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2005年11月23日 (水)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会5

『李美一 朝鮮戦争拉北者人士家族協議会理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏

それではそのような拉致の背景、そして韓国政府がこの朝鮮戦争中の拉致についてどのような態度をしてきたのか?
また韓国の被害者家族がこれまでどのような運動をして来たのか?
そして今どのような運動をしているのか、と言う事について、李美一理事長に話をしてもらおうと思います。

★李美一理事長

まず朝鮮戦争拉致の状況について簡単に説明いたします。
朝鮮戦争と言うのは同族が殺し合う戦争であり、民間人の被害が大変酷い物でした。
韓国軍の被害が100万人程度だったんですが、民間人の被害は合計99万人くらいでした。
その中でも北朝鮮は実は韓国の各界各層の指導的な人士を選んで拉致して行ったのです。
その数は8万人以上を超えております。
北朝鮮に連れて行かれたまま、家族たちは生死確認と言う最低限の事さえも出来ない状況です。
そのような指導的な人材を連れて行かれてしまったのだから、我々家族はいつか韓国政府が対応してくれるだろうと信じていました。
しかし現在に至るまでも生死確認さえも出来ない状況で、我々の家族の問題は隠れてしまっているわけです。
私たちがまず今望んでいるのは生死確認です。

朝鮮戦争拉致が発生した背景に付いて簡単に申し上げます。
日本の植民地支配から解放された後、北では社会主義が南では民主主義がそれぞれ政権を作りました。
北朝鮮では貨幣改革と土地改革をし、そして社会主義の妨げになる資本家たちに対する粛清が始ります。
大部分のその資産家たちは、粛清から逃れようと南に逃げて来ました。
また知識人たちもたくさん南に逃げて来、その数は数百万に上ったと言われています。
そこで北朝鮮では大変な専門的な人材不足になり、1946年4月31日(西岡氏、日付を言い間違い?)に金日成が、南朝鮮からインテリを連れて来い、と言う指令を出したのです。
金日成全集の第4巻にその指令が載っています。
彼らはその名簿をその時作ったのです。

そして彼らは北朝鮮内にまだ残っていた貨幣改革前の、南ではまだその時通用していた紙幣をたくさん持って、そして名簿にある有名人人士に接近して、これだけお金をやるから北に来いと騙して連れて行こうとしましたが余り上手く行きませんでした。
戦争になってソウルを含む大部分の地域を彼らが占領した後は、銃を持って自由に彼らが連れて行きたい人を強制的に連れて行くことが出来た。
当時の韓国の国会議員を含む公務員、そのような愛国者たちを連れて行きました。
そして彼らの体制のために奉仕させようとしたのです。
当初は有名人士・専門人力の拉致だったんですが、戦況が不利になると北朝鮮軍の最先端の兵士として使うために、また肉体労働者として使うために韓国の若者たちを拉致して行きました。

このような事実について、私たちはただ経験談だけに基づいて話をしているのではなくて、文書を発掘して証拠として持っております。
当時アメリカ大使館が国務省に、戦争当時韓国人拉致問題について報告した文書が一通発見されています。
50年の9月28日に、国連軍がソウルを回復するのですが、その直前にソウル市内の刑務所に北朝鮮のよって収監されていた政治犯、1万人から2万人が連れて行かれたのです。
その連れて行かれる方法は、まず5人ずつ縛られてそれを前後に縛って歩いて、前に騎馬隊がいて後ろにも騎馬隊がいて銃を突きつけられながら、歩いて北に連れて行かれたと。
その経路は西大門を通って、ミセ、ウィジョンプ(←ここの地名ははっきり聞き取れず)を通って北に連れて行かれたと。
また当時北朝鮮による拉致指令軍と言うのがある事まで私たちは掴んでいるのですが、その指令軍の資料までは探し出すことが出来ていません。
しかし2次的な資料ですが、ソウル市民を北に連れて行くときに不純分子を混ぜるな、と言う命令文は我々は確保しています。
その中には労働力のいない家族からの人間の摘出は中止せよ、と書いてあります。

韓国政府がこの問題についてどのように対処して来たのかと言う事について申し上げますと、最初は韓国政府は拉致被害者家族を支援し、積極的にこの問題に取り組みました。
そういう中、北朝鮮は若い拉致被害者を北朝鮮でスパイ教育をして、北のスパイに仕立て上げて南に送ってくるという事を始めました。
それが50年代の後半です。
それに対して韓国政府は我々家族を守るというような対策を立てるのではなくて、逆に北のスパイが(南に)降りて来れば家族に接触すると。
つまり家族はスパイの予備軍、協力者であると。
従って監視の対象にしなければならない。
また家族連座制を適用して、その人たちが公務員や軍の高官になる事を防がなければならないという家族連座制が適用されました。

1952年すでに私どものような家族会が結成されました。
当時被害者の奥さんたちがソウルのトクスグンという旧王宮で集会を開いてデモをしていた。
そして韓国の外務大臣に会ったり、あるいは国連代表部を尋ねて、わが夫を助けて欲しいという訴えをしたりしました。
マスコミの朝鮮戦争中の拉致についてたくさんの報道をしたりしたのですが、しかし冷戦時代にそのような動きは何の成果も上げる事ができませんでした。
60年代に入り新しい拉致、つまり漁民たちに対する拉致が始まります。
我々の戦争中の拉致については忘れられていき、そしてその後、韓国政府は何の対策も取りませんでした。

そして時が流れて2000年の6月、金大中大統領が北朝鮮を訪問して南北首脳会談が開かれた時、この時私たちの問題も生死確認くらいは出来るだろうか?と、私たちは期待をかけました。
しかし金大中大統領は486人の朝鮮戦争休戦後の拉致については言及をしましたが、戦争中の拉致に付いては全く言及をなされなかったわけです。
私たちはこの問題を深刻に考えて、家族会を再結成したのです。
そして家族会を作り朝鮮戦争時の拉致問題を広く知らせてきました。
しかし名簿も無いと言って韓国政府はこの問題を阻害して来ました。

私たちは大変苦労して国立中央図書館の書庫の中に眠っていた、1952年に韓国政府が作った戦争中拉致被害者の名簿を発見してそれを公開いたしました。
大韓民国政府が作った名簿であるにも拘らず、今も韓国政府がその名簿が、実態を表す資料だと認めていません。
他の名簿では7000人と言う名簿もあると、2000人と言う名簿もあるんだと。
従ってこの8万人と言う名簿は信頼性がないと言うのが、韓国政府の現段階での見解です。
それならばあなた達が正確な名簿を作る為に家族から生死確認要請書を受け取って、そして名簿を作れば良いではないか?と私たちは言いました。
しかし未だに準備もしていません。

私たちはこの拉致と言うものがどれほど深刻な物であって人間の営みを苦しめる物なのかと、どのように人間を苦しめる物なのかと言う事について、韓国政府は未だに理解していないと思います。
私たちは55年間、奪われた家族の事を忘れた事はありません。
家族と言うのはこの世の中で一番大切な基本単位であって、この世の中の誰もがその家族を破壊する権利は持っていないと思います。
韓国政府は今この韓国人拉致問題を北朝鮮に話をすれば南北和解の障害物になるといって、この問題を取り上げようとしないのです。
私たちはそれでも幸いに思うことは、戦争中に行方不明になった人たちの生死を確認しようと言う合意が南北で出来た時です。
最初に2002年の9月にそのような南北の合意がされ、また2002年の6月と9月にもそのような合意がなされたのです。
私たちは生死確認が大切だと思って、政府に対してその結果を待っているんですが、未だにただの一件についてさえ生死確認はなされておりません。
私はこのような生死確認の問題、拉致問題の完全な解決は金正日が政権から追い出されない限り、完全な解決はないと思っています。

今韓国の一部の親北派と言われる人たちは、北朝鮮を刺激すれば戦争になるというような事を言っています。
北を刺激すれば戦争になると。
戦争になれば大変莫大な費用がかかると。
それに比べれば今北朝鮮に無条件で支援している費用は十分の一にもならない小額であるというような、デタラメな論理を展開しているのです。
平和と言うのはただ実力によってのみ守れると言うのが私の考えです。

今拉致問題は、日本の拉致問題、韓国の拉致問題、そしてそれ以外の国の拉致問題が発見され続けていると聞いています。
金正日を孤立させてそして弱めていく為には、私たちは連帯をして圧力を強めていかなければなりません。
このような多くの方たちが関心を持ってくださったことに心から感謝を申し上げて、私の話を終わらせていただきます。(拍手)
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