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2005年11月23日 (水)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会11

 ※原 良一さんのテキストです。

 第三部 救う会&家族会訪タイ調査報告
「西岡力氏、増元照明氏のお話し」


 西岡氏
 え~、座ったままでいいですか? 11月9日から11日までタイに行ってきたんですが…、多分ご承知の人も多いと思うんですけど、ジェンキンスさんが本を書く前に、我々は、5月に増元さんと二人で佐渡に行きまして、曽我さんからタイ人の拉致被害者がいるっていう話しは聞いていました。

 曽我さんと話しをして、国際社会に日本人拉致救出をお願いすると。国連の人権委員会の作業部会にお願いをすると。そういう中で、日本人以外の拉致被害者の状況がわかった場合は、まずその家族に何とか伝えなきゃならない。その国の政府に伝えなきゃならないということで、曽我さんもその通りだということだったので、調整室(内閣府直属拉致問題連絡・調整室)を通じて、外務省からタイ政府に連絡をしてもらいました。

 今回、タイに行きまして、6月に最初にアノチャさんというタイ人女性が拉致されているということを、日本側から通報を受けていたということを、聞きました。ただアノチャさんという名前は、一般的な女性の名前なんです。ヨシコとかヒロコとか・・・。70年代の後半にいなくなったヨシコを探せといっても、日本でも難しいでしょう、タイの政府にしても、やはりね。それでなかなか特定できなかったということです。

 まあマカオの新聞を繰って行けば、アノチャさんが、78年の7月2日に失踪しているという記事が出ていたので、もう少しやってくれればなあ、という気がしないでもなかったんですが、とにかくわからなかった、と。
 そして10月にジェンキンスさんの本が出て、そこにタイ人が拉致されたと書いてある。11月の1日に、タイの新聞の「ネーション」という英語の新聞があるんですが、それがですね、この記事を出すんですね(記事のコピーを示す)。

 タイ人が拉致されていると、ジェンキンス氏の本に書いてある。それがこの女性だと言って(写真に)丸を付けている。この写真は、CBSというアメリカのテレビ局が、曽我さんというよりジェンキンスさんの番組を異時間枠で作った時に、曽我さん、ジェンキンスさんより提供を受けていて、CBSのホームページに掲載されている。それをCBSから撮ったとして、その映像を載せてアノチャさんという名前と、ジェンキンスさんの本を載せて、日本語の部分もこうやって写真に載せて報道したわけです。

 ただ、英語の新聞は、それほど読まれていないわけです。これだけだったらわからなかったんですが、この新聞を元にしてタイのテレビが、アノチャという女性が拉致されていると報道したわけです。それが11月1日なんです。我々が行った時は、あの家テレビなかったんだよね(隣の増元氏に確認)、見れなかったよね。あのお兄さん家、テレビなかったんですよ。田舎の高床式の農村だったんですよ。だからテレビもだけど、英語の新聞なんか絶対読んでない、断言してもいいけど。

 ただしですね、お父さんが3ヶ月前までご存命で、90歳過ぎてるんですけど、アノチャさんのこと忘れてなくて、「アノチャ、アノチャ」とずっと探してたと・・・。病床でも写真を大きく飾って、帰りを待ってたと。だから近所の人たちが、あの家にはアノチャという娘がいるんだ、お父さんが探してたというのを知ってた。いなくなって27年経ってたんですね。

 だから、それで忘れていたらば、誰か近所の人がテレビ見てて、「アノチャという名前だから、あの家じゃないか?」と言ってくれたんです。それでこの写真を見て、ああ似てるということで、テレビ局にお兄さんが一人いらっしゃってて電話をした。それが11月2日ですね。

 11月の3日にタイの総理大臣(タクシン首相)が、記者会見の時にそのことで質問されて、「これが真実だったら、北朝鮮に帰還を要求する」と言ったんですね。まあ真実だったらていうのが付いてますけども、総理大臣が言及したんです。

 そして4日には、タイの外務省の担当官が家族の家に行き、そのままそのお兄さんをバンコクに連れてきて、外務大臣が面会したんです。報道から、外務大臣の面会まで5日しか経っていないんですね。我々家族会作ったのに(笑)結構(増元氏苦笑しながら「半年くらい」)半年位かかったんですよ。

 ただそれは、日本で拉致があることが明らかになった後だからっていうことも、もちろんあると思いますけれど、タイ政府はタイヘン積極的です。そして8日の日には、タイと北朝鮮は国交があるんです、大使館がある。大使館の大使を呼んだら、大使がいなくて臨時大使が来て、臨時大使を外務省に呼んで情報を突きつけて、どうなってんだ? と聞いたらば、タイ人女性が北朝鮮に行った証拠は一切ありません、と。調べてもいない内から(失笑)、政府の前で言ったんです。タイ政府は、それでも継続して調査してほしいと言った。

 そしてタイのマスコミは、このように連日のように報道をしまして、そしてお兄さんがバンコクに来た時、(き(写真を示しながら)これがお兄さんで、その息子さんで、これがアノチャさんの写真なんですね、失踪前の…。そして日本のマスコミが、これを大きく報道したんです。日本のマスコミが、この写真をバンコク発でテレビで報道して、佐渡で曽我さんが、そのテレビを見ている。で、この写真を見て最初に思ったのが「懐かしい」。

 アノチャさんが拉致されたのは、78年なんですけども、曽我さんがアノチャさんに会うのは80年です。だからこの(写真の)姿と似てる時に会ってるわけですね。10年間一緒に暮らしてる。だからよく知ってるわけだ。米軍の脱走兵士が4人いまして、ジェンキンスさんと曽我さん、それから後一人とアノチャさん、もう一人とルーマニア人でイタリアから拉致されたドナさん、それからもう一人がレバノンから拉致されたシハームさん、4人が2階建てのアパートで、1階に2世帯、2階に2世帯一緒に住んでた。よく知っているわけです。

 それで忘れないと思って、曽我さんに電話もして、この写真のあるのを聞いてお兄さんが日本に来たら是非お会いしたい、タイ政府の情報収集にも協力したいというお話しもして、とにかく行こう、と。日曜日に決めて、水曜日に出発したんですね。相当無理なスケジュールだったんですけども・・・。調整室と、外務省とそれから…、在バンコク日本大使館と、在チェンマイ外国総領事館と様々なマスコミ関係者が、いろんな方に無理を言ってとにかく(タイに)行ってしまったんですね。

 でまあ、お兄さんにお会いすることはできました。10日の日の午前中、1時間半お話しをしまして、その時我々がジェンキンスさんの本に書いてない、従ってお兄さんが知らないであろう情報を一つ持ってたんですね。

 それは二つあって、曽我さんがこの写真は懐かしいと言っていた。それからもう一つは、家族構成について曽我さんは、アノチャさんはお母さんは既に亡くなっていると、確か直接聞いている、失踪前から。お父さんがかなり歳が離れている。お兄さんが一人いる。というふうに私たちは聞いていた、5月の段階では。

 で、行ってみたらばことそのとおりだった。ジェンキンスさんの本に書いてないとおりのことでありますから間違いないと。お兄さんから最終的に「ホントですかねぇ?」という話しになったんですけど「間違いないと思いますよ。いろいろな情報を総合したら」後は「生きてますかねぇ?」ということと「どんな暮らししてますかねぇ?」そして「どうしたら取り戻せますかねえ」具体的なんですね、家族の考えることは。生きてますかねえて言った時に増元さんが答えたのは、増元さんお願いできますか?

 増元氏 
 アノチャさんというのは、向こうの満年齢で50、数えで50歳らしい(後の発表では1954年7月12日生まれの満51歳)です。年齢を聞いて私の姉も52になる。必ず52歳とまだ若いし、まだ死ぬような年齢ではないから必ず生きていると思うし、そう信じて私は救出運動をやっているから、ぜひお兄さんも生存を信じてこれからも一緒にやっていきたいと申し上げました。

 西岡氏
 そしたら「生きているんだったら、どんな暮らししてるんですか?」って言うんですよ。私は「精神的には大変辛いと。監視の対象だけれども、物質的には工作機関の中だから比較的生活水準は上だろう」って言ったんですけれども、そうしたら増元さんが

 増元氏
 あのジェンキンスさんが「告白」の中で書いてますけれども、暖房さえ充分手に入らない。自分、私たちは、もう少しいいくらいをしてるのかなと思ったんですけど、あの本に書かれている暮らしを見れば、私たちは驚きました。ですから西岡さんは精神的に部分もおっしゃって、でも物質的には多少いいだろうと。北朝鮮の経済状況が酷すぎるので、一般の人たちよりは多少いい暮らしになってると、それはもう世界レベルの中では低い生活の状況だと、早く助けなければならないと、(いうことを伝えました)。

 西岡氏
 そして最後に「どうやったら取り戻せますかねえ?」という話しになったので、私は「北朝鮮は、アノチャさんは今いない」と言っている。それは(日本人拉致被害者の)家族会が作られた97年と同じだ。そのあと北朝鮮に拉致されたのは間違いないといって具体的な事実を示して、日本国内で、そして海外で、国際社会に訴え続けたと。その結果、北朝鮮が5年後に(拉致被害者が)北朝鮮にいると認めた。

 だからまずは、北朝鮮にいることを認めさせることが第一歩です。そのためには、家族会がやったようにタイの国民、タイ政府に対して、世界に対して訴えるということが大切です。ぜひ日本に来てくれないか。曽我さんと直接会って、お兄さんが覚えていらっしゃるアノチャさんの特徴と、曽我さん10年間一緒にくらしたアノチャさんの特徴が合致すれば、合致するほどホントに間違いないんだということを、タイ国民にも、日本国民にも、世界中にアピールできる。

 曽我さんに電話したところ、お兄さんが来てくだされば、ぜひ会いたいと言ってるんだ。そして曽我さんは、アノチャさんの印象について、大変優しい人だった。ウチの二人の娘を大変かわいがってくれたと、気配りのできる人だったと。私にとってお姉さんのような人だった、と言っていたということを訴えました。

 我々が会ったのは10日ですから、1日に新聞報道が出て、10日後には日本から変な人たちが来て(苦笑)、もうカメラが、日本のカメラがテレビ局、タイのテレビ局、イギリスのBBCとかがわーっと来ていて、記者が40人くらいで警察が交通整理をやってるんです。

(アノチャさんの兄の)家は、チェンマイから車で40分くらいで、鶏が放し飼いされてたりして、ほんとに農家なんですよね。それで高床式の家なんですよ。事前に打ち合わせして、カメラが全部入ったら床が抜けるからどうしましょうか?(笑)って、テレビ局のスタッフの人たちが言ってるんです。事前に行ったことがあるから。

 それで、下で会うところだけ頭撮りしてもらって、上に上がったところからはカメラなしにしましょうと言ったので、だんだん、だんだん(話しが途切れる)

 飛行機に乗るのも、バンコクに行くのも初めての人で、日本に来てくれと言われても即答はできませんておっしゃったんです。ところがその後記者会見をしたんです。これが「ネーション」という新聞で、記者会見をしている場面(「Japanese visitors Conform abduction(日本人訪問者と拉致が一致)」の見出しの写真を示しながら)がですね、タイの新聞に出たんですね。

 増元さんがまず報告をして、その後お兄さんがタイ語で喋ってるので、我々は何を喋ってるのかわからなかったのですが、総領事館から来てくださったタイ語の専門家の方が、後で教えてくださったんですが「(日本に)行かねばなるまい」と言っていた、と(苦笑)。

 ということで、(日本に)来てくださるということになりました。だいたいそんな感じで、あと増元さんの方から何か・・・。

 増元氏
 先程、西岡さんがおっしゃったように、できるだけ大阪の集会に西岡さんと一緒に行かなきゃならないねって、来週くらいですかと話しをしてたら、ぜひ4日後には出るというようなことになりまして、ほんとにありがとうございます。

 で、今先程も言いましたように、最初に私たちが向こうの現地の日本人記者に聞いたら、どうもお兄さんは北朝鮮に感謝しているようだというふうに言ってる。なぜかというと、アノーチャさんというのは、義務教育で小学校4年生くらいの教育しか受けていなくて、学歴もないそういった女性が、北朝鮮でいいくらしをしているのだと、そういう情報が入ってきたので、拉致ということもまったくわからない。拉致があるなんてこともわからないし、北朝鮮がどういう国かも全然わからない。

 それでいきなり27年後くらいに、突然いなくなった妹の話が、北朝鮮でいいくらしをしてるよということが入って、最初感謝している。そんな状況ですよ、ということだったので、これはとても、感謝されては私困りますもんで(苦笑)、だから二人してお話ししたんです。で、ようやく最終的には、「取り戻したい」という言葉をおっしゃったんで、ある程度の理解をされておられるとは思います。

 私の会、救う会の方でも、役員会も何もしないで二人で行って、そして招聘したんですけれども、会の承認も得ないで単独で招聘したんですけど、それは事後報告になってしまいました。

 私たちが向こうに行ったのは、お兄さんが本物だろうかということ。報道では、兄だ、甥だと出ているんですけども、本当にアノチャさんの肉親であるかどうかを確認しなければならないし、確認ができたら、やはり各国の被害者家族の皆さんと連携してやってる、国際的な問題であるということを訴えられたらいい機会であるし、ぜひ日本に来ていただいた方がいいのかな、と。

 そして曽我さんも、アノチャさんのお兄さんとお会いして、話しをしたい意向もありまして、それでとりあえず行きました。

 最初は、本当に田舎の農民です。田舎というと田舎に失礼ですが、非常に先程言ったようにバンコクに行ったことも、飛行機にも乗ったこともない。昔から、英字新聞もそうですけど、向こうの新聞を見てなくて、ほとんど喋らないわけです。その代わり郡長さんというのがいる。郡長さんというのは、市長さんと同じレベルだと思うんですが、その彼が一生懸命説明されるわけです。その側でお兄さんが黙って、(ネーション紙の写真を示しながら)この顔で睨んでるんです。

 でどうやって、とっつきにくい感じを受けましたので、どうやって聞き出せばいいのかなという思いで、常にお兄さんに話しかけていました。事前に先程言ったように北朝鮮に感謝しているようなそぶりなので、絶対にそれだけは少なくとも堰き止めようと、記者会見で北朝鮮に感謝しているなんて言われたらとんでもない。それだけは避けよう。

 それで一番良かったのは、北朝鮮の拉致という、日本人拉致、韓国人拉致、これが北朝鮮の拉致であることが、タイの国民の皆さんにもある程度認知されたということじゃないでしょうか。まあ二人して、今が旬だからということで、ネーションで取り上げて、タイの方で随分とアノチャさんアブダクション(拉致)というタイトルでクローズアップされてる。

 そこに私たちが行くことによって、さらにまたタイの上等のニュースになる。とするとタイの人たちにも、北朝鮮による拉致というものが認識されるだろうという思いがあったんですが。先程言ったように、タイの地元の扱いというのは、新聞それからテレビによって報道してくれたので、ある程度の北朝鮮の問題も認識されていると思います。

 タイの人たちっていうのは、とても今日あったことは明日忘れるという、それくらいあまり囚われないという「マイペンライ(タイ語で「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」という意味の言葉)」という有名な言葉もありますけど、囚われない国民ですから、ネーションの担当者は、タイの国民がこれを忘れないように、何か常に取り上げていかなければならないとおっしゃっていました。

 タイ政府の方たちにも、タイ政府としては、今年は北朝鮮と国交を結んで30周年になるので、いい関係にあったという認識があるので、これからもそれを壊したくないという思いがあるんですね。ただもし国民が拉致されているのであれば、何とかしなければならないと外交官の方がおっしゃってました。どういうアプローチをするにしろ、北に対する圧力にはなっていくんではないか、と思います。

 北朝鮮は、ただ単にいるかどうかちょっと聞いてみたという程度の北朝鮮の臨時大使を呼び出した。タイ外務省が呼び出して、ちょっと聞いてみた。そしたらすぐ正式な文書で「(アノチャさんは)いない」と言ってきたくらいでして、タイ人拉致に関しても、北朝鮮としても非常に神経をピリピリさせているようであるんです。

 タイ政府は、我々も行ってまず間違いないということを話しましたんで、アノチャさんは拉致疑惑ではなくて、日本の報道では拉致疑惑と言ってましたが、完全な拉致である。証言者がいるんですから。それをはっきりと認識すれば、これから展開する追及も当然強くなっていくと思います。

 で、マカオ(で拉致された)の三人の(拉致被害者の一人)孔さん(孔令●と書いてホン・レンイン女史、日本語読みで「こうれいおう」、●=讐の隹の部分が貝。どの文字コードにもありません)という方の弟さんが名乗り出られたので、調査でまたマカオに行かなきゃならないのかな(西岡氏と苦笑)と言っております。

 またできれば、12月22日の国民大集会に招聘していきたいと考えております。マカオ、タイ、第一回集会以来、当然韓国の皆さんも来ていただきますし、さらにもう一人機会がある可能性がある。とにかく世界中で拉致されている被害者の家族が集まって、様々な行動をできるような状況になるという可能性が高いということを認識しています。

 西岡氏
 最後に、あと10分くらいしかないのでまとめの話をさせていただきたいのですけども。つまり拉致問題が国際化してきた。今タイの問題が出てきましたけど、実は今度は増元さんマカオの話しをされたんですが、これは78年の7月2日にアノチャさんが拉致されてるんですね。でジェンキンスさんの本によると、アノチャさんは、同じ船に二人のアジア人女性が乗っていたのを見たと言っていたと書いています。

 そのアジア人女性が誰なのかがわかったんです。当時のマカオでは、おかしな行方不明事件、人身売買事件じゃないかとして報道もされていたし、捜査もされていたんですね。宝石点の店員の孔さん(ホンさん、前述)という方と、ホテルのナイトクラブで働いていた蘇妙珍(ソウ・ミウザン)さんという女性二人が、同じ日にいなくなってる。

 日本人を名乗る人間が、フクダと名乗る人間が現れて、案内してくれとか言って連れ出した後いなくなった、いうことなんです。そうしましたら、実は韓国から拉致されて自力で脱出した韓国の映画監督がいる。1978年に拉致されて、86年にオーストリアに逃げた崔銀姫(チェ・ウニ)さんと申相玉(シン・サンオク)さんが本を書いている。

 「闇からの谺」(上下巻、文春文庫)という本ですが、その中で崔銀姫さんという映画俳優が、隣にマカオ人が住んでいたと書いていた。そのマカオ人と親しく話していたと、行ったり来たりしていたと。名前はホンさんと言う。宝石店に勤めていたという。ピッタリ一致した。
 そのことが話題になる中、今度は、香港の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が、13日に記事を書いてるんですね。マカオでも拉致があったと。そして、その孔さんの弟さんが出てきた、という記事ですね。ここにアノチャさんの写真まで出てて。(続く)

※西岡&増元両氏による訪タイ報告は約42分あり、現在26分まで完了しています。
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