« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »

2005年10月

2005年10月29日 (土)

-拉致問題を考える集い-青梅写真報告

「人権講演会とリコーダー演奏」-拉致問題を考える集い-に参加してきました。
プログラムは

青梅市長竹内俊夫氏の挨拶、
多摩西人権啓発活動地域ネットワーク協議会 実行委員長 野村哲也氏の挨拶
続いて、リコーダーの演奏

【リコーダー演奏】 指揮:諸岡忠教氏 演奏:青梅リコーダー・オーケストラ
   演目 野いばらに寄せて  母さんのうた ずいずいずっころばし 戦いのハヴァーヌ 故郷
   
【人権講演会】
 講演者:横田滋氏、横田早紀江氏、蓮池透氏、辺真一氏
 
主催:青梅市、多摩西人権啓発活動地域ネットワーク協議会
後援:青梅市教育委員会、青梅市社会福祉協議会、青梅市民政児童委員合同協議会、
西多摩地区保護司会青梅分会、青梅市自治連合会、
青梅市立小学校PTA連合会、青梅市中学校PTA連合会、
青梅・奥多摩更正保護女性会、青梅私立幼稚園協会

横田滋さんは、国連で人権問題として拉致が取りあげられたことをあげ、日朝協議の相手側が前回と変わらない顔ぶれであることに不満を漏らしながらも、期待と強い希望を述べられていました。

横田早紀江さんは、福島でのお話しを軸に、必ずめぐみを取り戻すまで頑張りますので、ご協力をお願いしますと、開場の涙をさそう、いつもながらのお話しでした。

久しぶりの蓮池透さんのお話は、今までの政府対応への不満、帰国した5人も苦しい思いをしている現実、そして、今回の日朝協議が正念場である。その正念場に国家として戦略をもって真剣に取り組んで欲しいと。
日本の人権問題を取り扱う人権擁護局、人権団体が拉致にもっと大きい声をあげるべきだとおしゃっていました。

辺真一氏は、独自の立場から拉致の解決を訴えていました。

追って、一部ですがテキストにします。
Photo_28

Photo_29

Photo_30

Photo_31

Photo_32

Photo_33
   

| | コメント (2) | トラックバック (0)

辺真一氏講演(10/29青梅)

こんにちは。(会場からも「こんにちは」)

Photo_27
私は拉致問題を取材しているジャーナリストの立場から、この拉致問題を人権問題としてみなさん方と一緒に考えていきたいと思います。

私は拉致被害者の家族の皆さんには、むしろ私はあの加害国の北朝鮮と同じ血を受け継いでいるそういう一人としては、この拉致に対しては、大変恥ずかしく申し訳なく思いでおります。
であるが故に、この拉致問題の解決、早期、短期決着のために、すべての力を尽くしたいと思っております

そういう想いで、今日は拉致被害者家族の皆さんと一緒に、この場を借りて、拉致問題に関して、私の知る限りをお話ししたいと思います。
私の話は、必然的に(今非常に私も(家族お三方の話に)胸を打たれましたけれど)お三方とは若干違った角度のでの話になるかもしれませんが 是非皆さん方、その点は寛大な気持で耳をかして頂きたいと思います。

私が、非常に恥ずかしい、申し分けないことを行ったと、その理由は二つあります。

ひとつはこれは横田さんも蓮池さんも仰ったことですが、拉致は明らかに、許し難い反人権行為であると言うことです。露骨な人権侵害と断じることが出来ます。
人間の基本的権利である生存権、自由、そして幸福に生きる権利を剥奪し、人生を台無しにし、そればかりではありません、拉致被害者の家族を悲しませ、不幸のどん底に陥れ、そして同じように人生をメチャクチャにしてしまう。これ以上の反人権行為はないと、私はそういうふうに感じています。

二つ目はこれは明らかに犯罪行為です。それも、北朝鮮という国家による、主権侵害による犯罪行為です。犯罪は真実真相を明らかにしなければなりません。そして裁かなければなりません。
ところが、今もってこの真実真相が明かにされておりません。
特定失踪者と言われる方々を含めて、一体全体何人が拉致されているのか、これ、今もって分かりません。
もちろん真相があきらかになれば、加害者が被害者に対して謝罪をし、そして償いをし、そして保証する。これはきわめて当然のことであります。
これもですね、はっきりと申し上げておきたいと思います。

その上で、私から一言申し上げたいと思います。これは、今後拉致問題を解決する上でひとつのヒントになればということで、私がこの3年間取材をしてきたことを、みなさん方に伝えたいと思います。

私は、金正日さんが、2002年9月17日、小泉総理の前で、拉致を認め、そして(恐らく拉致被害者のみなさん方にとっては、非常に不安だったと思いますけれども)半ば謝罪をしました。
驚きました。ショックでした。拉致を認めるとは全く予期、予想しておりませんでした。
これまで歴史を振り返って、古今東西ですね、独裁者が自らの過ちを認め、謝罪するとい事は、私が記憶している限りありません。ヒットラーから始まって最近のサダム・フセインに至るまで、全てですね、事の真相を明らかにしないまま、むしろ公然とですね、無実を主張する。これは今回のサダムフセインの裁判(みなさん方、すでにご承知のことだと思いますが)これが本来ですね、これまでの自らの国家犯罪に対する独裁者の態度です。

今申しましたように、拉致と言うのは、北朝鮮による国家犯罪です。その国家犯罪を、その国のトップが、最高指導者が、こともあろうに、敵国日本国総理の前で、<それを認め、謝罪する>、恐らくそれはないだろうと、私だけでなく、韓国人の恐らく多くがそう考えていたと思います。
ましてや、小泉総理が訪朝する直前まで「拉致に関しては知らぬ存ぜぬ、むしろ日本政府のでっち上げ」とこういうふうに開き直ってきた、しらを切ってきた、その国のトップがですね、まさか拉致を認めるとは。

一言で言えば、これは北朝鮮にとっても「青天の霹靂」といいましょうか。

私、その後こういうことも思いました。
もうそろそろ「忠臣蔵」のシーズンになりますけれど、殿中で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつける場面をもって、日本人は「殿、ご乱心」といことばを使われておりますけれど、おそらく金正日が拉致を認めた瞬間ですね、恐らく「将軍様、気でも狂われたんじゃないですか?血迷ったんじゃないですか?」こういう声が飛び交っても不思議でないくらいですね、大変な事だったというのは、その後わかりました。
まぁ、恥も外聞もなくといいましょうかね、恥を晒してといいましょうか、おそら金正日さんにとっては苦渋の選択、断腸の思い、それはわかりません。本人でないのでわかりません。

それは日本からしますと 「恐らく背に腹は替えられない、拉致を認め、そうして日本から経済協力を仰いで、父親から受け継いだ破綻寸前の、この経済をなんとか立て直して、そして将来、韓国と対等合併に、-まぁ、北朝鮮の言葉を使うならば、連邦制に移行しようと-、そういうことに、ここ俺が腹を括ろうと、一歩前に進むだろうと、おそらくそう言うことで彼は拉致を認めたじゃないかと、こう思いますね。
しかし、ところが実際には、事はそう簡単には進みませんでした。
それもこれも非は全て、北朝鮮にあります。

返す返すも残念なのは、そこまで腹を括って、そして恥を忍びながら拉致を認めながら、何故に全面自供せずにですね、ああいう訳のわからない、嘘八百を並べた、そういう調査、報告を出してきたのか。これが、悔やまれてならないんですね。

さきほど横田夫妻の娘さん、めぐみさんに関しては、遺骨が偽物であったと。これをもって、北朝鮮の発表は嘘だ、信じられないと。それはその通りだと思います。私から言わせればそればかりではありません。本当に亡くなっているのであれば、当然北朝鮮も儒教の国でありますから、お葬式があってしかるべき、法事があってしかるべき、お墓参りがあってしかるべき。そういったものが全くないというのがとても解せない。

あるいは、田口八重子さん。田口八重子さんも北朝鮮で87年に亡くなったと。ところがその後亡くなったはずの田口八重子さんを帰国された拉致被害者の方ひとりがですね、同じ共通のドライバーの話として、その数ヶ月後に八重子さん、目撃したという、こういう話もあります。

さらに、市川修一さん、増元るみ子さん。このカップルだけは唯一北朝鮮に戻ってこれなかった、カップルの中では。北朝鮮の発表によりますと、79年に亡くなったと。78年に拉致されて79年に亡くなったと。ところがその後韓国に脱北したある工作員によりますと、「90年から91年にかけて市川さんから、ある大学で日本語を教わった」と。その大学で行われた運動会で増元るみ子さん目撃したと。こういう証言もあるんですね。

ですから、北朝鮮が去年5月、再度白紙に戻して、再調査を行った、その結果というのも、私からしても、とてもですね、信じがたい。そういうようなものであったというので、極めて残念きわまりないと、こういうふうに考えています。

この拉致問題は、実は現在は単に人道問題、あるいは人権問題に留まらず、その一方で、核の問題の解決に直結する、そういう問題、そういう性格を帯び始めてきたことも紛れもない事実であります。

小泉さんは「拉致、核、ミサイルの包括的な解決」を主張しています。それはもちろん核の問題、これは日本にとって極めて重要な問題であることは敢えて触れるまでもないと思います。
日本人の生命、安全、財産に直結する問題ですね。核、ミサイルが日本をターゲットに据えている。である以上ですね、一億数千万の国民の生命、安全、財産、これ、守らなければならない。まぁ、そういうことで、総理はそう言うことを仰っているんではないかと、私はそう思いますが。

この核問題というのは正に、日本を含めた極東アジアの安全と平和、更には世界の平和に直結する、そういう事柄、あるいはそういう性質に変わってきている問題であることも言えると思います。

それとこれもまた、厳然たる事実として言えることは日朝の外交問題の要であると言うことだと思います。
ご承知のように日本は唯一国交がありません。日本が唯一国交がない国が日本の隣国、となりにあるということ。

韓国と40年前に国交正常化し、今や正に冬のソナタの時代だと言われるほど、日韓の関係は蜜月の関係になりました。ところが北朝鮮とは戦後60年、すなわち、人間にたとえると、<おぎゃー>と生まれて還暦になるまで、全くですねつきあいがない。そう言う状態が続いてきている。

であるが故に不正常な関係を正常な関係に、しょして対立の関係を有効な関係にしようということでえ、おそらく小泉さんは、3年前に平壌に乗り込んで行ったと思うんですね。
私はそのことは間違っていないと思います。

戦後60年間、今もって戦後処理が終わっおりません、北朝鮮。それは北朝鮮の方からすると、強制連行の問題、従軍慰安婦の問題を恐らく持ち出すでしょう。しかし、よく冷静に考えますと、日本も戦後処理をする必要性があります。と申しますのは、1945年8月15日まで、あの彼の国に50万ちかくの日本人が暮らしていたという事実ですね。それも玉音放送があって、敗戦と共に多くの日本人が日本に引き上げてきました。しかし、ドサクサに紛れて、そのまま北朝鮮に留まってしまった残留孤児がいても不思議ではない。あるいは向こうで、36年間植民地統治下にいた頃に亡くなられて、そして向こうで埋葬された日本人も少なくない。あるいはひょっとすると、小野田少尉、そういうような軍人が今の北朝鮮にいても不思議ではない。あるいは北朝鮮に引き取られているそういう残留孤児がいたり、朝鮮人を装って向こうで暮らしている日本人がいても不思議じゃない。

今もってそれが、その消息ですらわからない。これもそれも関係正常化がない。
あるいは過去を清算していない。戦後処理が出来ていないという、こういう事だと思いますね。

ですから、これら全てをですね、この全ての問題を解決する上で、この拉致問題というのは、極めて重要な前提。非常に大きな前提と考えております。

恐らく11月3日から始まるこの日朝交渉、日本は当然拉致問題を最優先に、北朝鮮は過去の清算、これを最優先に恐らく、持ち出すでしょう。

私は日本人の多くは北朝鮮という国は人さらい、核を開発し、ミサイルを打ち込み、覚醒剤を持ち込み、更には偽札を持ち込みあるいは工作船を忍び込ませ、中国にある日本の大使館・領事館には脱北者は駆け込んでくる。まぁ、大変ありがた迷惑な、あるいはトラブルメーカーな、更に日本の安全保障において存在ガンのような、そいうような存在。そしてみなさん方たぶんそのように捉えていると思います。間違いないと思います。みなさん方の北朝鮮感。北朝鮮イメージというのはそんなところだと思います。

しかし、方や北朝鮮も、おそらくあの国の2300万の国民も、「日本という国は、36年間植民地統治下に置きながら、今日まで、韓国に対しても、フィリピンに対してもインドネシアに対して、その他の国々に対してはきっちりと償いも、謝罪も行い、けじめも、禊ぎも済ましているのにも関わらず、どうして今日まで我々に対しては見てっみぬふりを、知らぬ存ぜぬを通しているのか?非常にけしからん国だ」先方は先方で、そういう対日感、対日イメージを持っていると思いますね。

私はそれを可決する必要性があると思います。

拉致問題の解決というのは、すなわちですね、加害国である北朝鮮が、被害者の痛み、苦痛を和らげる、癒すという観点から、私はやらなければならないと思う。同じように日本もですね、同じような事を北朝鮮に対して、やらなくてはならない。

そう言うような基本認識をもてば、私はこの拉致問題、決して解決は難しい問題ではないと、こういうふうに思っております。

拉致問題は、持久戦、長期戦は何としても避けなければなりません。短期決着、早期決着を付けるべき問題なんです。
それはもう、みなさん方ご存じのように、拉致被害者のみなさんに時間が残されていません。一年二年、これ以上待たすわけにいきません。持久戦、長期戦は余りにもむごいと思います。ですから何としても早期に、短期にですね決着付けなくてはならない。私はそういうふうに考えております。

どういう方法がいいのか?まぁ、今後いろいろ今後、戦略・戦術、あるいは知恵が出されると思います、

私は、こういうふうに、北朝鮮を説得しようと思っています。
みなさん方がこういう風に北朝鮮を説得してくださいと言うことではありません。私はこういうふうに北朝鮮を当事者の一人として説得したいと思います。

『拉致問題を早期に解決することは、国益合致するんだ』と、
すなわち、失った、あるいは失墜した、その信用・信頼を回復する道に繋がると言うこと。
あるいは、今深まりつつある、北朝鮮の外交的孤立からの脱却に繋がると言うこと。
更には北朝鮮の貧困に苦しんでいる国民を、これを解放する。
それもこれも、全てですね、拉致問題を認めることが正に北朝鮮の国益になるんだ。
だからもう一度、。解決するもう一度、そういう戦略的決断を、私は金正日さんにやってもらいたいと。

まず、そうさせなければならないと、そういうふうに考えております。
日本のとる道は、日本の政府日本の国民の皆さんが考えることだと思います。

惟、私、ひとつ残念なことは、この3年間、ある程度拉致問題は動きましたけれど、今もって本質的な問題は何一つ解決されておりません。

惟、時間が、むやみに過ぎ去ってまいりました。
もちろん、日本政府は何やって来たんだ。いろいろな議論があると思います。

日本には、衆参合わせて600人以上の国会議員がいるのに、この3年間、誰一人とは言いませんけれど、それほど拉致問題は日本の外交にとって極めて重要なものであり、拉致問題は今すぐに解決する問題と言いながらもですね、誰一人、北朝鮮乗り込んで、そして直談判しようとする政治家がいなかったと言うことが、返す返すも残念極まりないと思います。

(会場から「日本の政治家、政治出来ません!」)

アメリカ、見てください。アメリカは、民主党、与党の共和党問わずに、有名無名問わず、最近もどっかの州知事が、北朝鮮に乗り込んで、『核を認めるわけに行かない』『六カ国協議に無条件で出てこい』『人権弾圧は許さない、人権抑圧する限り、国交正常化はしない』『核放棄の証としてIAEA事務総長の訪朝を受け入れろ』と迫りました。北朝鮮は受け入れました。

日本の政治家はですね、ほとんど動きませんでした、私から言わせれば!

それほど拉致問題の重要性を訴えながらですよ、ゴールデンウイーク、夏休み何処に外国に行くかと言えばアメリカだ、ヨーロッパなんですよね。こんなに。。

それは、二重外交、三重外交という批判もあるでしょう。あるいは『北朝鮮問題は火中の栗を拾うようなものだ。とても、君子危うきに近寄らず、のほうがいい』と、こういうふうに思っているかどうか知りませんが、私には、そういうふうに捉えました。

先日戦後60周年ということで、私は、戦後処理の問題を非常に真剣に考えました。

遺骨の収集もままならない。
北朝鮮への墓参りもままならない。
消息不明の家族の安否、これも60年間、わからないまま。
もし仮に、日本人兵士が、小野田少尉のように今も尚かつ、北朝鮮に抑留されているとしたら、この方々を日本に、祖国に救出しなければならない。
これも又ですね、大事な人権問題。

それを全て解決するためには、まず目の前の、この拉致問題を解決しなければならない。
私はそう言うふうに考えております。

11月3日の日朝実務者協議、ちょっとレベルが低いので、果たしてこれでですね、みなさん方が期待しているように、進展が期待できるかどうか、危ぶまれます。

私は、申し訳ありませんけれど、こう思います。
やっぱり、もう一度、トップ会談です。
極端な話、拉致問題の早期解決に繋がるんだったら、何度もですね、お互い腹を割って、そうして加害者の立場から、拉致被害者の苦痛と悲しみを一日も早く、和らげ、そして救うという、そう言う観点で、隣人、隣国としてお互い、真っ正面から交渉すれば、私はこの問題はですね、そう遠くない時期に、できればですね、年内に解決出来るんじゃないかと。それ以外に方法はないんじゃないかと、こういうふうに思っております。

北朝鮮という国はですね、確かに何をしでかすか?金正日さんが何を考えているか?わからない国だと思いまう。その通りだと思います。

もちろん拉致問題の全面解決のためには、この政権下では無理だ、こういうふうに思われている方が、もうたくさんいらっしゃると思います。しかし、政権の交代レジュームチェンジまで待つというのも、それもまた辛い選択だと思います。

現に、過去2回トップ会談で拉致を認め、そうして少なくても、5人を日本に引き渡し、更にはその子ども達も日本に引き渡した。その事を一歩前進、一歩評価というふうに受け止めるならば、もう一回今度、3度目ですね、3度目の決断を強いる。その為のチャンスを与えても良いんではないかなと、こう思います。

私も頑張ります。私も北朝鮮に対して、日本人を・・・(一部不明)。
『日本政府は、北朝鮮を煮て食おうとか、焼いて食おうなんてことはさらさら無いんだ』と。
『拉致問題さえ解決すれば、北朝鮮の人たちも、子ども達も(救われるの意?)』
『隣人・隣国として、何とか援助してあげたい。これが日本人のですね偽らざる気持ちである』
という正しいメッセージを先方に伝え、そして北朝鮮に、日本国民、特に拉致被害者家族の皆さん方が満足できるようなですね、そういう誠意、回答を示すように、今後も働きかけていきたいという事を申しあげまして私の話を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蓮池 透さん(青梅・2005/10/29)

Photo_26

みなさんこんにちは。
本日はお招き頂きましてまことにありがとうございます。私は、このようなところから皆様に偉そうにお話させていただく身分でも、立場でもございませんが、これだけは日頃から知っておいて頂きたいと言うことがありますので少しだけ時間を頂きたいと、こいうふうに思います。

拉致問題につきましては会場にお越しのみなさま、そして広く国民の皆様の関心を集めご支援を頂いておりますことに、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。
また、皆様のおかげをもちまして、弟家族が帰国できましたこと重ねて御礼申し上げたいと思います

しかし(強く)、5人が日本に帰ってきたとき「自分たちだけ帰ってきて忍びない」ということをいっておりました。3年たって今も、その気持ちにはいささかの変わりもないというふうに思っております。

彼らも、彼らの家族も、私たちも、めぐみちゃんたち、まだ帰ってこられない方が帰ってこない限り、心の底から喜びに浸ることは出来ません。

さて、うちの弟夫婦やめぐみちゃんが北朝鮮に拉致されましてから、四半世紀という時間が、流れました。四半世紀と言えばオリンピック六回分です。生まれた子供が成長して、ばりばり働き出す年月に相当します。しかし未だに、この拉致問題は解決しておりません。
これほど長きにわたって、日本人の人権が侵害され続けています。

昭和53年の7月31日、弟たちは拉致されました。
若者がデートし、お年寄りが散歩する、そして子ども達が水遊びをする、誰もが行くような海岸で、不法侵入してきた北朝鮮の工作員の手によって暴力的に拉致されました。
これ以上の人権蹂躙、凶悪犯罪、国家主権侵害、国家テロというのはないと思います。
と言うことは他のどなたにも拉致される危険性があったということではないでしょうか。

そしてその状況はわが国において継続している可能性があるかもしれません。
もしみなさま、みなさまのご親族が拉致されたとしたら、みなさまが日本国民である限り、私たちとおなじめにあうのは間違いないというふうに思います。

弟たちは自分たちがどのように拉致されたかというのは、当初は余り語ろうとしませんでしたが、ようやく重い口を開きました。その中で、妻の祐木子は『ガムテープで体中をぐるぐる巻きにされてボートに乗せられた。ガムテープの隙間から故郷の柏崎がどんどん、どんどん小さくなっていくのが見えた。』という言葉には、私は心を引き裂かれる思いがしました。いったいどういう気持ちで連れ去られたのか、到底、私達には想像ができません。
北朝鮮で24年間、祖国日本に帰るという究極の自由を剥奪され、わずかに与えられた自由らしきものの中、希望のない、全くの不毛な暮らしを強いられてきたのです。

弟は言っています。『北では自分の意思で動いたことなど、一回もない。まったく自由がなかった。』と。
『会いたい人に会いたいときに会える。いきたいところにいける。好きなように自由にそういうことができる。兄貴にとっては平凡なことかもしれないけど、われわれにとってはそれが一番の幸福なんだ。日本に帰ってきて一番幸せなのはそれだ。』と言いました。
それほどまでに彼らはぎりぎりの生活をしてきたのです。
まさに、サバイバル生活です。

そして、まだ、同じ想いを持って、同じ状況で生活している拉致された日本人とその家族が大勢いることを忘れてはならないと思います。

一度だけ弟に聞いたことがあります。まだ子供たちが帰っていない状況の中で、『今、日本で暮らしている、生き甲斐は何だ』 と。
弟は、『兄貴、そんな酷な事、聞くなよ』と言ったあとで、『そんなもん、ねぇよ』と言いました。『でもな、兄貴、俺たちはなぁ、絶対くじけないんだ。何事があってもくじけないというのが、24年間で身に染み付いてしまったんだ。』ということを、私に、怒るように言いました。
私はそのようになってしまった弟を不憫に思うと同時に、なんてつまらない質問をしてしまったんだと、後悔しました。
そして弟の24年間の生活など、自分には決してわからないと思いました。実際にそういう目にあった人間でなければわからない。それを簡単に理解できるなどということをいったら、彼らに失礼だというふうに思うようになりました。

さきほど横田さんからも話がありましたが、この拉致問題、拉致事件というのは、憲法にも詠われ、国際条約にも規定されている人権問題です。四半世紀以上にわたって、人権が侵害され続けているのです。世の人権を標榜する専門家の方々は、なぜ声高に『日本人の人権を守れ』と仰って頂けないのでしょう?
不思議でなりません。

本日は、関係者の方々がみえていらっしゃいますが、人権擁護局、人権、人道家という看板を掲げている、法務省、外務省、その責任のもとに、その職務を全うしていただきたいというふうに、私は思います。

「基本的人権の保障」などということがよく言われますが、私はそういう言葉を聞くと、むなしさを感じます。
果たして、この国において、「基本的人権の保障」などあるのか。こと、拉致問題については存在するのでしょうか?誰がそれを保証してくれるのでしょう?四半世紀以上、帰りを待ち続けて、家族はみんなそう思っていると思います。

うちの弟は決して裕福とは言えませんが、普通の家庭に次男として生まれました。
確かに、小学校時代、交通事故にあい、両足切断の危機に瀕したことがございましたけれども、それも克服して、中学校時代には野球部のキャプテンをするようになりました。
そのようにして、立派に成長して幸福な時を送っていたと思います、あの忌まわしい昭和53年7月31日の夕方までは。

弟の姿が見えなくなった、その時の気持ちは一言ではあらわせません。
悲しみ、苦しみ、諦め、悔しさ、怒り いろいろな気持ちが、私達の心の中で渦巻いていました。

「基本的人権」というのは、何事にも犯されることのない生命、自由、幸福を追求する権利です。

拉致された人間は、その権利を一瞬のうちにすべて奪い取られました。

北朝鮮による日本人拉致は、基本的人権侵害の極みです。
そして、何事にも犯されることのない権利が、他国によって侵されているわけですから、これは、国家主権の侵害です。
さきほども言いましたが、到底許すことのできない凶悪犯罪であり、国家テロであります。

基本的人権を保障するのは国家の役割であります。
日本国憲法は拉致問題に関していえば、専守されていないのではないでしょうか?
私はそう言うようなことをする北朝鮮という国家を許すことができませんし、まだ解決できない、この国家の責任というのは甚大だというふうに考えております。

三年前の9月17日に、小泉総理が金正日総書記と日朝首脳会談をおこないました。拉致問題がやっと、事実だと言うことが世間に知れ渡ったときです。
それ以前は「でっち上げ」だの「疑惑」などいわれ、ひどいときには署名活動をやっている、横田めぐみちゃんの写真の看板が蹴飛ばされたりしたときもありました。

われわれは、「これで国家の対応も変わるだろう」、「新たなスタートだ」と思ったわけですが、ご覧のとおり5人とその家族が帰国しただけで、他の方々の問題は3年前と全く変わっておりません。中には後退させようとするような政治家や官僚がいるほどです。

日朝首脳会談に望んだ時に、小泉総理の頭の中に、横田めぐみちゃんという名前があったのかどうか?あの平壌宣言にサインするときは、どうだったのでしょうか?

考えても見てください。もし日本で、国内で、13歳の少女が誘拐されて、それが死んだといわれ、犯人が目の前にいたら、みなさんどうされますか?
誰だって怒ると思います。
私は(もう3年前の話はするなと言われるかもしれませんが)、あのときにもっと、日本国家として怒りを示して欲しかったです。非常にあの時は残念に思いました。

今考えて見ますと、3年前の、9月17日に、あの北朝鮮が拉致を認め、謝罪した。これはひょっとすると、日本と北朝鮮が結託して、あの一日で拉致問題を終わらせ、封じ込めようとしたのではないかというふうに思っております。

<5人生存8人死亡>という情報は、北朝鮮が言った情報です。
それを、まぁ、生存は別にして、8人死亡という裏も何もとらずに、確認もせずに、やれ謝罪だの、やれ援助だのという、平壌宣言にサインしてしまったんです。

小泉総理はあのときに<5人生存8人死亡>という、それぞれの人間の名前が、頭の中にあったのでしょうか?5対8というただ数字の十把一絡げだったのではないでしょうか?
そこには、拉致された人々の人権や人格や尊厳などは、まったく存在しなかったのだというふうに思います。

北朝鮮からの伝聞情報を日本政府は、われわれをマスコミから隔離して、家族に断定的に伝えました。まず最初に横田さんご一家が、外務省の施設で、個室に呼ばれて、『非常に残念だが、めぐみちゃんは亡くなった。』とはっきり断定、断言、日本政府はしたのです。
つまり、5人は生きている。しかし、北朝鮮が良いといっている。だから会いたければ、日本から北朝鮮に行きなさい。

事実帰ってきた5人は、帰ってきたばかりの時は、北を礼賛ばかりしていました。会う日と会う人に、「北に来い。北に来い。」 と言っておりました。

それでは、死亡したと言われる8人はどうする?
政府が家族に断定的に伝える。
つまり「葬式を出してあげなさい」「まことに残念だが、いつなくなったか、どういう原因でなくなったか、わからないけれど、とにかく亡くなったんだ、だから葬式をだしてやりなさい」と。

マスコミも何の裏もとらずに、号外まで出しました。
家族会ではなくて遺族会になってしまいました。
そしてあるテレビキャスターは『横田めぐみさんのご冥福をお祈ります』とまで、テレビで言いました。
金正日に盲従する北朝鮮国家ならいざしらず、お上が「お前の娘、息子が死んでる」と言って、信じる方がおかしいと、私は思います。

そういう幼稚で、誰でも信じないような、誰も信じないようなシナリオを書いて、家族を黙らせることができるというふうに思っていたら、間違いだと思います。

これで拉致問題は、たぶん、北と、どっかわかりませんが、外務省の一部人間=日朝国交正常化こそが最大の国益だというふうに、我々と根本的に価値観の違いを持ってる人が、考えたんでしょうがまぁ、そういうシナリオはまさに崩れた。

金正日は、次の手に出てきました五人を一時帰国させて、家族を北朝鮮に呼ぼうと。それも失敗に終わりました。外務省は言っていました。『2週間をめどに返してくれ』と。いわば約束破りです。そういうボタンの賭け違いがその後の交渉を膠着させた原因だというふうに、私は思っています。

これは北朝鮮の犯した犯罪ですから、交渉とか協議ではないのです。
「日本人を返せ」と要求しなければならないのです。

一年経って、ようやく日朝審議官級の協議が始まろうとしています。
日本政府に戦略があるのでしょうか?また間違った国益を重んじている外務官僚がいないとも限りません。

日本政府にきちんとした戦略があるのでしょうか?

弟たちは知りうる限りの情報を提供しています。
国はその情報をよく分析、解析して、アメリカあるいは韓国、中国から情報を収集して、<拉致被害者が今北朝鮮内の何処にいるの><どういう生活をしているのかとか>いうところまで確認した上で北朝鮮側に、「ここにこうやっているからこの人を帰せ」というようにしておかなければならないのです。

本当に、今回が正念場だといふうに、私は、思っています。

今までの北の謀略、いや、日本も絡んでいたかもしれません。
そういう狂ったシナリオは、みなさまの大きな声でのおかげで、みごとに崩れました。
もしそれがなければ、今頃、日朝国交正常化がなって、莫大な援助金が北朝鮮に渡っていた可能性も、あります。

今までは、北朝鮮に対して「これをあげるから、何かを出して」というやり方で、米をどんどん送り続けました。
従ってイニシアチブ主導権は全て北朝鮮に握られていた。

そうではなくて、主導権を日本側が握って、「これを出さなければ、われわれは何も出さない。」「これを出せば、これをあげるよ。」「これをださなければ、制裁だ」と。

全知全能にかけて、戦略を、私は、練ってほしい。
 
何事にもくじけないと言っている弟たちに負けないように、我々も頑張っていきたいと思いますので、皆さんも是非、政府、外務省の行動、言動を、冷徹に見守っていただきたいと願ってやみません。

ご静聴ありがとうございました。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2005年10月23日 (日)

10/23個人日記

大介さんがいらしていると聞いたので、エコーくんと大介さんに会いたくて、上野に駆けつけました。すれ違いで残念。大介さんPCの調子はどうですか?

秋晴れの上野は人出も多く、人々は明るい表情で行き交っていました。
昨日の群馬の集会のこと、福島での早紀江さんのことばを伝えようと思いました。

真剣に心配してくださるご婦人、日本語を勉強しているフランス人の方が、熱心に話を聞いてくださいました。(カタコト)

昨日の群馬の集会の写真をいただきました。450の定員に立ち見もでるほど集まったとのこと。
交通がけして便利とはいえないところにこんなに多くの方が集まってくださってほんとうによかったですね。

最後に歌われたビリーブの歌詞の一部

今未来の扉を開けるとき、悲しみや苦しみが

いつの日か喜びに変わるだろう

アイ ビリーブ イン フューチャー 信じてる


   



お二人も、歌っている小中学生も涙を流していたそうです。
>いつの日か喜びに変わるだろう
という歌詞をきっとご自分の気持ちに置き換えて聞いていらしたと想像します。
参加なさった方は『合唱の指揮をしていた中学生が、制服姿の女子で、その姿にめぐみさんがダブってしまいました。』とレポートを送ってくださいました。

必ず喜びの日がくるように、私達も支援してなくてはなりませんね。
はがき、メールのご協力をお願いします。
(金木犀)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月22日 (土)

枚方集会写真

大阪から、写真が届きました。
22日大阪ブルーリボンの会枚方集会の模様です。
1000人の参加、とても良い集会だったとのレポートもありました。
集会の最初には、座り込みの映像が流されたそうです。(チャンネル桜提供)

大阪のみなさん、準備期間を含めて本当にご苦労様でした。
写真をありがとう!

すばらしい集会をが更なる支援の仲間を増やすことになりますね。

新たに49名のボランティア希望者もあったそうです。
広がりを感じてとても嬉しい気持です。


  









| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月20日 (木)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会1

『佐藤勝巳 救う会会長の挨拶』


皆さん、こんばんは。(こんばんはの声)
お忙しい所お集まりいただきましてありがとうございます。
それから韓国から、私たちの集会の為に3団体の代表のご参加いただきましてありがとうございます。
拉致の問題は、実は日本よりも韓国のほうが多いわけですよ。
500名近いくらいですから。
なぜか韓国政府は余り拉致解決には積極的ではないわけですが。
私たちは日本人の拉致救出だけではなくて、韓国の拉致被害者これも同じですから。
一緒に手を携えて闘って行きたい。
いうことで、今晩このような集会を催しました。
遠い所、大変ありがとうございました。(拍手)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会2

『横田滋 家族会代表の挨拶』


皆様こんばんは。(こんばんはの声)
拉致された家族の気持ちと言うのは、国を問わずに全く同じと思います。
私たちの国では大勢の方がこうやって支援してくださっているんですが、これからお話があると思いますが、韓国ではあまりそういった一般の支援が少ないということで、やはり韓国の世論も何とか日本と同じように盛り上げて、救出運動が盛んになることを望んでおります。
私たちが先日福島に言った時、やはり「韓国の拉致はどうなったんですか?」と言うことを質問がありました。
それに対して崔(祐英)さんが何回も日本に来て訴えてくださっているわけですけども、それはかなり浸透して来ていると思います。
それでもまだまだ知られていない部分もありますので、今日はどんなお話が聴けるのか楽しみにしておりますけども、我々も一緒に手を携えてこれからも闘っていきたいと思っていますので、これからもご支援よろしくお願いします。(拍手)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会3

『崔成龍(チェ・ソンヨン) 拉北者家族の会代表のお話(通訳・西岡力氏)』


ありがとうございます。

私は韓国における拉致問題への関心が日本の10分の1でもあってくれれば、もう少し力を得る事が出来るのになぁと思っています。
1993年に初めて韓国政府が、北朝鮮の韓国国内に入ってきたスパイ・非転向長期囚を人道問題だといって北に送り返した時、リ・インモウと言う老人を一人北に送ったんですが。
その時実は私は、私の娘二人と妻と一緒に4人で板門店まで行きましてプラカードを持って、「なぜ非転向長期囚、つまりスパイを北に送り返すのに、うちの拉致されたお父さんは返してくれないのか?」というデモンストレーションをしました。

その時から私は色々北朝鮮の中にラインを使いながら、うちの父の生死を確認しなくちゃならないという作業を始めました。
その中で2000年の4月に韓国の拉致被害者が初めて自力で脱北しました。
その時私は秘密に中国へ行きまして、朝鮮日報の記者とSBSという放送の記者を二人連れて行って、自力で脱北した拉致被害者に会いに行って来たんです。
自分のお父さんに会うような気持ちでした。
ところがわが国・韓国政府は丁度2000年、太陽政策を金大中政権が始めたときでした。
自力で拉致被害者が逃げてきて救出を求めたのに、その救出を拒否したのです。

恥ずかしい話ではありますが、その拉致被害者が韓国のチンタオの領事に「私を韓国に帰らせてください」と頼んだ時に、「国に迷惑をかけるな」と「お前は韓国に税金を払った事があるのか?」と。
そのような事を私の目の前で話しているのを見て、大変私も興奮しました。
それで私とその朝鮮日報の記者とが秘密にその拉致被害者を北京まで連れて行きまして、北京の韓国大使館に行って、そして「この人を帰国させろ」と。
「そうしなければ、先ほど言ったチンタオでの領事とのやり取りを朝鮮日報に大きく書くぞ」と言って圧力をかけて、そしてやっと帰国する事ができたんです。

その拉致被害者の人の証言によって、非公開で秘密に70~80人くらいの拉致被害者の生死確認をいたしました。
その時韓国政府が公式に発表していた拉致被害者の数は454人でした。
その帰国した人の証言を元に追加で31人の認定が行われ、そしてまたもう一つ新しくキム・ドンシク牧師の拉致事件が起きたのでそれを会わせて32を足して、今486という認定数になっているわけです。
一人の人の脱出が成功した事によって韓国国民が拉致問題について大きな関心を持つようになり、また多くの情報を得る事が出来て、そのあと私はその情報を元に3人を脱出させ韓国まで帰国させました。
合計4人を助け出した事になります。
その結果ですね。
新しい拉致被害者についての情報を入手する事が出来て、約50人の韓国政府に認定されていない拉致被害者がいることが分かりまして、韓国政府に対しても証拠をつけて認定を要求しているわけですけども、まだ認定はされていませんが。
ですから大体合計530人くらいになるんではないか?と今は考えています。

我々拉致被害者の家族の悲しみは、もちろん家族が拉致されたと言う悲しさ・苦しみがあるわけですけれども、もう一つの悔しさは実はこの間、拉致被害者の家族が韓国政府に監視の下に置かれていたと言う事であります。
韓国政府は助け出す事ができる人がいるにも関らず、助け出そうという努力をしていないと言う状況であります。
ひとりでも助け出そうとしていないと。
しかし私たちの団体・家族会やあるいは市民団体などと協力しながら、自分達の力で何とか救出をしようと今努力している所であります。

実は今韓国政府は、金正日国防委員長の指示に従っているような状態であります。
先ほど言った非転向長期囚、ゲリラやスパイを金正日委員長の指示に従って北に送り返し、また今カン・ジョング教授の発言の問題などでも韓国政府は金正日委員長の指示に従って動いているような状況で、大変嘆かわしいと思っています。
日本の拉致問題の進展状況を見ている私たちの気持ち、特に日本の総理が平壌まで行って金正日に会って、無いと言っていた・でたらめだと言っていた日本人拉致を認めさせて5人を帰国させた。
そのような状況を見ている私たちの気持ちをご存知でしょうか?
韓国人拉致被害者の帰国や生死確認も金正日委員長が指示をして初めてできることなのに、その事の実現までにはまだまだたくさんの障害がある。
遠い将来の事ではないかと思っています。

私の母は今年の8月19日、父の生死確認さえ出来ていない状態の中で亡くなりました。
金正日委員長が小泉総理に会って、「なぜ家族が離れて過ごさなくちゃならないのか」と言って拉致被害者の家族を日本に送り返したのを見て、その言葉を聞いて。
わが同胞である金正日委員長が日本人に対してはそのような事をいうのに、韓国人拉致被害者の問題はなぜ解決できないのか?と。
実は北朝鮮はいまだに韓国人拉致被害者については、越北したと、自分で北に入ったと言う事を言い続けているわけですが。

私は5年前から北朝鮮のテロに遭うと、そのような警告を何回も受けてきました。
被害者の救出活動をしてきたからです。
そして今年の9月になって、公式に韓国の情報機関から韓国内でもテロに遭う危険があると言う通報を受けました。
韓国の市民団体や政治家の人が韓国政府に抗議してくれた結果、今は韓国国内で警察の警護を受けている状態です。
しかし私はここで皆さんに言いたいのです。
もしも私が北朝鮮のテロに遭って殺される事で韓国人拉致問題の解決に助けになるのならば、私は殺されたいと。
そのような気持ちでおります。

ありがとうございます。(拍手)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会4

『崔祐英(チェ・ウヨン) 拉北者協議会会長のお話(通訳・西岡力氏)』


(日本語で)みなさま、はじめまして。

(以下西岡氏による通訳)皆さんこんにちは。
私は、1987年1月15日韓国の西の海(=黄海の事)のペニョン(白○、○=令+羽)島と言う島の近くで、漁業操業中に拉致されましたトンジン号(東進号=正確には、「東進27号」)と言う漁船の漁労長・崔宗錫(チェ・ジョンソク)の娘、崔祐英です。
お忙しい中、日本人の拉致問題ではなく韓国人の拉致問題の為に、このようにお集まりいただいた皆さんに心からの感謝を捧げたいと思います。
また私どもを招待してくれた家族会の横田滋代表、救う会の佐藤勝巳会長に心からの感謝を捧げたいと思います。

私の父は87年の1月に拉致された時、北朝鮮はその年の2月に返すと通報してきました。
私たち家族は父が帰ってくる日を指折り数えて待っていたのですが、突然韓国政府から南北間の間に問題が起きて、あなたたちのお父さんは帰ってくることが出来なくなったという通報を受けたのです。
その時私は高校一年生、私の弟は小学校五年生でした。
愛するお父さんを一番必要としていたそのような歳に、私たち姉弟は金正日によって愛する父を奪われたのです。
父が拉致された後、精神的なそして物質的な大黒柱であった父がいなくなったために、私たち家族は経済的にまた精神的に大変な苦痛を受けざるを得ませんでした。
私たち姉弟はまだ小さかったので、母が食堂の仕事をすることになりました。

日本とは違い韓国では、拉致被害者家族と言う単語を使うことさえ憚られるような状況が一時期あったのです。
拉致被害者の家族は共産主義者・アカの家族だと思われるために、私の一番親しい親友にも自分の父の事を真実を話すことができないままでした。
そこで友達同士で自分の父親の話が出たときは、私は自分の父が拉致される前に自分にしてくれたことを思い出しながら、想像の世界で自分の父はこんな事をしてくれてるのよと言って過ごしました。

そうして過ごしていた時、偶然1998年新聞を通じてうちの父が、北朝鮮の政治犯収容所に入れられているという衝撃的な事実を知ったのです。
信じる事ができませんでした。
信じられませんでした。
探しに探した、会いたくてたまらないうちの父が、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所よりももっと酷いと言われている北朝鮮の政治犯収容所に入れられているなんて事実を、信じる事はできなかったのです。

北朝鮮の状況をその後色々知るようになって、実は父が私たちを愛しているならなんで北から逃げて会いに来てくれなかったのか?と恨んでいたんですが、そんなことが出来るような状況ではなかったんだと言う事が分かって、こちらの方が父を探す努力をしなかったことについて申し訳ないと思うようになりました。
その中で偶然日本人の大学教授に会ったのです。
その大学教授は私たちの苦しい状況を知って、南に来ている脱北者を私たちに一人ずつ会わせてくれました。
そしてそうする中で実は日本にも私たちと同じような苦しみの中にいる被害者家族がいるという事実を知り、そして日本まで来て集会で訴えるという事をするようになったのです。

韓国の中で私たちと同じような状況で苦しんでいる。
家族に会うことが出来ない状況の中で、遠くて近い国といわれていた日本に私たちと同じように拉致で苦しんでいる横田めぐみさんのお父さんお母さん。
そして増元るみ子さんのご家族、それ以外の家族会の方と会うことが出来たのです。
韓国で拉致被害者家族会を作った時の状況、ただお父さんを助けたいと思っていることを訴えるには韓国の状況は容易ではありませんでした。
その時、日本の救う会の皆さん方が一年に一回、日本の国民大集会に私を必ず呼んでくださって、韓国人拉致救出を訴える場所を提供してくださり、また日本の国民の皆さんも多くの励ましを私に下さいました。

99年から2005年、今年まで6年が経ちました。
私はこの間、日本の国民の皆さんから多くの愛を受けました。
日本の学生が千羽鶴を折って私に贈って来てくれたり、頑張れというメッセージが来たり、あるいは日本国民で拉致問題に関心のある方が、なんで韓国人拉致問題はこんなに進展しないのか?と一緒に悩んでくださったりしました。
ここにいらっしゃる日本の家族会の皆さんと、6年間多くの思い出があります。
最近の思い出は横田滋さん、実は私のお父さんの代わりのお父さんなんです。
私はお父さんが拉致されたので、横田滋さんをお父さんと呼んでいるんです。
横田滋さんは私のことを娘と呼んでくださっています。

ちょっと前に日本に来た時にですね。
私が韓国に帰る前、空港まで滋さんが送って来て下さって、一緒にショッピングをしました。
私の滋お父さんが可愛い洋服を選んでくれました。
18年ぶりに私はお父さんから贈り物を貰いました。
私は遠慮を何回もしたんですが、しかしお父さんはめぐみさんが帰ってくるまでは、私はあなたのお父さんであるからといって、可愛い洋服を選んでくれました。

10月5日、めぐみさんの41回目の誕生日でした。
その時実は私たちは韓国政府の統一部の建物の前で、非転向長期囚を北朝鮮に送るなと言うデモをやっていました。
日本のNHKではめぐみさんの誕生日をニュースにして流し救出を訴えているのを見ましたが、その同じ日に韓国政府は拉致被害者が帰って来ていないのに、再び北朝鮮の工作員を一方的に北朝鮮に送り返そうとしている。
それに対する抗議のデモ行進を私たちはしていたのです。

しかし私はこの無能な政府の為に私の父を奪われましたが、しかし私は我が国を愛しています。
ですから私はいつか必ず韓国政府と韓国国民の力で拉致被害者が帰国でき、また生死確認が出来る事を信じて祈っております。
その時まで国籍は違いますけれども、日本人拉致被害者救出と共に韓国人拉致被害者の救出もぜひ一緒に取り組んでいただきたいと思っております。
希望を捨てないで最後まで頑張りたいと思っています。

ありがとうございました。(拍手)
・・・・・・・・・・
11月2日PM15:50分 一部修正済み

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会5

『都希侖(ド・ヒンユン) 拉・脱北人権連帯事務局長のお話(通訳・西岡力氏)


皆さん、こんばんは。
私は、私たちを招待してくださいました救う会のような、韓国で家族を助ける支援活動をしております団体の事務総長をしています、都希侖です。
平日の夜と言うお忙しい時間の中にも関らずたくさんの人が集まってくださり、韓国人拉致を訴える機会を作ってくださった事に、本当に身の置き所の無いくらい感謝しており、私どもも日本人拉致問題についてもっと積極的に取り組もうという覚悟を新しくしております。

今日の公式の日程が終わった後、私どもは明日、午前11時に朝鮮総連本部を訪問する計画を持っております。
その朝鮮総連を訪問する理由は、他でもなくここにいらっしゃっている崔成龍、崔祐英さんたちの家族、韓国人拉致被害者の名簿を持って、朝鮮総連の関係者に会って朝鮮総連が韓国人拉致被害者の救出の為に立ち上がって欲しいという話をしに行こうと思っています。

朝鮮総連の人たちは大変恵まれている人たちだと私たちは思っています。
北朝鮮で飢えと寒さに苦しんでいる人民に比べて、このような日本と言う世界で2番目の経済大国、アメリカの次の税経済大国で豊かな生活をすることが出来る。
そういう中で人権について正しい理解を持つ事が出来る状況であると思っておりますので、拉致問題について協力をして下さるという期待を持って行きたいと思っています。
私たちが望む成果が上がるように、ここにいる皆様がまたマスコミの関係者が、韓国人拉致についても関心を持っていただければありがたい事だと思っております。

今中国でもう一つの悲劇が起きております。
というのは、脱北して韓国へ来て、韓国で定着をして生活をし始めた脱北者のかなり多くの人たちが、実は中国に入り色々な活動をしているのですが、その人たちが北朝鮮に襲われて拉致されている。
脱北者は中国で合法的な身分を持っていないので、大変苦しい隠れた生活をしているんですが。
その人たちが大韓民国へ来て自由な大韓民国の国民になって、堂々たる身分を持って中国へ入って自由な活動をしたいと。
そういう希望を持って中国へ行くわけです。
なぜこのような話をするかと言いますと、拉致と言うのは日本人拉致が盛んに行われた70年代後半、韓国では漁船の拿捕拉致が行われた60年代70年代80年代だけではなくて、今もこの現在も現在進行形で行われている。
中国やその他の地域で行われていると言う事を申し上げたいからです。

私たちが入手した情報によりますと、清津にあります咸鏡南道(ハムギョンナムド)の道保衛部、韓国人を含む数十人の脱北者あるいは韓国人を拉致して収容していると言う情報をつかんでいます。
これについては韓国だけでなく日本も国際社会も、もっと関心を持つべきではないかと思います。
つまりその清津の道保衛部にいるのは、一度脱北して韓国のパスポートを持って中国へ行って拉致された人と、それから元々の脱北した人じゃなく韓国人も含まれている、拉致されている。
中国で活動している人が収容されている。
それが数十人いると言う情報ですが、その人たちを助ける為にもっと関心を持たなければいけない。
この問題について私たちは今崔成龍代表とも協力しながら、より確実な情報を集めている最中であります。
確実な情報を確保した段階で、日本をはじめとする国際社会にも強く訴えていきたいと思っています。

支援団体から見ての拉致問題、韓国と日本では明らかな違いがあると思います。
韓国は拉致問題の解決において、初めのボタンを掛け間違えたということです。
それに比べて日本の指導部は初めのボタンを正しく掛けたと思います。
北朝鮮が色々な困難があるにも拘らず、日本人拉致を認めた理由はなんでしょうか?
彼らが日本との国交を回復する事によって経済的な利益を得ようとしたことについては、ここに居る皆が知っている事実だと思います。

ところが我が国・韓国政府は2000年の6月の南北首脳会談、その後の多大な北朝鮮に対する経済支援をしてくる中で、ただの一度もこの経済支援を拉致被害者救出と交換するという、その条件として用いた事がなかったということです。
今後いろんな議論・論議があるかと思いますが、支援団体の立場で見るならば、拉致被害者救出のためには北朝鮮に対する経済制裁が最も効果的な手段であると考えています。
支援団体の立場としてはもちろんいろんな論議があるかもしれませんが、私たちは経済制裁を日本の家族会・救う会が強く求めていく事を支援したいと思いますし、私たちも韓国で経済制裁を日本が発動するように求め、また実現するように求めていきたいと思います。

最後に我が東北アジアの安定と平和は、日本人拉致被害者が全員家族の元に帰って来、また韓国人拉致被害者が家族の元に皆自由に帰ってくる事ができて、初めて実現するんだろうと信じております。
拉致の責任者である金正日政権がその再発防止をきちんと約束し、そしてテロをやめる。
そのようなことになるように、日韓の連帯をより強めていく事、それをこの場を借りて約束したいと思います。
とにかく帰国したら、日本人拉致問題の情報収集にも全力を尽くしたいと思っております。
韓国人も拉致されておりますが、我が同じ同胞である北朝鮮によって、皆さん方の同胞・日本人が拉致されている事について、我々としても早く解決できるように情報収集を強めたいと思います。

ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会6

『西岡力 救う会副会長のお話 その1』



韓国人の拉致の状況について、実は私扶桑社と言うところから、最近「韓国分裂」と言う本を出したんですが。
この中で1章ですね。
「第4章 見捨てられてきた韓国人拉致」という章を設けておりまして、そこで内容を書いてありますのでぜひ参考にしていただければと思います。

実は韓国人拉致について私たちが取り上げるのは今日だけではなくて、11月23日にもう一度またやろうと思っています。
韓国人拉致は先ほど平田事務局長が司会の中で話されたんですが、二つの側面、あるいは二つの部分に分かれておりまして、
一つは朝鮮戦争中に起きた民間人の拉致の問題があります。
韓国政府が戦争中に作った名簿によると82.959人の民間人が拉致されて、未だにその大部分が生死確認も出来ないままであります。
その朝鮮戦争中の拉致についてはやはり別の家族会がありまして。
朝鮮戦争中の拉致の家族会には11月の23日に来ていただいて、そこでお話を聞くことになっておりますので、ぜひご関心を持ってお集まりをいただく事をお願いしたいと思います。

そして実はもう一つ問題がありまして、先ほど崔成龍代表のお話の中で捕虜の問題が出たんですが
民間人の拉致とは別に韓国軍の軍人が捕虜になって、そしてそのまま抑留されているという人たちがいます。
何人かの人たちは自力で脱出して韓国に帰ってきているんですが、その人たちも自由に帰りたいのに帰れないと言う点では同じ性格があるんですが。
つまり朝鮮戦争中に北朝鮮は民間人を、軍人ではなくて民間人を自分達の必要に応じて拉致したと。
そして韓国人の捕虜を戦争が休戦になっているにも拘らず開放しないで、捕虜はいないと嘘をついている。
いう戦争犯罪をしてきたわけですが、その後、休戦後に韓国人拉致が続いたわけです。

主として漁業操業中に拿捕されてそして北朝鮮に連れて行かれて、大部分の船員は戻ってくる事が出来るんですが、何人かの人たちは彼らの必要に応じてスパイとして使おうとか。
あるいは情報を得るとか。
そのような為に残される。
拿捕と言うのは分かりますから、何人かの人は帰ってくるわけですから。
で、返さない人をどういう理由をつけて返さないか?と言うと、例えば崔祐英さんのお父さんは韓国のテレビに出て「私は韓国政府のスパイでした」と。
そういうような話をさせられてそして「今、自分の意思で北朝鮮に残ります」と。
と言うようなことを言わされてそのまま残されるんです。
寺越さんのタイプに似ている拉致で、(北朝鮮に)いる事は分かっていると言うタイプのものが多いです。

しかし、それ以外にですね。
日本人拉致と同じようなケースで、まず70年代の後半に、5人の高校生が海岸でキャンプをしていて、いなくなったと言う事件がありまして。
3ヶ所で別々にしていたんですが、全く消息が分からなかったんです。
これは横田めぐみさんたちと同じ、あるいは増元るみ子さんたちと同じケースなんですが。
海岸に侵入した工作員によって暴力的に拉致されて北朝鮮に連れて行かれて、めぐみさんたちが目撃されている所と同じ金正日政治軍事大学でスパイが韓国人に化ける、韓国人化教育の教師をさせられている。

この5人については実は安明進さんが証言をしていまして。
安明進さんは韓国に潜入するスパイだったんですね。
で、韓国に入るためには韓国人に化ける訓練を受けなくちゃいけない。
その時の先生だったんです。
安さん以外の何人かの先輩たちの証言もあって、その5人が拉致されていると言う事が分かったんですが。

それ以外に日本の有本さんのケースのように留学中に拉致をされる。
あるいは旅行中に拉致をされる、と言うケースがあり。
それから日本ではちょっと無いんですが、国内線の飛行機がハイジャックされて北朝鮮に連れて行かれて、そしてそのままスチュワーデスなどが帰って来れないで、というそういう拉致もあります。
そのスチュワーデスの人たちは、実は韓国に向けて送られて来ている謀略ラジオ放送のアナウンサーとして仕事をしている。
言う事が分かってきたりしています。

しかし韓国人拉致について先ほど言いましたように、大多数の漁船の拉致のケースの場合、スパイとして使うと言う目的が一つありまして、実際に北朝鮮でスパイとしての訓練を受けて韓国に戻ってきたケースも全くゼロではないんです。
それで韓国政府は拉致被害者家族を、つまり先ほど崔祐英さんが言ったように、監視の対象にしているわけです。
スパイとなって戻ってきたら、まず家族の元に現れて協力を求めるだろう。
家族に匿ってもらうだろう。
だから家族がどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?全部チェックをする。
あるいは家族が軍の高官になったりとか、政府の高官になったりとかを連座制で防ぐ。
就職差別もあったということですね。

あるいは戻ってきた人たち、拿捕されて使えないという人たちが戻ってきたりしますよね?
その人たちに対して、本当はスパイとして戻ってきたんだろうと疑いをかけて、拷問をするとか。
そういう事も報告をされています。
それは実際に韓国と言う国に北朝鮮がたくさんのスパイを入れて、テロを行ってたんです。
大統領夫人が実際北朝鮮のテロで殺されましたし、それ以外にもたくさんの政治工作が行われていて、韓国の中では実は冷戦時代も戦争が戦われていたと。
そういう厳しい状況の中で拉致があり拉致被害者の家族が監視を受けたりしていたと、いう状況があったわけです。
韓国の先ほど話がありましたように拉致被害者の人たちは、拉致をされて苦しみを受ける事と、もう一つは拉致をされた後拉致被害者の家族となった事で、苦しみを受けると言う二重の苦しみを受けてきたわけです。

しかしそういう中でですね。
1994年にアムネスティーインターナショナルと言う組織が、北朝鮮にいる政治犯のリストを発表したんですが、その中に11人が韓国出身者です。
もちろんその中には自分で出北朝鮮に渡ったと言う人もいるんですが、確実に拉致被害者だと思われる人が一人含まれているんです。
1978年にノルウェーでいなくなった高校の先生。
コウさんと言う人ですが、ここで韓国のマスコミは国際機関が報道したもんですから、大きく拉致問題を94年の7月に報道したんです。
金泳三大統領も政府が総力を上げてコウさんを始めとする拉致被害者を救出しなければならないと、言う姿勢を見せたんです。
そしたらば北朝鮮はそのコウさんを北朝鮮のテレビに出して「私は拉致されたんじゃなくて自分で北朝鮮に、来たんだ」と。
「収容所なんかには入ってなくて、結婚して幸せに暮らしている」と、言わせたんですね。

実はそのコウさんには奥さんがいて子供もいたんですが、その奥さんがそのテレビを見て自分は捨てられたと思って自殺してしまうと言う悲劇も起きたんです。
これが94年ですけども、95年に韓国政府は北朝鮮に対してコメ支援を実施する。
日本が実施した時に韓国もやるんですが、その時韓国政府は日本と同じように一方的にコメ支援をして、拉致解決を条件にしなかった。
金泳三大統領も拉致を解決せよと命令はしたんですけども、コメ支援をしたときにその事を北朝鮮に要求しなかった。
その次に97年に韓国で、先ほど言った5人のスパイ教官をさせられている拉致被害者がいる。
海岸から拉致された高校生だと言う記事が出るわけです。

これは休戦ラインを超えて亡命したアン某氏によるとと書かれているんですが、安明進さんのことなんですね。
97年の12月の朝鮮日報にその記事が出るんですが。
つまりめぐみさんが拉致された77年にふたり、78年に3人の高校生が拉致されていると言う事が分かるわけです。
しかし安さんによると実は、拉致されて韓国人化教育の教官をやっている韓国人被害者は60人から80人に上ると。
あとつまり70人とかの人は誰が拉致されているか?分かってないわけですよ。
韓国の中でも特定失踪者問題調査会のような活動が必要なわけです。

その後ですね。
97年つまり朝鮮日報の記事は12月に出るんですけども、97年と言うのは日本で家族会が出来た年です。
その年の3月に出来たわけですけども。
そして韓国政府はその後表立って動きを見せるのは、99年ですね。
99年の1月に韓国政府は北朝鮮の政治犯収容所に拉致された韓国人、あるいは自分で北朝鮮に入った韓国人が22人収監されていると言う発表をするんです。
その中に崔さんのお父さんの名前が入っていて、崔さんは新聞で見て驚いたと。
そしてその年99年の3月に韓国政府は、北朝鮮に拉致されてそのまま帰って来れない韓国人のリスト、454人を公開したんです。

その時、朝鮮戦争休戦後ですね。
拉致された全体は3756人でそのうち3302人が帰ってきたと。
大多数の抑留の漁船がありますから帰ってきたけれど、454人が抑留されているということですが。
その後色々な調査や先ほどの崔成龍さんの話があり、韓国政府は今486人と言ってるんですが。
86人のうち二人が帰って来てるんですね。
4人帰国させたんですけれども、その4人のうち二人は韓国政府のリストに無い人だった。
だから今助けを求めている人は484人だという事になるわけです。

99年に私たちは第一回の国民大集会を企画したんですね、日比谷公会堂で。
そしたらば私たちの事務所に韓国から国際電話がかかってきたんです。
韓国にも拉致被害者の家族がいると。
参加したいけれどどうか?と、言う事だったんですね。
それでぜひ来てくださいと言う事で、そこで初めて崔祐英さんと我々が出会う事が出来たんです。
そして崔祐英さんと崔祐英さんのお母さんと、それから留学中に拉致されたイ・ジェファンさんと言う方のお父さんが3人、第一回の国民大集会から来てくれたんです。

でその後も私たちはずっと、拉致問題は日本人が帰ってくれば良いという問題では無いと。
韓国人被害者も一緒に救おうと言う事で、今まで今年の4月にやりました国民大集会まで必ず韓国人拉致被害者の方たちにも来ていただいて、一緒に訴える活動をして来ております。
そして次の年2000年に韓国で家族会が出来たわけです。
その年が実は韓国の南北首脳会談の年だったわけです。

そして南北首脳会談が行われるのが6月ですが、その4月に、実は先ほど崔成龍代表がおっしゃったように自力でイ・ジェングンさんという拉致された方が逃げてきていて、韓国政府が助けようとしていないと言う情報が入るわけです。
丁度私ソウルにいたんですけれども、その電話がかかって来たのを目撃してたんですが。
そして私も話を聞いたんですが崔成龍さんと月刊朝鮮ですね。
月刊朝鮮の記者と、SBSの放送記者と一緒に行ってその場所まで行ったと。
そしたらば自力でもう脱出していて何回も領事館に行ったんだけど、少しお金だけ貰って、これで自分で帰れと。

韓国にいる家族にも連絡はついてたんだけども、偽の旅券を作ったりして帰ってくるにはかなりのお金が必要だったんですね、中国の中で。
そのお金を韓国の家族は出せないと。
それで間に入った人がいて、韓国で家族会が出来たということで家族会に連絡が来たと。
先ほど説明があったように崔さんが行ってその人イ・ジェングンさんに会って、そしてテープレコーダーを回しながら領事館に電話をして、そしたら「おまえ税金を払っているのか?」と言う話をしたので、政府に録ったって。
記者が一緒に行きましたから今度は北京の大使館に行きまして、これを公開するぞと。
それで最初の被害者を救出したのがここにいる崔成龍さんだったのです。

しかし韓国政府はその事実を6月の南北首脳会談までは公表するなと。
北朝鮮を刺激するといって圧力をかけたんですね。
そして韓国に戻すと言いながら北京の大使館でイさんの身柄を確保して、6月の南北首脳会談が終わるまでソウルに送らなかったんです。
しかし朝鮮日報は南北首脳会談の直前に自力で出てきた被害者がいると記事に書いたんですが。
そのあと崔成龍さんはあと3人の被害者を救出する。
そのような活動をされてきたわけなのです。
崔さんがこの書いたものを読みましたけども、実はもっと助けられる人がいると。
お金と時間があれば連絡が付く拉致被害者はいると。
しかし韓国政府が協力的じゃないと出来ないんだと、言う事を記者会見で話されたり書いているので読んでいます。

そのような活動をしたら実は崔成龍さんに対して、去年北朝鮮の労働新聞が名指しで悪い奴だと。
労働新聞が名前を出すと言う事は相当の事なんですが。
その記事が出て中国に行くのは気をつけろと。
中国に行けば暗殺されると言う状況だったんですが、今年の9月になって韓国の当局から韓国国内でも危ないぞと。
脱北者から得た情報によると韓国国内でも暗殺計画があるようだと話が伝わったわけです。
その事を伝えた朝鮮日報の記事によると本当に脱北者から来たのか?
韓国政府と北朝鮮政府の非公式の接触の中で、崔成龍の活動が邪魔だから脅せと言われたんじゃないか?と言う推測さえ出ていると。
これは朝鮮日報の記事に書いてあった事です。
今その記事を書いた記者が同行取材でソウルから来ています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会7

『西岡力 救う会副会長のお話 その2』

そしてあと3人の人を助ける事について、協力したのがそこにいらっしゃる都希侖さんです。
都希侖さんは脱北者を助ける活動をたくさんしており、そういう中で情報をたくさん集めて、2000年に拉致されたキム・ドンシク牧師の問題でも、どこにいらっしゃるかどうなっているかという情報を集めてアピールしたりとか。
積極的な活動をしているわけです。

そして崔祐英さんの方は韓国政府を相手に国家賠償の裁判を起したんです。
しかしそれも敗訴してしまった。
負けてしまって、それでつまりその判決がすごい判決だったんですが、

「小さなことに関ずらって、大きな事を失う過ちを韓国政府は犯さなかったから良かった。」

と判決文に書いてあるんです。
つまり拉致被害者救出と言うことは小さなことで、南北首脳会談は大きな事だと。
と言う判決文が出たんです。
これは2004年の9月に一審判決が出たんです。
しかしこんなような酷い判決が出てるのに、この判決が酷いと言う事が韓国国内でほとんど報道もされていないと、言う状況であります。
つまり韓国人拉致の問題は実は韓国政府が金正日を刺激してはならないと、北朝鮮側に付いて来ていると言う問題抜きに考えられないんです。
2000年からはそうなったわけです。

金大中大統領は実は拉致問題を解決するというふうに言ったわけですね。
これは9月3日ですね、テレビで。
2000年の9月2日に先ほど言った非転向長期囚・辛光洙が(北朝鮮に)帰った後、9月3日テレビでですね。
拉致問題について、(西岡氏手元の資料を読み上げる)

「北朝鮮の立場からは拉致は無い、そのような事は無いと言うのです。
しかし私たちが実際色々な情報と全ての物を通じて判断し把握した所では、韓国人捕虜が300名~400名いるとされていて、また拉致被害者のその程度の数、全部会わせて700~800名ほどが把握されています。
大部分はあちらで結婚をし家族を成して暮らしています。
私たちは必ずこの問題を必ず解決しなければならない。
とにかくどのような形態でもお互い南側にいる家族に生死の消息を伝え面会もして、そして必要な人は再結合もし、このようなやり方で問題を推進していくのですが、水面下での接触をもっと進展させなければならない。
そのように考えています。
この前も拉致被害者家族がホテルの前で慟哭するのを見て、胸が張り裂ける思いでした。
今回私たちは非転向長期囚を送り返しましたが、韓国人捕虜や拉致被害者についての問題を解決するのに助けになるはずです。
その問題について言いたいのは、韓国は人権国家ですからこれが出来るんです。
全世界が韓国の人権国家としての面目を、今日確認するようになるんだろうとそう考えています。」

言うふうに、まぁ言ったわけですね。
非転向長期囚を送る事、あるいは辛光洙を送る事が韓国人拉致にも助けになるはずだと言ったんですが、助けにはなってないわけです。
つまり実はですね。
韓国政府の政策を見ますとですね。
99年の3月には金大中大統領が、非転向長期囚と韓国人拉致被害者について交換しなければならないということを言ってるんですね。
99年には。
これが青瓦台のHPに出ているんです。

ところがそれを裏切って一方的にスパイだけを送ったと。
しかしそのスパイの中に日本人拉致の犯人が入っていたと。
だから韓国の崔成龍さんたちは韓国から板門店に向うバスの前に座り込んで、1時間くらいですね。
北にバスが行くのを妨害したんですよね?
実は辛光洙が2000年に(北朝鮮に)帰ってしまわなくて日本に来ていれば、2000年の時点で横田めぐみさんと曽我ひとみさんと言う名前を我々知る事が出来たかも知れない。
増元るみ子さんや石岡さんや有本さんについての話も・・・まぁ、それはそうじゃないか?
辛光洙で把握できたのは、原(敕晁)さんと曾我さんと横田さんとですね。
(勉強を)教えたりしてるんですから。
金正日が拉致を認める2年前にめぐみさん拉致の証拠を我々は握る事が出来たかも知れない。
金大中大統領は二重の意味で裏切ったと。

そして今、28人の今度は一応転向した長期囚なんですね。
転向したことになってる長期囚の人たちが、「俺たちの転向は拷問による物で本当の転向じゃなかった」と言い始めて、その人たちを返せと北が言ってて、韓国の中の左翼も早く送るべきだと言ってて、韓国政府も返すと言ってる。
韓国人拉致被害者がひとりも帰ってきていないのに、そうなっている。
今韓国政府の拉致に対する政策は離散家族の枠の中で扱うと。
離散家族の再会をやってるんですが、その中に(拉致被害者を)二人とか三人入れて韓国人の家族会の人間が行って一回だけ会うことが出来ると。
そこで幸せに暮らしているとか言われて、その後手紙(のやり取り)とかも出来ない。
言う状況になって、何人かの人たち、先ほど行った韓国機のハイジャックされたスチュワーデスの人たちなどは親と面会する事は出来ているんですが、帰ってくることは出来ていないと。
帰ってくることが出来たのは崔成龍さんが連れてきた4人だけ、と言うことであります。

ただ国際社会は韓国人拉致について、関心を高めています。
我々も集会のたびに取り上げて来ていますが、アメリカで関心が高まっていまして、2004年に成立しました北朝鮮人法ですね。
これはアメリカの上下院全会一致で成立した北朝鮮人権法の中には、日本人拉致問題が書き込まれている事はご承知の通りですが、実は韓国人拉致問題も書いてあるんです。
日本人と韓国人拉致問題が解決しない限り、アメリカ政府は人道支援を除く北朝鮮に対する経済支援をしてはならないと。

それからもう一つ、今年の下院は5月でしたっけ?
今年の6月にですね、アメリカの下院の本会議。
北朝鮮人権問題の本会議決議と言うのが圧倒的多数で通りまして、その文章を読みますとですね。
横田めぐみさんとか増元るみ子さんとか具体的な名前が書いてあるんですが。
その中に韓国人拉致被害者についても具体的に書いてありまして、アメリカ政府は北朝鮮と核問題で当然交渉しなければならないけれども、核問題で交渉する時に拉致問題を含む人権問題について絶対に取り上げなければならない。
言う事を決議に書いてあるわけです。

実はこれは増元さんが4月に島田副会長と訪米した時に、下院の外交委員長のハイドさんの事務所に行って何が出来るかと。
本会議決議が出来ませんかと言って、アメリカもどこの国の外交官っていうのはそういうことを嫌うみたいなんで、アメリカの国務省に秘密にしておいてくれといって、国務省には秘密で島田さんと後韓国のNGOが色々やって決議の案を作って、そしたらば圧倒的多数で通った。
つまり国務省としては核問題の交渉で手足を縛られたくないんですね。
しかし議会が核問題をやる時に、韓国人拉致問題と日本人拉致問題も取り上げなければならないという決議を通した。
言う状況なわけです。(筆者注:この項に関するお話は後ほど増元氏より訂正があります)

そこで我々日本にとっての韓国人拉致問題を考える時、我々が考えなくちゃならないのは、我々家族会そして救う会・拉致議員連盟は韓国人拉致問題を取り上げているんですが、日本政府は全く取り上げていない。
あるいは日本の国会の決議の中でも韓国人拉致を取り上げた事はない。
アメリカは先ほども言ったように日本人も韓国人も自国民ではないわけです。
自国民ではない被害者について法律に書き込んで、そして国会決議にも書き込んでるわけです。
拉致はテロでテロと一緒に戦うということから、世界のテロと戦うということをしっかりしているんです。
あるいは人権と言うのは国境がないと。
人権が侵された人は皆助けなくちゃいけないという姿勢があるわけです。
日本政府にそれはあるだろうか?と。

実は2003年に国民大集会をしましたときに、その時は韓国からたくさんの家族の方に来ていただいたんですが、安倍晋三さんが(官房)副長官だったんです。
日本政府を代表して韓国の家族に会って欲しいとお願いしたら安倍さんは会ってくれたんですが、しかし政府の部屋では会えない。
と言って代議士・安倍晋三として国会の会議室で会うといって国会で会ってくれたんですね。
なぜならば多分政府の官房副長官の上の方にいる人、何人かしかいませんけども、(小さな笑い声)との関係があったと直接ではないけれど、私は聞いています。
日本政府は韓国政府が取り上げない問題は取り上げないんです。

しかし我々は日本人拉致について、もちろん日本の主権侵害ですから我々が解決するんですけれども、国際社会に訴えているわけです。
アメリカに行ったりジュネーブに行ったりして普遍的な人権侵害だと訴えてるんですね。
日本政府はそれを支持している。
拉致が普遍的な人権侵害だったらば、国籍を超えて韓国人拉致についても日本政府は発言をしなければ、自国民だけ助かれば良いというふうに思われても仕方が無い。
日本は普遍的な人権侵害なんか考えていないと、いうふうに思われてしまうわけです。

実際ですね。
安明進さんは言ってますよね?
実は工作員学校の先輩が何人かいるんだと。
その人たちが口を開けばもっと情報が出てくると思うと。
韓国に脱北者がたくさんいるわけなんですけども、そういう人たちに対して韓国政府は、安明進は日本に利用されているだけだと。
日本の運動は日本人を取り戻すだけの運動だと。
北朝鮮の苦しんでいる人民の事など何も考えていないんだと。
だから日本に利用されるだけで終わってしまう、安明進は親日派になっただけなんだと。
言って脱北者の人たちに日本に協力するなと言って説得してるんです。

安さんはしかし自分は日本人を助ける為には闘うけれど、自分の同胞である北の人民も助けたいと。
金正日と言う一緒の敵がいるんだから一緒に闘うんだと、命をかけて証言してくれているわけですけれども、私たちは普遍的な人権の立場に立つのかどうかと。
我が国政府が触れていない人権の立場に立ってるんだろうかと。
言う事を厳しく見ていかなければならないと。
アメリカに行って日本人を助けてくださいと言うときに、アメリカは普遍的な人権の立場に立っているのに、日本は日本人だけを助けてもらえば良いと言う立場に立っていたらば、アメリカ人から軽蔑されると思います。

実は私たちは来週ですね。
月曜日から土曜日まで増元事務局長と横田拓也家族会事務局次長と救う会の島田副会長が訪米します。
先ほどお話しました北朝鮮人権法で、任命される北朝鮮人権特使と面会をする約束が取れています。
その時にぜひ、今日増元さんここにいて、我々は韓国人拉致問題も一緒に解決しようと思ってるんだと。
北朝鮮人権法に日本人と韓国人拉致両方を書いてくれた事に感謝すると。
韓国人拉致被害者の人たちと先週会ったけれども、韓国人拉致についてもぜひ一緒に努力して欲しいと言ってくださると思いますが。
まず日本の政府にそして日本の国会に普遍的な人権の問題、あるいはテロとの戦いと言うことで、韓国人拉致被害者をどう取り上げさせるか?という課題を私たちは持ってるんじゃないかと。
それをすることによって逆に先ほどから言ってますけども情報をもっともっと取れるかもしれない。
一緒に協力して戦えるかもしれないという局面も広がるんじゃないかと思っています。

以上で私の話を終わります。(拍手)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会8

『横田早紀江さんのお話』

皆様こんばんは。
今日は韓国から本当に大変な中で活動している皆さんご苦労様です。
本当にありがとうございます

今日は話を色々お聞きして、日本と全く全然違った面での中々思うように行かない政府の大きな壁の中で闘っていらっしゃると言う事、本当に・・・思います。
私たちはたくさんの方に助けていただいても、支援者の方とか国民のこうした多くの方が、いつも全国のたくさんの方が本当に一生懸命になって励ましてくださって、その中にあってもね。
本当に悲しくて、時間も長いし、体力的にもやっぱり疲れてきますし、向こうにいる子供たちの姿も何にも分からない。
いつまで経っても見えてこないという中で、本当に苦しい拷問を受けていますのに、本当に韓国のね。
状況をお聞きして、それどころでない方が今ここにいらっしゃるんだなぁと思うと、どうしたらいいんだろうと。
一人の人間としてね。
韓国の政府も日本の政府も本当に大事な命をどうしたら自由にしていただけるんだろうと、考えていただけるようになるには、どうしたらいいんだろうと悩むばかりですけれども。

難しい問題だけにひとつひとつの事をしっかり一生懸命やっていく事。
私たちも初めは、9年前は、何にも皆さんに関心を持っていただけない時期がありました。
署名活動をしても誰も通り過ぎるだけでほとんど立ち止まってくれませんでした。
毎年毎年こうして皆様に訴え続けている中で、本当にたくさんの方が、本当に自分の子供だったらどんなに大変な事かわからないと涙を流して励ましてくださるようになりました。
本当に大変な9年間ですけども、やっぱり一生懸命に心を込めて頑張って前進していく時に、必ず開けて来るんだなぁと言う事を今実感してますので、絶対に希望を失わないで、私たちも一緒に頑張りますので・・・頑張っていただきたいと思います。

本当に今日はご苦労様でした。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※お断り
早紀江さんのお話は会場のマイクの調子が悪く、録音の音声がハッキリ聞き取れない状態でした。
できるだけ音声を拾いましたが、テキスト中聞き取れないところはやむなく飛ばして空白にしてあります。
また、一部聞き間違っている部分もあるかと思います。
発言の趣旨は概ね間違ってはいないと思いますが、オリジナルの発言とは多少言葉尻が違う部分があるかもしれない事を予めご了承の程お願い申し上げます。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会9  

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』


皆様こんばんは。
私は先ほどから記者会見の時からご一緒して色々お話をお聞きしたんですが、やはりあの皆さん仰るには、日本の拉致問題に関する活動の実態。
これを見て非常に羨ましいと、言うコメントもありましたけども。
もちろんこれは解決しなきゃ良いも悪いもないんですけれども、ぜひ韓国においても日本の皆さんのように国民が盛り上がってぜひこの問題解決していきたいというすごい強い願望があります。

その他にですね。
いわゆる家族会を取り巻くいろんなNGOの方が、もうちょっとご支持とか。
それから国会議員のいわゆる超党派でこの問題を考える、具体的に行動する。
こういう連盟が無い。
そういうことがありまして、今日は議員の先生方も議連の役員の方も来まして、今度そういうことでは韓国と議連という立場で付き合うことを形として作っていくと。
言うふうに言っておりましたし、とりあえず当然ながら韓国もいわゆる超党派でこれを作ると。
野党のハンナラ党と言うのはこの拉致問題真剣に考えて特別委員会も作ってあるんですけれど、肝心の与党がこれに乗ってこないと言う、局面もありますけども。
要するにこの問題を真剣に考える議員の先生方を集めて、日本とも交流していきたいという話をしておりましたし。

我々この拉致問題の一番今足らない所と言うのは、いわゆる北の情報ですから。
そういう意味では韓国の人たちが物凄く北に拉致されていると。
それから帰国者、我々の5人の帰国者の話からしても、被害者として韓国人がたくさんいましたという話もありますし。
そういった面では韓国ルートの拉致に関する情報と言うのはかなりあると思います。
そういった形が出来れば我々日本人の情報も含めてどんどん入るんではないかと。
言う事ではこれからも一緒に活動していきたいと思います。
ありがとうございます。(拍手)
◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会10

『増元照明 家族会事務局長のお話』



ご苦労様です。
先ほど崔成龍さんの話を聞いていて、北朝鮮が崔成龍さんを襲って自分が殺される事でこの拉致問題が大きく進展するのなら殺されても良いと仰っていましたが、私も実は9.17以前それと同じ事を思っていました。
私の自宅の鍵が盗まれまして誰に盗まれたのか分からない状況がありました。
でも工作員が来て私を傷つけるなら、それで拉致問題が大きくなるんだったら、本当にそちらの方でも構わないと思ってました。
それほど私たちは追い詰められていました。
同じやはり気持ちでいらっしゃるのかなぁと思いました。

私たちはどうせどんなに・・・ても工作員でも構いませんから、やられるものならそれでも・・・(一部聞き取れず)
それだけ日本の反応が冷たかったというのもあったんです。
今現在このように皆さんが拉致問題関心を持っていただいて、我々を励ましていただいて本当にありがたいと思っています。
政府があのように冷たい態度を取っておられるので非常に嘆かわしい。
今御三人が日本が拉致問題積極的で羨ましいと仰っていますが、日本にいる我々はそんな事ひとつも思っておりません。
もっとやれ!というそういう気持ちでおりますし。

今日も昼間古川了子さんの裁判に行って来ました。
この中にも傍聴された方が何人かいらっしゃいますけど、とにかく古川了子さんの拉致認定に対して政府は全くやる気が無いと言うその姿勢ですね。
法的利益が全く無いので裁判自体を、裁判をしないでくれと言う訴えです。
しかし認定されている人も認定されていない人も、私たちは一生懸命やってると言ってるんですから、だから古川了子さんの事は私たちは認識している、一生懸命やって頂けると言うことですよね。
でも認定はしないと言うことらしいです。
それを今どうにかしないといけないと思っていますが。
それが出来るのは官邸だけしかないと私たちは感じていますし。

今靖国の問題でテレビが色々中国や韓国の反応を言ってますが、それよりも昨日の党首討論の中で拉致問題がほとんど喋られていないと言う事。
(民主党党首の)前原さんが、もっとあの、国家安全保障の専門家だったら、拉致問題でなんで突っ込まないんだ?と私は思っています。(拍手)
国会議員が、拉致問題がこの国家にとってどんなに大きな問題か、国家安全保障についてもどれだけ大きな問題か認識が足りない。
私はそのように感じています。
靖国で韓国の人たちの反応を放送するのではなくて、先ほど崔さんが仰ったように今清津に二十数人の韓国人拉致被害者がいると言うこの事実を、もっと大きく報道するべきはマスコミではないですか?
私はそう思っておりますので、日本のマスコミもその点に関しては強くやっていただきたいと思います。

それから一つだけ訂正させていただきますが、ハイドさんにお会いして私は北朝鮮の人権、拉致問題に関して議会決議をしてくれとは全く一言も言っておりません。
私たちの状況を申し上げたら、ハイドさん自身が「じゃあこの拉致問題、拉致被害者救出の為に国会で議決をしよう」とあの方が先に言ったんです。
そして一ヶ月で草案を作り二ヶ月で議決、全会一致で上げたんです。
しかし日本はいまだに北朝鮮人権法でさえ上程される状況にはなっていません。
拉致被害者救出の為に経済制裁発動の動議もまだ国会でなされようとしていません。
非常に情けない、憤りを感じていますが。

私たちがやっていく事によって全ての拉致被害者が救出につながると信じていますので。
韓国でも声を上げていかなければならないし、私たちも声を上げて韓国政府を余り頼りにしないで日本独自で単独経済制裁の発動、これを目指していきたいと思っています。
以上です。(拍手)

―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会11

『本間勝さんのお話(田口八重子さん兄)』

明日朝鮮総連の方に陳情に行かれるということですよね。
在日の朝鮮政府と言うのは我々とすれば核と言うのは非常に金正日に直接つながっている、危険な人物だと。
国会議員という人たちが6人も核として在籍しているわけですよ。
その辺を認識して交渉していただいて、頂ければなぁという、まぁ忠告ではないですけれど、ご存知だと思いますけれどもそのような事もあるんだと。

在日の組織の中には韓国の居留民団と言うのもありますよね。
だから朝鮮総連ばかり、その朝鮮総連は金正日と直接つながっているから、まぁ直接的には良いのかも知れませんけども、朝鮮人とすれば日本にいる民団系の人も力になってくれると思うんですよ。
それで民団の方にも力を頼むと、ハッキリ言えば・・・(聞き取れず)当然だと思うんですけどね、朝鮮の仲間とすればね。
そういった事をやっていただければ少しでも展開が開けていけるのではと。
気をつけてよろしくお願いします。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会12  

『質疑応答』

★質問者1

救う会埼玉の加藤と申します。
あのですね。
韓国人の拉致被害者の方々に韓国政府が非常に冷たい態度を取られていると。
金泳三、それから金大中、それから今の盧武鉉ですか。
左かかかった、あるいは日本で言えば村山富一みたいな人間がずっと大統領をやってるわけでしょう?
そういう人たちになってからそういう態度を取り始めたのか?
あるいはそれ以前、例えば全斗煥の頃はどうだったのか?
予備知識が無いんでちょっと分からないんですけども。

★質問者2

韓国で拉致された人はですね。
漁船とか船で拉致された人と、それから海岸とか陸上から拉致された人の人数とかは分かってるんでしょうか?
その本に書いてあるんですか?
あ、じゃあ良いです。

★質問者3

特定失踪者高野清文の妹、高野美幸です。
最近ジェンキンスさんの本の中で、日本人・韓国人以外の拉致被害者の方たちがいらっしゃると言う内容の趣旨は伺いました。
私は私の勝手な想像なんですが、兄が技術系の仕事をさせられているとするのならば、きっと他の中近東とか他のアジア地区の方々も拉致されているのではなかろうか?と言うことは、ちょっと予測をしていた範囲の中での事だったので、それがジェンキンスさんの「告白」の中で裏づけをされたような形になったわけですが。
そういった意味で、日本政府が被害にあっていらっしゃる方の国に伝えたと言うような内容の事はちょっと・・・上とかで拝見したんですが、日本・韓国発でそういった拉致被害者の方がいられるであろうと言う国に訴えていくと言う方向性は、要するに拉致と言う事をもっと国際的にしていく。
更にその中でリーダーシップをとって行くという意味でそういうことをやっていく方向でどのようにお考えでしょうか?
変な話ですが日本国内で広がらないのに、世界的に広げるのはどうかと言う部分で、すごく胸が痛む事なので質問させていただきました。


※回答 崔成龍さん(通訳:西岡氏)

全斗煥時代や盧泰愚時代は冷戦時代であって、南北の交流というのはほとんど無いと言う状況の中で、拉致問題を議論できるような条件は全く無かった。
金大中時代になって南北の交流が出た事によって、逆に解決のチャンスが出てきた、と言うふうに見ています。
先ほども拉致についてマスコミの議論が出てくるのは70年代の金泳三時代で、それ以前は逆に家族の方が監視の対象であるという状況であったということですね。
だから先ほど言った崔祐英さんはお父さんが拉致されている事も友達に言えなかった、と言う時代でした。

★質問者1 加藤さん

やってくれそうな人が大統領だった時は問題にすら出来なかったということですか?

※回答 崔祐英さん(通訳:西岡氏)

実は過去にはですね。
80年代の終わりやあるいは90年代、北朝鮮は非転向長期囚の送還をずっと求めてきたわけですね。
その事に対して韓国政府は、それならば拉致被害者を帰せ、韓国軍の捕虜を返せと言う事を言っていたんです。
しかしそれに対する世論は、世論の監視の中で北の(主張に)対して反対の、反論する事を言ってたという状況があったんですが。
ところが韓国で家族会が出来て世論が少し出てきた状況で、世論の方は少し変わったんですが2000年前後ですね。
ところが韓国政府はその状況を逆に下げてしまった。
で、非転向長期囚だけ一方的に返して、韓国人拉致被害者や韓国軍捕虜に関しては条件にしないで、離散家族の中で離散家族が100人あるとしたら5%に韓国人被害者と国軍(捕虜)の家族を入れて会わせると言うふうに、北朝鮮の要求を呑んでしまったと。
世論が無かった時代に韓国政府は一定の要求をしていたけど、世論が出来た時点で韓国政府が政策を降ろしてしまった。

2000年以前は拉致家族だと言う事も出来ませんでした。
社会的な雰囲気の中でですね。
そして親戚に拉致家族がいるということが分かると、例えば警察に勤めていても辞表を出さなきゃいけないということがありました。
2000年以後、家族会を作ってこの活動をすることによってそういう事はなくなりました。

※回答 崔成龍さん(通訳:西岡氏)

正確な数字は今持ってきていないんですけれども、私の本には書いてなかった。
あとで事務所に行けば分かりますけども、90%くらいが漁船の拿捕で、それ以外に留学中の者もあり。
中国に拿捕されたと思われていた船が実は船員が北朝鮮にいたと言うケースもありまして、それはまだ484名の中に入っていないんですが、もっと多いと思います。

先ほどお話を聞いていてですね。
私は日本政府の姿勢が羨ましいといったら、まだまだだと仰るんですが。
しかしつまり情報さえ取ってくれば日本は動くだろうと。
髪の毛だとか何しろ物証で持って来れば日本は動く。
だから情報を取る為に努力したいと申し上げたんですけど、韓国は情報どころか本人が逃げて来ても助けようとしない。
そういう違いがあると言う点で、情報さえあれば動いてくれると言う政府を持っているのに、それでも駄目だと言えるような立場が逆に羨ましい。(会場内小さな笑い声)

あと国際的な活動に付いては、レバノンやタイやルーマニア、ルーマニア人はイタリアで拉致されたんですよね?
そういうようなことについてどのよういうふうにアピールしていくのか?
まず国連の場でぜひやっていきたい。
アメリカに行く時もぜひその資料を持って行っていただきたいと思います。

(司会の平田氏の締めの挨拶のあと、会場より拍手)

・・・集会終了・・・ ―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会1

『川人弁護士による裁判報告』10201

皆さんご苦労様です。
弁護団の川人と申します。
私の方から前回の法廷以降今回までの法廷でのやり取りについてご説明したいと思います。

前回の法廷がございましてですね。
要は前回の時に、被告・国側としてですね。
本件については門前払いにしてくれと、こう言う事をはっきり主張したわけです。
そして前回から今回までの間に、と言っても実際には今から一週間前なんですが。
被告側からこういった準備書面1と言う物が出てきまして。
それと合わせていくつかの国会議事録ですね。
などが出て来ました。
それが向こうから約一週間前に提出されまして、今日は主としてその問題についてのやり取りを中心に行ったわけです。

結局の所、今被告側が何を言っているかと言うと、こういう事なんですね。
拉致被害者支援法と言う法律が2002年の12月に出来たわけですね。
第一回の日朝首脳会談の後に拉致被害者支援法と言うのが出来ましたが、要は国側の主張は、被害者の認定をしてもしなくても、いずれにしてもやるべき事はやっていると。
こういう事なんですね。
従ってこの裁判で拉致被害者として認定するように要求が出されているけれども、そういう事の法的な利益が無い。
法的な利益が無い。
こういう事をるる述べてですね、それで具体的に過去に遡ってですね。
拉致問題でどういう取り組みをしてきたかと言う、まぁHPでですね。
彼らが書いている物の写しを裁判所に出してきた。
特に目新しい物は何もありません。

私どもはこれまでも主張した事なんですけども、今日もより裁判官に認識して貰いたいと思いまして、繰り返し弁護団の方から申し上げたのはですね。
古川さんの扱いと田中実さんの扱いを比べれば歴然としている、この問題は、という事なんですね。
古川了子さんについてはですね。
一度たりとも北朝鮮との交渉に名前を出した事がない。
そういうような報告はご家族にも一切無いわけです。
ですから一般的にですね、拉致被害者として認定した15人の方以外にもですね。
取り組みをしているといってもですね。
具体的にその問題で北朝鮮に対して追求して交渉したと言う事実が無いわけです。

他方ですね。
田中実さんに関しまして、今年の4月にですね。
この裁判が提訴された以降ですけれど、今年の4月の下旬に政府が16人目の拉致被害者として認定したと。
で、その後すぐですね。
北京の大使館ルートを通じて北朝鮮に対して、彼を拉致被害者として政府は認定したと。
そしてこの件についてきちっと北朝鮮に対して真相を明らかにしなさいと。
彼を帰国させるように扱いなさいと。
いうことで、日本政府は北朝鮮政当局に要求をしたと、言う事であります。
それは新聞報道などで明らかなわけです。

ですから認定しても認定しなくてもですね。
違いはないんだと、同じようにやってるというのは、これはもうどう見てもおかしいわけですよ。
だけどもその当たり前の事をですね。
とにかく国側の代理人としては認めようとはしない。
結局ですね。
彼らが書いてる書面にはですね。
特に田中さんの問題については書けないんでしょうね。
一言も触れてないんですね。
私どもは田中実さんについては繰り返し今までも書面で触れているわけです。

一応裁判の書面では相手方の言ってることに反論をする書面でしょう?
今私が言った事はこれまでも繰り返しですね。
書面でも、田中実さんのケースと古川さんのケースの違いを主張しているわけです。
ですから彼らが反論を書いた言うんであればその事に触れてなければならないわけですね。
だけども反論は以上ですって言って、田中さんの事は一言も書いてないです。
つまり彼らの言ってる事と辻褄が合わないから、書きようが無いわけでしょうね。
それが今日のやり取りであります。

皆さん方から見られてですね。
しかしそれにしても裁判官はもっとなんで強く言わないんだ?と、被告国側に?と、思われたと思うんですね。
私どもも、もちろんそういうふうに思います。
ただですね、行政訴訟と言うのはなかなかですね。
裁判所もですね。
国側に変な意味で配慮すると言う所が、どういう事件でもございましてですね。
我々もですね。
そういう意味では裁判所を一つ一つ粘り強く説得してですね。
裁判官を味方に付けていくという活動をしなければいけないというのがありまして、現在の時点では余り強く裁判官を追及していくという法廷姿勢は取らないということであります。
もっぱら被告側を追求すると言う事で、裁判所にはですね。
あくまでもこちらの立場に立って判断をするように粘り強く説得すると。

今後の問題なんですけども、次回12月の6日という事になりました。
裁判所の方としては、向こう側が一週間前に出した書面についてですね。
反論の書面を出してくれと言うことなんですね。
でも、反論と言うか、我々も言う事は言ってあるんですけど、とにかく一応書いてあるものをそれは出しますと。
それはまぁ約束をしたんですが、合わせてですね。
本件に関して訴訟をどんどん進行して貰いたいと思いますので、次回は証人のリストを裁判所に出そうかと今思っています。
ですから具体的にですね。
証人申請をして、こういう人から裁判所に事情を聞いてもらいたいというリストを提出しようかと言うことで考えています。
具体的にはご家族と共に、安明進氏などの証人リストを次回裁判所に提出しようかと思っています。
今検討中でございます。

今日はですね。
日弁連、あるいは警察などに出してきておられます、竹下さんが作られた当時の彼女が失踪した当時の経過がわかる詳細な図面ですね。
どの場所からどういうふうにいなくなったという、図面など。
あるいはそれらについての写真ですね。
現地の方、我々よりもご存知でしょうけれど、彼女が立ち寄る予定で結局立ち寄らなかった美容室が、まだ同じ所にあるんですよね。
そういう所を含めて写真等も提出いたしました。
更に原告の竹下さん私どもが調査した内容のポイントなどについても、書面として出した次第でございます。

最後にですね。
向こう側が今後どう出てくるかと言う事なんですが。
おそらくですね。
今日やり取りした域のことは出てこないという可能性が高いと思います。
今の所。
向こうではおそらくいろんな議論をしているんだと思うんですけれど。
ですので次回、あるいは次々回位はですね。
いよいよ裁判所が決断を迫られる段階に入ってくると思うんですね。
今のところは裁判所もこちらが強く言うと、検討してくださいと向こうに言ってますが、裁判官はそろそろどこかで決断しなければいけない時期に近づいているわけですね。
その点では私どもも、裁判所を説得するためにはどういう点が大事かと言う議論をしてですね。
法廷に臨んでいきたいと。

中々傍聴席から聞かれていて、いらいらするやり取りかと感じられたと思うんですけれど、今申しましたような意味でですね。
次回、もしくは次々回はかなり重要な局面に入るかと思います。
向こう側の準備書面ですね。
とにかく認定してもしなくても一生懸命やると繰り返し言ってますので、これはある意味逆手にとってですね。
特定失踪者の方々についてですね。
何をやっているのか?と、どんどん追求して要請を強めていく必要があると。
とにかくしてもしなくても一生懸命やると繰り返し言ってますので、その通りにやってもらうのはそれ自体は重要な事です。
ですからその辺りはある意味では逆に活用してやっていただければ良いかなと、そのように思っています。
どうも私の方からは以上報告いたしました。
では、後は珠路さんの方から・・・―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会2

『竹下珠路さんのお話』
10202

こんにちは。
皆さんありがとうございます、お忙しい中遠くまでありがとうございます。

私どももこの準備書面と言う物を読ませていただいた中で、本当に皆さんと一緒にイライラすると言うのが現実なのですけども。
準備書面といって出された中に国会での審議の書類が入っていたんですけれど、今日ちょっと読ませた頂いた中でも、警察庁が「証拠があれば認定する」と言う文言があちこちにありまして。
証拠集めを、これは荒木先生が前々から言って頂いてる、証拠集めをして拉致認定に結び付けると言う日本の警察のやり方が本当にそれで拉致という事につながっていくのか?と言う思いが。
警察はそれで証拠集めを一生懸命していても、それは証拠が出ないから認定されないという事になってしまうのか?というのを、つくづく感じます。

つい3週間ほど前に、千葉県警の担当官の方が私どもの方にも中間報告だと言う事で来て頂いたんですが。
「その後何にも証拠が出ないんですよね」って、彼らも言っているんです。
そこの中で国が証拠があったら認定すると、ここの同じ国側ではありながら矛盾では・・・
どんな証拠を?と言う私も求めたいんですけども、それでは拉致認定にいつまで経っても、警察の今のやり方ではつながらないんではないかな?と言うのが本当に歯がゆい思いをしております。
もっと色々な面から警察も考えていただかないと、それから千葉県警の例でも担当官は
「千葉県内から失踪した全ての人について捜査をしていただいているんですか?」
と私が踏み込んで尋ねた所が、
「いや私たちは古川事件に関して、これは告発されているので捜査しております。
それからもう一件千葉県では、加瀬テル子さんの事件に関しても捜査チームを作って捜査しております。」

「それ以外全般的な千葉県内の色々な特定失踪者の方々について捜査はしているんですか?」
と重ねて尋ねても「僕達には分からないんです」と言われてしまいました。
そういう県警外事課の返事をしているかもしれないし、してないかもしれないというのが、本当に暖簾に腕押しと言う感じがしてなりません。
弁護士の先生方と調査会の皆さん、救う会の方々にも政府が前進するようにお力を頂きながら頑張りたいと思いますので、どうぞ皆さん方もよろしく応援をお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)
―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会3

『増元照明さんのお話』

10203
ご苦労様です。
裁判を聞いていて、先ほど川人先生が仰ったように「何を言ってるんだ、こいつら」と思ったんですけども。
実際、家族会は認定被害者家族ですけども、認定と非認定の場合、非常に差があると思っております、私たち自身も。
私も調査会の一応理事をやってますので、外務省関係で佐々江局長たちとお会いするのは家族会・認定の家族だけです。
その他非認定の方たちに関しては直接佐々江さんと会う事も、今のところ誰も会っていないと思います。
それだけ差が出ていると言う事。
それが法的にどういう利益なのか分かりませんけども。

実際認定と言うのは2002年の9月17日以降、ちょっとハードルが高くなったんですね。
証拠が有る無しに関らず、横田めぐみさんは一応警察では拉致容疑事案に入ったんです。
それが9月17日金正日が認めたがゆえに、認定と言うふうになった。
それまでは私たちも拉致容疑事案であって、政府認定ではなかったんです。
ただ国会で一応6件9人、それはまず間違いないだろうという国務大臣、自治大臣の答弁があったので、一応認定と言う形になったのだと思いますが。

更に認定がされたのは横田めぐみさんが1997年の3月だと思いましたけど、国会答弁の後にされました。
有本恵子さんは2002年の3月、やはり東京地裁で八尾恵が証言して認定されました。
その時は政府認定ではなくて警察認定と言う形なんですけど。
ですから非常にこの認定と言うの。
警察がそこまで容疑事案としてあげても、官邸がそれを認めない限りは国側の認定にならないんです。
これが一番問題で、官邸サイドが増やそうとしていないので、一番攻めるべきはおそらく官邸だとは思うんですが。
これから私たちの運動で官邸がどう動くか?
それは私たちにも全然良く分かりません。
でも実際この拉致問題の全面解決までにはこの拉致は終わらないと感じておりますので、私たちは一生懸命やっていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会4

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話』10204


今日はどうも、皆さんお忙しい所をありがとうございます。
今先ほど川人先生のお話をちょっと聞いて思ったんですが、やはり政府が認定しているとしていないに関らずちゃんとやってると。
言う所を、我々はもっと効果的に使っていく必要があるのではないだろうか?と、いうふうに思います。
今竹下さんが言われた、告発している人以外はやってるかどうか分かりませんと。

これもし何かちょっとでもやっていれば、おそらく警察はやってますと言う風にですね。
一応10にしても100にしても言うだろうと思いますから、分からないと言う事はやってないと、言う事だと思います。
これだけでも認定しているのとしていないのとの違いがハッキリ分かるのではないだろうかと、言うふうに思います。

今年の6月の参議院の内閣委員会の官房長官の答弁でですね。
ともかく認定については、要は民主党の森ゆうこ議員が「認定の枠をもっと広げても良いんじゃないか?」と言うことを言ってるわけですが、官房長官は「ちゃんと証拠が集まって警察が調べて、証拠が集まった物について認定する」と言う答弁をしております。
これも考えてみれば逆に使えるのではないか?と思っておりまして。
警察の責任で認定するのであれば、逆に認定をしていなかった方が拉致だと分かった場合は、当然警察が責任を問われるべきことですね?
警察の捜査によって分かったんではなくて、例えば曽我さんのように北朝鮮側が発表したことによって分かったと。
いうことであれば、当然それまで分からなかった、曽我さんの場合26年間ですか?
分からなかった事の責任をですね。
誰かがとって貰わなければいけないはずであると、いうふうに思います。

で、この6月の参議院の内閣委員会の時には官房長官はお詫びを一言言ってます。
おそらく私が覚えてる限りでは、これが政府がお詫びをした初めてのことではないかな?と、いうふうに思っておりまして、少し私も脅かしを込めてですね。
もしそういうことが分かったら警察庁の長官も当該県警の本部長もですね。
当然皆辞表を出すんだろうなと、いうふうに書いてあります。

尚且つこういう言い方をすると非常にご家族の方もおられるんでちょっとあれなんですが。
それでも帰って来た方に謝ることが出来ればまだマシな方で、もう謝ることもできない状況になってしまっていたと、いう事にでもなったらですね。
その時は辞表なんかでは済みませんよと、と言うふうにですね。
ちょっと今あちこちで言ったり書いたりしております。

だからもしそういう所で責任を取らされるのが嫌であれば、だったら警察だけでは出来ないんだと。
認定と言うことだけでは、拉致は解決できないんだと言う事を警察自らハッキリしろと。
言うふうに言っておりまして、こういう形で古川さんご家族にご無理をいただいて、そして法律家の会の先生方が一生懸命やっていただいているお陰で、ある意味で言うとそういう部分にいろんな所に道が開けているんではないかと言うふうに思っておりますから。
我々もこのことをですね。
私たち自身がこの訴訟のことを出来るわけではありませんので、この訴訟でやってる事を基礎にして、更にいろんな形の取り組みをしていきたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いします。(拍手)
―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会5

『質疑応答1(質問者・生島馨子さん 特定失踪者・生島孝子さん姉)』

★川人弁護士

何かご意見、あるいはちょっとこの点が良く分からないと言うようなご質問等ございましたらどうぞご遠慮なく。
もしマスメディアの方がいらっしゃったら挙手していただいて結構です。
もしありましたならどうぞ。
はい、どうぞ。

※質問者 生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さん姉)

生島孝子の姉の生島馨子でございます。
3回ほど傍聴させていただきましたけど・・・裁判の事についてはど素人ですのでお任せする。
それから調査会の方で色々お骨折りいただいているので、そうじゃなくて疑問に思うと言うか不思議に思うことをちょっとお聞きしようと思ってるんですが。

この行政訴訟を起こした当時、起こしましたと言う簡単なニュースは流れたんですね。
その後、まぁ被告側の回答がああいう物だから、マスコミでは取り上げようが無いんでしょうけれども、そういう事に関して余り報道されないんですね?
一方現実には認定された方とされてない者と、交渉の場のテーブルにも名前も直接出て来ない。
官房長官の談話なんかでも、会見なんかでも「その他にもいるようだし」と言う言い方しかしないんですね。
で、そういうような理解で・・・当事者も、国と言うのは当事者ですよね?
当事者もいるし、マスコミもそこら辺がキチッと分かってないし。

それから国会なんかでも質問はしてくれますけども、質問なさってる方も、この間の山谷さんのあれなんかを見てもね。
ちょっと扱いに差があるんだというのを分かってるのかなぁ?と言うのを、感じがしないでもないんですよね。
そして、「全員救出をするまではどうとか」っていうような答弁があるんですけども、拉致被害者という言葉の理解がそれぞれの立場ですごく幅があるように思うんですね。
政府はもしかすると、認定した者だけに思ってるんじゃないか?と思うし。

一般に運動してくださっている方には、当然それは認定者だけじゃなくて調査会で色々情報を得て告発した人も入ってるし。
名前の分かってない最後の一人までね。
救出するまでが拉致被害者っていうふうな理解して運動している。
私たちは「全員帰って来るまでよ」って簡単に言うわけですよ。
で、そういう言葉からすると推察されるのは、全員帰ってくるというのは認定されて無い人も入ってるんじゃないかなぁ?と思うわけですよね。
その言葉の幅がすごく広いので、裁判、係争中のことはあまり報道したり運動に使ったりしたらいけないんでしょうかね?
もうちょっと一般の人たちに、こういうようなことを知ってもらえるようなことは拙いんでしょうか?

あの例えば差があるという事実ね。
こういうふうに差があるんですよ、3回も(裁判を)やってるのに国の方は態度が全然変わらないんですよと。
そういうことをもうちょっと一般の人が分かるようにですね。
分かりやすく広めてって言うか、理解してもらえるようなことは出来ないんでしょうか?と、思うんですが。

★回答 川人弁護士

仰るとおりだと思うんですが、ちょっと色々その辺り、努力させていただきたいと思います。

★回答 荒木和博調査会代表

改めて(裁判も)もう3回目になるわけで、改めて向こう側が動かそうとしないと言うことは完全に明らかになっているわけですので。
今パッと思いつきませんけど、ともかく、古川さんの訴訟の事に絞って分かるような物を何かの形にまとめて公に発表すると言う事くらいは、それほど難しいことではないので。
そこはそうですね。
この訴訟の問題だけでひとつちょっと分かりやすくアピールできる物をちょっと考えて見ます。
これはですからマスコミがと言うことではなくて、我々が発信するという事になるわけですけども。
マスコミの中にも関心を持ってる方はいるので、今生島さんが言われた事を頭に置いてその部分をやってみたいと思います。

ですから拉致被害者がどこまでの枠かと言うのは、これは一人でも多くの人が大声で、全部最後の一人が帰ってくるまでは、帰ってこなきゃ駄目なんだと言う事を言い続けて既成事実化していくしかですね。
方法がないと思います。
政府の方は出来るだけ今の16人のところで止めておきたいと。
拉致被害者というイメージもそこまでにしておきたいというイメージ、だと思うんで。
それでもあの前は完全にそうだったわけですよね?
完全にそうだったものが、やはり世論が認定した被害者だけじゃないんだと言う事が分かって来た事によって、政府も少なくとも一言は付け加えなければいけないというふうになって来ている訳ですから。
これはもう世論が大きくなれば変わらざるを得ないと思うので、我々も注意して考えていきたいと思います。

※質問者 生島馨子さん

お願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会6

『質疑応答(質問者・川添友幸 救う会神奈川会長)』

★川人弁護士

更にご質問ご意見等ありましたなら、あ、どうぞ。

※質問者 川添友幸・救う会神奈川会長

救う会神奈川の川添と申します。
ちょっと気になる点があってお聞きしたいなぁと思ったんですが。
先週例の、警視庁公安部がですね。
よど号の裁判の中で、「福留貴美子さんが拉致被害者では無い」と言うことを明言すると言う発言がありまして。
私たち神奈川の会では慎重に反論を書いて発表したんですが。
今まで初めてじゃないかと思うんですね。
拉致被害者ではないと言う事を言っていたと。
私たち心配していたのは今日の裁判を見ていて、最後は政府がそういうことを言ってくるんじゃないのかなぁ?と、言う事を感じたんですが。
あの、警視庁公安部の発言がこの裁判に影響すると言う事は、出て来る可能性というのはあるんでしょうか?
お願いいたします。

★回答 川人弁護士

あのですね。
拉致被害者として政府が認定しないと言う場合にですね。
ちょっと大別すると二つのタイプのグループがあると、被害者の。
一つはですね、典型的に古川了子さんのようにある日突然失踪して、それで警察や政府が言う所のハッキリした証拠がないと、言う事で認めてないケースですね。

で、もう一つは北朝鮮にいたことは事実だけども、要は自由意志で行ったと、言うふうな趣旨。
そこまでハッキリ言わなくてもそれに近い奴。
この間の証言は自由意志ってハッキリ言ったんですかね?
裁判では?
自由意志とは言わなかった?

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

一度帰って来ているにも拘らず、そこで訴えだとかそういうものが無かったじゃないか?と。
で、そのまままた(北朝鮮に)帰ってるじゃないかと、そういうような話ですね。

★川人弁護士

ああなるほど。
つまり本人が、広い意味で自由意志という事になりましょうか。
そういう趣旨であると。
で、従って認定しないと。
多分大別すると2種類のタイプがあると思うんですね。

それでですね。
後者の方についてはですね。
あるいは他にも良く似た事案があるのかどうか分かりませんが、もうそういうことを考えて言い出したのかも知れませんね。
ある意味で言えば、有本さんのケースなどもですね。
騙されて行く訳ですけども、そういう100%暴力的な拉致の場合と騙して行く場合と比べて。
つまり騙して行く場合と言うのは、法律的には内心ですね。
瑕疵ある意思表示というんですけども、物理的な意味で拉致されたり連れて行った者と比べると、あるいは論争をしようと思えば、向こう側がですね。
騙されて連れて行かれたのか?自分の自由意思で行ったのか?と言うことが、論争しようと思えば向こうが出来る余地がややあると。
つまり色々な嘘の証言を集めればですね。

ですので、あるいは前回のよど号事件の証言の話は、今後そういう自分の自由意思で行ったのかどうか?というタイプの拉致認定に影響する事案ではないかと思います。
古川さんの事案は、そういう意味ではそういう議論になる余地は全くないと思います。
そういう意味での違いはあると思います。
ただ全体としての問題として、田中さんの認定が4月下旬にやられたわけですけども、その後新たな認定は今の所無いわけですよね。
そういう意味では、政府の方としては拉致の認定に消極的であると、変わってないということはあると思いますので、この裁判その他の活動を通じてですね。
その点の姿勢を正していく事は必要ではないか?と思っております。
そういうふうに思っております。
ちょっと補足をね・・・

★岡田和典 特定失踪者調査会理事

調査会の理事の岡田でございます。
ちょっと今の自由意志云々の話なんですけども、例えば田中実さんのケースなんですけども。
私ども兵庫県警に繰り返し拉致認定を求める。
そういう、外事の方に出向いて話をしておりますとですね。
自由意思で行った可能性はあるということは必ず匂わせながらですね。
だから中々拉致認定にならないんだと、そんな事も言ってるわけですね。
付け加えるわけですね。

ただですね。
この点についてはですね、非常におかしな訳ででしてね。
現実に4月の終わりに拉致認定された。
またこのですね。
去年の暮れぐらいにですね。
どうも田中実さんはですね、自分から進んでといいますかですね。
ラーメン屋の親父にですね、一緒に連れて行ってやると言われてると言う事をですね。
周辺に相談していたとか、そういうような情報が去年の暮れから初めて出てきたんですね。

最終的にはですね。
どんな情報が出てきたかと申しますと、養護施設の理事長のところにですね。
卒業してから、その養護施設を卒園してから1回だけ訪ねてるんですね。
その時にですね。
「僕は籍を売ろうと思ってる」と。
そういうふうな話すらもしているわけですね。
それが丁度、拉致認定の前くらいに出てきてるわけですね。
となってくるとですね。
自由意思で行ったか?と言う点ですね。
これがまだハッキリと明確な物が無いにも拘らず、拉致認定になったということですね。

もう1点ですね。
様々な伝聞情報、または雑誌などで、暴露・告発等によってですね。
田中実さんが北朝鮮に拉致されたと言う事は色々と取り沙汰されたわけですね。
ただ現実に、田中実さんを政治軍事大学で見たと、金正日の政治軍事大学で見たという証言があったのはですね。
安明進一人なんですね。
他には無い訳ですね。
こういう点からも含めてですね、向こうでの目撃証言があるいう点。
これは古川さんと共通する安明進氏の証言のみですね。

で、今言ってるのは自由意志云々という事になってくるとですね。
これもどちらかと言えば、今16人認定されている中ででもですね。
(田中実さんは)自分の意思で行った可能性が一番高い方でもあるわけです。
自分で籍を売りに行くんだと言う事をわざわざ周りに喋ってると、言うようなことででしてね。
この点もなぜ拉致認定されたのか?と言う点になるとですね。
はなはだ明確な根拠があるとは思えないわけですね。

非常に摩訶不思議なのはですね。
この古川さんの裁判、こうして続けているわけですけれども、何を思ったのかですね。
先日の、神奈川の川添さんから今お話がございました、よど号の帰国に関する裁判が先日行われた折にですね。
警視庁は何も聞かれてもいないのにですね。
わざわざ「福留貴美子さんは拉致被害者じゃない」と言う事を、極めて踏み込んだですね。
必要の無い裁判での発言をしているわけですね。

で、この古川さんの裁判においてはですね。
いまひとつ踏み込んで来ない。
逃げてばかりでいるにも拘らず、否定する部分についてはですね。
極めて積極的な必要も無いことをですね、言うてると。
じゃあ被害者で無い根拠は何なんだ?と、いう事になってきたときにですね。
その警視庁の公安の裁判の説明によるとですね。
福留さんはモンゴルに行きたい行きたいと言っていて、騙され諌言によってモンゴルに行って、騙されて北朝鮮に行ったもんだと言うふうに我々は考えているんですけども。

そのあとよど号のメンバーの指示によってですね。
日本に今一度再入国しているわけですね。
こうして日本に今一度入ってきたときにですね。
本当の拉致被害者であればですね。
いくらでも逃げられる自由とかそういう物があったんだと、それをしていないから拉致被害者じゃないんだと。
いうような説明をしているわけなんですね。

こういうところからでも、古川了子さん、あるいは田中実さん、また福留さんのこういうものを通じてですね。
国の姿勢と言うものが、垣間見えるわけですね。
何としてでも勝ち取っていきたいと思ってる次第でございます。

★川人弁護士

ちょっと法律家としての見解を申し上げます。
これちょっと私の個人的見解ですが、将来必要であれば法律家の会としての見解を出したいと思いますが。
おそらくですね。
次のどちらかの用件を満たしておれば自由意志ではないんですよ。
まず、向こうに行く時に、騙されたりもちろん暴力的に拉致されたりした場合、こういう場合は自由意志ではない、拉致であると。
これはまず明確ですね。

もう一つはですね。
そうであるかないかに関らずですね。
つまり全く100%共和国は素晴らしい国だと思って行ってもですね。
今度は向こうから自由に国を出られないと、そういう場合はですね。
これも拉致の被害者として、厳密に言うと言葉的には監禁の被害者なんですけども、そういう形で被害者として認定するべきだと。
だって自分の国籍である日本に自由に出国出来ないというのは、身柄を拘束されているのと同じですから。

ですから私は自由意志議論が問題になるとすれば、それは(日本を)出る時、または、且つじゃなくてね。
(日本を)出るときに何らかの形で騙されたりしていると。
または(日本を)出るときに仮に100%自由意思で出て行ったとしても、もう(北朝鮮を)出られなくなった状況になったときには、それはまた被害者として認定するべきだと。

例えばですね。
始めに騙されて(北朝鮮へ)行ってですね。
そして向こうで生活している間に様々なしがらみが出てきた結果、まぁ、言葉の上では帰りたいとは言わないとか、日本に。
あるいは寺越さんのような状況になったりすると言うことがあるわけで、ですから今現在ですね。
その人がどういうふうな表現を使ってるかどうかは、一番始めのところで犯罪行為によって連れて行かれている場合にはですね。
今その人がどう言っているかと言うことは基本的には関係ないです。
被害者なんですね。
連れて行かれたという場合、その後しがらみの結果、今は自分が日本に戻りたいとは思わないと、仮に言葉として使っているか使ってないかですね。
そういうことは基本的に問題ではない。
被害者の認定のあり方は、おそらくまたは、ですね。
(北朝鮮に)入っていく、または(北朝鮮を)出られないと言う、どちらかを満たしておれば被害者と考えるべきで、自由意志と言うのは本来ほとんどのケースで有り得ないと。

よど号の犯人はどうですかね?
この辺になってくると、それでもあり得るかもしれないですかね?
そういうふうに思っています。
また今後色々議論をしていきたいと思います。

―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会7

『質疑応答(質問者 時事通信・ヤマネ氏)』

※質問者 時事通信・ヤマネ氏

すみません。
時事通信のヤマネと言います。
さっき川人先生が次回あるいは次々回、裁判官が決断を迫られると言う・・・具体的にどういうふうな展開になりそうなんですか?

★川人弁護士

こちらとしては証人採用決定を求めていくという展開にしたいと思うんですよ。
つまり向こうはこれ以上乗れないと言うわけですよね。
ここに書いてある以上は。

で、普通の裁判だとですね。
こちらが主張しているように古川了子さんは、こうこうこういう経過で突然失踪したと。
こちらが言ってる事に対して、その事実は認める、あるいは認めない、分からない。
このどれか答弁をしなければいけない、普通の裁判ではね。
突然何月何日にいなくなったと、こちらは言ってるわけですね。
7月の7日にいなくなったというふうに主張していると。
その事実に対して、認める・認めない・分からない、このどれかを答弁しなければいけないというのが裁判のルールなんですよ?
所がそれをしないわけですよ、向こうがね。
だから実態審議に入らないで門前払いしてくれと言うのがそういう意味なんです。

通常の裁判だと認める・認めない・不知ということになってですね。
どれかなんですけど、それはなぜやるかと言うと、認めると言う部分に関しては証拠調べをする必要はないわけですよね。
で、争いになってる部分だけ、証人調べをしていくわけですよね。
ですから始めの内は書面のやり取りが続くというのが裁判なんですね。
ところが本件の場合は向こうがいつまで経ってもそれを応えないわけですよね。
ですので、こちらとしては見切り発車をして、相手が応えないと言う事は、全て争うという趣旨だと考えてですね。
どんどん証人調べをしていきたいと。
だから彼女が失踪した経過も含めてですね。
ご家族の方にも証人に立ってもらってですね。
どういう経過でいなくなったかと言う経過も含めて、証人調べに入っていただくと。
そういうことを裁判所に要求したいと思います。

そうしますとその時点で裁判所としては、証人決定をするかどうかと言うことで迫られてくるということですね。
向こうが言うように門前払いをするということは、証人調べを一切しないということですから。
ですからこちらが証人調べを求めるという事に対して、裁判所としての態度決定が迫られていくと。
そういうふうに理解いただければと思います。
ですから次回・次々回がその辺のやり取りが、裁判所としてもそろそろ、だから3人の間でそろそろ議論をしているんじゃないでしょうか?
どうしようか?というような話を、多分そういうような展開になると思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古川了子さん第3回行政訴訟報告会8

『質疑応答(質問者・増元照明さん)』

★川人弁護士

他にございますか?
なにか取り組みその他でインフォメーションとかございますですか?

※増元照明さん

川人さん、先ほど裁判の中で彼らは認定してもしなくても、やってる事はやってると言う事は。
政府認定と言うのは総理の認証が要りますので無理だとしても。
彼ら自身は、じゃあ古川了子さんが拉致されていると認めることになるんじゃないですか?

★川人弁護士

そこは言わないんです。
言わないんですが事実上はそういうふうに近いわけです。
近いんですがハッキリは言わない。

※増元照明さん

今回の裁判は古川了子さんの拉致を認めるか認めないか、ということですが。
最終的には総理に認証させるしか無いと言うことなんですが、そこまで持っていくと?

★川人弁護士

裁判所が判決で認めれば、政府、内閣総理大臣はそれに基づいて認定しなければいけないと、こういう事になります。

※増元照明さん

裁判所の?

★川人弁護士

裁判所の決定に総理大臣が従って認証するという事になります。
それは三権分立の考え方からしますと、裁判所が決定したらそれに従わなければいけない。
こういう事になります。
それを求めているということですね。
で、向こうはそれは一種の専権事項のようなことで行政のフリーハンドにして貰いたいという事で、逃げてると。
やる事は一生懸命やってますと。
後はまぁ行政に・・・

※増元照明さん

言ってる事は同じことですね?

★川人弁護士

まぁ同じ事なんですけど、形として判決で内閣総理大臣の行為を縛るようなことはしないで欲しいと、こういうことですね。
本音はそういうことです。

えっと、よろしいでしょうか?
そうしましたら長時間ありがとうございました。
次回もですね、今日傍聴券の発行は無かったんですが、多分次回もないと思います。
裁判所の最近の傾向としては、定員とほぼ同じくらいの場合はですね。
多少多くなっても傍聴券の発行はしないと言う扱いになっているようです。
これは単純に理由は傍聴券を発行する職員の数が足らないと言う事、それだけの話なんです。
ですので、おそらく次回も傍聴券の発行は無しという事になるかと思いますが、従いまして、11時半でしたか。
まぁちょっと早めに来ていただければ、そうですね、20分か30分前くらいには法廷に入っていただいた方が宜しいかと思います。
どうも本日はありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月16日 (日)

第3回拉致被害者を救うフォーラム

第3回拉致被害者救うフォーラム(NHKニュ-スサイトで動画もみることができます)


大会決議
内閣総理大臣小泉純一郎殿

小泉総理は一貫して「拉致問題お解決なしに北朝鮮との国交正常化はない」と明言し続けております。これはただしいことであります。
正常化交渉の前に、拉致されたまま今日も北朝鮮の地で一日千秋の思いで助けを待っている全ての日本人を帰還させてください。
拉致した北朝鮮政府が悪いのですが、それを30年ちかくも放置してきた日本政府と国会議員の責任も重大です。

日本政府の最高責任者である小泉総理にあらためて申し上げます。
「拉致問題の解決なしに北朝鮮との国交正常化はない」という明言を貫いてください。
経済制裁発動と小泉総理の揺るぎない信念を持って、拉致されている日本人をひとり残らず取り戻してください。

北朝鮮の不誠実な対応に負けるはずのない日本国を信じ、私達は全ての拉致被害者を取り戻すまで戦い続けることを誓います。

平成17年10月16日
第3回拉致被害者救うフォーラムinふくしま参加者一同

10161  
   
10162

10163  

10164

____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

早紀江さんのことば (2005/10/16福島)

第3回拉致被害者救うフォーラムinふくしま
       2005年10月16日福島市公会堂にて


10164_1
   2005年10月16日福島

今日は、このようにお集まり頂きまして、私たちの何の罪もなく北朝鮮に連れて行かれた子どもたちを、一刻も早く救出するために、この問題に関心を持って集まってくださいましたことに感謝いたします。
そしてまた、これまでの8年過ぎました救出活動の中で、福島の菅野会長はじめ、福島の皆様にも本当にたく2さんの署名やカンパを頂戴いたしまして、今日まで、なんの心配もなく、活動を続けてくることができました。本当にお礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

この拉致ということが、私たちのこのような平和な日本の国の中で、誰もが自由で、何を食べ、何を着、何を話してもいい、ほんとに豊かなものに恵まれている平和なこの日本の中で、誰も知らない間に、30年も35年も近くの間、全国の津々浦々から、めぐみもそうですけれども、町の中から、家のすぐ近くから、浜辺から、たくさんの何の罪もない、これから希望に燃えた日本の若者たちが、あっという間に、北朝鮮の工作員に捕まえられて、夜の闇にまぎれて、ぐるぐる巻きにされて、目隠しをされ、猿轡をはめられ、そして袋をかぶせられて、あの暗い波間を、船に乗せられて、日本海を、連れ去られていったというこのような恐ろしい出来事が、長い、長い年月、ほ・ん・と・に、こんなことが日本の中でおきていたとだれも信じることができない・・・・。

私たち、当事者自信でさえも、9年前に「めぐみが北朝鮮に拉致をされて平壌にいるということがわかりました」 っていうような話を聞いても、20年間、あの52年の11月15日の夕方、めぐみはまっすぐに帰ってきて、この家のすぐ曲がり角のところで、めぐみのにおいは消えてしまっておりました。犬が来ても、何度かこうして回って、そこからどこへもいかないという状況があったので、ここで何が起きたんだろうと思いました。

そのようなことが、ほんとに日本の中で起きていたのです。そして私たちは、北朝鮮という国を、あまり知りませんでしたので、「なんともいえない不気味な国だな」とぐらいしか思っておりませんでした。実際にこのような問題が起きて、当事者になってはじめて、たくさんの専門的な方々のお話の中で、勉強会を開いてくださったり、私たちがたくさんの本を読んで、ようやくこの国がとんでもないことをやっている国だと言うことが、ようやくわかりました。

そのような国が、さきほど主人がもうしましたように、偽ドルを作ったり、麻薬を作ったり、そして拉致もその中の一つとして、大変な罪をいっぱい犯している。その国がすぐ近くにあるわけです。そして、その国が、今回、核を持ったと宣言をしています。そのような恐ろしい国が、ほんとに核を持って、その核があちこちの国に売りさばかれて、そしてその核がどのような形で、私たちのこの平和な日本の中を、あっという間に灰に化してしまうかもしれない。

そのような恐ろしさがもう今、私たちの身の回りに迫ってくるような、身の毛もよだつようなことが段々に迫ってきているということを、私たちはこの拉致を通して、めぐみたちの、ほんとにこのかわいそうな犠牲者を通して、ようやくわかってくるようになりました。

10163_1

そしてたくさんの方がこのようなことをようやく理解してくださるようになりました。そして私達は家族会を作って、拉致をされた多くの方たちと一緒に「子どもたちを救ってください」「政府の方が外交の上でやって下さらなければ私たちは何の力もありませんから」「事実をはっきり言うだけですからお願いします」と全国を歩きまわって、署名活動をしてまいりました。

いつもお話しますけれども、鹿児島の増元るみ子さんも死亡宣告をされているおひとりです。
そのお父様も、鹿児島県人であり、九州男児であり、明るい大きな声のお父さまでした。お父さまも一緒に私達は、めぐみの写真も大きくして、るみ子さんの写真も大きくして、有本恵子さんの写真も大きくして、熊本や鹿児島の町に立って、「皆様、通り過ぎないでください」「署名活動、お願いいたします」チラシを配り、「ここに、お一人でも書いてください、助けてください」と訴えておりましたけれど、当初はほんとに誰もが「そんなことがほんとに日本にあるんですか?」「ほんとなんですか?」そしてある方は、「北朝鮮というような不気味な国のことには、関わりたくありません」というかたちで、ほとんどの方が、片手を振りながら、通り過ぎてしまわれたんです。

その時に増元さんのお父様は叫んでおられました。「こんなに大変な大事件が、大変なことがこの日本の中で起こっていたのに、24年間も一体政府は、何をしていたんだー!」と大きな声で涙を流しながら叫んでいたことを、私は今も忘れることができないんです。

一緒に活動していた蓮池さんや地村さん、そしてまだ名前もあがっていなかった曽我さんが帰国なさった、ほんとうに奇跡のようなことが起きました。そしてあのタラップから降りてこられました。「あ~、あの後ろから、めぐみちゃんや恵子ちゃんが現れてくれないかな。。」と。

死亡宣告されても尚、私たちは、ひょこっと現れてくれるんじゃないかと、扉の向こうを一生懸命眺めていましたけれど、その時は私たちの子どもたちは、ほんとに影も形も見えませんでした。

増元さんのお父様は、「なんとかるみ子のことを知りたい」と、お帰りになった方々に、息子さんの照明さんが一生懸命、次の日に、部屋を回って、「どーんな小さなことでもいいから、るみ子のことを知っていませんか。なんか話したことありませんか」「何処にいたか知りませんか。なんでも教えてください。お父さんは、もうあぶないから、大変な病気で臥せっているんですから何でもいいから。。。」

もうその頃、増元さんのお父様は酸素マスクをなさって、病院のベットで臥せっておられました。ほんとにもう、何日も危ないという状況でありました。

照明さんは必死でまわられましたけれど、あの時は、不思議なことに、めぐみのことばっかり出てきました。「このような招待所で、このようにして、めぐみちゃんの家族と私たちは暮らしていました」
「めぐみちゃんの結婚式には行きませんでしたけれど、めぐみちゃんは、大きなスイカを持ってきてくれたんですよ。」とか、そのような生活の一端を、いろんなことを、思いもかけないそのような状況を教えてくれて、もう、びっくりしたんです。

けれども、るみ子さんのことは何ひとつもわからなかったんです。「見た事もありません。その人と話したことも、聞いたこともありません」とその時に、帰ってこられた方は照明さんにおっしゃいました。

照明さんはがっかりして、飛んでお父さんのところに帰られました。「何にもわからなかったけれど、絶対にめぐみちゃんも、るみ子も生きているからね、頑張ろうね。私たちも頑張るからね」とお父さんを励まされていたんです。お父さんは、本当に力のない、酸素マスクをした体をやっと持ち上げて、

「るみ子、もう、お父さんは、お前を探してあげられんようになってしもうたけれど、絶対、元気でいなさい。」そして「俺は日本を信じる、だから、お前も日本を信じろ」と、照明さんにおっしゃって、旅立っていかれたんです。

みなさまがお帰りになった2日あとでした。

あれだけ長い間待ち続けて、「るみ子、るみ子ー!」と街角で泣き叫んで、叫んでいらしたお父様。。。
私達家族はみんな、いろんな形ではありますけれど、なんの罪もなく、そのように連れ去られた子どもたち、なんで、こんなに苦しい目に、なんという恐ろしい人生に変えられてしまったんだと思います。

今、ジェンキンスさんの著書が出ました。その中で私は、初めて知ったことがありました。
ジェンキンスさんと(曽我さん)ひとみさんご夫妻が、一緒に暮らされるちょっと前に、めぐみと曽我さんは一緒に招待所で暮らしていました。ほんとうにめぐみにとっては同じぐらいの年の、ほんとうに寂しい、苦しい、辛い中で初めて出会った日本人の女性でした。

曽我さんが招待所に連れてこられた時「めぐみちゃんは、にっこりと笑って私を迎えてくれたんですよ」
と曽我さんは言っていました。「私はその笑顔に、どんなに私は、ほっとしたかわかりません」と言ってらっしゃいました。そして二年ほどの間でしょうか、何度か引越しをさせられながら、二人で暮らして、勉強させられて、朝鮮史、朝鮮語、物理、数学、化学、いろんなものを教わったと言っていました。

そして、その後になって「今日あなたはこの人と別れて、めぐみと別れて、こちらに行かなければならない所がある」と連れて行かれたところが、ジェンキンスさんがいらした所だったそうです。そしてそこで一緒に暮らしようになって、初めは警戒をなさっていらしたんですけれど、本当に寂しい中で、アメリカの人ではありましたけれど、そこで心が結ばれて結婚をなさったと言っていらしました。
本当にあちらの国は、「あなたはここに行きなさい!」「この人を変えなさい」「この人と結婚しなさい!」と言われれば、「嫌です」と逃げ出すわけにも行かない所です。

監視の厳しい、いつもいつも、24時間、毎日毎日誰かが行動を監視しています。盗聴器が備え付けられています。本当に恐ろしい、監獄のような国の中で、何の罪もないたくさんの私たちの子どもたちが、180度人生を変えられて、あちらの思想を埋め込まれて、あちらの国のためにそのような仕事をさせられて、今も曽我さんとめぐみたちがあの頃に歌っていた。。。

~日本の唱歌を、寝床の中で小さな声で<ふるさと>や<もみじ>を歌いながら泣いていたと言っています。お月様を見ながら「明日、誰かが来てくれる、必ず来てくれる」と。「親が来てくれる。政府が来てくれる。」と思い続けて。。。~

蓮池さんたちも帰ってこられておっしゃっていましたけれど「3年間待っても、だれも来てくれなかったので、私たちは、もうあきらめるしかなかった。だから、これからはもう北朝鮮人として生きて行くしかないと、心を180度転換してあちらで住んできたんです」とおっしゃっていました。

曽我さんは帰られるあの前の日まで「私は誰かが来てくれる、必ず来てくれると信じていたんです」とおっしゃってました。

それぞれが、どんな想いで、今も。。。今はめぐみは一緒に暮らしていた曽我さんも、そして蓮池さん、地村さん、同じ集落で暮らしていた(へギョンちゃんも一緒に暮らしていたといいますけれど)そのような人たちがみんな、飛行機に乗って帰ってしまった。

「何で私だけ、かえれないんだろう?」
「何で私だけたすけてくれないの?」と
今日も、お月様を見ながら泣くに違いありません! 
(会場すすり泣き)

「助けてください」と!


みんなあそこにいる囚われた人たちは本当に、海に溺れている、状態なんです。
私は、いつもこれを話に出させて頂きますが、海に溺れて、もがいているんです。

「早くもとの所に帰りたい。」「陸に上がりたい」と「助けて~」「助けて~」と片手を挙げて溺れそうになっているんです。
本当にこの人たちの命を助ける気があれば、泳げる人は急いで飛び込むんではないでしょうか!
泳げない人は、ロープを投げるんじゃないでしょうか?
小さなボールでも投げて「これにつかまりなさい」と投げてあげるんじゃないでしょうか?
大きな声で「もうちょっと我慢しなさい」と、言ってあげるんじゃないんでしょうか?


それが人間の本当の心だと、私は思っているんです。

それがめぐみだけではなく、特定失踪者と言われる方が、まだ400名を超える方が、まだ名前もあがらないで、何処から連れて行かれたか、どのようになったかも判らないまま、お父さんお母さんは、丁度9年前の私たちと同じように「誰が連れて行ったんだろう」「海の中にはまって死んでしまったんだろうか」「どこかに家出して、誰か悪い者に捕まってしまったんだろうか」「あそこの畑の、あのようなところに埋められたんだろうか」「あの雪の山に埋められたんだろうか」「雪が解けたら、来年は必ずあそこを探しに行こう」

私達はあらゆることをあの子のために、一生懸命に戦ってきました。それと同じような状況が今も、特定失踪者の方は続いていらっしゃるんです。80歳代、90歳代になっても、まだ、ご両親は子どもたちが帰ってくることを信じています。

それが北朝鮮の国家犯罪として「拉致はわが国がやったことである」とあちらの一番の指導者が認めたにも関わらず、相変わらず、めぐみの偽の骨が出されたり、出してきたものをこちらが鑑定して、違ったものだと言えば「そのようなことは日本がでっち上げたんだから、その骨を返せ」と言ってきます。

どこまで、このような残酷、非道なことをし続けるんでしょうか?

いつも思います。私たちも、あの52年の11月15日の夕方、あのようなことになるとは誰も考えた事もありませんでした。「元気で行って参りまーす」とお友達と一緒にラケットを持って出かけためぐみ。

その子が28年間も、別れたまま、助けを求めている、その場がわかっているのに。

そしてめぐみちゃんが持っていた赤いスポーツバックをひとみさんが「頂いたんです」とこのたび初めてジェンキンスさんの本にも書かれていました。別れる時にめぐみが「私だと思ってこの赤いバックを大事に持っててください」とひとみさんに渡したと初めて知りました。

あんなに一緒に、私たちがふたりで赤いバックを買いに行って、そこに運動着を入れて、元気で通っていたあの赤いバックは何処に行ったんだろうと、いつも思っていました。

ひとみさんはまだお話は、なさらなかったんですが、「いつか言おう言おうと思っていたんですけど、長いこといえなくてごめんなさい」ということでようやくそのことがはっきりいたしまして、ひとみさんが大事に持っていたんだとおっしゃっておりました。

けれどもその大事なものさえも、何一つ。。めぐみちゃんからいろいろと絵を描いてもらったり、手を写生してくれたり、朝顔の押し花を作ってくれて、言葉を入れてしおりをつくってくれたり、「いろんなことをめぐみちゃんはしてくれたんですよ」といってましたけれども。「そのどの一つも日本にもって帰ることができなかった。お父さん、お母さんに見せてあげることができなかった。本当に残念でなりません」とおっしゃっています。

本当にめぐみはそうやって一生懸命、そうやって、生きているんです。

今もどこかで、助けを求めながら、誰かにまた絵を描いてあげているかもしれません。


このような、犠牲者が、400名にも上る人たちが(全部が全部でないかもしれませんが)北朝鮮の国家犯罪によってなされいた事。現在もそれが解決していないという事。今も何処かで、皆様方のように、ごく平凡な、普通のご家庭の誰かが、何処からかひょこっと消えてしまうかもしれないと言う、現在進行形のこのような恐ろしいことを、こんなに苦しみ続けている、子供たちのことを忘れないで頂きたいと思うんです。

どうかこの問題が、今現在私たちの、この時代に、私たちの子どもたちや、孫たちがこれから住んでいくこの日本が、こんなにいい加減に、あいまいにしたままで、この事を引きずって、まだまだそのことが連なっていくことになっては、決していけないと思っています。

どんなになっても、私たちは、倒れるまで、子どもたちを、日本の土地に、この国に連れ戻す為に、政府に訴え続け、小泉さんに、「父親の思いになってください、あなたの大事な幸太郎さんがもしこのような状態になっても、あなたはいつも『まだまだ、対話と圧力ですね』と言って片手をあげていらっしゃるんですか」と私達は本当に訴えてきています。

ほんとにどうして、こんなに速やかに毅然とした姿勢を貫いて、怒って、「国際的にも声を出して怒ってください」と、お願いをしていることができないのが私たちはわからないんです。

小さな国民にとって、力がありません。たくさんの小さな国民の力が結集されて、そしてそれが世論となって、波のように官邸に押し寄せて、そして国際的にも多くの方々に、知っていただいて、北朝鮮のこの人権問題全てが、北朝鮮の苦しんでいるたくさんの国民の、餓死をしている子どもたちや国民たちも含めて、こんなに悪いことを、はっきりと表明して行くものになりたいと思っています。

どうかよろしくご支援ください。お願いいたします。(拍手)
―――――――――――――――――――
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2005年10月12日 (水)

変人はなぜ変わったか

2005年10月12日(水)

“奴隷の平和は選ばない”とまで喝破した人間がなぜ動けなくなったのか、石原慎太郎も同じ頃に変わった、何があるのか、その動機が個人的問題でないなら、安倍晋三が変わらぬ保証もない。「制裁する」ではなく「制裁すべき」なら誰でも言えるが、政治家は評論家ではない、安倍氏がガス抜きの可能性だってある。

>>「空白の10分間」に金正日が小泉総理に語った内容が以下のようなものだったら、小泉でなくとも同じだろう。・・・・・
>なぜ同じなのだろうか?拉致被害者家族は、最初から覚悟を決めているのに。 /月光氏

小泉が変わった理由が個人的脅迫でない場合についてhashimoto氏との話をきっかけに想像した「たとえば仮に」の話にさらに仮話を継いでもと思うが、一応レス。

拉致家族は「遺体で良いから日本に戻せ」と言ってはいない。目の前で銃を突きつけ「制裁したら殺す」と脅せば家族は制裁を言えなくなるし、“軍国の母”を我々は望んでもいない。

もちろんこんな野蛮な脅迫が公になれば安保理制裁決議は文句無く通る、中国もどうしようもない、北朝鮮の崩壊が早まるだけ。外交交渉は公式、非公式、水面下があり、どんな蛮国でも公式の場では形だけでもルールは守る、戦争で殺し合う横で和平交渉が進められるように。だから北朝鮮はいつも、公式見解とは別に、水面下で個人を狙う、極めて卑劣なやり方で。

閑話休題(ところで)、今朝のNHK国際放送「あの人に会いたい」の柳家小さんの言葉。朝飯食べながら聞いてたので正確ではないが、だいたいこんな内容だった。
『落語には噺家の人柄、了見がでてしまう、同じ噺をしても乱暴者が話すと乱暴に、卑しい者が話すと卑しくなる、芸は人なり、だから噺家の心根はいつも清廉潔白でなきゃいけねえ』
政治思想信条も、それを語る人次第、ではないか。
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月 9日 (日)

金日成の写真

サンプロで紹介された、萩原遼さんの写真です。暗いところで余りよいできではありませんが、ご紹介します。

一枚目、左の集合写真
中央が金日成、左端が萩原さん
一緒に見せて頂いた他の写真に、金正日も写っていたようです。

Hagiwara1

赤旗記者時代の貴重な写真です。
高世仁さんがテレビで紹介するとおっしゃっていました。

今、萩原さんは、金正日体制を批判し、日本人妻の救出や、北朝鮮人民の救済に動いています。
生の北朝鮮に長期滞在した方です。

昨日フォラツェンさんの通訳をなさってくださった、北朝鮮難民救援基金の野口孝行さんも脱北者の情報、中国国境付近の様子をよくご存じです。

高世さんも北朝鮮の情報収集に積極的に取り組まれており、4月に発表された公開処刑の映像の入手にもご苦労なさったと聞きました。

今まで以上に、こういった方達との連携も模索して欲しいと思います。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

大衆世論に訴えるために

昨日の藤沢は、お話しも市川さん、横田哲也さんの訴え、フォラツェンさんの韓国の状況についてのお話、特定失踪者問題調査会の岡田さんのお話、西村幸祐さんのお話と、盛りだくさんの内容でした。

何故金正日が拉致を認めて3年も経つのに、状況が変化しないのか、何故日本政府が積極的に拉致に取り組まないのか?本当に不思議になります。

その元凶が何処にあるのか、その部分にも岡田さんは触れていました。

私は、九条の会の活動をみて、その組織力、動員力、意思の硬さを体で感じます。参加している人の表情、態度から、この人達は確実に拉致問題へ「後ろ向きなんだ」という感触を体で感じるのです。

この人達と一緒に拉致に取り組むことは非常に難しいのだと思いつつ、少なくとも運動のまとめ方、組織力には、我々も学ぶべき点はあるのだと思います。

たとえば、ボランティア名簿の活用、救う会活動への参加登録など、連絡網を活用することで街頭活動ももっと盛り上がるのだと思います。

地方の会では、それぞれ努力していると思います。会員制度をとっているところもあるでしょう。しかし、首都東京では、そういったものは見かけません。家内制手工業状態ではないかと。

通常サラリーマンはそう簡単に自由な時間を取ることが出来ません。だから、どうしても活動の中心にはなり得ない。でも多くの人が少しずつの時間を組み合わせて、5人で一人分の活動を作り上げて行くことも出来るのだと思います。

街頭もいつも同じメンバーではなく、みんなで交代で参加していけばいいと思うのです。
上手に組織を作っていくことも大切なのではないかと。

昨日初めて拉致関連の集会に参加した方が、集会にについて素直な感想を聞かせてくれました。
何度も参加していると気がつかなくなっている部分、見えなくなっている部分もあります。そのことに気付かせてくださいました。

新しい参加者が気持ちよく参加できる集会というのもこれからのテーマだと思います。
大衆世論を味方にするためには、内側で「小泉退陣を言わない支援者は正当ではない」とか「ものの言い方がヘタだから気に入らない」などといっている場合ではないのだと思います。

やはり広げることが大切です。

____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

藤沢駅で感じたこと

藤沢の駅では、よく「九条の会」の人が街頭活動をしています。共産系の方が大勢で。
今日も(8日)活動をしていました。駅に着いて、そののぼりとちらし配布の人数の多さに、うらやましささえ感じました。
こんなに大勢で街頭活動をした経験が余りないからです。

その中で、救う会神奈川の方がふたり、一生懸命集会の案内をなさっていました。
ほんとうにご苦労様と声をかけたくなりました。多勢に無勢なんですもの。

他の署名活動でも、「九条の会」とバッティングしたことがあります。もの凄く冷たいです。
こちらのマイクが使えないぐらい、連続で話し続ける。とうとう、「同じところで訴えるのですから、交代でマイクを使いましょう」と声をかけました。なんとか交渉は成立しましたが、勿論署名はしてもらえません。最後に「拉致は大切な人権の問題です。この問題にも関心をもってください。」と言って、早紀江さんのことばを印刷した物を渡しました。「電車の中で良いです、絶対読んでください」と言い添えて。

何故この人達には、「拉致の悲惨さ」が伝わらないのか?
兵本さん、萩原遼さん、小川晴久さんのような方は、ほんとうに貴重な存在だと再認識します。

「九条の会」は、とても壁が厚いと感じました。
「九条の会」はともかく、国民世論を味方に付けるための、訴え方はどうあるべきか、もう一度考えるべき時でもあると、思います。
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年10月 8日 (土)

第12回藤沢集会(1)

『川添友幸 神奈川救う会会長 開会の挨拶』

今日はお忙しい中ありがとうございます。
前回会長代行としてご挨拶いたしましたが、今度正式に会長になりましてこれから私が挨拶という事になりました。
拉致の情勢なんですが、6カ国協議がまとまって日朝協議が再開という形にはなったんですが、非常に今難しい状況に来ているのではないか?と。
小泉総理がどうも日朝国交正常化に今非常に興味を示して、2月にも何か動きがあるんではないかと言う噂が飛び交っています。

しかしですね。
絶対に拉致問題の解決が無くして国交正常化をするようなことだけは、我々止めないといけません。
それを止められるのは我々国民の力ではないかと、僕は思っております。
今日は過去うちの救う会でお呼びした事の無かった市川さん、それから横田さん、ホラツェンさん。
それから特定失踪者問題調査会の方から今日は岡田さんにも来ていただきました。
前回もご紹介したんですが、田中実さんの政府認定を勝ち取ったと言う事でですね。
兵庫県警も恐れる男だと言う事で、ぜひその辺の話も聞ければと思っております。

その後、いつもは講演が終わると終わりなんですが、脱北者のドキュメンタリー映画で「ソウル・トレイン」の上映会を講演会の終了後行おうと思っております。
講演終了後、お時間の無い方はもちろん帰られても構いませんが、ぜひ、中々素晴らしいドキュメンタリーの映画ですので一緒に観て頂ければと思います。
ちょっと時間が長いかもしれませんが、よろしくお願いします。(拍手)

____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(2)

『市川健一さんのお話(市川修一さんの兄)』
10082 藤沢の皆さん、こんにちは。(会場より「こんにちは」の声)

鹿児島から来ました市川修一の兄です。
いつも変わらぬ支援を頂き本当にありがとうございます。
心から御礼申し上げます。
あの~、私は標準語は話せないんですよ。
鹿児島弁的標準語になっちゃいますので、本当聞き取り難いと思いますけども、勘弁してください。

修一が北朝鮮に拉致されて27年になります。
本当に家族においては辛く苦しい歳月で、現在もその苦しみは続いております。
金正日の指令によって残虐非道な拉致を行われ、政治的・思想的に何のかかわりも無い、無辜の人たちが日本人が次々と拉致されていきました。
20代30代の被害者においては大きな夢を持って、青春を謳歌していたと思います。
ところが突然拉致されて青春までズタズタにされてしまいました。
また家族においては塗炭の苦しみ。
我が子・が兄弟を引き裂かれて塗炭の苦しみを負って20年30年と苦しんでおります。

日本の政府は国民の生命・財産を守る義務があります。
ところが8年前まで、政府は何もして来なかったんです。
北朝鮮が拉致をしていると言う事を知っていながら、本当に何もしてこなかった。
拉致被害者が見捨てられていたんです。
その後私たち家族会・救う会、全国で集会を行い、この拉致問題を訴えてきました。
世論の力によって政府もやっと重い腰を上げたと思います。
ところが皆様もご承知のように、政府は拉致被害者を全員取り戻そうと言う強い意志は全く感じられません。
本当に腹立たしい、憤りを感じます。

失踪当時どの家族も大捜索を行ってきましたが、何も分からず進展せず、時間だけが空しく過ぎ去っていきました。
北朝鮮による拉致と言うことは、私たちは拉致を行っていると言う事は以前から分かっておりましたが、本当にその、弟たち全員が生きているのか?死んでいるのか?
生死の分からない、これほど辛い物はありませんでした。
私の母は修一の事を話すと涙ぐみ、本当に悲しい顔をするもんですから、私たちは修一のことは全然話すことが出来ませんでした。
8月12日の失踪日が来ても10月20日の誕生日が来ても、修一の事は一切話をすることが出来ませんでした。
本当に私たち家族の間では、修一の事は長い間タブーになっていたんです。

事件から20年後、北朝鮮の元工作員・安明進さん(の証言で)金正日政治軍事大学で弟を何回も目撃し、タバコも貰った、会話も交わした。
その証言から少しづつ母親も明るさを取り戻して来たわけなんです。
修一が帰ってきたら困るだろうと言って、二十歳の頃のスーツを取り出し虫干しする姿を見るにつけ、本当に痛々しい。
なんと言って良いのか分かりませんけども、本当にね、辛い思いでした。
と同時に金正日に対しては心から憎しみを抱くようになりました。

3年前、金正日は拉致を認め謝罪したものの、「8人死亡・2人未入国」の発表をしましたけども、北朝鮮から提供された情報あるいは調査書など全てが不自然で捏造された物で、とても信憑性のある物ではありませんでした。
5人の被害者を帰国させ、そしてその他の被害者を死亡としてこの拉致問題を幕引きしようとしていたのです。
そして日本と国交正常化をし、日本から経済協力を(得ようと)企てていたのです。

金正日は極悪の独裁者です。
日本政府が誠意を持って対応しても、彼には通じません。
自国民に対しても食料を配給せず、350万人もの国民を餓死させ続けているんです。
今でも食料が不足で脱北し続けております。
また金正日は十数か所の招待所をすなわち別荘を持ち、その別荘を転点と移動しております。
日々贅沢三昧の生活をしているのです。

小泉総理は対話と圧力を持って拉致を解決していくと、繰り返し盛んに言われております。
会話してもおざなりと言うしかない、北朝鮮の態度です。
情報も物的証拠も全てが捏造された物しか提供しません。
近々、日朝政府間の話し合いが交渉が行われます。
行われる(と言う)ニュースが最近流れています。

対話だけでは絶対にこの拉致問題は解決するはずがありません。
この交渉に出てくる北朝鮮の責任者、その責任者には権限が無いんです。
決定権があるのは金正日だけなのです。
権限の無い者と交渉しても、本当に進みません。
堂々巡りするだけなんです。
圧力を持っての対話しか解決の道はないと思います。
まだ総理は一回も圧力をかけておりません。
経済制裁の発動は拉致被害者を全員取り戻そうと言う意思を強く示すと同時に、金正日に対しても大きな圧力になるのは間違いないと思います。

北朝鮮の万景峰号は新潟港に入ってきます。
この万景峰号を止めるしかないんです。
金正日に直接渡る金・物をセーブすることが出来るんです。
総理が経済制裁を発動せざるを得ない所まで持っていくには、どうしても皆様方の力が必要なんです。
あの5人の被害者が帰国出来たのも、世論の力があったればこそ帰国出来たんだと思います。

私の両親は90歳です。
高齢の身なんです。
本当に朝、私早く起きるもんですから、「両親が今日も元気で起きてきてくれるかなぁ?」と、まず最近はそれを心配しております。
本当に二人の食事が早いもんですから、二人の会話を聞いていると、「お父さん、修一が帰ってくるまで元気でいようね」と、「本当に長生きするのよ」と、聞くたんびに金正日が憎くなります。(健一さん少し涙ぐむ)
一刻も早く両親に会わせてやりたい。
胸に抱かせてやりたい。
この一念で私たち闘っております。

鹿児島でも署名活動したり集会を行ったりしますけど、皆様方が「体に気をつけて頑張ってよ」と。
この言葉が本当に、私は悲しい中でもこの言葉ですごく元気になって、「修一待っていろよ」と。
「必ず助けるからね。それまで元気してくれないといけないよ」と心に呟いております。
去年から、親父は店に出て手伝ってくれたんですけど、ほとんど一年間店に出て来られない状態なんです。
私の家と店とは本当にわずかしか離れていないんですけど、私なんかが歩けば何歩で店に行く所を20分も30分もかけてレジに来るわけなんです。
それを見てやはりもう、「お父さん、もう店に出てこなくても良いよ」と、僕らがするから。
親父が60歳の頃弟が拉致されてもう今は90代になりましたけども、本当にね。
親父・お袋の心を思うと・・・(言葉を詰まらせる)もう、本当になんとも言いようが無いです。

皆さんのお力を借りて、どうしてもこの拉致被害者全員を祖国の土を踏ませてやりたいわけなんです。
そのためにも私たち家族に力を貸して下さい。
一緒に闘ってください。
よろしくお願いいたします。(拍手) ____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(3)

『岡田和典 特定失踪者問題調査会理事のお話1』
10083

皆さん、こんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
ご紹介いただきました、神戸から参りました特定失踪者問題調査会の理事をいたしております、岡田でございます。
よろしくお願いいたします。(拍手)
去年は東京の方もでおかしいんじゃないんですか?とお世話になった者でございます。
まぁちょっと分からないようでございますが。

実はですね、今日はこの4月にですね。
拉致認定されました田中実さんについて、少しばかりお時間頂戴しましてお話させていただきたいと思います。

皆さん、今年の4月25日、兵庫県内ではふたつの大きな事が起こったんです。
覚えておられますでしょうか?
まずひとつ、例のJRの西日本の尼崎の事故なんですね。
朝の9時18分だったと思います。
おそらくこの横浜、神奈川でも同じ事だと思うんですけれどもですね。
私の家から申しますとですね。
それこそ私もJRの近くに住んでおりますので、快速電車でしたら15分くらいの場所なんですね。
そこで100人を超える人たちがお亡くなりになられたと。
こういう事故があったんですね。
これが朝の9時18分ですわ。

それでですね。
2時くらいになってですね。
私の携帯が鳴りっ放しになるんですね。
もうひとつ大変な事が兵庫県警を中心にして起こってる訳です。
何かと申しますと、共同通信社がですね。
どうやら田中実さん、今日中にもですね。
政府が拉致認定の方向で発表するらしいと。
こういうことなんですね。
同じ兵庫県内の、何でわざわざこんな日にと、言うような時にですね。
びっくりするような情報が私の元に入ってきたんです。

当然の事、兵庫県内のマスコミ各社の皆さん。
一人として新聞社、各それぞれの会社に一人として残っておられません。
全部出てます。
いません。
拉致担当のそれぞれ各社の皆さんも神戸にはいらっしゃるんですよ?各社とも。
皆、尼崎に事故の応援に出払ってます。
誰一人出てません。
私の携帯に入ってまいりますのは、事故現場から
「いやこういう情報が東京から出ている。ついてはどういう事なんだ?」と。
言うような話なんですね。
まずこれは私は不思議で仕方が無い、と。

私ども、救う会神戸の代表をしております長瀬と私と二人でですね。
田中実さん、拉致の実行犯と言うのを刑事告発いたしました。
2年半前でございます。
2002年の10月4日なんです。
無しのつぶてなんです。
わざわざこの日にですね、拉致認定をなぜするのか?と。
その辺の話も含めてですね、これから少しばかりさせて頂きたいと思います。

田中実さん、小さい時にご両親が離婚されました。
昭和24年生まれです。
実を申しますと奇しくも私と同じ年なんです。
現在56歳になられます。
灘区内の神戸市ですね。
灘区内の児童養護施設に預けられました。

これがまたですね。
私と実は中学校が同じ校区なんです。
私も現在ですね、灘区に生まれ、ここに生活をしております。
中学校同じ校区なんです。
私はどういうわけかですね、中学校から私立の学校に参りまして、この中学校には行っておりません。
ただ、小学校の同級生がですね。
この田中実さんと同じ学校で席を並べて一緒に中学校時代を送ったんです。
そういう経緯もございました。

昭和24年に生まれ高羽小学校、鷹匠中学を卒業しました。
当時の養護施設と申しますのは、だいたいは中学校を終えるとそのまま社会に出て行くんです。
高校までは滅多な事では行かしてくれません。
ところがこの田中実さん、非常に出来が良かった。
成績が良かった。
この同じ施設の同じ学年の者が8名おりました。
そのうちの3名だけが高校に、ここの施設の理事長のご配慮によってですね。
高校に進んでおります。
神戸市立の工業高校というところに行きました。

中々大変ですよ。
親御さんがいられない。
施設育ち。
今でもまだまだこのようなハンデを背負った方は世の中で、頑張っても頑張っても中々報われないのが現状ではないでしょうか?
これ30年以上前のことなんですね。
当時のことを考えて頂きますとすぐに分かると思います。
中々厳しい社会生活のスタートだったんではないだろうか?と考えます。

卒業後、事務機器のメーカーに行き、すぐに職を転点とされます。
そして洋菓子店だとか喫茶店等でお仕事をされた後、阪神青木駅、阪神電車のそれこそ神戸市内に入ってすぐくらいのところですね。
東灘区と言う所です。
ここの駅から歩いて5分くらいの場所です。
来大(らいだい)と言う中華料理店に勤めることになります。
これが田中実さんの運命のいたずらのスタートです。

1997年の1月号ですから96年の12月ですね。
ここに発売された文芸春秋に、洛東江という神戸にある北朝鮮の非公然組織。
いわゆるスパイ組織。
ここのメンバーの一員である、張龍雲氏と言う人がですね。
「私たちが所属していた洛東江で田中実さんを拉致したんだ」と、このような暴露手記を掲載する事になりました。
横田めぐみさんの拉致と言う事が騒がれましたのが、1998年の2月3日です。
と言うことは、その1年少し前に田中実さんの拉致報道、拉致が雑誌に掲載されたわけです。
残念な事に何一つ世間の関心を呼ぶ事は無かったもんだと思っております。
申し訳ないけど、私も何一つ知りませんでした。

田中実さんの拉致の経緯についてはそこに張龍雲氏が書いてありますので、ちょっとその一部、私実は7月号の正論のここで田中実さんの事を書かせていただいたんですけれども、そこで引用文がございますのでちょっとここで読んでみたいと思います。
ここで出てきます、韓竜大と言うのがその中華料理店のラーメン店の店主です。
曹廷楽と言いますのがですね。
その洛東江と言うグループの親分です。
ちょっと読んでみます。

・・・・・・・・・・
曹廷楽は韓を70年代半ばに非合法で北朝鮮に帰国させた事があった。
平壌で開催された、ある国際的な大会に参加させる為である。
出発は山口県長門市。
深夜0時、曹廷楽が長門市の海岸で小石を2~3度投げて合図を送ると、潜伏していた工作員がそれに反応して姿を見せた。
準備されたゴムボートで沖合いまで行き、待機していた潜水艦で元山へ向かった。
韓は平壌では非公開の招待所で暮らし、この時、韓に日本人を拉致してくれるよう指令が届いた。
日本に帰った後彼は自分の経営するラーメン店Rの従業員田中実を海外旅行に連れて行ってやると、言葉巧みに誘い出しオーストリアのウイーンに向かった。
田中はここで消息を絶ったが、ウイーンでゴールデンスタンバンクという北朝鮮の情報収集組織にバトンタッチされ、モスクワ、そして平壌に向ったものと思われる。
ゴールデンスタンバンクは表向きは普通の信用金庫であるが、オーナーが朝鮮人で極秘に情報収集する組織である。
ソン・イルホンは私に、田中は現在、同じく日本から拉致されてきた女性と結婚し、翻訳関係の仕事についている。
元気でいるので心配しないでくれ、と韓に伝えて欲しいと話した。
・・・・・・・・・・

このように書かれているのです。
神戸におりますと、私自身も救う会兵庫と言う組織の中で活動を続けてきました。
もうご存知のように有本恵子さん。
ご両親と共に活動を続けていた者の一人でございます。
2002年3年前の小泉首相訪朝半年前、3月に、有本恵子さんがやっとのことで拉致認定されたんです。
11人目の拉致認定ですね。

私ども、ずっとですね。
各新聞者、マスコミの皆さんにですね。
有本さんの事と同時にですね。
ぜひとも田中実さんの事を書いてくれと、繰り返しお願いしてまいりました。
しかし誰一人、どこのマスコミとてですね。
裏の無いそのような話は一切書けないと。
まぁこのような対応に終始したわけであります。

そういう中でですね。
8月の終わりになって、小泉首相がいきなり訪朝すると言う話が出てきたわけです。
そうこうしておる時にですね。
当時は極めて我々に友好的な、今はちょっと違いますけどね。
平沢勝栄先生。(笑い声)
こういう方であるとかですね、様々な方が9月17日の訪朝の時にですね。
この日本ですでに拉致認定されている11人、これ以外にもたくさんの拉致被害者がいるんだと。
小泉首相の訪朝でこの拉致認定された人間、被害者だけで済ませちゃいけないんだと。
何か手はないか?と。

当時、全国協議会、救う会のですね。
事務局長をしていた荒木先生からですね。
私どもの方に相談がありました。
待ってましたなんですね。
この時に、確かこれは9月の5日です。
東京の方でですね。
田中実さんの写真をですね。
全国協議会で初めて流したんです。

どんな時の写真かと言いますと実は、私の小学校の同級生。
何にも田中実さんの物がありませんので、中学校の許可を頂きましてですね。
中学校の卒業写真、卒業アルバム。
ここから田中実さんの写真を、学校の了承を得ましてですね。
そしてお借りしてですね。
それを実は全国協議会の記者会見の場で発表したわけです。

神戸の地元の新聞社が神戸新聞社。
朝一番で電話かけましてですね。
今まで田中実さんといえば何一つ報道しなかって、無理だと。
こういうような新聞社だったわけですが、担当の記者呼び出しましてですね。
今日、東京で田中実さんやるで、と。
その日の夕刊の社会面のトップで一面大きいに扱いましたわ。
この記事。

そんなことでですね、実を申しますと、この小泉首相の訪朝の折と言うのはですね。
全マスコミ上げて拉致報道に終始しましてですね。
非常に湧くが上がったんですね。
イケイケドンドンですわ。
少々いい加減な記事でも正直載りました。
なんでも拉致関係であれば書こうと、言うような時でもあったわけです。
ここでとりあえず田中実さんと言うのがですね。
初めて、まぁ大手のマスコミも含めてですね、表に出る結果となったわけです。
そしてですね、9月17日、あの衝撃の金正日の謝罪を認めるあの訪朝がありました。
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(4)

第12回藤沢集会4

『岡田和典 特定失踪者問題調査会理事のお話2』

その後、全国各地でですね。
取り沙汰されている拉致被害者以外に、ひょっとすれば私の子供も拉致されたのではないか?
私のきょうだいも拉致されたのではないか?と、言うような声が全国から沸き上がりました。
そして全国各地の警察にですね、再捜査の依頼等がございました。

この折にですね。
田中実さんについては、こんなものは拉致は間違いないわけですから。
同じような手法じゃどうも気に入らんと。
代表の長瀬とですね。
まぁちょっと変わった二人でもございますからね。
何か有効な手立ては無いものか?ということで、それであればいっそのこと、実行犯と目される者が分かってるのだから、この人間を特定してですね。
刑事告発をしてみようでないか?と、いうようなことで、私と長瀬の二人で告発人といたしましてですね。
刑事告発に及んだわけです。

そのあと、まぁそれは正直ですね。
これほどマスコミにとればですね。
面白いといっては語弊がありますが、良い材料がきっと無かったんだと思います。
何かと申しますと、他の拉致被害者、これをちょっと考えていただければ良いと思うんですが、もちろん北朝鮮の金正日、とんでもない男ですよ?
とんでもない国家です。
でもそれと同時に、この田中実さんに付きましてはですね。
日本での間違いの無い、実名の挙がった特定した実行犯・協力者がいるわけです。

一人は誰か?
先ほど申し上げました、このラーメン店の店主です。
韓竜大と申します。
この韓竜大、このラーメン店は神戸の青木駅ですね。
ここで営業しておりましたが、そのうち嫁はん子供と喧嘩になりまして、子供4人まで作っておきながら離婚をいたしまして、きょうだいが住んでいる青森県は八戸の方に参りました。
八戸でも同じようにラーメン店を経営いたしまして、まぁデタラメなラーメン店やったみたいですね。
すぐにまた倒産をいたしました。

この八戸の韓竜大はどういうわけか愛人を作ってですね。
朝から晩まで、我々が告発した折ですね。
パチンコ三昧の毎日を送っていたわけなんです。
これはマスコミにとって面白いわけですな。
追い掛け回すわけですね、この韓竜大を。

今一人は曹廷楽と言う男でして、これは現在も山形市、ここでパチンコ店を経営しております。
のうのうと経営しております。
これも追い掛け回すわけです。
後で色々と話を聞きましたけども、田中実さんの拉致のテレビ番組。
情報番組、ワイドショーを流しますとですね。
数字が二つか三つ上がるそうですね。
ワイドショーの中にはですね、過去の視聴率の最高記録だという報告もいくつか受けました。

やはり国民にとったらですね、日本の中でのうのうと拉致の協力、あるいは実行した人がですね。
今も変わらずのうのうと、しかも不思議な事に八戸であれ山形であれですね。
この二人ものの見事に同じくらいの年代の、若いとは言い切れませんけどもね。
愛人を携えて毎日うろうろしているわけですなぁ。
許せないわけですね。
こういう人間がのうのうと今この国で暮らしていると言う事。

そしてまた不思議なことにですね。
当時は拉致認定も何もされて無いんですよ?まだ田中実さん。
にも拘らずですね。
この山形(八戸の言い間違いか?)の韓竜大はですね。
田中実さんは北朝鮮におるということを認めるわけです。
そしてですね。
じゃあ誰がやったんか?と言えばこのパチンコ屋のおっさんの曹廷楽がやったと言う事を一生懸命言う訳です。

山形のパチンコ屋のおっちゃんのところに行きますとね、曹廷楽のところに。
今度はですね。
北朝鮮におるところは認めるんですけども、あれをやったのはラーメン屋の親父である韓竜大とですね。
この暴露本を書いた張龍雲だという事を一生懸命言うわけですね。
お互いに北朝鮮に拉致された、北朝鮮にいることは二人とも認めるわけです。
にも拘らずですね、自分は関与していない。
同じ洛東江と言うグループのもう一人の方がやってるんだと。
まぁこういう話に終始するわけですね。

このような中でですね。
時間が経緯いたしまして、正直ですね。
我々10月4日ですから、告発したんが。
丁度3年前になるわけですね。
2年半、私ども警察の方に聞きに行きましてもですね。
一生懸命やってる。
ただ、証拠が無いよと。
立件出来ないと。
だから拉致認定できないよと。
こういう返事ばかりなわけなんですね。

にも拘らず、いきなりですね。
この4月のわざわざ事故のあった日に、2年半放っとらかしてですね。
この日にわざわざ、拉致認定と言うことで同じ兵庫県の事件の日の発表ということになったわけなんですね。
どっかおかしいんじゃないんですかね?
本当にこの拉致問題、この国は、真剣に、毅然と、解決しようと言う気持ちが本当にあるんでしょうか?
2年半放っとらかしにしとった物、1週間遅らして発表して何か問題ありますか?
一月遅らして発表して何か問題があるんでしょうか?

いま一つ。
3年前の小泉首相最初の訪朝のあと、クアラルンプールで日朝交渉と言うのが行われております。
ここで金正日が認めた拉致被害者以外に日本政府は3人について、安否確認を求めております。
一人は田中実さん。
そして今一人は小住健蔵さん。
そして特定失踪者問題調査会で1000台番リスト、拉致の可能性が非常に高いと我々が見とります、松本京子さん。
この3人の安否情報を実は求めているんです。

小住健蔵さんご存知でしょうか?
原敕晁さんの事はご存知ですね?
パスポート・免許証を辛光洙に使われた、いわゆるこういうのを背乗りと言うそうですけども。
成り代わり。
北朝鮮のスパイは日本人に成り代わって、その目的の為に拉致をした、と。
こういうケースですね。

実は小住健蔵さん、同じ事が起こってるんです。
パスポートが使われてるんです、小住健蔵さんも。
同じケースなんですよ。
私たちは一生懸命、同じ神戸におりましたんでね。
やはり地元の方、田中実さんの問題と言うことが一番だと、言う事で一生懸命活動いたしました。
何としてでも田中実さんの事を国民の皆さんに知っていただこう。
そういう事で活動を続けてまいりました。

告発する10月には10月1日からその年の3ヶ月。
年末の一杯までほぼ90日ございますが、そのうちの75日ぐらい、まぁ雨の日と特別な用事のあるときですね。
東京に来るとか。
これ以外はず~~っと75日間、わずか4名5名の人数ですが、毎日2時間街頭に立ちました。
署名活動しました。
神戸には冬の名物があります。
ルミナリエというのをご存知ですか?
あの綺麗やつですわ。
あの間中ず~~と大丸の駅前2週間、毎日街頭署名に立ちました。

知事のご挨拶にも行きました。
神戸市長はたまたまこの田中実さんと同じ小学校、中学校の出身だったんです。
12月に入りますと、兵庫県庁の中にはブルーリボンと署名板とそしてカンパ箱すら置いてもらいました。
神戸市役所の中には同じくブルーリボン、署名簿、そしてカンパ箱ありました。
出来ることは何でもやったつもりです。
でもあくまでもこの暴露した告発者であったりですね。
あるいはその名指しされた人間の伝聞情報、状況証拠に過ぎないわけですね。
私ども知ってる知ってると申しましてもですね、裏一つあるわけじゃないんです。

小住健蔵さん。
パスポートが偽造されとるんです。
おかしいじゃないですか?
順番が逆じゃないですか?
私どもはそのように考えてますよ?
小住健蔵さんがなぜ拉致認定されずに、先に田中実さんが拉致認定されるのか?

田中実さんが拉致認定されたあと、私どもに様々な話が入ってきております。
小住健蔵さんの拉致認定は近いと言う話がありました。
もうひとり、松本京子さんもこの秋には拉致認定されるだろうと言う情報も入ってきました。
まぁこんだけ暑いんですから、秋も来るんが遅れとるんでしょう。
何時までもそのような話は無い。
じゃあ、これは一体なんなんだ?と言う話なんです。

現在16人の拉致被害者が認定されております。
私ども拉致の可能性が排除できないと言う事で、全国からすでに450人にも及ぶ方、特定失踪者として発表しています。
このうちの34人については極めて拉致の可能性が高いと言う事で、そのような発表もしております。
またこれとは別に、先ほど申し上げました小住健蔵さん。
またよど号の犯人である、岡本武の妻として北朝鮮に拉致された福留貴美子さん。
間違いないです。
寺越さんどうなっとるんでしょうかね?これ。
まだ拉致認定されてないんですよ?
寺越さん所の3名、拉致認定されてないのですよ?

じゃあなぜ?田中実さんが先に来るのか?
一つ思い当たりましたよ。
何か?
実は特定失踪者問題調査会、ここでの古川了子さんが現在拉致認定訴訟をしているんです。
拉致認定なんてのは私ども、極めて恣意的なものだと思っております。
一体何の根拠があって今までから現在、現在に通じるまで、何の根拠があって拉致認定したと言うのがあるんでしょうか?
何一つ無い。

法廷でいよいよ古川了子さんの事、政府にこの国に国家に、拉致認定の基準は一体どうなっとるんですか?と。
なぜ誰それが拉致認定で、古川さんは違うんですか?
こういう問いかけを私ども始めたんです。
こんなもん、答えようが無いですよ?
いい加減な事ずっとやって来たんだから。

となると、あの特定失踪者に、先ほども兵庫県警で煙たがられていると言われましたけど、あのうるさい岡田が田中実でもやっとった。
さぁ今度は古川了子さんでまたやりよると。
こら先やっとかないかんかと違うか?と。
こういうふうに私たちが勘ぐってもおかしくないような、順番が逆の拉致認定だったんです。

本当の意味でこの日本と言う国がなんとしてでも拉致問題を完全解決するんだと、強い意思を示すんであればですね。
明らかになっている。
少々フライングがあっても良いじゃないですか?
100人であれ200人であれ良いじゃないですか?
拉致の可能性があるものがあれば、堂々と政府は拉致認定をして、北朝鮮に突きつめる必要性があるんではないんですか?(拍手)
今が正念場です。
どうか皆さん、一緒に闘って参りましょう。
どうもありがとうございました。(拍手)
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(5)

『ノルベルト・ホラツェン医師のお話1 通訳:野口孝行氏(北朝鮮難民基金)』

10085
(日本語で)こんにちは。(拍手)

(以下、野口氏による通訳)
皆さんこんにちは。
私が日本語が喋れなくて直接会話が出来なくてすみません。
私はですね、丁度韓国から帰ってきたばかりです。
韓国と言うのは一般的に今、アンチアメリカでどちらかというと金正日の体制を褒め称えて、大学の教授たちは金日成・金正日の体制、あの人たちを褒めているような状況です。

今ですね、韓国では北朝鮮のプロパガンダだと言いますか、どちらかと言うと北朝鮮を擁護するような論調が、テレビやラジオ・新聞などにすごく蔓延しています。
間違わないで欲しいのはですね。
朝鮮半島といっても私は平壌にいたわけでなく、ソウルの話をしている訳です。

今ですね、韓国はこれまで以上に北朝鮮的な考えが充満していて、本当に北朝鮮のような状況になっています。
韓国と言うのは私にとって余り居心地の良い所ではないと。
住んでいるのもちょっと居心地が悪いと言う、感じるようになっています。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は北朝鮮に住んでいまして、そこでフレンドシップメダルと言うメダルを貰いました。(メダルの入った箱を開けて会場に披露する)
そしてまたそこで一般の民衆がとても親切で、そういった悪魔的な考えを持つような悪意のある人たちでなくですね。
とても良い人達、そういう人たちと接触したいと思って暮らしていました。

このようなですね、一般の北朝鮮の人たちはですね。
やはり金正日の体制の中でとても悩んで苦しんでいます。
そういうような状況はもちろん知っていましたから、私はですね。
上の人間でなく、ちゃんとお医者さんとして一般の人たち。
一般に北朝鮮が宣伝しているような西側の帝国主義者とかですね。
そういった立場ではなく、お医者さんとして一般の人と接してみて、その結果フレンドシップメダルと言う物を一応貰ったわけです。

そういうわけで友達として友人としてそういったメダルを貰ったわけですから、友達だったらその国の悪口と言うか批判めいた事もですね。
する事も当然だと言うふうに思って、そのメダルを貰った結果そういうふうに意識を持つようになりました。
その結果ですね。
私はVIPのビザも貰い、また北朝鮮で運転免許証も貰いました。

で、これを使ってですね。
私は言論の自由と言うか、言いたいことも言う為に利用して、また自分なりに表現しようとして、これらの特権というか、頂いた運転免許証などを使いましていろんな所に移動していたわけですが。
これは本当に間違いだったと。
結果的に私は処罰されるという事になってしまいました。
結局ですね、こう言ったメダルはですね。
本当のフレンドシップではなくてプロパガンダ、最終的には私は本当のフレンドシップではなかったので、北朝鮮から追い出されることになってしまいました。

その後、追い出された後、私は韓国の方に向いました。
それはどうしてかと言うと韓国では言論の自由もあるし、そういう所で私が撮って来たビデオとか写真とかですね。
日記だとかそういう物を公表できる物だと思って、そこで北朝鮮による人権侵害について発表したい物だと思って韓国へ行きました。
そうやって韓国に行ったわけですが、これで私は大間違いだったと言うことがすぐ分かりました。
私自身ちょっとナイーブだったなと思っています。
結局ですね、韓国の政治家、またメディアにしても政府に対しても本当にガッカリする事になりました。

北朝鮮ではですね、結局色々な監視下と言うか抑制下に置かれていたわけで、自分の車も破壊され軟禁状態みたいな感じになったわけですが。
一度も暴力的なことを受けた事はありませんでした。
しかし私は韓国では3回も殴られるという、そういう事に陥りました。

私は韓国で色々なデモンストレーションをしました。
その中には北朝鮮から逃げてきた脱北者の人たちとも一緒にデモンストレーションをやったんですが、結局政府がいつも行う事は機動隊を呼んでですね。
私たちのデモンストレーションを妨害する事しかなく、政府からは一切のサポートも得られないし、助けも得られない。
本当に希望が無いような状況でした。

皆さんもご存知の通り、前の大統領は金大中です。
今は韓国の大統領は盧武鉉ですね。
この二人は以前韓国の中の軍国的主義的な政権、独裁主義的な政権に立ち向かって闘っていた民主主義に対する同志だったんですが、この人たちが北朝鮮の人権侵害の問題に関しては全く言及することがありません。

国連のですね。
ジュネーブではですね。
韓国というのは、人権に関する投票が合った場合はいつも棄権して一切投票なんかはしません。
6カ国協議で韓国政府は人権の問題が交渉のテーブルに来る事を極力避けるように動いていますし、また自国の拉致被害者の問題を持ち出すことを一切しません。

ほとんどですね。
毎日のように韓国では、秘密資金が韓国から北朝鮮に行っていると言うようなニュースが流れています。
例えばですね。
金剛山の観光の問題で、何かお金が行ったんじゃないか?とかですね。
ケソンの工業地帯の開発に関して、そういった裏のお金が動いたんじゃないか?とかいうようなニュースが毎日のように流れています。

これはですね、言ってみれば、Silent(サイレント ・・・聞き取れず)って言うんですか。
言葉、静かな北による南の占領だというように言って良いんだと思います。
南の方はSunshine policy(サンシャイン ポリシィ)という、太陽政策と言ってそういった政策を掲げていますが、実は北から見ればこれはただの友好の政策であって、陰謀なんかが渦巻きながら北はもう南を占領してしまったじゃないかと言うような感じです。
私はですね。
北による、北での洗脳とか工作活動を批判しますが、また同時に韓国でのそういった洗脳的な動き・工作をやっていくと言うような動きに対しても強く批判します。

メディアにはですね、ある種の偏見みたいな偏った報道がありまして、また左翼系のメディアなんかも一切北朝鮮に関する人権侵害の問題を扱う事もありません。
テレビのニュースなんかでも、日本の拉致被害者に関するニュースなんてのももちろん一切流れませんし、北での強制収容所の問題、またガス室での処刑、また公開処刑のニュースなんかも一切報道される事はありません。
その代わり北朝鮮で行われるアリランフェスティバルですとかね、そういったピョンヤンなんかで行われるどちらかと言うとポジティブなイメージがあるお祭りとかですね、そういうのはとても好意的に報道されるような状況です。
・・・続く・・・
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(6)

『ノルベルト・ホラツェン氏のお話2 通訳:野口孝行氏(北朝鮮難民基金)』

韓国にはKBSという国営放送があるんです。
コリアン・ブロード・キャスティングシステムと私は呼んでいましたが。
私は金正日・ブロード・キャスティングシステムとだという他無いと思います。

最終的に私はソウルでも殴られるという事があって、最終的には韓国も追い出されることになってしまいました。
その後、韓国から追い出されて私は今、日本に来ている。
そしてここから何かやりたいと思って今東京に来ているわけです。
具体的に言いますと、もっとこの問題に関してですね。
人々の関心を集め、そして世界中の政治家の人とか、そういう人たちの注目をもっと集めて情報のキャンペーンを行いたいと思っています。

それですね、今もっとこういった活動を続けなきゃいけないと思います。
例えばヨーロッパ、ベルギーもちろんスイス、ドイツですね。
そういった所でテレビをつけると必ずこういったところに飾られているような写真がテレビの画面に出てきて。
東京でこういうことがあった、東京からのニュースだということで世界中でですね。
ニュースが流れるようにはなっています。
皆さんがこういったサポート、そしてこういった思いがですね。
どんどん毎日のように勢いを増してこれからも世界中にどんどん情報が発信されて、現在そういう状況になってきています。

今週国連のジュネーブではですね。
北朝鮮の人権に関して話し合うという場がありました。
今月の18日にドイツのフランクフルトで国際ブックフェアと言うのが行われます。
そこで主賓格の国と言うのが韓国・コリアになってまして、そこで朝鮮半島に関る本が国際ブックフェアにくさん掲げられて、人権の問題もあれば拉致の問題の本、様々な本が国際ブックフェアに出品するという事になっています。

12月にはですね。
今度はソウルでアメリカのフリーダム・ハウスと言うのがあるんですが、ここが世界中の国際的な団体を集めてソウルで北朝鮮の人権に関して話し合うことになっています。
そこでまた北朝鮮のですね。
収容所の問題を暴露と言うか見せるホロコースト・ミュージアムが開かれて、拉致の問題ですとかですね。
自分達の国の命を蹂躙していく北朝鮮の状況を、そういったミュージアム形式で見せていくという動きもあります。

ワシントンでですね。
私はマイケル・ホロウィッツ氏、上院議員のブラウンバック氏、今回の6カ国協議のアメリカの代表でしたクリストファー・ヒルさんたちに会いました。
そして彼らが言っていたのは、6カ国協議の最後の方には必ず人権、拉致の問題を含めた人権の問題を必ず議題に乗せて。
東西冷戦のときに、ヘルシンキ条約と言うのがありましてそこから状況が少し変わっていったというのがあるんですが、そういった物も考えつつ状況を打開していこうという事を彼らは言っていました。

また同時に、たくさんのジャーナリストの人たちが北朝鮮に関して色々な物を書いていますが、同時にですね。
ある劇作家がですね。
北朝鮮に関る問題を取り上げて劇の原作を書いています。
これはフランスのパリで上演される事になっていますし、またこれを扱ったアメリカ映画、ハリウッド映画もこれから作られていくという動きもあります。

このようにですね色々注目は集まっているんですが、結局政治家は自分達から何かやろうと言うんじゃなく、必ず皆さんのアクションと言うか行動、気持ちとかその後に続いて行くということがあります。
ですから必ず向こうが先と言うことがありません。
もっとやはり我々が行動して、韓国、また日本、アメリカというですね。
政府に圧力をかけて頑張っていかなきゃならないと思います。

メディアの関心を集めるためには時には急激なというか、激しい動きと言うかそういう事もやらなくては。
驚きを伴うようなちょっと激しい動きをしなければならないときもあります。
実際にですね、行動を起こす時はタイミングと言うのがとても重要です。
タイミングを失って、洪水だとか事故だとかが重なってしまうと、せっかくやった行動もそちらの方に流れて行ってしまうということもあります。

ただ、それに関して言うと、とても良いタイミングに来ています。
それは11月の15日からプサンで行われるAPECの会議です。
これには小泉首相はもちろんの事、ブッシュ大統領、それにプーチン大統領ですね。
胡錦濤、中国の国家主席ももちろんプサンに皆集まります。

韓国だけでなく北朝鮮にも国際的な注目の集まるイベントがあります。
それは10月の15日なんですが。
それはアリランフェスティバルと言う北朝鮮のプロパガンダを広める為のお祭りが企画されていて、ここには間違いなく多くの西側のジャーナリストが集まって、偉大なる指導者・金正日を称える為にですね。
集まる、そういった体裁を持って集まる事になると思います。

(ホラツェン氏、北朝鮮の旗を広げて立ち上がりながら話す)
そのときにですね。
皆さんもそのフェスティバルに行こうとする事は出来ます。
その時に行動を起こす為にはですね。
スタジアムなんかに仮に行ってですね。
こういった北朝鮮の旗を翻して応援する振りをしてですね。
同時にこういった写真なんかも持っていけたなら、CNNのカメラとかそこで放映している目の前で仮にこういう写真を前に出せばそれは十分なアピールになるし。
そのCNNのカメラの前で、まさに逮捕されるという(くすくす笑い)そういった行動も必要ではないかとそういうふうに思います。(拍手)
60カ国会談のこういった行き詰った状況をですね。
打破するにはですね、はやりこのような激しい動きが必要だと、やはり私は思います。
打開する為にあえて外交的な問題を作り出して、事態の打開を図るという事も必要だと思います。

金正日はですね。
最後通牒を受ける必要があります。
それはもういい加減にしろ、十分である。
そういう最後通牒を突きつけられる必要があると思います。
金正日は犯罪者です。
人殺しであり誘拐者でもあります。
そこで間違いなく国際社会は彼に最後通牒を叩きつけ、もうあなたは終わりだと。
もう降参しなさいと。
そうしないとこれから私たちは何かをしなければならないと。
そういった最後通牒を私たちは突きつけなければなりません。

金正日は良く理解していると思いますが、ルーマニアのチャウシェスク、またユーゴスラビアのミロシェビッチ。
ミロシェビッチは最後通牒を聞かなかった為に、爆撃を受けて今捕まって国際司法裁判にかけられています。
同じ事が金正日にもですね。
こちらの言う事を聞かなかったら同じ事が待っているのではないでしょうか。
皆さん日本人が出来る事は、もちろん日本の拉致被害者を助ける事もできます。
しかし同時に北朝鮮で飢餓に悩んで苦しんでいる人たち、あのような人たちも同時に助ける事ができます。

(日本語で)ありがとうございます。
(英語で)Thank you so much.(拍手)

____________
◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(7)

『西村幸祐氏(ジャーナリスト)のお話』
10087
どうもこんにちは、西村幸祐です。
今ホラツェンさんが韓国の状況を色々お話されましたので、ちょっとそれを補足するようなお話が出来れば良いかなと思っています。
あの時間もあんまりありませんので。

それと最後の方で時間が無くなって言えなくなると困りますので、最初にちょっとご報告と言うかご紹介したい本があります。
まだ出たばっかりなんですが、自由国民社から出ました「金正日に正しいメッセージを」と言うタイトルの、何か叢書(そうしょ=シリーズ物の意)になっているんですが1000円以下の本なんですね。

今年の春に東京財団と言うところでやりました、その北朝鮮のシンポジウムと言うのが行われまして、それを本にした物です。

救う会の方々が執筆されていて、平田(隆太郎)さん、西岡(力)さん、それとあと救う会以外のRENKの李英和さん、それと軍事ジャーナリストの恵谷(治)さん、それと安明進さんも加わっております。
それでなぜ経済制裁が必要かと言うことと、経済制裁をやる意味、その方法論、それから軍事的な問題。
あとは国際的な安全保障の枠組みの中での拉致問題の位置付け。
そういったものが全てがわりと分かりやすく網羅されている本ですので、ぜひ読んでいただければと思います。

昨日ですね。
実は重大な発表がふたつありまして。
ひとつは皆さんご存知のように曽我ひとみさんが実は平壌で住んでいた時に、横に住んでいた家にルーマニア人とレバノン人とタイ人の拉致被害者がそれぞれ結婚させられた家庭を持って一緒に住んでいたという事を、曽我さんが実は5月の内に家族会の方に言っていたわけです。
それが公になったのが昨日なんですけども、レバノン人の拉致被害者と言うのは今までかなり知られていたんですが、初めてルーマニア人とタイ人と言う、日本と韓国そしてレバノン以外の拉致被害者の存在が明らかになったと、言う事は大きいと思います。
そういう国際ネットワークが北朝鮮の工作活動に有ったという証明になるわけです。

もう一つ重大な事と言うのはですね。
これは特定失踪者問題調査会の荒木さんがリリースしたんですが。
今月の月末の10月30日から短波放送でもってですね。
北朝鮮に向けてラジオ放送を開始します。
要するに北朝鮮にいる囚われている人を含めてですね。
普通の国民、反体制的の国民は結構ラジオを聴いているんですね。

これは実は姜哲煥(カン・チョルファン)という今朝鮮日報の記者をやってるんですが、今年ブッシュ大統領に招かれてホワイトハウスに入って、彼の書いた「平壌の水槽」と言う本をブッシュにプレゼントして。
というかブッシュが先に読んでいて感動して、姜哲煥さんを呼んだと言うそういう経緯があったんですが。
姜哲煥さんと2年前に話したときにですね。
彼も言っていたのは、結構ラジオでもって北朝鮮に情報が入っていると、言う事実があるわけです。

そういった可能性にかけて日本からですね。
日本からと言うか発信場所は秘密なんですが、北朝鮮全域で聴けるようなラジオの短波放送が今月末からも始ります。
最初は日本語でやるそうです。
要するに何百人いるか分からない拉致被害者の中の誰かが聞いてくれること、あるいは日本人妻として渡っていて帰れない方。
そういう方も含めてですね。
とにかく放送を聴いてくれていて救出しようと言う意思を日本人は持っているということを伝えると、いうことでそのプロジェクトを進めるようになったようです。

それは非常に大きな事だと思いますので、今までの今日のお話でですね。
市川さんのお話もそうです。
それから岡田さんのお話もそうでした。
それとホラツェンさんのお話もそうなんですが、非常に大きな力・見えない力によって拉致問題の解決が妨害されているというのは3年前に金正日が拉致を認めたにも拘らずですね。
日本政府が拉致問題の解決を全く努力していないという事からも分かるように、非常に大きな障害があるわけで。
それに対して私たちはどうやって立ち向かっていくのかと言うことを、もう一度ここから考えなければいけないと思います。

それで先ほどのホラツェンさんの話を補足したいんですが、ホラツェンさんが言っていたのはですね。
国連人権委員会での北朝鮮に対する非難決議を韓国はずっと棄権していると。
ここ数年そういうことをずっとしているわけなんですが、それが非常に皮肉な出来事なんですね。
というのはですね。
なぜかといいますと国連の人権委員会に実は今から12年前の1993年に韓国のあるNGOがですね。
そこに参加しまして。
それで韓国の人権問題をちゃんとする為に国家人権委員会を作ってくれと、申し入れをしているんですね。

それで国連の人権委員会が韓国政府に対して人権委員会を作れという勧告を行ってですね。
97年に金大中が大統領選挙に立候補する時に、国家人権委員会と言うものを作るというのを公約にして当選したんですね。
それが他人事ではないんですね。
というのはですね。
その国家人権委員会と言うのが韓国で何をやったかと言うと、先ほどホラツェンさんの話にも会ったように全く北朝鮮の人権問題、あるいは韓国の拉致被害者の人権問題を無視してですね。
北朝鮮を非難する決議案を棄権するような国になってしまったんですよ?韓国は。
その国家人権委員会があることによって、そういうような国になってしまったんです。

それでその国家人権委員会が行った事と言うのは、2002年の4月から稼動し始めたわけですが。
まず政府に対して国家保安法の廃止を言ってるわけです。
国家保安法と言うのは、もちろん80年代光州事件に代表されるような韓国の民主化闘争の中ですね。
軍事政権を維持する機能として装置として、民主化運動を弾圧した部分ていうのは、それは確かに否めないと思います。

ところがですね。
それとはまったく別の、と言うか本来の機能と言うのはスパイ防止法なわけであって、北朝鮮の韓国に対する工作活動を取り締まる法律が国家保安法であるわけです。
その国家保安法を廃止しろと言う勧告を出したのが、韓国の国家人権委員会と言うところで。
それで大統領に対して、あるいは国会に対してそういう勧告を行っているわけですね。

実はそれと同じようなシステムの物が作られようとしている現実が、今しっかりと注意していただきたいと思います。
日本で成立が予定されていると言われております人権擁護法案というのは、日本に人権擁護委員会と言う物を置いて、それで2万人の人権擁護委員がですね。
日本中の人権侵害の実情をチェックしながら人権委員会に報告して、それで人権委員会が三権分立と言うところからは別の勧告を行ったりあるいは捜査を行ったりするような機能も持つわけです。

ですから今年その法案がですね。
その法案が3月から7月にかけての反対運動によって結局自民党は法案を国会に提出するのを諦めましたが、その時に救う会がその法案に反対した事を忘れてはいけないと思います。
それと当然拉致議連も反対したわけです。
なぜかと言うと、北朝鮮に対してあるいは今日のお話の中で岡田さんが仰っていたような、実際の拉致の実行犯であるちょっと名前は忘れましたけども、その山形と青森ですか。
に住んでいる拉致の実行犯に対してどう報道をしようか、あるいは捜査をしようかと言うときにですね。
そういった人権擁護法によって、それが人権を侵害するという事でそういった報道がされなくなってしまうという可能性が十分考えられるわけですね。

ですからそういったことも含めてですね。
韓国で今ホラツェンさんが仰ったのは、ホラツェンさんが本当に韓国で何年もやってきた痛みの結果、ソウルは平壌に乗っ取られたと。
テイクオーバーと、静かに乗っ取られたと、その様に言ってましたが。
まさに韓国で起きている事はですね、他人事ではなくて。
実は日本がそうなっていくんだ、そういう可能性があるということを十分私たちは考えないといけないと思います。

その証拠にこの3年間で拉致問題は何一つ進展していないじゃないですか。
いったい、先ほど岡田さんが仰ったように政府認定の拉致被害者が何人増えたんですか?
田中実さんがやっと増えただけじゃないですか。
特定失踪者に関しては全く何の進展も無いわけで、これは一体何を意味しているかと言うことをですね。
考えてみるべきだと思いますね。

この前の選挙の結果にしたってそうなんです。
あれが果たして良い方向に向いているのか。
少なくとも拉致問題の解決にとって良い方向に向いたのかどうかと言うことをですね。
十分考えてみて、それで今後の拉致救出運動に皆さんに・・・(聞き取れず)かけたいと思います。

それであんまり時間も無いんですが、韓国の状況についてもう一度ちょっと補足致します。
先ほど韓国の国家人権委員会と言うものが果たした役割と言うものを申し上げました。
最近実際どうなっているかと言うことなんで、ホラツェンさんが本当にここはまるで平壌ではないか?と言って。
KBSをまるで金正日放送だと。
冗談で言ったような錯覚を、そんな事を感じてしまうほどの今状況になっている。

やはりそれは金大中、それから盧武鉉と続いたこの政権がですね。
限りなく反日でありそして反米であると、いう事に原因を求めざるを得ないわけです。
特に金大中が行っていた政権はですね。
もっと輪をかけて先鋭化させているのが現在の盧武鉉政権なわけです。
盧武鉉と言う人は実は絶体絶命と言う状況になっているわけなんですね。
盧武鉉政権自体が。
支持率も低下してですね。
与党のウリ党の支持率も非常に低下して、そういう状況であって、自分は辞めたいとかそういうことを平気で言っていて韓国メディアから叩かれているわけなんですが。

そういう状況になっているんですけれども、だからといって韓国が良い方向に向っているわけではなくて。
ウリ党だけでなくてハンナラ党にしても基本的に反日である事には基本的にはあまり変わりは無くて、ハンナラ党は親米的であるということはありますけれども、この金大中時代から続いている色々な事。
先ほどもちょっとありましたけれども、国家人権法の事もそうですけれども、マスメディアのプロパガンダ。

韓国で自虐史観と言う言葉があるのをご存知ですか?
韓国が日本の教科書を攻撃していることは皆さんご存知だと思いますが、作る会をですね。
右翼教科書だとか歪曲教科書だとか、全く根拠が無いスローガンで攻撃しているんですが。
韓国の中でも実は自虐史観という言葉があって、韓国と言うアイディンティティー、韓国と言う国は曲がりなりにも西側諸国の一員として発展してきて、一時軍事独裁と言う長い時代があったかもしれませんが。
世界でも11位のGNPを誇る国になったのは、自由主義陣営の国として発展してきたから韓国と言う国があった訳なんですが。

そういった韓国のアイディンティティーそのものを否定するような歴史教育、北朝鮮系と言うんでしょうか。
日本で言えば日教組ですね。
そういう左翼の教員たちによって韓国の自虐が行われている。
それに対して韓国の新しい保守派が立ち上がったりしているわけなんですが、そういったことも含めてですね。
先ほどホラツェンさんが言っていた韓国のテイクオーバー現象、北朝鮮に乗っ取られている状況と言うのは良く分かっていただけると思います。

それともうひとつですね。
盧武鉉大統領は人権派弁護士だったということですね。
これも非常に象徴的だと思います。
先ほどの国家人権委員会の事もそうだし、結局その人権と言う言葉がですね。
本当の人権に全く寄与していない。
今の北朝鮮に対する韓国の行動の仕方、接し方。
韓国の拉致問題での取り組み方。
全てが人権を無視した、対象的な北朝鮮の李朝共産的なそういったイメージなり方向に行ってると思います。

先ほどホラツェンさん仰ってましたけど、今年の春頃に北朝鮮で行われた公開処刑の映像が放送されましたね。
ニュースで御覧になった方も多いと思うんですが、あの映像は一切放送禁止ですからね。
韓国では。
全く放送されないんですよ?
ですからこのまま北朝鮮の韓国への工作が入り込んでいくと、北主導による統一に向う事は間違い無くてですね。
それは言葉を変えれば、その方法論は色々あって。
すぐ統一するんではなくて、例えば国家連合のような形を取るとかですね。
その時に北が主流になっていくと。
そういった最悪の事態も日本人は考えなければいけないわけです。

その一つとして、今年になって盛んに盧武鉉政権がやっている、過去史清算と言う言葉がありましてね。
反日糾弾法と言う法律とも関係があるわけです。
当初は去年はですね。
反日糾弾法と言う名前だったんですが、余りにも露骨なんで反民族糾弾法という法律の名前が変わってですね。
日本の統治時代に日帝、日本帝国主義ですね。
日帝に協力した朝鮮人を裁こうという、そういう法律で事後法と言う概念なわけですね。
すでに60年以上の前の出来事を現在の法律で裁こうという、近代国家にはあるまじき法律を成立させてしまって、これ冗談じゃなく成立したんですね。

それで8月の終わりにですね、親日派名簿と言うのが発表されてですね。
今編纂委員会と言うのがあって、過去の朝鮮の歴史の中で韓国のを含めてですけども、親日派の人をですね。
リストを作ってるんです。
その今年の公開分3000人分のリストが8月の末に公開されたわけなんです。
これはあれですよ。
文化大革命の頃の中華人民共和国に匹敵するような野蛮な行為ですよ。
先ほどホラツェンさんは今の韓国の事を実は結構キツイ言葉で言ってたんですね。
通訳の野口さんが上品な方なんで、余りキツイ部分は訳さなかったんですが、愚かとかキチガイ染みたとかですね。
そういう言葉もホラツェンさん使っていたんですが、本当にそういう事をやってるわけですね。

親日派名簿の中に、実は朴正熙大統領ですとか、あるいは朝鮮戦争の韓国救国の英雄と言われているパク将軍ですとかそういう人の名前も全部入っているんですね。
その親日名簿に。
パク将軍といったら、ちょっと歴史に詳しい方だったらご存知のように、韓国軍がプサンまで負い詰められて北朝鮮軍に。
韓国が滅亡寸前の時にプサンから盛り返した、韓国軍のリーダーだったんです。
そのときにマッカーサーがインチョンに上陸したわけですけども。

そういった韓国の建国に非常に貢献した将軍たち、朴正熙ももちろん大統領として偉大な大統領だったんですけども。
彼らが日帝の士官学校、まぁ二人とも満州の士官学校を出ているわけなんですが。
日帝の士官学校を出たから、あるいは旧日本軍の将校だったからという、そういう理由で全部親日派という事にしちゃってるわけですね。
その名簿の中には韓国の今の国歌を作った作曲者ですとか、あるいは韓国の国旗ありますよね。
あの国旗をデザインした人間、あれも全部入ってるんですね。

そう考えるとその反民族糾弾法と言うのは、実は韓国の歴史そのものを全部否定しているという事に皆さんお気づきになるんじゃないですか?
つまり北朝鮮の正当性を訴えている事に他ならないんです。
非常にこれ分かりやすいじゃないですか。
この名簿を作った連中が実はアジア、東アジア連帯、教科書連帯とかっていうメンバーとつながってまして、それが作る会の教科書の攻撃に加わっているわけです。
そういった背景も考えてこれからの拉致問題の解決に当たって頂けたらと思います。

ホラツェンさん仰ったように非常に勇気付けられる提言もされました。
そういうことも考えて、色々な意思の中に拉致問題埋没しているといわれていますが、決してそうはさせないという気持ちを今日ここにお集まりの方は思っていらっしゃると思いますので、今後とも一緒に考えていきたいと思います。
大変短くなりましたが、この辺で今日は失礼します。(拍手)
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回藤沢集会(8)

『横田哲也さんのお話(横田めぐみさんの弟)』

10088
皆様こんにちは。
横田めぐみの弟のひとりで横田哲也と言います。
我が家の話でお時間をいただきますけどよろしくお願いします。

 まずお話に入らせて頂く前にこういう講演会ですとかで思うことなんですけども、私たちは拉致被害者で関係者・当事者で当然運動に携わるんですけども、救う会のみなさんとか、ボラティアのみなさんとかが、我事と捉えて実際思うだけでなく行動してくだるという、その勇気と言うものには、本当に感謝を申し上げますし、ほんとに頭が下がる思いです。

また実際、私が拉致問題に関係なくて、そういう運動や集会がある時に、皆様方みたいに、こういう会に参加していただろうかと、強い関心を持ったかどうかとおもう時に、自信もない面もあるんです、正直に。

そういうときに今日お越しいただいた皆様に本当に感謝したいと思います。
ここまでこられまお越しになっている皆さんの力であり、国民の大きな声があったからこそだと思いますので、引き続きましてのご支援をよろしくお願いしたいと思います。

今日の10月8日の公演の依頼を会長の川添さんから頂いたのが確か2~3月前のことだったと思います。その時点でお話しを頂いたときに、10月8日の時点でどういうお話しが出来るだろうか、もしかすると、明るい話も出来てるんじゃないかというふうなことも思っていました。と申しますのも、2~3ヶ月前に(公演の依頼を)受けた時点で、一二ヶ月後には、六カ国協議あるからと言うことがあったわけですけれども。結果的に蓋を開けてみれご存じの通り、何の解決も進展もなかったということで、北朝鮮を除く5カ国は空虚に時間を費やし、振り回され続けたということで、改めて圧力をかけなければ進展しないのだと分かったと思います。

最近のニュースでは、来週中にも日朝協議が行われるのではというふうに言ってましたけれど、今日家をでる前にインターネットを見てきたんですが(ご覧になった方もいると思うんですけれど)今月中の日朝協議の開催は困難だという外務省幹部のコメントがあったということで、結局そうなると、何時話し合いであり、進展がみられるかと、全く見えない状況、つまり、前から全く何も変わっていないというのが現状であります。

先般行われた選挙においても郵政一色で、拉致の問題など全くなかったわけですけれども、近日中にこの郵政法案は可決するんじゃないかと思いますが、その可決後には、速やかに且つ第一優先に、拉致問題に国会議員の先生方は取り組んでほしいと思います。

ちょっと見ながらお話しさせて頂きますが(メモを見ながら)この6日、衆議院拉致問題特別委員会において、町村外務大臣が『首相訪朝も排除しない』ということをコメントされましたけれど。先ほど市川さんもお話しされていましたけれど、あの北朝鮮という国は、金正日じゃなければ話が進まない、解決しない国であります。トップ同志の話し合いがなければ解決しないのであれば、小泉さん、相互主義という原則を破ってでも3度でも4度でも行って解決に走って貰いたいという風に思います。

まぁ本当は、小泉さんが、どれだけ本気で解決しようと思って一回目、二回目訪朝されたかわかりませんけど、国交正常化を成立させるよりも、この拉致問題を解決した方が、よっぽど小泉さんも歴史に名を残せるのではないかと思うんですけれども。(会場拍手)なかなかそれが分かっていないんですね。

郵政解散で小泉首相は「国民の総意を聞いてみたかった」と言って解散しました。一方でこの拉致問題を打開する為に「経済制裁を発動すべきだ」と我々は言っているわけですけれども、いろんなメデイアの調査によりますと、約六割から七割の人たちが「経済制裁すべきだ」と言ってるわけですね。何故国民の総意を実行しないのかというふうに思いますけれども。
非常に、小泉さん、自己矛盾をあの日と自身が生じさせているのではないかと思います。、

国民の動きを機敏に感じ取る方なのであれば、正にこの問題に最優先に取り組めば、あの人の人気であり、自民党の人気も株も上がるんではないかと思うんですが、それに手をつけないのは、やはりなにかこの問題の解決すると困ることがあるんじゃないかというふうに勘ぐってしまうわけなんです。
裏が取れているわけじゃないので、何もこれ以上言えないんですけれども。

よく特定失踪者問題調査会の代表の荒木先生も仰っていますけれど、「この問題が解決したら歴史が変わるんじゃないか」とも仰っていますけれど。もしかすると、日本政府、日本国というのは暗い闇の部分を抱えているのではないかとも思います。

本題の方にはいりまして、姉のことに関してはいろんなニュースとか書籍とかでみなさまもう十分ご存知かと思いますけれど、私の姉は4つ上でありまして、つい3日前に41才の誕生日を迎えました。しかしながら41歳と言いましても全くイメージがわかなくてですね、中学の時の小さなといいますか、当時にすれば大きな姉だったのですが、幼少の頃の映像しか頭に浮かばないんですね。

その後、姉の写真なんか出てきた訳ですけれど、やはり現実感どうしてもわかないですね。当時中学の時の写真しか、イメージしかわかないんですね。
早く本当の姉に会いたいと思っている次第であります。

1977年の11月15日に北朝鮮の拉致工作員によって拉致されたわけですけれど、その当時、<拉致>という言葉すらなかった、たぶん、なかったんだと思います。<誘拐>とか<人攫い>、<神隠し>、その辺の言葉だったんだと思いますけれど。

ほんとに何処に頼っていいのかわからない、何処に怒りをぶつけていいのかわからないという日々でございました。で当時母なんかに連れられて(当時、私小学校3~4年だったと思うのですが)家のそばに護国神社があったんですけれども、新潟の冬、そして夜は真っ暗なんですね、神社なんか電灯が少ないんで、真っ暗な中を、懐中電灯を照らしながら、手を握られながら、「お姉ちゃん」「めぐみちゃ~~ん」と探すわけですけれども、やはり子どもながら怖かったという思い出と、その瞬間であり、家に帰ったときの、父であり母の顔をみると、悲壮感であり、鬼のような形相というのを子どもながら見ていたような気がします。

まぁ、ずっとそう言う日々を過ごして行く中で、当時小学校低学年で、子供の頃というのはみんな正直であり、残酷で、子供同士なんか言い合ったり、けんかしたりすると周りの友達から「あれ横田んちの姉貴いなくなるんだよ」と言うんですね。まぁ、罪があってそういうことを発言しているわけではないと思うんですけれど、やはりそういう言葉を聞くときに、こどもながら「なんでそういう事を、言われなきゃといわれなきゃいけないんだろう」と思って非常に歯がゆい思いをしました。

そういう状況は、今回帰国された5人の方々のお子様も、(日本に今永住されているわけですけれど)、けっして僕たちみたいな、二の舞を踏まないように、日本国民は、暖かくお子様たちを見守っていかなきゃならないんではないかと思ってますので。やはり一人一人がそういう悪い発言をしていないかとかみていくが責任じゃないかと思っています。

そういう長い日々が続いていくわけですけれど、非常に父や母なんかは不安のピークにず~と達していたと思いますが、そんな中でも、私たち兄弟(兄の拓也というのがおりますけれど)を、兄であり私を、できは悪いけれど、一応の社会人まで育ててくれたと言うことに関しては、非常に両親には感謝したいと思います。
まぁこういう事件があって、両親との連絡も密にとっていますし、みなさまとそんなに変わりないと思いますが、ちょっとだけ、親に対する気持というんでしょうか、強いのかなと、勝手なうぬぼれではありますけれど、おもっております。

我々兄弟は姉を救いたい、肉親であるから何とかしなければという気持ちは強いんですけれど、両親の娘に対する気持ちと言うのは、私が子どもをもうけるにいたって、なおさら実感として湧くようになりました。子どもって、皆さんもそうだと思いますけれど、なにより代え難い存在であって、自分の命に変えてでも何とか救いたい存在じゃないかと思うんですけれど、自分が子どもができたときに、「さぞ、両親は辛いんだな」と、「早く楽をさせたい」と思っております。

姉の情報が具体的形で現れてきましたのが、平成9年、まぁ8年前の話でありますけれど。それからず~と暗中模索の状態でしたけれど8年目に我々は家族会を作りました。発足した年というのは、姉が拉致されてから20年と言う年ですけれど、何故こんなに長時間時間を要したのかと、それは、日本政府の怠慢以外の何者でもないというふうに思っております。

怠慢を通り越して怒りすら覚えることが、多々あったわけでありますけれど。

この拉致問題に関わって一番何が悔しかったかというと、どいいう発言が一番惨めだったかと言いますと(文字を間違いたくないので見ながら言いますけれど)平成11年の自民党の外交部会で当時の外務省のアジア大洋州局長で槙田邦彦という人がいたんですね。

その人が外交部会で『たった10人のことで日朝国交正常化交渉が止まってもいいのか? 拉致にこだわり国交正常化が上手くいかなければ国益に反する』というふうに言ってるんですね。何処の国の人間かと私は思います。「国益ってなんなんですか」と。ほんとに許しがたい発言に、今でもこの発言は、許すことができないです。

この槙田邦彦というのは、シンガポール大使を経まして、現在エジプトの大使を多分歴任中だと思うんですけれど、決して、槙田という人間は、エジプトで、我々旅行に行って何かあっても、助けてくれない人間でありますので、エジプト旅行を計画されている方は、(笑い)やめた方がいいと思います。(拍手)

こういう発言からもわかるように、拉致された人命や人権よりも、日朝交渉を推し進めて、自分の手柄にしたいんだと言うのが見え見えの歴史がず~と日本国政府、外務省に続いているわけですね。非常に不信感が我々家族会にはあるんです。いろいろ今現在は日本政府は北朝鮮に対して、話を投げかけてくれてるとか、もちろんそういうことには否定はしませんが、解決しようと思って動いているのか、うやむやに時間を浪費して、解決と言うか、終結させようとしているのか、ほんとに猜疑心でいっぱいなんですね。

そう言う意味で我々国民は、一事象、一事象に、注目、傾注して、「おかしいことはおかしいよ」と言っていかなければならないと思います。その手段として、首相官邸にメールであり手紙と言うのがありますけれど、とにかく我々の声を政府、中枢にあげていくことが大事なんだと思います。

ま、そういう、本当に、解決しようと思っているのかどうかわかりませんが、小泉首相が、2度も訪朝したわけでありますけれど、「何をしに行ったか」ということですね。解決しに行ったのか、終結しに行ったのか、我々にはわからないですね、我々のスタンスでは。

実際9月17日に我々は肉親の死刑宣告を受けたわけですけれど、何の裏もとっていないままで、「あなたのお子様は死んでいます」と。「なんか情報があったんですか」と聞いても、「何も確認していません」と。そんな話ないですよね、ほんと。その辺が外務省、政府と言うのは、今なお(一部不明)

同じような話題で、家の姉とされる遺骨が出てきたわけですが、結果的に捏造だったとわかったわけですが、ほんとに甚だしく姉の人権を冒涜するものであり、日本政府を侮辱した、日本国を侮辱した、つまり、みなさまを侮辱したと言うことです、北朝鮮は。
本当にこれは、日本国民は許せないですよ、ほんとに。こういうことに政府はもっと怒って北朝鮮に対して発するべきなんですけれど、あまり言わないですね。

去年の12月末に細田官房長官が「誠実な対応をしなければ厳しい判断をとらざるを得ない」と言ってるわけですね。それから、もう10ヶ月立とうとしていると。そこからみても、ほんとに解決する気があるのかと、我々はあるわけです。

でも、本当は「経済制裁しろ」と、我々は日本政府に希望しているわけですが、本当にここでほんとうにそういう行動に移さないと、諸外国から北朝鮮以上に、日本国政府が不思議な国、奇異な国と見られるんじゃないかと思っておりますので、主権国家であることを確認する意味でも、やることはやる、国家が講義をするということを早急に取ってもらいたいと思います。

そういう中で、この拉致問題は、相変わらずこう着状態で進展がないわけですけれど、ま、政府が第一義的に動くのはもちろんでありますけれど、もちろんそれだけが手段ではないと思います。

その中の手段としまして、やはり帰ってこられた5人の方々が、もっと北朝鮮であったこと、見たことを、我々家族のものだけじゃなく、日本国民に対してもっと公開して、PRして欲しいと思います。

全てを言うことが、もしかしたら彼ら5人が危険に晒されるのかもしれませんが、その一方で、元北朝鮮工作員・安明仁さんなんかは、北に自分の家族がいながら、危険を省みず、そういうみた事、やってきたことを発言しているわけですね。ほんと、これ立派なことで、なかなかできないことだと思いますけれど、そこまで、同じような危険を冒してまで「発言してください」とはなかなか、帰ってきた5人の方々に言うのは酷なのかもしれませんが、やはりお子様も帰ってこられたことですし、言うことが責任の一つなんではないかという気もしますので。もうちょっと落ち着かれてというか、帰国してだいぶ経過してるんですけれど、やはり言うべきときに言わないと、変な方向で、日本国民の目が帰って来た5人に「何やってんだ」というふうに目が行かないように、やはり「おっしゃっていただければな」と思っております。

日本政府であり、六者協議もそうですし、今回国連の方もいろいろ動きがあるようで、対北朝鮮人権決議案というのが国連総会に付託される見込みというのをこれも今朝インターネットで見たきたんですけれど。諸外国が動いていながら、日本国が動いていなかったら、ほんとに話にならない恥ずかしい行為でありますので。

国がやって、周りが動くと言うのが普通の流れですよね。特に毅然とした主権国家としての動きをとってもらいたいと思います。

今日も先ほどジャーナリストの西村さんから、専門書のご紹介がありましたけれど、我々成人はああいう専門書を読んでもわかるわけですけれど、(会場笑い)もっと若い方々、皆さん若いんですけれど、基本的に若い、実年齢で中学生、高校生の方々が読んでもわかりやすい本を。決して双葉社の回し者ではないんですけれど。(笑い)こういう「めぐみ」というドキュメンタリーコミックが出ているんですね。やはり次世代を担う若い方々が、この拉致事件の真相というところを知っていただくことが、日本国を支えていく原動力になりますので、是非お子様や、学校のお友達に薦めていただきたいよいうふうに思います。

上巻、下巻がありまして、下巻の最後の〆に両親、父母が、姉が帰ってきたらこういうことをしてあげたいと言うことが書いてあるんですけれども、父は何でも新しも好きで、昔から、「六本木ヒルやディズニーランドとか連れてって、進んだ日本を見せてあげたいね」と書いてありまして、一方母は「北海道のような大草原に寝そべって『自由だー!』と言うようなことを一緒に言いたいね」と書いてあります。
ほんとに早くそう言う日が、来ることを祈ってやまないですけれども。
問題の主体である日本政府が非常に消極的なので、非常に怒りを覚えるんですけれども。

早く、そういう日が一日でも早く来ることを祈っています。

つい先日これ、拉致問題とは外れるんですけれど、水曜日だったと思いますけれど、巨人の最終戦があったんですね。そこに後藤選手という選手がいまして、引退試合だったんですね。終わったあとに、確かアウトだったと思いますけど、お嬢さまがやってきて、後藤選手とわーっと泣き崩れて、お嬢様と抱擁するシーンがあって。(哲也さんの目に涙が)そのニュース映像ををみて、私も目が潤んでしまったんですけれど。

そういう、めぐみと両親が抱き合える日が早く来ないかなと願っています。

今日は直接的には姉の問題を話させていただきましたけれども、となりにいらっしゃいます市川さんしかり、特定失踪者の方々、何百人いらっしゃるかわかりませんけれども。そういう方々を救わなければなりませんし。フォラツエンさん、西村さんがおっしゃっていましたけれど、もう、人間とは思えないような扱いを受けている北朝鮮人民。ピョンヤンにいる高所得者、党の幹部は例外なのかもしれませんけれど。虐待をされ、強制収容所に送られて殺されている人間が、ほんとにすぐ隣の国に、そこにいる現実を、私たち、見過ごして良いわけないと思うんですね。

近代社会に、ほんとにあり得ない、こんな国なんですよ。

ほんとに北朝鮮政府、私は、政権交代=レジュームチェンジすべきだと思うんですけれど。
経済制裁発動であり、私たち国民レベルでできることは何かと考えるときに、北朝鮮産のものを口にしないとか、北朝鮮が絡んでいる遊戯なんかに参加しないとか、いろいろあると思うんですけれど。
一個一個から崩していくのがやはり近道になるんだと思いますので、手に取り、口にするときに考えながら進んでいかなければならないと思っています。

いろいろ話したいこともあるんですけれど、時間も限られていますし、また家族会家族会の面々、両親はじめかなり高齢化がすすでおりまして、私たちみたいなちょっと若い世代が担っていかなくてはならないですし、また我々ひとりひとりの力は非常に限られていますけれど、全体で影響すれば、拉致問題が何もなかった所から、ここまでこれたと言う現実もありますから、やはり手を取り合って進んでいくことが、日本国民の証明であると思います。拉致被害者が日本国に帰ってきたときに、「あなた方は何も運動に関与していないではないか」と、我々兄弟がもし運動に参加していなかったときに「おまえなんか兄弟家族じゃないよ」と絶対に言われたくありませんので。

何らかの形でこの運動に関与して、日本人であることを噛みしめて、帰ってきたときに「ほんとうによかった、よかった」と同胞を迎える体制がなければ、やはり日本人でないと私は思いますので、ま、いつ帰ってくるかわからない問題ではありますけれども、みなさまのこれからのご協力、ご支援をよろしくお願い致します。
  
  
____________

◆この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »