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2005年6月 4日 (土)

エレニの旅

有田芳生さんの酔醒慢録を読んで、エレニの旅という映画を知った。
ギリシャの古典は悲劇も喜劇も人間の永遠のテーマを扱っている。オイディプス王の悲劇に代表されるように人は生きる事の不条理と闘いながら「櫓をこいでいる」2000年前も今も同じ。印象的な映像を是非みたいと思った。

以下酔醒慢録6月2日から引用~~
アンゲロプロス監督が多用する印象的なシーンでは、なぜ水に浮かぶ筏や小舟が出てくるのだろうか。そこには必ず人間が立ち尽くしている。大きな流れのなかに浮かんでいる小さな存在。歴史のなかで不安を抱えた人間を象徴しているのかもしれない。それでも「彼ら」は必ず櫓をこいでいる。その行き着く先に想像もできない悲劇が待ち構えていようとも……。
~~
私には「櫓をこいでいる人」が被害者家族に重なる。「大きな流れのなかに浮かんでいる小さな存在」は、支援者の私たちでもある。

人間は時の流れの中で、歴史の流れの中で「水に浮かぶ筏や小舟」の存在である。

流れに逆らわずそれに身を任せる人もいるだろう。流れの中でもがき苦しむ人もいるだろう。
歴史の中で、不条理と立ち向かい闘う人も多くいた。

拉致被害者家族は「櫓をこいでいる人」だ。懸命に我が子や、兄弟のために櫓をこいでいる。時には進まぬ事に苛立ち、櫓を捨てたくなるときもあるだろう。

私たちは、懸命に櫓をこぐ彼らを、応援する細波でしかすぎない。僅かでも解決の方向に流れるように微かな波を彼らに送る。せめてもの支援だ。

同じ酔醒慢録6月1日では長崎家裁佐世保支部の審判決定要旨の一言が、現在の政府の対応や支援の輪に入りきれない現代の人たちを象徴しているように思えた。

自らの手で被害者の命を奪ったことの重大性やその家族の悲しみを実感することができないでいる。

拉致事件に言い換えれば、
国家や国民が事件を放置し被害者の奪還に動かなかったことの重大性やその家族の悲しみを実感することができないでいる

とでもなるのか。

支援者も時折細波であることを忘れそうになるときもある。それでも、私たちは細波を合わせて、「その行き着く先」が「喜び」になるように、少しでも大きな波に育てて行くためにここにいる。

僅かな波が一つここにある。波が伝わり、若者の心に響くことを祈る。

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ギリシャの鬼才、テオ・アンゲロプロス監督が6年ぶりに描く、人生の旅路。革命の勃発により、ロシアから逃げてきたギリシャの逆難民と共に20世紀初頭から、第二次世界大戦の終わりまで、激動の歴史の中で生きた女性エレニを軸に語られた、一大叙事詩。アンゲロプロス監督作品 [続きを読む]

受信: 2005年6月 8日 (水) 23時24分

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