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2005年11月23日 (水)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会7  

『西岡力 副会長 補足のお話』

ひとつだけですね。
折角持ってきたので紹介しますが、これがその発見された名簿。(名簿を手にとって会場に見せる)
名簿は手書きだったんです。
漢字で書いてあったんですね。
それをボランティアの大学教授と大学生がコンピューターに、ハングルにして入力して、それを今度は印刷して月刊朝鮮と言う所から出したんです。
82959人、拉致被害者の名簿ですね。
韓国政府が1952年に作った物です。

そしてここにですね。(名簿を広げて読み始める)
実は、小さくて分からないかも知れないですけど、ハ・ノホォンと書いてありますけどもハ理事のお父さん。
男・30歳・ミンボウ団という保守団体の総務部長をやっていた。
そして拉致されたのが1950年の8月20日だと。
拉致された場所はナンチョンドンの4-2だと。
住んでた住所は左と同じ。
というふうに名前と職業と拉致された日時と場所と現住所を、韓国政府が調べて名簿にしたんです。

それからこのページを、(別のページを開いて読み上げる)ここを見ますと、リ・ソンファン。
これは李美一理事長のお父さんの名前。
男・31歳・工場の工場長。
1950年5月5日、そして拉致の場所が書いてないんですがその後、住所がチョンナンリ181番。
今も李さんはそこに住んでらっしゃって、そこに韓国家族会の事務所があるんです。
お父さん帰って来るまで引っ越さないといってず~っと今もそこに住んでるわけです。

それからもう一つここにキム・ユウヨン。(更に別のページを開いて読み上げる)
これが金理事長のお父さんの名前が書いてありまして、男と。
年齢は書いてないんですが、牧師と書いてあります。
そして1950年8月、それからコンドックウォンと言うところに住んでいたと、いうふうに書いてあります。

つまり具体的に戦中にひとりひとり家族に調査して作ったわけです。
これ韓国政府が作ったんですから。
それなのに韓国政府は自分達が作った名簿が信用出来ないと言ってる。
だいたいその名簿が無かった、無いと言ってた国なんです。
探したのは李理事長です。
そして見つけてきて突きつけたら信用出来ないと言ってる。
今、大韓民国が危機なんです。
大韓民国が当時大韓民国として、北朝鮮と闘っていた大韓民国が北朝鮮の側に付こうとしている。
と言う記事が実はこの名簿からも分かる、と言うことです。

(会場より「その本はいつ出たんですか?」の声)
この本は2003年に出たんです。
2003年の2月に名簿が発見されて2003年の8月に月刊朝鮮が出しまして、そしてこれを出したらですね。
全国から家族が来てうちのお父さんの名前はあるかどうか?と来たんですね。
そしらたば、無い人もいる。
漏れてる人もいる。
戦中に作った物ですから漏れてる人もいるわけです。
つまり8万3千人以上、10万。
今李美一理事長たちは10万人くらいいるんじゃないかと、今考えているわけです。


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