(4)西岡力 副会長のお話 その1

西岡です。
お話をさせていただきたいと思いますけれども。
大変まぁ、原さん事件については悔しい思いが多いですね。
つまり85年の段階で、これだけ明確に拉致が明らかになってたわけなんですね。
80年に拉致されたわけですけども、85年の段階で韓国に捕まったわけですね。
原敕晁と言う日本政府が発行したパスポートを持ってたわけです。
そのパスポートは、金賢姫が持っていたのは北朝鮮が印刷した偽物だったんですが。
原敕晁の名義の辛さんが持ってたパスポートは本物だったんです。
日本国が本当に発行した本物だったわけなんです。
そこに貼ってあった写真は辛の物だったんです。
原さんの写真じゃなくて辛の写真が貼ってあって、原さんだという筆跡は辛の筆跡だったわけなんです。
完全に成りすまされて、本物のパスポートを取られて。
そしてそれが韓国で捕まったわけですね。
物証があるわけです。
パスポートと言う。
そして本人が自供して有罪判決となって拉致だとなったわけです。
そこで本当は今のようなマスコミの報道や国民の関心が集まるべきだったんだと思うんですね。
なぜその時に一過性の報道だけで終わってしまったのか?
当時の新聞などを見ますと、ソウル発で書いてはいるんですけども、しかし当時北朝鮮はでっち上げだと言ったんですね。
当時のですね、北朝鮮が言ってた記録を探してきました。
先ほどの資料として後でお配りした2枚のうちの一枚、労働新聞が85年の7月2日付で論評を出している物の翻訳ですけれども。
でっち上げだといったんですね、北朝鮮は。
3人と言うのは辛とそれから済州島にいるキム・ヒヨクと洪と書いてハンなんですけども。
在日韓国人でスパイをやってた人ですね。
その3人が捕まったと。
この人たちについてですね、でっち上げだと。
我々は総連となんら関係がないと言って来たんですね。
当時は日本の世論、そしてマスコミも両論併記なんですね。
韓国はこう発表したと。
北朝鮮はこう言ってると、言うことだったんですね。
つまりなぜそうなってるか?と言うと、日本にいる我々容疑者だと思ってるんですけども、逮捕が無かったんです。
今になって告発となってるんですが、85年の段階で日本の中で事件になってないわけです。
日本人が拉致されて犯人が捕まってて、成りすましている物証があって、自供しているのに逮捕できなかったという。
日本の中で事件になってなかった。
辛を国際手配したのもですね。
金正日が拉致を認めた後ですよね?
何でその時身柄の引渡しを求めたり出来なかったのか?と。
85年の段階で辛の身柄の引渡しをこちらに求めていればですね。
あるいはきちんとした捜査が日本主導で出来ていて。
彼は、一時期一回転向するんですね。
しゃべるんですけども、刑務所の中で戻っちゃうんですね。
プロセスはそういう感じなんですけども、その時にめぐみさんの事や曽我さんの事が知る機会があったわけです。
85年の段階で横田家は探してたわけですね。
分からなかったわけです。
曽我さんのも2002年まで分からなかったわけです。
そのことを知ってる人間が実は韓国にいたんですね。
85年に。
で日本国のパスポートを偽造すると言うことだけでも、大変な主権侵害ですね。
すると原さんがいなくなって、そのパスポートが偽造されている。
外交問題にして北朝鮮に強く抗議すると共に、韓国政府に対してこれは日本の主権のかかった問題だから人権のかかった問題だから、辛の取調べをさせてくれとなぜ要求できなかったか?
両論併記で北朝鮮はこういってるということの中で。
マスコミの報道もソウル発で一回か二回書かれて終わりになってしまった。
家族会がなかったからなんですよね。
当事者が言わないと日本の中で誰も被害者を救おうと言う人達がいなかったわけです。
警察は警察で、証拠・法に基づいて捜査していると言うんですけど、外務省は警察が認定した人について交渉すると言うんですけど。
国家が金正日に、これは辛が本人が韓国の取調べで言ってるんですけど。
原さん拉致は金正日から直接命令を受けたと、聞いてるわけです。
と言うふうに韓国の月刊現代と言う、編集長が当時書いてあるんですね。
ですからこれも金正日の命令なんですね。
だから北朝鮮とするとですね。
辛を韓国から出して、そして日本に送られてしまうと大変なことになるわけですね。
2000年の段階で、もう辛を(北朝鮮に)確保できたと。
いうことは彼らにとって大変なプラスだったんですね。
我々は85年から2000年までの間、実はもっとも友好国にいたんですね。
実は私刑務所まで会いに行こうと思ったんですね。
で色々と韓国の当局の人に頼んだりしてたんですけども。
辛が北朝鮮に家族がいてその家族のことを思うと、刑務所の中で誰にも接触しないことをしていると向こうの家族が英雄になる。
私みたいな者と会うと駄目だからと面会は拒否されました。
間接的だったんですけどね、駄目でした。
辛と同棲、まぁ同居していた在日韓国人のパクさんと言う人がいますね。
パクさん、何回か面会に行ってますけど拒否されているわけですけども。
本当に悔しいわけですよね。
85年の段階で分かることが出来たわけなんです。
めぐみさんの本当にどうだったか、病気だったかどうか分からないんですけども。
少なくとももっと早くですね。
助けてあげることが出来たかもしれない重大な情報を持っている人が目の前にいたのに、何もしなかったと言う。
あるいは日本国内で事件になっていなかった。
韓国がこう言ってたというだけなんですね。
大変悔しいわけなんで。
それどころか日本国内で起きたことで、ある程度知られていますけども。
89年ですね。
辛光洙が逮捕されたのが85年で。
89年になりますと当時の日本の国会議員がですね。
当時の韓国はノ・テウ大統領ですね。
ノ・テウ大統領に要望書を出したと。
その要望書では在日韓国人政治犯が韓国にたくさん捕まっていると。
在日韓国人政治犯が。
その在日関係の全ての政治犯とその家族が希望に満ちた幸せを受け、韓国での社会生活を受け、優れた人材として、また日韓友好の絆として働く機会を与えてくださるように心からお願いするものでありますと。
いう要望書を韓国の大統領宛に出したんですけども、その中にですね。
釈放してくださいと言うリストアップされた中に辛光洙の名前があったわけです。
辛光洙は在日韓国人じゃないですよね?
だけど、辛光洙もまぁ政治犯だと。
民主化されたんだから政治犯が自由を与えられるべきだといって、日本の国会議員がサインをして出したわけです。
辛光洙を日本に身柄を引き渡して、捜査協力してくださいというサインじゃないんです。
政治犯だから釈放してください。
弾圧されていたから彼は捕まったんだと。
その国会議員はですね。
当時の社会党と社民党が中心になって合計133人。
133人が署名するんですけども。
その中にこれは吉田先生たちがお作りになった資料ですけども、まだ現職で。
この133人のうちですね。
国会議員をやってる人がいるんですよ。
土井たか子さん、菅直人さん、田英夫さん、江田五月さんなどなどですね。(くすくす笑い)
だから安倍晋三さんが菅直人氏は間抜けなことをやったと。
拉致のことについて公開の席で批判しましたけど、それはこのことなんです。
当時の青島幸男さんなんかもサインしています。
今でもその現職は12人いるんです。
原さんを助けようと北朝鮮に要望するんじゃ無くて。
犯人を、(証拠の)パスポートあったんですからね。
少なくとも日本人を語って原さんに成りすましていた人を、政治犯だといって釈放しろと。
その家族が希望に満ちた幸せを受けられるよう、日韓友好の絆になるには彼を放すべきだと。
でも北朝鮮の方は、つまりこの辛を大切に思っているわけです。
最初はでっち上げと言ってたんですよね。
しかし今度は2000年になって、まずですね。
金大中政権が2000年っていうのはミレニアムだと。
ミレニアムだから、特赦するといって。
2000年の12月31日に特赦をして。
なんでミレニアムだから特赦なのか良く分からないんですが。
大統領の権限で特赦して、死刑判決を受けてたけど特赦で無期に減刑されてて、2000年に死刑判決を受けてたんですけど上告審で無期に減刑されていて、刑務所に入っていた辛を恩赦で出しちゃったと。
2000年の9月からソウルで自由の身になって。
出て来た時にですね。
韓国の左翼の人たちが「辛先生、万歳!」って言ってですね。
そして何人か非転向の人たちと一緒に合宿のような所で過ごして。
韓国のメディアもだんだん、85年のときは韓国良かったんですけど2000年になって若干おかしくなって来たんですね。
左翼のメディアが彼らを持ち上げて非転向長期囚、良心囚だという事になって。
2000年の今度6月に、南北会談が開かれるんです。
金大中が5億ドルの裏金を金正日に賄賂で渡して、そして平壌に行ったんです。
これは韓国の捜査当局が明らかにしている事実ですね。
5億ドル出しているのは。
それも韓国のKCIを使って出した。
KCIというのは北朝鮮と戦う組織ですよね。
それを使って5億ドル出して、現代財閥に出させたわけですが。
それで結局現代財閥は潰れてしまうわけですけども。
金正日に会ったと。
金正日が要求したことは、非転向長期囚を送って欲しい。
彼らにも家族がいるんだと言ったわけです。
で、当時実は韓国では2000年に拉致の家族会が出来ていて、家族会の人たちが6月の首脳会談のときに。
まぁ韓国では太陽政策と言ってましたが、「我々の拉致の家族にも大陽の恩恵を受けたいんです」
「北朝鮮ばっかりに太陽を当てないでください」といって座り込みやったりしてたわけですね。
韓国政府は当初はですね。
北朝鮮側が人道的な要求があるんであれば、こちら側も韓国軍の捕虜がいるんですね。
捕虜で帰ってこられなかった人たちをバーターにすると言ってたのに、平壌に行った金大中大統領が拉致を出さないと。
韓国人拉致を出さないで、そして金正日の方は最優先でこの人たちを、辛を含む人たちを返せと
金大統領はそれをのんで、分かりましたと言って、そしてそれが6月ですね。
そして本人達の意思を聞いて9月2日に60何人返してしまった。
そこに辛が入ってたんです。
あとで横田さんたちにもお話していただければと思いますけど、我々はその時まず恩赦で出てきたときにですね。
日本の警察と外務省に行ってですね。
身柄が外に出て来たと。
日本が接触できるじゃないかと。
ぜひ辛に取り調べ捜査をして欲しい。
外交でやって欲しいと、そして警察でやって欲しいと申し入れをしました。
そしてその後で6月にそういう事になってしまいましたから、絶対にこれは許されるべきじゃないと。
身柄を北に送るなら日本に送るべきだと。
そしてそのときにですね。
実は我々はこの労働新聞の記事を韓国大使館の方に持っていったわけですね。
北朝鮮が関係ないといってる。
辛については。
公式に関係ないといってるといったんですから、関係ない人が家族が北にいるはずないじゃないですか。
辛がもしも北朝鮮人だとすれば、北朝鮮は拉致を認めたことになる。
2000年の段階で拉致を認めてなかったんですからね。
これはまたこれですごく大きなことだったわけです。
関係ないと言ってる人を今度は北朝鮮の英雄だといったんですね。
英雄の理由は何か?といったら日本のパスポートを持って韓国で捕まったから、英雄だって言うんですね。
拉致をしたから英雄だと北朝鮮も言ってると言うことはこれは北朝鮮を、我々は送るなと言いましたけど。
韓国政府に言ったわけです。
韓国は非転向政治囚を送るという約束をしたかも知れないけど、関係ないといってるんだから辛を
誰を入れるかは韓国政府が決める問題なんですよ。
関係ないといってる人を送ることが友好国のやることなのか?
拉致に加担してることになるじゃないか?
唯一の我々の背接触できた犯人をみすみす、真相が明らかになっていない。
原さんも帰って来ていないのに、北朝鮮に送り返してしまう。
おかしいじゃないか?といって韓国大使館にも行ったり、日本の外務省などにも行ったりしたんですが。
その時に出した文書が「北朝鮮送還決定に関する見解」と言う文書ですけども。
本当はこのときでもですね。
日本の政府が外交力を、誰かが特使で行って金大統領と会ってですね。
いやあなたが約束してきたことは分かるけども、北朝鮮がこのことは認めていないんだと。
じゃあ北朝鮮と交渉してくれと。
拉致を認めるんだったら、辛を返してくれと。
それが出来たんですよね。
北がちょっと危なかったんですね。
事実上拉致を認めたんですね。
日本のパスポートを持ってた人間を北の人間だと認めたんですから。
それなのに当時は全く形式的にですね。
犯罪者引渡し条約が日韓の間に無いんだと言ってましたが。
だから難しいんだと言う話でしたが。
それで警察が人を派遣して辛に接触を試みるんですけども、まぁ効果が無かった。
言うようなことで終わってしまったわけですけども。
マスコミもですね。
こうやって昔の資料とか出して一生懸命記者会見したりしたんですけども。
実は辛が送られたということは、送られたということは原さん拉致を認めたことになるんじゃないか?と。
何で一面トップで書いてくれなかったのか?と。
当時は悔しい思いを、ここで記者会見やったんですけども。
たくさんの人たち来てくれなくてですね。
思いましたね。
でもそう考えたってそうでしょう?
北朝鮮は最初でっち上げだって、関係ないって言ってるんですから。
関係ない人を自分たちの英雄だといった時点で、拉致、それを認めたんですよね。
それなのに日本政府は2000年にやったことは何か?と言えばコメ支援をしたんですよ。
あの年、我々が最初に座り込みをした年です。
北朝鮮はでっち上げだといってたんですが事実上拉致を認めたんですよ。
認めたらば、原さんを帰せというのが当たり前のことだと思うんですね。
ところが60万トンのコメ支援をしたわけです。
そしてこの土井たか子さんたちも未だに謝罪をしていませんよね?
原さんの家族の所に行ってですね。
謝罪をするべきだと思いますよね。
長崎まで行くべきですよね。
いや、それとも辛は本当に政治犯で偉大な人物だと未だに思っているのだったら、拉致をしたことが偉大だと、いうふうに菅直人さんや土井たか子さんは未だに思ってるのかどうかね。
政治家なら自分のやった事に責任を取るべきだと思いますね。(大きな拍手)
金大中大統領はですね。
当時、9月2日に辛たちを返しますよね。
23日24日、日本に来るんです。
熱海で森総理と会談するんですね。
そこで記者会見でですね。
拉致について、「拉致疑惑に対する日本国民の関心と憂慮は承知している。
日本国が前向きに問題を処理することを希望する。
日朝関係改善無しに南北関係改善が成功に向かうことは難しい」と言って。
日本から大規模な経済援助をして欲しいと、国交正常化の前にして欲しいと言う事を、言いに来た訳です。
そのとき彼は拉致疑惑といったんです。
韓国の裁判所が有罪にしたわけですよね?
韓国の裁判所が有罪にした辛がいたのに、疑惑と言ったんです。
大韓機爆破事件もそうですよね。
韓国の裁判所が有罪にしたんです。
その2件は韓国側が拉致だと言う事を明らかにしてくれたんですね。
日本はまだ刑事事件にしてなかったのに、韓国が明らかにしてくれた2件があるのに、その国の大統領が疑惑だと言って、日本に大規模な援助をしてくれと言って来て。
日本側は国交正常化前の援助は出来ないけれど、人道援助ならできるとやったのが60万トンのコメ支援だったわけです。
アメリカもクリントン政権で、何とアメリカと北朝鮮がですね。
「反テロ宣言」と言うのをやるんです。(薄笑いの声)
アメリカと北朝鮮が協力してテロと戦います。(薄笑いの声)
実際本当に出すんですよ?
笑い事じゃなくて。
そして国務長官が平壌訪問するわけでしょ?
最後にクリントン大統領が訪朝するかどうか?という所まで行ってたわけですね?
日本に対して経済協力をせよコメを出せ、と言う圧力がかかるわけですね。
実はその時、でも北朝鮮は拉致を認めたんですね。
辛を、引き取ったんです。
しかし家族と我々が細々と活動をしていたけれども、誰もこのことが正しいというふうに、まぁ誰もと言っちゃおこがましいですけども。
ごく一部の志のある政治家の人たち、一部のマスコミの人だけが報道してくれて。
コメを送られていった。
と言うのが2000年なんですね。
同じ自民党政権で。
つまりじゃぁ何が代わったのか?と言うことなんですけども、アメリカがブッシュ大統領になったということですよね。
★三宅博氏
辛光洙の事件もそうなんですけども、身柄を北朝鮮に引き渡すときもそうなんですけども。
それから韓国で判決が出たときもそうなんですけども。
日本の捜査当局はこれを捜査したいという強い思いを持っていたように思われます。
それから横田めぐみちゃんの事件の一ヵ月半前の久米裕さんの事件のときですね。
石川県の宇出津海岸から拉致された久米さんのときも犯人は捕まったと。
その時も石川県警はこれは非常に前向きに捜査した。
ところがこれに対してですね。
どうも政治的な圧力がかかったというふうに思われるんですね。
本来ですね、政治的な圧力と言いますか作用はですね。
捜査をもっとサポートする意味で圧力がかかればいいんですけども、反対にですね。
捜査をしないようにといいますかね。
そういうふうな形で圧力がかかったように思われて仕方が無いんですね。
だから辛光洙が北に送られたときもですね。
果たしてそれじゃ日本政府。
警察の方は身柄引渡し求めておりましたが、政府自体はかえって(辛光洙が)北朝鮮に行ったことに対してホッとしたんじゃないかな?と。
厄介払いと言いますかね。
それで口封じができるんじゃないか?と言うふうな思いがあったのかな?と言うようなことは思われる。
さっきこれだけ多くの日本人達被害者がいてと。
それには日本国内に非常に大規模な実行、あるいは平壌方式といますか、拉致のグループがいると。
旧社会党の政治家が多く辛光洙の釈放に向けて署名してですね。
韓国の大統領に嘆願したと。
それじゃあ穿った見方をすればですね。
拉致事件と旧社会党の関係っていうのは何かあるのかな?と言うふうな見方まで私は出来るんじゃないのかな?と言うことを思います。
そういうところも今後の解明に待ちたいと思います。
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