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2006年1月

2006年1月30日 (月)

よど号犯人と拉致問題 東京集会10 恵谷治氏の講演(2)

『恵谷治氏の講演 その2』

先ほど言いました3つの組織、「調査部」「連絡部」「文化部」
この名前が文化部と言うこれは北朝鮮、根はソ連なんですが、軍にも文化部と言うのがあります。
これは言わば政治警察、思想監視組織というのがカモフラージュされて文化部と言う事なんですが。
3号庁舎の文化部と言う役割もありましたが文化部の下に作戦局という物がありました。
この作戦局が工作員をですね。
船で日本に運んだりというサポート部隊だったわけです。

75年の大検閲の後、あ、もう一つポイントで重要な事はですね。
辛光洙のような元々日本生まれの、日本語を教育しなくても日本人以上に日本語が出来るという人間をリクルートして工作員にずっとしてきたわけなんですが、だんだん世代交代が始まると。
日本に送っていた辛光洙だけではありませんが、たくさん工作員がいたはずです。
そういう人間も全て送還しろと言う事で、辛光洙も76年に(北朝鮮に)帰国します。
朴某も同じように帰国します。

大検閲の後(日本に)派遣されていた工作員は全て呼び戻されて、再び思想検査・思想教育され、使える使えないと言う判断になったはずなんですが。
一方で自分が今後自分が責任を持つこの3号庁舎の工作員教育が、今は皆さんもご存知だと思いますが、現地化教育・適化教育をする。
ついてはそれぞれの国の人間を教官にしろ、連れて来いという指示が出ます。
これは76年金正日が指示します。
それから皆さんがご存知の拉致がどんどん始まるわけです。

ところが特定失踪者問題調査会で調べてみると、75年以前にも当然明らかな拉致だと疑われる事件がたくさん生じてます。
75年以降は金正日が命令を下した事は間違いがありません。
しかし75年以前は金正日は命令を下す立場にはありませんでした。
ですから75年以前の拉致と言うのを私なりに分析してみますと、一つは背乗り、つまり戸籍盗用をするために拉致と言うケースも考えられなくは無いんですが、75年以降のような厳しいと言いますか背乗りをした人間を必ず連れて行くと言う事は余り無かったようです。
逆に言うと金正日はその点をついてですね、そんな危険な事をするなと。
背乗りしたら、その人間を連れて来いと命令をしたはずです。
それが一点。

それからもう一点は75年以前の拉致については、北朝鮮に欠けている職種・技術者。
分かりませんが病院関係者あるいは工場の技術者、何らかの技術を必要とする人間を拉致するという事があったように思います。
しかしこれについてはまだ私も完全に分析を終わっていなくて、いずれきちんとしたいと思うんですが、とにかく金正日以前にも拉致はあったと。
ただその時もですね。
昔のスパイ事件を含めて調べて見ますと非常に長閑で、北朝鮮から漁船で来るわけです。
漁船が漁港の端に泊まるとかという、今の工作船で夜間に潜入するというような事は無くて、そういう状況ですからたまには公安関係者に引っ掛けられるというような事で事件は発覚してます。

その事件を見ると、社会安全部だったりですね。
偵察局だったり様々な党であったり人間が来てますが、75年以降金正日が責任者になって以降は非常に分かりやすいと言うか整理されたと言うか、厳しくなって。
それは潜入する工作員の話でありまして、逆に言うとその工作員が拉致をして帰っていくという問題があります。
まずよく言えば教育係りあるいは養成機関の教官として拉致をする。
とにかく金正日は当初はですね。
これはまだ分析し切れてないんですが、誰でも良いと。
朝鮮語で言う「マグジャビ」と言いますが適当な奴を引っ張って来いと、いった可能性も考えられます。

一方で彼らの言葉で言う人定了解事項といいますか、この人物はこうこうこうで、家族はいない。
あるいは家族はこうだから安全だと、言うようないわゆる事前調査をして拉致するケースもあったと思います。
というか、ありました。
その時に一番ハッキリするのは教官として、つまり先ほど言ったように金正日は新しい組織再生をするためにですね。
教育カリキュラムも変えまして、それは全て日本人が担当すると、日本人に(成りすます為に)必要な知識を与える為、授業は日本人が担当する。
韓国の場合は韓国人と言うケースがあったと思いますが、その教官の為。
従来から行われている背乗りの対象者を拉致してすり替わった人間の安全を確保する。
それが2点目。
もうひとつは有本恵子さんのように若い女性、つまり拉致被害者と結婚させる為と言うものだったと思います。

そこでよど号の事件に一度戻りますが、よど号(ハイジャック事件)は1970年3月31日に事件が起こります
北朝鮮から見るとですね。
とんでもない厄介者が飛んで来たと言うのが実感だったと思います。
赤軍の頭の悪い連中が国際根拠地論とかわけの分からんことを言ってると。
とにかくホテルに住まわせて本でも読ませろと、言うのが最初だったと思います。
相手はモスクワで教育を受けたベテランの連中が相手をするわけですから、学生どもが勝てるわけがありませんし、2年で完全に主体思想化される、洗脳されると。
当然根拠地論とか世界同時革命論とか淘汰されて主体思想になる。

これが9人が全員がそうなりまして、その間に吉田金太郎はすぐ正体を見破って問題を起したのかも分かりませんがその辺はちょっとまだ分かりません。
完全に金日成万歳になったんです。
それで72年、(北朝鮮へ渡って)3年目の5月6日に日本人革命村と言うよど号の根拠地、生活地にですね。
金日成が来ます。
「5月6日はよど号記念日」と言う俵万智ふうの呼び方をするんですが、つまり約3年で金日成からのお墨付きが付く。
その72年にですね。
ハイジャック以降初めて日本からの記者団を呼んで、会見をさせます。
ご存知だと思いますが、その会見の席に工作員でキム・ユーチョルという男が写っているのがフィルムで確認されております。

これが非常にポイントなんですが、よど号の連中は最初ホテルに滞在させられてですね。
それ以降郊外の、皆さんご存知の招待所と呼ばれる場所に移されます。
彼らを管理してたのが朝鮮労働党連絡部、先ほどの3つある連絡部でした。
と言うのも、その工作員が記者会見の脇の方にですね。
写ってたわけで、これで彼らは労働党連絡部の管轄に居たんだということが分かります。

ところがこのキウ・ユーチョルというのがですね。
1973年、翌年に連絡部から調査部に異動されます。
有本さんを連れてかどわかしたのがキム・ユーチョルなんですが、それが1983年で10年後ですが。
おそらく、おそらくと言うよりもキム・ユーチョル自体が調査部の人間だったと。
逆に言うと有本さんは調査部管轄の拉致対象だったと言うふうに思われます。
それはもっと後に話しますが、いずれにせよよど号はまず連絡部の管轄に置かれて、完全に金日成シンパになって。
そうこうしている内にその間軍事訓練があったのかどうか?
まぁ彼らは無かったと言ってますが、これは良く分かりません。

75年の10月にご存知の小西(隆裕)の恋人だった、福井タカ子が突然に平壌に現れます。
で、まぁ、いろいろあったでしょう。
男だけ9人の中に5年も離れていた恋人がやってくると。
若い連中はいろいろあって、労働党も「そうかこいつらを黙らすためにも結婚させよう」と。
先ほど言った5月6日はよど号記念日と言う意味において、連絡部の中に5月6日の56課と言う部署を作ります。
この56課がその後ずっとよど号の担当をする部署になります。

この56課がいわゆる田宮高麿と話し合って結婚作戦というものを、お前たちも結婚しろと。
小西・福井タカ子を羨ましく思うなと。
言う事でやってですね、当然連絡部が日本とコンタクトしたと思います。
都合の良い事にと言いますか、よど号事件が起きた直後からですね。
日本にもチュチェ研と言うものが、まず群馬で生まれて、その後全国にどんどんどんどん拡大して行ったようですが。
労働党連絡部はこのチュチェ研で何か気の利いた奴はいないか?と言う事で一本釣りをして5人ほどは集まったんですが、後はなかなかすんなり行かない。

その中で確信犯ではなかった八尾恵であれ、福留貴美子であれと言う事で。
1977年に皆様ご存知だと思いますが、どんどん送ってどんどん結婚させる。
その77年にそうやって日本からよど号の花嫁候補を非合法に北朝鮮に呼ぶことが出来たと。
いうような事もあってですね。
金正日としてはですね。
金正日は自分の側近であれご存知だと思いますが、とにかくまず結婚させる、つまり女をあてがう、それで自分に感謝するだろうという思考回路の人間です。

ですから有名な喜び組を護衛と結婚させたりとか、よくやるんですが、同じ意味でよど号も同じだった。
拉致被害者に対しても同じ発想をする。
ですからよど号に対しても、これは有本さんの場合が83年で、田宮が安部に直接あるいは直接八尾に言って25歳前後の若い女性を連れて来いと言ったのも同じ文脈にある訳です。

そういう事を考えますとですね。
ここには横田めぐみちゃんのお母さんがいらっしゃるんであれなんですが、めぐみちゃんの配偶者も北朝鮮の人間であるはずがないんですね。
つまり国際結婚は絶対に認めないと。
とにかく私は、(めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュが)顔を出さない。
いろいろ逃げ回るというのは、日本人、最近では韓国人と言う話も出て来ますが、韓国人の可能性も十分あります。
いずれにせよ北の人間では無いと言う事だけは間違いないと私は思いますが、それは今も言ったようにわざわざ有本さんを拉致するのは誰かと結婚させようと言う事で、それは結果的には石岡さんと言うすでに拉致された被害者だったことになるわけですが。

とにかくそういう作業をするわけで、それを国家予算を使ってですね、やるわけですから。
めぐみさんに対しても同じように北朝鮮の人間である事はまずありえないと、私は、そんな事を言っても何も解決はしないんですが。

・・・その3に続く・・・
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2006年1月29日 (日)

上野署名活動

ひさしぶりに、上野に行きました。


寒い中ですが、今日は日差しもあって、その光から春の兆しも感じられます。梅の堅いつぼみも、早春の訪れを待っているようでした。

顔なじみになった画家のみなさんが、声をかけてくださいます。立ち上がって拍手をしてくださいます。
「久しぶりだね、がんばってね。僕は一番最初に署名したよ。」
ありがたい言葉に支えられて、署名を訴えます。

上野では、いろいろな街頭活動がありますが、今日は、私たち拉致問題の署名活動だけで混乱もなくやりやすい日でした。集まったのは、7人+一匹。最高齢の近藤さんも、襟巻きを巻いて、駆けつけてくださいました。ぬくもりの伝わる街頭活動です。

「来月の日朝協議に向けて、私達の救いたいという願いを政府に届けましょう。貴方の一筆の署名が、協議での日本政府姿勢を支えます。<私達は拉致事件の被害者を救いたいのだ><国民が助け出したいと望んでいるのだ>ということを、貴方の一筆の署名で政府に伝えてください。」

ご家族連れ、学生さん、意を決したように署名台に立ち寄ってくださるお母さん、ふたりで署名をしてくださった若いカップル。たくさんの方の署名を頂きました。
今日は、264筆の署名が集まったとのこと。寒い中、なかなかポケットから手を出せない時期、最近では珍しい数字を残すことができたと、主催者からお聞きしました。

すでに、170回を超える署名活動を行っている常設の上野署名活動。毎回、毎回、全てボランティアだけでまかなっているのですから、見事です。

もうすぐ、梅もほころぶであろう、上野の山、そして迎える春、めぐみさんは日本の桜を何年見られないでいるのだろうかと、28年も見ていないのだと、そんな想いが頭をよぎります。
今年こそ、今年こそと戦い続けているご家族の想いを叶えて差し上げたい。
2006年のふるさとの桜を、満開の桜を、めぐみさんに、ルミ子さんに、恵子さんに、田口さんに、石岡さんに、松木さんに、曾我ミヨシさんに、市川さんに、原さんに、久米さんに、小住さんに、全ての被害者に見てもらいたい。

小泉さん、世論は、拉致の幕引きを絶対に許しませんよ。
少しでも進展があるように、願ってやみません。

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よど号犯人と拉致問題 東京集会9恵谷治氏の講演(1)

『恵谷治氏の講演 その1』

★西岡力 副会長

ありがとうございます。
それでは今日の講師をご紹介したいと思います。
今日はジャーナリストの恵谷治さんに来て頂きまして、拉致の実行犯は誰なのか?
当初はよど号事件を中心にしてお話をして頂こうと思っていたんですが、辛光洙・朴の話が出て来ましたので、よど号に限らずですね。
拉致の実行犯は誰なのか?
拉致事件と言うのはどういう犯罪だったのか?
という事について、実は私もいろんなことを教えてもらっている専門家中の専門家でありまして、恵谷さんのこういうすごい本も書いていらっしゃって、「対日謀略白書」というなかに、朴とかたくさん入っています。
恵谷さんの今の時点での分析を、そうですね、8時10分くらいまでの間お話をしていただいて、その後私が少し補足をして質疑を行おうと思います。
では恵谷さんお願いします。

★恵谷治氏


どうもはじめまして、恵谷です。
当初、今日よど号関連の集会なんでその話をするつもりだったんですが、それで私も丁度去年の暮れにお話が出まして、丁度いい機会でもう一度よど号事件、洗い直しをやろうと。
そしてこの場に臨もうと思ってたんですが、辛光洙の件が出て来たり、あるいはご存知の金正日が訪中いたしました。
それはフォローで、結果的によど号関連のお話が出来ない状態だったんですけども、それよりも辛光洙を含めて拉致の実行犯、あるいは拉致と言う物はどういうふうに行われるか、と言う方に重点を置いてお話をすれば良いと言う事だったもんですから、ちょっと気は楽なんですが。

お話をする前に個人的な事をちょっと話したいと思います。
これは私が大学4年のときに、よど号事件が起こりました。
そのときのスクラップです。(大きなスクラップブックを掲げてみせる)

Eyashiryou
私にとってよど号と言うのは全く自分の歴史と一緒でありまして、当然ながら私と同級生に当たるのが安部公博あるいは田中義三です。
ですからその連中がこういう犯罪をやっていると聞いたのは正直80年代に入ってからで、この当時の日本中に衝撃を与えた事件と言うのは痛いほど私は分かっております。
で、連中らがどういうふうに考えてきたのか?それなりに個人的にはずっとフォローしてきましたが。

私が一番最初に北朝鮮に行きましたのは1987年です。
その時は初めて北朝鮮で観光が解禁されまして、それ以前は社会党友好実施訪問団とか、そういう形でしか行けなかったのが金さえ払えば誰でも良いという事で、初めて行きました。
で、その時もおそらく、ツアーだったんですがその中にはよど号の新聞記者もいたと言う雰囲気もあります。
というのもホテル、高麗ホテルに泊まっていたんですが、夜そのホテルの地下のバーで私が全く一人で飲んでいたんですが、その一員が話をしているのを聞いていると、よど号の誰々と、名前は当時覚えていたんですが今思い出せないんですが。
よど号のメンバーの名前を言いながら今ここに来ると、言う話をしてました。

私はその時点では、よど号(犯人たち)は(日本に)帰って来れない犯罪を犯している。
個人的にはそれを差して拉致問題を起してるとは知りませんから、なぜ帰ってこないのか?
言葉で言う微罪ですんで娑婆に出てくると、それがおかしいおかしいと言うのが、結果的にはとんでもない犯罪を犯していたと。
非常に納得できたわけです。
それ以降、もう一度よど号事件と言うのを洗い直しをしながら、私が初めて北朝鮮へ行った翌年に有本さんの事件がハッキリしました。
あの3人の方の手紙が来て、当然それもフォローしながら、どういう形でよど号は犯罪と言うか拉致をするようになったのか?と。
気にはなっていたんですが、もちろん具体的な証拠は有りません。
そうした中で先ほどから話の出ています、高沢皓司氏の「宿命」を読み、当然ながら納得しましたし。
それに至るまで様々な情報が入っていました。
ですからだいたいこんな物かなと言う状況は分かるようになりました。

よど号については後でお話をするとして、まず辛光洙についてお話したいと思います。
私は今言った87年の翌年に初めて北朝鮮の本を書きました。
その中でも辛光洙の事件を書いておるんですが、当時はですね。
いわゆる工作員の動きと言うものに興味がありまして、とにかく彼は日本に潜入して合法的身分を取った後、パスポートでヨーロッパ経由北朝鮮と言う判明しているだけでも6回往復しています。

当然韓国での、85年に逮捕されて以降の判決文を検討して時系列的に考えました。
今回、最初に地村さんの件がありまして、それからめぐみちゃんの件が出てきたと。
皆さんご存知だと思いますが、判決文の中にはですね。
判決文の中ではその時期は北朝鮮にいたと言う事になっています。
先ほど西岡さんが紹介してくれたこの本にもですね。
私は裁判記録を盲目的に信用し、無批判に信用しましてそんなはずはないと思ってましたし。

もう一点78年の3つのカップル誘拐、拉致事件の時のですね。
もう一つ未遂があります。
その未遂事件の時にそのカップルの女性の方が、警察から辛光洙の顔写真を見せられて、この人に似ていると証言していたのですが、裁判記録によれば北朝鮮にいるんで、見間違い・記憶違いだろうというふうに私はこの本の中で書いてます。
その事については反省をしているんですが。

辛光洙が少なくとも地村さんとめぐみちゃんを拉致したかどうかは別としましても、まず彼の簡単な生い立ちと言いますが、皆さんも新聞で読まれたかと思いますが、お話します。
彼は在日、日本で生まれまして愛知県だったと思いますがハッキリしません。
(会場より「静岡です」の声)そうです、静岡です、失礼をしました。
彼は北に戻ってですね。
韓国経由で戻ったんですが、1971年、この年号を覚えてください。
71年に工作員になる、リクルートされます。

後でも申し上げますが、工作員と言うか謀略活動をする人間の名称についていろいろ問題があるんですが、ここに来られている方は皆さん意識が高いので、頭に入れて頂きたいんですが。
新聞等では工作員と言う言い方をします。
しかしこれが落とし穴でありまして、北朝鮮においてはですね。
そういう謀略活動をする人間を北の用語で4種類あります。
「工作員」と、それから「偵察員」、それから「戦闘員」、それから「案内員」、これが彼らの呼称です。

辛光洙はですね。
1971年に「偵察員」としてリクルートされました。
「偵察員」と言うのはですね。
軍の工作員と言いますか、もっと正確に言いますと朝鮮人民軍偵察局の工作員です。
工作活動をする人間です。
彼はまず軍にリクルートされて、約2年半教育・訓練を受けます。
それで1973年7月2日に元山から石川県の海岸に、皆さんご存知のような形で潜入し日本に再入国します。
日本語は非常に上手くて、おそらく数字は覚えていませんが大体30歳過ぎてたと思いますが、辛光洙がまず入ってきて日本人の日本語と変わりませんから日本社会に溶け込むのは楽。

ただ法的な身分がありませんから、北朝鮮に帰国した人間の手紙を持って日本に住んでる家族に渡す。
これはあらゆる工作員が最初に日本に上陸すると潜入すると、そういう作業をします。
言わば脅しですね。
自分に協力しろと、協力しなければこの手紙の人物の待遇が悪くなると言う事であります。
ポイントは何か?と言うと先ほど言ったように、彼は偵察員です。
これは軍の所属ですが、71年にリクルートされました。

もう一人の朴と言う、朴某、朴なにがしという男は、これは党の工作員です。
辛光洙よりも先に日本に潜入しますが、北朝鮮においては日本に対して様々な機関が工作員を派遣するという時代でした。
それが1971年です。
もちろんその後も続くんですが、ポイントはですね。
1975年にご存知だと思いますが、金正日が73~4年にかけて党の書記、政治局員というふうに中枢部に躍り出ます。
彼はそれまでに演劇部門、音楽部門、つまり文化芸術部門は権力中枢部でも一目置かれるような活躍をします。

しかし現実権力として、もっと言いますと権力執行機関、あるいは自分の力の基盤と言うものが全くありません。
女優を騙して好き勝手をするということは出来ても、権力、自分の力が無いと。
それは例えば警察、例えば軍、いろんな所のトップになれば、それなりの権力基盤が作れるわけですが、そうした中で金正日はこの秘密機関、謀略機関に目を付けます。
この謀略機関がこの辛光洙が、あるいは様々な工作員が活躍する場で、皆さんご存知の現在では3号庁舎と言うふうに呼ばれる部署ですが。

この3号庁舎、正確に言いますと1975年当時はですね。
連絡部、調査部、文化部、この3つしかありませんでした。
それ以外に軍の偵察局があって、辛光洙は軍の方にいたわけです。
ところが1975年金正日が3号庁舎を検閲する。
つまりお前たちの仕事を再チェックすると、言う事があってですね。
それまでの活動のあらゆる物を全てチェックしました。

で、これはもう世界中どこの機関もそうなんですが、この秘密機関と言うのは言わば機密費で賄っているような機関ですから、工作費そういう費用、これを受け取っても工作に使わずポケットに入れる人間もたくさんいるわけです。
これは世界の常識です。
CIAの工作員でも同じだし、我が国の大使館員の外交機密費で自分の絵を買っているとか言う事もあります。
これはどこの、つまり領収書が明確に要求されませんから皆ポケットに入れると。
まぁ皆じゃありませんが、そういう事が往々にしてあります。

ですからその大検閲によって、全員すねに傷がある。
で、そのポケットに入れる以上に工作活動を成功させていれば、問題は無い。
とにかく金正日はですね。
半年に亘って全ての工作をチェックしました。
それで75年の11月から全体会議を開きまして、全員の自己批判をやらせます。
そしてとにかく全員すねに傷がありますから、「自分はこういうことをしました、今後反省します」と、とにかく締め上げて、当然部長クラスは全員首を挿げ替えて。

プラス、当時はですね。
75年当時まだ北朝鮮は、まだと言うか今と変わらないというか、外貨がほとんどありませんでした。
外貨は中国政府から恵んで貰っていた貴重な外貨でした。
その貴重な外貨を工作活動に与えて、それを勝手に工作員がポケットに入れると言う状況だったわけで、それを厳しく叱責した上で、今後一度たりともですね。
自分のサインが無いとしてはいかんと、これで金正日は3号庁舎を押さえたわけです。
当然もちろん人事も含めて。

・・・その2に続く・・・


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救い出す活動の現実(1)

以下の記事を見てください。

救う会群馬の会計報告

━━注目すべき点を抜粋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1. 05年度会計報告(05.01.01~05.12.31間)
  ○ 累計で1,236万円もの多額な募金を、お預かりさせて頂きました。
    うち当年度は230万円です。
    初年度(03年度)を100とすると、当年度は31、04年度は37です。
  ○ 支援金は累計で859万円です。
    家族会・702万円。救う会・60万円。調査会・91万円。
    県内被害者家族・6万円が内訳です。
  ○ 県内の被害者家族3名の方々に、当年度、初めて
    僅かですが支援金をお渡しすることができました。
  ○ 署名は累計で41,419名で、当年度は4,876名でした。
    初年度100とすると当年度は20。04年度は53です。

  年々、署名の落ち込みペースは大きいのが目立ちますが、活動報告にあるように、
   葉書活動が5.000枚ありますので、今後の課題です。

 3. 今年度の活動計画
  ○ 短期間に驚異的な観客動員を果たし、拉致問題解決への世論の高まりに大きく寄与している
   「めぐみちゃんと家族のメッセージ横田滋写真展」の早期開催を目指します。
  (注)東京・銀座マリオン=2万人。立川市=8千3百人。
   主催団体である「あさがおの会」(横田夫妻の住むマンション住民による支援組織)
   朝日新聞社と折衝を重ねています。
  ○ 所定の「募金箱」を置いて頂く所(商店など)を募集。
   現在、群馬県医師会加盟の医院。特定の事業所などに配置して、
   継続的な募金活動に寄与している。

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所感
まず会計に目を向けると初年度比31%という現実。前年度37%ですから、9.17以後の一年にどれだけ支援活動が盛り上がったかを示し、そして今の現実があります。
署名活動も初年度比20%です。
街頭でも同じ事を感じます。

冒頭で報道機関に対して述べられてることばは、とても大切なことです。今までがどうあっても、報道機関の協力を仰ぐ姿勢は、今必要です。

スラムダンス映画祭に出品される映画「横田めぐみストーリー」については、西村幸祐 さんの酔夢ing Voice で触れられていますが、写真展や、このような映画の方が、ずっと人々の心を引きつけることを、強く感じています。
是非、群馬でも開催されるよう願っています。


追記:群馬には群馬の特徴があると思いますが、カンパ、寄付の減少という傾向は、各地の活動体でも、総じて同じなのだと推測します。

(続く)

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2006年1月28日 (土)

よど号犯人と拉致問題 東京集会8増元照明さん

『増元照明 家族会事務局長のお話』

Masumoto




家族会事務局長の増元です。
今日、先ほど皆さんが仰っているように、今日の官邸の中で政府の官房副長官、更に警備局長非常に強い姿勢を示して頂いたと。
もう一つ、我々がひとりずつ話しますとそれにひとりずつに対応して話をしてくれる。

これは初めて、今まで殆ど初めてのケースではないかと思うんですが。
それほど積極的にやろうと言う姿勢は非常に強く見えます。
それはやっぱり昨年11月の1日に安倍さんが官房長官になってようやく動き始めた証しなのかな?と私はそういう思いをしています。

警察庁が昨年末そして今年の初めに辛光洙、朴某を出しましたけども、あれも昨年末に新しい情報として得て、そして出したと言う事ですが、それも情報として表に出すのも官房長官の意向も関ったのかな?と言う。
とにかく官房長官が安倍さんでなければ伏せられたと言う事が多くありますので、その点で動き始めていると言う気がします。

今年、私と西岡さんがマカオに行きまして、マカオの拉致被害者家族と会いました。
で、ほとんどまず間違いなく、孔さんという方がマカオから拉致されていると言うのは確信しました。

で、お願いなんですけども、ここにメディアの方たちがいらっしゃいますけども、北京支局に連絡しまして孔泉報道官に「あなたの国の人たちが拉致されていますけども、どのように考えますか?」と質問をして頂きたい。(拍手)
これで孔泉さんがもし北朝鮮側を庇うような回答をされると中国のスタンスが分かると思います。
ぜひこれだけはやって頂きたい。
「中国の人が北朝鮮によって拉致された事が今明るみになりましたけども、中国政府としてはどうされますか?」と。
それだけ聞いて頂きたいと思いますので、是非マスコミの皆さんにはお願いしたいと思います。(拍手)

更に明日から、私アメリカのスラムダンス映画祭と言うところで「ABDUCTION~拉致 横田めぐみストーリー」と言うのがスラムダンス映画祭の大賞にノミネートされておりまして。
それで大賞を取るような事があれば、アメリカ全土にこの映画が開放されて、そしてアメリカ国民の拉致に対する認知度が高くなる。
それをぜひ成功させて頂きたいと思いますし、私もその場所に行って初めてその映画を観させて頂きますが、今年は政府も我々も攻める年だろうと。
守ってばかりいられない。
攻めて行かなければならないと思っておりますので、是非皆さん一緒に戦ってください。
ありがとうございます。(拍手)

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よど号犯人と拉致問題 東京集会7 横田早紀江さん

『横田早紀江さんのお話』
Saki2

皆様こんばんは。
本当にいつもご支援いただいてありがとうございます。

今日もお会いしていろいろとお話を致しましたけど、めぐみの事は辛光洙によると曽我さんからもお聞きしておりましたけど、まだこれは今言葉に出して表に出して頂きたくないという事でしたので、私はその事はまだ何も言っておりませんでした。
地村さんもそうだと言う事で、もう表に出ていることですから、・・・一緒に・・・(聞き取れず)しているんだということで、私はハッキリと出して良いと思って、マスコミの質問にもハッキリとびっくりしましたとお答えした事で、こんなふうになって来たんですが。

主犯であるその人たちがいるんですから、私のめぐみちゃんの場合は新潟ですけど、やはり新潟の中で朝鮮総連なのか在日の人か、また日本人であるのか分かりませんけれど、拉致と言うことに対して協力をした人が必ずいると。
始めからそれは何となく分からないままに、誰かが何か一緒にやった事じゃないかな?といつもどこかで思っていたものですから、今日も各地で起きた拉致問題ね。
その中の協力者と言うことをもっと徹底的に各県で調べて頂きたい、と言う事をお願いしておきました。

その様な事を知らずに、皆何も悪い事もしていないで、家族から離されて30年近い間何とかして帰りたいと。
船に乗れば帰れるんじゃないかと、めぐみなどは何度も外へ飛び出して船に乗ったら帰れるんじゃないかと思って逃げ出したような事もあると蓮池さんたちからお聞きしました。
本当にどんなに辛い思いで過ごしているんだろう、今もその様な思いで待っていると思いますので。

日本中がようやくこの思いで、めぐみの事が浮上した不思議な事で、拉致問題が大きく報道されるようになって、マスコミの方もご協力いただいて、国民の方々あらゆる方が本当にバックで支えてくださって、おかげさまでようやくここまで国際的に拉致と言う事を本当に鮮やかにあぶり出してもらったと思って感謝しております。
今こそハッキリと日本の国全部が一丸となって怒って、拉致に対してシッカリと怒って言葉に出して、世界に表現していく事で救出の事が動いていくんじゃないかと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

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よど号犯人と拉致問題 東京集会6平野フミ子さん

『平野フミ子さんのお話』

★西岡力 副会長

熊本から増元るみ子さんのお姉さんの平野さんが来てますので、一言。

★平野フミ子さん

皆さんこんばんは。
本当に難しい問題。
でも日本が今変わろうとしている問題です。
本当に日本をどうにかしようと言う皆さんの思いが、この席に来ていらっしゃる一つの要因だと思っています。
私たちもその一端を担っていると言う、私たちも自負しておりますけども、あの本当に今日はですね。
今までに無く鈴木官房副長官と面談する事が出来ましたし、そしてまた力強い言葉も頂きました。
絶対にこの拉致問題解決なくして国交正常化はありませんと言う事を断言されました。

私たちはひょっとしたら小泉さんが3回目の訪朝をして、ふわぁっと行ってですね。
印鑑押してくるんじゃないかな?
そしてたくさんのお金を取られるんじゃないかな?と言う、妹たちは帰らずにこのままになってしまうのかな?と言う、そういう思いでいつも不安になっております。
でもそういう言葉も頂きましたし、警察庁長官の今年の年頭の(挨拶)ですね。
拉致問題の解決を絶対するぞと言う意気込みも感じましたので、安心して、本当に今年は何か、拉致被害者を絶対に取り返す年になると思います。
皆さん期待してください。
本当にありがとうございます。
いつも応援していただいて本当にありがとうございます。(拍手)

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よど号犯人と拉致問題 東京集会5飯塚繁雄さん

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

★西岡力 副会長

続きましてよど号の事件ではありませんが、この年末年始に、帰国した被害者の方の証言によってですね。
拉致の実行犯が明らかになって来ています。
そのことも含めて、今日警察庁とそれから内閣府、官房副長官にも要請して。
要請した内容を皆さんにもお配りしていると思いますが、それ以外の家族の方たちも今日ここに来てらっしゃいますので、時間の関係もありますので短く一言ずつですね。
犯人をきちっと取り調べて欲しいと、そして事件の実態を明らかにして欲しいと願っていると言う点を中心に話をしていただければと思います。
では飯塚さんの方から。

飯塚繁雄 家族会副代表

Iizuka


今西岡さんの方から説明のありましたように、今日午後から内閣総理大臣と警察庁長官の漆間さんに向けて要請文を提出して参りました。
内容的には載っておりますけれども、我々長い間、また年が明けてしまったかと言う気持ちがありますけども、その流れの中で、暮れから正月にかけていろいろ情報がたくさん出てます。
そういう中で我々としても今まで訴えて参りました、いわゆる日朝協議を待つ事無く制裁をきちっとして貰いたいと。
実行して貰いたいと言う事。
それから、拉致の実行犯に対する捜査に一層力を尽くして欲しいと
特によど号関係者が帰国した際には、拉致問題についても徹底した捜査を実行して頂きたいという事と。
国際的に広まっている拉致問題に対して米国、韓国、タイ、マカオ、レバノンを始めとする関係各国との連携を強めて頂きたいという強い要望書を提出して参りました。

その中でいろいろ感じた事は、政府は安倍(官房)長官はもちろん「この拉致問題については徹底的にやるんだ」と言っておりますし。
先日、外務大臣の麻生さんも「拉致なんかけしからん」と言う強い態度でいました。
それから先ほど言った警察庁長官も、今年こそ拉致の問題を片付けるべく行動する。
そういう約束をして参りました。
それやこれや考えて見ますと、今年こそと言う言葉を何回も使っちゃうんですけども、本当に今年中にこの問題を解決したいと思いますし、その動きがあちこちから出ているという事を感じました。
そういう意味では我々今までどおり一生懸命戦って参りますので、また宜しくご協力お願いします。(拍手)

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2006年1月27日 (金)

蒼のはがき~中学生仕様~

中学生のお嬢さんと、蒼のはがきの活動に参加してくださっている方から、もう一枚画像を頂きました。

お二人のお嬢さんが考えて作ったはがきだそうです。
79402924_218


ブルーリボンをあしらって、女の子らしいデザインをしてくださいました。
家族そろって取り組んでいる様子を想像しただけで、ほほえましいですね。
みなさんもチャレンジしてみてください。

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2006年1月26日 (木)

連携と行動で最終段階を戦おう(3)

蒼き星々メイン掲示板より  アンデスの声さん の投稿  1月26日(木)

産声を上げて間もない頃の本掲示板に私が初めて投稿して3年が経ちます(それは拉致被害者にとってもさらに3年が経ってしまったということ・・・溜息がでる)。この間ずっと連日昼夜を問わず母屋を維持してこられてきた管理人さんたちの熱意とご苦労には心から感服・敬服、頭が下がります。たまに思いついて母屋の軒を借りて投稿するだけの私ですが、この板のアクの無さが私の性に合っていた気がします。会計年度が日本とずれているため1~3月は予算・決算期がダブルパンチで襲い本板へのアクセスもままなりませんが、みんなが戻ってくるまで最低月一回以上は投稿するノルマ(・・・情けな)を課してでも、今後も日本人の一人として私も声を出し続けますので宜しく。(ただし、もしめぐみさんが直接国際電話かけてきて「アンデスさん、迷惑よ、投稿やめて」と優しく言われたらすぐに止める・・・と書いたら本当にかかってこんかいな。)

【忙中断想】

日本がまともな国なら拉致事件は起きず、起きても初期段階で収まっていた。国家犯罪の事実と実行犯と被害者がわかっていながら(日本政府の関係当局者は我々よりはるかに多くの具体的事実を掌握しているはずだ)、実効性ある国家アクションをなにも起こさず、いまもって解決の目処は立たず、犯人と幇助者は野放し、裏の事実を知る為政者たちは沈黙、それが、今の我々の母国の現状だ。

こういう場合、問題を深刻化させている国家体制の不具合の抜本的変革を目指すのか、その不具合が生みだす問題を対症療法的に解決していくのか、戦略としての意見は分かれるでしょうが、拉致事件について私は後者を取る。被害者や家族には時間がないし、現代の自由・民主主義社会の改善は“社会破壊”や“流血革命”を経なくとも、個々の問題解決に取り組む過程と結果の中にまともな国の姿が自ずと形となって顕れてくると思うから。今の我々の相手は自由からも民主主義からも最も遠い国、そういう蛮国の独裁者に今の日本が、今の我々が、跪くことは絶対に許されない、我々の将来そして子供達の未来のためにも、我々は今のままの我々で勝たねばならない。

ジジ臭い昔話で恐縮ですが二宮尊徳のこういう言葉があったと記憶します、「大きなことをしたいと思えば小さなことを怠らず勤めるべし、およそ小人の常として大きなことを望んで小さなことを怠り、できにくいことに気をもんでできやすいことを勤めない、それゆえついぞ大きなことも小さなこともしとげられない」

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支援活動は何も怖くない、行動を!

よく「署名やはがき、メールを書いたり、拉致の問題を現実に話したり訴えたりすることは、怖い」という意見を耳にします。総連関係者などから脅されたり、妨害されたりすると思っている人、個人情報が漏れると思っている人も多いのだと思います。

でも、みなさんぜんぜん怖くないですよ!

まず、はがき、
これは私自身が調整室に行って確認していますので、間違いなく大切に扱われています。
内閣府ですから、ほかの省庁にもまして、お役人はきちんと取り扱っています。
安心してください。

署名
これも、まとめて取り扱われていますので、一人ひとりが特定されて何かあるというようなことはありません。日本という国家に戸籍をもち、個として存在する以上、住民票は私たちの存在証明としてあるわけですし、生きていることを隠す必要はないわけです。
私自身としては、個人情報について、神経過敏になっている風潮は、あまり好ましくないように思っています。

街頭でも、第一段階のころと同じように、「そんな恐ろしい国のこととはかかわりたくない」という声も、まだ聞きます。でも、私は署名、はがき、街頭での活動を通して一切妨害や脅迫など受けていません。
むしろ、NET内での内輪の誹謗中傷程度で、現実には外部からなにも影響は受けていません。つまらない妨害投稿は、削除すればいい。それだけです。

NETの中では、いまだに暴露、口汚いののしりあいなども散見されますが、当初に比べれば、NET世論は熟成されてきたと思います。

私はNETの力を信じています。
そしてNET言論も、その非現実や、強いリーダーシップで大論を主張することより、情報を交換し、冷静に意見を述べ合い、排除しないという方向になってきていると思います。そうなることで、NET言論はもっと社会を動かす力になりうるのだと思います。
その意味で、私たちは今試されていると思います。
さらに影響力を持つために、現実と連携していくこと。それが拉致事件解決への一歩であり、支援者である私たち国民世論も、21世紀という時代に試されているのだと思います。

非現実ではなく、中だけにこもるのではなく、少しずつ現実につないでいく時が、今来ていると実感しています。

共に、声を上げ、伝えていきましょう。

街頭で私はいつも問いかけます。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
「増元正一さんが信じるといった、日本とは、国家とは、いったい誰のことでしょう?それは小泉首相でしょうか?政治家でしょうか?外務省でしょうか?・・・・・
増元正一さんが信じた国家とは、国家を構成する一人ひとりの国民なのではないでしょうか?・・・・・

いいですか、みなさん、増元正一さんは、私を信じたのです。あなたを信じたのですよ。すべての日本人を信じたのです!

信じられた私たちができることをしましょう!
一筆の署名で助けたいという意思を示そうではありませんか?」
◆―――――――――――――――――――――――――◆

拉致問題は、一部の専門家や運動家だけでは解決しないのです。
私たち、裾野の支援者が拡大してこそ、解決するのだと思います。

それを、増元正一さんは信じてくださったのだと・・・

できることをそれぞれに!
英訳ボランティアのできる方、リボンを作る方、アクセサリーを作る方、はがきを書く方、チラシを配る方、集会に参加する方、集会のテキストを書く方、キストを読み、それを誰かに伝える方、そして掲示板に投稿する方、それぞれが行動しつながること。
そのためのツールがNETです。
一歩進んで、信じられた私たちができることをしていきましょう。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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よど号犯人と拉致問題 東京集会4 川添友幸さん

『川添友幸 救う会神奈川会長のお話』


★西岡力副会長

続きまして、今日は拉致の実行犯について考えてみようと言う趣旨で集会を開いているんですが、よど号の犯人たちは20人拉致していると言う事が分かって来てるわけですけども、そのグループの妻たちはどんどん帰国しているわけですね。
帰ってくると旅券法違反と言う罪で捕まって裁判が行われていると。
その裁判を継続して傍聴して来た、救う会神奈川の川添さんから報告をして貰います。

★川添友幸 救う会神奈川会長

初めてこういう場で話しますんで、ちょっと上手く出来るか分からないんですが、ご説明していきたいと思っています。
ちょっと今日、資料を作ってきたんですが、「よど号を通して見た拉致事件」という資料を作りました。
全部ことらだけじゃなくて、こちらの流れの中で少しずつ説明していきたいと思います。

まず、よど号のハイジャック事件自体は1970年、もう35年前でしょうかね。
ハイジャックをしまして、韓国経由で北朝鮮に向かったと。
当初どうもすぐ帰ってくるつもりだったんですが、中々帰って来られなくなってしまった。
70年代後半から80年代初めにかけて、日本から次々入国した女性たちとですね。
強制結婚だったんじゃないかと言うこともあるんですが、結婚してですね。
今度はヨーロッパにおいてですね。
非合法な活動を開始いたします。

そういう中で88年に日本政府がですね。
ソウルオリンピックを日本赤軍やよど号グループが妨害する恐れがあるんじゃないか?と言う事を、各国の情報機関から入手しまして。
テロ防止の観点から旅券を返納しろと言う命令を発動しました。
1993年に返納命令に従わなかったと言う事で、旅券法違反で妻たちに対して国際手配を警視庁がかけました。
この後でご説明する裁判と言うのは、この警視庁の出した旅券返納命令違反における国際手配の裁判です。

2001年以後ですね。
よど号グループの帰国がずっと続いています。
妻たち自体は国際手配をされておりますので、帰国後、逮捕起訴されるんですが、この旅券法自体が微罪の為に実際有罪判決が宣告されても執行猶予になってしまいます。
今まで実刑になった方が一人もいらっしゃらないみたいで、非常に問題だと思います。

更にですね。
先ほど有本さんの方からお話があったと思うんですが、子どもたちがかなり帰って来ていまして。
この子供たちと言うのはもちろん国際手配をされていませんので、日本国籍を取得して私たちと同じように一般社会で暮らしています。
今日、警察庁とか内閣府に行った時も増元さんとかお話しされたんですが、今子どもたちがパスポートを入手しまして北朝鮮と日本を行き来しています。
北朝鮮から何らかの支持を受けて動いているんじゃないかと言う事で、ぜひパスポートについても以前やったような旅券返納命令を日本政府は取っていただきたいなと、私は思っています。

私自身がよど号の事件に関るようになったきっかけは、先ほどお話の出ました、高沢皓司さんの「宿命」を読んで非常に引き込まれてですね。
この問題取り組みたいなと思いました。
実際細かい裁判の内容に入りますと、私たち救う会神奈川としてはですね。
裁判をやっているという話を聞いて、これはちょっと見てみる必要があるなと言う事で、神奈川の会の私と他にボランティアの方とだいたい3~4人くらいでずっと裁判の傍聴を行いました。
傍聴した期間は2004年の7月から2005年の6月まで、1年間の間で裁判の数は9回傍聴に行きました。
被告人は有本恵子さんを拉致した容疑で今国際手配をされています、安倍公博の奥さんである魚本民子とですね。
田中義三、あのカンボジアで偽ドル持って捕まった、の奥さんの水谷協子の裁判です。

先ほど出ました八尾恵の証言によりますと、この水谷協子はどうも有本さんの入国した後の指導係りだったんじゃないかと言う話が出ていますが、裁判ではこの辺を追求したみたいですが、全く答えないような状況でした。
細かい裁判の一問一答みたいのはですね。
私たちの救う会神奈川のHPがありまして、HPからリンクが貼ってありますaoinomamaさんのHPに全部一問一答が出てますので、そちらを見て頂ければと思います。(http://aoinomama.trycomp.net/

裁判の全体的な様子からまずご説明しますと、裁判は公開するんですが、人出が多いと言う関係で傍聴券を交付するのに抽選があるんですが、基本的にほとんど傍聴に来る人はおりませんので私たちで殆ど傍聴出来てます。
傍聴に来る方を分類して見ていますと、私たち救う会あるいはよど号グループの支援者の方、子どもたち。
あと私自身が一番びっくりしたのは、有罪判決を受けて執行猶予中の妻たちも傍聴に来ていました。
更に警察の方とかマスコミの方、大体メンバーの方は同じような方々です。
私ちょっと見て感じたのはですね。
よど号グループの関係者が来て傍聴しているのは被告人に対する激励よりも、八尾さんみたいに余計は発言をするなと言う監視の為に北朝鮮から来ているのではないか?と感じました。

一番私が印象に残ったシーンと言うのは、一昨年の12月24日の水谷協子の初公判の時です。
この日、実は内閣府の方で横田めぐみさんの遺骨が偽遺骨だと発表のあった日で、ご家族の方皆さん東京におられましたので。
私の方でちょっとお願いしますと言う事で、松木薫さんの弟さんの松木信宏さん、お姉さんの斉藤さん、有本さんのご両親、石岡享さんのお兄さんの章さんが、お願いしたら来て頂きましてみんな一緒に並んでたんですね。
今までは我々が普通に並んでいてもよど号の支援者の連中は黙ってるんですが、何か慌ててるんですね、我々が来ると。
横で何気なく聞いていると、「今日は二家族来ているぞ、二家族来ているぞ、二家族来ているぞ」と。
「今日は旅券方の裁判なのになんで拉致の人たちが来るんだ?」と言ってるんですね。

非常にまずこっけいに思えたのはですね。
石岡章さんと言うのはいろいろ事情があって、家族会に入られなくて一人で活動されているんですね。
殆どマスコミにも出ないので、石岡さんの顔知らないもので松木さんの所と有本さんのところと二組いると思ったんでしょう。
裁判自体もなんで傍聴に来るんだ?と言われても、公開されている物を我々傍聴に行こうとなんでこんな事を我々に言うのか?と。
大きなお世話だなと感じたところなんですが、実はこのときのやり取りがよど号グループの機関紙を私とっておりまして、機関紙に以下のように書いています。

中略となっていまして「かりはゆく」と言う機関紙の名前なんですが。
『傍聴席に拉致被害者家族も顔を見せており、次回24日の検察側の被告人質問は八尾証言を唯一の根拠としながら何としてでも彼女(水谷協子)を、「拉致犯の一員」にでっち上げようと悪辣に策動してくると思われます。』
でまあ最後のところに、『「かりの会」のメンバーは「拉致問題」とは何の関係もありません。』
拉致を実質的に否定しています。

自分達は拉致に関与していないということを彼らはずっと主張しているんですが、そうであれば堂々とですね。
有本のお母さんなり我々に言うべきだと思うんですが、何か知らないんですが右往左往、右往左往していまして、何も私たちに言ってくる事を感じませんでした。

で次に大きな問題点と言う事で非常に感じたのは、裁判自体が、こういう事を言うと検察庁に怒られてしまうかも知れませんが茶番であると。
私なんか、ドラマで裁判なんかを見ていますと、検察側と弁護側が丁々発止でやるもんだと想像してたんですが、実際検察側が微罪であると言う事もあって、さっき有本さんのお母さんの話もあったんですが、事実究明が今一歩であると。
弁護側の方が本当に意気揚々としていました。

ただですね、一つ面白いなと思ったのは、検察側が八尾恵さんの長所を証拠として採用しようとすると、弁護側は八尾さんの長所は証拠性がないと、八尾さんの言った事はおかしいと彼らは主張するんですが。
それであれば八尾さんを法廷に呼んでちゃんと質問すればいいことなんですが、八尾さんを法廷に呼ばないんですね。
なぜ呼ばないかと言う事をちょっと考えてみると、これ以上余計な事を喋られてしまうと困ると言う事と、検察側のほうも今後有本さんの安倍公博の公判があると言う事で、手の内を晒したくないと言う事で。
この問題自体が問題だと思います。
そもそも旅券法違反の事件で拉致問題で解決しようと言う、この調査手法に問題があるんではないかと私は思います。

最後の一点として私もうひとつお伝えしたいのは、実行犯が今度帰国します。
今日ちょっとパネルを作ってきたんですが、これよくテレビに出てくる写真なんですが、この二人(黒田佐喜子、森順子)が3月ないし8月くらいに帰ってくるんではないか?と言う話です。(黒田、森両名が石岡享さんと一緒に写った写真を見せる)
このような明らかな証拠があるんですね。
このような明らかな証拠があるにも拘らず、現在もまだ警察は拉致容疑でこの二人に手配をかけていません。



これは「宿命」の中にちょっと出てくるんですが、彼女たち二人が実はスペインのマドリッドのホテルに、松木さん石岡さんの泊まったホテルのすぐ傍のホテルにいまして。
宿帳に、彼ら本名で書いてるんですね、森順子と黒田佐喜子。
これは間違いない証拠だと思いますんで、何とかですね。
非常に難しいかもしれませんが、警察の方に頑張ってもらってこの問題、自供に追い込んで全員の拉致被害者奪還と言うことを是非やって頂きたいと思います。

最後に時間が無いんで一点ですが、一番向こうのパネルの白黒の福留貴美子さん。
この方やはり海外旅行に行こうとして、モンゴルに行こうとしましてそのまま北朝鮮に連れて行かれてしまった方で、テルアビブ・ロッド空港乱射事件の犯人の岡本公三のお兄さんの岡本武と強制結婚させられてですね。
よど号グループは死んだと言ってるんですが、その方の娘さんたちは実はもう帰国していまして裁判に来ていました。
福留さんについても実は警察は拉致では無いと言う事をつい最近証言したりして、この福留問題も含めてですね。
3人+福留さんを入れて4人はですね。
一刻も早く救出しないといけないと思いますので、皆様のご協力の方、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)


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■26日古川さん認定訴訟被告側意見書

■26日古川さん認定訴訟被告側意見書(2006年1月25日)

 26日の法廷に向け、原告側は4人(安明進氏、竹下珠路さん、増元照明・家族会事務局長、調査会代表荒木)の証人を申請していますが、これに対して昨日、被告である政府側より以下の意見書が提出されました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■26日古川さん認定訴訟被告側意見書
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
平成17年(行ウ)第161号拉致被害者等認定請求事件

原告古川朗子ほか1名
被告国
           意見書
                   平成18年1月24日

東京地方裁判所民事第2部A係 御中

             被告指定代理人(氏名は略します)

 被告は、原告らの申請に係る証拠申出書(1)記載の各証人及ぴ原告本人の尋問(以下「証人尋問」という。)については、いずれも不必要といわざるを得ない旨の意見を申し述べる。

 すなわち、本件における訴訟要件の判断は、訴外古川了子が法に基づき被害者と認定されることにより、原告らに法的利益がもたらされるか否かという法律の解釈の問題であり、原告ら申請に係る証人尋問の実施によりその結論が左右されるものではない。また、被告がこれまで主張しているとおり、甲第24号証ないし第26号証を含む現時点における証拠関係に照らしても本件訴えが訴訟要件を欠くといわざるを得ないことは明らかであるから、上記各陳述書中の本案に関する事項について証拠調べを行うことは相当ではない。

 したがって、原告らが申請している証人尋問の実施はいずれも不必要といわざるを得ないから、その却下を求める。
――――――――――――――――――――――――――

 これまでも被告側は徹底して門前払いを求めてきましたが、その姿勢が集約された、取りつく島のないような文章です。怒りというよりは失笑を禁じ得ません。拉致認定の恣意性が分かっているからこそ、政府側が事実関係の審理の中でその矛盾をつかれることを避けようとしていることは明白です。逆を言えば、ここを突崩すことによって未認定拉致被害者への政府の対応も変化させる展望が開けるということです。弁護団も満を持して法廷に望みます。ご支援をよろしくお願い申しあげます。
調査会ニュースより

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連携と行動で最終段階を戦おう

◆拉致問題の現状
9.17から3年がたって、NET言論はずいぶん変わってきました。
掲示板から、ブロクの隆盛への移行。拉致関連のいくつかのブロクの閉鎖。その中で私がなぜ、この掲示板を曲がりなりにも維持してきたかといえば、「被害者を救い出したいから」です。そのためには、絶対に国民世論が必要だといのが当初からのわたしの考え方です。

日本中にいるその想いを持つ全ての人に参加してほしい掲示板でした。
しかしNETの言論は、罵倒や潰し、あらしなどの言葉で表現されるような、醜いものも多く見られました。
それでも、伝える力はあるのだと、私は信じてきました。
掲示板から私はいろいろなことを学びました。9.17以降の後発組である私は、「今まで気づいてあげられなかった事への贖罪の意識」を持っていました。

拉致問題にまだ詳しくない人、知らない人、集会に出たことがない人にも、家族のことをもっと理解してほしい、もっと拉致について知ってほしい。いろいろな意見を交換する場所、NET初心者でも書き込める場所を維持してきたかったのです。

ごく普通の市民である私が、何ができるわけではありません。自分の無力をひしひしと感じながら、9.17以降の時を過ごしてきました。迷うこと多く、ご批判も頂きました。

私自身も、その中で私も小泉首相の無策に苛立ちを持っていました。
「小泉さんはだめだ」 という苛立ちも感じてきました。

しかし、拉致問題が動かない原因は全て小泉首相にあるのでしょうか。
過去の歴代の首相にも責任があり、政治家にも、外務省にも責任があり、土井たか子氏他親北の政治家、総連の存在、警察が動けなかった事情も、私たちの知らないこともあるかもしれません。
よく荒木さんや、真鍋さんが言う、日本という国家をひっくり返すような事情があるのかもしれません。

私は専門家ではありません。9.17以前からご家族を支えてきた人たちには本当に敬意を送ります。
しかし、拉致問題がこうして国民全体に知られた以上、その世論をまとめ上げることが必要でした。9.17以降、それができたのかというと、どうでしょう?
私が危惧を感じたのは、昨年4月の日比谷集会が決まったときです。
集会には、2000という数が集まります。しかし、その外側はどうなのかと言うことです。
もし拉致に強い関心を持つ人が、小泉首相支持の6割よりも多ければ、昨年の総選挙で拉致問題が吹き飛ばされることもなかったのでは、ないでしょうか?

座り込みの労力とその結果はどうだったでしょう?

掲示板当初から言われている 2-6-2の論理を下記のように表した、その真ん中の6の部分を取り込めたでしょうか?
まだ彼らは支援の裾野の縁にいるのではないでしょうか?


拉致についての世論 (世論全体10として)


■■□□□□□□××
 2   6   2
凡例
■■   拉致問題に強い関心を持つコア(核)な層
□□   一般世論 制裁もやむなし かわいそうという意識の人たち
■■   拉致に無関心、あるいは、解決を阻止しようとする勢力

具体的な行動、たとえば、メールやはがき、集会への参加、ブルーリボンをつける人がどれだけ増えたかと言うことです。

◆第三段階へ テーマは連携と行動

もし、9,17以前を第一段階とし、9,17以降を第二段階ととらえれば、現在は第三段階=最終局面に入っているのではないでしょうか?小泉首相の任期は9月まで。9月までの間も絶え間なく政府に拉致解決を訴えること。その力を更に拡大するために、私たちができることは、NETと現実の連携をはかることです。

NETの情報周知能力は絶対に高いと思います。日本中どこにいても、誰でも情報を得られる。遠くの集会のテキストや音声が聞ける。はがきの請求もできます。

大阪しぐれさんが取り組んでいる【家族】の英訳は、応募者が殺到したそうです。私も何人か立候補した方を知っています。これはとても私にはできないことですから、NETを通じて翻訳のことを知り、手を挙げてくださった方があることを嬉しく思っています。その方たちの連携も大切ですね。
はがきの請求をなさった方から、画像を頂きました。お仲間に配ってくださったそうです。

 

中学生のお嬢さんが作ったブルーリボンも添えて移してくださいました。
bluewishのアクセサリーをみて、そのお嬢さんたちが作ったネイルの写真も頂きました。
若い人たちが、ブルーリボンをあしらったネイルをつけて歩く姿を想像しました。すてきなことですね。



是非みなさんも、NETを通じて知識を深め、意見を交換しながら、そのことを外側に伝えてください。
そして連携と行動で裾野を広げていきましょう。そうすれば、次期政権に向けて支援者が力を蓄えることができるはずです。
それぞれが、自分のできることを、自分の力でできることを行動で示していくことが大切です。
それは、はがきでも、翻訳でも、掲示板での発言でもいいのです。

正念場とおっしゃる荒木さんの目標である、今年12月に向け理解と支援を広げていけば、絶対に政治を動かす力になると、私は信じます。

はがきの請求はお気軽に!

そして、もう一つの提案をもう少しでお知らせすることにします。


◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2006年1月23日 (月)

よど号犯人と拉致問題 東京集会3 斉藤文代さん

『斉藤文代さんのお話』 
Humiyo

同じくよど号犯人によって拉致されました松木薫の姉の斉藤文代です。
今日はありがとうございます。(拍手)
私の弟も1980年に拉致されまして、それから音沙汰無く、88年に先ほども申し上げましたように手紙が届きまして、その後何もまたずっと無くて音沙汰無くって。
父は全力を尽くしてあちこち駆けずり回ったと思いますけども、父の願いも悲しく会えないままに父は亡くなりました。

それで私の弟は先ほど言いました「宿命」(高沢皓司著)って言う中で、騙されて連れて行かれたものですから。
森(順子=よりこ)に向かって「騙したな!」って言って殴ったそうなんです。
あの手を出した事のない弟がおとなしい弟が、本当に悔しかったんだと思います。
それでその時に「騙されたあんたが悪いのよ」って事を言われて、随分向こうの方に叩かれて連れて行かれたそうなんですよね。
そこに行くと向こうの人の話では、もう二度と帰って来られないっていうようなお話だったんです。

だから私は本当にその時は、弟は本当に殺されたのかなぁ?あの国だから殺されちゃったのかなぁ?と思ったんですけども。
第一回目第二回目の時に、弟さんの骨ですよと言う事で持って来た時に、写真を第一回目の時に見ました時に、その写真が随分(時間が)経った写真だったんです。
だからその時に、あぁ薫は生きているんだと私はすぐ思いましたので、私がこんなにくよくよしていたらいけない。
何としてでも助けなければ、向こうで帰りを待っているんだと。
弟だけじゃないんだと、皆帰りたい帰りたいと思って、辛かったでしょうねって写真を見ながら思ったんです。

何でも言う事を聞かないとあの国では殺されちゃう所だから、本当に自分の意思を曲げてでも従って生きて来たのかなぁ?と思うと、その写真を見たときには本当に涙が出ました。
可哀想だったなぁと思ってですね。(文代さん涙ぐみながら)
でも私は何にもして上げられないんです。
でも何としてでも、家族会にも私が入りまして私が一生懸命頑張っておれば、何か連絡が付くはずだと思ってずっとやって参りましたけれども。
今日も申したんですが、今年こそは今年こそはと言う事で、本当に今年こそはという事を書きたくないけれども今年こそはって言う事を願いをかけなければと、今日にずっと至って来た訳です。

そして今までよど号犯も子ども達は帰って来ました。
ずっと帰って来ております。
裁判の時も有本さんと一緒に一回行かせて頂きましたけど、本当に向こうの方は私たちが出来ないような表情をするわけですね。
含み笑いって言うか何か変な顔で、目と目で合図していて本当に日本の国を馬鹿にしたような態度で、悪い事をした方が威張っててですね。
私たちの方が何かしゅんとしているような、そういう雰囲気なわけです。
だから何と情けない国になってしまったんだろうと、私たちが大声を上げて怒鳴る事も出来ない国になったんだなぁと思いながら聞かせて頂きました。

よど号犯たちも子ども達は続々と帰って来ておりますけれど、今度は薫たちを連れて行った森(順子)、黒田(佐喜子)が帰ってきますので、私も森、黒田に刑事告訴をしたいと思いますという事を、今日警察庁の方とお会いした時に申し上げました。
本当に今まで耐えて耐えてきましたので、旅券法だけで済まされると言う事は私たちは許されませんし、またたくさん残っている家族、たくさんまだ北にいるわけですから、全員助け出すと言う事を頭の中に入れてもらって、今までの気持ちでは私は取り組んで欲しくないと思っておりますので、何としてでも今年、今年って言わなくていい様に。
ひとつでも解決の糸口が解ければ、ずるずるずると解けていくと私は信じておりますので、何としてでも救い出して上げたいという気持ちで。

有本さんのお母さん、早紀江さんたちを見ていると本当に胸が痛くなります。
動けなくなったのは私の母だけでもういいって私は思っております。
母も会わせて上げられたら本当に嬉しいだろうなって思いながら、私も思っております。
病院でですね。
ノートとペンを貸して頂戴って言うから、貸しますとですね。
私の事は忘れてますけども、文字も震えながら書くんですが、「薫、会いたい、スナヨ」って書くんですよね。(文代さん声を詰まらせながら)
こういうような事をですね。
毎年毎年、うちの母だけでなくて、他のお母さんたちにも味わいさせたくありません。
ですから何としてでも今年中に、政治家も警察も立ち上がって、拉致問題を解決して頂きたいと願っております。
これからもどうぞ皆様方のご協力を得て、皆が帰って来られる様に頑張りたいのでどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事を見て、拉致被害者ご家族のご苦労が少しでもわかった方、
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■関谷俊子さんの失踪について

■2006/1/23の記者会見での発表

 調査会では本日17時より、産経新聞朝刊に掲載された記事に関し臨時の記者会見を開きました。発表した内容は以下の通りです。なお、発表文中Bさんは産経の記事では実名になっていますが、調査会のリストはAさんとともに2000番台(非公開)リストにあるため、実名は伏せてあります。

● 関谷俊子さんの失踪について
                              2006.1.23
特定失踪者問題調査会
――――――――――――――――――――――――――
失踪日      1974年(昭和49年)7月11日  1957年生まれ
失踪当時の年齢  17歳
失踪当時の職業  県立千葉商業高校学生 夜間部(学年は不明)
         千葉市内のスーパー・マーケット勤務
失踪場所     千葉県千葉市内
失踪の経過

 親戚の男性(A)と幼馴染の友人女性(B)と3人で、Aの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。Aが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。Aの車(赤いマーク�)も未発見。失踪の当日は、関谷さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

――――――――――――――――――――――――――
★他の事件とのつながりについて

 藤田進さんの拉致を手伝わされたと証言した男性が、藤田さんの事件(1976年)の2年後に、二人の女性の拉致も手伝わされたと証言していた。その男性は「顔を見ていないので誰だか分からない」と証言していた。

 古川了子(1973年失踪、1955年生まれ)さんと、同じ県立千葉商業高校である。同時期に、同じ高校に通っていた。関谷さんの職場は、古川さんの職場の近くである。

 また、産経新聞の記事に、山本美保さんの失踪について「警察が『自殺の可能性』と結論づけ、拉致の過程での死亡の疑いを事実上置き去りにしている」という記述があるが、山本美保さんのご家族ならびに特定失踪者問題調査会ではこの山梨県警の発表を認めていない。

★AさんとBさんの非公開について

産経新聞の記事では、Aさん、Bさんが特定失踪者であることが曖昧であるが、以前より特定失踪者問題調査会の非公開リストには掲載されていた方々である。

 調査会は、AさんとBさんのご家族とは接触をしていたが、ご家族が公開を希望していなかったので、公開を差し控えていた。当面、AさんとBさんのご家族は非公開のままを希望している。

 公開を希望されたご家族は、本人に危害が及ぶ可能性を覚悟して公開をされているが、 非公開の失踪者をこのような形で、事実上の公開になると、本人の生命にも危害が及びかねないものであり、ご家族としてもそれに耐えられない状況がある。したがって、このような形で事実上の公開をされることのないよう、マスコミ関係者には厳に慎んでいただきたい。

★総合的な記事への評価について

 この記事の内容をもって、この三人の失踪者を1000番台とすることはできないが、今後あらたな情報を得るなどの進展があれば、1000番台としていくよう、今後とも注視していきたい。

●峰島栄子さん(関谷俊子さんの実姉)のコメント

 今日の記者会見は、急なことで、また仕事の都合もあり、欠席させていただきます。

 今回のことで、警察をはじめとする関係当局が、捜査・調査をもっともっと全面的に進めていって下さることを期待しています。

 他の二人の公開については、今後、家族と特定失踪者問題調査会との相談の上、検討してまいります。


―――――――――――――――――――――――――――――――

●調査会
〒1120004 東京都文京区後楽238 第6松屋ビル401
Tel 0356845058 Fax 0356845059
email:chosakai@circus.ocn.ne.jp
調査会ホームぺージ
戦略情報研究所ホームページ
資金カンパのご協力をよろしくお願いします。
ストラップ

郵便振替口座 001609583587 特定失踪者問題調査会
(ポスターの代金・ストラップの代金と混乱する可能性がありますので、通信欄に「調査会へのカンパ」「家族支援基金へのカンパ」「ポスター代金」など、使途をご記入下さい)
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■北朝鮮で外国放送の受信急増

調査会ニュースから
■北朝鮮で外国放送の受信急増

 韓国のインターネットサイト「Daily NK」は1月20日付のニュースで脱北者からの情報として、最近北朝鮮で外国のラジオを聴く人が急増していると伝えています。「しおかぜ」についてではありませんが、放送が受信される可能性が高いことを示すものとして注目されます。

 Daily NKの原文(韓国語)は下記にあります。
http://www.dailynk.com/korean/read.php?cataId=nk04500&num=17631

 また、韓国保守派の論客である趙甲済・元「月刊朝鮮」編集長のサイトにも「北朝鮮、海外対北放送聴取者大幅に増加」との記事が掲載されています(下記アドレス、韓国語)。
http://www.chogabje.com/board/view.asp?C_IDX=11737&C_CC=AZ


 Daily NKに書かれている脱北者(複数)の証言の要点は以下の通り。

・国境地域の都市は外国ラジオを聴く人間が10軒に5~6軒程度いる。

・KBS(韓国放送公社、日本のNHKにあたる)とFENが良く受信され、短波ラジオを持っている人は自由アジア放送(RFA)をよく聞く。

・昨年12月10日頃「開かれた北韓放送」(韓国のNGOが「しおかぜ」と同様の方式で行っている対北短波放送)を聞いて、その中で北韓人権大会を(ソウルで)開催すると聞き、信心が生まれた。

・VOAも聞いた。「米国の声」と言ったが朝鮮語で行っていたので大変驚いた。諜報放送(宣伝放送の意味か?)だと思ったが、内容は良かった

・自分が大学に通っていたとき、寄宿舎の同室8名の中で私1人を除いた残り7人全てが国境地域出身者でラジオを持っていた。血書を書いて杯に血を注いで一緒に飲み秘密を守る誓いをした後に皆で聞いた。ある友人は日本製短波ラジオを持っていたがそれが一番よく聞こえた。

・脱北してから北朝鮮に戻った人間は外部の情報がいつも欲しくなるため、ラジオを聴かなければ我慢できなくなる。

・ラジオを聴いて摘発されれば電子製品を没収される程度で終わる。テレビ、冷蔵庫、ビデオなどすべてのものを没収されて罰金も課される。これも重い処罰だが、かつてのように厳重ではない。ただ、聞いている現場を摘発されれば、そのときは無条件で政治犯になる。

・罰金は時によって異なる。「コヤンイ」(猫)煙草何箱かやって、15万ウォン位渡してやれば大体処理されると思えばいい。「これからはやるなよ」と、咳払いをして見逃す。
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2006年1月22日 (日)

山茶花



東京は、雪になりました。
南越谷の集会に行けなくなって残念でした。特定失踪者的失踪者ご家族のお話を聞きたかったので。

東京もずいぶん積もりましたね。
北朝鮮はどんなに厳しい冬を迎えているでしょうか?
コッチョビには食料があるのでしょうか。

東京には、濡れ雪の重さを、しなやかな枝のバネではたき落としながら雪の中に咲いている山茶花がありました。
北に残されている被害者のみなさんも、山茶花のように、雪をはねのけて咲いていてほしい。

山茶花は、早紀江さんが苗木で買ったものを、新潟から東京に引っ越すときに、となりのおばあちゃまに差し上げてその方が育ててくださったと、早紀江さんの著書に書いてありました。年賀状にはいつも赤い山茶花のことが触れられていたそうです。
―――――引用―――――――――――――――――
「あの山茶花をみるたびに、めぐみさんは絶対何処かで生きているとしか思えません。きっと元気でいますよ」と書き添えてくださいました。
「めぐみお母さんがきっと助けてあげる」より
――――――――――――――――――――――――
平成9年には屋根の高さまで大きくなっていたという山茶花。横田家が新潟を離れてからもずっとめぐみさんを待っていた赤い山茶花。

今日、私は、赤い山茶花がめぐみさんのように見えました。
厳寒の北朝鮮でしなやかに寒さをかわして、生きて、生き抜いて待っていてください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

おしらせ
特定失踪者、山本美保さんの双子の妹、森本美砂さんのしおかぜに乗せたメッセージが以下のブロクにUPされています。是非お聞きください。

http://aosora.cocolognifty.com/blog/

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2006年1月21日 (土)

よど号犯人と拉致問題 東京集会1 有本明弘さん

よど号犯人と拉致問題 東京集会1  2006年1月19日(木)
         『有本明弘さんのお話』

 Arimoto

拉致家族の有本明弘です。
こんばんは。(拍手)
ありがとうございます。

拉致の問題・よど号の問題と言う話ですけど、私たちは死んだと言われた家族ばかりが今集まって運動しているんです。
だからどんな証拠を出てきても、どうしようもないんです、これ。
死んだと言われているんやから、これ生き返らすのが先決問題であって、生き返った時点で返せと。
どうか政府が厳しく迫って、向こうが「これはたまらんな」という状況を日本の国が力でこさえて、それで向こうは「いや~あないに言ったけど実は生きてました」と、それしか帰ってくる道がないんです。

そういう意味を込めて、1988年(北朝鮮からの)手紙が来てから、ず~~っと日本の国の北朝鮮に対してのやり方をず~~っと見て来まして。
最近になってアメリカが北朝鮮に厳しく迫るという状況が生まれて来て、やっとアメリカも偽ドルの件でマカオの銀行を差し押さえてしまったと。
こういう状況が生まれて来ました。
だから私はこれで北朝鮮もかなり厳しくなるやろうと、大変革起こるんと違うか?と、そういうふうに思ってるんです。

そういう中において、日本の国は制裁してくれと言うて私たちが、一回目の訪朝以降、そういう運動に切り替えて運動やって来まして。
やっと制裁を出来る法案が出来ましたが、政府はそれを施行すると言う気持ちも気迫も無い、と言う事も皆さんご存知の事と思います。
でも拘らず私たちは、制裁をせよと言い続けて運動をやっているんです。

で考えてみたら、空しい事をしているんじゃないか?と。
小泉さんがおる間は、制裁は絶対あの小泉さんは課さない。
それはなぜかと言いますと、5人の子供を連れて帰ってくるそのために、もう制裁はせないと金正日に会うなりそう言う事を口にしてしまって、それで子供を連れて帰ってきた。

これが現実であって、そういう現実・事情を知っている人は小泉さんの訪朝はするべきでないと。
5人の子供を取り返すだけならば、誰か代わりの人が行ったらいいんだと。
誰も行きひんやったら私が行きましょうと、(拉致議連の)平沼会長はそういうふうに仰ったんです。
それも声明文を出したんです。
これはそこまでの情報はみな平沢勝栄先生、秘密外交をした人から皆事情を聞いてるんですよ、これ。
大連から帰って来た。
他所へ寄らさんと直行させて議連で聞いてるんです。
そういう中において平沼先生がそういう声明文を出したんです。

だから小泉さんがおる間は制裁は日本の国は出来ないんです、これ。
だけど、私たちはそれしか運動、もうないんです。
私は小泉さん辞めというような運動、これ出来ないんです、日本の国の状況下で。
こういうような問題が一番大きな問題として今現在現実の問題として、これあるんです。
だから私たちはこの運動をしてるけれども、小泉さんが総理の座におる間はちょっと無理だなと。
ぜひ(次の)政権を担って頂く人にあの国に制裁を発動してもらうしかないかなと。
そんなような思いで運動をしているんです。
これが私の偽らない本音なんです。

そういう状況下において秘密外交をしはった山崎拓さん、福岡の方ですわ。
これが福岡市内でいろいろな事を喋ってるんです。
3回目の訪朝があるかもしれない。
それは5分5分だと、そういうような事を喋ってる。
これはすでに週刊誌がすっぱ抜いて書いておりますが、むこうの福岡の地方議連の先生方が、こっちの関西の方に情報を寄せてくれている。

2兆円以上の金を向こうに賠償として払う、そんな話も政府では出来上がっているんだと。
そんなことも喋ってるらしい。
マスコミはそこまでよう書かないけれど、そういう情報が私たちに入って来てるんですわ。
それと山崎さんの秘密外交をした、この方の言ってる事が、ひょっとしたらひょっとする可能性も無きにしもあらずなんです。
ああいう性格の人やから2回目の訪朝と同じように、何かのきっかけをこさえて、国内的にそういう世論が声が上がった場合、すぐそういうような行動に移す可能性も考えておかねばならない。

そういうような情報はメディアの関係の人たち、その中の一人が私のところへ来て、そういう裏の話もしてくれました。
経済制裁せよと言ってる人たち今まで、そういう人たちももう経済制裁をすべきだと言うのも、私らみたいに少数派の意見になってしまったと。
そういうような情報も入れてきて、非常にこの山崎拓さんの言ってる言葉に関して、ちょっと危険性があるんじゃないかと言う事を仰って。
北朝鮮にしっかりした態度を示している先生方にお話してこの3回目の訪朝は絶対に中止、止めねばならないというような事も仰って帰りました。
そういう結果において、そういう情報を持って、警察とこ行ってお願いをしてきました。

これはこの間藤沢へ行った時も荒木さんもそういう事を仰ってた。
3回目の訪朝という事に関して危険性があると。
そういう中で警察が辛光洙の問題を出してきたと。
これも荒木さんは心配をしておった。
警察も一緒になって小泉さんの訪朝に手を貸すんじゃないか?というような荒木さんは物の言い方をしましたが、私はずっと以前からそういう情報を持って止めてもらいたいと言う話を、出るところに持って行っておりますので。
政府が強硬にやってくれるという事に関しては、これは今外務省サイドで交渉しているから、外務省はそういう事も北朝鮮に言わなければならない。
であるならばこの3度目の小泉さんの訪朝はちょっとやり辛いんじゃないかと、今現在は私はそういうふうに思っているんです。

この辺でもう時間が無いと言うので、話は終わります。(拍手)

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2006年1月20日 (金)

「横田めぐみストーリー」

 ◆「横田めぐみストーリー」予告編公開
 



予告編は上記画像か URL(http://www.safarimedia.net/)をクリックして「Trailer」のページでみてください。

詳細は電脳補完禄さんの記事でご覧ください。

(動画形式がmovとmp4です。Windows系でQuickTimeが入っていない方は、
電脳補完禄別館のFlashVideoでどうぞ。


この作品に関してのブロク
http://abductionfilm.blogspot.com/





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2006年1月19日 (木)

■生島孝子さんのお姉さんの著書刊行へ



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■生島孝子さんのお姉さんの著書刊行へ
              荒木和博

 昭和47年11月1日に東京渋谷区の自宅を出て失踪した生島孝子さんのお姉さんである生島馨子(けいこ)さんの著書『うらさんの祈りはダイヤモンドになって』(文芸社・税込1,470円)が2月に刊行されます。

 本書のテーマは昨年2月に99歳で亡くなられた母親のうらさんのことです。孝子さんの失踪でご苦労されたこと、それでも娘さんに会いたいという一念で懸命に生き続けられたことが切々と書かれています。深刻な話の割に読んでいて落込まないのはうらさんの前向きの生き方と、馨子さんの文章によるものだと思いますが、自分たち自身、活動の上でも(特にご家族と接するときの気持ちなど)色々と考えさせられることがありました。

 本の中に、調査会を分離する前、平成14年の末に救う会全国協議会として最初の特定失踪者リスト(当時はまだ「特定失踪者」という言葉自体がありませんでしたが)を発表する予定でご家族に了解をとったのに、直前になってその発表を延期したことに落胆されたくだりがありました。延期して調査会を分離し、1月10日の設立にあわせて発表したのは当時救う会の事務局長だった私の責任でやったのですが、延期を決めたときに、生島さんとは別の失踪者のご家族から、涙声で「何で延期したのですか」というお電話をいただいたことがありました。本を読んでいて、「あのとき同じ思いをしておられた人がいたのだな」と思い、自分の言動や行動の一つひとつをもっと大切にしなければならないと感じた次第です。

 本書は2月刊行なので書店に出るのはもう少し先ですが、ぜひご一読をお勧めします。

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調査会ニュースから
参照:特定失踪者問題調査会

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「きまもり」

「きまもり」ということばを知っていますか?
晩秋、枝を埋め尽くすように実った柿の実が、すこしずつ減っていって、一つだけ残った最後の実のことを言います。
一本の木になるたくさんの柿の実のうち、ひとつだけ、最後までその木を守って朽ちていくように運命づけられた実があるという話。最後の実は鳥もその木から落とさないといいます。
Kimamori 

「きまもり」のように、恵子さんを待っている母、嘉代子さん。
「きまもり」のように、松木家を守って、薫さんの帰国を待っている90歳になるスナヨさん。
横田家の「きまもり」のように、しおかぜにのせて
「お母さんですよ、頑張ってますか?」
「必ず助けてあげるから、必ず帰って来れるから、元気でいなさい」
と一生懸命に叫んだ横田早紀江さん。

強い寒波が訪れているだろう北朝鮮、被害者はどのように過ごして待っているのでしょう?
____________

北風は冷たいですか?
今朝は何を食べたのでしょう?
食べ物はちゃんとありますか?

風邪をひいていませんか?
どこか病気になっていませんか?
家族はみんな元気ですか?

暖房は十分ですか?
燃料はありますか?

寂しくないですか?
日本に帰りたいでしょう?

お母さんたちは待っていますよ。
一生懸命がんばっていますよ。
「きっと助けてあげる」と私たちも声を上げていますよ。

今年は、厳しい冬ですね。
負けないでください。
もう少し、どうか体を大事に、寒波に負けずに待っていてください。
____________

「きまもり」ように、母たちは待っています。
被害者の救出のために、私たちは家族と一緒に救出のために心をひとつにしていかなければなりません。

小さな力を集めていきましょう。
政府に声を届けていきましょう。
こんな厳しい冬を来年も過ごさせないために!

はがきの請求をお待ちしています。(金木犀)

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2006年1月18日 (水)

よど号グループの帰国再開に関する緊急声明

救う会神奈川事務局 よりの投稿から

本日、関西新空港によど号グループ関係者の帰国がありました。
一昨年よりよど号グループ関係者の帰国は止まっていましたが今回の動きは帰国運動の再開だと思われ、今後、昭和55年にスペインで拉致された松木薫さん・石岡亨さんの拉致事件関与の濃厚な森順子容疑者・黒田佐喜子容疑者の帰国も有ると考えられます。
今回のよど号グループの帰国再開に関して救う会神奈川として以下の緊急声明を発表します。

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  ■よど号グループの帰国再開に関する緊急声明
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


本日,報道等によるとよど号グループメンバーで赤木美智子の二女が関西新空港に帰国した。
よど号グループの帰国は一昨年十月によど号犯妻の水谷協子以来の帰国である。
今回の帰国はよど号グループの帰国再開を意味している。
マスコミ報道によると今後も残りのよど号グループの帰国が予定されているそうである。
その中には昭和55年にスペインで拉致された松木薫さん・石岡享さんの拉致事件に関与した疑いが濃厚で旅券法違反で国際手配されている黒田佐喜子容疑者・森順子容疑者も含まれている。
私たち「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」として関係機関に対して以下の三点を強く求めたい。

1、日本政府は北朝鮮側に無条件でよど号グループの全員の引き渡しを求めるように強く要求する。

2、国会は拉致問題特別委員会で国内にいるよど号グループ関係者や支援者を積極的に参考人や証人喚問を行いよど号グループが関与した拉致事件の真相究明を行うように強く要求する。

3、捜査当局は今後、帰国が予定されいてるよど号犯妻で昭和55年にスペインで松木薫さんや石岡享さんの拉致事件に関与した森順子容疑者・黒田佐喜子容疑者等に対して拉致事件の観点で徹底した捜査を行うように強く要求する。
また、拉致被害者家族に対して可能な限りの捜査情報の公開を行うように強く要求する。

平成18年1月17日

北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会会長 川添友幸

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2006年1月17日 (火)

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(12)

05.11.23 友愛会館にて
『増元照明 家族会事務局長のお話』


 先程、西岡さんがおっしゃったように、できるだけ大阪の集会に西岡さんと一緒に行かなきゃならないねって、来週くらいですかと話しをしてたら、ぜひ4日後には出るというようなことになりまして、ほんとにありがとうございます。

 で、今先程も言いましたように、最初に私たちが向こうの現地の日本人記者に聞いたら、どうもお兄さんは北朝鮮に感謝しているようだというふうに言ってる。なぜかというと、アノーチャさんというのは、義務教育で小学校4年生くらいの教育しか受けていなくて、学歴もないそういった女性が、北朝鮮でいいくらしをしているのだと、そういう情報が入ってきたので、拉致ということもまったくわからない。拉致があるなんてこともわからないし、北朝鮮がどういう国かも全然わからない。

 それでいきなり27年後くらいに、突然いなくなった妹の話が、北朝鮮でいいくらしをしてるよということが入って、最初感謝している。そんな状況ですよ、ということだったので、これはとても、感謝されては私困りますもんで(苦笑)、だから二人してお話ししたんです。で、ようやく最終的には、「取り戻したい」という言葉をおっしゃったんで、ある程度の理解をされておられるとは思います。

 私の会、救う会の方でも、役員会も何もしないで二人で行って、そして招聘したんですけれども、会の承認も得ないで単独で招聘したんですけど、それは事後報告になってしまいました。

 私たちが向こうに行ったのは、お兄さんが本物だろうかということ。報道では、兄だ、甥だと出ているんですけども、本当にアノチャさんの肉親であるかどうかを確認しなければならないし、確認ができたら、やはり各国の被害者家族の皆さんと連携してやってる、国際的な問題であるということを訴えられたらいい機会であるし、ぜひ日本に来ていただいた方がいいのかな、と。

 そして曽我さんも、アノチャさんのお兄さんとお会いして、話しをしたい意向もありまして、それでとりあえず行きました。

 最初は、本当に田舎の農民です。田舎というと田舎に失礼ですが、非常に先程言ったようにバンコクに行ったことも、飛行機にも乗ったこともない。昔から、英字新聞もそうですけど、向こうの新聞を見てなくて、ほとんど喋らないわけです。その代わり郡長さんというのがいる。郡長さんというのは、市長さんと同じレベルだと思うんですが、その彼が一生懸命説明されるわけです。その側でお兄さんが黙って、(ネーション紙の写真を示しながら)この顔で睨んでるんです。

 でどうやって、とっつきにくい感じを受けましたので、どうやって聞き出せばいいのかなという思いで、常にお兄さんに話しかけていました。事前に先程言ったように北朝鮮に感謝しているようなそぶりなので、絶対にそれだけは少なくとも堰き止めようと、記者会見で北朝鮮に感謝しているなんて言われたらとんでもない。それだけは避けよう。

 それで一番良かったのは、北朝鮮の拉致という、日本人拉致、韓国人拉致、これが北朝鮮の拉致であることが、タイの国民の皆さんにもある程度認知されたということじゃないでしょうか。まあ二人して、今が旬だからということで、ネーションで取り上げて、タイの方で随分とアノチャさんアブダクション(拉致)というタイトルでクローズアップされてる。

 そこに私たちが行くことによって、さらにまたタイの上等のニュースになる。とするとタイの人たちにも、北朝鮮による拉致というものが認識されるだろうという思いがあったんですが。先程言ったように、タイの地元の扱いというのは、新聞それからテレビによって報道してくれたので、ある程度の北朝鮮の問題も認識されていると思います。

 タイの人たちっていうのは、とても今日あったことは明日忘れるという、それくらいあまり囚われないという「マイペンライ(タイ語で「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」という意味の言葉)」という有名な言葉もありますけど、囚われない国民ですから、ネーションの担当者は、タイの国民がこれを忘れないように、何か常に取り上げていかなければならないとおっしゃっていました。

 タイ政府の方たちにも、タイ政府としては、今年は北朝鮮と国交を結んで30周年になるので、いい関係にあったという認識があるので、これからもそれを壊したくないという思いがあるんですね。ただもし国民が拉致されているのであれば、何とかしなければならないと外交官の方がおっしゃってました。どういうアプローチをするにしろ、北に対する圧力にはなっていくんではないか、と思います。

 北朝鮮は、ただ単にいるかどうかちょっと聞いてみたという程度の北朝鮮の臨時大使を呼び出した。タイ外務省が呼び出して、ちょっと聞いてみた。そしたらすぐ正式な文書で「(アノチャさんは)いない」と言ってきたくらいでして、タイ人拉致に関しても、北朝鮮としても非常に神経をピリピリさせているようであるんです。

 タイ政府は、我々も行ってまず間違いないということを話しましたんで、アノチャさんは拉致疑惑ではなくて、日本の報道では拉致疑惑と言ってましたが、完全な拉致である。証言者がいるんですから、こちらに。それをはっきりと認識すれば、これから展開する追及も当然強くなっていくと思います。

 で、マカオ(で拉致された)の三人の(拉致被害者の一人)孔さん(孔令●と書いてホン・レンイン女史、日本語読みで「こうれいおう」、●=讐の隹の部分が貝。どの文字コードにもありません)という方の弟さんが名乗り出られたので、調査でまたマカオに行かなきゃならないのかな(西岡氏と苦笑)と言っております。

 またできれば、12月22日の国民大集会に招聘していきたいと考えております。マカオ、タイ、第一回集会以来、当然韓国の皆さんも来ていただきますし、さらにもう一人機会がある可能性がある。とにかく世界中で拉致されている被害者の家族が集まって、様々な行動をできるような状況になるという可能性が高いということを認識しています。

・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。
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2006年1月16日 (月)

マカオの拉致被害者(孔令インさん)について

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.1.15)より記録として保存

◆―――――――――――――――――――◆
■増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長がマカオの拉致被害者家族と面会

 増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長がマカオの拉致被害者家族と面会しました。その結果、Hong Lengiengさんが拉致されていることは間違いないと判明しました。家族会・救う会では Hong Lengiengさん拉致の真相を究明し救出を訴えていきます。

面会日時 2006年1月13日午後6時から8時頃まで
面会場所 マカオのホテル

拉致被害者  孔令イン(貝二つの下に言)Hong Lengieng 1957年生まれ
       1978年7月2日マカオで失踪 マカオのホテル宝石店店員
       同じ日、宝石店同僚ソー・ミオチュンと
       タイ人女性アノーチャ・パンジョイも失踪
       韓国人拉致被害者・崔銀姫が北朝鮮で孔さんに会ったと証言

面会した家族  弟Hong Lengchun 1959年生まれ
        父親 1922年生まれ 本人の意思で名前非公開

面会概要
 西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取った崔銀姫証言を伝達し、事実関係を確認した。その結果、一緒に拉致された女性に関する情報だけが食い違うがそれ以外はほぼ完全に一致した。
 お父さんと弟さんは「今日聞いた情報と、崔さんが本に書いていることを見ると、姉は拉致されている可能性が高い」と話した。
 弟さんは、「同じ被害者の弟同士として増元さんに会いたかった。気持ちは同じだ。
2人の姉が早く無事に帰ってくるように願う」と話した。
 お父さんは「増元さんに心から同情する。西岡さんが貴重な情報をもたらしてくれたこと感謝する」と話す。
 増元が日本の家族の救出運動について説明したが、2人は「助けたい気持ちは同じだ。しかし、今のところ、静かにしていたい。記者会見のようなものはできない。」という立場を表明。
 増元の「北朝鮮にいる被害者の危険を心配しているからか」という質問に対しても、回答を避けた。
 2人は、日本の家族会・救う会と今後も連絡を取りあいながら確認作業を続けたいと表明された。
 増元、西岡は、孔さんを含むすべての被害者を救出するために運動している、今後日本と国際社会で孔さん拉致についても訴えていくことを約束した。

◆―――――――――――――――――――◆
●崔銀姫証言と家族の話の一致点、相違点

・家族関係「母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくるとき一緒に来られなかった」は完全に一致。
・母親の職業「針仕事」も一致
・父親の職業もほぼ一致 崔証言「大学教師」 実際「大卒で中学教師」
※ 崔は1988年に出版した著書の中では「父親は大陸で教鞭を執っている」と記述・本人の宗教 カソリックも一致 「洗礼名マリア」は家族が記憶しておらず調査することになった
・「高校時代にバレーボールの選手だった」は完全に一致、高校時代3年間バレーボールをしており、マカオ代表選手だった。
※この情報は崔の著書にはない。
・「高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した」は完全に一致、母親に自分が働いて弟を進学させたいと申し出たという。
・「宝石店店員」は完全に一致
・「副業として観光ガイドをしていた」はほぼ一致 副業としてドッグレースの切符売りをしていた。失踪する1週間前に母親に、ある人から観光ガイドを頼まれ宝石店の同僚女性と一緒にいくだろうと話した。弟さんによると、観光ガイドはそれが最初ではないかという。
・拉致されたときの年齢「20歳の夏」は完全に一致
・一緒に拉致された女性の情報だけが食い違う
崔証言「2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と一緒になった。その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという」実際 同じ日、失踪したのは宝石店の同僚ソー・ミオチュンさん。
ソーさんは事件当時22歳。ソーさん家族と孔さん家族は事件前からつきあいがあり、事件翌日連絡を取り合った。ソーさんが同じ日に失踪したことは間違いない。
弟さんは崔証言に出てくる女性は、タイ人女性アノチャ―・パンジョイさんではないかと推測。
◆―――――――――――――――――――◆

●マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取り)

・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒だった。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんとしばしば会い話を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていない。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸までつかりながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っていたという。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくるとき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と一緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出て無理矢理大きな船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社会経験が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣いてばかりいた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨ショップに連れていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求めたが、北朝鮮当局に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言われたと言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。

◆―――――――――――――――――――◆
 
■北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

   TEL 0339465780 FAX 0339465784
   http://www.sukuukai.jp

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2006年1月10日 (火)

北工作船交信類似(藤田さん、めぐみさん拉致時期)

(産経新聞より)
  記録として保存
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 藤田進さん 失踪直前に北工作船 交信、「めぐみさん」と酷似 
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 北朝鮮に拉致された可能性が指摘されている埼玉県川口市の藤田進さん=当時(19)=が失踪(しっそう)する直前の昭和五十一年一月末、新潟・佐渡島沖を日本沿岸に向かって航行する北朝鮮工作船が確認されていたことが九日、分かった。船の無線交信を解析したところ、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が拉致された五十二年十一月ごろ、捕捉された通信と交信状況が酷似していた。捜査当局は、この工作船と藤田さん失踪との関連を慎重に調べている。
 東京学芸大の一年生だった藤田さんは五十一年二月七日、「ガードマンのアルバイトに行く」と言って外出したまま消息を絶った。
 工作船はその十日前の五十一年一月二十八日、佐渡島の北西約八十マイル(約百五十キロ)を航行。海上自衛隊の対潜哨戒機P2Jが船の撮影に成功していた。
 船体に書かれた船名は五文字で、末尾に「丸」の文字があり、日本の漁船を偽装していたが、船尾に工作子船の格納室とみられる観音開きの扉があり、無数のアンテナが張り巡らされるなど北朝鮮工作船の特徴を複数備えていたという。
 船型などを詳細に分析、照合したところ、前年の五十年十一月四日に日本海で確認された船と同一であることが判明。この船は、特有の外観や航跡を示したことから、北朝鮮工作船と断定されている。
 五十年から五十一年一月にかけては、横田めぐみさんや原敕晁(ただあき)さん=同(43)=らの拉致に関与したとされる北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)=ICPO(国際刑事警察機構)に国際手配=が日本国内で活動拠点を確保、在日朝鮮人を補助工作員に仕立てるなど、活動を活発化させた時期と一致する。
 工作船が日本に接近する際、北朝鮮のラジオ放送に紛れ込ませた暗号放送を潜伏工作員が受信するほか、(1)北朝鮮の基地と工作船(2)工作船と潜伏工作員-の間で無線交信が行われることが分かっている。関係当局が傍受した場合、海自や海上保安庁が艦艇で海上警戒にあたり、警察も沿岸を警戒する。
 これまでに政府が認定した拉致事件でも、こうした無線や工作船の出現時期・場所と、事件発生の時期・場所が合致することが認定根拠の一つになっており、藤田さんのケースでも、工作船との関連は捜査の重要な要素となる。
 藤田さんの失踪をめぐっては一昨年十二月、救出活動を支援している「特定失踪者問題調査会」に国内の男性が「藤田さん拉致にかかわった」と告白。男性は「藤田さんの監禁先だった千葉県内から、車で(新潟県の)糸魚川まで運んだ」と話したという。調査会によると、糸魚川は、北朝鮮が拉致被害者を太平洋側から日本海側に連れ出すとみられている経路「大町ルート」上に当たる。
 調査会は、脱北者が北朝鮮から持ち出したとされる男性の写真を入手。専門家に鑑定依頼したところ、「藤田さんである可能性が高い」との結果が出ている。藤田さんの家族らは一昨年九月、埼玉県警に告発状を提出。警察当局は「拉致」の可能性も含めて捜査している。
     ◇
【用語解説】特定失踪者問題調査会
 北朝鮮に拉致された可能性が排除できない失踪事件について調査する団体。金正日総書記が日本人拉致を認めたことを契機に、拉致被害者の「家族会」を支援する「救う会」が平成15年1月に設立。全国から寄せられる失踪者情報について拉致の可能性を調べ、政府への調査要請や提言、拉致被害者向けの短波ラジオでの呼びかけなどを活動内容とする。これまでに公開調査している特定失踪者252人のうち34人を「拉致濃厚」としている。(産経新聞)
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 上記のニュースに関して [調査会NEWS 323](18.1.10)より
  ■藤田進さん失踪時の情報について  
                       荒木和博
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 本日の産経新聞に掲載された藤田進さん失踪時の不審船及びその電波情報は重要な情報だと思います。藤田進さんについては一昨年夏に出た写真があり、安明進氏の目撃証言があり、しかも実行犯の1人と推定される人間の証言もありで、政府認定されるに十分過ぎる状況です。現在の認定者16人の中にも認定された時点でここまでの基準を満たしていなかった人は存在します。それでも拉致認定はされていないのですから、今回のことはますます政府の認定基準がいい加減であることを証明するものです。

 何度も言っていますが、拉致は個別の事件ではなく国家の安全保障の問題です。政府は警察の「法と証拠」という建前にこだわらず、積極的な拉致認定をするべきです。また、さらに言えば認定するかしないか、家族が名乗り出ているかどうかにかかわらず、全ての拉致被害者を救出するという原則に立って迅速な対応をしてもらいたいと思います。

 そして、その前提で各情報機関はもっと積極的に情報を公開されるよう期待します。縦割り行政の弊害で、それぞれの情報機関の持っている情報をつなぎ合わせれば分かることが組織の壁に阻まれて明らかになっていないことは相当あると推定されています。CIA的な活動をする情報機関が必要だとは思いますが、現在の日本の各情報機関でも、かなりの蓄積はあり、優秀な人材も揃っています。それぞれの機関の持っている情報の一部が共有されるだけでも大変な力になるはずです。

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辛光洙事件 顛末記①

蒼き星々掲示板
安倍貞任さんの投稿より

「北朝鮮データブック」(重村智計著)に触れられている「辛光洙事件」

Photo_22  北朝鮮が日本人を拉致している事実が明らかにされたのは、1985年5月28日であった。韓国の国家安全企画部は、日本のパスポートを利用し日本人と偽って韓国に入国した北朝鮮の工作員、辛光洙の逮捕を発表した。同時に、辛が日本人を北朝鮮に拉致した事実も明らかにされた。この拉致日本人は原敕晁さんであった。

 私は、当時毎日新聞のソウル特派員としてこの記事を送稿した。ところが、東京のデスクはなかなか信用してくれない。韓国の「でっち上げ」ではないか、というのだった。「問題ないから掲載して欲しい」と、私は強く要請した。それでも、夕刊社会面の左肩(ページ左側の上部をこう呼ぶ)に掲載されただけだった。今なら一面トップの大きな記事になる事件だが、当時は日本では注目を集めなかった。

 また、警察の捜査も冷たかった。もし、この時期に日本政府と警察・外務省、政治家が動いていたら多くの拉致日本人は救出されたかもしれない。だが、誰も動かなかった。また、韓国に留学していた在日韓国人学生の「スパイ事件」が摘発されたりした。北朝鮮の工作機関が、在日韓国人の留学生を利用した「工作活動」であった。しかし、こうした事実を日本の新聞はあまり大きく報じなかった。また、日本国内では社会党や岩波書店の雑誌「世界」などを中心に、武装工作員事件や留学生スパイ事件で、「でっち上げ」と非難する活動が繰り広げられた。

 当時の日本社会には「まさか北朝鮮が日本人を拉致するわけがない」との雰囲気が支配的であった。さらに当時は、日本の警察と韓国の情報機関・警察との捜査協力が、きわめて困難な状況にあった。これは、韓国側に多くの責任があった。

 韓国の国家安全企画部は、記者会見で原さん拉致に関する捜査資料を出した。この中には、原さんがコックをしていた大阪の中華料理店をはじめ、辛光洙が協力者と会合した喫茶店や食堂などに関する写真や資料がついていた。こうした資料は、国家安全企画部が日本国内で捜査活動を行ったことを意味している。外国の捜査機関が日本国内で勝手に捜査を行うのは、主権侵害である。なぜ、日本政府と日本の警察は抗議しなかったのか。

 実は、この捜査結果は安全企画部と大阪府警が同時に発表することになっていたという。ところが、功をあせった安全企画部が先に発表してしまったというのである。これでは、日本の警察は面子丸つぶれである。日本の警察と韓国の警察や情報当局の協力は、1973年に韓国中央情報部(KCIA)が東京のホテルから金大中前大統領候補(当時)を拉致して以来、中断していた。その協力関係が復活したのが、原さんを拉致した辛光洙事件であった。ところが、韓国側が先に発表してしまったことから、日韓の捜査協力は再び困難になってしまった。

 原さんは、辛光洙に無期懲役の刑が確定した(1986年6月)直後の7月19日に死亡した、と北朝鮮政府は通告した。この死亡の時期を確認するのは、北朝鮮が提出した1枚の死亡証明書だけである。きわめて不自然な死、というしかない。(本書p36~p40)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

辛光洙の事件について、重村氏は↓のように、考察しているようです。

・韓国の国家安全企画部が辛光洙の日本国内での工作活動を日本政府に極秘で捜査していた(主権侵害行為)

・(主権侵害行為ではあるが)国家安全企画部と大阪府警は、捜査結果を同時に発表することになっていた 。

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辛光洙事件 顛末記②

蒼き星々 掲示板
安倍貞任さんの投稿より

「拉致はなぜ防げなかったのか」(川邊克郎著)に触れられている「辛光洙事件」 

Photo_23

 1985年6月28日の韓国国家安全企画部(NSP)の発表により、80年6月20日、大阪の日本人コック原敕晁さんが宮崎・青島海岸から北朝鮮に拉致されていたことがわかった。北朝鮮工作員・辛光洙は原さん本人に成り済まして日本に住み、対南工作のため原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証を持って渡韓した1985年2月24日に韓国当局に逮捕され、その後韓国の裁判で死刑判決を受けた。

 「宇出津事件」をはじめ、それまでの拉致捜査では、実行犯の特定が出来なかったことが、立件への大きな壁となっていたが、この事件(=原さん拉致事件)では主犯の辛が北朝鮮のスパイとして逮捕・起訴されていた上、韓国の法廷で東京、大阪、横浜、長野在住の在日韓国、朝鮮人とともに拉致などに関与した事実を証言したため、日本におけるスパイ活動の一端が明らかになった。

 この時の、日本の公安当局の立件に向けた行動は素早かった。まずは韓国の情報機関や日本政府の介入を避けるため、韓国の捜査当局が持っている資料の提供を外交ルートではなく、ICPO(国際刑事警察機構)を通じて依頼したが、順調に進むかに見えた拉致捜査は突然頓挫する。

 辛光洙事件の場合、日韓で法制度が異なる上に全斗煥大統領率いる軍事政権下で(拷問を含む取調べで)得られた「辛供述」の証拠採用に当時の日本検察首脳らが否定的だったことが立件を見送った理由のひとつであったが、最大の要因は捜査指揮に当たっていたリーダーの突然の交替だったという。

 韓国の辛光洙事件摘発の発表からわずか1ヶ月余の85年8月、警察庁警備局長・柴田善憲(1955年入庁)が近畿管区警察局長へ、柴田の後任と目されていた警視庁公安部長・福井與明(57年入庁)が埼玉県警本部長へと、揃って”放逐”された。

 当時の警察庁内部では、政治家への接近を深めるいわゆる”政治派”と警察の政治からの独立を守ろうとする”独立派”の間で、警察庁始まって以来といわれるほどの熾烈な派閥抗争が展開されていた。

 しかし、”独立派”のリーダー・三井脩警察庁長官(旧内務省1946年入省)が退官すると、その三井人脈に連なる柴田や福井らが一転”政治派”から「報復人事」(警察庁OB)を受けることになった。

 そして後任の警備局長には三島健二郎(56年採用)が、警視庁公安部長には城内康光(58年採用、後に警察庁長官=落選した城内実前議員の父上、らしいです)がそれぞれ就いたが、捜査指揮を執るにはいずれも「非力」(前出OB) であった。特に、三島新警備局長は外事課長時代に、外交問題にまで発展した「文世光事件」で「かなり痛い目にあっているので、このときも再び政治に巻き込まれるのを嫌った」(警視庁OBの言)という。

 また城内はその後警備局長に昇進する。88年3月26日参院・予算委員会で日本共産党・橋本敦委員から辛光洙事件の共犯として韓国当局に逮捕された安永奎(アンヨンギュ)の供述内容を問われ、「この北朝鮮工作員、安永奎が1978年に次のような指示を上部から受けておるということを承知しております。すなわち45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示を受けていたということでございます」と、胸を張った。

 当時(88年3月)は大韓航空機爆破事件の金賢姫の日本人化教育係とされる「李恩恵」捜しに日本中が狂奔している渦中で、この反北朝鮮ムードを追い風に、国会答弁としては一歩踏み込んだものとなっているが、もはや”出し遅れの証文”といった感は拭えない。2002年8月、警視庁公安部は旅券法違反などの容疑で辛光洙の逮捕状を執ったが、「この程度だったら、背乗りということで、当時も(立件)出来たはずだと思うが」と、現職の警察官僚たちは当時の先輩たちの捜査姿勢に極めて批判的である。

 また、当時の捜査担当者らは「韓国の捜査協力を得て、日本に帰ってきたら、幹部が交替していた。もしこの拉致事件が正式に立件化されていたら、これを突破口に日本国内における北朝鮮スパイ人脈の解明が一気に進んだろう」「あの時ケジメをつけておけば87年の大韓機爆破事件などは起きなかっただろう」と、今も口を揃えて断言する。

 そして拉致事件の中心人物である辛は、2000年6月に平壌で開催された初の南北首脳会談の”見返り”として同年9月2日に「非転向長期囚」のひとりとして北朝鮮に”凱旋帰国”することになるが、日本警察の拉致捜査は辛光洙事件の立件失敗(85年)により、それ以降完全に隘路に入ってしまったことになる。
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重村本の「警察の捜査も冷たかった」という部分についてはより詳細に記述されています。
またNSPは極秘に捜査したのではなく、ICPOを経由して資料を提出すなどして、日韓の公安機関は捜査協力をしていた様子です。

辛光洙の捜査に件に関しては、両書を通じて日本側の事情により中途半端に終わったのかなという印象は拭えませんが、少なくとも韓国司法機関がめぐみさんのことを伏せて、辛光洙を起訴、死刑判決を下したとは考えられませんね。

日本の警察庁としてはいろいろと辛光洙事件では苦汁を飲まされていますので、「辛光洙」情報には必要以上に前のめりになってしまうかもしれません。

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2006年1月 8日 (日)

ぬくもりは裾野から伝わる~浦和署名活動

 ◆~浦和~◆
救う会埼玉を中心に、特定失踪者のご家族、田口八重子さんのご家族も参加してJR浦和駅前の街頭署名活動が行われました。参加者は20名ぐらいだったと思います。

埼玉では、以前の大宮から浦和に場所を移して、毎月一回、定期的に活動をなさっています。私がこの活動に初めて参加してから一年がたちます。最初に参加したときの感想は、正直言って、『埼玉は冷たいのかしら・・』というものでした。『我関せず』と、うつむいて通り過ぎる人が多かったのです。

ボランティアはほんとうに一生懸命なのに、立ち止まる人の少なさ(これは私の期待が大きすぎたからかもしれません)上野に比べると人々の視線が、冷たいように感じたのです。それでも、特定失踪者のご家族、ボランティアのみなさんは、一生懸命でした。私も、精一杯声を出しました。

振り返って一年、上田知事が参加してくださり、大きく署名の数が伸びたこともあります。でも、翌月には、もとの数に戻ってしまって、ちょっとがっかりしたこともあります。

しかし、今日、久しぶりに参加した署名活動は、違って見えました。署名活動が街になじんでいたのです。
定着ということはこれなんだと思いました。駅付近にいる方々の視線が違うのです。
埼玉の署名活動は、浦和の駅前にきちんと市民権を得ていました、確実に。

『あ、あの署名活動は、拉致被害者救出の為にいつもやっている、あの署名活動だな』『前回素通りしたから、今日は書いてあげよう』『ごめん、今日は忙しいから、この次ね』という声が、歩いている人の視線から感じ取れたのです。

頭を下げて、通り過ぎる人、『頑張ってください』と声をかけてくださる方、家族そろって署名してくださる方、ファーストフードの飲み物を片手に、署名してくれる、女子高校生。
『あなたと同じ年頃で、拉致されためぐみさんのために署名して!君に頼んでいるのよ』と声をかけた私を見つめて、『え、オレ?』と聞き返しながら、『めぐみさんは携帯だって、メールだってしらないのよ』と言う私のほうをみながら、署名してくれた、少しばかり茶髪の男子高校生二人組。

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増元正一さんが信じた日本とは、あなたのことですよ。国民の一人として、その責任を、せめて、一行の署名で果たしましょう。救いたいという願いを、署名として政府に届けましょう。。。失踪者の多い埼玉の県民として、上田知事と共に埼玉が拉致被害者救出の先頭に立とうではありませんか。。
一人一人の特定失踪者にも名前があり、それぞれの人生があり、夢があったんです。
家族に会いたい願いは、皆さんと同じです。どうかその思いを共にしましょう。
どうかお願いいたします。
----------------------------

つたない私の訴えでも、人々に響くようになっていました。
すべては、救う会埼玉と、川口の特定失踪者ご家族、田口さんご家族の努力のたまものです。継続は力を、正に知りました。

今日は、日本テレビのニュース報道ディレクターが取材に来ていました。『しおかぜ』の録音をテーマに佐々木悦子さんのお母様の活動を追われているそうです。佐々木さんのお母様は、高齢にもかかわらず、12月、日比谷の街頭でも、チラシを払っていく人の多い、寒い街で頑張っていらっしゃいました。生島さんも、新木さんも、他の失踪者ご家族も同じです。井上克美さんのお母様もきっと群馬で今日の活動を心配なさっていたでしょう。

そろそろ私たちが代わりになって差し上げるときだとも思います。

 ◆~上野~◆
同じ日、上野では、ひとりっきりの署名活動が行われていたそうです。忘れ物をした主催者が、戻るまで一人で署名を訴えていたAさんの心細さがよくわかります。でも、ここも継続は力です。心細そうなAさんに『頑張って!あきらめないで。必ず帰ってくるから。応援している人はたくさんいるから』と握手してくださった女性がいらしたそうです。
かけられる声に励まされ、ただただ、ご家族の代わりに頭を下げる姿が目に浮かびます。

昨日高英起さんは『金正日は日本の世論を一番怖がっている。』とおっしゃっていました。その世論を醸成するために、こうして裾野を広げれば、いざというときに日本中の大衆世論が味方をしてくれます。具体的には活動や、集会への参加者がひとりふたりと増えていくはずです。
私は、こういった地道な活動で、一人一人、拉致問題に関心を持つ裾野を広げていく活動の片隅にいます。被害者救出活動には、リーダーの取り組みを支える大衆世論の醸成と拡大が必要なはずだと私は信じています。

この掲示板は集会や署名活動といった現実の活動と、NETの中での言論、主張、声とを結びあわせて、救出のための総合力にしていく一助になれる場所でありたい。


 佐々木悦子さんのお母さん 


 田口八重子さんのお兄さん(本田さん)

  

  駅頭に掲げられたのぼり

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2006年1月 7日 (土)

青木直人著『拉致処分』のまとめ

『拉致処分』から中韓・米中・日中の絡み合い
蒼き星々掲示板より、安倍貞任さんの投稿から。

正月休みに「拉致処分」(青木直人著)を読みました。
中国専門家としてその立場から中朝、米中、日中、そして日朝という多国間の複雑な絡み合いを一つ一つの海外ニュースを集積して考察しています。

経済成長著しいといわれる中国も、東北三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)は北京、上海に大きく遅れを取っていて、この地域の再開発が中国政府の急務とされています。
この、東北三省はロシア、北朝鮮と国境を接し、それらの国を経て日本海へ通じています。
東北三省の成長には北朝鮮の正常安定、経済成長がどうしても必要であり、そのためには日朝国交樹立と日本から北朝鮮への経済復興資金の流入が、中国政府はのどから手が出るほど渇望していると、著者は指摘しています。

中国政府にとって日本人拉致事件などどうでもよく、中国の国益にとって日朝国交樹立と北朝鮮の復興が大きな関心事。
そうした思惑に対して、日本政府の現在の海外援助がどのような動きをしようとしているかを、アジア開発銀行に焦点を当てて解明しています。

以下は同書、第6章の中の

5 「対中ODA減少の肩代わりをするアジア開発銀行」と
6 「アジア開発銀行に『東北北朝鮮開発援助』セクション誕生」からの抜粋。


 ◆5 対中ODA減少の肩代わりをするアジア開発銀行
 アジア開発銀行(ADB)は北朝鮮への「人道援助」以上に、すでに北朝鮮プラス中国東北地方、それにロシアの極東、韓国など、6カ国協議の参加国が対象となる地域開発構想に前のめりである。

*アジア開発銀行と世界銀行は代表的な国際援助団体で、日本と米国が最大の出資国で(日本の出資比率はADBが16%)、日本は強い影響力を持っている。

東北アジア地域に、今後膨大なインフラ開発支援を予定している。これはもちろん北朝鮮への2カ国支援とはまったく別の援助になる。繰り返すが拉致問題は未解決なまま、援助へのシフト体制だけは着々と進んでいるのだ。国民はこうした事実をまったく知らない。

 政府開発援助(ODA)が私たち国民の血税であるように、日本政府がこれまでADBに対して行った膨大な財政支援の出所は日本国民の税金や財政投融資なのである。そればかりかADBの総裁ポストは創設以来一貫して日本の財務省(旧・大蔵省)の高官が就任している。財務省の植民地というのが霞ヶ関の陰の声なのだ。

 2003年末現在でADBの通常資本財源(応募済み資本ベース)520億ドルのうち、日本の出資額は82億ドル(9020億円、1ドル=110円計算)で、これはシェアで15.8%を占め、米国と共に加盟国中第1位である。
 またこれとは別に内部にあるアジア開発基金201億ドルのうち、日本の拠出額は75億ドル(8250億円・シェア37.3%)で、これも加盟国中No.1の金額である。アジア開発基金というのはアジア各国の中でもバングラディシュなど最貧国を対象にした人道援助資金のことである。北朝鮮の崩壊寸前の経済状況を見れば、日朝平壌宣言にある「国際機関からの人道援助」とは具体的にはこのADBのアジア開発基金を指すと思われる。

 そうなると北朝鮮には日本の円借款や無償援助に加えて、日本が最大の影響力を持つADBから最貧国への融資としてアジア開発基金からも支援が実行されるわけだ。当然ここにも日本人の血税と財政投融資が投じられるのである。

 ADBの融資で気になるのは、近年の中国向け融資の異常なまでの突出ぶりにある。しかも知れは日本政府が中国の経済成長を理由に、中国向けODA、なかでも90%を円借款を減らしはじめた2000年ごろを契機に急増しているのだ。つまり外務省主導のODAは減っているのだが、財務省が影響力を持つADBからの迂回融資は逆にうなぎのぼりなのである。

 具体的に数字をあげておくと(外務省主導の中国向け)円借款が2000年の2143億円をピークにして、03年度が967億円、04年度が859億円と一時の半分以下に縮小しているにもかかわらず、ADBの対中融資は今後、05年から07年までの3年間で毎年15億ドル(約1650億円)、年間で合計45億ドル(約4950億円)もの融資が決定している。毎年1650億円といえば、04年度の対中円借款のおおよそ2倍にあたる数字である。

ADBは日本の財務省が牛耳っている国際団体で、油脂の可否はすべて財務省から出向している日本人総裁の裁量に任されている。だがこれでは円借款削減の補填としてADBの支援がが行われていていると非難されてもやむを得まい。

*木を見て森を見ず、とはまさにこのこと。外務省主導のODA、対中円借款が減って喜んでいられるのもつかの間、対中援助は裏では継続しているし、さらには対北援助がひそかに、財務省を舞台に行われようとしている可能性が強い。

 融資の金額だけが問題なのではない。中味も大問題なのだ。外務省がすでに豊かになった中国には必要ない、自助努力でやってほしいと言う内陸の道路や鉄道など交通インフラに膨大な援助が実施されているのだ。外務省の対中ODAの供与額を見ていくと、2000年を境に、金額が減少し、しかも内陸地域の道路など社会的インフラに対する援助が姿を消している。これに代わって教育や医療、環境対策の案件が増えているのが実情だ。これは経済成長を続ける沿岸部がその富で貧しい内陸を支援するべきで、交通関連のプロジェクトは自助努力でやってほしいという考えからきている。確かに宇宙に有人衛星まで飛ばす実績を持つ中国なら自分のことは自分で解決すべきであり、国際機関からの援助はあくまで人道支援の範囲にとどめるべきだろう。それが日本国民の感覚でもある。

 だが奇妙なことに、同じ日本政府の役所の財務省高官が最高ポストについているADBではそうした日本政府の近年の中国戦略理念に逆らうように、インフラ援助が増大中なのだ。

 このような中国内陸支援以外にADBが熱心に援助を続けているのがメコン開発である。正式にはメコン川流域開発計画(GMS)といい、1992年、ADBの主導で計画されたメコン川流域の地域開発計画を指す。対象国は流域周辺の中国、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムの6カ国である。

 GMSの事務局はADBの内部にあり、プロジェクト数は11。2012年には完成する予定だ。1992年からこれまで35億ドル(約3850億円)の投資が行われている。問題は中国がこの地域プロジェクトをASEAN(東南アジア諸国連合)との経済貿易協力の重点分野と位置づけていることだ。中国の狙いは自国の内陸開発と地域開発をリンクして、地域間の流通・交通ネットワークを拡大し、この地域を自由経済区にして、『中華南部経済圏構想』を実現する」ことにある。そのため、メコン開発大義名分にして、中国の貧しい南部の雲南省にADBからの融資で、最新の高速道路が建設される。具体的には雲南省の省都・昆明からラオスを経て、タイの首都・バンコクにいたるもので全長1800kmに及ぶ。「完成すれば、中国=ASEAN自由貿易圏建設のための主要道路になる」と『人民日報』の記事もその意味の大きさを伝えている。

 読者の方はこうした援助のカラクリがお分かりだろうか。日本の対中ODA、なかでも9割をしめる円借款は2008年度で終了する。そればかりか、今でもすでに中国の内陸にはインフラ整備のための円借款は供与されていない。だが、これが複数の関係国におよぶ「地域開発」プロジェクトとなると、事情は変わる。日本のカネがADBなど国際援助団体から「地域開発」の一環として中国の内陸の道路建設に投じられるのである。明らかにODA中止の補填行為と見るべきだろう。問題はメコン開発が中国・ASEAN経済統合のためのプロジェクトだったように、ADBのなかでひそかに中国東北経済圏構想支援の動きが始まっていることだ。


要約すると

・外務省の対中国援助(円借款)は減少している
・財務省の対中援助は地域開発を主眼に拡大している

こうしたことが現政権下で国民の批判を受けずに堂々と行われている、ということです。


  ◆6 アジア開発銀行に『東北北朝鮮開発援助』セクション誕生 

 2005年10月、実はADBのなかに東北北朝鮮開発援助を想定してあるセクションが誕生している。「地域経済統合室」という。

 実はこれは北朝鮮と日本や米国が正常化した後に、ODAによる北朝鮮支援とは別に、中国を含む東アジア経済圏構想にADBが援助を行うための布石なのである。

2005年9月、吉林省長春市で開かれた投資国際博覧会で中朝国境を中心にした「大豆満江開発計画」が合意された。参加国は中国、ロシア、韓国、北朝鮮、モンゴルの5カ国プラス日本である。先の中国、インドシナの開発が開発と表現されていることに注目してほしい。つまり「大豆満江開発」とは東北アジア版の「メコン開発計画」なのである。

 ADBはなぜここまで中国援助に前のめりになるのか。私(著者)はそもそも黒田東彦アジア開発銀行(ADB)総裁の中国間が問題なのではないかと思っている。黒田総裁は、「中国は覇権主義国ではない」と明言するほど、親中国官僚なのだ。しかし、東シナ海の中間線における中国側の不当な資源採掘、尖閣列島を巡る領有権問題、度重なる反日デモ、日本に向けられたミサイル、台湾に対する軍事的恫喝、16年間も毎年増え続ける軍事費と、挙げればきりがないくらい中国は周辺国との軋轢を生じさせている。中国を覇権国ではないと断定する根拠はどこにあるのだろうか。

 黒田見解とは反対に、政府部内では防衛庁はあきらかに中国の軍事的台頭を警戒し、そうした認識は『防衛白書』にも明記されている。先ごろ日本と米国の防衛関係者と外交関係者が確認した「2プラス2」の場でも、台湾に対する中国の軍事攻撃にどう対処するのかが確認されたばかりである。

私が黒田総裁に対して感じる危うさと違和感は、米国に対する日本外交の自立性の裏返しとして、安易に中国や北朝鮮との接近をはかる点にある。こうした財務省の金融マフィア勢力の姿勢と日朝国交正常化を画策した外務省の田中均氏らのイメージする「東アジア共同体」構想は、アジアシフトを強める財界の意向とも重なり合い、新革新官僚の外交理念ともなりつつある。そればかりか反米親中傾向をもつ一部メディアや学者、文化人の賛同まで獲得しつつある。


> 2005年10月、実はADBのなかに東北北朝鮮開発援助を想定してあるセクションが誕生している。「地域経済統合室」という。

第4回6カ国協議が合意した直後、すでに財務省が主導権を握っているアジア開発銀行では中国東北部・北朝鮮への援助を想定して担当機関が発足しているという日本政府・財務省の手回しのよさには恐れ入りますね。

表向き日中・日韓は靖国参拝を巡って冷え込んでいるとは言いますが(政冷経熱)、どうしてどうして中国が欲する大プロジェクト=東北三省・北朝鮮安定化という点について、日中両政府は、利害が一致しています。

ちなみに中国を動揺させたいと願うなら、歴史的に見ればこの東北三省(旧満州地域)をド突くことであることは、指摘するまでもありません。

靖国に目を奪われて、その影で親中の舵取りをしっかり取っている日本政府、小泉首相もお見逃しなく。
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よど号拉致事件を考える市民集会 藤沢速報

2006年1月7日、藤沢で行われた
よど号拉致事件を考える市民集会速報


有本さん夫妻
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高英起さん(映像ジャーナリスト)
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有本嘉代子さん

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荒木和博さん(特定失踪者問題調査会・代表)

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展示されたパネル
松木さん 石岡さん 有本さん 福留さん


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特定失踪者大澤孝司さんの兄大澤茂樹さんImgp0439















パネルディスカッションの模様

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パネルディスカッションの司会担当:救う会神奈川 川添会長

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藤沢集会(2005/1/7)川添友幸氏 開会

第13回藤沢集会1  

『川添友幸 神奈川救う会会長 開会の辞』

本当にあけましておめでとうございますと言いたい所なんですが、全く拉致問題が進展しない中でですね。
私、毎年毎年憂鬱な気分になるんですけども、今年こそはと年明け、感じるところです。
年明け早々からですね。
非常に拉致のいろいろ、実行犯の話が出てきたりですね。
うちの今回の集会の目玉にしています、よど号の犯人が帰国の方向で動き出しました。
こういう状況の中でこういう集会を行ってですね。
声を上げて拉致被害者の方を一日も早く救出する。
そういうことが必要なんじゃないかと思いますんで、本日はよろしくお願いします。

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藤沢集会(2005/1/7)有本明弘さん

第13回藤沢集会2
『有本明弘さんのお話』
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紹介にあずかりました、拉致された有本恵子の父親の有本明弘です。
よろしくお願いします。
今日は結構たくさんお集まりいただきまして、ありがとうございます。

私は今この会場に呼ばれて、言いたい事はたくさんあるんです。
たくさんあるんですけれども、日本の国ではいろんな情報が出てきていろんな戦術が出てきて、最近も出ましたように辛光洙の話も出てきました。

そういう中でどんな情報が出てきても日本の国が、どないも出来ないと言う現実が今日本の国に起こっているんです。
おそらく小泉さんがおる間は何も前進しない。
また、大変危険な状態が生まれてくる可能性もあるんじゃないか?と、そういうふうに思っておるんです。
そういう問題を大手の報道機関も伝えないし、またいろんな週刊誌・月刊誌でいろいろ物を書く人もありますが、そういう事に関しては真実を国民の前に言ってる、そういう人も私はおるように思っておりません。

今現在一番私が危惧しているのは去年ですか?
秘密外交をした政治家がおります。
ハッキリ名前も分かっておりますので、平沢(勝栄)さん、山崎(拓)さん。
このお二方が小泉さんの命を受けて、北朝鮮へ行って秘密外交をしました。
それでその秘密外交がマスコミにばれて、もう秘密外交じゃなくなってしまった。
そうした中で私は、マスコミにそんな秘密外交がばれた以上は、もう白紙に戻して行くべきではないと、そういう事も議連の総会で申し上げました。

議連の総会の平沼さんは、それより先に平沢さんが大連から帰国した時に議連に呼んで議連の役員3人で平沢さんに詰問したんです。
でまぁ、平沢さんはいろいろ弁明をしたらしい。
その中身を当事者である平沼さんにお会いした時、一部始終を聞きました。
どういうことかとこれを言いますと、大連から帰ってきたすぐに議連に呼んで3人の役員が、平沼さん、それと西村眞悟さん、松原(仁)さん、この3人が平沢さんにいろいろ質問をしていろいろしたらしいです。
いろいろな事を聞いた。
そして肝心な事を語る段になって、平沢さんは言葉を濁した。

そういう状況が生まれた時点でこの野党の先生方、このお二方「それやったら私らがおったら困るやろう」というので、部屋の外に出た。
そして平沼さんと平沢さんがサシで話をした。
そういう結果、かなりの所までは平沢さんは喋ったらしい。
そしてもうひとつ突っ込んだ話の答えは「山崎さんとの話もあるので、まぁこの辺で堪えてくれ」と。
まぁそういう話でそこまでは話し合った。
それで平沢さんは「議連に相談なしに、(大連に)行ったという事に関しては申し訳なかった」と、詫びたとそういうふうに話を聞いております。

そしてこれが小泉訪朝につながるんですが、平沼さんはその時点で5人の子供だけを連れて帰るという情報が多分入っとんだと思います。
だから平沼さんの声明文は「5人の子供を連れて帰るだけであれば、行くべきでない」と「代わりの人が行けば良い」と「代わりの人がおらなんだら私が行きましょう」と、そこまでの声明文を出したんです。
にも拘らず小泉さんは行く決心を翻されなくって、行くと決まった時点で平沼さんは面会を申し込んだ。
その時点で、「15分だけなら会う」と、そういう返事があって15分だけ会うて話をしたらしいです。
まぁそれで結果5人の子供は連れて帰りました。

そうした中で・・・これちょっと聞こえが悪いなぁ。(マイクの調子が悪いのを指摘、会場から笑い声)
え~、どこまで言ったか分からんようになってしもた。(更に笑い声 マイクを新しい物と交換)
そうした中で家族は小泉さんが帰って来た時に、家族の言い分をですよ?
家族の言い分を小泉さんにぶつけたんです。
当然でしょ?
死んだと言われている者の事を言うてくれたんか?と言う話をまず家族はしたんです。

それを官邸記者クラブは逆手にとって、「小泉さんに家族は文句を言うた」と、そういうような流し方をしたんです。
その官邸記者クラブは!
これで状況は一辺に変わってしまった。
話の分かっている人は私たちに味方をしてくれて、いろいろ言って来ました。
「小泉さんが5人の子供を連れて帰って来た、良かった良かった」というマスコミの報道を真に受けた人は、いろいろ我々に文句を言うて来た。
「言い過ぎや」とか。
これが当時の実際の話なんです。
これで皆さんがお分かりになったと思います。

これは家族がその当時会見した時、最初を頭取りして皆マスコミは外に出るんです。
それを最後まで映像を撮った。
そしてああいう放送をした。
官邸記者クラブ、これ20社か30社あるんです。
だからそういう事がおかしいと思う人も中にはおって、「あれは官邸サイドから最後まで撮れ」と言う指令があったからああいうふうに最後まで撮ったんだと。
そこで情報を流してくれた。
これでもう全て分かってしまったんです、我々を。
官邸サイドが官邸記者クラブを自分の意のままに動かした。
これ明白なんです。
こんな事があって良いんですか?

朝日新聞なんかは、安倍(晋三)さん・中川(昭一)さんを標的にしてNHKを呼びつけたと、そこであそこまでの問題が起こったんです。
官邸記者クラブの中には朝日新聞もおるはずなんです。
なんでそこまで、官邸記者クラブに圧力をかけたのは誰や?と、そこまで言わはるのか。
こんな、皆様聞いたらこれはおかしいと思うような事も我々の眼前で行われてきた。
皆様はそれの偽った報道でそれを信じて、「5人の子供を小泉さんが連れて帰ってきた、小泉さんはようやった」と、そういうふうな風潮で今日本の国民の世論は思っておられる方も、半々くらいはあるんじゃないかと思います。

これは第一点。
私たちはこれは皆さん何百人の方にじゃなくて、全国放送に乗せる。
そのメディアが私たちを取り上げて喋らす。
それが日本の国の開かれたマスコミの姿でなければいかんのです。
だからこういう事もこの場に来られた皆さん方は知っておいて頂きたい。

それともう一つ、これも大きな問題があって小泉さんの盟友であって秘密外交をした山崎拓さん。
この山崎拓さんの出身地が九州・福岡と思います。
で、この福岡で山崎拓さんがどういうことを喋っているのか?
これは去年の話になるんですが、「来年に小泉さんの3回目の訪朝はあるかも分からない、それは5分5分だ」と。
そういうような発言をしました。
これは週刊誌がすっぱ抜いてそういう短い文面だけを流した。

その事に引き続いて、また政府間では2兆円余りの金を北朝鮮の過去の植民地時代の償いと、そういう約束で払うと。
そういう話も水面下では出来ているんだと。
そこまで自分らの支持者に喋っている人がいると。
この情報は九州の地方議員の会の人が「そういうことを喋ってるんやでぇ」というような事を私たちに情報として入れてくれた。
何で今この山崎拓さんがそういうことを地元で喋って、3回目の訪朝を匂わせているのか?
それは非常に危険な話であって、今小泉さんが言ってる「自分の任期の間に国交正常化しようじゃないか」と、こう言ってる。
これは明らかに日本の国の皆さん方、また我が国のメディアの皆さん、政治家の皆さん、日本の国に住んでる人は皆ご存知のはずなんです。

この今の時期に国交正常化、誰が考えてもおかしい話で、6者協議今やってます。
アメリカ1者が孤立してもうとるんですよ、今。
日本も当てにならんのですよ、これ、国交正常化と言う限りにおいては。
もうアメリカと一緒に下手に障れないんですわ。
アメリカの方針が決まっとるか決まってないか、あの国に譲歩するはずはない。
アメリカがまだ話の入り口であるにも拘らず、小泉さんは「国交正常化や」と叫んでそのような動きを水面下で起している。
これが我が国の与党・自民党の総裁なんです。

これに対して我が国で異議を唱える政治家はおるんですか?これ?
もう大分前からの声やから。
政治家は与党・野党、これを黙認している。
それにこの国の大手マスコミ、いろんな物書きをする人たちもおる。
これらがこの問題に関しては全然言葉を触れない。
これが我が国の今の現状なんです、これ。
これを誰が解決するのか?
考えてください。

事実を国民に知らす、これが一番大事なことなんです。
私が何百人の人の前でこんな事一生喋っても、何万人十万人くらいの人が聞いて貰えるのがせいぜいやと思います。
私も今年もう80なんです。
これが今我が国の実情なんです。
これを打破するしかないんです。
だから私は小泉さんは・・・(聞き取れず)言わずとも、出来るだけ早い時期に引退願いたいと。
辞めていただきたいと。
2回目の外交、これおかしい。
平沼さんの議連の総会に呼ばれた時点で、もうそういうふうに申し上げているんです。
5人の子供を連れて帰るだけならば、それを花道にして政治の世界を去って貰いたいと。
そういうふうに自民党本部で申し上げました。

なぜ言ったか?
やってはならない事、総理大臣としてやってはならない事をやって帰って来たんやから、それを花道に引退したら国民の皆様は何も分からないから、「小泉さんようやった」と。
「小泉さんでなければ出来ない事をようやってくれた」と、国民に惜しまれて政治の世界を去ることが出来るんです。
そういう意味を込めてそういう発言をしました。
だから前言ったように小泉さんがどういう人か?
もう、日本の国の総理総裁としてはとてもではないが、日本全国から大きな声が出て引退して貰うしかないんじゃないかと、そういうふうに思ってます。

なぜなら自民党、日米同盟を一番重視しているのがあの自民党なんです。
これの総裁が、核とミサイルの話がまだ話の入り口付近でアメリカがどないに転ぶか分からない。
話がこじれたらもう核施設を攻撃だと、そこまで言う可能性もあるんです、これ。
にも拘らず、小泉さんがこういう国民の目の前でこういう作業をとって、誰もこれに異議を唱えない。
こんなおかしな現状が今日本の国に生まれているんです。
私は一番これを危惧しているんです。
そういうことを皆さん、これは嘘じゃないですよ?
だからこれに意義があったら私のところへ然るべき人が文句言うて来てくれたら良いんです。
おそらく理由を持ち込んで私たちに、まぁ私にだね、私がこれを喋りよるんだから。
私にそういうことを言うて来る先生方はまぁおらない。

だから私は今日本の国には、戦後60年間、この60年間の歴史の流れを変える一遇の良いチャンスが巡ってきているな、そういうふうに思っているんです。
だから私は北朝鮮に強硬な姿勢を強めている安倍晋三さん、中川(昭一 農水省大臣)さん、それに今自民党から席を外しておりますが、平沼さんのグループ。
この人たちが政権を担ってやって貰う。
これしかないんじゃないか?と思ってるんです。
なぜならあの平沼さんのグループは、「金正日の政権の崩壊も視野に入れて運動をする」というような一説が、その会の中にあるんです。
ならもう、この人たちに任すしかないんです。

だから日本の与党・野党の先生方、北朝鮮に厳しくやるんだという先生方の勢力を結集して、この人たちが政権を担っていく。
それも国民の前でこの「朝鮮の問題が片付くまでやります」と、そういうような条件を入れて、そういう私は日本の国を背負ってくれる。
そういう事を私は期待して、またそういういふうになるように私なりに努力してやって行こうと思っております。
今後とも、そういうような国、国情になるように皆さん方もお考えになって、また行動して頂きたい。
そういうお話をすると、「私たちは今署名活動だけしかしていないんです、私たちに何が出来るんですか?」と言う質問もあります。

だから私は言うんです。
この政権と一緒に手を携えてず~っとやって来たのが我が国の公共放送であるNHKなんです。
今NHKには3分の1以上の人が抗議をして、その結果金は払わんと言うような状況が今生まれているんです。
だから我々の署名は今500万、500万台くらいは今集まっとるらしいです。
7年間8年間の運動のあれ。
でもこの中の2割くらい、あと100万150万くらいの人がNHKに抗議をしたらこのNHKは手を挙げてしまう。
真実を国民の前に知らすべきだと。
そういう運動を全国民がやった場合、日本の国は真実を知るんだから、これだけの会場の人ではなくて全国の国民が知るんだから、間違いなく日本の国は変わると思います。
これが私が皆様方に提案できる唯一つのお願いです。
ありがとうございました。(拍手)

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藤沢集会(2005/1/7)斉藤文代さん

第13回藤沢集会3  
『斉藤文代さんのお話』

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皆様、こんにちは。
私もなにか今日は藤沢の方に行かなければと言う気持ちで、昨日の夜は中々眠りにつけなくて。
また朝から主人の食事の支度をして、それで熊本の方から参りました。
松木薫の姉の斉藤文代です。
宜しくお願い致します。(拍手)

私の弟はスペインのマドリッドの方から、今度帰って来るであろうと言われているよど号犯の(田宮高麿の妻の)森(順子=よりこ)に拉致されたという事になっておりますけども。
よど号犯の事を考えたら本当に、私は本当に悔しくって毎日毎日それを考えたら病気になりそうなんですけども。
まだまだ私は毎日毎日いろいろな事で希望を持って頑張っております。
母も生きておりますし、まぁ父は亡くなりました。
でも父の分も私は一生懸命やっていけば、全部、今拉致されている家族が絶対に帰ってくるという気持ちで私も毎日行動しておりますけれども。

弟は私の8つ下なんですが、父は男の子が欲しくて欲しくて本当に期待してたんですね。
やっと出来た子なんです。
一番下の5番目に出来て。
もう母はそんなに、「もう私はいりません」と言う考えだったんですけども、父は男の子が何としても欲しいという事で、やっと出来た男の子で、そのときの母父の喜びと言うのは私たちは小さかったんですけど、その時の父の笑顔は今でも覚えておりいます。
本当に忘れられません。
「見なさい、男の子が出来たのよ」「みんなね弟だよ弟だよ」と父の顔が今でも浮かんで参ります。
でも父は平成2年に自宅の方で、母に手を差し伸べるようにして亡くなりました。

それも薫がいなくなりましてからもずい分と探し回って、仕事の合間。
仕事もしなければ私たち子供も育てなければなりませんので、仕事の合間を見まして東京に上京したり、いろんな所に外務省、いろんな所にお願いして探してくださいという事で。
父は頭がおかしくなっても本当に仕方が無いくらい、私はそうだと思いますけど。
一生懸命になってお願いに上がった、それは出来ない事で、出来なかったし。
また父が拉致されたと言う事を知って、今思えば父の気持ちも分からないで可哀想だったなぁと今でも思いますけれども。

でも今母が生きております、まだ。
何としてでも、病院に入院しておりますので、何としてでも薫また有本さん、めぐみちゃん、皆が帰って来ることを願いまして活動しておりますけど。
毎回毎回、年が明ける毎におめでとうございますって言葉が本当に言えないんです。
ここまで出てきて、また今年も解決出来なかったらどうしようって、お母さんが今年持つかなぁってそういう事しかない物ですから。
今の政治の内容を私たちは遠くの方で眺めたり、近寄って話を聞いたりしておりますが、拉致問題って日本の国・・・恥ずかしくないんだろうか?って私本当に思うんですよね。
政治家の方とお話していて、なぜこの問題解決ができないんだろう?って。
日本の国だけこんなことしてるんじゃないだろうか?と、本当に思います。

今日も飛行機の中でお隣に座られた方が、「あの、斉藤さん」って。
「なぜ日本がこれ解決できないんでしょうね?」って言うんですけど、私答え様が無くて。
それで、「郵政民営化より、拉致問題ですよね?」(拍手)って言って下さった事が嬉しくって。
「拉致問題を解決しなければ日本の恥ですよ」って、「僕はそう思いますよ」って。
「僕はいつもテレビなんかで拝見させていただいているけれど、じれったくってどうしたら良いか分からないし、でも国民は皆が応援しているという事だけは斉藤さん、覚えていてくださいね」
って言って下さったんですよ。

本当に私も有り難いですし、最後に飛行機降りる時もですね。
「本当に北朝鮮は(ミサイルを)飛ばしてきますか?」って聞くもんですから、「そんな事は絶対ありません、私はそんな事はしないって誓って言えます」って言ったんです。
そしたら、「あぁ、そうですよね、日本は何てだらしないんだろうね」って、「斉藤さん、またお会いしましょうね、頑張ってくださいね」って言って下さいました。

本当に私は皆さんのそういう気持ちで、毎日日々送らせていただいておりますけども、このような毎年毎年解決しないで、日本の国はこのままで終わらせられるんでしょうか?
これが解決しなければ、私は日本は駄目な国になってしまうと私は思っております。(拍手)
何としてでも、私の母にも会わせてあげたいと思っておりますし。
母は本当に、食事の時でも私時間のあるときは行くんですけど、皆様にお話すると可哀想でならないんですけど、母の・・・やっぱり話さずにはおられない可哀想な所もあるんですよね。

私の名前は忘れているんですけども、薫の事だけはいつも覚えていて、「ペンを貸していただけませんか?」っていうもんですから、私はノートとペンを出してやるんですよ。
そしたら、「何するの?」って言ったら、ペンを握って、今日持って来れば良かったんですけれども、「薫」って・・・(涙で言葉を詰まらせる)
それもこういう・・・それで「会いたい」って書いてあるんです。
で・・・最後に・・・「スナヨ」って書くんですけどね。
本当にもう・・・何を・・・政府はこんなに弟を・・・30年も26年もほったらかしにして、これで日本の国は良いんだろうか?って私本当に涙がこぼれます。(終始涙で声を詰まらせながらのお話)
可哀想で。
でもご飯を食べながらでも一生懸命生きようとする。
食べたくないといっても何としてでも食べさせて、必ず生きさせて、薫に会わせなければいけないという気持ちで私も看病しておりますので、「ご飯も一生懸命食べてね」って「必ず帰ってくるから」って毎日言っております。

ですから、本当に骨の件でも私は2度も骨を持たされました、うちの家族は。
私はそういうことでは絶対に負けないという気持ちがありますから、橋本先生にも、それを鑑定してくださった先生にも本当に良くして頂き。
あの、(骨の)良い所をちゃんとして鑑定して頂いたので、他人の物と言うのが分かりましたので。
私は何度突きつけられても本人の骨で無い限りは私は認めるわけには行きませんので、何としてでも薫達が帰ってくるまで私は頑張り通して、皆様のお力を借りして。
本当に私は無力なんです。
何にも出来ない、毎日毎日、どうしたら良いんだろう?と思っております。

そういう事で挫けていたら、今日は有本のお父さんのお話を聞いていて、私の父が生きていたら同じ事を言ってたんだな、と。
有本のお父さんの言うとおりだな、と思って聞いておりました。
だから私はより以上頑張って、少しでも皆さんが帰ってこれれば、本当にまた笑顔も、家族会の方々の少しの笑顔でも出てくればこれに越した事はないと思っておりますので。
全員帰って来ることが、それが一番望ましい事ですけども、例え何人でもという、私はいつもそういう気持ちでおります。
皆さん本当に何人かでも帰って来れますように、これからもずっと私たちの家族をこんなに泣かせるようなこと、日本政府にさせないように支えになってください。
私たちも一生懸命頑張りますのでどうぞ宜しくお願い致します。(拍手)

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藤沢集会(2005/1/7)荒木和博氏【1】

特定失踪者調査会 代表荒木和博氏

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ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は、正月から、たくさんの方、おいでいただきまして本当にありがとうございます。
限られた時間でございますので、できるだけ簡潔にお話をしたいと思いますが。

おそらくここにおいでのみなさん多くの方が非常に関心を持っていらっしゃるのがこの年末年始に流れました、あの横田めぐみさんや地村さんの事件の実行犯の問題ではなかろうかと思います。

結論から申します。
あのニュースはすべてウソです


(会場から『え?』)

あの横田めぐみさんや、地村さんをやったのは辛光洙ではありません。違います。

辛光洙はあの事件の頃は、北朝鮮に戻っております。それは彼を捕まえた後の韓国の1985年11月にですね--
2月に捕まえまして、11月にソウルの地裁で、判決が出ておりまして、その判決文の中に、彼が生まれてからどういう風に行動していったかと、工作員になってから、どういうふうに、どっから日本に上陸して、そしてまた北に戻って、また来て、どういうふうに誰と接触して行動していったかということが、書いてございます。その中には1977年1978年のあの時期は北朝鮮に戻って、教育を受けている時期でございまして、日本にはおりません。抜け出して拉致をしたと言うことはあり得ないわけでございまして、あの報道自体が、(もともとそれを確認する前からおかしいと思ったんですが)やはり明らかに、意図的なウソであろうと、言う風に思います。

韓国政府の関係者の知り合いにも聞いてみましたけれども、まぁその彼も『自分の名誉にかけてそんな地裁の判決が、そんなところで大嘘をつくことはあり得ない』と、言うふうに言っておりました。

で、そうするといったい何でこんな事が出てくるんだと言うことに当然なるわけですね。

あの年末の話は、辛光洙(シン・ガンス)と朴(パク)といわれる西新井事件というですね、いろんな日本人に成り代わって工作活動をやったとされる、工作員の二人が主役として出てきたわけでありまして『それくらいしか、北朝の工作員はいないのか』と、当然あの時ですね、不思議に思うわけですね。

拉致は、相当の数、今、日本政府が言っているだけで16人ですから、実際、まぁ遙かに多い数の拉致が行われているわけでありまして、それをですね、一人や二人でやるなんて事はあり得ない。
あの調子ででてればですね、そこのポスターにある450人全部辛光洙がやったという話になってもおかしくないわけでございます。

何でこんな事になるのかと。
あのニュースがでたのは、だいたい『7時のNHKのニュース』です。

今日もちょっと有本さんのお父さん、NHKの批判をされましたが、いつもは、有本さんのお父さん、NHKの批判をすると、私の方はですね『そんなきついこと言わないで、穏便にしましょうよ』となだめるんですが、やはりあそこから話がどうも始まっているのではないかと思われます。

あのニュースを受けて、各社が動き始めると。で、そして翌日には、各社一面トップとか大々的に乗っかるわけでございます。で、しかし、実際には、しゃべったと言われる人たちはですね、直接の取材を受けない訳なんですよ。
これは9.17のあと、10月15日に帰ってきてから、ずーと同じ状態なんですが、あの時は異常に特殊な状況であったと。最初帰ってきたときは、なんとか彼らを北に戻さないようにしなければいけない。そしてその後は、家族がまだ残っているから、と言うことがあってですね、我々、あの当時、私は救う会の事務局長でしたが、報道規制をしていただかなければいけなかった。で、しかしもう家族が帰ってきたわけですが、その報道規制の状態、未だに続いています。

もし、あの時(年末年始の報道の時)NHKが放送したと。それで、当然各社の拉致の担当記者さんは、本当であれば、普通であれば、蓮池さんに電話をかけて、あるいは柏崎や、小浜にすっ飛んでいって、『これいったいどういう事なんですか』と言う風に聞くわけですね。それに対して、『いや、これは事実関係はこうなんだ』というふうに答えるはずなんですが、ところがそれが全くできない。

そうすると、あと聞けるのは、それを聞いたはずである家族会の方々とか、そういうことになってくる。しかし、それもですね、家族会の方からすれば、そういうことを言われたという事実はたとえ有ったとしても、それが事実であるかの、もちろん確認はできない。 確認はできないけれど、一社が抜かれてしまったら、他の社もですね、そういうふうに動かざるを得ない。そういう状態だと、もしたとえば他にリークが行われれば、それにのもうすぐに飛びつくという状態が、作られてしまっています。

この状態はですね、考えてみると去年の7月ぐらいですか、あの蓮池さんが、太陽里(ちゅんちょんり)、住んでいたところの地図かなんかとかが出てきて、ここでこうしてとか言う、話が出ました。で、あのニュースの時も私非常に不思議に思ったんですが、あの時のNHKの報道はですね、『こうであることがわかった』という報道になっています。わかったはずがないです。裏がとれるはずがない。絶対に。

そういうことを、言っているという報道であればいいんですが、『わかった』と言うことになっている。
あの時は確かその後ですね、クローズアップ現代でも、この問題だけをやっていて、そこでもですね『こういう事がわかりました、という報道になっています。これはもう絶対におかしいです。

それを誰も確認ができない。たとえば安明進が、『ここはこうで、ここはこうで確かにそのとおりだ』 と言う話でもしたのであれば、しまいには別な、脱北者ですとかなんか、他の人でもいいですが、そういう事がでてくれば、確かにそういう可能性があると言うことになるかもしれませんが、そういうものは一切ない。ただ5人が証言をしたと。
それもその本人たちが証言したのではなくて、ただ伝聞で出てきたと言うことだけの話でございまして、これで事態が動くとしたら非常に怖いことでございます。

なんでこういう事が起きているかと。
可能性として一つあるのはですね、日本と北朝鮮の間で(ま、今有本さんがいろんな取引やなんかの話をされましたが)もうすでにある程度のですね、落としどころが決まっている可能性がある。

それはどこかと言うと、この事件をやったのはみんな辛光洙と朴なんだと言う話にしてしてしまおうとしてるのではないかと。

横田めぐみさんも、誰々さんも・・そのうちですね、下手すると、よど号グループのことも隠したいと思ったらですね、有本恵子さんも辛光洙がやりましたという話が出てきてしまうかもしれません。もう、そういうようなことをして、ともかく『あれ(辛光洙と朴)だけがやったんだ』ということで他のものを全部押さえてしまうと。

そこで、北朝鮮側とすれば、調べてみましょうかとたとえば、日本側に回答して、朴というのは確かにいたけれども、もうとっくに死んでしまったといってですね、もう記録も残っていない。
それから辛光洙は確かにいるけれども、もう高齢だから、北朝鮮から出すことはできない、もし日本から来たらば、ちょっとぐらい会わせてあげてもいい。まぁ30分ぐらいおざなりに会わせて、あとはちょっと体調が悪いからと言って隠してしまう。もう何もしゃべらないと言うことは十分に考えられますね。
へたしたら、北朝鮮のことですから、『いや、これは辛光洙と朴の骨ですよ』と出してきても、これもおかしくないわけでございます。(会場笑い)

そういうような事に日本側でも、そこで話を一段落させて、そこで次ぎに進もうと。つまり、今、日朝交渉の中で、平行して、拉致の問題と、国交正常化の問題を別々にやっていくという話になっていますから、そういう中で『いた、拉致の問題は北朝鮮側、譲歩してきた』と。だから日朝(国交正常化)交渉の方も、進める必要があると。こっちょ、進めないと拉致の方も進まなくなると。そういう風な形にしていこうというのがですね、おそらくだいたいの可能性ではないだろうかなと。

ま、もう一つ考えられるのは、警察がそういうような動きに対してブレーキをかける為に出してリークしたという、そういう可能性もあるんですけれど、しかし、それにしては、この事実関係がですね、辛光洙がやったとか言う話というのは、あまりにも変な話でありまして、ちょっと警察がリークするとは思いにくい。

と言うことになれば、もっとその更に上の方で、ものは進んでいるのではないだろうかと言う感じがいたします。

そしてもう一つ言えば、拉致議連の幹事長である西村慎悟さんが逮捕されたのが11月の終わりで、そしてこのニュースが出始めたのは、西村さんが釈放された直後からと言うこともございます。

あの事件について、ま、いろんなことを、もちろん感じられている方、有ると思うんですが。あの政治家の弁護士で、非弁活動で捕まえようと思えば何人だって捕まえられるわけですね。あの西村さんが逮捕された直後になんかの番組で、福島瑞穂がでていて、このことが話題になった話があるそうですけれども。あの福島瑞穂さんって人なんかは当然西村慎悟みたいな一番嫌いなはずなんですが、青な顔して一言も言わなかったいうことでございまして、そういう風に思って、びくびくしている人はたくさんいると思います。その気になればいくらでも捕まえられると思うのですが、一切そんな動きはない。

おそらく、あの逮捕の目的というのは、西村慎悟からバッチをはずさせたいと。バッチをはずせば穏便に済ましてやると言うようなことではなかったかと。ま、本人とそこまで話したわけではないのですが、私の推測にすぎませんが、どうもそういう感じがします。

そういうものすべてが、今何か動いているというふうに考えた方がいいのではないだろうかと思います。これは、何もこれに始まったことではありません。

9.17の時はですね、9,17で北朝鮮が拉致を認めると。『拉致を認めたら、国交正常化交渉を動かす』と、おそらく日本側は言っていたわけです。で、認めたと。認めたら、逆に日本の世論が激昂してしまったと。そしてその次ぎにいったのが、『じゃぁ、生きてると言った5人を返してくれ、ともかく。ちょっと返してくれたら二週間ぐらいで戻す』と。
『そうしたら国交正常化を進める』と日本側言ったんですね。
でまぁ、北朝鮮側は『よし、わかった。こんどはほんとだな』と言って返したのが戻ってこないと。

ある意味でいうとですね、日本の外交の方がうまいのかもしれません。(会場軽い笑い)
北朝鮮をだまくらかしているといえないこともない。

この次ぎやったのはですね、『じゃぁ子供たちは残っているんだから、子供たちを返したら、そうしたら進めてやる 』と言う話になったけれども、子供たちとジェンキンスさんなんかは帰ってきたと。しかしやっぱり進まない。

あの、5.22の時に家族会バッシングということがありました。さきほど有本さんからお話がありましたけれど、あの時にですね、確か共同通信の世論調査だったと思いますが、小泉首相の訪朝を評価する声というのが確か68%ぐらいあったんですね。しかし第一次訪朝の時が86%ぐらいだったと思うので、それよりは低いんですが、まぁそれでも7割ぐらいの人が評価していた。しかしその一方で『これで拉致問題が終わったか』という質問に対してですね、確か8割以上の人が『終わっていない』と言う風に答えている。日本の世論はそう甘いものではないわけでございまして。

で、結局、子供たちが帰ってきても話は前に進まなかったと。

で、その次、その次というのは一昨年の11月になりますが、あの時私が思ったのは、北朝鮮がやる方法はおそらくもう一つしか残っていないだろうと。それはですね、死んだと言っていない人たち、つまり政府が認定していない人の誰かを出してきて、そしてですね、『自分の意志で行きました。今、日本に帰ることは、都合でできません』と。『ただし、自分としては両親に会いたい』と。『だから、お父さん、お母さんもし平壌に来てくれれば会います。早く国交正常化が実現して自由に行き来できるようになればいいと思います』ということを言わせようとしていたのではないかと言う感じがしています。

(続く)
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藤沢集会(2005/1/7)荒木和博氏【2】

 原良一さんにお手伝いいただきました。

ところがあの時は、それができなかった。この間帰ってきた北川和美っていう変な女(嗤笑)おりましたが、あの彼女が、どうも目的としては、その要員として使おうとして連れてきたという話しでございます。つまり「自分の意思で行った」と。「私自分の意思で行きました」。鴨緑江で飛び込んだという話も多分ウソじゃないかと言われるのですが。自分で行った、あれもう既に荷物先に送ってあるわけですから(ウス笑)。

 そういうふうに出てきて、「私自分で行きました」と言えば、ちょっとこっち(日本)にいる北朝鮮シンパの方、国交「正常化」を進めようとしている人間が、「ほら見ろ、北朝鮮は折れてきてるじゃないか。あれ(北川某)はたまたま自分の意思で行った人だけども、こういうことはちゃんと信頼関係を作れば、そうしたら次に今度は死んだと言ってる人のことまで進んでいくかもしれない」という世論が作れる。

 それからもう一つは「いや北朝鮮に行った人も、やっぱり自分の意思で行った人もあるんじゃないか?」あるいは向こうでいい暮らしをして、帰りたくないと思ってるんじゃないか? ということを流していくと。それによってこちら側の行動にブレーキをかける。あるいは経済制裁とかですね、そういうのにブレーキをかける、としたのではないだろうかと思います。

 私は、あの時はもうあれしかないと思ってました。しかしそれに対して北朝鮮側がやってきたのは、何やったかというと、あの「遺骨」でございます。それ(荒木氏の予想した策略)ができなかった最大の理由はおそらく、金正日に9.17の時ほどの力がもう残っていないということなんだろうと思います。工作機関の中に手を突っ込んで、拉致した人間を引っ張り出してくるとか、あるいはそれ以外でも工作機関が関与した拉致被害者をですね、たとえ日本政府が認めていなくても出していくというのは、相当なリスクを伴うわけで、実際曾我さんの件ではですね、やったらば逆効果になっちゃったわけですね。

 そうすると、出してくるのはかなりの力を使わなきゃいけない。それが金正日にはおそらくできなかった、ということであろうと思います。

 そしてその「遺骨」、この時はおそらくちゃんとした合意ではなかったのでしょうけど、日本の中の誰かが、「どうせ鑑定なんかできないから、出してこい」と言ったのかもしれません。そうしたらば(遺骨はめぐみさんではないという)鑑定ができてしまった。で、話しが違うということに向こう(北朝鮮)としてはなって相当頭にきた、ということであろう。

 そうすると、その後やってきていること、今やってることもおそらく、そういう意味での落とし所を作りたいということに、それも北朝鮮側だけでなく、日本側だけでなく両方が既にある程度の合意が行われていると、思った方がいいのではないかと思います。

 ですから、今の流れているニュースをそのまま真に受けていますと、その方向へみんなどうしても流れていきます。非常に危険なことですので、ともかくここにおられる皆さんが、おかしいということは、しっかり思っていただきたいと。

 元々北朝鮮とは、ウソをつくことなんてのは、悪いとも何とも思っておりません。

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

でありまして(爆笑)、
北朝鮮の「労働新聞」なんて、正しいのは日付くらいでありまして(笑)、
まあ今日のこの集会のテーマから言いますと、まあ

「嘘つきはよど号の始まり」

ということも言えるわけでございます。

 よど号グループも、後ほど有本さんのお母さんが、よど号の一人(赤木史郎)と話しをしたことを言われるかもしれませんが、まったく有本恵子さんの拉致を知らないと、言ってるわけですね。知らないはずがないということは、もう誰もわかっているわけでありまして、それを敢えて知らないと言うことは、彼らの言ってることもすべてはウソだ、ということの証拠でございます。

 ところが、日本人というのはマジメですから、もっともらしい顔をしてウソを吐かれると、ひょっとしたら本当のことが入ってるんじゃないかなと、思ってしまうわけなんですね。これが間違いで、そういう人でない場合には、そういう対応をせざるを得ないのではないだろうかと思います。

 そういう場合は、どういうふうにすればいいか? この会場で前にも言ったかもしれませんが、北朝鮮のやり方のウソの吐きかたというのは、わたくしは「試験問題戦術」という言い方をしますが、ともかくいい加減は試験問題を出して、ぶつけてくる。で、こちら(日本)側で交渉に当たる人というのは、だいたい非常に頭のいい学校の成績が良くて、東大をトップで卒業したような人たちが当たるわけですね。

 そうするとですね、試験問題というと無条件に解くものだというふうに頭にあるわけです。すると出てきた試験問題に、マス目に空白が空いていると、空いたままにしておくと、とても指が震えて禁断症状を起こしてしまう(ウス笑い)。そうすると、ともかく解答を書き込んじゃう。書き込んでいる間に相手は逃げていくわけです。

 しかしともかくマス目が空いていることは許せないということで、一生懸命マス目を埋めて、それから走っていって「ここは、こうおかしいじゃないか」と言って出す。そうするとまた向こうは、またいい加減な問題を作って渡してくる。こんな問題解いても仕方ないと思いながら、でも目の前にマス目があると埋めたくなってしまう。

 こういう交渉にあんまり頭のいい人使う必要はないですね。もうちょっと度胸があってですね、多少頭が悪い。試験問題を元々解けなかった人間を使ったほうが(笑い)、はるかに上手く行くわけでございます。

 北朝鮮という「国」相手に、まともな話し合いで信頼関係を作ろうなんてこと自体が、そもそも間違いなわけでございまして、金正日が代わってまともな政権ができりゃあ、その時はもちろんちゃんと話しをすればいんですけど、今のあの体制でまともに話し合いをしたって通じるわけがない。

 フツーのアメリカ人相手に、スワヒリ語(ケニヤやタンザニアなど東アフリカ地域で多用される言語)で話したって通じないわけですね。それと同じことです。北朝鮮相手に、普通の言葉で話しをしたって、朝鮮語で話そうが、何で話そうが通じない。「馬の耳に念仏」という言葉がありますけど、馬に言うことを聞かせるには、鞭でひっぱたくか、ニンジンをやるかどっちかぐらいしかない。

 そうすると北朝鮮に言うこと聞かせるには、経済制裁を初めとして圧力をかけることしか方法はない。実際に一昨年の前半、ですから3年前の(03年)12月の末ですか、平沢さんが中国(大連)へ行って、北朝鮮の日朝国交担当大使と会う。そしてその後4月に、山崎拓さんと平沢さんがまた行くと。あの時は、その後5.22の小泉第二次訪朝があるわけですけど、あの時一体北朝鮮はどうしていたかと。

 あの平沢‐山崎ルート以外にですね、あのレインボーブリッジ(小坂浩彰代表)という怪しげなNGOを使ったりとか、それから今の総理のですね、あの~(名前が思い出せない様子)腹の周りが120センチあるという秘書官(飯島勲首相秘書官)を使って、飯島秘書官と朝鮮総聯の大物の間とか、いろんなルートを使ってます。

 私、ちょっと見てて、何でそんなにあせるんだろうということを非常に思ってみていたんです。そこでわかったのが、結局あの時、経済制裁が怖くてしかたがなかったということです。あの前の年の暮れくらいから、経済制裁法案が具体化して決まっていく。次は発動だという話しになる。北朝鮮としては、何がなんでもそれを止めざるを得ないという状況に置かれていたわけでございます。

 そしてそういう状況の中で、なりふりかまわず日朝のルートを使っていった、というのが、1年半前の状況だったのではないか? その結果、小泉さんの第二次訪朝になった。そこに向かって、(帰国済みの拉致被害者)5人の家族の帰国最優先ということで行っていたので、そこでだいたい落としどころになっていったのだと思います。

 実際に5.22の小泉第二次訪朝で、北朝鮮は経済制裁は発動しないとか、あるいは在日朝鮮人に差別をしないとか、これは「差別をしない」というのは、つまり在日朝鮮人の個人、個人なんかどうでもいいんですね。北朝鮮からすれば、ただ収奪の対象でしかない。問題は、総聯に圧力をかけるのを止めたい、ということだけで、そのほとんどの目的をとりあえずは達成をしたということであります。

(続く)
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藤沢集会(2005/1/7)荒木和博氏【3】

Imgp0418_2

これ裏を返せば、いかに北朝鮮がそういう制裁を怖がっているかと言うことでございまして、ならば、こちら側からは、それををやるしか方法はないであろうと言う風に思っています。。

本当にひどい状況の国ではあります、そういう意味で言うと。
ただし、これはですね、さっき言ってきたように、9.17の時には、あくまで結果的ですよ、あくまで結果的ですけれども、あの田中均さんをはじめとする、福田康夫官房長官かわかりませんが、ともかく北朝鮮側にですね、『拉致を認めろ』と『拉致を認めたら、日朝交渉進めてやる』と言う風に言って、だまくらかして拉致を認めさせたと。
北朝鮮は、朝鮮戦争も自分からやったと言っていない。あれ、南から攻めたと言っています。
大韓航空機の爆破事件も、ラングーンのテロもみんな我々知らないと言っている。
その北朝鮮が拉致だけは認めたのです。

いかに意味があったかと言うことであります。

そのあとは5人だけ、ともかく生きてるんだからともかく返してこいと、そうしたら戻してやるからと言って戻さなかったと。
そして次には家族だけ帰してきたら、後は(国交正常化を)進めてやるといって進めなかった。
と言うことでございまして、今回も、うまくいけば、辛光洙から、なんか取って、ものは進めないということも、まぁ、うまくいけばできるかもしれません。乗せられてはいけませんが。

と言うことで考えると、日本という国は、もどかしいんです。もどかしいし、かなり個別の工作事件では、やられっぱなしではあるんですが、全体としては間違いなく、北朝鮮を押しています。これはですね、ご家族の皆さんにとっては、もちろん自分の家族を取られているですから、一分一秒でも(早く)という事がありますが、私にとっても、そうしなければいけないという思いはあるんですが、少なくとも全体から見れば、こちらが押しているのは間違いないのです。

アメリカはクリントンの政権の時は、逆行しようとしていたと。そのときに、結果的にですけれどブレーキをかけたのは日本であったと。日本だけが、ある意味で言うと、だんだん、だんだんに強行になって、そしてしかもその方針をかえていないということでございます。

ですから、このことが続いていけば、私はですね、どっかで大きな転換を持ってくることができるであろうと、確信をしております。

アメリカの私の友人に前に言われたんですけれど『とにかく日本はすごい』と。これはですね、『5人取り返してきた』と。『北朝鮮に拉致を認めさせて』『アメリカでは考えられない』 と言っておりました。ちょっとまぁ意外な話で、我々ちょっといろんなところでお話ししますと、アメリカだったら、軍艦を送っても取り返してくるだろうという言い方するんですが、、まぁ、その友人、共和党系の人なんですが、『いや、アメリカ、そんなことしないよ』と言っておりました。『日本ができたのがすごい』と言うことでございまして、これはですね、もちろん社交辞令もあるでしょうが、我々自信を持っていいんじゃないかと思います。

なんか戦前はですね(具体的にいつどこというのは知らないんですが)ソ連に漁船が拿捕されたときに、ウラジオストックかどこかに、連合艦隊の船が戦艦か何かが行ってですね、港に向けて砲身をそちらに向けたらですね、返してきたと言う話があるそうで、もちろん日本でもそういうことがあったわけであって、今でも、こういう風に取り返してきたということを考えるだけでも、やっぱりそれ(奪還)はできるのであろうと言う風に思っております。

問題は、我々がこれができるんだというふうに確信できるか、それともできないかという問題です。
お恥ずかしい話で有りますが私自身もですね、あの羽田空港を(3年前の10月15日にですね)あの5人がタラップの上から降りてくる時に下で待っていたうちの一人ですが、あのタラップを降りてきた5人を見てですね、一番最初に思ったことは、『なんだやりゃぁ、できるじゃないか』ということでございました。

自分自身、もちろんそれはできると思ってやってるんですよ。運動盛り上げて、そして政府を動かせばですね取り返せると確信をもってやっていた、私自身が、目の前に生身の階段を降りてくる5人を見たときに、最初に感じたのは『なんだ、やりゃぁ、できるじゃないか』ということでございます。実感というのは、こんなに大きなものなんだなぁと感じました。

やられてる、やられてるとばっかり、思っちゃうとですね、なかなか、イメージとして湧いてきませんが、『絶対できる』と確信を持てば、それはおそらくすごい力になると思います。

北朝鮮と日本と比べてですね、これはもう、人口で六分の一、面積は三分の一、そして、国力、経済力は、そういうものは全く話にならない。国際的信用から何からですね、日本と北朝鮮と比べる方が、無理があるわけでございます。

まぁ確かに向こうは軍人が100万人以上いると。人口の20人に一人が軍人という国ですが、そのおかげで、飯食えないで、軍隊の中でも、なんか豚小屋つくったりとかですね、鶏小屋作ったりして、何とか飯くっているという状態のところなんですから、どこから言ったって日本が、そこにですね、負けるわけがないわけでありまして。

我々の力で、絶対できるんだと、このアジアの中でですね、そういうことのできる国は、我が国しかないんだと。そういうことを考えることによって、事態は間違いなく前に進むと思います。

こないだ、12月22日の東京の集会にはですね、レバノンの拉致被害者のお母さん(ハイダールさん)、それからタイの拉致被害者のアノーチャさんのお兄さん、そして韓国の拉致被害者の家族会のみなさんが見えられました。

あれはどういう事を意味しているかと言いますと、別にそういう風に決めてるのではありませんが、日本の力でああいう人たちをみんな、取り戻してあげると言うことです。

我々、外国人だから、それは外国がやってくれということは、これは言えないわけでございまして、この地域にあって、最大の影響力持っている我が国がそれをやらなければ、タイが助けるなんて事は、まずできません。
レバノンだって、あの時の4人取り返したのだって、非常に特殊な条件の中の話であって、本当の意味で、(自国=レバノン)力で取り戻したわけではない。それができるのは我々しかありません。

それをやる使命も我々には持たされているということであろうというふうに思います。

私ども特定失踪者調査会では、去年の10月の末から『しおかぜ』と言う名前で短波のラジオ放送を始めました。
まちがいなく北朝鮮の中に伝わっているということは間違いございませんので、これから先、今年はですね、この『しおかぜ』のプロジェクトを、単に短波放送発信するだけではなくて、むこうから消息を実際取ってくるという作業をですね、やると言うことにいたしております。これを聞いた人がですね、なんだかの形で、たとえば手紙とか、そういうものを送ってくれるとか、何処かに向けて、なんかしらの、シグナルを送ってくれるとか、それを受け取ることができるようにしておこうと、これからやっていくつもりでございまして、とりあえず東京中央郵便局に私書箱をおきました。

調査会のあります文京区後楽・・・と言いましてもわかりやしませんけれども、東京中央郵便局の私書箱何号といえば、これはもう覚えられやすいと言うことで。
放送も韓国語・英語できれば中国語も含めて、少しでも多くの人が聞いてもらえるように、していこうと言う風に考えています。
ともかくやれる手はみんなやる。

我々のやっていることに対して、『これは本当は政府のやることなのに』と言ってくださる方も、たくさんございます。これもありがたいのですが、私は、少なくとも政府だけがやることではないと思います。やはり日本国民全部の責任としてですね、ここで今平和なところで暮らしている人間の責任として、それはやらなければならない。だから私は今その役割にいるんだからやるべき事、それをやるということでございます。

今、この問題を通して、我々やらなければいけない、考えておかなければならない事は、(この国は)今ここに集まっている皆さんをはじめとして、今この国の中に住んでいる人たちだけのものではないと言うことでございます。

この国が今ここにあるためにはですね、もう何千年も日本という国の名前もなかった頃から。我々の先輩たちが営々としてこの国を築いてくれた訳でございまして、そしてこれから先、このくににですね、次の生命がどんどん生まれて、我々の後を継いでいくわけであります。

我々がやるべきことはその中継ぎです。
全体の、そういうみんな含めた日本国民という意味では、我々の数、1億二千万というのはほんの僅かにすぎません。我々がやるべき事というのは、これまで先人が作って来てくれたことを汚さないこと。そしてこの次の世代にですね、あの頃の世代がいい加減だったから、こんなふうになってしまったということを絶対に言わせないように、次の世代にちゃんとした国を引き継いでいくことであろうと。

そのためには、やっぱりそれ相応のですね、我々自身が犠牲を払う必要があるのではないだろうかということでございます。
我々にはそれだけのことをする力がございます。

今、最初に言いましたようないろんな動きの中で動いておりますけれど、しかしこの国の今の状況をみますと、本当に確信を持ってですね、何が何でも(国交正常化を)やってやろうというところまでの確信では、私はないと思っています。いろんな思惑がごちゃごちゃ集まってるうちにこういう風になっているんだと思いますが、そうであれば、こういう状況の時に打開するのは、最終的着地点はどういうふうにするのかと。何を最後やらなければならないのかというような事でございまして。それをしっかりと見据えてやっていけばそんな大きな間違いはないであろうと思います。

拉致問題に関する限り、最終的な到達点というのは、『すべての拉致被害者を救出する』というこれ以外の何物でもないということでございまして。これはもう当然、そこから派生してですね、北朝鮮に住んでいる2000万の人たち、すべてが平和に暮らせるようになっていくということに間違いなく繋がることでございますので、そこに向かっていくと言うことであろうと思います。

本当に、この正月ですね、お休みの時、おいでいただいた皆様に感謝いたしますと共に、後もう少しで私は、それが実現すると思いますので、ご協力をお願いいたしまして私の話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。(拍手)
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藤沢集会(2005/1/7)高英起さん

Imgp0420 どうも、ただ今ご紹介に預かりました高と申します。

今私はですね、「救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク」RENKというNGOの東京事務局で活動をしていますが、RENKと言っても、ご存じでない方もおられると思いますので、若干簡単にRENKという組織、市民団体の紹介と、我々がいかに拉致問題、そしてよど号事件に関わってきたか、簡単に、時間もおしてきているようですのでお話ししたいと思います。

RENKの結成というのは、1993年に結成されました。93年に、RENKの代表の李 英和氏(リ・ヨンハ)という関西大学の教授をされている方なんですけれども、李 英和氏はテレビ、メディア等で発言をされているので、みなさんもご存じの方も多いと思います。91年に李 英和氏が北朝鮮に留学をしまして、そのときの体験を元に、北朝鮮がいかに民衆を弾圧して人権を無視しているかと言うことを日本の社会で広めようということで始まったNGOであります。

参考
 ◆救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク

 ◆RENK東京

毎年、93年に、RENKを始めたときに、北朝鮮はすぐ、きっと崩壊すると思っておりました。
ところがですね、残念ながら12年間、この間北朝鮮という体制が続いてですね、なかなか北朝鮮の人権問題、拉致問題も含めてですね、解決の道がまだ見えないというのは非常に残念ですけれども、今年こそは、何とか北朝鮮という金正日政権が崩壊して、北朝鮮の民衆、そして拉致された方々、全てが救出されることを願っております。

とは言いながらも、毎年ですね、年が明けるたびに、今年こそは、今年こそは、北朝鮮は倒れるだろうと言う風に言いまして、早くも13年間たってしまいましたけれども、先ほど荒木先生のお話もありましたように、何か膠着した状況も動いている中で、何か大きな動きがあるんじゃないかと思っております。

まずですね、よくRENKという立場でいろいろな北朝鮮問題を話をしているとですね、「RENKはなぜ拉致問題にあまり積極的でないんだ」というおしかりの言葉をよく受けることがあるんですけれども、決してそうではないんです。

RENKはですね、実は1995年当時から、よど号事件を通じて拉致問題というものをキャンペーンをしてきました。
まず、よど号、よど号グループとの関わりについて、若干話させていただきたいと思うんですけれども。
よど号とは僕、個人的な話になっちゃうんですけれども、すごく因縁を感じるんですけれども。

70年に彼らがハイジャックして北朝鮮にいっちゃったと。まぁ、その後20年間以上、20年間近く、80年代後半ぐらいまで、ほとんどその情報というのは入ってこなかったですね。

ところが、僕が、(1988年か89年だったと思うんですけれど)その当時、僕は朝鮮総連の傘下にある「朝鮮留学生同盟」というところに参加して活動していったんですけれども。
そこの事務所にですね、ある本がありました。本の著者は田宮高麿です。よど号グループのリーダーです。
本の題名は「わが思想の革命」だったと思います。確かサブタイトルがピョンヤン18年の手記だったと思います。
 
 参考
 ◆【わが思想の革命―ピョンヤン18年の手記】田宮 高麿 (著)

その本を見たときにですね、よど号グループという存在自体は知ってたんですけれども、どういう存在なのかというものに非常に興味がわきまして、その本を読み始めたんですね。その本が、ちょっと失礼な言い方をすれば、ちょっとおもしろかったんです。おもしろかったというのは、何も彼らの考え方は素晴らしかったとか、そういう言うことではなくて、ばからしかったんですよ、ほんとに。
その本には田宮高麿がいかに日本の革命運動の中で挫折して、北朝鮮で主体思想に目覚めていくかと言う課程を本人の手記という形で書かれているんですけれども。
結局書いていることは、北朝鮮の労働党とかの公式見解と全く変わらない形だし、いかに金日成がすばらしいとか、金正日さんが素晴らしとか、みなさんご存じの、主体思想が素晴らしいとか、そう言うことしか書いてないんです。

そういうふうに自分たちの考え方が変わっていく課程の中で、彼らは「総括」「自己批判」と言う言葉を使って、彼ら自分自身を高めていったという話なんですよね。

その「総括」「自己批判」がどういう自己批判かっていうと、彼らは北朝鮮に行って集団で生活をするわけなんですけれども、集団生活していたところが、二棟あったと。一棟は、北側にあって一棟は南側にあったと。毎朝体操をすると。
体操をする場所を巡って、本人たちが、えらい大げんかをして、それについて「総括」するわけなんですよね。(会場笑い)

「おまえら、こんなアホなことするために北朝鮮いったんか」ということでその時は大笑いしたんですけれども。

書いていることは、それはもちろん彼らは大まじめに書いているんですよ、やっぱり。彼らはそう言うことを通じて、自分たちの革命精神の甘さを克服していったというように自画自賛しているようなもんですけれども。

まぁ、その本を読んで、僕もわかったんですけれども、よど号自体が決して彼らが本当にイデオロギー的に、本当の革命を目指して北朝鮮に行ったかというと、やっぱりこれは僕も疑問に感じて、一言で言っちゃうと、<若気の至り>だったんじゃないかと思うんですよね。ただそれはそれで、決して僕は否定しないっていうか。それはそれで裁かれるべきことなんですけれども。

彼らが<若気の至り>で行っちゃったと。
思想的にも彼らは別に何も――もちろん彼らは日本の中で古典的なマルクス主義とかいわゆる古典的な本を読む中で彼らなりの理論を持っていたけれども、当然そんなものは北朝鮮では通用しないわけですから、そんな中で彼らが徐々に徐々に北朝鮮にすり寄っていく過程というものが、読み方を変えると、そういうことが克明に書かれているところが、私自身は、それがおもしろくて、こうやって人間というのは、洗脳されるんだなと思いました。

ただ読む中では、僕自身も怒りがこみ上げてきて、結局彼らが北朝鮮で生活できているのは、結局彼らを支えているのは北朝鮮の人民だったと言うことなんですね。

ご存知のように、ご存じの通り一般の北朝鮮の人民ほとんどの方は食糧もも満足に手に入らないし、住むところも満足に手に入らない、もちろん移動の自由もない中で、生活している中で、彼らは(もちろん日本に比べれば贅沢な暮らしはできなかったかもしれないけれども)一般の、普通の人の生活をしながら、自分たちの好き勝手に、しょうもない体操の場所をめぐって、「総括」をするような生活をしていたということに関しては、ちょっと聞きたい。一言で言えば<寄生虫>だと思ったんですよね。

そういうことがあったのでよど号に対する怒り、自分自身の苛立たしさというものがあったんですけれども、幸いなことに、その7年後、そのメンバーと直に出会う機会がありました。そのメンバーというのは柴田安弘さんです。

なぜ柴田さんと出会うことができたかというと、僕は関西の生まれで、(関西で)大学生活を送ってたんですけれども、もともと赤軍派というのは関西が強かったんです。
赤軍派にも、いろいろ、セクトといいまして、いろんな派があるんですけれども、全体的には赤軍派というのは非常に仲がよくてですね、わりと行動とか、いろんな運動とか一緒にやってることが多かったんですね。

その中で、赤軍派のあるグループというのがやはり、よど号を支援していました。
その支援していた中心人物が、高槻にある高愛病院という病院の院長の方だったんですけれども。そういうこともありましてですね、その院長の方が主催で、柴田康弘さんの話を聴くという講演会というものがありました。

そのときこれはもう千載一遇のチャンスだということで、ちょっとこれは柴田をとっちめてやろうということで、RENKのメンバー10人ぐらいで行ったんですね。
ところが講演会といっても、ほとんど内輪のメンバーばっかりで、きてるのは、5、6人しかいなかったんですね。RENKのメンバーの方が多かったんですね。(笑い)
ここで、我々が柴田を糾弾というか、あまりにも攻撃するのもちょっと申し訳ないなと思いながらも、柴田の話を聴いていたんですね。
ところが彼の話というものが、心がないというか、人間のかけらも感じないような話であることから、非常にわれわれの仲間もエキサイトしてですね、柴田に手は出しはしませんでしたけれど、かなり口で厳しいことをいいました。

基本的に彼の話を聴いていてびっくりしたのは、彼は「政治活動に興味がない」 と言い切ったんですね。じゃぁ、彼が何に興味があるかというと「自分はビジネスに興味があると」と。

 我々が、柴田さんと話をするときに、ひとつ期待したことがあったんですよ。たとえ間違っていたかもしれないけれど、少なくともあなた達は、日本の人民のために革命を起こさなければいけないと考えて北朝鮮に渡ったわけであるから、そういう、今の、自分たちのやってきたこと、20年間の総括ですよね、彼、特に総括です。それと今の日本、日本人に対する思いというのはどうなんだという、そこに少しでも人間性のかけらというか、人間性のある言葉というのを聴けるんじゃないかと期待したんですけれども、残念ながらそういう話は一切聞けませんでした。

彼らは――
もちろん北朝鮮に対していうことは、(北朝鮮の)公式見解とまったく一緒で、北朝鮮には飢餓もない、飢えも無い、もちろん人々は苦しいけれど、普通に生活している、そういうことしか言わないし。
じゃぁ、何であなたは日本に帰ってきたのか、と聞くと「自分は商売をしたいからだ、金儲けをしたいんだ」と、そういうことしか言わない。
そういうこともありましてですね我々は、かなりエキサイトしてですね、彼に厳しい言葉を浴びせかけてですね、最終的に最後に僕が、彼に言葉を一言投げかけたんです。

「あなたは16歳、(彼は16歳で北朝鮮にわたったと思いますけれど)、16歳という、本当に少年の時期に、北朝鮮に渡って、それから20年間(当時36歳だったんですけれども)つまり自分の人間形成の上で大半を北朝鮮で過ごしたわけですよね。ということは、貴方は今日本に来ていますが、いつか北朝鮮に帰りたいと思わないんですか」と。

彼は、はっきりと「(北朝鮮に)帰りたくない」と言ったんですよ。「えっ、どうしてですか?」「それだけ二十年間も北朝鮮で暮らしたと、ましてや貴方が言うように、北朝鮮は素晴らしい国だと言ったのに、どうしてですか?」と言ったら、「自分は日本人だから」と言うような言葉をきっぱりと、そういうことを言ったんですね。

もちろん、日本人であるから日本に帰りたいのは当然ですけれども、やはりそれは、彼らがやってきたことに対する、あまりにもドライな口調というものに、僕はちょっとあきれ果てて、「これは、これ以上言ってもちょっと無理かな」というふうに思いましてですね、柴田さんとの話し合い、講演は終わりました。

後日談がありましてですね、柴田さんは高槻というところの支援者を中心に生活されてたと思うんですけれども。高槻で我々RENKの若いメンバーだけで、ちょっと居酒屋で飲んでいたときに、飲んだくれてる柴田さんを見かけたんですね。
(こちらも)結構飲んでいたので、後輩のひとりが、「あれ柴田ちゃうの?」とかいうて、「あ、そうみたい、無視しよう、無視しよう」と僕はいってたんですけれど「ちょっと、けしからんから、ぼこぼこにしてきますわ」 とか一人が言い出しまして。
でもそれは、さすがに警察沙汰になるとやばいかなと思って、まぁ、それはかろうじて止めたんですけれど。今から考えるとですね、帰り際にでも頭を一発でもはたいたらよかったかな、とも思っています。
まぁそういう関連で、我々としては、拉致問題をよど号を通じて関わってきました。

まぁ、荒木さんのお話の中で、拉致問題今後の展開とか、いろいろあると思うんですけれども。
基本的に、我々RENKというものは、今は「北朝鮮の民主化」、もっと言うならば、「金正日労働党政権の打倒」というものをスローガンに掲げています。そのために、我々は今、脱北者の救援や支援、もしくは脱北者の情報とか、北朝鮮の内部情報とかを日本に広げるキャンペーンをしております。

先ほど言いましたように、決して拉致問題と言うものに関して、おろそかにしているわけではなくて、我々、基本的に拉致問題も、北朝鮮の難民問題もそうだし、もっと言うならば、北朝鮮の国内にいる北朝鮮の人々の人権弾圧の問題、全てがやっぱりひとつの(解決の)道に結びつくと思うんですけれども、その道というのは「金正日労働党政権の打倒」ということだと、こういうふうに思っています。

以前ちょこっとだけ、拉致問題の中ででお話ししたときに、僕はこういうふうに言ったんですね。
「難民もそうだし、民衆もそうだし、敵は金正日政権だと。拉致されている家族の方々、拉致されている人々の敵も金正日政権だと。敵は一緒なんだから、これは一緒に手を組んで戦うべきではないのか。」と。
それこそが、逆に言えば、金正日政権が怖がっていることではないかと、僕は思っております。

金正日政権というのは確かに、荒木さんが言ったように、話ができない、話しても無駄な政権ていうか、そう言う相手だと思うんですけれど、僕はやっぱり彼ら、彼らと言うより、金正日自身は、おそらく北朝鮮、韓国等含めてですね、周辺諸国の世論にというものを、非常にそれに関しては気にしてるというか、気にしてると思います。

僕は、常にですね、基本的に市民運動としてやってるわけでして、いろんな、政治的な、政治家に対する働きかけとかは、そういうことはもちろん否定はしないし、それはどんどんしなければならないんですけれども、自分たちのできることは、この北朝鮮の人権弾圧という状況をにいかに日本の中に広めていく中によって、日本社会の世論を高めていく事なんじゃないかと思っております。

さきほど、9.17以降、家族の方が、羽田に帰ってきたとき、荒木さんが「やれば、できるじゃないか」と思ったと言うことをおっしゃっていました。あの時僕自身も全くおなじ想いをその時、持ちました。

「あぁ、やっぱりこういうふうに世論が高まって、そういうふうに政治家を動かせば、こういったことは動くんだ」 と。

ただその後、膠着状態になる中で、結構みなさんの中には、「本当に、これで大丈夫なのかな」という不安感があると思うんですけれども、やはり僕は常に、この拉致問題を語るときに、人質を取られている家族というものが、一言で言えば腹くくってるわけじゃないですか?
普通そういう誘拐事件とかで人質を取られちゃったら、普通家族って言うものは、腰が引けちゃいますよね。ほんとに大丈夫なんだろうか?って。強硬姿勢をとることによって人質に何か起こるんじゃないかというふうに弱気になっちゃうこともあるんだと思うんですけれど。この間、やっぱり、拉致家族会のみなさんが、本当に腹をくくっていると言うことは、やはりそれに対して、我々は我々のやり方で、答えるべきじゃないかと思っております。

まぁ、RENKとしては、こういった感じで、いろんなところでお話しさせていただいているんですけれども、基本的には、先ほど言いましたように、北朝鮮の労働党政権の打倒と民主化を求めております。

拉致問題も含めて、全ての北朝鮮に関わる人権問題が一日でも早く、もっと言うなら何としてでも、今年中にはそれを解決できるような形で、今後も頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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藤沢集会(2005/1/7)出席議員紹介

第13回藤沢集会6
『出席議員の紹介』

★司会者

今日はですね、神奈川県内の地方議員の先生方が何人か駆けつけてくださいましたので、議員の先生方のご紹介をさせていただきます。

海老名市議会議員 太田祐介先生(拍手)
鎌倉市議会議員 松尾崇先生(拍手)
鎌倉市議会議員 原桂先生(拍手)
横浜市議会議員 工藤裕一郎先生(拍手) 工藤先生は所用があって(先に)帰られました。

それでは拉致被害者・有本恵子さんのお母さんでいらっしゃいます、有本嘉代子さん、よろしくお願いします。(拍手)

連携:話の花束

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藤沢集会(2005/1/7)有本嘉代子さん

『有本嘉代子さんのお話』Imgp0423_1

皆さんこんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
有本恵子の母でございます。
お正月のお休みの所、こんなにたくさん来ていただいてありがとうございます。
ちょっとかけさせて頂いてお話させていただきます。(用意された椅子に腰掛ける)

いろんな情報がこないだ内から出ていますけれども、今荒木先生からお話を聞いて納得いたしました。
そうだろうなという気がします。
北朝鮮の言う事はほとんどが嘘で固めてます。
だから私たちが9月17日、今思い出しましても残念と言う言葉しか出なかったんです。
一生懸命に9年間は、(北朝鮮から)手紙が来た事によりまして、1988年の9月の6日に来まして。
その事によりまして私たちが運動をすることが出来たんですが、家族はというより、主人と二人で、ほとんど主人が動いていたんですけれども。
本当にどこにお願いに行っても、どっこもキッチリ話を聞いて下さらなかった。
外務省も行きましたし、日弁連ですかね。
弁護士の会にも行きましたし、政治家の方にもお願いしましたし、どっこも本当にきちっと相手にして下さいませんでした。
そのときを思い出しますと、これは本当にどうすれば良いかと言う気持ちで、無我夢中で9年間は過ごしましたけれども。

横田さんのことが表に出まして1997年の3月に家族会を結成しました。
そのことによって、皆さんにも(拉致問題を)知って下さいましたし、私たちの運動もすることが出来るようになりました。
それからでも1997年ですから今年が06年ですから、もう9年目に入ってます。
でも、5人の方は帰って来られましたけれど、何にも、本当に私たちから見ましたら進展が無いんです。
あれはとにかく(一時帰国後、一旦北朝鮮に)返すという約束で5人は連れて帰ってきた。
向こうも5人を出したんでしょうけども、向こうにしたらすぐに帰ってくるという自信を持って、あの人たちを返したんだろうと思います。
これ、どういう人選だったかは分からないんですけども、この人だったら間違いが無いんじゃないかな?と言う人たちを返して来たんじゃないかと思うんです。

だから、未だに、本当にこれ申し訳ないんですけど、私らの気持ちとしたら、本当にもっと知っている事を家族だけに言うて貰って、これは絶対に口外しないで下さいと言われたら、私たちはしません。
だから、家族は一言でも向こうの事を聞いたら本当にいくらかは安心する点もありますので、何とか知ってる範囲の事は言って頂きたいなと思いますけども、未だに肝心な事は何も私たちは聞いておりません。
だから先ほど荒木先生が仰ったように、(辛光洙、朴工作員などの実行犯の)名前を本当にあの人たちが出したのであれば、どういう意図で出してきたのか分かりません。
本当にまだこの日本の国に、24年間向こうに自由を奪われて私だったら、うちの主人がいつも言うんですけども、本当にこんな事して酷い事してという気持ちが薄れてしまって、北朝鮮に馴染んでしまったのかな?と言う気持ちもするんですね。

だからそれをやはり言うて聞かすのは私は親だと思うんです。
やはり親たちが、私たちは一緒に運動したんですから、私たちはこんなに運動して来たんだから、あなた方は自分達の知ってる範囲の事は家族に言いなさいよ、って言うて下さったら何とかって思うんですけども。
そのところは家庭の中に入ってみないと、どうしてもあの人たちの気持ちが動かなくて言えないのか、そこの所分かりませんけども。
もう、これは何時の時期か聞ける事があるか。
それともこの間も主人がああいう調子ですから、地村さんのお父さんに言うたんですね。
「もしも私たちのこの家族の中で帰ってくることが出来て、その子がパッと本当の事をしゃべった場合は、あなた方の息子は向こうの方を向いて歩かれへんで」と言う事をパッと言うたんですよね。
だけど、余り向こうも被害者なんですから責める事は出来ませんけれども、私たちとしてはそういう思いはあります。

私とこの娘も丁度この1月12日が誕生日です。
で、46歳になります。(会場より「ほぉ~」と言う声)
だから23年間日本で暮らして、後の半分は北朝鮮で暮らしてしまいました。(嘉代子さん涙ぐむ)
Photo_25

涙を拭く明弘さん

横田めぐみさんの場合は13歳で(拉致されて)行って、41歳になられるんですね。
日本で暮らしたよりも長い時期を向こうで自由を束縛されて暮らしているんですね。
だからいつも思いますけど、まだ暑い時とか春とかは余り思わないんですよ。
この寒いときは本当に、「寒いのにどうしてるかな?」と言う思いがずっとしてます。

だけど何とかして助けてやりたいという気持ちと、日本人としてこういう問題はね。
捨てて置けないんですね。
これが私の子供でなくても、これは日本として自分の国の国民が連れていかれているのに、国内まで入って来て連れて行かれているのに、なんでこんなに20年30年長い人は40年、黙って政府は見過ごしたかと言うことが非常に残念です。

昔の日本人だったらこんな事無かったと思います。
私も大正の一番最後に生まれましたので、その時分の教育を受けております。
だからあの、日本人はこうあるべきだという事をきちっと教えてもらっています。
で、先ほど荒木先生が仰ったように、やはり私らの時代にきちっとして、それを後子供・孫の時代に継いで行くという気持ちはあります。
今のままだったら恥ずかしくてこのまま子供たちに譲れないです。
本当に日本の国は、本当に20年も30年も先だったら今のままで行ったら、逆に植民地になってしまうのじゃないかしらと考えます。

だからもう本当に一日も早くこれをきちっと思い直して、政治家がこれは目覚めてもらわないかんのですね。
自分の票とかお金とかそういう事ばかり先行せずに、この国がどうすれば良くなるかと言う事をキッチリ考えて頂いて良い政治をとって頂いて、日本の国を次の世代に譲っていくという事を考えねば駄目じゃないかなと言う事をいつも思っております。
子供を連れて行かれたのは本当に辛いですけども、それよりも何よりも日本の国が情けない国になった事の方が、私は本当に辛いと思います。

長い年月です。
毎日毎日、思わない時はありませんね?
昼は何となく忙しいから用事にかまけてなんとも思ってませんけども、夜になった時なんか思います。
「今どうしているだろうかなぁ」って、寒いのにねぇ。
曽我さんも言っておられましたけれど、「寒いから夜なんか着れる物全部着て休みよったんよ」って、そういう事を聞いてます。
だから本当にどんな思いで暮らしているんだろうなと思いますと、今荒木先生がして下さっている放送ですね。
あれで私もこの間、私の思いを一応書きましてその事を読み上げましたんですけども、どこかで聞いてくれて、しっかり気を持って、何時の日かきっと日本に帰れるという希望を持って、前向きで一日でも暮らして欲しいなと私はいつも思っています。

一口で23年と言いますけど長い年月です。
この間何で、日本の国がこうして長い間拉致された人たちを放ってたんかなぁと言う気持ちはずっとありますね。
だから私とこ一番最初に手紙が来まして、1990年に金丸(信)さんが訪朝なさる時ですね。
その時に地元の国会議員の先生にお願いしてこれを金丸さんに渡して下さいと言って、これから訪朝なさるんですから、こういうことが日本の国にあるという事をしっかり向こうの国に伝えてくださいという事をお願いしたんですけども、その方が帰って来られてその事務所に私らが寄せて頂いた時に、なんか他所事ばっかり言われたんです。
だからこれは向こうへ行ってこの事をきちっと話さなかったなと思ったので、その時は本当に頭から冷水を浴びたような気がした。
これだったら本当に助ける事が出来ないなと言う事を本当に思ったと言っております。

だから何かがあって、そういうような感じになったと思うんですけども、1990年からず~っと始まったその国交正常化を、何人かが行かれましたけれども、本当にきちっとした交渉はどなたもなさらなかったんじゃないかな?と思います。
皆北朝鮮ペースの交渉ばかりに終わってしまって、今度小泉首相が行かれて5人を連れて帰ってきました。
けど、その時に何かの約束事があったんだろうと思います。
だからああいう形でこれで結局5人が帰ってきて、結局その家族も帰ってきてこれで幕を引こうとしていらっしゃるんだろうと思いますけど。
今本当に国民の皆様方が、9月17日以降やはりマスコミも私たちの事を放映しましたり紙面に書きますものですから、それが分かってきて、やはり国民の皆様方の世論が物凄い盛り上がってますので、それは出来ないという気持ちは持ってらっしゃると思うんです。
だから本当に国の体を私は成してないと私は思うんですね。

一度報道の方が恵子が行った所を辿って行きたいので、ロンドンへ行って下さいと言われましたので、ロンドンも2度行きました。
その時に向こうでお世話になってました下宿先ですね。
ポールさんて方なんですけど、その方が、恵子がいなくなって今年が18年目か19年目だったんです、その時。
「それだけ日にちが経つのに、日本の国は何をしているんだ?」と言われました。
「イギリスだったらこんな事放っとかないよ」ってそう仰いました。
だから外国の方の方がね、本当にね、言葉は分からないんですけれど、言われる内容がこちらに伝わってくるんです。

それから以降に、斎木審議官と中川(昭一)大臣と一緒に一度ジュネーブの人権委員会にも行きました。
その時に横田早紀江さんの書かれた本の翻訳した物を持って行きまして、人権委員会の高等弁務官のデメロさんと言う方ですけど、その方にそれぞれの家族が一人ずつ、「うちはこうなってこうで、行き先が分からなくなって、結局北朝鮮にいることが分かったんです」と言う事を皆が説明一人ずつ申し上げまして。
最後に横田めぐみさんの本をお見せして、「それは私が書いたんです、それを翻訳してありますのでどうぞお読みください」ってお渡しした時に、第一声にその方が、「私の息子だったらどんな思いがしたでしょう」ってそう仰って。
それで「この本は私は目と心で読みます」って仰いました。
で、「私がここにいる限りは絶対にあなた方の力になって、帰れるように努力します」って言って下さったんですけど、残念な事にあの方はイラクへ行って亡くなられたんです。
爆弾テロに遭われて亡くなられて、この間そこへ(=デメロ氏のお墓)中川大臣がお参りしてくださって、そのときの写真を持って来て下さいました。

本当に外国の方は本当にそう言って、言葉は分からないんですけど言われる事はこちらへ胸に通じて来るんですね。
だから本当にこれだけの事が日本の政治家に出来ないのかな?と、いつも残念で仕方が無いです。
だからどういう形でこういう事になってしまったのか、分からないんですけれども、先ほどもいろいろな方言われたように郵政民営化でああいう形になられましたけど、この拉致と言う問題は国としてどうしても避けては通れない問題だと思います。
自分の国の人間が日本の国まで工作員がたくさん入って来て、それで連れて行くんですからね。
それで知らん顔して何年もそれを隠蔽して臭い物に蓋をするようにして今まで来たと言う事、本当に私たちは納得がいかないんです。
だからこれはどうしても一番に日本の国としては、解決しなければいけない事だと言う事をしっかりと頭に入れていただいて、何とか政治家の方々がこれをして頂きたいと思います。

でないと、私たちは向こうへ行って交渉出来る立場じゃないんですから、やはり外務省の方に行って頂いてして頂かなければいかんのですけれども、今荒木先生が仰ったように本当に外務省の方は頭が良いもんですから、きちっと1足す1は2と言うふうに、答えが出て来ないといけないんだろうと思います。
だから主人はすぐああいう形ですから、この間も「向こうへ行ってこちらの希望通りの答えが帰って来ない場合は、もう良いですから、もうとことんまでね、しなくて良いから、もう席を蹴って帰って来てださい」って言ったんです。
したら斎木さんも一生懸命して下さるんですけども、「そしたら私たちもう必要ないですね」ってちょっとむっと怒られたんですけども、本当にその位にしないとね。
あの国でまず話し合いは無理じゃないかと思うんです。

もう、話し合いはずっと、1990年に始まって現在まで続いております。
でも話し合いではまず無理だろうと思います。
だから何とか、経済制裁より他に無いんじゃないかな、と思うんですね。
私たちもどうしたらちょっとでも進むんかな?と日夜本当に、何も出来ないんですけども思うんです。
だけど本当にどこの集会へ行ってもたくさん来て下さって、道を歩いておりましても何人かの方が必ず「頑張ってくださいよ、私たちはずっとテレビ見て応援してますからね」って言って下さいます。
これが一番心の励みになっています。

だからいつも言うんですけども、ここで皆さんにお話している時は、皆さんの思いがね。
なんかこうこちらに伝わってくるわけですよ。
だから話していて一番嫌な所はどこ?って言われるんですよ。
そう言いますと、議員さんの所でお話しするときが一番返って来ない。(笑い声)
きちっとこっちを向いてくださってるんですけどね、気持ちがこっちに全然伝わって来ないんですね。
だから偉い物だな、気持ちと言う物は何も言わなくても通じる物だなと、いつも思いもってお話させてもらっています。

だけど本当に私らこんな所でお話しするような者じゃなくて、本当に平凡に子供を産んで。
あの、たくさんいるんです、私とこは女の子が5人と男の子が1人。
私はきょうだいは、事情があって一人で育ったもんですから、寂しいもんですから、子供はたくさんの方が良いという気持ちでたくさん産んだんですけれども。
なんとなくうわっと大きくなって、それぞれ自分が勉強が好きな子は大学行ったら良いし、あんまり好きじゃなかったら高校でも良いから自分の勤める所は自分で決めて、自分がここへ行きたいという所は自分が努力して、勤めだけは一生懸命してね、と言う感じで何となく大まかと言うたら良いのか。
そんなに、じゃ一生懸命しなさいよしなさいよと言う形でなくて、何となく過ごしてきましたけど、どの子も本当に真っ直ぐに育って一応、結婚してない子も中にはいますけども、一応家庭を持って。

一月一日の日は全部寄って来るんですね。
そうしますと家族全部寄せますと20人くらいになるんです。
この中にいつも思いながら見てるんですけども、恵子がいたらなと言う気持ちはあります。
あの子も向こうの知らない土地で子供を産んで大きくして、どんな思いで子供を産んだんだろうなという気持ちがあります。
やはり親がありましたら、お産をしましたら(実家に)帰って来て、ある一定の時間は親が見て世話しますけれども、あの子はそれが何にも無くて、知らない所で非常に不便な所で子供を大きくして、どうしてるんかなぁというような思いがずっとあります。(少し涙ぐみながら)
なんとか私ら元気な間に帰ってきて欲しいなと言う気持ちがあるのと共に、やはりその思いはみんなあるんですね。

だから今特定失踪者の人もたくさんいらっしゃいます。
私たちはこうして表へ出てお話も出来ますし、政府の方も会って話も出来ます。
でも特定失踪者の方は本当に雲を掴むみたいな物ですね。
今の所、政府も取り合わないんですよね、ハッキリ言ったら。
何でかな?と思うんですけども、この人だったら間違いないと思う人でも、どういう訳か認定しないんです。

私の場合も家族会を作った時は認定されてなかったんです。
だからもう、私は思ってました。
国が認定しようとしまいが、私とこは向こうから手紙が来たんだから、その手紙が来たってそれが「北朝鮮の消印が無いから」と仰いましたわ。(会場内少しざわめく)
外務省持っていきました時にね。
「だから信用できない」と言う言い方でしたね、要は。
北朝鮮の消印で送れる筈が無いでしょう?
だからそういわれたし、それで全然家族会に入りながらず~っと認めませんでした、国としては。
拉致であると言うことを認めたのは、八尾さんが2002年の3月12日に法廷で「自分が恵子を拉致しました」と言う事を明らかにしました。
どういうわけか、その前日に認めたんです。
前日に拉致であると言うことを認めました。
国が何を基本に拉致を認めるのか?そこも分かりません。

で、八尾さんの件もありますけれども、いろいろ言われました、あの時もね。
「えらい寛大でしたね?」って言われたそうですけども、何であの時主人が寛大になったか?と言いますとね。
その9年間、二人が動いてどっこも取り合ってくれなかった、その辛い思いがあって。
この人が出て来る事によってきっと道が開けると言う事もありましたし、あの時はかなり警察も八尾さんに期待を持ってたんですね。
帰って来たあの時は赤木(志郎)と言う人の裁判だったんですけども、よど(号ハイジャック犯)の人は帰ってきても何も喋らないんです。

それで一定の時期が来たら執行猶予付きで無罪放免のような形になりまして、平気で街を歩いてます。
だから本当になんであの人たちが帰ってきて、拉致をした人たちが帰ってきて大きな顔をして日本の国で暮らして、拉致された方が何で帰って来れないか?
それでもあるし、帰って来た人が自由に(日本と北朝鮮との)往来が出来ると聞いてます。
それもおかしな話です。
だから本当にこの日本の国はおかしくなってますから、そういうおかしな法律があるなれば、それはきちっと直して、きちっとした法律を作って、そんな人が行き来したら良い事は絶対無い筈です。
そういう人を自由に北朝鮮と日本を行かせるという事を、絶対にさせないようにして頂きたいと私はいつも思っています。

拉致の問題で日本の方々が、元来の日本の姿に戻ったんじゃないかなと思いました。
2002年に帰って来ましてその年の、(翌年)有楽町フォーラムで全国大会がありました。
その時にたくさん来てくださって、その時に6000人程入れる中に、1万人以上の方が来て下さって中に入り切れなくって、あの時は横田さんが表に出て断ったんですね。
「中にお入り頂けなくて申し訳ないです」と言う事を言って頂いて、そんだけくらいたくさん来て下さったあの時に、有楽町フォーラムの緞帳がばっと上がりました時に、本当に私は感激で胸が一杯になって涙が止まりませんでした。
本当に日本の国の国民の皆様方は、やはりみんなきちっとした日本人だったと、これだけの方が私たちのために来てくださったと思いました。
だから私はいつも日本人に生まれて来て良かったというような教育を受けてますし、いつもそういうように思っています。
だから本来の姿に戻ったと思いました。
この事によってきっとまた新しい、本当に昔のままの日本人がまた蘇って来ると思うんです。

今、政治家の方々がきっちりとそう思い直して頂いて、こんな事していたらいかん、こうせないけないということをきっちり思って頂いてきっちりした政治をとって頂いて、日本の国をこうであると言う事をね。
国民の皆坂形の前できっちりと知らして頂きたいと思います。
そのことによって私たちの子供たちも取り返せると思うんです。
今の状態ではとっても取り返すことは出来ません。
だからあの、経済制裁一国がしても駄目だ、他の国が助けるんだからと言う事じゃなくて、日本の国は日本の国としてするべき事があると思います。
この船(=万景峰号)も止めなければなりません。
経済制裁をきちっとして、北朝鮮がどういう形で出てくるかと言うことを見て頂きたいと思います。

私たちももう歳がいきます。
そこへ、向こうへいる子たちも、もう46歳になります。
そしたら、増元るみ子さんなんかももう50歳超えると思うんですね。
だから、その子供たちも歳がいきます。
あの国で病気にでもなったらなかなか、医療機関も整っていませんので、どういう事になるかいう気持ちもずっとその心配も出てきました。

だからなんとか、今年、今年何とか、もう、あの、盛り上がってます。
空気がそのように国交正常化なんて言ってますけど、その事によって開ける道もあると思うんです。
また新たな方へ。
国交正常化を含めて、この拉致問題を解決しないと国交正常化できないんだと言う事を国民の皆様方が知っていただいて、その事によって皆を全員を取り返さないと、この拉致問題は解決しないと思います。
何人かをちょろちょろと返して来て、それで幕を引くという事をして貰ったら困るんです。
だから同じ思いで親たちも待っています。
私も特定失踪者の事も皆一緒です。
長い間同じ思いで待ってるんですから、皆が帰ってきて良かったねって言う様に。
それこそ飛行機一台チャーターしてその中に全部乗せてるくらいの気持ちで、政治家の方がして頂きたいと思います。

何とか今年、今年が目鼻だと思っています。
だから何とか皆さんも最後までご支援下さいますよう、よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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藤沢集会(2005/1/7)よど号関連資料

第13回藤沢集会8
『パネルディスカッション「よど号と拉致」 資料』

※今回の藤沢集会ではお一人お一人の講演の後、川添救う会神奈川会長と登壇者全員揃ってのパネルディスカッションがありました。
その内容をご紹介する前に、会場で配られた資料をまずは一通りご案内いたしますので、ご一読ください。

――――以下、資料の紹介―――――――――――――――――――― 
★資料1

よど号拉致事件・資料 ・ 作成 救う会神奈川 川添友幸

3つの拉致事件

(1)福留貴美子さんの拉致事件 1976年6月 「政府未認定」  

福留さんは1970年に高知県内の高校を卒業して、大阪万博の警備員などをしながら上京してアルバイトをしながら保育士の資格をとった。福留さんは高校時代からモンゴルに行くことを熱望していた。しかし当時モンゴルに個人で旅行することは不可能だった。しかし、1976年7月18日頃、急にモンゴルへ行くと言って羽田から出国した。1979年8月には東ベルリン消印の手紙が実家に届いた。この手紙は福留貴美子が、ある共産圏の国にいること、もう少し外国に滞在しなければならないこと、生活には困っていないことのほかに、いとこの結婚式にお祝いを送ることはできないのでよろしく伝えてほしいとの内容が書かれてあった。いとこの結婚式は同年の4月に行われたもので、何らかの方法で福留さんは周辺の情報が同人に伝えられていることを示すものである。1980年3月11日、突然貴美子さんは日本の友人宅に現れた。このとき、すでに子供が生まれていたはずであるが、子供とは一緒ではなかった。その様な中でよど号メンバーの岡本武は結婚相手が朝鮮人とされてきたがジャーナリストの高沢皓司が1995年春、北朝鮮で田宮高麿にインタビューした際、岡本武は日本人と北朝鮮で結婚しており、二人の子供も設けている、さらに岡本武と結婚した日本人の女性というのは高知県出身であること、東京に滞在していたこと、剣道の県大会に出席したことが出場したことがあること等を田宮は語った。この時の田宮は、岡本夫妻が生存しているとの前提で話しをしている。この時の日本人妻の特徴が福留貴美子さんと一致し、96年8月の朝日新聞の報道となったのである。
96年8月7日付け『朝日新聞』社会面に、次のような衝撃的な見出しが躍った。
「『よど号』事件/岡本容疑者、妻は日本人/高知県出身で20年前失踪」

この朝日新聞の報道の3日後の8月10日、『中日新聞』は共同通信の配信で、さらに衝撃的な記事を掲載する。
「『よど号』岡本容疑者と妻/8年前に死亡?/北朝鮮で作業事故」
報道の直後、国内のよど号グループ支援者が高知の福留さんの実家を訪ね、貴美子さんの母の福留信子さんに「1988年夏に北朝鮮側から岡本と福留貴美子とが土砂崩れで死亡したとの通知を「よど号」グループになしたこと、朝鮮に来て遺骨のことや子供たちの今後の相談をしてもらえないかと」の内容の北朝鮮のよど号グループからの手紙を持参した。
 1996年11月25日に、福留貴美子の死亡ということについて信子さんは代理人を通じ、その死亡の日時、場所などの基礎的事実についての知らせがないという、あまりにも納得のいかないことに関し、「よど号」グループに質問状を出して回答を求めた。これに対し、北朝鮮の小西隆裕より第三者を介在させたくないので直接母親と話をするとの回答が1997年11月15日付けであった。1997年3月に平壌の小西から母親のもとに電話があり、「娘(貴美子)さんの死亡届が出ていないのではないか」といわれた。福留貴美子さんのお母さん、信子さんは2002年1月12日、娘の身を案じながら亡くなった。2004年1月に福留さんの娘が帰国したが現在も国内で他のよど号グループメンバーの子ども達や支援者と共に暮らしている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
(2)松木薫さん・石岡享さん拉致事件 1980年5月 「政府認定」  

1980年にスペインのマドリードで石岡享さん、松木薫さんの2名が、それぞれ消息を絶ちました。石岡さんは日本大学卒業後、チーズ職人になるために欧州を旅行中であり、松木さんはスペイン語の論文執筆のためにスペインに滞在していた。石岡さんは松木さんと知り合う前のスペインのバルセロナの動物園で一枚の写真を撮った。写真には石岡さんと一緒によど号妻の黒田佐喜子と森順子が写っていた。その後、三人はマドリードに向かい松木さんと出会った。4人以外も旅行中の姉妹も加わり、黒田佐喜子と森順子の滞在先で一緒に演劇を見に行ったり、アパートで森順子の手料理を食べたり、深夜までトランプなどで遊んだ。その様な中で森順子は「婚約者がウィーンまで出張してくるから遊びに行かないか」などと、石岡さんらを誘ったとされる。若林、森両と石岡さんらは80年5月中旬~6月に東欧へ旅行し、石岡さんと松木さんは、そのまま北朝鮮に連れて行かれたとみられる。ただし、北朝鮮への入国の経路が明確でない為に捜査当局も黒田佐喜子と森順子に対する拉致容疑での手配を行っていない。
 ただ元よど号グループ支援者等の話を総合するとウィーン経由でモスクワから北朝鮮に入国したと考えられ入国後、騙されたことに気がつき、二人とも相当、抵抗したそうであった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

(3)有本恵子さん拉致事件 1983年7月 「政府認定」  

有本恵子さんは1983年に神戸から語学留学のためにロンドンに滞在していた。有本さんの通っていたロンドンの語学学校で1人の日本人と知り合い。その人がよど号妻八尾恵であった。八尾は有本さんに日本に帰国したくなく、外国で仕事をしたい様子であることを聞き出し、八尾は外国での「市場調査」の仕事があると騙しデンマークのコペンハーゲンまで連れ出し、よど号メンバー安倍公博と北朝鮮大物工作員キム・ユーチョルと共謀して北朝鮮に連れ出した。その際、デンマークの空港で連れ出される場面をデンマークの情報機関が写真撮影していた。よど号グループは北朝鮮においては朝鮮労働党内に56課というよど号グループを担当する課があって、よど号グループは56課との討論によって具体的な実践活動を決めていました。その副課長がキム・ユーチョルでした。キム・ユーチョルは78年からデンマークの北朝鮮大使館員として勤務。80年秋から旧ユーゴスラビアの在ベオグラード北朝鮮大使館に異動。81年には旧ユーゴスラビア、在ザグレブ北朝鮮総領事館副領事になった人物でした。そんな彼の地位から、よど号メンバーが彼と一緒に活動することが数多くありました。先ほども触れましたが当時、北朝鮮大使館員などは西側情報機関や各国秘密警察の監視対象になっており写真もキム・ユーチョルを監視している中で撮影されたようである。8月9日、ロンドンの語学留学から帰国する予定の当日実家に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」と言う電報が実家に届いた。その後10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶える。

拉致事件の浮上・拉致認定までの足取り

石岡さん・有本さん・松木さんの家は3人が外国で失踪したと見て警察に捜索願を出したり、外務省などを訪れたりしていたが、情報が足取りはまったくなかった。しかし、88年9月、札幌の石岡さん宅に3人(石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん)が平壌にいる事を伝える手紙が届く。

手紙には北朝鮮入国後の有本さん・石岡さんと赤ちゃんの写真があり、有本さんと松木さんに連絡をとってくれるよう書いてあった。石岡さんのご家族は記載どおりの有本さんの家に電話した。松木さんに関しては住所が熊本市内としかなくわからず、その後1990年になり松木さんの家に連絡がいった。その様な中で有本さん・石岡さん両家族は警察から外務省さらには自民党や社会党まで救援要請に赴いた。特に「社会党なら北朝鮮とのパイプがあるそうだから、なんとかなるのでは」と石岡さんに言われて有本さんご夫妻が思いついたのが、土井たか子氏である。まさに有本さんの地元の有力議員だった。西ノ宮の事務所に足を運び秘書に救出を御願いをするも、まったく何の反応もなかった1991年1月、石岡、松木、有本の3家族は記者会見を開いて氏名を公表して救出を訴えることになった。1月15日夜、NHKの記者(山本浩氏)から「記者会見の前にぜひ会ってほしい人がいる」と言われ、翌16日、NHKの崎本利樹氏(東京)・田村啓氏(神戸)の2名の記者に、ウニタ書房の遠藤忠夫氏を紹介される。遠藤忠夫・ウニタ書店経営(当時)氏が、恵子さんらは生きている、自分が金日成の侍医につながるコネクションがあるから会見を中止すれば助けてやる、と語って会見を事実上中止させた。その後、有本さんのご家族は家族会結成までほとんど単独で救援活動を行うようになった。そのような中で1995年によど号グループの田宮高麿が急死し、それまで田宮氏と親交があった作家の高沢皓司さんが田宮を含めたよど号グループから有本さん・、松木さん・石岡さんの拉致事件の詳細を聞き、まとめて1998年に「宿命」と言う本を出版した。有本さんのご家族は政府の認定がない状況で1997年の拉致被害者家族連絡会の結成に参加しました。石岡さん・松木さんの家は非公開の方針を2002年9月17日まで続けました。

(注:明らかな誤字脱字と思われるところは、管理人の判断で訂正を加えてあります)

★資料2

よど号グループ一覧表

↓こちらのサイトに掲載されているのと同じ一覧表が集会でも配られました。
ご参照ください。

無限回廊様より
http://www.alphanet.ne.jp/users2/knight9/yodo.htm

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第13回藤沢集会9 パネルディスカッションその1

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その1』

Imgp0429 ★司会 川添友幸神奈川救う会会長


では始めたいと思います。
基本的にですね、私の方が質問を出しましてご家族の方がお答えするというふうにしたいと思います。
まずは高英起さん、今日は講演ありがとうございます。
多分高英起さんはRENKの活動をされて来たと思うんです。
救う会では初めての講演だったと思うんですが、そのご感想の様な物があればまず一点伺えればと思っています。

それとですね、RENKの会長をされています李英和さんが小学館文庫「朝鮮総連と収容所共和国」と言う本を出版されています。
(下記参照)


この本は基本的に北朝鮮の強制収容所の事を書いている本なんですが、その中によど号の男性メンバーで日本国に(帰国して)いる柴田泰弘の講演会に押しかけた話などが出ていまして、私自身非常に関心があったわけなんですが、その辺の経緯等を御存知の事があれば教えて頂きたい。

でもう一点の質問は、後で全員同じ質問をしたいと思ってるんですが、今度1月の下旬くらいからですね。
今話されている(よど号)メンバーの帰国が始まります。
今度2月くらいからもしかすると、拉致実行犯の黒田が帰ってくるのではないかと言う話も出ているようですが、それに対してどういうふうにお考えになっているかと言うところを、まず高英起さんの方からよろしく御願いいたします。

★高英起さん(RENK東京、映像ジャーナリスト)

先ほどお話の中でですね、柴田さん、柴田ですね。
さん付けはしませんけれど、柴田泰弘の講演会に行った話はちょっとさせて頂いたんですけど。
その後柴田さんだけではなくてよど号の赤軍派を束ねていた塩見(孝也=元赤軍派議長)さんですよね。
塩見さんの講演会にも実は押しかけた事があったんです。

恥ずかしい話なんですけど、結局当時我々力がなかったんですね。
ゲリラ的にそういった北朝鮮を擁護する方々の講演会や集会などに行って、押しかけては殆ど総会屋のように騒いでは嫌がらせをするという事しかしていなかったんですけども、それしか当時、彼らに対して我々の主張をぶつける方法が無かったんで。
で、当時その塩見さんが当時ですね。
ちょっとお手元の方に資料があるかもしれないんですが、くだらない文章なんですけども、そのときの事を感想文を書いてあるんですけども。

大阪に河合塾と言う予備校がありますね。
その河合塾と言う予備校でいわゆる全共闘世代の方々を呼んでですね、いろいろ話をしてですね。
それを若い予備校生や学生に聞かせるという企画が一時流行った事がありました。
それに今でも出ている週刊スパですよね。
そこに連載されている鈴木邦夫さんですよね。
一応右翼の一水会の代表と言う方なんですけども、その方々が、左の代表と右の代表が出てきて話をして、最後はチャンチャンで終わるような形にしてという、下らない企画をしていたことがありまして。

その時に塩見孝也さんが出ていると言う事で、先ほど言いましたように我々押しかけた事がありました。
塩見さんも基本的には柴田と考え方が一緒でして、よど号のハイジャックに対してもそうだし、北朝鮮に対してもそうだし、全て自分達が正しかったと言う形で一貫した主張をしておりました。
もちろん我々はですね。
あんたたちがやっていると言う事は、北朝鮮の人民だけではなくて、日本の民衆・日本の人民・日本人をも欺く事だと言う事で、かなり厳しい口調で我々抗議したんですけども、残念ながら柴田と同じく塩見さんにはその声は届きませんでした。

最後にですね。
我々彼らに言ったのは、あなた達がやってきた事に関しては、じゃあ目をつぶろうと。
ただ、北朝鮮の問題、北朝鮮の労働党政府が金正日政権が正しいとかに関しては一切口をつぐむべきではないか?閉ざすべきではないか?沈黙を護るべきではないか?というふうに、我々は問い掛けました。
ただ、やっぱり拉致事件に関してはハッキリさせるべきだろうと。
拉致事件だけではなくて、ご存知の通り彼らは自分達の同志たちも粛清しているわけなんですよね。
実際に手を下したかどうか分かりませんけども、自分達の同志、吉田金太郎、あと岡本武ですか。
この二人を労働党に、僕は売ったと言ってるんですが、売っちゃったんですから。
それ自体をやっぱり総括するべきなんじゃないかと思っております。

ちょっと話はずれますけども吉田金太郎と言う人物、この人物はですね。
実は僕は赤軍派ではなかったんですけども、赤軍派の残党って言うか、学生運動をされていた連中とは、当時RENK・北朝鮮の地下運動をする前はそれなりに付き合いがありましてですね。
伝説的な人物で、愛すべき人物だったようです。
デモにですね、剣道の防具を着てきて竹刀を持って警官に突入したとかね。
そういう伝説的で愛すべき人物であった人間をああいう形で粛清してしまったという事に関しては、総括すべきなんじゃないかと言うふうに思っておりますし、そういうふうに主張しましたけど、なんせ連合赤軍事件で14人ですか?
人間を粛清してしまうような彼らには、残念ながらその声は届きませんでした。

今後彼らに対しては我々自身は直接何かを訴えると言う事は出来ないんですけども、我々のスタンスとしましてはですね。
やっぱり帰国は許してしまってはならないと思っています。
彼らは北朝鮮でずっと過ごすべきだと思います。
北朝鮮で過ごして自分達がやってきた事を全うすべきだと。
最終的には北朝鮮の人民に裁かれるべきだと。
加えて日本の方々に裁かれるべきではないかと思っております。
いずれにせよ、この帰国に関しては我々は反対と言うか、抗議の声を今後も上げていきたいというふうには思います。

★川添友幸会長

非常に勉強になりました。
ありがとうございます。

次に有本のお父様。
お聞きしたい話があるんですが、よど号のメンバーを支援している国会議員がいます。
その国会議員に対してどのように思うか?
もう一点はもういろんな中でお話が出ていると思うんですが、やはり政府やNHKもそうですし警察に対してどのように考えているか?
それと最期は同じ質問なんですが、今度の帰国に対してはどのようにお考えになっているかをちょっとお聞かせいただければ、お願い出来ればと思います。
宜しく御願いします。

★有本明弘さん

ぎょうさん言われたらわからへん。(会場笑い声、司会者より質問項目を書いたメモを渡される)
よど号のメンバーを支援している議員と言いますと、社会党・共産党のこの現行の人たちだと思います。
その人たちは皆さんもご存知のように、大変大きく議席を減らしました。
これで大体お分かりになっていただけると思います。
国民の関心事がその政党から離れてしまったという事なんです。
それと同時にこれは国民の皆さんが、北朝鮮と友党だと言っていたのが当時の社会党なんです。
と同時に知らぬ間に自民党、与党の中枢まで朝鮮総連の影響力が入り込んでおったと、言うのが今の現状なんです。

それと警察や政府に対して、とか言う事ですね?
これ警察は私たちの問題で、安倍公博って言うんですか?
あれを国際手配しました。
あの時は警視庁から公安まで3回ほど出張してきて私たちからいろいろ調書を取って、資料を提供して、そして署名もしました。
だからそのよど号の連中の事に関しては、警察は日本の国内法では今の現状のような事しか出来ないんです。
この阿部公博が帰ってきたら、裁判にかけて有罪に出来るという根拠を持ったから、私たちを呼んで調書を取って告発している。
だからこの安倍公博を逮捕するまでは、今帰って来た連中は多分今までどおり、手を付けないで放っておくだろうと。
そういうような観測をしております。

この間、もう去年なんですが、議連の会長とお会いした時に立ち話やったですけれども、日本の国にもスパイ防止法をこしらえん事には、隣にあんな国がある以上は国民から見れば国家として手ぬるい。
そういうような状況が起こってもどうしようも無いと言う現状があるから、スパイ防止法と言うのが出来たらこれをこさえて頂きたいというのがお願いした事もあります。

だからこのメンバーの帰国と言うものに関しては、ほんなもの、一辺にまとめて返して来いと言うて。
(向こうが)受け入れなかっても良いんじゃないか?と、僕らはそないに思うてます。
でもそれは外務省のやる事であって、そんなんで前例どおりの・・・(聞き取れず)で終わると思います。
以上です。

★川添友幸会長

ありがとうございます。
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第13回藤沢集会10パネルディスカッション その2

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その2』 

★川添友幸会長

次に荒木先生、ちょっとお伺いしたい点がいくつかあるんですが、後ろのパネル。
いつも神奈川のボランティアの皆さんに作っていただくんですが、福留貴美子さん、白黒の方なんですが。
Imgp0427_1

左から松木薫さん、石岡亨さん、

有本恵子さん、福留貴美子さん


パネルが今度加わりました。
福留さんをご存じない方もいると思うんですが、今高英起さんのお話にあったんですが、(よど号犯の)岡本武。

岡本公三(=1972年、奥平剛士、安田安之と共にイスラエル・テルアビブ空港を襲って26名の死者をだした「日本赤軍テルアビブ事件」の実行犯)の兄なんですが、兄のお嫁さんて言うんですかね。
結論として、この方日本から拉致された方なんですね。

で、この福留問題と言うのは実に難しい問題でして、いろんな会の方が取り組んで、今私たちも取り組んでいるんですが、荒木先生、特定失踪者問題調査会の代表をされる前に、救う会全国協議会の事務局長をされている時にですね。
福留問題をずっとやられていたと聞いています。
福留さんの資料は簡単に作ってみたんですが、ちょっと福留さんのお話をお聞かせ願えればと思っています。

後もう一点なんですが短波放送の「しおかぜ」、あれちょっと私自身思ったのは、ああいう放送は実際よど号のメンバーは聞いてる物なのかなぁ?と言う疑問を持ったのでそれを聞いて見たいと思ったのと、三点目は皆さんにお聞きしている、よど号犯の帰国に対してどのように思っているか?
この3点を宜しく御願いします。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

福留さんの拉致事件に関しては、この配ってあります川添さんの作った資料に基本的には書いてございます。
要は騙されてきた朝鮮に連れて行かれた方です。
元々北朝鮮とは何の関係がなかったんですが、お父さんが昔、戦時中にですね。
モンゴルにおられた事があって、そういう話を聞いて育ってですね。
非常にモンゴルに行きたいという強い意思を持っておられた。
モンゴルと言うのは、昔は社会主義圏の中で非常に入り難いという事で、それで釣られたのではないだろうか?と言うふうに言われております。
昭和51年、1976年に出国をしている。

向こうで今川添さんの言われたように、岡本武の妻にさせられたと。
こんなものはもちろん本人のあれが一致してと言う事はもちろんございません。
当然これは無理矢理。
これは他のよど号の妻でもですね。
小西(隆裕)の妻以外は皆元々全然関係ない。
無理矢理ですね、くっ付けられたと。

だから正直言うと、よど号グループの他の妻たちもですね。
あれでもし「こんなはずじゃなかった」と言えば拉致被害者になります。
問題は、あのカミさんたちの方が旦那よりももっとその気になってしまった事に問題がある。(小さな笑い声)
そうでなければ彼女たちもそういう事になる。

福留さんは元々そういう政治的背景が全然無いんですね。
他のよど号の妻はチェチェ研とか、この表に書いてあるように(北に)シンパシーを持ってる人たちだったんですけど、福留さんの場合そういう事が無い。
で、結婚させられたと。
やはり他のよど号の妻と同じように、工作目的で使われ、少なくとも使われようしたことは間違いがない。
そして一回日本に戻って来ております。
ここに書かれているように友達の家にですね、突然現れる。
その後高知の実家に帰ろうとして途中で連れて行かれたんではないか?というふうに言われている方でございます。

この福留さんの事件についてはジャーナリストの高沢皓司さんがいろいろ調べてですね。
これの裏に確か書いてあるんだと思いますが、裏じゃないか、前か。
96年、ですから平成8年の8月7日の朝日新聞にですね。
その名前が、その時は確かまだ名前は入ってませんが、本人が特定された日本人だったと言う事が分かったと言う記事が出ると。
で、出たらすぐにですね。
今度は「いやもうとっくに死んでいた」と、いう情報が出る。
それまでは日本人の奥さんだと言う事は一切言っていなかった。
岡本武のカミさんは朝鮮の人だと言うふうに言ってたんですが、ここで急にですね。
話が変わって、そして尚且つもう8年前に死んでいると、いう情報が流れたわけでございます。

こういう所の嘘のつき方と言うのはですね。
本当に北朝鮮と言うのは、よど号のグループも良く勉強したもんだなと思うんですが、大変分かりやすい嘘をつくわけですね。
ですから救う会もそうですし我々もそうですけども、この福留さんは我々は基本的に生存をされていると言う前提で、救出を求めているわけです。
子どもたち、娘さんが二人いますが、この二人はもう帰国を果たしております。
で、表の中で岡本武の所に乗っかってます、広海(ひろみ)さんと千里さんと言う娘さん二人ですね。

元々(福留貴美子さんの)お母さんはもう亡くなってしまったんですけども、私も生前2度ほどお会いした事がございまして、非常に記憶力の良い、記憶のハッキリしたお母さんでございました。
本当に田舎のおばあちゃんと言う感じの人なんですけども、すごい頭の良い方でですね。
この事はお母さんがご存命だったと言う事もあって、高知の中にいるよど号グループの支援者が、かなりいろいろな形でマークをしております。
今でもその連中は高知の中で活動をしておりまして、福留さんのご家族を抱き込もうとしたりとか、そういう事をやっている。
どうも、場合によってはですね。
福留家の遺産をですね。
持って行きたいという思いもあるのではないか?という話もございます。

この事件については大体そういうような事でありまして、今改めてですね。
お母さんが亡くなってしまったので、ご家族がいなくて非常にやりにくいんですが、川添さんなんかとも連携を取りながら、この問題について更にですね。
世論への訴えかけを進めて福留さんの救出へという事につなげていきたいと思っております。

ただ、これは福留さんだけの事ではないんですが、福留さんも何かの形で北朝鮮の工作活動に関与した形跡は当然あるわけでございます。
で、これは今帰国している5人もそういう意味で言いますと同様でございまして、また今(北朝鮮に)残っている拉致被害者の人たちも、やはり同様であろうと思います。
もちろん、そういうふうにしなければ北朝鮮の中で生きていけないわけでございまして、それを日本にいる我々がもちろんですね。
非難するって言う事は絶対に出来ない。

それから場合によったらですね。
(日本に)帰りたくないという意思表示をする人が出る可能性もございます。
その場合に一体どうするか?
これ今、日本政府はですね。
家族の意向あるいは本人の意向、と言うところにですね。
必ず逃げ込みます。
ご家族がそう言ってるからその意思を尊重したい。
本人が日本に残りたいと言ってるんでその意思を尊重したいという言い方をするわけですけども、これは非常に卑怯なやり方でございまして、その時やらなければいけないのはですね。
家族の意向でも本人の意向でもなくて、国家の意向です。

拉致をされているんですから。
主権を侵害され、拉致をされているんですから、その人たちは本人が何と言おうとですね。
今の状態の北朝鮮で自由に物が言えるはずが無い。
ともかく日本に取り返して、そこで一旦原状回復をして、そして自由に物が言えるようになったらば、それから意思表示をして物を決めて貰えば良い話でありまして。
それを北朝鮮の中でですね。
一昨年の5月に総理大臣がのこのこ行ってジェンキンスさんにですね。
「帰って来ないか?」とか言ってなんか「約束する」とか何とか言うというアホな事をですね。
やってしまっては全くわけが分からなくなる。

それで政府の人は責任は逃れられるわけです。
「本人は帰りたくないと言ってる」と、そんな問題ではない。
取り返してからそれから次の事を考える。
いうふうにしないとですね。
これから非常にグレーゾーンの人たちが間違い無く出て来ます。

有本さんだって、北朝鮮の中でですね。
一昨年の3月の時点ではですね。
3年前か、もう3年前なんですね。
あの3月の時点では、一度は北朝鮮は出そうと思ってたんですね。
出して有本さんに「自分では帰りません」と。
「お父さん、お母さん、北朝鮮に来てください」と言うふうに言わせて、そして決着をしようと言うふうにしようとしていたと。
言う事がございますので、有本さんも自分の足で入ったことは間違いが無い訳ですから、そういう言い逃れが出来るようになる。
これは絶対に許しちゃいけないです。
北朝鮮の中にいる限り、そのマインドコントロールは絶対に解けないです。

だって今の5人だってね。
ちゃんと喋れないんですから。
日本に戻ってきて、あれだけ時間が経っていても、まともにですね。
言う事が出来ないと、言う事を考えたらば、いわんや北朝鮮の中にいてですね。
自由に発言とか意思表示が出来るはずが無いわけでございまして、これはグレーゾーンの人も含めて、一旦とにかく全部日本に取り返すと言う事。
これは国家の意思として絶対にやらなければいけないと思うんです。
その上で日本で暮らしてみて、それでもどうしても北朝鮮に行きたいと言うのであれば、そのときに決めれば良い話でありまして、そこのところを考えていくべきだと思います。

で、今警察の中でですね。
警察の人とも私らもいろんな話をするんですが、「いや、そんなにたくさん拉致被害者の人たちはいない」と。
「後5人くらいだとか10人くらいだ」とか、いろんな事を言う人がいるんですけども、それは警察的にですね。
全部キッチリやって証拠も集められて、そして明らかになるという数を探したら、それはその程度しかおそらくならないんでしょう。
しかし実際には証拠がなくったって拉致をされている人たちはたくさんいますし、いわんや福留さんたちの様にですね。
自分の意思で出国をしたと、そして(北朝鮮を)出られなくなったと、言う人の数ははるかに多いだろうと思います。
その間のグレーゾーンと言うのはですね。
相当の数いるわけでありまして、我々そこらへんまで全部拉致被害者としてカウントしてですね。
やらなければいけないんじゃないかと。

で、その延長線上は今度は帰国者の問題になるわけですが、帰国者だって拉致ではありませんけども、基本的には騙されて皆向こうへ行ってる訳ですね。
日本人妻だって、何年かすれば帰って来られるという前提で北朝鮮に行ってるわけですが、しかしそれでもですね。
帰って来られない。
こういう人たちの場合はですね。
とにかく自分で帰りたい人たちは自由に帰れるようにすると。
つまりこれは、要は、高さんが今さっき言ったように、あの体制を変えてしまうより他に方法がないんですね。
あの体制を変えれば、北朝鮮の中にいたって自由に意思表示できますから。
最後はそういう所に持っていくしかないんですが、そういうふうにしてですね。
問題を解決していく。
ここはですから家族の問題でもなくて個人の問題でもなくて、国家の問題として取り組まなければならないだろうと思います。

それからしおかぜをよど号グループが聞いてるかどうかと言う事ですが、私も良く分かりませんが、あの連中に聞かせなくても別にあんまり問題ございませんので、まぁ聞いててくれるようであればですね。
「いい加減にゲロしろ」という放送くらいはしても良いんですが。(笑い声)
まぁちょっと分かりませんが、電波の無駄遣いになると今のところは特に思ってません。

それからよど号グループの帰国に関してですけども、先ほど有本さん言われたようにですね。
拉致された人が向こうに残ってですね、した方の連中が帰ってきて大手振って歩くという話はですね。
こんなとんでもない話は無いわけでございます。
しかし日本の「法と証拠」と言う、警察の人たちがよく使う「法と証拠」と言うとですね。
そういう事になってしまう。
証拠が向こう側から返ってこなければこちらから手出しが出来ない。
意思表示をして帰って来たらですね。
日本の法律に照らして、しかし微罪ですよね。

結局ね、先ほどお父さん言われたように、スパイを取りしまる法律が無い訳ですので。
微罪でですね。
しばらくしたら出てこられると、いう事になってしまうわけでございまして、法と証拠があってもですね。
正義の方が実現をしていないと言うのが現状でございます。
本当であればですね。
日本海を渡ってくる途中で宙吊りにしてですね。
「吐かなかったら海に落っことしてやる」と言う位の事をして、(笑い声)言っても良いと思うんですけども。

まぁ少なくとも帰って来た人間に対してですね。
それを徹底的にマークするというくらいの事は、もうちょっとキッチリやっておく必要があるのではないか?と。
先ほども申しましたけど、とにかく有本さんの拉致、あるいはもちろん松木さんもそうなんですけど、について知らないという言い方をしている彼らの言ってる事は全て嘘だと言う事でございますので、その前提でですね。
今後の事も対応していかなければいけないのではないか、と言うふうに思います。

★川添友幸会長

いろいろ面白い話をありがとうございます。

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第13回藤沢集会11パネルディスカッション その3

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その3』

★川添友幸会長

では次、斉藤文代さんにいろいろお聞きしたいなと思ったんですが。
私、松木薫さんの事を初めていろいろやっているうち一番強烈に印象に残っているのは偽遺骨問題なんですね。
どこかの週刊誌で遺骨の写真を見て、私すごいショックを受けたのがありました。
是非その遺骨問題に関してどうお考えになっているか?と言う事をおたずねしたいと思います。

同じ質問になってしまうんですが、これから松木さんを拉致した可能性が非常に濃厚であるとされている二人(田宮高麿の妻・森順子と若林盛亮の妻・黒田佐喜子)が、どうも夏前に帰ってくると言うんですが、こちらに対してどのようなお考えか、ちょっとお願いします。

★斉藤文代さん

私の(弟の)松木薫に関しては、骨をですね。
二度も出されているんですけども、一回目の時にはですね。
私も実際、その骨は見てないんですが、写真とかいろんな物をたくさん撮って来ていて、白々しく骨を持って出てくる場面からず~っとあるわけです。
納骨堂からですね。

それでこれが弟さんの骨を持って帰りましたのでと言われて、受け取って下さいという事を、外務省の方は私に受け取ってくれと言う最初はそういう気持ちだったと思うんです。
でも私はそれを言われた時点で、一人だけ「お姉さん残ってください」と言われて、皆さん記者会見で一人だけ残されてそれを言われたんです。
骨の鑑定の先生、橋本先生とか外務省の方とかたくさんおられまして、私がその時に「はい、分かりました、弟の骨ですね」と言って持って帰って父のところに墓に入れていたらもう、なんとも父が可哀想になるところを二度もする所でしたけれども。
そこで私はもう「弟の骨ではありません」と「弟は生きておりますから」と言う事で。

二度も火葬されていますので、二度も火葬されているとは思いもよらなかったもんですから、DNA鑑定が出来ると思ったもんで、「私の血をすぐ採って母の血も採って、DNA鑑定してください」と、私泣きながら言ったんです。
そしたら外務省の方もその日に、用意してあったんですね?すぐ採れる様にちゃんとですね。
すぐその場で採られたんですよね。
で一週間くらいしてから、熊本の方の病院に来まして母の血を採って帰られたんですよね。
後からそれは分かったんですけど、二度火葬してあるから全然鑑定出来ないのを分かっていて、まぁ、それは私もお願いしたから持っていかれたんでしょうけれど。

骨の中に3遺体くらいあるのは橋本先生見てすぐ分かったと、仰るんですね。
ですから「お姉さん、私はこれは出来ると思った物を一つだけ持ってきましたので、これを調べさせてください。必ず僕一生懸命やりますから結果を待っててください」と言う事で、左の上あごのあれを持ってきて帰ったもので、「一ヶ月くらいかかるのでそれを調べさせてください」と言う事で。
「誰にも言わないで下さい」と言う事で私は一ヶ月本当になんともいえない気持ちで待ってたんです、便りをね。
そしたら電話がありまして、「お姉さん」と私に先生が元気付けてくれました。
「薫さんの骨じゃないよ、女の人、60過ぎくらいの女の方の骨ですよ」って事で。

骨箱からばぁ~っと骨を出してる写真もあるんですよね。
「僕もそれを見たときに絶対薫さんの物では無いと言うことは分かっていたんだけど、調べる物はちゃんと調べないとお姉さん納得されないでしょうから」って事で調べたら、「全然違う人の骨だから、薫さんは生きてますから、きっと生きてますから」と「帰ってきますから、絶対に希望を持ってくださいね」と元気付けられたんです。

でまた、今度は二回目の時に第3回実務者協議のときにまた骨をですね。
持って来てるんですよ、外務省の方はですね。
その時はさすがに私に日本政府は言えなかったわけですよ。
隠し通せる物じゃないですよね、そういう骨はですね。
黙っていて、報道の方が先に流れたわけですよ、ニュースでですね。
誰かがばっと漏らしたんですねぇ、政府内の方がね。

それで私ニュースを見て「え~~っ?」っと思ってですね。
で、すぐ警視庁の方に電話入れまして、「そんな骨を持って来てるのに、なぜ私の方に知らせてくれなかったんですか?」って警視庁にも国の方にも言ったんです。
そしたら警視庁の方は警視庁で、「持って来てません」って言い通すわけですよ。
今まで私はずい分泣かされてきたのに、またこれで泣かされるんじゃ私もうこれ以上我慢できないと思ったから、追求したんですよ、ずっ~と。
で、やっぱり警視庁は警視庁の関係があったて言えなかったんですね。
そしたらすぐ後電話があったんですよね。
政府の方から「やっぱりお姉さんに言わなきゃならないから」と言う事で、「実は骨を持ってきていました」って言うから、「なぜそんな骨を持って帰ったんですか?最初の時も間違いで持って帰って来てるのに、他人の骨ばっかり他人様の骨なのに」って大分私も言ったんです。

そしたら「今度訪朝する時には、出された物は一切持って帰りましょうと言う事だったので、持って帰りました」と。
「弟さんの骨ではないと思っていたので、言わなかった」とか言うわけですよ。(文代さん少し自嘲気味に、会場薄笑いの声)
それで本当に私はもう、情けなくって。
持って帰って来たんであれば、徹底してまた調べてくださいと言う事で、その時は横田めぐみちゃんの骨も持ってきてありましたので、だから同じように調べていただいた。
また同じように全然違う人の骨ばかり入っているわけですよね。

だからなぜ日本政府は一回骨を持たされて騙されているのに、またそれをね。
またやられてなぜ黙っているのか?それが私は分からないんです、いまだかつて。
全然その、抗議しないわけでしょう?
骨を二回も持たされて、他人様の骨ばっかり。
何がその弱みがあるのか、私はいまだかつて分からないです。
その件に関してですね。

だから薫はきっと生きていると私は思っていますので、本当に死んでいるんであれば、本当の死んだ骨を出せばいい事であってですね。
もう2度も3度も、だから私は「何回殺されるんでしょうかね?」って言った事あるんですよね。(文代さん、笑いながら)
だから信じておりませんし、またこれからもそれに関しては私は何度突きつけられても受け取る気はありません。

それからよど号メンバーの帰国に関しては、日本人だったら恥を知りなさい、と私は言いたいです。
そんなにね、自分達のしたことの罪を認めないんであれば、帰ってくる必要はないと思います。
北朝鮮が良いんだったら、そこにいなさいと私は言いたい。
本当にそれくらい腹立たしく思っております。
弟たちは何も知らないで、そんなして北朝鮮で辛い思いをしているわけですから、自分達は日本が恋しくなって軽い罪で日本へ、早く言えば日本を舐めてかかっているわけでしょう?
そんな人が帰って来て貰ったって、ちっとも私達嬉しくありませんし、そんな人が帰ってくるより早く全員返して下さい。
私たちはそっちの方に一生懸命になりたいくらいです。(拍手)

★川添友幸会長

ありがとうございます。
最後に有本のお母様。
私以前にですね、3年位前にNHKスペシャルだと思うんですが、よど号と拉致と言う番組の中でよど号のメンバーの所に直接お電話をかけてですね。
やり取りをしたのをちょっとテレビで拝見しまして、なるほどなあと思ったんですが。
そのときの状況の話と、そのとき彼らは直接話してどういう言い訳をしていたか?
その辺の話と、同じ質問になってしまうんですが、よど号のメンバーの帰国に関してですね。
どういうふうにお考えになっているか、この2点をよろしくお願いいたします。

★有本嘉代子さん

NHKの取材であるホテルへ行った事があるんですね。
そういう話になる事は全然知らなかったんですけども、よど号の人と懇意にしていて何度か北朝鮮に入ってる人があるんです。
富山の方で。
で、その人がそこへ来ておられたんですね。
それで「私だったら向こうの電話番号を知ってますので、かけます?」って言って、NHKとは相談が出来てたらしいんです。
これかけたらね、その時に誰が出てきたんかな?
赤木(志郎)でしたね?
ですのんで、その赤木と言うのがメンバーの中で残ってる中で一番きついんですって。

だからその人が出て来たのでね。
「私は有本恵子の母親ですけども、あなた方は有本恵子をご存知でしょ?」って言うたら、「突然電話かけてきて失礼な方だ」
そういうことだけで後は続かなかったですね。
これは始めから言っても無駄や言う事が分かってましたのでね。
私らなんぼ言っても駄目だという気がありましたので、そういう場面がそこで設定されている事が分かりませんでしたから。
それでこの人たちとゆっくり話をするいう気持ちもありませんでしたから、もうそれで切りました。
後は話してもこんな人は何も喋らないし、「失礼な」言う一言を言いました。
だから失礼と言う言葉を知ってたんかな?と思いましたわ。(笑い声)

後の事ですけれど、よど号のメンバーにしても先ほど申し上げたように、本当に旅券法違反だけで全て片付けられて、で、執行猶予付だそうです。
それで出て来て、普通の人と同じように生活してるんですね。
そんな状態になれば帰って来ても何ぼも日本の国としても役に立たないだろうし、気持ちがね。
全然日本人の気持ちじゃないですものね、あの帰って来た人たちは。

私は赤木と言う人の裁判を見に行きました。
八尾(恵)さんが証言すると言う事だったので、本当にね。
どう言ったらいいのかな?
ニコニコ笑ってるんですよ、自分、被告席座っていて。
なんかそれは許されているんだそうです、筆記してました。
八尾さんの方をちらっとみて、睨みもって、ずっとね。
顔に笑みを浮かべもって、小ばかにしたような顔してずっ~と筆記してましたね。
あんな状態見てたら嫌になりますね。

だからこんな人が帰ってきて、日本の国に本当に毒になっても薬にならんですね、あの人たち。
だから帰ってくる必要が無いんですけども、国もあの人たちを受け入れて、それで執行猶予で放免して、そして今度自由に往来できる、それが本当に納得行かないですね。
それはある程度その人たちにやはり監視をつけて、北朝鮮内ですけれど束縛しないと、いかんと思います。
そんな自由に出来て、良いこと絶対に無いですからね。
スパイを日本の国に入れたのと同じなんですからね。
だからそこのところは日本の政府をなんかこう、どんな気持ちでどういう事をされるんかなぁ?という、納得がいきませんから、私たちにしたら帰ってくる必要はないと思います。

★川添友幸会長

どうもありがとうございました。

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第13回藤沢集会13 大沢茂樹さん

『大沢茂樹さんのお話(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)』

Imgp0439_2
皆さんこんにちは。
ただ今紹介をあずかりました特定失踪者・大沢孝司の兄、大沢茂樹と申します。
本日は第13回藤沢集会に参加させていただきましてありがとうございます。

――――――――――――――――――――――
大澤孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
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正直言って私、今日は有本ご夫妻のお話、それと斎藤さんの話、それと荒木先生、高先生のお話を聞くために本日参ったのですが、ここに来たら神奈川の会長から「特定失踪者家族を代表して一言話を」と言われて、非常に困っております。
正直何も考えてきませんでした。
ということで恥をかかない前に簡単にですね。
お話をさせていただきます。
また私の話の前に、本日特定失踪者のご家族が私を含め三家族が来ておりますので、ご紹介させていただきます。

昭和51年の7月30日、神津島で行方不明になられた高野清文さんの妹さんが来ておられます。
高野さん。(高野美幸さん、会場で立ち上がり会釈 会場から拍手)

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高野清文さん
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況
大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。
※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
――――――――――――――――――――――――

昭和47年の11月1日、東京渋谷区で拉致された生島孝子さんのお姉さんの生島馨子さんがお見えになっておられます。(拍手)
生島さん、大変すみません、時間の都合で帰られたそうです。

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生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
――――――――――――――――――――――――

そしてもう一家族、横浜市戸塚区で拉致された寺島佐津子(てらしま さつこ)さんのお母さんとお父さんが本日参加する予定でございましたが、寺島佐津子さんのお父さんが今朝急に倒れられ、救急車で病院の方に搬送され緊急入院のため、本日お越しになっていません。

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寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
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私の弟は昭和49年2月24日に新潟県佐渡島で、曽我さんたちが拉致された真野町の拉致現場から7~8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致されました。
事件当時弟は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に勤務する新潟県庁の職員でございました。
今から32年前の事件でございます。
曽我さんたちの約2年半前の事件でございます。

私たちの家族、家族会のご家族も含め年々高齢化して来ております。
ですからもう時間がございません。
一刻も早くこの拉致問題を解決していただかなければならないと思います。
先ほど帰られましたが、生島さんのお母さんは孝子さんの目撃証言も出ており、近々再会出来るものと楽しみにしておりましたが、昨年99歳で残念ながら亡くなっております。

私どもの親も例外ではなく、父親は今現在96歳です。
母親は弟が失踪したショックで体調を崩し、昭和63年に他界しておりませんが、私は父親が元気なうちに弟と一刻も早く再会を果たしてやりたく、このようにしてお話をする機会があれば、微力ではございますが加勢させて頂きます。

私は何が何でも今年中には、小泉さんからこの拉致問題を全面解決していただきたく、今年の1月私の故郷であります新潟県の越後一ノ宮と言う弥彦神社で、今新潟の方は大雪で大変でございますが、2日3日と街頭署名をやり、拉致問題を訴えて多くの方々からたくさんの署名をいただき、また激励やら励ましの言葉をいただき感激して帰ってまいりました。
どうか、私は何が何でも今年中には解決していただきたく、それには更なる皆さま方のご支援とご協力がなければならないと思っています。

どうか今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)

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第13回藤沢集会14 野口孝行さん

『野口孝行さんのお話(北朝鮮難民救援基金)』

※脱北者の問題を扱ったドキュメント・フィルム「ソウル・トレイン」の上映会の説明

みなさんこんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
前回もお時間を頂きましてトライをしたんですけども、不備がございまして最後まで上映する事ができませんでした。
今回もですね、機会を頂いたのでまた上映をしたいと思います。

簡単にですね、この映画の説明をしたいんですが、アメリカ人のジム・バトワーズ(Jim Butterworth)さんと言う方が、ある集会でたまたま北朝鮮の脱北者の問題に触れまして。
それまで自分は映画とか作った事がなかったんですが、この問題にすごく心を動かされて自分でも映画を作ってみようと、自分の私財を投げ打って作った映画がこの映画です。

去年の夏の事なんですが、北米でテレビの地上波でこれ放送されたそうで。
で結局その影響だと思うんですが、私たちの難民救援基金の方にですね。
Eメール、もしくはHPの方にですね。
「この映画を観た」というアメリカからの便りが来たり、寄付金を送って来てくれたりと言う人たちが出てきています。

やはりですね。
この北朝鮮の問題で必ず、脱北者の問題をネットなんかで調べると必ず拉致問題とかですね。
今必ず行き当たると思うんですね。
逆に拉致問題に興味を持つ人たちもですね。
やはりその先には北朝鮮の人権の問題に行き着くという、こういう相関関係があると思うので、ぜひですね。
お時間遅くなりましたが、時間の許す方がいらっしゃったらですね。
1時間弱の映画になっています。
どうか御覧になっていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ★北朝鮮難民救援基金
 http://www.asahinet.or.jp/~fe6hktu/
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第13回藤沢集会15 川添友幸 救う会神奈川会長

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

今日は本当に長時間、ありがとうございました。
私たちもこれから2月のよど号の帰国という事に向けて、19日に警察の方に要請に行こうかと言う話も出ております。
ともかく実行犯が帰ってくると言う事をこれは絶対に許しちゃいけないですし。
今二つの実行犯と言うこと。
辛光洙の問題とこのよど号の帰国と二つ、動き始めてます。
ぜひですね。
皆様の今後の監視の方をよろしくお願いします。

次回の講演会のお話なんですが、次回会場がちょっと変わりまして、日時が4月16日。
会場が横浜の開港記念館です。
こちら、なぜか開港記念館にするかと申しますと、昨年の4月横田さんをこちらにお呼びしたときにですね。
会場が一杯になってしまって、急遽向こうを借りたりしてやった事もありました。
それでやはりもっとちゃんとした会場を取った方が良いんじゃないかという事になりまして。
講演会自体を「横田めぐみさん等の拉致被害者を救出するぞ!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」と、ちょっと県の単位でですね。
今神奈川県や横浜市の応援をお願いしながらですね。
ちょっと大きい集会を企画しています。

ですので、4月16日は横浜の開港記念館の方で。
横田滋さんの方が今ちょっと体調不良で療養中と言う事もありまして、どうかな?と思ってるんですが。
先日早紀江さんとお話した感じでは、近くですので参加すると言うような感じで言っておられました。
また今後情勢が動くかもしれませんが、そういう状況を考えています。

あと特定失踪者調査会からは杉野さん。
今お話いただいた野口さんの北朝鮮難民基金の事務局長であります、加藤博さん。
以前私たちの会でお呼びしました韓国の拉致家族会の崔祐英さん。
あと、特定失踪者家族の森本美砂さんをお呼びしようと思っています。
弁護士会の木村晋介さん、テレビ等に出られている。
も、ご快諾を頂きましたので、この問題大きい集会をやろうと思っています。

で、こちらの会場についてはまた7月に企画を、先の話なんですが考えてまして脱北者の方をお呼びして。
去年脱北者の方をお呼びしたような、また脱北者の方をお呼びしたいなと考えております。
何とかそれまでにですね。
何らかの形で解決なり何なりの方向とかになって頂ければ良いと思うんですが、非常に難しい情勢かもしれませんが、皆様の協力だけが頼りだと思いますので、ご協力の方よろしくお願いいたします。

あと本当に情けない話なんですが、私どもいつも会場の方ですね。
これカンパでやっておりますので、また皆様のご好意がありましたなら、その辺の事もよろしくお願いします。
本日は本当に長い時間、ありがとうございました。
また映画会もありますので、この後ご協力の方、よろしくお願いします。(拍手)

・・・集会終了後、「ソウル・トレイン」の上映会があって、全ての予定が終了・・・

★救う会神奈川
http://www.geocities.jp/sukuukai/

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荒木和博氏講演(2005/1/7 藤沢にて)【1】

特定失踪者調査会 代表荒木和博氏

ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は、正月から、たくさんの方、おいでいただきまして本当にありがとうございます。
限られた時間でございますので、できるだけ簡潔にお話をしたいと思いますが。

おそらくここにおいでのみなさん多くの方が非常に関心を持っていらっしゃるのがこの年末年始に流れました、あの横田めぐみさんや地村さんの事件の実行犯の問題ではなかろうかと思います。

結論から申します。
あのニュースはすべてウソです。

(会場から『え?』)

あの横田めぐみさんや、地村さんをやったのは辛光洙ではありません。違います。

辛光洙はあの事件の頃は、北朝鮮に戻っております。それは彼を捕まえた後の韓国の1985年11月にですね--
2月に捕まえまして、11月にソウルの地裁で、判決が出ておりまして、その判決文の中に、彼が生まれてからどういう風に行動していったかと、工作員になってから、どういうふうに、どっから日本に上陸して、そしてまた北に戻って、また来て、どういうふうに誰と接触して行動していったかということが、書いてございます。その中には1977年1978年のあの時期は北朝鮮に戻って、教育を受けている時期でございまして、日本にはおりません。抜け出して拉致をしたと言うことはあり得ないわけでございまして、あの報道自体が、(もともとそれを確認する前からおかしいと思ったんですが)やはり明らかに、意図的なウソであろうと、言う風に思います。

韓国政府の関係者の知り合いにも聞いてみましたけれども、まぁその彼も『自分の名誉にかけてそんな地裁の判決が、そんなところで大嘘をつくことはあり得ない』と、言うふうに言っておりました。

で、そうするといったい何でこんな事が出てくるんだと言うことに当然なるわけですね。

あの年末の話は、辛光洙(シン・ガンス)と朴(パク)といわれる西新井事件というですね、いろんな日本人に成り代わって工作活動をやったとされる、工作員の二人が主役として出てきたわけでありまして『それくらいしか、北朝の工作員はいないのか』と、当然あの時ですね、不思議に思うわけですね。

拉致は、相当の数、今、日本政府が言っているだけで16人ですから、実際、まぁ遙かに多い数の拉致が行われているわけでありまして、それをですね、一人や二人でやるなんて事はあり得ない。
あの調子ででてればですね、そこのポスターにある450人全部辛光洙がやったという話になってもおかしくないわけでございます。

何でこんな事になるのかと。
あのニュースがでたのは、だいたい『7時のNHKのニュース』です。

今日もちょっと有本さんのお父さん、NHKの批判をされましたが、いつもは、有本さんのお父さん、NHKの批判をすると、私の方はですね『そんなきついこと言わないで、穏便にしましょうよ』となだめるんですが、やはりあそこから話がどうも始まっているのではないかと思われます。

あのニュースを受けて、各社が動き始めると。で、そして翌日には、各社一面トップとか大々的に乗っかるわけでございます。で、しかし、実際には、しゃべったと言われる人たちはですね、直接の取材を受けない訳なんですよ。
これは9.17のあと、10月15日に帰ってきてから、ずーと同じ状態なんですが、あの時は異常に特殊な状況であったと。最初帰ってきたときは、なんとか彼らを北に戻さないようにしなければいけない。そしてその後は、家族がまだ残っているから、と言うことがあってですね、我々、あの当時、私は救う会の事務局長でしたが、報道規制をしていただかなければいけなかった。で、しかしもう家族が帰ってきたわけですが、その報道規制の状態、未だに続いています。

もし、あの時(年末年始の報道の時)NHKが放送したと。それで、当然各社の拉致の担当記者さんは、本当であれば、普通であれば、蓮池さんに電話をかけて、あるいは柏崎や、小浜にすっ飛んでいって、『これいったいどういう事なんですか』と言う風に聞くわけですね。それに対して、『いや、これは事実関係はこうなんだ』というふうに答えるはずなんですが、ところがそれが全くできない。

そうすると、あと聞けるのは、それを聞いたはずである家族会の方々とか、そういうことになってくる。しかし、それもですね、家族会の方からすれば、そういうことを言われたという事実はたとえ有ったとしても、それが事実であるかの、もちろん確認はできない。 確認はできないけれど、一社が抜かれてしまったら、他の社もですね、そういうふうに動かざるを得ない。そういう状態だと、もしたとえば他にリークが行われれば、それにのもうすぐに飛びつくという状態が、作られてしまっています。

この状態はですね、考えてみると去年の7月ぐらいですか、あの蓮池さんが、太陽里(ちゅんちょんり)、住んでいたところの地図かなんかとかが出てきて、ここでこうしてとか言う、話が出ました。で、あのニュースの時も私非常に不思議に思ったんですが、あの時のNHKの報道はですね、『こうであることがわかった』という報道になっています。わかったはずがないです。裏がとれるはずがない。絶対に。

そういうことを、言っているという報道であればいいんですが、『わかった』と言うことになっている。
あの時は確かその後ですね、クローズアップ現代でも、この問題だけをやっていて、そこでもですね『こういう事がわかりました、という報道になっています。これはもう絶対におかしいです。

それを誰も確認ができない。たとえば安明進が、『ここはこうで、ここはこうで確かにそのとおりだ』 と言う話でもしたのであれば、しまいには別な、脱北者ですとかなんか、他の人でもいいですが、そういう事がでてくれば、確かにそういう可能性があると言うことになるかもしれませんが、そういうものは一切ない。ただ5人が証言をしたと。
それもその本人たちが証言したのではなくて、ただ伝聞で出てきたと言うことだけの話でございまして、これで事態が動くとしたら非常に怖いことでございます。

なんでこういう事が起きているかと。
可能性として一つあるのはですね、日本と北朝鮮の間で(ま、今有本さんがいろんな取引やなんかの話をされましたが)もうすでにある程度のですね、落としどころが決まっている可能性がある。

それはどこかと言うと、この事件をやったのはみんな辛光洙と朴なんだと言う話にしてしてしまおうとしてるのではないかと。

横田めぐみさんも、誰々さんも・・そのうちですね、下手すると、よど号グループのことも隠したいと思ったらですね、『有本恵子さんも辛光洙がやりました』という話が出てきてしまうかもしれません。もう、そういうようなことをして、ともかく『あれ(辛光洙と朴)だけがやったんだ』ということで他のものを全部押さえてしまうと。

そこで、北朝鮮側とすれば、調べてみましょうかとたとえば、日本側に回答して、『朴というのは確かにいたけれども、もうとっくに死んでしまった』といってですね、『もう記録も残っていない。』
それから『辛光洙は確かにいるけれども、もう高齢だから、北朝鮮から出すことはできない、もし日本から来たらば、ちょっとぐらい会わせてあげてもいい。』まぁ30分ぐらいおざなりに会わせて、あとはちょっと体調が悪いからと言って隠してしまう。もう何もしゃべらないと言うことは十分に考えられますね。
へたしたら、北朝鮮のことですから、『いや、これは辛光洙と朴の骨ですよ』と出してきても、これもおかしくないわけでございます。(会場笑い)

そういうような事に日本側でも、そこで話を一段落させて、そこで次ぎに進もうと。つまり、今、日朝交渉の中で、平行して、拉致の問題と、国交正常化の問題を別々にやっていくという話になっていますから、そういう中で『いや、拉致の問題は北朝鮮側、譲歩してきた』と。だから日朝(国交正常化)交渉の方も、進める必要があると。こっちを、進めないと拉致の方も進まなくなると。そういう風な形にしていこうというのがですね、おそらくだいたいの可能性ではないだろうかなと。

ま、もう一つ考えられるのは、警察がそういうような動きに対してブレーキをかける為に出してリークしたという、そういう可能性もあるんですけれど、しかし、それにしては、この事実関係がですね、辛光洙がやったとか言う話というのは、あまりにも変な話でありまして、ちょっと警察がリークするとは思いにくい。

と言うことになれば、もっとその更に上の方で、ものは進んでいるのではないだろうかと言う感じがいたします。

そしてもう一つ言えば、拉致議連の幹事長である西村慎悟さんが逮捕されたのが11月の終わりで、そしてこのニュースが出始めたのは、西村さんが釈放された直後からと言うこともございます。

あの事件について、ま、いろんなことを、もちろん感じられている方、有ると思うんですが。あの政治家の弁護士で、非弁活動で捕まえようと思えば何人だって捕まえられるわけですね。あの西村さんが逮捕された直後になんかの番組で、福島瑞穂がでていて、このことが話題になった話があるそうですけれども。あの福島瑞穂さんって人なんかは当然西村慎悟みたいな一番嫌いなはずなんですが、青な顔して一言も言わなかったいうことでございまして、そういう風に思って、びくびくしている人はたくさんいると思います。その気になればいくらでも捕まえられると思うのですが、一切そんな動きはない。

おそらく、あの逮捕の目的というのは、西村慎悟からバッチをはずさせたいと。バッチをはずせば穏便に済ましてやると言うようなことではなかったかと。ま、本人とそこまで話したわけではないのですが、私の推測にすぎませんが、どうもそういう感じがします。

そういうものすべてが、今何か動いているというふうに考えた方がいいのではないだろうかと思います。これは、何もこれに始まったことではありません。

9.17の時はですね、9,17で北朝鮮が拉致を認めると。『拉致を認めたら、国交正常化交渉を動かす』と、おそらく日本側は言っていたわけです。で、認めたと。認めたら、逆に日本の世論が激昂してしまったと。そしてその次ぎにいったのが、『じゃぁ、生きてると言った5人を返してくれ、ともかく。ちょっと返してくれたら二週間ぐらいで戻す』と。
『そうしたら国交正常化を進める』と日本側言ったんですね。
でまぁ、北朝鮮側は『よし、わかった。こんどはほんとだな』と言って返したのが戻ってこないと。

ある意味でいうとですね、日本の外交の方がうまいのかもしれません。(会場軽い笑い)
北朝鮮をだまくらかしているといえないこともない。

この次ぎやったのはですね、『じゃぁ子供たちは残っているんだから、子供たちを返したら、そうしたら進めてやる 』と言う話になったけれども、子供たちとジェンキンスさんなんかは帰ってきたと。しかしやっぱり進まない。

あの、5.22の時に家族会バッシングということがありました。さきほど有本さんからお話がありましたけれど、あの時にですね、確か共同通信の世論調査だったと思いますが、小泉首相の訪朝を評価する声というのが確か68%ぐらいあったんですね。しかし第一次訪朝の時が86%ぐらいだったと思うので、それよりは低いんですが、まぁそれでも7割ぐらいの人が評価していた。しかしその一方で『これで拉致問題が終わったか』という質問に対してですね、確か8割以上の人が『終わっていない』と言う風に答えている。日本の世論はそう甘いものではないわけでございまして。

で、結局、子供たちが帰ってきても話は前に進まなかったと。

で、その次、その次というのは一昨年の11月になりますが、あの時私が思ったのは、北朝鮮がやる方法はおそらくもう一つしか残っていないだろうと。それはですね、死んだと言っていない人たち、つまり政府が認定していない人の誰かを出してきて、そしてですね、『自分の意志で行きました。今、日本に帰ることは、都合でできません』と。『ただし、自分としては両親に会いたい』と。『だから、お父さん、お母さんもし平壌に来てくれれば会います。早く国交正常化が実現して自由に行き来できるようになればいいと思います』ということを言わせようとしていたのではないかと言う感じがしています。

(続く)

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荒木和博氏講演(2005/1/7 藤沢にて)【2】

荒木和博氏講演 2005/1/7藤沢
 救う会神奈川主催 
 よど号拉致事件を考える市民集会にて

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

 ところがあの時は、それができなかった。この間帰ってきた北川和美っていう変な女(嗤笑)おりましたが、あの彼女が、どうも目的としては、その要員として使おうとして連れてきたという話しでございます。つまり「自分の意思で行った」と。「私自分の意思で行きました」。鴨緑江で飛び込んだという話も多分ウソじゃないかと言われるのですが。自分で行った、あれもう既に荷物先に送ってあるわけですから(ウス笑)。

 そういうふうに出てきて、「私自分で行きました」と言えば、ちょっとこっち(日本)にいる北朝鮮シンパの方、国交「正常化」を進めようとしている人間が、「ほら見ろ、北朝鮮は折れてきてるじゃないか。あれ(北川某)はたまたま自分の意思で行った人だけども、こういうことはちゃんと信頼関係を作れば、そうしたら次に今度は死んだと言ってる人のことまで進んでいくかもしれない」という世論が作れる。

 それからもう一つは「いや北朝鮮に行った人も、やっぱり自分の意思で行った人もあるんじゃないか?」あるいは向こうでいい暮らしをして、帰りたくないと思ってるんじゃないか? ということを流していくと。それによってこちら側の行動にブレーキをかける。あるいは経済制裁とかですね、そういうのにブレーキをかける、としたのではないだろうかと思います。

 私は、あの時はもうあれしかないと思ってました。しかしそれに対して北朝鮮側がやってきたのは、何やったかというと、あの「遺骨」でございます。それ(荒木氏の予想した策略)ができなかった最大の理由はおそらく、金正日に9.17の時ほどの力がもう残っていないということなんだろうと思います。工作機関の中に手を突っ込んで、拉致した人間を引っ張り出してくるとか、あるいはそれ以外でも工作機関が関与した拉致被害者をですね、たとえ日本政府が認めていなくても出していくというのは、相当なリスクを伴うわけで、実際曾我さんの件ではですね、やったらば逆効果になっちゃったわけですね。

 そうすると、出してくるのはかなりの力を使わなきゃいけない。それが金正日にはおそらくできなかった、ということであろうと思います。

 そしてその「遺骨」、この時はおそらくちゃんとした合意ではなかったのでしょうけど、日本の中の誰かが、「どうせ鑑定なんかできないから、出してこい」と言ったのかもしれません。そうしたらば(遺骨はめぐみさんではないという)鑑定ができてしまった。で、話しが違うということに向こう(北朝鮮)としてはなって相当頭にきた、ということであろう。

 そうすると、その後やってきていること、今やってることもおそらく、そういう意味での落とし所を作りたいということに、それも北朝鮮側だけでなく、日本側だけでなく両方が既にある程度の合意が行われていると、思った方がいいのではないかと思います。

 ですから、今の流れているニュースをそのまま真に受けていますと、その方向へみんなどうしても流れていきます。非常に危険なことですので、ともかくここにおられる皆さんが、おかしいということは、しっかり思っていただきたいと。

 元々北朝鮮とは、ウソをつくことなんてのは、悪いとも何とも思っておりません。

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

でありまして(爆笑)、
北朝鮮の「労働新聞」なんて、正しいのは日付くらいでありまして(笑)、
まあ今日のこの集会のテーマから言いますと、まあ

「嘘つきはよど号の始まり」

ということも言えるわけでございます。

 よど号グループも、後ほど有本さんのお母さんが、よど号の一人(赤木史郎)と話しをしたことを言われるかもしれませんが、まったく有本恵子さんの拉致を知らないと、言ってるわけですね。知らないはずがないということは、もう誰もわかっているわけでありまして、それを敢えて知らないと言うことは、彼らの言ってることもすべてはウソだ、ということの証拠でございます。

 ところが、日本人というのはマジメですから、もっともらしい顔をしてウソを吐かれると、ひょっとしたら本当のことが入ってるんじゃないかなと、思ってしまうわけなんですね。これが間違いで、そういう人でない場合には、そういう対応をせざるを得ないのではないだろうかと思います。

 そういう場合は、どういうふうにすればいいか? この会場で前にも言ったかもしれませんが、北朝鮮のやり方のウソの吐きかたというのは、わたくしは「試験問題戦術」という言い方をしますが、ともかくいい加減は試験問題を出して、ぶつけてくる。で、こちら(日本)側で交渉に当たる人というのは、だいたい非常に頭のいい学校の成績が良くて、東大をトップで卒業したような人たちが当たるわけですね。

 そうするとですね、試験問題というと無条件に解くものだというふうに頭にあるわけです。すると出てきた試験問題に、マス目に空白が空いていると、空いたままにしておくと、とても指が震えて禁断症状を起こしてしまう(ウス笑い)。そうすると、ともかく解答を書き込んじゃう。書き込んでいる間に相手は逃げていくわけです。

 しかしともかくマス目が空いていることは許せないということで、一生懸命マス目を埋めて、それから走っていって「ここは、こうおかしいじゃないか」と言って出す。そうするとまた向こうは、またいい加減な問題を作って渡してくる。こんな問題解いても仕方ないと思いながら、でも目の前にマス目があると埋めたくなってしまう。

 こういう交渉にあんまり頭のいい人使う必要はないですね。もうちょっと度胸があってですね、多少頭が悪い。試験問題を元々解けなかった人間を使ったほうが(笑い)、はるかに上手く行くわけでございます。

 北朝鮮という「国」相手に、まともな話し合いで信頼関係を作ろうなんてこと自体が、そもそも間違いなわけでございまして、金正日が代わってまともな政権ができりゃあ、その時はもちろんちゃんと話しをすればいんですけど、今のあの体制でまともに話し合いをしたって通じるわけがない。

 フツーのアメリカ人相手に、スワヒリ語(ケニヤやタンザニアなど東アフリカ地域で多用される言語)で話したって通じないわけですね。それと同じことです。北朝鮮相手に、普通の言葉で話しをしたって、朝鮮語で話そうが、何で話そうが通じない。「馬の耳に念仏」という言葉がありますけど、馬に言うことを聞かせるには、鞭でひっぱたくか、ニンジンをやるかどっちかぐらいしかない。

 そうすると北朝鮮に言うこと聞かせるには、経済制裁を初めとして圧力をかけることしか方法はない。実際に一昨年の前半、ですから3年前の(03年)12月の末ですか、平沢さんが中国(大連)へ行って、北朝鮮の日朝国交担当大使と会う。そしてその後4月に、山崎拓さんと平沢さんがまた行くと。あの時は、その後5.22の小泉第二次訪朝があるわけですけど、あの時一体北朝鮮はどうしていたかと。

 あの平沢‐山崎ルート以外にですね、あのレインボーブリッジ(小坂浩彰代表)という怪しげなNGOを使ったりとか、それから今の総理のですね、あの~(名前が思い出せない様子)腹の周りが120センチあるという秘書官(飯島勲首相秘書官)を使って、飯島秘書官と朝鮮総聯の大物の間とか、いろんなルートを使ってます。

 私、ちょっと見てて、何でそんなにあせるんだろうということを非常に思ってみていたんです。そこでわかったのが、結局あの時、経済制裁が怖くてしかたがなかったということです。あの前の年の暮れくらいから、経済制裁法案が具体化して決まっていく。次は発動だという話しになる。北朝鮮としては、何がなんでもそれを止めざるを得ないという状況に置かれていたわけでございます。

 そしてそういう状況の中で、なりふりかまわず日朝のルートを使っていった、というのが、1年半前の状況だったのではないか? その結果、小泉さんの第二次訪朝になった。そこに向かって、(帰国済みの拉致被害者)5人の家族の帰国最優先ということで行っていたので、そこでだいたい落としどころになっていったのだと思います。

 実際に5.22の小泉第二次訪朝で、北朝鮮は経済制裁は発動しないとか、あるいは在日朝鮮人に差別をしないとか、これは「差別をしない」というのは、つまり在日朝鮮人の個人、個人なんかどうでもいいんですね。北朝鮮からすれば、ただ収奪の対象でしかない。問題は、総聯に圧力をかけるのを止めたい、ということだけで、そのほとんどの目的をとりあえずは達成をしたということであります。

(続く)
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荒木和博氏講演(2005/1/7 藤沢にて)【3】

特定失踪者調査会 代表荒木和博氏

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これ裏を返せば、いかに北朝鮮がそういう制裁が怖がっているかと言うことでございまして、ならば、こちら側からは、それ(経済制裁)をやるしか方法はないであろうと言う風に思っています。

本当にひどい状況の国ではあります、そういう意味で言うと。
ただし、これはですね、さっき言ってきたように、9.17の時には、あくまで結果的ですよ、あくまで結果的ですけれども、あの田中均さんをはじめとする、福田康夫官房長官かわかりませんが、ともかく北朝鮮側にですね、『拉致を認めろ』と『拉致を認めたら、日朝交渉進めてやる』と言う風に言って、だまくらかして拉致を認めさせたと。
北朝鮮は、朝鮮戦争も自分からやったと言っていない。あれ、南から攻めたと言っています。
大韓航空機の爆破事件も、ラングーンのテロもみんな我々知らないと言っている。
その北朝鮮が拉致だけは認めたのです。

いかに意味があったかと言うことであります。

そのあとは『5人だけ、ともかく生きてるんだからともかく返してこい』と、『そうしたら戻してやるから』と言って戻さなかったと。
そして次には家族だけ帰してきたら、後は(国交正常化を)進めてやるといって進めなかったと。
と言うことでございまして、今回も、うまくいけば、辛光洙から、なんか取って、ものは進めないということも、まぁ、うまくいけばできるかもしれません。乗せられてはいけませんが。

と言うことで考えると、日本という国は、もどかしいんです。もどかしいし、かなり個別の工作事件のことでは、やられっぱなしではあるんですが、全体としては間違いなく、北朝鮮を押しています。間違いなく。これはですね、ご家族の皆さんにとっては、もちろん自分の家族を取られているですから、一分一秒でも(早く)という事がありますが、私にとっても、そうしなければいけないという思いはあるんですが、少なくとも全体から見れば、こちらが押しているのは間違いないのです。

アメリカはクリントンの政権の時は、逆行しようとしていたと。そのときに、結果的にですけれどブレーキをかけたのは日本であったと。日本だけが、ある意味で言うと、だんだん、だんだんに強行になって、そしてしかもその方針をかえていないということでございます。

ですから、このことが続いていけば、私はですね、どっかで大きな転換を持ってくることができるであろうと、確信をしております。

アメリカの私の友人に前に言われたんですけれど『とにかく日本はすごい』と。これはですね『5人取り返してきた』と。『北朝鮮に拉致を認めさせて』『アメリカでは考えられない』 と言っておりました。ちょっとまぁ意外な話ですね。我々ちょっといろんなところでお話ししますと、アメリカだったら、軍艦を送っても取り返してくるだろうという言い方するんですが、、まぁ、その友人、共和党系の人なんですが、『いや、アメリカ、そんなことしないよ』と言っておりました。『日本ができたのがすごい』と言うことでございまして、これはですね、もちろん社交辞令もあるでしょうが、やはり、我々自信を持っていいんじゃないかと思います。

なんか戦前はですね(具体的にいつどこというのは知らないんですが)ソ連に漁船が拿捕されたときに、ウラジオストックかどこかに、連合艦隊の船が戦艦か何かが行ってですね、港に向けて砲身をそちらに向けたらですね、返してきたと言う話があるそうで、もちろん日本でもそういうことがあったわけであって、今でも、こういう風に取り返してきたということを考えるだけでも、やっぱりそれ(奪還)はできるのであろうと言う風に思っております。

問題は、我々がこれができるんだというふうに確信できるか、それともできないかという問題です。
お恥ずかしい話で有りますが私自身もですね、あの羽田空港を(3年前の10月15日にですね)あの5人がタラップの上から降りてくる時に下で待っていたうちの一人ですが、あのタラップを降りてきた5人を見てですね、一番最初に思ったことは、『なんだやりゃぁ、できるじゃないか』ということでございました。

自分自身、もちろんそれはできると思ってやってるんですよ。運動盛り上げて、そして政府を動かせばですね取り返せると確信をもってやっていた、私自身が、目の前に生身の階段を降りてくる5人を見たときに、最初に感じたのは『なんだ、やりゃぁ、できるじゃないか』ということでございます。実感というのは、こんなに大きなものなんだなぁと感じました。

やられてる、やられてるとばっかり、思っちゃうとですね、なかなか、イメージとして湧いてきませんが、『絶対できる』と確信を持てば、それはおそらくすごい力になると思います。

北朝鮮と日本と比べてですね、これはもう、人口で六分の一、面積は三分の一、そして、国力、経済力は、そういうものは全く話にならない。国際的信用から何からですね、日本と北朝鮮と比べる方が、無理があるわけでございます。

まぁ確かに向こうは軍人が100万人以上いると。人口の20人に一人が軍人という国ですが、そのおかげで、飯食えないで、軍隊の中でも、なんか豚小屋つくったりとかですね、鶏小屋作ったりして、何とか飯くっているという状態のところなんですから、どこから言ったって日本が、そこにですね、負けるわけがないわけでありまして。

我々の力で、絶対できるんだと、このアジアの中でですね、そういうことのできる国は、我が国しかないんだと。そういうことを考えることによって、事態は間違いなく前に進むと思います。

こないだ、12月22日の東京の集会にはですね、レバノンの拉致被害者のお母さん(ハイダールさん)、それからタイの拉致被害者のアノーチャさんのお兄さん、そして韓国の拉致被害者の家族会のみなさんが見えられました。

あれはどういう事を意味しているかと言いますと、別にそういう風に決めてるのではありませんが、日本の力でああいう人たちをみんな、取り戻してあげると言うことです。

我々、外国人だから、それは外国がやってくれということは、これは言えないわけでございまして、この地域にあって、最大の影響力持っている我が国がそれをやらなければ、タイが助けるなんて事は、まずできません。
レバノンだって、あの時の4人取り返したのだって、非常に特殊な条件の中の話であって、本当の意味で、(自国=レバノンの)力で取り戻したわけではない。それができるのは我々しかありません。

それをやる使命も我々には持たされているということであろうというふうに思います。

私ども特定失踪者調査会では、去年の10月の末から『しおかぜ』と言う名前で短波のラジオ放送を始めました。
まちがいなく北朝鮮の中に伝わっているということは間違いございませんので、これから先、今年はですね、この『しおかぜ』のプロジェクトを、単に短波放送発信するだけではなくて、むこうから消息を実際取ってくるという作業をですね、やると言うことにいたしております。これを聞いた人がですね、なんだかの形で、たとえば手紙とか、そういうものを送ってくれるとか、何処かに向けて、なんかしらの、シグナルを送ってくれるとか、それを受け取ることができるようにしておこうと、これからやっていくつもりでございまして、とりあえず東京中央郵便局に私書箱をおきました。

調査会のあります文京区後楽・・・と言いましてもわかりやしませんけれども、東京中央郵便局の私書箱何号といえば、これはもう覚えられやすいと言うことで。
放送も韓国語・英語できれば中国語も含めて、少しでも多くの人が聞いてもらえるように、していこうと言う風に考えています。
ともかくやれる手はみんなやる。

我々のやっていることに対して、『これは本当は政府のやることなのに』と言ってくださる方も、たくさんございます。これもありがたいのですが、私は、少なくとも政府だけがやることではないと思います。やはり日本国民全部の責任としてですね、ここで今平和なところで暮らしている人間の責任として、それはやらなければならない。だから私は今その役割にいるんだからやるべき事、それをやるということでございます。

今、この問題を通して、我々やらなければいけない、考えておかなければならない事は、(この国は)今ここに集まっている皆さんをはじめとして、今この国の中に住んでいる人たちだけのものではないと言うことでございます。

この国が今ここにあるためにはですね、もう何千年も日本という国の名前もなかった頃から。我々の先輩たちが営々としてこの国を築いてくれた訳でございまして、そしてこれから先、このくににですね、次の生命がどんどん生まれて、我々の後を継いでいくわけであります。

我々がやるべきことはその中継ぎです。
全体の、そういうみんな含めた日本国民という意味では、我々の数、1億二千万というのはほんの僅かにすぎません。我々がやるべき事というのは、これまで先人が作って来てくれたことを汚さないこと。そしてこの次の世代にですね、あの頃の世代がいい加減だったから、こんなふうになってしまったということを絶対に言わせないように、次の世代にちゃんとした国を引き継いでいくことであろうと。

そのためには、やっぱりそれ相応のですね、我々自身が犠牲を払う必要があるのではないだろうかということでございます。
我々にはそれだけのことをする力がございます。

今、最初に言いましたようないろんな動きの中で動いておりますけれど、しかしこの国の今の状況をみますと、本当に確信を持ってですね、何が何でも(国交正常化を)やってやろうというところまでの確信では、私はないと思っています。いろんな思惑がごちゃごちゃ集まってるうちにこういう風になっているんだと思いますが、そうであれば、こういう状況の時に打開するのは、最終的着地点はどういうふうにするのかと。何を最後やらなければならないのかというような事でございまして。それをしっかりと見据えてやっていけばそんな大きな間違いはないであろうと思います。

拉致問題に関する限り、最終的な到達点というのは、『すべての拉致被害者を救出する』というこれ以外の何物でもないということでございまして。これはもう当然、そこから派生してですね、北朝鮮に住んでいる2000万の人たち、すべてが平和に暮らせるようになっていくということに間違いなく繋がることでございますので、そこに向かっていくと言うことであろうと思います。

本当に、この正月ですね、お休みの時、おいでいただいた皆様に感謝いたしますと共に、後もう少しで私は、それが実現すると思いますので、ご協力をお願いいたしまして私の話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。(拍手)

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2006年1月 6日 (金)

北朝鮮の統一戦略と朝鮮総連

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北朝鮮の統一戦略と朝鮮総連 統一日報*政治1月1日版

論説主幹 朴斗鎮

 昨年、われわれは解放60周年を迎えた。日本の植民地解放から始まった「朝鮮半島の統一問題」は、今もなお解決を見ないでいる。この間、朝鮮半島情勢だけでなく、国際情勢も多くの変化を遂げ、統一問題に対するより客観的資料も蓄積された。これまで北朝鮮が主張してきた「統一論議」の内容は、北朝鮮政権が民族の正統な政権であり、従って北朝鮮の政治体制による朝鮮半島支配だけが民族の幸せと繁栄をもたらすというものであった。しかし、それは朝鮮民族の繁栄ではなく、金日成に始まる「金王朝」の繁栄のためのものであることが日々明らかとなっている。ではこの「金王朝」のための統一戦略とはどのように確立され展開されて今日に至っているのだろうか。またそこで朝鮮総連は、いかなる役割を担わされてきたのだろうか。こうしたことを振り返ることは、在日社会の今後を見極める上でも重要であると思われる。



1.武力基本の統一戦略


九州南西沖で海上保安庁の追尾をうけ、自爆したと見られる「北の工作船」がひきあげられた(2002年9月11日)

 北朝鮮の統一戦略は、朝鮮戦争以前と以後ではさまざまな面で異なるが、一貫しているのは武力を基本としていることだ。すなわち韓国から米軍を撤退させれば統一は武力で実現できると考えている。また世界的規模での武力衝突(例えば米・中の衝突)発生の場合も武力統一が可能と考えている。それは1950年の金日成の行動で証明された。
 1949年10月1日の中国共産党政権の樹立と10月5日の朝中国交樹立、1950年1月12日の米国務長官アチソンの「韓国、台湾を米国の防衛ラインからはずす演説」(アチソンライン)は、金日成に統一の好機と捉えさせ朝鮮戦争を決断させた。
 アチソン演説の直後である1月19日、金日成は平壌駐在のシュティコフ大使を通じてスタ―リンに対南攻撃の許可を要請し、スタ―リンはこれに同意した。そして金日成の南侵計画が作成され1950年6月25日「朝鮮戦争」が勃発した。
 金日成の南侵戦争は、米軍と国連軍の参戦で誤算を招いたが、この戦争で金日成は、その冒険主義を反省するのではなく、朝鮮戦争失敗の原因を、韓国内同調勢力の欠如に求めた。



2.「南朝鮮革命」が前提

 北朝鮮の平和統一戦略が「定式化」されるのは1960年代に入ってからである。それは韓国で起こった1960年4月19日の民衆蜂起がキッカケとなるのだが、直接的には韓国での軍事政権登場と関係している。
 1961年9月11日(18日まで)に開催された朝鮮労働党第4回大会で、金日成は「事業総括報告」を行い「祖国の平和的統一のために」という項目で、「南朝鮮革命」による韓国での親北政権樹立を平和統一の前提条件として位置付け、その革命の性格を「反帝反封建民主主義革命」と規定した。
 そしてこの革命は、米国とその追随者を韓国から一掃する暴力革命でなければならないとして、李孝淳を対南工作チームの中心に据え「地下党」建設を本格的に進めることとなる。それが金鐘泰を責任者とする「統一革命党」であった。
 1964年2月27日の朝鮮労働党第4期第8回会議で「祖国統一偉業達成のために総力をあげて革命力量を強化しよう」との報告を行い「3大革命勢力の強化」を公にした。すなわち、北朝鮮を革命の基地とし、韓国の「地下組織及び親北勢力」、「国際的同調勢力」の3つの勢力を統一実現の動力であるとしたのである。
 北朝鮮による1968年1月の朴大統領襲撃ゲリラ事件は、ベトナム戦争での米国の苦境を背景に、統一革命党を中心とする暴力革命への「導火線」を狙ったものであるといえる。それは「南朝鮮革命」を前提とする「統一戦略」の最初の実践でもあった。
 しかし1968年に統一革命党は潰滅した(KCIAは1968年8月2日「統一革命党」を摘発。金鐘泰ら158人を逮捕)。
北朝鮮の対南工作チームは処罰され、その主導権は金正日総書記に移行していく。



3.「3大革命勢力」構築に失敗

 1970年代には金正日後継が決まり、金正日式対南工作が展開されることとなる。この金正日式対南工作が1983年のアウンサン廟爆破事件、1987年のKAL機爆破事件などを引き起こし 「拉致事件」を頻発させる。一方、韓国の地下組織は「主体(チュチェ)思想」を信奉する「チュサ派」勢力によって再建の道を進むこととなる。
 1972年2月のニクソン訪中と「米中共同声明」を背景に、7月には「南北共同声明」が発表され、金日成は「70年代統一」の大号令を発する。しかし、「南朝鮮革命」に有利な状況は生まれなかった。「反共法」と「国家保安法」そして韓国の驚異的経済成長と国際共産主義運動の分裂が、金日成の野望を打ち砕いたのである。
 1970年代に金大中政権が生まれていたならば、金日成の野望は実現していたかもしれない。それは金日成がしきりに「金大中のような人物が南で政権を掌握すれば統一は成就する」としていたからだ。
 1970年代を境に逆転した南北の経済格差と、北朝鮮経済の没落、1980年代末からのソ連をはじめとした東欧社会主義の崩壊は、「3大革命勢力」による「統一戦略」を色あせたものにしていった。1990年の韓・ソ国交樹立、91年の韓、朝国連同時加盟、92年の韓・中国交正常化は、それを国際的に確認する。
 その結果1990年代後半からは金正日の「核武装」による戦争瀬戸際政策が「統一戦略」の基本となる。しかしこれは1970年代までとは違い生き残り的側面が強いものだった。とはいえ北朝鮮が「南朝鮮革命」を前提とする「統一戦略」を放棄したと考えるのは早計だ。2000年6月の「南北共同宣言」以降の韓国情勢は、「南朝鮮革命」にいまなおチャンスを残しているからだ。



4.北朝鮮「連邦制」戦術の本質

 北朝鮮は、韓国で民衆蜂起が起こるたびに「連邦制」という「戦術」を発動してきた。これは北朝鮮政権が「南朝鮮革命」というプロセスを経ないで韓国政権相手に直接関与する平和統一戦略といえる。
 これまで北朝鮮は、2度にわたって「連邦制案」を提示した。1回目は4・19直後の1960年8月14日、解放15周年慶祝大会での金日成提案であり、2回目は1980年5月の「光州蜂起」直後の朝鮮労働党第6回大会での「高麗民主連邦共和国案」である。
 1回目は自由総選挙までの過渡的な対策としての「連邦制」であったが、2度目のそれは「連邦制」実現自体を統一とみなすものであった。この連邦制の狙いについて金日成は朝鮮労働党中枢幹部に次のように語った。
 「連邦制は統一戦線戦略を実現するための戦術である。連邦制が実現され、北と南を自由に往来して、北の制度と思想を宣伝するようになれば、統一への道が開かれる。共和国は1つの思想で統一されているために影響を受けないが、南朝鮮は思想的に分裂した自由主義国家であるため思想宣伝を大々的に行えば、少なくとも住民の半分は獲得できる。共和国側が2となり南朝鮮側は1となる。そうすれば選挙を行っても戦争をしてもわれわれが勝利する。中国でも国共合作が国民党の支配地域に共産党勢力を拡大する好機となった。
 また軍隊が南の親北勢力を直接支援すると『南進』だといって諸外国がうるさいが、テコンドー部隊に拳銃を与え100万人ほど派遣すれば北の人間か南の人間かが分からないため『南進』だという口実を与えなくとも済む。そして親北勢力と協調すれば政権奪取も可能だ」
 この発言で分かるように「連邦制」は、金王朝支配を実現するもう1つの戦術である。2000年の「南北共同宣言」で「連邦制の低い段階」などという急ごしらえの「統一案」を作り出した目的も、何の共通性もない金大中の「連合制統一案」と結びつけ、統一戦線戦略を実現するためのものであった。



5.朝鮮総連の果たす役割

 1955年5月に結成された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は、「3大革命勢力」すなわち北朝鮮の「革命基地」強化と「南朝鮮革命」のための地下党建設、そして日本をはじめとした国際的同調勢力の獲得を側面から支援する役割を与えられ、他のすべての運動はこの目的に従属させられた。
 それ故、朝鮮総連にとっての在日同胞権利獲得運動は、この目的を遂行する大衆獲得運動であり大衆基盤強化のための統一戦線運動となる。朝鮮総連は、民族教育であれ、差別撤廃運動であれ金王朝とその統一路線にそぐわない権利闘争は行わない。
 1960~61年に盛り上がった「帰国運動」は、人、モノ、金(カネ)を北朝鮮に運び「地上の楽園プロパガンダ」を世界に発信して北朝鮮の統一戦略を前進させる上で大きな役割を果たした。
 また朝鮮総連の日本における対外活動は、金日成の権威を国際的に高め国際的同調勢力を獲得するうえで本国では担えない役割を果たした。
 特に韓国の軍事政権時代、日本を拠点とする対南工作と地下党建設活動では多大な貢献を行った。この分野では合法と非合法の活動を使い分け、選抜された人々が、朝鮮労働党直属の工作員との棲み分けを行いながらさまざまな活動を行った。
 例えば故金炳植元副議長のもとで某裏組織のキャップとして活動していた高大基氏は、西五反田のユニバーストレーディングという貿易会社を足場に秘密活動を展開した。
 朝鮮総連は「在日同胞の権利を擁護する統一戦線体」と標榜しているが、その本質は北朝鮮の統一戦略を実践する側面部隊である。2000年の「南北共同宣言」以降、韓国では「国家保安法」が形骸化され「親北勢力」が大手を振って活動できるようになったため、朝鮮総連の対南工作活動に対する要求度は低下しているが、その本質的役割が変更されたわけではない。
 金正日総書記が、1999年4月20日に徐萬述議長に指示した「赤い心は内に秘め右傾化したのではと疑われるほどになれ」とする「外柔内剛戦術」は、今もなお朝鮮総連の基本戦術である。彼らは今弱体化している組織の復活を「朝日国交正常化」に置き起死回生を狙っている。

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2006年1月 5日 (木)

めぐみさん拉致 シン元工作員

めぐみさん拉致 シン元工作員

これは、拉致被害者の曽我ひとみさんが、複数の関係者に明らかにしたものです。それによりますと、曽我さんは、拉致された昭和53年から55年にかけて、ピョンヤン市内で横田めぐみさんと暮らしていましたが、このとき2人の教師役をしていたシン・グァンス元工作員から、「横田めぐみを拉致したのは自分だ」と直接聞いたということです。また曽我さんは、めぐみさんの拉致の状況について、めぐみさん自身から、「学校から帰る途中、空き地で待ち伏せしていた数人の男に無理やり連れ去られた」と聞いたということです。シン元工作員は、昭和55年に、大阪の原敕晁さんを拉致した実行犯の1人として警察庁が国際手配していますが、最近になって拉致被害者の地村保志さんが、自分たち夫婦を拉致した実行犯だと警察などに話していたことが明らかになっています。シン元工作員は、昭和60年に、韓国でスパイなどの容疑で拘束され死刑判決を受けましたが、南北首脳会談での合意を受けて平成12年に北朝鮮に帰国し、英雄として扱われています。シン元工作員は、めぐみさんと曽我さんに朝鮮語や思想などを教えていたこともわかっていて、めぐみさんの拉致から教育に至るまで一貫してかかわっていた疑いが強まりました。拉致被害者の家族らは、シン元工作員が拉致事件の詳細を知っているとして、身柄の引き渡しを北朝鮮側にいっそう強く迫るよう、日本政府に求めていくことにしています。これについて、めぐみさんの母親の早紀江さんは、「初めて聞かされたときには、驚きのあまり『信じられない』と思わず声を上げました。めぐみの拉致から28年目になって、ようやく真相が明らかになったと思います。いっしょに暮らしていた曽我さんが、みずからの危険を顧みずに踏み切ってくれた証言であり、政府は今度こそしっかりと立ち上がって、被害者の一刻も早い救出につなげてほしい」と話しています。

NHKニュース2005/1/5

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2006年1月 4日 (水)

よど号犯について

12.22で配布された、救う会神奈川のチラシより紹介
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 拉致実行犯のよど号妻が帰国するのをご存じですか?

帰国した仲間のよど号妻たちが平気で町を歩いているのをご存じですか?
拉致被害者が帰ってこれないのに、加害者が帰ってくる現実をご存じですか?
松木薫さん、石岡亨さんは1980年にスペインでよど号妻に拉致され、1983年にはデンマークで有本恵子さんが同じくよど号グループに拉致されました。

2つの拉致事件ともよど号妻八尾恵氏やスペインで森・若林容疑者から松木さん・石岡さんと一緒に旅行に誘われた旅行者の証言やスペインのホテルの宿帳など状況証拠があり、さらによど号グループを支援してきた元赤軍派議長塩見孝也氏や高沢皓司氏などの証言でも、よど号犯妻およびグループの関与は明らかです。しかし、彼女たちはマスコミの取材や支援団体の機関誌で拉致事件の関与を全面的に否定しています。アメリカ政府は彼女らを国際テロ組織と断定しています。

しかし、警視庁などは、
旅券法違反のみでしか国際手配していません!! 


松木さん、石岡さんの拉致間よへの疑いが強い森順子・若林佐喜子容疑者が、一部情報では来年(2006年=今年)2月以降帰国するという情報があります。先に帰国したよど号妻の赤木恵美子や福井たか子や魚本民子や水谷協子は同じく旅券法違反の裁判で執行猶予付きの有罪判決を宣告され、釈放後、

私たちと同じように平気で暮らしています。

よど号グループの主張は以下のようです。
よど号グループの機関誌「かりはゆく35号」より転載
『日朝関係もこじれにこじれ、最悪の状態になっており、「よど号」グループによる「拉致疑惑」が朝鮮民主主義人民共和国」政府による正当な否定、本人たちの一貫した否定にも関わらず既成事実化されようとしています。(中略)今年は、昨年度の成果を受け継ぎ裁判闘争、救援活動に力を入れ、「拉致」攻撃に主導的に戦っていくこと』

拉致被害者が帰ってくることができない現実に対し、加害者がこのような主張をしています。

このような理不尽な事が許されてもよいのでしょうか?

私たちは警視庁などの捜査当局に対して森・若林容疑者や国内にいるよど号関係者に対して拉致事件での徹底した捜査を強く求め、さらに日本政府に対しては拉致問題の解決のために経済制裁発動を含めたあらゆる手段をとるように強く求めます。

チラシ作成:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会
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2006年1月 3日 (火)

今年は北朝鮮問題の「棚卸し」をする時

統一日報2006年1月1日発行版
特別寄稿 康仁徳元統一部長官

 昨年9月の第4回6カ国協議で採択された「共同声明」を読みながら、この文書がはたして北朝鮮核問題を平和的に解決する順調な会談進行の担保となるのだろうか?との疑問を抱かずにはいられなかった。それは1972年以降、約500回にわたる南北会談で、数十の合意書を採択したものの、その用語を北朝鮮は、対南(韓国に対する)戦略―戦術に合わせて歪曲解釈し、協議の進展を妨げる遅延戦術として使い、結局死文化させてきたからだ。筆者はそれを身をもって体験した。憂慮していた通り、共同声明発表から24時間も経たないうちに「…米国が信頼構築の物理的担保である軽水炉を提供しないかぎり、われわれがすでに保有している核抑止力を決して放棄しない…」という北朝鮮外務省スポークスマン声明が発表された。

6カ国協議「共同声明」の弱点 

 こうしたことを踏まえて、第4回6カ国協議の共同声明文の中で北朝鮮が逆手にとる可能性のある用語(words)1つ2つをあげてみる。


 共同声明の第1項には「北朝鮮は、核兵器及び既存の核計画を放棄し、核拡散防止条約(NPT)と国際原子力機構(IAEA)に復帰しなければならない」と明記され「米国は、朝鮮半島において核兵器を保有しないだけでなく、核兵器や通常兵器を用いて、北朝鮮を攻撃したり、侵攻したりする意思がないことを確認する」と記されている。
 この文章の意味は、米国には北朝鮮を武力で攻撃する意思は一切ないので米国の武力侵略を云々しながら核開発を続けることをやめ、核放棄に応じよという意味である。
 しかし、北朝鮮側は「本当に侵略の意思がないのであれば、直ちに駐韓米軍を撤退し、北東アジア(朝鮮半島以外の地域)で米軍が保有している核兵器を放棄する措置を取れ、そうするなら米国を信じて核を放棄する」と解釈するだろう。結局、駐韓米軍の撤退や「米側が先にとるべき措置」の名目として逆利用すると考えられる。
 第1項の末尾に記述されている「北朝鮮の原子力の平和的利用権尊重」と「適切な時期」についても、その時期が「今日」になるかもしれないし、「明日」になるかもしれないので、今すぐ軽水炉を提供せよと要求し、すでに明らかになったように「先軽水炉後核放棄」という論理に変えている。
 第5項の「約束には約束」、「行動には行動」という用語は「北朝鮮式の相互主義(相手には相互主義を要求しながら自らはそれを拒む)」論理展開の根拠に利用するだろう。「完全で検証可能かつ後戻りできない核の放棄(CVID)」に応じるのでなく、数々の段階を設け、段階ごとに「先補償後措置」の論拠に歪曲するはずだ。こういった会談戦術は南北会談でいやになるほど見せつけられた。
 筆者は6カ国協議継続の問題もさることながら、北朝鮮がたびたび見せる戦争瀬戸際戦術への対応の難しさから、意思と行動を共にしなければならない韓米日3カ国の亀裂が一層深まるのではないかと心配である。
 共同声明に包括的に記されている核問題解決方法や、朝鮮半島における平和体制構築の原則的問題、そして至急実行しなければならない問題とその後の問題を区分整理し、ロードマップを作成して実践案をどう設定するのかについての問題などで北朝鮮との激しい対決が予想されるため、今回の共同声明が本来の使命を全うできるかどうか心配である。

韓米日間の深まる亀裂 

 それにもまして心配なのは、6カ国協議期間中、参加国の間で異見が露呈し、北朝鮮の説得に難関が作り出されたことである。
 特に、韓米日3国が確固たる意思と結束で北朝鮮問題に全力を注いでも目的が達せられるかどうかわからない状況で、北朝鮮核問題に対する認識の違いを露呈させ、異なる交渉戦術によって、北朝鮮側を利する状況を与えたという後日談が漏れ伝えられるにつけ、このありさまで果たして交渉を通じた北朝鮮問題の解決が可能なのだろうかと疑問がもたれる。


カン・インドク 平壌出身。朝鮮戦争勃発で韓国へ避難。1961年から78年まで韓国中央情報部の北朝鮮担当局長。98年3月~99年5月まで統一部長官、99年7月から日本聖学院大学総合研究所客員教授

 この間、韓国政府の言動が3カ国の協力体制に否定的な影響を与えたのは周知の通りだ。例えば盧武鉉大統領自らが「核が自衛手段という北朝鮮の主張には一理ある」と発言し、北朝鮮の核開発が正当であるかのような印象を匂わせ、鄭東永統一部長官も「核の平和的利用は主権国家の権利であり、北朝鮮の核平和利用は当然許されるべきだ」とした。
 問題は、こうした発言が、米朝が軽水炉提供問題で激しいやり取りを行っている最中になされたことにある。米国が韓国側に対して不満を持つのは当然なことであろう。
 そうかと思えば、青瓦台関係者は、「韓国が韓米日南方3カ国同盟を支える軸の1つであった北東アジアの秩序は、冷戦時代に作られたものであり、われわれがいつまでもこの枠組の中に閉じ込められるわけにはいかない」とし、もはや周辺の国際情勢は、韓国が韓米日3カ国共助にとらわれる時期ではないとも受け取れる発言を行った。
 これらの発言は何れも6カ国協議期間中に行われており、その後3カ国の協力関係にひびが入り始めた。
 一部で、韓米日の関係回復は難しいといわれているが、こうした状態で中国とロシアの協力を引き出せるだろうか。中国とロシアの協力は韓米日の協力体制が強固であると判断されてはじめて得られるものである。「韓国でさえ我々の主張に賛成しているのに友好国の中国とロシアがアメリカの肩を持つのか」と北朝鮮が主張した場合、中国とロシアはどう返答すればよいのか。
 筆者は、6カ国協議の直前に、「3対3(韓米日VS北中ロ)協議になったとしても核問題を平和的に解決できる可能性はあるが、韓国政府が『仲裁役』を云々しているところをみると、『2対4(米日VS南・北中ロ)協議』になりかねないと指摘し、こうなれば、核問題解決のための6カ国協議は失敗に終わる可能性が高い」と警告したが、残念ながら第4回協議を終えた現段階では「2対4」の状況になってしまったように見受けられる。

 核、解決の戦略を変えよ

 現状をみる限り、北朝鮮の核問題を平和的に解決できる可能性は薄れてきたように思われる。では、北朝鮮核問題の平和的解決はあきらめるべきだろうか。そのように落胆するにはまだ時間がある。今までの考え方や戦略を変えて新しく策定すればいいのだ。
 では、どこに焦点を合わせるべきか。筆者は、金正日委員長の「軍事力への信仰心」に狙いを定める新しい戦略を練ることを勧める。彼は「私の権力は軍事力が源泉だ」と話している。「先軍後党」の「先軍政治」は共産党一党独裁国家の政治原理をも否定したもので、軍事至上主義者のドグマから出た統治理論である。
 金正日委員長が年間の現地指導の大半を軍部隊視察にあてている理由は、軍事力だけが信頼できる体制維持の手段だと信じているからだ。彼の軍事力に対する認識は宗教的な信仰に近いといえる。それ故、軍事力の最高手段ともいうべき核兵器開発を諦めるはずがない。数十万の国民を餓死させてまで核開発に莫大な資金を注ぎ込む理由がそこにある。
 だから、彼の軍事力に対する信仰心が間違っていると気づかせることが核問題解決の鍵となる。ではどうするのか。それは簡単なことだ。彼がいくら核開発に専念しても数千数万の核兵器を保有する国には太刀打ちできないと認識させることだ。言い換えれば核兵器を保有して韓国をはじめとする米日などの自由国家を脅かすと、「政権崩壊」という取り返しのつかない災難をもたらすということを物理的に示すことである。
 筆者は1976年8月、板門店で米将校2人を斧で殺害した北朝鮮軍に対し、韓米が取った作戦を思い出す。戦争の一歩手前だった状況の下で、韓米両国は空挺部隊を投入し、事件の発端となったポプラの木を切らせた。力には力で応える確固たる決意をみせたのである。そうしたら、金日成人民軍総司令官の使節団が出てきて遺憾を表明することとなり事件は落着した。
 筆者は金正日国防委員長の軍事力に関する判断は明晰だと考える。したがって核開発に突っ走る彼の軍事至上主義を放棄させるためには、米軍の軍事力を示すしかない。戦争の危機を乗り越えるためには、戦争の一歩手前まで持っていく覚悟が必要だ。
 北朝鮮当局者は、「北朝鮮が核を保有しているから韓国の安全が保障されているのだ」と、臆面もなく奇弁を弄し脅迫をするようになった。
 今年はイラク問題に縛られてきた米国が、ある程度柔軟性を回復する時期だ。11月に中間選挙を控えているブッシュ大統領としては、いつまでも北朝鮮の引き延ばし戦術に付き合ってはいられない。6カ国協議を打ち切って国連安保理に持ち込むか、または6カ国協議を続けながら別途にそれなりの措置を考えるかも知れない。
 昨年10月、マカオの北の外貨送金窓口であったバンコ・デルタ・アジア銀行北朝鮮口座の閉鎖、そして北朝鮮資産凍結の発表や12月にソウルで開催された「北朝鮮人権国際大会」が意味するところは、これまで北朝鮮に貼られているレッテル-ならず者国家、悪の枢軸、圧政国家、犯罪政権、反人権独裁国家-の実像を明らかにすることだ。
 今年はこうした米国の北朝鮮への圧力がいっそう強まると予想される。そうだとしたら韓国の政策当局者は昨年のように親北反米的な言動を繰り返してよいのだろうか?
 もしそういった言動を続けるならば、北朝鮮核問題の解決はもちろん、韓米同盟の基に国家安保が担保されている韓国にも著しく害が及ぶだろう。我々は今日の北朝鮮情勢を直視しなければならない。
 韓国をはじめとする周辺国の支援なしでは今すぐにでも「困難の行軍」に入らなければならない北朝鮮だ。飢え苦しむ国民のことを尻目に核開発に資金を注ぎ込む金正日政権をこれ以上庇う必要などない。
 金正日委員長の戦略的決断を促すためには、北の核問題の「棚卸し」をし、対話と制裁の二者択一の優先順位を再検討しなければならない。今年はそういう年になるべきだと強調したい。

統一日報*政治

http://www.onekoreanews.net/newsseiji01.cfm

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【人語り】拉致被害者めぐみの母 横田早紀江(69)

【人語り】拉致被害者めぐみの母 横田早紀江(69)
最後は明らかに

 わが子を思う母の愛は広く深い。日だまりのように心地よく、目をつぶってしまうほどに温かい。白くなった髪。眼鏡の下からのぞく目尻には、くっきりと皺(しわ)が目立つようになった。体も一回り小さくなった。それでも、母の目には力が宿り、しっかりとひとつのことを見据えている。

 「お母さんが、助けてあげるから…」

                    ◇

 「できるだけ質素に、物を大切に、他人に迷惑をかけないように、そして、悪いことには勇気を持って悪いといえるような人間になりなさい」。幼少のころから両親には、そういわれてきた。昭和十一年二月、早紀江は京都市中京区で生まれた。戦争に突入し、小四のときに京都府内の田舎の寺に集団疎開。食べる物がなく、ひもじい思いをした。「大豆ご飯って知っています? 大豆にお米がちょっとだけ配合されたご飯なのよ」

 たくさん食べたい、と大きめの弁当箱に配給された大豆ご飯を入れる。だが、かばんに入れて持ち運ぶと、大豆ご飯は片隅に寄って弁当箱はスカスカになる。おかずは梅干しとキュウリの漬物。「おなかいっぱい、白いご飯が食べたかった」

 戦争が終わり、中学へ。絵が好きだった。美大を目指したかったが、中学二年のときに父が他界した。経済的に余裕がなかったため普通科高校に進み、呉服関係の商社勤めを経て、染色工房で働いた。染め物は美術と似たところがあっておもしろかった。一緒に着物染めをしていた婦人の紹介で、結婚話が持ち上がる。相手は日本銀行に勤める誠実な男性、横田滋。二人は三十七年十月に結ばれた。

                    ◇

 小さな命が宿るおなかが目立ってきた。「婦長さんが『きっと、男の子よ』っていうから男の名前しか考えていなかった」。決めていた名は、「拓也」。三十九年十月五日、生まれてきたのは三二六〇グラムの女の子だった。「すごく重いなって感じました」。早紀江は、母になった。

 「『早紀江』って、字を説明するのが難しいでしょ。平仮名でかわいい名前がいいなと思って。語呂もいいし、明るい感じがするので。主人も『いいね』といってくれました」

 めぐみ、と名付けた。

 授乳におむつ、お風呂、それに家事。寝る暇もなかった。四年後の夏、二度目の出産は双子だった。「まったく、ショックだけの人生ですよね。それはもう大変で。ガリガリにやせました」。早紀江は笑顔をのぞかせながら振り返る。

 双子の弟は「拓也」と「哲也」。めぐみは、弟の誕生に「赤ちゃんが二人も来たよー」と大声ではしゃいだ。ベランダの物干し三列はすべて布おむつで埋まった。幸せだった。

 三人とも、素直で優しい子に育った。大声でこっぴどくしかりつけた記憶はないという。こんなこともあった。

 小学校への通学路に、登校拒否の子の家があった。早紀江は「誘ってあげなさいよ」といった。三人は言われるがままにその子の家に行き、「大丈夫だよ」と繰り返し慰めた。その子の登校拒否は終わった。

 海や山、遊園地、動物園…。家族そろって方々へ出かけた。バレエのお稽古(けいこ)に出かけためぐみをみんなで迎えに行き、その帰りに外食をしたこともあった。家族水入らずの時間。早紀江の脳裏にはそうした思い出が鮮明にある。

                    ◇

 家族がそろう温かい空間は「あの日」から無くなった。めぐみが忽然(こつぜん)といなくなった日。一週間、一カ月、半年と時間だけが流れる。焦燥感を通り越し、ただ打ちひしがれた日々。「今日こそは帰ってくる」と信じてみても、夫や息子らが勤めや学校に出かけると、どうしようもない不安と寂しさに襲われた。号泣しても、息を止めてみても、悲しい朝がまたやってくる。頭は「死」という言葉もよぎった。

 気持ちを落ち着けようと長年の夢だった絵を描きはじめた。教会に通い洗礼も受けた。「夫も息子もつらいのは同じ。一番つらいのはめぐみちゃんのはずじゃない。私がいなくなったら、めぐみちゃんが帰ってきたときにどうするの」。自分に、そう言い聞かせた。

 気が遠くなるような長い時間が過ぎた。「あの日」から二十年。その間、めぐみあてに成人式の案内や、選挙の投票権のはがきが届いた。そして、「北朝鮮」の影が見えてから五年。さらに、北朝鮮が犯罪を認めてから三年。「苦境の人生なんですね。不思議な小説の主人公みたいに」。早紀江は、そうつぶやく。

                    ◇

 肉親をさらった北朝鮮から「死亡宣告」をされた平成十四年の九月十七日、家族らはみなむせび泣いた。国民の多くも同様だった。ただひとり、早紀江だけは別の反応を示した。「私は信じません。向こうが勝手に言っているだけで、何の証拠もないじゃないですか」

 正鵠(せいこく)を得たこの言葉がなければ、問題はすべて葬り去られていたに違いない。

 「最後はすべてが明るみに出ると信じています。私はどうなってもいい。親だから、子供を助けます」。来月、古希を迎える母の娘を思う強い気持ちだ。

 早紀江が大切にしているカセットテープがある。めぐみが小学校の卒業式の謝恩会で歌ったシューマンの『流浪の民』が録音されたものだ。

 可愛(めぐ)し乙女舞い出でつ

 なれし故郷を放たれて

 夢に楽土を求めたり

 めぐみが独唱した部分をそっと聞くと、涙が止まらなくなる。=敬称略

 (中村将)

Sankei Web 産経朝刊 【人語り】拉致被害者めぐみの母 横田早紀江(69)

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今年の展望~拉致問題~

帰国者の証言に関して、私は、帰国者には、帰国者の悩みがあると思っています。
彼らにはどうしても言えないこと、または『今は言えないこと』 があってもおかしくありません。そのことは、蓮池 透さん(青梅・2005/10/29)の中で以下のようなことばから感じます。
━━引用━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一度だけ弟に聞いたことがあります。まだ子供たちが帰っていない状況の中で、『今、日本で暮らしている、生き甲斐は何だ』 と。
弟は、『兄貴、そんな酷な事、聞くなよ』と言ったあとで、『そんなもん、ねぇよ』と言いました。『でもな、兄貴、俺たちはなぁ、絶対くじけないんだ。何事があってもくじけないというのが、24年間で身に染み付いてしまったんだ。』ということを、私に、怒るように言いました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
くじけないと言うことを24年間で体にしみこませてしまった彼らが、語れるようになる『何か』がまだ足りないのではないでしょうか?
まだまだ残る、総連の呪縛。
田中実さん拉致に関係した人物が、拘束されずにのうのうと生きている日本社会。工作員も暗躍しているかもしれません。

2006年、私たちが戦うべきは、国内では総連や拉致解決を阻止しようとする勢力であり、最大の敵は、北朝鮮、金正日です。
内側で諍いを起こすのではなく、帰国者が話せない原因を駆逐していくことです。
未だに暴言を吐き続ける辻本清美氏(もじもじスケッチさん参照)も復帰しています。

戦う敵を支援者や組織の内側に作るのではなく、外側の人々に共感を得られる言葉で語り、理解を得、大衆世論を大きく巻き込んでこそ、政府は動きます。

内側に敵を作らず、外側のこちこちの北朝鮮シンパを駆逐することです。

今年、運動家ではない、私たちのような普通の市民が結束し輪を広げることができれば、運動は間違いなく勝利に近づくでしょう。
そのためには内部改革と、外側をできるだけ多く巻き込むこと。本来の敵である北朝鮮と総連と戦うために政府を動かす力と知恵を集結し、蓄えることです。

みなさん、それぞれ感じ方、とらえ方、好みもあるでしょうが、目的はひとつ、被害者奪還です。そのために、どうぞみなさんも声を出し続けてください。(金木犀)

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