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2005年11月19日 (土)

第3回埼玉県民の集い(7)・横田拓也さん1

横田拓也さん( 第3回 拉致問題を考える埼玉県民の集い・2005/11/19)
みなさま、こんばんは。(会場から「こんばんは」)
只今ご紹介にあずかりました、横田めぐみの弟の横田拓也と申します。よろしくお願いいたします。
まず、はじめに冒頭、副代表の飯塚様から、ご挨拶申し上げましたが、日常よりこの北朝鮮による拉致問題について、深いご理解とご支援を賜りますことを、高い席からではございますが、お礼申しあげます。、ありがとうございます。(拍手)

横田めぐみの件につきましては、既に皆様方、深くご存知いただいているかと思いますが、家族からの話として一部ご紹介、もしくは日頃の活動についてお話申し上げたいと思います。

横田めぐみは1977年の11月にこの美しい日本、そして楽しい家族の元から引き離されて、拉致をされたわけでございます。
僅か13才、ほんとうに子どもです。学校のクラブのバトミントン部でしたけれども、友達と帰って、途中で別れてから-(家とその拉致現場がほんとに数百メートルの近い距離であったわけですが)そこで消息を失ったわけです。警察犬によって、(嗅覚が鋭いですから犬を何匹も使ってですね)調査をしたわけですが、全く手がかりなし、目撃状況なしということで、私たちとしてみれば、当時の言葉でいうと「神隠し」ということで、本当に生き地獄の毎日であったわけであります。

まぁ、めぐみは、今年の10月に41才の誕生日を迎えまして、今月の15日(11月)には拉致をされてから28年が経過したわけであります。

私も含めてなんですが、みなさま方に置かれましてもですね、ご自分の13才の頃、どんな年だったか、どんな苦労の記憶があるかということを思いだしていただきたいんです。

まぁ、中学一年生であります。本当に多感な頃で、夢が多くて、自己実現を叶えようと言う、ほんとに花盛り、楽しい時期であったと思います。これはもう、みんな一緒なんだと思います。
ほんとに友達がいて楽しくて、(先生の授業、楽しいかどうかはわかりませんけれども)普通の毎日が毎日が楽しい、日々もう明るい一日だったと思います。そしてクラブで勝って優勝したいという夢もあったでしょうし、高校に入って、こんな勉強したいとか、大学に入ってこういうふうな学部に入って勉強したいとか、こんな仕事がしてみたいとか、旦那さんと結婚して、お子さんを持ってとか、そんなことを本当に夢見ていたと思います。

これ、誰もが踏んできた、平等に与えられた権利、夢だったと思うんですが、はかなくも姉は、この夢をかなえることができず、北朝鮮の工作員によって、拉致をされたわけであります。
もう、人生の三分の二以上が、夢も、将来もないような、貧しい、精神的に貧しい、北朝鮮という地域ですね、(私たちは国交を持っていませんので、国家ではありませんけれども)ま、その地域においてですね、抑留されているわけであります。

私たちはこうして(お話を、今こちらから、お話をさせて頂いていますが)こんな冬でも、こうして温かい場所にいることができます。帰ってもおなかがすけば夕ご飯を、本当に普通に食べることができます。寝るときも暖かい布団に入って、安心して寝ることができる。明日も本当に普通の朝がやってくるし、普通のお友達とご飯を食べるかもしれないし、どこかにお出かけになるかもしれません。
将来に対してほとんどの不安がないのが日本の地の状況だと思います。

しかしめぐみを初めとする多くの被害者たちは今日食べることが保証されていないかもしれない。寝るところが屋外の寒いところかもしれない。それは私たちが、いろんな報道で子ども達が、本当に乞食と書いた言葉で(むこうで何とよんでいるかは、わかりませんが=コッチョビのこと)落ちているコーンの、とうもろこしのくずをですね、食べているそう言う状況であります。

みなさまのお手元に資料があるかどうかわかりませんが、脱北された女性とか男性の話によるとですね、<落ちているねずみの足を食べたのがこれまでのご馳走だった>というような状況もあるんです。

本当に何も保障されていないんです。楽しいときも怒りのときも感情を隣の人と、周りと共有することもできない。思想の弾圧があって、人権の弾圧が日々ある、本当に将来が保障されていない、悲しい毎日にいるわけです。それを、28年間、人によっては30年、40年、同じ状況にあるわけであります。

これはたまたま私が壇上に上がってお話をしていますが、日本人一人一人が、この状況に対して怒って、「北朝鮮を絶対許してならない」ということを、共同歩調で取り組んでいく必要があると思います。

本当にめぐみというのは、横田家の中では<笑顔のシンボル>、女の子でしたから、特にうちの姉はしゃべるのが好きで、明るい子でしたから、本当に、にぎやかな食卓だったわけです。
しかし、その拉致をされた当日、数日、一週間、一ヶ月、どこまで続くんだろうという重ーい雰囲気あって、いつの間にか姉の存在、姉のことばというのが語られなくなった。これは、いろんな家族会の被害者のご家族の話を聞いてみると、ほんとに一緒の経過をたどっています。口にしてはならない重~い雰囲気いつも漂っていて、本当に生殺し、生き地獄という日々を送っていたわけであります。

そして、この問題はですね、いまこそ拉致<問題>といわれていますが、当時は拉致<疑惑>だったわけです。そして拉致疑惑の前までは何の状況もなかったわけですから、私を含めて、私の家族を含めて、皆様方も含めてこの「北朝鮮」とか「拉致」という言葉はまったく知られていなかったわけです。1977年の11月に拉致をされてから、約二十年間、私の家族においてでさえ、めぐみの情報、目撃証言、そして北朝鮮という言葉は一切周りにはありませんでした。

それは政府の怠慢なのか、ジャーナリズムの怠慢なのか、わかりませんが、どこかの一部ではこの状況は語られていたわけではありますけれども、世の中はそれについてこなかったのであります。
この時期に、もし、ジャーナリズムが正義感を働かし、動き、そして、もし日本政府が国民を守るという基本的な使命を果たしていれば、この問題の解決というのは、もう少し早く図られていたのではないかと思います。

そして1997年約20年後に家族会が設立され、私たちは(いまでこそ、このように大規模な形で、お話をする機械を頂戴しておりますが)当時は本当に街頭でタスキたすきをかけて皆様にお訴えしてもですね、(だーれも、この問題、知らないわけですから、当然のことだったのかもしれませんが)誰もが、耳を傾けてくださらなかったわけであります。

私たち被害者は、『どうして私たちのほんとの声を聞いてくださらないのですか』と申し上げます。そしてあるときには、マスコミは有名な有識者とされる、それもほとんど北朝鮮に利敵行為を働く方々がですね、これは拉致疑惑であると、誰も証拠がないということを声高に叫び、私たちの活動を妨害する方々も多くいたわけであります。

本当に、ほんとに苦しいほど、言葉にできないような情景が続いて2002年まで、私たちは生き地獄の中をさまよっていたわけでございます。

それがどうでしょうか? まぁ、小泉さんのお力もあるんですが、2002年にようやく平壌訪問、日朝首脳会談というのが図られたわけであります。そのときに初めて、ご承知のとおり、北朝鮮が拉致の問題を認めたわけであります。自分の国家が侵した罪であるということを、自らが認めた瞬間でありました。

その時の、日本中がひっくり返ったさまを皆さま方もご記憶にあるかと思います。
当日の夕刊、新聞、翌日の朝刊、これはもう、ほんとにひっくり返るというのはこういうことだと思いますが、私たちも含めて、もう頭の中が真っ白でしたし、もうほんとに日本中がパニックに陥ったわけであります。

今までそんなことはありえないと言っていた方々も、いつの間にか、テレビ画面や新聞のところからはいなくなってしまったわけです。自分たちが言ってきたあまりにもくだらないことが、もう瓦解してしまったわけであります。

そうして初めて、私たちが拉致問題があるということが世も中の皆様方によって認められ、政府に認められ、そして国際的にも一歩進んだ瞬間であったわけです。

しかし両手を持ってですね、私たちはそれを喜ぶわけにはいかなかったのです。ご承知のとおり、生存組と、死亡組という形で北朝鮮は欺瞞情報言い続けてきたわけであります。しかもそのときに死亡とされた情報というのは、あくまでも彼らが言ってきた事柄を、日本政府の外務省の方々が伝えただけであって、誰一人として、科学的にも、人対人で確認したわけでもありませんでした。私たちは外務省に翌日詰め寄りました。

「これではおかしいと、生きている人間が死んでいるという情報が、この状況、このボリュームで日本中に広がってしまうと、めぐみをはじめとする被害者たちが殺されてしまうではないかと。そういう報道操作はやめてほしいと。今すぐ大洋州アジア局長がテレビに出るなりされてですね、この問題を否定してほしい」

ということを訴えました。

しかし外務省は(今もあまりかわりませんが)全く冷たい姿勢で、私たちを相手にしませんでした。あたかも、さきほど飯塚副代表、眞鍋専務理事がおっしゃいましたように、日朝の国交正常化を図ろうという目的があったように思います。

それを持って私たちの拉致問題がすごく邪魔だったのかもしれません。

私たちに対しては、まったくの冷たい姿勢をとり続けていました。

しかし、皆様方の、関心と、お力添えによって、そして2002年9月17日の一週間前の、9.11においては、アメリカにおける同時テロが起きたわけであります。
北朝鮮としては、またアメリカが、テロ国家、人権蹂躙国家の北朝鮮=自国に対して、矛先が向いてくるのではないかということを心配して、そして日本からの経済援助、多額の経済協力をもらいたいというのが裏腹にあって、この拉致問題を認めたわけです。

そして皆様方の本当に強い意識、行動によって日本政府を動かしたわけであります。そして、おかげさまで、拉致をされた直接の被害者、5人の皆様方、蓮池ご夫妻、地村ご夫妻、そして、蘇我さんが帰ってきたわけであります。

今までの私たちの取り組みの中では、ここまで進むとは正直言って、思っていませんでした。しかし皆さん方の民主主義の下にある、この「常識を取り返すんだ」と、「日本人を取り戻すんだ」という強い意志が私たちの味方についてくれたわけです。
こうした、譲歩ではなく圧力こそがこの北朝鮮問題を解決する道筋であるということを証明した瞬間だったわけです。

今まで日本の北朝鮮に対するコメ支援というのは、先ほどどなたかがお話になりましたが、120万トン以上なわけであります。しかし実際にそこで支援されたお米、もしくは米に変わるものが、私たちがテレビで見るような貧しい子供たち、とうもろこしのくずをたべているような、本当にかわいそうな子供たちが口にできているのかというと、まったくそれは<うそ>なんですね。

もうあそこの国というのは完全にセパレートされていますから、もう一部の特権階級、軍事的な方とか、そして政府の高官(金正日はそのトップにあるわけですが)、そういった人間しか口にできないわけであります。

私たち家族会(私も今回一緒に行かせて貰いましたが)10月24日から29日に訪米をさせていただきました。そのときにある政府の高官が言っておりました。
『北朝鮮には経済なんかないんだ パレスエコノミーなんだよ』ということを彼らは言っておりました。つまり、私たちが北朝鮮に米を送って、それをやめてしまうとみんなが困るっていうことを、よく日本の有識者とされる<うそものたち>が言っておりますが、『そんなことはありえないんだ もともと(米が)行っている経済というのは、パレスエコノミーにしか恩恵を受けていないんだから、ここをとめても、決してかわいそうな人たちは本当はこまらないんですよ』と。

そこは私たちが言っている経済制裁、つまり彼らはもっとことばをうまく使ったほうがいいよと助言をしていただきましたけれど。<スマートサンクション><ターゲティックサンクション>、こういったことは、効果があるんだということを私たちに助言をしてくださいました。

つまり、私たちが安易なコメ支援、それに変わる経済支援をしてしまうと、さらに今までの、自分たちの懐に入れていた方々がもっと肥えてしまうわけですね。ほんとに困っている人たちを弾圧してしまって、もっとこの先将来食べられない状態になってしまうということ。これは脱北者の方たちも、ほんとに口をそろえて同じ事を言っています。

日本が安易に妥協してそして政治の思惑、からみで、コメ支援、経済協力をしてしまうと、『実は多くの人々を殺してしまうんですよ。』ということ多くの人が口をそろえておっしゃいます。

そうした日本の無策、顔のない外交を私たちは許してはならないというふうに思います。

一時、援助すると困った人が助かるんじゃないかということを考えてしまいがちです。私も、初期のころは、そういう風な考えもありました。しかし、それが相手がどこの国なんだ、誰がその国のトップなんだということを知ったときに、それは明らかに違いな選択肢であると、いうことを私たちは、再確認していく必要があると思います。

そして北朝鮮問題、私たちはたまたまこの拉致問題という形でお話をさせていただいております。しかし、ご承知のとおり、現在六者協議が開催されておりますが、核の問題ですとか、大量破壊兵器拡散の問題、偽札、麻薬、人身売買、いろんな問題があるわけです。およそ私たちの知る<悪>といわれるものが全て彼ら発ということなわけです。

そして核の問題、弾道ミサイルに核弾頭をつんで発射してしまえば、およそ約二十分弱でこの日本に着弾するわけであります。そういう意味においては、核ミサイルに関わらず、拉致問題も含めてこの問題というのは私たちここにいる壇上のものだけに課せられた使命ではなくて、皆様方お一人お一人においても、「等しく降りかかる危機なんである」と、いうことを認識していく必要があると思います。

彼らの悪事を、「絶対的に許さない」「懲らしめて許さないんだ」ということを誓えば日本は安全になるし、そして私たちの将来、子供たち、孫も明るい将来を保証されていくんだというふうに思います。
そして拉致の問題に関して申し上げれば、5人の方々とその家族はおかげさまで帰ってくることができましたけれど、私の姉をはじめとする、死亡組みとされる人々っそして先ほど真鍋さんからお話があった特定失踪者の方々、相談件数ベースですと460件という話が先ほどありました。そういった人たちがまだ帰ってきていない。未解決であるということは今日現在も拉致が行われている可能性があるということを、私たちは強く認識していいと思います。つまり現在進行形のテロだということです。

私の姉を含めて、おそらくそれは、一人の工作員が偶発的に「あ、あの人がいた」というかたちで拉致をしたわけではないと思います。これは確信を持っていえるわけであります。
あそこの国は完全な指揮系統の中で生活していますので、一人の人間がが自発的に何か好きなことをやれるような社会ではないわけであります。

北朝鮮においては、金正日の直接的指令・指示によって、何もかも動いてしまう。かれの承認なくして物事が判断・決断されない国家でありますから、今回の拉致事件も、すべてのところにおいて、北朝鮮が直接的に指示をしているわけであります。

そうした意味では、国家テロが20年も30年も40年も前からこの日本を侵し続けているんだということを私たちは理解していく必要があると思います。

不審船の問題もそうです。人権問題、人権蹂躙、領土、侵入、ありとあらゆることが私たちのこの日本において、過去から、今も、されているんだということうことを、この事実を理解した上で、そして相手がどんな相手なのかというのを理解した上で、彼らに対する選択肢が、どうあるべきかと。

そして、私たちがお訴えすることと、日本政府がいまだに躊躇しているこの実態と、どちらが正しいのかということをですね、私たちは、強く判断していく必要があると思います。

ちなみに、私、個人的に、めぐみ、ほかの拉致被害者の方々の誰か、もしくは多くの方々が新潟から行き来している万景峰号に乗せられて拉致をされた可能性もあると思っています。

これは、もうすぐいろんなことによって明らかにされるのかもしれませんが、少なくとも今、日本国民の皆様の意志によって国会を通過させた二法案は成立しまして、(経済制裁法案は、外為法と特定船舶入稿禁止法でございますが)せめて、不審船の母船ともいわれる万景峰号を止めてですね、私たちの国家の意思を示していく必要が、私は、あると思います。

そのために、日本政府に対して、「もっと、あなた方は北朝鮮に対して強い姿勢で、出るべきだ」ということを声にしていただけないかというふうに私は思います。

皆さまがたのお手元にも、今日、こうした「蒼いはがき」が入っていると思いますけれども。これは内閣官房気付で、小泉総理大臣に着く手紙になっていますが、皆さま方お一人お一人の声を、日本政府の顔のない外交に、怒っている意思を表明していただきたいわけであります。

私はこうして、いろんな集会とか講演会とか、街頭でお話させていただく機会がございますときにですね、皆様方のほうから「私たちに何ができますか」という温かい言葉を何度もいただきます。

私はいつも例えとして申し上げておりますけれども、この問題が当時<拉致疑惑>のときに、私はインターネットを使って、首相官邸に毎日に近い状態でメールを送っていました。抗議のメールです。「日本政府のあいまいな外交姿勢はやめてほしい」と、「改めてほしい」ということを何日も、何回も送りました。それは大蔵省、経済産業省、警察、あらゆるところに送りました。そして、誰もが「そんなことしても見てくれていないよ」というひともいました。

しかし、私が始めて首相官邸の中に入ってお邪魔したときに、当時安部官房副長官がわざわざ歩み寄ってくださって、「あなたが拓也さんですか。私はあなたの抗議のメールをいつもみていましたよ」ということをおっしゃってくださいました。見てくださる方は見ています。そして、それが安部副長官であれ、どなたであれ、そうした善意のある方は、どこの組織にもいるはずなんです。

そうした方々に共感を生むように、私たち国民の意思、民主主義の正義の意思をですね、伝えていくってことが、力になって、世論となって、民意となって、政府に対する圧力につながると思います。

さきほど、議員の方が、「皆様方が圧力団体になってほしい」ということばがありましたけれど、これはそういうことなんだと思います。
そのひとつの例がこの蒼いはがきであって、インターネットのWebで首相官邸のホームページを開けば、ご意見箱といったようなタグがありますから、そこに皆様方の、お声を一個一個積み上げていくことはできると思います。インターネット以外でもfaxでも、お電話でも、お手紙でも結構です。外務省にも送ってください。そうしたことが本当に広がりになっていきます。

そしてそれは政府に対する抗議だけではなくて、今日私たちがこうして、お話をさせていただいた、この機会のことをお帰りになりましたら、もしくは明日以降ですね、こんな話を聞いてきたんだということを、おひとりでも多くの方に、お声をかけていただくことが、この問題の関心をつなぎとめていくこと、日本政府の安易な妥協を許さないんだということにつながりるはずなんです。

私たちが、ほんとに被害者か加害者かといえば、これは間違いなく北朝鮮が認めたわけですから、明らかに被害者なんです。明らかに、彼らが加害者なんです。私たちが妥協することはない。私たちがうろたえていたら、私たちの直接の家族・兄弟が困るとともに、この日本のあいまいな外交姿勢そのものが、今の私たちの子供にも悪い教育に実際なってしまうと思います。

私たちが間違いだということは間違いなんだということを北朝鮮にぶつけて、誰が見ても、私たちは正しいことをしているんだということを訴え続けていく必要があるんだと、私は思います。

そして、日朝国交正常化の件で申し上げると、拉致問題の解決の前に、(まぁ、政府も外務大臣も、官房長官もおっしゃっておりますけれど)国民お一人お一人が認識しておかなくてはならないのは、国交正常化の前に、拉致問題が解決されなくてはならないんだということでございます。

先ほど真鍋専務理事からもございましたように、拉致問題を日朝国交正常化の後でいいと、仮に、してしまえば、日本政府は隠したがります。北朝鮮政府も隠したがります。拉致問題はなかったんだということで、20年前に戻ってしまうわけなんです。そうしたことを許さないためにも、日朝国交正常化は絶対に拉致問題の後でということを、日々の政治的、国際的動向を見守っていただきたいと思います。(会場からそうだ!の声)

また、さきほど特定失踪者問題の真鍋さんのほうから、これは敢えてお話しなかったんだと思いますが、こういった、皆様方に、お送りいただくはがきのほかにも、特定失踪者問題調査会の運動として《しおかぜ》という短波放送の活動をされています。これは、あそこの組織が主体となって、短波放送で、拉致被害者の方々、北朝鮮にとらわれている日本人のひとりひとり、お名前を呼んでいる活動を、今、しています。

つまりは、自分たちがもし北朝鮮にいて、誰も日本の人が知らないと思ったら絶望的だと思いますが、その日本人から、日本から、あなたが名前を呼ばれたときに、すごく心強くなるじゃないですか。

消して忘れていないんだということを私たちが声をだすということです。この活動を、地道に進めています。しかし、私が言うとちょっと欲深い話に聞こえてしまっては恐縮でございますが、この短波放送のお金、年間500万から300万かかるそうでございます。

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