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2005年7月28日 (木)

安明進氏 国会意見陳述要旨

衆議院拉致問題特別委員会にて
          2005年7月28日

本日、このように私を日本の国会に招聘してくださり、我が民族と人類共同の敵であり悪魔である金正日の反人倫的蛮行を告発し、証言できる機会をくださった日本の国会衆議院拉致特別委員会に感謝申し上げます。
 証言に先立ち私の紹介からいたします。
 私は1968年8月26日北朝鮮黄海北道シンゲ郡で生まれ、元山と沙里院外国語学院で8年間外国語を学んだ後、1987年3月5日から1993年5月20日まで平壌市内の東北方向の外郭にあるスパイ養成機関、朝鮮労働党130連絡所(公開的には朝鮮人民軍695軍部隊、非公開には当時の朝鮮労働党中央委員会直属政治学校、今の金正日政治軍事大学)を卒業し、1993年5月21日から対南工作機関である朝鮮労働党715連絡所3方向3組に任命され、1993年8月30日対南工作のための前方偵察任務を遂行中に9月4日大韓民国に亡命しました。
 私は大韓民国に亡命した後、1997年から横田めぐみを金正日政治軍事大学で目撃した内容と北朝鮮情報機関の日本人拉致と日本での各種工作について絶えることなく証言してきました。

 本日この席を借りて私が1988年10月から1991年初旬まで当時の朝鮮労働党中央委員会直属政治学校、今の金正日政治軍事大学などで目撃した日本人について再び証言いたします。
 当時学校にいた日本人たちとしては横田めぐみさん、市川修一さん、増元るみ子さん、蓮池薫さん、田中実さん、朝鮮語がへただった独特の容貌を持つ北海道から拉致された男性、加藤久美子さん、そのほか男性教官2人、女性教官2人の合計11人であって、工作員たちの専門病院である朝鮮労働党915連絡所で目撃した古川了子さん、学校で訓練装備を持って出入りしていた寺越武志、そして放送局爆破訓練場で見たもう一人の日本人女性と、北朝鮮が1986年に死亡といった田口八重子さんも1991年まで確実に生きていたという直接的な情報を持っており、全部合わせてで15人です。
 私が目撃したり生きているという直接的情報を持っている15人の拉致被害者の中で、現在北朝鮮は横田さんら5人しか認めず、日本政府も田中さんを加えて6人しか認めていないことは残念です。
 寺越武志、古川了子、加藤久美子さんは救う会が拉致として認定していますが、日本政府はまだ拉致と認定していません。
 北朝鮮にいてお母さんが何回も北朝鮮で寺越さんに会ったにもかかわらず、日本政府はなぜ彼を拉致だと認めないのか、古川了子と加藤久美子さんも明らかに北朝鮮にいる拉致被害者なのにそれとして認定されていないことが残念です。

 日本人拉致はいま日本では北朝鮮の犯罪として認められていますが、少なくとも金正日政治軍事大学では工作員たちの自慢の種になっています。
 特に寺越武志とその叔父さんたちを拉致した金正日政治軍事大学の航海講座の副講座長、呉グホは自分の口から1960年代、日本の能登半島に侵入し仕方なく彼らを拉致して、そのうち一人が自分たちの強盗のような要求に応じなかったとしてその場で射殺したという内容まで自慢げに話していたことが記憶に生々しいです。
 実際、私自身も証言するため能登半島の現地を訪問したことがありますが、そこは本当に呉グホ副講座長が話したことと一致する場所でした。
 工作員が自分がしなかった拉致をしたと話す理由もありませんが、現場も一致することを見て、私は呉グホ教官の話が間違いないと確信しています。

 これら拉致された日本人は学校で海外工作員たちの日本人化教育に利用される日本語教官として勤務しており、彼らの居住地も当時は私たち学生たちが10号洞と呼ぶ工作地区内の統制施設でした。
 北朝鮮労働党情報機関である3号庁舎は彼ら拉致された日本人たちを外部に公開せず秘密に付すため、彼らの子弟は幼稚園に通うときまで統制施設内部から通わせ、初等教育を受けはじめるときから父母と遠く離れた他地域の学校に通わせ、休みの期間に父母と一緒にいるときには彼らに言葉に慎重なるよう強調する期間にしました。
 結局、長い間北朝鮮の日本人拉致が全く存在しない事実として外部に公開されず、拉致された日本人たちはその存在さえも確認することができませんでした。

 犯罪者の罪過は長続きしないという人類普遍的な真理があるように、金正日の犯罪は1987年11月大韓航空機爆破事件以後、同じ学校の卒業生である金賢姫先輩によって田口八重子さんの存在が初めて明らかになり、その後私の亡命とともにほかの日本人拉致被害者たちの存在が世の中に知らされました。
 けれども、当時は日本の大多数の国民たちはもちろん、日本政府の高位官吏たちさえも私の話に否定的であり、その上北朝鮮政府もまた私自身を北朝鮮にいもしない韓国政府がでっち上げ日本の反動が作り上げた人物として決めつけ、私はうそをつきまくる偽物の人物としてみなされていました。
 そのような中でも救う会佐藤勝巳会長とここにいらっしゃる西岡先生、そして横田ご両親をはじめとする拉致被害者家族たちが私を信じてくださり絶えることなく運動を展開した結果、自分の民族300万人を飢え死にさせても謝罪一言もなかった悪魔金正日に認めさせ謝らせるにいたりました。
 けれども、日本政府と国民を代表する日本の総理と日本政府代表団の前で謝るという席でさえ金正日は拉致の本当の命令者とその実行犯について率直に認めず、いまこの瞬間までもうそを貫き、日本政府と国民を愚弄しています。

 金正日が貫き通しているうその中の一つは、1991年まで私が直接話しもしタバコまで分け合って吸ったことがある市川修一さんが1979年に死亡したという内容とやはり私が1990年頃まで目撃した増元るみ子さんが1981年に死んだということです。
 また田中実さん、加藤久美子さんなど拉致された日本人と金正日政治軍事大学に出入りしていた寺越武志さん、そして工作員の専門病院である朝鮮労働党915病院で目撃した古川了子さんと放送局爆破訓練場で目撃したもう一人の日本人女性など10人の日本人をしていません。

 田口八重子さんはやはり私たちの学校の先輩である金賢姫が韓国で1991年当時、赦免を受け手記を出版するという時期まで確実に生きていたという事実は、金賢姫に射撃を教えた金正日政治軍事大学射撃講座の咸教官から私だけでなく私の25期同期全部がいっしょに聞いた内容です。

 私はもちろん北朝鮮にいたときこれらの日本人たちの名前は一つも知りませんでしたが、彼らの顔と特徴などはいまこの瞬間もはっきりと記憶しています。
 私が目撃した日本人たちが拉致された日本人の全部ではないことは、学校の教官たちと先輩たちを通じてもよく知ることができ、その数は30余名にもなると聞きました。いまこの瞬間にも彼ら拉致された日本人たちは自分の父母と日本政府と国民を信じて自分たちが救い出されるその日だけを待ちわびているのです。
 彼ら拉致された日本人を救い出さなければならない日本がいまむしろ、北朝鮮工作機関が決心さえすればもっと多くの日本人を拉致し日本に敵対行為をすることができるように、工作資金と数多くの工作装備まで供給してやっている現実です。
 ここにいらっしゃる国会議員の方々とこれを見守っている全ての日本人たちが北朝鮮によって拉致された日本人被害者たちを自分の息子、娘、弟として、本当の肉親と考え、彼らを悪魔の巣窟から助け出すという強い意志を持ち、その悪魔金正日と戦う固い覚悟で臨まなければ、けっしてこの戦いは簡単ではないのです。
 その戦いがまだ弱いために、北朝鮮政府は対日工作機関である清津連絡所を完全に解体させず、いまでも存在しており、続けて日本工作をするために以前のような工作船ではない新しい工作船を運営しようとしており、いま新しい工作船基地を構築しています。
 悪魔との戦いは、いま日本が持っているもっとも強力な手段である経済制裁で金正日の首を絞めることだと私は確信し、わずかな動揺もない経済制裁が加えられるとき金正日はついに日本国民と国家を恐れ日本に対して真摯な姿勢になると確信します。
 日本の対北経済制裁は金正日政権の脅威になるのであって、金正日政権が1日でも早く終わり殺人独裁がない人間らしい世の中で暮らすことを希望している北朝鮮の2千300万住民の大きな望みでもあります。

 ありがとうございます。
以上

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