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2005年11月23日 (水)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会3

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長による
      ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』


皆さんこんにちは。
ご招待いただいてありがとうございます。
戦争が勃発した時、うちの父は50歳でした。
そして神学大学の教授をしていた牧師でもありました。
また東亜日報の記者をしていたので、言論界でも大変有名でした。
私は父のことを良く知っていて父の心の中の事が良く分かるので、父の思いを皆さんに十分に伝えられることが出来ると思います。

うちの父は日本の植民地時代に終戦の直前日本の警察に連れて行かれて、大変酷い取調べを受けたと言う経験を持っております。
上海にある臨時政府に資金を送った容疑と言う事で本町警察署に連れて行かれて一ヶ月間の大変酷い取調べを受け、その間うちの家族は生活に困窮し私の2歳下の妹は、栄養失調が原因で病死してしまうと言う家族的な悲劇も経験いたしました。
もちろん牧師だったので神社参拝に反対し、また教義的な問題でも弾圧を受ける中、私どもの父が所属していた団体が弾圧を受ける中、私の父も苦しみを受けたのです。

ところがおかしいと思ったのは、終戦になって日本人が韓国から帰国していく事に対して、うちの父は大変協力をしていたと。
当時の私の家の近くにも日本人はたくさん住んでいましたし、実は私の家族は家を失って田舎に行っていたんですが、ソウルに戻ってきて臨時に住んだのが日本人が住んでいた家でした。
私たちにその家を預けて日本に帰った人達、その家族は日本に帰る時、近所の人たちに温かく送り出してあげようとうちの父が言い出して、そして荷物もたくさん持って帰れるように取り計らっているのを見てですね。
私は大変不思議でした。
しかし、今になって私は父の心が理解できます。

朝鮮戦争が起きて父は避難する事ができました。
しかし学校を守らなくちゃいけない。
言う言葉を残して私と避難する途中、一人だけもう一度ソウルに戻って行ったのです。
私は田舎で隠れていたんですが、ソウルからの消息で父が捕まって連行されたと言う消息を聞いてソウルに戻りました。
その時うちの妹が拉致を目撃していたのです。
母は食料を求める為に外出しており、父と妹弟たちが家にいたのですが、突然黒いジープに乗った政治警察が現れて家を包囲したんです。

丁度そのときですね。
同じ神学大学の教授が一人我が家に来て、危ないから隠れろと言いに来てくれたのです。
その教授が来て話をしていたときに政治警察が包囲して玄関の門を叩いたので、その教授は押入れの中に隠れて、うちの父が玄関に出たところを裸足のまま引きずり出されて連れて行かれてしまった。
妹たちや弟たちが目撃していたのが父の最後の姿なんですが、そのあと消息はないんですが、実は一緒に拉致されていって脱出してきて韓国に戻ってきた人たちが東亜日報に証言をしている記事が出たのです。

その証言によりますと、うちの父は北に連れて行かれて収容所に入れられて、そこで北の地下教会の牧師と秘密に連絡を取っていたと。
その連絡を取っていた事が暴露されて政治警察につれて行かれてその後出て来ていない。
その後消息が全く無いのです。
それが私の父の拉致の過程の話です。

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