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2005年11月

2005年11月30日 (水)

森本美砂さんのことば(2005/11/30)韮崎にて

特定失踪者ご家族のことばに、耳を傾けてください。
12.22の国民大集会に向け、認定されない被害者の存在にをもう一度認識しましょう。

森本美砂さんのことば(2005/11/30)韮崎にて

ご紹介いただきました山本美保の双子の妹であります森本美砂です。
本当に今日は平日の忙しい中にも関わらず、多くの方々に来ていただきまして、お話を聞いてくださいまして、ありがとうございます。
3年前姉のことが明るみにでて以来、本当に県民のみなさまにはたくさんのご支援をいただきました。改めてこの場をお借りしましてお礼を申し上げます。(拍手)

いろんなところでお話しさせていただいておりますが、姉、山本美保は21年前の、昭和59年6月4日にいつもと変わらない表情といつもと変わらない服装、姿で、「図書館に行ってくるね」と母に言い残して、家を出ました。当時受験勉強をしていまして、その大学進学を目指して勉強していて、図書館に通っていたのです。

二十歳で勉強していたのには少し理由があります。私たちが高校三年生の秋に突然兄を(当時、二つ上で、梨大=山梨大学に通っておりましたが)バイクの事故で亡くしました。それ以来、家族の歯車が狂ってしまって、家の中が真っ暗になってしまいました。両親は、もう無気力な状態で、毎日を過ごしていましたし、私たちもどうしていいかわからなかったんです。

でも自分の進路を何とかしなくてはいけないという思いで、何とか勉強を続けていましたけれども。姉は暗くなってしまった家の中を少しでも明るいものにしていこうと、たぶん、思っていたと思います。また自分の力を試してみたいと、東京の大学を目指していました。当時父の一人の力では子供三人を大学に通わせるのは難しいと、行くなら地元だということで、東京の大学には行くことはできなかったんです。でも姉はそれを挑戦したんです。苦しい中ですけれども、見事日本女子大学に受かりました。でも私を含め、私も含めた家族は「お兄ちゃんがなくなった後、ひとりで東京になんか行かないで」と反対して、行くことに賛成できなかったんです。そのことをずっと、今でも悔いています。
あの時に行かせてあげればこんな事にならなかったんじゃないか、図書館にいってくるなんて、受験勉強をしなくてもよかったのではないかということを、未だに悔いております。
ですからなかなか、姉のことを言い出すことができませんでした。

3年前の有本さんの事件が明るみになったときに、姉は家を出てから4日後に、柏崎の荒浜海岸で鞄が見つかっています。当時行ったこともない新潟県で、海岸で姉の鞄が見つかったのだろう。当時新潟の柏崎署の方々の協力を得て、くまなく探し回りましたけれど、何の手がかりも見つかりませんでした。でも、何の手がかりもつかめない中で、どこに何を訴えていいかわからないまま、十数年がたっていました。

姉のことは片時も忘れることはなかったんですが、あの時応援できなかったということもあって、他の人に伝えることもできませんでした。

でも有本さんの拉致事件のことを知って、姉の鞄も、蓮池さんたちが拉致された20キロあまりの近くの海岸に落ちていた。何の手がかりもない。これは今何かをしなければ、動き出さなければ、姉に一生会えないという思いで、すこしずつ、調べを始めました。

そして新潟の小島会長さんに協力をいただきまして、詳しい話を聞いて頂きまして、「これは、拉致事件に間違いない」と言われまして、それからいろんな方々の支援を受けまして、すこしずつ運動して参りました。特定失踪者調査会の荒木さんにも相談し、「これはかなり濃い、今の特定失踪者野中で、特に拉致の疑いが濃い」 と言われまして、16人の中に数えられ、昨年1月29日刑事告発もさせていただきました。本当に県民の皆さんにもお力をいただきまして、20万の署名を集めて、政府に提出いたしました。

ところが、先ほどお話しがあったとおり、昨年の3月4日、私の携帯に電話がかかりました。「DNAが一致した」と電話がありました。まだ正式な鑑定書も寄せられていない状態での話でした。専門的なことはよくわかりません。でも、そう言われて、その翌日に、資料を見せられたときも、(本当はその鑑定をした専門家の方が説明をしなければならないのだと後で言われましたけれど)、県警の方が代弁する形で「よくわかりませんけれども、ここに<99.9999・>、この数字が美保さんのことを物語っています。美保さんでない確率は、六兆分の一だ」と言われました。

それがはじめは真実だと思いました。私は二十年間冷たいか鉄の中に放っておいてしまったんだと泣き崩れてしまいました。「なんてことをしてしまったんだろう」と。でも、となりで聞いていた夫は冷静でした。「なんかおかしい」とずっと思っていたようです。
その「おかしい」がやっぱり的中したんです。

DNAが一致したのであれば、全てのことがもっと一致していいはずです。
先ほどもお話がありましたし、いろんな資料にも書かせていただきました。遺留品がやっぱり・・。
遺留品は警察の方は、重視しないのでしょうか?「遺留品が違うことが、人が違うことになるんですか?」と言うことも(警察の方は)おっしゃいますけれども。

遺留品が全く違って、体のサイズも違って、専門家の方に聞きました。
「二十歳の女性の遺体が、13日後にこんなふうになってしまうんですか?」
その写真もDNAが一致したと言われた後に詳しい資料も見せていただきましたけれど、すごいご遺体です。まともにみられない状態です。男も女もわからない、年齢ももちろんわからない、姉の形などひとつもない、そういう痛ましいご遺体でした。手足がなかったんです。頭は白骨化でした。歯も13本も抜けているんです。
「こんなになってしまうんですか?」

上野雅彦先生という水死体を2万体検査、監査された、東京の監察医の先生にその事を、情報をお伝えしました。資料もお見せしました。
「そんなことはない」と はっきりおっしゃいました。
「二十歳やそこいらの人が、歯がぬけるはずがない。」
歯が身元を確認する唯一の手がかりになるんです。その歯が13本も抜けている。「一年以上たっていますね。」とそんなこともおっしゃっていただきました。
いろんな状況が姉とは一致しないのです。

そういうことを調べて、でも、99.999という数字だけで、姉が亡くなったとは到底思えないのです。意地を張っているわけではありません。真実であるならば、二十年以上探し続けている姉の存在がはっきりしたのであれば、どんな過酷な事実であっても受け入れるんです。でも数字だけのものは私に真実を伝えていません。

特定失踪者の中でも特に同級生の方々の力をいただきまして、本当に大きなご支援をいただきました。日本の中で400人以上いる特定失踪者家族は、あまり声を出していないんです。拉致の認定をもらっていないからです。「拉致でなかったらどうしよう。」と言う不安を抱えて生きているんです。何十年も家族に会えない状態で苦しい胸の内を秘めながら、「でも拉致でなかったらどうしよう。」「批判されるではないか」「特定失踪者問題調査会の荒木さんたちに迷惑をかけるんではないか」と、そんな思いもあってなかなか声を出せません。本当に発展していかないんです。

そんな中で、この美保を支援してくださる方は、大きな、大きな活動を通して支援をしてくださいました。
「そこをつぶしたのかな?」と思わざるを得ないのです。

現場の警察官の方々を批判するつもりはありません。父も山梨県警に40年以上勤めた人間です。(涙があふれる、話が少し涙声になる)現場の警察官の大変な生活、仕事ぶりは、身近でよく知っております。小さい頃、どこかに連れて行ってくれると約束してもそれをきちっと実現したことは少なかったんです。事件がおきれば、即、「今日はいけない。」だから小さな頃は、父は嘘つきだと思っていました。でも、だんだん父の大変さを知るにつけ、これは国民の命と財産を守る大変な仕事をしていると言うふうに思っています。

未だに現場の警察官の方々に、パトカーにあえば、頭が下がるんです。
でも姉の問題は納得できないんです。
真実ではないからです。(涙)

「しおかぜ」の短波放送、10月の終わりから聞かせていただいております
今日からは家族のメッセージというかたちで、荒木さんが家族のメッセージを読み上げてくださいます。私は長い間その手紙を書けないでいました県民の皆様に、美保の状況を訴えることはできても、二十年間なかなか声を上げることのできなかった姉に対して、なんと言えばいいのだろう。かける言葉が見つからなかったんです。
やっとの思いで書いた手紙が、今日読み上げられます。荒木さんの暖かい言葉で。
たぶん美保は北朝鮮で聞いていると信じております。

数字だけで何の一致もしない、DNAでも・・
北朝鮮で美保を見たという方がいるんですけれども、私を見たときに姉の特徴をかなりはっきり伝えてくれました。

「あなたより肩幅がありますね。」「あなたの方が、お姉さんより大きいですね。」

それはいろんなところでそのことを伝えていないんです。そんなことを、その方は言い当てていました。

「バレーボールが得意で運動がとても得意な人でした。」(目撃者のことば)

姉だと思いました。
北朝鮮で、元気で、必死でがんばっていると思っています。

どうか姉の真実がはっきりするまで、また全国にいる拉致被害者、拉致の疑いのとれない特定失踪者のことがはっきりと、真実が明らかにされるまで、みなさまどうかご支援の声を上げ続けてください。

皆様の力で、ここまで世論を盛り上げて、政府を動かして参りました、どうか・・。
これは政治問題ではないんです。
私たちは、家族は政治問題を言っているのではないのです。
家族が家族に会いたいだけなんです。
家族にあわせていただきたいという思いを、皆様に理解してくださってここまで来たと思っています。

どうか、その声をゆるめないで、全員が救出されるまで、お力を貸してください。
よろしくお願いします。
本日は、本当にありがとうございました。(拍手)

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山梨県民集会 荒木和博さん

ご紹介いただきました荒木でございます
今日はこんなにたくさんの方々、おいでいただきまして、ほんとにありがとうございます。私は山梨に別に血縁はありませんけれど、ずっと無尽のグループに加わっておりまして、最近忙しくてそこに参加できないんですが、今日は無尽の仲間も来てくれております。
そういうご縁もあるということで、お話をお聞きいただければと思います。

今日これから後ほど森本美砂さん、横田ご夫妻のお話があると思いますけれども、この問題につきまして是非ともまず一番最初にご理解をしていただかなければならないことがございます。それは何かと申しますと、この問題が、単に拉致被害者がかわいそうだから、救出運動をやるという問題ではないんだということでございます。

拉致は、何十年も前から行われて参りまして、比較的最近でも、おそらく拉致ではないかと思われるケースがある。北朝鮮は拉致をやめたということは一言も言っておりません。これから先も必要であれば拉致は行うでしょう。そして主な拉致場所というのは、別に日本海側だけではありません。太平洋側でも、この山梨県のような内陸でも、どこでも行われるんです。

ですから、拉致被害者の救出の運動というのは、拉致をされた方々がかわいそうだから、自分と違う立場になった人がかわいそうだからやるんではなくて、これから先、ここにおられるみなさんや、そのご家族をどうやって守るかということをやっていくための活動だということです。

横田めぐみさんの事件は日本海の近くで起きておりますから、海岸の事件というふうに思っていらっしゃるかもしれませんけれど、あの事件も決して海岸の事件ではありません。ずいぶん離れております。やられた場所はご自宅の近くです。つまり、それはこの韮崎の町の中であっても、何一つ変わることはないということでございます。

今日は県警の方も、いろいろ警備をしてくださっていると聞いております。山本美保さんの話をしてしまえば、どうしても県警の批判をせざるを得ない。あるいはそれ以外でもこうやって一生懸命来てくださっている方々の中には、若干差し障りがあるかもしれませんが、敢えてこの問題はそういうことで遠慮を強いるわけにいかないということで、お話をさせていただきます。

横田さんの事と山本美保さんの事と、非常に共通した一つのことがございます。そして、その共通したことに直接関わった、私自身は唯一の証人でございます。

どういう話かと。3年前、いわゆる小泉第一次訪朝のとき、あの時に何があったのか、ということでございます。あの日横田さんご夫妻をはじめとする家族会のみなさん、そして私ども救う会のメンバー、あるいは拉致気連の役員、衆議院の議員会館に陣取りまして、その状況を見ておりました。

昼頃に首相管邸の方から(当時8件11人と申しましたが)「政府認定の拉致被害者全員の消息を伝える。だから外務省に来てもらいたい」というふうな話がありました。

行くつもりはなかったんですが、しかし、全員の消息が伝えられるというふうに聞きましたので、半信半疑で、外務省の麻布にございます飯倉公館というゲストハウスにみんなで向かいました。

こういうときだけは政府も手回しが良てくですね、観光バスが一台きておりまして、これに乗っかって飯倉公館というところに行きましたのが、(議員会館を出たのが丁度3時でしたから)3時半すぎだったと思います。そこで小一時間待たされまして、まず横田さんのご家族から、別室に呼ばれました。今日おみえのご両親とそして双子の弟さん、更に救う会で佐藤会長と当時事務局長だった私でございます。

そこで、植竹繁雄さんという外務省の副大臣が通告をされました。「まことにお気の毒ですがお嬢さんは亡くなっておられます。」と。お母さんは「そんなこと信じられません」というふうに言ったんですが、植竹さんは「何度も確認しました。何度も平壌に確認をして本当かどうかということを、確認をしたのでこんなにお待たせしてしまったんです。」という風に伝えました。


あの時、私自身でなくてもそうですが、この拉致の救出活動に関わっている者であればおそらく誰でも、心の奥底に<ひょっとして、この救出運動によって、拉致された方々の身が危なくなるんではないか>という懸念していない人は一人もいないだろうと思います。私自身、これをやっていけば絶対に取り返すことができるという確信をもってやっているわけでございますけれど、それでもやはり心の奥底にそういうものが無かったといえばうそになります。

あの植竹副大臣からの通告を聞いたときには、私は「自分のやったことは人殺しだったのか」ととっさに思いました。頭が真っ白にあるというのは、正にああいうことでごさいまして、「取り返しがつかないことをしてしまった」という思いがしていたわけです。


そのあと有本恵子さんのご家族、そのほかのご家族が順次呼ばれまして、「亡くなりました」といわれました。「亡くなりました」といわれたご家族が、「いつ亡くなったんですか」「何で亡くなったんですか」という風に聞いても「わかりません」「わかりません」というだけです。しかし「確認はした」ということでした。

実は、これがまったくのうそだったんです。翌日になってこれがほとんど偶然に近い形でわかりました。

さすがに外務省に連れて行かれて、副大臣、あるいは別の方は、当時の福田官房長官から、この通告を受けまして、そこまで言われるんだから、さすがにいくらなんでも「確認をしたんだろう」と思いました。それでも、やはりですね、<最後まで、本当にわれわれが納得するまではやらなければいけない>という思いだったんですけれど、半ばあきらめかけていた。

翌日、小泉首相に会って話を聞きたいというふうに、要請をしたんですが、小泉さんは「忙しくていけない」ということだったので、翌9月18日の11時半ごろだったと思いますが、記者会見をやって解散をいたしました。

泊まっているホテル荷物を片付けながら、「さてこれから先、どうしたらいいんだろう」「どういう風に責任をとれるんだろうか」という想いで、途方にくれて荷物を片付けておりましたら、電話がかかってまいりました。

電話をかけてきたのは、当時拉致気連の事務局長でありました、平沢勝栄さんでございました。平沢さんは、のちにいろいろな経緯がありまして、いろいろうまくいかないことがあったわけですけれども、あの時平沢さんの電話がなかったら、状況はまた、全く変わっております。

平沢さんの電話はどういうことかといいますと、「今平壌で、蓮池さんたちに直接会った、梅本さんという(当時イギリス大使館公使・前の北東アジア課長ですが)この方がまだ東京にいる。ひょっとしたら会えるかもしれない」という話でございました。「それはじゃぁ、是非すぐにお願いします」と頼んで、連絡の取れるご家族に引き返してもらいました。といっても、横田さんのご家族、蓮池さんのご家族だけです。蓮池さんのご両親とお兄さん、そして横田さんのご両親と双子の弟さんたち、そして私の合計8人。

その日の5時半だったと思いますが、外務省に参りまして、梅本さんにあった。
そこで話を聞いたら、梅本さんははっきりと「いや、確認はしていません」と言いました。「北朝鮮の行ってきた言葉を、東京にそのまま伝えただけです」という風にいったんです。

「話が違うじゃないか!<北朝鮮側がこういっているという話>と、<確認をしました。亡くなっておられますという話>は天と地の差がある。これはまったくの違った話である。訂正をしなさい」というふうに申し入れだんですが、梅本さんは「上司と相談して」いうだけで何も動こうとしませんでした。

みなさん、覚えていると思いますが、あの9月17日の昼過ぎから、選挙の開放速報のように、テレビにこうやって「だれだれさん、横田めぐみさん死亡、蓮池薫さん生存」と(テロップが流れました。)覚えていらっしゃる方もあると思います。あの時は、まだご家族には何も伝えられてはいない。あの時政府がやったことは、実はとんでもないことです。つまり家族を外務省の公館の中に隔離しておいて、マスコミから切り離しておいて、そこで話をする前に、もう情報をどんどんリークして、誰が生きてる、死んでるという話をどんどん流してしまった。そして家族には、確認をしていないことを、「確認をしました。間違いありません」と伝えたんです。

あの時、もし政府が、確認はしていません。北朝鮮はこういっています。という風に言ったらですね、世論の受け止め方、あるいはマスコミの報道は全部違っていました。亡くなったということだけ伝えている。

しかもそれだけではありません。あの9月17日の朝の時点で北朝鮮側から伝えられた書類には、死んだといわれた人たちは、死んだ日付まで全部入っていた。ところがその日付を聞いたときには、政府は伝えていない。ご家族が飯倉公館で「いつ死んだんですか」といってもですね、「わかりません」といっているんです。わかりませんじゃないんです。わかっているんです。わかっていて伝えなかった。どうして伝えなかったか?その日付が完全にでたらめだったからです。目撃証言があった日付より、もっと前に死んでいることになっているんです。ご家族が見たら、みただけでこれはウソだとわかる。うそだということがわかってしまえば、そこで拉致問題を終わりにしようとしていたのが、ご破算になってしまう。ということでそれを伝えようとしなかった。

のちにマスコミが事実をすっぱ抜きまして、明らかになるわけでございますけれども、私は、この一連の動きを見ていまして、『国家権力が、いかに恐ろしいものか』ということを、本当に痛感しました。

あの時は日朝国交正常化をどうしてもやりたい。そのためには、国民の命など関係ない。これが、あの時小泉政権が、やったことでございます。

そしてその一年後、二年後ですね(数えながら)3月に、夜森本美砂さんから電話をもらいまして、「山梨県警から電話をもらって、山形県で見つかった遺体とDNA鑑定の結果が一致したというふうに伝えられてきた」という話でございました。

あの時も同じようなショックを私は受けました。絶対に探し出して会うことができるとおもっていた山本美保さんがはるか前になくなっていたと。どういうことなんだという思いがしたんです。

ところが、あの、その前の、9.17の時の横田さんの話がございましたので、あのときに非常によく似たものを、私は感じました。(のちほど、この山本美保さんのことについては清水さんをはじめとしてご報告もありますし、お手元の資料にも書いてございますので、細かいことは省略しますが)とにかくDNAが一致したということ以外、すべての情報が違っているんです。体のサイズが違う、遺留品が違う。そして、もしバックのおいてあった柏崎の海岸で入水自殺をしたとしても、山形の海岸に13日後にたどり着くという可能性は、ほとんど<0>に近い。

もし警察が、本当に確信を持っているならば、DNAがちゃんとその鑑定をやったものであってそして間違いないと思っているんであれば、ほかの事の矛盾もすべて解消されるはずです。せめて一つや二つぐらい、何かですね、「いや実はこれ新しいことがわかった」ということがあるはずです。全くない。

先ほど挨拶をなさった赤池衆議院議員も初質問で、山本美保さんのことを質問をされましたけれど、そのときも、警察の刑事部長は、この事実関係について、一切答えることができません。

私は、やはりこれは、どう考えてもこれは県警が嘘をついているとしか思えない。そして、こういうことは、県警だけで決まられた問題では、私は、ないと思わざるを得ないわけでございます。

残念ながら、それがこの国の現状です。

そしてその被害者になる可能性があるのは、これから先、ひょっとしたら、ここにおられるみなさんや、そのご家族かも知れません。

前の官房長官、細田さんは、今年の6月の参議院内閣委員会の答弁の中で、「どうやって拉致された被害者を取り返すんですか。具体的に教えてください」いう質問を受けましてこういうふう答えました。
「相手側の政府、相手側にいるわけですから、話し合いをして、向こう側が『わかりました、拉致しておりました、返します』というまで粘り強く話し合いを続けます。」という言葉を言っておりました。

話し合いをして帰してくるぐらいな国ならば、最初から拉致などするわけがないのです。われわれはそういう異常な国を相手にして戦っている。それを《話し合いをして、『わかりました』というまでやるんだ》ということは何を意味しているのか?

《この国の政府が埒被害者を絶対に取り戻さないと国民の前で断言したこと》 と全く同じでございます。

ですから、皆さんのご家族が、もしこれから拉致されたとしても、この国のやり方は同じです。《向こうの国に行ってしまっているんだからあとは煮ても焼いても好きなようにしてくれ》ということにしかなりません。

私たちは、しかし、そういう中ですべての拉致被害者を取り返していかなければいけないんです。
それは単に拉致されたかたがただけではなく、私たち自身の安全を守るためでもあります。

先ほど会場の中で流れておりました、私の声で名前を呼びあげておりましたのは、現在北朝鮮向けの短波放送を流しておりまして、「しおかぜ」という名前で、毎日夜の11:30から12:00まあで、北朝鮮に向けてあのように拉致被害者、あるいは拉致の可能性がある失踪者のお名前を読み上げております。12月8日からは一時間に延長してできる予定になっておりますが、あの読み上げをしながら私自身、いつも思うんですけれども、あの中で「だれだれさん、昭和×年×月○日生まれ、昭和×年×月○日、どこどこで失踪、当時何歳、現在何歳・・・」自分で読み上げながら、一体この人達にとってこの20年、30年の日々というのは、一体何だったんだろうということを本当に感じます。

この人達がもし無事に帰ってきたとしても、私たちは、「一体どうやって謝れば良いんだろう」しかし、更に言えば、それでもまだ、謝れる相手が残っていてくれればいい。「あの時やっていなかったから間に合わなかった」と言うことになってしまったら、私たちは一生そこに悔いを残さざるを得ないわけでございます。

この拉致の問題というのは我々自身が「日本というのは本当に安全な国だ」と思っていたその間違いから起こったんです。確かに、街中に夜中に女性がひとりで歩いていても大丈夫だったかもしれません。しかしそんなことは、多少注意すればいいことです。それよりも、『外国の国家機関の力によって、人が拉致されている』そのことの方がはるかに危険なことです。

日本の政府は間違いなく、今よりもたくさん(今政府の認定者、16人ですが)それよりはるかに多くの方々が拉致をされていたことを知っていました。今でも、もちろん知っています。しかしそれを公表することはありません。

みなさん、現在政府が認定している16人。あの中で、政府のほうが誰も何にも言わないのに、自分から「この人は本当は北朝鮮が拉致をしておりました」と言ったケースが何件あるか、おわかりになりますか?
事実上一件も無いんです。

横田めぐみさんの事件は、現代コリア研究所というところの「現代コリア」という月刊誌が発端となってわかりました。アベックの拉致事件は、産経新聞が昭和55年の1月7日にスクープした記事でわかりました。あるいは田口八重子さんの事件は、大韓航空機の爆破事件、キム・ヒョンヒが、リ・ウネと呼ばれていた日本人女性に日本語や日本の風習を習っていたという事でわかった事件です。

そのように考えていくと、マスコミが明らかにしたか、あるいは工作員が捕まって自供したか、それがほとんどであって、政府の方から自分から、警察が何も知らない、国民が何も知らない時に、「この人が拉致です」と言ったケースは、実は事実上一つもないのです。

ということは、今日、本政府が認定している以外に、はるかにたくさんの人たちが、拉致をされていると言うことです。

曾我ひとみさんのことは、警察は「あれは違う」と言っていました。その人が拉致だとわかった。

でもみなさん、曾我ひとみさんのその曽我ひとみさんが拉致されていた。要は誘拐犯である北朝鮮の方が先にこれを出してきたんです。その時に日本政府の中で、誰か「曾我ひとみさん、これまで24年間、拉致を気付かなくて申し訳ありません」と言った人がいたか。ただの一人もいません。総理大臣も官房長官も、国家公安委員長も、警察庁長官も、新潟県警本部長も、誰一人として、責任を取った人も、お詫びをした人すらいません。

つまり皆さんのご家族がいなくなって、何十年か囚われていて、そしてそれにこの国が気がついていなくても、出てきても、誰も、誰もお詫びもしない。お詫びをしないと言うことは、どういう事かというと、つまり自分たちが拉致された人が何処にいるか、誰が拉致をされているかと言うことを、調べるための責任を持っている人が、ひとりもこの国にいないと言うことです。

この状態は絶対に変えていかなければいけないと思います。

この拉致問題というのは、最近タイの拉致の問題がでておりますけれど、単に一つや二つの問題ではない。レバノンでもやられておりますし、マカオでもやられておりますし、そして他の地域でも、恐らくやられていただろうというふうに捉えております。北朝鮮という国にとって、拉致をするということは当たり前のことであって、たまたま日本人をやったわけではない。

今横浜の赤煉瓦倉庫の先に置いてあります、あの九州南西沖での沈没した北朝鮮の工作船。見て頂ければわかります。全く漁船とは違う形状をしています。水の中に沈んでしまうとわかりませんが、丘の上に上げてみると、もの凄い切り立った、こういうV字型の船首をしている。シロウトが見てもこの船が工作目的につくられたということはすぐにわかる。漁船をたまたま改造して、ちょっと工作活動で使ってみようと言うのではないんです。その為の船を造る。そして、それを運用する人を育成している。こういう事をやって来た国があるわけです。

そして、あの船は海上保安庁の船に銃撃されて沈んだわけではなくて、自分で自爆して自沈をしております。この平和な日本に、自殺することを覚悟して、全員自爆することを覚悟して入ってくる工作員が、あの時のそうだったし、恐らく今でもいるだろうということです。恐らく、この山梨県の中にも、そう言う工作員はいるに違いない。ひょっとしたらこの会場の中にも来ているかもしれません。

私たちはそういうものと戦って私たち自身の安全を守って行かなければいけないと言うことでございます。

この問題は、そういう意味で言うと、非常にですね、この国はこんな事で良いのかと言うことになってしまう。しかし、そればかり話をしていくとだんだん暗くなって参ります。

一方でこの国は、大きく今変わりつつあります。そして本当に持っている力を発揮しつつある。それはどういう事か。あの9.17のあと5人が10月の15日に、羽田空港でタラップを降りて帰って参りました。そのときに五人を私は下でむかえていたわけですけれども、どういうふうに感じたかというと『なんだ、やればできるじゃないか』ということです。

拉致の救出運動の一員として世論を盛り上げて国を動かせば取り返せると思っていた私自身でも、本当にあの五人が帰ってきたときには、『あ、本当にできたんだ』という思いをしておりました。

この国の力というのは決して小さくはありません。世界第二の経済大国でございます。そしてアジアの最大の民主主義の国であって、世界のリーダーたる国です。その国の力を持って、拉致事件が解決できないわけはございません。
そして、それを実現していくのは、今日ここにこうやって集まって頂いた、たくさんの方々のお力です。こうやって集まっていただいて声を上げていただくことがこの国の政府を動かしてきたんです。外国から見れば、日本はすごい。拉致された人々をあのテロ国家から取り返したということを、非常に評価をしてくれる。ですからこの力をもっと絞り込むことが出来れば、北朝鮮から被害者を全員取り返すことは、絶対に可能でございます。

私は来年の末までに、すべての被害者を絶対に取り返して見せるということを公約致しております。それができなければ自分なりに責任を取らなければならないと思っておりますけれども、我々は、それは絶対に可能であると考えます。

そして、その方向を導いていくのは、ここにお集まりのみなさんだと言うことです。

この問題は被害者だけの問題ではない。この国全体を律していくという問題です。

我々は、この国の中に今生きておりますけれど、この国はわれわれだけの国ではありません。これまで何千年もの間、この国を創ってくださった我々祖先のものでもある。そしてこれから先生まれてくる我々子孫のものでもあります。我々は単にその中次をしているに過ぎません。

ですから、我々として過去の人たちに恥ずかしくない国を創り、そして次の世代に恥ずかしくない国を渡していくということをしなければいけない。拉致被害者の救出は日本人だけではなく、韓国人はじめとする他国の拉致被害者の救出にもつながりますし、そしてその次には、あの北朝鮮の中で苦しんでいる2000万の国民を救うことにも繋がります。

我々自身の安全を守っていく。そしてすべての被害者を救出して、北朝鮮の人々を助けてアジアの平和を守るのか?あるいは、それらすべてを見捨ててそれによって、自分たちの安全も脅かされることを許すのか?選択は二つに一つでございます。

これからやらなければならないことは本当に今まで思っていたこととまったく違う局面が必ず出てまいります。しかしその局面を絶対に乗り切って行かなければ行けません。
皆様方のお力で、全員が帰ってこれるように、そして山梨県の被害者は山梨県に、暖かくお迎えすることができるように皆様方のご協力をお願いいたしまして、私のお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

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永遠のジレンマへのレス

原良一さんの投稿永遠のジレンマ へのレス

投稿者: アンデスの声さん 投稿日:11月27日(日)

原様
貴論拝誦。

別に私はジレンマに悩んでいるわけではなく(ご心配ありがとう)、この運動の最重要目的が、①拉致されている日本人の無事解放なのか、②北朝鮮人民の救済なのか、③金正日体制の破壊なのか、それとも④拉致事件に便乗したサヨク叩き・朝鮮人叩き・による憂さ晴らしにあるのか、その目的を各個人が明確にすることで、自分の目的達成のためにとるべき具体的戦術も自ずと客観的に絞られるのではと思ったまでです。

リスク管理の基本「一般にリスクゼロの解決策はない、リスク回避とはリスク=コストのより少ない手段を選択すること」は私も(日常の中で)心得ているつもりです。そして目的の違いでリスクバランスも異なり、とるべき戦術も異なると考えています。


ところで、ペルー大使公邸事件と北朝鮮拉致事件の対応方法の対比ですか、う~ん(と思わずしばし唸ってしまった)。公邸事件解決のためにフジモリが採った戦略(日本政府は事実上何もしませんでしたので)には、北朝鮮対応の参考になる共通部分はありますが、個々の戦術、特に武力突入については社会背景を含め条件が大きく違います、リスクバランスからみても対北朝鮮での武力行使は割に合わない。


>私は範とすべきは、「粘り強く交渉しつつも、不当な要求には断固応じず、交渉と並行して慎重かつ周到に武力制圧の計画を立て、機会と必要があれば躊躇なくそれを実行して、最小限の犠牲で解決に到った」ペルー日本大使館占拠事件であると考えます。</原さん見解

時系列的、表面的にハタからはそう見えたのでしょう、しかし、あの大使公邸事件の大切なポイントは、フジモリにとって事件解決の最重要目的は「テロリスト組織MRTAの殲滅」にあり「人質の安全な解放」ではなかったということ、その目的達成までの彼の姿勢は終始徹底的に一貫していた。この時のフジモリの主目的「犯人の殲滅」は、北朝鮮拉致事件における(少なくとも我々の)最重要目的「拉致被害者の安全確実完全な救出」とは食い違う。フジモリが腐心したのはいかに人質被害を少なくして「テロリスト達を潰すか」ということ、人質の安全な解放は目的ではなく、目的を達するためにクリアーすべき課題だった。したがって、北朝鮮問題をそのままフジモリの公邸事件戦術になぞらえるなら、運動の目的は「金正日体制の崩壊」であり、その戦術・方法論として「拉致被害者の被害を少なくして金正日を潰すにはどうすればよいか」を考えることになります。

一方の日本にとって地球の裏の武装共産ゲリラMRTA(エメ・エレ・テー・アー)なんてふつうの日本人は名前を聞いたことも無かったし(MRTAを勝手に“マルタ”と読んでいた日本のTVアナウンサーもいたな)そんな知らない連中がペルーでどんな悪さをしようが関係なく、日本政府の最重要目的が日本人人質全員の無事解放だったのは、国家の邦人保護義務としても当然。

つまり公邸事件では日本側とペルー側とでは最重要目的が違っていた、すなわちリスクバランスが違った、それはどちらが良い悪いではなく、双方にとってはどちらも正しい。日本側とペルー側の目的が相克してしまったいうこと。社会背景が違えば目的も違う、そして目的が違えばとるべき戦術も変わる。

公邸事件解決の目的が(人質の無事救出よりも)テロリスト撲滅にあるフジモリにとっては、解決の最大の障害が、人質の1/3を占める日本人だった。フジモリ政権時代に日本からの対ペルーODA予算は増大突出し、この日本からの援助を引き出せることがフジモリのウリの一つだったゆえに、日本政府の「ヘーワテキカイケツを望む」圧力はそれなりに効を奏したのである。(この時の日本政府の圧力は自己陶酔型の日本の平和運動の効果には対応しない、政治的他者を動かすのは理念ではなく、相手が動かざるを得ないカードをこちらが握っていること) 日本政府の“要望”のために人質を簡単には死なせなくなったから、チェチェンゲリラのモスクワ劇場占拠事件のような惨事にはならなかった。しかしフジモリ側の目的「テロリスト殲滅」は長年テロに苦しんできたペルー国民の声そのものであり、強行突入で仮に人質に数十人の犠牲者が出たとしても、内戦状態でそれまでに3万人が殺されていた国民にしてみれば、リスクバランスはとれていた。そしてもし逆に日本人人質解放のため日本が無理矢理フジモリにゲリラの要求を飲ませ、せっかく拘束したグスマンなどのテロリストたちが野に放たれ再びテロの恐怖が蘇れば、日本は「テロ支援国家」の烙印を押され今の私もペルーではなくアラブかアフリカのどこかにいただろう、そのくらい当時のペルー国民のテロへの反感は強かった(つまりそのくらい共産ゲリラ連中は滅茶苦茶な殺戮をやった、その残忍さはセンデロだけでなくMRTAも同じ)。

フジモリは「平和的解決を望む」しか言わない(言えない)日本政府に早々に見切りを付け、早期からトンネル掘削を極秘裏に進め、小型マイクを廷内に潜り込ませ人質の軍人からの情報で内部状況を詳細に掌握した上で、機を見計らい精鋭特殊部隊による突入を強行した。突入の日の直前まで続いた主犯セルパとの交渉も、女性ゲリラの発砲を誘発した大音響の陽動行進も、このトンネル救出作戦のためのカモフラージュであり、ペルー側のごく一部の者以外だれも、この作戦を事前には知らなかった。4月22日の夕方の突然の突入の瞬間を迎えるまで、日本政府の人間は誰一人、橋本総理も寺田大使も対策本部の誰も、本当に全く何も知らされていなかった<尤も、3月末頃から公邸を取り巻く武装兵士に白人がまざり始めたので我々は「何か始まるかな」と気配は察していたが(白人兵士≒海兵隊→高レベル特殊部隊>。車に乗っては公邸を出入りするセルパとの交渉にいそしんでいたシプリアニ神父も、はるばるメキシコからやってきて日本側の全権を任された寺田大使も、ただのいい面の皮だった。この交渉を成功させローマカトリック教会内での出世を狙っていたシプリアニ神父は目論見が瓦解し涙顔になり、フジモリに完全無視されていたことを知った日本政府はただ唖然・憮然とするしかなかった。

いきなり始まった強行突入の爆音と吹き上がる煙と銃撃戦を目の当たりにしたとき、私は思わず目を伏せ、「これで人質の大半は死んだ、フジモリは人質の命よりゲリラ殲滅を優先しよった、なんちゅうことを、これで、日本人駐在員は総引き上げだな」と思った。結果的に日本人人質が全員生きて戻ったのは、半ば奇跡・幸運だったと今も私は思っている。フジモリの極めて周到緻密な、そして敵味方双方の予想の裏をかいた作戦、それを一人で行える大統領という一極集権体制がそれを可能にした。繰り返すが、人質に犠牲が出なかった(一人だけ心臓マヒで絶命)のはフジモリの強運に過ぎない、彼がもう一度同じ作戦を行ったら再び全員無事とはいかないはずだ。あれは極めて危険な賭だった、もし多くの人質の血が流れていたら、当時のペルー社会はそれを許しても、日本社会は許さなかったろう(少なくとも5年後のチェチェン・モスクワ劇場の悲劇までは)。

8000%近いハイパーインフレで経済が混乱し全土にテロが蔓延する国家崩壊状態で「誰がなっても失敗する」と言われた1990年当時のペルー大統領に就任したフジモリは、わずか数年で経済を建て直しテロも終息に向かわせ、追いつめられたMRTA残党が起死回生を懸けて引き起こした公邸襲撃もフジモリにとってはテロ撲滅作業の総仕上げのための、いわば飛んで火に入る夏の虫だった。

公邸事件のフジモリの戦略・戦術を振り返って感じるのは、彼は自分がなすべきことの目的が明確でぶれないこと、その目的達成に向けた極めて周到緻密な戦略と戦術があり、ことが決まったらそれを淡々と着実に実行していく冷徹ドライな彼特有の哲学を持っていることである。今回のチリ出国騒動も、フジモリしか知らぬその最終目的に向けて着々とプログラムが進んでいるような気がする。日本ではもう飽きたのか最近は報道が止まっているが、当地では先週からフジモリ支持派の巻き返しが始まっている。


>これ以外にも重要だと思ったのは、
f)人質は必ずしも「平和的解決」を望んではいなかった。即ちペルー人人質は、何度も武装蜂起計画を立てては当局に制止されており、日本人人質も危険の多い逃亡計画を立てていたことが判明しています。<原さん見解

これについても少し修正させて貰います。拘束されている人質達には外部状況、特に救出のための作戦行動状況はまったく分からない。拉致・人質事件では、事件中に自分が置かれた客観的状況に最も無知なのが人質本人という、反転空洞現象が起きる。情報遮断され銃を突きつけられた恐怖・緊張下の人質に正常な判断能力は期待できない、求めるべきでもない、武力行使に人質の希望は関係ない、基本的にこれは、状況を正確に把握できている外部にいる人間が冷静に判断すべき事項。共同通信記者の原田を廷内に招き入れてしまったのも、情報閉鎖の中での一種ヒステリー状態から「内部の俺達の声を外に伝えさせろ」という一部の人質達が引き起こしたもの。周囲状況のサッパリ分かっていない解放直後の人質は何を喋るか分からないからそのまま記者会見に出すのも危ない。2時間ブリーフィングの後に会見に臨ませた青木大使でさえ、ああいうブザマな姿を晒すハメになった。それから、あのとき武装蜂起を計画したペルー人人質は軍人たちであり、逃亡計画を立てた日本人人質もごく一部、もし実行していれば極めて危険だった。それから年齢も職場環境も拘束期間もペルーへのかかわり方もさまざまな人質達の心情は各人各様であり、それを一部の証言で代表するのは無理がある。日本人人質同士の深刻な感情対立もあった。とにかく内部はけっこうゴチャゴチャしていたのだ。こういう国の駐在員はクセの強い一言居士、一匹狼的な性格が多いし、特に最後まで残された支社長クラスには団塊=全共闘世代が多かったせいもある(解放後に青木大使を糾弾する文章を文芸春秋に掲載したS氏もそのクチだ、日本じゃガサツ飲んべえベランメエの私もここじゃとおっても上品なほうなのだ、ケケケッ)。


人命を踏みにじる、常識の通じない凶暴な相手との駆け引きには硬軟織り交ぜた複数の駒を使い分けることが必要になりますが、持ち駒の種類はその国の能力でも決まる、たとえば自衛隊の平壌急襲によるによる拉致被害者の武力救出のような、できない戦術ははじめからできない。それから、アメとムチを使う戦術ではまず相手をムチで叩いたあとにアメを見せるのが交渉の常道、アラブのスーク(市場)の値切り交渉も同じですから、先にアメをちらつかせる日本の北朝鮮対応はいわば常軌を逸しているといえます。

以下に北朝鮮拉致事件対応との対比の参考になりそうな、公邸事件のときの事例・要素を思いだせるままに(なにせもう10年前だ)挙げてみます、共通部分、異なる点、あまり関係ない私の思い込みもあるかと思いますが、個々の判断は原さん含めみなさんにおまかせするとして・・・、ただ、フジモリ(=ペルー政府)の目的の是非を考えるには当時のペルー社会の特殊な状況はふまえて下さい。

*)1980年後半から90年代初頭までペルー全土で共産ゲリラのテロが吹き荒れ治安軍兵士と衝突し、爆弾テロに巻き込まれ殺された一般市民のちぎれた遺体が日常のように路上に転がっていた。公邸事件が勃発した1996年頃もまだテロや武力衝突は残っており、公邸に武力突入した兵士たちはふだんから臨戦状態にあった。作戦を陣頭指揮したフジモリに実戦経験はないが、彼の学生時代のペルー社会は全国民に兵役義務(現在は部分徴兵制)があり学生だった彼は実務免除ながら軍事理論を(義務として)履修しそれを抜群の成績で修了している。

*)公邸事件の場合、人質もMRTAゲリラもわずか100m四方の公邸の塀に囲まれた袋の鼠状態であり、緊張した膠着状態が続きながらも“犯人も人質も逃げも隠れもできない、人質を殺せば犯人も確実に殺される、そのうちなんとかなるんじゃないか”という気持ちが(今思えば)我々の心の底になんとなくあった。

*)公邸内と外部との連絡、人質への手紙・弁当・医薬品などの差し入れは全て国際赤十字が取り持った。世界各地の紛争でリエゾン経験を積んできた彼等は詳細なマニュアルをもち、徹底した中立の立場を貫くためゲリラ側も彼等を信用した。日本人向けに差し入れた日本食弁当はリマの日本人板前が腕をふるったもの、その経費は各人質企業が負担した(ので贅沢などと部外者から文句を言われる筋合いはない!)。MRTAゲリラたちも美味い日本食のほうを好んで食べた(がもちろん金は払わなかった)。

*)日本のマスコミ取材の傍若無人振りはこれまで何度か触れたので詳しくは割愛する。共同通信の原田の強行取材のときは強い緊張感が現場に走り、ブンヤ風情の思い上がりに怒り殴りつけてやろうかと思ったが、あれは人質側が仕組んだことなので半ば仕方ない、しかしその時廷内で撮影した人質顔写真を当地のカレータス誌で晒した“売命行為”は許せない、が、写真を高額で買い取ったカレータスもいわば同罪、自由主義社会のマスコミのしつけの悪さはどこの国も似たようなものだし、権力の監視告発にはマスコミが必要、マスコミは功罪相備える、要するに使いようだ。

*)MRTAはペルー社会の矛盾が必然的に生みだしたもの、チェ・ゲバラを崇める彼等は、文革・毛沢東思想かぶれ(のくせに毛沢東が中国人であることも知らないのがいる)無知蒙昧狂信集団のセンデロに比べれば頭も良く良識的で真面目な人間も多い。だから正直なところ私は、この件でMRTAを金正日北朝鮮に対比することには抵抗があります。彼等を叩きつぶしたフジモリ自身も「MRTAの主張には共鳴できる部分がある、自分が大統領にならずに彼等に参加していた可能性もある」と語っていたくらいだ。ただしMRTAは自分の信条故に多くの無辜の民を殺戮してしまった、その社会的報いは受けざるを得ない、殺された者にすればMRTAもセンデロも北朝鮮も一緒だ。15年前、仕事仲間のペルー人スタッフが誘拐され半年後に発見されたとき、90kgの体重が35kgに減っていた。骨と皮に衰弱し銃弾を撃ち込まれた彼の遺体が、ある日、リマ市内の路上にボロ布のように捨てられていた。MRTAの犯行だった。彼等のどんなに崇高な理念も、なぶり殺された者の家族を納得させることはできぬ。

*)リマに設置された日本政府対策本部に詰めた総勢70名の中には、約10名の厚生省派遣の医師・看護士が含まれていた。彼等の任務は解放された人質達の精神的ケアだったが、彼等が言うには「日本にはこういう事件の症例が殆ど無いんですよ」とのこと、平和すぎる国ゆえに人質事件被害者の臨床データが日本には乏しく対応マニュアルも無かった。ベトナムなど各地の紛争に首を突っ込み不幸なデータを豊富に持つアメリカは簡単には教えてくれない、仕方なく彼等はダッカ事件や神戸地震の被災者の報告書、イラン大使館占拠事件の文献を入手して勉強していた、が、4ヶ月後に彼等は豊富な症例を手に入れることになる、その解析の中で「リマ症候群」も確認された。集められたデータは厚生省に保管され、その後世界各地の非常事態地域に派遣される医師団の間でも活用されている。前例のない不幸な事件はそれからの事件の前例として役立つ部分もある。

*)蛇足ながら、MRTAが占拠したのは“日本大使館”ではなく“日本大使公邸(=大使専用宿舎)”ですのでお間違えなく。事件の後、住処の無くなった日本大使はリマ市内最高級ホテルのスイートを3年間宿舎としたあと、今は更地となっている旧公邸から500m離れた場所に数億円の日本の税金をかけた要塞のような公邸が建った。羮に懲りて鱠を吹くこの日本的リスク(アン)バランスはペルー人の失笑を買い、大使自身も恥ずかしがっている。

*)また、貴稿中の“リマ症候群”というのはストックホルム症候群とは逆に「犯人側が人質に対して親近感を抱いてしまった」現象に対して付けられた名称です。(例のO氏は事件前から共産ゲリラに親近感を抱いていたからストックホルム症候群にも当てはまらない、彼は北朝鮮拉致事件について「帰国した被害者はいったん北に返すべき、自分が身代わりに北に行っても良い」という認識だったから、おそらく“日本的サヨク的親北症候群”とでもいうべきものでしょう)

*)なお、私は決してフジモリ信望者ではありませんので念のため。彼が大統領就任中の10年間に日本からのペルー向けODAは膨れ上がったが、日本が貢いだ見返りが公邸事件とワラル事件(1991年、JICA派遣の3名の日本人技術指導員が通勤バスからゲリラたちに引きずり出され3人並べて自動小銃でハチの巣にされ殺された事件)だ、明らかに日本側の一方的な持ち出し超過。フジモリが日系人ゆえに、しかも匿っているのが石原慎太郎や曾野綾子といった右派人士であるためか日本の右も左もウルサイが当地に日本の国内事情など関係ない、フジモリは飽くまでペルー人。アルベルト・フジモリは日系人だが、彼は(元妻のスサーナ・ヒグチも)日系人の中では極めて特異なタイプ。戦前の日本人街焼き討ち暴動・強制収容の記憶の残る日系人の殆どはいつも真面目に静かに目立たぬように暮らそうとしているから、フジモリの立候補にはみんな反対だった。今のフジモリ支持派デモに日系人は誰も参加していない。日系人の一人が公邸事件中に私に「あんたがた駐在員は、危険になれば日本に帰ればよい、しかし我々には、このペルーがどんなに酷い国になってもこの国で生きるしかない、我々には戻る国はないのです」と語った。地球の裏で拘束されたペルー人フジモリを助けろと誰も日本に頼んでないから、当地の事情に疎い日本人は関わらんでよろしい、そんなことしているヒマあったら自分の隣の国に拘束されている日本人をさっさと助けなさい。


蒼き星々~北朝鮮による拉致被害者・家族を支援する人の集う掲示板より

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永遠のジレンマ (原良一さん)

原 良一さんからアンデスの声さんへ 
           投稿日:11月26日(土)

 アンデスの声様

 お悩みの件、私は、北朝鮮との交渉は、ペルー大使館占拠事件への対処が参考になると愚考します。2年前、朝民研(朝鮮民主主義研究センター)に投稿した拙論を転載します。事件に対する認識などに誤りがあれば、ご教示ください。

 朝民研(朝鮮民主主義研究センター)より転載


永遠のジレンマ その1 ― ジレンマというよりリスクでは?―
2003/10/14(Tue) 03:17朝民研(朝鮮民主主義研究センター)掲示板に投稿

 T・K生発言に対する、Kazhik、SINKEN、川島各氏の思い入れぶりに私も引き込まれました。多くの親北派人士の言動に接してきた私には、一読してピンと来るものがありました。 忖度するに、多くの親北派と同様この老左翼は、つい最近まで北朝鮮の惨状を事実として受容していなかった。それをいきなり受容させられる体験を強いられ、動転してしまったのです。

 我がRENK代表李英和は北朝鮮での「留学生活」に耐え切れず、日本に逃げ帰った(正確には再来日ですが…)後、夫人である李明(リミョン)の前で「俺はどうすればいいんだ」と泣き崩れるなど、精神的に不安定な日々を過ごしたといいます(「朝鮮総連と収容所共和国」小学館文庫から)。

 また、9・17翌日の毎日新聞紙上で詩人の金時鐘翁も、「過去の清算などいえた道理ではなくなった」と嘆いて物議をかもしたのに通じる反応です。韓国民主化運動の修羅場をくぐってきた池明観氏の場合、それとの対比で北朝鮮の非道性をより一層理解できたはずで心痛はなおさらでしょう。

 私が思うに、池明観氏やKazhik氏が直面しているジレンマはリスクと言い換えることもできます。私は、対北朝鮮との交渉は、「フツーの国との外交交渉」ではなく、

・地域や空間を不法に占拠した武装集団(注1)による
 人質監禁立籠もり事件での人質解放交渉」

 つまり、ハイジャック事件などへの対応を基本にすべし、を持論にしています。この場合も人質の安全が最優先で、みだりに武力突入をしてはならないのは当然ですが、例外的に武力制圧が許される、またすべき事態が経験則的に成立しています。それは、犯人側が人質に危害を加え始め、人質の被るリスクが突入によるそれを上回ると予想される時です。

(注1)国連に加盟していようが、日本政府が日朝交渉で「黙示の承認」を与えていようが、朝鮮半島北半部を実効支配していようが、私は金正日現体制の正統性を認めていない=主権国家として認めず、単なる地域を「軍事的強占」する武装集団として扱っているので、こう表現しました。

 既に一部の集会で発表し始めていますが、私は

・95年以降の300万ともいわれる北朝鮮での大量餓死は、上位カースト(豚金父子を神と崇める核心階層)による下位カースト(「敵対階層」と貶められる奴隷階層)への「銃声なき大虐殺」であり、事実上の内戦であった。

・厳密にいえば、北朝鮮は建国以来ずっと「構造的で制度化された内戦」を自国民にしかけており、敵に指定された階層への粛清、迫害が不断に続けられてきた。悪名高い強制収容所とは、
「整然と秩序だった静かな虐殺」もしくは「重労働を伴う餓死の刑」が執行されている場所である。

との仮説を立てています。

 80万~100万人が虐殺されたルアンダ内戦は隣国ザイールなどの介入によって収束され、責任者は国際法廷で裁かれています。ベトナムのカンボジア侵攻は、当初国際社会から非難されましたが、ポルポト派の大虐殺が明らかになって、現在は「止むを得ない介入だった」が一般的です。より小規模な虐殺への対処をもって、NATOのコソボ介入も「人道的介入」と正当化されています。

 これらの前例と私見に基づくと、国際社会が北朝鮮に武力介入し、レジームチェンジ(体制打倒)を強いるべき時期は、大量餓死が進行していた95~97年頃だった、との結論になります。実際には、ジュネーブ合意で事実上の国体護持を約束し、重油まで(それも日韓の国費で!)貢いでいたのだからお話になりません。「悲劇が終わってから、真相が明らかになる。気付いた時は手遅れだった」式の不条理は、全体主義体制とりわけ社会主義圏で顕著ですが、隣国であり、間接的とはいえ自国が虐殺に加担する結果になっていたことに、より悔いが残ります。

 現在、北朝鮮の大量餓死は一段落し、小康状態を保っていますが、それは殺すべき対象がほぼ殺され尽くすか、国外に逃散したからに過ぎず、「静かな虐殺、重労働付き餓死の刑」は国際社会から見えない形で今も続けられています。しかしそうであっても軍事介入の必要性、緊急性自体は、95年当時よりは下がっています。

 長く運動を続けて感覚が鈍磨した私には「静かな虐殺」と見える現状も、「初心者」の池明観氏には「強硬策もやむを得ない、対案がない」ほどの惨状と映って過剰反応してしまったという構図でしょう。

 私としては、「今頃気づかれてもねぇ」と共感よりも怒りを覚えた口ですが、理解者を一人でも増やしたい立場にあり、どんな問題であれ目覚めた人を「遅すぎる」と難詰するのは政治的に賢明な態度ではなく、また池氏の苦悩は、対北朝鮮理解を深める上で、自身を含め誰もが経験してきた試練であって、同氏を責めるべきではない、と思い直しました。

 個人一人一人の人権を尊重し、「一人の死にも心を痛める。大の虫を生かすために、小の虫を殺す主張や行動に抵抗を感じる」という左翼本来の感性が維持されている限り、私たちは今回のジレンマから永遠に解放されないでしょう。

 ルアンダにしろ、カンボジア、北朝鮮にせよ理論上犠牲を最小限にするためには、虐殺が始まる前かその直後に(手段は何であれ)介入し、体制を打倒する必要があります。しかし、それが実行に移された場合、介入の根拠は仮定に基づく未来の死傷者の発生の回避という、極めて曖昧でわかりにくい理由になります。

 対して武力行使に伴う死傷者は、目の前に突きつけられるので、「武力行使は誤りだった」との批判になりがちです。しかしこの批判に一定以上の正当性があることは、原爆投下の是非論争や、今回のイラク戦争と国家権力の側が被害の算定をしばしば、それも開戦目的に意図的に誤る事例がいくつもあったことからも明らかです。個人レベルでも、「将来の犯罪者」との予言によって予防拘束される映画「マイノリティレポート」のような社会が、実現されることは悪夢でしかありません。

 冷戦初期、米国で「敵の力が強大化する前に先制攻撃すべし」との予防戦争理論が提唱されたことがあったと幼い頃平凡社の百科事典で読みました。この主張は「米国の建国理念に反する」と厳しく批判され、否定されたとありました。それを実践したのが、第三次中東戦争でのイスラエル軍の先制攻撃であり、稼動前のイラクのオシラク原発への空爆でした。米軍による北朝鮮核施設への限定空爆論がことある毎に蒸し返されるのは、その「成功事例」から二匹目のドジョウを狙っているからです。

 そんな米国に北朝鮮問題の解決を白紙委任することはリスクが大きすぎる、という認識はここに集う皆様は共有していると思います。

 さりながら、前掲のカンボジアに加え、ナチスのユダヤ人虐殺を拱手傍観していた連合国、中国で大躍進、文化大革命の度に数百万~千万単位の死者が出ていた事にまったく無頓着だった、とたっぷり教訓を学んだ後でも、北朝鮮での「構造的で制度化された内戦」により継続される「静かな虐殺」「重労働を伴う餓死の刑」を「民族自決」「内政不干渉」の美名で見殺しにする不作為はもはや許されないはずです。

 しかし、では「見殺しにしない」と決意したとして、北朝鮮に政策変更を強いる強制力を持つ勢力は誰かとなれば、それはやっぱり米国の軍事力しかないわけで、批判し、反感を持ちながらもその米軍に依存せざるを得ないというジレンマに再び直面させられます。

 右翼・保守派や医療を含む危機管理の実務につく人々は、上記のジレンマをリスクやコストに置き換え、それらを最小化するという論理で合理化し、悩みを克服している模様です。しかし、「止むを得ない犠牲」という合理化は、容易に「死んでも当然」「殺してもかまわない」との堕落に陥りやすい、ということも私たちは多く経験しています。

 軍事アナリストで危機管理の専門家の中ではもっともリベラル派に属する小川和久氏が、少年によるバスジャック事件の際、「被害者の人権擁護のためには、(たとえ未成年でも)犯人を速やかに射殺すべきだった」と当局の対応を批判しているのを聞いて、私はとても驚きました。私には(おそらく制圧に時間を空費した当局も)とてもそこまでの割り切りはできなかったからです。

 でも、殺された被害者の死因が失血死で、速やかに手当てすれば助かる可能性もあったとも聞いていたので、そうすべきだったのかとも悩みは深まりました。人一人の生き死にの扱いにこれ程動揺しているようでは、来るべき豚金体制崩壊時の混乱時にどうすんだ、との思いも募りました。

 結局、結論として私が出したのは、甘いとの批判を忍んでも個々の人命を大切にする感性は維持されるべきだ、との開き直りでした。殆どが作る会の会員でもある救う会と総聯など親北派・護金派が多く含まれる慰安婦問題という左右両翼の人々と話す機会を持つ私は、何の疑念もなく戦前の天皇制軍国主義体制や豚金独裁体制を翼賛する人々(もちろん全員がそうではないが)ともしばしば遭遇してきました。

 ある意味悩みが無いから、彼らは気が楽です。主張も単純明快、大変わかりやすい。でもそんな彼らが羨ましいとも思いません。人、特に他者とされる人々の生命や尊厳を尊重しない(そのくせ、そういう奴に限って身内に対しては下にもおかない接し方をするので、とかく内部的には評判がいいから困り者です)勢力が、左右双方の運動で主流にならないように頑張るしかありません。

 人間は現状に甘んじ、疑問を感じたり、悩むことがなくなったらおしまいです。

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 永遠のジレンマその2 ― ペルー日本大使館占拠事件の教訓 ―
 2003/10/14(Tue) 04:20 朝民研掲示板に投稿

 私は、対北朝鮮との交渉は、「フツーの国との外交交渉」ではなく、

・地域や空間を不法に占拠した武装集団による
 人質監禁立籠もり事件での人質解放交渉」

として対応すべし、を持論にしています。
 つまり基本となるのは、各種のハイジャックやシージャック、金嬉老の寸又峡事件、イランやペルーの大使館占拠事件などへの各国当局の対応なのです。この時当局に課せられた課題は、

1.人質の安全の確保、解放の実現
2.武装集団の不当な要求の拒絶
という二律背反を両立させることにあります。

 かつて「人命は地球より重い」の迷言の下、日本赤軍に資金や兵員を提供してしまったダッカ事件、逆に「三割までの人質の犠牲は許容範囲」との軍の論理で、武装集団の殲滅を優先させた、例えばチェチェン武装勢力によるモスクワ劇場占拠事件(他事例多数)の両極論を排するとして、私は範とすべきは、「粘り強く交渉しつつも、不当な要求には断固応じず、交渉と並行して慎重かつ周到に武力制圧の計画を立て、機会と必要があれば躊躇なくそれを実行して、最小限の犠牲で解決に到った」ペルー日本大使館占拠事件であると考えます。

 私が思うに対北朝鮮交渉は、ペルー日本大使館占拠事件解決のための交渉の拡大版に過ぎず、対応する事例も多々あります。MRTAが北朝鮮、ペルー政府が周辺諸国は当然として、
a)ことある毎に人命優先の解決を訴えた橋本首相(当時)が各種の反戦平和運動。
b)最後まで続けられた水道、電気等ライフラインの切断が経済制裁など北朝鮮封じ込め政策。
c)人質への差し入れが人道援助。
d)赤十字やカトリックによる仲裁が国際機関による調停活動。
e)共同通信などメディアの突撃取材とその評価を巡る論争が、NGOや野党による対北民間・野党外交の意義に対する論争、という具合にです。

 そして事件解決の過程で得られた教訓も多くの点で応用可能です。大きなものとしては

3.人質解放前に、武装集団に先に譲歩(メリット)を与えてはならない
4.武力行使の選択肢を絶対に放棄してはならず、常に「事あらば、いつでも突入するぞ」との圧力をかける必要がある。

 が挙げられます。3は、ペルー政府が服役中のゲリラの釈放に一切応じなかったことを指しています。対北朝鮮では、核開発を不問にして原発や重油をプレゼントしてしまったジュネーブ合意、拉致問題で何らの進展もなくタダ取りされたコメ支援、5億ドルもの外貨で買った「悪魔と詐欺師の抱擁(南北首脳会談)」と失敗だらけです。

 また4は、武力突入しないとの心証を与えてしまうと、相手は安心していつまでも居座り、不法行為を止めないからです。その意味でも、北朝鮮が求める国体護持=体制保証など絶対に応じてはならないのです。

 他にも、
a)の橋本首相の言動が、結果としてペルー側の性急な軍事行動を抑制し、トンネル掘りや入念な突入訓練など綿密な作戦計画を立てる「期間の利益」を与え、人的犠牲を最小限に抑えた。反戦平和運動は、たとえ開戦を阻止できない場合でも、一定の意義がある。
b)は何らかの痛痒を感じさせないと、相手は不法行為を止めない。
c)一時、幕の内弁当など豪華な差入れをするのが流行ったが、「人質の真の願いは、差入れの充実などではなく、監禁状態からの一刻も早い解消である」との「正論」が提起された。対北人道援助でも、体制延命にしか役立たないような「人道援助」は厳に慎むべきである。
d)国際調停には限界があり、最終的には対峙する両当事者間で決着をつけるしかない。
e)当局側からこの種の取材活動は利敵行為との批判がなされたが、当局の一方的な主張を検証・掣肘する上で有効との反論もあり、さらに議論を深める必要がある。対北朝鮮外交でも、NGOや野党外交が充分な成果を挙げていない理由を再度分析する必要がある。などが挙げられます。

 これ以外にも重要だと思ったのは、
f)人質は必ずしも「平和的解決」を望んではいなかった。即ちペルー人人質は、何度も武装蜂起計画を立てては当局に制止されており、日本人人質も危険の多い逃亡計画を立てていたことが判明しています。

 彼らとしては、「平和的解決」を名目に拘禁状態を徒に先延ばしされるほうが苦痛だったのです。もっとも人質の中にも、小倉英敬氏(「封殺された対話」平凡社の著者)のようにMRTAに親近感を示す人がいて、ストックホルムならぬ「リマ症候群」と揶揄されていますが…。

 この点は北朝鮮も同様で、脱北者や餓死線をさまよう貧困層からは、「戦争になってでも早く現体制を倒して欲しい」「飢えて死ぬのも、撃たれて死ぬのも同じだ」との声が常に発せられています。

 偽作の疑いも指摘されていますが「戦争になれば飢えは終わる―北朝鮮庶民の願いと現実」(李賛三著、三五館)というルポが、既に95年末の段階で出版されていることに注意する必要があります。

 拉致被害者家族たちはもっと積極的で、直近では私の地元千葉で7/26に開催された集会でも、めぐみちゃんの弟横田拓也氏が「私たちは(戦争の危険や姉を含む拉致被害者が苦しむ)リスクを覚悟の上で経済制裁を主張しているのです。私たちには時間がないのです。引き延ばしはごめんです」と断言しています。

 a)で当局側が「期間の利益」を得たのに対して、人質(被害者)側は「期間の不利益」を被っていたことになり、「人質の安全」を口実にして「武力による解決反対」など、自らの政治的主張を過度に言いたてることは、慎むべき態度なのです。

 そして言わずもがなですが、g)投降後のゲリラまで皆殺しにしてしまったのは、大きな汚点であり、事件解決の「成功」でそれをぬぐうことはできず、フジモリ大統領や軍の責任追及自体は当然である、ということ。

 これは逆も成り立ち、ゲリラの虐殺を以って事件解決の手腕まで否定してはいけない、個別の事例で是々非々に徹して処理すべきなのです。

そのg)に関連して、h)フジモリと軍の目的は、終始一貫してMRTAの捕捉殲滅にあり、平和的解決はまったく念頭になかった。その「殺意」はゲリラ側にも充分伝わっていて、相互の信頼がまったくないがため交渉が難航し、武力突入の破局に到った、とされています。

 武力突入の1ヶ月ぐらい前からゲリラの第三国への亡命を条件に人質を解放させる解決案が、希望的観測を含めて流布されていました。ところが事件解決後、フジモリと軍はその場合でもあくまでゲリラの逃亡を許さず、空港などに特殊部隊を潜伏させ、人質を解放した瞬間を狙って全員射殺を企図していた、との説が出されています。

 フジモリらの目的は、自らの威信を失墜させたMRTAへの報復殺害にあり、平和的解決など論外、人質の無血救出も二の次、三の次だった、など批判派のフジモリ政権への不信と反感はとどまる所を知りません。

 私たちにも思い当たる点があります。親北派、護金派(北朝鮮をではなく、豚金一味とその体制の決死擁護が目的の者)を問わず、「救う会の佐藤勝巳の目的は、あくまで金正日現体制の打倒にあり、拉致問題をそのために政治利用しているに過ぎず、真に被害者や家族のことを思って活動しているわけではない」といった類の「誹謗中傷」が常に浴びせられています。

 確かに私を含む「北の独裁者と戦う主要四団体」に参加する人の多くが、「金正日現体制の崩壊なくして、拉致、帰国者、収容所、脱北者と諸問題の根本的解決は不可能」と主張しています。私の場合はさらに金父子三代の全人格も否定していて、豚金親父(金日成)、豚金ジョンイル、バイ菌まさお(金正男)といった表現を平気で使う、というよりその使用に固執しています。

 しかしながら、私たちが豚金体制打倒を叫ぶのは、あくまでも諸問題解決という目的のための手段であって、目的ではありません。豚金が突然悔い改めて、全被害者を解放するから体制保証をと提案してきたら、責任追及を当面棚上げにして、被害者の安全確保を優先するでしょう。しかし、外国人である私たちが責任を不問にしても、「敵対階層」と貶められ、鬼畜以下の扱いを受けてきた国内の奴隷階級が報復を自制できるとはとても思えないので、その場合でも体制崩壊は不可避でしょうが…。

 問題は「体制打倒は手段であって、目的ではない」といくら主張しても、親北派は一切聞く耳を持たず「誹謗中傷」をやめないことと、実際に体制打倒や排外感情の表出が目的の者もいることです。

 そんな人でも、問われれば「被害者&家族の救援が優先だ」と主張するでしょう。日本に逃れ、老醜をさらしているフジモリも、「ゲリラの殺害が目的ではない」と否定するはずです。しかし彼がどう抗弁しようと、g)の投降後のゲリラまで殺害した事実がある以上、説得力はありません。殺害のツケを信用失墜という形で支払わされているわけです。

 たとえ「北朝鮮民主化」「拉致被害者救出」など掲げる大義が正しくても、実行する手段が誤っていれば禍根を残す、敵につけこまれないためにも一分のスキも与えてはならないのが教訓です。

蒼き星々~北朝鮮による拉致被害者・家族を支援する人の集う掲示板より
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奪還への一つのオプション

アンデスの声 さんの投稿 11月26日(土)

先般「10個の質問」の問9への答で私は、金体制崩壊が解決への早道だと書いた。問題の抜本的解決は確かに金正日独裁体制崩壊にある、しかし、その独裁者が現支配体制維持を最も強く望み、体制崩壊を最も恐れるなら、裏返せばそれが日本にとって一番有力なカードということだ。であれば、支配体制存続を条件に、拉致被害者を帰還させるのが、現実的に考えられる落としどころの一つかも知れない。制裁というムチで追い込み体制崩壊の恐怖をギリギリまで味わわせたところで、体制保証のアメを餌に日本人全員解放の交換条件を出す。

もし、自分の子供あるいは兄弟姉妹が、近所の極道チンピラが支配する家庭に誘拐・拘禁されそてこの家族子供達と共に虐待陵辱され続けている場合、極道の眉間に銃弾を撃ち込みその家庭から取り除けば悲劇はおおかた解決するが、極道が人質を盾にとり包丁を振り回して暴れ家督放棄を嫌がるなら、家督相続の保証を条件に私は我が子を連れ戻す。当面その極道の家族には申し訳ないが、まず自分の子供を救い、その後でその極道を消す、最終的に。



蒼き星々~北朝鮮による拉致被害者・家族を支援する人の集う掲示板より

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2005年11月29日 (火)

西村眞悟が終わっても拉致事件は終わらず

アンデスの声さんの投稿蒼き星々掲示板より  投稿日:11月29日(火)

私は逮捕された西村眞悟に同情しない、どころか、逮捕によって拉致運動にダメージを与えた責任を彼はとるべきと考える。拉致問題を気にかけながら彼に同情し持ち上げようとする人たちの気持ちが私には分からぬ。

代議士は国民の道具、使えなくなった道具は替えるしかない。政治に対する国民の意識がいまだ江戸時代のオカミ意識のままだから、オカミは動かず、拉致問題も進まない。

政治家の立場は支援者とは違う、誠意や熱意は政治家の評価にはならぬ、脇が甘いのはそれだけで十分政治家失格、失敗が国民の生命につながる政治家に甘えは許されない、みなさんは、人が良くて腕の悪い大工に自分の家の普請を頼みますか? 心優しいヤブ医者に家族の命を預けますか?

ちなみに、西村氏はこれまで国民の(一部の)声を引っ張ってきたかもしれないが、“拉致被害者の帰国”に関して彼がこれまでにどういう具体的成果を上げたのか、どなたか教えて欲しい。

運動が当初の理念本筋を離れ矮小偏狭で個人趣味的な政党政治運動の縄張り争いに穢れ堕ちていくのが、戦後日本の社会運動の常だった。私は、西村逮捕でこの運動が終わってしまうように狼狽する人たちに、核兵器禁止運動の覇権争いで罵り合う共産党員vs社会党員、エイズなんかどうでも良かったエイズ患者川田母子、取り憑かれた顔で熱心な折伏にやってくる創価学会員、そういう連中と同じ印象を受ける、自分たちが揶揄する小泉マンセー教徒と同類じゃないのか。

学生結婚だった私には二十歳前後から続く夫婦共通の友人が何人かいて、たまに夫婦同士で集まり旧交を暖めているが、その中に、途中からある新興宗教に夫婦でハマってしまったのがいる。昔から優しくて何事にも熱心で真面目な二人だった。最初は宗教の話題を避け昔の顔で話しているが、そのうち話の節々に宗教色が出始めるともうダメである、学生時代の面影が消え別人顔になってしまい、お互いの間にカーテンが下りる。思想宗教が絡むと世界は狭くなっていく。

西村逮捕で支援者の少なからぬ方々が別の顔を見せた、それが素顔なのだろうが、見たくない素顔だった。

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2005年11月25日 (金)

大宮の集会脱北者の声

11月13日、
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第5弾(大宮)に参加してきました。
大阪経済大学助教授/北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表である、山田文明先生のお話をお聞きしました。時間内に話しきれないほどの脱北者をめぐる実体験と北朝鮮という国の悲惨さを丁寧にお話しになられました。

以下は今日配布された資料にある脱北者のことばの一部です。
山田先生が、朝鮮語の原文は美文調ですばらしいものだとご紹介なさっていました。

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思うように泣くこともできず、心から笑うこともできない、あの国では生きていけず、私は脱北を決意しました。人間らしく生きられる地があるならば、この世の果てであろうともさがしていきたい気持でした。

そうした願いの下に、私たち脱北者は、中国からベトナムに、タイに、モンゴルに、捨て身の覚悟で生きる場を求め、さまよいさまよいしているのです。

そうした最初の出口が、鴨緑江と豆満江を境とする中国なのですが、この中国もまた私たちにとっては生き地獄となりました。四方に北韓と結託した公安の監視がありましたし、女性を金儲けのタネにしようと暗躍する人身売買屋の攻撃と、脱北者に掛けられた報奨金に目を眩まされて、北韓の人間とみれば無条件に密告する人たちに、いつどこでどうなるかわからないという不安、恐怖の中に彷徨わなければなりませんでした。

人間が商品に転落してしまう中で、卑しめ、蔑視、恥を噛みしめ、国なく、家なく、カネなき者として辱めを甘受する長い時間でありました。
私がかつて経験し、今も私の同胞が中国で、北韓で味わっているこうした苦痛を私たちはただひたすら耐えて甘受しなければならないのでしょうか。

私はこの場を借りて、世界の良心の前に問いたかったのです。私たちが一体いかなる罪を犯したが故に、何のために、誰のためにこうした苦痛を舐めなければならないのかを。
同じ空の下、同じ人間として同じく幸福な人生を歩みたいのが道理であるのに、なぜ 私たち北韓の同胞だけが踏みにじられる凄惨な人生を歩まなければならないのですか。
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2005年11月23日 (水)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会1  

第1部・朝鮮戦争拉北人士家族協議会の方々による講演


『西岡力 副会長のお話』



でははまず皆さん、韓国の皆さんに拍手をお願いします。(拍手)
実はですね、このお三人の中の真ん中に座っていらっしゃる金聖浩(キム・ソンホ)理事長は、この集会だけの為にいらっしゃったんではなくて、約2週間、日本全国の大学を回って日本の大学生を相手に巡回公演会を今して下さっているんです。
その最中に今日のこの集会のスケジュールが空きましたので来て頂きました。
後ほど金理事長からもお話があると思いますけども、実は2003年の5月に、5人(の被害者)が帰ってきた直後の国際フォーラムでの国民大集会の時に、李美一(リ・ミイル)理事長と金聖浩理事長と来て下さったんですね。

そこで金聖浩理事長が訴えたのを聴いた日本の大学生が感動しまして。
そして韓国にも拉致被害者がいたんだと、その人たちのことを我々は知らな過ぎたと。
韓国へ行って拉致のことを勉強しようと、日韓の拉致被害者を救出する為に韓国の大学生と協力出来ないか?と言ってですね。
2003年の夏・2004年の夏・今年の夏と3年連続で、大学生たちが自分のお金で日本全国の大学から集まってですね。
訪韓団を作って行ったんですね。
その時私が電話をしまして、日本の大学生たちが行くけどよろしくと言って。
金理事長や李理事長に食事をご馳走になったりして色々お世話になったんですが。

その時に金理事長が大変お世話をしてくださって、最初は韓国の国立墓地に連れて行ってですね。
韓国で訴えるんだったら、まず韓国の為に闘って死んだ人のところにお参りしなさいと、言ってそこに連れてって下さった。
その後、韓国の学生とディスカッションをしたり、韓国の家族に会って話を聞いたりと言う事をやって来まして。
それで今度は日本の学生たちがこの金理事長の話を自分達だけが聞くのはもったいないと言って。
日本の大学生たちが企画をしてですね。
金理事長を日本の大学に招こうという事になりまして、熊本大学、それから昨日は首都圏の大学の学生が集まって八王子の方で集会がありまして。
それから大阪教育大学、立命館大学、佐賀大学、福岡教育大学、長崎大学と大学で大学生たちに金理事長が韓国の拉致の問題、また最近は脱北者の救出運動をやってらっしゃいますのでその問題。
また日韓の歴史の問題。
歴史的な違いを越えてどうやって日韓の学生が連帯できるのか?と言う問題について講演をしてくださっているんですね。

また今日は午前中には月刊正論と言う雑誌の中に、増元照明さんと私と3人で座談会をしまして、次号にその話も出ると思いますので是非関心を持たれた方は、月刊正論の次月号を買ってくださるかと思いますが。

そして、それ以外の李理事長はいつも国民大集会の時に毎回来てくださっているんですが。
そしてそれからあちらのハ・ヨンナムさんは、韓国の朝鮮戦争家族会の国際担当の理事で英語が堪能でいらっしゃるんですけども。
3人が今日は来て下さいました。
前回は朝鮮戦争休戦後の拉致問題について取り上げたんですが、今日は朝鮮戦争中の民間人拉致について取り上げて、そしてその人たちを救出する為に、あるいはこの問題解決するために我々が何ができるのか?と言うことを考えたいと思っています。

まず韓国の拉致家族会の活動の紹介に入る前に、お3人の方々がそれぞれ、どの家族がどのように拉致されたのか?
家族会としてではなくて家族として、ひとりひとり朝鮮戦争のときに何が起きたのか?と言うことを私たちが理解する為に、自分の家族の話をして頂きたいと思います。
まずは李美一理事長からお願いします。

(写真は右より西岡氏、李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長、
金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長、
ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当です。)
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救出の為に日米韓連帯を!東京集会2

『李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

朝鮮戦争拉致は1950年までさかのぼるわけです。
北朝鮮は1950年の6月25日夜明けに奇襲南進を仕掛けて来たのです。
当時の韓国政府は敵軍を迎え撃つ事ができず、ソウルは3日目に陥落してしまいました。
私たちの家族は父と母とそれから祖父と祖母がおりまして、そして5歳の私のお姉さん、それから1歳を過ぎた小さかった私と言う家族でした。

当時韓国政府はソウルは死守すると、避難に行くなと私たちに伝えておきながら南に逃げてしまい、そしてソウルと言うのは韓江というのが南側に流れているんですね。
南に避難する為にはその川を渡らなければならないのですが、北朝鮮軍が南下するのを防ぐ為に大韓民国政府が南に秘密に逃げた後、6月28日に韓江に架かっている橋を韓国政府が爆破してしまった。
私たちの家族はそのような爆破計画があると知らなくて、その前日の27日に南の方に逃げていこうと思ってその橋の所まで行きました。
その時韓国政府は軍とそれから軍の関係の装備だけは南に行かせる事を許して、一般人は南に逃げる事を許さないで家へ戻れと言いました。
それで27日の夜は橋の近くの友達の家で夜を過ごしたわけですけども、28日の朝、橋は爆破されてしまったんです。
仕方なく私たちは家に戻って過ごすしかなかったのです。

その中でうちのおじいさんのお兄さんが医学博士だったんですが、北朝鮮に拉致されたという消息が伝えられました。
その不幸は9月5日我が家にも襲ってきたんです。
政治保衛部員、いわゆる政治警察ですね。
政治保衛部員と言う人が我が家に来まして、その時家にいたお父さんと出会ったわけです。
当時の韓国は反共が最も重要な価値観であった為に、大韓民国の国民はなんらかの反共団体・愛国団体に所属しておりました。
政治保衛部員が最初に父に聞いたのは、もともとの故郷は北朝鮮地域だったのでいつ南に来たのか?と聞きました。
戦争前、つまり北朝鮮の政府が出来てから逃げてきたんではなくてその前に、日本の植民地時代に南に来たんだと言ってその質問には上手く切り抜ける事が出来たんだと。

次の質問は愛国団体に金一封を寄付した事についての質問でした。
少ししかしなかったと言ったんですが、じゃあちょっと調査しなければならないと言って連行して行ったのです。
しばらくしたら戻ってくると思っていたら中々戻ってこないので、うちの母が当時の北朝鮮の内務省、北の警察ですね。
に、うちの姉を連れて迎えに行きました。
中を見ると父が調査を受けていたんですが、その後しばらくして父が政治保衛部員に連れられて出てきて、そして路面電車に乗せられて行きました。
当時路面電車があったんです。
そこで母が駆け寄って「どうしたんですか?」と聞いたらば、真っ青に青ざめた父が「もう少し調査をすることがあるんだ」と言って「明日になれば帰れるだろう」と、母に言った言葉が最後の言葉になりました。

その後警察署に連れて行かれたと言うのですが、警察署に言ってみると一週間後には解放するといわれた。
一週間後にもう一度行って見ると北から指令が来て安全地帯に退避させる、と言うのが彼らの答えでした。
その後私たちの家族は父が帰って来る事だけを待って、連れて行かれた自宅、それをずっと守ってその家で今も暮らしています。
家族を本当に愛してくださった父のことを私は忘れる事はできません。

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救出の為に日米韓連帯を!東京集会3

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長による
      ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』


皆さんこんにちは。
ご招待いただいてありがとうございます。
戦争が勃発した時、うちの父は50歳でした。
そして神学大学の教授をしていた牧師でもありました。
また東亜日報の記者をしていたので、言論界でも大変有名でした。
私は父のことを良く知っていて父の心の中の事が良く分かるので、父の思いを皆さんに十分に伝えられることが出来ると思います。

うちの父は日本の植民地時代に終戦の直前日本の警察に連れて行かれて、大変酷い取調べを受けたと言う経験を持っております。
上海にある臨時政府に資金を送った容疑と言う事で本町警察署に連れて行かれて一ヶ月間の大変酷い取調べを受け、その間うちの家族は生活に困窮し私の2歳下の妹は、栄養失調が原因で病死してしまうと言う家族的な悲劇も経験いたしました。
もちろん牧師だったので神社参拝に反対し、また教義的な問題でも弾圧を受ける中、私どもの父が所属していた団体が弾圧を受ける中、私の父も苦しみを受けたのです。

ところがおかしいと思ったのは、終戦になって日本人が韓国から帰国していく事に対して、うちの父は大変協力をしていたと。
当時の私の家の近くにも日本人はたくさん住んでいましたし、実は私の家族は家を失って田舎に行っていたんですが、ソウルに戻ってきて臨時に住んだのが日本人が住んでいた家でした。
私たちにその家を預けて日本に帰った人達、その家族は日本に帰る時、近所の人たちに温かく送り出してあげようとうちの父が言い出して、そして荷物もたくさん持って帰れるように取り計らっているのを見てですね。
私は大変不思議でした。
しかし、今になって私は父の心が理解できます。

朝鮮戦争が起きて父は避難する事ができました。
しかし学校を守らなくちゃいけない。
言う言葉を残して私と避難する途中、一人だけもう一度ソウルに戻って行ったのです。
私は田舎で隠れていたんですが、ソウルからの消息で父が捕まって連行されたと言う消息を聞いてソウルに戻りました。
その時うちの妹が拉致を目撃していたのです。
母は食料を求める為に外出しており、父と妹弟たちが家にいたのですが、突然黒いジープに乗った政治警察が現れて家を包囲したんです。

丁度そのときですね。
同じ神学大学の教授が一人我が家に来て、危ないから隠れろと言いに来てくれたのです。
その教授が来て話をしていたときに政治警察が包囲して玄関の門を叩いたので、その教授は押入れの中に隠れて、うちの父が玄関に出たところを裸足のまま引きずり出されて連れて行かれてしまった。
妹たちや弟たちが目撃していたのが父の最後の姿なんですが、そのあと消息はないんですが、実は一緒に拉致されていって脱出してきて韓国に戻ってきた人たちが東亜日報に証言をしている記事が出たのです。

その証言によりますと、うちの父は北に連れて行かれて収容所に入れられて、そこで北の地下教会の牧師と秘密に連絡を取っていたと。
その連絡を取っていた事が暴露されて政治警察につれて行かれてその後出て来ていない。
その後消息が全く無いのです。
それが私の父の拉致の過程の話です。

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救出の為に日米韓連帯を!東京集会4

『ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当による、
ご自身の家族のお話』
                 (通訳・西岡氏)

 

こんにちは。
皆さんありがとうございます。
私は実はこの席に座ってまして妙な気分に囚われているのです。
と言うのは韓国では私たちの話を聞いてくれようと言う姿勢が全く無いのです。

実は私も数年前まではうちの父についてほとんど関心を持っていなかったのです。
というのは私は朝鮮戦争のとき4ヶ月の赤ん坊であった。
そして父親を奪われた母が一人で必死になって私たちを育ててくれて、父のことを話してくれるそういう余裕さえなかった。
しかしうちの母は私を何不自由なく良く育ててくれました。
他の子供たちの中で父親が亡くなっている人たちに比べて、拉致されたというのは何か誇りのようにそんなふうにも思っていた。

実はうちの母は今83歳でカナダに移民に行ってトロントに今住んでいます。
時々ソウルに来るんですが、2002年のW杯の時、ソウルに大きな荷物で日記を持ってきました。
その頃から母は父のことについて色々文章を書いたり発言を始めていたんですが、私たち子供は何で今頃になって?と思っていたんです。
そこで母が日記を持って来てですね。
ここに父のことが書いてあると、ゆっくりこれを読んで父の事を知って欲しいと言って日記を置いてカナダに帰りました。
W杯が行われている間はテレビを見るのに忙しくてその日記を読まなかったんですが、W杯が終わってその日記を私は読み始めました。

その日記は1959年から始っているんです。
50年に夫を奪われた母は、私の上に二人の姉がいるんですが3人を育てるのに大変忙しくて日記を書く暇も無かったんですが、59年から毎日父の事をいろんな事を日記に書いて、今も日記を書いています。
その日記を読みますとですね。
母が父に会いたいと、父が恋しいと、毎日のように書いているのを読みまして、あぁ私たちを育てる中でもこんなに父の事を思っていたんだと。
それなのに私たち子供は何て父のことに関して無関心だったんだろうかと、涙が止まりませんでした。
そして二人の姉も今外国にいるのでそれを、そしてうちの娘たちにもその日記を読ませてインターネットに上げて、それを読ませてこれを絶対に忘れてはならないと思ったわけです。

うちの母はずーっとずーっと待ち続けていたんです。
しかし55年経って今絶望の中にいるようです。
80年代に離散家族探しのテレビ番組があったんですね。
その時もテレビ局まで行ったんですが、拉致者はそれに当たらないとテレビ局も取り上げてくれなかった。
また韓国軍の捕虜が脱北して帰って来る事があったんですが、そういうときにはその人が書いた本をすぐ買って読んで、どのような事か?と思いましたけど、結局韓国政府は何もやってくれていないんだと言う事が分かりました。
その中で偶然李美一理事長がなさっている朝鮮戦争家族会の新聞記事を読みまして、そして大変嬉しくて私がインターネットに上げている文章などをメールで送ったわけです。

私の母の話によりますと、うちの父はソウル市内で小さな製粉所をやっていたんですが。
実は父の兄に当たる伯父さんが日本の時代、大変親日派で大きな製粉所をやっていて日本軍に納品をするくらいの状況だったので、そのために取調べを受けて連れて行かれたのではないか?とうちの母は話しています。
一度警察に連れて行かれたんですが、その時父はそれほどたいしたことは無いと、お前たちは田舎に行っていろと言って、私たち家族は田舎に行ったんですが1週間くらい経ったらば父が隙を見て田舎まで来たんです。
それで2~3日一緒に過ごしていたんですが、やはり自分の製粉工場が心配だった。
新しい機械も入れたんだと、もう一回に見に行って来ると言ってソウルに行ってしまった後、また捕まってしまった。
そしてその後消息が無いと。
うちの伯父さん、父のお兄さんがうちに来まして、今回はおかしいと。
全く消息が無いんだと、母に伝えたという事です。

その後うちの母は心配でもう一度ソウルに戻って一生懸命探したんですが、全く消息が無いと。
そこで ナンキョンドンのウォンバン1号に、その製粉所のあったところにず~っと引越しもせずに過ごしていて父を待っていたんですが父が帰ってこないまま、カナダに移民に行ってしまったのです。
以上です。

(写真、左端がハ・ヨンナムさん)

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救出の為に日米韓連帯を!東京集会5

『李美一 朝鮮戦争拉北者人士家族協議会理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏

それではそのような拉致の背景、そして韓国政府がこの朝鮮戦争中の拉致についてどのような態度をしてきたのか?
また韓国の被害者家族がこれまでどのような運動をして来たのか?
そして今どのような運動をしているのか、と言う事について、李美一理事長に話をしてもらおうと思います。

★李美一理事長

まず朝鮮戦争拉致の状況について簡単に説明いたします。
朝鮮戦争と言うのは同族が殺し合う戦争であり、民間人の被害が大変酷い物でした。
韓国軍の被害が100万人程度だったんですが、民間人の被害は合計99万人くらいでした。
その中でも北朝鮮は実は韓国の各界各層の指導的な人士を選んで拉致して行ったのです。
その数は8万人以上を超えております。
北朝鮮に連れて行かれたまま、家族たちは生死確認と言う最低限の事さえも出来ない状況です。
そのような指導的な人材を連れて行かれてしまったのだから、我々家族はいつか韓国政府が対応してくれるだろうと信じていました。
しかし現在に至るまでも生死確認さえも出来ない状況で、我々の家族の問題は隠れてしまっているわけです。
私たちがまず今望んでいるのは生死確認です。

朝鮮戦争拉致が発生した背景に付いて簡単に申し上げます。
日本の植民地支配から解放された後、北では社会主義が南では民主主義がそれぞれ政権を作りました。
北朝鮮では貨幣改革と土地改革をし、そして社会主義の妨げになる資本家たちに対する粛清が始ります。
大部分のその資産家たちは、粛清から逃れようと南に逃げて来ました。
また知識人たちもたくさん南に逃げて来、その数は数百万に上ったと言われています。
そこで北朝鮮では大変な専門的な人材不足になり、1946年4月31日(西岡氏、日付を言い間違い?)に金日成が、南朝鮮からインテリを連れて来い、と言う指令を出したのです。
金日成全集の第4巻にその指令が載っています。
彼らはその名簿をその時作ったのです。

そして彼らは北朝鮮内にまだ残っていた貨幣改革前の、南ではまだその時通用していた紙幣をたくさん持って、そして名簿にある有名人人士に接近して、これだけお金をやるから北に来いと騙して連れて行こうとしましたが余り上手く行きませんでした。
戦争になってソウルを含む大部分の地域を彼らが占領した後は、銃を持って自由に彼らが連れて行きたい人を強制的に連れて行くことが出来た。
当時の韓国の国会議員を含む公務員、そのような愛国者たちを連れて行きました。
そして彼らの体制のために奉仕させようとしたのです。
当初は有名人士・専門人力の拉致だったんですが、戦況が不利になると北朝鮮軍の最先端の兵士として使うために、また肉体労働者として使うために韓国の若者たちを拉致して行きました。

このような事実について、私たちはただ経験談だけに基づいて話をしているのではなくて、文書を発掘して証拠として持っております。
当時アメリカ大使館が国務省に、戦争当時韓国人拉致問題について報告した文書が一通発見されています。
50年の9月28日に、国連軍がソウルを回復するのですが、その直前にソウル市内の刑務所に北朝鮮のよって収監されていた政治犯、1万人から2万人が連れて行かれたのです。
その連れて行かれる方法は、まず5人ずつ縛られてそれを前後に縛って歩いて、前に騎馬隊がいて後ろにも騎馬隊がいて銃を突きつけられながら、歩いて北に連れて行かれたと。
その経路は西大門を通って、ミセ、ウィジョンプ(←ここの地名ははっきり聞き取れず)を通って北に連れて行かれたと。
また当時北朝鮮による拉致指令軍と言うのがある事まで私たちは掴んでいるのですが、その指令軍の資料までは探し出すことが出来ていません。
しかし2次的な資料ですが、ソウル市民を北に連れて行くときに不純分子を混ぜるな、と言う命令文は我々は確保しています。
その中には労働力のいない家族からの人間の摘出は中止せよ、と書いてあります。

韓国政府がこの問題についてどのように対処して来たのかと言う事について申し上げますと、最初は韓国政府は拉致被害者家族を支援し、積極的にこの問題に取り組みました。
そういう中、北朝鮮は若い拉致被害者を北朝鮮でスパイ教育をして、北のスパイに仕立て上げて南に送ってくるという事を始めました。
それが50年代の後半です。
それに対して韓国政府は我々家族を守るというような対策を立てるのではなくて、逆に北のスパイが(南に)降りて来れば家族に接触すると。
つまり家族はスパイの予備軍、協力者であると。
従って監視の対象にしなければならない。
また家族連座制を適用して、その人たちが公務員や軍の高官になる事を防がなければならないという家族連座制が適用されました。

1952年すでに私どものような家族会が結成されました。
当時被害者の奥さんたちがソウルのトクスグンという旧王宮で集会を開いてデモをしていた。
そして韓国の外務大臣に会ったり、あるいは国連代表部を尋ねて、わが夫を助けて欲しいという訴えをしたりしました。
マスコミの朝鮮戦争中の拉致についてたくさんの報道をしたりしたのですが、しかし冷戦時代にそのような動きは何の成果も上げる事ができませんでした。
60年代に入り新しい拉致、つまり漁民たちに対する拉致が始まります。
我々の戦争中の拉致については忘れられていき、そしてその後、韓国政府は何の対策も取りませんでした。

そして時が流れて2000年の6月、金大中大統領が北朝鮮を訪問して南北首脳会談が開かれた時、この時私たちの問題も生死確認くらいは出来るだろうか?と、私たちは期待をかけました。
しかし金大中大統領は486人の朝鮮戦争休戦後の拉致については言及をしましたが、戦争中の拉致に付いては全く言及をなされなかったわけです。
私たちはこの問題を深刻に考えて、家族会を再結成したのです。
そして家族会を作り朝鮮戦争時の拉致問題を広く知らせてきました。
しかし名簿も無いと言って韓国政府はこの問題を阻害して来ました。

私たちは大変苦労して国立中央図書館の書庫の中に眠っていた、1952年に韓国政府が作った戦争中拉致被害者の名簿を発見してそれを公開いたしました。
大韓民国政府が作った名簿であるにも拘らず、今も韓国政府がその名簿が、実態を表す資料だと認めていません。
他の名簿では7000人と言う名簿もあると、2000人と言う名簿もあるんだと。
従ってこの8万人と言う名簿は信頼性がないと言うのが、韓国政府の現段階での見解です。
それならばあなた達が正確な名簿を作る為に家族から生死確認要請書を受け取って、そして名簿を作れば良いではないか?と私たちは言いました。
しかし未だに準備もしていません。

私たちはこの拉致と言うものがどれほど深刻な物であって人間の営みを苦しめる物なのかと、どのように人間を苦しめる物なのかと言う事について、韓国政府は未だに理解していないと思います。
私たちは55年間、奪われた家族の事を忘れた事はありません。
家族と言うのはこの世の中で一番大切な基本単位であって、この世の中の誰もがその家族を破壊する権利は持っていないと思います。
韓国政府は今この韓国人拉致問題を北朝鮮に話をすれば南北和解の障害物になるといって、この問題を取り上げようとしないのです。
私たちはそれでも幸いに思うことは、戦争中に行方不明になった人たちの生死を確認しようと言う合意が南北で出来た時です。
最初に2002年の9月にそのような南北の合意がされ、また2002年の6月と9月にもそのような合意がなされたのです。
私たちは生死確認が大切だと思って、政府に対してその結果を待っているんですが、未だにただの一件についてさえ生死確認はなされておりません。
私はこのような生死確認の問題、拉致問題の完全な解決は金正日が政権から追い出されない限り、完全な解決はないと思っています。

今韓国の一部の親北派と言われる人たちは、北朝鮮を刺激すれば戦争になるというような事を言っています。
北を刺激すれば戦争になると。
戦争になれば大変莫大な費用がかかると。
それに比べれば今北朝鮮に無条件で支援している費用は十分の一にもならない小額であるというような、デタラメな論理を展開しているのです。
平和と言うのはただ実力によってのみ守れると言うのが私の考えです。

今拉致問題は、日本の拉致問題、韓国の拉致問題、そしてそれ以外の国の拉致問題が発見され続けていると聞いています。
金正日を孤立させてそして弱めていく為には、私たちは連帯をして圧力を強めていかなければなりません。
このような多くの方たちが関心を持ってくださったことに心から感謝を申し上げて、私の話を終わらせていただきます。(拍手)
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救出の為に日米韓連帯を!東京集会6

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏

続いて金聖浩理事長から補足説明と、それから今行っている日韓の学生の交流、また脱北者を救出する方法についての問題について、総合的にお話をしていただきます。

★金聖浩前理事長・現レインボー財団理事長

私は昨年まで拉致被害者家族会として拉致問題解決に全力を尽くしてきましたが、拉致問題を解決する為には根本的には北朝鮮を変えなければいけない。
北朝鮮の内部に対する工作を行おうと考えて、今はレインボー財団と言う財団を作ってそのような事をやっております。

私は一言で申し上げて、金日成・金正日の政治は工作政治だと思っております。
共産主義国家の大変基本的なものが工作政治でありまして、それがまた残忍な政治であります。
戦争中の韓国人拉致そして戦後の韓国人拉致、また日本人拉致は北朝鮮が南を共産化しようと言う政治工作の一環として行った事が明らかになっています。
70年代も後半になり、北朝鮮の武器が老朽化する中で戦争による共産化が難しくなってきた状況で、北朝鮮は南に対する政治工作に基づく共産化に全力を尽くしてそのために拉致を本格化させたのです。

最近北朝鮮から亡命してきたパン・・・(聞き取れず)と言う人がこのような話をしています。
韓国が北朝鮮に対する経済的優位を確保するには数十年かかった。
しかし北朝鮮が韓国に対する政治工作を成功させるのに5年しかかからなかった。
今の韓国はその北朝鮮の工作に従って政治そして大学、大学の学生・教授たちの親北一辺倒になっている。
それだけでなくて反米反日もまた北朝鮮の工作によって行われている。
今突然また反日運動が起きているんですが、実は韓国で親日派の人名事典を作ろうと。
そして親日派を糾弾しようと言う人たちの前歴を見ますと、ほとんどが国家保安法、つまり北朝鮮のスパイとして過去に捕まった経験も持っている人達が反日運動を指導している。
北朝鮮の工作に基づく反日運動が活発化して、日本の安保まで危うくなってきていると言う事であります。

私は今最近北朝鮮から韓国に逃げて来た人たちの大部分の人たちから話を聞き情報を総合しています。
今日本を始めとする国際社会そして韓国も北朝鮮に対して人道支援を大々的に行っているわけです。
その理由について、北朝鮮で飢えて苦しんでいるという理由で人道的支援をしています。
またそのような事をしなければ北朝鮮は刺激を受けて戦争を起こすかもしれないと言う理由になっています。
それは私の知っている所によりますと北朝鮮の実情を全く分からない人たちの論理です。
私たちの得ている情報によりますと国際社会からの支援は金正日の忠誠分子たち、そして平壌に住む一部の人たちだけに配られているんです。
彼らの生活は韓国人よりもあるいは日本人よりももっと贅沢な暮らしをしています。
ベンツに乗っています。
高級マンションで外国からの贅沢品に囲まれて生活しています。

特に平壌を少し出た田舎の地域、特に中朝国境地域の住民は金正日が配給を出さないから自分達で自活して生きろと言う命令が下って、山の一番上までも耕してなんとか少しでも食料を得ようとして、山のてっぺんまで木が切られています。
私は鴨緑江・豆満江の中国側、中朝国境を全部歩いて見ているんですが、国境地帯に林立している北朝鮮の山は全て木が切られてしまって禿山になっています。
畑になっているんです。
そこから得られるホンの少しの食料で何とか延命しているんです。
そこから逃げてきた人たちの話を総合してみますと、国際社会が米や小麦粉を送ったと言いますけども、それを食べたという人は誰もいません。
今も北朝鮮にまだ家族が残っていると。
人道支援を一般の人たちが食べられないんだから、金正日を助ける人道支援は止めて制裁をして欲しい。
それが金正日を絶つ道になると言うのが脱北者たちが口々に言う言葉であります。(拍手)

私はこのように話しています。
ガン細胞があればその横にある正常な細胞も栄養さえも奪ってしまう。
ガンにかかっている人に栄養を与えればガンに勝つ事ができるんじゃないかと考えますが、実は正常な細胞に入った栄養までガン細胞が食べてしまって、ガン細胞を育てる事になってしまう。
栄養分を与えれば与えるほどガン細胞が奪い取って食べてしまうので、ガンが成長して最終的には命を奪い取ってしまう。
北朝鮮に経済支援をすると言うことは、がん細胞を育てていくという結果しかないと思います。
私はこのような状況の中で中国と北朝鮮が結託して危険水位まで来ていると思います。
黄・ジャンヨプさんが言っているように、近い将来韓国が金正日による赤化統一されてしまった場合、玄界灘を超えてすぐ近くにある日本の安全保障がどのようになるのか考えてください。
経済制裁を確実にする事がアジアの平和と人権を確保する道だと思っている。

最後に一言だけ申し上げます。
日本と韓国の協力関係について申し上げたいと思っております。
歴史観の問題だとかトック島(竹島)、靖国参拝問題ですとか、このような問題は韓国と日本、中国と日本がお互いに相手の民族的アイディンティティーと伝統を尊重するときに解決すると信じます。(拍手)
自分の方から見るんではなくて第三者の立場ではどうなのか?
こちらはどうなのか?というふうに見れば、この問題は解決できる、距離が縮まるんじゃないかと思います。
今日本と韓国は人類の最高の価値である自由と人権と言う価値の為に、協力して闘っていけば北朝鮮の工作に勝つ事が出来ると思います。
日本と韓国で自由と人権と言う理念を共通とする人たちが協力して闘っていく時に、実は反日運動を裏で煽っている共産勢力の工作を見破る事ができ、彼らとの戦いに十分に勝つ事が出来ると私は確信しています。

ですから日本の大学生が韓国に来てくださった時に韓国の大学生との交流をお助けしたのでありますし、大学生同士だけではなくて企業家の人たちや知識人同志をの交流も進めていきたい。
そのために努力したいと思っているのであります。
長い間ありがとうございました。
特に日本の家族会と救う会の皆さんの大変温かいおもてなしに感謝します。(拍手)

★西岡力氏

解説をしようと思ったのですが時間が無いので、私は後でタイのお話をする時にまた出ますので、そのときに全体のことと合わせて今のお話の補足もしたいと思います。
で、以上で韓国人拉致についての第1部を終わらせていただきたいと思います。(拍手)

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救出の為に日米韓連帯を!東京集会7  

『西岡力 副会長 補足のお話』

ひとつだけですね。
折角持ってきたので紹介しますが、これがその発見された名簿。(名簿を手にとって会場に見せる)
名簿は手書きだったんです。
漢字で書いてあったんですね。
それをボランティアの大学教授と大学生がコンピューターに、ハングルにして入力して、それを今度は印刷して月刊朝鮮と言う所から出したんです。
82959人、拉致被害者の名簿ですね。
韓国政府が1952年に作った物です。

そしてここにですね。(名簿を広げて読み始める)
実は、小さくて分からないかも知れないですけど、ハ・ノホォンと書いてありますけどもハ理事のお父さん。
男・30歳・ミンボウ団という保守団体の総務部長をやっていた。
そして拉致されたのが1950年の8月20日だと。
拉致された場所はナンチョンドンの4-2だと。
住んでた住所は左と同じ。
というふうに名前と職業と拉致された日時と場所と現住所を、韓国政府が調べて名簿にしたんです。

それからこのページを、(別のページを開いて読み上げる)ここを見ますと、リ・ソンファン。
これは李美一理事長のお父さんの名前。
男・31歳・工場の工場長。
1950年5月5日、そして拉致の場所が書いてないんですがその後、住所がチョンナンリ181番。
今も李さんはそこに住んでらっしゃって、そこに韓国家族会の事務所があるんです。
お父さん帰って来るまで引っ越さないといってず~っと今もそこに住んでるわけです。

それからもう一つここにキム・ユウヨン。(更に別のページを開いて読み上げる)
これが金理事長のお父さんの名前が書いてありまして、男と。
年齢は書いてないんですが、牧師と書いてあります。
そして1950年8月、それからコンドックウォンと言うところに住んでいたと、いうふうに書いてあります。

つまり具体的に戦中にひとりひとり家族に調査して作ったわけです。
これ韓国政府が作ったんですから。
それなのに韓国政府は自分達が作った名簿が信用出来ないと言ってる。
だいたいその名簿が無かった、無いと言ってた国なんです。
探したのは李理事長です。
そして見つけてきて突きつけたら信用出来ないと言ってる。
今、大韓民国が危機なんです。
大韓民国が当時大韓民国として、北朝鮮と闘っていた大韓民国が北朝鮮の側に付こうとしている。
と言う記事が実はこの名簿からも分かる、と言うことです。

(会場より「その本はいつ出たんですか?」の声)
この本は2003年に出たんです。
2003年の2月に名簿が発見されて2003年の8月に月刊朝鮮が出しまして、そしてこれを出したらですね。
全国から家族が来てうちのお父さんの名前はあるかどうか?と来たんですね。
そしらたば、無い人もいる。
漏れてる人もいる。
戦中に作った物ですから漏れてる人もいるわけです。
つまり8万3千人以上、10万。
今李美一理事長たちは10万人くらいいるんじゃないかと、今考えているわけです。


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救出の為に日米韓連帯を!東京集会8

第2部 アメリカ・ワシントン訪問報告

『増元照明 家族会事務局長のお話』

皆さんこんにちは。
今紹介されまして、先月の24日・・・・・・(聞き取れず)
訪米の内容は現代コリアの11月号に島田先生書いてありますので、それを読んで頂くと分かると思うんですけども。
まず最初に島田先生に・・・皆さんに40分・・・(後は聞き取れず)

詳細に時間してはこれに書いてありますので、私から申し上げる事はありません。
私が向こうに行って感じたことは、最初に・・・(会場より「増元さんもうちょっとマイクに寄って・・・」の声)
はい、分かりました。
訪米に際しては調整室の皆さんにお世話になって、駐米のワシントンの大使館員の皆さんにお世話になった事を申し上げて、御礼申し上げたいと思います。
そこには南条君(ナンジョウ・正しい漢字表記不明)って来てらっしゃいますけどこの端にいますけど。
(司会者より「一寸立って」の声、会場席より南条氏起立して一礼)
つい先日までワシントン在住で、私たちの通訳兼、それから運転手兼、支援者と言う事でず~っとお世話になりました。
今日本に帰ってこられて、もう働き始めました?
(南条氏、「1月から新聞社で」の声)1月から、そういうことです。
某新聞社で働かれると思います。

皆さんのご協力を得て有意義な訪米をやってきたんですが、私たちがまずなぜ訪米したのか?
私たち第4回実務者協議、第4回6者会合でまさか合意されないと思っていた共同声明の合意を受けましてアメリカがどういうような考え方をしているかを、それを一寸島田先生に探っていただきたいと思いましたし。
私たちとしてはやはりこの拉致の問題をアメリカに再度考えていただかないと、と訪米させていただきました。

政府関係者、それから民間団体に色々とお話をさせて頂きましたけれども、政府関係者はほとんどこの拉致問題と言う物は認識しておられました。
更に昨年の暮れの横田めぐみさんの偽の遺骨問題、これもほとんどの方が認識されておりました。
それに対して非難と言うか、北朝鮮のやり方に対して怒りを持っておられる方もおられます。
更に私たちがお会いしたのはだいたい保守系の議員と更に保守系の団体の方ですので、その方たちとは私たちの問題と共通認識、北朝鮮の人権問題、そういう点で一致した考え方を持っておられると思います。

そして今アメリカでやはりこの北朝鮮問題が大きな問題として捉えられているのは、日本人拉致・韓国人拉致ではなくて。
更に脱北者、それから北朝鮮の国内において行われている大きな人権侵害、強制収容所等、そちらの方が大きい課題だと私たちは感じているんです。
でも、それでも私たちと結局共通認識として北朝鮮の金正日政権があのままであったら、全ての拉致問題は解決しないと言う共通認識を持ってますので、どのような方法からでも金正日に対し圧力をかけて行かなければならないと思ってますし、私たちの家族は私の姉の人生を奪った金正日を絶対に許す事は出来ませんから。
もしこの拉致問題が解決しても国際刑事裁判所なりに、金正日を訴えていく事も考えております。
その前に北朝鮮の民衆が金正日を許さないと思うんですけれど、それでも私たちは最後まで金正日の責任は追及しなければならないと思っています。

これは本当に金正日の拉致強化指令によって我々多くの同胞や私たちの家族が、一番人生の中で良い時期を北朝鮮と言う過酷な状況の中で過ごさなければならなかった状況に追い込まれた。
この点について私は絶対に許す事はできませんので、どのような方法であれ、アメリカが北朝鮮の人権問題に関心を持ち、そして北朝鮮に圧力をかけていってもらうこと。
これは私たちにとっても大きな力になると思っております。

向こうに行って、マイケル・グリーンさんとか政府関係者に会って一番驚いたのは、日本の政府は良くやってると言う。(少し笑いながら)
私たちは経済制裁と言う観点で、単独の経済制裁を発動したいし、それを支持してもらいたいと言うふうには申し上げたんですけど、日本政府は良くやってるよと言うのが、マイケル・グリーンさんの回答でした。
私たちの目に見えない所でやってるのかどうか?分かりませんが、アメリカとしては日本の政府は良く北朝鮮に対し圧力をかけているよと言う認識を持ってるようです。

それはPSIとかそれからキャッチオールとか、経産省がやってるそういう貿易の制限、それに対して評価をしているのではないか?というふうに感じられましたが、私たちとしてはこの拉致問題を日本の主導で解決しなければならないと考えると、やはり折角昨年作られた改正外為法更に特定船舶入港禁止法案、この二つの法案を直ちに実施していただかなければならないという思いでおります。
アメリカは今北朝鮮に対し、どのような考え方でいるのか?
それはまだ基本的には変わっていないんだろうと言うのが、感じております。
今このまんま北朝鮮に時間稼ぎをさせるような、そのような道は選ばないだろうと言うのが、私の感触だったんですが。
今表面的には6者協議の中で、合意をしておりますが、アメリカの保守系の方たちはそれに対し非常に、あのクリストファー・ヒルという国務省の国務次官補に対し、大きな圧力をかけているという事も分かりましたし。
そしてホワイトハウス関係者の中では、北朝鮮の待ってる軽水炉、軽水炉建設を望んでますけどもそれに対し、そういうことは絶対にありえないという強い姿勢を見せておりましたので、更に圧力が強まっていく方向にはなると思います。

もう一つ問題なのは今ブッシュ政権が支持率が落ちているということ、それと中東の方が危機的状況になっているということ。
それは北朝鮮の、東北アジアの危機よりも中東イランの危機の方が、今アメリカの国内では一寸優先順位が上なんではないか?と言うのは感じております。
ですから島田先生が後ほど仰ると思いますが、中東の危機よりもこの北朝鮮の問題、まだイランは核を開発中なんですね。
北朝鮮はすでに持ってると自分で言ってます。
そちらの方が危機的状況だと言う認識が、させて行かなければならないんではないか?と、そのためにも日本が、あの、そうですね、声を発していく。
経済制裁の発動だと、私は思っています。
危機的状況を作るのではなく、ただ北朝鮮がやってることに対して、大きな問題があるという事を世界中に分かってもらう為に、私は単独の制裁発動が必要だと思います。
あるいは同義的声明の意味、制裁の発動を私たちは求めます。

これが先ほど言いましたヘンリー・ハイド(下院国際関係委員長)さんと言う方です。(ハイド氏と一緒に写った写真を掲げる)
この方は4月に訪米した時にも島田さんと私に会っていただきました。
今回は会っていただけないだろうから、ハルピンさんと言うスタッフに御礼だけ申し上げたいと思ってと打診したんですが、会ってくださるとかでお会いしました。
この方は国際関係委員長で私たちが4月に行った時に私たちと面会したその場で、下院の決議案として北朝鮮の韓国人拉致問題それから日本人の拉致問題これを決議しようじゃないか、創案しろとハルピンさんに言って、すぐ命令しまして。
その2カ月くらいで下院に全会一致でその法案が出来ました。
迅速に対応していただくし、非常に北朝鮮の問題に対しては怒りを、韓国の実情に対しても怒りを持って、ちょっとそういう方です。

こちらジム・リーチという、(写真を掲げる)東アジア太平洋問題小委員長の、この前公聴会を開いたそのときの・・・(聞き取れず)委員長ですが、この方にもお会いして非常に温和な方で喋る時に、非常に小さい声でゆっくり喋るので良く聞き取れない時もあるんですが。
私たちの問題、拉致問題に関しては多くの事を知っておられましたし、特に横田さんがもう、お会いになった事があると思いますね?アメリカ大使館ですよね?(となりの島田氏に確かめる。島田氏「アメリカです」の声)
そうですよね?(島田氏「拓也さんも会ってると思う」)
非常に温和な方でゆっくりとじっくりと通訳を交えて1時間半くらいお話をしていただきました。

ただこの後に北朝鮮の国連次席大使で、あれはハン・ソンニョルがこの下院の施設、レセプションの会場で演説したんですがそこにもジム・リーチ下院委員長は出て、そしてハン・ソンニョルとずっと話をしていて、私たちが下院のレーガン堂ですか。
あそこを出るときにハン・ソンニョルとジム・リーチとが一緒に出てくるところに出くわしまして、向こうが気付いたか分かりませんけども、私は次席大使を見て、そこらへんにいる変なおっさんだなぁと思ったんですけども、何の威厳も無い方だと私思いました。
でもその方を最後までレーガン堂の外まで見送りに出て行かれたので、いろんな話をされたとは思います。
どういう話をされたのか?分かりません。

で、今回の訪米の主目的であるのはレフコウィッツさん。(別の写真を掲げる)
これもすでに写真が出ていると思いますけども、昨年の北朝鮮人権法案で任命された人権特命大使です。
今年の8月くらいになりまして10月、2ヶ月間、まだほとんど動いてない状況なんですが、私たちが行った時点くらいから丁度スタッフも決まり、事務所もある程度決まったので、これから動く。
これからドンドン活動していくということを仰ってました。

ただ、スザンヌ・ショルティさんと言う北朝鮮自由連合の代表に言わせるとちょっと出足が遅いと。
すでにもう2回か3回くらい韓国、それから日本へ行って話をしてきても良いのではないかと仰っておりましたけれども。
とりあえず今年中には来られると思うんですけども、若くて40代前半だと思います。
非常に若くて行動力のある方でありますし、大統領の信任も厚いという事で任命されたようです。
私たちもこの方に期待する部分は大きいかなと言うふうには感じております。

ただ先ほど言ったようにアメリカの真意、それは私は基本的には変わらないしブッシュ政権の間にこの北朝鮮問題をどうにかしなければならないというふうに考えているのはまず間違いないでしょう。
ただそこの中国をもっと活用しなければならないと言う事も考えています。
先日ブッシュさんが中国へ行って人権問題に関して言及されましたけど、あれも北朝鮮の人権問題に通ずる物があると思います。
中国の人権問題を追及することによって、もうちょっとしっかり人権問題を考えろという、そのメッセージを送ったんだと言うふうには私は思っています。







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救出の為に日米韓連帯を!東京集会9

『横田拓也 家族会事務局次長のお話』
横田拓也と申します。
よろしくお願いします。
今日はまず初めに、お休みにも拘らず皆様お越し頂きました事、御礼申し上げます。
それから先ほど増元照明事務局長からもお話がございましたように、今回の訪米に付きましてはですね。
内閣官房の調整室と在米の日本大使館の皆様方とそれからご紹介のあった、今日お見えになっています南条氏他、現地のスタッフの方々の本当に絶大なるご協力があってですね。
大きな成果を獲得する事が出来ました事を重ねて御礼申し上げたいと思います。
私の方からは(訪米の)目的とですね、成果。
あと具体的なアウトプット、あと今後の課題という4つのお話を簡単に申し上げたいと思います。

目的につきましては、まぁこちらの本の中に書かれているのかも知れません。
今増元さんの方からお話があった通りではあるんですが、そのほかにも簡単にお話したいと思います。
私たちはたまたまこの拉致問題という事に関しまして、皆様方に常にお訴えをしているわけなんですが、この日本国内では拉致問題と並行的に6者協議、そして日朝対話と言うことが10月の下旬の中で開かれ展開していたわけでございます。
この政治的な流れ、もしくは二国間の流れにおいて、私たちもこの拉致問題がピンボケしてしまわないようにしなければいけないという事で、訪米を持ってこのニュースの価値をあげていく必要があっただろうということを考えると言うのが一点です。

後、先ほど増元さんの方からもお話ありましたが、国際協議においてとかくこの形式的に合意がなされて、実質的な実があったのかどうか?
つまりアメリカの真意が何処に行ってしまったのかどうか?と言う事を確認をするために、直接政府・議会の関係者の方とお会いいたしまして、確認をしに行ったということが2点目でございます。

あと先ほどの話と重なる所があるんですが6者協議の中ではとかく核の問題、安全保障の問題が優先的に話し合われているわけでございます。
私たちは日本の国民の一人としては安全保障の問題、大きな懸念事項であるんですが、こちらとしては人権の問題であります。
そういう意味では核の問題の他に人権問題をどう考えているのか?と言う確認と、重ねてこの拉致問題が深刻な状態にあるんだという事をアメリカ政府・議会関係者の方々に改めてお伝えしに行ったと、言う事でございます。

ニュースにつきましてはアメリカ国内の方々、多くの方々がご存知でしたけれども、昨年末の「めぐみの骨」と称します物。
彼らの欺瞞工作について改めて多くの方にご説明申しあげて、そして皆様方もご記憶に新しい、めぐみが拉致されて半年後くらいに北朝鮮で写された北朝鮮国内で寂しい顔をした写真があったと思うんですが、あの経緯についてお話をしてまいりました。
増元事務局長の方からは、中心的にタイとか他の多くの国々で日本人・韓国人以外にも拉致が成されていたんだという事も説明させていただきまして、この拉致問題が世界規模の広がりを見せているんだという事も説明させていただきました。

また今回は訪米におきまして具体的には接触する事は出来ませんでしたけれども、本来であれば、ワシントンの他にニューヨークの国連にお邪魔をしてボルトン国連大使と会いまして、この国連安保理の付託の打ち合わせですとか、人権委員会への流れも確認しに行くという事も考えてはいたんですが。
国連の中での動きと言うものが私たちの行程と折り合うことが出来ませんでした為に、今回はワシントンDCのみでの活動という事になった次第でございます。

当初、決まっていた物も多くあったんですが、全ての日にちにおいて全てが決まっていたわけでもなかったんですが、結果的に訪米した(後)、現地に行ってからですね。
事後増殖的に予定が入っていった。
これは私たちの力ではなくて、あちらにいらっしゃる多くの議会関係者の方、政府高官の方々が「あの方にも会って置けよ」と、言う助言を持ってですね。
私たちの行く所に全ての道筋をつけて頂いたという事では、この問題の高さ、関心の深さを改めて感じた訪米でもありました。

もう一つは私からは本当は申し上げるつもりは無かったんですが、すでにある新聞などで書かれているんでこちらでも申し上げたいと思うんですが。
丁度11月15日が横田めぐみが拉致された日でありまして、11月15日~16日にブッシュ大統領が日米首脳会談で日本へお見えになりました。
そのタイミングでこの拉致問題・人権問題をどうか口にして頂けないかと、多くの方々にお願いをしてきたわけです。
訪米が終わった後にも成田の記者会見で申し上げましたけども、この件に付いては実は伏せておりましたけど。
結果的にいろんな日米首脳会談の結果につきましても宮沢さんとか中曽根さんとかが、「余り中身があったとは言えないね」と言ういろんな報道をなされておりますけども、その中に拉致の問題・人権問題がブッシュ大統領の口から言及されたという事については、私たちの訪米の大きな成果であったのかな?と思っております。

その成果の中でお会いして頂いた議会関係者・政府関係者の方々のコメントをいくつかご紹介したいと思います。
ただ、先方のお立場とか、オープン・クローズっていう問題があるんで、あえて日時ですとかどなたがとかは伏せた状態でアットランダムな形で話を申し上げたいと思います。
これも私たちが訴えてきた内容とほとんど合致することではあるんですが、私たちの活動、人権問題・拉致問題をクローズアップさせていく事は、とても大事な事ですよと。
イコール北朝鮮にとってはとても大きな圧力になるはずですよ、と言う事を仰ってました。

で、ある高官についてはですね。
6者協議の中で合意がなされた翌日に北朝鮮が更に大口叩いた結果については、あんな物はどっちでも良いというかですね。
結局彼らは言いたいことは言うけれども、アメリカ政府としてはこれは6者協議の約束を守った後にしか北朝鮮にとっては見返りは無いんだと言う事は明言されていました。

また私たちも、もしくは日本政府も拉致問題の解決なくして国交正常化は有り得ないと言う事は統一見解として出されておりますけれども、アメリカ政府としてもですね。
日本のこの拉致問題・人権問題解決されなければ、米朝間の国交正常化はありえないということは仰ってました。
またこの拉致問題については、核の問題の問題と同時に大きな関心を寄せている所であるということは仰っていました。

先ほど増元事務局長から最後にお話がありましたけれども私たちが求めている北朝鮮への経済制裁、これはとても有効でしょうと言う事を仰ってました。
とりわけ贅沢品に絞ってですね。
彼らの政府高官・軍高官に行ってるような物を絞っていく事にはとても意味があるんじゃないか?と言う事を仰ってました。
その例えとしてですね。
これはまた違う方が仰ってたんですが、結局は日本国内の、先ほど第1部の方でもお話がありましたように、経済制裁をすると(北朝鮮の)一般の国民の方が飢えて苦しんでいるのではないかといったまやかしの議論がよく横行するわけなんですが、そんなことは決して無いんだと。
元々が北朝鮮は宮殿経済、「パレスエコノミー」と言う言葉を例えられていましたけど、そこにしか経済と食べ物・着る物・贅沢品が行ってないんで、そこを止めることは一般の方に苦しみを与えないんだと。
私たちが戦っている敵に効果が有るんだということを明言されていました。
とても意味があると思います。
その意味で私たちは経済制裁と言う言葉を口にしているんですが、スマートサンクションですとかターニングサンクション、要は絞った制裁なんだという事葉を使ったらどうか?といった助言もあったくらいでして、私たちが訴えている具体的な行動案と言う物を、全く正しいという事が実感した次第でございます。

あとあえてこに方だけは特定して申し上げたいんですが、今回の訪米の目的で、人権に焦点を当てていくという具体的な形で、J・レフコウィッツさん、大統領特使の方と会うと言うのが目的の一つでした。
この方と直接お会いしまして、アメリカ政府としてはこれは譲れない問題だと言う事を仰っておりましたけれども、その中でですね。
これはまた違う有る方なんですが、日本においても人権特使を設定されたらどうか?と言うことは仰ってましたし。
これはアメリカ政府の共通認識であるということは仰ってました。
これは後でお話しするように具体的なアウトプットとして省く事なんですが、実際に安倍官房長官が数日前に人権特使の設定を検討しようかと言う話も口にされ始めていますから、やはり今回の訪米の結果ですとかアメリカ政府からのお口添えと言うものが具体的な形として表れてきたのかな?と言うふうに考えています。

またNGOの方々が主催される色々な夕食会ですとか打ち合わせ会とかに、多く参加いたしました。
この拉致問題が実にアメリカ国内で広く浸透し始めているという事を実感いたしました。
私たちは人権問題の中でもとりわけ拉致問題に関して取り組みをいつもしているんですが、先ほど増元事務局長の方からお話がありましたようにですね。
・・・(聞き取れず)の中にあって政治の・・・(聞き取れず)問題ですとかですね。
人権侵害とか、そういった問題に対してあらゆる組織・団体の方々が同じ目的を違うアプローチで検討し始めている。
広がっているという事で、日本から拉致問題を紹介する時に更にこんな問題があったのか?と言う認知で広がったという意味では、国際的な広がりをますます拡大していくだろうという実感をした次第でございます。
向こうのNGOの中にラジオ・・・(はっきり聞き取れず)、北朝鮮向けに出している団体もいらっしゃいました。
私たちの日本国内でも特定失踪者問題調査会の荒木代表が同じ試みをされておりますけれども、そこと連携しようじゃないかと言ったようなお話も向こうの方からお話もありましたし、それも国際的な広がりが具体化して来ようかと、いうふうに思っています。

私の方からある方とお話をさせていただいたときに、これ私個人的に思い込んでる話なんですが、めぐみまたは他の誰かがですね。
拉致をされていく経過の中で、万景峰号で拉致をされたケースが私はあるんじゃないか?と思っています。
それは根拠はありません。
ただあらゆる疑いからそういう疑いを捨て切れないと私は思っておりまして、その中で万景峰号を私たちは国会を通した制裁法を通過させる為に、もっとアメリカの方からも規制強化をする必要があるんじゃないかと言う事をお願いかたがたしてきました。
ただこの問題日本国内で決めた法案の問題なので私がお話した相手の方はですね。
それはちょっと政治的な問題なのでそれに対してはちょっと言う立場には無いけれど、ただ不法行為がされているのだとしたら監視の強化は緩めないと言う事を仰っていただいたのは、私自身にとっては印象的な内容でした。
今後もさらに強化をしていく必要があるというお話でした。

私も日本政府は良くやっていると言う言葉の裏には、私は日本政府がこの問題真剣に取り組んでいるのか分かりませんけど、ただ経産相がやってるPSIにはアメリカ政府は大変意義があると仰ってましたし、今後更に強化していくと仰っていました。
後もう一つは私たちは経済制裁、特定船舶入港禁止法と改正外為法のお話をしているんですが、過去にPSIとかあるんですけども、このほかにマネーロンダリングを始めとする金融面での強化を図っていく必要があるし、それはとても効果があると言う事をおっしゃっていました。
これは後ほどの所でもう一回触れたいと思います。

今度の訪米で具体的に何が起きたのかと言う事をお話したいと思います。
ひとつは先ほどのブッシュ大統領からの人権問題への言及と、後は安倍官房長官から人権特使のポストの設定の可能性があったこと。
訪米後に増元さんからお話のあった、ハイド委員長からですね。
アメリカから北朝鮮の国連大使に対して行った、10月15日までに横田めぐみを即座に解放せよという警告文を具体的に流していただいた事。
これは本当に具体的な大きな形として実現したわけでございます。

昨日・今日の新聞で皆さんも一面、社会面で出ているかも知れないと思いますけども、これは日本政府としては直接関係ないと言ってるようでございますが、朝鮮総連へのお金の取り立てですとかね。
そういったものが具体的に金融面からの強い強化が図られてきたというのは、分離した話ではなくて、私たちから見るとつながった話、アメリカからの圧力があって日本も動いているんじゃないかと言う見方をしております。
更にKEDOの中止と言う事も 私たちの訪米結果と言うのは本当に実に多くの皆様方に支えられてですね。
国際的な規模、そして日米で展開して来たと言った内容かと思います。

ただ今後の課題としては、やはり日本政府の取り組みとしてはどうも甘いと私は言わざるを得ないと思います。
それは拉致の被害者、政府認定の方々がどうして小規模で留めておく必要があるのか?といった事。
今日のこの会場には特定失踪者の家族の方も見えてますけど、相談件数は450件くらいも特定失踪者調査会に来ているそうでございます。
その中において11件16人と言う政府認定と言うのは余りにも遅すぎるし、この取り組みの姿勢がちょっと甘すぎるんじゃないかと言う事を思います。
具体的に人権特使をポストを設定されてもっと北朝鮮に対して毅然たる態度を取っていただくと共にですね。
この拉致問題解決の為に具体策を練っていただきたいと思います。

この人権特使と言うのはアメリカにおいてはクリストファー・ヒルとレフコウィッツという二人ですが、6者協議と人権問題と言うのを切り分けているわけですが、ある高官の方が大変面白い意義深い事を仰っていました。
この二人を分けていると言うのは仮に日本みたいに一人でやってしまうと結局日朝間なり米朝間なりで協議があった場合、こっちの問題は許すからこっちの問題をやってくれとか、バーター的な取引があって片付けられてしまう、捨てられてしまうその危険があるのでこの問題を分けてですね。
それそれが交渉を迫ることにとても意味があるんだと、言う事を仰ってました。
その意味で日本もですね。
佐々江局長が精力的にやってくださってますけど、また違う方でこの人権問題・拉致問題のアプローチをですね。
それぞれ迫っていただく事がこの拉致問題、被害者を一刻も早く取り戻す早道だと私は信じております。

後もう一つは今日の第1部でもお話がありましたし、私たち国内においても特定失踪者の方々が、多くのポスター失踪者の載ったポスターがあるわけでございます。
国際的規模、タイの方とかルーマニアですとか、増元事務局長と西岡副会長がいろんな国に行ってですね。
この問題の真相解明に向けて格闘しておりますけども、やはりこれだけ数が多いとですね。
これは私自身の個人的な考え方ではあるんですけども、ご帰国されている方がどなたか見られている可能性は無いのか?と言うことを私自身思うわけでございます。

当時5人の方がご帰国をされた時にですね。
横田めぐみの話を中心的に話された事はご記憶に新しいかと思います。
増元(るみこ)さん他、他の方の件については何も見ていない聞いていないと言う事で、後から見ればご本人たちが直接私たちにお話も頂いておりますけども、北朝鮮政府の差し金によってですね。
横田家を一本釣りするためにですね。
横田めぐみについての情報に絞って情報提供をしていたと言う事実は知られている所でございます。
その中で彼らから話があった内容としては、めぐみが住んでいた家とか、彼ら自身が住んでいた家の近くに幼稚園があったと言う事はご存知かと思うんですが、幼稚園があるということはですね。
人が二人や三人では無いと言うことなんです。

その意味で拉致被害者がある一角に隔離されていて、先ほどの韓国の方々ですとかタイの方々ですとか、もしくは特定失踪者問題調査会に挙げられている460人から100人の、多くの被害者の方と一緒だった可能性はあるんじゃないかな?と、私は思います。
私たちは救う会・家族会ともにですね。
国民の皆様方の力を借りる形でですね。
この問題を世界的に広げようとしてこの問題皆様にもお訴えをしておりますが、この問題合わせてですね。
ご帰国された5人の皆様方に更に自発的自主的にですね。
あの人を見た見ないという事をですね。
お口に頂く事でこの問題更に具体化していくんではないか?と言うふうに思います。
その意味では、私たち自身としてはですね。
家族会・救う会合同で、1対1ではなくて合同でですね。
彼ら5人と会う機会を設けさせていただいて、情報交換が出来ることは出来ないのかな?と思っております。(小さな拍手)

西岡さんがお親しい関係にはありますし、私の横田めぐみと言う言葉を最初に口にしてくださった安明進さん。
亡命元工作員の方がいらっしゃるわけなんですが、この方は私たちが日本の事しか知らないように、北朝鮮の事を良く知ってらっしゃるわけです。
で、ご帰国された方は北朝鮮の事を23、24年間、北朝鮮政府の管理の中ではありますけども北朝鮮国内にいらっしゃったわけであります。
その中でいろんな事を見聞きしたはずでしょうし、生活と言う物を実感しているわけでありますからお互いが見てきたこと感じた事をですね。
情報を補強しあって補完する事が、問題の情報を点と点を線につなげて面と化していく、大きな道筋になると私は感じています。
その意味では今回の訪米のベクトルをもう一歩大きなベクトルにするためにはですね。
日本国内からこの問題にですね。
この問題焦点を当てていく機会を何とか作って行きたいなと思っています。

その意味では12月の22日に、国民大集会他ありますけども、こういった大きなイベントとはまた別にですね。
この問題の仕掛け作りをしていけないかな?と思っています。
私が帰国後に成田空港での記者会見の場でも申し上げましたけども、今回の訪米結果と言う物はですね。
直後には具体的に何も見えた成果はございませんと申し上げました。
おそらくこれから仕掛けが生きてくる訪米だったと申し上げたんですが、今申し上げた事意外にもおそらくいろんな物が隆起的につながって行って、この問題がクローズアップされてくると私は信じています。
私たちは本当にこうしてお話で訴えさせていただくしか出来ないんですが、きっとこの問題解決に向けて今着実に進んでいると私は感じておりますし、皆様方に引き続きのご関心をいただければと思いますので宜しくお願い申しあげます。
ありがとうございました。(拍手)
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救出の為に日米韓連帯を!東京集会10  

『島田洋一 副会長のお話』

私の方からは具体的な点についていくつか補足をしたいんですが、今増元さん、それから横田さんの話にもありましたように、我々面会したのはホワイトハウス国家安全保障会議の上級部長である、マイケル・グリーン氏。
彼がですね。
別れ際に、日本は北に対する締め付けと言う点では良くやってるんではないですか?と、言いましたけれども。
それは一つに相対的に韓国とかですね、が酷過ぎると。
それに比べればですね、良くやっていると見えるでしょうし。
かつ、大使館の方も同行してましたんで、日本政府の方がおられましたんで日本政府の方がおられる前でですね。
日本はまだまだと言うわけにも行かない、いう点もあったと思いますが。
ただ法律的には・・・(聞き取れず)でもある程度ですね。
日本政府も経済産業省による取締りとか、やってることは事実だと思います。

ただですね。
金融制裁が効くと言う話も出てましたけども、実はそのアメリカの金融制裁に関する、北に関する銀行に対する金融制裁のオペレーションのまとめ役をやってる人間と実は会うことがありまして、彼が言うにはですね。
日本の経産省等が北に対して取引をしている企業を取り締まり締め付けていると言うのは良いんだけれども、ただ日本はですね。
「傷つけ」はするけど「殺し」まではやってない。
いまや殺しきる段階までやるべき所まで来ている。
そういう発言をしておりました。
そういった発言を鑑みればですね。
まだまだ日本政府が現行法の枠内で、北と怪しい協力をしている企業を締め付けを出来る余地は相当残ってるんじゃないかな?と思います。

アメリカのブッシュ政権の対北朝鮮戦略、一体どう考えているんだ?と。
率直に皆さんに聞いたんですが、彼らの中心に位置する政府高官が大変率直に語ってくれまして、北朝鮮が交渉で核を放棄するはずが無い、と断言しました。
で、北が6者協議に出てきたり出て来なかったりは、あれは何をしているか?
要するに時間稼ぎをしている。
ブッシュ政権が終わるあと3年間、こういう感じで時間稼ぎをしながら、秘密核開発を続けると。
で、次にですね。
甘い政権が出てきてくれれば、まぁ要するにクリントン的なですね。
北側の核開発を事実上黙認して、経済支援。
で、日本に対してですね、正常化したら良いんじゃないか?と言うアドバイスをする。
そういう政権になるのを期待してですね。
時間稼ぎをしているんだと。

それに対しアメリカはどうするのか?ですけれども、要するに締め上げを強めていく。
言う事で、その政府高官もそうですし、また複数の方がモデルケースとしてあげたのが、マカオのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行に対して9月15日付で、アメリカ財務相が制裁を発動しました。
でこの実は例の第4回6者会議で共同声明。
形だけのものですけど、あれが出たのが9月19日ですけれども、その直前の9月15日に制裁を発動しているんですね。
その理由はこのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行は、北朝鮮の自ら手下となってウイニングホーンと言う表現を使ってますけど、ホーンと言うのが手下というんですが。
ウイニングと言うのが自ら進んで、北の手下となってマネーロンダリング、あるいは偽札の行使。
というのに協力を・・・・・・・・(はっきり聞き取れず)

と言うそういう理由でですね。
アメリカの愛国者法、パトリアットアウトの311条を発動して、これをですね。
今後もパトリアットアウト311条で全て行くんだと口にしている人が何人もいました。
後でもう一辺補足しますが、何で金融面で追求するのかと言うと、金融であればですね。
北朝鮮を痛めつけられるのと同時に中国に対しても圧力になる、言う事であります。
で、そういう意味でもバンコ・デルタ・アジアはモデルケースだというわけですが、若干説明するとですね。
これは9月15日にアメリカ財務省が制裁を発動する旨の布告をしました。
その直後にバンコ・デルタ・アジアの各支店は預金者の取り付けが遭ってですね。
一日で10%~20%の預金が逃げたと。
バンコ・デルタ・アジアは慌てて、実は東京にも支店があるんですけども、北朝鮮との取引をとにかく一切中止するという宣言を即座にしました。
一時的にですね。
マカオの特別行政地区、マカオは中国の政権下ですけども、マカオ特別行政区に事実上下駄をちょっと預ける、運営をちょっと預けると言うですね。
大変劇的な状況になっている。

そして面白いのはですね。
これは実は9月15日にバンコ・デルタ・アジアを指定する前に、アメリカ財務省は意図的なリークをしてまして。
そのリークの中ではバンコ・デルタ・アジアだけじゃなくてバンク・オブ・チャイナ、中国銀行。
中国最大の銀行であります、バンク・オブ・チャイナも怪しいと。
で、これはあくまでリーク情報として。
ただごく最近もですね。
アメリカ財務省でこの問題を監督しているのが、スチュワート・レティという不法行為担当の次官なんですけども、このレティ氏が、実はバンク・オブ・チャイナも制裁対象として検討されていると報じられているが実際どうなんだ?と聞かれてですね。
その点についてはイエスともノーとも言えないと、ような言う言い方をしておったと。
もしバンク・オブ・チャイナに取り付けなどと、アメリカ財務省制裁、で取り付け騒ぎなどと言うことがあればですね
これは中国経済に対し、大変なブレーキであるし。
アメリカにだって金を借りていますから簡単には出来ないと。
ただ要するに金融で制裁をチラつかせる事によって、中国に対してもですね。
北朝鮮がらみで怪しい取引を中国も銀行にやらせてたら、持たなくなりますよと言う圧力をかけてるわけですね、ハッキリ言って。

これは北にとっては大変痛い、と言うことは北朝鮮自身が自白をしておるんです。
つい先日11月9日~11月11日まで開かれた第4回6者協議、北の代表キム・ケグァンが議場の中でもあるいは外の記者会見でも一貫して繰り返し言ってたのが、バンコ・デルタ・アジアに対するアメリカの制裁はけしからん。
ああいう事をアメリカがやるんだったら今後6者協議には出る事は出来ない、と言っとるわけですね。
いかに北にとって痛かったか?いう証拠だと思うんですが。
日本に関して言えば、よく日本でですね。
制裁をやるとそれを口実に6者協議に出ないなんて事を言い兼ねないから制裁すべきでないとか言う人がいますが、アメリカは現にですね。
それやったら協議に出ませんよと(北が)言ってる制裁をやった。
だから日本だって気にする必要は無いと、言う事であります。

その制裁に絡んで国防総省のテクノロジー強化部長であるエドワード・ティパレッジというのがですね。
我々に対して盛んに、例の朝鮮総連の科協ですね。
この間西新井の病院に警察が手入れをしましたけども、あれ狙いは藤田進さん拉致の方ではないかと言われてましたが、実は本当の狙いは科協、日本からいろんなテクノロジー情報を北に流した。
科協をどうもターゲットにしたらしいですけれど、アメリカがですね。
ミサイルなどのテクノロジーの強化を担当するディレクターですね。
次官補レベルの方ですけども科協問題に関して、今後も追いかけていくと言う事でした。

それでですね。
こういう事で要するに6者協議なんていうのは猿芝居なんだと言う、アメリカの政府高官はちゃんと認識を持っていて。
北も猿芝居だと分かった上で出たり出なかったり、陰で核兵器の開発をする。
アメリカも猿芝居だと分かっているので影で北が何を言おうが、金融政策を中心に締め付けをやっていく。
パトリアットアウトこれを愛国者法311条はアメリカが制裁した場合、関係者国に協力を求めなければいけないという義務規定があるんですね。
だから間違いなく日本に対しても金融制裁で協力してくれという協力依頼が来ているという話、来ています。
更に自民党・政府でもこの金融面での北からの怪しい取引の取り締まり等を言い出してますけど、間違いなく日米、アメリカからの連携と言う流れにあると思います。

あとヘンリー・ハイド下院国際関係委員長の面談についてはすでにお二人が話されましたけれども、現在政権もそれから議会の方も強硬派が多い。
共和党・・・(聞き取れず)まぁ我々にとっては有利な状況だと思うんですが。
ただアメリカの内部でもですね。
日本同様色々せめぎ合いがあって北朝鮮のですね。
北朝鮮を普通の国としてイメージアップするのに協力する議員もいる。
それがまさにですね、先ほど話に出た丁度我々がヘンリー・ハイド委員長に会ってる同じ時間に同じビルの中で、北朝鮮国連代表部次席大使と言う肩書きを持つ工作員、ハン・ソンニョルがですね。
対話重視派議員、融和派議員と国務省の招待で短い講演をするということがありました。

その点に関してはですね。
エピソードをちょっとだけ紹介すれば、同じ日の午後一時半から脱北者で、対北向けラジオ放送をやろうとしているキム・ソンミンと言う人を議会に呼んで公聴会をやろうとしていたんですね。
強硬派の議員が呼んだんですが、そのキム・ソンミン氏とハン・ソンニョルがボールルームと言うわりと広い部屋なんですけど、鉢合わせしたと。
ワシントン・タイムスと言う新聞が詳しく書いているんですが、キム・ソンミン氏がですね。
そのハン・ソンニョルに向って「金正日追放こそが朝鮮半島の平和への道だ」と、そういうふうに話しかけたというか言葉を投げ掛けた。
それに対してハン・ソンニョルが「お前死にたいのか」と言ったって言うんですけども。
それを新聞が、ジョン・マッカーシーが、有名なコラムニストですけれどインサイド・デイトレイジ、デイトレイジというのは日本で言えば霞ヶ関・永田町に当たる言葉ですが、そのコラム、これかなり読者が多いコラムですが、その模様を取り上げたんですね。

実は先ほどから出ています、ヘンリー・ハイド委員長の北朝鮮に対する抗議書簡、これはですね。
拉致問題を解決しなければ、一つの話ですね。
仮に核問題に関してアメリカ政府が北へ経済支援をするとかテロ支援国リストから解除するとか国交を正常化するとか、政権が決めても議会が絶対に承知しない。
そういう内容がひとつ入っている。
もうひとつはですね、私の事務所のあるこの下院のビルの中で、そして我がアメリカ議会が証人としてわざわざ呼んだ人に対して「お前死にたいのか」ということを言うと。
何考えてるんだと言うですね。
ふざけるなとそういう内容もその書簡に入っているわけです。

ただ注意しなければいけないのはやはりアメリカ議会の中でも・・・(聞き取れず)と言いましたけど実はワシントン・タイムスと言う新聞に載ったコラム。
これはスザンヌ・ショルティさんの言葉等も引用されているんですけども、そのショルティさんがですね。
北に対して・・・(聞き取れず)とする優れた議員がいる反面ですね。
北のイメージアップに手を貸そうとする、北の人権抑圧を覆い隠すような行為に手助けするような嘆かわしい議員もいると。
そういう事を書きまして、それに対してその嘆かわしい議員の一人であるアートレグフォン(?、はっきり聞き取れず)って言う議員がですね。
スザンヌ・ショルティを嘘つきだと、言うような事を言い、またその記事を書いた記者なんかをですね。
あいつらパパラッチだと。

それに対してスザンヌ・ショルティさんの周辺が何を恥ずかしい、血迷った事を、議員ともあろう者が。
まぁ今でも論争が続いているんですけども、アメリカの中でもですね。
我々支援してくれる人たち、決してそういう意味では楽な戦いをしているわけではなくて、足を引っ張ろうとする勢力があるわけです。
やはりこちらからもですね。
例のタイの件、あるいはマカオの件、シンガポールの件等に関してですね。
どんどん拉致問題国際的に大きくし、その事によってこのアメリカで戦っている我々の同志に対して、こちらからも追い風を送って行く必要があるだろうと思います。

それでですね。
最近国務省のクリストファー・ヒル次官補もですね。
相当保守派からあんな情けない共同声明にサインして・・・・・・(聞き取れず)恥ずかしくないのか?とかなりボロクソに言われているみたいで、本人もかなり堪えてるみたいで。
実はブッシュ大統領がソウルにAPECに出席する為に数日前に行きましたけども、クリストファー・ヒルも同行しましてですね。
ヒル氏がソウルでインタビューって言うか学生を前に講演をしている中でですね。
ハッキリと意外に言ってるんですね。
核問題がどうなろうが、強制収容所を持っているような国とアメリカは正常化をしない。
いうことをクリストファー・ヒル氏が、国務省ですからどちらかと言うと人権問題について余りはっきりと言いたがらない体質があるんですけども、そのヒルがそういった発言をしたと言う事はいかに保守派からの・・・・・・(聞き取れず)と言う事であると思います。

日本でも人権特使を作ってくれと話があるんですけども、それこそですね。
猪口邦子氏をですね、軍縮大使とかに任命したとかいう悪しき実例もあるんですが、(小さな笑い声)あんな程度の人でも大使にしとる訳ですから。
彼女まだ40代の終わりくらいの年齢でですね。
日本でもまぁ西岡さんあたりにですね。
人権特使に任命すべきなんです。(拍手)

それでですね、というわけでアメリカは要するに制裁を発動しているわけです。
従って日本もですね。
いくら我慢がよくたって、待ったを掛けられているということもないので、アメリカ政府の高官の話も紹介しましたけど、6者協議と言うのははっきりと猿芝居とアメリカも認識しているので、メジャー(なマスコミ)は6者協議の取材をする必要は無い。(笑い声)
私は思いますけども、私も6者協議のニュースは余り真剣に見てないですけども。
それよりもマカオに行って取材する。
拉致問題の現場でありますから、各メディアの高い取材スタッフはですね。
ぜひ6者協議の取材はもう止めた方がいいんじゃないでしょうか、と思います。
じゃあ、取り合えず・・・(拍手)

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救出の為に日米韓連帯を!東京集会11

 ※原 良一さんのテキストです。

 第三部 救う会&家族会訪タイ調査報告
「西岡力氏、増元照明氏のお話し」


 西岡氏
 え~、座ったままでいいですか? 11月9日から11日までタイに行ってきたんですが…、多分ご承知の人も多いと思うんですけど、ジェンキンスさんが本を書く前に、我々は、5月に増元さんと二人で佐渡に行きまして、曽我さんからタイ人の拉致被害者がいるっていう話しは聞いていました。

 曽我さんと話しをして、国際社会に日本人拉致救出をお願いすると。国連の人権委員会の作業部会にお願いをすると。そういう中で、日本人以外の拉致被害者の状況がわかった場合は、まずその家族に何とか伝えなきゃならない。その国の政府に伝えなきゃならないということで、曽我さんもその通りだということだったので、調整室(内閣府直属拉致問題連絡・調整室)を通じて、外務省からタイ政府に連絡をしてもらいました。

 今回、タイに行きまして、6月に最初にアノチャさんというタイ人女性が拉致されているということを、日本側から通報を受けていたということを、聞きました。ただアノチャさんという名前は、一般的な女性の名前なんです。ヨシコとかヒロコとか・・・。70年代の後半にいなくなったヨシコを探せといっても、日本でも難しいでしょう、タイの政府にしても、やはりね。それでなかなか特定できなかったということです。

 まあマカオの新聞を繰って行けば、アノチャさんが、78年の7月2日に失踪しているという記事が出ていたので、もう少しやってくれればなあ、という気がしないでもなかったんですが、とにかくわからなかった、と。
 そして10月にジェンキンスさんの本が出て、そこにタイ人が拉致されたと書いてある。11月の1日に、タイの新聞の「ネーション」という英語の新聞があるんですが、それがですね、この記事を出すんですね(記事のコピーを示す)。

 タイ人が拉致されていると、ジェンキンス氏の本に書いてある。それがこの女性だと言って(写真に)丸を付けている。この写真は、CBSというアメリカのテレビ局が、曽我さんというよりジェンキンスさんの番組を異時間枠で作った時に、曽我さん、ジェンキンスさんより提供を受けていて、CBSのホームページに掲載されている。それをCBSから撮ったとして、その映像を載せてアノチャさんという名前と、ジェンキンスさんの本を載せて、日本語の部分もこうやって写真に載せて報道したわけです。

 ただ、英語の新聞は、それほど読まれていないわけです。これだけだったらわからなかったんですが、この新聞を元にしてタイのテレビが、アノチャという女性が拉致されていると報道したわけです。それが11月1日なんです。我々が行った時は、あの家テレビなかったんだよね(隣の増元氏に確認)、見れなかったよね。あのお兄さん家、テレビなかったんですよ。田舎の高床式の農村だったんですよ。だからテレビもだけど、英語の新聞なんか絶対読んでない、断言してもいいけど。

 ただしですね、お父さんが3ヶ月前までご存命で、90歳過ぎてるんですけど、アノチャさんのこと忘れてなくて、「アノチャ、アノチャ」とずっと探してたと・・・。病床でも写真を大きく飾って、帰りを待ってたと。だから近所の人たちが、あの家にはアノチャという娘がいるんだ、お父さんが探してたというのを知ってた。いなくなって27年経ってたんですね。

 だから、それで忘れていたらば、誰か近所の人がテレビ見てて、「アノチャという名前だから、あの家じゃないか?」と言ってくれたんです。それでこの写真を見て、ああ似てるということで、テレビ局にお兄さんが一人いらっしゃってて電話をした。それが11月2日ですね。

 11月の3日にタイの総理大臣(タクシン首相)が、記者会見の時にそのことで質問されて、「これが真実だったら、北朝鮮に帰還を要求する」と言ったんですね。まあ真実だったらていうのが付いてますけども、総理大臣が言及したんです。

 そして4日には、タイの外務省の担当官が家族の家に行き、そのままそのお兄さんをバンコクに連れてきて、外務大臣が面会したんです。報道から、外務大臣の面会まで5日しか経っていないんですね。我々家族会作ったのに(笑)結構(増元氏苦笑しながら「半年くらい」)半年位かかったんですよ。

 ただそれは、日本で拉致があることが明らかになった後だからっていうことも、もちろんあると思いますけれど、タイ政府はタイヘン積極的です。そして8日の日には、タイと北朝鮮は国交があるんです、大使館がある。大使館の大使を呼んだら、大使がいなくて臨時大使が来て、臨時大使を外務省に呼んで情報を突きつけて、どうなってんだ? と聞いたらば、タイ人女性が北朝鮮に行った証拠は一切ありません、と。調べてもいない内から(失笑)、政府の前で言ったんです。タイ政府は、それでも継続して調査してほしいと言った。

 そしてタイのマスコミは、このように連日のように報道をしまして、そしてお兄さんがバンコクに来た時、(き(写真を示しながら)これがお兄さんで、その息子さんで、これがアノチャさんの写真なんですね、失踪前の…。そして日本のマスコミが、これを大きく報道したんです。日本のマスコミが、この写真をバンコク発でテレビで報道して、佐渡で曽我さんが、そのテレビを見ている。で、この写真を見て最初に思ったのが「懐かしい」。

 アノチャさんが拉致されたのは、78年なんですけども、曽我さんがアノチャさんに会うのは80年です。だからこの(写真の)姿と似てる時に会ってるわけですね。10年間一緒に暮らしてる。だからよく知ってるわけだ。米軍の脱走兵士が4人いまして、ジェンキンスさんと曽我さん、それから後一人とアノチャさん、もう一人とルーマニア人でイタリアから拉致されたドナさん、それからもう一人がレバノンから拉致されたシハームさん、4人が2階建てのアパートで、1階に2世帯、2階に2世帯一緒に住んでた。よく知っているわけです。

 それで忘れないと思って、曽我さんに電話もして、この写真のあるのを聞いてお兄さんが日本に来たら是非お会いしたい、タイ政府の情報収集にも協力したいというお話しもして、とにかく行こう、と。日曜日に決めて、水曜日に出発したんですね。相当無理なスケジュールだったんですけども・・・。調整室と、外務省とそれから…、在バンコク日本大使館と、在チェンマイ外国総領事館と様々なマスコミ関係者が、いろんな方に無理を言ってとにかく(タイに)行ってしまったんですね。

 でまあ、お兄さんにお会いすることはできました。10日の日の午前中、1時間半お話しをしまして、その時我々がジェンキンスさんの本に書いてない、従ってお兄さんが知らないであろう情報を一つ持ってたんですね。

 それは二つあって、曽我さんがこの写真は懐かしいと言っていた。それからもう一つは、家族構成について曽我さんは、アノチャさんはお母さんは既に亡くなっていると、確か直接聞いている、失踪前から。お父さんがかなり歳が離れている。お兄さんが一人いる。というふうに私たちは聞いていた、5月の段階では。

 で、行ってみたらばことそのとおりだった。ジェンキンスさんの本に書いてないとおりのことでありますから間違いないと。お兄さんから最終的に「ホントですかねぇ?」という話しになったんですけど「間違いないと思いますよ。いろいろな情報を総合したら」後は「生きてますかねぇ?」ということと「どんな暮らししてますかねぇ?」そして「どうしたら取り戻せますかねえ」具体的なんですね、家族の考えることは。生きてますかねえて言った時に増元さんが答えたのは、増元さんお願いできますか?

 増元氏 
 アノチャさんというのは、向こうの満年齢で50、数えで50歳らしい(後の発表では1954年7月12日生まれの満51歳)です。年齢を聞いて私の姉も52になる。必ず52歳とまだ若いし、まだ死ぬような年齢ではないから必ず生きていると思うし、そう信じて私は救出運動をやっているから、ぜひお兄さんも生存を信じてこれからも一緒にやっていきたいと申し上げました。

 西岡氏
 そしたら「生きているんだったら、どんな暮らししてるんですか?」って言うんですよ。私は「精神的には大変辛いと。監視の対象だけれども、物質的には工作機関の中だから比較的生活水準は上だろう」って言ったんですけれども、そうしたら増元さんが

 増元氏
 あのジェンキンスさんが「告白」の中で書いてますけれども、暖房さえ充分手に入らない。自分、私たちは、もう少しいいくらいをしてるのかなと思ったんですけど、あの本に書かれている暮らしを見れば、私たちは驚きました。ですから西岡さんは精神的に部分もおっしゃって、でも物質的には多少いいだろうと。北朝鮮の経済状況が酷すぎるので、一般の人たちよりは多少いい暮らしになってると、それはもう世界レベルの中では低い生活の状況だと、早く助けなければならないと、(いうことを伝えました)。

 西岡氏
 そして最後に「どうやったら取り戻せますかねえ?」という話しになったので、私は「北朝鮮は、アノチャさんは今いない」と言っている。それは(日本人拉致被害者の)家族会が作られた97年と同じだ。そのあと北朝鮮に拉致されたのは間違いないといって具体的な事実を示して、日本国内で、そして海外で、国際社会に訴え続けたと。その結果、北朝鮮が5年後に(拉致被害者が)北朝鮮にいると認めた。

 だからまずは、北朝鮮にいることを認めさせることが第一歩です。そのためには、家族会がやったようにタイの国民、タイ政府に対して、世界に対して訴えるということが大切です。ぜひ日本に来てくれないか。曽我さんと直接会って、お兄さんが覚えていらっしゃるアノチャさんの特徴と、曽我さん10年間一緒にくらしたアノチャさんの特徴が合致すれば、合致するほどホントに間違いないんだということを、タイ国民にも、日本国民にも、世界中にアピールできる。

 曽我さんに電話したところ、お兄さんが来てくだされば、ぜひ会いたいと言ってるんだ。そして曽我さんは、アノチャさんの印象について、大変優しい人だった。ウチの二人の娘を大変かわいがってくれたと、気配りのできる人だったと。私にとってお姉さんのような人だった、と言っていたということを訴えました。

 我々が会ったのは10日ですから、1日に新聞報道が出て、10日後には日本から変な人たちが来て(苦笑)、もうカメラが、日本のカメラがテレビ局、タイのテレビ局、イギリスのBBCとかがわーっと来ていて、記者が40人くらいで警察が交通整理をやってるんです。

(アノチャさんの兄の)家は、チェンマイから車で40分くらいで、鶏が放し飼いされてたりして、ほんとに農家なんですよね。それで高床式の家なんですよ。事前に打ち合わせして、カメラが全部入ったら床が抜けるからどうしましょうか?(笑)って、テレビ局のスタッフの人たちが言ってるんです。事前に行ったことがあるから。

 それで、下で会うところだけ頭撮りしてもらって、上に上がったところからはカメラなしにしましょうと言ったので、だんだん、だんだん(話しが途切れる)

 飛行機に乗るのも、バンコクに行くのも初めての人で、日本に来てくれと言われても即答はできませんておっしゃったんです。ところがその後記者会見をしたんです。これが「ネーション」という新聞で、記者会見をしている場面(「Japanese visitors Conform abduction(日本人訪問者と拉致が一致)」の見出しの写真を示しながら)がですね、タイの新聞に出たんですね。

 増元さんがまず報告をして、その後お兄さんがタイ語で喋ってるので、我々は何を喋ってるのかわからなかったのですが、総領事館から来てくださったタイ語の専門家の方が、後で教えてくださったんですが「(日本に)行かねばなるまい」と言っていた、と(苦笑)。

 ということで、(日本に)来てくださるということになりました。だいたいそんな感じで、あと増元さんの方から何か・・・。

 増元氏
 先程、西岡さんがおっしゃったように、できるだけ大阪の集会に西岡さんと一緒に行かなきゃならないねって、来週くらいですかと話しをしてたら、ぜひ4日後には出るというようなことになりまして、ほんとにありがとうございます。

 で、今先程も言いましたように、最初に私たちが向こうの現地の日本人記者に聞いたら、どうもお兄さんは北朝鮮に感謝しているようだというふうに言ってる。なぜかというと、アノーチャさんというのは、義務教育で小学校4年生くらいの教育しか受けていなくて、学歴もないそういった女性が、北朝鮮でいいくらしをしているのだと、そういう情報が入ってきたので、拉致ということもまったくわからない。拉致があるなんてこともわからないし、北朝鮮がどういう国かも全然わからない。

 それでいきなり27年後くらいに、突然いなくなった妹の話が、北朝鮮でいいくらしをしてるよということが入って、最初感謝している。そんな状況ですよ、ということだったので、これはとても、感謝されては私困りますもんで(苦笑)、だから二人してお話ししたんです。で、ようやく最終的には、「取り戻したい」という言葉をおっしゃったんで、ある程度の理解をされておられるとは思います。

 私の会、救う会の方でも、役員会も何もしないで二人で行って、そして招聘したんですけれども、会の承認も得ないで単独で招聘したんですけど、それは事後報告になってしまいました。

 私たちが向こうに行ったのは、お兄さんが本物だろうかということ。報道では、兄だ、甥だと出ているんですけども、本当にアノチャさんの肉親であるかどうかを確認しなければならないし、確認ができたら、やはり各国の被害者家族の皆さんと連携してやってる、国際的な問題であるということを訴えられたらいい機会であるし、ぜひ日本に来ていただいた方がいいのかな、と。

 そして曽我さんも、アノチャさんのお兄さんとお会いして、話しをしたい意向もありまして、それでとりあえず行きました。

 最初は、本当に田舎の農民です。田舎というと田舎に失礼ですが、非常に先程言ったようにバンコクに行ったことも、飛行機にも乗ったこともない。昔から、英字新聞もそうですけど、向こうの新聞を見てなくて、ほとんど喋らないわけです。その代わり郡長さんというのがいる。郡長さんというのは、市長さんと同じレベルだと思うんですが、その彼が一生懸命説明されるわけです。その側でお兄さんが黙って、(ネーション紙の写真を示しながら)この顔で睨んでるんです。

 でどうやって、とっつきにくい感じを受けましたので、どうやって聞き出せばいいのかなという思いで、常にお兄さんに話しかけていました。事前に先程言ったように北朝鮮に感謝しているようなそぶりなので、絶対にそれだけは少なくとも堰き止めようと、記者会見で北朝鮮に感謝しているなんて言われたらとんでもない。それだけは避けよう。

 それで一番良かったのは、北朝鮮の拉致という、日本人拉致、韓国人拉致、これが北朝鮮の拉致であることが、タイの国民の皆さんにもある程度認知されたということじゃないでしょうか。まあ二人して、今が旬だからということで、ネーションで取り上げて、タイの方で随分とアノチャさんアブダクション(拉致)というタイトルでクローズアップされてる。

 そこに私たちが行くことによって、さらにまたタイの上等のニュースになる。とするとタイの人たちにも、北朝鮮による拉致というものが認識されるだろうという思いがあったんですが。先程言ったように、タイの地元の扱いというのは、新聞それからテレビによって報道してくれたので、ある程度の北朝鮮の問題も認識されていると思います。

 タイの人たちっていうのは、とても今日あったことは明日忘れるという、それくらいあまり囚われないという「マイペンライ(タイ語で「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」という意味の言葉)」という有名な言葉もありますけど、囚われない国民ですから、ネーションの担当者は、タイの国民がこれを忘れないように、何か常に取り上げていかなければならないとおっしゃっていました。

 タイ政府の方たちにも、タイ政府としては、今年は北朝鮮と国交を結んで30周年になるので、いい関係にあったという認識があるので、これからもそれを壊したくないという思いがあるんですね。ただもし国民が拉致されているのであれば、何とかしなければならないと外交官の方がおっしゃってました。どういうアプローチをするにしろ、北に対する圧力にはなっていくんではないか、と思います。

 北朝鮮は、ただ単にいるかどうかちょっと聞いてみたという程度の北朝鮮の臨時大使を呼び出した。タイ外務省が呼び出して、ちょっと聞いてみた。そしたらすぐ正式な文書で「(アノチャさんは)いない」と言ってきたくらいでして、タイ人拉致に関しても、北朝鮮としても非常に神経をピリピリさせているようであるんです。

 タイ政府は、我々も行ってまず間違いないということを話しましたんで、アノチャさんは拉致疑惑ではなくて、日本の報道では拉致疑惑と言ってましたが、完全な拉致である。証言者がいるんですから。それをはっきりと認識すれば、これから展開する追及も当然強くなっていくと思います。

 で、マカオ(で拉致された)の三人の(拉致被害者の一人)孔さん(孔令●と書いてホン・レンイン女史、日本語読みで「こうれいおう」、●=讐の隹の部分が貝。どの文字コードにもありません)という方の弟さんが名乗り出られたので、調査でまたマカオに行かなきゃならないのかな(西岡氏と苦笑)と言っております。

 またできれば、12月22日の国民大集会に招聘していきたいと考えております。マカオ、タイ、第一回集会以来、当然韓国の皆さんも来ていただきますし、さらにもう一人機会がある可能性がある。とにかく世界中で拉致されている被害者の家族が集まって、様々な行動をできるような状況になるという可能性が高いということを認識しています。

 西岡氏
 最後に、あと10分くらいしかないのでまとめの話をさせていただきたいのですけども。つまり拉致問題が国際化してきた。今タイの問題が出てきましたけど、実は今度は増元さんマカオの話しをされたんですが、これは78年の7月2日にアノチャさんが拉致されてるんですね。でジェンキンスさんの本によると、アノチャさんは、同じ船に二人のアジア人女性が乗っていたのを見たと言っていたと書いています。

 そのアジア人女性が誰なのかがわかったんです。当時のマカオでは、おかしな行方不明事件、人身売買事件じゃないかとして報道もされていたし、捜査もされていたんですね。宝石点の店員の孔さん(ホンさん、前述)という方と、ホテルのナイトクラブで働いていた蘇妙珍(ソウ・ミウザン)さんという女性二人が、同じ日にいなくなってる。

 日本人を名乗る人間が、フクダと名乗る人間が現れて、案内してくれとか言って連れ出した後いなくなった、いうことなんです。そうしましたら、実は韓国から拉致されて自力で脱出した韓国の映画監督がいる。1978年に拉致されて、86年にオーストリアに逃げた崔銀姫(チェ・ウニ)さんと申相玉(シン・サンオク)さんが本を書いている。

 「闇からの谺」(上下巻、文春文庫)という本ですが、その中で崔銀姫さんという映画俳優が、隣にマカオ人が住んでいたと書いていた。そのマカオ人と親しく話していたと、行ったり来たりしていたと。名前はホンさんと言う。宝石店に勤めていたという。ピッタリ一致した。
 そのことが話題になる中、今度は、香港の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が、13日に記事を書いてるんですね。マカオでも拉致があったと。そして、その孔さんの弟さんが出てきた、という記事ですね。ここにアノチャさんの写真まで出てて。(続く)

※西岡&増元両氏による訪タイ報告は約42分あり、現在26分まで完了しています。
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救出の為に日米韓連帯を!東京集会13

話の花束ぴろんさんのテキストです。
『西岡力 副会長のお話』 

最後に、あと10分くらいしかないのでまとめの話をさせていただきたいのですけども。
つまり拉致問題が国際化してきた、言う事ですね。
今タイの問題が出てきましたけど、実は今度は増元さんマカオの話をされたんですが、これは78年の7月2日にアノチャさんが拉致されてるんですね。

でジェンキンスさんの本によると、アノチャさんは、同じ船に二人のアジア人女性が乗っていたのを見たと言っていたと書いています。
そのアジア人女性が誰なのかがわかったんです。
当時のマカオでは、おかしな行方不明事件、人身売買事件じゃないかとして報道もされていたし、捜査もされていたんですね。
宝石点の店員の孔さん(ホンさん、前述)という方と、ホテルのナイトクラブで働いていた蘇妙珍(ソウ・ミウザン)さんという女性二人が、同じ日にいなくなってる。

日本人を名乗る人間が、フクダと名乗る人間が現れて、案内してくれとか言って連れ出した後いなくなった、いうことなんです。そうしましたら、実は韓国から拉致されて自力で脱出した韓国の映画俳優と映画監督がいる。
1978年に拉致されて、86年にオーストリアに逃げた崔銀姫(チェ・ウニ)さんと申相玉(シン・サンオク)さんが本を書いている。

「闇からの谺」(上下巻、文春文庫)という本ですが、その中で崔銀姫さんという映画俳優が、隣にマカオ人が住んでいたと書いていた。
そのマカオ人と親しく話していたと、行ったり来たりしていたと。
名前はホンさんと言う。
宝石店に勤めていたという。
ピッタリ一致した。

そのことが話題になる中、今度は香港の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が、13日に記事を書いてるんですね。
マカオでも拉致があったと。
そして、その孔さんの弟さんが出てきた、という記事ですね。
ここにアノチャさんの写真まで出てて。
香港の新聞なんですけども。
同じ日に3人、タイ人一人とマカオ人二人を拉致していたのはほぼ間違いが無い。

そしてこれは少し面白くてですね。
今マカオは中国に返還されているんです。
マカオ人と言うのは中国国民なんです。
中国政府は今、北朝鮮の国連総会の人権決議に反対したんです。
自国民が拉致されているのに反対していいんですか?と。
マカオの人たち、あるいは香港の新聞がこれからどんどん書くでしょう。

つまり、北朝鮮は友好国からも拉致するんですよ。
タイでの拉致は、タイは国交正常化30周年って言いましたよね?
75年に国交正常化して、78年に拉致したんです。
国交(正常化)したあと拉致したんです。
そしてその後食糧支援を要請して米を貰ったりしてるんです。

今テレビなどでですね。
国交正常化した後拉致被害者を探せば良いじゃないかと言ってる人がいますけども、国交正常化したら拉致が起きたんです。
絶対に許さないと言う姿勢でこの問題解決しなけれが駄目なんですよ。
実例が示している。

そして崔銀姫さんの本をもう一度点検して見ますと、ヨルダン人の女性と会ったと言っている。
それからフランス人の女性が拉致されていると聞いたと言ってるんです。
レバノンの新聞、1979年の11月9日の新聞によりますと、レバノン人が拉致されて4人の女性が取り戻されてひとり(北へ)帰りましたよね?
その話は前にここで取り上げた事がありますけども、その帰った人たちが拉致被害者を見ているとレバノンの新聞が書いてるんですね。
それによると、28人。
3人のフランスの女性、2人のドイツの女性、3人のイタリア人の女性が含まれていて、一緒に訓練を受けたと。
というふうに証言しているとレバノンの新聞が書いている。

もう一回言いますとフランス人が3人、ドイツ人が、みんな女性ですね。
女性が一緒に女性同士訓練を受けた可能性があるんですけども、フランス人女性が3人、ドイツ人の女性が2人、3人のイタリア人の女性を含む28人。
で、イタリア人と言うのは、イタリアから拉致された(ルーマニア人の)ドナさんがイタリア人と思われていたかもしれませんね。
ルーマニア人ですけどもイタリアから拉致された。
病気で亡くなってしまった、と曽我さんが言っていますけども。

ドイツ人に関しては、アノチャさんが89年に、アノチャさんの夫は早く病死してしまうんですね。
一人も子供がいないんですけども、89年にドイツ人と再婚すると言って曽我さんたちのアパートからいなくなるんです。
誰と?
ドイツ人の拉致被害者がいた可能性が出てきます。
このレバノン人達の証言、イタリア、ドイツと言うのは他の情報もあるわけですね。
もちろん女性と男性と言う違いはありますけども、ですからもっと詳しく聞かなければならない。

いうことで、北朝鮮は日本に対してですね。
あるいは韓国に対して、韓国は同族じゃないかと韓国は拉致に対して言うわけですね。
同じ民族だと。
北朝鮮の方が暮らしが良いんだから拉致された方が幸せだったんだと、そういう事を言うわけです。
韓国の政府も国民も同族じゃないかという認識はあるわけです。
日本については、日本は戦前もっと酷い事をしたじゃないかと。
800万人強制連行して20万人性奴隷にしたと、言ってるんですよね?

そういう事を言って、国連の人権決議に反対したわけですけども、中国人も拉致しています。
タイ人も拉致しています。
ル-マニア人もフランス人ドイツ人イタリア人も拉致しています。
レバノン人も拉致しています。
この事実をどんどん確定して国際社会に訴えていけば、拉致問題は日本対北朝鮮、北朝鮮対韓国だけの問題ではないと。
国際社会対北朝鮮の問題だと。
国際社会をまたに駆けて凄まじい人権侵害を北朝鮮は70年代の後半に集中的に行ったんだと。
言う事が今明らかになりつつある、言う事なんですね。

アメリカは北朝鮮の人権問題を北朝鮮に強く今言い始めている。
人権特使を作ったんです。
国連も人権報告官を作ってるわけなんです。
日本政府も早く拉致問題を含む人権特使を作って欲しい。
参与をやっていた人で女性で、大変適当な人がいるじゃないですか?(小さな笑い声)
そういう人も居るわけですからぜひして欲しいんですが。
そういう中で国際的なネットワークの中で、だんだん悪事がばれてきた、いうことなんです。

じゃあそれを、実はマカオに出稼ぎに行っていたタイの農村の女性がいなくなる、なんてのは良くあることだと。
北朝鮮は思ってたわけです。
良くある事で絶対にばれないと、ばれなかったんです。
韓国で83000人を拉致して名簿まで作ったけれども、そして国際社会に訴えて国連にも訴えたけども、国際社会は制裁も何もしなくて誰も帰ってこなかったと。
大丈夫だったと。
拉致をした方が得だったと。
で次に漁民も拉致したわけです。
500人くらい拉致したんです。
でも大丈夫だった。
問題にならなかった。

そしてそういう状況の中で76年に金正日が後継者になって工作機関に入って拉致命令を出すんです。
工作員の現地人化をするために、現地人の教師を連れて来いと。
そしたらば77年78年は全世界的に集中的に拉致が起きたと。
日本でも日本政府の認定の16人の内、12人が77年78年なんですね。
アノチャさんも78年なんです。
マカオ人の二人も78年ですよね。
さっき言った崔銀姫さんも78年です。
レバノン人も78年です。
フランス人やドイツ人も一緒に訓練受けてたって言うんですから、78年の頃でしょう。

そして作られた、現地人化された工作員ってのに金賢姫がいるんですね。
金賢姫は84年に当時外国語大学の日本語学科の学生だったのが、召喚されて当時工作員になるわけです。
同期生が8人いたんです。
拉致された日本人が8人、1対1で教育が出来るように準備が整った後、学生を募集するんですよ。
金正日の命令で教員を拉致して、それに朝鮮語を教えさせて教師が確保されたから、80年に学生を募集が始まった。
曽我さんはその中で教師じゃなくて奥さんになったわけですね。
そうだとすればタイ人化の過程もあったんじゃないか?

実際韓国でですね。
マレーシア人に偽装した工作員と、フィリピン人に偽装した工作員が捕まったり殺されたりしてるんですね。
韓国当局によって。
まず80年代にフィリピンのパスポートを持って韓国に入って、「私はアラブ系フィリピン人だ」と言ってですね。
「アラビアの専門家だ」といって韓国の大学の助教授をやっていた。
ムハマド・ハンシュさんと。
ひげを生やしてテレビにも良く出ていた。
アラビア問題専門家で、その人が実はアラビア人ではなくて北朝鮮人だった。
じゃあ、彼はアラビア語を誰から習ったのか?

そしてもう一人、今度は99年に日本にも工作船が入ってきて、日本の海上自衛隊が爆破させましたけど、韓国の海軍も見つけて沈没させたんです。
引き上げてみたらば死体が入っていた。
その人がマレーシア人として韓国に外国人登録をしている人だった。
マレーシア料理店をやっていた。
北朝鮮のスパイだった。
じゃあマレーシア人化教育もあったんじゃないか?

安明進さんなどは、中国系の人も見たし、アラブ系の人も見たし、ヨーロッパ人も見たと言ってるわけですね。
今レバノン人とこの人の話をも合うわけです。
工作員学校の教師としてこれだけの人間が連れてこられたと。
完全犯罪に近かったわけです。
分からなかった。
だからどんどんどんどん拉致して、工作員を日本人化してそして大韓機爆破事件まで出来たわけですね。
155人を日本のせいにして殺す事も出来たんです。
そこまでは彼らの思う壺ですね。
拉致をして工作員教育をして現地人化してテロまで出来たんですね。

しかし金賢姫は生き残ったんです。
あの時金賢姫は毒薬を持たされていたわけです。
で、家族が北朝鮮にいるわけですね。
捕まったら毒薬を飲めと言われて、彼女は毒薬を飲んだんです。
青酸カリを飲んだわけですけども、3日間こん睡状態だったけども生き返ったんです。
そして韓国へ来て、韓国人を殺す目的は韓国は北朝鮮より貧しいから、韓国で革命を起さなくちゃいけないと思って115人殺したんだけど、韓国の方が豊かだった。
それを見て金賢姫は大変動揺する。
人間の心の中にある良心があってですね。
それが自分は罪の無い人を殺してしまった、と思うようになるわけです。
だけど北朝鮮はもう一つ安全装置を付けてる訳です。
それは家族が北朝鮮にいると、裏切ったらば家族が政治犯主要所に送られると、いう事なんですね。

金賢姫はあのまま行ったら辛光洙になれたんです。
自分で脱北したんじゃないんですから。
捕まって刑務所に入っていたらば2000年に(北朝鮮に)帰れたわけです。
英雄になって、家族も英雄だったんです。
しかし家族の事を思うと喋ったら危ないと思う。
しかし自分が115人殺したのは罪だと思う。
大変悩むわけですよね。

そこで私が前、徳間(書店)から出した「拉致の真実」と言う本にもその事を引用しましたが、その金賢姫の本にも書いてあるんですが。
金賢姫は自分のお母さんの事を思い出して、私のお母さんは砂漠でコップ一杯の水があったらば私に譲ってくれる人だ、と。
それくらい私を愛してくれたと。
そのお母さんが、今自分が罪の無い115人を北朝鮮の命令を受けたからとしても殺してしまったと。
謝りたいと。
しかし謝ったらお母さんたちは収容所に入れられてしまうと。
お母さんが、眠れなくて自分の中で自問自答して、うちのお母さんだったら、私たちがどうなってもあなたが正しいと思う道を行きなさいと言ってくれるお母さんだと。
いうふうに彼女は結論づけてその後自白を始めるわけですね。
つまり共産主義の社会の中でも母親が一生懸命愛情をかけて自分の娘を育てたと。
その愛情が完全犯罪を打ち破ったんです。

アノチャさんもそうなんですね。
お父さんが忘れてなかった。
28年間、アノチャ、アノチャと言い続けたお父さんがいるから、近所の人がテレビで放映されたので「お前の家かもしれない」と教えてくれたんですよ。
そうじゃなければ一回放映されて終わりですよね?

家族会の今までの歩みもそうなんですね。
忘れてなかった。
20年経って、もう忘れてなくて、それどころか悲しくてたまらなくて、何が出来るか?とずっと思っていたから家族会に集まって訴えをはじめたわけです。
彼らの緻密に計算された完全犯罪を打ち破ったのは家族の愛なんです。

朝鮮戦争の李美一さんのお母さんは、実は1950年代最初に家族会を作ったんですよね。
髪の毛をずっと伸ばしていてですね。
夫が帰ってきたら髪の毛を見せて、この長さなんだと。
あまりにも長くなって、今でも待ってるんです。
つまり北朝鮮とすれば戦争中のこと、50年前のことだから忘れてるだろうと思ったのに、未だに覚えていて今年の6月に北朝鮮の、あ、8月ですね。
北朝鮮の代表団が来た時にデモをしたんですよね。
北から見れば50年前の何の事だ?と。
でも家族は家族を覚えていて探していると。
そしたら少しずつ、つまり名簿が出てくるんですね。

家族への愛情が事実を明らかにしてここまで来たと。
完全犯罪を打ち破りつつあると。
世界中を対象にして拉致をしてテロをやって、そして北朝鮮の人民を苦しめている金正日政権は今追い詰められつつあると。
言う事を報告できるんじゃないかと思います。
以上です。(拍手)
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救出の為に日米韓連帯を!東京集会14

『横田滋 家族会代表の挨拶』 



今の増元さんや西岡さんの話にありましたように、各国で新しい拉致が続々と見つかっています。
先日の産経新聞では11カ国の人が拉致されていると出ていましたんですが、それぞれの国が連携して拉致家族も連携して国際的な包囲網を敷くことによって、是非一日も早く解決して欲しいと思っています。

それからまぁ個人的なことですが、18日から今日まで有楽町のマリオンでめぐみの写真展をやっておりまして、昨日で5日間で1万6千人、今日は祭日ですからおそらく4千人を越えて2万人くらいの方がいらっしゃったと思います。
大勢の方がこの作品を見て拉致問題について改めて考えるきっかけになったと、出口のところで皆さん仰ってくださいました。
ですからこれも何らかの形でプラスになって欲しいと願っておりますし、ご参加された方々にはここで改めて御礼申し上げます。(拍手)
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2005年11月22日 (火)

【拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問】

アンデスの声さんの回答  
あまりご期待には添えませんが、ご依頼ありましたので・・・。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問1.拉致被害者家族会が北朝鮮への経済制裁を訴える事に違和感を持つ。(#ご家族に対して、どれだけその心情を汲み取り、感情移入しているか?)

【答】 家族会の主張は当たり前、何もしない日本政府が異常。経済制裁は、①北体制へのインパクト、②国家としての意思表示、の意味において、3年前の9月17日直後に即刻発動されて当然の外交手段だった。制裁だけで完全解決する必要はない、結果的に効果が無かろうが(私はあると思っている)やらねばならない、制裁が交渉の出発点、相手国に殴られて制裁しない(=何も言わない)のは誤ったメッセージを送ることになる。日本大使館員がフジモリに接見しただけで駐日大使を召還したペルー政府に倣うべし(あれでペルー政府の見解は日本に明確に伝わったはずだ、いま断交して損するのはペルーであり日本は痛くも痒くもなくペルーも本気で断交する気はない、外交は国家の意思表示、いくら腹の底で怒っても相手に具体的に伝わらなければ無意味)。なお、この設問が“家族への感情移入”とセットになっている意味が分からぬ、私がきのう昼食とったレストランに物乞いに来ていたやせ細ったインディオの母子だって可哀想だがインディオの乞食よりも日本人の拉致家族を私は助けたい、しかし情だけが動機でもない、情よりもむしろ私はこの拉致事件に象徴される自分の属する日本社会の腐りゆく行く末に対する危機意識のほうが強い。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問2.例え拉致問題が解決しなくとも、今後、同じ出来事が自分の身に降り掛かるとは思えない。(#拉致問題を、どれだけ身近なものとして捉えているか?)

【答】 こういう板に投稿せず街頭署名も行わず集会にも参加せず大人しく暮らしてしていれば、自分が拉致被害に遭うことはまずありえない。だって日本人が合計百人拉致されたって確率は100万分の1以下だろ、宝くじより難しい。しかし拉致は北朝鮮の国家犯罪であり金正日体制が続く限り、自分以外の日本人の誰かが被害に遭う確率は100%だろう。拉致以外の北朝鮮の犯罪被害に遭う可能性はもっと一般的だろうし、すでに日本国家が甚大な損害を受けているわけだから(一部の加害者を除く)全日本国民が北朝鮮犯罪の被害者である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問3.小泉政権による対拉致問題への取り組みは、生ぬるいと考える。(#拉致問題に取り組むにあたり、急進的な思考に立脚した論考を積極的に行うスタンスにあるかどうか。)

【答】 「拉致はでっちあげだ」と言って犯罪者への阿諛追従を続けていた酔狂連中の息の根を止め、マスコミの北朝鮮タブーを壊し、多くの国民の目を覚ました功績は評価する。その後は何もしていない、どうもこのおっさん、最初にスペシウム光線出すわりに長続きしないな。ただし、彼個人への感情的な非難に私は与しない(興味ない)、本当の悪人はいま息を潜めている連中だろう、こいつらを公開質問状で、あるいは公開討論の場に引きずり出して袋叩きにできないマスコミや国民の甘さが情けない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問4.小泉政権による対拉致問題への取り組みが、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。(#政府の取り組みに対して、どれだけ信頼を置いているか?)

【答】 私にはよくわからないが、頑張っている人は頑張っているのだろう、きっと。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問5.国際社会における米国との連携が、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。(#他国との連携のあり方をどう考えるか?)

【答】 米国が金正日を潰すときは、正義感でも日本への同情でもない、それが米国の利益になると判断したときだ。その見通しが無い限り米国への安易な期待は禁物。国際連携は大切だが、米国に限らず他国との連携はまず、日本自身に北朝鮮へ圧力をかける意志と具体的戦略があり、連携を依頼する相手に圧力をかけられることが前提、単なる好意や同情や正義感だけで他国のNGOは動いても政府は動かない。米国が“独裁者フジモリ”をペルーから追放したときの経緯をご紹介する。米国が追放を決断した直接の契機は次の2点。
① フジモリがソ連製ミグ29戦闘機を購入したためロッキード、ダグラスなどの米航空会社のロビーが激怒したこと。
② ワシントンの防衛大学でフジモリが米国のコロンビア計画(クリントン政権が始めたコロンビアでの麻薬撲滅作戦。麻薬退治は口実で、実際は左翼ゲリラ退治と石油権益を狙った米国の軍事的、外交的、経済的権益戦略)を公然と非難したこと。
政権崩壊のきっかけとなったモンテシーノスの議員買収ビデオ暴露にはCIAが関わった。フジモリ潰しに送り込まれたトレドの資金バックにはジョージ・ソロスがいる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問6.北朝鮮問題は日本の安全保障としての核の問題が第一優先事項。ここで対応を間違うと数千万人の単位で被害が出るから。数十人、最大でも数百人の拉致被害は優先順位では二番目だ。(#現実主義的思考の度合いは?)

【答】 核も拉致も許されざる重大な国家犯罪。核は多国間問題、日本人拉致は二国間問題、核は将来の多数の犠牲者を救う問題、拉致は今とらわれ殺されかけている人間を救う問題、交通違反取り締まりと瀕死の怪我人の救助を、比較し優先順序を付けるものではなかろう、どっちもやれ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問7.拉致被害認定者である残り 11 人の帰還を以って、「拉致問題の解決」と考える。(#何を以って「拉致問題の解決」とするのか?)

【答】 生存者が全員帰還し、この国家犯罪の全容が解明され、犯罪関係者が適正に断罪され、再発のおそれが無くなること。泥棒が盗んだモノを返したら“問題解決”ではあるまい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問8.日本人拉致被害者のみならず、その他外国人の拉致被害者、また、北朝鮮国内における人権問題の解決も併せて目指していくべきだ。(#自国以外における北朝鮮問題をどの様に捉えているか?)

【答】 不肖未熟な私は、自分の子供たちを、決して優秀でなくとも良いからせめて人様に迷惑かけないようにと育てるだけでも手一杯だ、他人の子供までも面倒見られればそりゃ理想だが、自分の子供が無事育てばそのうち人様にも参考話を披露できるかも知れない。しかし同じ苦労をかかえた者同士で知恵を出し助け合うことは、いまでも可能だろう。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問9.北朝鮮の体制が崩壊しない限り、この問題は解決しないのでは?(#北朝鮮体制の現状に対する認識、体制崩壊への方法論)

【答】 体制崩壊は解決への早道だが金正日体制は意外に盤石だ、それを中・韓・日が支える限りしぶとく続くのではないか。金正日のピンポイント攻撃・拘束と拉致被害者の保護が難しいかぎり武力崩壊はリスクが大きすぎる。現実的には北朝鮮への経済制裁、総連の資産凍結、中国に対するODA停止、北を助け日本の足を引っ張る日本人・企業の糾弾・つるし上げくらいしか我々には手段はない。国交正常化→市場経済導入→独裁体制崩壊の筋書は、それが裏目に出た場合には最悪の結果をもたらす。リスクが少ないのが“締め上げ”と考える。国連決議もそれだけでは効果はない、北が最優先するのは他人の声よりも金体制の存続だ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問10.この運動をきっかけに日本の愛国心の高揚を図り、他の様々な問題に対しても応援に向かい団結していくべきである。(#「運動」のあり方に対する考え方、日本国においての拉致問題の位置付けをどの様に考えるか?)

【答】 これは戦術としても全く逆効果、“敵”につっこまれるだけ。“拉致問題はああいう連中がやっていること”としてレッテルを張り一般人の興味を引かせる。この拉致事件でにわかに高揚するような愛国心なら無い方が良い、敵愾心をきっかけに沸き上がる愛国心は危険極まりない、今の中国・韓国の愛国心を見れば明らかだろう。この問題で必要なのは周りの国・民族を包括する愛国心、それぞれの民族が自国を誇り大切に思うと同様に日本人は日本を大切に思うということ。我々の敵は北朝鮮の独裁者、中国の独裁政権であり、その国家権力に虐げられている国民ではない、叩くべき相手、手を組むべき相手を間違ってはならぬ(家族会の方はそのあたりを分かっているのではないか)。

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【拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問】

10個の質問への回答  蒼き星々掲示板への hashimoto さんの投稿

自分のなりの考えをまとめるのによい機会と思い、回答をしてみました。独り善がりかも知れず気後れしますが投稿します。判断の誤りがあれば指摘してください。

拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問への回答

1. 拉致被害者家族会が北朝鮮への経済制裁を訴える事に違和感を感じる。
回答②違和感を感じない事も無いが、心情は理解出来る。
(私自身には経済制裁の是非の判断がつきません。)

2. 例え拉致問題が解決しなくとも、今後、同じ出来事が自分の身に降り掛かるとは思えない。
回答③自分の身に降り掛かる可能性は十分にある。拉致に関わった北朝鮮工作員が、処罰される事無く現在も日本社会において根を下ろしている現状を考えるべき。
(様々な工作活動が日本社会を浸潤する恐れがあるのではないかと気になっています。)

3. 小泉政権による対拉致問題への取り組みは、生ぬるいと考える。
回答①生ぬるいと考える。拉致被害者に残された時間はそう長くは無い事を踏まえるべき。
(総連関係を含む対北問題全般の対応に不満。)

4. 小泉政権による対拉致問題への取り組みが、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。
回答①寄与していると考える。
(派閥政治という利権構造の温床に拠って私益と保身に汲々としてきた輩(含む社会党、共産党、外務官僚、財界人)の対北交渉に残した禍根の隠蔽と利権温存のために拉致問題は闇に葬られようとしていました。その旧来の体勢のままでは北朝鮮と堂々とわたり合えるわけがないと思います。
複雑な諸問題が絡み合う対北交渉はまだまだ道半ばだけれど、とにかく小泉政権になって進展が可能になったのは事実。
それにしても、当初は拉致問題・北朝鮮問題は門外漢だったらしい小泉さんのこれまでの対応には不満が残ります。熟知したであろう今後は、自身の思いを以て積極的に対峙してほしいものです。)

5. 国際社会における米国との連携が、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。
回答①米国と連携した北朝鮮への締め付けが、今後の拉致問題の進展に大きく寄与していく。

6. 北朝鮮問題は日本の安全保障としての核の問題が第一優先事項。ここで対応を間違うと数千万人の単位で被害が出るから。後略
回答③反対。核の脅しに屈して妥協することは北朝鮮の狙いにはまることでしかない。国家の尊厳を失うことは国家としての自殺なのだ。
(「国家の自殺」という表現は想定外で違和感がありますが、とにかく独裁政権の脅しに屈することは反対。国家の尊厳において自国民の人権侵害の回復に立ち向かうべきであり、国民もその覚悟が必要と思います。イコール戦争、と短絡に結び付ける以前の、人としての道理だと思います。国際社会に人権侵害を訴えるためにも必要な姿勢であり、それは、ひいては北の暴発の抑止にも繋がると思います。)

7. 拉致被害認定者である残り 11 人の帰還を以って、「拉致問題の解決」と考える。
回答③拉致の可能性が濃厚な特定失踪者を含めた残り 100 人以上に上る人々はどうなるのか。とても「解決」と考える事は出来ない。

8. 日本人拉致被害者のみならず、その他外国人の拉致被害者、また、北朝鮮国内における人権問題の解決も併せて目指していくべきだ。
回答①当然である。自分達だけ助かれば良いという考えは、道徳的にも国際的にも、到底受け入れられる事ではない。
(私にとって、最優先事項は『人間としての基本的人権』。次に『国家の主権と安全保障』です。しかし同列の被害者が各国に亘り存在するときは、やはり身内を先に助け出したいという心情が働きますし、国益という面で政府にもそう期待します。ですから回答の選択肢、<②(-前略-) 優先順位は考慮されてしかるべき。>も否定はできません。私の中の矛盾はここでぶつかり、折り合いをどのようにつけるか最大の難所のようです。人間誰しも、矛盾の中で悩みながら生きているのではないでしょうか。現実問題を前進させるためには納得できる折り合い点を探すことが大事だと思います。)

9. 北朝鮮の体制が崩壊しない限り、この問題は解決しないのでは?
回答⑤その他。
(設問に対してははっきり「そう思う」です。しかし、そのための手段(戦略)は、政治外交のど素人のため何ともわからないのです。ただ、回答3のように「ある程度で手を打って国交正常化」は絶対反対です。回答3の、後半のような形のレジームチェンジは見込まれるかもしれないけれど、もう長年耐え抜いている被害者と家族を考えると悠長なことは言ってられない、という思いが当然先に立ちます。
私としては、多くの政治・外交の専門家が正義の上に考え尽くした手段を実施するならば、その結果として発生するかもしれないリスクは国家の一員として甘んじて受け止める覚悟はある、と言うことしかできません。)

10. この運動をきっかけに日本の愛国心の高揚を図り、他の様々な問題に対しても応援に向かい団結していくべきである。
回答③反対。政治的なイデオロギーを持ち込むと運動の方向性が拡散するし、敬遠する人も出てくる。むしろリベラルな人でもこの問題には賛同するし怒りを覚えるという立場が大事。

(「愛国心の高揚を図る」こと自体に異存はありませんが、それと拉致被害者救出運動は別に考えるべきと思います。どういうイデオロギーの持ち主であれ、人権侵害を受けている被害者を救いたいと願う人間としての心情はみんな一緒だと思いますから。
私自身について言えば、この年(60代後半)まで自分は右か左かなど考えたこともなく過ごしてきましたが、この2、3年ネット上で様々な主張を目にして来た結果、自分のスタンスは右寄りではあるが、偏狭な国粋主義には組したくないという結論に達しています。ただ、自分のアイデンテイテイの拠って来たるところの日本という国を誇りに思うし、愛する国のよき構成員でありたいと願っています。私にとって誇りある国家とは、独自の文化を大事にしながら閉鎖的、排他的になることを戒め、国益の維持を第一義にしながら理想の国際社会に向けての理念をも追求する、そういう国家であってほしいと願っています。)

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【拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問】

【拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問】
蒼き星々掲示板 流 さんの投稿
引用
1.拉致被害者家族会が北朝鮮への経済制裁を訴える事に違和感を持つ。
(#ご家族に対して、どれだけその心情を汲み取り、感情移入しているか?)

 (1)とても違和感を持つ。
 (2)違和感を持たないことも無いが、心情は理解出来る。
 (3)この様な主張を行うのはある意味当たり前である。
 (4)拉致を解決できず、経済制裁が出来ないのは、私たちの力が足りないからである。申し訳ないと思う。
 (5)その他。

答え(2)
経済制裁がどのような効果を持ち、それが本当に拉致解決に結びつくかの検討が足りないと思う。
被害者家族の方々が北朝鮮に憎悪の念を持つのは当然だし、それに同調したい気持ちもある。
しかし、一歩引いたスタンスを持つ人間も必要だ。

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2.例え拉致問題が解決しなくとも、今後、同じ出来事が自分の身に降り掛かるとは思えない。
(#拉致問題を、どれだけ身近なものとして捉えているか?)

 (1)現実的に考えて、自分の身に降り掛かるとはとても思えない。今日において北朝鮮による拉致
が明るみになった以上、迂闊に工作活動を行う事は出来ないと考える。
 (2)何とも言えない。
 (3)自分の身に降り掛かる可能性は十分にある。拉致に関わった北朝鮮工作員が、処罰される事無
く現在も日本社会において根を下ろしている現状を考えるべき。
 (4)その他。

答え(3)
政治状況が変わり、拉致という手段を使うことは考えにくい。しかし、国家的テロリズムの
可能性はむしろ強まっているのではないだろうか。自分とその家族が家族会の方々と同じように
悲嘆に暮れる可能性はある。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

3.小泉政権による対拉致問題への取り組みは、生ぬるいと考える。
(#拉致問題に取り組むにあたり、急進的な思考に立脚した論考を積極的に行うスタンスにあるかどうか。)

 (1)生ぬるいと考える。拉致被害者に残された時間はそう長くは無い事を踏まえるべき。
 (2)何とも言えない。
 (3)生ぬるいとは考えられない。多少時間が掛かっても、着々と地に足の付いた取り組みを行うべき。
 (4)その他。

答え(1)この問題が人の命に関わる事を、小泉政権はきちんと考えるべき。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 4.小泉政権による対拉致問題への取り組みが、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。
(#政府の取り組みに対して、どれだけ信頼を置いているか?)

 (1)寄与していると考える。
 (2)何とも言えない。
 (3)寄与しているとは考えられない。
 (4)その他。

答え(4)
5人の被害者とその家族の帰国は、小泉政権でなければありえなかったと思う。
しかし、それ以後の動きは解決へのベクトルを失っているように思える。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 5.国際社会における米国との連携が、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。
(#他国との連携のあり方をどう考えるか?)

 (1)米国と連携した北朝鮮への締め付けが、今後の拉致問題の進展に大きく寄与していく。
 (2)逆効果、中韓と連携して融和政策を取るべき。
 (3)法整備も含め、日本単独で解決する道を探るべき。
 (4)その他。

答え(1)
北朝鮮からすれば、日本はアメリカと自国のクッションに見えているのではないか?
対アメリカ外交を進める上で、日本の拉致被害者はカードの一枚になっている悲しい現状がある。
それを逆手にとって、アメリカを悪者にして北朝鮮を懐柔する策も考えるべきだと思う。

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 6.北朝鮮問題は日本の安全保障としての核の問題が第一優先事項。ここで対応を間違うと数千万人の単位で
被害が出るから。数十人、最大でも数百人の拉致被害は優先順位では二番目だ。
(#現実主義的思考の度合いは?)

 (1)冷酷だがその通り。もちろん拉致被害者には同情するし解決して欲しいと思うけど…。
 (2)何とも言えない。
 (3)反対。核の脅しに屈して妥協することは北朝鮮の狙いにはまることでしかない。
    国家の尊厳を失うことは国家としての自殺なのだ。
 (4)その他。

答え(4)
我々が市民運動である限り、この問題に優先順位をつけるべきではないと思う。
まずもって、核の問題に対して市民ができることなんてあるのだろうか?
我々の目的は拉致被害の解決であり、そのための活動でいいと思う。

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 7.拉致被害認定者である残り 11 人の帰還を以って、「拉致問題の解決」と考える。
(#何を以って「拉致問題の解決」とするのか?)

 (1)拉致認定被害者が帰ってさえくるのであれば、「解決」と考えても良い。
 (2)拉致被害者の数は 11 人とは限らないかもしれないが、結果として妥当であると考えても良い。
 (3)拉致の可能性が濃厚な特定失踪者を含めた残り 100 人以上の人々はどうなるのか。
    とても「解決」と考える事は出来ない。
 (4)その他。

答え(4)
正直、自分の中に明確な答えがない。現在も思考中。

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 8.日本人拉致被害者のみならず、その他外国人の拉致被害者、また、北朝鮮国内における人権問題
の解決も併せて目指していくべきだ。
(#自国以外における北朝鮮問題をどの様に捉えているか?)

 (1)当然である。自分達だけ助かれば良いという考えは、道徳的にも国際的にも、到底受け入れられる事ではない。
 (2)もちろん、これらの問題が解決するに越した事は無いし、日本政府も取り組んでいくべきだとは思うが、優先順位は考慮されて然るべき。
 (3)まずは自国の拉致被害者を救出する事が先決である。あれこれ手を広げた結果、拉致被害者救出に支障をきたしてしまっては本末転倒である。
 (4)その他。

  答え(4)
どのようなスタンスが良いのか、まだ思考中。

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 9.北朝鮮の体制が崩壊しない限り、この問題は解決しないのでは?
(#北朝鮮体制の現状に対する認識、体制崩壊への方法論)

 (1)そう思う。アメリカに対する強力な外交カードを握って武力制裁に踏み切らせるしかない。
 (2)そう思う。でも中国と韓国がそれを許さないだろう。どうしたらいいのか分からない。残念だけど長引きそう。
 (3)ある意味そう思う。しかし拉致問題はある程度のところでいったん手を打って国交正常化を先に行うべきである。
北朝鮮に市場経済が導入され、不可逆的に日本への依存度が高まれば自ずと政治的自由を求める声が高くなり先軍独裁体制は
実質的に変化する。そのとき、拉致の解明は一気に進むであろう。
 (4)そうは思わない。このまま対話と圧力だ。圧力として経済制裁が必要。
 (5)その他。

  答え(5)
北朝鮮に感化(洗脳)されている可能性が高い拉致被害者が、体制崩壊の際にどのように動くのか予想がつかない。
一番恐れることは、体制の崩壊の混乱のさなかで証拠隠滅として殺害されること。
現体制のままで圧力をかけ続け、その結果として被害者が戻ってくるのが一番望ましいと思われる。
金体制崩壊は簡単かもしれないが、その後の混乱状態での策がない以上、リスキーな策はとって欲しくない。

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 10.この運動をきっかけに日本の愛国心の高揚を図り、他の様々な問題に対しても応援に向かい団結していくべきである。
(#「運動」のあり方に対する考え方、日本国においての拉致問題の位置付けをどの様に考えるか?)

 (1)その通り。拉致問題と他の国益に関する問題は直接は関係ないが間接的には関係している。問題は愛国心だ。
 (2)何とも言えない。
 (3)反対。政治的なイデオロギーを持ち込むと運動の方向性が拡散するし、敬遠する人も出てくる。
むしろリベラルな人でもこの問題には賛同するし怒りを覚えるという立場が大事。
 (4)その他。

答え(3)
リベラリストとして参加している以上、当然反対。
この板への書き込みが、最近かなり民青に近づいている。(排除、売国奴、裏切り者等々)
北朝鮮に妥協しないことは、北朝鮮に対して好き勝手な事を言うことではない。
自分自身と同じ考えを持っていなければ、拉致被害者の救出を願っていないわけではない。

代議制をとる日本であれば、政策への圧力は数の力に反映される。
狭量なナショナリズムが先鋭化し、大衆と乖離するならば、そんな組織は害悪である。

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2005年11月21日 (月)

三多摩市民集会 写真報告(2005/11/21)

立川アイムで行われた立川集会の様子です。
荒木さんは、いつもの歯切れの良い話し方で、小気味よいぐらいでした。
お話の中で、
<マスコミ関係者によれば、しおかぜの放送は平壌でもはっきり聞こえた。北朝鮮にいる被害者に聞こえてくれればと思う。しおかぜは12月には放送延長を考えている。来年末までには全ての拉致被害者を救出すると公約しておりますので、その為に全力を尽くす>と仰っていました。

みなさんもどうぞしおかぜ支援のカンパを調査会に送ってください。

森本美砂さんの訴えは、おねい様との再会を願う、双子の姉妹の思いがひしひしと伝わるお話でした。

集会の開催にご尽力なさった、立川の入倉ご夫妻、山本美保さんの家族を支援する会のみなさんほんとうにご苦労様でした。
追って、ぴろんさんがテキストにしてくださいます。私も少しお手伝いします。


  
 荒木和博特定失踪者問題調査会代表 


 
 全体



 真鍋貞樹特定失踪者問題調査会理事  



 森本美砂さん(山本美保さんの妹)         



 特定失踪者 大澤 孝司さんのお兄様

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埼玉県民集会(2005/11/19)記録写真

<埼玉救う会の方からご提供頂いた写真をご紹介します。

埼玉出身、県外出身で埼玉で失踪した特定失踪者を合わせれば、全国でも非常に多い数を数える埼玉。
拉致問題の解明には、埼玉の失踪者の問題を調査することが大きく寄与するかもしれません。
上田知事は、どんなに忙しくても、拉致関連の集会には10分でも時間を作って参加すると仰っていました。力強い支援をこれからも期待したいものです。

IMG SRC="http://blue.ap.teacup.com/star717/img/1132577815.jpg"BORDER=0>
 飯塚繁雄さん

 上田知事


 横田拓也さん 

 演台全体           


 真鍋さん
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三多摩市民集会1出席議員の紹介と挨拶

『出席議員の紹介と挨拶』 




※三多摩市民集会実行委員長天目石要一郎・武蔵村山議員による出席議員の紹介と議員の挨拶

★天目石要一郎氏(武蔵村山市議会議員)

皆様こんばんは。
今ご紹介を頂きました地方議員の会の天目石(あまめいし)と言います。
今回の会を開催知るに当たりまして、まずこの会がどういう経緯で開催される事になったかをちょっとお話させていただきますと、丁度この会場の後ろの方でタスキと言いうかしていらっしゃいます入倉さんご夫妻がいらっしゃいます。
この入倉さんご夫妻が皆さんおそらくご存知だと思うんですが、かれこれ丁度一年半ほど毎週土曜日に丁度立川駅の北口で、どうにかして山本美保さんを救出するんだと、横田めぐみさんを救出するんだと、ポツポツと署名(活動)をされていました。
そこで私が友人からこういう方がいらっしゃるよと言う事で聞いていて、僕も何か手伝えませんでしょうか?と言う事で入倉さんにお願いして一緒に細々とですけども、一緒に署名をさせていただいていました。

そしてこの地域でどうも何人もの方が北朝鮮に拉致されているんではないか?と言う可能性が高い方が何人もいるにも拘らず、この地域でほとんど話題になっていない。
そして皆さん余り知られていないと言う事で、どうにか改善をというか、地域の皆さんに関心を持っていただきたいと思って、今回の会を開催いたしました。
本当にご来場いただきましてありがとうございました。
そして今日、多くのこの多摩地域の地方議員・国会議員の方が駆けつけて下さいまして、この地域から拉致問題と言うことを真剣に取り組んでいこうと言う事でこれだけの方が集まってくれました。
お一人お一人に、一言自己紹介とメッセージをいただこうと思います。
是非そうしましたら、まず長島さんからお願いします。

★長島昭久氏(民主党 衆議院議員)

皆さんこんばんは。
この地域から選出いただいております、衆議院議員の長島昭久です。
ただ今、民主党の拉致問題対策本部の副本部長を務めさせて頂いています。
総選挙までは衆議院の拉致問題対策特別委員会の理事もさせていただいてます。
この問題に関らせて頂いて長いわけですけども、まだまだ出口の見えない、今も尚北朝鮮の圧制の中で苦しんでおられる人が、たくさんおられる。
私たちも、今安倍官房長官に代わりましたので少しは進展が見られるかなと言う思いも持っておりますけれども、今お話のありました山本さんを始め特定失踪者の方々も含めて、全ての方が生還されるまで全力で皆様と一緒に頑張っていきたいとこのことをお約束申し上げまして一言とさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★酒井大史氏(さかいだいし 東京都議会議員 自民党)

皆さんこんばんは。
ご当地立川市選出の東京都議会議員、坂井大史と申します。
私は都議会議員としてのライフワークとして、犯罪被害者の方の支援活動を行っております。
この拉致問題も北朝鮮と言う国家によるテロの被害に遭ったその被害者であると思います。
この方々の救出に向けて、そしてこの日本でもう一度生活を立て直していただく為に、微力ではありますけども全力をもって皆さんと一緒に活動をしていきたいと思っております。
皆さん一緒に頑張りましょう。
ありがとうございました。(拍手)

★守重夏樹氏(立川市議会議員)

皆さんこんばんは。
地元立川市議会の森重と申します。
長島さんの国会、坂井さんの都議会、そして私たち市議会と、立川の中では一本大きなパイプを通して市民の皆様方の声をそれぞれの国政・都政・市政へと全力で活動しております。
今日の拉致問題集会、一石を投じないと波が立ちません。
この波は本当に緩やかであるな、と思っておりますが確実に広がっている事は確かです。
どうかこれからも皆様方と一緒に頑張っていきたいと思いますので、皆様方も一生懸命頑張って行こうではありませんか。
宜しくお願いします。(拍手)

★梅田春生氏(立川市議会議員)

こんばんは。
私も立川の市議会議員で梅田春生と申します。
本日特定失踪者(問題調査会)の荒木和博先輩と真鍋さんが立川に来ると言う事で、私の民社党青年部時代の先輩でございます。
私もまだこの問題が、かなり皆さんにメジャーになってくる前に一緒に真鍋さんと荒木さんと共に、渋谷の駅前等などでプラカードを持って活動をして始めの頃はよくまいりました。
最近は少し大人しくなっているかなぁと思っております。
これからも長くなるとは思いますが微力ですが頑張っていきたいと思います。
宜しくお願いします。(拍手)

★太田光久氏(立川市議会議員)

どうも皆さんこんばんは。
地元の立川の市会議員の太田と申します。
先日は立川の駅頭で署名を致しました。
そしたら今日の集会のハガキを頂きまして、駆けつけた所でありますけれども。
立川では救援活動が大変遅れているという事で、お手伝いできる事があったらお手伝いしたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いしたします。(拍手)

★木野常男氏(昭島市議会議員)

どうも皆さんこんばんは。
私は隣の昭島市の市議会議員の木野常男と申します。
パフォーマンスの外交ではなく、経済制裁を含めた何かをやって行かなければならないのかなぁと思っております。
早く拉致された皆さんが元気で日本に帰れるよう、皆さんと共に頑張っていきたいと思います。
本日は参加をいただきましてありがとうございました。(拍手)

★渡辺眞氏(わたなべただし 日野市議会議員)

日野市議会議員の渡辺眞と申します。
日野市では古賀(俊昭)都議会議員を先頭に、私そして梅田市議会議員がこの一年半ほど日野の各駅、日野駅・豊田駅、そして高幡不動の駅で順繰りにもう30回近く活動を続けてまいりました。
私たちも北朝鮮に対する経済制裁をと言う事で市民の方々に訴えてまいりました。
日野市は今特定失踪者が、3人居る事になっております。
このまま小泉さんが大勝した勢いで日朝国交正常化などという事になってもらっては、被害者数百人が全然帰って来ないでそのままになってしまうと言うことを大変恐れています。
何とか拉致問題の全面的解決と言う事は、全員が帰ってくる事だと言う事を皆様方に訴えていきたいと思っていますし、小泉さんの暴走を何とか止めたいと思っています。
よろしくお願いします。(拍手)

★井上健氏(国立市議会議員)

国立の市議会議員の井上健です。
最初私の胸にこのバッジじゃなくて、ブルーのリボンですね。
それが私も付けはじめたのは平成15年からつけまして。
それ以来一時も離した事はありません。
どんな場所にでも必ず付けて行きます。
いつまでこれを付けて行かなきゃいけないのか?
何回こういう集会をやらないと北朝鮮から帰ってこないのか?
もう3年目になりますか。

日比谷公会堂でやったり、全国、あとは外務省に抗議に行ったり色々やりました。
小泉さんは対話と圧力、対話と圧力と言いながら対話も通じない圧力もしない。
いつまでかかるか分からない。
もし自分の子供だったら毎日眠る事が出来ないんじゃないかと思います。
そういう拉致された家族の皆さんの気持ちになって真剣に活動していかなければならないと思います。
対話と言いますけども元々犯罪国家で、産業と言えば、麻薬と拉致と偽札くらいしか産業が無いわけです。
そういう国とまともに対話しようと言うことが、最初から間違っているんじゃないかと思います。(拍手)
そういう面からも色々に真剣にこれからも取り組んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。(拍手)

★田中清勝氏(立川市議会議員)

立川の市議会議員の田中清勝と申します。
先ほど来お話がありましたように、私たちも市議会議員が今日4名来ております。
これ市民フォーラムと言う会派を組んでございまして、そしていて民主党の、私自身も民主党の党員なんですけども、長島さんが国会、坂井大史さんが都議会、そして4人の会派のメンバーが今日参加する。
これどういうことかと言いますと、やはり国の問題だけでは解決できないだろうと。
それと同時に都議会、更にはこの地元の市議会も一緒になって応援しなければ、今回の拉致問題は国の問題だけで解決できるレベルじゃなくて、我々の地方の方の皆さん地域の皆さんの一人一人皆さんの意思を国へまたは相手の国へ伝えなければいけないんじゃないかと。
そういった意味では一緒になって国とそして地方が一緒になって、この拉致問題解決しようと意気込みで今日は参加させていただきました。
どうぞそういった意味で皆さんと一緒に歩ませていただきますのでよろしくお願いいたします。(拍手)

★波多野正敏氏(武蔵村山市議会議員)

皆さんこんばんは。
私、武蔵村山市議会の波多野正敏と申します。
同様の議員でございますが同じ市議会の天目石、今回の実行委員長といいますか同僚でございます。
拉致問題でございますが、まず拉致の問題の解決なくしては、どなたかも仰いましたが国交正常化は有ってはならない事でございます。
それが第一の前提にならなければ小泉政権が、私も自民党員でございますが、これはおかしい事だと普段から思っております。
なんやかんや、先ほども言いましたけどもパフォーマンスだけで対話と圧力と言うけれど、一つもやってないのが現実でございます。
2度小泉総理は行きました。
それなりに成果はあったと思います。
ただ、その先を国交正常化一本に絞ろうとしているように感じます。
拉致被害者の救出が無ければ国交正常化はならない、というと言う事を私はお誓いを申し上げて挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

★関野杜成氏(せきのたかなり 東大和市議会議員)

どうもはじめまして。
私は隣町の東大和市議会議員の関野杜成と申します。
今回この拉致問題に参加させていただいたのは、隣町で一緒にやらせて頂いております天目石議員からの紹介でやって参りました。
私は詳しいことはまだ分かりません。
ただ、正直メディアで見ている内容とこういった勉強会で聞く内容と全く違うかなと、言う所は本当に思っております。
メディアで本当に、今日参加している皆さんが思っておられるか?
実際にやってきた方々の意見を聞いてどのように思うか?
その思った気持ちで国民・市民がもっと大きな声で、この三多摩地域で大きな声を上げる事が本当に必要だと私は思っております。
微力ではありますし、私も32歳という若さです。
これからドンドンと力強く行動で移さなければいけないと思っております。
簡単ではございますけども、ご挨拶とさせていただきます。(拍手)

★興津秀憲氏(国分寺市議会議員)

皆さん、こんばんは。
国分寺からやって参りました、興津秀憲と申します。
私はもっとシンプルに考えていまして、もし自分の子供が拉致をされたら、そう思ったらですね。
こういう活動をせざるを得ない。
つくづくと感じます。
心底思っています。
そしてこのことは国家的な犯罪であると言う事を、強い憤りを持って感じております。
皆様と共にですね。
微力ですけども、少しながら一歩でも前進して行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

★清水仁氏(甲府市議会議員)

山梨県甲府市の市議会議員をしております、清水仁と申します
今後ともよろしくお願いします。(拍手)

★再び天目石要一郎氏

皆様本当にありがとうございました。
あと実は会場であと何名かいらしていますので、お名前だけでも紹介させていただきます。
私と同じ武蔵村山の議員さんで須藤(博)議員、ちょっとご起立をお願いしたい。(立ち上がって会釈、会場より拍手)
府中の杉村(康之)議員、一生懸命今回の集会の準備で動いてくれています。(立ち上がって会釈、会場より拍手)
こういう多くの方たちの力で今回、こういう会を開催する事ができました。
少しでも皆さん、拉致問題に関して何かしら関心を持ってですね。
一日も早く、今度(集会を)開く時は「お帰りなさい山本美保さん」と言う事で会が開けるようにと、思っております。
是非お力添えをお願いいたします。(拍手)

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三多摩市民集会2 荒木和博さんことば(1)

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話 その1』

ご紹介いただきました荒木でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。

これからまず私がお話をいたしますのは、この拉致問題の全体というのをどう捉えるべきか?と言う事でございます。
先ほど各議員から大変熱心なお訴えがございましたけれども、この問題というのはやはり単にですね。
拉致被害者の方々、あるいはご家族が可哀想だからやるんだと、言うことではないと言う事でございます。
北朝鮮の拉致と言うのは昭和20年代からおそらく始まり、つい最近まで続いている事でございます。
おそらくは今北朝鮮が拉致をやめたという証拠も無いわけでございまして、これから先もやられる可能性はある。
そしてその対象となるのは、まぁ何の北朝鮮に関係の無いごく普通の市民であるわけでございます。
今日お話を後でされます増元照明さんのお姉さん、増元るみ子さんももちろん北朝鮮には何の関係も無い方だったわけですが、そういう方が犠牲になる。
と言う事でございまして、この問題は根本的には我々の安全をどう守るか?という事になるわけでございます。

昭和43年に富山県の入善町と言うところで失踪した女性で屋木しのぶさんと言う方がおられますが、その屋木しのぶさんも入善の実家に帰る前にこの立川の高松町の、この辺り完全に風景が変わってしまったので、元がどうだったのか分かりませんけれど高松町にあった美容院に勤めていました。
半年くらい勤めて、それから富山に帰って突然の失踪をすると。
我々はこの方については拉致の可能性が高いだろうと思っているわけですが。
あるいは立川の中で目を付けられていたと言うことがあったかも知れません。

・・・調査会HPより資料を引用・・・
http://chosakai.jp/index.html

氏名 屋木 しのぶ
失踪年月日 昭和43(1968)年1月中旬
生年月日 昭和23(1948)年1月27日
当時年齢 19
当時身分 美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
特徴
中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる。目がくっきりした二重でかわいい顔立ち。編み物、裁縫をするなど手先が器用。本を読むのが好き。
失踪現場
富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから
失踪状況
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。その後一切連絡なし。お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。平成16年9月30日、富山県警に告発状提出
・・・引用終了・・・

拉致される対象が例えば私みたいにですね。
年がら年中北朝鮮の悪口を言って歩いているような人間であれば、それはあいつはそう言う奴だからやられるんだろうというふうに思われるわけなんですけども。
残念ながらそういう人間はあまりやられる対象には入って参りません。
ですから私は人に言う時はですね、出来るだけ北朝鮮の悪口を言ってた方が安全になりますよと、(笑い声)言うふうに申してるんですけども。
本当にこの近くで特定失踪者としていなくなっている方、そして拉致被害者。
三鷹の市役所のガードマンであった方久米裕さんですとかございますけども、こういう方が基本的には関係があろうと。

政府認定の被害者でお一人だけ、この久米裕さんと言う方は昭和52年の9月に拉致をされておりまして、政府認定の拉致被害者の中では一番最初の被害者でございます。
で、この方は勤めていたのは三鷹市役所、まぁガードマンとして働いておられたので市役所の職員ではないんですが、お金を借りていたサラ金業者と言うのが現在の西東京市の業者でございまして、この人が在日朝鮮人で。
この人の所に北朝鮮から指示があって40代~50代の身寄りの無い男を捜して来いと、言うふうに言われた。
サラ金業者ですからお客のデータは持っているわけでございます。
そのサラ金業者、リ・シュウイチと言いますが自分のお客であった久米さんをですね。
誘い出して、そして騙して能登半島まで連れて行きまして、そこから工作員に引き渡すということをやりました。

実はこの事件は久米さんを工作員に引き渡して拉致をした後で、その連れて行ったリ・シュウイチと言う業者はですね。
警察に捕まりました。
これは泊まった旅館の女将がですね。
非常にどうもおかしいと、言う事で警察に通報いたしましてその事が元になって分かったんですが、結局この事件について警察は起訴をすることが出来なかったと。
で、リ・シュウイチという人物は今日本名で、今でも西東京市でごく普通の市民として暮らしております。
それ以降後何の罪も受けた事がございません。
拉致をした実行犯にも拘らず、何の罪も受けずに今でもごく普通に暮らしているわけでございます。

今日本政府が認定をした拉致の被害者と言うのは全部で16人、久米さんを入れて16人になります。
16人の方々が一体どうやって拉致というふうになったのか?と申しますと、大部分の方がマスコミが報道して、それによって明らかになったケースでございます。
久米さんの場合だけはちょっと特別なんですが、横田めぐみさんの事件は現代コリアに朝日放送の石高健次さんと言うプロデューサーが書いた物が発端になって分かりました。
アベック拉致の3件6人、今帰っていない増元るみ子さん・市川修一さんを含めて、後帰国しています地村さんご夫妻・蓮池さんご夫妻。
この方々についてはですね。
産経新聞の昭和55年1月7日のスクープで、明らかになりました。

それから原敕晁さんと言う大阪のコックさん。
中華料理屋に勤めていたかたですが、この方は拉致をされて、中華料理屋の店主が在日朝鮮人で、この人の所に北朝鮮から指示が来まして、やはり一人男を連れて来い。
言われて、自分の所に勤めていた原さんを連れ出して、そして宮崎から拉致をしたと。
この原さんに成り代わりまして辛光洙と言う北朝鮮の工作員が、原敕晁の名前のパスポートですとか運転免許証を持って行動しておりました。
この事件は辛光洙が韓国に入ったときに通報によって捕まりまして、明らかになったと。

それから埼玉県の川口出身の田口八重子さんですが。
この方の場合は大韓航空機爆破事件で金賢姫が捕まりまして、そしてその金賢姫が自白をしたと。
リ・ウネという名で呼ばれていた日本人の女性から、日本語とか日本の風習とかを教わりましたと。
それによって事態が明らかになりました。
もし金賢姫が自殺をしていたら、あるいは全く見つからずに逃げていれば、田口八重子さんが拉致だったと言う事は誰にも分からなかったわけでございます。

あるいはヨーロッパで拉致されました有本恵子さん、それから石岡享さん、松木薫さん。
この3人につきましては、石岡享さんが札幌のご実家に出した手紙で分かりました。
出した手紙と言ってももちろん平壌で手紙を投函してですね。
届くわけはない。
極秘にヨーロッパの人に頼んで、出国してから手紙を出してもらって、分かったと。

曽我さんなんかに至ってはですね。
誘拐犯である北朝鮮の方が、日本が何も言わないのに拉致だというふうに言ってしまうと、いうケースでございまして。
こう考えてまいりますと、今政府が認定している11件16人のうちですね。
日本政府の方が先に誰も知らない時に、これは拉致なんだ・北朝鮮がこういうことをやっているんだと発表したケースは実はただの一件も無かったという事になるわけでございます。
政府が発表したのが一件も無いのはどういうことかと言うと、今発表している16件以外にはるかにたくさんの人がやられていると言う、紛れもない証拠でございます。

我々色々全国あちこち回りまして、警察の関係の方とかあるいは警察のOBの方とかいろんな方からもお話を聞きますが、やはりですね。
各地に行きまして、「いや、実はあの失踪者の事件は拉致だと言うふうに思っていたんだけど、上に上げたら潰されてしまった」と、言うような話をですね。
あちこちで聞かされます。
それも国全体の構造の問題なんですが、この拉致問題について間違いなく日本政府は、はるか昔からこの事件のことを分かっていた、と言う風に思わざるを得ないです。
そしてそれにも関らず、国民に対して警鐘を鳴らす事もしなかったし、それに対する十分な対応もして来なかった。
それによって次から次へと拉致の被害者がまた出て行ったと、言う事であろうと言うふうに思います。

この問題と言うのは、ですから単にその時その時にたまたま起きた事件ではない。
北朝鮮のその工作機関の人間が、今度は特別拉致をやるかと言うふうに思ったわけではなくて、拉致をやるということ事態が北朝鮮にとって当たり前の事で、その当たり前の事のためにですね。
莫大なシステムを北朝鮮はこの日本の中を含めて構築したという事でございます。
皆さんは拉致と言いますと大抵はですね。
日本海側で、袋か何かを持ってですね。
待ち伏せをしていて来た人を捕まえて連れて行くというイメージが多いと思うんですが、そういうケースは実際はごくわずかしかございません。

これはどういうことかと言いますと、拉致の対象者と言うのはですね。
ほとんどのケースがず~っとですね。
その人に狙いをつけて、何ヶ月もの間ですね。
その人の行動パターンとか家族構成とか特技だとかそういうものを調べておいて、そして何らかの形で騙して連れて行く。
言うパターンがおそらく一番多いからでございます。

北朝鮮と言う国は自分で物を作る事をしません。
他人から皆貰ってきて物を作ると言う国なんですね。
前、新宿のですね。
焼肉店に行った時に、北朝鮮製のぶどう酒が置いてあったのを見たことがあります。
飲んだんですけども味も酷い味ですが、味よりびっくりしたのはこうやって皆さん見てですね。
ビンと言うのは左右対称である。(壇上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルを手にとってかざす)
当たり前の事でございますけども、そのビンと言うのは左右が対象になっていない。
曲がっているんです。
今時ですね、輸出用ですから。
輸出用のぶどう酒のビンがひん曲がっている国なんて、世界中でいくつ探してもそんなに滅多に見つからないだろうと思います。
これはいうまでもなくそれくらいの基礎的な技術力しかないという証拠ですね。

それくらいの技術力しかない国が何で核兵器を作れるのか?
何で物凄く精巧な偽札が作れるのか?と言う事でございます。
北朝鮮製の偽札と言うのは、今はスーパーK だとかスーパーXだとか色々ございますけども、非常に精巧に出来ておりましてアメリカの本物のドル札よりも良く出来てるんだそうです。
本物のドル札と言うのはアメリカ人いい加減ですから(印刷が)適当にずれていると。
北朝鮮製のドル札はずれが無いんだそうでありまして、そんな精密な技術と言うのは中々普通の国は持っていない。
どうしてそういうのは持っているんだ?
元々彼らが持っていた技術の中では絶対にありえないんです。
それは何処からか技術を持ってくるか、場合によったらば人を連れてきて作らせると言う事しか有り得ないわけでございます。

でそういうふうにする事を考えるとですね。
昭和40年前後に東京の東の方から千葉にかけて、印刷関係の方でいなくなっている方が何人もおられます。
もしこの方々が拉致であれば、おそらく間違いなく偽札を作る為に技術者が必要だったと、言う事なんではないだろうか?と言うふうに思っておりまして。
そういうふうにして連れて行かれた方というのはやはり少なくないだろうと、言うふうに考えております。
こういうふうにして連れて行かれた方々の数が一体どれ位になるかと言うと、おそらくどんなに少なくても100人以上で、おそらくはそれよりはるかに多い数。

一番最初はまずですね、この日本の中、おそらく立川にもいるんだろうと思いますけども、この地域は昔米軍の立川基地がありましたし、それから今でも横田の米軍基地があります。
そういう米軍の基地は拠点になってますから、この近くに必ず工作員の組織があることは間違いがありません。
そういう所にですね。
何人も拠点になる人間がいまして、で自分の知り合いの中で例えば日本人で北朝鮮に関心を持っている・北朝鮮が好きだという人で適当な人間がいた場合には、その人に話をして「どうだ北朝鮮に行ってみないか?」と言うふうに言う訳ですね。
で「分かった」と、「じゃあ行こう」と言えばこれが一番簡単です。
一番手間がかからない。

で、そういう人があまりいなかった場合には、北朝鮮に関心を持っているような人。
例えば北朝鮮の映画を観に来ただとか、なんかそういう集会に来ただとかですね。
そういう人を狙いをつけておいて、色々普通の話をしておいてどういう人かと言うのを確認したうえで、その人を例えばですね。
「ちょっと一月か二月の間北朝鮮に勉強に行って見ないか?」「ただで行かしてあげる」「ただし日本から北朝鮮に普通で入れないんでちょっと特別な手を使うから、任してくれ」と言うふうに言ってですね。
そして、行ってみたら帰れなくなったというケース。

これはあの1970年にありました、よど号事件のハイジャッカーのかみさん達ですね。
いわゆるよど号の妻たち、これがこのケースに当たります。
彼女たちも最初に行く時はですね。
北朝鮮にずっと住むなんて事は全く考えてないです。
ほとんどの人は行って暫くしたら戻るつもりでいたと。
そうしたら戻れなくなったどころか、よど号グループと無理やり結婚させられてしまったと。
ただ、彼女たちの場合はそれでもですね。
元々北朝鮮にシンパシーを持ってた人たちですから、じゃあそのままその気になってしまうと。
その気になってしまったので、問題が大きくなってませんけども、あれだって本人たちが「そんなはずじゃなかった、私帰る」と言い始めていればですね。
騒ぎになっていればあれは拉致と言う事は間違いは無いです。

で、そうやってある程度シンパシーも持っている人間もいなかった場合はどうするか?と言うと、騙して連れて行く。
この立川の街中だって簡単に拉致なんかできます。
人間関係、物凄く遠い人間関係、会ったことも無いような人であれば当然警戒をする。
それから物凄い近い関係であれば、周りの人にもこういう人知ってる?と言うことを言う。
出入りの業者くらいの人間関係、人であればですね。
会えば挨拶をして話をするし、また逆にですね。
例えば家族だとか近い人にこんな人がいるんだと言うことは余り言わない。

そういう人と、例えばこの立川でですね。
高島屋の前かなんかでバッタリ会う。
「丁度よかった」と「ちょっと仕事の話があるんですけど20分だけ時間を貸してくれませんか?」「すぐそこに事務所ありますから」と言って連れて来られて、例えばこの部屋でもそうですが、一端中へ入ってしまえば全くの密室です。
入った途端に当身を食らわされて気絶して、そして段ボール箱か何かの袋に入れられて台車に乗せられてですね。
で、運ばれる。
荷物として偽装してですね、運ばれてしまったら誰にも分かりません。
でワゴン車に詰め込まれてそして車で走ればですね。
日本海岸であろうが太平洋岸であろうが何処にもすぐに行く事ができると。
そうやって連れて行かれるという事でございます。

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三多摩市民集会3 荒木和博さんのことば(2)

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話 その2』

この問題についてはそういうような事をですね。
やはりいろんな日本の中でも情報機関と言うのが警察の公安とかだけではなくて、自衛隊にもそれから海上保安庁にも公安調査庁にも内閣調査室にも色々あるわけですけども、そういう中で少しづつは分かっていたんですが、それをですね。
明らかにして来なかったと言うのがやはり現実ではございます。
そしてそれだけではなくて、この国の中で拉致について、やはり隠蔽しようとして来た。
いう事をですね。
日本の政府がやっていたんではないか?と思わざるを得ません。

その一つが後で双子の妹さん、森本美砂さんがお話をされますけれども昭和59年の6月4日に、山梨県甲府市のご自宅を出て失踪した山本美保さんでございます。
この山本美保さんの事件は59年の6月4日にですね。
図書館に行ってくると言ってご自宅をバイクで出られました。
二日後に甲府の駅前でバイクが見つかる。
そしてその二日後に新潟県の柏崎の海岸で、山本美保さんのセカンドバッグが見つかります。
その後全く消息が無いという事件でございまして、我々としてはこの事件は色々な状況・他の事件との関連を考えまして拉致の可能性が極めて高い、言う風にして発表をしておりまして。

そしたら去年の3月になりまして山梨県警が発表してですね。
この山本美保さんの事件、失踪して15日後にですね。
山形県の遊佐町の海岸に漂着した遺体が、骨髄のDNAの鑑定によって山本美保さんであることが分かった、言う事を発表を致しました。
それによって大変我々もショックを受けたわけでございます。
ご無事でお会いできると思っていた山本美保さんが亡くなっていたのか?と、言うような思いもしていたんですが、その後ですね。
調べて参りましたらばどうも様子がおかしい。

これも今日も中心になって活動をして下さっております山本美保さんの同級生の会の方々が、一生懸命に色々調べて下さってですね。
いろんなことを総合して来ると、まず体型が全く違うと。
非常にその遺体の方はやせた体型であって、ぽっちゃり型の山本美保さんとは全く違う。
そして着ている物も、全く見た事が無い物であると。

で、そもそも柏崎の海岸にですね。
バッグを置いて自分で入水自殺をしたとしてですね。
そこから13日でですね。
失踪して17日ですから、柏崎から13日で遊佐の海岸に届くとは考えられない。
様々なことを考えていくとまずですね、これは有り得ない事であるとしか思い様が無い。
しかし警察は今でもこの山本美保さんの事件はDNAが一致したと言うただ一言だけで、もうこれで終結したかであるかのような事を言ってるわけでございます。

更にそれより前にはあの9・17の北朝鮮が拉致を認めた時に、日本政府はですね。
被害者家族の皆さん、今日お見えの増元さんなんかもそうですけれども、これに対しまして何とかして、要は拉致問題を終わらせようと言う思いでですね。
本当に亡くなったと言う事の確認もしないで「亡くなりました」と「間違いありません」と言うことを伝えております。
その時北朝鮮側からはいつ死亡したかと言うことの一覧表も出てるんですが、逆にご家族が「じゃあいつ亡くなったんですか?」と聞いても「分かりません」と答えると。
あの分かってるんです。
分かってたのに、「分かりません」と答えてる。
後で国会の質問の中でその事を問いただされて、外務省は「翻訳に時間がかかった」と言う事を言っております。

A4の紙、わずか3枚です。
私が翻訳したって5分で済みます。
それを6時間もの間少なくとも家族に伝えなかった。
後で新聞がリークをして明らかになったと言う事件でございまして、こういうこと全てがですね。
やはり拉致問題を終わらせようというような動きの中で起きているのではないか?というふうに残念ながら考えざるを得ません。
そのような懸念は今も常にございます。

我々自身もそういう意味で言うと単に国をですね、「頑張ってくれ」と言うだけでは済まない。
やはり間違っている事については厳しくですね。
正して行かなければいけない。
と言う緊張関係が絶対に必要であるというふうに思っている次第でございます。

今日本政府がやっている拉致の解決の仕方と言いますのは、どういうことをやってるかと言いますと、警察が捜査をしてそして証拠が集まったという者に関しては内閣へ渡してですね。
内閣が認定をする。
そして認定をした者を今度は外務省が北朝鮮に交渉をすると、そういうやり方でやっているわけでございます。
しかしこのやり方でやってますと、拉致被害者の方はほとんど皆北朝鮮で死んで行かなければなりません。
生きて帰ってくる人はおそらくほとんどいないだろう、言うふうに思います。

警察の捜査と言うのはもちろんそうして貰わなきゃいけないんですけども、法と証拠に基づいて。
証拠もないのに捕まえられたらですね。
これはたまらない訳で、当然証拠がなければいけない。
しかしそれは逆に言えばどういうことかと言うと、昔の事件なんか分からないと言う事です。
山本美保さんが失踪した昭和59年の6月4日、皆さんこの中でですね。
まだお生まれになってない方もおられるかもしれませんが、生まれておられた方でも昭和59年の6月4日に何をしてましたか?言うふうに言われてですね。
私は朝に何を食べて、昼はここに行って、夜はここで一杯やったと。
そんな事が説明できる人がいたらですね。
それだけで十分に飯が食えるわけでございまして、そんな事できるはずが無い。

ところがそれが分からないと中々ですね、警察としては認定をするところまで持っていけない。
そしてつまり全体の中でごく一部の人だけが認定をされるという事になり、その認定をされた者をですね。
今度は持っていって、内閣で「じゃあこの人は間違いありません」と警察が言ったとしても、今度は政府が「いや、しかし日朝国交正常化をやりたい」「それのハードルを上げたくない」
あるいは人数が増えるとですね。
「北朝鮮が硬化する」とか何とか言って、中々ですね。
これを拉致の認定をしようとしません。

田中実さんを認定したのは今年の4月ですけども、田中実さんについては警察は去年の段階から内閣の方に出しておりまして、これはもう一人別の小住(健蔵)さんと言う人と一緒にですね。
拉致認定するべきだと言ってたんですが、政府が認定したのは今年の4月なんです。
田中実さんの認定の前には9・17の後で、曽我ひとみさん・ミヨシさんとか、石岡さん、松木さんなんかを認定した時からですから、2年半経ってやっと一人です。
このやり方でやってますと、ともかく100人で200年くらいかかっちゃいますね。
とても間に合わない。

そして今外務省が話し合いをすると言ったって、ただ話し合いをするだけです。
経済制裁も何もしていません。
経済制裁はどういうふうにやるかと言うと北朝鮮側にその意思を代えさせるという事にあるわけでありまして、話し合いで「分かりました、返します」と言うふうに言う人であればですね。
相手であれば、そもそも拉致なんかするわけが無い。

そしてこの問題はですね。
もし北朝鮮の中のテログループとかゲリラとか、そういう者が拉致をしたんであれば北朝鮮の政府と関係を良くして、そして北朝鮮の政府に取り返してもらうと言うことも出来ますが、話してる相手が犯人なんですから。
それにですね、どうかゆっくりお話をして「返して下さい」なんて事を言ったって、返してくれるはずがありません。

今年の6月に参議院の内閣委員会の質問の中にですね。
これに細田官房長官が答えて「どうやって取り返すんですか?」と聞かれてですね。
「それは相手方の国の政府で、そこにいる訳だから相手側とゆっくり話をしてですね、そして分かりましたと、おりましたと、返しますと言うまで粘り強く話し合いを続けます」
と言うのが官房長官の答弁でございまして、これはつまりどういうことかと言いますと、逆に言えば「我々は絶対に拉致被害者を取り返さないぞ」と言う決意を、国民に向けて示しているのとほとんど同じ事、でございます。
ですからその対象と言うのは今拉致されている人だけではございません。
もし皆さんのご家族が拉致をされたとしても、その拉致された人をこの国の政府は助けないと言う事でございます。
ですからこの状況を変えていかなければならないという事なんですね。

時間がありませんので、後いったいどうすれば良いのか?と言うことだけお話して終わりたいと思います。
今警察がやって内閣が認定してと言うこのやり方だけではどっちにしても間に合わないわけでございまして、情報をとにかく収集していかなければならない。
本当はCIAのような情報機関があってどんどんやっていかなければならないし、我々もそれを各党に要請したりしておりますけれども、まぁ待ってるわけにも行かない。
取りあえずは我々特定失踪者問題調査会で出来ることは限られておりますが、その真似事をやりながらですね。
方向性をそっちに持っていこうと考えております。

今の日本だって、各情報機関の情報が一緒まとめられれば、かなりの事が分かります。
そういうことをやりながら、どこにいったい誰がいるのか?と言うことを特定していって、そしてその上で北朝鮮の体制の崩壊へ誘導していく。
それは日本の力で、経済制裁を始めとするいろんな物を使えばですね。
別に戦争をしなくたって十分に成し遂げる事ができる。
向こうの体制が崩壊すれば北朝鮮の2000万の国民も、それから最近話題になっておりますタイ人の被害者とか、そういう方も皆助ける事ができますので、そこへ何とか持っていくというふうにしたい。

その後これを助けに行かなければいけない訳でございます。
それももう準備をしておかなければいけません。
助けに行くのは誰がいくか?と言えばそれは当然自衛隊が行くべき事でありまして、それ以外場合によっては危険になるかもしれない所に行かせられる者というのは有り得ない訳でございます。
そのために我々は年間数兆円の税金を払って自衛隊を維持をしている訳でございますから、そういうときには当然使うべきであろうと。
私自身も予備自衛官ですから、その時はぜひ一番最初に連れて行ってもらおうというふうに思っている次第でございます。

で、ともかく今ですね。
北朝鮮の体制の中は相当緩みが出ております。
いつ何が起きるか分かりません。
で、ぼ~っと待ってて事態が来てから準備しようなんてことはとても間に合うはずが無い。
今からでも出来ることは全てやっておかなければいけないというふうに思っております。

この会場でも流していただきました短波放送をこの10月の30日から始めました。
先ほど増元さんに聞いた話ではマスコミの方からですね。
平壌でも聴こえたと、言う話だそうでございまして、ともかくラジオで何とか聴いててくれれば向こうの被害者の方には通じるかなと言うふうに思っておりますし、直接ご本人が聴けなくても誰かが聞いたものが風の噂でも伝わってくれればと思っております。
この放送を12月中に時間を延長いたします。
より聴ける機会をとにかく増やしていきたい、と言うふうに思っておりまして、とにかく我々の手で出来ることはすべてやりたい。
私自身は来年の末までに全ての拉致被害者を救出すると言うことを公約を致しておりますので、そのために全力を尽くして参りたいというふうに思っております。

こういう物をやりながらも、とにかくこの国自体がですね。
世界中から見れば拉致の事に関して非常に積極的になっていると見えているのは事実です。
我々中にいるものは非常にまだるっこしいですけども、世界中から見れば非常に前に進んでいると見えております。
この国の力からいえば、拉致問題なんか解決できないはずはございません。
北朝鮮は日本と比べればはるかに小さい、そして国際的な信用も無い国でございまして、この世界第2位の経済大国である日本が北朝鮮にですね。
拉致をされたまま、いつまで経っても何も出来ないなんてことは絶対に無いんです。
この国民にはその力がございます。
そしてその国の力を動かすのはここにお集まりいただいた皆さんでございます。

皆さんの声がこれまで政府を動かしてまいりまして、ともかくは5人とその家族を取り返すことが出来ました。
もう少しやっていけば私は全ての人を取り返せると思います。
3年前の10月15日に羽田空港のタラップの下で降りてくるあの5人を見まして、私が一番最初に感じた事は「何だ、やれば出来るじゃないか」と言う事でございました。
やれば出来ると確信して、それまで運動をやってきた私でさえ本人たちを見てですね。
やれば出来るんだということを実感した。
我々にはその力がございます。
その力を我々で、本当に現実の物としてそして全ての方を無事取り返す。
言う所まで行こうではございませんか!

今後ともご協力をお願いしまして私の話を終わります。
ありがとうございました。(拍手)

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三多摩市民集会4 森本美砂さんのことば

山本美保さんの双子の妹・森本美砂さんのことば

今日は平日の大変お忙しい中を、お集まりいただきましてありがとうございます。只今ご紹介頂きました、山梨から参りました、森本美砂といいます。

私の双子の姉・山本美保が、21年前、「図書館に行ってくる」と言って、いつものように、バイクで出かけて失踪してしまいました。その日帰ってこなかったんです。

ほんとに何気ない言葉で出かけて行って、いつものようなバックと服装で、とてもその日帰らないような感じではなかったんです。
夕方から、ファミリーレストランのバイトが入っていまして、そのバイト先から「今日来ていない」という話があって。。姉が無断でバイト休んだり、無断で外泊するような姉ではなかったんです。

実はその頃姉は二十歳で、大学受験に向けて勉強しておりました。
というのも私達が高校三年生のときに、二つ上の兄が、突然バイクの事故で亡くなるという不幸に見舞われました。そういう意味で何の心配もない家族の幸せが一気に不幸のどん底になりまして、両親の嘆きは大きく、特に母は、ほんとに生きる気力がないほど、大抵無気力で暮らしているのが、丁度私達が高校三年生の秋だったんです。

その暗くなってしまう家庭をどうにか変えたいという思いが、姉にはあったんだと思います。

「東京の大学を受けたい、力試しに受けたい」と言って、見事日本女子大学に受かるんですが「丁度兄を亡くしたばっかりのときに、一人で東京になんか行かないで」と私を含め家族三人で反対してしまったんです。そのことをずっと今でも後悔しています。「あの時行かせてあげれば、姉はこんなことにならなかったんではないか」と言う思いをずっと抱えて生きてまいりました。

でも二十歳になった姉は、一旦は山梨の高看=高等看護学校のほうに進みまして、ワンゲルなんかで山登りをして青春を謳歌していたんですが、やはり大学進学の夢があきらめきれず、「もう一度挑戦したい」と言って大学受験のための勉強をしているそう矢先だったんです。

ですから自分の目標を定めて一生懸命頑張ってる、時だったんです。

だから失踪する理由なんてありません。

2日、3日と連絡がないまま、母は、胸がつぶれるような思いで連絡を待っていたんです。そして、4日後に柏崎の海岸にかばんが落ちているということで柏崎署から連絡をいただきました。もう、どんな思いで両親が、飛んで言ったかと思うと、今でも胸が痛みますけれども。

当時警察官だった父は、最悪の状況を考えていました。多分、事件・事故に巻き込まれているんじゃないかという思いがあったんですけれども。丸二日間、柏崎で方々探したんです。佐渡に渡っているんじゃないかと、汽船所の乗客名簿を探したりして。でも何の手がかりもないんです。

そして、約半年後、無言電話が入るようになりました。約四年間続くんですけれども。

中にはすすり泣くような声まで聞こえて<美保ではないか!>と必死で呼びかけたことを覚えていますでも、その無言電話も4年ぐらい立つうちになくなってしまいました。

その時に警察のほうにも捜索願を出しておりますので、各県で身元不明の遺体なんかがあがると連絡が来るんですね。本当に、身も凍えるような思いで母はその電話を取るわけです。大体、血液型が一緒だったり、女性と言うことが一緒だったりすると、電話があるんです。

当時、あの当時で3件ほど電話がありました。一つは富山県のほうのご遺体、もう一つは東京都内のご遺体でした。そんなこと姉とは一致したくありません。でも、歯の歯形が違う、足のサイズが違うということで、「違います」ということで、もう、ほっとしたことを覚えていますけれど。

さきほど荒木先生のほうから、詳しくお話がありましたが、まぁ、いろんな状況から美保はやっぱり拉致の可能性が濃いと思っております。

昨年の3月に突然山梨県警のほうから「イヤ、実は21年前に山形県遊佐町で上がった水死体がそうですよ」と言われたときには、もうはじめは捜査をした結果そうであれば、「20年間私はとんでもないことをしてしまった。美穂を本当に冷たい土の中に放っておいてしまったんだ」と本当に(胸を)苛まれたんですけれど、でも、いろいろ調べていくうちに、やっぱり、変なことがたくさんあるんですね。

もし姉だとしたら、姉と一致するものが出てくるはずなんです。
でも、のちのDNA鑑定に使った山形に残っていた骨髄、0.15グラム、本当に微量な、一グラムもない微量な骨髄の粉末です。

これは、たまたま当時の山形大学に残っていた。鍵もかかっていないんです。誰が触って、何処に持ち出そうとも自由になるような机に、無造作においてあったものなんです。「本当に21年前の山形の骨髄なんですか」と私が疑いを持つような、そういう保管の仕方でした。それを山梨県警が山形の大学から持ってきて、それで私の血液と鑑定したんです。

私の血液を提出したときは、「あらゆる捜査をします。もしかしたら国内で亡くなっている場合もあります。それは多分ないと思いますけれども。」という言い方をして「あらゆる捜査をしますので、血液を提供してください」ということで、提供しました。それも父が病床に倒れ、余命いくばくもないという病院の中でした。
ですから私はいろんな資料を警察サイドでチェックすることができなかったんです。とても動揺していましたので。
でも父の看護をしながら、「姉の行方がわかるんであれば」と思って提供した血液がとんでもない使われ方をしていたんだと思います。約半年以上、警察はその血液を持っていました。科警研で検査、鑑定したそうですが、結果がはっきり得られなかったということで、約半年後、名古屋大学に持ち込むんです。その間も、(骨髄と血液は)ずっと警察サイドにあったわけなんですよね。

そして昨年の3月4日。
私は「山形のご遺体と私の血液をDNA鑑定します」とは一度も聞いたことがないんです。ところが警察のほうは「4度も伝えた」と言い張るんですね。その伝えたと言う場所が全部私が一人で対応した時だったんです。だから私が<聞いていない>と言うことを、証明してくださる方がいらっしゃらない。

「あ、やられた」と思いました。
山梨県警でずっと仕事をしてきた父が生きていれば、<こんな事にはならなかった>と、今でも、思っております。

それがとても残念で、悔しくてたまりません。

それでも、本当に美保と一致するものがあれば、私は真実として受け入れるんです。

真実はもっと重く家族にも、いろんな人にも、重く響くものだと思っております。


でも、そのご遺体が美保という、姉であるという事実を私になんら示してくれないんです。
先ほど、荒木先生がおっしゃったように、ご遺体の(不明上着?)は全く姉のものではありませんでした。

私、結構いろんなものをとっておくほうなんですけれども、「白いネックレスをしていました」 というそのネックレス(ネックレスという白いもの)が全部家から出てきているんです。見た事もないジーパンをはいていて、見た事もない白いネックレスをしていて・・そういうご遺体だったんです。

むしろ、そのジーパンはとっても珍しい、皮を施した、皮を前のポケットと後ろの方に貼り付けてある、縫い付けてある、とても変わったジーパンで、支援者の同級生が、ほんとうに隈なく探してくれて、もしかしたら、フランスのジルボー社というところで作られたものではないか?、もしかしたら、1万5000円ぐらいする高級品であると言う所まで、突き止めてくれたんですが、まだちょっと断定できないんです。どちらにしても、私は国内で見たこともないようなジーパンをはいていたご遺体だったんです。

さきほどお話があったとおり、体のサイズもまったく違っておりました。当時二十歳の私も姉も、もっとぽっちゃりしていまして、今より5キロも太っているんですけれども。ご遺体の身につけいた下着は、とても当時の私や姉も身につけられないような小さな細いものでした。一つ一つが全部違うんです。

そして、先ほどお話がありましたけれど、そして姉の失踪から17日間、又、かばんが見つかってから13日間では、とても行けそうもない山形の遊佐町で見つかりました。またそのご遺体の写真も、母は見られませんでしたが、私は思いきって見ました。それが姉の最後の姿であるならばと。

でも、男性も女性もわからない、ましてや姉の姿のかけらも見あたらない、本当に頭は白骨化しておりましたし、体の方は脂漏化と言って、たぶん長く水に浸かっていたせいで、もう、バーンと腫れ上がって石鹸状態になるんですね。それが、『たった13日間ではなりません』と専門家の方が仰いました。
もう2万体という水死体監査している上野正彦先生と言う方ですけれど、原作本がドラマになった方ですけれども。2万体という水死体を専門となさっている監察医の方です。その方にもいろんな情報をお伝えして、資料を見て頂きましたけれど、『二十歳の人の歯が、たった13日間で13本も抜けません』とはっきっり仰いました。

そういう一つ一つが姉ではないと言うことを、私に、家族に。示していました。

ですから私は意地を張っているわけではないんです。
真実を示して頂けるんであれば、私は姉の真実を受け入れるんです。

それを、どうかみなさんご理解頂きたいと思います。


荒木先生が流してくださっている<しおかぜ>を私も聞きました。
とても暖かい言葉で、もう胸が詰まりました。
その中に美保の名前も入っております。
その声が美保に届いていると思っています。
美穂の真実は、やはり北朝鮮を探すしかないと思っております。

家族は、家族に会いたいだけなんです。何の政治的なことも、いろんな社会的な情勢も、何を訴えることもないんです。
只家族は家族に会いたい。ただ、共に生まれて共にすごした家族に会いたいとただ言っているだけなんです。それは、私も、これからお話になる大澤さんも、増元さんもそうなんです。いろんな政治的な運動をしているわけではないんです。共に同じ両親から生まれた家族に、会いたい。

二十歳で失踪した姉。
私、今41をすぎたんですけれど、姉と過ごした日々よりも、姉を失った日々の方が長くなってしまいました。

そんな事ってあるんでしょうか?

今ぱっと合ったら、姉ってわかるんだろうか。まぁ、双子ですから、こんな顔をして元気でいると信じてるんですけれども。家族に会いたいという気持だけで、みなさまにわかって頂いて。。。

そう言う家族が、まだ日本国中に400人以上います。400人以上の家族が『家族に会いたい』と、声にならない声で叫び続けております。

ここまで拉致問題、特定失踪者問題が、発展してきたのも、いろんな皆様の声を政府にあげて頂いて、そして世論の力でここまできたんです。

どうかその声を緩めないでください。

特定失踪者も含めた、全拉致被害者が日本の土を踏んで、家族の元に返るまでどうかお力をお貸し頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

また、今日この会を開いてくださいました、同郷というだけで本当に大きな力をくださいました入倉さんご夫妻に感謝を申しあげ、また、お忙しい中集まってくださいましたみなさまに感謝申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

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三多摩市民集会6 大沢茂樹さんのことば

『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)のお話』

ただ今、紹介にあずかりました、私特定失踪者・大沢孝司の兄で大沢茂樹と申します。
本日は山本美保さんの家族を支援する東京支部の入倉様のご縁を頂きまして、私までこの三多摩集会に参加させていただきまして本当にありがとうございます。
入倉様には厚く感謝いたします。

私は今「北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会」の東京都議会の古賀先生。
また日野市会議員の渡辺先生そして梅田先生、並びに日野市救う会での合同での街頭署名での、隣の日野・高幡不動・豊田駅で定期的に行われている街頭署名に、私の出来る限り時間の許す限り私も出席させて頂き、私の弟の拉致の内容等もお訴えさせていただいておりますが。
このようにして立川市民の皆様にお会いするのは初めてで、おそらく私の弟の拉致の内容についてご存知の方はおられないと思いますので、簡単ではございますが、弟が失踪した時の状況よりお話をさせていただきます。

私ども兄弟は3人兄弟で、一番上の兄は新潟県の巻町と言うところで家業の跡を継いでおります。
私は次男で今現在横浜市瀬谷区で在住しております。
拉致されたのは一番下の弟、孝司でございます。
弟孝司は昭和49年の2月の24日、今から丁度31年前でございますが。
新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7~8キロしか離れていない、トキ保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが残っている者でございます。
新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に赴任中の事件でありました。
また、曽我さんたちが拉致される約2年半前の事件であります。

私の弟のように忽然と行方が分からず、今特定失踪者問題調査会・荒木先生のところに調査以来が出ている方々は450名おられると聞いております。
そのうち私は実際に北朝鮮に拉致されている方々は何名おられるのか想像も付きませんが、北朝鮮を研究している先生方のお話によりますと、少なくても100名から200名は拉致されているのであり。
今日本政府が拉致認定している11件16名よりまだまだこんなにたくさん、特定失踪者の方々が拉致の疑いがある方がいられることを知っていただきたいと思っております。

日本政府の拉致の取り組み状況は、昨年の暮れ、北朝鮮が突然の核の保有宣言と。
横田めぐみさんの遺骨のDNA鑑定は日本政府が捏造した物と、北朝鮮がコメント以来硬直化し足踏み状態となっていましたが。
今月の3日、約1年ぶりで日朝会談が再開され大きな期待を私は抱きましたが、残念ながらまた物別れの状態となりました。
小泉さんは何回北朝鮮からこのように侮辱を受け馬鹿にされれば気が済むのでしょうか?
このままでは拉致被害者は皆殺しの状態になってしまうと思います。
一刻も早くこの拉致問題を終結するには、もう北朝鮮との話し合いだけでは無理だと思います。
小泉首相から一刻も早く経済制裁の発動をしていただき、この拉致問題を解決しなければならないと思っております。

それには更なる皆様方のご支援と日本政府に対するバックアップが必要であり、それをここにお願いしまして、はなはだお粗末ではございますが、私の訴えとさせていただきます。
皆様、どうかご支援の程をよろしくお願いします。(拍手)

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三多摩市民集会7 参加政治家から

『梅田俊幸 日野市議会議員、渡辺眞 日野市議会議員による日野市の救出活動報告と拉致の実情報告』

★梅田俊幸 日野市議会議員

ご紹介を頂戴しました、私日野市議会議員の梅田俊幸と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
そして横にいますのが同じくご紹介を頂戴しました渡辺眞(だたし)日野市議会議員でございます。
私たち日野市での活動を少しだけご紹介をさしあげたいと思います。

昨年の平成16年8月の3日から日野市においては、皆様良くご存知の東京都議会議員・古賀俊昭、地方議員の会の副会長をやらせていただいておりますが、を中心に今ご紹介を頂いた私と隣の渡辺日野市議。
そして私たちの地元での支援者を中心とした救う会日野の有志と言う形で、日野市にはJRの駅が二つ、そして京王線の主要な駅が高幡不動と言う駅があるんですが、その3つでですね。
順次、順番に署名活動そして募金活動を去年の8月3日からやらせて頂いております。

そして去年はですね。
8月3日からやっておりますので1235名の署名、そして12万とび366円の募金が集まりました。
そして今年に関しましても1月の3日、高幡不動の駅前から始めまして、先日の11月の11日まで豊田の駅前でやらせて頂きました。
集計が2427名の署名、195・530円の募金が集まりました。
そして去年と今年、合わせまして3662名の署名、315・896円の募金が集まりました。
街頭に立ちまして3人を中心にお訴えをさせていただいております。
今、前に拉致被害者の家族の方のお話と言う事で大沢さんがお話になりましたが、度々一緒に参加しておりまして大沢さんの熱いお訴えをですね。
街頭の方にも聞いていただいて、署名活動そして募金活動を協力を頂いているような次第でございます。

先ほどからお話を聞いておりますと、政府は何をやってるんだと言うようなご意見が多いとは思いますが、やはり私たちに出来ることは国民全体で国全体でこの拉致問題を解決しよう。
より多くの国民の方市民の方にこの拉致被害の実態を知ってもらうって事が、私たちに出来る協力じゃないかな?と言う事で、政府に対してバックアップする意味でもですね。
逆にバックアップをしなければ解決しないと思いますので、そういう意味でも署名活動を通して今の拉致問題の状況、そして先ほど大沢さんが申しましたように、私たちが住む日野市においても3人の拉致被害が濃厚な方がいらっしゃいます。
後ほど隣におります渡辺さんよりご紹介をさせて頂きますが、この同じ市内に住んでた方が3人も拉致被害に遭われている。
そういう疑いが濃厚であると言う方がいらっしゃると言う事を、同じ市民の方にも幅広く知ってもらいたい。
そういう言う気持ちが私は非常に強くあります。

自分が住んでる家のすぐそばにもそういう方がいらっしゃる。
拉致被害は先ほどお話があったように日本海を中心とした日本海側だけの問題ではありません。
東京にもたくさんいらっしゃる。
そういうことを日野市民の方にも知ってもらいたいと言う事で、一生懸命支援者を募ってですね。
活動をさせて頂いているような状況でございます。
これからも幅広く支援者を募って、そして継続的にこの署名活動そして募金活動を街頭活動をさせて頂きたいと思っております。

またいろんな方法、いろんな方に知らしめる為の方法と言うのがあると思うんですが、先日つい直近になりますが、11月の11日にやりました活動に関しましては、市の広報誌にですね。
活動が紹介と言うかご案内と言う形で少しの欄ですけど載せて頂いて、11月の11日に活動をやりますと言う形の広報もやっております。
そうした中でよりたくさんのよりたくさんの方のご支援を頂戴できればありがたいなと思っております。
日野市には高幡不動尊と言うお寺があるんですが、東京都内では割と大きなお不動さんと言う事でございまして、お正月から参拝者が非常に多いと言う事で、来年の1月1日はですね。
午後2時から高幡不動の駅前でもですね。
元旦からやろうという事で話がまとまっておりまして、今年もまだ12月当然ありますが、来年も1月1日から頑張って皆さんで活動を進めて行きたいなとそのように考えております。

以上、雑把ではございますが報告させていただきます。
続きまして日野市の失踪者の疑いが濃厚である方をご紹介差し上げます。

★渡辺眞(ただし) 日野市議会議員

日野市議会の渡辺眞です。
お世話になります。
私のこの、そちらから見てこちらですね。(手元のパネル、会場より向って右端を指差す)
上田俊二さんて言う方は、一番最初にお話しました荒木さんが主宰していらっしゃいます、特定失踪者問題調査会のHPで、日野と言うところをサーチしましたら上田さんが見つかりましたんで、荒木さんにご連絡させていただきましてこの人の詳しいことを教えていただきました。
そしてその事を高幡不動の駅頭等で訴えをしておりました所、その次の馬場昌一さんと言う方がいらっしゃると言う事が分かりました。
この方は日野市の元の市議会議員の方の奥様の弟さんであります。
そして最近になって荒木さんの方からのメールで浜崎さんと言う方がいると言うことを教えていただきました。
この方は何と5年前の方でございます。

そしてひとりひとりちょっと詳しく申し上げますと、上田俊二さんは東京大学を出られて医学の翻訳をなさっていた方だそうであります。
すごい技術を持っている方でございます。
高幡橋の南の、南平一丁目のところのアパートに住んでいらっしゃったそうでございます。
失踪直後、お兄さんがそのアパートを訪ねてみましたら、いつもはきちんと、東大出の方でしょうから当然きちんと片付けている性質の方であったそうですが、部屋は乱雑になっていたと言う事らしいです。
そして部屋の中にある電話番号が書かれたメモが残っていて、どうもそれが怪しいと言う事で何度かその電話にかけてみたところ、何の返事も無かったと。
それを取ってくれる人がいなかったと。
暫くしてからその電話は「使われなくなりました」というNTTの連絡に代わったそうであります。
失踪して1~2年して千葉の友達の所に金正日を称える文書が入った荷物が届いたと、言うような事だそうであります。
現在、上田さんのお兄さんは浜松の方に住んでいらっしゃって、今まで2~3回日野市の方に訪れられまして、古賀俊昭さんの事務所で私もお目にかかりました。
かなり周辺に対して非常に怯えていらっしゃると言う事だそうでございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 上田俊二 (うえだしゅんじ)
失踪年月日 昭和56(1981)年7月14日
生年月日 昭和6(1931)年11月20日
性別 男 当時年齢 49
身長 174センチ
当時身分 翻訳業
特徴 タバコは吸う。酒は飲む。趣味はテニス。
失踪現場 東京都日野市の自宅を出て
失踪状況 当日本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。通帳、パスポートはそのまま。失踪後1~2年後に友人宅に差出人不明の金正日をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosakai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして二人目の馬場昌一さんですが、国立高校をお出になって卒業して新宿にある工学院大学に通われていたのです。
昭和39年と言うことだそうですが、6月でしたか。
失踪になったと言うことらしいです。
そして私も39年大学に入りまして、当時は学校はカラーグラビアみたいな物が生協会館みたいな所にありまして、金日成・北朝鮮を称えるようなグラビアがあったように記憶しています。
ですから当時は北朝鮮と言う国の悲惨さと言うものについて皆さん理解が行ってなくて、素晴らしい国だと言う宣伝があったんだと思います。
それでご家族の方に伺いますと、部屋の中に残っていた、それもゴミ箱の中に捨てられていたメモに「行くべきか、行かざるべきか」と言うようなお話でございます。
平山の方にはお姉さまは近くにお住まいでございますし、その一番上のお姉さまは元市議会議員のお姉さまでいらっしゃって時々高幡不動での活動にごきょうだい共々参加していただいています。
ずい分古い話の事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 馬場 昌一 (ばばまさかず)
失踪年月日 昭和39(1964)年6月4日
生年月日 昭和19(1944)年12月13日
性別 男 当時年齢 19
当時身分 大学2年生(機械科)
失踪現場 東京都日野市の自宅から出たまま
失踪状況 失踪当日朝、両親とは顔を合わせている。そのまま行方がわからなくなった。姉に「新宿でアルバイトがある」と話していた。お金も衣類も持ちだした様子はない。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosakai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして3番目の方は浜崎真嗣さん、今日はここに九州の長崎の方からお父さまの浜崎さんがいらっしゃってますが、ちょっと手を挙げて頂ければ・・・ありがたいと思いますが。(お父様その場で立ち上がって会釈、会場より拍手)
浜崎さんはここに書いてありませんけども、北八王子にビクターの工場がありますけどもそこのオーディオビジュアルの技術者でいらっしゃったという事でございます。
私は金正日が(韓国人の)映画監督を香港から拉致したとかですね。
ああいう喜び組であるとか、芸能関係が好きでオーディオが好きでビジュアルが好きであると思ってますので、そういう技術者を欲しがっていたのかなぁ?と言うふうにも思っております。
浜崎さんの出身大学が九州大学であるという事でありまして、その九州大学の先輩でいらっしゃる方、そして会社の先輩でもいらっしゃる方が生田の方にお住まいの方で、今は大学の教授をされている方ですが。
その先生に連絡を取らせていただいて実は明日、日本ビクターの方にお訪ねをして私と同僚の方とお話をして何か証拠でも出てくれば良いんですけれど、その話をさせて頂きたいと言う事で思っている所でございます。
浜崎さんは25歳の失踪と言う事でございますから非常に若くてですね。
持てる技術をあの社会に利用されてしまっているのかなぁ?と言うことを思っています。

失踪当日は5年前の正月明けのですね。
仕事始めの日の朝方ということですね。
起きたままであった事、携帯電話もそのままと言うことらしいです。
その日の朝方に東京駅の銀行、そして12時くらいには函館の銀行で合計15万円程が引き出されている。
ご本人が引き出したんでしょうか、あるいは誰かが引き出したんでしょうか。
それはよく分からないと言う事であります。
私もちょっとその浜崎さんの住んでる場所、実はこれは私の高校の同級生がオーナーやってる所のアパートでありまして、そのアパートが日本ビクターに借りられている訳でありますがそこも知っておりますし、勤め先の日本ビクター周辺も分かります。
行って見られてお分かりのように、どうもそういう関係の業界の人たちが周辺に住んでいそうな雰囲気のある所でもございます。
浜崎さんは趣味が当時ビリヤードだったと言う事で、ビリヤードと言うのは今時珍しい趣味をお持ちだなぁと思っていたら、その周辺にもそういうお店がありますし。
そういう事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 浜崎 真嗣 (はまざきまさつぐ)
失踪年月日 平成12(2000)年1月6日
生年月日 昭和49(1974)年8月2日
性別 男 当時年齢 25
当時身分 会社員(業務用ビデオの設計)
失踪現場 東京都日野市の会社寮
失踪状況 失踪当日は会社の新年の始業日。午前6時から7時にかけて、東京駅のATMで3万円、続いて午後1時半ごろ北海道の北洋銀行函館中央支店で普通預金口座より12万円を引き出した(定期預金には一切手をつけていない)。当日の朝刊は部屋にあり、布団は敷きっぱなしの状態。食べかけのパンが残っていた。PHSは置きっぱなしで、書置きもなかった。ごく普通の服装で出かけ、自転車も置いたまま。職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosakai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

これで3人の紹介を終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)

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三多摩市民集会9増元照明さん(2)

あの先ほども言いましたけども、日本と北朝鮮の不正常な関係がこの拉致問題を生んだというふうに、ここにも書いてありますが、皆様ご存知のようにタイからも78年に拉致をされております。
マカオからは3人なんですが、その内の(ひとりが)タイ人なんですよ。
もちろん連れて行って何処の国の国籍かと言うことを調べればタイだとすぐ分かったでしょう。
そのタイと言う国は1975年に北朝鮮と国交を樹立しています。
で拉致されたのが1978年、3年後なんです。
すなわち今日本の中でちょっと、馬鹿な事を言うコメンテーターが一杯いるんですけども。
国交正常化が成されれば拉致被害者も帰ってくるではないか?と言う方たちがいらっしゃいますが、国交のあった国からも拉致をしていってるんです。

更にマカオもです。
マカオというのは昔はポルトガル領でしたけれど、今は中国なんです。
一番親しい中国の国民であるマカオ人、当時はマカオ人でしたが今は中国人です。
孔さんと言う方と蘇さんと言う方ですね。
ふたり拉致して行ってる、しかもマカオから拉致して行ってる。
これは不正常な関係があったから拉致が起こったんじゃない。
レバノンもそうです。
レバノンも通商部、たしか北朝鮮に通商部が置いてあったはずです。
さほど悪い関係ではない。
だからどんなに仲が良くてもどんなに国交正常化をしていても北朝鮮は拉致をしていってる。

それは何故か?
1976年に金正日が拉致強化指令と私は言っておりますが、それまでの南朝鮮の赤化統一が中々進まない事を見て、彼が掌握した3号庁舎と言う工作機関に対し、命令を出したのが1976年です。
ですから77年、78年、やたら滅多らあちことから拉致をして行ったんだと思います。
日本でも一番認定者が多いのは77年、78年です。
でも余りこうやたら滅多ら拉致して行ったので、教育係として不適格な人がいたと言うことなんですね。
曽我さんの場合は間違えて連れて行かれたと言われているようですけど、それも分かりません。
先ほど荒木さんが仰ったようにそれ以降、向こうは選定するようになったんではないか?
有益な人間だけを連れて行った。
ですから日本で必ず協力者がいて誰を連れて行けば良い、それをこいつを連れて行こうと、そういう選定をしていったんだと思います。
それがこれだけの特定失踪者が生まれた理由だと思います。

金正日が拉致を認めて3年、我が国は未だに協力者さえ捕まえていないんですね。
田中実さんの場合、ちゃんと曹廷楽と韓竜大というちゃんと実行犯と言うか協力者が分かってるんですけども、手を付けられないんです。
手を付けるか付けないのかどうか?なぜ付けないか?ちょっと僕には分からないんですけれど、日本にはスパイ防止法とかそういうのがありませんから。
まずやるべきはそういう方たちを逮捕して取り調べる法律を作るべきではないでしょうか?
3年も経って何も出来ないと言うのはおかしいと思います。
自由に日本の中を工作員が動いているというのはおかしいです。

私たちは経済制裁でまず万景峰号を止めろと言ってます。
万景峰号は大型工作船としてもすでに安明進も認知してますし、とにかく3号庁舎の工作機関の下に籍を置く船であると言う事。
あの船で日本の破壊工作の指示が出されていると言う事。
これはすでに多くの脱北者、それから元工作員の話から出ているわけです。
その船が堂々と新潟に入ってくるわけです。
更にあの船でもしかしたら拉致被害者が連れて行かれた可能性もある。
そんな船を、私たちの家族もまだ返していない国の船が定期的に新潟に受け入れる事事態が、私はおかしいと思います。
国家としてなんら意思を示さない事がおかしいと思います。

この船の入港に関して最初は36社、今油濁法でしたっけ、船舶の。
油濁法の改正がありまして施行されているんですけども、世界に通用する36社の保険会社の物しか認めないと最初は国交省は言ってたんです。
それがニュージー(ランド)の変な会社の保険に入った。
万景はバミューダの会社の保険に入ったそうですが、そのオーナーは過去に2回会社を潰して賠償金を払わなかったと言う実績がありますから、そんな保険会社の保険に入ったと言う事で私たちの国はそれを認めてしまったんです。
36社から外れているにも拘らず、何でそんな事をしたのか?

国交省の人間が永田町から風が吹いたと言っておりますので、おそらく永田町の政治の圧力があったんだと思います。
それだけ政治家の方たちには、どうしてもあの船を入れなければいけない許可しなければいけない、何らかの理由があるんだと思いますが。
証拠が無いんで、これを私たちが言うとまた訴えられますので、テレビの前ではなるべく言わないようにしているんですが、証拠が無いのがとにかく問題だと思いますね。
証拠があれば今政界に巣食う本当の悪を出していけるんでしょうが、証拠を出す為には朝鮮総連への家宅捜索だと思います。
朝鮮総連に破防法をかけて全ての書類を出せば、あそこに必ずどの政治家にいくら金をやった、何年の何月にお金をやったというのが必ず出て来ますから、出していただくしかないと思います。
警察の方もおられるみたいなんで、是非それはお願いしたいんですけど。

この前科学技術者協会に朝鮮人参の事で家宅捜索がされたようですが、あの時にパソコンを全部持って行かれたみたいなんで、いろんな情報を入っているパソコンを持っていかれたようです。
それを是非生かして頂きたいと思います。
なぜ?科協に家宅捜索が入ったか?
非常に議連の方には失礼だと思うんですけども、佐藤会長はたしかアメリカがやれと言ってその許可を出したのではないか?と言うことを仰ってます。
あの同時期にアメリカはマカオの銀行、北朝鮮がマネーロンダリングをしている銀行に手をつけております。
同じ時期です。
ただし、アメリカは北朝鮮ではなく、金正日の懐に入る銭を全部シャットアウトし始めました。

そして科協と言うところのトップは、中国にある、中国と日本の合弁会社である会社に、日本の本社にミサイルの部品やそれから・・・(聞き取れず)の部品を注文するように指示を出した責任者が科学技術者協会にいるわけです。
ですから科学技術者協会のトップを止めるという事は、日本からのミサイルの部品を止められると言う事です。
このために警察は入ったのではないか?
それが一番の目的だったんだろう。
それはアメリカとの連動があるんではないか?
更にはアメリカが本腰になってきたという。
ただアメリカは中東問題を抱えてますし、国内の問題を抱えています。
最終的にどちらを取るかまだ今決めかねていますが、長い時間あの金日政権を放置するとは思いません。
私たちはアメリカに行って、どうも今の政府の関係者たちはもっと早いスパンであの国に大きな圧力をかけ始めているんではないかと言う気がしています。

だから中国に圧力をかけて始めている。
中国はあの国の宗主国です、北朝鮮の。
中国が本気になればあの国を諭す事ができるし、あの国に命令することができる。
あの国へのパイプラインを断ち切ることによって、北朝鮮に大きな圧力をかけることが出来るんです。
6者協議だってそうです。
北朝鮮と言う小国と、他は全部大国です。
ロシア・中国・アメリカ、軍事大国です。
日本も経済大国です。
韓国だって一応世界で11番目か12番目の経済大国なんです。
その大国が5カ国も集まって、北朝鮮に対して何も諭す事もできないし言う事を聞かせる事も出来ない。
これは私は絶対に中国が裏で何かやってると言うふうにしか思えません。
それでなくてはあの北朝鮮に何かいうことを聞かせるのは簡単だと思います。
あの6者協議の中で。
それが出来ないんですから、それは大きな国、やっぱり中国の何らかの意図があるんではないかと思います。
私たちは中国に対してもこれからはちょっと厳しい目で見ていかなければならないんではないでしょうか。

中国と言うのは人権問題に対しても自国の事もありますから、とにかく反対する22カ国の中に入っています。
常任理事国ですからこのまま安保理付託になって経済制裁が論議されても、ロシアと中国がふたり拒否権を発動すればそれで出来なくなるんです。
ですからこれは中国に対して人権と言う事で世界中から大きな圧力をかけて行かなければならない。
2008年のオリンピック、こんな人権の無い国でやれるかと。
スポーツの祭典、平和の祭典で、そんな大きな祭典をなぜ人権の無い中国でやらなければならないのだ。
人権を考えない中国でやらなければならないんだ?と思ってる方たちがアメリカにはいらっしゃいます。
私たちも人権と言う言葉で中国を攻めて行かなければならないんではないでしょうか?
2008年のオリンピックまで、オリンピックを開催する国は人権を重んじるべきでなければならない。
その声を上げていけば中国だって多少動かなければならないと思います。
ましてや北朝鮮の2000万と言われる人民の苦しみを未だに放置しているようなそういう国であってはならない。
北朝鮮の人権非難決議に対して、反対を投じるような国ではあってはならないという自覚を持たせなければならない、と思っています。
それが一番の早道だと思いますが。

それにつけても私たちの国がまずやらなければならないのは、経済制裁の発動です。
制裁は単なる政策手段ではない。
同義的な声明であると言う事。
これはブッシュ大統領がカストロ政権に対し制裁を継続するときに言った言葉です。
同義的声明だと言う事です。
効果の有る無しではないです。
日本の国が北朝鮮に対して、私たちの国が拉致被害者を救出するためには大きな力を使いますよ。
そしてあなたのやってることは悪いんですよと言う声明を発するのがこの経済制裁の発動です。
それを出来るのは我々の国しか有りません。

韓国はすでに盧武鉉政権になってそれをやる気はありません。
しかし私たちの国はそれができる国であるし、それだけ大きな影響力を持っている国であるということ。
もうちょっと考えていただきたいです、国会議員にも。
そしておそらく国民の皆様にも覚悟を突きつける事だと思います。
それは怖いでしょう。
怖いからといって何もしなければ結局私たちの国は何も出来ない国になってしまいます。
それで良いというのであればそれで良いのかも知れない。
私はでもそういう国であってはならないと思います。
脅しに屈して何も出来ないような国には成りたくないし、お金だけ渡して何もされたくない国にはなりたくないと考えています。

先日テレビで言ってました。
どこかの中学校に父兄が怒鳴り込んで数時間も教師それに校長を缶詰にし、そして最終的には80万のお金を払った。
コメンテーターは、「何で毅然と出来ないんだ?」と言っておられました。
「何で毅然と出来ないんだ、いくら父兄が何と言おうと、それはちゃんと教育現場にいた人間が毅然とすれば良いんではないか?」と言っておられましたけれども。
今の日本は果たして毅然としているんでしょうか?
北朝鮮のむちゃくちゃな言いがかりに対し、そしてむちゃくちゃな言い分に対して、私たちの国は毅然として言ってるんでしょうか?
それを全く批判しないでその校長だけを批判するのは、片手落ちだと思いますが、コメンテーターの方たちもご自分の覚悟につながることに関しては中々発言が出来ないのか。
自分の身に降りかかるかもしれないその恐怖に対しては何も言わないで、その校長に対してだけ責任転嫁をしているように感じて私はちょっと非常に残念でなりませんでした。

でも私たちは皆さんにもお願いしたいと思います。
これは皆さんにも多分覚悟を決めて、この拉致問題と言うのは皆さんにも覚悟を押し付けると言うか、なんて言うのかなぁ。
皆さんにも覚悟をしていて頂かなければならない問題なのかもしれません。
それは国家の中で論議すれば、国民の皆さんの中で論議していただきたいと思います。
私はその一つの大きな転換点としてこの拉致問題を皆さんにももっと深く考えていただきたい。
このままで良いのか?本当に我が国は。
本当に私たちの国はこのままで良いのか?

100人200人守れない国は、1億2千万守れるはずが無いんです。
本当にこれから先安全を保障する為にも私たちの平和を確保する為にも、国民の皆さんにもっと考えていって頂きたいと思います。
これはどっちになるか分かりません、私。
でも論議はするべきだと思います。
経済制裁の発動をするのかしないのか?
郵政民営化で投票をするのではなくて、国会の中で経済制裁をいつ発動するのか。
その論議をして国民に問う事も良いのではないでしょうか?
是非お考えになって頂きたいですし、私たちは家族を取り戻す為に絶対に一歩も引かない構えでおります。
皆さんと一緒に話してそして家族を取り戻していきたいと思っています。

是非ご協力をお願いします。
生意気を言って申し訳有りません。
ご協力をお願いします。(拍手)

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三多摩市民集会8 増元照明さん(1)

『増元照明 家族会事務局長のお話』

こんばんは。(会場より「こんばんは」の声)
今ご紹介を頂きました、家族会の増元です。
今ちょっと長時間に亘って重い話ばかりなので皆さんお疲れだと思いますけど、もう少しお付き合いください。

今わたしたち家族会と救う会で何をやっているか?
小泉さん任期中に国交正常化だけは何としても阻止しなければならない。
それだけの思いで、今年中、とにかく12月の22日の国民大集会まで各地で集会を催しています。
そこで国民の皆さんに喚起し、小泉さんの暴走だけは止めないといけないと思っております。
でも今回の組閣で、安倍さんが官房長官になられたので最悪のことだけはないだろうと。
それだけは期待して良いんではないかと思います。

小泉さんの人の上手い使い方と言うところなんでしょうけれども、前拉致議連の会長の中川さん。
最初の、新しい拉致議連が出来たのが2002年の3月です。
その時会長になられたのが石破さんです。
そして9.17以降最初のその会長であった石破さんを内閣に取り込みまして、その次に会長になられましたのが今農林水産大臣をされております中川さんです。
そしてその方を組閣の時に経産大臣に取り込まれました。
で、安倍さんは幹事長に選ばれました。
ほとんど小泉さんに批判的なことを言う人を内輪で囲っちゃって、中々言えなくしてしまった。
仕事を与えて忙しくして、拉致の問題にのめり込まないようにしているという状況があるんではないかと私は思っています。

平沼さんがその後会長になられたんですが、平沼さんは今度はポスト小泉として名を上げられたんですね、一回。
そしたら郵政民営化で、なんかはめられたんじゃないか?と私は思うんでありますけども、造反組と言われる方に拉致議連の会長、事務局長、それから副会長と、3人主だった方がいらっしゃいまして、結局皆さん方は自民党から出されております。
自民党内でこの拉致問題を強く言えるのは安倍さんだけになっている状況です。
非常に私たちは危惧しておりました。
どうなるんだろう?と。
小泉さんは昨年の8月17日でしたか、私の任期中に国交正常化をやると仰ったので、それも冠に拉致問題の解決を言わないで国交正常化をやると仰ったので、これはとんでもない事になったと思ったんですが。
今回の組閣で安倍さんを官房長官にしたので、もう拉致問題をおそらくどうでも良いとお考えになっているのかな?と思っております。

私は何回も言っているので、皆さんも聞かれていると思いますけど、小泉さんが拉致の扉を開けたのではございません。
これだけは何回も何回も言わせて頂きますが、ブッシュ大統領の2002年の一般教書、その前年からのならず者国家と言い始めて、そして悪の枢軸と言って。
ここにも現代コリアにも書いてありますけども、本当に今のままで核の開発をしていたら核攻撃も辞さないと言う、悪の枢軸と言う発言に怯えた金正日が日本と仲良くしなければならないと思ったんですね。
日本と仲良くすれば、アメリカと日韓、日米に楔を打つことが出来るし、良くすればアメリカの武力制裁のときに日本が止めに入ってくれるんじゃないか?
更にもう一つ、経済的な事情がありますから、国交正常化が成されれば一兆円強と言う二兆円と言うODAが行くと言う。
そうすれば磐石な金正日体制が出来ると言うわけです。
一石3鳥があった。
ですから金正日が拉致を認めて、国交正常化をしようと持ちかけたんです。

与党は1990年以降ずっと日朝国交正常化。
正常化と言うと荒木さんがよく言うんですけども、日本と言う不正常な国家と北朝鮮と言う不正常な国家が、国交を樹立してもそれは正常化とは言わないだろうと言ってるんですが。
確かにその通りです。
まず日本と言う国を正常に戻し、更に北朝鮮と言う国を正常に戻してから国交樹立をしないと国交正常化とは言わない事を私も確かにその通りだと思うんですけども。
これをとにかく自民党それから政権与党は目指して来ておりました。
ですから小泉さんにとっても渡りに船でしょう。

小泉さんはまさかなれないと思っていた総理になってしまった。
その次に何を望むかと言うと権力を握った人は後は名誉欲だと言うことらしいですね。
金大中がそうであったように、まさか私はノーベル平和賞まで狙ってないとは思うんですが、とにかく今高校の教科書に載る。
日ソの鳩山、日中の田中、そして日朝の小泉と。
それを望んで日朝国交正常化に走り始めたというのが事実だと私は思います。
金正日が入国を認めて一緒にやろうよと言って許可を降ろしたから小泉さんは(平壌へ)行けたんです。
小泉さん、日本政府が向こうに積極的に働きかけて、拉致問題をどうにかしろと言って向こうが答えるはずがありません。
それまで食料をやってもでっち上げだと言っていた国です。
それが急に2002年の9月17日に認めたのはアメリカの武力攻撃が怖かったからです。
それだけはまず間違いはないでしょう。
その後の小泉さんの動向を見ていると、私たちはそう納得せざるを得ません。

まさに2002年の9.17は日朝国交正常化のための第一歩があったということです。
それが日朝平壌宣言と言う奴ですね。
いまだに小泉さんは日朝平壌宣言、平壌宣言ですよね?
あれを遵守する限り経済制裁の発動はないと言ってますが。
日朝平壌宣言と言うのは、田中均さんと向こうのミスターXという実務者が、9.17の一月くらい前に草案をし、そしてそのまま変更なくサインがなされた物です。
あの9.17の日に「5人生存8人死亡2人不明」というその言葉を聞いて、なぜ小泉さんは追及してくれなかったのか?
いつ何処で、どうやって死んだのだ?と。
このままでは私はこの平壌宣言にサイン出来ないと、何故そこまで言って頂けなかったのか?
黙して唯々諾々と平壌宣言にサインをされました。
それは最初っから結局この平壌宣言ありき、それから国交正常化、そして多大の経済協力と言うそのラインが出来ていたからだと私は思っています。

その平壌宣言、拉致の拉の字も書いてない。
私がその読ましていただいてすぐ外務省の平松さん、当時のアジア課長ですが、に電話しました。
「どこに拉致の問題が書いてあるんですか?」と私聞きましたら、「いや書いてあります」と。
「どこなんですか?」「3番目に書いてあります」って言うんですが。
その3番目の文言を読みますと、「双方は国際法を遵守し互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また日本国民の生命と安全に関る懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国は日朝が不正常な関係にある中で生じた遺憾な問題が今後適切な措置をとる事を確認をした」
この日本国民の生命と安全に関る懸案問題が拉致だって言うんですね。
常にこうやって言葉をごまかしながら、私たちの国は北朝鮮に対し、接していってる。

前回の6者協議でもそうです。
そして今月行われた日朝協議でありますが、拉致と言う言葉は使われていません。
懸案問題と言うふうに、必ず懸案問題と言うふうに書かれているんです。
で、日本側からすると懸案問題と言うと拉致になるんですけど、北朝鮮側から懸案問題とすると36年の植民地支配になるわけです。
どっちからも解釈できるような言葉で日本政府は北朝鮮と交渉しているわけです。
ですから何もこれ以上、日朝の協議の中で拉致が進展する事は無いんではないか?と私は思っています。

更に私は今の外務省の体制って非常に強いと思ってるんです。
麻生さんはまた別個にしても、谷地事務次官。
あの方は昨年の12月に事務次官になられましたが事務次官になられたと同時に、「全て拉致被害者は生存を前提で私たちはこれから交渉します」と初めて日本政府の中で拉致被害者の生存を口にされたのはあの方が初めてなんですね。
で、これからは私たちは拉致被害者を返せと言う立場でやりますと言うふうに仰いました。
そして佐々江局長に代わられましたけど、更に斎木審議官。
斎木審議官は日本史上初めて北朝鮮に机を叩いて交渉した初めての外務省の職員です。
このラインがある限りは私はまだ外務省は安心できるんではないかと思っているんですが。

それにしても今回の日朝協議で分科会的なことをやったのは誰の差し金なのかちょっと分かりません。
本当に頭の良い方がそれを考えたのか分かりませんが、その理由として外務省が言うにはとにかく日朝協議を続けなければいけない。
話し合いをしなければいけないと言う事なんでしょうね。
その日朝協議を続けていけば、話し合いも重なって、そして拉致問題も話せるんではないかと。
でも私たちはもう切っても良いんではないか?と思ってるんです。
向こうに厳しい姿勢を見せて、席を立って帰ってくる。
「お前らそんな状況で誠実な態度で対応しているのか!馬鹿野郎!」と、そんな様な気持ちで席を立って帰ってくる。
それは一時期交渉が出来なくなるかもしれません。

しかし困るのは向こうであって、私たちも多少困るんです。
時間が経てば。
私たちは時間が無い時間が無いと言ってますから。
それは困るんですけれども、でもこれが拉致問題全体の解決の早道だと私は信じて疑いませんので。
いったんそれをやれば良いじゃないかと私は思うんですけども、常に話し合いの場に出てもらわねばならないと困ると、そういう低姿勢で言ってるのが日本政府です。
これは2000年の河野外務大臣の時からそうです。
10万トンの食糧支援をやると言ったとき、河野さんが言ったのは
「私たちが誠意を見せて相手の誠意を引き出す。私が責任を持ちますから」
で10万トンの食糧支援が行ったら、「拉致はでっち上げだ」と「行方不明者はいない」と言う回答を出してきたんです。

そのような国とまともな協議が出来るというふうに本当に思っているのかどうか?
私はちょっと信じられないんですけども、これが10数年も日朝の協議をやってて1990年からですから。
途中だいぶ抜けてますけども、北朝鮮のやり方を知ってる外務省の人たちが、これ以上まともな話が出来ると本当に思ってるのかなぁ?と、私は思うんですよね。
それでもまぁ外務相の人たちは役人ですから、結局政治家が決断をしなければ厳しい対応を取ることが出来ないと言う事です。
自分の職を賭してまで北朝鮮と喧嘩する事はできないでしょうからね。
そうすると飛ばされちゃいますからね。
そうすると可哀想ですから私たちもあんまり言えませんけれど。
でも結局は政治家の決断だと思います。

先月アメリカに私たちは行きました。
6者協議の合同宣言に署名したクリストファー・ヒルというあの弱腰の、国務省ですけれど、国務次官補。
国務省の人間も日本の外務省と同じらしいですね。
結局官僚と言うのは話し合いをしてそして安全にやるのが官僚の、何処の国でもそういう気質のようですね。
今それに対して、アメリカのネオコンが非常に怒って厳しい追求をしていると言うのが現状らしいです。
クリストファー・ヒルに対してもその上にいるライスに対しても、今回の6者協議での共同宣言、あれはなんだ?と。
あんな生ぬるい事で良いのか?と。
そういう厳しい追求をしているのがアメリカ国内です。

私たちが行った時に、私たちが会うのはだいたい強硬派の方たちばっかりなので、非常に私たちは安心して言えるんですけども、アメリカの国内で民主党の議員が何を考えているのかは未だにちょっと分かりません。
おそらくクリントンの時の対応を見てますと、さほど強硬な事は出来ないでしょうが、しかし民主党もクリントンの時に騙されてますから、1994年のジュネーブ合意で。
軽水炉の建設、その時には日本と韓国にお金を出せと言って、日本も10億ドルの拠出を約束させられておりましたけど。
アメリカは毎年10万トンの重油を上げていましたから、それでも密かに核開発を続けてきた。
アメリカとの約束も全て破棄し、そして朝鮮半島の非核化宣言と言うのにもサインしているんですけども、それも全部破棄して彼らは核の開発をやってきた。
アメリカは今見てるのは北朝鮮は核開発を止めないんではないか?という、その見方をしています。

でも今アメリカは、北朝鮮は何を望んでいるのか?
2008年のブッシュ大統領の任期まで、どうにかこうにか誤魔化し誤魔化し今の体制を維持してそして民主党の政権になるまで待つという。
自分達の喧伝作を考えているんではないか?というのがアメリカの政府の考え方です。
ですからそんな事は絶対に許さない、という民主党の中におりますので、そんなに泳がせておく事はないと思います。
ブッシュ大統領が先日中国へ行って人権問題に言及されておりましたけれども、アメリカも感じているように中国が一番ネックなんではないか?と言う事です。

6者協議、中国・ロシア・韓国・日本・アメリカで北朝鮮ですよね。
先日の国連総会の第三委員会、そこで北朝鮮の人権に関する非難決議が出ました。
賛成84カ国、反対22カ国、そして棄権が64カ国、62カ国かな?
ですから棄権を反対とすると、84対84なんですけども、賛成と反対で84対62だから可決されたんです。
それの22カ国反対した中にどこの国が入ってるか?
瑣末な事は良いんですけども中国・ロシアが入ってるんです。
更に棄権の中に韓国が入ってるんです。
6者協議の中の北朝鮮をのぞく3カ国が親北なんですね。
そして日本とアメリカが強硬姿勢だと。
北朝鮮を入れると4対2なんです。
6者協議の中で北朝鮮に対し厳しい姿勢をとる国が2カ国しかないわけですね。

国連では逆に84カ国が非難決議に賛成しているわけです。
22カ国の反対しかない。
ですから世界の、島田先生が書いたんですけども、世界の考え方とあの6者協議の中の考え方は間逆なんだと。
6者協議に期待することはほとんど出来ないと言う事を、私たちは知らなきゃいけない。
この6者協議の中でこの拉致問題とか人権問題とかが解決できるなんて思わない方がいいだろうと。
そうするとです。
どうすれば良いか?
日本の単独経済制裁に踏み切らざるを得ないだろうと、いう事があるんですね。

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2005年11月19日 (土)

第3回埼玉県民の集い(1)鈴木松蔵さん

このテキストは話の花束ぴろんさんのてによります。

『鈴木松蔵 救う会埼玉代表の挨拶』 

皆さんこんばんは。(会場より「こんばんは」の声)
第3回の拉致問題を考える埼玉県民の集いを開催いたします。
皆様方、大勢お集まりいただきまして誠にありがとうございます。(拍手)
私はこの会を主催いたします、北朝鮮に拉致された日本人を救う埼玉の会代表を務めます、鈴木松蔵でございます。

今回の県民の集いに当たりまして埼玉県当局を始め、埼玉県教育委員会、さいたま市教育委員会、川口市、上尾市、久喜市、白岡町の後援をいただいております。
そして関係団体と致しまして、北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を図る埼玉県議会議員連盟の皆さん。
そして北朝鮮に拉致された日本人を救出する埼玉の県民有志の会の皆さん。
拉致問題を考える川口の会の皆さん。
田口八重子さんのご家族を支援する上尾市民の会の皆さん。
そして北朝鮮に拉致された日本人を救出する為の四市(朝霞・志木・和光・新座)協議会の皆さん。
皆さんのご協力により、このような会が開かれる事になりました。
誠にありがとうございます。
これからもよろしくお願いを致します。

そして来賓と致しまして、埼玉県知事であります上田清司知事をお招きしております。
少々遅れて参りますが、皆様によろしくと言うことで、まもなく参ります。
よろしくお願いを致します。
そして県議会の拉致議連の副代表であります、田島敏包(としかね)県議会議員の先生。
そして国会議員の金子善次郎先生(自民党)にもご出席を頂いております。
誠にありがとうございます。

私たちは平成12年4月から会を結成し、活動をはじめました。
私たちの目的は北朝鮮に拉致された日本人を救出する事であります。
私たちがこの会を結成したのは、前の年日比谷公会堂で全国集会の後、有志が集まり結成したものであります。
活動の主なものは、署名活動でございます。
当初拉致被害者の救出を求める署名でございます。
次は経済制裁を求めるに替わりました。
埼玉県知事・上田清司様、県議会拉致議連の皆様も一緒にこの署名活動に協力していただきました。
そのほか昨年県民の集い、会の総会、研修会を行い、広く県民の皆様に拉致問題を訴えてまいりました。

拉致問題が大きく取り上げられるようになったきっかけは1987年・昭和62年、大韓航空機爆破事件であります。
これは韓国の航空会社、大韓航空機が爆破され乗員乗客115名が死亡した事件であります。
この犯人は北朝鮮の工作員・金賢姫であります。
そしてこの金賢姫は蜂谷真由美、そしてもう一人蜂谷真一と名乗った偽の日本人のパスポートを持って工作を行ったわけでございます。
その翌年はソウルオリンピックの年であり、もしこれがそのまま爆破されそしてこの犯人が死亡した場合、日本と韓国の関係は厳しいものになった可能性があります。
まさに北朝鮮はテロ国家であります。
金賢姫が逮捕され、証言により日本人教育係りはリ・ウネこと、田口八重子さんである事が分かりました。
これが拉致問題として大きく注目されたきっかけでございます。

その後日朝正常化交渉が行われましたが、北朝鮮は拉致問題は知らぬ存ぜぬを繰り返すばかりでございました。
食料の援助も効果がなかったわけであります。
小泉首相が誕生し、日朝首脳会談が行われ、第一回目の会談で北朝鮮は拉致を認め謝罪しました。
5人生存8人死亡2人未入国ということであります。
5人の拉致被害者が10月15日帰国しました。
そのうち、曽我ひとみさんは政府認定外の被害者でした。
この事から拉致被害者は他にも大勢いるのではないかと思われます。
5人の生存者とその家族は何とか帰国し、永住する事になりました。

北朝鮮が拉致を認めてから今日に至るまで、過程は平坦ではありませんでした。
それは政治家も私たちも 拉致が主権の侵害であり、人権侵害である。
日本人一人一人が主権を守り侵害されぬようにすべきである。
このことをもっともっと認識しなければならない、と思います。
本日は拉致被害者の家族の方の訴え、特定失踪者問題調査会の真鍋専務理事のお話が中心になりますが、最後までよろしくお願いを致します。

北朝鮮が、5人と家族は帰りましたがこれで事件が解決したわけではありません。
8人死亡とされた証拠は何も有りません。
死亡診断書もめぐみさんの遺骨も、偽物でありました。
政府は昨年12月24日、誠意ある対応がない場合、厳しい対応をせざるを得ないとしています。
8人死亡2人未入国との説明を裏付ける物は皆無だった、全く受け入れられないとしています。
そう発表してから1年が経ちます。

何もしないでいたら、拉致問題はこのまま埋もれてしまいます。
拉致問題解決の為に、政府に特に総理大臣に経済制裁の発動を求めるものであります。
多くの県民の皆様、国民の皆様、更にご協力をお願いするものでございます。
被害者の家族は長い年月を経た現在、皆高齢です。
時間がないんです。
拉致被害者の家族の気持ちはいかばかりかと思います。

今年の夏、衆議院選挙が行われました。
私たちは全国協議会と連携し、候補者にアンケート調査を実施しました。
そして当選者の82%が経済制裁をすることに賛成を表明しております。
また残りの方についても経済制裁反対としている者はほんのわずかです。
粘り強く交渉するべきとか、相手の状況を見極めてとか、時機を見て、あるいは他国と協力してなどであって、本質的には経済制裁は止むを得ないとしているのが現状でございます。

この問題が解決されない場合、これからも日本人が拉致される可能性があります。
拉致は日本だけではなく韓国・レバノン、最近ではタイ人も拉致されようとしております。
世界中から拉致されております。
これを止めましょう。
どうぞ最後までよろしくお願いを致しまして。
それから私が目指している趣旨につきましては、外の受付の所で「金正日に正しいメッセージを」と言う本を販売しております。
お買い求めの上ぜひお読みいただきたいと思います。
それではどうぞよろしくお願いを致します。(拍手)

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第3回埼玉県民の集い(2)飯塚繁雄さん

『飯塚繁雄 家族会副代表の挨拶』 


皆様こんばんは。(こんばんはの声)
いつもながら皆様に関しては拉致問題に深いご理解とご支援を頂いております。
そのおかげでこの問題も言ってみればようやくここまで来たと、言う感じもしますけども。
まだまだ、これからが大変だと、言うふうな感じも致します。

ただ今会長のご挨拶にあったように、我々北朝鮮に拉致された被害者、これにつきましてはすでにもう30年の方もいます。
28年、27年、まぁたまたまうちの妹は27年になりますけども、こうしている間にもいつ迎えに来てくれるかどうか?
毎日毎日、星を見て月を見て待ってると思います。
余りにも長い間、待ち続けていると、この姿を思い浮かべますと可哀想でならないと、いう気持ちでありますけども。
それよりもいつまでも元気でいて、きっと迎えに行くから、きっと奪還させるから、それまで待っててくれと。
言うような事を向こうの被害者の方々の耳に入れば良いなぁと、まぁいうふうに感じております。
中には諦めてしまっている人もいるかもしれませんが、いつか迎えに来てくれるという事が向こうの被害者たちに知れ、私たちも活動なり努力なりをしていくということが、実際につながれば良いなと思っています。

この間、我々家族会も結成してから6年になりますけども、当時は色々と難しい問題がありましたけども、地道な活動によって皆さんのご理解を得て、更には国会議員の先生方、あるいは県議会議員の先生方、あるいは地方自治体の方々のご協力を得ながら、ある意味では取り巻きから少しづつこの問題盛り上がってきております。
実際には例えば県議会の間でも政府に対する議決書を決議していただいたりですね。
更には署名活動、募金活動、その他たくさんのご支援を頂いております。
国会の方はですね、例の経済制裁法案、一つは外為法の改正の法案ですね。
更には、国会の中で決められた特別委員会と言う物もそれぞれの党にもできました。
それから参議院にも出来ました。
そういった中で国の体制として、北朝鮮に対する怒りの声が徐々にですけども高まっております。

更に申し上げますれば、世界のレベルでもアメリカはもちろん、人権法案をアメリカが可決しました。
これは北朝鮮の人権法案と言うことですけども、そして国連の人権委員会でも昨日、北朝鮮の人権に関る議決をしまして、キチッとした報告をせよと言うことで強い態度で出ていますけれども。
まぁ残念ながら国連の議決と言う物は相手に対して取り締まれると言うような、ではなく報告をせよと、という事にとどまっておりますけども。
これも更に国連の総会に議案が提出され可決されれば、これは相当な北朝鮮に対する圧力になるはずです。
そういうことも含めまして、取り巻きとしては相当な準備が出来てるはずなんですが、我々経済制裁をせよと言う声を長年お願いをしておりますが、中々それが実施されないのが非常に残念です。

あの北朝鮮は何か報告をせよといっても、全て捏造されたウソの報告しか出せません。
ハッキリしているのは日本人をキチッと返した時点、これが本当のことだと。
それ以前の話は全て今まで総括しますと、信用が出来ない内容ばかりですね。
そういった国を相手のどうやって我々の拉致された日本人を取り返すのかと、言う事をですね。
いろんな戦略・戦術を使って、どうしたら取り返せるかと、言う事をキチッと決めた上で対応していかなければ、あの国はまともな国じゃありませんので。
やはり向こうからごめんなさいと、返しますと、言わせるような状態に持っていかなければならないんじゃないかと。
それは我々が今唱えている北に対する経済制裁。
あるいは経済的ではなくてもいろんな締め付け、これが絶対に必要だという事で、更に感じております。

いままで北が報告した内容としましては、我々認定されている被害者、更に特定失踪者の方もたくさんおりますけども、その何一つとっても全て嘘だという事は、これは逆に生きていると、これが逆の意味で証拠になるんですよね。
生きている人の骨は出せないわけですから。
そういうことを思い、そのほか脱北者の方々、その他の情報を聞きますと、やはり我々の家族は必ず生きていると言うふうに更に信じております。

先日安倍官房長官も我々に会ってですね。
色々な話を聞きましたけども、やはり国としても日本人拉致被害者を必ず生きているんだから返せと、こういうような言い方をしております。
それから更に斎木審議官、先日の日朝協議の中で北の代表と話をしましたけども、やはり誠実な答えがなければ日本は強い対応をせざるを得ないという事をハッキリ申してきましたし。
もうボールは向こうに投げてあるんだと。
それを早く戻せと、投げ返せと。
そのボールが投げ返された時点では、相当な厳しい対応を取らざるを得ないと、言うふうな事を言っております。

それと交渉の中で核・ミサイルの問題、当然入ってきますけども、やはり日朝正常化と言うのは核・ミサイル・当然拉致問題これらを解決した暁に初めて導入される問題であって、これを別々に協議しますと拉致の問題は置き去りにされそうな感じがします。
これについても斎木審議官もハッキリと、日朝間の懸案事項である拉致問題と核・ミサイルの問題をキチッと片付けた後でないと日朝正常化交渉に入れませんとハッキリと言っております。

しかしながら北朝鮮は相変わらず拉致問題は解決済みと、言うふうな態度を保持しておりますし。
そういう態度でしたらこの懸案事項である拉致問題は進展しないはずなんですね。
そういう意味から言うと北が今まで言って来たことは、全て間違っていましたと。
いうふうに180度転回しない限り、この拉致問題の早期解決はありえないと、いうふうな事まで考えておりますが、
当然ながら国の立場としましては、大事な国民の命を守る。
あるいは国家犯罪があればそれに対応してキチッと取り返す。
そういった強い態度で発信していかないと北朝鮮はドンドン時間を延ばして、皆さんの世論も下げて、あるいは家族もくたびれて、いうようなことを待っていると言うふうにしか思えません。
それで何となくこの問題終わりだと、いう事につなげたく思っていると思います。

我々はそういうこともハッキリ分かってますので、ぜひ皆さんのお力も借りまして、強い態度で北に当たると。
もう途中の経過とか報告とかはもう良いと。
要するに生きてる日本人を全員返しなさいと。
いうふうな観点からこれから 交渉・要求を行かないといけないんではないかと、いうふうに考えます。(「そうだ」の声)
我々長い間こうやって皆さんにおすがりして活動してきましたけども、やはり年月はドンドン経ちます。
そういう意味では我々当然ですけども、向こうで待ってる被害者の方々もドンドン年をとって来てしまう。
このことを考えると、本当に一刻も早く、返して欲しいというのが我々の願いですけども。

これは直接は北朝鮮に当たるのは政府です。
総理大臣です。
総理大臣がこの制裁についての承諾、首を縦に振らない限り、この制裁は実行出来ないと。
言う我々のもどかしさが今感じられますけども、これにつきましては皆様の協力によりまして、署名活動あるいは官邸へのメール・電話、それからハガキ、そういった物もドンドン出していただいて、国民の皆さんの世論の圧力と、良い意味での圧力と言うことをもっともっと私たちもお願いしていきたいと、言うふうに考えています。

これからも全国であちこち集会がありますし、暮れには東京でまた大集会があります。
12月の16日は大阪で、国際会議場で大集会があります。
その間も各地でこういった集会をやっております。
私たちは皆さんに訴えるしかないんです。
そういう意味では今後も、もちろん私も老体になりましたけども、鞭を打って頑張っていきたいと思いますので今後のご支援よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

このテキストは話の花束ぴろんさんの手によるものです。

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第3回埼玉県民の集い(3)上田知事

『上田清司 埼玉県知事の挨拶』



ご紹介いただきました埼玉県知事の上田清司でございます。
鈴木松蔵会長を始めとする拉致された被害者を救う埼玉の会の皆様方の、日ごろからのご尽力に心からの敬意を表したいと思います。
本日は家族会の飯塚さん、また象徴的な形で全国にいろんな形でアピールされている横田さんの弟さんの拓也さんも来ております。
そういう意味で埼玉がいろんな形で拉致された方々を救出したい。
この思いで何度も何度も思いを・・・あるいは勉強会をしたりしながらも、中々文字通り埒いかない。
こういう状況がある事も事実だというふうに思います。

まぁしかし、今度の小泉内閣も麻生太郎外務大臣、安倍官房長官、中川経済産業大臣が農林水産大臣に横滑りし、こうした問題に強い関心と意思を持っておられる方々が、逆に私は増えている。
こんなふうにも思いますし、小泉総理も何らかの形でこうした国民の声と言うものを反映するための努力をしなければならないと言うことはどこか心の奥にあるはずです。
また2度も訪朝して今日この埼玉でも田口八重子さん以下17名の方の特定失踪者が認定され、こういう状況の中で私はもっと何らかの形で経済制裁も含めたいろんな物が進めなければいけない。
この思いでございます。(拍手)

本日も我々にとっても頼もしい、金子善次郎先生が国会に復帰されました。
また埼玉では新潟に続いて県議会で拉致問題を考える議連が作ってあり、幹事長の田島県議もご参加されておられます。
多分に埼玉がそういった形で一番に熱心に取り組んでいるんではないか?こんな思いもありますが。
しかし本当に足の裏から、失礼しました。
靴の裏からかく様な足の裏をかくような思いをそれぞれ感じながらも、こうして熱心に、熱心に取り組む以外方法が無い!当面。
そういう・・・しかないと言うことを私たちは共に確認してこれからも一生懸命とにかくやろうと、そういうことでご理解を賜りたいなというふうに思います。

私も埼玉で行われる会議は少なくともこの周辺で行われるいろんな会合に、抜け出してでもここに来ると言う思いでありますことを申し上げまして、決意に代えさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

このテキストは話の花束ぴろんさんの手によるものです。

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第3回埼玉県民の集い(4 )金子善治郎氏

『金子善次郎 衆議院議員(自民党)の挨拶』 

皆様こんばんは。(「こんばんは」の声)
ただ今ご紹介を頂きました、衆議院議員の金子善次郎でございます。
今上田知事さんの方からもお話ありましたが、いや本当にですね。
この拉致問題でございますけども、どうしたら良いんだろうか?と言う気持ちでおそらくの皆様始め、我々もそんな気持ちで今いる次第でございます。
そういう中で先ほど飯塚さんの方からもお話ございました、経済制裁やるべきだと言うお話。
もうそろそろ、そういう時期なんじゃないかな?と言う気持ちもいたしております。

北朝鮮でございますが、最初にですね。
この拉致問題の重要性に私気が付きましたのは、早いものでございましてして、今この会場にですね。
私が最初に衆議院議員に当選した時の政策秘書である佐竹さんも、今東京から駆けつけておられるようでございますが。
当時ですね、当時ですよ。
この拉致問題に対しまして本当の意味で地道ながら取り組んでおられたのが、いわゆる民社協会。
昔の民社党でございますが、そこに人権会議と言ういう勉強会と申しますか、言うのがございまして。
そこでこの問題と言うものが取り上げられていたと。
私はそこで初めて勉強会に参加させていただいて、今息子さんがお出でになっておりますけども、横田めぐみさんのご両親が、涙ながらに、この何と申しますか、政治の場でもこの問題を取り上げてもらいたい。
言うような事を訴えられたわけであります。

その勉強会にたまたま私も参加させて頂いておりまして、そこには西村さんも、今も衆議院議員されておいででございます。
確かに国民も週刊誌など色んな事で多少の知識はあったと。
で、私は北朝鮮と日本のこれまでの関係を色々調べました。
これまでも人道支援と言う名目で北朝鮮には相当の米ですね、米。
これを援助して来ております。
ところがですね。
調べてみますと、直接与えたというのと、それからいわゆるお金の形で貸していると、言うものがあるわけですが。
それで農林省が食糧庁、今食糧庁ではございませんが、まぁ農林水産省でございますけども、そこが再三に渡りまして北朝鮮に請求書を出して来た。

ところがそれに対してですね。
何年もですよ?
何の返答も無い状態が実はその当時で、すでにハッキリしていた訳なんです。
拉致があって人道支援をして、それで当然向こうがお金を返さなければ、返せない状態であれば、大変申し訳ない。
今お金が無いんで、何とか日本政府としても我慢してくれとか、普通なら常識はそういう所にある。
ところが何の返答も無い。
それを逆に言えば、日本政府は放っておいたんです。
拉致の問題がありながらですよ?
今日本の政府、国民全体も拉致問題と言うものを意識され、いろんな意味で心を痛めている人が多いと思います。
しかしこの問題、北朝鮮の本質と言う物は全て今となっては皆さんがご承知の通りでありますが、この問題私はそろそろ行動を起こすべきかな?と。
言うふうにも考えている所でございます。

で、先般も色々お話を聞いておりますが、タイの女性の方も拉致されたと。
実はタイと言う国は日本以上に北朝鮮との貿易関係が多い所だそうでございます。
これからやはり、中国がああいう態度で、ロシアがああいう態度だと。
韓国がああいう態度だと、いうことであれば、先ほどもお話ございましたように、被害者を出してる国との連携と言うものをもう少し、もっともっと強めて国際的な動きって言うものをやるしか方法が無い。
言うふうにさえ、思う次第でございます。(拍手)

そういう意味で、だんだんだんだん、一番怖いのは運動のマンネリ化だと思います。
何としてでも皆様方が率先して圧力団体に是非なっていただいて、私も国会の場で主張を続けて参りますので、どうか今後も動きを絶対にマンネリ化する事無く、常に訴えていただければというふうにも思う次第でございます。
中々大変な問題で嫌になってしまうほどの問題でございますけども、一番心を痛めて、一番大変なのはご家族の方々でいらっしゃるのは言うまでもない事であります。
誰に頼るという時も、その時も横田ご夫妻はこう言われました。
「どこにお願いしたら良いのか?」
「国民を誰が守ってくれるのか?」
と言うことをご挨拶の中で言われたわけでございます。

私もその時は本当にショックを受けました。
自分の自分の家族が、やられた。
とてもとても我慢できるものではない。
言う事で私は立ち上がったつもりでございます。
あの当時は政界の中でもこの問題はある種のタブー視されていたんです。
朝鮮総連が恐ろしいとかいろんなことを言っておりました。
冗談ではありません、ここは日本の国であります。
そういうような事で拉致議連も活発化されてきたことは非常に良い事だと思いますが、何とか小泉政権の下におきまして、この経済制裁、何とかそろそろ具体的な。
今丁度6カ国協議の方も色々な難しい問題・状況がありますが、これが日本の拉致問題と核兵器の問題、これが上手く行かなければ経済制裁を必ずやると、いうような動きで進んでもらいたいと私は心から願ってる次第でございます。

そんな事で私も微力ではございますが一衆議院議員の立場におきまして出来る限りのことはやっていきたいとこのように思いますので、今後とも皆様方の仲間として一つよろしくお願い申し上げる次第でございます。
雑駁なご挨拶になって恐縮でございますが、そういう気持ちをお汲み取りいただきまして、金子善次郎も救う会埼玉の一メンバーとしてご認識いただければ誠にありがたい、このように願う次第でございます。
ありがとうございました。(拍手)

このテキストは話の花束ぴろんさんの手によるものです。

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第3回埼玉県民の集い(5)田島敏包氏

『田島敏包(としかね) 埼玉県議会議員の挨拶』 

(※北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を図る埼玉県議会議員連盟・幹事長)

ただ今紹介を頂きました北朝鮮による拉致問題の早期解決を図る埼玉県の議員連盟という、非常にお題目が長くて言い辛いですが。
我々は拉致議連と通称で埼玉県拉致議連と言う事で皆様方に訴えています。
ただ今紹介を頂きました、田島でございます。

私も拉致と言う言葉を知ったのは、平成3年県議会に当選いたしまして4~5年経ってから、平成7~8年の頃だと思います。
そのとき一番、日本の国は何をやっているのかな?と。
日本の民族が、日本の国権の中で守らなければならないのに、昨日まで居た人がいなくなった。
しかも北朝鮮で、働かされている。
そのような時に日本の国は何も言わないのか?吼えないのか?と。
そんな感じを受けました。

私自身、平成3年から議員になりまして今4期目でございますけども、日本民族と言う根幹は、政治をしながら絶対に持っていなければならない。
それを揺るがせてはいけないという気持ちで政治活動をやってまいりました。
たまたま先の参議院選挙の前にですか、補欠選挙がございました。
自民党の関口昌一先生が当選させていただきました。
その前、現在拉致議連の会長であります、深井会長の方から「田島何とか、拉致議連をつくろうよ」と。
「その方が良いぞ」と言う話になりました。
作らせて頂きました。
たまたま作り、何とか藤田進さんの弟さんを県議会の方で呼んで講演してもらったり、色々やってまいりました。

たまたま自民党で横田ご夫妻の講演をしていただき、また9月の5日には私の講演会の所、これは遠い児玉町なんですよ私、実は。
そこで会場一杯児玉の町の人に集まっていただいて、横田ご夫妻のお話を聞かせていただきました。
お父さんの方が語る、とつとつと語る、誠実に語る、その言葉の中に娘を思う気持ち。
またお母さんのあの新潟での事件、一言一言全てビデオテープで撮ってあるように、自分の産んだ子の生活。
何とか助けてあげたい。
その気持ちをひしひしと感じさせていただきました。

9月の20日、我々議連は47名おります。
その中で13名が新潟へ行きまして、新潟の拉致議連と協議及び、憎っくき万景峰号の入港阻止に向けて我々は埠頭まで行き「帰れ!北朝鮮へ帰れ!」大きく我々は船に向って叫んでまいりました。
同日に船は岸壁に着き、我々がいなくなった後、乗客が降りたそうですよ。
そんな話の中で、今から十数年前は新潟港の入国審査すら、北朝鮮が全てやってた。
それが現実だったと聞かされたとき、日本の国の港で、何で外国の北朝鮮が、そこまで日本の国はやらせていた。
そんな日本の国に対して私はやり切れない気持ちになりました。
悲しい気持ちになりました。

何が何でも、小さな地方自治体の議員です。
でも日本人である以上、日本人の心を持っている以上、早く拉致被害者を日本の国に返してやりたい。
そんな気持ちでおります。
しかも新潟へ行ったときに新潟県の県議会議長の方から、全国議長会で「拉致議連を作ってくれと言っても相手にされないんだよ」と、悲しい言葉がありました。
たまたま埼玉から行った13人の中に蓮見昭一現議長がおりました。
「じゃあ私も協力しましょう」
そういう話の中で、今全国を調べましたら47都道府県の中で11、拉致議連があるそうです。
無い所を何とか作ろうといって、今月末か来月半ば、一応幹事会を開きます。
全国47都道府県、拉致議連を作り、我々地方議員から国を動かすような運動を進めたいと思います。(拍手)

そのためには皆様方のご不断のご協力・ご支援をお願いしたいと思います。
我々も家族会と共に拉致被害者の家族と共に、一歩一歩解決のために前進して参ります。
本日は皆様にこれだけを確約して、私の挨拶に代えさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

このテキストは話の花束ぴろんさんの手によるものです。

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第3回埼玉県民の集い(6) 真鍋貞樹さん

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話』

皆さんこんばんは。(会場より「こんばんは」の声)
いつも皆さん方のご支援ご協力に心より御礼を申し上げさせていただきたいと思います。
だいぶ押し詰まっていますが私(持ち時間は)20分と聞いておりましたが、20分で宜しいでしょうか?
20分で特定失踪者問題の全てを語る事は出来ませんので、皆さんのお手元にですね。
「消えた川口の6人」と言う一枚のチラシがあろうかと思います。
そちらを中心にお話をさせていただきたいと思います。

最初に、今も県知事や金子善次郎議員のお話がありましたけれども、本当に今の政治状況はですね。この拉致問題と言う物を簡単に解決するような状況では無いと言うことは皆さんお分かりだと思います。それはひとえに政治と言うのは人がやる事ですから、やっぱり人が動かす物ですから。この問題本気で解決しようと言う人が日本のトップでなければ、やはり解決しない事なんだろうと思っています。

その中でこの埼玉県というのは、県知事を初め、国会議員の皆さん、県議会議員の皆さん、市議会議員の皆さん、ほんとに一番熱心な県だと思っております。
せっかく褒めようと思ったら帰られちゃったんですけども(会場内小さな笑い声)やっぱり小泉純一郎さんではなくて、上田県知事を総理大臣にして(拍手)そうでしょ!それでちょっと問題ありましたけど、西村眞悟衆議院議員を官房長官にして(拍手、「その通り」の声も)そうでしょ!で、金子善次郎さん、この方は、我々にとって非常に貢献していただいた方です。金子善次郎さんを外務大臣にしてですね、(拍手)それで一気に解決をするということ考えなければ、この問題は解決できないと思っております。正に政治の問題だと思っております。これ話し始めるとこれだけで20分が終わってしまいますので、主に先ほど申し上げましたような川口の話を中心にさせて頂きたいと思います。

その前提にまず埼玉県全体の特定失踪者の方々の状況を申し上げます。
もう我々(特定失踪者問題調査会)ができて3年が経ちました。3年たったら、どんどん特定失踪者の方が増えまして、今460人の方から、私ども(に)届け出を頂いております。そのうち公開という形のかたが260人ですね。今日も壇上に上がっていらっしゃいますけれども、佐々木悦子さんのお母様をはじめとしてですね、それから、これは埼玉ではないですけれども、東京都の神津島で失踪した高野清文さんのご家族も会場のどこかにいらっしゃるはずでございます。その他多くの失踪者のご家族からご相談を頂いております。

埼玉ではさきほど県知事は17家族と言う数字を言われたかと思いますが、現在19家族いらっしゃいます。そのうち14家族の方から公開の申し出があります。そして失踪場所が埼玉というケースが11件
あるわけですね。たとえば新木章さんも、住まいは埼玉だったけれども、東京で失踪している方もいらっしゃいますので。

とにかく失踪場所が埼玉県という方が11人いらっしゃいます。それから北海道にお住まいだった方が、埼玉に住んでいて、埼玉で失踪したと言う方もあります。ですから、埼玉の問題というのは埼玉にご家族いらっしゃる問題だけではなく、埼玉を舞台にした失踪事件、そして拉致事件があることをまずご理解頂きたいと思います。

埼玉はですね、いわゆる1000番台リストと呼んでいますけれど、私ども特定失踪者問題調査会で拉致の可能性が高いと言われている方々の数が実は一番多い県でございます。

このチラシにありますようにですね、川口の6人のかたのうち、(田口八重子さんは、拉致被害者ですから)上の5人の方うち、真ん中にある藤田進さん、右隣の新木章さん、そして佐々木悦子さん、この3人の方々は我々調査会では拉致濃厚というふに、我々で判断している方でございます。

ここに入っていないんですけれども、実は、1973年に忽然と失踪した(失踪というかこれは事件なんですけれども)高兄弟という女の子と男の子の兄弟の失踪があります。これは正に事件でして、この二人のお父さんが北朝鮮の工作員だったわけです。奥さんは日本人です。この高兄弟のお父さんが北朝鮮籍で工作員だった。お母さんはそう言うことを知らないで結婚をして子どもができた、そのふたり(が失踪したと)と言う事件がございます。

このとき高さんが住んでいたのが埼玉県の上福岡市だったんですね。ご家族は現在北海道に住んでいらっしゃいますので、埼玉という形で出てきてませんし、また事件そのものも非常に複雑で、東京都下の目黒区あたりで事件が発生しているんです。それを詳しく言い始めますとこれも長くなりますから、はしょりますけれども。お父さんが北朝鮮の工作員あということがわかってですね、事件になったわけですけれども、お母さんは何も知らないから、お父さんの会社に訪ねていったんですね。『自分の夫が行方不明になっているけれども、どうなったんだ』ということで訪ねていったら、そこで犯人に拘束されて、お母さんがまず失踪したわけです。

この件は石高健二さんががよく調べていらっしゃるのでお読み頂きたいんですが。結論的にはお母さんは殺されてしまったと言うふうになっています。そして、残された2人のおこさんも忽然と消えたわけです。私たちとしても、これは事件で北朝鮮の工作員が絡んでいると言うことがありますから、私どもとしては、『拉致間違いない』と言う形で認定している方がいらっしゃるわけです。

(あと10分と時間を確認して)
あと10分しkないそうです。
とするとポイントを藤田進さんの事件に当てて、あと10分話したいと思います。

と申しますのは10月14日に大きなニュースになりましたけれど、西新井病院の関係施設を警視庁が捜索をしたというニュースがあったわけです。西新井病院の関係施設というのが、「金万有科学振興会」という団体が西新井病院の中にありまして、そこの「金万有科学振興会」の役員が薬事法違反で逮捕されたという事件です。それだけ考えれば、なんの事件か、なんで真鍋はそんなことをいうのかと言うことになりますが、この事件は藤田進さんと密接に絡んでいるということでございます。

というのは週間新潮や産経新聞であきらかになっているわけなんですけれども、私は<藤田進さんの拉致に関係したという人物>と面会をしているわけであります。

彼は私と何度も連絡を取りまして詳細に藤田進さんの拉致を手伝わされた状況を話しております。手伝わされたということなんですね。脅かされてやらされたと。藤田進さんは、千葉県にある西新井病院の施設に監禁されていた。監禁されていたところに自分は迎えに行った。その時に藤田進さんは泣いていた。その泣いていた藤田進さんを車に入れて、いわゆる大町ルートを使って、新潟県の糸魚川まで運んだ。そして糸魚川で別な人物に藤田進さんを渡したいうふうに証言しています。

実はこの証言が本当かどうかというのは、検証が不能だったわけです。この話は、警視庁が掴んでいたようでありまして、捜査上の問題があると言うことで、ある時より彼からの連絡は途絶えていたわけであります。そしてこの10月14日に正に彼が証言した施設・場所などにがさ入れがあったわけです。

表向き、警視庁は『これは藤田進さんとの関係はない』というふうに再三記者会見などでは言っておりますけれども。『単なる薬事法違反の捜査だ』と繰り返し言っておりますけれど。その薬事法違反というのは、ユンケルのような薬を、ガンに効く、エイズに効くというふうに、インターネット上で販売した言う事件だったんですね。結果は略式起訴ということで50万円で釈放されています。

こんな小さな事件、総数が300人 から400人の、<機動隊>を出してですよ、これは表には出ていませんが機動隊の後ろには、マシンガンを持った警察官も待機していたと言うぐらいです。それから捜索も、当初26カ所、関連施設を捜索する予定だったと言うことです。ところが、いろんなことで11カ所になったと言うことなんです。

要するに、いつもの警察のやり方ですが(別件逮捕というわけではないですが)、相当藤田進さんの拉致事件と関連をしながら、薬事法違反という形で捜査したことは間違いないと思われます。

そして、その結果出てきたものはまだ明らかになっていません。警察当局も何にも公表していないんですけれども、ポイントは『拉致であると共に、核開発のための技術と言ったものがこの科学振興会から北朝鮮に流されていた。』可能性が見えてきた、この辺がまだ明らかではないのですけれども。そう言った事件がありました。

しかもですね、藤田進さんにつきましては安明進ですね、-横田めぐみさんをみたという、目撃をした-安明進さんも藤田進さんが北朝鮮にいたと言うことを見たというのを、何度も証言しているのです。それは市川修一さんと一緒にいて、親切な若い男性がいて『たばこをくれた人物だ』と安明進は藤田進さんのことを言っているわけです。

と言うよう証言や、警察の捜査がある。

そして第三に(これが決め手なんですけれども)北朝鮮から藤田進さんの写真が出てきたわけです。出てきたわけですね。これは去年の8月です。大変ショッキングな写真だったわけですけれども。この写真が出てきた。安明進の目撃証言がある。こんど藤田進さんの拉致が関わった証言がある場所にがさ入れをした。これがあるにも関わらず、日本政府は藤田さんを、依然として、依然として、拉致被害者であると認定しようとしていません。

なぜなのか?これだけの明白なことがありながら、藤田進さんをはじめとしてですね、私たちが怪しいと、疑いがあると言っている方々、たとえば千葉県の加瀬テル子さんですね、同じように写真が出てきた方。島根県の松本京子さんと言ったような方々を依然として拉致被害者として認定してないというこの意味はとても重要です。日本政府が拉致問題に対してどれだけ真剣に取り組んでいるかということを知る上でとても重要です。

とりあえずは、日朝交渉の中で拉致被害者=政府認定の拉致被害者で手を打って、日朝国交正常化。残余の問題については、日朝国交正常化のあとに解決するという、公式なスタンスを変えていないというふうに思っています。その結果どうなるかはみなさん、だいたい想像がつくと思います。闇から闇にです。闇から闇になる可能性があるんです。それを絶対に許してはいけないのです。それを是非お訴えさせて頂きたいと思います。

(時間を気にしながら)
最後にですね、私が個人的にですが(そう)呼んでいるものがあります。『拉致のトライアングル』、といいます。それはですね、(お手元にかいてあるはすですが)川口と、それから北区と、それから足立区のトライアングルです。この二区(ふたく)においても多くの失踪事件があります。問題が、事件が起きています。そして足立区は西新井病院があるところです。

このトライアングルの中に、恐らくこの日本の北朝鮮による拉致事件の秘密が隠されているはずだと思っております。そこ解明はまだまだです。まだ入り口に立ったばっかりです。

拉致問題というのはですね、わかっている限りでもほんの一部にすぎないと思います。全容を解明したとすれば、もう、ほんの一部、ひっくり返るようなことが、明らかになるかもしれません。
その中の一つがこの埼玉県川口と、東京の北区、そして足立区の三角点を結ぶトライアングルにあるだろうと思っております。今日はお時間がないので、又時間がありましたら、その辺の背景内容をお知らせしたいと思いますが。

最後にですね、この折り鶴を送ってくださるご兄弟。私はこの場をお借りしてこの二人に感謝のことばを申し上げたいと思います。本当にこのお二人は熱心にこういう活動をして頂いています。ここに書いてあるんですけれども、『私たちふたりが出来ることは、この鶴を折ることです。』これも1万羽も折られたと書いてありますね。このお二人の高校生と中学生の方の、『自分たちの出来ることは何だろう』と自分たちで考えられてこうした活動を地道に続けられている、こういう人たちに私たちも支えられていますし、その思いを是非拉致問題の解決に結びつけていきたいと思っております。
従いまして皆様も是非更なるご支援とご協力のほど、心よりお願い申し上げまして私のご報告とさせて頂きます。

冒頭部分、話の花束ぴろんさんにお手伝い頂きました。感謝を添えて。

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第3回埼玉県民の集い(7)・横田拓也さん1

横田拓也さん( 第3回 拉致問題を考える埼玉県民の集い・2005/11/19)
みなさま、こんばんは。(会場から「こんばんは」)
只今ご紹介にあずかりました、横田めぐみの弟の横田拓也と申します。よろしくお願いいたします。
まず、はじめに冒頭、副代表の飯塚様から、ご挨拶申し上げましたが、日常よりこの北朝鮮による拉致問題について、深いご理解とご支援を賜りますことを、高い席からではございますが、お礼申しあげます。、ありがとうございます。(拍手)

横田めぐみの件につきましては、既に皆様方、深くご存知いただいているかと思いますが、家族からの話として一部ご紹介、もしくは日頃の活動についてお話申し上げたいと思います。

横田めぐみは1977年の11月にこの美しい日本、そして楽しい家族の元から引き離されて、拉致をされたわけでございます。
僅か13才、ほんとうに子どもです。学校のクラブのバトミントン部でしたけれども、友達と帰って、途中で別れてから-(家とその拉致現場がほんとに数百メートルの近い距離であったわけですが)そこで消息を失ったわけです。警察犬によって、(嗅覚が鋭いですから犬を何匹も使ってですね)調査をしたわけですが、全く手がかりなし、目撃状況なしということで、私たちとしてみれば、当時の言葉でいうと「神隠し」ということで、本当に生き地獄の毎日であったわけであります。

まぁ、めぐみは、今年の10月に41才の誕生日を迎えまして、今月の15日(11月)には拉致をされてから28年が経過したわけであります。

私も含めてなんですが、みなさま方に置かれましてもですね、ご自分の13才の頃、どんな年だったか、どんな苦労の記憶があるかということを思いだしていただきたいんです。

まぁ、中学一年生であります。本当に多感な頃で、夢が多くて、自己実現を叶えようと言う、ほんとに花盛り、楽しい時期であったと思います。これはもう、みんな一緒なんだと思います。
ほんとに友達がいて楽しくて、(先生の授業、楽しいかどうかはわかりませんけれども)普通の毎日が毎日が楽しい、日々もう明るい一日だったと思います。そしてクラブで勝って優勝したいという夢もあったでしょうし、高校に入って、こんな勉強したいとか、大学に入ってこういうふうな学部に入って勉強したいとか、こんな仕事がしてみたいとか、旦那さんと結婚して、お子さんを持ってとか、そんなことを本当に夢見ていたと思います。

これ、誰もが踏んできた、平等に与えられた権利、夢だったと思うんですが、はかなくも姉は、この夢をかなえることができず、北朝鮮の工作員によって、拉致をされたわけであります。
もう、人生の三分の二以上が、夢も、将来もないような、貧しい、精神的に貧しい、北朝鮮という地域ですね、(私たちは国交を持っていませんので、国家ではありませんけれども)ま、その地域においてですね、抑留されているわけであります。

私たちはこうして(お話を、今こちらから、お話をさせて頂いていますが)こんな冬でも、こうして温かい場所にいることができます。帰ってもおなかがすけば夕ご飯を、本当に普通に食べることができます。寝るときも暖かい布団に入って、安心して寝ることができる。明日も本当に普通の朝がやってくるし、普通のお友達とご飯を食べるかもしれないし、どこかにお出かけになるかもしれません。
将来に対してほとんどの不安がないのが日本の地の状況だと思います。

しかしめぐみを初めとする多くの被害者たちは今日食べることが保証されていないかもしれない。寝るところが屋外の寒いところかもしれない。それは私たちが、いろんな報道で子ども達が、本当に乞食と書いた言葉で(むこうで何とよんでいるかは、わかりませんが=コッチョビのこと)落ちているコーンの、とうもろこしのくずをですね、食べているそう言う状況であります。

みなさまのお手元に資料があるかどうかわかりませんが、脱北された女性とか男性の話によるとですね、<落ちているねずみの足を食べたのがこれまでのご馳走だった>というような状況もあるんです。

本当に何も保障されていないんです。楽しいときも怒りのときも感情を隣の人と、周りと共有することもできない。思想の弾圧があって、人権の弾圧が日々ある、本当に将来が保障されていない、悲しい毎日にいるわけです。それを、28年間、人によっては30年、40年、同じ状況にあるわけであります。

これはたまたま私が壇上に上がってお話をしていますが、日本人一人一人が、この状況に対して怒って、「北朝鮮を絶対許してならない」ということを、共同歩調で取り組んでいく必要があると思います。

本当にめぐみというのは、横田家の中では<笑顔のシンボル>、女の子でしたから、特にうちの姉はしゃべるのが好きで、明るい子でしたから、本当に、にぎやかな食卓だったわけです。
しかし、その拉致をされた当日、数日、一週間、一ヶ月、どこまで続くんだろうという重ーい雰囲気あって、いつの間にか姉の存在、姉のことばというのが語られなくなった。これは、いろんな家族会の被害者のご家族の話を聞いてみると、ほんとに一緒の経過をたどっています。口にしてはならない重~い雰囲気いつも漂っていて、本当に生殺し、生き地獄という日々を送っていたわけであります。

そして、この問題はですね、いまこそ拉致<問題>といわれていますが、当時は拉致<疑惑>だったわけです。そして拉致疑惑の前までは何の状況もなかったわけですから、私を含めて、私の家族を含めて、皆様方も含めてこの「北朝鮮」とか「拉致」という言葉はまったく知られていなかったわけです。1977年の11月に拉致をされてから、約二十年間、私の家族においてでさえ、めぐみの情報、目撃証言、そして北朝鮮という言葉は一切周りにはありませんでした。

それは政府の怠慢なのか、ジャーナリズムの怠慢なのか、わかりませんが、どこかの一部ではこの状況は語られていたわけではありますけれども、世の中はそれについてこなかったのであります。
この時期に、もし、ジャーナリズムが正義感を働かし、動き、そして、もし日本政府が国民を守るという基本的な使命を果たしていれば、この問題の解決というのは、もう少し早く図られていたのではないかと思います。

そして1997年約20年後に家族会が設立され、私たちは(いまでこそ、このように大規模な形で、お話をする機械を頂戴しておりますが)当時は本当に街頭でタスキたすきをかけて皆様にお訴えしてもですね、(だーれも、この問題、知らないわけですから、当然のことだったのかもしれませんが)誰もが、耳を傾けてくださらなかったわけであります。

私たち被害者は、『どうして私たちのほんとの声を聞いてくださらないのですか』と申し上げます。そしてあるときには、マスコミは有名な有識者とされる、それもほとんど北朝鮮に利敵行為を働く方々がですね、これは拉致疑惑であると、誰も証拠がないということを声高に叫び、私たちの活動を妨害する方々も多くいたわけであります。

本当に、ほんとに苦しいほど、言葉にできないような情景が続いて2002年まで、私たちは生き地獄の中をさまよっていたわけでございます。

それがどうでしょうか? まぁ、小泉さんのお力もあるんですが、2002年にようやく平壌訪問、日朝首脳会談というのが図られたわけであります。そのときに初めて、ご承知のとおり、北朝鮮が拉致の問題を認めたわけであります。自分の国家が侵した罪であるということを、自らが認めた瞬間でありました。

その時の、日本中がひっくり返ったさまを皆さま方もご記憶にあるかと思います。
当日の夕刊、新聞、翌日の朝刊、これはもう、ほんとにひっくり返るというのはこういうことだと思いますが、私たちも含めて、もう頭の中が真っ白でしたし、もうほんとに日本中がパニックに陥ったわけであります。

今までそんなことはありえないと言っていた方々も、いつの間にか、テレビ画面や新聞のところからはいなくなってしまったわけです。自分たちが言ってきたあまりにもくだらないことが、もう瓦解してしまったわけであります。

そうして初めて、私たちが拉致問題があるということが世も中の皆様方によって認められ、政府に認められ、そして国際的にも一歩進んだ瞬間であったわけです。

しかし両手を持ってですね、私たちはそれを喜ぶわけにはいかなかったのです。ご承知のとおり、生存組と、死亡組という形で北朝鮮は欺瞞情報言い続けてきたわけであります。しかもそのときに死亡とされた情報というのは、あくまでも彼らが言ってきた事柄を、日本政府の外務省の方々が伝えただけであって、誰一人として、科学的にも、人対人で確認したわけでもありませんでした。私たちは外務省に翌日詰め寄りました。

「これではおかしいと、生きている人間が死んでいるという情報が、この状況、このボリュームで日本中に広がってしまうと、めぐみをはじめとする被害者たちが殺されてしまうではないかと。そういう報道操作はやめてほしいと。今すぐ大洋州アジア局長がテレビに出るなりされてですね、この問題を否定してほしい」

ということを訴えました。

しかし外務省は(今もあまりかわりませんが)全く冷たい姿勢で、私たちを相手にしませんでした。あたかも、さきほど飯塚副代表、眞鍋専務理事がおっしゃいましたように、日朝の国交正常化を図ろうという目的があったように思います。

それを持って私たちの拉致問題がすごく邪魔だったのかもしれません。

私たちに対しては、まったくの冷たい姿勢をとり続けていました。

しかし、皆様方の、関心と、お力添えによって、そして2002年9月17日の一週間前の、9.11においては、アメリカにおける同時テロが起きたわけであります。
北朝鮮としては、またアメリカが、テロ国家、人権蹂躙国家の北朝鮮=自国に対して、矛先が向いてくるのではないかということを心配して、そして日本からの経済援助、多額の経済協力をもらいたいというのが裏腹にあって、この拉致問題を認めたわけです。

そして皆様方の本当に強い意識、行動によって日本政府を動かしたわけであります。そして、おかげさまで、拉致をされた直接の被害者、5人の皆様方、蓮池ご夫妻、地村ご夫妻、そして、蘇我さんが帰ってきたわけであります。

今までの私たちの取り組みの中では、ここまで進むとは正直言って、思っていませんでした。しかし皆さん方の民主主義の下にある、この「常識を取り返すんだ」と、「日本人を取り戻すんだ」という強い意志が私たちの味方についてくれたわけです。
こうした、譲歩ではなく圧力こそがこの北朝鮮問題を解決する道筋であるということを証明した瞬間だったわけです。

今まで日本の北朝鮮に対するコメ支援というのは、先ほどどなたかがお話になりましたが、120万トン以上なわけであります。しかし実際にそこで支援されたお米、もしくは米に変わるものが、私たちがテレビで見るような貧しい子供たち、とうもろこしのくずをたべているような、本当にかわいそうな子供たちが口にできているのかというと、まったくそれは<うそ>なんですね。

もうあそこの国というのは完全にセパレートされていますから、もう一部の特権階級、軍事的な方とか、そして政府の高官(金正日はそのトップにあるわけですが)、そういった人間しか口にできないわけであります。

私たち家族会(私も今回一緒に行かせて貰いましたが)10月24日から29日に訪米をさせていただきました。そのときにある政府の高官が言っておりました。
『北朝鮮には経済なんかないんだ パレスエコノミーなんだよ』ということを彼らは言っておりました。つまり、私たちが北朝鮮に米を送って、それをやめてしまうとみんなが困るっていうことを、よく日本の有識者とされる<うそものたち>が言っておりますが、『そんなことはありえないんだ もともと(米が)行っている経済というのは、パレスエコノミーにしか恩恵を受けていないんだから、ここをとめても、決してかわいそうな人たちは本当はこまらないんですよ』と。

そこは私たちが言っている経済制裁、つまり彼らはもっとことばをうまく使ったほうがいいよと助言をしていただきましたけれど。<スマートサンクション><ターゲティックサンクション>、こういったことは、効果があるんだということを私たちに助言をしてくださいました。

つまり、私たちが安易なコメ支援、それに変わる経済支援をしてしまうと、さらに今までの、自分たちの懐に入れていた方々がもっと肥えてしまうわけですね。ほんとに困っている人たちを弾圧してしまって、もっとこの先将来食べられない状態になってしまうということ。これは脱北者の方たちも、ほんとに口をそろえて同じ事を言っています。

日本が安易に妥協してそして政治の思惑、からみで、コメ支援、経済協力をしてしまうと、『実は多くの人々を殺してしまうんですよ。』ということ多くの人が口をそろえておっしゃいます。

そうした日本の無策、顔のない外交を私たちは許してはならないというふうに思います。

一時、援助すると困った人が助かるんじゃないかということを考えてしまいがちです。私も、初期のころは、そういう風な考えもありました。しかし、それが相手がどこの国なんだ、誰がその国のトップなんだということを知ったときに、それは明らかに違いな選択肢であると、いうことを私たちは、再確認していく必要があると思います。

そして北朝鮮問題、私たちはたまたまこの拉致問題という形でお話をさせていただいております。しかし、ご承知のとおり、現在六者協議が開催されておりますが、核の問題ですとか、大量破壊兵器拡散の問題、偽札、麻薬、人身売買、いろんな問題があるわけです。およそ私たちの知る<悪>といわれるものが全て彼ら発ということなわけです。

そして核の問題、弾道ミサイルに核弾頭をつんで発射してしまえば、およそ約二十分弱でこの日本に着弾するわけであります。そういう意味においては、核ミサイルに関わらず、拉致問題も含めてこの問題というのは私たちここにいる壇上のものだけに課せられた使命ではなくて、皆様方お一人お一人においても、「等しく降りかかる危機なんである」と、いうことを認識していく必要があると思います。

彼らの悪事を、「絶対的に許さない」「懲らしめて許さないんだ」ということを誓えば日本は安全になるし、そして私たちの将来、子供たち、孫も明るい将来を保証されていくんだというふうに思います。
そして拉致の問題に関して申し上げれば、5人の方々とその家族はおかげさまで帰ってくることができましたけれど、私の姉をはじめとする、死亡組みとされる人々っそして先ほど真鍋さんからお話があった特定失踪者の方々、相談件数ベースですと460件という話が先ほどありました。そういった人たちがまだ帰ってきていない。未解決であるということは今日現在も拉致が行われている可能性があるということを、私たちは強く認識していいと思います。つまり現在進行形のテロだということです。

私の姉を含めて、おそらくそれは、一人の工作員が偶発的に「あ、あの人がいた」というかたちで拉致をしたわけではないと思います。これは確信を持っていえるわけであります。
あそこの国は完全な指揮系統の中で生活していますので、一人の人間がが自発的に何か好きなことをやれるような社会ではないわけであります。

北朝鮮においては、金正日の直接的指令・指示によって、何もかも動いてしまう。かれの承認なくして物事が判断・決断されない国家でありますから、今回の拉致事件も、すべてのところにおいて、北朝鮮が直接的に指示をしているわけであります。

そうした意味では、国家テロが20年も30年も40年も前からこの日本を侵し続けているんだということを私たちは理解していく必要があると思います。

不審船の問題もそうです。人権問題、人権蹂躙、領土、侵入、ありとあらゆることが私たちのこの日本において、過去から、今も、されているんだということうことを、この事実を理解した上で、そして相手がどんな相手なのかというのを理解した上で、彼らに対する選択肢が、どうあるべきかと。

そして、私たちがお訴えすることと、日本政府がいまだに躊躇しているこの実態と、どちらが正しいのかということをですね、私たちは、強く判断していく必要があると思います。

ちなみに、私、個人的に、めぐみ、ほかの拉致被害者の方々の誰か、もしくは多くの方々が新潟から行き来している万景峰号に乗せられて拉致をされた可能性もあると思っています。

これは、もうすぐいろんなことによって明らかにされるのかもしれませんが、少なくとも今、日本国民の皆様の意志によって国会を通過させた二法案は成立しまして、(経済制裁法案は、外為法と特定船舶入稿禁止法でございますが)せめて、不審船の母船ともいわれる万景峰号を止めてですね、私たちの国家の意思を示していく必要が、私は、あると思います。

そのために、日本政府に対して、「もっと、あなた方は北朝鮮に対して強い姿勢で、出るべきだ」ということを声にしていただけないかというふうに私は思います。

皆さまがたのお手元にも、今日、こうした「蒼いはがき」が入っていると思いますけれども。これは内閣官房気付で、小泉総理大臣に着く手紙になっていますが、皆さま方お一人お一人の声を、日本政府の顔のない外交に、怒っている意思を表明していただきたいわけであります。

私はこうして、いろんな集会とか講演会とか、街頭でお話させていただく機会がございますときにですね、皆様方のほうから「私たちに何ができますか」という温かい言葉を何度もいただきます。

私はいつも例えとして申し上げておりますけれども、この問題が当時<拉致疑惑>のときに、私はインターネットを使って、首相官邸に毎日に近い状態でメールを送っていました。抗議のメールです。「日本政府のあいまいな外交姿勢はやめてほしい」と、「改めてほしい」ということを何日も、何回も送りました。それは大蔵省、経済産業省、警察、あらゆるところに送りました。そして、誰もが「そんなことしても見てくれていないよ」というひともいました。

しかし、私が始めて首相官邸の中に入ってお邪魔したときに、当時安部官房副長官がわざわざ歩み寄ってくださって、「あなたが拓也さんですか。私はあなたの抗議のメールをいつもみていましたよ」ということをおっしゃってくださいました。見てくださる方は見ています。そして、それが安部副長官であれ、どなたであれ、そうした善意のある方は、どこの組織にもいるはずなんです。

そうした方々に共感を生むように、私たち国民の意思、民主主義の正義の意思をですね、伝えていくってことが、力になって、世論となって、民意となって、政府に対する圧力につながると思います。

さきほど、議員の方が、「皆様方が圧力団体になってほしい」ということばがありましたけれど、これはそういうことなんだと思います。
そのひとつの例がこの蒼いはがきであって、インターネットのWebで首相官邸のホームページを開けば、ご意見箱といったようなタグがありますから、そこに皆様方の、お声を一個一個積み上げていくことはできると思います。インターネット以外でもfaxでも、お電話でも、お手紙でも結構です。外務省にも送ってください。そうしたことが本当に広がりになっていきます。

そしてそれは政府に対する抗議だけではなくて、今日私たちがこうして、お話をさせていただいた、この機会のことをお帰りになりましたら、もしくは明日以降ですね、こんな話を聞いてきたんだということを、おひとりでも多くの方に、お声をかけていただくことが、この問題の関心をつなぎとめていくこと、日本政府の安易な妥協を許さないんだということにつながりるはずなんです。

私たちが、ほんとに被害者か加害者かといえば、これは間違いなく北朝鮮が認めたわけですから、明らかに被害者なんです。明らかに、彼らが加害者なんです。私たちが妥協することはない。私たちがうろたえていたら、私たちの直接の家族・兄弟が困るとともに、この日本のあいまいな外交姿勢そのものが、今の私たちの子供にも悪い教育に実際なってしまうと思います。

私たちが間違いだということは間違いなんだということを北朝鮮にぶつけて、誰が見ても、私たちは正しいことをしているんだということを訴え続けていく必要があるんだと、私は思います。

そして、日朝国交正常化の件で申し上げると、拉致問題の解決の前に、(まぁ、政府も外務大臣も、官房長官もおっしゃっておりますけれど)国民お一人お一人が認識しておかなくてはならないのは、国交正常化の前に、拉致問題が解決されなくてはならないんだということでございます。

先ほど真鍋専務理事からもございましたように、拉致問題を日朝国交正常化の後でいいと、仮に、してしまえば、日本政府は隠したがります。北朝鮮政府も隠したがります。拉致問題はなかったんだということで、20年前に戻ってしまうわけなんです。そうしたことを許さないためにも、日朝国交正常化は絶対に拉致問題の後でということを、日々の政治的、国際的動向を見守っていただきたいと思います。(会場からそうだ!の声)

また、さきほど特定失踪者問題の真鍋さんのほうから、これは敢えてお話しなかったんだと思いますが、こういった、皆様方に、お送りいただくはがきのほかにも、特定失踪者問題調査会の運動として《しおかぜ》という短波放送の活動をされています。これは、あそこの組織が主体となって、短波放送で、拉致被害者の方々、北朝鮮にとらわれている日本人のひとりひとり、お名前を呼んでいる活動を、今、しています。

つまりは、自分たちがもし北朝鮮にいて、誰も日本の人が知らないと思ったら絶望的だと思いますが、その日本人から、日本から、あなたが名前を呼ばれたときに、すごく心強くなるじゃないですか。

消して忘れていないんだということを私たちが声をだすということです。この活動を、地道に進めています。しかし、私が言うとちょっと欲深い話に聞こえてしまっては恐縮でございますが、この短波放送のお金、年間500万から300万かかるそうでございます。

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第3回埼玉県民の集い(7)横田拓也さん2

(ここから話の花束、ぴろんさんのテキストです。ぴろんさん、ありがとうございました)

これは私たち民間団体というか任意団体です。
普段の仕事を持っている方々ですから、別に経済的な負担を持ってるわけではないんです。
出来ましたら皆様方の温かいお力をですね、この組織の活動の為、ひいては私たちの家族の為にご助力をお願いできれば幸いでございます。

また、明日以降ですね。
この問題をご友人ですとか知人の方々にお話いただくときはですね、今有楽町のマリオンでうちの写真展をやっています。
これ、昨日のNHKでもうちの母が話しておりましたけれど、たまたま横田めぐみの写真展です。
しかしめぐみの写真展では無いと言うことを持って、ぜひ見ていただきたいんです。
これと同じ家族が4~500人いるということを持ってですね、この問題の根深さ・広がりと言うものをですね。
ぜひ直接目で見ていただく機会がありましたら、お願いしたいと思います。

またお時間が超過しているみたいなので、最後に申し上げますけども、皆様方のお力でご帰国された5人の方がいらっしゃいます。
本当に一歩解決、前進だったと思います。
私はあえて彼らに申し上げたいのは、もっと彼らが拉致問題に、直接に結びつかないとしてもですね。
見聞きしてきた事、体験してきた事、生活してきた事をですね。
私たちが聞く前にですね。
彼らの口から自発的にですね。
私たち国民に対してお話していただけないか?と思っています。(会場内拍手)

これはなぜか?と言いますとですね。
拉致の問題は知らないのかもしれない。
もしかして知っていても怖くて言えないのかも知れない。
それは私はなんとも分かりませんけれども、どんな生活をしていたか?と言う事は私には全く関係のないことかもしれないけれども、ある北朝鮮専門家から見ればですね。
こういうものを食べていたという事はこういう生活待遇にあったんじゃないか?と推測出来るかもしれない。
こういう建物に住んでいたと言うことを話せば、私には分からなくてもある人が聞けば、こういう地域のこういう建物じゃないか?と、点と点がつながって線になる可能性が大きいと思います。
そういう意味では私はどんな事、関係のないこと、間接的なことでも結構ですから、直接国民の前に自発的にお話していただきたい。
そろそろもう帰国されて3年、ご家族ももう戻られているわけですから、私たちがお願いをする前にどうかお話しをしていただけないかな?と言うことと。

後もう一個は亡命元工作員の、横田めぐみの名前を初めて挙げてくださった安明進さんとですね。
彼ら5人が直接会って欲しいと思います。
安さんは北朝鮮の方ですから、国内の事は全て承知しているわけです。
一方彼らも23年間24年間北朝鮮国内に抑留されてきて(他の拉致被害者を)目撃されている可能性はあるわけです。
その人たちの情報を、それは合っているとか間違っているとかあるとは思うんです。
それを私たちは問いません。
この問題解決するためにですね。
お互いに会って、ここはそうだったこうだったということをつなぎ合せて欲しいんですね。
それを私たちはお願いしておりますけども、今の所まぁ悲しいかな実現出来ておりませんけども、そういった事も私はゆくゆく皆様方のお力を借りながら現実的な物にしていきたいというふうに思っております。

横田めぐみを始めとしてですね。
私はこういった集会でいつも申し上げるんですが、多くの被害者達のこれまでの28年間、30年間、40年間の失った時間と言うのは取り返せないんです。
取り返せないんですけども、これからの時間を取り戻してあげる事はできるんです。
それは、アメリカは助言や協力はしてくれる。
ヨーロッパや国連の人権委員会も手伝ってはくれるかもしれないけれども、当事者である我々が力を持って意思を持って態度を持って解決する事は出来ると思います。
他人がやってくれる事ではないんです。
私たちの国民が自分の事、我が事としてこの問題取り組んで向き合って、北朝鮮を絶対に許さないんだという意思として表す、と言う事が大事だと思います。(そうだ!の声、拍手)

この活動そのものが私たちの、ひいては自分の将来を明るい物にしていくと思います。
先ほど飯塚副代表がお話されたように、こうして皆様方にお訴えするしかないんです。
私たちは外交官でも政治家でもありません。
訴えさせていただく事しかできない。
皆様方にお一人でも多くの方に広めてくださいと言う事しかできないんです。
しかしこれは民主主義の国家ですから、これが一番強い圧力につながるはずなんです。
私たちはそれこそ母の言葉を借りれば、このままでは死に切れないわけです。
絶対に死んでもこの問題解決させなければならないと言う訳です。

私たちが今回訪米した時にも上院・下院・政府高官・国務省・国防総省のあらゆる方が私の事は知っております。
母や父の事も皆さん全員知っております。
彼らが基本的に日本の民間人に会うことはありません。
しかも日本の政治家であっても、基本的に向こうの議員が会うことはまず無いと言われております。
しかし私たちがお会いする方は全員が、ご本人が会ってくれたんです。
この方が皆この問題を注視して見守ってくれているし、何が出来るか?と言ってくださいます。
たいへんありがたい話ではあります。
しかし動かなくてはこの問題は、動けないわけであります。
小泉総理にいろんな手を使って動いてもらうよう、私たちが具体的な行動に出なければいけないと思います。

本当に私たち訴えるしかありません。
ぜひ、いろんな事件があってこの問題かすむことがございますけども、どうか変わりないご関心をお払いいただきまして、日本政府へ私たちの民意をつなぎとめていただけるようなお願いをさせていただければと思います。
どうぞよろしくお願いを申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)

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第3回埼玉県民の集い(8)本間勝さん

『本間勝さん(田口八重子さん兄)のお話』 



私は田口八重子の3番目の兄であります本間勝と申します。
なぜ本間かというのは、母方の養子に行ったという事で姓が変わったというあれなんですけども。

八重子の問題はすでに皆様ご存知だと思いますけども、22歳でもって拉致をされ、昭和53年ですね。
6月29日ですか。
池袋から突然いなくなったと、いうことで、早すでに27年。
今49歳になる筈です。

その妹がですね。
今年蓮池薫さんの夫婦と我々歓談する機会があったんですけども、そういった中でですね。
八重子はどうしているんだろう?と。
今まで接点はどうだったんですか?と。
いうような話を伺う機会がありました。

で、八重子はですね。
その中では地村さん、蓮池さん夫婦共々一緒の住宅、収容所ですか。
に、居た事もあると。
それから八重子はなぜか腰痛がひどくて時々入院していたそうです。
そういった入院している時にも八重子と会ってると、いう事でした。

それで蓮池さんとか地村さんと言うのは、労働党の情報機関に所属していているんだそうです。
最近のね、1990年代になると、八重子の情報と言うのはここの所全然入って来てないですね。
それはなぜだろうか?と言う疑問が我々にはあるんですけども、蓮池さんの話ですと要は労働党の情報機関と、軍部ですね。
軍部のそういう情報機関とがあるそうなんですけども、八重子はなぜか、その軍の方の情報(機関)に連れて行かれたというか、組織に分けられたと。
それで蓮池さんなんかの目に触れることが無いような所に、今は隔離されているんじゃないか?と。
そういったために情報が途絶えたのか?と、いう事ですね。

それと今年の私たちの運動をやって来た中でですね、新潟港の西港に入港してくる万景峰号ですね。
万景峰号の運行と言うのは、ご存知の通り朝鮮総連が運行しているんですね。
朝鮮総連って言うのは、そういう北朝鮮の中枢部と密接につながっておるわけですね。
朝鮮総連の幹部、6人の中に北朝鮮の国会議員といわれる人が、なぜか日本で自由往来しているんですね。
5年間のビザがあるそうです。
その間は自由往来出来るそうです。
そういった人たちが日本に今でも工作活動をやっておったわけですね。

我々も先日斎木審議官からですね。
11月の日朝交渉の実務者協議の中で、斎木さんは一生懸命実務者同士の中で話を強烈に言ってくれていると。
で、その中で特定失踪者の問題も出しましたと。
北朝鮮は特定失踪者のことについて反論は無かったけれども、メインは否定だと。
そういった情報は当然北朝鮮も中枢部のほうに、耳に届くと思います。
斎木さんはですね。
一生懸命やってる中で、我々家族会の中でもですね。
もういい加減にしてくれと。
北朝鮮は拉致問題は解決済みだと、先日も言ってるわけですね。
こういう不誠実な態度を今でも取り続けているです。

そしたらその交渉の機会にね、そういった態度を示すんならば、もう机をぶん投げてでももう交渉はやらないぞと。
経済制裁だと、言う声を出してくれと、そこまで我々は声を出しています。
そうするとね、斎木さんの方は、私も私なりに頑張っているんだと。
机をぶん投げたら私の仕事が無くなっちゃうよと。
そうしますと色々な進展が途絶えるかもしれませんのでね、そこは今でもあえてそこまで強力な反対の意思は出せないんだと思いますけども。

経済制裁と言う手段があって、それが小泉さんが声を出さない為にその手段を講じないと。
去年の12月に横田めぐみさんの遺骨が偽の遺骨だと、なんらその正確な情報と言うものは一つもなかったと。
いう事があったときに、その時が最大のチャンスだったんですね、今から思えば。(「そうだ」の声)
そのときに経済制裁していれば、この核の問題とか、ミサイルの問題とかに引きずられないでね。
拉致の問題を強力に北朝鮮の金正日にアピール出来たはずなんです。
それをやらないから、何だかんだうやむやになって、核の問題・ミサイルの問題、そういった問題に引きずられながら、政争の具に一つ拉致問題がハマって、いまだにもう3年経ちましたけどもね。
解決できないのが原因じゃないかと思います。
拉致問題は単独でやるべきなんです。(拍手、「そうだ」の声)

早く八重子を日本に戻し、拉致被害者の家族の手元に皆が帰って来て平凡な暮らしが出来るように、早く皆さんの力でね。
もう、国民の力が一番なんです。
小泉さんは国民の代表であるはずなんですけども、なぜかそこはトーンダウンして声を出さないんですね。
本当に小泉さん、あと1年。
来年の9月にはもう退陣すると言われております。
それまでの麻生外務大臣、安倍官房長官と言う強力な布陣が出来ている、現体制が勝負じゃないかと思っています。(「よしその通り!」の声)
今後それが一段と解決に向うよう、これからもご支援の方よろしくお願いします。
長くなりました。(拍手)

このテキストは話の花束ぴろんさんの手によるものです。

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第3回埼玉県民の集い(9)鈴木賢さん 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★鈴木賢さん
失踪年月日 昭和47(1972)年5月28日
生年月日  昭和24(1949)年1月12日当時年齢 23
当時身分  会社員失踪現場 埼玉県三芳町の自宅を出て失踪状況会社の
      レクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。
レクリエーションには行っていない。
職場、大学時代の友人も心当たりなし。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosakai.jp/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『鈴木賢さん お兄様のお話』 

こんばんは、はじめまして。(「こんばんは」の声)私、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。弟は1972年、大学を卒業と同時に東京・蒲田にある会社に入社し、5月の会社のレクリェーションと言う事でもって、ハイキングスタイルでもって、当時の自宅、これは三芳町の藤久保なんですけども。ここを早朝6時に家を出てます。今年で33年になります。この間、家族・同僚・友人含めまして、誰一人として、弟の顔を見た・声を聞いた言う事は一切ございません。風の噂ひとつもありません。

私どもももちろん考えられる出来得る全ての、捜索なり探すなりもしましたけれども、結局生死の判断も出来ないまま。2002年ですね、拉致問題が大きくクローズアップされた時期。まぁ今までやることは一通りやって来たと。もしや、拉致と言う事も考えられるのかな?と、言うような思いからですね。2003年に先ほどからお話のありました、特定失踪者問題調査会の方に届け出しをしまして捜索を依頼しました。もちろん、特定失踪者という事になりますと、何が特定なのか?あるいは失踪者と言うのはどういう事か?と言うことが、絶えず私の心の中にも戸惑いとしてあります。あるいは一抹の不安もあります。一般的に言いますと失踪者と言うのは犯罪とか事故の関連、あるいは自分の意思での失踪と言うことが考えられます。

現在はですね、「拉致問題を考える川口の会」の一員として、田口八重子さんのご家族とそれから「田口八重子さんを救う会」の皆さんと一緒に署名活動、それからビラ・チラシの配布、あるいは抗議集会の出席、あるいは陳情とアピール活動を行っております。その中でですね。私の今の心境としましては、やはり今のこういう状況の中で一個人と言うことよりも、国あるいは国民の一人としてこの拉致問題を考えた時にですね。やはり何としても今の状況の中では、ま~ぁ今までおそらく何回となく期待もし、失望もし、現在に至ってるわけなんですけども。やはりこの問題についてはですね、今や一個人の問題ではなくて、色々考えますと自分の心境としましてはですね。今はもう、今までの空しさとかあるいは切なさとかいうよりも、怒りの声に向いて来てます。

先ほど飯塚さんの方からもお話がございましたけども、昨年の12月8日の横田めぐみさんの遺骨の問題ですね。鑑定結果が、偽だと言う明確な事実に対して、小泉さんはどう言ったか?「良く精査して、対話と圧力」この言葉ですよね。私はこの言葉というのは、これは一生おそらくですね。拉致事件が解決してもこの言葉は耳から消える事はないと思います。やはり、なぜあの時に「いい加減にしろ」と、「日本国民を馬鹿にするのも程々にしろ」と、「交渉の余地はない」と、「即刻拉致した日本人を全員帰国せよ」「返せ」と、言うのが私は当たり前の発言だったというふうに思っています。

それとこの3日にも日朝会議がございまして、まぁ今まで1年近く向こうの言い分としては日本の捏造と言い続けて来たわけですけども、それについて「鑑定結果を詳細に説明した」という報道がございましたね?これについてもやはりトップは「良く吟味して調査して」、て言うようなことでしたね?やはりこの辺の事につきますと、何と言ってもこれは説明じゃなくて、あくまでも抗議だと思うんですよね?抗議、あるいは謝罪を求めるのが筋じゃないかというふうに思います。まぁ色々ございますけども、私が今考えますと、今こそやはり国のトップに北朝鮮の理不尽な言動についてはですね。声を大にして、強行に抗議を発信してもらいたいと思います。(拍手、「そうだ!その通り!」の声)この抗議を発信し続けることによって、北の出方も変わって来ると確信しています。それがですね。やはりあの、拉致被害者救出の道筋につながって行くんじゃないかというように思っています。

それとご支援してくださっている皆様はじめ、国民の総理に対する信頼と言うのは、そこでひとつ確立されるんじゃないかと思います。この拉致事件の拉致問題の究明につきましてはあるいは解決につきましては、国のトップから世論・国民も心を一つにして何としてでもですね。この問題をこれから皆さんのご支援を頂きながら、解決に向けて立ち向かっていけると思いますので、今後もご支援の程一つよろしくお願いします。ありがとうございました。(拍手)

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第3回埼玉県民の集い(10)飯塚栄子さん

『飯塚栄子さん(田口八重子さん義姉)のお話』

はじめましてこんばんは。お疲れの所ありがとうございます。飯塚の家内です。耕一郎君の母です。いつも助けて頂きまして本当にありがとうございます。今力を絞って、毎日疲れながらも頑張ってやってますので、ぜひ皆さんのお力を頂きまして、力添えをしていただけますようお願いいたします。(拍手)

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第3回埼玉県民の集い(11)佐々木アイ子さん

『佐々木アイ子さん(佐々木悦子さんの母)のお話』 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
★佐々木悦子さん
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
生年月日  昭和38(1963)年12月6日
当時年齢  27
当時身分  埼玉銀行パート
失踪現場  埼玉県浦和市
失踪状況
「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。
 当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosakai.jp/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

皆さんこんばんは。
私、特定失踪者問題調査会の方でお世話になっております、佐々木悦子の母で佐々木アイ子と申します。
よろしくお願いします。
娘が帰ってくるまで、絶対に取り戻すまで、この目で娘を見るまでは頑張り続けたいと思います。
皆様どうか力を貸して下さい。
よろしくお願いします。

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第3回埼玉県民の集い12 高野美幸さん

『高野美幸さん(高野清文さん妹)のお話』 

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★高野清文さん
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日  昭和31(1956)年10月31日
当時年齢  19
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から失踪状況大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosakai.jp/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

特定失踪者・高野清文の妹の高野美幸でございます。藤田進さんと年齢が一緒で同じ年に失踪していると関係で、弟の隆司さんと一緒に調査の方を真鍋さんの下でしてまいりました。私これから申し上げたいのは、皆様これから「故郷」の歌をお歌いになるかと思います。私苗字が高野で長野県出身、兄も同じでございますが、同じく高野辰之と言う方が作詞をしているというふうに伺っております。兄と共に見てきた景色、まさにその景色がこの歌に詠まれているのですが、大町ルートを使って藤田進さんが拉致をされていった年ならば、この私の生まれ育った長野県の景色を見て、涙の目に向こうに焼き付けながら拉致されていった事と思います。多くの拉致被害者の方たち、こういった景色を見ながら向こうに連れて行かれていると思います。その拉致被害者の気持ちを歌っていると思って歌っていただければ、またこの歌、感慨があるかと思います。そのような思いを寄せていただければと思います。よろしくお願いします。(拍手)

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第3回埼玉県民の集い(13)佐々木正和さんの

『佐々木正和さんの弟さんのお話』 

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★佐々木正和さん
失踪年月日 昭和62(1987)年11月末
生年月日  昭和25(1950)年8月15日
失踪時年齢 37歳
当時身分 家庭教師、塾講師をしていた。
(正確には不明)失踪現場 埼玉県大宮市?失踪状況昭和62年11月末日、アパートの大家と話をした後、不明。1人暮らしのためはっきりした日時がわからない。大家から12月に連絡があった。部屋の中は荒らされていない。現金10万円が部屋にあり、預金もそのまま。免許証もおいたまま。家族とは数ヶ月に一度顔を見る程度だった。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosakai.jp/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━

皆様こんばんは。1987年の10月に旧大宮市内から失踪しました佐々木正和の弟でございます。今後とも皆様のご協力よろしくお願いします。(拍手)

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第三回埼玉県民の集い(14)決議文朗読

『決意文朗読』

※杉戸町在住、ミスミヒロアキさんによる決意文の朗読

━━決議文━━━━━━━━━━━━━━━

私たちは、拉致被害者家族が、長い間切実に求めている北朝鮮への早期経済制裁への発動に賛同し、ここに日本政府に対し、一日も早いその実現を強く要望する。

平成17年11月19日 「拉致問題を考える埼玉県民の集い」参加者一同(拍手)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※司会改めましてこの決議文に賛同される方の拍手を求めたいと思います。よろしくお願いいたします。(大きな拍手)ありがとうございました。大きな拍手を頂きまして、この決議文が採択されたとそう感じております。この決議文、どのようなルートになるか分かりませんけども、小泉首相に届けたいと思います。それから本日ご挨拶いただいた上田知事は定例記者会見と言うのが毎月行われているんですけども、その中で是非早期経済制裁の実現を訴えていただきたい。また埼玉県の県議会の議連では、是非早期経済制裁の発動を求める議案を県議会で上げていただきたいと。そういう思いでからこの決議文を届けて行きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

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第3回埼玉県民の集い(15) 古藤勝次さん

『古藤勝次 救う会埼玉副代表 閉会の挨拶』

本日はお忙しい所ご参加いただき誠にありがとうございます。
先日、タイのアノーチェさんの件が発覚いたしました。
国連総会の第三委員会で北朝鮮の拉致・人権問題で批判決議が採択されました。
12月には本会議・総会で採択されるそういう見通しがあります。
北朝鮮は国際的に今追い詰められております。
私たちはこの機に乗じて徹底的にこの拉致問題の運動を推進し、早期の解決を図るよう努力したいと思います。
ただ皆さんご承知の通り、北朝鮮はああいう国です。
全ての罪状を白状し改心できるかどうか?はなはだ心もとない所があります。
私たちは拉致被害者の最後の一人を取り戻すまで徹底的に北朝鮮を追い詰めます。
皆様のご協力・参加を是非お願いします。(拍手)
どうか皆さん、私たちと一緒に闘ってください。(拍手)

後ですね。
明後日11月21日、立川で集会があります。
「全ての拉致被害者を救うぞ!三多摩市民集会」です。
これは特定失踪者(問題調査会)の荒木さん、真鍋さん、増元さんの講演です。
場所は立川アイルです。
立川へ行けば誰でも分かるそうです。
11月21日月曜日18:30~20:30まで。

次にですね。
12月22日木曜日。
全国集会の決起集会があります。
これは是非成功させなければいけない集会です。
入り口の所にこのチラシがたくさんあります。
是非皆さん、5枚でも10枚でも持っていって頂いてですね。
帰りにアパートのあるいは帰りの郵便ポストに入れるようにしてですね。
ぜひあの、よろしくお願いします。

また来年の1月には南越谷で私たち集会を計画しています。
是非これもよろしくお願いします。
本日はどうもご参加を頂きありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・

この後参加者全員による「故郷」合唱

・・・集会終了・・・

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写真展続報

めぐみさんの思い出語る 写真展機に横田さん夫妻
山陰中央新報より

 北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさん=失跡当時(13)=の写真展が始まったのに合わせ、めぐみさんの両親が18日夜、東京都千代田区の有楽町マリオンで抽選で選ばれた約270人を前に講演、めぐみさんの思い出を語りながら支援を訴えた。

 母早紀江さん(69)は「撮った時の雰囲気は全部覚えている」と話しながら、写真展の展示写真から選んだ数枚をスライドで紹介。「いろんなところを家族で旅行しました」と当時を振り返った。

 さらに「イラストや絵を描くのが好きだっためぐみのように、夢を持った人がみんな北朝鮮に連れて行かれ、人生を変えられたのが拉致問題なんです」。そう訴えると、聞き入る女性の中には、ハンカチを目に当てる姿が目立った。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

講演会の申し込みは2300人にのぼったそうです。
この写真展への関心の高さを物語っています。
集会とは違う形で世論喚起に大きく寄与すると思われる今回の写真展、今日、明日の土日、最終日は祝日です。どうか東京周辺在住のかた、お時間を作って足を運んでください。

反響があれば、他の地区でも開催される可能性も多いのではないかと、そうなることを願います。

追記:会場の展示品
◆滋さんの撮影した写真70点
◆早紀江さんが描いた、めぐみさんの油絵の複製画
◆めぐみさんの直筆を小学校の頃の作文複製したパネル
◆北朝鮮の出してきた診断書の複製、
◆北朝から返されためぐみさんの学生証
◆北朝鮮がら渡されためぐみさんの写真
◆写真展会場で内容をDVDにまとめた映像も流れています。
◆中学のお友達に当てた手紙

小さい頃動物園に行ったときの明るい笑顔に、少女らしい優しさが感じられて、本当に胸が詰まりました。
めぐみさんの直筆を複製した小学校の頃の作文を一字一字追いながら、涙の止まらない人もありました。

是非ご自分の目でみてください。

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2005年11月18日 (金)

めぐみさん写真展

有楽町に行きました。

会場はたくさんの人であふれていました。
午後1時の時点で、1000名を越えた模様です。
写真はどれも、ご両親の愛情を感じさせるものでした。
ハンカチで目を押さえ涙ぐむ人がたくさんいました。

手作りの子供服が印象的でした。
被写体のめぐみさんに向けられたファインダーの向こうに、滋さんのまなざしが見えるようでした。

入り口には、漫画アクション、西村慎吾さん、松原仁さん、平沼赳夫さん、古屋圭司さん、中川昭一さんなどからの花が飾られていました。署名とアンケートも合わせて行われていました。

会場の主催者のかたに少しお話を伺いました。
会場内は撮影禁止ということで、外部だけ写真を撮らせてもらいました。
めぐみさんご家族の写真の取り扱いに細心の注意をはらっていることがよくわかりました。
シロウトが初めての試みで写真展をやっているので、横田さんご家族のお気持ちを一つ一つ確認しながら、慎重に事を進めたとのお話。

主催者のご苦労の一端をかいま見ました。

パネルも写真の選び方も、カットもご親戚や、お友達にも配慮しているのがわかりました。
パネル作成費、5日間の会場費も相当かかるでしょうし、準備も大変だったと思います。どういう会計になっているかは知りませんが、あさがおの会の方に心から感謝したい気持ちになりました。

ザ・ワイドの特集もきれいにまとまっていました。
(先ほどビデオで確認)
有田さんのコメントも良かった。

この写真展は、「ごく普通の家庭から拉致された」という現実をまざまざと見せつけてくれます。間違いなく世論喚起に繋がります。

しかし、悲しいことに、「朝日新聞が絡んでいるから、この写真展はおかしい」などと言う声も聞きます。
<朝日関係者だから、支援者になれない> と言った考え方は間違っています。
大企業であれば、その関係者は日本中にいます。
ASAという新聞販売店の関係者だから、拉致解決を願ってはいけないなどと言うことはないはずですね。
朝日にだって、NHKにだって、拉致に関心を持つ人がいて、その人達が、味方になってくれれば、力になるではありませんか?

更に「とうとうプライバシーの切り売りまでするのね」という声もあると聞きました。耳を疑いました。

早紀江さんは、「普通の家族として拉致を考えて欲しい。めぐみだけでなく、もっとたくさんの普通の日本人がいきなり日常を奪われたことを家族の問題として見て頂きたい」と、仰っていました。

特定失踪者を含む被害者全員の家族の代表として<プライバシーを晒してまで拉致解決を訴える>横田さん達に向けられる悲しいことばに、唖然としました。

拉致がなければ、こんなことしなくても良かった横田さんご家族。
受けなくてもいい、世間の心ない言葉も、きっと私たちの知らないところでいっぱい投げつけられているでしょう。
様々な場所でいやな思いもたくさんなさっているんだろうな。。
と想像します。

関係者が写真画像の撮影を禁止するのも、写真に関するあらゆるトラブルに配慮してのことでしょう。

良い写真展です。どうぞみなさんも見ていてください。
「横田滋写真展 めぐみちゃんと家族のメッセージ 」
写真展は23日まで、有楽町マリオン11F朝日ホールスクエア・ギャラリーにて
時間:午前11時~午後7時(最終日の23日は午後5時終了)
場所:有楽町マリオン (11階)
内容:めぐみさんの写真、作文、手紙、横田夫妻の記録写真等です。

今後のことは全て未定とのことでしたが、可能であれば、全国で見てもらいたいと思います。

写真の一部は電脳補完録さんで拝見できます。
Photo_38

Photo_39

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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【拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問】

私の場合

 1.拉致被害者家族会が北朝鮮への経済制裁を訴える事に違和感を持つ。(#ご家族に対して、どれだけその心情を汲み取り、感情移入しているか?)

 (1)とても違和感を持つ。
 (2)違和感を持たないことも無いが、心情は理解出来る。
 (3)この様な主張を行うのはある意味当たり前である。
 (4)拉致を解決できず、経済制裁が出来ないのは、私たちの力が足りないからである。申し訳ないと思う。
 (5)その他。
 
  ◆答え(2)
    心情は理解できる。万景峰号は早く止めて欲しい。在日の方さえそれを望んでいるとの声を聞いた。
    が、北朝鮮への圧力のかけ方は、特定失踪者問題調査会がはじめたラジオ放送や、国による拉致調査機関の設置など、サイドからの攻撃=崩しも必要だと思う。制裁に踏み切れない政府にいらだつよりも、現実的に形になる政策を求めることも大切。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 2.例え拉致問題が解決しなくとも、今後、同じ出来事が自分の身に降り掛かるとは思えない。(#拉致問題を、どれだけ身近なものとして捉えているか?)

 (1)現実的に考えて、自分の身に降り掛かるとはとても思えない。今日において北朝鮮による拉致が明るみになった以上、迂闊に工作活動を行う事は出来ないと考える。
 (2)何とも言えない。
 (3)自分の身に降り掛かる可能性は十分にある。拉致に関わった北朝鮮工作員が、処罰される事無く現在も日本社会において根を下ろしている現状を考えるべき。
 (4)その他。
 
   ◆答え(3)
   総連が現存している状況は、常にどんな脅威にさらされるかわからない状態。拉致でなくテロもありうるし、それに巻き込まれる危険は常にある。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 3.小泉政権による対拉致問題への取り組みは、生ぬるいと考える。(#拉致問題に取り組むにあたり、急進的な思考に立脚した論考を積極的に行うスタンスにあるかどうか。)

 (1)生ぬるいと考える。拉致被害者に残された時間はそう長くは無い事を踏まえるべき。
 (2)何とも言えない。
 (3)生ぬるいとは考えられない。多少時間が掛かっても、着々と地に足の付いた取り組みを行うべき。
 (4)その他。

   ◆答え(1)もっと積極的に動いて欲しい!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 4.小泉政権による対拉致問題への取り組みが、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。(#政府の取り組みに対して、どれだけ信頼を置いているか?)

 (1)寄与していると考える。
 (2)何とも言えない。
 (3)寄与しているとは考えられない。
 (4)その他。

   ◆答え(2)
   確かに一時はその動きがあった。しかし、今小泉首相の目をみて、拉致が一切視野に入っていないように感じる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   
 5.国際社会における米国との連携が、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。(#他国との連携のあり方をどう考えるか?)

 (1)米国と連携した北朝鮮への締め付けが、今後の拉致問題の進展に大きく寄与していく。
 (2)逆効果、中韓と連携して融和政策を取るべき。
 (3)法整備も含め、日本単独で解決する道を探るべき。
 (4)その他。

   ◆答え(3)+(1)
    日本が独自に解決を目指さなければ、世界も動かない。積極的に方針を示し、アメリカやヨーロッパ、アジア各国にも発信し、世界に日本が訴えていって初めて解決に動くのでは?政府として日本からの発信が少なすぎ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 6.北朝鮮問題は日本の安全保障としての核の問題が第一優先事項。ここで対応を間違うと数千万人の単位で被害が出るから。数十人、最大でも数百人の拉致被害は優先順位では二番目だ。(#現実主義的思考の度合いは?)

 (1)冷酷だがその通り。もちろん拉致被害者には同情するし解決して欲しいと思うけど…。
 (2)何とも言えない。
 (3)反対。核の脅しに屈して妥協することは北朝鮮の狙いにはまることでしかない。国家の尊厳を失うことは国家としての自殺なのだ。
 (4)その他。

   ◆答え(3)妥協する必要はない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   
 7.拉致被害認定者である残り 11 人の帰還を以って、「拉致問題の解決」と考える。(#何を以って「拉致問題の解決」とするのか?)

 (1)拉致認定被害者が帰ってさえくるのであれば、「解決」と考えても良い。
 (2)拉致被害者の数は 11 人とは限らないかもしれないが、結果として妥当であると考えても良い。
 (3)拉致の可能性が濃厚な特定失踪者を含めた残り 100 人以上の人々はどうなるのか。とても「解決」と考える事は出来ない。
 (4)その他。
   
   ◆答え(3)
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 8.日本人拉致被害者のみならず、その他外国人の拉致被害者、また、北朝鮮国内における人権問題の解決も併せて目指していくべきだ。(#自国以外における北朝鮮問題をどの様に捉えているか?)

 (1)当然である。自分達だけ助かれば良いという考えは、道徳的にも国際的にも、到底受け入れられる事ではない。
 (2)もちろん、これらの問題が解決するに越した事は無いし、日本政府も取り組んでいくべきだとは思うが、優先順位は考慮されて然るべき。
 (3)まずは自国の拉致被害者を救出する事が先決である。あれこれ手を広げた結果、拉致被害者救出に支障をきたしてしまっては本末転倒である。
 (4)その他。
 
  ◆答え(2) スタートはまず日本から。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 9.北朝鮮の体制が崩壊しない限り、この問題は解決しないのでは?(#北朝鮮体制の現状に対する認識、体制崩壊への方法論)

 (1)そう思う。アメリカに対する強力な外交カードを握って武力制裁に踏み切らせるしかない。
 (2)そう思う。でも中国と韓国がそれを許さないだろう。どうしたらいいのか分からない。残念だけど長引きそう。
 (3)ある意味そう思う。しかし拉致問題はある程度のところでいったん手を打って国交正常化を先に行うべきである。北朝鮮に市場経済が導入され、不可逆的に日本への依存度が高まれば自ずと政治的自由を求める声が高くなり先軍独裁体制は実質的に変化する。そのとき、拉致の解明は一気に進むであろう。
 (4)そうは思わない。このまま対話と圧力だ。圧力として経済制裁が必要。
 (5)その他。

  ◆答え(3)
     崩壊まで待つ事はできない。崩壊を恐れる韓国、中国が延命策をとるのは必定。

韓国の負担が多すぎる。韓国主導で半島がまとまるためには、統一ではなく、一時的に北朝鮮自体が自らで体制を立て直す時間が必要。ある程度整ってから統一を。
その間、中国に手を出させない国際圧力が必須。これは国連で。(私は現在の国連の肥大化には幻滅しています。常任理事国入りにも一時反対でしたが、少し考えが変わりました。)その為にも日本の常任理事国入りは必要かもしれない。
必ず崩壊する歴史の必然を加速させること。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 10.この運動をきっかけに日本の愛国心の高揚を図り、他の様々な問題に対しても応援に向かい団結していくべきである。(#「運動」のあり方に対する考え方、日本国においての拉致問題の位置付けをどの様に考えるか?)

 (1)その通り。拉致問題と他の国益に関する問題は直接は関係ないが間接的には関係している。問題は愛国心だ。
 (2)何とも言えない。
 (3)反対。政治的なイデオロギーを持ち込むと運動の方向性が拡散するし、敬遠する人も出てくる。むしろリベラルな人でもこの問題には賛同するし怒りを覚えるという立場が大事。
 (4)その他。

  ◆答え当然(3)
  今、一番危険な時期だと思う。


関連話の花束
質問制作者サイト善ポコのタコ部屋で質問への回答がまとめられています。ご参考に。

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2005年11月14日 (月)

拉致問題を通して日本のあり方を考える・第5弾(大宮)にて

拉致問題を通して日本のあり方を考える・第5弾(大宮)に参加してきました。
大阪経済大学助教授/北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表である、山田文明先生のお話をお聞きしました。時間内に話しきれないほどの脱北者をめぐる実体験と北朝鮮という国の悲惨さを丁寧にお話しになられました。

以下は今日配布された資料にある脱北者のことばの一部です。
山田先生が、朝鮮語の原文は美文調ですばらしいものだとご紹介なさっていました。

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思うように泣くこともできず、心から笑うこともできない、あの国では生きていけず、私は脱北を決意しました。人間らしく生きられる地があるならば、この世の果てであろうともさがしていきたい気持でした。

そうした願いの下に、私たち脱北者は、中国からベトナムに、タイに、モンゴルに、捨て身の覚悟で生きる場を求め、さまよいさまよいしているのです。

そうした最初の出口が、鴨緑江と豆満江を境とする中国なのですが、この中国もまた私たちにとっては生き地獄となりました。四方に北韓と結託した公安の監視がありましたし、女性を金儲けのタネにしようと暗躍する人身売買屋の攻撃と、脱北者に掛けられた報奨金に目を眩まされて、北韓の人間とみれば無条件に密告する人たちに、いつどこでどうなるかわからないという不安、恐怖の中に彷徨わなければなりませんでした。

人間が商品に転落してしまう中で、卑しめ、蔑視、恥を噛みしめ、国なく、家なく、カネなき者として辱めを甘受する長い時間でありました。

私がかつて経験し、今も私の同胞が中国で、北韓で味わっているこうした苦痛を私たちはただひたすら耐えて甘受しなければならないのでしょうか。

私はこの場を借りて、世界の良心の前に問いたかったのです。私たちが一体いかなる罪を犯したが故に、何のために、誰のためにこうした苦痛を舐めなければならないのかを。

同じ空の下、同じ人間として同じく幸福な人生を歩みたいのが道理であるのに、なぜ 私たち北韓の同胞だけが踏みにじられる凄惨な人生を歩まなければならないのですか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
きっと同じ思いを、北朝鮮に拉致されためぐみさんたちも持っているのもはないでしょうか。
折しも、めぐみさんの拉致された11月15日が巡ってきます。
横田夫妻は、この15日、新潟で集会に参加されます。もう30年近い年月が過ぎ去ろうとしています。


山田文明先生 
 

会場の様子


飯塚繁雄さん  
 

飯塚耕一郎さん


埼玉在住の特定失踪者のご家族 

会場で販売されていた高野さんのお母様の作品

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拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問

善ポコのタコ部屋の善さんが、拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問というエントリーをあげていらっしゃるのでご本人の許可を頂き、全文を紹介します。

現在の状況で、自分の立ち位置を確認するために非常に有効な質問、選択肢が与えられています。
是非みなさんも回答を考えてみてください。
もう一度、ご自分の考えをまとめ、今後を考察するにも非常に役立つ質問だと思います。
尚、管理人も熟考のうえ、回答を試みるつもりです。
みなさんも、ご自分お考えがまとまれば、要点でもご紹介頂ければ幸いです。
以下全文
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
拉致問題解決に対する立ち位置・主張を伝える為の 10 個の質問
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1) 拉致被害者家族会が北朝鮮への経済制裁を訴える事に違和感を感じる。

1.とても違和感を感じる。
2.違和感を感じない事も無いが、心情は理解出来る。
3.この様な主張を行うのはある意味当たり前である。
4.拉致を解決できず、(経済)制裁が出来ないのは、私たちの力が足りないからである。申し訳ないと思う。
5.その他。.
(#ご家族に対して、どれだけその心情を汲み取り、感情移入しているか?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(2)例え拉致問題が解決しなくとも、今後、同じ出来事が自分の身に降り掛かるとは思えない。

1.現実的に考えて、自分の身に降り掛かるとはとても思えない。今日において北朝鮮による拉致が明るみになった以上、迂闊に工作活動を行う事は出来ないと考える。
2.何とも言えない。
3.自分の身に降り掛かる可能性は十分にある。拉致に関わった北朝鮮工作員が、処罰される事無く現在も 4.日本社会において根を下ろしている現状を考えるべき。
5.その他。
(#拉致問題を、どれだけ身近なものとして捉えているか?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(3)小泉政権による対拉致問題への取り組みは、生ぬるいと考える。

1.生ぬるいと考える。拉致被害者に残された時間はそう長くは無い事を踏まえるべき。
2.何とも言えない。
3.生ぬるいとは考えられない。多少時間が掛かっても、着々と地に足の付いた取り組みを行うべき。
4.その他。
(#拉致問題に取り組むにあたり、急進的な思考に立脚した論考を積極的に行うスタンスにあるかどうか。)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(4)小泉政権による対拉致問題への取り組みが、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。
寄与していると考える。

1.何とも言えない。
2.寄与しているとは考えられない。
3.その他。
(#政府の取り組みに対して、どれだけ信頼を置いているか?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(5) 国際社会における米国との連携が、拉致問題の解決へ大きく寄与していると考える。

1.米国と連携した北朝鮮への締め付けが、今後の拉致問題の進展に大きく寄与していく。
2.逆効果、中韓と連携して融和政策を取るべき。
3.法整備も含め、日本単独で解決する道を探るべき。
4.その他。
(#他国との連携のあり方をどう考えるか?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(6)北朝鮮問題は日本の安全保障としての核の問題が第一優先事項。ここで対応を間違うと数千万人の単位で被害が出るから。数十人、最大でも数百人の拉致被害は優先順位では二番目だ。

1.冷酷だがその通り。もちろん拉致被害者には同情するし解決して欲しいと思うけど…。
2.何とも言えない。
3.反対。核の脅しに屈して妥協することは北朝鮮の狙いにはまることでしかない。国家の尊厳を失うことは国家としての自殺なのだ。
4.その他。
(#現実主義的思考の度合いは?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(7)拉致被害認定者である残り 11 人の帰還を以って、「拉致問題の解決」と考える。

1.拉致認定被害者が帰ってさえくるのであれば、「解決」と考えても良い。
2.拉致被害者の数は 11 人とは限らないかもしれないが、結果として妥当であると考えても良い。
3.拉致の可能性が濃厚な特定失踪者を含めた残り 100 人以上に上る人々はどうなるのか。とても「解決」と考える事は出来ない。
4.その他。
(#何を以って「拉致問題の解決」とするのか?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(8)日本人拉致被害者のみならず、その他外国人の拉致被害者、また、北朝鮮国内における人権問題の解決も併せて目指していくべきだ。

1.当然である。自分達だけ助かれば良いという考えは、道徳的にも国際的にも、到底受け入れられる事ではない。
2.もちろん、これらの問題が解決するに越した事は無いし、日本政府も取り組んでいくべきだとは思うが、3.優先順位は考慮されて然るべき。
4.まずは自国の拉致被害者を救出する事が先決である。あれこれ手を広げた結果、拉致被害者救出に支障をきたしてしまっては本末転倒である。
5.その他。
(#自国以外における北朝鮮問題をどの様に捉えているか?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(9)北朝鮮の体制が崩壊しない限り、この問題は解決しないのでは?

1.そう思う。アメリカに対する強力な外交カードを握って武力制裁に踏み切らせるしかない。
2.そう思う。でも中国と韓国がそれを許さないだろう。どうしたらいいのか分からない。残念だけど長引 きそう。
3.ある意味そう思う。しかし拉致問題はある程度のところでいったん手を打って国交正常化を先に行うべきである。北朝鮮に市場経済が導入され、不可逆的に日本への依存度が高まれば自ずと政治的自由を求める声が4.高くなり先軍独裁体制は実質的に変化する。そのとき、拉致の解明は一気に進むであろう。
5.そうは思わない。このまま対話と圧力だ。圧力として経済制裁が必要。
6.その他。
(#北朝鮮体制の現状に対する認識、体制崩壊への方法論。)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(10)この運動をきっかけに日本の愛国心の高揚を図り、他の様々な問題に対しても応援に向かい団結していくべきである。.

 1.その通り。拉致問題と他の国益に関する問題は直接は関係ないが間接的には関係している。問題は愛国心だ。
 2.何とも言えない。
 3.反対。政治的なイデオロギーを持ち込むと運動の方向性が拡散するし、敬遠する人も出てくる。むしろ 4.リベラルな人でもこの問題には賛同するし怒りを覚えるという立場が大事。
 5.その他。
(#「運動」のあり方に対する考え方、日本国においての拉致問題の位置付けをどの様に考えるか?)

(#「運動」のあり方に対する考え方、日本国においての拉致問題の位置付けをどの様に考えるか?)

回答方法
質問は以上の 10 個となります。回答方法としましては、各質問に付随している選択肢を選びつつ、且つ、その「ココロ」を、事実関係等を沿えながらテキスト形式にて述べていく方式を想定しています(#「ココロ」を述べる事が肝だと考えています)。

質問の狙い
現在、リアル・ネット共に、拉致問題解決を目指し、各人がまざまな場所において考察・意見交換されている事かと思います。その中において、例えば「経済制裁に賛成・反対」ひとつをとってみても、いろいろなスタンスの違いがあるのかと思いますが、それらのスタンスの違いは、ブログを書き連ねる過程において断片的にしか判断する事が出来ないと感じており、一度、この様なまとまった質問に回答していく形式を取る事により、それを明確に読者に伝える事が出来るのかと考えています。

また、今回の質問集は、拉致問題を考える上での「着目点」足り得る部分を中心に質問を列挙しています。「ご家族への感情移入」や「運動論」、「北朝鮮との対峙のあり方」、「『解決』の基準」等がその典型でしょうか。先日行った F 尺度測定でも感じた事ですが、これらの質問に対して自身の考えを述べるという形式は、自身の考えを今一度整理すると共に、拉致問題に関心が有る・無しに関わらず、読者に「考えるきっかけ」を与え、より強い関心を呼び起こし、問題解決への考察をより深める事が出来るのではないかと考えています。

長々と書いてみましたが、つまるところ「考えるきっかけ」を作り、思慮を深め、そしてより強い世論喚起へと繋がるのではないかと、そう思っています。質問内容について、いろいろと至らない部分もあるかもしれませんが、上記の理由に付き、お時間のある方は、一度自身のブログ上においてご回答なされてみるのも良いのではないでしょうか。

個人で貢献出来る範囲というものは限られてくるとは思いますが、それはそれで良いのかと思ってます。こうやってあの手この手でお互い思慮を深め、より強い世論喚起へと繋がっていければ、と。いろいろと根の深い問題ではありかと思いますが、皆で知恵を絞って、問題解決に邁進していきましょう。

既に善さんもご自分のサイトで回答を書かれていますし、各所において回答をなさっている方もあります。話の花束でぴろんさんも回答をなさっています。ご自分の意見と比較して考え合わせてください。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2005年11月13日 (日)

極東の“大国”日本

アンデスの声さん  投稿日:11月13日(日)

今週、日本がらみで流れたニュース。

11月6日 日本亡命中のフジモリ元大統領、いきなりサンチャゴに出現。
11月7日 ピースボートの51回クルーズ船、リマ・カジャオ港入港。
11月10日 日本大使館の車がアンデスで転落、日本人書記官死亡。

ピースボートの件はごく一部の者しか知らない些末ニュース。大使館員の死亡事故はTV、ラジオ、いくつかの新聞に出た。フジモリ問題については連日トップニュース、リマ市内のチリ大使館前に集まった“フジモリ解放”を求める群衆のシュプレヒコールが聞こえていた。

【フジモリ問題】

偏差知的価値観のはびこる日本の外交官の檜舞台は欧米圏、特に米国かイギリス、あるいはフランス・ドイツであり、南米はいわば「ドサ回り組」。中南米の日本大使館の業務はもともと移民関連の領事業務が中心で最近はこれに税金バラマキODAが加わったが、国運のかかったような高度な政治外交には縁がなかった。そういう外野席の外交官にとってフジモリ問題へのスタンスは、「我々日本政府は別にフジモリを匿っているわけではありません、現行法に従って邦人保護の観点から粛々と対応しているだけであります、と、言い続けて5年間かわしてきたんだよな、このまえ日本大使館前に来た“フジモリ支持派”1000人規模のデモ(これは反対派のデモを含めても過去最大規模)が『フジモリの政策を支持する。フジモリを保護してくれている日本政府に感謝する』なんてシュプレヒコールあげてたけど、賛成派のデモも我々にとっちゃ迷惑なんだよ、とにかく事を荒立ててほしくないんだよな、マスコミはほとんど反フジモリで四面楚歌でやりにくいんだから、日本政府が円借330億円出して6年がりで造ってやったユンカン水力発電所だって注目されたのは完成式典よりも式典に向かう大使館員の転落死亡事故のほうだもんね、フジモリははっきり言って迷惑、フジモリが日系人だから日本で話題になるけどそれ意外のペルーの興味なんてマチュピチュとナスカの地上絵くらいだろ、オレは平穏で手当ズブズブのリッチな外交官生活送りたいの、フジモリを保護しているバックに大物右派政治家がいるから情報収集しろって本国から圧力来るから会いには行ったけど痛くもない腹さぐられてマスコミにたたかれるしこっちには政策も戦略も何も無いからつっこまれても何も言えん、ブツブツブツ・・・」となる。

訴追中の他国の元大統領を5年も匿っておきながら、その明確な根拠を相手に説得できる国家思想・戦略が日本には無いのである。チリの日本大使館がフジモリと接見したことについて当地人たちは「“大国”である日本が何か思惑を持ってフジモリを支援しているのではないか?」と疑っているが、私は「何もありませんよ、政治的思惑があれば公然と会ったりしない、あれは何もない証拠、ポーズだけ」と説明している。

フジモリはチリにペルーのパスポートで入国した。つまり彼のチリでの立場はペルー人である、フジモリがそれを選択したのだ。そのペルー人フジモリに日本大使館が接見し「公正な扱いを要請する」のは明らかな越権行為であり、翌10日のペルー駐日大使の召還は当地の認識では「日本によってペルーの主権が侵害されたことに対する国家としての不服の明確な意思表示(clara muestra de disconformidad)」であるが、ペルーは日本との関係を壊したいとまでは思っていないし、日本人である私が日本人であるが故に私生活で嫌味を受けることもない(嫌味というのはどうも極東アジア民族に強い気質文化だ、日本人に誇りを持ちたい私も、言いたいことをはっきり言わず嫌味で満足したがるこの小児病的部分だけはどうにも好かぬ、LYNDON B.JOHNSON氏のせっかくの金父子・金体制批判投稿も最後のひとこと“相手は朝鮮人なのだ。” でぶちこわし)、言い換えれば、この程度の主権侵害でも、言うべき事、抗議すべき事は明確に具体的に意思表示するのが(たとえ個人的にフジモリをどう思っていようが)主権国家の責務なのである。

日本国籍を持っていてもフジモリはペルー人(そもそも日系1~2世のほとんどが二重国籍)、いまリマ市内にこだましている、社会的下層階層を中心とするペルー人達のフジモリコールは日本や日系人に向けられたものではない、ペルー人フジモリ大統領の手腕と実績を素直に高く評価し再来を希望しているのである。この問題に下手に日本政府が口を挟むのは、大国アメリカの覇権主義に翻弄されてきた彼等の琴線にも触れる。フジモリもそれを知っているから、今回日本のTVで見せたように彼は日本語を普通に話せるのに、ペルー大統領時代にマスコミの前では決して日本語を口にしなかったし、立候補のポスターにも日本人(Japones)ではなく東洋人の総称であるチノ(Chino)を掲げた。もし「日本人の血」という思い入れだけで日本政府が確たる外交理念も戦略も無しに彼におもねれば日本はしっぺ返しを受ける、フジモリがこだわるのはペルーの改革であり、そのために日本の利用できる部分を利用している。彼がペルーの政治に打って出た時のバイブルは日本の明治維新だ(ちなみに彼の妹婿の元駐日大使アリトミ氏は長州人、片腕の彼もフジモリと共に日本に残った・・・日本のマスコミは報じないが)、彼は外交大国時代の明治日本人の気迫、狡猾怜悧、したたかさはしっかりと受け継いでいる。

戦前の日本は、帝国主義国家の中では極めて貧しかったが、外交・軍事面では列強と対等に渡り合える大国だった。今回現地レポーターが日本を“大国”と評したのはもちろん経済・工業・技術大国の意味であり、外交政策・能力的には中南米諸国も呆れる小国に過ぎない。ま、南米随一の策謀政治家フジモリを使って国益を図るほどの長けた外交能力・姿勢があれば、たった一人の狂人が支配する世界最貧国北朝鮮相手にこんなに苦労はしまいが。


【ピースボート】

リマの日本食レストランでカウンター席に並んだ奇妙な連中に出会ったことがある。酒も飲まず静かに、ぎこちなくスシをつまんでいる、年輩の男ばかりの団体。話しかけてみたら、ピースボートの世界一周クルーズ参加者だった。ピースボートといえばツジモト・・と言いかけたら「あの女は関係ない、安く世界一周できるので乗っただけ」と答えた。若い元気な連中の多くはナスカ、マチュピチュ観光にでかけてしまい、残された年輩どうしで市内の日本食屋をハシゴしているのだという。彼らが店をでていったあと、カウンター越しに一緒に喋ってた板前が「あーやばかった、ちょうどピースボートの悪口言いかけたとこじゃった」と言ってへへへと笑った。 実はペルーの日系・日本人社会の多くはピースボートに対し極めて強い反感を持っている。

最初のきっかけは、ペルー大使公邸人質事件の時。ちょうど事件勃発から一ヶ月たった頃、彼らの船がリマへ到着し、対策本部の一つが置かれた日系人会館の一角で「ピースボート写真展」を開き自分たちの平和活動をアピールしたあと、「我々が船の中で祈りをこめて折った鶴であるから人質に渡せ」と言って公邸内との連絡パイプになっていたスイス国際赤十字事務所に千羽鶴の房を押しつけて帰っていった。国際赤十字はこの千羽鶴を邸内に差し入れず、日本側の対策本部に処置を依頼してきた。人質たちに食事や薬や防寒着を差し入れることにも苦慮していた我々にとって、そんなものまで邸内に持ち込めるわけが無かろう。「そんなもん捨てっちまえ!」という声もあったが、結局、日系人協会が引き取って会館の隅にしばらくぶら下げてあった。祈るだけで平和は来ない。

そして最近また当地日本人の感情を逆撫でしているのが、その後も毎年のようにやって来るピースボートが行っているフジモリ批判である。

フジモリ政権が発足した1990頃のペルーは治安と経済が破綻し国が崩壊状態だった。ペルーは南米で最も白人支配の強い社会である。国民の1割のスペイン系白人が政治・経済を支配し、その下に4割の混血(メスティーソ)と5割の先住民(インディオ=インディヘナ)たちがいる。混血の間では白人の血の濃い奴ほど先住民の血の濃い者を見下す哀しい傾向がある。そして白人の眼中に先住民の姿はない(これは差別というより無視に近い)。白人の圧倒的に多い(=先住民を殺し尽くしてしまったため)チリやアルゼンチンの街頭には白人の乞食がいるが、ペルーにはいない。交差点で車を止めると手を差し出して物乞いに群がってくるのは、全てインディヘナかメスティーソたちだ。

ペルーの日系人は8万人で人口比は0.3%にすぎず、このような階層社会のマイノリティーの中からフジモリという大統領が出たのは、在日コリアン(人口比0.5%)から日本の総理が生まれるよりはるかに「どえらい」できごどだったのである。これに対し白人階層は徹底的にフジモリ政権を妨害した。このためフジモリは1992年に白人の支配する国会を封鎖し、直接内閣を動かした。(このとき米国は「独裁者」のレッテルを彼に貼る)

フジモリの最大の功績のひとつは、テロリストと治安軍双方の弾圧に苦しむ山岳地の先住民インディヘナ達に武器を与え自警させたことだろう。初めてまともに国民扱いされた山岳地の住民は喜び、テロリストは衰退し軍による住民の犠牲も減少した。さらにフジモリは貧民窟や山岳部に学校を建て電気を配った。当時も今も、フジモリの熱心な支持者は日系人よりもインディヘナ達なのである。初めて彼らを人間扱いしたフジモリの評判は今も根強い。

ピースボートは「テロを減らすための武力攻撃は新たなテロの連鎖を生む」、だから「貧困の解決などテロの原因の根絶が必要だ」とヘイワ呆け日本式理想の弁をそのまま弄しているが、すでにテロが蔓延し日々巻き添えで無辜の命が失われている社会にとっては両方の処方が必要であり、今流れている血は今止めなきゃならない。そのために両刃の剣も使った。そしてもちろん血が流れないような手だても前もって必要だ。ペルーのフジモリは歴代大統領の中で初めてそれ(貧困対策によるテロ原因の根絶)に取り組んだ。

アメリカ+白人支配階層に事実上追い出されたフジモリに替わり先住民インディヘナ代表の看板をひっさげ2001年に登場したトレド政権は来年の任期切れを控え支持率10%を切るレイムダック状態、失業者や低所得者層がふたたび増え始め、壊滅したはずのテロ組織も不穏な動きを始めている。世銀出身でやたら英語をしゃべりアメリカ詣でをかかさぬトレドはアメリカ傀儡そのものであり、カミさんのエリアンカープはユダヤ系白人、先日、麻薬密輸のイスラエル人を特赦したため騒動になった。トレド大統領は南米の斜陽政治家がよくやる「前任者の徹底批判」で切り抜けようとし、復権をねらう白人勢力やマスコミも強権フジモリ復活を恐れて過去の公安部隊の人権侵害や不正蓄財をでっちあげて叩き、アメリカも自分に楯突くフジモリ叩きを支援する、という構図で社会が動いている。日本のマスコミもフジモリの人権侵害や不正蓄財問題を中心に取り扱いこれになぜかサヨクも便乗するが、この国に日本のマスコミは常駐しておらず、ペルーのニュースの多くはサンパウロ支社から発信されている。サンパウロの記者は当地の新聞記事をそのまま翻訳して打電するだけだから、日本でもそういう記事が多くなる。

今のフジモリの扱いをめぐる攻防は、ペルー社会の階層問題にアメリカの思惑、チリ~ペルーの国民感情対立に加え最近発生した領海域問題も絡んだ複雑な国家間の政治的駆け引きなのだが、地球人気取りの日本のサヨクNGOはこういうナマの政治世界に疎く、相手から無視され呆れられても嫌われても平気で毎年やってきて、自分の運動が米国覇権主義に便乗する矛盾にも頓着せずに、当地にとって何の意味も効果も無い、自己満足だけ得て去っていく。日系人新聞「ペルー新報」のコラムがピースボートの活動に触れ、「わずか数日の滞在と政敵からのインタビューだけでこの複雑なペルー社会の背景の何が分かるというのか」という論調でこき下ろしていた。


【で、所感】

愛知博の日本製最新ロボットの映像は当地で何度もTV放映された。世界のマーケットを席巻する日本の高度な工業製品の印象と相まって、音楽に合わせて踊るロボット達を彼等は驚嘆の眼差しで眺めていた。さまざまな分野の高品質製品の製造テクノロジーにおいて、日本は今やとんでもない大国である。しかし、それを造っている生身の日本人が現れると、他国の人々に対して何を言いたいのか、他国に来て何をしたいのか、その顔も心も見えないのである。こっちを向いて何か喋っているようでこちらに伝わるモノがない、それは、せっかく外地にいながら自国内の狭い自分の立場の勘定だけで外を見ているからではないか。それは日本政府の外交もピースボートもイラク3人組も、そして多くの企業も同類である。一つ抜けている、日本のウヨク、連中に関しては、外地ではその姿すら見えない。

今回の投稿は北朝鮮問題には触れなかったが、これも根っこは同じだと私は思っている。今の我々に、日本の国家としての、日本人としての、思想が無くなったのだ。

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2005年11月 3日 (木)

有楽町街頭活動写真報告

少し曇り気味でしたが、さわやかな秋の空気の中、日朝協議に向け、マリオン前で街頭活動が行われました。
ご家族は、最近ひげをはやした、増元照明さん、横田ご夫妻、飯塚繁雄さん。

通りかかる人は、立ち止まり耳を傾け、初めてという方も積極的に署名をしてくださいました。

大介さん、挽回さん、眠れる森さん、参加したみなさん、お疲れ様でした。

家族の願いが、できるだけ多くのかたに伝わりますように!


   


   

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