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2005年11月21日 (月)

三多摩市民集会4 森本美砂さんのことば

山本美保さんの双子の妹・森本美砂さんのことば

今日は平日の大変お忙しい中を、お集まりいただきましてありがとうございます。只今ご紹介頂きました、山梨から参りました、森本美砂といいます。

私の双子の姉・山本美保が、21年前、「図書館に行ってくる」と言って、いつものように、バイクで出かけて失踪してしまいました。その日帰ってこなかったんです。

ほんとに何気ない言葉で出かけて行って、いつものようなバックと服装で、とてもその日帰らないような感じではなかったんです。
夕方から、ファミリーレストランのバイトが入っていまして、そのバイト先から「今日来ていない」という話があって。。姉が無断でバイト休んだり、無断で外泊するような姉ではなかったんです。

実はその頃姉は二十歳で、大学受験に向けて勉強しておりました。
というのも私達が高校三年生のときに、二つ上の兄が、突然バイクの事故で亡くなるという不幸に見舞われました。そういう意味で何の心配もない家族の幸せが一気に不幸のどん底になりまして、両親の嘆きは大きく、特に母は、ほんとに生きる気力がないほど、大抵無気力で暮らしているのが、丁度私達が高校三年生の秋だったんです。

その暗くなってしまう家庭をどうにか変えたいという思いが、姉にはあったんだと思います。

「東京の大学を受けたい、力試しに受けたい」と言って、見事日本女子大学に受かるんですが「丁度兄を亡くしたばっかりのときに、一人で東京になんか行かないで」と私を含め家族三人で反対してしまったんです。そのことをずっと今でも後悔しています。「あの時行かせてあげれば、姉はこんなことにならなかったんではないか」と言う思いをずっと抱えて生きてまいりました。

でも二十歳になった姉は、一旦は山梨の高看=高等看護学校のほうに進みまして、ワンゲルなんかで山登りをして青春を謳歌していたんですが、やはり大学進学の夢があきらめきれず、「もう一度挑戦したい」と言って大学受験のための勉強をしているそう矢先だったんです。

ですから自分の目標を定めて一生懸命頑張ってる、時だったんです。

だから失踪する理由なんてありません。

2日、3日と連絡がないまま、母は、胸がつぶれるような思いで連絡を待っていたんです。そして、4日後に柏崎の海岸にかばんが落ちているということで柏崎署から連絡をいただきました。もう、どんな思いで両親が、飛んで言ったかと思うと、今でも胸が痛みますけれども。

当時警察官だった父は、最悪の状況を考えていました。多分、事件・事故に巻き込まれているんじゃないかという思いがあったんですけれども。丸二日間、柏崎で方々探したんです。佐渡に渡っているんじゃないかと、汽船所の乗客名簿を探したりして。でも何の手がかりもないんです。

そして、約半年後、無言電話が入るようになりました。約四年間続くんですけれども。

中にはすすり泣くような声まで聞こえて<美保ではないか!>と必死で呼びかけたことを覚えていますでも、その無言電話も4年ぐらい立つうちになくなってしまいました。

その時に警察のほうにも捜索願を出しておりますので、各県で身元不明の遺体なんかがあがると連絡が来るんですね。本当に、身も凍えるような思いで母はその電話を取るわけです。大体、血液型が一緒だったり、女性と言うことが一緒だったりすると、電話があるんです。

当時、あの当時で3件ほど電話がありました。一つは富山県のほうのご遺体、もう一つは東京都内のご遺体でした。そんなこと姉とは一致したくありません。でも、歯の歯形が違う、足のサイズが違うということで、「違います」ということで、もう、ほっとしたことを覚えていますけれど。

さきほど荒木先生のほうから、詳しくお話がありましたが、まぁ、いろんな状況から美保はやっぱり拉致の可能性が濃いと思っております。

昨年の3月に突然山梨県警のほうから「イヤ、実は21年前に山形県遊佐町で上がった水死体がそうですよ」と言われたときには、もうはじめは捜査をした結果そうであれば、「20年間私はとんでもないことをしてしまった。美穂を本当に冷たい土の中に放っておいてしまったんだ」と本当に(胸を)苛まれたんですけれど、でも、いろいろ調べていくうちに、やっぱり、変なことがたくさんあるんですね。

もし姉だとしたら、姉と一致するものが出てくるはずなんです。
でも、のちのDNA鑑定に使った山形に残っていた骨髄、0.15グラム、本当に微量な、一グラムもない微量な骨髄の粉末です。

これは、たまたま当時の山形大学に残っていた。鍵もかかっていないんです。誰が触って、何処に持ち出そうとも自由になるような机に、無造作においてあったものなんです。「本当に21年前の山形の骨髄なんですか」と私が疑いを持つような、そういう保管の仕方でした。それを山梨県警が山形の大学から持ってきて、それで私の血液と鑑定したんです。

私の血液を提出したときは、「あらゆる捜査をします。もしかしたら国内で亡くなっている場合もあります。それは多分ないと思いますけれども。」という言い方をして「あらゆる捜査をしますので、血液を提供してください」ということで、提供しました。それも父が病床に倒れ、余命いくばくもないという病院の中でした。
ですから私はいろんな資料を警察サイドでチェックすることができなかったんです。とても動揺していましたので。
でも父の看護をしながら、「姉の行方がわかるんであれば」と思って提供した血液がとんでもない使われ方をしていたんだと思います。約半年以上、警察はその血液を持っていました。科警研で検査、鑑定したそうですが、結果がはっきり得られなかったということで、約半年後、名古屋大学に持ち込むんです。その間も、(骨髄と血液は)ずっと警察サイドにあったわけなんですよね。

そして昨年の3月4日。
私は「山形のご遺体と私の血液をDNA鑑定します」とは一度も聞いたことがないんです。ところが警察のほうは「4度も伝えた」と言い張るんですね。その伝えたと言う場所が全部私が一人で対応した時だったんです。だから私が<聞いていない>と言うことを、証明してくださる方がいらっしゃらない。

「あ、やられた」と思いました。
山梨県警でずっと仕事をしてきた父が生きていれば、<こんな事にはならなかった>と、今でも、思っております。

それがとても残念で、悔しくてたまりません。

それでも、本当に美保と一致するものがあれば、私は真実として受け入れるんです。

真実はもっと重く家族にも、いろんな人にも、重く響くものだと思っております。


でも、そのご遺体が美保という、姉であるという事実を私になんら示してくれないんです。
先ほど、荒木先生がおっしゃったように、ご遺体の(不明上着?)は全く姉のものではありませんでした。

私、結構いろんなものをとっておくほうなんですけれども、「白いネックレスをしていました」 というそのネックレス(ネックレスという白いもの)が全部家から出てきているんです。見た事もないジーパンをはいていて、見た事もない白いネックレスをしていて・・そういうご遺体だったんです。

むしろ、そのジーパンはとっても珍しい、皮を施した、皮を前のポケットと後ろの方に貼り付けてある、縫い付けてある、とても変わったジーパンで、支援者の同級生が、ほんとうに隈なく探してくれて、もしかしたら、フランスのジルボー社というところで作られたものではないか?、もしかしたら、1万5000円ぐらいする高級品であると言う所まで、突き止めてくれたんですが、まだちょっと断定できないんです。どちらにしても、私は国内で見たこともないようなジーパンをはいていたご遺体だったんです。

さきほどお話があったとおり、体のサイズもまったく違っておりました。当時二十歳の私も姉も、もっとぽっちゃりしていまして、今より5キロも太っているんですけれども。ご遺体の身につけいた下着は、とても当時の私や姉も身につけられないような小さな細いものでした。一つ一つが全部違うんです。

そして、先ほどお話がありましたけれど、そして姉の失踪から17日間、又、かばんが見つかってから13日間では、とても行けそうもない山形の遊佐町で見つかりました。またそのご遺体の写真も、母は見られませんでしたが、私は思いきって見ました。それが姉の最後の姿であるならばと。

でも、男性も女性もわからない、ましてや姉の姿のかけらも見あたらない、本当に頭は白骨化しておりましたし、体の方は脂漏化と言って、たぶん長く水に浸かっていたせいで、もう、バーンと腫れ上がって石鹸状態になるんですね。それが、『たった13日間ではなりません』と専門家の方が仰いました。
もう2万体という水死体監査している上野正彦先生と言う方ですけれど、原作本がドラマになった方ですけれども。2万体という水死体を専門となさっている監察医の方です。その方にもいろんな情報をお伝えして、資料を見て頂きましたけれど、『二十歳の人の歯が、たった13日間で13本も抜けません』とはっきっり仰いました。

そういう一つ一つが姉ではないと言うことを、私に、家族に。示していました。

ですから私は意地を張っているわけではないんです。
真実を示して頂けるんであれば、私は姉の真実を受け入れるんです。

それを、どうかみなさんご理解頂きたいと思います。


荒木先生が流してくださっている<しおかぜ>を私も聞きました。
とても暖かい言葉で、もう胸が詰まりました。
その中に美保の名前も入っております。
その声が美保に届いていると思っています。
美穂の真実は、やはり北朝鮮を探すしかないと思っております。

家族は、家族に会いたいだけなんです。何の政治的なことも、いろんな社会的な情勢も、何を訴えることもないんです。
只家族は家族に会いたい。ただ、共に生まれて共にすごした家族に会いたいとただ言っているだけなんです。それは、私も、これからお話になる大澤さんも、増元さんもそうなんです。いろんな政治的な運動をしているわけではないんです。共に同じ両親から生まれた家族に、会いたい。

二十歳で失踪した姉。
私、今41をすぎたんですけれど、姉と過ごした日々よりも、姉を失った日々の方が長くなってしまいました。

そんな事ってあるんでしょうか?

今ぱっと合ったら、姉ってわかるんだろうか。まぁ、双子ですから、こんな顔をして元気でいると信じてるんですけれども。家族に会いたいという気持だけで、みなさまにわかって頂いて。。。

そう言う家族が、まだ日本国中に400人以上います。400人以上の家族が『家族に会いたい』と、声にならない声で叫び続けております。

ここまで拉致問題、特定失踪者問題が、発展してきたのも、いろんな皆様の声を政府にあげて頂いて、そして世論の力でここまできたんです。

どうかその声を緩めないでください。

特定失踪者も含めた、全拉致被害者が日本の土を踏んで、家族の元に返るまでどうかお力をお貸し頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

また、今日この会を開いてくださいました、同郷というだけで本当に大きな力をくださいました入倉さんご夫妻に感謝を申しあげ、また、お忙しい中集まってくださいましたみなさまに感謝申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

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