。
我々が知る限り、このきっかけになったのが実は加瀬テル子さんを調査している中でですね。
出て来た訳です。
私が初めて加瀬テル子さんの叔母さんにお会いしたときに、叔母さんの口から「当時この海上町で砂鉄を取っていました」と。
で、「その砂鉄の採集に日本人はもとより在日の人がたくさんいましたよ」と。
言う話から、これは一体どういうことなのかなぁ?というふうに強い関心を持ちまして。
今日も来られていますが、加瀬さんの従兄弟の仲條さんなどとも一緒になって色々調べていくうちに。
砂鉄のみならず当時はあの海上、海上町とか隣の旭市では水飴を作っていましたと。

それも日本人の人たちも作っていたけど、在日の人たちも作っていて、加瀬テル子さんの家もご実家も、そういった砂鉄だとか水飴にも関わっていて。
在日の人たちがよく加瀬さんの自宅の方にも良く来られていたということが、だんだんだんだん明らかになってきまして。
これいったいなんだろうな?ということでした。
そして水飴と砂鉄がどういうふうに使われるんだろうというふうに、考えました。
すると砂鉄と言うのは当然上質の金物ですね。
刃物ですとかね、そういった物に大変有効ですし、高品質の鉄が出来るわけですが。
それがですね、どうも新潟方面・富山方面に当時運ばれていたと。
それがどうも北朝鮮にも渡っていたようだ、ということでした。

それから水飴の方なんですけども、水飴も同じようにどうも新潟方面・富山方面に向けて運ばれていたようだと。
北朝鮮にも送られていたようだと言うことなんですが。
水飴と言うのはですね、朝鮮の焼酎がありますですよね?
韓国で言うと「ジンロ」が有名ですけど。
ああいった朝鮮の焼酎の味付けに水飴と言うのが使われているようですね。
水飴と砂鉄と言う物がこの銚子周辺で採られていて、千葉市を経由してどうも東京そして山梨・長野そして新潟方面・富山方面に運ばれていったと、言うことが判明してきました。

それで拉致とは結びつかなかったんですけど、これをヒントにですね。
大町ルートと言うものを何度も調べているうちに、類似した産品が明らかになりました。
それはテングサなんですね。
寒天の材料になるテングサです。
戦後ですけれども、当然水飴とか砂鉄とかも戦後の話なんですけども。
このテングサと言う物もですね。
この地図にもありますけども、大島とか新島・三宅島といったところでですね。
採取されていました。
このテングサを取っていた人たちが、当時在日の人たちだったわけですね。
在日の人たちがテングサを採って、それが横浜に運ばれてこの大町ルートを伝わっていって、これは北朝鮮ではなくて長野の名産になっていくわけです。

テングサというのはトコロテンの材料になっていくんですが、トコロテンの産地ってご存知でしょうか?実は長野なんです。
何で長野が、海の無い長野がトコロテンの産地なんだ?と大変興味を持ったところ、このルートを使ってですね。
戦前ですよ?
テングサが運ばれてきたということになるわけですね。
(筆者注: 寒天はテングサの煮汁を厳冬期の外気に晒し、いわゆるフリーズドライにして水分を抜いて作ります。寒天作りには冬の厳しい寒さが絶対に必要。長野は寒天の産地として有名な所です)

それから朝鮮総連との関係もこのルートで探してみた所、たくさんのことが分かってきました。
まず朝鮮総連直営のパチンコ店というのがこのルートに一杯存在します。
特に多いのがですね、実は山梨なんですけどね。
そういったところに、こういったルートに朝鮮総連が直営店というのがたくさんあるんですね。
全国で40~50あるんですけども、このルートになぜかたくさん有るということですね。
それからさっき増元さんの方からお話がありましたけど、山形の方には不思議と朝鮮総連の直営パチンコ店が多い所なんですが、これはちょっとあれですけども、そういったルートでありました。

それからいわゆる協力者と言いますが、土台人と言いますね。(後ろのホワイトボードに「土台人」と板書する)
まぁご存知の方いらっしゃいますと思いますが「トテイジン」といいますけども、日本語で土台人と言いまして、言葉の通り土台を作る人、と言う意味で。
日本に定着をして様々な活動をする人たちを称して、この土台人ということになります。
この土台人と呼ばれている人たちが、おそらくはこの拉致、最初に申し上げましたが拉致された被害者を運ぶ上で重要な役割を果たした人たちだろうと思っています。
その土台人だろうと思われる人たちがこのルート上にたくさんいるということです。
名前は分かっていますけども、ここでしゃべっちゃうと名誉毀損で訴えられちゃう可能性がありますので、それは避けるといたしましても。

日本の朝鮮問題でとっても重要な役割をというか、大きな事件に絡んだ土台人がこのルート上に存在しています。
一番有名なのが、朴・チョンヒ大統領が狙撃事件と言うのは皆さんご存知ですか?
奥さんが殺されましたですね。
こういった壇上にムン・セガンという男が近づいてきてバンバンと撃ったら朴・チョンヒ大統領に当たらなくて、奥さんに弾が当たって亡くなったと言う事件ですが。
そのムン・セガンという人物は日本で交番を襲ってですね。
交番のお巡りさんの拳銃を盗んで、それで韓国に渡ってそしてその事件を起こしているわけですけど。
このムン・セガンを日本で匿っていた人物がこのルート上に存在するということです。

それからもうひとつ行きますと、有名なシン・ガンスと言うのがいますね。
原敕晁さんの拉致の実行者ですね。
もちろん超有名人ですけど。
これのシン・ガンスを匿っていた人物もこのルート上に存在します。
と、言い出すとキリが無いんですけど、要するにこのルート上にこう言うふうにですね。
いろんな工作活動をするうえで重要な役割をする土台人がいる、ということです。

それからこれも固有名詞を申し上げるとちょっと難しいんですけど。
足立区にあるN病院。
N病院といえば、ご存知の方はあぁ、あそこだとなるわけですけど、このN病院と言う物が在日の大物が経営する病院なんですけど、ここが当然大町ルートに存在し。
尚且つですね。
このN病院の保養施設がこのルートからちょっと外れるんですけども、鴨川と○○(エミ?エミリ?ハッキリ聞き取れず)にあります。
当然ここが何らかの工作活動に使われたのじゃないか?と想像をしていたわけですけども。
これは後でお話しますけども、こういった施設がたくさんこのルートに存在します。

それからこのルートの重要性を示す一つの事件としてですね、有名な黄長燁書記さんていますよね?
北朝鮮から亡命した方ですけれども、今韓国にいますけど。
超大物の方ですけども。
この方がですね。
韓国に亡命する前に日本に立ち寄っておられるわけですね。
ルートと言うのはですね。
この逆コースです。
大阪空港から富山に抜けて、富山からからこのルートを使って長野に抜けて、そして甲府に寄って、そして東京の小平市。
私の住んでいるところですけど、そこに朝鮮大学校と言うのがございます。
朝鮮総連の経営する大学校ですね。
そこに立ち寄って東京方面に行って、そこから中国に渡って、そこで亡命をしたと言う経過になってますから。

この黄長燁さん、通った所はですね。
ただ通った所じゃなくて、拠点拠点に重要な人たちがいたわけです。
そこの重要な人たちと色々な話をしながら、何の話をしたか分かりませんけど。
話をしながら亡命ルートを辿って行ったという意味で、ルートと言うのはとても彼らにとって大事なルートなんだな?という事に気が付いたわけです。

そしてですね。
言い出せばキリが無いんですけども。
特に重要だなと思っているのは、旧日本軍の基地。
それから軍需工場との関係です。
どうもですね。
日本軍の基地があったところ、それから重要な軍需産業があったところから、そうした失踪なり何なりが有るなと感じたわけですね。

それを具体的に千葉で言うとですね。
香取航空隊基地になります。
旭市ですね。
加瀬さんの所の海上町のとなりの旭市に香取航空隊の基地の跡がありますね。
現在でも。
ここでそのとなりで加瀬さんの事件が起こったわけですけれども。
この香取航空隊基地は誰が作ったかと言うと、皆さん大先輩の方はご存知だとおもいますけども。
戦前のことですから、徴用と言う形でですね。
多くの在日の方がそこの基地を作るのに従事した。

その後戦争が終わってその在日の方がどうなったか?ということです。
戦争直前に朝鮮半島から徴用としてこの基地の建設に携わった方は戦後戻っています。
しかし戦争以前から日本にずっと長く日本に居住していた在日の人たちは、そのまま日本に残るわけですね。
そういった環境がじつは軍需産業の中にもあるわけです。
この中で一番重要な、たくさん有るんですけども、この軍需産業の一番重要なところは実は大町にございます。
長野県の大町ですね。
そこも今ある大きな工場があるんですけども、それは当然戦前に出来まして軍需産業として作られた所です。
そこに同じように在日の人たちがあそこで建設に携わり、そしてその戦争が終わったらその近くに住まわった、と言うことなんですが。
そこに先ほど申し上げましたような土台人と呼ばれる人たちが、そこに住んでいらっしゃると。
言うことでございます。

ですから拉致と言うものはですね。
闇雲に行われた物ではなくて、そういう歴史的な背景・歴史的な経過の中から、どうも土台人という人たちが点・点・点と存在をし、そこに北朝鮮からやってきた工作員ですね。
シン・ガンスのような工作員が、そこを転々としながら拉致・その他対日工作の拠点としていたであろうということですね。
その中で本国からですね。
拉致指令と言うものが来た時に、そういう周辺にある意味では物色すると。
対象をですね。
いうことになっていって実行されていく。
そういうことですから、どうも拉致と言うのはですね。
現れて来ている現象は点なんですけども、どうも点だけではなくって線があるようだというふうに今思って来ております。

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 その2

ちょっと大町ルートから外れますけれども、今ちょっと私の方で作業しているのは、いろんな拉致被害者・特定失踪者、1000番台リストとか写真が出て来た方々は点・点・点と存在するんですけど。
どうもこれは皆つながっているようだと、言うことで調べようと思っています。
今日は古川了子さんのお話ですから、古川了子さんを中心にちょっと書いてみたいと思います。
ちょっとクールビズで失礼したします。(上着を脱いで、後ろのホワイトボードに向かう)

まだ整理中なんであの上手くご説明できるかどうか分からないんですけど。
古川了子さんがここにいらっしゃいますが、古川了子さんの証言をした人が安明進ですね。
で、安明進はたくさん日本人を見ていると言っています。
北朝鮮でですね。
20人ぐらいは日本人を見たというふうに証言をしておりまして、そのうち判明している人がまだまだ少ないんですけどが、20人くらい日本人らしき人ですね。
その中でこの人は間違いないというふうに証言したのが古川了子さん。
そしてですね、藤田進さんです。
藤田進さんと言うのは大町ルートに存在する川口の方ですね。
写真が最初に出て来た方が、藤田進さんです。

そして実はこれに関わったKと言う人物がいます。
と言われているという人物ですけど、このKと言う人物は、実は今日も来られていますけど加瀬テル子さん、を北朝鮮で目撃したと言っています。
そして藤田進さんを自分が運んだと言っているわけです。
これは週刊新潮で出てますから、新しい情報ではないんですけど、Kと言う人物が藤田進さん。
この大町ルートをほぼ通って運んだと言っています。
このご存知の方もいると思いますけど、加瀬テル子さんは夫といわれている人がテレビでも明らかにされていますが。
この夫となる人物が非常にポイントとなる人物で、この人も拉致された日本人なんですけれども。
加瀬さんよりも年上で、日本の国立大学を理科系の国立大学を卒業した当時としてはエリートの人だったというふうになってますが。
この夫と言う人が、実は拉致された日本人を管理する部署の課長の役割を担っていたと言う人物です。
この人物はまだ分かりません。

そしてこの間の記者会見で出しましたけど、北海道の国井えり子さん。
網走から失踪した方で、記者会見をやってテレビでもご紹介していただいたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが。
この国井えり子さんと加瀬テル子さんと藤田進さんと古川了子さん。
それぞれ時期もバラバラ、場所もバラバラです。
でもこういうふうにつながって来ていることが実は明らかになりました。
この中の延長線上に千葉の特定失踪者の方々が存在するという事になります。

実は今日もこの会場にその特定失踪者のご家族がお越しになってますけれども、来週月曜日に記者会見して発表しますので、今日はご紹介はいたしませんけれども。
匿名でご紹介だけさせて頂きますが。
古川了子さんと同じ高校で、2歳年下なんですけど学年が、古川さんが早生まれなので学年は3つ違いますが、同じ千葉商業高校です。
2歳年下の方が女性がXさんとYさんと、そしてZさん。
この3人が古川了子さんの失踪の1年後千葉市内で失踪されています。

そして来週発表するのはこの3人のうちのお一人だけになります。
ご家族の今調整中なのでとりあえずこのXの方の発表だけに留めさせて頂きますが。
古川さんと同じ高校で古川さんと同じ年頃で古川さんと同じような場所で、3人一緒に居なくなってます。
Xさんは女性、Yさんは同級生で女性です。
ZさんはXさんの親戚筋に当たる方で男性です。
この3人が一緒に食事をして、Zさんが自分の車で2人を送っていって食事の所にまた後で戻ってくるよと言ったまんま、失踪です。
それでこのZさんの車はいまだに発見されていません。

実はですね、Kなる人物は曖昧なんですけど、まだまだ調べ切っていないんですけれども。
というかKなる人物の証言は、本当なのか嘘なのか記憶違いなのか分かっていませんけども。
調べようが無くって今は困ってるんですけども。
同じように千葉市内で2人の女性を藤田さんと同じように運んだと言う証言がありまして、どうも本当か嘘か分からないんですけど、なんらかの関係があるのかもしれません。
ただ、あまりにも古川了子さんと時期場所が一緒だし、高校が一緒だと言うことで我々としては重大な関心を持っているところです。

ご存知のことと思いますが、古川了子さんが拉致された周辺でAさんBさんという、今日もここにお越しですけれど、まぁ榎本さんが、榎本さんごめんなさい名前出しちゃって。
榎本さんなり、Bさんなりが当時とても非常に不思議な経験をされている。
その不思議な体験というのは拉致未遂ですね。
同じ千葉商業ですね。
3人千葉商業、ここも千葉商業。(ホワイトボードに書き込んだX・Y・ZとA・Bの文字を指し示す)
と言うことでどうも当時、千葉商業の周辺で何かがあったのではないか?と。
余りにも不思議な未遂事件、拉致事件、失踪事件。
とにかく同じような時期場所で起こっていると言うことは、これは我々としては非常に注目していきたいと思います。

それからこれが加瀬さんの周辺でですね。
実はたくさん失踪してますね。
公開されている方が、伊藤克(まさる)さんて方です。
お隣の旭市で農業を営んでいた伊藤克さんですけど、時期が全然ずれるんですけど、有名なメロン農家でした。
千葉県でもコンクールで金賞を取るくらい有名なメロン農家なんですけれども。
この方が仕事仲間と一緒に、東京へ出張に行って3人で行って3人で旭市まで戻ってきて。
じゃあねとタクシーに乗ったきり、家に帰ってこられていないと言う事件です。
タクシーの運転手は伊藤克さんの同級生の方でして、家の前まで送ったよと。
家の近くまで送ったと。
送って帰る姿を見たけどそれが最後だったと、言うふうに証言されているんですけど。
私もその現場に何度も行きましたけども、何があったんだろう?
一体何があったのか?という所でしたが。

実は調べますと、伊藤克さんと加瀬テル子さんの本家筋というか、あれは何ていうんですか?
親戚筋に辿っていきますと、お隣同士です。
ご本人同士がほぼ同い年なんですけれども。
同い年なんですけど面識があったかどうか?という所がひとつのポイントになるんですけど、現在の所この2人が昔々、面識があったかどうか?と言うのは明らかになってませんが。
ほぼ同い年ということですから、非常に注目しているところですね。

千葉ではたくさん他にも失踪があるんですけども、公開されている方では鵜沢幹雄さんと言う方ですね。
御宿(おんじゅく)。
御宿で失踪されていますけれども、とっても不思議な失踪で。
会社の忘年会で皆でわ~っと飲んでいて、酔いを醒まして行くよと言って仲居さんのサンダルをですね。
借りてふらふらふらふら海岸の方に歩いていったのが、同僚が見られた最後の姿なんですが。
この御宿の海岸で夜釣りをしていた方が、そのふらふらふらふら歩いている男性を見ましたと、言う証言をなさって頂いてまして。
その方が曰く、そのふらふら歩いてきた人物を介抱するような形で連れて行った男性がいます。
で、どこか遠くに一緒に歩いていきました、と言う証言があります。

それはとても重要なので、この介抱した人物は誰か?と言うことなんですけども。
いまだに現れていません。
これは一体誰だったんだろう?
つまり鵜沢さんは自殺とか事故ではないということですね。
その鵜沢さんの履いていたと言う女性物のサンダルが道路に落ちてましたので。
落ちてたと言うか転がっていたので、事故じゃないか?と言うことで終わってしまってるんですけども。
その目撃証言があるわけですし。
事故の形跡が全く無いという事件なんですね。
いったい鵜沢さんはどこへ行っちゃったんだろう?と。
それから鵜沢さんを介抱していた人物は誰なんだろう?と。
いまだに現れて来ていない事件ですね。

それからですね。
千葉で怪しい事件はですね。
これは千葉ならではと言う事なんですけど、印刷関係の方の失踪が多いということです。
これもマスコミでご紹介されているのでご存知の方もいらっしゃると思うんですが、千葉の西・東京の東地区に失踪の方が多発しているんですけども。
それがなぜか印刷関係の仕事に就かれていた方が多いということです。
千葉大と言うのはですね。
とても印刷業界の中では有名な大学なんだそうですってね。
で、千葉大の卒業の方も失踪されていますが。

それがですね、マスコミの方が一生懸命調べて頂いて、印刷関係の失踪者の方の経歴。
それからどういう分野に優れているか?を分析すると、だんだんだんだんレベルが上がってきているんです。
最初に失踪された方は職工さんという形ですね。
それで最後に失踪されている方は、千葉大を出てちゃんと理論的に印刷を勉強されてきた方だと。
で失踪がストップ。
後は印刷関係の人たちは、失踪は無いんです。
そのときその時期その場所でしか、印刷関係の方の失踪がないという不思議なことなんですが。

それと北朝鮮における偽札作りですよね。
偽札作りが作られていくプロセスと一致するということです。
偽札も最初は粗悪品って言うんですか?
今や本物のドルよりも、アメリカで刷られる本物のドルよりも精巧な、北朝鮮製の偽ドルが出回っているわけですね、アジアに。
スーパーKという本当にアメリカ人もびっくりと言うくらい、細かい本物のドルよりも細かい精巧な。
拡大するとですね、本物のドルの線はやはり滲んで来るんですって、拡大すると。
しかし北朝鮮製の偽ドルはそれがクッキリと入ってるとかですね。
やはり高度な技術を持っていることは間違いない。

じゃあいったい誰がそのドルを作るんだい?
という事になると、とてもとても北朝鮮の国内だけでそうした偽札を作る技術を入手するとは思えませんね。
と言うことは、これから先は推測な訳ですけども、こうした技術がやはり日本から持ち出されたのじゃあないか?と。
いうふうに思うわけです。
これがまだまだ推測の域を出ていないわけですけども。
もしかしたら?と言う状況でございます。

後10分しか無くなってしまいました。
もっとたくさんお話したいことが山ほどあるんですけども、というふうにですね。
千葉県の失踪と言うか拉致と言うものは、最初に申し上げましたように、千葉県警本部長が議会で答弁した状況とは全く違う可能性がある、ということです。
千葉と言うのはある意味で非常に重要なポイントの一つではなかったのか?というふうに思います。
現在千葉県内にお住まいの特定失踪者のご家族が、19人いらっしゃいます。
もちろん失踪当時から家を出て移られた方も含めて、ご家族が19人いらっしゃいます。
それから千葉県で失踪された方というのが15人いらっしゃいます。
ダブってる方もいらっしゃるし、ダブってない方もいらっしゃいますが。
それくらいの数になっておりまして、その特定失踪者の方々が全員拉致とは私どもも思っていません。
当然他の事件・事故と言ったようなことがありうると思っていますが。

我々の活動を始めて約2年半。
440名くらいの失踪者のご家族から届出を頂いておりまして。
そのうちですね。
日本で何らかの形で元気で暮らしていらっしゃる方、残念ながら自殺されていた方、残念ながらも死亡されていた方というのは分かった方は13名しかいらっしゃりません。
これだけ我々がマスコミの皆さんのご協力を頂きながら、テレビや新聞・雑誌等々で取り上げて頂いて。
ポスターなども広めて頂いているのにも関わらず、日本国内でそういう結論が出た方がわずか13人と言う現状ですから。
我々なりにもっと良く探せばということなんでしょうけども、本当に真相と言うものはまだまだ闇の中、と言う状況でございます。

それとですね、時間の関係でひとつだけ千葉の関係でご紹介しておきたいなと思うのは万景峰号ですね。
千葉県、千葉にいつも来ている万景峰号、ああごめんなさい新潟港、新潟港に来ている万景峰号ですね。
それともうひとつ忘れてはいけないのは普通の貨物船ですね。
これと千葉との関係なんですけども。
実は万景峰号は何度か更新されているわけですが、古い昭和50年代くらいの前の前の万景峰号が実はですね。
横浜にも入っています。
茨城の日立港にも入っています。

それと不思議なのはですね。
変な動きをするんです。
元山というですね、朝鮮半島のこの辺にありますね、元山。
それと日本の港に来る経過に変な動きがあるんです。
日本一周する旅があるんです。
元山を出ましてですね、横浜に寄ります。
横浜を行く時はまっすぐ九州を渡って来ないから、このあたりから四国がここで横浜に入ります。
そして青森に寄ります。
そして戻ります。(ホワイトボードの日本列島の略図を書いて線を示しながらの説明)
ちょっと分からないんですが、最初に横浜に来て青森に来て元山なのか?
ぐるっと回って横浜港なのか?ちょっとハッキリしないんですけど。
要するに日本一周の旅を万景峰号がやるときがたまにあります。

不思議なことはですね。
さっきの大町ルートとの関係なんですけども。
さっきの地図の大町ルートの最終地点ていうのがですね。
富山方面のですね、赤い線で日本海側へ出ているところ。
これが糸魚川市の所まで行ってるんですが。
この線は実は西に行きます。
西に行ってずっと、富山湾をず~っと西に行きましてここに「伏木(ふしき)」という。
あんまり聞いたことの無い地名でございますが。
富山湾の新湊の隣で貿易港がありますが、その西に伏木と言う小さな港があるんですけど。
でも国際港なんで、なぜか万景峰号がそこに何回も入ってるんです。

で、不思議、洒落じゃないんですけど、不思議なのはですね。
ここの伏木港で一杯失踪があるんです。
アベック事件がありますね?
富山のアベック未遂事件。
これが伏木港から車で10分も行けば現場になりますし、伏木港で失踪した人がまさに山田健治さんと言う人ですね。
1000番台リストに入っている方なんです。
拉致濃厚と言う方なんですけど。
そういう所に入っています。

本当に不思議なんです。
何で伏木みたいなところで万景が入るんだろう?
それからなんで日本一周するようなあえて航路を取るんだろう?
それから言い出すとキリが無いんですけど、なんでこんな所に泊まるの?というのがここに七尾と言うのがあります。
この伏木のちょっと先に七尾と言う、余り聞かない地名があるんですけど。
ここになぜか万景峰号が停泊した時もありますし、なぜかずっと海上に泊まっているというときもあるんです。
港に入るわけでないし、今ほど厳しくないわけですから、まぁいろんな事情があったんでしょうけど。
そういう状況があります。

それから北朝鮮の貨物船と言うのは、我々救う会がいつも新潟で万景帰れ~とか言ってますけど。
まずご存知の通り今でも貨物船は一杯入っているわけですね。
私も現場を見ましたけれど、いまだに堂々と入ってきています。
当然貨物船は千葉港にも入ってきてます。
安明進ですね、横田めぐみちゃんを目撃証言した。
安明進はいつも「貨物船に気をつけろ、貨物船に気をつけろ」とず~っと前から言ってます。
「貨物船じゃないんだからあれは」と。
「工作員が乗ってるんだから」と。
「あそこに小船が入っていて、モータボートみたいのがあって、それから上陸しているんだから、気をつけなさい」と。
言うことを何度も言ってますね。
それがやはりひとつの大きなポイントになろうかと思っています。

もう時間も無いんですけど、実は今でも工作船が入ってきているということは皆さんご存知かなと思います。
3年前には二つの事件がありましてですね。
ひとつは島根県で起こりました。
ダイバーと言うのが巨大なイルカと言うのをですね、見つけて大騒ぎになったと言う事件が3年前にあります。
で、ダイバーの人たちの話を直接お聞きしまして、巨大なイルカどころじゃないと。
イルカだったら、必ず水面に出て息をすると、そんなもんじゃないと。
20メートルくらいの大きな物体が水面下にいたと。
四角かったと。

そこに潜水艦のですね、こんなのありますね?(ホワイトボードに絵を描きながらの説明)
ここに翼みたいのがありますね?
こう言うものが出てて、ここにアンテナがあったと。
これは20メートルくらいの半潜水艇って言うんです。
要するに母船から降ろされてですね。
そこで半分潜りながら上陸すると言う船です。
これがだいたい長さが20メートルくらいあります。
どんなことをするかと言うと、工作員が上陸するためでありますし、それから工作員を回収するために使うわけです。
これが実は3年前に島根県で発見されているし。

この大町ルートの日本海側に出て行った糸魚川では、魚雷型の潜水艇が。
糸魚川の姫川と言うんですけどね。
姫川の河口に埋められているのが発見されています。
これは2000年になってからですね。
21世紀の話です。
そういう活動は現在でも続いていると言うことでございましてですね。

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話 その3

あまり物事を騒ぎ立てるつもりは無いんですけれども、やはり我々としてはさっきの増元さんの話じゃないですけども、こんなことで大丈夫なのだろうか?と。
あんまりにもちょっと平和はいいんですけれども、余りにこういう事に、こういうことを見逃しすぎていないだろうか?と。
平和は大切だけれども、それのみでやっていると、こういう拉致被害者と言うものが見捨てられてきたわけですし。
これはやはり毅然としてですね、対応していかなければならないし。
何よりも国民の皆様お一人お一人がですね。
本当にこんなことで良いのだろうか?と言う思いをですね、持っていただかなければいけないと思っています。

拉致問題の全容はほとんど解明されておりません。
我々もまだ一部しか分かっていません。
この拉致問題の解明の責任者は誰か?という事になると、当然政府のしかるべき機関という事になると思いますが。
いまだに拉致問題を専門に取り組んでくれる機関というものが存在しません。
警察は国内の調査はしますよと。
しかし一歩外に出たら、我々の手の及ぶ所ではございませんとおっしゃるし。
何よりも証拠が無いんだから、どうにもなりませんと。
拉致と言うのは証拠を残さない犯罪ですから、証拠が無ければ警察としてもどうしようもありませんということになってしまいます。
と言うことは見捨てると言うことと同じなんですね。

じゃぁ警察が出来ないんだったら、どこかがやってくれなければならないんですが。
警察以外にありません。
だから、しょうがないから我々貧乏所帯がコツコツやるという事になっちゃうんですけども。
こんなことで拉致問題の全容解明が、全員の救出と言うものが出来るのか?というふうに思っております。
小泉首相は来年9月任期が過ぎたら、引退するなんて仰ってます。
有終の美っていうものを飾るんだったらですね。
この拉致問題を全面解決まではいかないけれども、少なくとも政府認定の被害者の救出と、それから特定失踪者の方々の解明と救出に取り組むだけの、きちっとした責任のある機関と言うものを作っていただきたいなと。
それでこそ男・小泉純一郎で。
オペラなんぞに行ってる暇はないはずでございますね。

そんなことを常々考えていますが、ちょっと時間がオーバーして来ました。
先ほど話しましたけれども、加瀬テル子さんの従兄弟の仲條さんがお見えです。
ちょっとこの場を、私の方からお願いしましてですね。
ぜひ千葉県でも同様の拉致の疑いが濃いと言う、と言うか拉致被害者がいる。
加瀬さんの場合はモロですから、写真が出て来てますからね。
その救出の為に仲條さんの方から一言、お訴えの時間をいただければと思いますので、よろしくお願いします。
じゃあ仲條さん、お願いいたします。(拍手)

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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質疑応答-古川了子さん集会-(2005/6/26)

★質問者1
すみません、今仰った加瀬さんの7月3日の集会のお知らせ、ちょっと内容を教えてください。
場所とか時間とか。

※仲條富夫さん
すいませんです、申し遅れましたけども。
今ペーパーの方がありますので担当者の方から配らせて頂きます。
そうでなければ出たときにでもお手元の方に届くようにしたいと思います。
場所は千葉市民会館で、午後7時開場になりまして7時半からの講演ということでお話させて頂ければなぁと思います。

先ほどちょっと言い忘れましたけども、今こういう現状ですので、やはり何べんも何べんも言われてるんですけど。
定失踪者と拉致家族というのは温度差があるものですから、中々同じ壇上に立てないんですよ。
昨年の例の日朝の時でもですね。
増元さんは言わなかったと言ってたんですけど。
その時は加瀬テル子の件は一行だけ、いわゆる特定失踪者と。
言うことで片付けられてましたので、古川さん他の特定失踪者いたんですけども。
皆さん一件一件こういう形で説明した中では、私どもはプレハブの所にいて一段落、まぁ一緒くたですよね。
そういうような感じになってますので。

それではちょっと知り合いと言うか、そういう事に詳しい、内閣認証の方のNPO法人でアジア人権会議と言う。
これはぜひ人権の方で政府の方に圧力をかけて、特定失踪者一緒になって進んでまぁ政府認定。
まずそれが一番だと思いますので進んでいきたいということで。
今回古川さんの席にお邪魔して皆さんにお願いしたいということでございますので、ひとつよろしくお願いします。(拍手)

※真鍋貞樹氏
すみません、ちょっとお時間があるようですので、ちょっと私の方からですね。
古川さんの訴訟との関係、それと仲條さんの今の発言の中で重要な意味を持つのはですね。
拉致の認定基準です。
いったいどの基準でですね、政府は拉致被害者と認定するんだ?と。
言うことがこれから裁判で争われることになります。
で、弁護団としては、政府の拉致基準は曖昧であるから、曖昧な物を正してきちんとした拉致基準を示せ、というスタンスになっています。

というのはなぜか?というと、皆さんそうでなければ古川さんが拉致なのか拉致でないのか?ということが結論が出ないからだという論理なんですけども。
我々で心配しているのは、政府は拉致基準のハードルを高くしてくると思います。
要するに証拠がある人は拉致認定をしますよと、これ一言です。
どこにも証拠無いんですよ?
あるのは安明進の証言だけですよね?
古川さんの物ってのは。
しかし、横田めぐみさんの時はどうでしたか?
横田めぐみちゃんを私が見ました。
安明進がそう言ったところからスタートして、後からやればやるほどいろんな事が出てきて、政府は事実上の認定をしていったわけですね。
事実上の、という所がポイントです。
あまりにも拉致基準と言うものを我々が明確にせよと求めれば求めるほど、我々が苦しくなるということもあります。

それとまた別に、これは先日なんですけれども。
拉致基準を鮮明にすることで政府が如何に恣意的というか、要するにいい加減に使って判断しているかと言うことが明らかになる。
まやかしの拉致認定って呼んでるんですけども。
まやかしの拉致認定が明らかになればなるほど政府側は苦しくなるはずだと、いうふうに考えています。
なぜなら一番良い例が曽我ミヨシさんですね。
曽我ミヨシさんについて政府はなぜ拉致認定をしたのですか?と言う根拠は、合理的推測です。
要するに曽我ひとみさんが拉致されたんだから、一緒に居た曽我ミヨシさんも拉致されたと合理的に推測ができるから、ということです。
それで拉致認定しているわけです。

そうすると、加瀬テル子さんの場合はどうなるんですか?と。
北朝鮮から間違いなく出された本人の写真が、日本国内ではなくって北朝鮮から持ってこられた写真が明確に本人であるってことは間違いないにも拘らず、政府は認定しようとしていない。
いったいこれはなぜなんですか?と。
それを政府に突き詰めると、加瀬さんが日本から出たという記録が無いと。
当たり前じゃないか?と。(会場内薄笑いの声)
ね?そういうことを日々やっております、私たち。

だからなにも日本政府、目の敵にしているわけじゃないんですけど、なんでこの日本政府及び腰なのか?
何でこの問題避けて通ろうとするのか?
何で特定失踪者の方々を、本当に言葉は悪いですけど差別するのか?
分かりません。
それはやはり政治的な配慮っていうのがあるんだと思いますが。
やっぱりそれを崩していくのは何か?というと、やはり国民の皆さんの支持しかないのかな?と。
拉致被害者の方々はもとよりですね。
こういった特定失踪者の皆様も、政府はしっかりやれという声をですね。
挙げて頂くしかないのかな?と思っております(拍手)

★質問者2
具体的に何をすればよろしいのでしょうか?

※真鍋貞樹氏
え~~~、世論をどうやって作るのか?という事に尽きるんですが、これはまぁ本当に地道な活動しかないわけなんですけど。
こういった集会をですね、こんな大きな集会じゃなくても良いと思うんです。
10人20人お集まりのときの会合のついでに、ちょっと真鍋来てくれとかですね。
あるいは場合によってはご家族来て話してくれないか?と。
よく選挙のミニ集会というのがありますよね?
そういったものをどんどん広げて頂くっていうことが、世論作りの基本になるんじゃないかと思ってますので。
無理することなく、こういった大きな集会は個人ではなかなか出来ないですけど。
個人で出来る範疇のミニ集会みたいなものを、企画して頂くって事がある意味効果的なのかな?と思います。

今日はブルーリボン付けて頂いておりますけども、もしよろしければ私ども特定失踪者問題調査会で携帯ストラップを作っております。
ちょっとリボンはどうかな?と言うような形の方はですね、それをお勧めしますし。
贈答品にもちょっと利用して頂いて、これはね、拉致問題解決の為にこういったストラップを広めてるんだよ、という形のご協力などもして頂ければというふうに思います。
あとは、やっぱり増元さんがしょっちゅう言われることですが、国民の皆さんお一人お一人がどうやって声を出すか?
どうやって声を、政府なり政治なりに議員さんをはじめとして届けるか?ということなんですね。
手紙とかFAXとかEメールとかでも何でもいいんですけど、そういった形で活動していただければ政府のプレッシャーになるんじゃないかというふうに思います。
ひとりでも出来る拉致問題解決のための運動みたいなものを、お一人お一人でぜひ考えて頂ければ幸いです。

★質問者3
古川了子さんの行政訴訟についてですね。
もし差し障りのなければですね。
報道などでは分かりませんので、今どういう状況にあって今後どうなっていくのか?
もし差し支えなければお話してください。

※真鍋貞樹氏
第一回の公判と言うのは、これは形式的にですね。
お互いに見解を述べ合うということで終わります。
それから次の公判日程を決めるということで、もう30分くらいで終わってしまいました。
終わるものなんですね。
今、弁護士の先生方のやってる作業はですね。
政府が最初に見解を文書で出したわけです。
その文書は一言で言うと、この訴訟を棄却せよと。
要するに政府としてはこの認定うんぬんかんぬんを判断できないから、裁判そのものが成り立たないから棄却して欲しいという、釈明、あれはなんていいましたかね?
(会場の席より、竹下珠路さん「回答書」の声)
回答書と言うものを政府が出してくるんですね。
それに対して弁護団がそんなはずは無い、と言うことを文書でまた出すと。
それを求釈明、求めるに釈明と書くんですけど。
求釈明というものを第2回の公判前に出します。

そこで議論になっているのは先ほど申し上げました、認定基準というものは如何なる物か?という所について、政府に対する見解を求めると。
それ以外にもいろいろあるんですが、そういった作業をしております。
で、8月4日、東京地裁の606号法廷でやります。
で遠い所で恐縮なんですけども傍聴ご希望の方は、抽選になりますけどもお集まりいただければと思います。
これはですね30席ちょっとしか席が無いもんですが、せっかく来られても入れない可能性もあって申し訳ないですけれども。
裁判官に対する心象の良し悪しは傍聴者の数によると、実際上。
裁判官もこれだけ古川さんの訴訟に、こんなに多くの人の関心が集まるんだということが、ひとつの判断材料になるということですので。
30席しかない所に200人300人来られたら私たち頭を下げ続けるってことになるわけですけれども、最後により良い結果にするためにはですね。
ぜひそういったところでのご協力・ご支援もいただければ幸いです。(拍手)

★質問者4
私も千葉商の同窓なんですが、私の方がちょっと年上なんですが。
同窓生に対してですね。
なにか署名とか何とかの活動のお願いと言うのはしているんでしょうか?

※榎本さん
あの、榎本です。
48年卒業の同級生なんですが、今現在はですね。
署名活動というものに関しましては先ほど一番最初にご報告させて頂いたんですが、拉致認定を求める署名を行っておりまして。
それにつきましては3月22日にもう提出いたしましたということで、それ以降は署名についてのお願いはしておりません。
また後、救う会って言うんでしょうか。
そちらの方で経済制裁を求める署名等の協力依頼があれば、また改めてHP等を通じてお願いしようかとは考えております。

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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仲條富夫さん(加瀬テル子さんの従兄弟)のお話

本日はどうもありがとうございます。
この場を借りまして一言お願いを申し上げたいと思います。
実はこの7月3日の日に古川さんが最初に市民集会と言うことで集まりましたが、私も参加させてもらいましたけど。
そこで加瀬テル子の方のまぁ集会と言うことで、7月3日の午後7時からと言うことで集会を開きますのでぜひご参加いただければ幸いです。

それと先ほどここで言うと真鍋さんから叱られるかもしれませんけど。
増元さんも言ってたんですけども。
拉致被害者と言うのは、私ども古川さんもそうですけども、特定失踪者じゃないんですよ。
残念ながら。
ただ、そのために古川さんまず手始めに裁判を起こして、なんとかその政府認定を取りたいと。
いうのが切実な特定失踪者のその願い。
他の家族もそうですけど残念ながら今、個人個人で古川さんも大変だと思いますけども。

私どももそうですけど、今日お母さん見えてますけど。
加瀬テル子の父親も叔母も、もう歳とって正直な所そんなに先が無い身なんですよ。
その点では古川さんも私ども一緒なんで、ぜひなるべくなら何ていうのかな、待っているんじゃなくて。
もう少ない命を燃やしてますんで、皆さんのご協力無しにはこれ政府認定の方取れませんので。
ぜひご協力頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。(拍手)

話の花束ぴろんさんのテキストです。

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竹下珠路さん(古川了子さんの姉)のお話

改めましてこんにちは。
今日は暑い中お忙しい中、こんなにたくさんの皆様にお集まりいただきました。
本当にありがとうございます。
昨年、丁度一年前に、千葉市民会館で千葉集会というものを、高校の同期生の皆さん、そしてこの実行委員会の皆さんが立ち上げてくださいました。
それを考えまして、また今日なんですが。

実は私は昨日、国会を取り巻く座り込みの中に一日座っておりました。
その思いといたしましては家族としては、先ほど何をしたらいいですか?と言ってくださいましたが。
家族としても何をしたらいいのか分からないと言うのが、ここ拉致だと家族がハッキリ確認した2年半。
そしてその前からの32年間の思いなんです。

古川了子がいなくなってこの7月7日の七夕の日で丁度32年になります。
何をしたらいいのか?
当時私は、当時とても仲の良かった友達から、私は長男を産んですぐ後だったんですけども。
「竹下さん、自分の妹だったら何としてでも探し出すもんでしょ?」ということを。
励ましと叱責ともいわず受け止め、投げ掛けられて、苦しい思いをしたことがありました。
しかし、家族であっても親であっても何とかしようと思っても、出来ないことがたくさん有るんです。
(このあたり少し言葉を詰まらせながら語る)

でも出来る所から今出来る事から、動き出そうと思って。
こうして真鍋さんや弁護士の皆さんや救う会の中村さんや千葉商の会の皆さんや、みなさんにご支援をいただきながら。
ああしたらどうだろう?こうしてみようか?と言って、いただけることをではしてみましょうと、動き出す。
その一歩一歩が妹に近づくことなのかなぁ?と思ってそれを精一杯しているのが現実です。
昨年の千葉集会で皆様方に「古川了子を拉致被害者として認定してください」という、署名のお願いした所、たくさんの方々から励ましの署名とお手紙と色々な物をいただきました。
温かい心をたくさんいただきました。
見ず知らずの方々から、本当にあり難い事だなぁと思っております。
そして昨日5時の間にもつくづく思いましたことは、一人ずつの人間の力は小さくて本当に何をして良いのが分からないんですが。
皆さんと一緒にこうしたら良いかも知れないと言う思いを、思いを持って行動を起こしたときに、次第に風が強くなり。
そして政府を動かし、彼の国にいるであろう、私たちはいると信じております。
今も元気でいると信じております、了子の所に届くんだろうなと思っております。

母も一生懸命頑張って毎日暮らしてくれております。
私はその母と毎日ご飯を食べながら、皆さんの力が私たちに勇気を与えてくれるし、日本政府を動かしてくれるんだと信じております。
今後とも何をしていいのか分からない中でも、皆さんのお知恵をいただきながら、一生懸命家族としてまた日本人として多くの拉致被害者を救えるように。
裁判も含めて頑張っていこうと思いますので、どうぞ皆さま力を貸して下さい。
どうぞ声を上げ続けてください。
テレビで拉致の問題と言うニュースが流れた時に「ああもういいわと、進まないのね」と、パチンとスイッチを切ることの無い様に。
「どうなっているの?ちょっとは動いているの?」という、関心を持って見ていただきたいと思います。

今日もこの中に高校一年生の男の子さんが来てくださいました。
昨日も私は実は座り込みの現場でお目にかかった青年です。
こういう若い方たちが自分たちの国の問題だとして興味を持ってくださることが、とても私は力強さを感じますし。
若い人たちにこんなことが二度とあってはいけないんだと言うことを、もっともっと関心の無い若い方たちにも伝えて頂ければありがたいかな、と思っております。
今日はどうもありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
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横田早紀江さん、(6.24座り込み初日)

横田早紀江さん、(2005/6/24)座り込みにて

小泉総理大臣にお願いいたします。

私たちは大切な子供達を、何の罪もなく北朝鮮の工作員によって北朝鮮という国に拉致をされました。
そして30年近く子供達は親に合うこともなく、顔を見ることもなく、言葉を交わすこともなく、あちらの国で、助けを求めて待っています。

お帰りになった5人のご家族、本当に、お幸せに帰られた方は、本当に嬉しいことです。一日も早くたくさんの拉致被害者を日本の国に取り戻して、そして、私たちと同じような人間らしい人生を送らせてやりたいと、私たちは、朝も夜も昼も、毎日それを考え続けて動いております。

めぐみの骨だと言われて、偽の骨が向こうから出されて参りました。勝手に連れて行った子供を、勝手に向こうで育てて、向こうの思うように仕立て上げて、そして兄弟にも誰にも合わせることもなく、監視の中で暮らしている子供達。

そのような子供の骨を、『はい、これが貴方の子供の骨です』と。
返してきた骨が偽の骨であったという...
このような人間として許し難いことを、どうして小泉総理は怒らないのですか?

貴方のお子さまがこのような状態であっても、小泉総理はお怒りにならなで、片手を打ってお話しになるんでしょうか?父親であれば、本当に気が狂うほどの怒りを持って対処するのが本当ではありませんでしょうか?

私たちは国民の方々のご支援を得て、今、日本がこのような状態であってはならないと。
こんなに大事な問題が、そんなに何時までも長引いて、救出することが出来ないのか?
北朝鮮が「これは我が国がやったことである」と、はっきりと言ったこの状況の中ですぐにでも対処するべき事でありました。

それが、一部の方がお帰りになり、「そして又あとの者は死んだのだ」と、「もうこれで拉致問題は終わりなんだ」と、ほんとによくもこんな事が言えるものだと思えるほどのことを平然と言い放っている国に、国民全部が今は私たちと一緒に怒ってくださっています。

どんなにか怒らなければならないことであります。

小泉総理は、日本の中でトップにたっている方でいらっしゃいます。どうか、このようなことを、怒りをもって、日本の国の怒りとして、世界に表して頂きたいと思います。北朝鮮にも表して頂きたいと思います。

学生の頃のめぐみの写真を私は、こんな写真を、みたくありません。いつも裏返しにしておいております。こんな悲しい顔をした、こんなおどおどしためぐみを見たことがありませんでした。この写真が出てきたとき、ほんとに私は耐えられない想いでございました。どうしてこんな所にいるのかと思いました。「めぐみちゃん、こんな所にいたのね」と私は、写真をなでて泣きました。弟達も涙を流して、声をだして泣きました。

どんなに私たちが探しても、探しても、どこまで探し続けても見つからなかったこの子がこのような形で、北朝鮮おかれていたではありませんか。「それをしたこともない」「やったこともない」「拉致など、やったこともない」と言い続けていた国が、あのように歴然と、あの苦しみの中にいためぐみの写真を大事にとっておいて、そして今こうして親の目の前に、悲しみの中にたたきつけて来るという、このような残酷な事を、やっている国を許しておくことができません。

悪と闘うためには、本当に苦しみも伴いますけれども、せっかく、私たちがこのように声を挙げて、(不明)集まってきた者が、正しいことを(不明)まっすぐにしていくことが出来ものが、団結してこのことを解決していかなければならない。そのようなトップにたってくださるのが、小泉総理、貴方ではありませんでしょうか?

どうか、貴方が制裁を発動して頂ければ良いのです。

日本の国は今、戦争をするわけにはいきません。戦争は一番悪いことであります。無駄なことであります。

日本の国にできることは今、この制裁しかありません。

このことをはっきりと表して頂くことを小泉総理にお願い致します。
悲しみを共有して頂くために話し合いの場を持ってください。お願いをいたします。
そして私たち家族ともっと膝を交えて、目と目を合わせて、この悲しみを共有して頂くために、話し合いの場を持ってください。

お願いをいたします。
よろしくお願いします。

電脳補完録音声ファイルよりテキスト化

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2005年6月24日 (金)

砂川 昌順さんの蒼のはがき

先日、神奈川の集会で廊下でたまたま砂川先生の著書にサインを頂いている方がいて、私もお願いしてみました。
快く、著書:極秘指令~金賢姫拘束の真相にサインをして頂きました。

その折り、蒼のはがきをご紹介したところ、「私も一枚書きます」と仰ってくださいました。
先生から今日メールを頂きました。
ご本人のご許可を頂き、皆さんにもご紹介します。

◆~砂川昌順先生のメールより~◆
頂きました"蒼のはがき"を出しました。わたしの出したはがきも、あの写真に写っていた多くのはがきの1枚となることを嬉しく思います。

はがきのわたしの一言です。
◇~~~~◇~~~~◇~~~~◇~~~~◇
         
周辺国との協調行動がなければ、経済制裁効果には限界があります。商人は算盤勘定をします。歴史を作る志士は人心も読みます。外交は、国の心を語ることで築かれます。経済制裁のみならず、可能な制裁を実施することは、国の心を内外に示すことを意味します。そこに、国家の存在価値があります。現在、「圧力と対話」のどちらも 存在していません。あるのは「挨拶」です。圧力は、可能な制裁を実施することで、対話は、北朝鮮に乗り込むことで実現します。「圧力と対話」の両面を実現するに は、事実と真理を見誤らない目が必要です。志士たらんことを望みます。日本国の真価が問われています。志士が民の心を疎んじた時、国は見失われ国益は失われます。
◇~~~~◇~~~~◇~~~~◇~~~~◇


今、政府に欠けているものは「ただいま」の声を聞くまでは闘い続けるという拉致被害者家族の信念と同じ「強い意志」です。その意志の見えない日本政府の態度は正さなければなりません。
小泉総理の決断は、国民の声にかかっています。国内的には制裁世論を、国際的には人権世論を高められるよう、わたしも声をあげていきます。

------------------


先日、旧支援室に伺い、届いたはがきの写真を撮ってきました。
この山がもっともっと高くなり、政府に声が届きますように願って止みません。
どうか、みなさんの声も届けてください。


はがきキャンペーン

以下6月22日追記
座り込み情報
蒼のはがきについては蒼き星々topから、蒼のはがきキャンペーンをクリックしてください。

座り込み支援のためみなさんも官邸にはがきを!

主旨 :小泉総理に経済制裁を求める市民の声を国政に届ける
方法 :裏面蒼を基調としたはがきに拉致事件解決の想いを書くブルーリボンシール又は画像でもよい
   官製はがきでもよい。
コメント
例:すべての被害者を救い出すために経済制裁を発動してください。など拉致事件への貴方の想い

送り先
〒1008968
東京都千代田区永田町 161
内閣官房 
拉致被害者・拉致問題連絡・調整室気付
内閣総理大臣 小泉純一郎様

注意:住所氏名は明記
問い合わせ・はがき請求:mail@bluestars.org
メールを頂けばご希望枚数を郵送しています。

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座り込み初日速報


ノルベルトフォラツェンさん

元気そうな安明進さん


おうえんに駆けつけた安倍晋三さん 

西村眞悟さん


岡田民主党党首

森ゆう子参議院議員(新潟出身)


横田夫妻・斎藤さん、平野さん

増元さん、拓也さん、哲也さん


支援者


他にも平沼氏ほか多くの国会議員の姿も見えた。
あなた達が何をするかですよ!しっかりしてください。

民主党岡田党首には、『拉致が解決しない責任は民主党にもあるんですよ、しっかりしてください』と声をかけた。

ご家族、支援者を合わせて延べ人数で200~300程度でしょうか?
炎天下、次々と応援のメッセージ、ご家族の怒りの声が述べられました。
議事堂前、議員会館にそって、整然と行われました。歩道は狭く、警察の警備も相当数でていました。
コンクリートの照り返しもあってむせかえるような暑さでした。

追記:写真の転載はご自由にどうぞ。

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2005年6月20日 (月)

【情報と常識(コモンセンス)】

【情報と常識(コモンセンス)】 6月20日(月)

約20年前、東京勤務が始まった頃、朝の通勤電車内の異常なまでの静けさに違和感をおぼえた、満員の人混みなのに会話が聞こえない、無表情に吊革にぶら下がり黄泉の国へ向かう幽霊電車みたいに感じた(これと対照的なのが夜の電車の酔っぱらいのダミ声だが、どっちも“傍若無人”ってことは同じ)。先月一時帰国で眺めた通勤車内の情景、携帯を見つめいじってる者が増えたが基本的には変わらぬ、沈黙の混雑の中で背を丸め新聞、週刊誌、文庫本を黙って読んでいる者が目に付く。

会話交流に乏しい日本人だが活字やTVによる情報収集は好きだ。どの街の本屋も実に立派で様々な種類の膨大な本がギッシリと並びまるで図書館みたい、活字離れと言うが、まだまだたいしたもの。単身赴任で(海外駐在員に珍しく)ゴルフ嫌いの私はたまに時間がとれると日本で買い込だ本を読みふける。私の日本人同僚も暇な時間は良く活字(新聞・週刊誌・単行本・文庫本etc)を読んでいるし、毎日の昼休みにしおりを開けては文庫本の続きを読んでいる者もいる。その昔の学生街の食堂じゃ飯食いながらうつむいて膝上の漫画週刊誌読んでる学生が多かったな。敗戦後の進駐軍が「日本じゃ靴磨きが新聞を熱心に読む」と驚いたように、日本人の本好き・活字好きは特異なほうだろう。ある米人教師から「食事中にはもっと喋りなさい」と説教されたこともある、漫画を膝に置いて黙々と食べる日本学生に我慢ならない様子だった。

しかし溢れる情報に囲まれ常に情報を求める日本人が、情報に乏しい民族よりも常識に通じているとは限らぬ。今だ文盲のいるアンデス山岳民族やアマゾン流域の部族社会にも人付き合いのルール・常識はあるし、その常識・マナーは我々にもちゃんと通じる。ある欧米先進国の大学で、大人のつきあい・マナーを知らず留学先の研究室にこもりっぱなしで顰蹙を買っている日本人研究者を何人か見た。日本人の情報好きは、他人の視点を知識としてなぞり(宗教心に替わる?)精神的充足を求めているようにも思う。しかし情報は情報でしかない、情報を知識としてため込み常識(コモンセンス)と勘違いして虚の世界で満足してしまうなら危険だ。外地の本屋は「これ何屋だろ?」と思うくらい貧弱な本屋が多く人前で本を読む姿もあまり見掛けない。そして暇なときはよく人と喋っている。女の長電話は万国共通だが、男どうしでも何時間もず~っと喋ってられるし、生活の中の人付き合いも濃厚だ。

彼等は言いたいことを腹に溜めず生身の考えをキャッチボールする中で共通感覚(コモンセンス)が生まれ、その緊張関係の中でバランス感覚も育つ。私が業務上の交渉ごとで相手と揉めて難渋していたとき傍らで見ていたアングロサクソンから「面白い! エキサイティングだね、俺も加わろうか」と言われ、私は「好きでこんな苦労してんじゃないわい、こいつらDNAが根本的に違うな」と思ったものだ。しかし万事つつがなく安泰平穏を求める日本人が得る以上のものを、彼等は人間どうしの生の切磋琢磨の中で学んでいるように見える、それも幼い頃から。それは一方的メッセージをなぞるだけの活字媒体よりもポイントがずれないし、最終的にはそれがより効果的にコモンセンスを身につける方法とも言える。

宗教のない日本は組織や国家の帰属意識や抽象理念にその代役を求めがちだが、宗教と違い国家の教義は変わる。安易な思い込みは楽だが危険である。まず人間社会の基本常識(コモンセンス)を核としてしっかり身につけそれを情報(理論)で補強補正するのがいわば常道、これと逆にコモンセンスよりも情報(理論)が先行し、人でなしが人を語り始めると人が殺される、北朝鮮のように。今やさまざまな掲示板が百花繚乱であり、その仮想空間の中だけで張り切る者も多いが(私の妹がそうである、バカモン!)、同じ時間を生の体験・議論に向けた方がコモンセンスはずっと簡単に身につく。恋愛小説書くなら恋愛映画ビデオを1000本見るより3人の生身の女とのスッタモンダ経験の方が役に立つ。(そういや映画見て世界事情を理解したつもりの独裁者殺人鬼がいたな) ネットも本もしょせん単なる情報であり、情報・知識をいくら蓄えてもコモンセンスは生まれない。「若者よ、書を捨て街へ出よ」と言った寺山修二じゃないが、たまには少しPCの前を離れ街へ出て署名し集会に参加し座り込もう(私も帰国時に近くで集会がある場合は必ず参加する)、被害者たちの感覚(sense)を共有(common)する大切な機会だ。
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【自己の足元利益を守るためにも】

【自己の足元利益を守るためにも】 6月20日(月)

日本の組織腐敗の中枢は霞ヶ関にある。我々納税者から見れば、とりわけ日々の資金繰りに呻吟し社員の給与に身銭を削っている零細企業のオヤジからすれば、一列に並べて機関銃で撃ち殺したくなるような、ロクな仕事もせず役得手当をせしめる意地汚くいじましいフザケた血税の浪費が既得権・慣行として黙認され、当人達に罪悪感は全く無く、部外者が問題を指摘すると「俺達だって納税者だ!」「これも生活費に織り込み済みの必要な収入だ」という答えが政労協組合員からも返ってくる(恥を忍んで言えばかつてそこにいた当時の私もその慣行に無批判に従っていた)。組織体にはその組織と人間を守るための常識がある。ゼネコンの談合も当事者にとっては真面目で真剣な、実際に自分たちの生活のかかった常識、だれもがやってる必要悪、バレたのは運が悪いから、上の人間がコクミンノミナサマに頭を下げればよい、そこの労働者は「仕事が無くてもキヨク・タダシク、不正な談合するな」とは絶対に言わぬ、言っても思わぬ。拉致被害者を見殺してきた外務省には外務省職員に好都合な大切な彼等の常識がある。そしてそういうあまたの不正常識を暴き追及する正義のマスコミですら自らの常識の汚れにはゼネコン並に開き直り、弱者の味方が党是の政党が自分の組織に不都合な弱者の命は虫ケラ扱いすることを、拉致事件で我々は知った。だからダニのような総連にもダニ組織として守るべき常識があるのだろう。そして冒頭の零細企業のオヤジも可能な脱税の手だては試みているはずだ、当然。

古今東西人間が自分の身を守るのは動物としても当然だから組織・集団間の利害対立も当然生じ、自己利益のため相手を殴る場合もある、そして殴られた側に相手の事情を斟酌する義務はなく、殴った“敵”を糾弾し殴り返すか場合によっては殺して良いのが、衝突と和解の葛藤の歴史の中で(日本人以外の)人類が辿り着いたコモンセンスとしてのとりあえずのルールだ。なのに、今の日本はその常識の範囲が自己組織保全の姑息な利益確保の中だけで組織間のとりあえずのルールもない、ゆとりがない故にそういう状況に追い込まれているのだろうが、一歩引いてもう一つ上の共通のルール(コモンセンス)を確立しないといずれ個々の利益組織すら根本から崩壊してしまう、その危機を避けるために、大局的見地から英断大鉈をふるうのが・・・、オイコラ!、聞いてるか官邸と外務省。

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【沈黙の国民】

【沈黙の国民】  6月20日(月)

「『声なき声』に耳を傾ける」と語ったのは安倍晋三の爺さん、亡くなった今もA級戦犯のレッテルを貼られ貶され続けている気の毒な爺さんだが、元気だった当時はこの国の行く末を、「一億の国民をどうやって食わせるか」を、矜持を持って真剣に考えていた、だからアンポハンタイでない派は黙って後楽園球場に向かったのだろうが、今の小泉はロバの耳だからそうはいかぬ。

日本には確かにアラブ欧米のような露骨な自己主張の文化はない。私が入社後に受けたビジネス英語研修の中では語学教育とともにユダヤ系米人によるプレゼンテーションの技術指導もあった、そう、PEELSというやつ。ちょうどその頃、河野洋平がこのPEELSの教科書通りの仕草論旨構成でぎこちなく演説しているのをTVで見て、「あ、こいつ、最近習ったな」と思わず笑ってしまい、日本人は政治家でさえプレゼンが苦手なんだな(だからあの歳で改めて教わったんだろう)、同じ手法を10代に学校でしっかり学ぶ多くのアメリカ人が見たら実に滑稽だろうと考えた(今思えば河野洋平のレベルの低さを示したに過ぎぬ、日本人相手には日本流のやり方がある、角栄はその天才)。

日本じゃ“喜怒色に顕わさず”は大切な常識だが、最近の反日中国朝鮮人に限らずたいていの民族は喜怒、特に怒りは顕わしまくる、TVニュースカメラは毎日のように拳を挙げわめき泣き叫ぶ人々を映し出す。日本人でこういうのは、まず少ないし見る側も嫌う。サッカーの国際試合で日本選手はファールを受けても自己主張しないから損をするとの指摘があったが、サッカーの盛んな当地南米の連中と日々付き合う中で私も確かにそう感じる。しかし自己主張をしない日本人に意思がないのではもちろん無く、むしろ欧米以上に強固な哲学・行動美学・倫理感・正義感は綿々と培われており武士道・五輪書は欧米でも熱心に読まれている。口べたな我々もじっくりと丁寧に渡り合えば口先だけの連中に臆する必要はない、むしろ今問題なのは自己アピールの技術よりも、その前提の意思哲学がだんだん希薄になっていることではないか、口に出さないのは昔からだ、それより価値観、倫理観の喪失の方がはるかに重大だ、これまでの北朝鮮との“ねばり強い対話”の内容の無さがまさにそうだろ。日本の子供の頭からシラミを消した進駐軍のDDTのように、戦後民主主義の浸透の中で国民の底に暗黙の了解として潜在していた声なき声が消えていき、ふだん弱者の人権を叫ぶミーイズム蝉たちが中国問題・北朝鮮拉致事件の犠牲者の人権では一斉にぴたりと啼き止み、残るのは街宣ウヨクのガマガエルの声だけという、不気味な沈黙の春がきた。だったら、疲れ果て声も枯れかかった拉致被害者のために、我々が、拡声器になろうじゃないの。時と場合次第で雄弁は金、沈黙は鉛である。

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【歪な日本の人権運動の根源】

歪な日本の人権運動の根源】 6月20日(月)

三日間ほど当地の政府機関主催の講習会に出た。出席者は外資系の技術~財務関係者、最近の法改定に伴う投資環境・経済性評価見直し方法の講習。参加者は約50人で、狭い会場に机はなく椅子だけがギッシリと並んでいる。椅子の幅よりオトコの身体のほうがでかいから詰めて座ると隣のオトコと身体がくっついて気持ち悪い。私は早めに行って一つ空席を挟んで座ってたら遅れてきたペルー人オトコがその空席に割り込んでけっきょくギュウギュウになった。ペルー人はエレベーターや満員バスのギュウ詰めは嫌うクセに座席のギュウ詰めは平気みたいである。(ギュウ丼も食う)

で、講師がボードに書き出した数式を私が顔を上下させながらノートに書き写していたら、割り込んできた隣のオトコがこっちを覗き込んで私のノートからせっせと書き写しているではないか。おまけに私のメモを鉛筆で指して「この数字は1か7か」と聞いてきた(数字の1と7と9は日本と欧米で書き方が違うのでよくこんがらがる)。「・・・ったく図々しいし野郎だな」と思いながら教えてやったら、そのオトコは私の西語のスペルミスを教えてくれこっちが「ありがと」と礼を言うハメになった。

<上の文章で、オトコをオンナにすると主旨は全く逆になる。なお、アラブ圏ではひげ面のオトコどうしが手をつないで街の通りを歩いているのをよく見掛ける、決してホモではなく-イスラムで同性愛は重罪-そういう文化なのだが、あれも何だかなぁ。ロシア圏のほっぺにブチュ式の挨拶もいま思いだしても鳥肌が立つ。日本の文化でオトコが肌を触れあうのは相撲くらいで、張り手・突っ張りはそれをさかんに嫌がっている組み手なのである。>

(以上の話は前振り)で、講習会そのものは熱が入り、講師は話が巧く、受講者から活発な質問・意見が飛び交い居眠りする者はいない。それを三日間朝から晩までぶっとおし、休み時間は2時間に一回15分、ふだんノンビリ屋のラテン連中がよく気力体力が持つなと感心するくらいだった。私が通っていた頃の日本の大学教養部では出席や点数やカンニングに甘いいい加減な教授が「ホトケの○○」よ呼ばれいい加減な学生に人気があり、講義中の脱線話も好まれた。今回の講習会のような講師・受講者双方の真剣さは社会人講習だったからではない、学生も同じである、講師は講義という商品提供で収入を得て、受講者は自分の身銭を切った授業料分の元を取るべく貪欲に吸収し、その受講証明書を携えて会社に自分を売り込む、そういう教育現場の真剣・ドライさにおいてペルーは欧米型なのである、というより、学ぶ気のない学生を無気力教師が教えている日本の教育が極めて異常なのだ。

日本の大学教養部の存在、中でも無気力無意味な文系講座の発生は、戦後の学制改革における旧制高校教員の失業対策に端を発する。失業対策だからもともと研究教育へのモチベーションは低い。淀んだ水は腐る、そしてそこが“進歩的”社会主義思想の温床の場になり、不幸なことに人権問題もその場に収斂されていった。大学入試だけで全てが終わる日本の退廃教育を受けた学生と、ロクに論文も書かず社会運動に生きがいを見出した失業対策教授の負の相乗効果である。20数年前の授業料値上げ反対闘争のストの時、スト破りした(つまり真面目に受講し出席してきた)学生を叱り学問の自治独立を説教していたのは、まったくつまらない講義だが全員に単位を出すので人気のある法学教授だった。学問の独立、大学自治は、もともと市民の知的探求の場として政治とは独立して自然発生したヨーロッパの大学がその思想的根源だが、日本の大学はもともと明治政府がお上の命で国のために創った官製大学なのに根っこのない形だけの自治意識が甘えとして内在されたからタチが悪い、形骸化した正義感と甘ったれた選民思想。そういう異常な思想集団に日本の人権運動が絡め取られてしまったのは不幸な事態だった。彼等が大切なのは弱者よりも自分の依ってすがる思想立場であり、彼等が好むのは自分の思想に好都合な弱者、尻尾を振るポチであり、噛みつくポチは平気で薬殺対象になる、拉致被害者が典型的な例だろう。

私の父親は旧制中学中退、母は新制定時制高校卒、時代は敗戦直後、会社に就職した当初の彼等は当然のように赤色組合員だったそうだが、そのうち学卒エリート組合リーダー達の鼻持ちならない選民意識を嫌悪し組合活動から距離を置いたと聞いた、思想の先行したエリート共産党員は自分より低学歴の労働者たちを動物愛護対象の動物と同じような目で見ていたのだろう。小学卒の田中角栄を当初熱烈に支持したのは低学歴の社会的弱者たち、その角栄をつぶしたのも霞ヶ関の東大エリート官僚たちだった。

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【座り込みに向けて】

【座り込みに向けて】 6月20日(月)

隣国の凶悪な虐殺・独裁者によって略奪され殺されかけている家族・同胞を取り戻すために圧力を掛けるべき相手が自国政府だという現実を、我々は重く受け止めたい。

昭和20年8月15日、私の父は、広島陸軍病院の避難所で死んだ被爆者の遺体から剥がした軍用毛布を上官の命令で太田川の川辺に運び水に浸して、毛布こびりついた血膿を素足で踏んで洗っていた。玉音放送の知らせを聞いたとき無念さ・悔しさでその場に泣き伏したそうだが、その後占領軍支配が進むにつれて「もう古兵に殴られない、殺されることもないし、殺さなくていいんだ」と開放感を覚え、「自由にものが言える、民主主義、自由っていいもんだな」としみじみ感じたという。それから60年間、少なくとも制度上は定着したはずだった戦後民主主義の正体がしょせん与えられたまがい物だったことが、拉致事件とともに顕わになった。60年前、多くの人々が殺され日本の都市は物理的廃墟になった。その後60年間かけて、こんどは日本人社会の精神的廃墟化がゆっくりと、深く確実に進んできたのではないか。

座り込む拉致被害者家族の姿を見ても官邸は何とも思わないだろう、それで心が動くような人間の正義の血が流れているならとっくに動いている、彼等が気にするのは座り込みへの世論の反応である、ならば相手はそこを攻めてくる可能性がある、拉致被害者の無視黙殺と奪還運動のイメージダウン、日の丸・菊紋街宣車を応援派遣して「あれはああいう連中の政治運動だ」とレッテルを貼り世論を切り離すのは簡単で効果的だ、私が工作員ならそうする、注意したい。この座り込みはもはやオカミへの請願では無い、人間としての基本的生存権を我々が自分で確保するための反権力闘争だと認識した方が良い。

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北朝鮮の核問題~伊豆見 元 教授~

◆参議院拉致問題特別委員会における 静岡県立大学 国際関係学部教授 伊豆見 元さんの発言を、テキストにしました。拉致問題に直接影響のある、六カ国協議、核問題についての見通しをお話しになっています。参考に。

~~2005年6月10日 参議院拉致問題特別委員会にて~~

ありがとうございます。本日は当委員会にお招きいただきまして大変光栄に存じております。15分程度ということでお時間を頂戴しておりますが、私は昨今の六カ国協議を巡る動きを中心にして、北朝鮮の核問題について私が考えておりますことの一端をここで述べさせていただきたいと思います。

ご案内のように、六カ国協議=六者協議が再開するのではないかという期待が出ております。6月6日にいわゆるニューヨークチャンネルと呼ばれておりいます-アメリカと北朝鮮との間のいわば外交接触の場で北朝鮮側が六カ国協議へのコミットメントを表明した。しかし何時六カ国協議の場に戻るかは特に示唆するところは無かった。というのがアメリカ側の紹介でありますが。

少なくとも北朝鮮が六カ国協議へのプロセスについてのコミットメントを確認をいたしましたので、まぁ、再開も可能であるとの見通しもたくさん出てきているところだと思います。

しかし、私はこれを=北朝鮮の観点にたって考えるならば=という条件をつけてみますと、「やはり難しいだろう」と。「北朝鮮が六カ国協議の場に戻って来る事はきわめて、難しい」と思っております。

大きな理由として2つご指摘できると思います。
ご案内のように現在は関係各国、全てが、六カ国協議を通じて外向的に、平和的にこの北朝鮮の核問題を解決しようと。まぁ、アメリカブッシュ政権もそういう立場でありますし、したがって、簡単には今、六カ国協議の枠組みというのは崩れないような状況になっています。

そう言う中で(六カ国協議が)なかなか開けないままで、1年が過ぎようとしているわけではありますが、しかし開催できないと言うのは六カ国協議が崩壊するという話ではわけではない。

むしろ、六カ国協議が再開しないほうが、(しない方がというのは言い過ぎかもしれませんが)六カ国協議が再開されなくても、少なくとも当分の間-これが数ヶ月か、半年か、あるいは一年近くになるか、よくわかりませんが-当分の間は、六カ国協議枠組みは残ることになる。

これは私は、おそらく確実であろうと思いますし、北朝鮮の目から見ましても、六者に出て行かないほうが、実は、六者の枠組みは残るんだという考え方は非常に強くあるであろうと思います。

何故、六カ国協議が開かれなくてもその枠組みが残る、あるいは六カ国協議が完全に終わりにならないのかと言えばですね、まだまだ関係各国は、北朝鮮を六カ国協議の場に戻す、あるいは六カ国協議の場で外向的解決を図るための努力を尽くしていないと、まだまだやれることはあると、やるべきこともあるという立場にあるからだというふうに思っております。

従ってブッシュ政権も、仮に今回、北朝鮮がすぐ六カ国協議、第四ラウンド、第四回会合に出てこないと言うことがあっても、すぐさま国連の安全保障理事会にこの問題を付託することは私はないと思っております。

国連安全保障理事会に持って行く前に、中国にもっと役割を果たしてもらう。端的に言うならば、中国に影響力を行使せいと。圧力をかけよと。そう言う努力をアメリカは最優先させると思います。ま、最近では南北間の政府間の対話、協議というのも又、再開されましたので、中国に加えて韓国にもそういう努力、北朝鮮に圧力をかけ、北朝鮮の態度を変えさせるという、そう言う努力をしばらくしていくであろうと思います。

そういう努力が全て功を奏さなかった、万策尽きたという形になれば、そこで初めて国連の安全保障理事会に持っていくという話になるんであろうと。ま、これは今の段階で国連の安全保障理事会に持っていきましても、ただ話し合いが続くと言うことしか想定できない。国連の場で圧力を北朝鮮にかけていくような方向に持っていく、あるいは、最終的な経済制裁と言うような形に持っていくと言うことも、現時点では可能性はほとんど無いと断定できると思います。

ま、ともかく中国、韓国はそう言う方向にいくことに反対しておりますし、中国が反対している限り、国連の安全保障理事会でそのような話が進む事も考えられないということになります。

したがって北朝鮮の観点をもう一度申し上げますが、六者会談、六カ国協議というのは、今回出ないほうが逆にその枠組みはしばらく残るんだと言うことがあります。

一方、六カ国協議に参席した場合どうなるかと言うことでありますが、むしろ参席しますと、こんどは協議が完全に決裂して六カ国協議そのものに、終止符が打たれると言う可能性が相当程度あります。あるいはそのリスクがきわめて高いというふうに言えるであろうと思います。

これはもはや、「六カ国協議で結果を出す」ということについての、どうやって結果を出していくかという方法、あるいは課題等について、もうアメリカの考えている事と北朝鮮が考えている事に、もはや天と地の差があるほどの開きが出てきたということであります。

ご案内のように、アメリカはもちろん北朝鮮の核を完璧に、二度と後戻りしないように、しかも検証可能な形で廃絶する、廃棄、解体させると言うことに相当な重点を置いております。

そしてその為に、昨年、第3回目の会合、6月の第三ラウンドの六カ国協議の場で、アメリカは相当細かい、且つ具体的な、解体のための提案をだしました。これは本当にそれどおりに実行するんであれば、まず確実に北朝鮮の核プログラムというものは、廃棄・解体に持ち込めるだろうと思われる程度の、詳細且つ具体的なものであったようであります。と言いますのは、もちろん全文は公開されているわけではありませんので、我々はそれを手に取ってみるわけにはいきませんが、しかし相当、具体的で詳細なものであることは間違いないと。

ところが、それではもちろん北朝鮮はもちろん応じるわけがありませんので、いわゆる見返りの対応処置というこちら側もとっていくと。もそれに見合う対応処置-コレスポンデスメジャーズと我々呼んでおりますが-対応処置をとっていくことになります。見返りのレベルが北朝鮮にはどうしても納得がいかない。

アメリカの提案によりますと、一番最初の初期段階におきまして、北朝鮮が明確な核の廃絶ということにコミットメントをするその段階で、六カ国協議の他のメンバーは北朝鮮にある種のエネルギー支援(ま、重油支援になると思いますが)それを行うこということになりましたが、この時点では、アメリカはそこに参加しないということになっています。ですから、最初に北朝鮮が動き出す時にアメリカは一切参加しないという形になっている。

そして第二段階以降、実際の実行段階でありますが、(実行段階というのは、核の解体が進んでいく段階に入りますと)アメリカはそれに応じてある程度見返りに参加して、出していくということになりますが。これが非常にまだ茫漠としたものであるという事が一つ。二つ目にロードマップの形をとっておりません。すなわち北朝鮮が何かある行為に出る、すなわち核の解体のある具体的なステップを踏んだときに、アメリカから一体どんな見返りがあるのかというのは、組み合わせにはなっていないわけです。

ですからこういうのは、北朝鮮の目から見れば、一方的に自分たちの核解体が進んで、アメリカから何の見返りも得られないかもしれない。ヘタをすると、一方的に武装解除を迫られ、あっと気付いたときには、自分は丸裸になっているが、とても自分の安全も確保できなければ物も得られないという、そちらの方向に行く可能性があると言うことであります。

実は、過去一年北朝鮮はそれをいろんな形でアメリカに修正して欲しいと、すなわち第一段階で少しでもコミットして欲しい、あるいは第二段階で実行の課程=履行の過程になってきた場合には、そこに「ロードマップ」のような、かちっとした道筋を付けて欲しいという事をいろんな形で要求してきましたが、ず~っとはねのけられて参りました。

今のブッシュ政権、第一期目もそうでありますが第二期目も、もとよりそう言うものを聞き入れると言う形にはなっておりません。ですから、そういうのがアメリカの立場。北朝鮮の要求は全然聞いてもらえない。

一方北朝鮮はこの一年間もちろん核開発を継続して進めて参りましたし、尚かつ今後これを進めていく、拡大していこうと彼らはしております。

ご案内のように、2月10日に外務省声明がでました。これを一般によく「核保有宣言」という言い方をすることがありますが、私はこれはきわめて不適当な表現であると。保有ではなくて、核を継続して拡充していこうと、「核兵器を継続して拡充していきたいという宣言」を彼らは行ったわけでありますし、実際それに乗っ取った方向に今、動いております。


そうしますと、北朝鮮にしますと売値が高くなったと言うことであります。

昨年の6月と、一年たった現在の6月では全く状況が異なる。昨年、北朝鮮が解体・廃棄しなければならなかった核プログラムと、現在北朝鮮が、あるいは将来北朝鮮が、廃棄・解体しなければいけない核プログラムの中身は、全く違うものになりつつある。要するに、たくさん彼らは譲らなければいけないという話になります。要するに核開発どんどん進めたということはそう言うことであります。

そうしますと譲らなければいけないものが増えたわけです。(増えたというか自分で増やしたんですが)増やしたわけですから、見返りも当然それに見合うだけ、多くなければならないと言うことでございます。

昨年6月の段階でアメリカが、あるいは我々国際社会が対応処置として考えている見返りでは不足なわけでありますんで、すなわち北朝鮮は要求をつり上げたわけであります。

それがいわゆるいろいろ言われております、「軍縮会談にしたい」、「我々も核保有国だからそうやって認めてそれなりの扱いをせよ」、あるいは「対等の立場で交渉をせよ」とか言っているのは、すなわち自分たちの売値を上げたと、つり上げたと言う話でありますから、そうしますと、この二つがぶつかってもうまく行くであろうという見通しは、まずないわけであります。

従って、六者協議が再開される、これがぶつかる、「どうしようもないな」と、「六カ国協議と言う場ではとても北朝鮮の核開発を止められるかどうか解らないな」と言う雰囲気になる可能性が相当程度りますので、したがって六カ国協議はむしろここで、終止符が打たれる可能性がある。

しかし、真に皮肉な話でありますが、六カ国協議に北朝鮮が出てこないほうが六カ国協議は残るけれども、出てきたら最後は終わりになるかもしらんと言う話ですし、終わると、当然のことながら、国連安全保障理事会に行くかもしれないと言うことですから、北朝鮮はおそらくこの辺を計算しますと、私は今回(北朝鮮が)六カ国協議に応じてくる可能性は少ないと、ほとんどない。まずないというふうに思っております。

そうしますと結局は当面しばらくの間、ぐずぐずとした状況がおそらく続くのであろうと。六カ国協議が開かれないけども、国連の安保理に行くわけでもないという。ま、周辺で中国も韓国も一所懸命外交努力をしていると言う状況。一種の現状維持、ステータスフォーであります。現状維持がそのまま続くという、その公算は、少なくとも半年程度は一番それがあり得る。来年になるまでは、そう言う風になると思いますが。

その間も問題はご案内のように、北朝鮮の核開発は、粛々と続いていく。彼らの売値は更に更にに高くなっていく。すでに北朝鮮はこの2年間稼働してきました5メガワットの固形型の原子炉(実験炉の小さい物ではありますけれど)のこれの稼動をとめました。そこから使用済み燃料棒8000本以上引っこ抜いたということもはっきりさせました。それで、これを再処理にかけますと、更に、(さてどのくらい出来るかでありますが)最低2~3発分、15~6キロ、多ければ3~40キロぐらいの兵器級のプルトニウムを彼らは更に抽出できるという状況になっている。

その5メガワット関連については、そういう再処理もありますし、更に、これはもう相当近く直近にそうなると思いますが、彼らが更に新しい燃料棒を再装填しまして、また5メガワットを稼働させるということになります。2年ぐらい稼働させて、燃焼させると、又2年後に、全部8000本引っこ抜いてかなりの程度の兵器級プルトニウムが手に入る段階に進められるということになる。

ですから、5メガワットで進めている核開発がありますし、二つ目には建設途中で工期を中断しておりました50メガワット、更に200メガワットという、(電力の規模でいえばそれだけになりますが。プルトニウムをもしそこから抽出するのであれば、また量が飛躍する、拡大するという物)の建設も始めると、再開すると言うことを、今、非常に強く示唆しておりますが、おそらくこれは、現実のものになるであろうと思います。

ただ、50メガワットであっても最短で2年ぐらいかと。-北朝鮮、2年以内ぐらいに何とかしたいと言っているようでありますが-まぁ2年として、2年でできて、そこから原子炉を動かすと、更に2年ぐらいかけないと燃料棒を燃焼させられない。それからそれを引っこ抜いて、引き出してきて、再処理にかけて、プルトニウムを作る、また一年と言う話ですから、最短で5年ぐらいかかります。

5年かかるということは、すなわちブッシュ政権の間には、実は北朝鮮の核は増えないということですが、しかし、核の開発はどんどん進む。

さらにもう一つ3番目には秘密裡に彼らが進めております、ウラニウムのほうであります。ウランの濃縮プログラムによる核開発というものも、当然これも進んでいると考えるべきであろうということであります。

そうしますと、継続して現状維持を続けると言う意味では、まぁ、当面はこれで良いわけでありますが、少し先を見ますと、問題はより困難になりますし、危険度は更に増すということになります。

たとえば半年、あるいは一年、数年たってこの問題を外向的に解決しようと~そのチャンスがその時まで残っているかどうかわかりませんが~そうだとしますと、少なくとも、売値はものすごく高くなりますから、それを北朝鮮に放棄させる為のコストはものすごく高くなる。後になればなるほど、我々が支払わなければならない見返り=コストというものは相当高くなる。これは明らかでありますし、そのコストをうまくみんなで分担して調整できるかどうかも、余りよく解らないような話になります。

あるいは、交渉の取引が不備に終わる、外向的にうまく解決できなかった場合には、北朝鮮の核開発はどんどん進んで、最後は核ミサイルというものを手にした北朝鮮と、我々はどう共生するのかと。どう一緒に生きていくかという問題にどうしても、直面する。

その際どのように対応するのか。日本も核武装を行うべきなのか。あるいは、アメリカのエクステンデドリターランス=核の傘、あるいは拡大抑止というものでアメリカに守ってもらうのか?

そのアメリカの核の傘の有効性みたいな問題もさらに考えなくていけないとと思いますし、その際たとえば、『非核三原則というのでよろしいのか』と。持ち込ませないという三番目の原則をそのまま維持するのが、意味があるのかどうかというそういう問題にも我々は直面することになります。

あるいは北朝鮮の核開発がうんと進んだ段階で北朝鮮が不安定、混乱の状況に追い込まれた場合どうするのか?

こんどは、たくさん持っている北朝鮮の核が流出するかもしれません。拡散する。~拡散というのはもちろん、北朝鮮の核に対応するために別の国が核兵器開発に走るというのも拡散ですが~北朝鮮の大量の核兵器が外に流出していくというのもあります。

とりわけその心配は量が少なければその心配は相対的に小さいわけでありますが、量が多くなれば、流出というのは、北朝鮮が売り払うということも我々当然考えなくてはなりませんですし、それがアメリカの一番の懸念であることはご案内の通りでありますが、アルカイダのような国際的なテロ組織の手に渡った場合どうなるのかということも我々は考えなけれいけないと言うことであります。

したがって今、北朝鮮の核問題は、私は当面みんなで先送りをしようとしている状況にあると思いますし、実際先送りをするのだと私は予測しておりますが、果たしてそうゆう状況でいいのかと、大変強い疑問を持っております。

現在我々には危機感は明らかにあるでしょう。切迫感は全くないというふうに私は思っております。危機感に加えて切迫感を持ち、今すぐ、直ちに、この問題をできるだけ早く解決する為の対応を考える時期に来ているというふうに思っています。

時間を若干超過しましたけれど、ありがとうございました。

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2005年6月17日 (金)

横田 滋さん参議院で証言(2005/6/10)

 平成17年6月10日、横田滋・早紀江家族会代表夫妻が、参議院拉致特別委員会に参考人として招かれ証言した。以下は横田夫妻の冒頭発言である。

■横田夫妻が参議院で証言
 横田滋さん
 ただいまご紹介いただきました、昭和52年11月15日、新潟市で北朝鮮の工作員に拉致された横田めぐみの父、横田滋でございます。そして、現在は北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代表を務めております。

 金正日が、2002年9月17日、拉致を認め、謝罪してから既に2年9か月近くが経過しているのにもかかわらず、死亡されたと言われている人につきましては安否が確認されない状態が続いております。被害者家族の高齢化が進み、家族と再会できないまま亡くなられた方が多数おられ、被害者の所在を一日も早く確認すべきだと思っております。

 第三回日朝実務者協議でめぐみのものとして提供された遺骨は、帝京大学がDNA鑑定した結果、12月8日、別人のものということが判明いたしました。我々は、この鑑定結果を伺いまして非常に安堵をしたしました。北朝鮮側は、この遺骨は第三者の手を経ずに直接薮中団長に提供されたもので、本人のものに間違いないということで持ってきたわけなんですが、しかしこれが幸いにも別人のものだとの鑑定ができたからよかったものの、そうでなければ、「これはもう夫が持ってきたもので間違いないものだ。しかし、科学的には鑑定できなかったものである」。そして、同時に提供されました写真を示して、「こんな不安そうな顔をしている中学生をわが国が立派な大人に育てて、車も使えるような身分にもなったんだけれども、本人が体が弱くて入院して自殺したんだ。もうこれ以上のものを出せないから納得してほしい」というようなことが言われれば、私たちだけでなくて、政府としてもそれを反論する材料というのが全くなくて、結局それで納得されてしまう恐れもあったわけですが、しかし、別人のものと鑑定した結果、我々としましてはめぐみが生存している可能性が強いということを確信いたしました。国家間の交渉で、おそらく1200度で焼けばDNA鑑定はできないだろうと見越して別人の骨を持ち出すということは、もう我々親だけでなくて日本政府全体をばかにしたものだと思っております。

 この12月の8日に別人のものと分かった時に、我々家族会、救う会は経済制裁の発動をお願いしたいというような声明を発表いたしました。そして、翌9日に拉致議連の総会が開かれまして、その席でも経済制裁をするしかない、ということが決議されております。また、私はその翌日の10日の自民党の拉致対策委員会、それからまた同じ日に開かれました衆議院の拉致特別委員会にも傍聴に参りましたが、いずれも制裁をすべきだ、という意見が決議されております。

 しかし、小泉総理は、対話の窓口が閉ざされるということを理由に慎重な姿勢を崩しておりません。

 そして、この段階ではめぐみのものだけだったわけですが、しかし、その後持ち帰った資料の精査をして、24日の日に家族に対しても説明がありましたし、同日、細田官房長官が、「北朝鮮側が迅速かつ誠意ある対応をしない場合、日本政府として厳しい対応を取らざるをえない」という立場を、制裁の予告ともとれる談話を発表いたしました。それから、日本政府は北朝鮮側に対して抗議をし、そして鑑定の説明はいつでも説明をするというふうに言っておりますが、北朝鮮側はそれを拒否して、鑑定は捏造であるとか遺骨を返せとかって言うだけで、現在は全く電話をかけても出てこないというような状態だというふうに説明を受けております。

 もう6か月経ちましてもまだ何の説明もないということは、迅速かつ誠意ある対応、態度を取っているとはとても考えられません。それで4月に開かれました国民大集会でも制裁ということを決議しておりますし、家族会、救う会は、ちょうど官房長官談話から半年になります6月24日から26日まで3日間、官邸周辺で静かに座込みをするということを計画しています。

 それで、政府に対するお願いでございますが、やはり、もし北朝鮮側に何か異変が起きた場合、被害者がどこにいるかといった情報が必要になっておりますので、ぜひ情報収集に努めていだだければと思います。情報収集というのは人脈づくり等ですぐにはできないとおっしゃっていましたんですが、しかし小泉総理の訪朝からはもう2年以上も経っておりますし、やはり一日も早く収集していただきたいと思いますし、それと、現在も拉致の専門幹事会といって各省庁の局長クラスの方が集まって横の連絡をとっていただいていますが、しかし、それぞれが情報をもっているというようなことだと思いますし、それからそういった方は通常はそれぞれの省庁の仕事をなさっておりますので、拉致のことだけをやっているというところは、部署はございませんので、一日も早くこの専門幹事会を拉致の対策本部というような形で常時拉致問題について対応がとれるようなシステム
を作っていただければと思っております。

 一日も早い解決を家族は望んでおります。以上でございます。

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2005年6月13日 (月)

横田早紀江さんのことば(2005/6/10)

参議院拉致特別委員会 参考人として(平成17年6月10日)

私は、横田めぐみの母でございます。

めぐみが行方不明になって20年という長い間、ほんとうにめぐみの姿は消えたままで、どうしてめぐみがいなくなったのかと言うことが判らない、長い、長い苦悩の日々をすごして参りました。
そして考えたこともない「北朝鮮の工作員によって拉致をされて平壌にめぐみさんがいます」と言う情報がはいったのが20年たってからのことでした。

「どうしてこんなに長い間、このように大変なことがわからなかったんだろう」と、私たちはそれでも「めぐみが生きていたんだ」と言う喜びで、「すぐにでもあえる」という想いで大変喜びましたけれども、今日のようにもう、9年目になる救出活動の中でまだ、これから24日、座り込みというような~年老いた皆様が一生懸命に、遠いところからお出かけになって、3日間も座り込みをしなければならない~このような状況がどうしていつまでも続いていくのかということが不思議でなりません。

私たちは増元さんのお父様がおっしゃったことば「私は日本を信じる、だからお前も日本を信じろ」と増元輝明さんに病の中からおっしゃった、言葉が忘れられないのです。

これは、ほんとに国民全部が思わなければならない言葉だとだと思います。
 

そしてめぐみたちはまだ元気であちらにいるはずです。そして、あの国が如何に凶暴であり人の命をなんとも思っていないような国であるかということは、もう世界中がわかっています。ブッシュさんが「悪の枢軸」といわれるとおり、ほんとに人の命など何とも思っていない国に、たくさんの日本の何の罪もない若者たちが29年間も監視をされ、そして向こうの思ったように動かなければ、強制収容所なり、それこそ銃殺刑にされるかもしれないような状況の中で、一刻、一刻を、助けを待っているのです。

まだまだおぼれたままでいるのです。おぼれた人がいれば、私たちはすぐにでも手を差し伸べるのではないでしょうか?ほかのいろんな用事をまず於いて、大事な用事があっても、それを於いて、まず飛び込んで助けるのが人の心ではないでしょうか?

どうしてこんなに立派なお父様お母様がこの国にいらっしゃるのに、そして、外交官や政治家、首相、いろんな方がその役職の中にあって、ひとつひとつの大事なときにチャンスしっかりと捉えて外交をしてくださり、日朝実務者協議の時でもやはりそうすし、首脳会談の時でもやはり、小泉さんがお一人の人として、父親として言うべき事を言い、しっかりと「子供たちを返しなさい」と「許せない」とはっきりと言葉に出して、金正日に迫って、怒ってほしかったとわたしは思っています。

そして骨が返ってきたときも、このようなことがウソであったら、~自分の子供がとなりのおじさんに連れて行かれて、そのような形で表されたら、そのお父さんはどうするでしょうか?そのおうちの窓を蹴破り、ドアを蹴飛ばしてでも、そのお父さんに食って掛かって首筋を捕まえて、ものすごい勢いで怒るのが本当ではないでしょうか?

  命は同じです。  
見えるところにあっても、見えないところにあっても、
救いを求めているひとりの大切な命が、
今も、わめいて、叫んで助けを求めているのです。

 
お米を支援したとき、また、金正男がこちらに不法入国したとき。。。
また、私たちがジュネーブの強制失踪者調査会に伺ってお話をさせて頂いたとき、出された書面はたった一枚でありました。11行に簡単に書いてあるだけでした。北朝鮮からは何枚も日本を誹謗する書類が届いておりました。

このような大事なとき、ひとつひとつのチャンスを一人一人のそれにかかわっている方々が、本当に命がけで、「自分の子供だったら」という思いで、助けを求めているものを救わなければという思いで、必死に動いていただけば、こんなに長い間助けることが出来なかったと言うことは無かったと私は思っています。

私たちはほんとうに心身疲れ果てておりますけれども、子供たちが助けを求めている間は、どんなことがあっても、たおれることは出来ません。そして小泉さんにしっかりと怒っていただきたい。「経済制裁を発動いたします」と、はっきりと言って頂きたい。「日本の国民の総意での怒りを、私が負って怒っているんです」と北朝鮮に態度を示していただきたいと、私は思っています。

そのような毅然とした姿勢がなければ外国の諸国はなんと思うでしょうか?一人二人の命でも必死になるアメリカ、こんなにたくさんの人がまだ嘆いても動かない、真剣さを感じられない、そのような国(日本)を世界はどのように見るでしょうか?

私たちは、普通の主婦でしかありませんでしたけれど、このことを通して本当にめぐみたちのこの苦しみを通して、たくさんのことを学ばせていただくことができました。

必ずこの拉致問題がかわいそうなことだけで終わってしまったという事がないように今からでも遅くはないのです。一人ひとりが力を合わせて、心を込めて、日本のこと思って頑張れば必ず成功に導かれると私は信じています。

国際的なお力を借りながら、ひとつひとつのチャンスを、どんなときでも大事に扱って動いていただけることをお願いしたいと思います。

ありがとうございました 。

ビデオライブラリーから、参議院の拉致問題特別委員会 日付6月10日で検索してください。(金木犀)

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2005年6月11日 (土)

参議院拉致特資料(17.6.10)

参議院拉致特資料(17.6.10)
                特定失踪者問題調査会代表
                拓殖大学海外事情研究所教授
                           荒木和博
1、 拉致問題の全体像について

 拉致被害者の総数は、北朝鮮の体制が崩壊し、自由に国内での移動及び日本への出国ができるようにならない限り分からない。

 現在特定失踪者問題調査会にある特定失踪者(拉致の可能性のある失踪者)のリストは約440人である。この中に拉致被害者がどれだけいるのかは不明だが、身寄りのない人を拉致したケースが相当数あると思われ、また、拉致と思われるケースでも家族が名乗り出ていない場合もあるという。その場合は例外を除き調査会のリストにも、警察のリストにも載ることはない。

 いうまでもなく、日本政府が救出・保護する責任を負っているのはこれらの人々すべてである。しかし、現状では政府認定者以外は北朝鮮に問い合わせすらしておらず、しかも認定者は平成14年9月の小泉総理訪朝で曽我ひとみさん・ミヨシさん母子と石岡亨さん、松木薫さんを追加認定してから2年半たってやっと16人目の田中実さんを認定したに過ぎない。この状況が続けば拉致被害者はその大部分が北朝鮮でその生命を終えることになる。

2、 現在の拉致問題解決のシステムについて

 日本政府が現在行っている拉致問題への対応は、大筋で次のようなものである。

・警察による捜査→ ・内閣の認定→ ・外務省の交渉

 しかし、・について言えば、多くの事件が長い年月を経過しており、「法と証拠」が原則である警察の捜査では拉致であると確信を持てる事件は全体の一部に過ぎない(実際、曽我ひとみさんは北朝鮮が明らかにするまで警察は拉致でないと認識していた)

 ・は、現在の16人の大部分が報道機関の発表や工作員の逮捕によって明らかになったものであり、誰も知らなかったときに日本政府が明らかにしたケースはほぼゼロに等しいことからも、認定が恣意的であることは明らかである。現在特定失踪者の一人古川了子さん(昭和48年7月、千葉県市原市で失踪)のご家族が拉致認定を求めて行政訴訟を提訴しており、今月7日に第1回の口頭弁論が行われたが、国側の答弁書では事実関係の審理を避け、却下を求めている。これ自体認定が恣意的に行われていることの証拠である。

 上記古川訴訟において、国側の主張は「これまでも一所懸命やってきており、捜査して拉致と認められれば認定し対応している、したがって提訴の意味がない」というものである。しかし、未認定の拉致を疑われる国民で北朝鮮との交渉に持ち出された例はごくわずかであり、認定者と未認定者には明確な区別が行われている。しかも、政府認定者の中ですら帰国を果たしたのは5人に過ぎないのである。
多くの拉致被害者を北朝鮮に残したままで長い年月が経過し、しかも被害者の大部分についてはそれが誰であるかも明らかにできないというのは政府の不作為以外の何者でもない。曽我さんが拉致被害者であると分かっても、政府機関の誰一人として、24年間拉致と気づきすらしなかったことに謝罪もしなければ責任もとっていない。大部分の拉致被害者が帰国できない現状が続いても、誰一人として責任をとらないということは、この国には誰が拉致されたか調べることにも、拉致された国民を救出することにも責任を持っている人間が存在しないということである。「対話と圧力」とは言うが、少なくとも日本政府は正面からの圧力をかけていない。話し合いで拉致被害者を帰すような相手であれば、そもそも拉致などするはずがない。

 このような現状で「これまでもやってきた」というのであれば、日本政府は自らに国民を救う能力がないと明らかにし、無用な幻想を払拭すべきである。家族の多くは裏切られながらも政府を信じようとしてきたのだから。

3、 救出に向けて必要なこと

 ・警察による捜査→ ・内閣の認定→ ・外務省の交渉というシステムを機能させるためには認定の条件を大幅に緩和し、北朝鮮との交渉にあたっては経済制裁、特に船舶の入港禁止を実行することや、日本国内における北朝鮮関連の不法行為を徹底的にとりしまることが必要不可欠である。

 特に、捜査権を持つ警察は県警間の壁などの内部的問題もさることながら、法的な不備と世論の冷淡さなど、長期にわたって両手を縛られ、孤立無援に近い状態で活動を続けている。身を粉にして現場で闘っている担当者の労苦が実るように、政府機関、立法府のみならず、各方面のバックアップが必要である。

 しかしそれでも前期システムだけでは拉致の完全解決は不可能である。別のシステムを機能させなければならない。日本には公安調査庁、海上保安庁、内閣調査室、そして自衛隊など、情報機関としての機能を持つ政府機関がいくつも存在し、それぞれの要員は使命感に燃えて日夜活動を続けている。私たちはそれぞれの機関の担当者とも連携をとりながら活動をしているが、これらの機関の情報がある程度のレベルでも共有されれば現状でもかなりの成果が期待できる。それを早急に実現するとともに、中長期的にはCIAのような専門の情報機関を警察と別に設立し、外国からの諜報活動に対処すべきである。

 また、今後、北朝鮮の体制崩壊などに備え、直接救出の準備も進めるべきである。前述のように誰も気づいていない拉致被害者が相当数存在するのであり、これを救出するのは現地に入って行う以外にはない。それができるのは自衛隊のみであり、憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」から考えても躊躇は許されないと考える。

4、 終わりに

 政府は拉致を個別の事件として、可能な限り矮小化しようとしている。しかし、拉致は北朝鮮政府の対南赤化統一という建国以来の方針に基づく戦争行為である。覚悟をもってあたらなければこれから先にも拉致をはじめとする主権侵害行為は行われる。その犠牲になるのは今この国で暮らしている普通の国民である。拉致問題の解決は、私たち自身の安全を守るためのものであることを認識していただきたいと考える次第である

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草の根の支援

10日、4.24に知り合った一人の女性から電話を頂きました。以前ご紹介した、蒼のはがきを100枚お知り合いに配ってくださった方です。

昨日の「田中実さんを救うぞ東京集会」にも参加なさったそうで、会場でお会いできなかったことが残念です。バスのルートが判らなくて、案内のはがきを頼りに地下鉄を乗り継いで参加なさったとのこと、少し迷われたようです。

「最近は長い時間椅子に座っているのが辛いのです」と仰るこの方は、9日も途中で腰の痛みを感じて退席なさったそうです。それでも帰りに余っている資料を受付で貰って帰り、「今日、署名を頂いたお近くの方達にそれを配りました。余って役に立たないのではもったいないと思って。」と仰っていました。

「24日もね、敷物と雨合羽を用意して行きますよ。黙ってみていられないんです。」と仰っていました。

拉致事件の被害者ご家族を思いやる温かい、そして強い意思を感じ取ることが出来ました。ご高齢でもあり、普段はNETもみず、お一人で行動をされている方です。支援の輪の外にいる方に悲しい言葉をかけられることもあるということ。それでも、一生懸命、痛い腰を我慢して活動なさっている様子に感銘を受けました。現実はNETより厳しいことでしょう。

9日は私のために印刷に使うようにとご自宅にあった用紙をお持ちになったそうです。それを持ち帰らせてしまったことが残念です。紙は、案外重い荷物になりますものね。

お電話でお話しをお聞きするだけでも、励まされ、互いの気持ちが伝わります。「梅雨時は、腰も痛むでしょう?お大事になさってください」と申し上げると、「貴方も無理しないように」と気遣ってくださいました。静かで、優しさが滲み出る話し方でした。

是非こういう方がいることをご家族にも知って頂きたいと思います。何よりの励ましになるのではと思います。増元さんご覧になっていたら、是非みなさんにお知らせくださいね。

NETで声を挙げることも大切。でも、この方は本当の草の根の支援をなさっています。心からの尊敬を送ります。

淡々と、静かな中にも強い意志を持って支援をなさっているこの方のことをどうしてもご紹介したくて、書かせて頂きました。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2005年6月10日 (金)

座り込み情報

田中実さんを救うぞ東京集会での案内(2005/6/9)

時間帯は、次のとおり(確認をお願いします)
6/24 10:0015:00
6/25 13:0017:00
6/26 13:0017:00

場所:官邸近く。地下鉄国会議事堂駅・永田町駅すぐ

25日、26日は両日とも終了後、18:00~集会 於 星陵会館です。
案内のしたかとしては
-------------------------
集会届けはだしていない。「来てください」とは言えないが、自由意思で応援することは誰もこばめない。想いを共にして欲しい。
-------------------------

という言い方でした。伝えようとしている意味をよく理解してください。

尚、集会の模様については、おってぴろんさんがテキスト化してくださる予定。
一部のみお手伝いします。

<font color=blue>―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。</font>
<A HREF="http://blog.with2.net/link.php?222328"><img src="http://blue-jewel-7.cocolog-nifty.com/gazou/a319b0d0efa6d04ee7b3559243142858.png"BORDER=0></a>

 

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2005年6月 9日 (木)

田中実さんに関する資料

・・・配布された資料を全文転載・・・

「田中実さんについて」      救う会・兵庫 長瀬猛

1.田中実さんに関する基礎資料
 田中実さんのプロフィール
昭和24年(1949)7月28日生まれ、本籍神戸市東灘区。
幼いときに両親が離婚、神戸市内の養護施設で育つ。神戸市立高羽小学校、鷹匠中学校、神戸工業高校を卒業の後、市内のパン製造会社に就職するが退職、失踪直前は阪神「青木」駅近くの中華料理店「来大」の店員だった。

 拉致の暴露 張龍雲氏の告白
平成8年(1996)12月発刊、平成9年1月号の「文藝春秋」に、神戸在住の在日、張龍雲(チャン・ヨンウン)氏が、自らが北朝鮮工作機関「洛東江」のメンバーであったことを告白して、同組織の韓竜大(ハン・ヨンデ)と曹廷楽(チョ・ジョンガリ)が共謀の上、昭和56年(1981)年6月6日、田中さんをウィーンに連れ出し、モスクワを経由して平壌へ拉致した事実を暴露した。韓は彼が勤めていた「来大」の経営者だった。
平成11年(1999)には、「洛東江」の謀略を詳述した張氏の著書「朝鮮総連工作員(黒い蛇の遺言状)」が小学館文庫より出版された。張氏は平成13年(2001)持病の悪化意により他界された。

 行政の認識
平成8年(1996)12月12日、兵庫県議会警察常任委員会にて大前繁雄県議(現衆議)が、同月発刊の文藝春秋を取り上げ、「警察は何か情報を得ておられるのか、得ておられるならお示し頂きたい」と糾した。
大橋警備部長(当時)は、「調査の結果、神戸市内に居住していた同姓同名の人物が、昭和53年に成田から出国した後、現在まで所在不明となっている事が判明している。この人物が記事に言う当該田中実氏と同一であるという可能性は否定できないと考えている。県警としては、当該人物の行方については、拉致された可能性も含めて慎重に調査しているところである。」と答えた。

2.救出活動の経緯
 張龍雲氏との出会い
平成12年(2000)年秋、神戸市内において、ある団体の設立記念式典が開催され、記念講演の講師として張龍雲氏が登壇された。私たちにも理解を示してくれていたこの主催団体は、同年3月に家族会と救う会が実施した「50万トン米支援反対抗議行動」所謂「座り込み」に関する報告の場を提供してくれた。
張氏とはこの催しの楽屋で初対面の挨拶を交わした。すでに持病の糖尿病がかなり進行していると語り、もっと早く皆さんに会っておけば良かったといって手を握って頂いた。車椅子から降りる時も奥様の介添えを必要とする程、その病状は相当なものだった。いつでも分からないことがあれば尋ねなさいと言って指し出された名刺を受け取ったが、この半年後、張氏は帰らぬ人となった。
この日の講演内容は、前年出版の「朝鮮総連工作員」に関する内容であり、特に田中実さんのくだりについて詳しく言及されていた。
これ以降、県下で実施する街頭署名活動においては、有本恵子さんと一緒に田中実さんの名も連呼するように努めた。しかし、田中実さんに関する世論の関心は極めて低く、また張氏の告白を補完するような新たな証言や証拠も得られずに、時の経過を許す日々がつづいた。
・田中実さんの写真公開
平成14年(2002)は、3月には八尾めぐみ氏が有本さん拉致を証言、9月には小泉首相が電撃訪朝、何ともドラスティックに変動した感があるが、その影で田中実さんに関して重大な事実が発見された。
田中さんと同い年の岡田和典氏が同じ学区(中学校)だったことが判明、彼は中学校から私学に進学したが、多くの同窓生は田中さんと同じ鷹匠中学校へ入学しており、ここで田中さんと同窓になったのである。「灯台下暗し」とはまさにこの事である。
岡田氏が早速同窓生に呼びかけたところ、あどけなさの残る中学時代の田中さんの写真がもたらされた。これが声明と共に公開された1号写真だった。
9月16日の「総理訪朝緊急国民大集会」開催直前、日比谷公会堂の楽屋で開催された幹事会は、異様なまでの緊張感につつまれていた。訪朝直前に家族との面会を拒む小泉総理に語気を荒げる人々も少なくなかった。その最中1号写真の掲載されたチラシは披露された。
しかし、事態はこれで終わらなかった。小泉総理が機上の人となり、私たちも帰路に着いた同日、また新たな証拠がもたらされたのである。
何と高校時代の卒業アルバムがもたらされたのである。そこには1号写真からは窺い知ることのできない、生き生きとした男子としての田中さんが収められており、その豊かな表情は私たちの認識を一変させた。「田中さんは生きている!」
帰国した小泉首相が「5人生存10名死亡」と家族に告げたその夜、私たちは憤りに打ち震えながらも「このままでは田中さんは見捨てられる」と異口同音に思った。
9月22日、緊急報告会として有本さんにご登壇いただいた後、この2号写真(数種類)をマスコミに公開した。この2号写真は衝撃をもって受け入れられたらしく、各紙に田中さんが大きく取り上げられた。さらに情報は寄せられ続けたのである。

 恩師渡辺友夫先生
田中さんが在学していた頃の神戸工業高校の技術課程は、1年から卒業までの3年間クラス替えが無かったそうである。それ故に彼のことを覚えている人々も多い。ただ卒業から40年近く経って、夫々の人生を歩んでいる同窓生たちが名乗り出るのは、やはり困難な事であり、私たちもそれは覚悟していた。しかし、そんな事はものともせずに立ち上がった人がいる。3年間担任教師であった渡辺友夫先生である。
学校OBに知己のある知人を介して、「親代わりに」という申し出を受け、さっそくお宅へ赴いた。
ご高齢には違いないが、かくしゃくとされた方である。挨拶もそこそこに田中さんの思い出を語られた。「彼は施設から通っていたので、常に気にかけていました。当時の同級生には同じ境遇の者は居なかったので、心配したのですが、屈託の無い笑顔をする奴でした。しかし弁当が(施設で提供される)小さくて粗末だったので、職員室に呼んでおかずを分けてやったりしました・・・」ひとしきり語り終えた先生の目には、涙で一杯だった。
以後先生には、あらゆる場所へお運び頂き、田中さん救出を訴えていただいた。そしてついには、青森県八戸市で隠遁生活を送る韓竜大を訪れて、彼に直接会った。
同行した雑誌記者によればへらへらとはぐらかす韓に対し、掴みかからんばかりの勢いであったそうである。

 韓竜大告発へ
小泉首相の訪朝後の11月、日朝国交正常化実務者会議が開かれ、日本側が複数の拉致被害者を照会した。何かの集会に参加していた平沢勝栄衆議に会った折、田中さんはどうなったのですか?と尋ねたところ、そのリストの最前列で照会してあるそうである。しかし、拉致認定される様子は全く感じられなかった。
この期に及んで今だ消極的な国に対し、もっと強力に訴えるものは無いか、策を巡らして辿り着いたのが「告発」だった。
「相手を訴える法律知識(自由国民社)」を参考にして書面を整えるという、まことに稚拙な物ではあったが、可能な限りの証拠集めの奔走した。
田中さんが育った施設関係者の証言、張龍雲氏が「拉致工作」を告白した横田夫妻へ宛てた手紙、そして渡辺先生の証言。しかし事件性を窺わせるものがなく、途方に暮れたが、同郷の岡田氏が執拗な調査を続けて、ついに決定的な証言を得た。それは、田中実さんと同じ施設で育った後輩の、金田龍光さんを一時期雇っていた雇用主の関係者によるものである。証言者と金田さん及び周辺関係者は、田中さんの働いていた中華料理店「来大」へ頻繁に出入りしており、金田さんは金ちゃんと呼ばれ親しまれていた。田中さんが姿を消してから後、オーストリアからの国際郵便が金田さんへ届けられた。差出人は田中さん。内容は「オーストリアは良いところだから、君もこっちへ来ないか」という誘いだった。金田さんは筆跡に疑いをもち、この証言者に打ち明けていた。しかし、この誘いを受け入れてしまった金田さんは、渡欧準備のために上京することになり、何とこの「来大」で送別会が開かれたそうである。
上京した金田さんは音信不通となり、約半年後に証言者の近親者が「来大」の韓を詰問したが、韓は「しらない、分からない」という要領を得ぬ返事に終始した。
以上の内容を、国外移送目的略取等(刑法226条)を罪名及び罰則とする、告発状に添付して、平成14年(2002)10月4日、兵庫県警に提出した。受理はくしくも10月15日、拉致被害者5名の帰国の日だった。 (ここまでぴろんさんテキスト話の花束)

 張龍雲氏の置きみやげ
田中さんに関る原点は、それは言うまでも無く張龍雲氏の告白であり、その著書「朝鮮総連工作員」である。しかし刊行物に著されたものに、犯罪を立証するだけの証拠価値があるのか否か、その疑念は当初から私たちの心を煩わした。

張氏の死去から2年近くたっていたが、そういえば「わからないこともあれば、いつでも尋ねなさい」といわれて受け取った名刺があったことを思いだし、思い切って訪ねてみることにした。
以下は情報提供にあたり秘匿を約束したため、実名は差し控えるが、その関係者は私の申し入れを快く承諾くださり、張氏が遺した膨大な量の日記を貸して頂いた。
中には大乗寺事件や十文字山事件といった、関西在日社会でおきた経済事件(詐欺)に関する記述も多いが、中でも特筆すべき資料を発見することが出来た。
それは平成9年1月に山形県下で起こった、張氏と曹の民事紛争に関る告訴状である。内容は「洛東江」という組織名を挙げて、曹が非合法組織に幹部であり、その活動の一貫として資金を集めているというものである。
ということは、曹は平成8年から9年にかけて、月刊誌・単行本による表現と、利害の対立する法廷における一方的な表現により、著しく名誉を傷つけられている訳で、当然の事ながら対抗処置としての、誣告罪や名誉毀損による告訴を行うべきところを何もやっていないのである。
しかも当確民事紛争は結果的には曹に軍配が上がっているにも関わらずである。
張の日記は、私たちが曹を告発するために大いなる置きみやげとなった。私たちは準備に着手した。

 曹廷洛告発へ
曹は事件を手動したと考えられるだけに、何としてもそれを裏付ける新たな証拠を入手しなければならない。しかしもはやそれは、民間人の領域を踏み越えており非可能に思えた。
「何故反論しないのか?」本人に訊くのが一番ではあるが、山形県から一件の家を探し当てるのは容易ではない。ここでも調子の日記が化tすや串手、まず曹が経営する遊技場の所在地が判明し、各地の関係者にもご協力頂き、ついに曹の自宅を突き止めたのである。
平成15年6月、ある雑誌社から直撃取材同行のオファーを受けた。「この機会を逃してなるものか」私と岡田氏の2名は躊躇なくこれを承諾し山形へ飛んだ。
張り込み3日目、奇跡的に温泉へ出かける曹をキャッチして、直撃取材が成功した。
当初激しく抵抗したが、すぐに落ち着きを取り戻し着席して私たちの質問に答え始めたやりとりは1時間以上に及び、概ね以下のような理由から、私たちは告訴へ踏み切る決意をした。
 1)田中さんが拉致されていること自体は否定しない。
 2)曹は平成14年に韓国へ渡り、当局へ身の上を告白した。韓竜大は2年前にそれを終えている。
 3)名誉を守るべき手立てを講じない理由はなかった。
 4)肝心な部分は、否認するのではなく、韓竜大に訊けとはぐらかす。
 5)文章による回答を求めた質問状にまともに答えようとしない。

罪名罰条は前回同様に、平成15年7月22日に提出した。受理は約10日後だった。

(一部誤字と思われる部分は修正)


3.問題点
 田中さんの出国に関する疑問
韓竜大の告発については、警察は「出獄記録ならびにパスポート申請記録を探しているが、当時はすべて紙媒体であり、保管されていない可能性が高い」として、物証が無いと言わんばかりであるが、それならば平成8年12月の兵庫県議会警察常任委員会における警備部長答弁では何故「昭和53年6月6日」出国と認めたのか?

 韓国の司法当局への告発について
韓竜大・曹廷洛の両名に共通する供述の中に、「韓国に行って当局に洗いざらい話した」というくだりが存在する。更に、曹の話によれば韓国での供述に基づき、日本の警察も聴取にやって来て、それに応じたとある。
これが真実ならば、日韓の超法規的捜査協力が存在することが疑われる。
また日本の警察にも・・・・という事になれば、一種の司法取引が超法規的に為されたということにならないか?

 告発の取り扱いについて
韓の告発から2年5ヶ月、曹の告発から1年7ヶ月が経過しているが、もし、事実誤認があって犯罪が成立していないのならば、一刻も早くそれを表明して両名の名誉が不用に毀損され続けている状態を、終わらせなければならない。
あるいは、犯罪の事実はあるが起訴が難しい場合、これは捜査を怠る(たな晒しにする)理由にならず、捜査はしなくてはならない。
道義的責任があっても、法律が無いが故に犯罪が成立しないのであれば、国家治安の根幹に関わる重大事であるから、捜査はしなくてはならない。
時効が成立するか否かが判断し難いならば、内閣法制局に見解を出させる必要がある。
これらの何れの結果も出さず、事実上のたな晒しを続けている現状は許されない。(担当金木犀)
蒼き星々にも保存

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救う会兵庫 長瀬猛氏のお話 その1



救う会兵庫の長瀬でございます。
本日はかように皆様お運びいただきましてありがとうございます。

今、平田事務局長からご案内させて頂きました通り、渡辺友夫先生に本来ならご足労いただいて。
この極めて、田中実さんと言うその人となり、どんな人物だったのかを語る人が少ないですね。
この拉致被害者について語って頂くはずでした。
大変渡辺先生も心苦しいと仰っておられましたが、この東京集会に合わせて何とか、と思っていたんですけども、先週から急に容態が悪くなられまして。
持病の心臓の方が悪くなられまして、残念ながらおとついに手術したばっかりですので。
もしこちらにご足労が無理な場合は、先生に私がメッセージをビデオで持ってくる予定だったんですけども。
面会して長時間っていうのも、お医者さんにちょっと止めてくださいと言われていたもので、それも出来ませんでした。

そこでですね。
ただ今よりごく短い時間ではありますが、ビデオで渡辺先生がご発言というのをちょっと見て頂こうと思っています。
こちらのビデオはですね、テレビ局様の方からご提供して頂いた物です。
最初に見て頂く物は約1分半の物でございますが、こちらは関西テレビさんの方からオンエア前の、当時のニュースで流すオンエア前の物です。
約2年前のニュースで使われる前の物を多少(編集して)作っていただきました。

それからもうひとつ、先だってですね。
TBSの報道特集で田中実さんについて相当詳しくやっていただけまして、その中で渡辺友夫先生、かなり長くインタビューに応じていられます。
これはオンエアされた後の物をですね、渡辺先生の息子さんが自宅のビデオで録画されてましてね。
「どうしてもせめてこれだけは持っていって、まだ見たことのない人もいるだろうから、父のですね。気持ちだと思ってやってください」ということで、私が受け取ってまいりましたので、その二つをこれからお流ししたいと思います。
どうかそういうことでございますので、ご了承頂きたいと思います。

最初にそしたら関西テレビさんの方からいきます。
(ビデオのスイッチが入る。
「来大(らいだい)」の外観映像、車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像、曹廷楽のインタビューテープを流す記者会見の映像などが流れる。
音声が小さかったので、聞き取りはほとんど不可)

これはですね、後でまたご説明しますが、田中実さんが拉致される直前まで働いていた中華料理店「来大」と言うお店です
(車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像)
これは韓竜大本人です。
(記者会見場でテープを流す映像)
これは曹廷楽です。
次はごめんなさい、渡辺先生のやつです。
(TBS報道特集の中から渡辺友夫先生のインタビュー部分のみを流す。
渡辺先生のインタビュー部分だけを以下テキスト化)

(田中さんの恩師だとの紹介ナレーションが入った後)
田中実についてはね、今でもはっきり顔が分かるし。
彼は特別な子供でしたからね。
施設から来てる生徒やったからね。
おとなしいし、しかった指導もないし、まぁいわゆる普通の子やったね。

(渡辺先生は修学旅行の思い出を良く覚えているとのナレーションが入った後)
施設のなぁ、先生にお土産くらいお菓子くらい買っていかなあかんのかなぁ?って言うから、そんなんいいですよって、そんな会話しとるんですよ。
そんな記憶もあるんですけどね。

(渡辺先生は来大店主の韓竜大に会いに行ったこともある、とのナレーションの後)
担任や、ってな事を言いました。
田中実の担任やって。
本当のことを話してくれませんか?いうて。
そしたら、俺はそんな事知らんで、って。
俺そんなん、関係ないから、って。
親も無い、兄弟も無い子供でしたから、ちょっとラーメン屋さんの甘い言葉・優しい言葉についほろりとなってね。
行ったのもうなずけますわな。
(渡辺先生は田中さんのこれからも救出活動をするとのナレーションが入る。
ビデオはここで終了)

非常にごく短い渡辺先生のメッセージだったんですけども。
渡辺先生は、昭和40年に田中実さんが神戸工業高校の機械科Bというところにご入学されてから3年間、受け持っておられます。
ですから田中実さんのことは大変よく覚えていらしゃいます。
まず最初に田中実さんと言う人がどんな人だったのかなぁ、ということをですね、私が普段渡辺先生と接したり、あと田中実さんの同級生から聞いている話を多少ね。
お話いただいたこともありますので、その辺のお話を含めてお話させていただきたいと思います。

まず田中実さんのプロフィールでございますが、田中実さんは昭和24年1949年7月28日、神戸市のお生まれです。
幼いときにご両親が離婚されて神戸市内の養護施設、児童養護施設でずっとお育ちになられておられました。
その後神戸市立高羽小学校、神戸市立鷹匠中学校、そしてこの渡辺先生の勤務されていた神戸工業高校を卒業の後ですね。
神戸でも今でも著名な神戸市内の洋菓子店、パンとかお菓子を作るメーカーにご就職になられたんですが、そこもそう長くせず辞められて以来職を転々とされます。

田中実さんが皆さんの前から姿を消したのは、昭和53年です。
1978年6月6日です。
先ほどの最初のビデオで前後しましたけれど、最初のビデオでこれが田中実さんが勤めていたラーメン店ですよと言ったあのラーメン店の来大には、わずか半年しか勤めておられません。
で、なぜこの半年で姿を消したのか?という事についてもですね。
お友達がいらっしゃったとかいろんな話がありますが、それは後ほどですね。
事件の実行犯たちの追跡と言う部分で詳しく触れさせて頂きたいと思います。

この田中実さんという方はですね。
お父さまお母さまがいないと言う境遇の中でも、渡辺先生の記憶の中でもそんなに例えばグレてしまうとかそういうことは全然無かった。
むしろですね、時々照れくさそうにニコッと笑う少年だったと言う記憶があるとおっしゃっています。
今ビデオの中では修学旅行の時に施設から、当然施設から通って来ている訳ですから、施設のスタッフの人にお土産を買っていこうと思うんだけど、どうしたらいいんだろうか?と。
当然そんなにごくわずかの小遣いしか与えられていない中で、その中でお土産に使わなければいけないんじゃないか?と考えられたんだそうですね。
大変に渡辺先生の心を強く打ったと、言うことだそうです。

やはり、お弁当がですね。
神戸工業高校、お昼は当然お弁当を持ってくるんですけど、他の子供たちに比べて粗末。
少しこう、そう思ってたのかな?田中実さんが。
実際はどうだったか分からないけれど、だからいつも隠れるようにお弁当を食べていたと。
「おい、田中どうしたんだ」と言ったら。
そしたら「いやちょっと俺の弁当おかずも少ないし」と言うこともあって、「それだったら職員室で食べなさい」と、言うようなことも何度かあったと。
いうふうに渡辺先生からはお聞きしました。

神戸工業高校というところを卒業した、この児童養護施設からはたった一人なんですね。
で、これはですね。
神戸市の方針として、そういう施設の子供でも成績が優秀でやる気のある子供たちは、積極的に高校進学を進めていこうと、そういう取り組みの一環でですね。
この時期のこの田中実さんの在籍された児童養護施設でたった一人、田中実さんが高校へ行かれたということです。
その後ですね、また2名の方がということですが、非常に数が少ないうちのお一人だと言うことをお聞きしています。

頑張ってですね、機械科Bと言う所を昭和43年の3月に卒業した時の写真がこれです。
よくまぁテレビでも紹介されていますが、これが卒業写真ですね。

卒業アルバムから

私ちょっと丸印していますが、分かり難いんですけど、これの方が田中実さん。
また後でね、お近くで見て頂いたら良いと思うんですけど。
こちらが渡辺先生ですね。
若かりし日の渡辺先生です。

こちらは同じく卒業アルバムからお借りしてきました。
これはそれぞれの文化活動の仲間と一緒にスナップと言うか、そういう写真が卒業アルバムの中に掲載されてまして、書道だとかいうふうにお聞きしましたけど、田中実さんこちらですね。(写真前列右を指差す)


これが卒業写真の個人の写真です。
高校卒業ですから、17~8の頃の田中実さんです。
29歳で拉致されてますから、拉致される10年前の写真ですね。


こちらのお写真がおそらく拉致されたときに一番近いと思われる成人後の田中実さんの写真です。
これも偶然ですね。
知人が保管されていた物を報道機関の方が保管されていた物を、私ども救う会兵庫がご好意でお借りしております。
これはお友達と一緒にですね。
京都に旅行された時の写真だそうです。

田中実さんはこの頃になりますと、大変女性に良くおモテになったという噂、周辺の人の記憶では女性におモテになったと。
まぁ、プレイボーイと申しますかね。
若い日は誰でもそうなんでしょうけど、そういう側面もこの頃持ち合わせていたと。

あとでまた詳しく説明しますが、田中実さんを語る上でどうしても切っても切ることの出来ない特定失踪者に金田竜光さんと言う方がいらっしゃるんですが。
この金田竜光さんと言う方は、いっつも田中実さんの後をついて歩いていたそうです。
「金ちゃん金ちゃん」と呼ばれていた金田竜光さんはこの田中実さんを本当の、まぁ金田さんもご両親はいらっしゃるんでしょうが同じ養護施設ですからね。
同じ境遇ですから兄のように慕っていたと。
そういうことは結構ですね、周辺の様々な方が今でもご記憶になっています。
当時ちょっと若気の至りと申しますか、少しねお遊びが過ぎたような田中さんに対してですね。
金田さんと言う人はちょっと引っ込み思案で、傍目にもちょっとコントラストがハッキリしているような二人だったと、そういう二人だったというお話を聞いております。

田中実さんはですね、なぜこの中華料理店に勤めることになったか?と言いますと、これは金田竜光さんが先にこの中華料理店に就職されていて。
まぁ、なんて言ったんでしょうかね?
おそらく「兄貴」なんて呼んでたんでしょうか?
「ふらふらしないで兄貴、中華料理店で働きなよ、ラーメン店で働きなよ」といったことを言ったのでしょう、おそらく。
引き込むと言うか紹介するという形で、先に金田さんが勤めていてその後から田中さんが就職されたと、いうふうに聞いております。

ちなみにですね。
少し金田竜光さんと言う方のプロフィールにも触れておきます。
金田竜光さんは昭和27年1952年のお生まれです。
田中実さんの3つ年下ですね。
金田さんは高校には行かれておりません。
金田さんは昭和52年1977年、田中さんが拉致される前年ですね。
この来大に就職しております。

このあたりは正確に何年の何月と言うのは分からないんです。
周辺の人たちの何となくという記憶を整理していますのでだいたいの推測ですが、年を越えて昭和53年1978年の初めの方ですね、田中さんを連れてきたと。
で、もう6月には田中さんはウィーンに行かれてしまうと。
その後の金田さんはですね。
昭和53年、田中さんが拉致された年と同じ年の年末に田中さんの後を追うといって姿を消してですね。
その後全く音信が途絶えております。

最近私どもが得た情報でございます。
1次情報ではございません。
私どもが2次的にお聞きしている情報でありますが、金田竜光さんは、まぁお名前からもハッキリしているんですが在日ですが。
当然在留許可証を持っておられますし、海外に行かれるときは再入国許可証と言う我々で言えばパスポートに該当する物が交付されているんですが、これらが使われた形跡がございません。
と言うことは田中実さんの後を追いかけて姿を消したんだけども、ウィーンには行っていないのか?
あるいは別の人間に成りすまして海外に出る必要があったのか?
あるいはまだ国内にいるのか?
まったく分かりません。

私どもが田中実さん、金田竜光さんの本当の素顔に迫るお話と言うのは、正直申し上げまして今お話したくらいが全てです。
なんかね、コンクリートの壁を一生懸命引っかいているような、ほとんど音が伝わらないようなもどかしさをお持ちだと思うんですけども、本当に情報が少ないです。
これからね、私のお話しすることはその極めて人物像が不確かなこの二人にですね。
それでもいろんな形で方々から情報を集めて、少しずつ人物と事件の背景に迫って行こうと我々ボランティアで協力してやっておりまして。
今日はたまたま私がこうして発表の機会を頂戴しておりますので、私が発表すると言う経緯をご披露させて頂きたいと思います。

今日お手元の資料はですね、前回合同学習会で皆様にお配りしたものとほとんど変わっておりません。
前回の合同学習会の時にお話した内容は割愛させて頂いて、韓竜大と曹廷楽の二人ですね。
拉致の実行犯がどういう組織に所属していて、どういう活動をしていたのか?
我々がどういう証拠に基づいて彼ら二人を告発したのか?と言う部分にですね、今日のお話の重点を置いていこうと思います。

まずですね、後ほど西岡先生のお話でも登場するとは思うんですが、張龍雲さん。
朝鮮語読みではチャン・ヨンウンさんという重要な、田中実さんを語る上で重要な方がいらっしゃいます。
こちらの「朝鮮総連工作員」と言う本を書いておられます。
小学館文庫から発売されている物なんですが、この中に田中実さんの拉致及び田中実さんの拉致を実行した「洛東江(らくとんがん)」と言う秘密工作組織について詳しく書かれています。
この張龍雲さんという方はお亡くなりになってしまったんですが、本当にお亡くなりになる直前にですね。
私偶然にも面識を頂戴することが出来まして。
私がお会いした時にはもう車椅子に乗られておられて、おそらく片足を失われて義足になられていたと思うんですね。
糖尿病がすごく悪化されていて、張龍雲さんと私がお会いしたのが平成12年2000年の秋にですね。
神戸市で初めて初対面でお会いすることが出来ました。

そのときにですね。
この本が出ているのは知っておりましたけれども、張龍雲さんがどういう経緯でこういうふうに至ったのか?も、それほど僕自身詳しく知らないまでも。
まぁ、お名刺を頂戴しましてね。
「もっと早く皆さんの前で真実を語るべきだったんだけど、僕には時間が残されていない」と。
「だから分からないことがあれば何でも聞きに来なさい」と、お名刺を頂戴しました。
その日の講演を聞いて、その後もう1回2回お電話でお話をすることはあったんですけど、半年後、翌年にはですね、張龍雲さんお亡くなりになりました。
私どももせっかくの張龍雲、面識を得ておきながら、お亡くなりになった以上これはどうにもならないな、と思いながら、運動を進めておりましたところ、実はこの張龍雲さんと私どもが出会ったということが、その後の韓竜大と曹廷楽の告発に持ってまいります。

田中実さんの写真を私ども公開したと言う話は前回もお話しているんですけど。
当然この写真は神戸工業高校の卒業写真を公表した時に、大変大きな反響がありまして各方面から様々な証言がもたらされるようになります。
まずですね、田中実さんの拉致を直接手を下したというふうに書いてある韓竜大。
田中さんが勤めていた来大、元店主ですね。
ラーメン店の店主というふうに紹介されておりますけど。
この人をどうやったら告発できるのか?と言うことを考えたんです。
ひとつはこの張龍雲さんが家族会の横田さんにですね、告白の手紙を送られていましたので、その本旨と言う物を改めて証拠価値があると。
それから当然田中実さんというのはこういう人だったんだよ、と言うことが証言できる渡辺先生の証言。
それからその児童養護施設の関係者の証言と言う物が得られました。

ただ、どうしても犯行であるとか組織であるとかに近づく証拠と言う物が、我々の手元には全く無かったんです。
色々な情報がもたらされた中で登場してきたのが、金田竜光さんで。
金田竜光さんはどこへ行っちゃったの?ということで周辺の人たちの感情と言う物が、この告発につながっていくんですが。
実は金田竜光さんが、田中実さんの後を追って同じ年の暮れにですね。
とりあえず東京へ行くという事になったんです。
そのときにですね、この周辺の人たちは、「じゃあ金ちゃんの送別会せにゃいかんなぁ」と言うことでこのラーメン店の来大で送別会やってますね。
で、私どもその送別会に出た方に会ってお話をお聞きしました。

その時にはハッキリと「ウィーンに行くんだ」と。
「ウィーンに行く準備のため東京に行かなければならない」と。
全幅の信頼を置いていたのが、この来大の経営者・韓竜大。
そういうシチュエーションの中で彼は旅立って行ったと。
ただ、ごく近しい人には田中実さんが旅立った後ですね。
田中実さんが出した手紙が届いたそうです。
そこには金田さんに対して「金ちゃん、お前もウィーンに来いよ」と。
「仕事もあるし、良い所だ」と言うことが書いてあると。
「でもどうしても田中実さんにしては字がきれい過ぎる」と。
いうことは金ちゃんは不思議に思って、そのことを周辺の人にずい分相談しているんです。

行きつけの居酒屋と言うかお寿司屋さんの大将みたいな人に、「大将、どうもおかしいと思う」と言うことを言っておったり。
最近聞いた話では、お手伝いと言うか少し働いていた雑貨屋の店長のような所には何度も足を運んで、「僕はもうこれから旅に出ます」と言うことを唐突に言ってみたり。
非常に不安げだったという証言がたくさん出ております。

この事実を証言して頂いたことは、これは非常に田中実さん事態も犯罪に巻き込まれたであろう、拉致されたであろうと推測するに十分な。
直接田中実さんということではないけれど証拠であると判断して、証言いただいた方のご協力をいただいて、まず韓竜大を告発いたしました。
韓竜大の告発は、平成14年の10月の4日でございます。
この平成14年と言うのは大変な激動の年でございまして、9月の17日に小泉さん訪朝しましたし。
10月15日には5名の被害者の方が帰って来られる劇的な年ではありましたが、帰国の日にこの告発状は受理して頂きました。

事はこれは一件落着というわけではなくて。
この告発の経緯の中で渡辺先生が当時まだ本当にお元気でしたので。
今から2年ちょっと前は物凄くお元気でしたので、自ら「韓竜大の首根っこ捕まえてぶん殴ってやる」と言って八戸まで会いに行かれたんですね。
ある雑誌の協力で。
でまぁちょっとこれは差し支えあるかもしれませんがその時の写真が、
(雑誌のページをめくって写真を探す)
ちょっとごめんなさい、渡辺先生が行った時の写真持って来てないですけど。
先ほどちょっとビデオで韓竜大が車の中から、「関係ない、関係ない」と言ってる部分がありましたよね?あそこの韓竜大に渡辺先生が直接会いに行ったということもありました。

その時にはもう、韓竜大は知らぬ存ぜぬで「とにかく俺じゃないんだ」と。
「曹に聞け」と「あいつが全部やったんだ」と「あいつに聞いてくれ」と言うのに終始していたんですけど。
それもあって、ならば曹に話を聞いてみようじゃないか?と。
曹廷楽と言う人がいわば犯罪を主導したと言う風に、張龍雲さんの本には書いてあるのだからならば曹廷楽に会いに行こうと、私どもは山形の曹廷楽と言う人に会いに行きました。
まぁそう簡単に会いに行けたわけではないんですが、何とか曹廷楽に話を聞く機会を得まして、約1時間半に亘って、ああでもないこうでもないと彼の話を直接聞く機会があったんです。
もう一度ちょっとそのビデオもう一度。
先ほどビデオの順番が相前後しましたけど、もう一度ちょっとお流します。

(ビデオを再び流す。田中さんについての思い出を語る男性と女性の姿が映る)
これは田中実さんの中学校時代の同級生の方です。
ちょっと早送りしますね。

(記者会見場でテープを流す場面。以下聞き取れる所のみテキスト化)
これが曹廷楽がしゃべっている所です。

・・・・・・田中実なんてまったくそんなの本当に聞いたことが無いよ?俺。本当に・・・・・・

(場面が変わって来大の外観が映る)
これが中華料理店の来大です。
(車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像が映る。以下聞き取れる所のみテキスト化)

・・・そういうことでどうであれ・・・

これが韓竜大です。
これも韓竜大です。
(記者会見場で再び曹廷楽のテープの音を流す場面が映る。聞き取れる範囲のみ以下テキスト化)

・・・・・・田中実は自分の足で、あのウィーンに行ってるんですから、ね。
ね、彼は、だから拉致じゃないでしょう。
自分の足で歩いて行ってる。
ウィーンに・・・ね・・・・・・

(ビデオ終了)
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救う会兵庫 長瀬猛氏のお話 その2

一時間半の話の中でごく短い所しかご紹介できなくて、大変ちょっと我々の準備不足を申し訳なく思うんですが。
少しこの時のやり取りをご紹介しますと、まず我々はですね。
ここまではっきり実名を出されて、しかもこの本が出る前々年にはですね。
週刊誌で告白記事というのが出ましてそこでも名指しされ、さらにこの本でも非常に詳細に犯罪組織のトップであると名指しされていて、しかも拉致だけではなくて、関西のですね。
在日社会の中での経済事件。
十文字山事件とか大乗寺事件とかがあるんですが、在日を対象とした詐欺事件というのに深く関わった犯罪者というふうに書いてあるにも関わらず、曹廷楽と言う人がどういう対抗手段をとったんだろうか?と。

今はですね、山形県でパチンコ屋を営んでおって、一応普通の暮らしをしておると。
それであれば普通であればね。
名誉毀損なり誣告罪なりのですね。
自分の名誉を守るための法の手立てというものを取るのが当然であるのに、そういうことをまったくしていないと言うのを、僕は非常に不思議に思ったんです。
で、会った最初にまずね。
もう息切れの激しい曹廷楽をなだめて。
「まぁまぁ落ち着いてください」と、「とって食おうという訳じゃないんだから」と言う話をして。
「我々はどうしても理解できない」と。
「韓竜大に話を聞いたら、全部あなたに聞いてくれと言われましたよ?」と。
「しかもここにあなた名指しされてるでしょ?」と。
「もし事実無根であるなら、あるいは事実誤認であるなら、当然のことながら名誉毀損とか誣告罪とか様々な対抗手段が打てたでしょ?」と。
そういう話をしたんです。

そしたら曹廷楽と言う人はですね。
田中実の拉致自体は否定しないんです。
ここが僕、実に注目した所なんです。
一番注目した所なんです。
今の短いビデオがまさに凝縮された所なんですが、田中実が拉致されたわけじゃないんでしょ?と。
自分の足で行ったんでしょ?と言ってましたよね?
つまりこれはどういうことかというと、暴力的な拉致をさしているわけなんです。

我々も何の前触れも無く会いに行っているんですからね。
曹廷楽と言う人は拉致と言う物を、横田めぐみさんの例やあるいは曽我ひとみさんの例のような物を完全にステレオ的に頭の中に思い込んでいて、自分の足で歩いて自分の足で飛行機に乗った者は拉致ではないと思い込んでいるからそういうふうに言ってるわけです。
もし事実無根であるなら、田中実なんて者は全く知らないし、土台そんなことがあるはずが無いと言って全否定すれば良いじゃないですか?
まずそれを全く90分にわたって、それを結局最後までしなかったと。
それが我々の確信を得る大きな告発の動機となりました。

90分の話し合いの中には、他にも話し合いの中にはいろいろあったんですが、ひとつはですね曹廷楽は自分のことは結構良くしゃべるんです。
それで平成14年のつい最近ですね。
平成14年に韓国へ行って、韓国の治安当局に対して「一切合財の身の上はもう話したんだ」と。
しかも韓竜大は私が行く2年前すでにそれを済ませていると、言うことを言うんですね?
え~、ここ日本でしょ?と。
韓国の治安当局に言ったからって、僕たちに関係ないじゃないと思うんだけども。
さも免罪符のように言う。

そしてそれに基づいて日本の警察も来て、全部しゃべったって言うんですね。
あぁ、そうですか。
その場はただ、あぁそうですかとしか言い様が無いんですけども。
この事実も大変大きな事です。
韓国の治安当局に話をして、その情報が日本にもたらされて、そしてそれに基づいて日本の警察が早い段階に、これは我々が告発するなんてよりはるかに前の話と言うことですよ。

はるか前に日本の警察が事情聴取をして、そこで一切合財話をしてるという
先ほどの話とちょっと矛盾すると思いませんか?
自分の罪が全く無いんだったら、何もしゃべる必要ないじゃありませんか?
しゃべる内容がないはずでしょ?
でもしゃべる内容があるんですね。

おそらくその、彼らの工作に関わるいろんな秘密の話があるということを、この部分で暗に曹廷楽は認めたんですね。
さらにですね、それは韓竜大と曹廷楽に共通して言えるんですが、事実を否定するんだったら、事実無根だととにかく主張するのが普通だと思うんですね。
ですが、曹廷楽と言う人は「韓に聞け、韓竜大に聞け、あいつが全部知ってるんだ」と。
事件は、彼らは張龍雲と言わず張タツオと呼ぶんですが、「事件は全部張タツオがやって、全部張タツオが仕組んで、韓がやったんだ、俺は何も関係ないんだ」と言うことをとにかく繰り返すわけですね。
これもですね、我々は大変注意深く見た証言の一部であります。

で、一応ですね、「我々はあなたを告発するつもりだ」と。
「言い分があるだろうから、我々の質問状に対する回答が欲しい」と、言うことで一応質問状を送りました。
その質問状に対する答えというのはですね、ゴミを送ってきました。
これは彼らのメンタリティーの中で何を意味しているのか?分からないんですが、我々に対してゴミを送ってきました。
その中にはですね、その辺のスーパーのチラシだとか、なんかお菓子の食べた後の紙だとかそういうゴミをですね。
このくらいのA4の袋につめて込んで送ってきました。
それは韓国というか、我々と違うメンタリティーの抗議の意思の表明なのかな?と。
意味が不明で我々はそれを抗議と受け取ることが出来なかったので、曹廷楽を告発しました。

曹廷楽の方の告発はですね、平成15年7月の22日です。
受理は10日後でした。
ここに至るまでにもうひとつ我々の中で疑問があったのは、なぜ?張龍雲さんが曹廷楽との間でこのような事になっているのか?というのが我々の中でちょっと大きな疑問ですし。
これを解決しないと、我々としても不十分だろうと。
いう思いが強かったんです。

というのは、これは一方的に曹廷楽を傷つけることが事実上目的のような内容ですから、これに100%乗っかって良いんだろうか?という思いが強かったんです。
実名を明かすことは出来ませんので、協力いただいた方の実名はちょっと明かせませんが、張龍雲さんのごく関係者の方からですね。
張龍雲さんの生前に残された膨大な資料と言うものを、我々が目にする機会というものがありまして。
それらを探していく中で、この答えが見つかりました。

それはですね、今山形にあるパチンコ店のですね。
所有権を巡る民事裁判を、民事紛争がこの二人の間に繰り広げていたんですね。
これが1996年10月15日に告訴された民事紛争がありまして。
今私がその写しを持って来てるんですが。
この民事紛争はですね、簡単に話をしますと洛東江という秘密工作機関がですね。
主に在日の商工人からですね、多額のお金を集めて工作資金とすると。
工作資金の一部を更に自主運用して、事業をして資産を増やすと。
更なる工作資金を潤沢にするという。
この仕事のトップが張龍雲さんだったんですね。
で、それを指示していたのが曹廷楽だったと。

当然のことながら資金工作に関わる証拠書類という物はそのたんびに処分しますから、何も残っていない。
契約書も残っていない。
ということは、張龍雲さんとしても使用者に対して、もうそろそろ引退させてくれだとか、ここまで頑張ったんだから少し分け前をくれだとか話をしても、何も証拠が残っていないということなんですね。

それを良い事にこの曹廷楽という人が、これはごめんなさい。
良い悪い是非は別ですから、彼らの論理によればですね。
組織の中で工作資金を運用するために作った事業のひとつであるパチンコ屋の所有権を、彼が自分の物に書き換えて。
土地建物の登記を全て自分の名前に変えて運用するのはいかがなものか?と。

しかもそれは完全に私腹を肥やしているという事に彼は非常に腹を立てて。
しかもですね。
長年に亘って洛東江の秘密工作に関わったにもかかわらず、張龍雲さんの方には何の連絡も無ければ、何の利益も供与されていない。と。
これは実に不当なのでと言うことで裁判を起こしている。

しかしながら、これは工作に関わるもので書類が無いちゅうことなんですね。(薄笑いの声)
一方の曹廷楽の方にはそれこそ日本の法律に則った、登記謄本から何から書類が揃っているわけなんですよ。
ですからこの裁判は土台張龍雲さん、勝てる見込みの無い裁判でした。
ただ、その裁判の中で張龍雲さんは、この日本国内で行われている工作活動をはっきりさせなければいけないと、おそらく衝動に駆られて。
詳細なこれは「告訴事情の補充書」と言うのを出しているんです。
ちょっとこれを一部読んでみますね。
これは冒頭からこういう形になってます。

「告訴人と被告訴人は朝鮮労働党が韓国内での反政府組織を支援することを目的として、日本国内に活動の拠点を置く非公然の組織・洛東江の構成員であり、被告訴人がその責任者であり、告訴人はその直属の財政担当者であった。」

もう冒頭からこういう感じで進んでいます。
また例えばこういう文言も出てきます。

「告訴人に対して朝鮮での朝鮮での金山開発を指示された。
告訴人は、在日の朝鮮人実業家10数人を募り4億円を集め、開発のための調査や掘削等の機械の購入資金に当てた。
また告訴人は被告訴人から朝鮮労働党への送金分として、1990年までに合計3億円の資金を提供している。
ところが後に朝鮮労働党は被告訴人から、3億円の提供を受けたことが無いことを明らかにしたため、被告訴人が全てを取り入んでいたことが全て判明した。」

要は私腹を肥やしたということですね。
被告訴人が着服していた。
工作資金を着服していたということですね。
こういうことがるる述べられているものが、我々の手にすることが出来まして、なるほどと。
張龍雲さんには張龍雲さんなりに、この「朝鮮総連工作員」と言う本を書かねばならなかった必然性と言うものがこれでハッキリしたなと思いました。
でこの金山開発であるとか、先ほど言いました十文字山事件ですとか、これはこれで非常に大きな問題なんですが。
これは今日はちょっと割愛します。

それがハッキリしたと言うことで、これ以外にもたくさん資料をいただいておりましたのでね。
曹廷楽の自分自身の発言と、張龍雲さんと曹廷楽との間の利害関係ですね。
こういうものの書類なんかをですね、補充する形で私どもは曹廷楽の告発したという事であります。

張龍雲さんという人はですね。
どのような動きをされていたか?と言うものは他にもありましてですね。
ちょっとご紹介しておきますと、地震の年ですね。
阪神大震災のあった平成7年の春先4月にですね。
あの頃は今と違って万景峰号が全国あちこち出入りしてましたから。
神戸港にも来たんです。
私もたまたまそこに立ち寄っていたんですけど。
立ち寄っていたと言うか、それを知っていたんですけど。

後で聞いた話ですが、この万景峰号の入港に際して、万景峰号の中に労働党統一戦線部第一副部長のカン・ジュイリーと言うのが乗っていると言うことを朝鮮総連幹部からですね。
張龍雲さんは情報を入手しまして、当時の外務省、北東アジア課長・別所ヒロアキ氏を同行してですね。
この拉致の事実関係をカン・ジュイリーに聞くということをしております。
最終的に神戸港のポートターミナルまで別所氏を連れて行って、朝鮮総連の国際部の人間とかなり揉み合いになりまして。
ここに日本政府と話をできる人間は乗っていないと言うことで、中には乗せてもらえなかったそうです。

ただこのことは後に朝鮮総連の内部で大変大きな問題になりまして、たくさんの人が処分されたと、いうことだそうです。
張龍雲さんと言う人は、そういう形でね、
裁判だけではなくて、この告白記事だけでなくて、いろいろと動かれていたと言う一つのエピソードでございます。

我々は二つの告発をしまして、いろいろ問題点がやっぱりここに来て浮上しました。
なによりも4月に25日に田中実さんが拉致認定されたんですが。
この拉致認定されたと言うことと、告発されたと言う罪に対して、どのように政府が接するか?という部分について、この国は非常にあいまいにしております。
まずですね。
いくつか今からですね、ちょっと問題点をご指摘申し上げます。

まず韓竜大の告発については、警察は(田中実さんの)出国記録ならびにパスポートの記録を探しているが、当時は全て紙媒体であり、保管されていない可能性が高い。
これは私どもが告発した時に警察から聞いた言葉です。
しかしその後、昭和53年6月6日出国と、日本政府は認めております。
出国記録はあったんですね?

と言うことはパスポートの申請には、当時は今と違って銀行の残高証明付けなきゃいけない時代だったと思うんですね。
しかも田中実さんが、そのような30万円だったかどうかの残高証明を証明するだけの力があったのか無かったのか?
そのようなことをするに当たって後見人として、その色々な書類を手伝った人間はいるはずだし。
どこかの書類の中に韓竜大の名前が残っているかもしれない。
可能性としてあると思うんですね。
だからこのパスポートの申請記録というのが大事なんですが、申請記録だけは見つからないそうですね。
出国記録だけは残っているそうなんですね。(会場より「ふ~ん」と言う声)
まずこれ、不思議ですね。

それから先ほども言いましたけども、韓竜大と曹廷楽はハッキリと。
かなり日時もですね時間的なものもハッキリとですね。
韓国へ行ったということをハッキリと言ってるんです。
敵国へ行って軍門に下ったということですね?
一部始終を話したんでしょう。
しかもそれが日本国内においても同じ事をしゃべったと言ったんです。
やってないと言っておきながら、秘密のことをしゃべったと言うんです。
でもそれはあなたには言えないというんですね。

それで曹廷楽に至ってはですね、最後は「逮捕状持って来い!」と。
「日本の警察は俺のことを逮捕していないんだ」と。
「逮捕状を持って来い!」というわけですね?
と言うことは日本の警察は逮捕してないんですから、一部始終を話すことによって罪一等を減じているんでしょうか?
私たちの国にはですね、司法取引制度と言うものは無いんですね。
にも拘らず、超法規的に曹廷楽と韓竜大の二人との間にこういうことが行われていた可能性が、あるな?と。
私ども思わざるを得ません。

それから、この告発されてですね、もう韓の場合2年半経ちますね。
なんか、最近では体悪くなったそうです。
その2年半経った韓竜大が、我々に対してですね。
何の対抗手段も取ってこない。
先ほど来の話から非常に不思議なんです。
にもまして、日本の司法当局は我々の告発を受理しているんですね?
でこれ事実無根あるいは事実誤認があるならば、警察の方が先に捜査したけれども、告発事実にはいささか誤りがあったので捜査は出来ないということを、もしね我々が間違っているんだったらば、やっぱり彼らにも人権があるんだから、やっぱり日本政府として表明するべきですよね?
でもそれはしていない。

あるいは犯罪の事実はあるんだと。
しかし起訴できないんだと。
言わば時効だということですね。
我々は国外移送目的略取という罪でこの2名を告発しております。
この罪の公訴時効は7年でごす。

ただし。
ただしですよ?
これロジックですけども、金正日が主犯であり彼らが従犯である。
あるいは朝鮮労働党の工作責任者が主犯であるというのであれば、国外逃走中というなら公訴時効は消えるんじゃないかな?と言うひとつのロジックは成り立つし。
あるいはもっと時効の長い罪に問えるかもしれないし。
あるいはこれが監禁罪ということであれば、これは犯罪事実は終結していないのでありますから、時効の起算点は発生しないということですから。
果敢にですね今の法律を活用してですね。
実行犯に詰め寄ろうとする姿勢があるならば僕は起訴は可能だと思うんです。
だけど、どうも起訴できないように起訴できないように、こちら側が法律を運用しているとしか、私ども考えられないんですね。

で、もしですね。
道義的責任があるんだけども、法律が無いんだと。
法律が無いから出来ないんだと政府とか司法当局が言うんであればね。
小泉さんが平成14年が9月の17日に訪朝してもう何年経ったんですか?と。
何でその間に法律の不備を国会なり政府は正さないのか?
新しい立法処置を講じないんですか?と。
一体いつまで不作為を続けているんですか?と言う事をですね。
我々としてもどうしても非常におかしいと思います。

これらの告発についてですね、事実上今棚晒しが続いております。
我々にいろんな情報をもたらしてくれた周辺の方たち。
皆様のお名前を公表してもらうことができないし、ここに来てもらうことができないのは、やっぱり恐ろしいからです。
犯人が逮捕されてないからです。
組織の全容が明らかになってないからです。
生活の真横にそういうものが暗闇に広がっていると思えばね、不思議とそこで生きてる人の口を閉ざすんですね。

我々もですね。
そういう失敗をした経験があって大変しかられたことがあるんで、そのことをひとつご披露しますと。
ある情報提供者の約束していたプライバシーがですね。
少しそのお約束が守れなかったと言うことがあった時に、ある在日の人から非常に厳しく叱られました。
日本人には分からないんだと。
だけど我々は今まで突然いなくなった人、あの人はいなくなったけれども、何となくあの人の話はもうしてはいけないんだと言う事を、そういう経験を何とかしたい。
そういう噂を聞いたりしながら生きてきたんだと。
よもや、もう無いと思うけれども、やっぱり自分の子供は可愛いし、家族は可愛い中で貴重な証言をしている以上、そこの所は分かってもらわないと困ると言うことで、非常に厳しく怒られたことがあるんですね。

僕もね、あぁそういうものか?と。
拉致っていうのはそういうものか?ということが改めて実感されました。
最後にひとつね。
今の話に関連して、金田竜光さんと言う方は在日の方ですよね?
金田竜光さんが拉致なのかどうなのか?と言うのはこれからの大きな問題だと思います。

この金田竜光さんが拉致かどうかというものを考える上でひとつ重要な話がありまして、これもですね韓竜大・曹廷楽両方共にですね。
発言しているんですが、いわゆるホウセツ活動と言うのを盛んに行われておったんだそうです。
朝鮮総連の中でも、あるいは洛東江が主導して朝鮮総連にやらせてたりしてたんでしょうけれども。
ホウセツ活動と言うのは在日の、これは朝鮮総連あるいは民団に関わらず、日本で暮らしている在日の青年をですね。
思想をオルグして、洗脳してですね。
韓国に送り込むと。

韓国国内の中でのですね。
様々な政治工作であるとかですね、携わるように携わるように洗脳していくというのをホウセツ活動と言いまして。
韓竜大と曹廷楽のインタビューで面白かったんですけども、彼らに罪の意識が全く無いんです。
あのね、笑っちゃうんですけどね。
曹廷楽はですね。
横田めぐみさんのことについてね、30分くらい怒るんですよ。
許せない!あれは人間としてやってはならんことなんだ!と30分くらい一方的に、聞いてもいないのに本気で怒りだすんですね。(会場より薄笑いの声)

だけど、我々はホウセツはやったよ?と。
それは同じ民族なんだから、というわけですね。
普通にいうとあぁそういうものか?と思うんですけど、考えてみたらこれこそがですね。
このメンタリティこそが、拉致の実行犯のメンタリティ、そういう物に携わった者のメンタリティ。
普通に考えたら、一在日の青年がたまたま何かのきっかけで接点があったのを、ず~っとこう洗脳していってですね。
韓国へ行って韓国国内の非合法な言論活動。
当時は軍事政権でしたから。
それによってたくさんの人間が向こうで捕まったりするんでしょうね?
中には殺されたりする人もいるでしょう。
そういうことをいとも簡単にやってのける。
それにたいして、全く罪の意識が無い。

もしかしたら金田竜光さんと言う人はそのホウセツ活動の中で埋没している可能性もあるし。
そういうものを掘り起こしていくと、この拉致の犯罪と言うのは非常に根深いな、と言うふうにつくづく思う次第です。
私どもこれからも出来るだけ情報をいただいた方のプライバシーを大切にしながら、引き続きこの問題を追いかけて行きたいと思います。
田中実さんの拉致認定は遅きに失したというよりも、通過点にもなりません。
私はこの田中実さんの拉致認定は極めて政治的なものであって、拉致の全容解明。
拉致の完全解決というもののためにはですね。
これで現を抜かす、我々が喜ぶなんて物は全く意味が無いなと思っております。

これからもですね、地元の情報と言うものをしっかりと集めながらですね。
すこしでも真実に近づいて行きたいなと思っておりますのでまたご協力よろしくお願いします。
集会なんですけど、田中実さんの人となりと言う物をお知らせする集会だったんですけども。
田中実さんと言う特殊な境遇と、それと渡辺先生が今日はこちらに運ぶことが出来なかったと言うことでこういうお話となってしまいした。
また今後ともひとつよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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西岡力副会長のお話 その1

今の話を聞いていて私も分かっていたつもりなんですけど、すぐ近くに闇があると言う話は確かにそうなのかな?と思いました。
考えて見るとですね、まだ、北朝鮮が拉致を認めて5人が帰って来た訳なんですけど、実行犯を一人も逮捕できてないんです。
誰もいないんです。

今拉致の実行犯として日本政府が名指しで指名手配しているのが3人いるわけですが、シン・ガンスとキム・セホと安部公博ですね。
この3人は北朝鮮にいるわけですけども、その引渡しを日本政府は北朝鮮に求めていて。
安倍晋三幹事長代理は、この3人の引渡しに応じないんだから経済制裁するべきだと、言うことを言っているわけですけども。
今日本政府は16人拉致を認定しているわけですけども、その中で3人しか犯人を特定できていなくて、そして逮捕も出来ていない。

八尾恵さんはどういういう罪名になるのか、主犯でなくて従犯なのか?
まだ逮捕してないんですね。
彼女は自分じゃなくて別の人の裁判で証言したんですね?
私が拉致をしましたと。
彼女の裁判はまだ起きてないわけです。
裁判どころか逮捕状も出てない、テレビで謝ったりしてますけど、法的な裁きを受けていない。(会場より「おかしいよ」の声)
阿部公博が身柄を拘束出来た時に一緒に逮捕しようと思っているふうに思われるんですが、つまり誰もいないということです。

拉致について考えますと日本国内の協力者無しで、これだけ大規模な拉致が出来たんだろうか?
具体的に日本国内の協力者が無ければ出来ない拉致があるわけですね。
海岸から拉致された人たちでなくて、連れて行かれている人たちはそうですよね。
それにも関わらず誰もまだ法的な裁きを与える事が出来ないでいると言うことなんです。
それは長瀬さんが最後に不作為だと言う話をしましたけども、例えば日本の刑法で罰する場合には一人一人しか罰せられないわけですね。

北朝鮮による拉致とは認定できても、あるいは北朝鮮の工作機関の拉致だと認定できても、工作機関を裁判所に立たせることは出来ないんですよね。
どこの誰でという個人でしか裁けないわけです。
ただ今は3人しか特定できていないと言うことで、多分今の曹廷楽と韓竜大を逮捕したら、じゃあ今逮捕したら多分どうなのか?
証拠不十分で起訴できないか、あるいは無罪になってしまう可能性がある。
いうふうに捜査当局が考えている節がある。

しかし日本政府は拉致だと認定したわけですよね?
拉致というのは自分の意思と反して北朝鮮に連れて行かれたということなんですね?
連れて行くという事に関して関与したと言われている人がいるわけですね?
この本に書かれているわけですね、固有名詞が。
日本の法の枠組みの中では逮捕もできないんです。
言うことが現状の中ですね。

だからこそ今でも拉致をした地下組織は生きてるわけですね?
安明進さんから聞いたんですが、70年代の半ばまぁ76年と推定されるんですが、金正日が工作員の現地人化教育の為に現地人を連れて来いと命令をして、拉致が本格化するわけです。
最初はむやみやたらに連れてきたんです。
朝鮮語で「マグジャビ」と言うんですが、マグジャビで連れてきたと。
そしたら教師として使えない人もいたと。
精神的に安定していない人、学歴の面で使えない人、思想的に使えない人がいたと。
それで日本国内の協力者に頼んで、人の選定をしてもらったと。
その後は上手く行ったと。
いうふうに金正日政治軍事大学の教官から聞いたと。
言っているわけです。

で、田中さんのケースは後者に当たるわけですね。
洛東江と言う組織が、じゃぁ今名前の出ている3人だけの組織なのか?
じゃあ洛東江以外にどれくらい組織があるのか?
あるいは今日飯塚さん来てらっしゃいますけど、田口八重子さんを高田馬場のベビーホテルに子供を預けてどこか海岸に連れて行ったのは誰なのか?
分かってないんですね?

もっと深刻なのはですね。
森と黒田と言うよど号の妻がいますね?
それが近く帰ってくるかもしれないんです。
帰ってきたとしても拉致で逮捕できない可能性がある。
つまり今の所彼女たちを拉致で指名手配してないんですね?
阿部公博については有本恵子さん拉致で指名手配していて、北朝鮮当局に身柄引き渡しを拉致を理由に求めてるんですけど、森と黒田はそうでなくて旅券法違反だと。
旅券法違反でしか逮捕できなかったとすれば、今しきりによど号グループは色々反論しているわけですけども。
有本さん拉致に八尾が加担したのはもしかしたら事実かもしれないと。
しかしそれ以外は全く事実無根だと、言ってるわけですね。
逮捕できなかったとすると、彼らの言ってることが正しいんじゃないか?と。

日本政府は黒田と森の身柄は捕るんですね?
入ってきたら、逮捕するんです。
取調べはするんです。
取調べをした結果、拉致では起訴できないんです。
言うことが起きる公算が、今現在は、つまり阿部公博については指名手配してるのに、してないんですから。
何か決定的な証拠を隠しているということがない限り、あるいは証拠が出てこない限り、そうなる可能性が高い。
つまり拉致認定と言うのは、犯人逮捕ではないんですね。
北朝鮮による拉致ということでやっと拉致認定できたわけで、認定されていて犯人の名前が分かっていて、逮捕できていない。
というのが、田中実事件ですよね?
だから彼らはうそぶいてるんですね。
日本の警察に事情は話したと。
で自分はちゃんとこういう自由の身でいるんだから、こっちの本に書いてある事は嘘なんだと。

絶対深刻な問題だと思うんですけども、拉致という国家が命令して組織的に行われるテロに対して、刑法で、一人ひとりの個人で裁く刑法で対応できるのか?ってことですね。
実は日本も、日本国内で刑法で対応できない時のための法律があるわけです。
破壊活動防止法と言う法律を日本国は持っているわけですね。
組織がですね、組織として日本国内の治安を乱そうとする。
体制を転覆させようとする活動をする。
組織として毒ガスを作ってですね、地下鉄で撒く。
言う事をやった場合はその組織を解散すると。
個人が特定できなくてもですよ?
組織に対して解散命令を出す。
そういうことの可能性のある組織については、専門の機関を作って監視すると。
言うのが破壊活動防止法ですよね?

それで公安調査庁という警察とは全然別の組織があるわけです。
それは組織が組織的に治安転覆活動をやった場合には、刑法では間に合わないと言う認識があるわけです。
それを日本国内でオウムのように監視が出来る組織の法律なんですね。
海外に拠点のある、朝鮮労働党が命令して拉致をしたわけです。
朝鮮労働党は拉致の目的のひとつがテロだったわけで、115人も殺したわけです。
ラングーンでも爆弾を爆発させてますよね?
まだ、朝鮮労働党に破防法をかけて解散命令を出すのは・・・(会場内少しクスクス笑い)
それは日本国内でしか出来ないわけです。
普通の国は防諜機関があるわけですね。
国家対国家の関係で謀略をやったりテロをやったりすると。
国家同士で。

つまり日本はオウム真理教や過激派の左翼や右翼の過激派みたいのを監視するわけですよ。
もっと危ないのはテロ国家です。
実際に拉致をしたんですから。
それに対しては刑法でしか適応してない。
だから長瀬さんが最後に言ったような事が起きるわけですね。
拉致認定してるのに、長瀬さんたちが犯人の所に行って一時間半くらいテープを録って来るけれど、警察は逮捕できない。
どこにいるか分かってるわけです。
堂々と暮らしているんです。

彼らに言わせれば、法治国家で自分たちが捕まえられていないと言う事は、推定無罪だと言う事ですね。
有本のお父さんはいつもそう言って、「法律変えても拷問でもせい!」っていつも言うんですけど。
「なにやってるんだ!」と。
そういう気持ちは分かりますよね?
目の前に犯人がいて、出来ないわけですよ、何にも。
(会場より「名前とか電話番号、教えて欲しいですよ。インターネットに書いちゃう」の声)
あの~~、そういう固有名詞が出てなんとかという事になるとこれはリンチになっちゃうんですね?
今そういうことしか出来ないのか?ということになっちゃう。

つまり基本的な問題は日本に防諜機関が無いということです。
謀略を仕掛けられたとき、情報機関が無いということです。(会場より「甘いね」の声)
テロを仕掛けられるんですよ、国家と言うのは。
こちらがテロをする必要はないですけれども、テロに対して守るには破防法かもうちょっと、つまり組織が組織としてテロをするんだと。
金賢姫一人死刑にしてもテロは無くならないんですよ。
命令した人間が問題なんで。

ただ暴力団についても暴対法というのを作ってるわけですね?
組織を相手にした法律があるわけです。
しかし、日本人を拉致した相手に対しては、無いんですね。
で、警察と外務省はそれぞれの枠の中でしか、取りあえず無いと。
金正日が拉致を認めて大きく進展したように見えてますけど、いま今日の話で一番良く分かるのは誰も捕まってないということです。
裁判も起きてないです。
誰も起訴されてない。
そして時は過ぎていくわけですね。

田中実さんの拉致認定について言うとですね、私は若干長瀬さんと違って少しは進展したんじゃないかとみるべきじゃないか?と言う意見なんですが。
私の見方は、警察と首相官邸との大変な深刻な対立があって、警察が勝ったということじゃないかと思います。
去年の2月くらいから警察庁の幹部が田中実さんと小住健三さんは認定ほぼ間違いないんだと。
後は政治的決断だけだと、言う話をしていると言うリーク情報が流れてくる。
我々も耳にするから、こういうところで何でしないんだ?と。
実際にその警察庁の幹部がそういう話をしていたようです。
何でするのか?ということですよね。
政府の中に居ながら、政府のやってる事をに不満を覚えていると、警察庁の捜査機関のトップがそういうことを言うんです。
異例中の異例ですよね?

今の法律の中でできる事と出来ないことがあるわけですね。
認定は警察は出来ないんです。
しかし、去年進んだのは新しく認定する方向じゃなくて、首相が2回目の訪朝をする方向だったんです。
首相の2回目の訪朝、そして参議院議員の前に蓮池さんや地村さんや曾我さんのご家族が帰ってくる。
言う事の為に官邸が動いていたのは間違いがないですから。
その中で政治的な決断として、認定がされない。
それにたいして不満がある部署が情報をリークして、世論を使おうとしている。
結局首相が訪朝して子供たちが帰ってきて、参議院選挙の前だから、総理大臣が朝鮮総連の大会にメッセージを出したんです。
自民党総裁の名前ですけどね。

その朝鮮総連というのはどういう組織か?と言うと、この今の地下組織とつながってるのが朝鮮総連なわけです。
破防法で朝鮮総連見張られているわけです。
先ほどの破壊活動防止法で監視の対象になってるんです。
そしてこの張龍雲さんはもともと朝鮮総連の商工会に勤めてたわけですね。
60年代に勤めてて、神戸の税務署に乗り込んで机叩いてパチンコ屋さんとか焼肉屋さんの税金を、日本は36年間ひどいことをしたんだから、こんな高い税金払えないと言って負けさせてですね。
そのお金と洛東江に入れてたんです。
だから財務担当だったんです。
日本の税務署で払われるべき税金が払われなくて、日本人を拉致する資金源になってたんです。(会場より「え~?」と言う声)

だから彼はその事を書いてるんですね?
その部分は彼がやった事ですから。
拉致は彼がやった事ではないから聞いた話なんですけども、その税務署との関係は自分がやった事ですからね。
だからさっき言ったように財務担当なんですね、彼はね。
そういうことをやっていた朝鮮総連を調べるために法律を作るとか、朝鮮総連の背後にある組織を調べるんじゃなくて、大会にメッセージを出した。
それが小泉総理が昨年の5月以降にやった事で。

金正日としても実は日本国内にある組織を守る事は重大なことなわけです。
去年の5月に小泉総理が北朝鮮に行ったとき、在日朝鮮人に対する差別を無くすと言う事が言及があったわけです。
差別というのは何かと言うと、こういう事を調べられる事が差別だという。(会場より溜息の声)
法律を普通に適用されない事がなぜ差別になるのか?
しかしまぁ、そういうことが起きて、そして小泉訪朝のあと家族が帰ってきて。
参議院選挙前に帰ってきて、朝鮮総連にメッセージを出すのと、どうか分かりませんけどそういうことがあって。
再調査が行われていたので、北朝鮮を刺激したくないということで認定がずっと遅れてきた。

しかし偽の遺骨が来たわけですね。
日本政府もけしからんという事になって、12月の24日に北朝鮮の出してきた証拠は全く根拠がないと。
誠実に迅速な対応を求めると、それがなければ厳しい対応をすると、官房長官が話をしたわけですけども。
その後、認定は今度起きなかった。
そして5月に認定されたわけですけど。
その時田中さんだけだったんですね。
小住さんは認定されなかった。
当時最初から田中さんと小住さんと言われていたのに、何で田中さんなのかなと?
色々当時の警察の出した資料を見て色々考えるんですけどね。

今言ったのは私の仮説ですけどね。
新しい情報があったから認定できたと言ってるんですね。
新しい情報と言うのは2月くらいらしいんですが、田中さんの知り合いの方複数の方が当時田中さんが北朝鮮に行って中華料理を作るとか、北朝鮮に行けばお金が入るとか。
北朝鮮と言う事を話していたと言う証言がこの2月くらいに取れたと。
しかしそれも、事実のようですが、新しい物を何か取ったんですね。
そして認定となったと。
そう書いてあるんですね。
警察の発表にはそう書いてある。
新しい事があった。

最初は曹廷楽が何か新しいことを言ったのか?と思ったらそうではないんですね?
小住さんは認定されなかったんですね。
これはどう見るべきか?ということなんですけど、つまり今の時点で小住さんと田中さんを一緒に認定したらどうなるか。
じゃあなぜ今なのか?
去年一年間政治的に参議院選挙や朝鮮総連などのパーティーにメッセージを出したりするのに政治的な判断で遅らせたんじゃないか?と言われてるんです。
それに対してちゃんと反論できるためには何か新しい材料はないか?と。

田中さんは新しい材料が出てきた。
新しい材料が出てきたから、認定したんですよと言う論理が通じる仕組みを警察が作ったと。
警察は両方やりたかったから情報リークして世論を盛り上げておいて、官邸を圧迫して、完全にもうひとつ逃げ道を作って。
新しいのが出来ましたから、官邸は非難されないようなやり方で認定が出来ますよ、と言ったんじゃないか?
でもそういうことしか今の法の枠組みで出来ないとすれば、警察も悔しい思いをしているんじゃないか?と私は推測しています。

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西岡力副会長のお話 その2


そうすると今の仮説が正しいとすると小住さんの認定というのは大変難しいと。
新しい物が出てこないで今やると認定の基準が何なのか?
今裁判が起きてますよね?
そこで明らかにしなきゃならなくなるわけですけども。
今の段階では(認定)出来なくて、新しい物が出来たら(認定)するんだという枠組みを崩すと。
金正日を刺激したくない時は(認定)出来なくて、金正日を刺激しても良いという時は(認定)出来るんだと。(会場内小さな笑い声)
いうことになるわけで。
そんな事言えないでしょうから、小住さんのことについても情報を集めたりする事は必要でしょうけども、基本的にはこの枠組みでは、犯人・金正日が拉致を認めたのに。
そして被害者が5人帰ってきて拉致された事が明らかになっているのに、誰も逮捕出来てないんです。
このまま行けばこのまま終わってしまうんですね。

長瀬さん時効の話をしましたけれども。
今の警察庁長官、漆間さんが2002年の3月に参議院の防衛外交委員会で答弁しているんですが。
有本恵子さん事件に関する八尾恵ですね。
八尾恵の容疑は時効が成立していないと。
その解釈は、有本さんがまだ帰ってきてないので犯罪行為が終わっていない。
誘拐罪であれば人質が解放されるまで、犯罪は続いているという解釈ですね。
という事を、言ってるんですね。
にも拘らず八尾恵をまだ逮捕していないのは、あるタイミングでやろうと思ってるんだろうな?と言うふうに思うんですが。
しかしそれも解釈ですよ?
しかしそれも帰ってきたときどうなるか?ね。

このまま普通に解釈すれば時が経てば、刑法で言えば時効というのがありますよね?
八尾みたいに日本に帰ってきちゃった人間は時効が進むんですよね。
黒田も森も帰ってきて、8年経てばもう時効になっちゃうと。
この今の法律の体系では、誰も裁かれないで終わってしまうことも有り得る。
本当に悔しい思いがするんですけども。
じゃあ、いったい日本国はどうするのか?ということなんですよね?
本当は拉致特別委員会でこういうことを真剣に話をしてもらいたい。

犯人も目の前に。
田中実さんが拉致認定されたとき、犯人がいるのに逮捕できないのは一体どう考えれば良いのか?
衆議院特別委員会には曹廷楽と韓竜大を参考人に呼んで欲しいと、家族会と救う会で申し入れをしてあります。
理事会は今検討しているという所だと言いますが、まだ呼ぶというというアクションさえしてないんですね。
呼ぶというアクションをして拒否された・・・(聞き取れず)かもしれませんけれども。
彼らは日本で合法的に住もうと思うのならば、偽証罪が成立する所でちゃんと話をしろと。
いうふうに僕らは強く言いたいと思っていますけども。
まだまだ闇は深くて、それがだから日本の中に潜伏しているということですね。
(会場より「やだね」「いや~、恐ろしい」の声)

安明進さんは日本国内の地下に潜入している工作員を、300人だというふうに政治軍事大学で聞いたと。(「ほぉ~」の声)
言ってます。
(会場より「今日誰か来てるんじゃないの?」の声)
分かりません。
ただし、北朝鮮から来た人だけじゃなくて、朝鮮総連の青年組織の人間が、工作船などに乗って行って
軍事訓練を受けると。
そして帰ってきた人も入っているというふうに、政治軍事大学で聞いたと。
いうふうに言ってます。
一部警察も掴んでると。
24時間尾行している人もいるという話を聞いてます。
実は闇の中でも戦いは続いていて、全然分かってないわけじゃないんですけど。
しかし、法治国家として今の刑法では北朝鮮の工作員だからと言って逮捕できないんです。
逮捕できるとすれば不法入国ですね。
今までも日本の警察は不法入国で逮捕しましたけども、その人たちはそのまま(北朝鮮へ)帰るんです。

よど号の妻たちだけじゃなくて、子供たちも帰って来てますよね?
日本政府は子供たちに旅券を出してるんです。
家族連座制と言うのは無いですから。
その子供たちがだいたい交代で月に一回くらい平壌に今行ってるんです。(「え~?」「おかしいじゃんこんなの、スパイじゃない」の声)
だからメッセージを伝えるのに、一番良いのは人から人なんですね?(「げ~!」と言う声)
電話や手紙や、メールも誰かが見るかもしれない。
・・・(聞き取れず)の能力があったらいろんなことが出来ますから。

しかし人から人へというのは絶対大丈夫ですから。
帰ったよど号の人たちと、北朝鮮にいるよど号の人たちをひと月に一回くらいは人を通じて話が出来ると。(「ふ~ん」と言う声)
しかし日本は憲法の下、人権が保障されていますから、親がスパイだからといって。
つまり親が旅券法違反の有罪者というだけですよね?
執行猶予がついてる親の子供だからといって、パスポートを出さないということは出来ない。
(「冗談じゃない」の声)
しかし、めぐみさんたちは帰ってこられない。

これは最近韓国のそういう情報関係の人から聞いた話ですけども、同じ事を言われたんですけども。
日本は全く分かっていないと。
平島さんという日本人妻が北朝鮮に帰りましたよね?
北朝鮮に家族がいる人たちが一番弱いのは家族の身に何か起こるって事だと言われることだと。
本人の意思云々を北朝鮮にいる人たちが考えるという事事態がおかしな話で。
今北朝鮮は遺骨の問題で日本から攻められているので、どうも自分の意思で日本に帰ってきた日本人妻が実は自分の意思じゃなくて(日本に)拉致されたと。
言わせるような謀略を考えているようだと。

その人の私が間接的に聞いた話では、確認取れてないんですが。
もう一人日本人妻で平島さんと同じように帰ってきた人が、今中国に出ているという情報があります。
その人が突然記者会見して、「将軍様、万歳!」と。
日本に出てきた事は拉致されたのだと、言う可能性があります。
実は平島さんは日本人妻とたくさん会ってるんですね。
どこに誰がいるか知っていて、その情報を持って帰ったわけです。(「危ないな~」の声)
日本人妻の人たちがマスコミの前に出るのを一所懸命に避けるのは、自分が日本にいるのか中国にいるのか北朝鮮国内で行方不明になっているのか?
北朝鮮当局は掴んでないんですね。

日本にいる事が分かると家族の身の上に何があるかも知れないし、家族を使って脅迫されるかもしれない。
という国で。
つまり向こうは組織を挙げて謀略をするわけです。
弱いところを突いてくるんです。
それに対して刑法で一人一人特定して、平島さんについて言うなら脅迫罪で、誰が子供の事を手紙に書いたのか?電話をしてきたか?
それを誰々の誰ベェと特定しなければ、犯罪としては扱えない。
本人が記者会見してるんだから、本人に聞いて見なければ本人の意思かどうか分からないなんて言ってると、どんどんどんどん向こうは意思を持って謀略を仕掛けてくると。

それは寺越さんについても同じですよね?
寺越武志さんもお母さんとご本人が認定してくれるなと言ってるから認定しないと。
寺越さんは向こうに家族がいるし、日本に来た時も家族が北朝鮮にいたわけですね?
そういうときに本人の意思が自由意志なのかどうか?
国家として考えれば分かるはずなんですけども。
そういうことを判断できる組織がないわけです。

アメリカは今、下院の外交委員長が下院に出した日本人・韓国人の拉致問題の決議案で、寺越事件も拉致だと認めてるんです。
上院と下院と両方あわせて決議をすると言ってるんですね。
それを寺越さんのお母さんや武志さんにインタビューした結果じゃないんです。
状況を見てアメリカ議会として拉致だと思う、ということなんです。
家族が向こうにいる人にインタビューして本当のことを言うなんて思ってないから、そんな事はしない。

日本がその立場に立ってたのは、中山恭子参与がいたときに5人が帰ってきて。
2週間の予定で帰るといったときに、本人の意思ではなくて日本国として残しておくと決定したんですね。
それは本人と家族が一緒にならなければ、本人の意思の表明ができないという国家の判断があったんです。
じゃあ寺越事件についてなぜそれをしないのか?
平島さんについてなぜそれをしないのか?
ということをしなければどんどんどんどん、彼らの謀略戦術は続いていきますよね。

そして本人たちが自供するか、証拠がなけれが有罪にできない。
国家犯罪は、組織犯罪はどんどん続いていく、という悔しい状況で。
我々民間機関が情報を集めるなんて言ったって、ほとんどごまめの歯軋りみたいな物で。
何も出来ないですけども、おかしいではないか?と言い続けることは出来るんです。
やっぱり、ぽっかりとどこかまだ穴が開いていると。
見ない振りをしてますけど、日本国内に拉致の犯人はいると。
金正日の命令があれば、日本国内で爆弾を爆発させるような事ができる人たちが300人位はいると。
それがテロ国家だという事なんですね。

しかしそういうテロ国家に対して、最近一番思っている事は、昨日もワールドカップのサッカーの試合がありましたけども。
日本と北朝鮮が国際的な所で試合出来るんですよね?
まぁ、あれはFIFAという国際サッカー連盟に入っているからしょうがないと言えるかも知れませんが。
今度は何ですか、東アジアカップとか言って、日本と韓国と中国と北朝鮮で試合をするっていうんでしょ?
北朝鮮とスポーツ交流できるような、国と国との関係なのか?ということなんですよ。
戦争してたら、スポーツ交流なんか出来ないですよね?
アメリカと中国は、最初卓球交流と言うのをやったんですね?
大変敵対的な関係だったけど、ある段階に来てニクソン訪中の前に卓球交流をやったんですね。
国と国の関係が悪くなればスポーツ交流なんて出来ないんです。

しかし今の日本と北朝鮮の関係は、北朝鮮の国会議員が日本に6人住んで自由に行き来できると。
万景峰号も自由に新潟に入ってこられると。
北朝鮮と日本は有効の為にスポーツ交流をすると。
北朝鮮の歌劇団が来ると、地方自治体が支援金出して後援して、なんかいろんなところで北朝鮮の芸術が披露されて友好が図られる。
何も問題が無いかのような事が過ぎていくんですね。

実際は犯人は誰も逮捕できない。
地下組織が日本国内にあって、るみ子さんや八重子さんやめぐみさんたちがまだ帰って来られないのに、総理大臣が今年も今度は総連の50周年の記念パーティーにメッセージを出したと。
これ、普通の国と国の関係ですよね?
あたかも何も起きていないかのように、皆振舞っている。

で、今日お配りしましたけども、座り込みの実施についてという・・・(会場内ガサガサとチラシを広げる音)
我々は今日本と北朝鮮の関係が許す事のできないくらい悪化していると思っています。
異常な関係だと思っています。
現状維持は絶対許されないくらいひどく悪化していると思っています。
普通に過ぎていく事は絶対に許してはいけない状況だと思っています。
日本政府、法律が未整備の中でも3人の犯人を北朝鮮に引渡しを求めてるんですよね?
シン・ガンスとキム・セホと阿部公博ですね。
それを北朝鮮は返さないわけです。

シン・ガンスは2000年に、韓国にいたのに北朝鮮に送られてしまったんですね?
そのシンを送った大統領というのが日本に来て東京大学で、朝日新聞とトヨタ財団の後援でシンポジウムに出て堂々と話をすると。
その東アジア情勢のシンポジウムでは、拉致問題は一言も話をされないと。
そして同じ時期小泉総理は、総連のパーティーにメッセージを出して。
シン・ガンスが北朝鮮に送られた事は大変遺憾な事で、そしてその北朝鮮にいるシン・ガンスを日本に送らない事は大変な遺憾な事だと思ってたならば、こんな事は出来ないわけですね。

余りにも日常生活が日常生活で回っているので、闇の存在を気付いていない。
気付いているのは家族だけなんです。
帰って来れない人たちは分かってるんですね?
自分の家族の中にポッカリ闇が開いてるんですから。
どこにいるのか分からなくて、今消息も全く分からない20何年間かが過ぎてるわけですけども。
同じ北朝鮮に対して、何もしないと。
いうのは絶対に我慢できないと言うふうに、この間週末に家族会と救う会の幹事会を開きまして、議論しました。
我々は今の状態が良いとは絶対に思わない。
今のまま放棄すると現状を我々も認めている事になってしまう。

横田滋さんが記者会見で、座り込みをするのは本意ではないと。
経済制裁も本位ではないけれど、このまま何も起きないで過ごすと拉致問題がうやむやになってしまうかも知れないと思って、やむにやまれす座り込みを決断しました、と仰ってましたけど。
同じ気持ちです。
普通に北朝鮮とのサッカーが出来て、船が入ってきて貿易も出来て。
朝鮮総連の人は自由に行き来が出来て。
拉致をしたグループの子供は、月に一回パスポートを持って(北朝鮮に)行って相談して、また帰ってくると。
日本の中にいる犯人も捕まらないと。

法治国家ですから、法に基づく事しか出来ないとしても、世論があって選挙があってですね。
民主主義の結果、制裁法と言うのができたわけですね?
去年、国会は制裁法を作ったわけですから。
北朝鮮の船を止める事ができるわけです。
制裁法は議員立法だったんですけども、制裁法を提案した議員の人たちは、制裁発動の理由に日本人拉致問題が入ると。
提案者たちは言ってるんです。

だから後は総理の決断だけなんですね。
決断をしないということは、この問題はそれほど重大な問題ではないということです。
重大な問題ではないと考えている、ということですね。
我々は重大な問題だと考えている。
今の普通の日常はおかしいと思う。
ですから今の普通に過ごされていて、これが6ヶ月経っても何も起きなくて、7ヶ月8ヶ月ということは絶対に許されないと。

そう思って6月の24日午前10時から首相官邸の近くで、まぁ、喧嘩をするつもりはありませんから。
警察ともみ合うような場所じゃなくて、通常他の人・グループが許されているような所で座り込みをやろうと思ってます。
まぁ議員会館の前あたりの道を考えています。
ご家族の方は5年前に比べて5年歳を取られてですね。
皆さん高齢で首が痛いとか足が痛いとかいろんな方がたくさんいらっしゃる中、決断するのは少し迷いましたけど。

そういう人たちでも、家族の人たちには闇が見えているんですよ。
おかしいと。
このまま時間が普通に過ぎていく事は許されないと。
このまま日本国内で曹廷楽や韓竜大が普通に過ごして、畳の上で天国へ行くというのはおかしいじゃないか?
田中さん帰って来られないのに。
で組織犯罪ですから、北朝鮮と言う国がやったんですから。
北朝鮮に対してNOと言うには今制裁法案持ってるんですから、万景峰号を止めると。
貿易を止めるという事をやって欲しいと。
北朝鮮の国会議員の自由往来をとめることをやって欲しいと。
その要求を持って、座り込みをします。

集会じゃないのでですね。
道路使用許可を取って集会をやるというわけじゃないので、何月何日集合、皆さん不特定多数の人が来てくださいという事ではないんですが、我々は座り込みをします。
横の道は空いてると思います。(笑い声)
それぞれ自分の意思で来てくださる方は、その道の横にお座りくださるのは国民の意思だと思います。
どのくらいの方が来てくださるのか?
今のままで時間が流れていく事は許せないと思う方は、ぜひいっしょに来て頂きたいと思います。(拍手)
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増元照明事務局長のお話


古川了子さんの裁判が先日始まりました。
この田中実さんの認定にも関係があるんですが、田中実さん認定が4月25日です。
発表したのがここ半年ほどで一番騒々しい出来事、JR西日本の事故があって、その日にぶつけて来たのかな?という、そんな感覚でいるんですが。
事故の方が大きくなって、田中実さんの認定の報道の方が小さくなった。
それくらい考えたんですが。
で、調査会の方では、田中実さんの認定は古川了子さんの裁判と言うかそれを提訴したからではないか?
先日裁判所でちょっと聞いたんですけど、政府はこちらからの提訴に関して、向こうの要望書。
とにかく提出した書類を見るとまずその私たちの提訴を忌避して頂きたいという、その要請があったということです。

つまりこれは自分たちが一生懸命やってるんだから、それは当然やっているのだから、裁判で争う必要はないでしょうと。
で、その結果として、田中実さんを認定しているではないですか?と。
そういう言い訳に使われているのではないかな?と、いうことを言われております。
それくらいちょっと姑息ではないか?と、私は思うんです。

政府のやり方は非常に姑息で、小泉再訪朝の時もそうですけども、私は二日前に聞いておりました。
まず食糧支援をやる事と、それからふたつ官邸サイドで。
もうひとつはなぜか意味が良く分からなかったんですけど、在日朝鮮人の差別を対して非常に・・・(聞き取れず)
この二つです。

なぜ?あの時この二つをやらなければならなかったのか?
今言っているように、朝鮮総連へのメッセージもひとつ入ってますし。
更に全国で行われている朝鮮総連の施設に対する課税。
あれの動きを止める意味合いもあったのではないか?
しばらくは止まっておりましたけど、また再燃しておりますので。
朝鮮総連の施設に対する免税措置は、普通の適正化ということで、やはりしっかりやっていただかなければならないと考えています。

田中実さんの認定の中で、先ほど長瀬さんのお話にあった中で張龍雲と言う人が出てきましたけど。
去年の12月の増元るみ子の集会の中で出てた、あの時私の姉に子供がいるという祐木子さんの話。
あの時この場で私言ったはずなんですが、3つの方向から子供がいるという話を聞いて、ひとつは祐木子さんなんです。
ひとつはこの張龍雲さんからの話なんですね。
張龍雲さんに、兵本さんと言う方皆さんご存知だと思うんですけど。
兵本さんが張龍雲さんからしつこく聞いて、市川さんとうちの姉に子供がいる。
何人いるんだ?と聞いたら、二人。
祐木子さんは子供がいるとしか聞いていません。
その後もうひとつ平成12年に入ってきた別の情報も、子供がありとしか書いてないんですけども。
張龍雲は二人と言ったそうです
そういうこともある。
この拉致という問題、色々な人間が絡んで色々な情報が錯綜しているという事なんでしょうけれど。

とにかくこの現状、明日は万景峰号が入ってきますので、これから新潟の方へ行きますけども。
万景峰号の入港を阻止するのは経済制裁とかそういうのではなくて、小泉さんが一言言えばいいんです。
拉致被害者を全員返すまでこの船を入港させませんと。
入港を求めるんだったら、拉致被害者を全員返しなさい。
そして大型工作船である危険な船であるというふうに認定すれば、小泉さんが認めれば入れる事を拒否する事が出来る。
経済制裁でもなんでもなくて。
普通の一般の船ではなくてあの船は危険な船であると、私たちは認識しているはずなんですけど、小泉さんは認識していません。
新潟県民も余り認識してないようですけども。
北側国交相も認識してないでしょう。
あの船は大型工作船であるということを、私たちもっと広めていかなければならない。
そしてあそこの新潟埠頭でもっと大きな声を上げていかなければならないという事で、今日これから行って参ります。

それでは先ほど24.5.6、私たちは座り込みをやります。
同じ思いの人が集まってるのを誰も止める事は出来ません。
ただ意図的に混乱を作る方が出てくる可能性があります。
それに対しては厳しく対処していきたいと思います。
私たちと同じようにお思いの方がいらっしゃたら、粛々とやりましょう。
お願いします。(拍手)
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飯塚繁雄副代表のお話


皆さんこんばんは。(拍手)
いつも大変応援いただきましてありがとうございます。
今日は田中実さんの色々な状況についてとか、それについては私も今日初めて詳しい事情を知りました。
こういった事情を持った人がまだまだたくさんいると。
しかももう間違いが無いと判断された方が、33人います。
先日支援室を訪れまして、政府官邸に申し入れ書を出しました。
その中で我々調査会が申請した人を早く認定してくださいという事であります。
それとこの問題に関して、我々の願いを更に小泉さんに伝えるために、ぜひ会いたいという申し入れもしました。
しかしながら伝達なんですけれど「私は家族の人たちともう3回会った。もう会いません」と、こういう返事なんですね。(冷ややかな感じの笑い声)

ですから、そういうことを色々考えますと、今日西岡先生の解説にも色々説明ありましたけれど。
我々今までいろんな活動で頑張って参りましたけど、一体何をすれば良いのか?
言うようなことにだんだん突き詰められまして、もはや今の状況を見ると、小泉総理が我々の対応する唯一の人だと。
ここではちょっと言葉を控えますけども、そういう状態になって来てますね。
経済制裁につきましても段取りは全て出来てるそうです。
総理の一声があればいろんなケースの制裁が即発動できるという段取りが出来てると、いうことも聞いております。
私たちもう我慢の限界だと、いう時期が何回も来てるんですが。
ここに至っては、この拉致問題解決するのかな?と、言う不安も感じますが。
やはりそうはいってもやるだけはやっておかないと我々の気持ち、皆さんの応援がありまして今回座り込みやりますけども。

実際これをやるについては論議ありました。
それから議員の先生方からも色々言われました。
それで官房長官に向かって、こんなかわいそうな家族を座り込みまでさせるんですか?
同じような発言もありましたし。
それを聞いてどう思ったか分かりませんが。
確かに横田夫妻、私も少しはそうですけど歳を取って体中が痛い。
本当に座り込みなんかさせるのは大変な判断なんですね。
可哀想なんです。
まぁそれでもやらなきゃならないという今時期にありますので、我々ちょっと3日間座り込みという形で、抗議やりますので。

これはあの怒鳴り込みとかそういうのじゃなくて、粛々とメッセージを掲げながら訴えていくと。
いう形にしたいと思いますので、ぜひ皆様も何らかの形で応援いただければ大変ありがたく思います。
こんな事件がですね。
もっと10年くらい前に発覚してどんどん進展すれば、もっともっと特定者の人たちの情報もハッキリと分かっただろうし、私たちの家族も早い解決につながったんではないか?というふうに悔やまれますが。
今となってはそれを挽回させるような・・・(聞き取れず)は無いと。
いうことでそういった覚悟でこれからもやっていきますので、ぜひ相変わらずの皆さんご支援・ご支持をよろしくお願いします。
ありがとうございます。(拍手)
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2005年6月 8日 (水)

マスコミの重要性

昨日ザ・ワイドでの有田芳生さんはいつもより、声を強めて 拉致に触れていらっしゃいました。
座り込みにも触れて、「決して核問題に埋没させないよう、日本が世界にアピールすべきだ」と。
有田さんの日記酔醒慢録には拉致問題に触れる部分がよく見られます。有田さんの中にはいつも拉致問題へのアンテナが張られており、心配してくださっているのだと思います。家族の座り込みに関してはマスコミがほとんど取り上げない状況で、ご自分のコメントの中で精一杯触れてくださったと感じました。4.24の日比谷にも野外で参加されたとのこと。

竹島行きを果たした勝谷誠彦氏もいつも温かいコメントをしてくれます。4.24についての報道が少ない中、別なテーマのコメントでも触れてくれていました。私には、なんとかこの集会に触れようと努力してくださっているようにみえました。今朝のテレ朝、やじうまプラスでも同様でした。勝谷さんも日比谷の野外にいらっしゃっていました。

もうひとり、いつも大きなブルーリボンをつけて温かいコメントをくださる加藤タキさん、何度か集会にもお見えになり、ご家族への優しい視線が印象的な方です。

先日群馬の集会で、いくつかの報道機関の取材をみました。
TBSはその日、増元さんのインタビューのみの予定で来ていましたが、主催者の丁寧なお声がけで、最後まで取材をしてくれ、TBS報道特集のそれが9分の報道に繋がりました。このプロデューサーは、拉致問題に積極的な取り組みをしています。9分はこのところの拉致関係の報道では長い方です。

当日初めて取材に来たNHK群馬の女性記者は、関係者に理解を示し丁寧に挨拶をしていました。私は『拉致は人権の大切な問題です。公共放送のNHKがせめて集会の案内・最新情報などを毎日5分でいいから、三宅島情報や新潟地震情報のように流して貰えないでしょうか?』とこの記者に言ってしまいました。NHKが報道することの大切さは小川晴久さんも強く仰っていました。

一人でも多くの報道関係者が、この事件を理解し、積極的に取材して欲しいものです。そして文化人、コメンテーターも味方にしたい。彼らが一言触れることで、世論は喚起されます。マスメディアを活用する努力も、座り込みに向けて本当に大切だと思います。
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古川了子さん拉致認定を求める訴訟口頭陳述(竹下珠路さん)

 本日は私共の訴えにあたり、貴重な時間をいただき心から感謝申し上げます。

 私たち家族は、平成9年に北朝鮮の元工作員安明進氏から目撃証言を平成14年12月に私が面会して、さらに明確な証言を頂き、妹古川了子が拉致被害者であるという認識を固めました。しかしそれから二年半たった今でも、北朝鮮との交渉において、古川了子に関して交渉テーブルに名前すら載らないという悲しい現実があります。名前を出さないという事は、日本国が政府認定以外の数多くの拉致の存在を認めていないということになるのではないかと、大変危惧しております。

 母古川朗子と私は、平成14年12月には千葉県警察本部に対して「古川了子の北朝鮮による拉致事案として捜査要請」を行ないました。平成16年1月には同じく県警本部に対して被告発人不明のまま「国外移送目的略取誘拐」の罪で告発を行ない、また同年の7月から「古川了子の拉致認定を求める署名活動」を展開し、集まった尊い署名148,123名分を平成17年3月22日に内閣府へお届けしました。このうち12万余名は出身地の市原市民の方々です。

 千葉県警察の方々も日夜精一杯の捜査活動をしていただいていることはよく存じています。その結果「国内に生存しているとか、事件に巻き込まれて死亡したとかの情報は一切ないのです」というお話も伺っています。拉致されたという以外に考えられない状況です。
拉致被害者認定をいただいた後も、そこから先の道のりの険しさがあります。従って一刻も早く認定をしていただき、救出に向けた動きに転じて頂きたいという、止むに止まれぬ思いで今回提訴申し上げました。

 32年の歳月はあまりにも長く、本人も待ち侘びる母も命には限りがあります。

 日本国民である古川了子を拉致被害者として認定し、国の力を結集して救出に向かっていただけますよう、公正なご判断をよろしくお願い申し上げます。
  
                     平成17年6月7日
                     古川了子の実姉  竹下珠路

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2005年6月 6日 (月)

苦渋の決断を支える

   

6月5日、午前の仕事を早々に切り上げ、吉祥寺駅頭へ向かう。自民党青年部・青年局の全国一斉街頭活動を見るためだ。今日、全国で一斉に自民党若手議員が「北朝鮮拉致事件」をテーマに街頭行動をするとラジオで聞いて、どのような訴えをするか聞きに行った。街頭には既に自民党関係者の動員もあって有る程度の人が集まっていた。のぼりには「北朝鮮問題の全面解決」と書かれている。若手議員は元気よく北朝鮮の非道さを訴えていた。それなりに筋は通っていた。

今日救う会の幹事会と聞いていからこそ見たかった。吉祥寺は24日の渋谷よりにぎやかだった。東京は都議選を前に候補者であろう議員の名前の入ったチラシも配布されていた。こんな活動でも政党は人集めは強い。

横田滋さんは、何度もその想いを振り切って闘ってきた。めぐみさんの写真を公開するときも、悩んだ。家族と共にめぐみちゃんを奪い返すために公開に踏み切った。それは英断であり、このことがなければ現在の拉致解決への運動は無かったと言っても良い。

ヘギョンちゃんに会いたい気持を断念したのも、大きな決断だった。自分の中にある孫への想いを押し込めて、北朝鮮の狡猾な作戦をはねつけて、現在の活動がある。

今回も最後まで決断を渋ったのは横田滋さんではないだろうか。私の勝手な想像である。その逡巡する背中をぽんと押したのは誰だろう?何もしない日本の政治?小泉総理?関係者?署名台の前を見て見ぬふりして通り過ぎる無関心な国民?いや、私たち支援者かもしれない。

ご家族を支援する私たちにも家族をここまで追い込んだ責任があると思う。現時点では座り込み自体は家族と救う会関係者に限定される模様。座り込み後の集会の企画はあるらしいが、私たちが応援に行っても警備の都合上側に、ご家族には近づけないかもしれない。差し入れも出来ないかもしれない。

ご家族は群がるマスコミの前にその年老いた姿を座り込みという形で見せる。私たちは家族をただ<さらし者>にしてはいけない。物見遊山にピクニックのように見物する人のないようにしなければならない。その家族の気持を、体を守らなければならない。

その為に私たちの出来ることは、「如何に苦しい心境で彼らが決断したか」を伝え理解して貰う事である。

吉祥寺から急いで上野に向かう。電車の中で巡る想い。家族に何故こんな事までさせなくてはならないのか。日本という国家は一体どうなっているのだろう。座り込みをしても恐らく経済制裁は発動されない。それならガス抜きに「小泉首相か政府関係者が面会すること」でお互いの対面を保つのだろうか?又は、北朝鮮議員の再入国停止でお茶を濁すのだろうか?

その怒りと悔しさから、私の声は少しばかり過激になる。


「ご家族は座り込みを決意しています。家族に会いたいというそれだけのことを、訴えているにも関わらず、政府は何も動かない、不甲斐ない日本。このような状況に誰がしたのでしょうか?
日本という国家を形成する一人一人の国民、私がそうさせたのかもしれません。その責任は私にもある。貴方にも有るんですよ、どうかせめて署名をしてその責任を果たしましょう。貴方の署名が一筆足りないのです。」

声の勢いに気付いて顔なじみになった階段の画家さんが立ち上がって手を振ってくれる。新潟の高校生が署名してくれる。

私たちは、決して盛り上げるだけではならない。苦渋の決断の中にある悲しい現実と悲痛な想いに、深くしっかり向かい合い、その苦しみの一端でも支援の輪の外にいる人に伝えなくてはならない。(金木犀)

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あさり原産地表示プレリリースまとめ

蒼き星々掲示板みつばさん投稿から
 
農水省から 「アサリの原産地表示の根拠確認状況(4月末まで)について」が公表された。

今までのプレリリースの内容に加えて、分析(というとオーバーですが)します。

項目の内容をアルファベットに置き換えたり、4回のプレリリースを記号(1)(2)(3)(4)で表します。
農水省プレリリースに記載されている調査状況の概要の表ですが、次のように記号化します(前回通り)。
A:国内の産地名が表示されていたもので、仕入伝票等との不整合がないもの
B:原産地として外国名が表示されていたもので、仕入伝票等との不整合がないもの
C:産地表示の欠落その他不適正表示があったもの
D:産地表示をしていたが、表示根拠がなかったもの
(1)は1月下期分のプレリリース、(2)は2回目のプレリリースで1月15日~2月28日調査、(3)は3回目のプレリリースで1月15日~3月31日調査、(4)は4回目のプレリリースで1月15日~4月末まで調査のもの。数字は各プレリリースの値です。

          調査商品数      A(%)      B(%)      C(%)    D(%)
一般調査 小売り 
(1) 821   626(76.2) 160(19.5) 19(2.3) 16(2.0) 
         (2)1700  1215(71.5) 396(23.3) 38(2.2) 51(3.0)
         (3)2280  1550(68.0) 624(27.4) 44(1.9) 62(2.7)
         (4)2828  1988(70.3) 770(27.2) 51(1.8) 19(0.7)


     流通 
 (1) 120    86(71.7)  34(28.3)  0       0
         (2) 173   127(73.4)  45(26.0)  0       1(0.6)
         (3) 234   149(63.7)  72(30.8)  0      13(5.5)
         (4) 234   149(63.7)  72(30.8)  0      13(5.5)

遡及調査 流通  (2) 638   362(56.7) 183(28.7) 30(4.7) 63(9.9)
         (3)1882  1045(55.5) 529(28.1)172(9.2)136(7.2)
         (4)2174  1249(57.4) 595(27.4)187(8.6)143(6.6)

プレリリース内の数字は、積算値になっており、「調査」の影響度がわかりにくい。調査毎にどうであったかを調べるには、調査回をNとして、
数字に関して(N+1)-Nで調べられる。下記がその結果です。

一般調査 小売り  (1) 821   626(76.2) 160(19.5) 19(2.3) 16(2.0)
(2) 879   589(67.0) 236(26.8) 19(2.2) 35(4.0)
          (3) 580   335(57.8) 228(39.3)  6(1.0) 11(1.9)
          (4) 548   438(79.9) 146(26.6)  7(1.3)  ?

     流通  (1) 120    86(71.7)  34(28.3)  0       0
         (2)  53    41(77.4)  11(20.8)  0       0
         (3)  61    22(       27        0       0
         (4)   0     0         0        0       0

遡及調査 流通  (2) 638   362(56.7) 183(28.7) 30( 4.7)63(9.9)
         (3)1248   683(36.0) 346(27.7)142(11.4)73(5.8)
         (4) 292   204(70.0)  66(22.6) 15( 5.1) 7(2.4) 

 4回目「小売り」のDで積算値なのに前回より小さな値が掲載されており、農水省の何らかのカウント変更か掲載ミスと思われる(注意書きは無い)。
各プレリリースの数字をピックアップすることで二次加工、積算から期間内データに変換することで三次加工になりますが、これによりなにがわかるかというと、「遡及調査 流通」のDを見て頂くと%が各回を追う毎に低減している事が明白になります。中間流通業者の手で行われていた産地偽装が農水省の遡及調査で明るみになった。生産者と末端販売者の努力を無にする行為は許されない。プレリリースの最後に「6 今後の対応」で、「・・今後は、現在継続中の中間流通業者等に対する遡及調査を中心に調査を行うとともに・・」と述べているのは妥当と思う。よくやった農水省!これからも頑張って下さい。
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痛々し過ぎる

アンデスの声 さん 2005/6月 6日(月)

ここまで不条理が明らかになった段階でなんでまだ当事者が座り込まなきゃならんのだ、なぜ彼等をそこまで追いつめる、日本はなんちゅう未開野蛮な人権蹂躙国か、この恥さらし的事実・・・。

彼等は私の父母とそう変わらない年齢だ。私の親は人一倍健康に気を使ってきたほうだが加齢による体力の衰えは必然、誰も避けられぬ、たまに年に一度会うたびその老いゆく姿に一抹の寂しさを感じている。もし私が拉致被害者であり、両親が体力の限界に近い中で気力をふり絞りながら私を救い出すために苦しむ姿を見たら、「もう良いから止めてくれ、もういいよいいよ十分だ、ありがとうな」と自ら命を絶つかも知れぬ、絶望感の中で、無能な祖国を呪いながら。

日本の政治家よ、被害者と家族を、なぜこれ以上苦しめるのか、それで平気なのか、なぜ動かぬ。拉致だけが政治じゃないってか、あれはウヨクが仕切ってるからってか、政治家としての自分の思想信条党利私利に益がなければ動かないってか、それが大局的見地だってか、ご立派だよ。

それから・・、老人を「お年寄り」とその表現にまで気使うマスコミよ、しっかり報道しろよな。

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誰が家族をここまで追い込んだのか?



吉祥寺の街頭活動の模様
若手自民党青年部(45才以下)が声を挙げていた。
のぼりには「北朝鮮問題の全面解決」と書かれていた。

自民党青年部、青年局、年老いた家族が座り込みを決意した。
誰が家族をここまで追い込んだのか?
あなた達が家族の仮面をかぶり座り込みなさい!

「毅然とした対応必要」と訴え~拉致問題で自民党青年局

拉致問題解決には制裁必要 自民・安倍幹事長代理

ご家族の発言
横田滋さん
「我々家族と救う会メンバーの意思を示すために我々、座り込みを決定しました。」 (NHK)
 「座り込みは望むところではないが、このまま何もしなければ、うやむやになって終わってしまう」(TBS)

増元照明さん
「私たちは我慢の限界であるということを、はっきりと国民のみなさんに知って頂きたいし、国民のみなさんにも私たちと共に一緒の気持になって頂きたい。それが大きなうねりになり、そして小泉首相の決断を促す、その力になると思います。」(NHK)

有本嘉代子さん
「日本として何をすればいいかと言うことを、きちっと交渉にあたるかたは考えて頂いて、今は経済制裁よりないと私も思っていますので、座り込んでも、それ(経済制裁)はして頂きたい。」(NHK)

横田早紀江さん
「政府の心を動かすためにそれ(座り込み)はやらなければならない。いつまでそのようなことをしなければ自発的に当然のあたりまえのことをことしてくださらない。そのことのためにこんなにいつまでも時間がかかる。本当に悲しい日本だなとと思います。」(NHK)

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2005年6月 5日 (日)

拉致被害者救出のために制裁発動がどうしても必要な理由

■拉致被害者救出のために制裁発動がどうしても必要な理由
  西岡力(救う会常任副会長)
 
 拉致問題を理由にした対北朝鮮制裁は効果がある。むしろ、今発動しないと拉致解決に重大な障害が生まれ、逆効果が出る。

 単独制裁発動は、日本国が国家として拉致被害者全員を取り戻すという強い決意を内外に示すことだ。金正日政権の偽遺骨提供という犯罪的行為が明らかになった以上、「このような悪事は絶対に許さない」という日本の意思を示すためには制裁発動しかない。それを躊躇していると、拉致問題を重視していないという間違ったメッセージが発せられてしまう。単独制裁では中国、韓国がその穴埋めをするから効果がないという論があるが、国家意思の発信という観点を考えない、短見に過ぎない。

 断固たる制裁こそが、北朝鮮の対日政策を変えるのだ。

1.金正日に日本の決意を伝え、対日政策を変えさせる

 制裁は、金正日に向けたメッセージである。昨年12月、「横田めぐみさんの遺骨」が偽物であることがわかった。北朝鮮の担当者は、2年かけて日本の鑑定能力を調べ、鑑定不能となると判断し偽物の遺骨を出してきた。そのさい、「これで拉致問題は終結します」と金正日の決済を取っていることは間違いない。と
ころが、問題終結どころか日本は怒りで沸騰している。担当者は今必死で金正日に、「帝京大学の鑑定が捏造である、その証拠は小泉首相が怒りを表に出さず話し合いの継続を強調している」などと、弁解している。

 日本が拉致を理由に単独制裁を発動すれば、金正日に日本の不退転の決意が明確に伝わり、担当者は間違いなく替えられる。これこそがチャンスで、ここで初めて「8人死亡、2人未入境」というシナリオを書いた人間とは別人物が担当者になる。

 「新たな担当者は「どうすれば経済制裁を解除し、日本からお金をとってこれるか」を考えることになる。このとき、前任者のシナリオを否定し、新たな情報を出してくる可能性が高い。それをてこに、全員を取り戻すまで闘いつづければよい。」


それには「現在の北朝鮮の担当者は失敗した」「日本はこの鑑定結果にまったく納得していない」ということを、まず金正日に教えなければならない。そのための経済制裁だ。


2.ポスト金正日候補に拉致被害者帰国なければ経済協力ないことを伝える

 制裁はポスト金正日候補へのメッセージでもある。北朝鮮内部は、いつ何が起こるかわからない状態で、金正日に対する国民の支持は地に落ちている。仲間内だけの席では金正日のことを「あのやろう」と呼んでいるときく。政変が起きるとすれば、軍隊か政治警察などの武力をもっている部署が、金正日を暗殺したり
逮捕するというかたちになる可能性が大きい。一時的に治安が乱れ内戦状態になるかもしれない。そうなった場合、どのようにして拉致被害者を救出するかを考えておかなければならない。ここで重要なのが、ポスト金正日を狙う人々に、日本がどれくらい拉致問題に本気なのかを教えておくことなのだ。

 すでに工作機関である「三号庁舎」の担当者は、日本が拉致問題で怒っていることに気づきはじめている。外交官もわかってきた。しかし軍の幹部や、国内の取締りをやっている政治警察の幹部はまだ知らないと思われる。過去に日本は、拉致被害者がいるのにコメを送ってきた。だから日本がそれほど怒っているとは思っていないのではないか。日本から食糧支援や経済支援を受けるには、拉致被害者全員を帰さなければならないのだと広く知らせる必要がある。そうなればいざ事が起こったとき、金正日政権を倒したグループは工作機関に命じて被害者を全員確保し、流れ弾などに当たって死なれたりしないようにする。「彼らを確保していたら多額の経済支援につながるかもしれない。しかし死なせたら日本からお金が来ないどころか、自衛隊や米軍が救出に乗り出してくる」。そう思わせることができれば、拉致被害者の安全は保障される。そのためにも単独制裁により日本が本気で怒っていることを伝えることがもっとも重要となる。

3.韓中の拉致解決協力を引き出せる

 制裁は韓国・中国へメッセージにもなる。韓国・中国は米国主導で対北朝鮮経済封鎖などが実施されることを避けたいので、金正日政権に対して核問題での譲歩を迫るべく様々な説得を行っているが、その際、多額の経済協力実施を材料としている。しかし、韓国・中国は自国が経済的に負担する用意はなく、日朝国交
回復に伴う日本からの政府開発資金をあてにしている。日本が拉致を理由に単独制裁をかけるならば、韓国・中国は拉致問題が完全に解決しない限り資金を提供しないという日本の断固たる姿勢を理解し、核問題を巡る金正日に対する説得のなかに、拉致問題で日本を納得させうる対応をするようにという注文も追加でつけるようになる。いくら核問題で金正日が大きく譲歩しても、それだけでは日本は拉致を理由にした制裁を解除せず、資金を出さないから、結局、妥協は成立しないからだ。逆にいえば、そのような判断を韓国・中国政府にさせるためには、いま日本が拉致だけを理由にして制裁発動すること以上に、よい策はない。

4.国連安保理決議に拉致を取り上げさせるステップになる

 さらに日本単独制裁は、国連安保理事会による国際制裁への重要なステップになる。アメリカはリビアによる旅客機爆破テロに対してまず自国で制裁をかけ、その上で国連の安保理に持ち込み国際的な制裁をかけた。日本もまず一国で制裁をかけることだ。自国でかけていなかったら、他国の協力は得られない。

 日本がすべきことがある。近い将来、国連の安保理事会で北朝鮮の核問題が議論されることは間違いない。日本は外交力を駆使し、その決議のなかに「日本人、韓国人拉致被害者を全員帰さない限り経済制裁をつづける」という文言を入れる必要がある。そこには当然「北朝鮮が核開発をやめない限り経済制裁をつづける」と書かれるだろうが、拉致問題を併記させることが重要だ。

 イラク戦争に関してアメリカの攻撃の根拠になった国連安保理決議1441号(2002年11月8日、中国ロシアも含む全会一致で成立)には「拉致」が入っている。「安保理はイラク政府がイラクによって不当に拘禁されたクウェート人や第三国国民を、送還あるいは消息確定に向け協力すべきとした(累次の)国連決議をないがしろにしてきたことを遺憾とする」と明確に書いてある。クウェートができたことを日本ができるか。国家としての日本の姿勢が問われる。そのためにはまず日本が単独で制裁をかけておくことが絶対不可欠だ。

5.日米同盟の維持強化にも効果がある

 日本人を多数拉致していまだに全員を返さず全貌も明らかにしようとしない金正日政権が核ミサイルを持とうとしている。韓国では親北派が勢力を伸ばし、中国が半島の南北への影響力を増大させつつある。いま日本は、白村江の戦いの後か、日露戦争の直前かという国難に直面している。ただ、アメリカのブッシュ政
権が金正日政権を「悪」と位置づけ対決している点は有利な状況だ。

 制裁は効果がないなどという人達は、その全体状況を見ていない。対話により妥協が可能との虚構にしがみついている。テロ国家をどう無力化するのか、独裁国家をいかに民主化し人権抑圧をやめさせるのか、朝鮮半島の安全保障をどう考えるのかはまったくアメリカ任せで他人事になっている。

 日本がいま拉致を理由に対北朝鮮制裁に踏み込むことは、ブッシュ政権と協力して金正日政権を処分する事業に積極的に参与する第1歩につながる。それなしには、日米同盟の維持強化も、日本の安全繁栄も危うくなる危機が目の前にある。
(★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2005.06.05)より 訂正済み
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2005年6月 4日 (土)

エレニの旅

有田芳生さんの酔醒慢録を読んで、エレニの旅という映画を知った。
ギリシャの古典は悲劇も喜劇も人間の永遠のテーマを扱っている。オイディプス王の悲劇に代表されるように人は生きる事の不条理と闘いながら「櫓をこいでいる」2000年前も今も同じ。印象的な映像を是非みたいと思った。

以下酔醒慢録6月2日から引用~~
アンゲロプロス監督が多用する印象的なシーンでは、なぜ水に浮かぶ筏や小舟が出てくるのだろうか。そこには必ず人間が立ち尽くしている。大きな流れのなかに浮かんでいる小さな存在。歴史のなかで不安を抱えた人間を象徴しているのかもしれない。それでも「彼ら」は必ず櫓をこいでいる。その行き着く先に想像もできない悲劇が待ち構えていようとも……。
~~
私には「櫓をこいでいる人」が被害者家族に重なる。「大きな流れのなかに浮かんでいる小さな存在」は、支援者の私たちでもある。

人間は時の流れの中で、歴史の流れの中で「水に浮かぶ筏や小舟」の存在である。

流れに逆らわずそれに身を任せる人もいるだろう。流れの中でもがき苦しむ人もいるだろう。
歴史の中で、不条理と立ち向かい闘う人も多くいた。

拉致被害者家族は「櫓をこいでいる人」だ。懸命に我が子や、兄弟のために櫓をこいでいる。時には進まぬ事に苛立ち、櫓を捨てたくなるときもあるだろう。

私たちは、懸命に櫓をこぐ彼らを、応援する細波でしかすぎない。僅かでも解決の方向に流れるように微かな波を彼らに送る。せめてもの支援だ。

同じ酔醒慢録6月1日では長崎家裁佐世保支部の審判決定要旨の一言が、現在の政府の対応や支援の輪に入りきれない現代の人たちを象徴しているように思えた。

自らの手で被害者の命を奪ったことの重大性やその家族の悲しみを実感することができないでいる。

拉致事件に言い換えれば、
国家や国民が事件を放置し被害者の奪還に動かなかったことの重大性やその家族の悲しみを実感することができないでいる

とでもなるのか。

支援者も時折細波であることを忘れそうになるときもある。それでも、私たちは細波を合わせて、「その行き着く先」が「喜び」になるように、少しでも大きな波に育てて行くためにここにいる。

僅かな波が一つここにある。波が伝わり、若者の心に響くことを祈る。

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