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2005年11月21日 (月)

三多摩市民集会3 荒木和博さんのことば(2)

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話 その2』

この問題についてはそういうような事をですね。
やはりいろんな日本の中でも情報機関と言うのが警察の公安とかだけではなくて、自衛隊にもそれから海上保安庁にも公安調査庁にも内閣調査室にも色々あるわけですけども、そういう中で少しづつは分かっていたんですが、それをですね。
明らかにして来なかったと言うのがやはり現実ではございます。
そしてそれだけではなくて、この国の中で拉致について、やはり隠蔽しようとして来た。
いう事をですね。
日本の政府がやっていたんではないか?と思わざるを得ません。

その一つが後で双子の妹さん、森本美砂さんがお話をされますけれども昭和59年の6月4日に、山梨県甲府市のご自宅を出て失踪した山本美保さんでございます。
この山本美保さんの事件は59年の6月4日にですね。
図書館に行ってくると言ってご自宅をバイクで出られました。
二日後に甲府の駅前でバイクが見つかる。
そしてその二日後に新潟県の柏崎の海岸で、山本美保さんのセカンドバッグが見つかります。
その後全く消息が無いという事件でございまして、我々としてはこの事件は色々な状況・他の事件との関連を考えまして拉致の可能性が極めて高い、言う風にして発表をしておりまして。

そしたら去年の3月になりまして山梨県警が発表してですね。
この山本美保さんの事件、失踪して15日後にですね。
山形県の遊佐町の海岸に漂着した遺体が、骨髄のDNAの鑑定によって山本美保さんであることが分かった、言う事を発表を致しました。
それによって大変我々もショックを受けたわけでございます。
ご無事でお会いできると思っていた山本美保さんが亡くなっていたのか?と、言うような思いもしていたんですが、その後ですね。
調べて参りましたらばどうも様子がおかしい。

これも今日も中心になって活動をして下さっております山本美保さんの同級生の会の方々が、一生懸命に色々調べて下さってですね。
いろんなことを総合して来ると、まず体型が全く違うと。
非常にその遺体の方はやせた体型であって、ぽっちゃり型の山本美保さんとは全く違う。
そして着ている物も、全く見た事が無い物であると。

で、そもそも柏崎の海岸にですね。
バッグを置いて自分で入水自殺をしたとしてですね。
そこから13日でですね。
失踪して17日ですから、柏崎から13日で遊佐の海岸に届くとは考えられない。
様々なことを考えていくとまずですね、これは有り得ない事であるとしか思い様が無い。
しかし警察は今でもこの山本美保さんの事件はDNAが一致したと言うただ一言だけで、もうこれで終結したかであるかのような事を言ってるわけでございます。

更にそれより前にはあの9・17の北朝鮮が拉致を認めた時に、日本政府はですね。
被害者家族の皆さん、今日お見えの増元さんなんかもそうですけれども、これに対しまして何とかして、要は拉致問題を終わらせようと言う思いでですね。
本当に亡くなったと言う事の確認もしないで「亡くなりました」と「間違いありません」と言うことを伝えております。
その時北朝鮮側からはいつ死亡したかと言うことの一覧表も出てるんですが、逆にご家族が「じゃあいつ亡くなったんですか?」と聞いても「分かりません」と答えると。
あの分かってるんです。
分かってたのに、「分かりません」と答えてる。
後で国会の質問の中でその事を問いただされて、外務省は「翻訳に時間がかかった」と言う事を言っております。

A4の紙、わずか3枚です。
私が翻訳したって5分で済みます。
それを6時間もの間少なくとも家族に伝えなかった。
後で新聞がリークをして明らかになったと言う事件でございまして、こういうこと全てがですね。
やはり拉致問題を終わらせようというような動きの中で起きているのではないか?というふうに残念ながら考えざるを得ません。
そのような懸念は今も常にございます。

我々自身もそういう意味で言うと単に国をですね、「頑張ってくれ」と言うだけでは済まない。
やはり間違っている事については厳しくですね。
正して行かなければいけない。
と言う緊張関係が絶対に必要であるというふうに思っている次第でございます。

今日本政府がやっている拉致の解決の仕方と言いますのは、どういうことをやってるかと言いますと、警察が捜査をしてそして証拠が集まったという者に関しては内閣へ渡してですね。
内閣が認定をする。
そして認定をした者を今度は外務省が北朝鮮に交渉をすると、そういうやり方でやっているわけでございます。
しかしこのやり方でやってますと、拉致被害者の方はほとんど皆北朝鮮で死んで行かなければなりません。
生きて帰ってくる人はおそらくほとんどいないだろう、言うふうに思います。

警察の捜査と言うのはもちろんそうして貰わなきゃいけないんですけども、法と証拠に基づいて。
証拠もないのに捕まえられたらですね。
これはたまらない訳で、当然証拠がなければいけない。
しかしそれは逆に言えばどういうことかと言うと、昔の事件なんか分からないと言う事です。
山本美保さんが失踪した昭和59年の6月4日、皆さんこの中でですね。
まだお生まれになってない方もおられるかもしれませんが、生まれておられた方でも昭和59年の6月4日に何をしてましたか?言うふうに言われてですね。
私は朝に何を食べて、昼はここに行って、夜はここで一杯やったと。
そんな事が説明できる人がいたらですね。
それだけで十分に飯が食えるわけでございまして、そんな事できるはずが無い。

ところがそれが分からないと中々ですね、警察としては認定をするところまで持っていけない。
そしてつまり全体の中でごく一部の人だけが認定をされるという事になり、その認定をされた者をですね。
今度は持っていって、内閣で「じゃあこの人は間違いありません」と警察が言ったとしても、今度は政府が「いや、しかし日朝国交正常化をやりたい」「それのハードルを上げたくない」
あるいは人数が増えるとですね。
「北朝鮮が硬化する」とか何とか言って、中々ですね。
これを拉致の認定をしようとしません。

田中実さんを認定したのは今年の4月ですけども、田中実さんについては警察は去年の段階から内閣の方に出しておりまして、これはもう一人別の小住(健蔵)さんと言う人と一緒にですね。
拉致認定するべきだと言ってたんですが、政府が認定したのは今年の4月なんです。
田中実さんの認定の前には9・17の後で、曽我ひとみさん・ミヨシさんとか、石岡さん、松木さんなんかを認定した時からですから、2年半経ってやっと一人です。
このやり方でやってますと、ともかく100人で200年くらいかかっちゃいますね。
とても間に合わない。

そして今外務省が話し合いをすると言ったって、ただ話し合いをするだけです。
経済制裁も何もしていません。
経済制裁はどういうふうにやるかと言うと北朝鮮側にその意思を代えさせるという事にあるわけでありまして、話し合いで「分かりました、返します」と言うふうに言う人であればですね。
相手であれば、そもそも拉致なんかするわけが無い。

そしてこの問題はですね。
もし北朝鮮の中のテログループとかゲリラとか、そういう者が拉致をしたんであれば北朝鮮の政府と関係を良くして、そして北朝鮮の政府に取り返してもらうと言うことも出来ますが、話してる相手が犯人なんですから。
それにですね、どうかゆっくりお話をして「返して下さい」なんて事を言ったって、返してくれるはずがありません。

今年の6月に参議院の内閣委員会の質問の中にですね。
これに細田官房長官が答えて「どうやって取り返すんですか?」と聞かれてですね。
「それは相手方の国の政府で、そこにいる訳だから相手側とゆっくり話をしてですね、そして分かりましたと、おりましたと、返しますと言うまで粘り強く話し合いを続けます」
と言うのが官房長官の答弁でございまして、これはつまりどういうことかと言いますと、逆に言えば「我々は絶対に拉致被害者を取り返さないぞ」と言う決意を、国民に向けて示しているのとほとんど同じ事、でございます。
ですからその対象と言うのは今拉致されている人だけではございません。
もし皆さんのご家族が拉致をされたとしても、その拉致された人をこの国の政府は助けないと言う事でございます。
ですからこの状況を変えていかなければならないという事なんですね。

時間がありませんので、後いったいどうすれば良いのか?と言うことだけお話して終わりたいと思います。
今警察がやって内閣が認定してと言うこのやり方だけではどっちにしても間に合わないわけでございまして、情報をとにかく収集していかなければならない。
本当はCIAのような情報機関があってどんどんやっていかなければならないし、我々もそれを各党に要請したりしておりますけれども、まぁ待ってるわけにも行かない。
取りあえずは我々特定失踪者問題調査会で出来ることは限られておりますが、その真似事をやりながらですね。
方向性をそっちに持っていこうと考えております。

今の日本だって、各情報機関の情報が一緒まとめられれば、かなりの事が分かります。
そういうことをやりながら、どこにいったい誰がいるのか?と言うことを特定していって、そしてその上で北朝鮮の体制の崩壊へ誘導していく。
それは日本の力で、経済制裁を始めとするいろんな物を使えばですね。
別に戦争をしなくたって十分に成し遂げる事ができる。
向こうの体制が崩壊すれば北朝鮮の2000万の国民も、それから最近話題になっておりますタイ人の被害者とか、そういう方も皆助ける事ができますので、そこへ何とか持っていくというふうにしたい。

その後これを助けに行かなければいけない訳でございます。
それももう準備をしておかなければいけません。
助けに行くのは誰がいくか?と言えばそれは当然自衛隊が行くべき事でありまして、それ以外場合によっては危険になるかもしれない所に行かせられる者というのは有り得ない訳でございます。
そのために我々は年間数兆円の税金を払って自衛隊を維持をしている訳でございますから、そういうときには当然使うべきであろうと。
私自身も予備自衛官ですから、その時はぜひ一番最初に連れて行ってもらおうというふうに思っている次第でございます。

で、ともかく今ですね。
北朝鮮の体制の中は相当緩みが出ております。
いつ何が起きるか分かりません。
で、ぼ~っと待ってて事態が来てから準備しようなんてことはとても間に合うはずが無い。
今からでも出来ることは全てやっておかなければいけないというふうに思っております。

この会場でも流していただきました短波放送をこの10月の30日から始めました。
先ほど増元さんに聞いた話ではマスコミの方からですね。
平壌でも聴こえたと、言う話だそうでございまして、ともかくラジオで何とか聴いててくれれば向こうの被害者の方には通じるかなと言うふうに思っておりますし、直接ご本人が聴けなくても誰かが聞いたものが風の噂でも伝わってくれればと思っております。
この放送を12月中に時間を延長いたします。
より聴ける機会をとにかく増やしていきたい、と言うふうに思っておりまして、とにかく我々の手で出来ることはすべてやりたい。
私自身は来年の末までに全ての拉致被害者を救出すると言うことを公約を致しておりますので、そのために全力を尽くして参りたいというふうに思っております。

こういう物をやりながらも、とにかくこの国自体がですね。
世界中から見れば拉致の事に関して非常に積極的になっていると見えているのは事実です。
我々中にいるものは非常にまだるっこしいですけども、世界中から見れば非常に前に進んでいると見えております。
この国の力からいえば、拉致問題なんか解決できないはずはございません。
北朝鮮は日本と比べればはるかに小さい、そして国際的な信用も無い国でございまして、この世界第2位の経済大国である日本が北朝鮮にですね。
拉致をされたまま、いつまで経っても何も出来ないなんてことは絶対に無いんです。
この国民にはその力がございます。
そしてその国の力を動かすのはここにお集まりいただいた皆さんでございます。

皆さんの声がこれまで政府を動かしてまいりまして、ともかくは5人とその家族を取り返すことが出来ました。
もう少しやっていけば私は全ての人を取り返せると思います。
3年前の10月15日に羽田空港のタラップの下で降りてくるあの5人を見まして、私が一番最初に感じた事は「何だ、やれば出来るじゃないか」と言う事でございました。
やれば出来ると確信して、それまで運動をやってきた私でさえ本人たちを見てですね。
やれば出来るんだということを実感した。
我々にはその力がございます。
その力を我々で、本当に現実の物としてそして全ての方を無事取り返す。
言う所まで行こうではございませんか!

今後ともご協力をお願いしまして私の話を終わります。
ありがとうございました。(拍手)

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