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2005年10月 8日 (土)

第12回藤沢集会(3)

『岡田和典 特定失踪者問題調査会理事のお話1』
10083

皆さん、こんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
ご紹介いただきました、神戸から参りました特定失踪者問題調査会の理事をいたしております、岡田でございます。
よろしくお願いいたします。(拍手)
去年は東京の方もでおかしいんじゃないんですか?とお世話になった者でございます。
まぁちょっと分からないようでございますが。

実はですね、今日はこの4月にですね。
拉致認定されました田中実さんについて、少しばかりお時間頂戴しましてお話させていただきたいと思います。

皆さん、今年の4月25日、兵庫県内ではふたつの大きな事が起こったんです。
覚えておられますでしょうか?
まずひとつ、例のJRの西日本の尼崎の事故なんですね。
朝の9時18分だったと思います。
おそらくこの横浜、神奈川でも同じ事だと思うんですけれどもですね。
私の家から申しますとですね。
それこそ私もJRの近くに住んでおりますので、快速電車でしたら15分くらいの場所なんですね。
そこで100人を超える人たちがお亡くなりになられたと。
こういう事故があったんですね。
これが朝の9時18分ですわ。

それでですね。
2時くらいになってですね。
私の携帯が鳴りっ放しになるんですね。
もうひとつ大変な事が兵庫県警を中心にして起こってる訳です。
何かと申しますと、共同通信社がですね。
どうやら田中実さん、今日中にもですね。
政府が拉致認定の方向で発表するらしいと。
こういうことなんですね。
同じ兵庫県内の、何でわざわざこんな日にと、言うような時にですね。
びっくりするような情報が私の元に入ってきたんです。

当然の事、兵庫県内のマスコミ各社の皆さん。
一人として新聞社、各それぞれの会社に一人として残っておられません。
全部出てます。
いません。
拉致担当のそれぞれ各社の皆さんも神戸にはいらっしゃるんですよ?各社とも。
皆、尼崎に事故の応援に出払ってます。
誰一人出てません。
私の携帯に入ってまいりますのは、事故現場から
「いやこういう情報が東京から出ている。ついてはどういう事なんだ?」と。
言うような話なんですね。
まずこれは私は不思議で仕方が無い、と。

私ども、救う会神戸の代表をしております長瀬と私と二人でですね。
田中実さん、拉致の実行犯と言うのを刑事告発いたしました。
2年半前でございます。
2002年の10月4日なんです。
無しのつぶてなんです。
わざわざこの日にですね、拉致認定をなぜするのか?と。
その辺の話も含めてですね、これから少しばかりさせて頂きたいと思います。

田中実さん、小さい時にご両親が離婚されました。
昭和24年生まれです。
実を申しますと奇しくも私と同じ年なんです。
現在56歳になられます。
灘区内の神戸市ですね。
灘区内の児童養護施設に預けられました。

これがまたですね。
私と実は中学校が同じ校区なんです。
私も現在ですね、灘区に生まれ、ここに生活をしております。
中学校同じ校区なんです。
私はどういうわけかですね、中学校から私立の学校に参りまして、この中学校には行っておりません。
ただ、小学校の同級生がですね。
この田中実さんと同じ学校で席を並べて一緒に中学校時代を送ったんです。
そういう経緯もございました。

昭和24年に生まれ高羽小学校、鷹匠中学を卒業しました。
当時の養護施設と申しますのは、だいたいは中学校を終えるとそのまま社会に出て行くんです。
高校までは滅多な事では行かしてくれません。
ところがこの田中実さん、非常に出来が良かった。
成績が良かった。
この同じ施設の同じ学年の者が8名おりました。
そのうちの3名だけが高校に、ここの施設の理事長のご配慮によってですね。
高校に進んでおります。
神戸市立の工業高校というところに行きました。

中々大変ですよ。
親御さんがいられない。
施設育ち。
今でもまだまだこのようなハンデを背負った方は世の中で、頑張っても頑張っても中々報われないのが現状ではないでしょうか?
これ30年以上前のことなんですね。
当時のことを考えて頂きますとすぐに分かると思います。
中々厳しい社会生活のスタートだったんではないだろうか?と考えます。

卒業後、事務機器のメーカーに行き、すぐに職を転点とされます。
そして洋菓子店だとか喫茶店等でお仕事をされた後、阪神青木駅、阪神電車のそれこそ神戸市内に入ってすぐくらいのところですね。
東灘区と言う所です。
ここの駅から歩いて5分くらいの場所です。
来大(らいだい)と言う中華料理店に勤めることになります。
これが田中実さんの運命のいたずらのスタートです。

1997年の1月号ですから96年の12月ですね。
ここに発売された文芸春秋に、洛東江という神戸にある北朝鮮の非公然組織。
いわゆるスパイ組織。
ここのメンバーの一員である、張龍雲氏と言う人がですね。
「私たちが所属していた洛東江で田中実さんを拉致したんだ」と、このような暴露手記を掲載する事になりました。
横田めぐみさんの拉致と言う事が騒がれましたのが、1998年の2月3日です。
と言うことは、その1年少し前に田中実さんの拉致報道、拉致が雑誌に掲載されたわけです。
残念な事に何一つ世間の関心を呼ぶ事は無かったもんだと思っております。
申し訳ないけど、私も何一つ知りませんでした。

田中実さんの拉致の経緯についてはそこに張龍雲氏が書いてありますので、ちょっとその一部、私実は7月号の正論のここで田中実さんの事を書かせていただいたんですけれども、そこで引用文がございますのでちょっとここで読んでみたいと思います。
ここで出てきます、韓竜大と言うのがその中華料理店のラーメン店の店主です。
曹廷楽と言いますのがですね。
その洛東江と言うグループの親分です。
ちょっと読んでみます。

・・・・・・・・・・
曹廷楽は韓を70年代半ばに非合法で北朝鮮に帰国させた事があった。
平壌で開催された、ある国際的な大会に参加させる為である。
出発は山口県長門市。
深夜0時、曹廷楽が長門市の海岸で小石を2~3度投げて合図を送ると、潜伏していた工作員がそれに反応して姿を見せた。
準備されたゴムボートで沖合いまで行き、待機していた潜水艦で元山へ向かった。
韓は平壌では非公開の招待所で暮らし、この時、韓に日本人を拉致してくれるよう指令が届いた。
日本に帰った後彼は自分の経営するラーメン店Rの従業員田中実を海外旅行に連れて行ってやると、言葉巧みに誘い出しオーストリアのウイーンに向かった。
田中はここで消息を絶ったが、ウイーンでゴールデンスタンバンクという北朝鮮の情報収集組織にバトンタッチされ、モスクワ、そして平壌に向ったものと思われる。
ゴールデンスタンバンクは表向きは普通の信用金庫であるが、オーナーが朝鮮人で極秘に情報収集する組織である。
ソン・イルホンは私に、田中は現在、同じく日本から拉致されてきた女性と結婚し、翻訳関係の仕事についている。
元気でいるので心配しないでくれ、と韓に伝えて欲しいと話した。
・・・・・・・・・・

このように書かれているのです。
神戸におりますと、私自身も救う会兵庫と言う組織の中で活動を続けてきました。
もうご存知のように有本恵子さん。
ご両親と共に活動を続けていた者の一人でございます。
2002年3年前の小泉首相訪朝半年前、3月に、有本恵子さんがやっとのことで拉致認定されたんです。
11人目の拉致認定ですね。

私ども、ずっとですね。
各新聞者、マスコミの皆さんにですね。
有本さんの事と同時にですね。
ぜひとも田中実さんの事を書いてくれと、繰り返しお願いしてまいりました。
しかし誰一人、どこのマスコミとてですね。
裏の無いそのような話は一切書けないと。
まぁこのような対応に終始したわけであります。

そういう中でですね。
8月の終わりになって、小泉首相がいきなり訪朝すると言う話が出てきたわけです。
そうこうしておる時にですね。
当時は極めて我々に友好的な、今はちょっと違いますけどね。
平沢勝栄先生。(笑い声)
こういう方であるとかですね、様々な方が9月17日の訪朝の時にですね。
この日本ですでに拉致認定されている11人、これ以外にもたくさんの拉致被害者がいるんだと。
小泉首相の訪朝でこの拉致認定された人間、被害者だけで済ませちゃいけないんだと。
何か手はないか?と。

当時、全国協議会、救う会のですね。
事務局長をしていた荒木先生からですね。
私どもの方に相談がありました。
待ってましたなんですね。
この時に、確かこれは9月の5日です。
東京の方でですね。
田中実さんの写真をですね。
全国協議会で初めて流したんです。

どんな時の写真かと言いますと実は、私の小学校の同級生。
何にも田中実さんの物がありませんので、中学校の許可を頂きましてですね。
中学校の卒業写真、卒業アルバム。
ここから田中実さんの写真を、学校の了承を得ましてですね。
そしてお借りしてですね。
それを実は全国協議会の記者会見の場で発表したわけです。

神戸の地元の新聞社が神戸新聞社。
朝一番で電話かけましてですね。
今まで田中実さんといえば何一つ報道しなかって、無理だと。
こういうような新聞社だったわけですが、担当の記者呼び出しましてですね。
今日、東京で田中実さんやるで、と。
その日の夕刊の社会面のトップで一面大きいに扱いましたわ。
この記事。

そんなことでですね、実を申しますと、この小泉首相の訪朝の折と言うのはですね。
全マスコミ上げて拉致報道に終始しましてですね。
非常に湧くが上がったんですね。
イケイケドンドンですわ。
少々いい加減な記事でも正直載りました。
なんでも拉致関係であれば書こうと、言うような時でもあったわけです。
ここでとりあえず田中実さんと言うのがですね。
初めて、まぁ大手のマスコミも含めてですね、表に出る結果となったわけです。
そしてですね、9月17日、あの衝撃の金正日の謝罪を認めるあの訪朝がありました。
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コメント

 初めてコメントいたします。
 普段から拝見させていただいておりますが、特に国民集会に関する記述・レポートは大変参考にさせて頂いております。
 先日鳥取で「人権救済侵害条例」が成立した事はご存知でしょうか。
 あなたは2005/04/24の国民集会についてレポートを公開している方ですからこれは愚問でしょうが、この条例は上記集会にて古屋圭司事務局長が拉致議連として反対していく事を表明された、あの人権擁護法案をさらに悪質にしたものです。詳しくは私のブログ等をご覧ください。
 この条例撤廃の反対運動にご助力いただけると光栄です。何故なら拉致問題解決にも影響する事ですから。

投稿: 徒然@甲斐田新町) | 2005年10月13日 (木) 23時28分

 初めてコメントいたします。
 普段から拝見させていただいておりますが、特に国民集会に関する記述・レポートは大変参考にさせて頂いております。
 先日鳥取で「人権救済侵害条例」が成立した事はご存知でしょうか。
 あなたは2005/04/24の国民集会についてレポートを公開している方ですからこれは愚問でしょうが、この条例は上記集会にて古屋圭司事務局長が拉致議連として反対していく事を表明された、あの人権擁護法案をさらに悪質にしたものです。詳しくは私のブログ等をご覧ください。
 この条例撤廃の反対運動にご助力いただけると光栄です。何故なら拉致問題解決にも影響する事ですから。

投稿: 徒然@甲斐田新町 | 2005年10月13日 (木) 23時26分

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