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2005年8月

2005年8月30日 (火)

言葉の38度線

    2005年8月30日(火)

灼熱の太陽が照りつけるアラビア砂漠のテントの陰で一休みし、デーツ(乾燥ナツメヤシ)とアラブ茶を馳走してもらいながら、案内人のベドウィン(遊牧民)から「以前はまるで狂人だったリビアのカダフィが、最近はずいぶんマトモなことを喋るようになった」と聞いたとき、「へぇ、住所不定のベドウィンも周囲の国際政治動向をちゃんと勉強しているのだな」と思わず私は感心した。が、ことはもっと単純だった。彼等は言葉が同じなのだ。だから文字や翻訳のフィルターを通さずに、ラジオでカダフィ本人の喋りを直接自分の耳で聞いて、その語感とともに醸し出される人間性をじかに感じ取れるのである。

唐家旋は「ゲンメイした!」と日本語で喋ったから日本人の反発も大きくなった。日本語なんか使うから彼の本性が我々日本人の前にオールヌードで現れてしまい、「コンノヤロー、そこまで言うか!」と我々は怒ることができたのである、あれがもし字幕だったら見過ごしたかもしれない。同様に韓国人は北朝鮮からの放送で北の異常ぶりをいつも肌で知ることができる、羨ましい。

できないよりはできるに越したことはない外国語だが、数年程度の机上勉強や駐在で相手の生活言葉の微妙な綾まではつかみにくい、これは日本にいるガイジンも同じで、落語を楽しめるまでには相当の年期と努力が要る。相手の感情を読むのは言葉より表情のほうが簡単だ、これは万国共通、犬だって怒ったり困った顔をするし、たいていの民族は日本人よりもはっきりと感情が顔や態度に出るから分かりやすい(ただし、本心と表情が違うアニータみたいなのもいるから要注意)。

結局、ふつうの日本人が外国人の喋りを“近似的”に理解するには通訳に頼らざるを得ないが、無機質な字幕や同時通訳の平坦口調ではなく、雰囲気たっぷりのプロの声優に喋らせられないか。どうでも良い街頭インタビューなどはすでにそれをやっているが、もっと大切な、我々の命に関わる、金正日や北朝鮮放送の喋りを、映画の吹き替えのように、相手の言葉のニュアンスと雰囲気をできるだけ忠実に日本語で再現して放送してくれないかな。似たシンタックスだから難しくはなかろう。これぞお茶の間留学、自国語で国際感覚を磨く方法だ。

【余談1:日本語ペラペラの碧眼】

ある合同協議が数日続いた。メンバーは豪州人、米人、カナダ人、スペイン人、チリ人、そして私を含め日本人2人。協議中に交わす言葉は英語とスペイン語だったが、最終日に豪州人の接待で日本食レストランに行ったら、この豪州人が日本語ペラペラで、食事の注文から勘定までを自ら日本語でぜんぶやってのけた。実は東京支部に8年もいたんだと。感心する前に当方日本人2名は蒼くなって顔を見合わせた、「・・・つうことは、協議中の我々日本人同士の会話は全部筒抜けだったのね。」 最近こういう日本通のガイジンが増えたので要注意である。8年日本にいたその彼も、落語の日本語にはついて行けないそうだ。

【余談2:オウムな人々】

日本のシンポジウムで同時通訳つきの講演を聴いた。聴衆は机に備えられたイヤホンを耳に付け、講演者が話し始めると同時に通訳による日本語がイヤホンから流れてくる。通訳者は若い日本人女性、会場後部のガラス張りの小部屋の中にいて、二人で交代しながらマイクに向かい、ときおりコップの水を口に含ませながら数時間にわたってよどみなく翻訳を続けた。後ろのほうの座席に座っていた私は、講演者の話よりこの通訳女性の姿をしばし振り返りながら眺めた。若くて美人だったからではない。目を半開きにしたまま、何だが一種恍惚状態のような表情で淡々としゃべり続ける彼女の不思議な顔つきに興味を覚えたのだ。

同時通訳者にはなぜか女が多い。当地で必要に応じて通訳に使う男と女の日系人スタッフがいる。どちらも普段の日本語会話能力に差はないが、通訳をさせると女のほうが格段にうまい。機械的にきちんと訳すのだ。男のほうはなぜかしばしば主観を交えた意訳が混ざってしまうのである。主観を交えたのでは通訳としては失格である。

ロシアでCさんという朝鮮人男性の通訳に世話になったことがある。敗戦時まで北方領土で日本人として生まれ育ち、ソ連侵攻でそのままソ連に収容されモスクワで暮らしていたが、(戦前の)ていねいな日本語を覚えている人だった。あるときこのCさんが通訳中にいきなり真っ赤な顔をして、先方のロシア人と口論を始めた。こっちがキョトンとしてたらCさんが「いまこいつら日本人を侮辱するとっても失礼なこと言ったので、私から怒って言い返しておきました」と言う。「そりゃどうも、でも、すいませんが、そういう場合もそのまま訳してもらえませんか」とお願いした。

同時通訳のトレーニング方法について興味深い話を聞いた。テレビに向かってオウム返しの練習もするのだそうだ。テレビのアナウンサーのしゃべる日本語をそのまま“日本語で”くりかえす。相手のセリフを主観を入れずそのままそっくりオウム返しになぞる練習をすることで、内容を深く考えずに機械的に翻訳文章が自然に口から流れ出る、一種のサイボーグ状態の脳構造が作り出されるのだという。

オウムの信者たちも、自分の思考細胞を麻原の教条をなぞることで至福の快感を覚えるまでに改造したサイボーグである。麻原が死刑になってもサイボーグに殺された人たちは浮かばれず、サリンの後遺症でいまだ地獄の苦しみの中にある被害者もその家族も救われない。信者達は真面目だったらしいが、真面目が犯罪の言い訳にはならない。オウムと総連・北朝鮮との深いつながりも藪の中のまま、村井の刺殺で闇に葬られた。

オウム信者に受験秀才が含まれていたことが話題になったが、日本の大学入試の訓練も一種の条件反射で、オウム返しの練習に似ている。オウムは自分の言葉ではしゃべれない。

通訳としてはやや問題あったが、つい自分の言葉で感情を込めて喋ってしまうCさんの人情味豊かな人柄が、私は好きである。
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政府を見限った国民が勝手気ままに「ノー」と言いだした、悪しき例

2005 8月29日(月)

拉致事件について私の根っこにある感情の一つは、自分と家族が生きる場である社会が壊れていくことへの危機感である。拉致事件を深刻に感じない人はこの事件を危機だと思わないのだろう。単なる認識の違いで私の取り越し苦労ならそれで良いが。

個人的に降りかかった危機はまず自分で解決するが、共同社会全体への災厄は一蓮托生。その危機に対応するには危機意識を共有した個人の有機的な連帯が必要だ、烏合の反応は対応ではない。日本人は自分の身に危険を感じてもまったく動かないわけではないが、動き方が問題だ。悪しき烏合の反応の例を、北朝鮮拉致事件と同じように蒙昧ウヨ政府と奇形サヨ運動が結託して国の根幹をおかしくした、日本の公立初等教育の現状に見る。

日教組という、教育現場からの暴力革命を目的に創設された、教育目的と関係ない教員組織がある。彼等の直接の害は大したことはない、そのあまりに思想臭い教育姿勢に影響される生徒は少ないし、私が育ったような地方都市には、「毛主席万歳!」で終わる文革賞賛映画を中学の教室で授業中に平気で上映するような教師をキ印扱いして峻別する地域社会があった。日本の公教育を本質的に腐らせたのは、その日教組と国家(文部省)とが手を組んだ最近の「ゆとり教育」のほうだろう、私の3人の子供たちがこの波をモロに被った。

日本で勤務していた頃、仕事を終えて夜10時か11時頃に自宅近くの駅に降り立つと、塾帰りの小中学生たちが駅前のコンビニで立ったまま、おにぎりやパンをかじっているのを見かけた。私は「晩飯くらいちゃんと家で食え」と、自分の子供は塾に行かせなかったら中学に入って成績が一直線で下がった。何度か中学の授業参観に足を運び、内容がスカスカで退屈な授業が多いこと、生徒が塾で習っていることを前提に授業が進んでいることが分かった。仕方なく我が子も途中から塾に通わせたらなんとか持ち直した。塾の方がずっと分かり易く面白いという。これに懲りて、残りの子供は最初から中高一貫私立に入れた。海外勤務手当の付く私の給与は比較的恵まれている方だと思うが、3人の子供を私立に通わせると生活は苦しい、持ち家どころか貯金の余裕すら全くない。

文部省が「ゆとり教育で学力低下は起きていない」と言い張っていたが、それは教育制度の欠損を国民が自腹を切って穴埋めをしてきたからである、身に降りかかる危機を個人で回避するために。今の日本のゆとり教育は、能力弱者救済を謳った、経済弱者切り捨て政策である。日教組と文部官僚が守りたいのは日本の子供ではなく、自分たちの建前とメンツだけ。文部省初等教育課の職員の子弟の何割が塾・家庭教師の世話になっているか、誰か調査公表して欲しいものだ(私の知る限り、もちろんほとんどが塾通い・お受験組だ。日教組は最初から日本の子供の学力向上に興味はない)。

海外・日本双方の大学を経験した私は「ゆとり教育」の意図するものは理解しているつもりだ。欧米系大学の研究者・学生のレベルの高さは、広い視野と遊びごころを備えた「精神的ゆとり」とともに、アカデミズムを支える市民社会の奥の深さ・社会の成熟が背景にある。しかし浅薄な理念とメンツで初等教育現場だけに押しつけられた日本の姑息なゆとり教育政策は、子供の潜在力を腐らせ自堕落にし、親の負担を強い、社会のゆとりをさらに奪った。最大の犠牲者は、大人のメンツのモルモットにされた子供たちである。自分の家で晩飯も食べずに塾で学校の勉強を補うという異常な勉強漬け状態なのに、日本の大学卒の平均的専門学識レベルは先進国の中では極めて低い。

昨年、私の子供が卒業した小6のクラスは生徒の3割が中学受験して公立中学から逃げ出した。首都圏を中心とする昨今の私立中への生徒流出は、国の教育政策に納得できない国民による消極的抵抗であり、公教育への集団ボイコット、集団登校拒否が始まったのである。消費者は自分の役に立たないものは買わぬ。言っても聞かぬ相手には見切りを付けて黙って去る、日本の公教育が崩壊し日教組教師が失業しようが知ったことか、というのが、公教育から逃げ出した親たちの本音だろう。

こういう国は、いずれ滅びる。

次回の選挙テーマは教育でも拉致でもないが、我々の生きる社会の未来が、選ばれる政治家の腕にかかっているのは同じ。国民の大局的・長期的な真の利益と幸福を考え、拉致事件のもつ危機感を共有し我々の思いを汲み上げる意志のある、少しでもマシな政治家が少しでも増えることを願う.


<教育と拉致は直接関係ありませんが、上記の日教組=媚北組織、文部省=外務省、ゆとり教育=北朝鮮政策に置き換えると、その腐敗構造は同じであり、拉致事件のこれからを考える上で参考になるかと思います>
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空論幻想

2005年 8月30日(火)

憤ることを日本語で「腹が立つ」と言う。日本語に不慣れなガイジンが「私は、とっても、オナカが立ちました!」と言ってしまい、本人が真面目に怒っているので周囲の日本人は笑うに笑えなかった、という話がある。肉体の同じ部位だが、ハラは立ってもオナカは立たない、そういうキマリ、それが日本語なの!我々がそう決めたの!

外国語の業務レターを出す場合、必ずネイティブ・チェックして貰う。辞書をめくりながら書いた私の草稿は、あちこちズタズタに修正されて返ってくる。「意味は分かるが、こういう表現はしない」と説明を受ける。たとえば「その鋼板の厚さは2インチである」をつい“The thickness of the steel is two inches”と書いてしまうが、もっとシンプルに“The steel is 2 inches thick.”で良い。その理由は彼等にも説明できないが、本家の校正に抗弁して文法的根拠を問いただすのが、特に(受験)英語が“得意なつもり”の日本人連中に多いが、それは『立ったハラもオナカと同じだ』と日本人を問いつめるガイジンのようなもので、スジの通った理屈も事実と違えば屁理屈・空論。

日本人の技術系院卒採用者の実地教育をこの一ヶ月余り引き受けている。彼等は大学推薦と十数倍の筆記・面接試験を経て採用された連中だから専門知識レベルは高い、が、やたらと理論が先行するのが鼻につく。アタマの中に自分が机上で学んだ出来合いの理論があり、目の前の事実をその理論に当てはめようとし、うまく合わないと腕を組みブツブツと唸り始める。その姿はまるで、南米アマゾン原生林の中に日本の動植物図鑑を持ち込んで「無いぞ、変だな」と呻吟しているようなものだ。

既成理論から演繹して事象にアプローチするのは科学ではなく“なぞった”だけ。その後に事実から仮説の検証に戻る部分が科学の本質で“エキサイティング”なのだが、なぜか日本人は一般に、大学の研究者でさえ、この帰納する部分が弱いのである。帰納過程では「ひらめき」と「創造性」、そして自分の過去を捨てる「勇気」が必要だから、変化・冒険を疎み自分から定型にハマりたがる日本人に馴染みにくいのだろう。

それでも自然科学の仮説の多くは事実検証が可能で、仮説が事実と違ったら「ありゃ~、違ったわい、くっそぉやり直し!」で済む、そのための実験であり、失敗の解析の中から新たな仮説が生まれる。これが社会科学になると厄介だ、事前検証できないから、その応用は臨床試験無しの劇薬を飲まされるようなもので、実験の失敗は痛ましい犠牲を生み修復も困難である。ナチズム然り、旧態依然硬直化した日本のコミュニズム然り、独善偏狭な排外ナショナリズム然り、日本の教育をガタガタにした“ゆとりズム”然り。作業仮説が事実と食い違っても言説を変えるのは沽券に関わると思うから、日本の社会科学は世界の潮流に乗り遅れ今や日本国内限定の守旧スクラップになってしまった。

日本人生来の聡明な感性を残していた明治の日本民衆は、理論頼み訳知り顔の机上インテリが醸し出す胡乱臭と危険を感じ取って“書生臭い”という造語で警戒した。しかし、現代の日本はそういう書生レベルの空論が政治社会の舵取りを差配するまでに増長し、失敗しても非を認めず、責任も取らず、どころか他人に転嫁して逃げる。ひところ日本共産党が“科学的”社会主義と唱え始めたのは、自らの非科学性と書生臭さを自覚した疚しさの裏返しである。

実証困難ゆえに理論倒れの自己欺瞞に陥りやすい社会科学だが、北朝鮮を舞台にした壮大なる実験の惨憺たる大失敗結果は、そこから新理論を帰納構築する好機、生データの宝庫なのに、今まで実験に関わりサポートしながらその検証を試みる良心的科学者は少ない、自説が崩れることをのみ畏れ、錆びた刀で再び演繹的に切り込もうとする姿は科学ではなくもはや宗教。彼等の科学者としての資質・能力以前の、人間性・良心の問題だ。これは媚北学者に限ったことではない、論理構築と実証による自己否定を伴うドライな真理探求よりも自己保全・現状追随に安住したがる日本人に多い基質(マトリックス)だ。日本的マトリックスそのままにドライな西欧思想体系を皮相的にコピーしたため、我々は木に竹を接いでしまったのではないか、その木は、根元から腐り始めた。

北朝鮮人民の懊悩と惨状を目の前にして手も足も出ず、出さず、自分の作業仮説に不都合な事実から目を背ける日本人社会科学屋の学問レベルと民度は、実証科学を知らぬ未開ドジンと変わらぬ。これじゃ無謀な実験で虐殺された数百万の朝鮮人の魂も浮かばれまい。かかるドジン理論屋が社会の要衝に大手を振って居残る限り、我々はこれからも毒薬の非科学的臨床試験に晒され続けることになる。

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>今、子供が危ない

2005年8月30日(火)

つくる会の歴史・公民教科書は、昨年一次帰国したときに市販本を買って読んだ。実際にあの本を読んだ反対派は困ったんじゃないかな、振り上げた拳がおろせなくて。「勉強会」をやっても騒ぐほどの問題点が見つからないから、「戦争賛美のケシカラン連中が作った教科書だから戦争賛美でケシカラン」というトホホな結論になり、いつもの「半島・中国」の仲間に協力頼んでてマスコミ取材させてそのテレビ放映を見て、「よし、やることはやった」と自己満足、ってか。

昨今の教科書問題は「意地でも掲載したい」側と「意地でも掲載させたくない」側の大人同士の意地の張り合いで、当の子供たちは冷めている(そもそも教科書をまともに読んでるのかいな)。子供たちは、そういう大人たちの大人げない政治的メンツの張り合いをクールに眺めながらも、問題のポイントは把握してるように思う。私が読み終えて置いていた「市販本」を、高2の息子は勝手に部屋に持っていってゴソゴソ読んでいたようで「これ、最近話題のやつだね」と返してきた。「今使っている教科書と比べてどうだ?」と聞いたら「うん、まぁね・・・」と含みのある返事をしただけ、私もそれ以上聞かなかった。(本は親が子に読めと言えば読まず、読むなという本を子は読みたがる・・・反抗期の自分がそうだった)。

>浅川巧、阿弖流為、杉原千畝、長屋王、安重根、シャクシャイン、知里幸恵、李舜臣

momoedakeさんが挙げられた上の歴史人物は、その教科書掲載を要求した連中の人間的嫌らしさは別にして、やはり知っておくべきと私は思う、もちろん、日本のなりたちの礎となった人物をきちんと知った上での、補助的な歴史人物として。(杉原千畝は、瀋陽日本領事館の脱北者引き渡し事件と並べると分かりやすい。)

長い人類史の中で、加害者・被害者双方の経験のない国・民族は無いだろう。多くが弥生人の末裔である我々現代日本人は縄文・アイヌ人の累々たる屍の上に立っており、その縄文・アイヌの分身(mtDNAが最も近い)のケチュア~アイマラ族は南米アンデスに大侵略帝国築き、それをスペイン人が襲い破壊し黄金を略奪した400年後にそのスペイン系白人支配階層を押さえて君臨したのが、弥生人の末裔フジモリ、そのフジモリを引きずり降ろしたのが縄文・アイヌ分派ケチュア族の現トレド大統領だ。したがって、太平洋をはさんだ今のフジモリvsトレドのケンカは、数千年の時の流れを越え世界をまたぐ弥生人vs縄文人の末裔同士の戦いと言えるのだ(以上、一部曖昧な部分も混じっております)。

日本が加害者であったときの被害者の立場を知ることは、『自分の属する日本という国とそこに住む人々と文化と歴史を他の国のそれよりも自分にとっては大切だと感じる人々の側』(←これを『右翼の側』と書きかけてやめた、誰か新語を造ってくれ)にとって大切なことだ、それを知ることが、中国・北朝鮮・韓国の現在の横暴危険な振る舞いを押さえることにもなる。

やや露骨に言えば、①自分が与えた相手の傷を確認すること、②それを謝罪すること、そして③実際に補償することは、それぞれ別の問題だ(原爆投下した米国は日本の損傷データを徹底的に調べたが被爆者への謝罪も補償も無い、つまり①だけ。②~③をしないのは、米国にとってそれをしないほうが良いから)。

相手がどんなワルでも、こっちが先に足を踏んでしまったら、踏んだことは認めて「すまなかった」と言わねばならなぬ。つぶれた靴を弁償するのも仕方ない。しかし「骨も折れた、治療費も寄こさんかい」とワルの言うままに余計な弁償する必要はなく、さらに、もし弁償した靴でそのワルが別の人間をの足を踏んづけるのが分かっていれば弁償してもいけない、当然だ。もし過去に日本が与えた損害を理由に現在の中国・北朝鮮の国家犯罪を認めるなら、過去と現在トータルの犠牲者が増えるばかりだ。北東アジアの平和と安全を願うならこそ、現在の中国・北朝鮮の国家犯罪に加担するような謝罪や援助は一切してはならず、むしろ現在の彼等の動きを牽制する義務が、過去の加害者日本にこそある。

踏んだ側として靴のつぶれ具合を確認するのは、ワルを増長させないためにも大切なことなのに、「水たまりを避けるためだ、足を踏んだのはしょうがない」などとアラブ・イスラムみたいな事をいうから、墓穴を掘る(そういう言い方するなら何も言わない方がまだマシ、こらえきれずに先に踏んだ日本は辛抱負け、パールハーバーを先に踏ませたアメリカは作戦勝ち、しょうがないじゃん)。その結果、過去の日中戦争、靖国問題、現代中国・北朝鮮の国家犯罪が、同じ中華テーブルの上に一緒くたに乗ってグルグル回ってしまい収拾がつかなくなる、これはひょっとして、中国の謀略にまんまと引っかかっているんじゃないか?

ところで、これはあくまで私の個人的見解ですが、社会思想立場の軸足は右に、一方の補助足を左に置くのが、程良い案配だと思う。両足とも右または左に揃えて置くとバランスを崩して倒れやすい。ただし、左足は軸足には向かない、体重を支えきれず折れる。

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2005年8月29日 (月)

安明進氏の再反論の会見

安明進氏の国会証言を否定する蓮池薫氏に対する
            安明進氏の再反論の会見


 原 良一@記録係さんの投稿より 8月29日(月)

 先日8月26日に行われた、特定失踪者問題調査会の定例記者会見で、安明進氏が、自身が7月28日に行った国会での発言に対し、蓮池薫氏がそれを否定する発言を発表したことに対して、反論の会見を行いました。

 概要は当日の調査会ニュースで発表されていますが、私もそれに出席していたので、その発言を質疑応答を含め、全文公開します。

 発表にあたっての但し書き

 本記録は、2005年8月26日に開かれた特定失踪者問題調査会定例記者会見に際して、荒木和博同会代表の通訳を介した行われた安明進氏の発言を私、原 良一が、テキストに起こしたものです。起草後に、荒木氏の校閲を受けているので、通訳及び本稿のチェックにおける責任は荒木氏に属します。

 <安明進氏記者会見全発言>

 荒木氏の紹介
 それでは続きまして、安明進さんからコメントをお願いしたいと思います。この間衆議院の特別委員会で安さんが証言したのは7月28日でございまして、蓮池さんのコメントは29日でございます。

 安明進氏の発言
 蓮池薫さんが発表したコメントを読みました。蓮池さんは、マスコミに対する発表文として出したわけですけれども、私の方は、逆に蓮池さんに対する質問としてお伝えしたいと思います。

 蓮池薫さんは「私は『金正日政治軍事大学』にはいなかった」と言っているわけですけど、それは当時違う名前だった、「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」だったということです。学校自体は同じです。

 変わった学校名、変わらない秘匿名称
 私が、蓮池さんや横田めぐみさんを見た88年から91年の間は、「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」だったものが、92年の1月20日に「金正日政治軍事大学」に名称が変わりました。そして当時から変わっていない名称もあります。それは「130連絡所」と「人民軍695軍部隊」で、こちらは現在も変わっていません。

 私が蓮池さんにお聞きしたいのは、昔の名前の「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」そして「130連絡所」、「人民軍695軍部隊」にいなかったか? ということです。
北朝鮮が2002年、03年に拉致被害者の日本人が死んだ根拠として出してきた「死亡診断書」の中に、「695病院」と書いてありました。これが「695」の名称が現在も変わっていないという根拠です。

 要するに、「695」という施設で日本人を今でも管理していることを、北朝鮮自体が認めているにも関わらず、蓮池さんがそれを語れないということは、何か別の語れない理由があるのではないかと思います。いずれはそれを明らかにしてもらいたいと思います。

 太陽里も金正日政治軍事大学の一区画
 蓮池さんたちは、太陽里(テヤンリ)という所に居たと言っていますが、私たちがいた東北里(トンプンニ)の隣になりまして、太陽里が西北に位置しまして、東北里が東南になります。(安氏、位置関係を紙に書く。左上に太陽里、右に東北里、左下が新美里=シンミリ、東北里の中に南朝鮮革命史跡館が描かれている。それを示しながら)こういう地理関係で、こちらが蓮池さんたちがいた太陽里、こちらが東北里、ここが新美里となります。東北里のこのあたりに南朝鮮革命史跡館があり、私たちはこの近くに住んでいました。金正日政治軍事大学は、この三つの区域に跨って存在していました。

 その中で、蓮池さんたちがいたと主張しているのは(太陽里を指しながら)ここですけれども、その地域も金正日政治軍事大学の所在地の一つに含まれています。
蓮池さんは、私たちは東北里にはいなかった、居たのは太陽里だという意味で言っているのかもしれませんけれども、私はその主張を信じていません。彼らも東北里に住んでいたと思っています。

 1987年に大韓航空機機爆破事件が起きた後、88年から91年の末にかけての拉致被害者日本人の管理は、金正日政治軍事大学の本校で行われていたのではないか、と私は思っています。蓮池さんたちに尋ねてみたいのは、彼らの子供たちが、学校に行く年齢になってからは、遠方の寄宿舎付きの学校に通わせたわけですが、それ以前の幼稚園時代は、南朝鮮革命史跡館の裏にある幼稚園に通わせたのではないか? ということです。

 特別な存在の拉致被害者、その他大勢の中の安明進氏
 蓮池さんは、私を見たことがないと言っていますが、それは当然だと思います。たくさんの学生がいて、私はその中の一人に過ぎなかったのですから…。

 一方彼らは、特別な立場にありました。蓮池さんが言うように、確かに彼は「金正日政治軍事大学」にはいなかった、あるいは、私、安明進を見たことはなかった。それはそれで事実でしょう。当時の学校の名前は違っていたし、私は、多くの学生の中のワンオブゼムで、会って話しをしたわけでもありません。けれどもだからといって、彼らが実際の事実を否定することはできないはずです。

 私が考えるに、蓮池さんが金正日政治軍事大学にいたことを認めれば、他の拉致被害者についても話をしなければならなくなり、それを負担に思って認めたくないのだと推測しています。

 私たちも蓮池さんも、北朝鮮に対して闘わなければならない立場であるのに、なぜこれ程までに私を忌避しなければならないのか? ということをお伝えしたい。以前、東京国際フォーラムであった大集会(03年5月7日の第5回国民大集会)の時に、蓮池さんたちも出席したのですが、彼らは、私と同じ階には泊めないでくれとまで言いました。なぜそこまでしなければならないのか、と思わざるを得ません。

 忌避するのではなく、共に闘ってほしい
 私は、もちろん日本人だけではなくて、自国の可哀想な同胞を救いたいと思ってやっているわけですが、多くの日本人の皆さんも拉致被害者を救出しようと活動しています。私が、日本人に危害を加えようとしているならともかく、日本人も救おうとして活動しているのに、なぜ避けなければいけないのでしょうか?

 北朝鮮が拉致を認めていなかった時期から、私は、私なりに命を賭けて、蓮池さんを初めとする拉致被害者の救出を日本政府に訴えてきました。ですから人間の道理としても、逃げ回ってばかりいないで、会って話しをして、そして共に戦うべきではないかと思います。

 正義の側について欲しい!
 もちろん蓮池さんを初めとする拉致被害者5人の方々は、北朝鮮がどれだけ危険で、非人間的な集団であるかは、よく知っていると思います。しかしそうではあっても、北朝鮮は崩れつつある悪であり、日本政府は正当な要求をし、活動をしていることは、彼ら自身も理解していると思います。悪の側に追従するのではなく、彼ら自身も助けられたのだから、他の拉致被害者も助けるという正義の側に付いて欲しいということを求めます。

 質疑応答

 Q1. ― 東北里で見たのはいつか? ―
 先程の推測の中で、蓮池さんは太陽里に住んでいて、(金正日政治軍事大学のある)東北里に入ったことはないという意味の主張をしているのではないかという推測をなされていましたよね。東北里で蓮池さんを見たのは、何年ごろでしょうか?

 A1. ― 88年~91年8月までに6、7回 ―
 88年から91年の8月頃までです。蓮池さんは、少なくとも6~7回は見たと記憶しています。彼は、行事がある度に南朝鮮革命史跡館に出向いては、金日成の銅像を拝んでいましたから、行っていないはずはありません。

 Q2. ― 印象的なシーンは? ―
 その6、7回見ている中で、鮮明に覚えているシーンを二、三教えてください。

 A2. ― 一際目立つ長身 ―
 他の拉致被害者の方々は、総じて背が低いのですが、蓮池さんだけが非常に長身で目立っていました。二番目に大きい田中実さんが170㎝くらいだったと思いますが、後の人はそれより低かったのです。女性の場合も、150~155㎝くらいで、それら小柄な日本人の中で、一人だけ頭一つ抜けて長身だったので、とりわけ目立ったのです。

 私が97、98年に証言を始めた頃は、特に親しい1、2社を除いてマスコミの人には目撃証言を話していませんでした。ご家族に伝わって衝撃を与えるのを恐れていたからです。警察など政府機関には、この人は間違いなくいますと話してはいました。3年前の2002年10月15日に、帰国してタラップを降りてくる姿を見て、ああこの人に間違いないと確信しました。ですから逆に、97、98年の段階で、ご家族に「間違いない、この人です」と伝えていたら、蓮池さんは戻って来られなかったかもしれない、と思ったりもしました。

 Q3.
 繰り返しになりますが、東北里のどの辺で目撃したのでしょうか?
 A3.
 金正日政治軍事大学の本校の講堂で、行事の時です。

 Q4.
 ちょっと細かくなりますけど、どんな行事で、どんなことをしている、例えばお辞儀をしているとか、どういうことをしているのが、印象に残っているのでしょうか?

 A4. ― 主要な祝日の時に一緒に宣誓を ―
 大きな行事の時だけですけれども、10月10日の朝鮮労働党の創建記念日、4月15日の金日成の誕生日、2月16日の金正日の誕生日、あと元旦、それらの行事の時に来ていました。その時には宣誓をするわけですが、それも一緒にやっています。ただ私たちは、軍服を着ていましたが、蓮池さんたち拉致日本人たちは私服でした。

 Q5.
 私服というのは、背広でしょうか?
 A5.
 暑い時は、(安氏、自身が着ているワイシャツを指して)このような開襟シャツ1枚の時もありました。

 Q6. ― ディテールの再確認 ―
 イメージとしては、何かの催し物でみんなが並んでいる時に、制服を着ている安さんたちにグループと別個に被拉致日本人のグループがいて、そこに背の低い人たちがいる中で、頭一つ抜きん出ているから目立った、ということですね。
(荒木氏の「それならば、位置関係書いてもらった方がいいですね」に、安氏快諾、絵を描き始める)

 A6. ― 指定席に最後に並んで来て、真っ先に帰る被拉致日本人たち ―
(レポート用紙の上部に演壇、演壇前左側の席に安明進氏、右下入り口近くに蓮池氏ら被拉致日本人の一団を描いた絵を示して)
 こういう形で講堂の奥に演壇があって、被拉致日本人たちは、演壇から見て左手最後列、演壇を上に描くと右下最後列に座ることが多かったです。私たちは、その時の学年とか、訓練に出ている学生がいたりすると場所が変わりますが、日本人の座る場所はいつも決まっていました。

 そして日本人は、学生たちが座ってから並んで入ってくるので、背が高い蓮池さんは目立ったわけです。被拉致日本人たちは、最後に入ってきて、行事が終わると最初に出ていくので、そこにいる学生たちは見ていないと思っているかもしれません。しかし、拉致の実行犯が(教官や先輩として)その中にいるわけですから、その彼らが、あいつはどうした、こいつはこうしたと話をするので、彼らの個人的なことがわかるのです。蓮池さんたちは、北朝鮮当局から「お前たちは、見られているはずがない」と言われているのかもしれません。

 <構成者補注>
 双葉社より今年7月30日に出版された漫画「めぐみ」前編212~221ページで、安氏の証言に沿った構図が描かれています。イメージとしてはほぼこれで間違いありません。後から集団で来て、席の最後尾の指定された場所に座る被拉致日本人たちを、安氏ら学生が振り向いて見ては、噂話をする位置関係になります。

 Q7. ― 5人が沈黙する理由は? ―
 なかなか彼らが、ここで思うように喋れない理由について、脅されているんではないか、いろいろな推測がなされていますが、その辺はどのようにお考えでしょうか?

 A7. ― 疑いない脅迫や圧力 ―
 いくつか考えられますが、一つは、お前たちが日本でペラペラ喋れば、北朝鮮に残っている拉致被害者が無事ではすまないぞ、帰れなくなるぞと言われている可能性があります。あと、北朝鮮の非常に野卑なところですが、お互いに監視をさせてそれぞれの弱点を全部チェックして把握している可能性が高く、それを暴露するぞと脅している可能性があります。

 蓮池さんは、子供たちが帰ってくるまでは、ぽつりぽつりと話していたわけです。私自身は、子供たちが帰ってくれば、安心してもっと喋ってくれるだろうと期待していました。ところが逆に、子供たちが帰った後の方が、却って喋らなくなってしまった。やはりこれは、明らかに何ならかの圧力がかかった証拠だと思います。

 北朝鮮側は、当然5人の電話番号など連絡先を掌握していると思います。例の、北朝鮮に戻ってしまった平島筆子さんも電話番号を捉まれていて、北朝鮮の保衛部などから直接電話がかかっていたものと思われます。ですから、5人の所へも当然脅迫はなされていると思います。

 日本にいる脱北者の許にも、北朝鮮から直接脅迫がなされている例もあります。

 <構成者補注>
 韓国在住の姜哲煥氏や、守る会会員の帰国者親族、在日朝鮮人であるRENK代表李英和氏の許にも、北朝鮮から定期的に脅迫と身代金請求の電話が来ています。

 Q8. ― 家族会の意向は? ―
 最近蓮池薫さんが、安さんの証言を否定したことで、薫さんの意思とは別に、安さんの証言の信憑性を疑われるという報道がされ始めていますが、家族会としては、この問題を薫さんに直接確認するということは考えられないのですか?

 A8. 荒木氏の回答 ― 満足していない未帰還組家族 ―
 この問題について、今日増元さんが大分の方に行っていて不在なものですから、私が家族会を代表して喋るわけにはいかないもので何ですが、ご家族の方は、ご家族の方で帰国した5人の喋っている内容について、満足はしていないことは間違いないです。充分にちゃんと喋ってはくれない、と。彼ら5人は、未帰還組の家族には、ちゃんと喋っていると言ってはいますけれども、これを満足して聞いている家族はいない、ということは間違いありません。だからご家族は、当然蓮池薫さんが、この間の安さんの国会での証言に対して出したコメントよりも、安さんの証言の方を信じているのは、間違いないです。

 Q9. 原 良一‐1(構成者)― 蓮池薫氏との電話はいつ? ―
 安さんの著作「新証言・拉致」(廣済堂出版)の中で、安さんと蓮池薫さんが電話で話したとありますけれども、それは何時ぐらいの話でしょうか?

 A9.
 はっきりとは覚えてはいませんが、蓮池さんが帰ってきたその年の内、つまり2002年末までです。

 Q10. 原‐2 ― 一度や二度では本音は語れないはず ―
 これは質問からは離れてしまうのですが、私は慰安婦の問題にも関わっていますが、慰安婦たちも、真実を明かすまでには、ものすごい時間がかかっているんですね、通り一遍のインタビューでは、本当のことを言うわけがないんです。これは朝鮮人差別だとかそういうことではなくて…。

 彼女たちは、最初は強制連行されたと言っていて、詳しく聞いていく(人によっては数年に及ぶヒアリングによって)過程で、本当は親に売られていたことを打ち明ける、といった事例がほとんどなんですけれども、それと対比しても拉致被害者だって、二十数年間の北朝鮮での生活があるわけですから、1回、2回の事情聴取や未帰還組の家族との面会で話せるわけがないんで、もっともっと、対話を重ねて信頼関係を築いていかないと真実には迫れないと思います。

 Q11. 原‐3 ― 時間がかかったのは安氏も同じでは? ―
 実はこういうことを話したのは、以前高世仁さんの話で、安さんが横田ご夫妻と初めて会って、めぐみちゃんの話を始めた時、隣にいた安企部職員が慌ててメモを取り始め、後で「こんな大事なこと、何で今まで黙っていたんだ」と怒られていたと言っていたんですね。

 A11. ― 最初からは無理でも、すべてを話すことが最大の安全策 ―
 もともと情報機関に全部を話すことはありえません。例えば、何か一つ話せば、これは真実か、間違いないか、あれはどうなのか、それは…と次々と問い詰められることになる、そういう意味では確かに最初からすべてを話せるわけではない。特に拉致のことを話し始めた当初は、金正日の関与していることなので、顔を隠したりもしていたので全部話すことは無理でした。

 しかし、拉致被害者5人にとって一番安全な方法は、正しい情報をきれいさっぱり話してしまうことだと確信しています。すべてを話してしまった後では、北朝鮮側も下手な手出しはできなくなります。

 Q12. ― どうすれば発言を決断できるか? ―
 先程喋りにくい理由を三つ挙げてくれました。危害加えられるとか、そういったことに対しては、話した方が下手な手が打てなくなると言うのはよくわかるんですけれども、一番最初に言われた、話したら残っている日本人が帰ってこられなくなるぞ、殺されるぞ、と何となく躊躇される気持ちが出るのも人間としてあるのかな、という気がするんですけど、それを乗り越えるにはどういうことをしたらいいと思いますか?

 A12. ― 生存を明言されれば手が出せない ―
 却って、「○○の人たちは生きています」と言えば、北朝鮮としてはもう何も手出しができなくなると思います。北朝鮮側の立場の人間にとっても、現体制が崩壊すれば、拉致被害者が居なくなっても(=解放して帰国させても)問題はないわけで、拉致被害者を抱えたままで体制が潰れてしまえば元も子もないわけです。

 あとこういう言い方もどうかと思いますが、日本人というのは余りにも物わかりが良すぎるようにも思います。こうだと言われれば、ああそうですかと簡単に聞いてしまう部分があると思います。


 <参考資料>
安明進氏を中傷する破信義(河信基)の論考

安明進氏の会見を伝える新潟日報05.8.26付

安明進氏、蓮池薫氏コメントに反駁(電脳補完録管理人による詳細な解説)

特定失踪者問題調査会拉致被害者向けラジオ放送を企画中 (同日の会見で発表された別の話題)

北朝鮮拉北者の安否確認拒否(朝鮮日報05.8.25)

 ※ 本会見記録作成にあたって、原稿の校閲に特定失踪者問題調査会荒木和博代表の多大なご協力をいただきました。記して御礼申し上げます。
 ただし、拙記録の発表自体は、原良一個人としての活動であり、所属団体の指示、命令に基づくものではありません。
(http://www.jca.apc.org/JWRC/indexj.html)

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七夕短冊お礼

8月6~8日の福島七夕へ短冊を送った皆さんに、救う会福島から報告が送られています。
事前、事後のマスコミ報道もあって、全国か約400枚の短冊、会場でも多くのかたが短冊を書いてくださったようです。

既に話の花束でぴろんさんもご報告になっていますが、福島からのお礼の書面をご紹介します。
参加した皆さん、ありがとうございました。
またこういった呼びかけがあれば、共に協力していきましょう。

礼状

お礼状の文章
「七夕祭りinふくしま
残暑お見舞い申し上げます。過日はご協力を賜り誠にありがとうございました。ご報告おくれて申し訳ありませんでしたがNHKはじめ、メディアでも多く取り上げて頂き、感謝です。全面解決まをめざして、みんなで頑張りましょう。」






8月7日付け福島民報新聞の記事
拉致問題で街頭活動 救う会ふくしま

北朝鮮に拉致された日本人を救う会福島の会(救う会ふくしま)は拉致問題への関心を高めるための街頭活動を六日から三日間、福島市のパセオ470通りで開かれている七夕祭りで、開催している。
大型の七夕飾りを日本掲げて「拉致被害者全員を取り戻そう」などとアピール。笹飾りも四本用意し、横田滋・早紀江さん夫妻をはじめ全国各地から寄せられた短冊約400枚を飾っている。
市民も拉致被害者の帰国を願うメッセージを短冊に書き、笹飾りに結びつけている。
福島の会久米充彦事務局長は「一人でも多くの人に関心を持ってもらい、福島の活動の輪を広げていきたい」と話していた。

※こうして参加者にこまめにお礼状をだす救う会福島のみなさんの心遣いに感謝します。

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2005年8月28日 (日)

アジアの中で生きるために

中・露の海上封鎖演習は重大な行為だと思う。イージス艦が給油のために寄港するだけで、がなり出す北朝鮮に比べて、余りにも静かすぎる日本という国。ここにも拉致問題が進展しない素地がある。

momoedake管理人が書いているとおり、自己主張が主張すべきをはっきり主張して行かなくては、現在の東アジアでの国際関係を円滑に進めることはできない。

『靖国参拝をすると日本が戦争を始める』という飛躍した論理を共有する左の日本人は何時から生息しているのだろう?教科書が一部変わったからと言って、戦争をしたいと思う子どもは、今の日本には皆無だと思う。ゲームや携帯のほうがずっとおもしろいし、今の日本の子どもには残念ながら闘いなどできる『耐える』という精神を持ち合わせない。

街の監視カメラや犯罪者の情報を警察が把握することが人権に関わるという考え。
国の諜報機関の設置を治安維持法に繋がると考える人たち。
犯罪者の権利だけを守って、被害者の人権を置き去りにするマスコミや識者。
青山学院の英語の入試問題を非難する人たちは、現代の子どもの正直な実態を知っているのだろうか?

過去のトラウマだけに囚われて恐がり、必要なことを行ってこなかったことが、今の社会を生んでいる。拉致問題の放置もその中で生まれた。

戦争に勝った「正義の国がそんなことをするわけがない」「理想の共産主義は犯罪を犯さない」

終戦前後のソ連の行動は、正に火事場泥棒のようなものだった。北方四島をなんの苦もなくさらっていった。そのソ連は崩壊した。理想の制度とされたコルホーズ・ソホーズによる国家による集団経営は、競争と生産性を無視したため破綻した。

日本の社会保険庁などの腐敗は、ほとんどその縮図のようなものだ。日本の中には労働組合が勝ち取ってきた働く者の権利によってできあがった社会主義の「負」の部分が蔓延している。

私達は戦争をしたいとは思わない。
子どもが言う「戦争したいのは中国だ。一回やって勝ちたいんじゃないの?」

外国から言われたい放題。拉致もやられっぱなし。
いったい日本は何時からこのような国になったのかと思う。
私達は、素直に歴史を学びたい。

言うべき事は言う。必要なことは行う。他国との間でもしっかりした主張をしていかなければ、日本は領土さえ失いかねない。

中学の歴史教科書を読んだ。元寇についても教科書では「友好の国書を持ってきた朴世忠(元の使者)を殺した」などと書かれている。更に寸劇まで指導されている。
※------------------※
寸劇の内容
時は1275年4月、山口県にやってきた元の使者朴世忠は、皇帝の国書をもってきた。彼は鎌倉幕府の最高指導者北条時宗にようやく合うことができた。

役 人:「元の使者朴世忠が持参した国書です」
時 宗:「また国書を持ってきたのか?・・なに!元の家来になれと言うのか?けしからん、この使者を切り捨ててしまえ!」
役 人:「はっ!」(刀を抜いて)「えい!」
朴世忠:「う!」(倒れる)

ナレ-ター
使者朴世忠が殺されたことを知った皇帝フビライは、二度目の日本攻撃の命令を下した。

(教育出版)中学社会歴史~未来をみつめて~ より
※------------------※
○この寸劇で子ども達は何を感じ、何を学ぶのだろうか?

半島は元へ服属してから、長い間大陸の属国に近い状態が近世まで続いていたにも関わらず、敵は「日本」という見方をしている。

今、拉致問題をきちんと解決しなければ、一方的な日本批判が火種として21世紀以降に引き継がれていく。

「言うべき事は言う」

この姿勢をきちんと打ち出し、今拉致問題を解決し、アジアでの日本の立場を確固たるものとして築かなければ、子ども達は何時までもうつむき、犯罪も核も麻薬も、北朝鮮のやりたい放題になってしまう。

また、秋がやってくる。9.17から3年という時は過ぎた。

このままでは絶対いけない。その気概を日本外交に求めたい。
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2005年8月24日 (水)

民族性

 2005年8月21日(日)蒼き星々掲示板の投稿

近頃、仕事の関係で中国人や韓国人と席を同じくする機会が多くなったので、その中で気づいた点を記しておきます。これは私だけが言っているのではなく、幾つかのセミナー( いわゆる日中セミナーなどのビジネスセミナー)に出席しましたが、そこでも言われていることです。
中国人や韓国人の特性として、自己主張が極めて大きいことです。逆に、日本人の場合、自己主張が少ないのです。実際の現場で、どんな事が起きるかと言えば、会議をしていて、彼らがその時のテーマに知識が無く、発言のチャンスが無い場合でも、少しでも何らかの知っている事が話題になると、テーマには関連が無くてもそれについて自分はそれについて見識があるんだと喋り出し、その話がかなり続くのです。その件は、テーマとは違うからと、発言を中断させるのに苦労します。これが、一旦、何かの都合で彼らの領域を侵した場合は、大変です。極めてヒステリックに騒ぎだし、問題を大きくするのが常です。逆に日本人の場合には、他人から促されて始めて、話が始まるケースが少なくありません。
また、何か問題が起こると、その責任の所在が日本人の場合は、割と決着が早いですが、中国人や韓国人の場合には、一悶着あるのが常です。日本人は自罰的であり、中国人、韓国人は他罰的です。
これは、多少バラツキはありますが、チャンスを狙うことには積極的です。メインの職業は大学や学校の教師や役人だが、副業として別のところに勤めていたりとか、会社を持っているとか日常的に聞く話です。極端なケースでは、自社が扱っている製品のニセモノを同時に取り扱うとか日本では考えられないことも耳にします。
ここで大事なことは、( 最後の例は、犯罪ですが )、これらは民族性として理解してそれ自体を非難するよりも、彼らはそういう考え方をするものであり、こちら(日本人)はそれに即した対応をすることが大事だと思います。
今までの日本人は、中国人や韓国人から、( あるいは、それを代弁する日本人から )、一方的に非難されても、過去に「負い目」があるから、あっさり全面的に当方の非を認めることを繰り返してきました。自己主張が強い者が、自己主張をしない者に、他罰的に非難することを、自罰的に受け容れているのです。これが民族性が逆転していたら、全く違う展開になるでしょうが、世の中は皮肉なものです。事態は一方的に悪い方に回転していくのです。
( 実際のビジネスの現場では、どうしているかと言えば、当方の主張をきちんと説明することに重点を置きます。それを相手が受け容れるかどうかがポイントになりますが、後々、問題を起こすより、最初に彼我の問題を明らかにすべきとの考えです。)
しかし、戦後60年を経て、そして、拉致事件を通して日本人は、主張すべきことは主張しなければ、日本人としての存在をも否定されることに気づきました。
13歳の女の子が理由もなく拉致され、その犯人が分かっても、過去の日本に問題があるから犯人サイドへの援助が先であるなど、上に展開した民族性そのものです。北朝鮮はそう主張し、今までの日本人はそれに対して唯々諾々と受け容れてきました。私たちはそれに対して、それは間違いであると訴えています。こういった日本人が確実に増えているのでしょう。8月15日のNHK「戦後60年討論会/日本の、これから」を見た人も多いかと思います。最後の携帯電話でのアンケートにそれが如実に出ています。
質問 : 日本人がアジアの中で歩んでいくのにどのような姿勢がより大切か?
 1.自分の立場を主張すべき
 2.相手の立場を考えるべき
というアンケートでした。アンケートを取る前は、質問が悪い。1も2も必要であるとの指摘が会場から起きていました。しかし、全国の携帯電話からの結果は以下のようでした。
携帯の生アンケートの結果・・・
 1.自分の立場を主張すべき 31,216人
 2.相手の立場を考えるべき 10,131人
実に75%以上の人が、日本人はもっと自己主張をすべきであると回答したのです。これは、今までの日本人が自己主張を全くしてこなかったという反省そのものではないでしょうか。日本人は確実に目覚めつつあります。そして、そういう人を増やさなければなりません。子供が夏休みの方は、教科書を一読してください。そこに何が書いてあり、書いてないのか。私たちの子供のころとは相当違うと聞いています。 (momoedake)

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2005年8月22日 (月)

マニフェスト比較~拉致問題~

※自民党マニフェスト 
「拉致問題の解決」に向けて粘り強い努力を続けます。

   109.拉致問題の解決に向けさらに努力

 「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」との基本を確認する。経済制裁の発動を含め拉致問題の解決に全力を傾注する。

※公明党マニフェスト
6、北朝鮮問題について
▼拉致・核開発問題の解決に全力

○ 拉致問題に関しては、拉致被害者全員の即時帰国、安否不明の方々及び特定失踪者の事実解明とその全面解決を図ることが最重要です。政府間協議及び6カ国協議など、あらゆる機会を通じて、その解決に全力をあげます。

○ 北朝鮮の対応次第では、経済的な制裁措置の発動など、一定の圧力をかけることも辞さない構えです。

○ 北朝鮮による核開発問題は、わが国及び北東アジア地域の安全保障にとって重大な脅威であり、断じて容認できません。「全ての核兵器及び核計画の検証可能な廃棄」の実現へ向け、6カ国協議を軸に粘り強くその解決をめざします。

※民主党マニフェスト 
2.外交・安全保障
(7)拉致事件の解決など北朝鮮問題に積極的に取り組みます。

 拉致事件の解決は、日本の主権、国際的人権侵害の見地から喫緊の課題であり、被害者・家族全 員のすみやかな帰国、特定失踪者問題の真相解明など、拉致事件の全面解決を北朝鮮に強く迫ります。

 核・ミサイル問題は、東アジア地域の安全・安定にとって重大な影響を与えるものであり、六者 協議などを通じ、その解決と信頼醸成機構の創設をめざします。

 「北朝鮮人権侵害救済法案」の成立をめざすとともに、成立した「改正外為法」「特定船舶入港 禁止特別措置法」に基づく措置の発動も視野に入れ、拉致事件、核・ミサイル問題の解決に全力 をあげます。早期に実質的・具体的な進展がみられない場合、六者協議の場に加え、国連安保理 での問題解決を求めていきます。

 脱北者問題に積極的に取り組むとともに、不審船などによる密入国、密輸・覚醒剤事件の取り締 まりなど、海上警備体制の強化を図ります。

※社民党マニフェスト 
6.拉致問題の一刻も早い解決を目指します

 北朝鮮が拉致問題に誠実に対応することを強く求めつつ、日朝平壌宣言に沿って両国間の懸案事項が解決され、早期に国交正常化が図られるよう努力します。北朝鮮の核問題に関する6カ国協議を、地域の信頼醸成を図る恒常的な枠組みに発展させます。

※共産党マニフェスト 
北朝鮮問題の解決に力をつくす

 朝鮮半島の核問題の解決とともに、日朝双方が拉致問題の解決に必要な努力を尽くし、日本と北朝鮮の国交正常化への道筋をひらかなければなりません。「日朝平壌宣言」にもとづき、この道をすすんでいくべきです。
 拉致問題では、安否不明者の再調査など諸問題で、日本側の納得できる解決がはかられなければなりません。日本政府は、北朝鮮にこういう問題を解決してこそ国際社会に仲間入りできることを強くうながし、途絶えている日朝交渉再開へ強力に働きかけるべきです。
 その際、日本政府は、植民地支配という日本の“過去の遺産”が清算されないまま残っている唯一の地域が北朝鮮であることを自覚し、歴史的責任を果たす立場で取り組むことが必要です。6カ国協議では、拉致問題を取り上げることに消極的な国が少なくありませんでしたが、日本が過去の問題に真剣に取り組んでこそ、拉致問題解決への国際的共感も広がります。
 日本共産党は、日朝間の諸問題を、平和的な交渉によって道理ある形で解決することを一貫してめざし、そのために努力してきた政党として、ひきつづき力をつくします。―――――――――――――――――――
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2005年8月21日 (日)

半島アレルギー?

時折「誰が半島の血が入っている、だから彼(又は彼女)は拉致事件の解決に消極的だ」という論調をみることがあります。未だにこの危険な考えを改められない人が多いのに驚きます。

地理的に日本と半島は海を距てて隣合わせなのです。太古の昔から大陸からも、半島からも人の交流はあったのです。その交流がなければ稲作も伝わらないし、仏教も伝わっていません。

「大和朝廷が成立するまでには、中国地方(出雲)と半島南部は同一文化圏だった」という見解も古代史の中では語られています。そして奈良、平安時代にも多くの文化が半島を通じて入ってきています。帰化人も多いのですから、極論すれば、貴方の祖先をその時代までさかのぼれば、どこかで血が混じっていても不思議ではないのです。

更に交流は続いており、江戸時代でも半島からの使節は大切に扱われてきたのです。そして半島を統治した時代が近世においてあるのですから、官吏として半島に渡った日本人夫婦だって現地で子どもをもうけることだってあるわけです。

私達は、出身がどうの、生まれた土地がどうので彼ら彼女らを「敵」にしてはいけないのです。

13才の少女をいきなり拉致するという<「犯罪」に対して怒りを述べるべきであって、この問題に精力的に努力してくれるならば、半島出身であれ、日本国籍のないひとであれ、味方にすべきなのです。

ある意味で半島アレルギーのようなものが見られます。西欧人やアメリカならいいのではなく、「同じ人間として、この問題を共に考えてくれる人」であれば仲間のはずです。

韓国の拉致被害者家族も私達と共に戦う仲間です。安明進さんも力を貸してくれています。韓国にも、人権問題を取り上げ、共に戦う人もいるのです。国内の在日の方にも共に声をあげてくださる方だっているのですから、そういう人を一人でも多く味方に付けたいのです。

れっきとした日本人でも、拉致事件の解決に消極的な人もいます。その人には「人間の命の問題です。考えを変えて下さい」と言いましょう。

私達の敵は、「拉致事件の解決に消極的な人」です。
私達の味方は、「拉致事件の解決に力を貸してくれる世界中の人」です。

そのことを忘れれば、この問題は単なるエゴと捉えられてしまう危険があります。

私達が区別するのは「血」ではありません。

今、ご家族は本当に辛い時です。
日本人全てに拉致問題を理解して貰うため、世界中に拉致問題を訴えるために、今必要なのは裾野の拡大です。

そしてその障害になるのは誤った半島アレルギーではないでしょうか?

間違いなく小泉首相は、今回の選挙を劇場型にして、一般の関心を集めていますね。
今回の選挙戦、現状ではマスコミの取り上げ方を見ても、悔しいけれど小泉首相の戦略が郵政改革反対波や野党勢力を上回っています。

私は小泉首相のやり方に賛美を送るものではありませんし、拉致問題への取り組みをみれば不満が蓄積しています。

しかし、彼の血がどうであれ、今回の選挙戦にかけるエネルギーを(あり得ないとは思いますが)もしも拉致問題の解決のために注いでくれるのであれば、彼でも味方に付けたい。

少なくとも今回の選挙に取り組む為に作戦を組んだ小泉首相周辺のブレーンが、救う会の周りにいて、拉致解決の為に戦略を持って戦っていれば、現状のようにご家族が苦しんでいるようなことは無かったのではと思っています。

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2005年8月18日 (木)

■山本美保さん関連のご協力お願い

■山本美保さん関連のご協力お願い
                                                      調査会代表 荒木和博

 昭和59(1884)年6月4日に甲府市の自宅を出て失踪した山本美保さんに関する件で、ご協力のお願いです。

 すでに何度も報じられているように、山梨県警は昨年3月、美保さんの失踪後17日経った6月21日に山形県遊佐町の海岸に漂着した女性(以下「Yさん」とします)の遺体がDNA鑑定の結果美保さんのものだったと発表しています。この発表には私たちもショックを受けましたが、その後地元の支援者の皆さんやご家族、そして私たちの調査の中で、この遺体は体格、遺留品その他様々な状況が美保さんと異なるという結論を得るに至りました。調査はまだ続けていますし、私自身も9月11日の酒田市で行われる集会に合わせて、地元山形の齋藤理事とYさんの遺体が漂着した遊佐町の海岸の調査を行う予定です。

 いずれにしても、少なくとも1人の女性が失踪しただけでなく、1人の女性が身元不明遺体として、未だにご家族のもとに帰れずにいるのですから、何とか事態を明らかにしたいものです。

 つきましては、あまり気持ちの良い話しではなく、また、セクハラとか言われるかも知れないのですが、Yさんと同じ位のサイズの方がおられましたら、全身(前・横・後ろ)の写真を撮って送っていただけないでしょうか。もちろん、着衣(あまりだぶだぶでない、TシャツとGパンなど)のもので、顔のところは消していただいてかまいません。

  いただいた写真をもとに遺留品を書込み、顔の部分を消してYさんのイメージを作り、昭和59年前半頃に失踪した女性でそのような人がいないか探す予定です。

  (Yさんのデータ)
Gパンのサイズ 28(メンズ)
ブラジャー A70
ガードル サイズ64
シミューズ M
身長160~170センチ

調査会ニュース2005/8/18より

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2005年8月17日 (水)

古川了子さん第2回行政訴訟報告会1

川人博弁護士による裁判報告

今日はお疲れ様でございます。
傍聴してくれた人への報告及び支援の方への報告を兼ねて、合わせてマスメディアの方には記者会見を兼ねるような形で今から報告会を行いたいと思います。

弁護団の川人と申します。
今日は第2回目の法廷でございまして。
前回第1回目の後ですね、現在までに原告及び被告から証言が出されておりました。
原告の側からは証拠をですね、相当数出しました。
今日の法廷では前回から今日までの間に出された書面と証拠の内容を確認すると。
そして次回以降の(公判の)進め方についてやり取りが行われたと。

第1回の法廷に来ていただいた方はご記憶かと思うんですが。
結局ですね。
国は本件は門前払いをしてくださいと、こういうことを裁判所に言っているわけですね。
つまり裁判所でこの問題を審議するのは馴染まないと。
こういうのが被告側の態度なわけです。
そのように言って、従ってと言うことで、訴状で古川さんの失踪した経緯とか。
彼女を北朝鮮で目撃したと言う安明進さんの証言、こういったことについての被告側の見解は一切述べないと。
つまり安明進証言が信用できるか?信用できないか?
古川さんの失踪がどういう経過で行われたか?
そういう事については向こう側は一切見解を述べないと。
そういう異常な対応をしてきたわけであります。

被告側はその後も出してきた見解について同じような事を言ってきておりまして。
要はですね。
一切古川さんのことについては政府としての事実認識は述べないと。
そういう立場を現在まで続けております。
つまり裁判所で門前払いをしてもらいたい理由として、政府が拉致と認定した被害者についてもそれ以外の方についても、政府はやる事を一生懸命やっていると。
ですから認定をするかしないかと言うことによってですね。
区別はしていない、同じように安否を確認する事はやっているんだと。
こういうことをガンと言って来た訳であります。
私どもは今日提出した書面ではですね。
法廷で外務省審議官が話をしましたが、政府の言ってる事はいかに実体に反しているかと言うことを述べました。
そしてその関連の事を証拠を提出しました。

まずですね、皆さんご存知の人もいるかもしれませんけど、順番に申し上げますと、拉致に被害者として認定されますとですね、ご家族に対しまして(拉致)認定しましたと言う通知の書面が届きます。
今回私どもの方が裁判所に提出しましたのは、田口八重子さんの分について飯塚繁雄さんから写しを頂いて提出いたしました。
平成15年1月6日付で「飯塚繁雄殿 内閣府拉致被害等支援担当室長」の通知ですね。
「北朝鮮当局によって拉致された被害者等に関する法律の第2条に規定する内閣総理大臣の認定について(通知)」とありまして、「平成15年1月6日付けで正規認定が行われましたので下記の通りお知らせします」
「拉致被害者の氏名・田口八重子 生年月日 本籍地」と書いてある。
このような認定の通知がですね。
拉致新法が平成の14年の12月に出来ましたので、翌年の1月に認定被害者のご家族に交付されています。
他のご家族の方についても聞いております。

でですね。
まずこういう通知を出すと。
それでですね、最近の田中実さんの例で言えばですね。
内閣総理大臣が今年の4月下旬に田中実さんについての被害者の認定を行いましたけれども、すぐに北京の大使館ルートで北朝鮮当局に彼の帰国の実現を要求しているわけです。
このように拉致の被害者として認定すると政府として外交ルートで北朝鮮に対して、その人の安否の確認、そして帰国させるようにという働きかけを行ってるわけですね。

そのことは首相官邸のHPにも明確に書いてありましてですね。
今日も読み上げましたけれども、新たな拉致被害者として認定される事案が出れば北朝鮮に対して働きかけをしていく所存であると。
というふうにハッキリと言っているわけです。
ですから首相官邸のHPに書いてあることとですね。
裁判所に出す書面が違っていると言う事はまずお粗末な話なんです。
わりやすく言いますとね。
そういう実態に合わない、普段自らが言ってる事と違ってることをですね。
裁判所で答弁をしていると言うのが実態でございます。

あとこの間私どももですね、具体的に認定がされた方の事についてどのような違いが生ずるかと言うことを様々に調べました。
例えば他にいえば国連にも働き掛けている問題があります。
国連の人権委員会にですね。
政府として書面を提出しております。
書面を提出するだけじゃなくてですね。
斎木審議官が、ジュネーブの方にですね。
何回も出かけて働きかけをしていると。
もちろん外務省が一環として取り組みが弱かったとして、支援者の方々のあるいは国民世論の批判がありまして、取り組むようになったという経緯があります。

いずれにしても外務省はですね、人権擁護委員会、国連に行ってもですね。
未認定の政府が認定していない人たちですね。
古川了子さんとかそういう人の名前は一切出していないわけなんですね。
あくまでも自分達が認定した15人だけですね、国連に対して働きかけをすると。
これも明確な事実です。
そういう関係で皆さんもお読みになったかと思いますが、飯塚繁雄さんが「妹」と言う本を書かれていますが、この中に飯塚さんが国連に行った時の思いなどを書かれていますけれども、こういう証拠も裁判所に提出してですね。
飯塚さんと一緒に外務省の斎木審議官の写真も写っているわけであります。

他にも例えば、今まで2回首脳会談がありまして実務者協議が確か3回あったんですね。
そうすると今までの首脳会談の2回と実務者協議3回に関してですね。
認定被害者の家族には非常に詳しい報告がされています。
それは家族の会を通じて行う場合もあれば直接連絡する場合もある。
政府の外務省の幹部などが直接訪ねて説明する事ももちろんあるわけです。
ところが竹下さん、あるいは他の方々ですね。
政府が認定していない被害者の家族の方々については、そのような詳しい説明あるいは手紙、そういう物は無いわけです。
こういう点でもですね。
報告の対応と言う点を見ても全然扱いが違うと言う事であります。
我々認定されていない方に対しても、もっともっと報告を説明をすべきだと考えますが。
今訴訟で問題になっていますのは、とにかく政府は認定をしてもしなくてもやる事はやっていると。
このまやかしを徹底して追及したいということであります。
その点をぜひですね、ご理解をいただきたい。

あとご存知のようについ先日ですね。
7月の28日に衆議院の拉致問題に関する特別委員会で安明進氏が証言を行いました。
これはすでにHPで全文出ております。
この中で古川さんの事についても繰り返し安明進氏は証言をしております。
例えば「工作員たちの専門病院であります、朝鮮労働党915連絡所で目撃した古川了子さん」と言う表現でですね。
何回も証言を繰り返しております。
日本政府がなぜ拉致被害者として認めないのか?ということについて「大変残念である」と。
古川さんや加藤久美子さん、あるいは寺越さんについてですね。
こういう方々について、彼は加藤久美子さんについても目撃をしているわけですが、「ハッキリしているにも関わらずなぜ認定しないのか?非常に残念だ」と言う事を彼は国会でも答弁をいたしました。
この経過についても裁判所の方に書類その他で提出をしまして、今日意見を申し上げたと言う事でございます。

今日はですね。
裁判所の方もですね。
前回よりある程度記録なども読んでおられたんだと思いますが、第1回に比べれば裁判長の訴訟意識の方も少し良くなったかな?思っております。
こちらの方としてはとにかく本件の全体についてですね。
早く国側が答弁するようにと、強く言ったわけですけども。
裁判長も、何回か良く似た趣旨の話を被告人側の代理人に言いました。
最後日にちが2ヶ月先で、先ほど誰かが「何で2ヶ月先なの?選挙があるから?」と言っておられましたが、多分そうじゃなくてですね。
夏休みがあるからと、彼らにとってですね。
そしてもう一つはおそらく言ってましたように、省庁間のすりあわせをするのに多分時間がかかると言う事かと思います。

こちら側としましてはぜひ迅速に実態的な審議にはいるように働きかけを強めたいと思います。
次回が10月の20日午後1時半という事になりました。
歯がゆい気持ちになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜひですね。
次回も多くの方々が参加していただき、この裁判を支援していただきたいと言う事でお願い申し上げます。
私の方から、まず以上報告いたします。
どうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストを起すにあたり、原良一氏より一部音源の提供を頂きました。
この場をお借りして原氏のご好意に御礼を申し上げます。 (ぴろんさんより)

話の花束ぴろんさんのテキストです。


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古川了子さん第2回行政訴訟報告会2

竹下珠路さん(古川了子さんの姉)の挨拶

竹下でございます。
本日は暑い中を、本当に皆さんお忙しい中を本当にありがとうございました。
私も分からないままに原告と言う席に座らせていただきましたが、前回からの被告からの答弁書というのを事前に読ませていただいた中で、ちっとも進まない国側の姿勢と言う物はいったい何なのだろうか?と言う思いを強くさせていただき、しかし、弁護士の先生方から強く求めていただいたと言う事が、とても前途に望みをかけさせていただきました。

今回、彼の国で北京で行われている6カ国協議と言う物も、日本政府は拉致も出すんだと言っていただいていたのに、なにかマスコミでうかがっている中で、だんだん拉致問題が後ろにしまい込まれてしまっているような感じがしてなりません。
また北朝鮮のペースにハマっているのかなぁ?と言うのが悲しくてなりませんけど。
私の妹を含めて本当に特定失踪者と呼ばれているたくさんの人たちを、国はどう対応するつもりなのか?
先延ばしする事はできないはずだと思いながら、何とか私たち、先生方の沢山の弁護士のご支援でこの裁判そのものを早く進める事によって、より多くの皆さんへの特定失踪者の方の解決への進展にも結びつくのではないか?と願っております。

私自身何をしていいのか?と、本当に何も出来ない事で歯がゆさでいっぱいなんですが、弁護士の先生方の強い態度に励まされている次第です。
そして皆様方の今後とも強い支援をお願いしたいと思っております。
ありがとうございます。(拍手)

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古川了子さん第2回行政訴訟報告会3

荒木和博 特定失踪者問題調査会会長の挨拶

特定失踪者問題調査会の荒木でございます。
本日は皆様お忙しい所ご苦労様でございました。

私も法廷の事は良く分からないんですけれども、見ていると原告側代理人の顔つきにはですね。
自分達が無理していると見て取れる事が感じました。
この国側の論理は破綻しているわけですから、とにかくこの入り口だけでも入れないようにして押さえようと、そこに全ては尽きるのかな?と思っております。
今日の法廷弁論に関してはいろいろですね、プレシャーが原告側にかかったとは思いますけども。
我々の方も様々な形で、この法廷の外でですね。
この間も衆議院の委員会等々で質問をやってもらったりいたしましたが、更にその古川さんに関わる認定の問題を外からも突いていって全体を動かしていくようにしたいと、言うふうに思いました。

それからこれは弁護団とは実は相談していない、今ふと思いついたんですけれど、たとえば場合によっては将来証人として呼ぶ可能性のある安明進さんを、例えば一回傍聴してもらうなんていうのもどうかな?と、いうようなことも今ちょっと思いつきなんですが考えた次第でございます。
ともかくこれで全てを進めるための通過の訴訟でございますので、大事にしてこれから先も有効な手を打っていきたいと思います。
お願いします。(拍手)

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古川了子さん第2回行政訴訟報告会4

その他弁護士の先生方の挨拶

※川人弁護士
他の弁護団の方でもし・・・にげさん(あるいは二瓶か?)、○○さん、○○さんとか・・・(一部名前を聞き取れず)

★にげ弁護士(漢字表記が不明の為カナで表記します)

にげです。
今日は皆様ご苦労様です。
普通ですね、答弁すると言うのはもっと素直にされればいいんですけれど、この事件はそういう点が特殊でありまして、中々答弁をしないと。
それもですね、前回からかなり経っているにも関わらず、また2ヵ月半くらいですかね。
それは裁判迅速法案という促進法案が出来て、裁判は一年くらいで解決すると、言うような事ですから。
我々弁護士がいつもですね。
すぐに出せということを、だいたい一ヶ月以内に書類は出せと、いう事で何時も裁判所に迫られていて大変与えられる仕事をしていると言うのが最近の実態ですね。
それに比べると、大変裁判所は国に対して甘いと、いうふうにそう感じます。

ただそう言ってもですね。
2ヵ月半も時間を与えたんですから、この次は同じような事をすればですね。
これは前科2犯みたいなものですから、2ヵ月半の中でまともなですね。
答弁をするように期待をしておりますし、またそういうプレッシャーをですね。
今日かかったんじゃないのかな?ということですので、次回が大変大事な法廷になるのではないか?と思いますのでひとつよろしくご協力の程をお願いいたします。(拍手)
以上です。

※川人弁護士
新たに今日加わった滝本先生。
滝本さん、ご存知のようにオウム真理教の坂本君の弁護をした方です。

★滝本太郎弁護士

北朝鮮は破壊的カルトの国家ですので、今日から法廷に出させて頂きました。
とにかく引き延ばしするのは北朝鮮だけで十分だと、日本まで引き延ばししてどうするんだと。(「その通り」の声)
法廷でも不規則発言をするのも、まだ今日は最初なので言うのもあれなので、もうちょっと声が時に出てますけど開廷直前まで出てますけども、よろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご紹介の弁護士の先生の正確なお名前が不明です。
正しいお名前が分かり次第、訂正をしますのでご承知置き下さい。(8月16日 PM9:15)

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古川了子さん第2回行政訴訟報告会5

質疑応答

※川人博弁護士
それではちょっとどうしましょうか。
ご質問ご意見をまずお伺いいたしましょうか?
ご意見ご質問等ありましたなら出していただきたいと思います。
あとは更に特定失踪者問題調査会の役員の方、各地から参加していただきましたのでもしありましたなら、適時ご質問ご意見をお願いいたします。

・・・以下質疑応答・・・

★質問者1
時事通信のヤマネと言います。
今日法廷は入って無いんであれなんですけども、次回までに国側は答弁するっていうふうな旨を言ってた・・・?

※回答 川人弁護士
一応ですね。
ハッキリ約束した事は何かと言うと、当たり前のことではあるんですけどもさっき私が申しましたように向こうが言ってることは、実際に話したじゃないかと。
拉致被害者として認定した場合とそうでない場合は明らかに、差別してるじゃないかと。
こういう別の扱いをしてるじゃないか、と言う事をこちらは証拠を出したわけですね。
で、これに対して当然のことながら国側としては反論、ですね。
こちらの言い分に対する反論があれば反論するということです。
もちろん向こうはやらなければならないし、必ずやると言ってます。

あと合わせてですね。
裁判所の方からも向こうに忠告があった訳ですが、それは本件の古川さんの問題に関してもですね。
それは段階論では無くですね。
今から当然裁判の当初から古川さんの事件に付いてもですね、どのように認識するのか?と。
言う事をあわせて政府はですね、言い分を明確にするべきだと申し上げているわけです。

この点に関しては、裁判長の方もそういう原告側の意向も汲んでできる限りやるように、というような趣旨の話で、その点について被告側がどこまで書いてくるかどうか、現時点では未知数ですね。
今日の法廷の雰囲気なんかも察して作戦を変えてですね、この古川さんの事件全体について政府の見解を出してくる可能性もあると思いますし。
依然としてその点については逃げるという可能性もまだあると思います。
そこはちょっと書面を見てみないと分からない。
いずれにしても、要は向こうは門前払いを求めているわけですね。
認定をするかしないかによって差は無いんだと言うことを言ってるわけですが、ここに関してはですね。
この論争事態はそう長くやる事じゃないですからね。
次回の論争でこの件については基本的に打ち切りとなると思うんですね。

今最高裁の方でも訴訟期限についてはうるさく言うようになってますので、地裁の裁判長もですね。
迅速な処理と言うことは頭の中にあると思いますんで、我々としてはまたこれから議論しますが、次回位からは証人申請とその準備に入っていくと。
ということでどんどん訴訟の進行状況をですね
早める為の準備なり裁判所に対するプレッシャーをやりたいと思ってます。

どうぞ記者の方もご質問等ありましたなら仰ってください。

・・・次の質問が無かった為、質疑応答はここで終わり・・・

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古川了子さん第2回行政訴訟報告会6

特定失踪者ご家族の挨拶・他

※川人博弁護士
今日ですね、特定失踪者家族の森本さん他上京していらっしゃいますので、ちょっとそれでは・・・

★生島馨子さん(生島孝子さん姉)
生島孝子の姉、馨子でございますよろしくお願いいたします。
(しばらく間をおいて、会場より「何か一言、二言」の声)
(少し戸惑い気味に)言っていいんですか?
前回もそうなんですが、非常に驚いていると言うか・・・怒り、が、ありますね。
あちらの被告側の答弁書の中に本件の訴えを却下する。
それを、突き破るのに私たち家族は、あのこの訴訟に何を、支援したらというか?
お助けしたらいいのか?・・・どういう事をすればいいのかと考えますけれど・・・とても分かりません。
私たちは何をしていったらいいんでしょうか?
教えていただきたいと思います。
よろしく・・・
(馨子さんのお言葉は、言葉を選びながら、しかし静かな怒りを感じさせるお話しぶりでした)

★森本美砂さん(山本美保さん妹)
山梨から来ました山本美保の妹の森本です。
今日は貴重な会議と言うか裁判に参加させていただいてありがとうございました。
私も本当に驚きまして、初めてのこととは言え、こんな対応をするのか?と。
で、本当にこの拉致問題、大きな問題に対して、いったいあの若造はどういう人なんだろうという思いでいました。
どこまでこの拉致問題を分かっている人が出てきたんだろうか?って感じで。
事が分かってる人が出てこないんじゃないか?という印象がありましたね。
皆棒読みで、まずどういう方が出頭したというか、裁判所が命令できないんでしょうか?と言う思いもありました。
川人先生のお話もありましたので、次回からは進展が出来るんだろうと思っておりますし、私たちも出来るだけ支援していきたいと思いますが、やはり物を申していかないと本当に摘まれてしまうと思いましたので、やはり恐れずに声を上げていかなければと思いました。
いろんな専門的な立場のご支援を頂きながら、私たちに出来る事を家族として出来ることをやっていきたいと思いますのでよろしくお願いたします。

★古川了子さんの妹さん(名前不明)
古川了子の妹でございます。
本日は皆様どうもありがとうございます。
弁護士の先生方にもご協力いただきましてご支援いただきまして本当にありがとうございます。
なんと御礼を申し上げて良いのか、胸が一杯でございます。
竹下の姉が本当にいろいろと手を尽くし話を進めてくれているのに私は何の手伝いも出来ないで、(この辺りから涙で声を詰まらせながらのお話)苦しい思いをしておりますけれども。
今日も裁判を見て、話が全く進展していないような気がしまして。
また次が2ヶ月先。
そのまた先はいったい何ヶ月先になるんだろうかと思うと。
母もかなり年をとって参りましたし、一日でも早く進展を、少しでも進展を、して欲しいと思っております。
皆様のご協力を、これからもどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

※川人弁護士
今ご質問、あるいはご意見を頂いたんですけれども、裁判の支援と言う意味で具体的にどういうことを?というお話がありました。
この点に関してはですね。
弁護団の方としても調査会の方々と、また原告の方とよく相談をしていきたいと思います。
一般に裁判への支援と言う場合にですね。
普段の様々な取り組みとは別に、裁判所に向けた署名をしたり、あるいは裁判所の前での宣伝活動を法廷のある日にですね。
裁判官が出勤する頃に9時から10時くらいに裁判所の前でビラをまいたりとか。
そういうことをしたり裁判所に対する署名を出したり、そういうな事もやってる場合も少なからずあるわけですね。

何よりも傍聴の問題も大切なわけで。
何だかんだ言っても裁判長が他の事件にくらべれば、あれでもかなり言う方なんです。
そういうのはやっぱり傍聴者が席を埋めているという事が、裁判長にとって一番大きなな関心になってくるんですね。
今申しましたように署名とか含めてですね、裁判所自体に対するどういうような働きかけを皆様の支援を受けてするかは、今後よく相談をしてまた具体的にお願いする事があるかもしれませんがよろしくお願いしたいと思います。

それと今森本さんからお話がありましたんですが、我々としてはですね。
次回が10月ですけれど、なんとかペースを上げていきたいと思っております。
裁判所もですね・・・(マイクがシューシューと言う異常音を発し、一時中断)
何とかペースをですね、一層促進する上げていく。
これもいろんな角度から働きかけを進めたいと思いますし、先ほど申しましたようにこちら側の証人の申請とかをですね。
早い時期にどんどん行っていくとか。
あるいは先ほど安明進氏に一度見ていただくなんていうのも、あるいは裁判所に対して一番プレッシャーになるかもしれません。

それで国側で、ちなみにどういう人が出てきているか?と言う事なんですが、今日全部で9人いましたね?
でですね。
基本的に喋っていますのは証人検事(しょうにんけんじ:専門用語のため正確な文字不明)訟務検事(しょうむけんじ)と言いましてですね、要は国側の代理人を専門に仕事をしている人、なんです。
だから他にも国が被告になった裁判で登場する仕事っていう、それ専門の仕事があるんですね。
身分は法務省の職員と言う事なんですけど。
そういう人が司法に応対したり書面を書いたりしているわけです。
あとはそれぞれの各省庁、関連省庁から一人ずつ来ているんだと思います。
支援室とか、多分公安調査庁とか、それぞれ各省庁ごとに一人ずつみんな来ているんだと思います。

それでは他にご質問ご意見等ございましたらどうぞ・・・

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古川了子さん第2回行政訴訟報告会7

その他の参加者のお話

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事
特定失踪者問題調査会理事の神戸から参りました岡田です。
先ほどから川人弁護士の方からもお話がありますように、拉致認定されるとされないでは、そりゃもう雲泥の差がございます。
まずですね。
一番びっくりいたしましたのは、4月25日にですね。
田中実さん拉致と言う方向で、夕方には記者会見があったわけですけれどね。
その翌日にはですね、早速と町村外務大臣のほうから、北京の北朝鮮の大使館を通じまして、日本でこのようにして田中実が拉致認定されたんだと。
ついてはと言うような形で、すぐに通告を致しております。

これ一つ取りましても、過去の中で私ども、繰り返し繰り返し内閣府に参りましたり、あるいは兵庫県警を通じまして、また様々な議会関係者を通じましてですね。
田中実の拉致をなんとか固有名詞を上げて取り上げてくれと、言うような事を繰り返しお願い申し上げておりました。
にも関らず、そのような成果は何一つございません。
その事一つとりましてもですね、いかに拉致認定がですね。
最終的には私たち、北朝鮮に拉致された日本人被害者を一日も早くこの国に取り戻す事でございます。
そのような大きな目標に対しましてですね。
極めて大きな力になる、また大きな利益に成るものと、いうことで今後ともですね。
私たちと共にこの古川さんの認定訴訟、何としても勝利の日まで、皆様方と共に闘っていただきますよう宜しくお願いいたします。
座ったままで失礼します。(拍手)

※川人弁護士
第一回から今回までも間に千葉で集会があったかと思うんですが、それをどなたかお話いただければ。
榎本さん、前回の千葉での集会の模様をお話いただければ。

★榎本さん(千葉商業高校卒業生 古川了子さん同窓生)
どのような形の話をしたらいいんでしょうか?
(川人弁護士)あの集会の模様などを。
あぁ、模様ですか。

榎本と申します。
私は古川了子さんと昭和48年に千葉商を卒業した同級生です。
ちょっと座らせてもらってすみません。
6月の25日ですね。
市原市で「古川了子さんを救う千葉集会」と言う位置付けでは第2回目。
第1回目は昨年のやはり6月26日ですが。
第2回目として地元である市原市民会館、こちらで開催させていただきました。

この時は、市原市の方で古川了子さんがまだ住民登録ですか。
まだされておりますので、市原市長の佐久間さんですね。
この方が非常に協力をしていただきまして、1回目の時にも確か来られていたと思いますが、その佐久間さんからまずご挨拶を頂きまして。
続きまして、ちょうど座り込みをされていてとても大変な時だったんですが、増元さんの方にも来ていただきまして、講演をお願いいたしました。
そしてあと今こちらにもおられます、真鍋専務理事に大町ルートということで千葉県での拉致被害者はこういう形でいるんだという話をしていただきまして。
そのあと若干の質疑応答と言うことがあった次第なんですが。

その時って言ったら良いんでしょうか。
あの、ちょっと主催者として若干心配しましたのは、昨年は千葉市民会館と言うことで千葉駅から歩いてそんなに遠くはない所。
今回は市原市と言うことで、市原市民会館、ちょっと交通ルートが若干不便でですね。
バスに乗っても15分程度かかるということで。
どれくらいの方がお出でいただけるか、若干不安だったんですけども、地元と言うこともあったかと思います。
あとここでとっても大きな力となっていただけましたのは、市原市役所とあと市原市の各自治会ですね。
町会、自治会。
こちらの方たちが、集会に関してのパンフを全部回していただけまして、そのような形でおよそ200人ほどだったでしょうか?
の人に集まっていただくことが出来ました。
ですからまぁ、地理的には不便な所だったんですが、集会としては自分で言うのも変ですが成功したのかなと思っております。
これも皆様のご協力の賜物と非常に感謝しております。

※川人弁護士
どうもありがとうございました。
そろそろ時間も押してきたんですが、なにか他に取り組みとかでご報告とか、今度こういうシンポジウムとか集会があるとか、そういうご案内はございますか?
よろしいでしょうか?
そうしましたら以上で今日の報告会を終わらせていただきます。
今後の取り組みに関しましてはまたお願いする事があるかもしれません。
よろしくお願い申し上げます。
どうも本日はありがとうございました。(拍手)

・・・報告会終了・・・
話の花束、ぴろんさんのテキストです。

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2005年8月16日 (火)

おきなわ2005

おきなわ
台風襲来を前に、不安の中、沖縄に行った。
今回は事前準備がなくて、ドタバタと日程を決めたので不満足の行程。
空港近くでレンタカーを借り、まずはパイナップル食べ放題、すぐ近くに自衛隊の基地。沖縄にも米軍と協力して日本を守る自衛官がたくさんいる。
いつも、ここで自衛隊を意識する。



フェンス越しに

那覇は懐かしい匂いがする。まずはいつものコース58号線を少し北上し、BigDipブルーシールアイスクリームを食べる。
ドライブスルーのアメリカングラフティ スタイル、これがしたくてオーダーする。
でも、やっぱり暑いから、買ってから店内に入るという横着ぶり。

次は定番「A&W」ファーストフ-ド ここはルートビアという不思議な飲物、美味しくなくても一回は飲む。

2つの<ノルマ>をこなして那覇市内のホテル、格安、バレーボール九州大会の高校生と一緒。

夜はやっぱり国際通り、三越もなくなって小さな商店ばかりのこの通りを歩くのがやっぱり楽しい。沖縄特有の「~~しましょうね」ということばを聞くと嬉しくなる。

このことば、最初に聞いたとき、とても不思議だった。誘われているように聞こえるからです。でもその意味が「~~しますね」という自分の意思を表すことだと判って納得した。それでも、一緒に~しましょうねと聞こえるこのことばが大好き。何か仲間になったような気がするから。



ドラゴンフルーツを一個250円で買う。その場で切って貰って食べる。もう一個はホテルにお持ち帰り。

滞在中何度も58号線を運転する。ある地点に来ると直線が長くつづく。ここは事があれば、滑走路として使われると聞く。米軍の基地施設が両側に続く。楽しそうな家庭を想像させる住宅も見える。

残波岬という場所がある。夕日のきれいな岬だ。ここの夕日は本当にすばらしい。東シナ海の波間に沈む夕日を何度眺めたことだろう。

恩納村のリザン シーパーク ホテルに滞在、ここは何度も泊まっている。
最近は温泉もできて、泳いだあとゆっくりお風呂を楽しめるのもいい。
近くのルネッサンスリゾート、残波岬ロイヤルホテルにも温泉がある。

ところで恩納村には「元祖うみぶどう」というお店がある。毎回訪ねるが、人気があって、店舗も増えている。今年も食べました、うみぶどうどんぶり。


台風でナガンヌや慶良間など島に足を伸ばせなかったけれど、やはり沖縄は第二の故郷でした。(金木犀)

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2005年8月13日 (土)

朝鮮友好議員一覧 (衆議院選資料)

蒼き星々掲示板大介さんの投稿より

日朝友好議員連盟メンバー一覧

衆議院
〈自民〉 
河井克行   中川秀直  池田行彦  相沢英之
河村建夫   滝  実  野中広務  河野洋平
鈴木恒夫   佐藤静雄  武部 勤   谷 洋一
山口泰明   桜田義孝  中山義活  森 喜朗
横内正明   藤井孝男  伊藤英成  中山太郎
大野功統   塩崎恭久  山崎 拓  原田義昭
衛藤征士郎  園田修光  小里貞利  園田博之
岩下栄一   松岡利勝  林 義郎 桧田 仁
鈴木宗男   吉川 盛 二田孝治  井億貞雄
中村正三郎  中山正暉  奧谷 通  奥山茂彦
坂上義秀   目方 信  西田 司  堀之内久男

民主党
横道孝弘   佐々木秀典 鳩山由紀夫 鉢呂吉雄
永井英滋   辻 一彦  中川正春  土肥隆一
北橋健治   池端精一  金田誠一  中沢健次
大畠章宏   細川律夫  近藤昭一  生方幸夫
石毛えい子  海江田万里 藤田幸久  桑原 豊
坂上富男   高木義明  松本惟子  鍵田節哉
前原誠司   山本孝史  山元 勉  日野市郎

社民党
土井たか子 三重野栄子 村山富一  横光克彦
畑山健治郎 深田 肇 伊藤 茂  保坂展人
北沢清功  辻元清美  中川智子  知久馬二三子
中西積介  濱田健一

旧自由党
西野 陽  松浪健四郎 野田 毅

公明党
若松謙維  並木正芳  大野百合子 上田 勇 
小沢辰男  池坊保子  久保哲司  東順 治


無所属
武村正義

共産党
松本義明  金子満広  矢島恒夫  大森 猛
中路雅博  穀田恵二 

-------※--------※------
参議院

自民党
景山俊太郎  山崎 力  亀谷博昭  斎藤滋宣   岸宏 一
国井正幸   長谷川道郎 馳  浩  鈴木正孝   山下義彦
田村公平   森下博之  森山 裕  佐藤昭郎   須藤良太郎

民主党
菅川健二  峯崎直樹   小林元   梁瀬進    角田義一
藤井俊男  広中和歌子  斎藤勤   小山峰男   山下八洲丈
木俣佳丈  佐藤泰介   笹野貞子  久保恒    上原康助
今井 澄  前川忠夫

公明党
高野博師  海野義孝   加藤修一  福本潤一

社民党
田 英夫  大渕絹子   梶原敬義  照屋寛徳
大脇雅子  菅野 壽   日下部きよ子
清水澄子  谷本 勉   渕上貞雄  山本正和

共産党
富樫練三  井上美代   緒方靖夫  宮本岳志
山下芳生  大沢辰美   小池 晃  小泉親司
吉川春子

その他
高橋紀世子 堂本暁子

但し平成11年3月31日現在

参照リンク

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2005年8月10日 (水)

『週刊ダイヤモンド』 櫻井よし子

2005年8月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 603


7月26日から北京で始まった6ヵ国協議で、佐々江賢一郎・外務省アジア大洋州局長は、核、ミサイル、拉致の諸懸案の包括的な解決が必要だと、冒頭発言で強調した。

日本としては当然の条件を述べたにすぎないが、中韓両国は即、日本を批判した。中国外務省の秦剛副報道局長は同日「拉致問題は日朝の協議で解決すべきだ」と語り、「人民日報」は「日本は各国の反対にもかかわらず、協議中に拉致問題を持ち出すことに固執している」と非難した。同紙は中国共産党の機関紙で、その報道は中国政府の見方を反映したものだ。

韓国の宋旻淳(ソンミンスン)外交通商次官補も「協議では朝鮮半島非核化に集中すべきで、焦点を分散させるのは理想的ではない」と批判した。北朝鮮の核を“防衛的”と形容し、理解出来るとした盧武鉉大統領の発言などが、北朝鮮の核政策を増長させてきたことを忘れたかのようだ。

中韓両国は、6ヵ国協議で北朝鮮への援助が決まれば日本に相当部分を負担させるのは当然と考えてはいても、日本への配慮は持ち合わせていない。米国は周知のように、北朝鮮が核廃棄の措置を取ったのち、多国間で北朝鮮に対し安全の保証を与えるとともに北朝鮮が必要とするエネルギーの調査を行う、北朝鮮が核の完全廃棄を確約し核開発計画を凍結するあいだ、米国は他国の北朝鮮へのエネルギー支援を容認する、と提案した。

さまざまな局面で、日本を含む5ヵ国が協力しなければ、米国の提案も絵に描いた餅で終わりかねない。だからこそ、関係諸国の北朝鮮関連の懸案を解決することが重要だ。日本は、拉致された国民を放置して北朝鮮へのいかなる支援の実施も考えられない。500人近い韓国人が北朝鮮に拉致されていながら、拉致にまったく言及しない韓国とも、人権を軽視する中国とも、日本はおのずと価値観が異なるのだ。

中韓両国の日本に対する一方的といってもよい姿勢を見ると、最近のある体験を思い出す。雑誌「文藝春秋」の対談で北京を訪れたときのことだ。日中双方から2人ずつ出席して、私たちは歴史問題と現在の両国間の摩擦について語り合った。5時間の激論の模様は同誌に詳しいので、興味のある方は同誌8月号を見ていただきたい。

だが、文春の文脈からはよくわからないかもしれないのが、中国側の一方的な姿勢である。歴史認識は共有できなくても、史実の共有は知的に可能なはずだと考え、対談で事実関係をいくつか質した。たとえば、中国の教科書ではなぜ、朝鮮戦争は米帝国主義が始めたと教えているのか、日中戦争の死者の数がなぜ、終戦直後の320万人という主張が570万人になり、2,168万人になり、ついに3,500万人と無制限に増えていきつつあるのか、などである。

この種の事実が指摘されると、日本人ならとにかく一所懸命に説明し答えようとする。ところが、中国人はいっさい答えない。都合の悪いことは無視して、新たな日本批判の論点に移ろうとする。二度三度と同じ問いを投げかけたところ、彼らはようやく言った。朝鮮戦争はこれからの研究の成果を待つべきだと。犠牲者の数は「被害者の気持ちを考慮」した数字だと。

こうした主張を赤面せずに展開し、日本の反省が足りないと、彼らは結論づけるのだ。自国の価値観と主張しか認めないというに等しい。その姿勢は、6ヵ国協議で北朝鮮の核廃棄を実現させるために日本の立場は無視してもよいのだとする姿勢と重なる。だが、核開発を行ってきた北朝鮮をこれまで支えてきたのは、ほかならぬ中韓両国である。中韓両国の批判にめげず、日本が拉致問題を提起し続けることが重要である。

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2005年8月 7日 (日)

北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 第2回総会 

各種決議文の紹介と略報告      原 良一さん  投稿日: 8月 3日(水)

 去る8月1日、三浦さんから何回か紹介されていました「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 第2回総会」に参加してきました。

 主催者は、日・米・韓・モンゴルの各国会議員、日本では民主党、韓国ではハンナラ党の議員が主導しましたが、自民党、ヨルリンウリ党議員の参加も実現し超党派の体裁を整えることができました。

 参加NGOでは、日本がこの会議の開催の実現を主導した難民基金(北朝鮮難民救援基金)を初めとする「北の独裁者と戦う主要四団体」、守る会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)、RENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)、救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)に加え、脱北帰国者支援機構(代表:坂中英徳元東京入管局長)、特定失踪者問題調査会、韓国はドゥリハナ宣教会(脱北者支援、彼らの韓国への逃亡支援の団体)、脱北難民保護運動本部、脱北人権連帯、韓国拉致被害者家族協議会、米国がHelping Hands Korea、ビルマ(軍政側呼称「ミャンマー」)からWomen’s League of Burma、Kachin Women’s Association、 Democracy for Kachin Nationalが参加しました。

 総会は午前中が、難民基金の加藤博事務局長司会の下での、各NGOによる現状報告でした。Helping Hands代表のティム・ピーターズ氏、ご父君が脱北者への支援活動中に中共当局に逮捕されてしまったグレイス・ユン女史(父娘共に米国籍を取得した韓国人)、難民基金が里親になって保護していて、無事韓国入りを果たした李光龍(リ・グァンリョン)氏(元ヤクルト、現メッツの石井一久投手に似ています(^^))、李正淑(イ・ジョンスク)女史(脱北者)、申貞愛(シン・ジョンエ)女史(2年前守る会が救出に失敗して、山田文明代表共々逮捕され、「朝鮮民主主義人民共和国」に送還された脱北者の母親)、崔佑英女史(チェ・ウヨン、韓国拉致被害者家族協議会会長)、横田滋氏(家族会代表)、西岡力氏(救う会常任副会長)、真鍋貞樹氏(特定失踪者問題調査会専務理事)の各氏が発言しました。

 午後からは、各NGOの報告を受けて、各国議員のスピーチとディスカッション、特筆すべきは、この会議のためだけにデニス・ハスタート米国下院議長がわざわざ来日してスピーチをしたこと。外交儀礼上からも(同等の立場として)対応して出席すべき河野洋平衆議院議長が、曲折の末に出席を見送ったことと併せ、記して報告します。

 その後、各種宣言を朗読、拍手で採択・承認。コーヒーブレイクの後、中国における脱北者の受難を描いたドキュメンタリー映画「ソウル・トレイン」(「韓国ソウル行きの列車」という意味。音楽や魂のソウルと混同しやすいので、邦題を変更したらとアンケートに書いて出しました)の上映会と製作者ジム・バターワース氏らとの質疑応答。最後に米国下院議長の来日の報に急遽参画したらしい外務省主催のレセプション、という次第でした。

 略報告と併せ、同会議で採択された決議も全文紹介します。こちらでは、既に管理人様が、救う会ニュース経由で紹介しているので重複になりますが、ご容赦ください。

 まず、午前中のNGOの報告に基づく決議



  北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 第2回総会
   東京国際会議NGO決議  2005年8月1日
  北朝鮮による人権侵害の停止、拉致被害者の即時解放、
  中国政府による北朝鮮難民の強制送還中止勧告を求める決議

 北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 殿

 署名NGO

日本  北朝鮮難民救援基金
    北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
    救え!北朝鮮民衆緊急行動ネットワーク(RENK)
    脱北帰国者支援機構
    北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
    北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
    特定失踪者問題調査会

韓国  ドゥリハナ宣教会
    脱北難民保護運動本部
    脱北人権連帯
    韓国拉致被害者家族協議会

米国  Helping Hands Korea
    North Korea Freedom Coalition

ビルマ Women’s League of Burma
Kachin Women’s Association
    Democaracy for Kachin National


 2005年8月1日、私たち日本、米国、韓国、ビルマのNGOは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) の深刻でさまざまな非人道的人権侵害の停止と拉致被害者の即時解放を要求することに合意した。また、北朝鮮の人権侵害の実情に理解を示し、了解を与えているというと疑いを禁じえない中国(中華人民共和国)の態度を深く憂慮し、以下のことを確認した。

 脱北者は、飢餓から逃れ食糧を求める自由を探して越境するが、中国政府はこれを「難民」と認めず、「不法滞在者」「不法入国者」として逮捕・拘束・強制送還している。強制送還された脱北者は、北朝鮮刑法47条によって政治犯として厳しく処罰され、人権が認められない。

 また北朝鮮政府は、工作員を欧州、日本、韓国などに派遣し、誘引拉致を繰り返している犯罪国家である。その上、いまだに多数の拉致被害者を抑留し、偽遺骨などを提供し、生存を否定するという欺瞞を続けている。

 中国政府は、苦難にあえぐ脱北者と脱北をする人道支援家の不当逮捕を引き続きて行っている。拘束した脱北者を北朝鮮に強制送還している数々の事実も確認した。これらの行為が「難民条約」の乱暴な侵犯であり、国際条約を無視する態度であり、国際平和と秩序に責任ある立場を占める国連常任理事国の一員としてふさわしくないと考えざるを得ない。

 韓国政府はこれまで、北朝鮮からの脱北者を受け入れ、その数は1万名に近づこうとしている。韓国政府の努力には大きいものがある。しかしながら、北朝鮮難民を受け入れる最大の後方基地である韓国政府の最近の態度は、これまでとは逆に、在外公館で保護を拒否する事件を頻発させている事実も指摘しないわけにはいかない。

 私たちは、世界人権宣言の精神にのっとり、以下の決議を、この国際会議に参加したNGOの総意として発表し、参加した諸国各議員に以下の行動計画に積極的に関与し、実現するよう訴えるものである

1.北朝鮮に対し、国際議員連盟がイニシアチブをとり、人権査察団を早期結成し、北朝鮮に査察の受け入れを迫り実現してください。査察結果は、報告書の形で全世界に公表してください。想定する査察項目は以下の通りです。

(1)収容所(管理所)の実態調査、収容者の名簿、生存者、死亡者のリスト。
(2)中国から強制送還された者の北朝鮮での待遇・社会復帰状況の調査。
(3)北朝鮮鮮以外の国から拉致された被害者の実情調査。
(4)日本から北朝鮮に渡った元在日朝鮮人の行方不明者、日本人配偶者の安否調査。

2.人権査察団は、国際機関と協力し以下のことを調査してください。
(1)衛星写真や元強制収容所収容者などの証言に基づきその存在が明らかになった全ての政治犯収容所における実態調査と政治犯の釈放に尽力してください。
(2)国際的な援助食糧の適切な配分、調査などを徹底的に調査し、国際的にその結果を公表してください。

3.人権査察団の受け入れを拒否した場合、北朝鮮へのあらゆる支援を国際社会が停止するよう勧告してださい。

4.中国政府は、北朝鮮の飢餓と抑圧体制に耐えかねた脱北者や彼らを救援する人権支援家を不当に逮捕し、脱北者は北朝鮮に強制送還するという人権抑圧体制の共犯者となっています。平和とスポーツの祭典であるオリンピックが、人権抑圧によって多数の生命が失われ、虐待を看過する状況で開催されるのを容認しないと宣言してください。

  世界各国オリンピック委員会に2008年北京オリンピックの開催地変更を勧告してください。

5.人権査察団に適切な形で関係NGOの参加を考慮し、各国議員団は各政府に査察費の拠出を働きかけ、また北朝鮮から脱出し隣国に避難する脱北者に対して北朝鮮に送還せず保護するよう各国に働きかけてください。

6.脱北者の定住・定着のために各国は法を整備し、自立援助体制を確立してください。

7.日本、韓国、米国をはじめとする関係国政府に拉致問題解決のために経済制裁発動を含む全ての努力を行うことを議員の立場で求めてください。

(注 記)
 原文では、算用数字部分がローマ数字ですが、ネット上ではローマ数字は機種依存文字で、ウィンドウズ以外では正しく表示されない恐れがあるので、通常の算用数字に、それに伴い、算用数字で表現されている部分は( )付きに改めました。ご諒承ください。


 次いで、当日の動議で、各国議員による共同宣言に付随して採択されたアクション・プログラムが下記です。



  アクション・プログラム

1.拉致問題は韓国、日本の重大な問題であり、議会が政府に対し問題解決の必要な枠組みを提供するよう要請するとともに、両国政府に対し、北朝鮮に対し毅然とした対応を行うことを要請する。

2.米国議会において北朝鮮人権法が採択されたことに伴い、日本と韓国においても北朝鮮人権法成立のために最善を尽くす。

3.各国代表団は、それぞれの議会に対し、共同宣言(下記)の趣旨を働きかける。

4.国際議員連盟は、北朝鮮及び中朝国境に調査団を派遣し調査を行なうとともに、国連等に人権状況調査を要請する。



 最後にこれらを受けて、採択された共同宣言が下記です。



   共 同 宣 言
  北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 第2回総会

 1948年12月10日に第3回国連総会において採択された世界人権宣言第一条に「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である。人間は理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を以って行動しなければならない」と記されているように、各人の基本的人権は、いかなる環境にあろうともこの地球上に住むすべての人々の尊厳を守るために等しく保障されなければならない。

 それ故、我々は北東アジアにおける基本的人権の普遍的な保障および北朝鮮難民の諸権利の保障を目的として、2年前に、アメリカ合衆国、英国、オーストラリア、大韓民国、モンゴル国、および日本国の国会議員による国際議員連盟を結成し、各国政府及び国際社会において真摯な働きかけを続けてきた。昨年米国において成立した「北朝鮮人権法」や、韓国ならびに日本における同趣旨の立法に向けた取り組みはその代表例である。

 しかし、我々の努力にもかかわらず、北朝鮮をめぐる人権、人道上の問題は、国内の圧制、強制収容所における人権蹂躙、脱北者への過酷な措置、また、韓国人や日本人を対象とした拉致問題の未解決が示すように、憂慮に堪えない状態が続いている。

 我々「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟」は、国益、党派、イデオロギーの違いを乗り越え、北朝鮮国民および脱北難民の生命を守り、人権を保障するためあらゆる国際的な努力を行うことをここに宣言する。

 第一に、北朝鮮当局に対し、国内における人権侵害を含むあらゆる非人道的行為を即時停止し、同国における人権状況の改善に向けた具体的な措置を講ずるよう要求する。

 第二に、飢餓と圧制の恐怖から逃れるため、自由を求めて越境してきた「脱北難民」を国際法上の条約難民と認定せずに「不法入国者」として逮捕、強制送還し、のみならず、彼ら・彼女らに人道的な支援を提供している人々をも不当逮捕、拘禁している中国政府に対し、当該難民およびその人道的支援者を、同国が当事国となっ
ている国際条約に則って人道、人権に配慮しつつ適切に保護すべきことを要求する。

 第三に、国連および国際機関に対し、北朝鮮における強制収容所の実態をはじめ全般的な人権状況を調査し、また、中朝国境付近に逃れてきた脱北難民の生活環境や衛生状況などの実態調査を行い、これらを世界に公表することを通じて、北朝鮮国内および脱北難民に関わる人権状況を改善するための国際的な努力をさらに強化するよう要求する。従って、北朝鮮に対するいかなる国からの人道援助も、政治的・軍事的目的ではなく、あくまでも北朝鮮国内の人権状況を改善させる目的で行なわれなければならない。

 第四に、韓国や日本など関係諸国議会に対し、速やかに「北朝鮮人権救済法」を成立させ、その侵害状況を明らかにし、人権救済を促進し、また人権救済を目的に支援活動を行う国際機関、政府機関およびNGO組織を支援するために必要なあらゆる措置を講ずることを要求する。

 第五に、6者協議の場で北朝鮮の強制収容所、拉致問題等の人道的な問題の解決を議題として取上げることを要求する。


豚金一派(北朝鮮)支配領域内と、彼奴らに拉致・拘束された被害者の人権問題そっちのけ、無理を通して道理を引っ込ませ、豚金一味(北朝鮮)の国体保障=北朝鮮の敵対階層(=奴隷階層)抹殺政策容認の、6カ国協議に失望感と焦燥感を強めていた私たちにとって、今回の会議は大変勇気づけられるものでした。

 日本での会議の開催に尽力し、多大の貢献をした、議員では民主党、NGOでは北朝鮮難民救援基金のコアスタッフ(投稿者はただの下っ端会員汗)皆様には、深く感謝します。

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国売りたまうことなかれ 序  

先に紹介した櫻井よしこさんの『国売りたまうことなかれ 論戦2005』を読んでいる。そのエッセンスは、その序文にあるのであろう。そしてそれは、私たちが戦っている拉致問題にも大きく関係している。この序文を読むとき、私たちの戦いの根源にあるものが日本にとって最も必要なことであることが再認識させられる。櫻井さんには許しを得ずに、その序文の抜粋を掲載する。

引用
あるいは大げさな表現かもしれない。しかし、日本はいま、国難に直面していると言える。内外の状況は国家としての土台を深刻に揺さぶり続けており、日本人の覚醒なしには、この国は日本であることを放棄し、無国籍国家として諦めの海に沈み行くと思えてならない。
 理由は大きく括って、ただひとつである。日本人が自国の歩んできた歴史を知ろうとしないことだ。そのために自己が何者であるか、何をなしてきたのか、なさずにきたのかの認識と把握が難しい。自分の国の歴史について十分に知らないために、他国にその歴史を論難されても検証できず、容易に、他国の立場から見た日本観をそのまま受け容れていく。他国はさまざまな政治的思惑、経済的思惑、国際社会で生き延び、さらに力をつけていくための駆け引きを考えながら、白を黒、黒を白と言いくるめる手法で、日本を論難する。その主張は事実に即したものというより、武力を使わない戦い、つまり国益のためには嘘も是とする外交の産物にすぎない。にもかかわらず、戦後60年間、日本は愚直にそうした他国の一方的批判を受け容れ、謝罪し、頭を垂れ続けてきた。(中略)
 だが、希望を捨てることはない。拉致問題の発覚は、国家のあり方、その意味や機能についてほとんど考えてこなかった戦後の鈍く長い眠りから私たちの目を醒ましてくれた。国家がしっかりしなければ、他国に拉致された国民を取り戻すことも国民を守ることもできないと、ようやく気づくことになった。危機を感じ取り、備えを整えるプロセスのなかで、この国がいかに長く無防備な時を過ごしてきたかも見えてきた。日本はもっとまともな国になってほしいという切実な願いが、国民の間で広く共有されていることを、私は感じている。
 だからこそ、この国の指導的立場にある人びとに向かって言わなければならない。。この国を支えてきた国民の心と向き合ってほしいと。そのうえで、けっしてこの国を貶めてはならない、国を売ってはならないと。この国の歴史を、じっくりと学び直すことで、必ず未来への展望が開けてくる。国難のいま、私たちは一人ひとり、心静かに歴史を振り返りたいものだ。

2005年7月15日
櫻井よしこ

(momoedake)

「国を売りたもうことなかれ」櫻井 よしこ (著)

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2005年8月 6日 (土)

夢と勇気

大きな拉致事件の集会で司会をして頂いている櫻井よしこさんの『国売りたもうことなかれ 論戦2005』の記念サイン会に行ってきました。一言書いてくれるとのことなので、蒼き星々をやっていますと話すと、「がんばってますね」、と言われてメッセージを書いてもらいました。「夢と勇気」です。
本の内容は、櫻井さんがいろんな本に書いているエッセイなどを集めたものです。
(momoedake )

  


「国を売りたもうことなかれ」櫻井 よしこ (著)

※momoedakeさんが紹介してくださった、櫻井よし子さんのサインは、蒼き星々投稿者、拉致問題解決を願うすべての人へのメッセージだと思っています。


----------------------
日本の政治家よ、国を売りたもうことなかれ!
小泉首相よ、国を売りたもうことなかれ!
外務省よ、国を売りたもうことなかれ!

国民よ、国を売りたもうことなかれ!

今後とも、共に頑張って声を挙げて行きましょう。

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福島七夕、新聞報道

福島民友新聞8月3日(社会面)

拉致問題の解決願う
--「七夕」で被害者家族ら短冊--
北朝鮮による拉致問題を風化させない-との願いを込め、「北朝鮮に拉致された日本人を救う会福島の会」(略称・救う会ふくしま、菅野重信代表)は、6日から8日まで福島市のパセオ470通りで開催される「七夕まつり」のササ飾りに、拉致問題解決を願う全国の人々から集まった短冊をつるす。

拉致被害者横田めぐみさんの母・早紀江さんや増元るみ子さんの姉・平野フミ子さんからも直筆の短冊が寄せられており、菅野代表は「世間の関心が薄くなることを防ぐ一助になれば」と話している。

同会は、「拉致問題解決を願う気持を天に届けたい」との思いから、短冊をつるす活動を企画。活動が事前にホームページに紹介されたことから、全国から続々と短冊が集まった。
短冊で田口八重子さんの息子・飯塚耕一郎さんは「母を普通の生活に戻してください」と訴え、横田早紀江さんは「めぐみ、ヘギョンちゃん等が今年こそ・・」と悲痛な声を響かせている。
同会は、初日6日午後6時から9時をメーンに、ブルーリボンをイメージした青いTシャツを着て通りがかる人々にも短冊への記入を依頼する。

福島民報新聞(3日付け社会面)

拉致解決 短冊に込め 救う会ふくしま
~6日から福島七夕まつり  全国300人の願い飾る~

拉致被害者を支援する福島の会(救う会ふくしま)は6日から三日間。福島市のパセオ470通りで催される七夕まつりで北朝鮮の日本人拉致問題解決を訴える七夕飾りを設ける。7月初めからインターネットで協力を呼びかけたところ、2日までに全国の約300人から短冊などが寄せられた。

七夕飾りは複数のさおやササに短冊、折り鶴などを飾ってつくる。全国から届いた短冊には拉致被害者の帰国、北朝鮮の誠意有る対応などを願うメッセージが書かれており、まつり期間中にも短冊を用意し来場者に飾ってもらう。七夕飾りは町なか広場東側に設ける予定。
同会は平成15年7月に県北地方の有志で結成し、横田滋さん・早紀江夫妻を招いたフォーラム、署名活動などの活動をしてきた。菅野代表は「七夕飾りに一人でも多くのメッセージを掲げ、本県での支援ムードを盛り上げたい」と話している。

    

福島、七夕への短冊送付へご協力、周知をありがとうございました。
協力してくださったサイトのみなさん、短冊を書いてくださった、被害者ご家族の皆さん
短冊をおくってくださったROMや投稿者の皆さん、ほんとうにありがとうございました。
おかげさまで今日から七夕が始まりました。
NHKローカルやご紹介した新聞の事前告知の効果が出て、会場でも多くの短冊が集まりますように。
          ******

今後とも、共に頑張って声を挙げて行きましょう。

福島七夕の写真紹介(KINAさんより頂きました)
  


昨日6日午後6時~9時 会場にきたかたにも短冊を書いて貰い、200枚の短冊が更に飾られたと連絡を受けています。

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七夕の短冊に願いを込めて

東北は8月、祭りの季節です。
余り知られていませんが、福島市でも商店街で七夕祭りが行われます。この七夕祭りで、一本の笹竹が拉致被害者救出の願いの短冊を飾るために用意されることが決まりました。会場に来た方に、被害者救出の願いを書いて貰って、飾るという企画です。

 
主催:救う会福島 事務局
(救う会福島は、以前から支援活動をしてきましたが、先頃正式に加盟したそうです)

全国からの短冊も受け付けるそうです。
送付先は下記、あなたも短冊に願いを込めて、おくってみませんか?

〒9608041 福島市大町9ノ18
 ビスポークカンノ内
 救う会福島 事務局(菅野重信代表)

短冊例
   

各サイトのみなさまへ

このことをなるべく多くの方に知って頂きたく、是非告知活動にご協力頂ければ幸いです。
竹がしなるほどの短冊が集まりますよう祈ります。

園丁日記さん記事:東北の七夕に願いをこめて…
話の花束さんTOP

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2005年8月 5日 (金)

ご家族・支援者の短冊



○一日も早くめぐみと再開できる日を待っています。  横田 滋

○めぐみ、ヘギョンちゃん等、拉致被害者全員が
  今年こそ帰国出来ますように!!         横田早紀江
===========================


○流れ星に乗せて、帰してください         飯塚 繁雄

○母を普通の生活に戻してください         飯塚耕一郎

○るみ子に早く会いたい
  年老いた母に会わせたい
           願いを叶えて       平野フミ子

===========================


恵子がきっと帰国できる様に    有本嘉代子

全員が帰国できるように運動します 有本明弘

拉致被害者全員の帰還を実現しよう 荒木和博

===========================


修ちゃんへ
お父さんお母さん元気で待っていますよ。
      早く帰ってきて!          姉 龍子

修ちゃんへ
市成の星は今もきれいよ。お水も美味しいよ。
空気も美味しいよ。早く帰ってきて味わってね。  姉 龍子

拉致被害者の為に力を貸してください   平野フミ子

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支援者の短冊(福島七夕)

支援者の短冊


○家族会の皆様の祈りが届きますように

○有本恵子さんが 一日も早く祖国にかえれますように 

○めぐみさんが一刻も早く日本に帰り
     ご両親の喜ぶ姿を見たいです


○特定失踪者を含む全ての拉致被害者が帰国できますように うつみ

○人類にとって最大の糧は希望であるとイエスは言われました
希望を持ち待ち続けている者の上に喜びの日が訪れますように

○拉致被害者の方々、すべての人の幸せが一日も早く来ますように祈っています
====================


○早く帰国できますように 神崎慎一

○横田めぐみさんの帰国を心より願っています 佐藤

○自由が訪れることを祈っております
===================


○元気でいらっしゃる事を祈り 早々の帰国を 田代

○有言実行が国民全員の願いです 早く解決を
            都議会議員 田代ひろし

○横田めぐみさんが早く日本に帰れますように 祈っています
            世田谷区議 下山 芳男
===================

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2005年8月 3日 (水)

小住健蔵さん拉致事件の真相

■小住健蔵さん拉致事件の真相(救う会ニュースより)

 下記は、平成17年7月24日、函館市で開催された「小住健蔵さんの拉致認定と未帰還者救出のための経済制裁を求める函館集会」の中で、西岡力・救う会常任副会長が講演した内容を文書にまとめたものである。

 家族会、救う会は1997年から活動していますが、私は1991年に拉致について論文を書いた。その中で、小住健蔵さんは拉致されたと書いている。昨日、五稜郭交差点付近で署名活動を行ったが、東京で行なうより反応がよかった。しかし、函館市民の方は、小住健蔵さんの名前をあまり知っておられない。色々な事情から、小住健蔵さんの家族、函館在住の一番下の妹さんがマスコミの前で今日初めて挨拶された。家族会に入っている家の被害者は知られており、関心が高まるが、家族が出てこれない人たちは知られない。すると拉致認定されないということになる。家族会・救う会の最初の署名用紙に拉致被害者の名前を書いた。
そこに小住健蔵さんと書いてある。なぜ拉致と言えるのか、まずみなさんに知っていただきたい。

 小住健蔵さんは、1933年、昭和8年11月に樺太で生まれている。樺太で中学校を終えて、1948年、昭和23年に引揚船で函館に帰ってきた。お父さんが土木技師をしていたため、ソ連軍が占領した後も、土木技師として働けと命令されたため3年間引揚が遅れた。小中学校が樺太だったので、残念ながら同級生が地元にあまりいないのではないか。定時制の工業高校に入ったが、体の具合が悪く中退している。お母さんが1960年、昭和35年に亡くなり、そのお葬式の時の写真がこれで、お父さんと母方のお祖母さんと小住健蔵さんが写っている。お母さんが亡くなった翌年、1961年、昭和36年小雪降る3月、青函連絡船に乗って東京に就職された。妹さんは見送りに行ったのを覚えているという。

 時間が経ち、1985年、昭和60年に新聞で大きな事件が報道された。多分この中で覚えていらっしゃる方がおられるかもしれない。北朝鮮の大物工作員が日本に侵入し日本人になりすましていたということを警視庁が明らかにして、その大物工作員を指名手配したという記事だ。小住さんが函館を出てから24年後のこと。その大物工作員は小住健蔵を名乗っていた。小住健蔵の名前で自動車の運転免許とパスポートを正式に取って、日本人の女性をだまして同棲し、日本人となってスパイ活動をしていた。そのことを警視庁がつかまえ、昭和60年3月1日、小住健蔵こと朴某という名前で国際指名手配した。そこで消息の途切れていた小住さんの名前が出てきた。

 実は、就職後、小住さんの3女である妹さんー本日挨拶された妹さんは4女でそのすぐ上の姉妹にあたりますーが手紙を出したりしていたが、返事がこなくて、お父さんはおかしいと思い警察に相談に行っていたという。しかし、20を過ぎた男が東京に仕事に行って連絡してこないのはよくあることだということであまり相手にされず消息がずっと不明だった。

 では、いつ北朝鮮に拉致されたのか、まだよく分からない。東京に行った後の消息が分からない。すぐではないと思われる。なぜなら小住さんになりすました朴は1970年に日本に上陸しているから、1961年から1970年の間ではないことは間違いない。この間の小住さんのことを知っている人が出てこない。
今日、家族会、救う会、そして拉致議連の先生方にも来ていただいた一つの理由は、小住さんのことを知っている人、出てきてくださいと訴えたいということだ。

 最初は家具屋さんに勤めたそうだ。多分その後転職していたらしい。しかし、アパートの隣に住んでいた人がいる筈だ。小住健蔵という名前を覚えている大家さんはいないだろうか。働いていた職場の人はいないか、ということを訴えたい。

 例えば、ここにいる飯塚耕一郎さんは、北朝鮮に拉致された田口八重子さんの息子さんだが、お母さんと一緒の写真がなかった。1歳の時、お母さんが拉致された。耕一郎さんたちが名乗りをあげたら、拉致直前まで隣に住んでいた人が、あの人だ、私が写真を撮っていたと言って写真を一枚持ってきてくれた。その1枚だけがお母さんと一緒に写っている写真だ。それと同じことができないかということだ。

 小住さん消息不明になった後、北朝鮮の大物工作員朴が、1970年夏に秋田県の男鹿半島に上陸する。これは日本の警察の調べだ。上陸してまず工作員は何をするか。外国人登録の偽造ではすぐばれてしまうので、日本で合法的な身分を取ろうとする。そのためには協力者が必要だ。大阪の在日朝鮮人金錫斗に会い、「私は、北朝鮮に住んでいる貴方の両親や兄弟をよく知っている。私の言うことを聞いた方が良い……」と脅した。そして金という人を部下にした。そして2年後、72年7月に東京の山谷の路上で倒れていた小熊和也さん、当時34歳を入院させて色々話を聞いた。彼は福島出身だった。朴は、両親のところに会いにいってあげると、金と一緒に行って、「私は東京で船会社を経営している。小熊さんにも働いてもらっている。小熊さんの戸籍が福島にあると何かと不便なので東京に移してもらいたい」と親をだまし、戸籍を東京に移した。小熊さんは結核で入
院中だった。そして、小熊さんの名前で運転免許証を取り、パスポートをとった。
小熊さんになりすましたのだ。72年のことだ。

 2年後の74年、金は朴から次のように言われた。これは後で金が警察に話したことだ。「朴は昭和49年12月、『本物が日本にいると何時、戸籍の横取りが発覚するかわからない。危険だから小熊を北朝鮮に送ってしまえ!』と私に命じた。しかし小熊さんは、昭和51年、7月に病死したため北朝鮮への連行は出来なかった。」72年に小熊さんになりすまし、74年に拉致しようとしたけれども、ずっと病気だった。拉致するには海岸まで連れていけなければならないが、寝ている人を連れていくわけにはいかない。そして小熊さんが76年に亡くなってしまった。それで小熊さんとしての活動が終わる。この間、3回海外に行っている。さらにある日本の女性をだまして同棲しその女性と子どもたちを連れ、日本人の親子になりすまして国内各地を旅行している。特に北朝鮮工作員の上陸地点に行き、テントを張って写真をとったりしている。家族写真を装い風景を撮っていた。また、在日韓国人に接近し、韓国に親戚はいないかと聞き、韓国内にスパイを作ろうとしたり、国内で自衛隊や米軍の情報を取る活動を小熊和也としてやっていた。

 74年、金に拉致を命じたのは12月だが、金は同年5月から11月まで日本を秘密に出国し、北朝鮮で工作員の訓練を受けた。訓練を受けていたから「お前拉致しろ」と命令することができた。金を石川県に連れて行き、鳳至郡能都町字小浦の通称羽根海岸、久米さんが拉致された宇出津(うしづ)のすぐ近くの海岸まで連れていった。金は迎えにきていた工作員とそこからゴムボートに乗り、沖にいる工作船に乗り換えて清津の連絡所に行った。めぐみさんや曽我さんが連れていかれたところだ。そこで徹底的にスパイになる訓練を受けた。その時朴は小熊さんのパスポートで堂々と羽田空港から出国しソ連に行き、ソ連から北朝鮮に帰っている。そして、金は朴から「おまえは受講態度が悪い。推薦者である俺の体面を汚すな」」と言われたと、警察に供述している。

 日本のパスポートを持っていると、スパイなのに堂々と色々なところに行ける。
ところが小熊さんが亡くなってしまったのでそれができなくなり、次を探していて、小住健蔵さんを拉致してなりかわった。ただし、小住さん拉致に金は関係していないようだ。あるいは知っているがいまだに黙っているのかもしれない。金は小住さんについて証言をしていない。従って、小熊さんが死んだ76年の後、朴が小住さんとどこでどう会ったのか分からない。しかし、80年、昭和55年4月に、小住さんの戸籍が函館から東京に移されている。つまり、1961年、昭和36年に函館から出て行って音信不通となっていた人の戸籍が、昭和55年に移されていたということだ。それがあることから小住さんの兄弟が気づかれて、小住さんの自宅とされている所に電話をかけたら朴が出て、というか声だけだから朴か別の人間かどうか分からないが、「小住さんは今、麻雀に行っていない」等色々おかしなことを言って嘘をついた。

 警察の資料によると、小住さんの名前で「心配しないでくれ」という手紙が誰か身内のところに来たという。しかし、先ほど妹さんに聞いたら「それは分からない」とのことだった。とにかく、騒ぎにならないように家族を抑えて、朴は4月18日に足立区内の自動車教習所に入学する。2度目の入学だ。小熊さんとして免許を取っているのだから。今度は、小住さんの名前で6月に2つ目の偽者の自動車運転免許を取り、6月16日に小住さんの名前のパスポートを取った。

 そして、小住さんとして1982年、信栄エンタープライズという会社を作った。装飾時計や額縁などを販売する資本金500万円の会社だ。この500万円は同棲していた女性をだまして作ったものだ。自分の部下金にこの会社をやらせて、上がりは北朝鮮に献金したり工作資金にして、小住さんの名前でマレーシア、タイ、香港、ドイツ、そして韓国にも入っている。日本人になりすましたから北朝鮮のスパイが堂々と韓国に入れるわけだ。この朴という男は、戦前、愛知県の小松基地近くに住んでいた在日朝鮮人出身だ。関西弁がぺらぺらで、お正月になると和服を着て初詣に行っていた。日本人になりすませるのだ。

 70年代まではそういうのがいっぱいいた。この頃はなりすますための拉致が多かった。その後、日本生まれの人たちがいなくなり、若い人で、金賢姫みたいに、日本人になりすます人が必要になり、今度は田口さんのように、日本人になりすます教育の先生を拉致した。それが70年代後半ころからだ。

 小熊さんに、発覚すると困るので連れていってしまえという命令が出ていて、小住さんの時に出ていないということはありえない。さらに、同じ時期になりすましの拉致があった。これは日本政府が認定している拉致だ。大阪の中華料理屋のコックさんだった原敕晁さん。この方も家族と連絡を絶っていた。北朝鮮はそういう人を選ぶ。運転免許もパスポートもまだとったことがない人を探す。原さんの場合は、ラーメン屋の店主が在日朝鮮人で朝鮮総連傘下の在日朝鮮商工会幹部だった。辛光洙という工作員が宮崎から入ってきて大阪の在日朝鮮人に「お前は家族が帰国しているだろう」と言って、脅迫し、部下にして、「俺と年恰好が似ている人間を探せ」と命じられた。「まだ運転免許もパスポートもとっていないのはいないか」と。「いや、うちのコックで原というのがいます」ということで、原さんに、「コックなんかやめて貿易会社に就職しなさい。社長を紹介してやる」とだまして宮崎の海岸に連れて行き、拉致した。

 原さん拉致は北朝鮮も認めている。そして辛光洙は原さんになりかわって運転免許とパスポートを取った。そして韓国に入った。そこで韓国のKCIAが、スパイと分かり逮捕した。辛のパスポートを調べてみたら、金賢姫が持っていたような偽造ではなく日本政府が発行した本物だった。しかし、写真は原さんのものではなく、辛のもので、筆跡も辛のものだった。原さんの拉致が起きるのは80年6月だ。小住さんの本籍が移されるのが80年4月だ。時期が一致している。
同じ時期になりすましの作戦が2つ行なわれていた。他方が拉致でないと言えるか。辛は、韓国で逮捕された後、自供している。「金正日と直接会った」と。そしてこういう命令を受けた。「身寄りのない日本人を拉致して入北させ、その日本人の身元を完全に把握し、その日本人に成り代わって、日本で合法的に対南工作任務を継続せよ」と。これは金正日の命令だと辛が韓国の取調べ官に言ったことだ。同じ命令を朴も受けているわけだ。

 拉致のやり方は1976年前後で変わっている。76年から組織的になる。金正日が76年に拉致指令を出した。その後、大々的に拉致が行われた。日本政府が認定している国内からの拉致は、77年、78年、80年だ。78年は、蓮池夫妻、地村夫妻、市川さんと増元さん、曽我さんと曽我さんのお母さん、田口八重子さんと集中している。曽我さんと増元さんは同じ日だ。佐渡と鹿児島でやっている。他方で、日本に侵入している工作員に成り代われと言っている。

 見てきたような話をしたが、なぜこんな話ができるのか。実はこういうパンフレットがある。「見破られた北朝鮮工作員-日本人になりすました大物スパイ」というものだ。これは、家族会や救う会や拉致議連が出したものではない。警察庁が1985年、昭和60年に出したものだ。つまり、大物スパイが小住さんになりすましていると指名手配した年に、パンフレットを出した。これは大変な業績だ。家族会や救う会がない時に、誰も宣伝してくれないから自分たちでやったのだと言った。残念なことに小住健蔵さんの妹さんはこのパンフレットを今日、私から初めて見せられたという。警察はもう少し親切にしてもよかったかなという気はする。が、ここにはかなり具体的なことが書いてある。パンフレットのこのページにあるのが、朴が小住さんの名前でとった運転免許証、その下がパスポートだ。これを証拠として持っているわけだ。

 今、小住さんはどうしているのだろうか。警察は1985年の段階でどう判断していたかが、書いてある。その部分を読み上げたい。

「ところで本物の小住さんの消息はどうなったのだろうか?

 小住さんは昭和36年までは、東京都板橋区内に住んでいたが、その後は、まったく所在不明となっている。

 前述した経緯(これは石川県宇出津海岸からの三鷹市の久米さんが拉致された宇出津事件のこと・西岡補)から推察すると、北朝鮮に送り出された可能性も否定することはできない…。」

 とある。これが1985年、今から20年前の警察の見解だ。この文の上には袋に入れられて運ばれている絵までついている。20年目に警察がこう言っている。犯人が特定され、指名手配した。証拠は朴の写真をはった小住健蔵名義のパスポートがある。横田めぐみ事件は、北朝鮮がやったということは分かっているが、まだ犯人が分からない。顔も分からない。こちらの方がはっきりしている。
なぜこの時に拉致が大問題にならなかったのか。それは残念なことに、事実が分かっても日本政府が対応しなかったからだ。マスコミも書かなかった。事実だけで世の中を動かせなかった。世の中が動いたのは家族会ができた後だ。

 それから12年後に、1997年に北朝鮮亡命工作員の証言でめぐみさんの拉致が明らかになった後、家族会が出来た。実は多くのご家族が、北朝鮮に人質にとられているから自分たちが表面に出て運動したら、北朝鮮にいる自分たちの肉親の身の上に危険が起きるかもしれないと思い、これは政府がやることだから、事実が明らかになっているのだったら、政府、外務省が一生懸命にやってくれる筈だからと信用してずっと動かずにいた。その結果、政府は何もせず被害者は見捨てられていた。

 小住健三事件が明らかになった1985年に対応していたら、2年後1987年の大韓機爆破事件も防げたかもしれない。テロがわかっていて、テロと戦わなかったから韓国人の115人が殺されたのだ。

 今もちろん、私たちは北朝鮮が、「死んだ」とか「未入国」とか言っている人たちは生きていると、死亡の証拠がない以上、生存を前提にして救出運動を続けている。けれども人間は病気になったりする。85年以降に、小住さんやその他の拉致被害者たちが病気になって死んでいたら、誰の責任かということだ。

 分かっていたのだ。しかし、残念ながら、当事者の家族が家族会を作り名前を出して訴えるまで世論はついてこなかった。それで今日、小住さんの妹さんに無理を言って来ていただいたわけだ。本当は恥ずかしい話だ。家族は静かにして待っていていいんですよ、分かっているんだから助け出します、と政府が秘密に妹さんの家に来て言えばいい話だ。しかし、まだ小住健蔵さんは拉致として認定もされていない。だから、お疲れなのに、鹿児島から熊本から、石川から、そして東京、埼玉、神奈川から家族会の皆さんに来ていただいて小住健蔵という名前をみんなに覚えてもらい、全国で集会をするたびに、小住健蔵の名前を言うことにしたのです。国会の先生方も国会で小住さんのことをぜひ問題にしていただきたい。

 警察には、捜査だからすべてを明らかにすることはできないことはわかるが、パンフレットを出した後いまだに拉致認定すら出来ていないとは情けないではないか。ぜひより一層真摯に取り組んで欲しい。

 家族会・救う会・拉致議連では、日本人を助けるために、小住さんを助けるために何ができるのかの観点から議論を高めていただきたいと思っている。函館の地で、小住健蔵さんを助けようという声を大きく出しましょう。ありがとうございました。

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2005年8月 2日 (火)

東京国際会議NGO決議 

東京国際会議NGO決議  
         2005年8月1日

北朝鮮による人権侵害の停止、拉致被害者の即時解放、中国政府による北朝鮮難民の強制送還中止勧告を求める決議案

北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 殿

署名NGO
日本 北朝鮮難民救援基金
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
救え!北朝鮮民衆緊急行動ネットワーク(RENK)
脱北者支援機構
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
特定失踪者問題調査会
    
韓国 ドゥリハナ宣教会
    脱北難民保護運動本部
    脱北人権連帯
韓国拉致被害者家族協議会

米国 Helping Hands Korea
North Korea Freedom Coalition

ビルマ Women’s League of Burma
Kachin Women’s Association
Democracy for Kachin National


 2005年8月1日、私たち日本、米国、韓国、ビルマのNGOは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) の深刻でさまざまな非人道的人権侵害の停止と拉致被害者の即時解放を要求することに合意した。また、北朝鮮の人権侵害の実情に理解を示し、了解を与えているというと疑いを禁じえない中国(中華人民共和国)の態度を深く憂慮し、以下のことを確認した。

 脱北者は、飢餓から逃れ食糧を求める自由を探して越境するが、中国政府はこれを「難民」と認めず、「不法滞在者」「不法入国者」として逮捕・拘束・強制送還している。強制送還された脱北者は、北朝鮮刑法47条によって政治犯とし
て厳しく処罰され、人権が認められない。

 また北朝鮮政府は、工作員を欧州、日本、韓国などに派遣し、誘引拉致を繰り返している犯罪国家である。その上、いまだに多数の拉致被害者を抑留し、偽遺
骨などを提供し、生存を否定するという欺瞞を続けている。

 中国政府は、苦難にあえぐ脱北者と脱北をする人道支援家の不当逮捕を引き続きて行っている。拘束した脱北者を北朝鮮に強制送還している数々の事実も確認した。これらの行為が「難民条約」の乱暴な侵犯であり、国際条約を無視する態度であり、国際平和と秩序に責任ある立場を占める国連常任理事国の一員としてふさわしくないと考えざるを得ない。

 韓国政府はこれまで、北朝鮮からの脱北者を受け入れ、その数は1万名に近づこうとしている。韓国政府の努力には大きいものがある。しかしながら、北朝鮮難民を受け入れる最大の後方基地である韓国政府の最近の態度は、これまでとは逆に、在外公館で保護を拒否する事件を頻発させている事実も指摘しないわけにはいかない。

 私たちは、世界人権宣言の精神にのっとり、以下の決議を、この国際会議に参加したNGOの総意として発表し、参加した諸国各議員に以下の行動計画に積極
的に関与し、実現するよう訴えるものである

 I.北朝鮮に対し、国際議員連盟がイニシアチブをとり、人権査察団を早期結成し、北朝鮮に査察の受け入れを迫り実現してください。査察結果は、報告書の形で全世界に公表してください。想定する査察項目は以下の通りです。

1.収容所(監理所)の実態調査、収容者の名簿、生存者、死亡者のリスト。
2.中国から強制送還された者の北朝鮮での待遇・社会復帰状況の調査。
3.北朝鮮鮮以外の国から拉致された被害者の実情調査。
4.日本から北朝鮮に渡った元在日朝鮮人の行方不明者、日本人配偶者の安否調査。

Ⅱ.人権査察団は、国際機関と協力し以下のことを調査してください。
1.衛星写真や元強制収容所収容者などの証言に基づきその存在が明らかになった全ての政治犯収容所における実態調査と政治犯の釈放に尽力してください。
2.国際的な援助食糧の適切な配分、調査などを徹底的に調査し、国際的にその結果を公表してください。

Ⅲ.人権査察団の受け入れを拒否した場合、北朝鮮へのあらゆる支援を国際社会が停止するよう勧告してださい。

IV.中国政府は、北朝鮮の飢餓と抑圧体制に耐えかねた脱北者や彼らを救援する人権支援家を不当に逮捕し、脱北者は北朝鮮に強制送還するという人権抑圧体制の共犯者となっています。平和とスポーツの祭典であるオリンピックが、人権抑圧によって多数の生命が失われ、虐待を看過する状況で開催されるのを容認しないと宣言してください。

 世界各国オリンピック委員会に2008年北京オリンピックの開催地変更を勧告してください。

V.人権査察団に適切な形で関係NGOの参加を考慮し、各国議員団は各政府に査察費の拠出を働きかけ、また、北朝鮮から脱出し隣国に避難する脱北者に対して北朝鮮に送還せず保護するよう各国に働きかけてください。

VI.脱北者の定住・定着のために各国は法を整備し、自立援助体制を確立してください。

VII.日本、韓国、米国をはじめとする関係国政府に拉致問題解決のために経済制裁発動を含む全ての努力を行うことを議員の立場で求めてください。

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北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟 第2回総会「共同宣言」

共同宣言

 1948年12月10日に第3回国連総会において採択された世界人権宣言第一条に「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と記されているように、各人の基本的人権はいかなる環境の下にあろうともこの地球上に住むすべての人々の尊厳を守るため
に等しく保護されなければならない。

 それ故、我々は北東アジアにおける基本的人権の普遍的な保障及び北朝鮮難民の諸権利の保障を目的として、2年前に、アメリカ合衆国、英国、オーストラリア、大韓民国、モンゴル国、および日本国の国会議員による国際議員連盟を結成し、各国政府および国際社会において真摯な働きかけを続けてきた。昨年米国において成立した「北朝鮮人権法」や、韓国ならびに日本における同旨の立法に向けた取り組みはその代表例である。

 しかし、我々の努力にもかかわらず、北朝鮮をめぐる人権、人道上の問題は、国内の圧政、強制収容所における人権蹂躙、脱北者への過酷な措置、また、韓国人や日本人を対象とした拉致問題の未解決が示すように憂慮に堪えない状況が続いている。

 我々「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟」は、国益、党派、イデオロギーの違いを乗り越え、北朝鮮国民および脱北者の生命を守り、人権を保障するするためあらゆる国際的な努力を行なうことをここに宣言する。

 第一に、北朝鮮当局に対し、国内における人権侵害を含むあらゆる非人道的な行為を即時停止し、同国における人権状況の改善に向けた具体的な措置を講ずる
よう要求する。

 第二に、飢餓と圧政の恐怖から逃れるため、自由を求めて越境してきた「脱北難民」を国際法上の条約難民と認定せずに「不法入国者」として強制送還し、のみならず彼ら/彼女らに人道的な支援を提供している人々をも不当逮捕、拘禁している中国政府に対し、当該難民およびその人道的支援者を、同国が当事国となっている国際条約に則って人道、人権に配慮しつつ適切に保護すべきことを要求す
る。

 第三に、国連および国際機関に対し、北朝鮮における強制収容所の実態をはじめ全般的な人権状況を調査し、また、中朝国境付近に逃れてきた脱北難民の生活環境や衛生状況などの実態調査を行い、これらを世界に公表することを通じて、北朝鮮国内および脱北難民に関わる人権状況を改善するための国際的な努力をさらに強化するよう要求する。従って、北朝鮮に対するいかなる国からの人道援助も、政治的・軍事的目的ではなく、あくまでも北朝鮮国内の人権状況を改善させる目的で行なわれなければならない。

 第四に、韓国や日本など関係諸国議会に対し、速やかに「北朝鮮人権救済法」を成立させ、その侵害状況を明らかにし、人権救済を促進し、また人権救済を目的に支援活動を行う国際機関、政府機関およびNGO組織を支援するために必要なあらゆる措置を講ずることを要求する。

 第五に、6者協議の場で北朝鮮の強制収容所、拉致問題等の人道的な問題の解決を議題として取上げることを要求する。

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2005年8月 1日 (月)

金正日容疑者は、進むも退くも「地獄」

RONALD W.REAGAN さん蒼き星々掲示板8月 1日(月)の投稿

金正日容疑者は、進むも退くも「地獄」、
いずれにしても「殺される運命」にあることを思い知れ!



 金正日総書記は、本気になって「米朝国交正常化」や「日朝国交正常化」を考えているのであろうか。どうも疑わしい。
 というのは、「国交正常化」すれば、少なくともアメリカとの人事交流が活発化することになる。いろいろな儀式にも、金総書記は、姿を現さないわけにきいかないだろう。金総書記は、「安全の保証」を強く求め、アメリカが総攻撃して、体制を崩壊させるようなことを絶対にしないという約束を取りつけようとしている。

 だが、仮に約束を取りつけることができたにしても、「国交正常化」の後、アメリカのCIAなどの諜報機関が、金総書記の命を狙わないという保証はない。むしろ、「危険は高まる」と見なくてはならない。ここで思い出さなくはならないのは、韓国の朴正煕大統領が昭和五十四年十月二十六日に暗殺された事件である。朴大統領を暗殺した犯人は、金載圭・中央情報部長官(KCIA長官)だった。アメリカのCIAが、金載圭に「お前を大統領に据えよう」と耳元で囁いたという。この金載圭はその直後に軍の実権を掌握した全斗煥によって処刑される。

 朴大統領が暗殺されたのは、「独自で核開発」をしようとしたからと言われている。日本の田中角栄元首相がロッキード疑獄事件をアメリカに仕掛けられたのは、「原子力発電開発に必要な燃料となるウランをオーストラリアやカナダから独自で輸入しようとしたからだ」と言われている。アメリカ政府やメジャーの逆鱗に触れたのである。「勝手なことをするな」とばかり、田中角栄元首相も朴大統領も、抹殺されたと見られるのだ。

 金正日総書記も、いずれは、アメリカCIAの手によって、必ず暗殺、抹殺されるだろう。
 金書記が、アメリカと国交正常化しようとするなら、北朝鮮は、核放棄とともに、「地下要塞」をすべてオープンにしなければならなくなる。「秘密」を持ってままで、アメリカや日本と国交を結べると思ってら、虫がよすぎる。
 金正日総書記は、いま、進むも地獄、退くも地獄の苦しみを味わっているに違いない。進めは、「暗殺」の危険が高まり、退いて地下要塞に潜り込めば、総攻撃される。さあ、どちらの道を選ぶか?

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