『西岡力 救う会副会長のお話 その1』
韓国人の拉致の状況について、実は私扶桑社と言うところから、最近「韓国分裂」と言う本を出したんですが。
この中で1章ですね。
「第4章 見捨てられてきた韓国人拉致」という章を設けておりまして、そこで内容を書いてありますのでぜひ参考にしていただければと思います。
実は韓国人拉致について私たちが取り上げるのは今日だけではなくて、11月23日にもう一度またやろうと思っています。
韓国人拉致は先ほど平田事務局長が司会の中で話されたんですが、二つの側面、あるいは二つの部分に分かれておりまして、
一つは朝鮮戦争中に起きた民間人の拉致の問題があります。
韓国政府が戦争中に作った名簿によると82.959人の民間人が拉致されて、未だにその大部分が生死確認も出来ないままであります。
その朝鮮戦争中の拉致についてはやはり別の家族会がありまして。
朝鮮戦争中の拉致の家族会には11月の23日に来ていただいて、そこでお話を聞くことになっておりますので、ぜひご関心を持ってお集まりをいただく事をお願いしたいと思います。
そして実はもう一つ問題がありまして、先ほど崔成龍代表のお話の中で捕虜の問題が出たんですが
民間人の拉致とは別に韓国軍の軍人が捕虜になって、そしてそのまま抑留されているという人たちがいます。
何人かの人たちは自力で脱出して韓国に帰ってきているんですが、その人たちも自由に帰りたいのに帰れないと言う点では同じ性格があるんですが。
つまり朝鮮戦争中に北朝鮮は民間人を、軍人ではなくて民間人を自分達の必要に応じて拉致したと。
そして韓国人の捕虜を戦争が休戦になっているにも拘らず開放しないで、捕虜はいないと嘘をついている。
いう戦争犯罪をしてきたわけですが、その後、休戦後に韓国人拉致が続いたわけです。
主として漁業操業中に拿捕されてそして北朝鮮に連れて行かれて、大部分の船員は戻ってくる事が出来るんですが、何人かの人たちは彼らの必要に応じてスパイとして使おうとか。
あるいは情報を得るとか。
そのような為に残される。
拿捕と言うのは分かりますから、何人かの人は帰ってくるわけですから。
で、返さない人をどういう理由をつけて返さないか?と言うと、例えば崔祐英さんのお父さんは韓国のテレビに出て「私は韓国政府のスパイでした」と。
そういうような話をさせられてそして「今、自分の意思で北朝鮮に残ります」と。
と言うようなことを言わされてそのまま残されるんです。
寺越さんのタイプに似ている拉致で、(北朝鮮に)いる事は分かっていると言うタイプのものが多いです。
しかし、それ以外にですね。
日本人拉致と同じようなケースで、まず70年代の後半に、5人の高校生が海岸でキャンプをしていて、いなくなったと言う事件がありまして。
3ヶ所で別々にしていたんですが、全く消息が分からなかったんです。
これは横田めぐみさんたちと同じ、あるいは増元るみ子さんたちと同じケースなんですが。
海岸に侵入した工作員によって暴力的に拉致されて北朝鮮に連れて行かれて、めぐみさんたちが目撃されている所と同じ金正日政治軍事大学でスパイが韓国人に化ける、韓国人化教育の教師をさせられている。
この5人については実は安明進さんが証言をしていまして。
安明進さんは韓国に潜入するスパイだったんですね。
で、韓国に入るためには韓国人に化ける訓練を受けなくちゃいけない。
その時の先生だったんです。
安さん以外の何人かの先輩たちの証言もあって、その5人が拉致されていると言う事が分かったんですが。
それ以外に日本の有本さんのケースのように留学中に拉致をされる。
あるいは旅行中に拉致をされる、と言うケースがあり。
それから日本ではちょっと無いんですが、国内線の飛行機がハイジャックされて北朝鮮に連れて行かれて、そしてそのままスチュワーデスなどが帰って来れないで、というそういう拉致もあります。
そのスチュワーデスの人たちは、実は韓国に向けて送られて来ている謀略ラジオ放送のアナウンサーとして仕事をしている。
言う事が分かってきたりしています。
しかし韓国人拉致について先ほど言いましたように、大多数の漁船の拉致のケースの場合、スパイとして使うと言う目的が一つありまして、実際に北朝鮮でスパイとしての訓練を受けて韓国に戻ってきたケースも全くゼロではないんです。
それで韓国政府は拉致被害者家族を、つまり先ほど崔祐英さんが言ったように、監視の対象にしているわけです。
スパイとなって戻ってきたら、まず家族の元に現れて協力を求めるだろう。
家族に匿ってもらうだろう。
だから家族がどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?全部チェックをする。
あるいは家族が軍の高官になったりとか、政府の高官になったりとかを連座制で防ぐ。
就職差別もあったということですね。
あるいは戻ってきた人たち、拿捕されて使えないという人たちが戻ってきたりしますよね?
その人たちに対して、本当はスパイとして戻ってきたんだろうと疑いをかけて、拷問をするとか。
そういう事も報告をされています。
それは実際に韓国と言う国に北朝鮮がたくさんのスパイを入れて、テロを行ってたんです。
大統領夫人が実際北朝鮮のテロで殺されましたし、それ以外にもたくさんの政治工作が行われていて、韓国の中では実は冷戦時代も戦争が戦われていたと。
そういう厳しい状況の中で拉致があり拉致被害者の家族が監視を受けたりしていたと、いう状況があったわけです。
韓国の先ほど話がありましたように拉致被害者の人たちは、拉致をされて苦しみを受ける事と、もう一つは拉致をされた後拉致被害者の家族となった事で、苦しみを受けると言う二重の苦しみを受けてきたわけです。
しかしそういう中でですね。
1994年にアムネスティーインターナショナルと言う組織が、北朝鮮にいる政治犯のリストを発表したんですが、その中に11人が韓国出身者です。
もちろんその中には自分で出北朝鮮に渡ったと言う人もいるんですが、確実に拉致被害者だと思われる人が一人含まれているんです。
1978年にノルウェーでいなくなった高校の先生。
コウさんと言う人ですが、ここで韓国のマスコミは国際機関が報道したもんですから、大きく拉致問題を94年の7月に報道したんです。
金泳三大統領も政府が総力を上げてコウさんを始めとする拉致被害者を救出しなければならないと、言う姿勢を見せたんです。
そしたらば北朝鮮はそのコウさんを北朝鮮のテレビに出して「私は拉致されたんじゃなくて自分で北朝鮮に、来たんだ」と。
「収容所なんかには入ってなくて、結婚して幸せに暮らしている」と、言わせたんですね。
実はそのコウさんには奥さんがいて子供もいたんですが、その奥さんがそのテレビを見て自分は捨てられたと思って自殺してしまうと言う悲劇も起きたんです。
これが94年ですけども、95年に韓国政府は北朝鮮に対してコメ支援を実施する。
日本が実施した時に韓国もやるんですが、その時韓国政府は日本と同じように一方的にコメ支援をして、拉致解決を条件にしなかった。
金泳三大統領も拉致を解決せよと命令はしたんですけども、コメ支援をしたときにその事を北朝鮮に要求しなかった。
その次に97年に韓国で、先ほど言った5人のスパイ教官をさせられている拉致被害者がいる。
海岸から拉致された高校生だと言う記事が出るわけです。
これは休戦ラインを超えて亡命したアン某氏によるとと書かれているんですが、安明進さんのことなんですね。
97年の12月の朝鮮日報にその記事が出るんですが。
つまりめぐみさんが拉致された77年にふたり、78年に3人の高校生が拉致されていると言う事が分かるわけです。
しかし安さんによると実は、拉致されて韓国人化教育の教官をやっている韓国人被害者は60人から80人に上ると。
あとつまり70人とかの人は誰が拉致されているか?分かってないわけですよ。
韓国の中でも特定失踪者問題調査会のような活動が必要なわけです。
その後ですね。
97年つまり朝鮮日報の記事は12月に出るんですけども、97年と言うのは日本で家族会が出来た年です。
その年の3月に出来たわけですけども。
そして韓国政府はその後表立って動きを見せるのは、99年ですね。
99年の1月に韓国政府は北朝鮮の政治犯収容所に拉致された韓国人、あるいは自分で北朝鮮に入った韓国人が22人収監されていると言う発表をするんです。
その中に崔さんのお父さんの名前が入っていて、崔さんは新聞で見て驚いたと。
そしてその年99年の3月に韓国政府は、北朝鮮に拉致されてそのまま帰って来れない韓国人のリスト、454人を公開したんです。
その時、朝鮮戦争休戦後ですね。
拉致された全体は3756人でそのうち3302人が帰ってきたと。
大多数の抑留の漁船がありますから帰ってきたけれど、454人が抑留されているということですが。
その後色々な調査や先ほどの崔成龍さんの話があり、韓国政府は今486人と言ってるんですが。
86人のうち二人が帰って来てるんですね。
4人帰国させたんですけれども、その4人のうち二人は韓国政府のリストに無い人だった。
だから今助けを求めている人は484人だという事になるわけです。
99年に私たちは第一回の国民大集会を企画したんですね、日比谷公会堂で。
そしたらば私たちの事務所に韓国から国際電話がかかってきたんです。
韓国にも拉致被害者の家族がいると。
参加したいけれどどうか?と、言う事だったんですね。
それでぜひ来てくださいと言う事で、そこで初めて崔祐英さんと我々が出会う事が出来たんです。
そして崔祐英さんと崔祐英さんのお母さんと、それから留学中に拉致されたイ・ジェファンさんと言う方のお父さんが3人、第一回の国民大集会から来てくれたんです。
でその後も私たちはずっと、拉致問題は日本人が帰ってくれば良いという問題では無いと。
韓国人被害者も一緒に救おうと言う事で、今まで今年の4月にやりました国民大集会まで必ず韓国人拉致被害者の方たちにも来ていただいて、一緒に訴える活動をして来ております。
そして次の年2000年に韓国で家族会が出来たわけです。
その年が実は韓国の南北首脳会談の年だったわけです。
そして南北首脳会談が行われるのが6月ですが、その4月に、実は先ほど崔成龍代表がおっしゃったように自力でイ・ジェングンさんという拉致された方が逃げてきていて、韓国政府が助けようとしていないと言う情報が入るわけです。
丁度私ソウルにいたんですけれども、その電話がかかって来たのを目撃してたんですが。
そして私も話を聞いたんですが崔成龍さんと月刊朝鮮ですね。
月刊朝鮮の記者と、SBSの放送記者と一緒に行ってその場所まで行ったと。
そしたらば自力でもう脱出していて何回も領事館に行ったんだけど、少しお金だけ貰って、これで自分で帰れと。
韓国にいる家族にも連絡はついてたんだけども、偽の旅券を作ったりして帰ってくるにはかなりのお金が必要だったんですね、中国の中で。
そのお金を韓国の家族は出せないと。
それで間に入った人がいて、韓国で家族会が出来たということで家族会に連絡が来たと。
先ほど説明があったように崔さんが行ってその人イ・ジェングンさんに会って、そしてテープレコーダーを回しながら領事館に電話をして、そしたら「おまえ税金を払っているのか?」と言う話をしたので、政府に録ったって。
記者が一緒に行きましたから今度は北京の大使館に行きまして、これを公開するぞと。
それで最初の被害者を救出したのがここにいる崔成龍さんだったのです。
しかし韓国政府はその事実を6月の南北首脳会談までは公表するなと。
北朝鮮を刺激するといって圧力をかけたんですね。
そして韓国に戻すと言いながら北京の大使館でイさんの身柄を確保して、6月の南北首脳会談が終わるまでソウルに送らなかったんです。
しかし朝鮮日報は南北首脳会談の直前に自力で出てきた被害者がいると記事に書いたんですが。
そのあと崔成龍さんはあと3人の被害者を救出する。
そのような活動をされてきたわけなのです。
崔さんがこの書いたものを読みましたけども、実はもっと助けられる人がいると。
お金と時間があれば連絡が付く拉致被害者はいると。
しかし韓国政府が協力的じゃないと出来ないんだと、言う事を記者会見で話されたり書いているので読んでいます。
そのような活動をしたら実は崔成龍さんに対して、去年北朝鮮の労働新聞が名指しで悪い奴だと。
労働新聞が名前を出すと言う事は相当の事なんですが。
その記事が出て中国に行くのは気をつけろと。
中国に行けば暗殺されると言う状況だったんですが、今年の9月になって韓国の当局から韓国国内でも危ないぞと。
脱北者から得た情報によると韓国国内でも暗殺計画があるようだと話が伝わったわけです。
その事を伝えた朝鮮日報の記事によると本当に脱北者から来たのか?
韓国政府と北朝鮮政府の非公式の接触の中で、崔成龍の活動が邪魔だから脅せと言われたんじゃないか?と言う推測さえ出ていると。
これは朝鮮日報の記事に書いてあった事です。
今その記事を書いた記者が同行取材でソウルから来ています。
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