三多摩市民集会2 荒木和博さんことば(1)
『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話 その1』
ご紹介いただきました荒木でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。
これからまず私がお話をいたしますのは、この拉致問題の全体というのをどう捉えるべきか?と言う事でございます。
先ほど各議員から大変熱心なお訴えがございましたけれども、この問題というのはやはり単にですね。
拉致被害者の方々、あるいはご家族が可哀想だからやるんだと、言うことではないと言う事でございます。
北朝鮮の拉致と言うのは昭和20年代からおそらく始まり、つい最近まで続いている事でございます。
おそらくは今北朝鮮が拉致をやめたという証拠も無いわけでございまして、これから先もやられる可能性はある。
そしてその対象となるのは、まぁ何の北朝鮮に関係の無いごく普通の市民であるわけでございます。
今日お話を後でされます増元照明さんのお姉さん、増元るみ子さんももちろん北朝鮮には何の関係も無い方だったわけですが、そういう方が犠牲になる。
と言う事でございまして、この問題は根本的には我々の安全をどう守るか?という事になるわけでございます。
昭和43年に富山県の入善町と言うところで失踪した女性で屋木しのぶさんと言う方がおられますが、その屋木しのぶさんも入善の実家に帰る前にこの立川の高松町の、この辺り完全に風景が変わってしまったので、元がどうだったのか分かりませんけれど高松町にあった美容院に勤めていました。
半年くらい勤めて、それから富山に帰って突然の失踪をすると。
我々はこの方については拉致の可能性が高いだろうと思っているわけですが。
あるいは立川の中で目を付けられていたと言うことがあったかも知れません。
・・・調査会HPより資料を引用・・・
http://chosakai.jp/index.html
氏名 屋木 しのぶ
失踪年月日 昭和43(1968)年1月中旬
生年月日 昭和23(1948)年1月27日
当時年齢 19
当時身分 美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
特徴
中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる。目がくっきりした二重でかわいい顔立ち。編み物、裁縫をするなど手先が器用。本を読むのが好き。
失踪現場
富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから
失踪状況
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。その後一切連絡なし。お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。平成16年9月30日、富山県警に告発状提出
・・・引用終了・・・
拉致される対象が例えば私みたいにですね。
年がら年中北朝鮮の悪口を言って歩いているような人間であれば、それはあいつはそう言う奴だからやられるんだろうというふうに思われるわけなんですけども。
残念ながらそういう人間はあまりやられる対象には入って参りません。
ですから私は人に言う時はですね、出来るだけ北朝鮮の悪口を言ってた方が安全になりますよと、(笑い声)言うふうに申してるんですけども。
本当にこの近くで特定失踪者としていなくなっている方、そして拉致被害者。
三鷹の市役所のガードマンであった方久米裕さんですとかございますけども、こういう方が基本的には関係があろうと。
政府認定の被害者でお一人だけ、この久米裕さんと言う方は昭和52年の9月に拉致をされておりまして、政府認定の拉致被害者の中では一番最初の被害者でございます。
で、この方は勤めていたのは三鷹市役所、まぁガードマンとして働いておられたので市役所の職員ではないんですが、お金を借りていたサラ金業者と言うのが現在の西東京市の業者でございまして、この人が在日朝鮮人で。
この人の所に北朝鮮から指示があって40代~50代の身寄りの無い男を捜して来いと、言うふうに言われた。
サラ金業者ですからお客のデータは持っているわけでございます。
そのサラ金業者、リ・シュウイチと言いますが自分のお客であった久米さんをですね。
誘い出して、そして騙して能登半島まで連れて行きまして、そこから工作員に引き渡すということをやりました。
実はこの事件は久米さんを工作員に引き渡して拉致をした後で、その連れて行ったリ・シュウイチと言う業者はですね。
警察に捕まりました。
これは泊まった旅館の女将がですね。
非常にどうもおかしいと、言う事で警察に通報いたしましてその事が元になって分かったんですが、結局この事件について警察は起訴をすることが出来なかったと。
で、リ・シュウイチという人物は今日本名で、今でも西東京市でごく普通の市民として暮らしております。
それ以降後何の罪も受けた事がございません。
拉致をした実行犯にも拘らず、何の罪も受けずに今でもごく普通に暮らしているわけでございます。
今日本政府が認定をした拉致の被害者と言うのは全部で16人、久米さんを入れて16人になります。
16人の方々が一体どうやって拉致というふうになったのか?と申しますと、大部分の方がマスコミが報道して、それによって明らかになったケースでございます。
久米さんの場合だけはちょっと特別なんですが、横田めぐみさんの事件は現代コリアに朝日放送の石高健次さんと言うプロデューサーが書いた物が発端になって分かりました。
アベック拉致の3件6人、今帰っていない増元るみ子さん・市川修一さんを含めて、後帰国しています地村さんご夫妻・蓮池さんご夫妻。
この方々についてはですね。
産経新聞の昭和55年1月7日のスクープで、明らかになりました。
それから原敕晁さんと言う大阪のコックさん。
中華料理屋に勤めていたかたですが、この方は拉致をされて、中華料理屋の店主が在日朝鮮人で、この人の所に北朝鮮から指示が来まして、やはり一人男を連れて来い。
言われて、自分の所に勤めていた原さんを連れ出して、そして宮崎から拉致をしたと。
この原さんに成り代わりまして辛光洙と言う北朝鮮の工作員が、原敕晁の名前のパスポートですとか運転免許証を持って行動しておりました。
この事件は辛光洙が韓国に入ったときに通報によって捕まりまして、明らかになったと。
それから埼玉県の川口出身の田口八重子さんですが。
この方の場合は大韓航空機爆破事件で金賢姫が捕まりまして、そしてその金賢姫が自白をしたと。
リ・ウネという名で呼ばれていた日本人の女性から、日本語とか日本の風習とかを教わりましたと。
それによって事態が明らかになりました。
もし金賢姫が自殺をしていたら、あるいは全く見つからずに逃げていれば、田口八重子さんが拉致だったと言う事は誰にも分からなかったわけでございます。
あるいはヨーロッパで拉致されました有本恵子さん、それから石岡享さん、松木薫さん。
この3人につきましては、石岡享さんが札幌のご実家に出した手紙で分かりました。
出した手紙と言ってももちろん平壌で手紙を投函してですね。
届くわけはない。
極秘にヨーロッパの人に頼んで、出国してから手紙を出してもらって、分かったと。
曽我さんなんかに至ってはですね。
誘拐犯である北朝鮮の方が、日本が何も言わないのに拉致だというふうに言ってしまうと、いうケースでございまして。
こう考えてまいりますと、今政府が認定している11件16人のうちですね。
日本政府の方が先に誰も知らない時に、これは拉致なんだ・北朝鮮がこういうことをやっているんだと発表したケースは実はただの一件も無かったという事になるわけでございます。
政府が発表したのが一件も無いのはどういうことかと言うと、今発表している16件以外にはるかにたくさんの人がやられていると言う、紛れもない証拠でございます。
我々色々全国あちこち回りまして、警察の関係の方とかあるいは警察のOBの方とかいろんな方からもお話を聞きますが、やはりですね。
各地に行きまして、「いや、実はあの失踪者の事件は拉致だと言うふうに思っていたんだけど、上に上げたら潰されてしまった」と、言うような話をですね。
あちこちで聞かされます。
それも国全体の構造の問題なんですが、この拉致問題について間違いなく日本政府は、はるか昔からこの事件のことを分かっていた、と言う風に思わざるを得ないです。
そしてそれにも関らず、国民に対して警鐘を鳴らす事もしなかったし、それに対する十分な対応もして来なかった。
それによって次から次へと拉致の被害者がまた出て行ったと、言う事であろうと言うふうに思います。
この問題と言うのは、ですから単にその時その時にたまたま起きた事件ではない。
北朝鮮のその工作機関の人間が、今度は特別拉致をやるかと言うふうに思ったわけではなくて、拉致をやるということ事態が北朝鮮にとって当たり前の事で、その当たり前の事のためにですね。
莫大なシステムを北朝鮮はこの日本の中を含めて構築したという事でございます。
皆さんは拉致と言いますと大抵はですね。
日本海側で、袋か何かを持ってですね。
待ち伏せをしていて来た人を捕まえて連れて行くというイメージが多いと思うんですが、そういうケースは実際はごくわずかしかございません。
これはどういうことかと言いますと、拉致の対象者と言うのはですね。
ほとんどのケースがず~っとですね。
その人に狙いをつけて、何ヶ月もの間ですね。
その人の行動パターンとか家族構成とか特技だとかそういうものを調べておいて、そして何らかの形で騙して連れて行く。
言うパターンがおそらく一番多いからでございます。
北朝鮮と言う国は自分で物を作る事をしません。
他人から皆貰ってきて物を作ると言う国なんですね。
前、新宿のですね。
焼肉店に行った時に、北朝鮮製のぶどう酒が置いてあったのを見たことがあります。
飲んだんですけども味も酷い味ですが、味よりびっくりしたのはこうやって皆さん見てですね。
ビンと言うのは左右対称である。(壇上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルを手にとってかざす)
当たり前の事でございますけども、そのビンと言うのは左右が対象になっていない。
曲がっているんです。
今時ですね、輸出用ですから。
輸出用のぶどう酒のビンがひん曲がっている国なんて、世界中でいくつ探してもそんなに滅多に見つからないだろうと思います。
これはいうまでもなくそれくらいの基礎的な技術力しかないという証拠ですね。
それくらいの技術力しかない国が何で核兵器を作れるのか?
何で物凄く精巧な偽札が作れるのか?と言う事でございます。
北朝鮮製の偽札と言うのは、今はスーパーK だとかスーパーXだとか色々ございますけども、非常に精巧に出来ておりましてアメリカの本物のドル札よりも良く出来てるんだそうです。
本物のドル札と言うのはアメリカ人いい加減ですから(印刷が)適当にずれていると。
北朝鮮製のドル札はずれが無いんだそうでありまして、そんな精密な技術と言うのは中々普通の国は持っていない。
どうしてそういうのは持っているんだ?
元々彼らが持っていた技術の中では絶対にありえないんです。
それは何処からか技術を持ってくるか、場合によったらば人を連れてきて作らせると言う事しか有り得ないわけでございます。
でそういうふうにする事を考えるとですね。
昭和40年前後に東京の東の方から千葉にかけて、印刷関係の方でいなくなっている方が何人もおられます。
もしこの方々が拉致であれば、おそらく間違いなく偽札を作る為に技術者が必要だったと、言う事なんではないだろうか?と言うふうに思っておりまして。
そういうふうにして連れて行かれた方というのはやはり少なくないだろうと、言うふうに考えております。
こういうふうにして連れて行かれた方々の数が一体どれ位になるかと言うと、おそらくどんなに少なくても100人以上で、おそらくはそれよりはるかに多い数。
一番最初はまずですね、この日本の中、おそらく立川にもいるんだろうと思いますけども、この地域は昔米軍の立川基地がありましたし、それから今でも横田の米軍基地があります。
そういう米軍の基地は拠点になってますから、この近くに必ず工作員の組織があることは間違いがありません。
そういう所にですね。
何人も拠点になる人間がいまして、で自分の知り合いの中で例えば日本人で北朝鮮に関心を持っている・北朝鮮が好きだという人で適当な人間がいた場合には、その人に話をして「どうだ北朝鮮に行ってみないか?」と言うふうに言う訳ですね。
で「分かった」と、「じゃあ行こう」と言えばこれが一番簡単です。
一番手間がかからない。
で、そういう人があまりいなかった場合には、北朝鮮に関心を持っているような人。
例えば北朝鮮の映画を観に来ただとか、なんかそういう集会に来ただとかですね。
そういう人を狙いをつけておいて、色々普通の話をしておいてどういう人かと言うのを確認したうえで、その人を例えばですね。
「ちょっと一月か二月の間北朝鮮に勉強に行って見ないか?」「ただで行かしてあげる」「ただし日本から北朝鮮に普通で入れないんでちょっと特別な手を使うから、任してくれ」と言うふうに言ってですね。
そして、行ってみたら帰れなくなったというケース。
これはあの1970年にありました、よど号事件のハイジャッカーのかみさん達ですね。
いわゆるよど号の妻たち、これがこのケースに当たります。
彼女たちも最初に行く時はですね。
北朝鮮にずっと住むなんて事は全く考えてないです。
ほとんどの人は行って暫くしたら戻るつもりでいたと。
そうしたら戻れなくなったどころか、よど号グループと無理やり結婚させられてしまったと。
ただ、彼女たちの場合はそれでもですね。
元々北朝鮮にシンパシーを持ってた人たちですから、じゃあそのままその気になってしまうと。
その気になってしまったので、問題が大きくなってませんけども、あれだって本人たちが「そんなはずじゃなかった、私帰る」と言い始めていればですね。
騒ぎになっていればあれは拉致と言う事は間違いは無いです。
で、そうやってある程度シンパシーも持っている人間もいなかった場合はどうするか?と言うと、騙して連れて行く。
この立川の街中だって簡単に拉致なんかできます。
人間関係、物凄く遠い人間関係、会ったことも無いような人であれば当然警戒をする。
それから物凄い近い関係であれば、周りの人にもこういう人知ってる?と言うことを言う。
出入りの業者くらいの人間関係、人であればですね。
会えば挨拶をして話をするし、また逆にですね。
例えば家族だとか近い人にこんな人がいるんだと言うことは余り言わない。
そういう人と、例えばこの立川でですね。
高島屋の前かなんかでバッタリ会う。
「丁度よかった」と「ちょっと仕事の話があるんですけど20分だけ時間を貸してくれませんか?」「すぐそこに事務所ありますから」と言って連れて来られて、例えばこの部屋でもそうですが、一端中へ入ってしまえば全くの密室です。
入った途端に当身を食らわされて気絶して、そして段ボール箱か何かの袋に入れられて台車に乗せられてですね。
で、運ばれる。
荷物として偽装してですね、運ばれてしまったら誰にも分かりません。
でワゴン車に詰め込まれてそして車で走ればですね。
日本海岸であろうが太平洋岸であろうが何処にもすぐに行く事ができると。
そうやって連れて行かれるという事でございます。
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ご紹介いただきました荒木でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。
これからまず私がお話をいたしますのは、この拉致問題の全体というのをどう捉えるべきか?と言う事でございます。
先ほど各議員から大変熱心なお訴えがございましたけれども、この問題というのはやはり単にですね。
拉致被害者の方々、あるいはご家族が可哀想だからやるんだと、言うことではないと言う事でございます。
北朝鮮の拉致と言うのは昭和20年代からおそらく始まり、つい最近まで続いている事でございます。
おそらくは今北朝鮮が拉致をやめたという証拠も無いわけでございまして、これから先もやられる可能性はある。
そしてその対象となるのは、まぁ何の北朝鮮に関係の無いごく普通の市民であるわけでございます。
今日お話を後でされます増元照明さんのお姉さん、増元るみ子さんももちろん北朝鮮には何の関係も無い方だったわけですが、そういう方が犠牲になる。
と言う事でございまして、この問題は根本的には我々の安全をどう守るか?という事になるわけでございます。
昭和43年に富山県の入善町と言うところで失踪した女性で屋木しのぶさんと言う方がおられますが、その屋木しのぶさんも入善の実家に帰る前にこの立川の高松町の、この辺り完全に風景が変わってしまったので、元がどうだったのか分かりませんけれど高松町にあった美容院に勤めていました。
半年くらい勤めて、それから富山に帰って突然の失踪をすると。
我々はこの方については拉致の可能性が高いだろうと思っているわけですが。
あるいは立川の中で目を付けられていたと言うことがあったかも知れません。
・・・調査会HPより資料を引用・・・
http://chosakai.jp/index.html
氏名 屋木 しのぶ
失踪年月日 昭和43(1968)年1月中旬
生年月日 昭和23(1948)年1月27日
当時年齢 19
当時身分 美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
特徴
中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる。目がくっきりした二重でかわいい顔立ち。編み物、裁縫をするなど手先が器用。本を読むのが好き。
失踪現場
富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから
失踪状況
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。その後一切連絡なし。お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。平成16年9月30日、富山県警に告発状提出
・・・引用終了・・・
拉致される対象が例えば私みたいにですね。
年がら年中北朝鮮の悪口を言って歩いているような人間であれば、それはあいつはそう言う奴だからやられるんだろうというふうに思われるわけなんですけども。
残念ながらそういう人間はあまりやられる対象には入って参りません。
ですから私は人に言う時はですね、出来るだけ北朝鮮の悪口を言ってた方が安全になりますよと、(笑い声)言うふうに申してるんですけども。
本当にこの近くで特定失踪者としていなくなっている方、そして拉致被害者。
三鷹の市役所のガードマンであった方久米裕さんですとかございますけども、こういう方が基本的には関係があろうと。
政府認定の被害者でお一人だけ、この久米裕さんと言う方は昭和52年の9月に拉致をされておりまして、政府認定の拉致被害者の中では一番最初の被害者でございます。
で、この方は勤めていたのは三鷹市役所、まぁガードマンとして働いておられたので市役所の職員ではないんですが、お金を借りていたサラ金業者と言うのが現在の西東京市の業者でございまして、この人が在日朝鮮人で。
この人の所に北朝鮮から指示があって40代~50代の身寄りの無い男を捜して来いと、言うふうに言われた。
サラ金業者ですからお客のデータは持っているわけでございます。
そのサラ金業者、リ・シュウイチと言いますが自分のお客であった久米さんをですね。
誘い出して、そして騙して能登半島まで連れて行きまして、そこから工作員に引き渡すということをやりました。
実はこの事件は久米さんを工作員に引き渡して拉致をした後で、その連れて行ったリ・シュウイチと言う業者はですね。
警察に捕まりました。
これは泊まった旅館の女将がですね。
非常にどうもおかしいと、言う事で警察に通報いたしましてその事が元になって分かったんですが、結局この事件について警察は起訴をすることが出来なかったと。
で、リ・シュウイチという人物は今日本名で、今でも西東京市でごく普通の市民として暮らしております。
それ以降後何の罪も受けた事がございません。
拉致をした実行犯にも拘らず、何の罪も受けずに今でもごく普通に暮らしているわけでございます。
今日本政府が認定をした拉致の被害者と言うのは全部で16人、久米さんを入れて16人になります。
16人の方々が一体どうやって拉致というふうになったのか?と申しますと、大部分の方がマスコミが報道して、それによって明らかになったケースでございます。
久米さんの場合だけはちょっと特別なんですが、横田めぐみさんの事件は現代コリアに朝日放送の石高健次さんと言うプロデューサーが書いた物が発端になって分かりました。
アベック拉致の3件6人、今帰っていない増元るみ子さん・市川修一さんを含めて、後帰国しています地村さんご夫妻・蓮池さんご夫妻。
この方々についてはですね。
産経新聞の昭和55年1月7日のスクープで、明らかになりました。
それから原敕晁さんと言う大阪のコックさん。
中華料理屋に勤めていたかたですが、この方は拉致をされて、中華料理屋の店主が在日朝鮮人で、この人の所に北朝鮮から指示が来まして、やはり一人男を連れて来い。
言われて、自分の所に勤めていた原さんを連れ出して、そして宮崎から拉致をしたと。
この原さんに成り代わりまして辛光洙と言う北朝鮮の工作員が、原敕晁の名前のパスポートですとか運転免許証を持って行動しておりました。
この事件は辛光洙が韓国に入ったときに通報によって捕まりまして、明らかになったと。
それから埼玉県の川口出身の田口八重子さんですが。
この方の場合は大韓航空機爆破事件で金賢姫が捕まりまして、そしてその金賢姫が自白をしたと。
リ・ウネという名で呼ばれていた日本人の女性から、日本語とか日本の風習とかを教わりましたと。
それによって事態が明らかになりました。
もし金賢姫が自殺をしていたら、あるいは全く見つからずに逃げていれば、田口八重子さんが拉致だったと言う事は誰にも分からなかったわけでございます。
あるいはヨーロッパで拉致されました有本恵子さん、それから石岡享さん、松木薫さん。
この3人につきましては、石岡享さんが札幌のご実家に出した手紙で分かりました。
出した手紙と言ってももちろん平壌で手紙を投函してですね。
届くわけはない。
極秘にヨーロッパの人に頼んで、出国してから手紙を出してもらって、分かったと。
曽我さんなんかに至ってはですね。
誘拐犯である北朝鮮の方が、日本が何も言わないのに拉致だというふうに言ってしまうと、いうケースでございまして。
こう考えてまいりますと、今政府が認定している11件16人のうちですね。
日本政府の方が先に誰も知らない時に、これは拉致なんだ・北朝鮮がこういうことをやっているんだと発表したケースは実はただの一件も無かったという事になるわけでございます。
政府が発表したのが一件も無いのはどういうことかと言うと、今発表している16件以外にはるかにたくさんの人がやられていると言う、紛れもない証拠でございます。
我々色々全国あちこち回りまして、警察の関係の方とかあるいは警察のOBの方とかいろんな方からもお話を聞きますが、やはりですね。
各地に行きまして、「いや、実はあの失踪者の事件は拉致だと言うふうに思っていたんだけど、上に上げたら潰されてしまった」と、言うような話をですね。
あちこちで聞かされます。
それも国全体の構造の問題なんですが、この拉致問題について間違いなく日本政府は、はるか昔からこの事件のことを分かっていた、と言う風に思わざるを得ないです。
そしてそれにも関らず、国民に対して警鐘を鳴らす事もしなかったし、それに対する十分な対応もして来なかった。
それによって次から次へと拉致の被害者がまた出て行ったと、言う事であろうと言うふうに思います。
この問題と言うのは、ですから単にその時その時にたまたま起きた事件ではない。
北朝鮮のその工作機関の人間が、今度は特別拉致をやるかと言うふうに思ったわけではなくて、拉致をやるということ事態が北朝鮮にとって当たり前の事で、その当たり前の事のためにですね。
莫大なシステムを北朝鮮はこの日本の中を含めて構築したという事でございます。
皆さんは拉致と言いますと大抵はですね。
日本海側で、袋か何かを持ってですね。
待ち伏せをしていて来た人を捕まえて連れて行くというイメージが多いと思うんですが、そういうケースは実際はごくわずかしかございません。
これはどういうことかと言いますと、拉致の対象者と言うのはですね。
ほとんどのケースがず~っとですね。
その人に狙いをつけて、何ヶ月もの間ですね。
その人の行動パターンとか家族構成とか特技だとかそういうものを調べておいて、そして何らかの形で騙して連れて行く。
言うパターンがおそらく一番多いからでございます。
北朝鮮と言う国は自分で物を作る事をしません。
他人から皆貰ってきて物を作ると言う国なんですね。
前、新宿のですね。
焼肉店に行った時に、北朝鮮製のぶどう酒が置いてあったのを見たことがあります。
飲んだんですけども味も酷い味ですが、味よりびっくりしたのはこうやって皆さん見てですね。
ビンと言うのは左右対称である。(壇上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルを手にとってかざす)
当たり前の事でございますけども、そのビンと言うのは左右が対象になっていない。
曲がっているんです。
今時ですね、輸出用ですから。
輸出用のぶどう酒のビンがひん曲がっている国なんて、世界中でいくつ探してもそんなに滅多に見つからないだろうと思います。
これはいうまでもなくそれくらいの基礎的な技術力しかないという証拠ですね。
それくらいの技術力しかない国が何で核兵器を作れるのか?
何で物凄く精巧な偽札が作れるのか?と言う事でございます。
北朝鮮製の偽札と言うのは、今はスーパーK だとかスーパーXだとか色々ございますけども、非常に精巧に出来ておりましてアメリカの本物のドル札よりも良く出来てるんだそうです。
本物のドル札と言うのはアメリカ人いい加減ですから(印刷が)適当にずれていると。
北朝鮮製のドル札はずれが無いんだそうでありまして、そんな精密な技術と言うのは中々普通の国は持っていない。
どうしてそういうのは持っているんだ?
元々彼らが持っていた技術の中では絶対にありえないんです。
それは何処からか技術を持ってくるか、場合によったらば人を連れてきて作らせると言う事しか有り得ないわけでございます。
でそういうふうにする事を考えるとですね。
昭和40年前後に東京の東の方から千葉にかけて、印刷関係の方でいなくなっている方が何人もおられます。
もしこの方々が拉致であれば、おそらく間違いなく偽札を作る為に技術者が必要だったと、言う事なんではないだろうか?と言うふうに思っておりまして。
そういうふうにして連れて行かれた方というのはやはり少なくないだろうと、言うふうに考えております。
こういうふうにして連れて行かれた方々の数が一体どれ位になるかと言うと、おそらくどんなに少なくても100人以上で、おそらくはそれよりはるかに多い数。
一番最初はまずですね、この日本の中、おそらく立川にもいるんだろうと思いますけども、この地域は昔米軍の立川基地がありましたし、それから今でも横田の米軍基地があります。
そういう米軍の基地は拠点になってますから、この近くに必ず工作員の組織があることは間違いがありません。
そういう所にですね。
何人も拠点になる人間がいまして、で自分の知り合いの中で例えば日本人で北朝鮮に関心を持っている・北朝鮮が好きだという人で適当な人間がいた場合には、その人に話をして「どうだ北朝鮮に行ってみないか?」と言うふうに言う訳ですね。
で「分かった」と、「じゃあ行こう」と言えばこれが一番簡単です。
一番手間がかからない。
で、そういう人があまりいなかった場合には、北朝鮮に関心を持っているような人。
例えば北朝鮮の映画を観に来ただとか、なんかそういう集会に来ただとかですね。
そういう人を狙いをつけておいて、色々普通の話をしておいてどういう人かと言うのを確認したうえで、その人を例えばですね。
「ちょっと一月か二月の間北朝鮮に勉強に行って見ないか?」「ただで行かしてあげる」「ただし日本から北朝鮮に普通で入れないんでちょっと特別な手を使うから、任してくれ」と言うふうに言ってですね。
そして、行ってみたら帰れなくなったというケース。
これはあの1970年にありました、よど号事件のハイジャッカーのかみさん達ですね。
いわゆるよど号の妻たち、これがこのケースに当たります。
彼女たちも最初に行く時はですね。
北朝鮮にずっと住むなんて事は全く考えてないです。
ほとんどの人は行って暫くしたら戻るつもりでいたと。
そうしたら戻れなくなったどころか、よど号グループと無理やり結婚させられてしまったと。
ただ、彼女たちの場合はそれでもですね。
元々北朝鮮にシンパシーを持ってた人たちですから、じゃあそのままその気になってしまうと。
その気になってしまったので、問題が大きくなってませんけども、あれだって本人たちが「そんなはずじゃなかった、私帰る」と言い始めていればですね。
騒ぎになっていればあれは拉致と言う事は間違いは無いです。
で、そうやってある程度シンパシーも持っている人間もいなかった場合はどうするか?と言うと、騙して連れて行く。
この立川の街中だって簡単に拉致なんかできます。
人間関係、物凄く遠い人間関係、会ったことも無いような人であれば当然警戒をする。
それから物凄い近い関係であれば、周りの人にもこういう人知ってる?と言うことを言う。
出入りの業者くらいの人間関係、人であればですね。
会えば挨拶をして話をするし、また逆にですね。
例えば家族だとか近い人にこんな人がいるんだと言うことは余り言わない。
そういう人と、例えばこの立川でですね。
高島屋の前かなんかでバッタリ会う。
「丁度よかった」と「ちょっと仕事の話があるんですけど20分だけ時間を貸してくれませんか?」「すぐそこに事務所ありますから」と言って連れて来られて、例えばこの部屋でもそうですが、一端中へ入ってしまえば全くの密室です。
入った途端に当身を食らわされて気絶して、そして段ボール箱か何かの袋に入れられて台車に乗せられてですね。
で、運ばれる。
荷物として偽装してですね、運ばれてしまったら誰にも分かりません。
でワゴン車に詰め込まれてそして車で走ればですね。
日本海岸であろうが太平洋岸であろうが何処にもすぐに行く事ができると。
そうやって連れて行かれるという事でございます。
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