カテゴリー「国民大集会(2005/12/22)」の記事

2005年12月23日 (金)

国民大集会速報

今日の東京は冷たい風が吹いて、日比谷公園も落ち葉が舞い上がって北陸、九州の寒波はいかばかりかと想像させる気候でした。

音声ファイルは話の花束でお聞きください。北朝鮮にむけ<しおかぜ>の短波にのせられた、ご家族のメッセージです。是非聞いてください。

今日の集会の特徴は世界の拉致被害者を救うための集会であったことです。
韓国、日本の拉致被害者家族に加え、タイのスカム・パンジョイさん(アノーチャさんのお兄さん)、レバノンのハイダールさん(シーハムさんの母)の参加を得て、国際的集会になったいうことです。初めて、外務大臣政務次官の山中燁子氏が壇上に上がりました。
また、中山恭子氏は、ご自分で希望なさって、観客席での参加でした。



 

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2005年12月22日 (木)

国民大集会(12.22日比谷)開会櫻井よし子さん

『櫻井よしこさん 開会の言葉』 

Sakurai

 
 
 
 
 
 
 
 
 
皆様こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
寒い中をこの会場に、ウィークディの中を、師走の大変お忙しい中をお出でいただきましてありがとうございました。

めぐみさんたちの拉致が分かってこの運動が始まってから早くも足掛け9年になります。
来年3月には10年目に入ります。
そして二日後の24日には迅速で誠実な対応が無ければ日本政府としては厳しい対応を取ると、前官房長官が仰ってからこの24日で丁度一年になります。

北朝鮮は今24日から25日にかけて、北京で日朝交渉を行おうと向こうから話し掛けて参りました。
けれども交渉に応じると言う事は、何の進展も意味するものではありません。(「そうだ」の声、拍手)
私たちはあの金正日体制の北朝鮮が拉致問題を解決する気持ちもなく、単に時間を稼ぐのであればこれは絶対に許してはならないと思います。(拍手)
拉致の被害者の皆さん方が、寒い時も暑い時も絶望に陥りがちな状況の中で希望を失わずに一生懸命に、日本全国のみならず国連にもアメリカにもジュネーブにも、いろんな国に出かけていって訴えかけてきました。
そして今私たちは拉致問題が日本の直面する問題にとどまらず、世界各国の直面する問題である事を明らかにして参りました。

そして今北朝鮮がこれ以上の時間稼ぎをしないためにも、させないためにも、北朝鮮に強い態度で臨む事が最も重要であるかと思います。(拍手)
これほど物事がハッキリして来た今、拉致の被害者全員を日本人だけではなく、韓国の人もマレーシアの人もタイの人も、全ての国の拉致被害者を取り戻す為の最後のチャンスだと言うふうに私たちは受けとめて、小泉政権に厳しい経済制裁を取るように求めて行こうではありませんか。(拍手)

ただ今から「制裁発動せよ」「拉致被害者全員を救い出すための経済制裁発動をせよ」
この趣旨で国民大集会を開催いたします。
司会は櫻井よしこです。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

家族会の会長の横田滋さんは、体調を少しばかり崩しておられまして、元気なんですけども大事を取って今日はお休みをさせていただきました。
そこで家族会を代表いたしまして、副代表の飯塚繁雄さんにご挨拶を頂きたいと思います。
田口八重子さんのお兄様でいらっしゃいます。
よろしくお願いします。(拍手)
話の花束ぴろんさんのテキストです。

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国民大集会(12.22日比谷)2飯塚繁雄さん

『飯塚繁雄 家族会副代表 開会の辞』 Iizuka_1

皆様、年末のお忙しい時に、このようにたくさん大勢の方がお集まりいただきまして本当にありがとうございます。
また日頃からこの拉致問題に深いご理解を頂き、かなりな色々な面でご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
感謝いたします。(拍手)
本来ならば、ただ今司会の方からお話しがあったように、代表である横田代表がご挨拶すべき所でございますけども、すでにご承知の通り過酷な日程、この活動の日程によりまして体調を崩し、検査入院と言う事で入院して今静養中でございまして。
奥様から聞きますと、元に戻ったからしばらく様子を見ようと言う事でございますので、皆さんにもぜひよろしくと言う事でお伝えを致します。

更に我々の家族もですね。
そのように毎年毎年歳をとって行きます。
長い間、まだかまだかと言うような念願の気持ちを持ちながら、いつの間にか1年経ち2年経ち3年経ち、もう家族会が結成されてから8年も経つこの時期に、まだまだ問題の解決の糸口が見えない、言う事でございます。
更には北朝鮮に実際に連れて行かれている被害者の皆様、すでに数十年目のこの厳寒の季節を迎えます。
毎年毎年寒さを堪えながら、「いつ日本に帰れるか?」というふうに今この日、この時間もじっと我慢して待っていると、言う状態を私たち思い浮かべるに辺り、本当に我々はいても立ってもたまらない。
そういう気持ちでございます。

我慢と言うのは何年のことなんでしょう?
もう我慢の限界はとっくに過ぎています。
そういう中で我々あるいは被害者の方々、大勢の方々がこの我慢を強いられているわけですけども、我々生身の人間でございます。
やはりその環境、あるいは年齢、あるいは病気になるかもしれません。
それを思いながら解決を望んで活動をしておりますけれども、なかなかそれが実際には良い結果が出て来ないと、言うのが現状でございます。

私たち長い間この日本人拉致被害者を奪還しようと言う事で活動してまいりましたけれども、全国の救う会の方々、あるいはそれに伴う支援団体の皆様、そして中央・地方の議員の先生方、更には皆様の絶大なるご支援によりまして、ようやくここまでこの問題を解決しようと言う気運が盛り上がって参りました。
我々はこの盛り上がりを全ての解決に向けて今後も持続させたい気持ちではございますけども、今まで活動を続けながら2002年の9月の17日に日朝の首脳会談が行われ、北が拉致を認め、更には5人の被害者が帰って来、更にはそのご家族も帰ってきましたけど、これは言ってみれば皆様の大きな声がそうさせたと。
その実績が皆様のおかげで得られたことになるかと考えています。
しかしながらこの拉致の問題の本質である、まだまだ我々の家族を含めた大勢の方々が北朝鮮に囚われの身になっている。
この問題を解決しなければいけないということは、もうすでに世論もそう思っております。
私たち当然ですけどもそれが中々なされない。

この北朝鮮の対応につきましては全てウソの報告が来ております。
横田めぐみさんの骨と言われる物から始まり、我々家族、その他の人に対する報告書も全くの捏造であります。
そういう事を考えますと私たちは、これは絶対被害者は皆生きているというふうな確信を持っております。
そういうつもりでこの運動も・・・(聞き取れず)のある者を絶対に返してもらう、奪還する、助け出す。
そういう強い気持ちで今後も闘って参りたいと思います。
一刻を争う問題であります。
しかも国の重要課題でもあります。
何をさておいてもこの問題を解決しない限りは他の問題は解決できないというふうにも考えております。

去年の12月24日、政府は北朝鮮の対応が不誠実だと言う事で、日本はそれに対する厳しい対応を取らざるを得ないという事を言及しておりましたがすでに1年になろうとしています。
その間、何もやってはいなかったと私たちは感じます。
確かに日朝協議その他、今継続中でございますけども、日朝協議にしましてもいわゆる北と日本の懸案事項という形でその中の一部として拉致問題と言う形になっておりますけども、もちろん日本国としてはこの拉致問題を第一、最優先と言う形で交渉していただき、更には生きてる日本人を全部返しなさいと。
言うふうに大きな圧力を持って要求していくと言う事が大事だろうと言うふうに考えています。(拍手)

やわな交渉では全くこの問題はただ長引くだけで、(拍手)北朝鮮の思う壺です。(「そうだ」の声)
そのうちある所で幕引きと言う形で変な日朝正常化が行われる。
この事を我々一番心配しております。
ですから今この細い糸がつながれていますけれども、この糸を手繰ってこの日本人拉致問題あるいは韓国、更には世界各国の皆様の被害者を取り戻すと言う所に是非つなげて行って頂きたいと、言うふうに考えます。
従いまして今回この経済制裁をせよと言う我々の強い声、皆さんの声、これをきちっと受けとめていただいて北朝鮮に対する日本人の怒りだというメッセージを強く与えていって頂きたいというふうに、交渉団の人にもお願いしたいと思います。

今この問題も国際化され、国連の人権委員会でも総会でも北朝鮮の非難決議は多数の賛成によって可決され、世界の国からも北朝鮮はけしからんという圧力が加わったわけでございます。
そういうことも含めて内外から圧力を加えて、北朝鮮が「ごめんなさい、返します」と言うふうな声を出すまで私たちは強い態度で闘っていきたいと思います。(拍手)
引き続き皆様の絶大なるご支援を頂き、我々も頑張ってまいりますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

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国民大集会(12.22日比谷)3平沼赳夫氏

『平沼赳夫 拉致議連会長の挨拶』 Hiranuma

 ◆司会櫻井よしこさん
では次に、拉致議連会長として目覚しい活躍をしてくださり、私たちを強力にサポートし続けてくださっている平沼赳夫衆議院議員にご挨拶をお願いします。(拍手)

 ◆平沼赳夫衆議院議員

皆様方こんばんは。(「こんばんは」「頼みますよ」の声、拍手)
師走の寒い中、拉致問題に大変関心をお持ち頂き、また憤りをお持ちいただいている皆様方が、こうしてお集まりを頂きました事に主催者の一人として本当に心から御礼を申し上げたいと思います。
本当に皆様方ありがとうございました。(拍手)

拉致問題に関して我々国会議員も議連として経済制裁をするための法律を2本、ご承知のように作らせて頂きました。
しかし残念な事でありますけれども、閣議で決定するという条件が付いておりまして、総理大臣にやる気が無いんです。
けしからん事だと私は思っています。(拍手)
色々な理由付けがあります。
経済制裁をすると北朝鮮からテポドン・ノドンが飛んでくる。(薄笑いの声)
こんな事を言っている人もあります。

しかし考えてみてください。
経済制裁法案を作ると日本が言った時に、テポドン・ノドンが飛んでくる。
こう言った国が北朝鮮じゃないですか?
法律が出来てもそんな事態は起こらなかった。
そんな心配する必要ありません。(「そうだ」の声、小さく拍手)
やはり法律が出来てるんですから毅然とやるべきことが今一番大切な事だと思います。(拍手)

客観的な事を色々考えて見ますと、小泉総理は国交正常化に重きを置いているとしか考えようがありません。(「そうだ」の声)
しかし国交正常化をする前に断じてやっておかなければならない事は、10名の行方不明者、そして400名を越える特定失踪者、この問題の全面解決を無しに国交正常化をすべきではありません。(拍手)

我々は家族会の皆様方や救う会の皆様方や特定失踪者のご家族の皆様方のご要望に、力を合わせてお応えさせて頂きました。
ひとつは衆議院・参議院に特別委員会を作る事。
その特別委員会で経済制裁の決議をする事。
そして今申し上げたように法律を作る事。
これはクリアをして参りました。

しかし今申し上げたように、ヘッドがやる気が無いんです。
従って立法府の国会でもう一つやらなければならないと私は思っています。
それは閣議の決定、それを待っていたら埒が開きませんから。
要は新しい法律をもう一つ作って、そしてテロ行為ですとかあるいは不誠実な対応があったときには、閣議の決定より優先をする法律を作る事なんです。
こうこうこういう事があって不誠実な対応であったら、閣議で決定をする以前に優先的に閣議はその行動をするという法律を作る。
この準備を私どもはしようと思っています。(拍手)

その法律の中には具体的に、こうこうこういう場合には閣議の決定に拘らず経済制裁を発動する。
こういう法案をみんなの力を合わせて努力をして作っていく。
そういうことをしない限りですね。
本当の解決は私は図れない。
そのように思っているわけでありまして、我々として全力を挙げてこの問題に取り組んで行きたい。
このように思っています。(拍手)

今日は皆様方はもうご承知だと思いますけども、この運動も非常に国際的になって参りました。
お隣の韓国から被害者の代表の方も来られておりますし、またタイ国にも同じような拉致被害があったと。
アノチャさんと言う女性が北朝鮮に拉致されている。
そしてご兄妹のパンジョイさんもここに来られております。
レバノンでも同様の問題がありまして、その被害者のお母様であるハイダールさんもここに来られています。
国際的な連携の中で力強くこの問題を展開していく事も、大きな私はポイントだと思っております。(拍手)
そういう意味でこの国民大集会に、韓国、タイ、更にはレバノンからご参加を頂いたという事は非常に大きな意味があると思っておりまして、(拍手)我々議連と致しましても国際的な連携の下でこの問題解決の為に汗をかかせて頂きたい。
このように思っている次第であります。(拍手)

今日お集まりの本当にこの問題を心配してくだすっている良識ある日本国民の皆様方が、更なる危機感を持って我々の運動に連帯をして頂くことが家族の皆様方にとり、救う会の皆様方にとり、また400名を超える本当に毎日を不安とそして悲しみで暮らされている特定失踪者の皆様方。
その方々に本当に大きな力になるわけでございまして、我々も全力で頑張って参りますので、どうか今日お集まりの皆様方の更なるお力を衷心からお願いを申し上げまして、私の挨拶に代えさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)

 ◆司会櫻井よしこさん

平沼さんありがとうございました。
では次に拉致議連前会長で現職の大臣であります、中川昭一さんにお願いしたいと思います。
よろしくお願いいたします。(拍手)

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国民大集会(12.22日比谷)4中川昭一氏

 ◆『中川昭一 農林水産大臣の挨拶』  
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 皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
今櫻井よしこさんからご紹介いただきました、中川昭一でございます。
年の瀬も押し詰まりまして、また大変寒い中をこうやって気持ちを一にする皆さんにお集まりいただいて、私も議連のメンバーの一人としまして、心から皆様方にありがとうございます。
そしてまた、本日を契機に目的達成の為に一緒に頑張りましょうと、こういう事を申し上げたいと思います。

先日横田めぐみさんの写真展、この中にも大勢の方が行かれておられると思いますけれども、写真一枚一枚が、あるいはいろんな物一つ一つが、さっき平沼会長が良識であると言いましたけれども、先輩には失礼ですけど常識以前で、当たり前の普通の人であればあの写真展に行ってですね。
考えずに会場を出ることは私は出来ないだろうというふうに思いました。(拍手)

中でもめぐみさんが拉致される直前にお父さんお母さん、拓也さん哲也さんに送ったハガキ、「もうすぐ帰るからね」
あのハガキは私は本当にその場で涙が出てまいりました。
あれからもう30年近くであります。
普通の人間であれば自分の子供があるいはきょうだいが、ある日突然いなくなれば多分気が狂ったように探すんですね。

私にも親がおりますし、子供もおります。
しかもそれがですね、事故でもなくそして事件であると。
しかもその事件が国家による犯罪であると、言うことが明らかになった訳でありますから、これは国家対国家としての犯罪の糾明・解決。
そしてもちろん被害者の全員の救済と相手国に対する責任の全うに到達するまで、この運動は進めていかなければならないと思います。

そういう中で私は平沼経済産業大臣の後を受けて経済産業大臣になりまして、今お話のありました飯塚さんや平沼会長からもお話がありましたが、貿易の責任担当大臣でございました。
対話と圧力と言う政府の決定事項でありますから、貿易担当大臣として何とかそのバランスを取る。
つまり対話だけではなくて圧力を強めていかなければならないと努力をいたしましたが、誠に残念ながら力不足でございました。

その後、今度は農林水産大臣を現在やっております。
食料担当でございます。
私は北朝鮮の国民の多くの皆さんは、この東京よりもはるかに寒くて、そして満足な食料も無い。
大勢の気の毒な皆さん方には、100歩譲って食料を援助しても良いと実は思っているんです。
一般の人たちには食べ物が無いんですから。

しかし今年、あるNGO団体が日本の食料を送ったら、その後ビデオを見ますと平壌の自由市場で日の丸付いたまま、その米が高く売られているという映像を見た瞬間に、私は先ほど100歩譲ってと申し上げましたけど、改めてこの拉致の問題が解決しなければ、そして圧力として効果があるんであれば、私は自分の責任において、つまり職を堵してひと粒たりとも向こうに食料は送らない。(大きな拍手)
改めて決心をしたわけでございます。
決してこれが問題解決に直接つながるかどうか分かりませんけれども、前進になるであろう事を私は信じておりますし、ご家族の皆さんの拙なる希望である事を我々はしっかり受けとめていかなければ行けないと思っております。

今日ここに来る前にご家族の方から頂いたトータル100通を超える手紙やハガキを、改めてサァーっと今読み返してこの会場に参りました。
ある方のおハガキの中には「人の世の侘しさを感じます」という一言に、私は一瞬目が留まってしまいました。
人の世の侘しさを感じながら30年近く過ごして来られた。
失礼ですけれども、私よりもずっと年配の方々が大勢いらっしゃいます。

横田滋さんは緊張の糸がちょっと切れて体調を崩された。
しかし奥様からのおハガキでは順調に快復しておりますけれども、私も横田会長を良く存じ上げていますので、じっとしていられない方ですから、この際少しじっくり体調快復して、そして元気でめぐみさんに会って貰わなければ困るわけですから。(拍手)
ゆっくり休んで頂きたい。
そして改めてここぞと言う時にまた、今まで以上に元気になってリーダシップを発揮して頂きたいと思います。

先ほどからの飯塚副会長や平沼会長のお話を聞いていると、本当に私自身の責任の重さと言う物を、またご期待に応えられないという申し訳なさを痛感している所であります。
私は今日は農林水産大臣としてあるいは国会議員として、というだけではなくて一人の普通の人間としてこの問題を解決せずにはおれない、許しては置けないと言う気持ちで来ましたので。
これは皆さん気持ちは同じだと思いますので、平沼会長の下、家族会また支援団体の皆様方と私の出来る範囲の事を、全力を挙げてやる事をお誓いを申し上げましてご挨拶とさせていただきます。(大きな拍手)

司会:櫻井よしこさん

ありがとうございました。
ご自分の責任において、ひと粒の米もあの金正日政権には渡さないと言うお言葉、本当に心強く仰っていただきました。(拍手)
日本政府はようやく拉致問題解決に取り組もうとしているのか。
その兆しが人権担当の政務官の任命でございます。
山中あき子(火へんに華)さんに今日はお出で頂いております。
どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

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国民大集会(12.22日比谷)5山中燁子氏

『山中あき子(あき=火へんに華) 外務大臣政務官の挨拶』

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ただ今ご紹介頂きました、外務大臣政務官の山中あき子と申します。
拉致問題は我が国国民の尊厳・人権・そして基本的な自由、と言う根幹にかかわる重要な問題です。
政府として拉致問題の一日も早い解決の為、全力を尽くすと言うのが当然、言うまでもございません。
そして以下の点、まず生存者の帰国。
それから安否不明の拉致被害者の皆様の具体的な、そして真相の究明。
そして三つ目は拉致実行犯の引渡しという、速やかな実現に向けて引き続き最善の努力をしていくつもりでおります。(拍手)

北朝鮮の懸案解決に向けた政府の基本的な考え方は、対話とそして圧力です。
北朝鮮が拉致問題に真摯に取り組むよう、日本政府としても引き続き圧力となる施策を施しながら日朝間の、政府間の対話などを含めた対話をも通じて解決を図っていきたいと思っております。
この24日25日に北京において日朝政府間の協議を行いますが、(「もう耐えられない!」の野次)拉致問題の解決に向けての進展が見られるよう最善の努力を尽くす考えです。
拉致問題の解決なしには北朝鮮との国交正常化は無い。(拍手)
との政府の方針にはいささかの変わりもございません。(「外務省はおかしいんだ!」の野次)

また拉致問題の解決の為には国際社会の理解と支持を得る事は極めて重要です。
今月16日にはニューヨークの国連総会・本会議において、北朝鮮の人権状況決議が賛成多数で採択されました。
この決議は外国人拉致の問題を含め、北朝鮮の人権状況に深刻な懸念を表明し、そして人権状況の改善について国連の特別報告者への北朝鮮側の協力を求める物であり、我が国も共同提案国として努力をしてきた決議案でございます。(「家族は・・・!(聞き取れず)」の野次)
北朝鮮での人権決議の国連総会の採決と言うのは今回が初めての事になります。(「遅いんだよ!」の野次)
国際社会が連携して拉致問題を含め、人権状況の改善にむけて様々な努力を北朝鮮側に要求するものとして、この解決のテコになるものと考えております。

また本日各国の関係者の方々にもお出で頂いておりますが、北朝鮮による拉致被害者の存在する可能性のある国々との連携は、これまでよりも尚一層情報交換、そして意見の交換を行っていき連携を図っていく所存でございます。
最後になりますが、本日ご参加の家族の皆様方のそのお気持ちをきちんと胸に留めさせていただきまして、(「ほんとかぁ?」の野次)人権問題を担当する外務大臣政務官と致しまして(「早くやれ!」の野次)拉致問題の解決の為に(「命をかけて!」の野次)全力を挙げて取り組む覚悟でございます。(拍手、野次の声多数)

★櫻井よしこさん
山中さんありがとうございました。
政府は齋賀富美子・人権担当大使も任命をしております。
私たちにとってはいささか遅いと言う感もありますけど、しかし人権大使を任命したと言う事は前向きに評価をしたいと思います。
中川大臣が退出を致します。
盛大な拍手をお願いします。(大きな拍手)

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国民大集会(12.22日比谷)6 メッセージ・来賓紹介

『来賓紹介とスザンヌ・ショルティーさんからのメッセージ紹介』 
  (櫻井よし子さん)

さてここで、かつてアメリカで講師を勤められてきた梅原克彦さん。
現在仙台市長でいらっしゃいますけれども、ご紹介をしたいと思います。
日本から拉致被害者の家族の皆さん方がアメリカを訪れましたときにですね。
ずい分といろんな形で手伝いをしてくださったり助けてくださったりしました。
今日は来賓としていらしております。
梅原さんどうぞ。

★梅原克彦氏、壇上で会釈

もう一方とっても重要な方をご紹介したいと思います。
この人無しには本当に拉致被害者はどう言うふうにしていったら良いか、分からなかった時がたくさんございます。
中山恭子さんです。(とても大きな拍手)
元内閣官房参事の・・・(聞き取れず、とても大きな拍手)
中山さん、本当にありがとうございます。(とても大きな拍手)
今日は壇上に上がっていただきたかったんですけど、どうしてもこの下で良いと言う事で、中山さんらしいお人柄です。(とても大きな拍手)
どうもありがとうございます。(とても大きな拍手)

★中山恭子氏、会場前列の座席より立ち上がり後ろを振り向いて会釈

さて私の手元にですね。
アメリカの人権団体であります、「北朝鮮自由連合」の代表のスザンヌ・ショルティーさんからのメッセージが届いております。
英語で来ておりますけれども、日本語でここでご紹介をさせていただきます。

・・・ここよりメッセージ朗読・・・

東京のこの国際会議にご出席の皆様方。
私のメッセージを送らせて頂くその機会を与えてくださいまして本当にありがとうございます。
私たちはアメリカにおいて、あの北朝鮮の強権レジームに対してあの人権を踏みにじる金正日政権に対して自由を推薦している運動をしている者であります。

私たちは島田先生や増元さんなど、度々アメリカを訪れてくださった家族会の皆様方、救う会の皆様方と共に一生懸命に北朝鮮におけるこの人権問題の改善の為に取り組んで参りました。
私たちの願いはこの努力を通じて、拉致被害者の方々を家族と共に一緒にしていくこと。
そして邪悪な北朝鮮の金正日政権の悪事を暴き続けていく事。
北朝鮮の国民の人権を守り、そして拉致された全ての人たちをあの邪悪な政権から取り戻す事。

また脱北者を冷酷非情にも北朝鮮に追い戻す、あの中国政府の悪事をも暴き続ける事であります。(大きな拍手)
大国(?ハッキリ聞き取れず)中国であるにも拘らず、国際条約に違反するような行動は断じて許されないのであります。(「そうだ」の声、拍手)
私たちは今日この会場にお集まりの日本の皆様、韓国の拉致被害者の皆様方、タイの方々、レバノンの方々、そして世界の方々と連携をして参ります。
私たちの心は常に皆様方と一緒にあります。
共に希望を失わず拉致被害者全員を取り戻すために頑張ろうではありませんか。

スザンヌ・ショルティーさん(拍手)

・・・朗読終了・・・
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国民大集会(2005/12/22・日比谷)曾我ひとみさん

曾我ひとみさん

◆司会:櫻井よし子さん
私たちはこの拉致問題に取り組みはじめて、多くの心ない意見を聞いて参りました。
『拉致の証拠はどこにあるのか』、いろんな方から言われました。しかし、拉致被害者の方が姿を現したとき全員がわかったのでございます。拉致被害は本物であった。
今日は曾我ひとみさんにおいでいただいております。(拍手)
曾我さんはタイやレバノンの拉致被害者と何年も暮らしました。
お母さんのミヨシさんも未だに消息がわかりません。
曽我さんどうぞ、その思いを伝えていただきたいと思います。

◆ 曾我ひとみさん 
 
   みなさんこんばんは。(拍手)
今日はお忙しい中、本当に天気も悪くて寒いのに、こんなにたくさんの人たちがこの集会に集まってくれて、本当に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

今年の2月に私の父は、--長い間ずっとずっと母の帰りを待ちち続けていました--しかし最後に一目会うこともなくこの世を去ってしまいました。
(北朝鮮は許せん!そうだ!と会場から声)

今まで長い間父と一緒に暮らすことができず、帰ってきて、ほんのつかの間でしたけれど、その父から、一つだけ本当に、大きな事を学びました。それは、私が弱音を吐いて、『もう母には会えないだろう』と言っていました。しかし父は『どんなことがあってもあきらめてはいけない』、そして『最後まで希望を持ち続ければ、絶対に母は帰ってくる』と最後の最後まで私に言い聞かせてくれました。

私がこうして、日本に帰ってきて、もう3年になります。このことは家族会の皆様方はじめ国民の皆様方の本当に暖かいお気持ちの現れだと、毎日毎日思っております。

今の私は、日本にいるご家族の気持ちも本当によくわかります。母のことを考えると・・、最近ではテレビでお<母さん>、<母>と言う言葉を耳にするだけで、本当に切なさがこみ上げてきます。そして私は拉致被害者でもあります。だから、拉致被害者のことも本当によくわかります。
朝、昼、晩、いつになったら、またふるさとに帰ってみんなと一緒に楽しく暮らせるのだろう?無惨にも失ってしまった、青春をきっと取り戻したいと、私はいつも思っていました。

まだまだこの問題は、長い道のりが必要かもしれませんが、私たち家族にも被害者にも時間がありません。この一時間、一分が、本当にみんなにとって大切な時間です。
今までも、皆様方に本当に応援していただいていますけれど、これからは、これまで以上に、もっともっと手を大きく広げて、みんなが一つになって、また昔の、楽しい生活にかえって、たくさんの人たちの笑顔がみたいと思います。

そのためには、皆様方の力が本当に必要です。どうかこれからも、よろしくお願いします。(長い拍手)

◆司会:櫻井よし子さん
曽我さんありがとうございました。
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国民大集会(12.22日比谷)8 スカム・パンジョイさん

 『スカム・パンジョイさんの訴え(タイ人拉致被害者・アノチャさんの兄)』

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★櫻井よしこさん

では次にタイから拉致されましたアノチャさんのお兄さん、スカム・パンジョイさんにお願いします。
アノチャさんは1978年に拉致されまして、曽我さんと一緒に暮らしておりました。
パンジョイさんの通訳を務めてくださるのは海老原智治さんでタイのアヤプ大学の講師を務めておられます。
ではどうぞよろしくお願いをします。(拍手)

★スカム・パンジョイさん(通訳:海老原智治氏)

日本の支援団体の皆様、今回私を招聘いただきまして、また私の妹の救出の為にご支援頂きまして大変ありがとうございます。(拍手)
私の妹であるアノチャ・パンジョイは非常に性格の良い子でありまして、家族を非常に愛して、きょうだいを非常に愛する者、人間でありました。
それから例えば、出稼ぎに行った先から帰って来る時には家族にたくさんのお土産を持ってきまして、家族に配るという事をしていました。
その度に持ってきた服ですとか食べ物、それを帰ってくる度に私たちは受け取った物でした。

妹であるアノチャは非常に積極的な性格で人を恐れない、物怖じしない性格でありました。
また美しく着飾る事を好む、そのような女性でありました。
また旅行、それから遠くに出かけること、そのような物を非常に好む性格でありました。

妹のアノチャが失踪したという事を知ったとき、突然失踪しまして、しかし私はそれをどこに伝える事も出来ませんでした。
と言いますのは一つの理由はその当時のタイでは、連絡と言うものが非常に不便な時代でして、どこに伝える事も出来ず、また当局に訴え出ると言う事も致しませんでした。
そのために探すと言う事も私には出来ませんでした。
ただただ、いつ帰ってくるのかと、そう思いながら待つばかりでした。

私が妹が失踪したと言うのを知ったのは次のような経緯によります。
1978年の11月に、妹と親しくしているタイ人の友人から突然手紙が参りました。
その手紙には、
「お兄さん、バンコクのアノチャさんが尊敬して敬っている人のお宅まで会いに来てください。お話したい事があります。」
そのようなことがありまして、私はその妹が親しくしていた尊敬していた方の家まで会いに行きました。

そのときバンコクまで私は会いに行きまして、妹の友人であった方に話を伺いました。
そこで伝えられました事は、妹が1978年の5月21日にマカオで失踪したと言う事でした。
で、その時には、マカオ人の女性二人とほぼ近い時間にいなくなったという事が伝えられました。
私はそれを聞いたところでもうどうする事も出来ませんでした。
ただそれを聞いて驚いて、ただそのまま家に帰ることしか出来ませんでした。

私は妹がそういう境遇に陥ってしまった事を知って非常に悲しい思いをしました。
妹は連れ去られて一体何をさせられているのか?全く分かりません。
妹の学歴は小学校の4年生卒でしかありませんでした。
そのような者を連れて行ってどうしたのか?
全く私には分かりませんでした。
で、妹が健在である事をジェンキンスさんの手記で今年知るまで、そういう思いをずっと抱えて参りました。

この件につきましては日本政府の方々、日本の支援者の方々、それからタイ政府の方々が私および私の妹を助け出すためにご努力いただいております。
これは何よりも代えられない私の幸せであります。
このご支援を頂いている支援者の皆様と言うのは、非常に心の温かい方々ばかりであると私はそう信じております。(拍手)

私は今日、このようなお土産を日本の支援団体の皆様に持参して参りました。
これは私の出身地であり妹の出身地でもあるチェンマイから持参したものです。
ここには中央に女性のレリーフがあり、左右に手が掲げられております。
この中央の女性は妹を象徴しており、二つの手は妹を救うと言う気持ちを表しております。
左にありますこの手は日本の皆様方、こちらにありますもう一本の手はタイの支援者の国民の方々。
この二つのご支援によって妹が早く帰ってくることを願ってこのような物を持って参りました。(拍手)

★櫻井よしこさん

どうもありがとうございます。
右手に立って写真を掲げていらっしゃった方は息子さんでございます。
向って左に立っておられた方は、日本で言えば町長さんと言うんでしょうか郡長さんでいらっしゃいまして、同行してくださいました。
本当にありがとうございました。(拍手)
次にレバノンから拉致されましたシハームさんのお母さんのハイダールさんにお願いをいたします。(拍手)

(↓写真左より スカムさんの息子さん、通訳の海老原さん、スカムさん、スカムさんの住む土地の郡長さん)
Sukamu

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国民大集会(12.22日比谷)9 ハイダールさん

『ハイダールさんの訴え(レバノン人拉致被害者・シハームさんの母)』

0000619m

★島田洋一 救う会副会長

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

救う会の島田です。
簡単にご紹介しますけれども、娘さんのシハームさんが北朝鮮に拉致されている被害者であります。
それからもうお一方、レバノンのフリーのジャーナリスト・マレック・ゲダムさん。
お母さんを助けて拉致問題の取材等もしておられます。

実はお母さん、こうして日本のテレビなんかに映されて、それを北の連中がモニターしてですね。
レバノンに帰ってから狙われるんじゃないか?というのを大変恐怖感を感じておられるんですが。
我々日本の家族会・救う会もそうですが、我々は大勢人数がおりますけども、レバノンでたった一人で北朝鮮拉致に対して闘っておられると言う状況ですので。
もし日本の集会に出てテレビに出て、お母さんが襲われる事があれば、我々日本人が許さないと・・・(大きな拍手が沸き起こり、後は聞き取れず)

時間の関係もありますので、ごく簡単に娘さんが連れ去られた経緯を一言二言言いますと、日本の有本恵子さんの場合と大変良く似ています。
北朝鮮の工作員がですね。
日本の日立で良い仕事があるんだと騙して、レバノン人の若い女性4人を1978年に連れ出したと。
日本に行くはずが北朝鮮に連れて行かれてしまったと、こういう状況であります。

お母さんアラビア語で喋られますけれども、マレックさんがそれを私に英語で通訳して、私が(日本語で)。(笑い声)
伝達するのに齟齬があるものですから、一応原稿で進めたいと思います。

★ハイダールさん
(通訳:アラビア語→英語 マレック・ゲダム氏 :英語→日本語 島田洋一氏)

日本から電話が来るはずがいくら待っててもかかって来ないので、だんだん不安が募ってまいりました。
お母さん、当時イタリアで働いておられたんですが、イタリア警察に相談に行った所、まぁ「警察がじゃあ捜しましょう」
その数ヵ月後、何と娘は日本ではなく北朝鮮にいるというニュースがやって来ました。
私はパニックに陥って訳が分からなかったんですけども、北朝鮮なんて国が果たして存在するのか?
地図の上でどこにあるのかさえ分からない。
全くどうやって連絡を取って良いのか分からない。
そういう状況でもう一度警察に訪れて助けを求める。
それしか私には出来ませんでした。

それから更に数ヶ月が経って、レバノンから知らせがあったんですが、娘のシハームがレバノンに帰って来たという事でありました。
私は早速会いました。
娘の顔が見られて幸せだったんですけれども、非常に精神的に参っている様子で健康状態も悪いと。
心配になって一体何があったんだ?と言う事を聞いたところ、娘が泣きながら、実はあるアメリカ人男性の子供を身ごもっているのであると、そのように告白されました。
私は衝撃を受けてパニックに陥ったわけですけども、しかしここは自分を納得させなければならないと努力し、いわゆる夫とそして赤ん坊が北朝鮮に出来たと。
家族が出来てアメリカ人の夫も良くしてくれるようだから、ある人との子供が出来たらその人と一生共に暮らすのが娘の考え方だと私は分かっています。
だから北朝鮮に戻るという事を私は許しました。

娘を再び北朝鮮に帰らせたというのは、大変な恐るべき私の誤りでした。
北朝鮮がどういう国か知っていたら、決して行かせなかった筈であります。
娘は27年間も(北朝鮮に)いますけど、その間数度しか会っていない。
一度北朝鮮に私行った事あります。
更に不幸な様子で、彼女の家がどこなのか?お母さんは知らされない。
娘の家を訪れる事も許されなかった。
常に北朝鮮の男、人間が4人付いていて私たちの行動を監視していた。
最後に空港に見送りに来た娘さんは大変激しく泣いたと、いう事であります。
年に一度くらいお母さんの誕生日に電話が来るそうですけど、ただお母さん大丈夫か?と聞いて、自分達は大丈夫だと言うだけであって。
彼女が話せない状況だというのは私分かってますから、質問をこちらからしようとはしません。
しかし健康状態が悪化しているという事を、色々な所から聞いていて大変心配です。
このままだと私が傍に居れないまま娘が死んでしまうのではないか?
あるいは私が死ぬときに娘が傍に居れないのではないか?
そういうような事を考えてしまう。

北朝鮮は私の娘の人生を破壊しました。
海外で働いてお母さんを楽にさせたいという娘の夢に付け込んで彼女の人生を壊したのです。
同時に私の人生をも北朝鮮は壊しました。
仕事から引退した後は娘と暮らしたいと言うのが私の夢でしたけれども、今私はレバノンにたった一人でいます。
娘も夫に先立たれて、遠く離れたところで子供3人と暮らしています。
娘シハームは私にとってたった一人の子供です。
私の願いは娘とそして孫と一緒に過ごしたい。
それだけであります。
レバノンには私を支えてくれる人がいない状況ですので、娘を取り戻すという望みはほとんど捨てかけていました。
しかし、今回こうして日本の皆様と知り合う事が出来、再び私は自分の娘をいつかは取り返せるという希望を持つ事ができました。
皆さんと共に北朝鮮によって引き離された全ての家族が共に暮らせるようになるよう、私も頑張ります。
どうもありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこさん

ハイダールさん、ありがとうございました。
次に韓国からのゲストをご紹介します。
朝鮮戦争のときに拉致された人々、朝鮮戦争拉致被害者家族協議会を代表しまして、前理事長の金聖浩さんにお願いします。(拍手)

(↓写真は左より ハイダールさん、通訳のマレック・ゲダムさん 島田洋一副会長)
Photo_46

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