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2006年1月 6日 (金)

北朝鮮の統一戦略と朝鮮総連

記録として保存
北朝鮮の統一戦略と朝鮮総連 統一日報*政治1月1日版

論説主幹 朴斗鎮

 昨年、われわれは解放60周年を迎えた。日本の植民地解放から始まった「朝鮮半島の統一問題」は、今もなお解決を見ないでいる。この間、朝鮮半島情勢だけでなく、国際情勢も多くの変化を遂げ、統一問題に対するより客観的資料も蓄積された。これまで北朝鮮が主張してきた「統一論議」の内容は、北朝鮮政権が民族の正統な政権であり、従って北朝鮮の政治体制による朝鮮半島支配だけが民族の幸せと繁栄をもたらすというものであった。しかし、それは朝鮮民族の繁栄ではなく、金日成に始まる「金王朝」の繁栄のためのものであることが日々明らかとなっている。ではこの「金王朝」のための統一戦略とはどのように確立され展開されて今日に至っているのだろうか。またそこで朝鮮総連は、いかなる役割を担わされてきたのだろうか。こうしたことを振り返ることは、在日社会の今後を見極める上でも重要であると思われる。



1.武力基本の統一戦略


九州南西沖で海上保安庁の追尾をうけ、自爆したと見られる「北の工作船」がひきあげられた(2002年9月11日)

 北朝鮮の統一戦略は、朝鮮戦争以前と以後ではさまざまな面で異なるが、一貫しているのは武力を基本としていることだ。すなわち韓国から米軍を撤退させれば統一は武力で実現できると考えている。また世界的規模での武力衝突(例えば米・中の衝突)発生の場合も武力統一が可能と考えている。それは1950年の金日成の行動で証明された。
 1949年10月1日の中国共産党政権の樹立と10月5日の朝中国交樹立、1950年1月12日の米国務長官アチソンの「韓国、台湾を米国の防衛ラインからはずす演説」(アチソンライン)は、金日成に統一の好機と捉えさせ朝鮮戦争を決断させた。
 アチソン演説の直後である1月19日、金日成は平壌駐在のシュティコフ大使を通じてスタ―リンに対南攻撃の許可を要請し、スタ―リンはこれに同意した。そして金日成の南侵計画が作成され1950年6月25日「朝鮮戦争」が勃発した。
 金日成の南侵戦争は、米軍と国連軍の参戦で誤算を招いたが、この戦争で金日成は、その冒険主義を反省するのではなく、朝鮮戦争失敗の原因を、韓国内同調勢力の欠如に求めた。



2.「南朝鮮革命」が前提

 北朝鮮の平和統一戦略が「定式化」されるのは1960年代に入ってからである。それは韓国で起こった1960年4月19日の民衆蜂起がキッカケとなるのだが、直接的には韓国での軍事政権登場と関係している。
 1961年9月11日(18日まで)に開催された朝鮮労働党第4回大会で、金日成は「事業総括報告」を行い「祖国の平和的統一のために」という項目で、「南朝鮮革命」による韓国での親北政権樹立を平和統一の前提条件として位置付け、その革命の性格を「反帝反封建民主主義革命」と規定した。
 そしてこの革命は、米国とその追随者を韓国から一掃する暴力革命でなければならないとして、李孝淳を対南工作チームの中心に据え「地下党」建設を本格的に進めることとなる。それが金鐘泰を責任者とする「統一革命党」であった。
 1964年2月27日の朝鮮労働党第4期第8回会議で「祖国統一偉業達成のために総力をあげて革命力量を強化しよう」との報告を行い「3大革命勢力の強化」を公にした。すなわち、北朝鮮を革命の基地とし、韓国の「地下組織及び親北勢力」、「国際的同調勢力」の3つの勢力を統一実現の動力であるとしたのである。
 北朝鮮による1968年1月の朴大統領襲撃ゲリラ事件は、ベトナム戦争での米国の苦境を背景に、統一革命党を中心とする暴力革命への「導火線」を狙ったものであるといえる。それは「南朝鮮革命」を前提とする「統一戦略」の最初の実践でもあった。
 しかし1968年に統一革命党は潰滅した(KCIAは1968年8月2日「統一革命党」を摘発。金鐘泰ら158人を逮捕)。
北朝鮮の対南工作チームは処罰され、その主導権は金正日総書記に移行していく。



3.「3大革命勢力」構築に失敗

 1970年代には金正日後継が決まり、金正日式対南工作が展開されることとなる。この金正日式対南工作が1983年のアウンサン廟爆破事件、1987年のKAL機爆破事件などを引き起こし 「拉致事件」を頻発させる。一方、韓国の地下組織は「主体(チュチェ)思想」を信奉する「チュサ派」勢力によって再建の道を進むこととなる。
 1972年2月のニクソン訪中と「米中共同声明」を背景に、7月には「南北共同声明」が発表され、金日成は「70年代統一」の大号令を発する。しかし、「南朝鮮革命」に有利な状況は生まれなかった。「反共法」と「国家保安法」そして韓国の驚異的経済成長と国際共産主義運動の分裂が、金日成の野望を打ち砕いたのである。
 1970年代に金大中政権が生まれていたならば、金日成の野望は実現していたかもしれない。それは金日成がしきりに「金大中のような人物が南で政権を掌握すれば統一は成就する」としていたからだ。
 1970年代を境に逆転した南北の経済格差と、北朝鮮経済の没落、1980年代末からのソ連をはじめとした東欧社会主義の崩壊は、「3大革命勢力」による「統一戦略」を色あせたものにしていった。1990年の韓・ソ国交樹立、91年の韓、朝国連同時加盟、92年の韓・中国交正常化は、それを国際的に確認する。
 その結果1990年代後半からは金正日の「核武装」による戦争瀬戸際政策が「統一戦略」の基本となる。しかしこれは1970年代までとは違い生き残り的側面が強いものだった。とはいえ北朝鮮が「南朝鮮革命」を前提とする「統一戦略」を放棄したと考えるのは早計だ。2000年6月の「南北共同宣言」以降の韓国情勢は、「南朝鮮革命」にいまなおチャンスを残しているからだ。



4.北朝鮮「連邦制」戦術の本質

 北朝鮮は、韓国で民衆蜂起が起こるたびに「連邦制」という「戦術」を発動してきた。これは北朝鮮政権が「南朝鮮革命」というプロセスを経ないで韓国政権相手に直接関与する平和統一戦略といえる。
 これまで北朝鮮は、2度にわたって「連邦制案」を提示した。1回目は4・19直後の1960年8月14日、解放15周年慶祝大会での金日成提案であり、2回目は1980年5月の「光州蜂起」直後の朝鮮労働党第6回大会での「高麗民主連邦共和国案」である。
 1回目は自由総選挙までの過渡的な対策としての「連邦制」であったが、2度目のそれは「連邦制」実現自体を統一とみなすものであった。この連邦制の狙いについて金日成は朝鮮労働党中枢幹部に次のように語った。
 「連邦制は統一戦線戦略を実現するための戦術である。連邦制が実現され、北と南を自由に往来して、北の制度と思想を宣伝するようになれば、統一への道が開かれる。共和国は1つの思想で統一されているために影響を受けないが、南朝鮮は思想的に分裂した自由主義国家であるため思想宣伝を大々的に行えば、少なくとも住民の半分は獲得できる。共和国側が2となり南朝鮮側は1となる。そうすれば選挙を行っても戦争をしてもわれわれが勝利する。中国でも国共合作が国民党の支配地域に共産党勢力を拡大する好機となった。
 また軍隊が南の親北勢力を直接支援すると『南進』だといって諸外国がうるさいが、テコンドー部隊に拳銃を与え100万人ほど派遣すれば北の人間か南の人間かが分からないため『南進』だという口実を与えなくとも済む。そして親北勢力と協調すれば政権奪取も可能だ」
 この発言で分かるように「連邦制」は、金王朝支配を実現するもう1つの戦術である。2000年の「南北共同宣言」で「連邦制の低い段階」などという急ごしらえの「統一案」を作り出した目的も、何の共通性もない金大中の「連合制統一案」と結びつけ、統一戦線戦略を実現するためのものであった。



5.朝鮮総連の果たす役割

 1955年5月に結成された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は、「3大革命勢力」すなわち北朝鮮の「革命基地」強化と「南朝鮮革命」のための地下党建設、そして日本をはじめとした国際的同調勢力の獲得を側面から支援する役割を与えられ、他のすべての運動はこの目的に従属させられた。
 それ故、朝鮮総連にとっての在日同胞権利獲得運動は、この目的を遂行する大衆獲得運動であり大衆基盤強化のための統一戦線運動となる。朝鮮総連は、民族教育であれ、差別撤廃運動であれ金王朝とその統一路線にそぐわない権利闘争は行わない。
 1960~61年に盛り上がった「帰国運動」は、人、モノ、金(カネ)を北朝鮮に運び「地上の楽園プロパガンダ」を世界に発信して北朝鮮の統一戦略を前進させる上で大きな役割を果たした。
 また朝鮮総連の日本における対外活動は、金日成の権威を国際的に高め国際的同調勢力を獲得するうえで本国では担えない役割を果たした。
 特に韓国の軍事政権時代、日本を拠点とする対南工作と地下党建設活動では多大な貢献を行った。この分野では合法と非合法の活動を使い分け、選抜された人々が、朝鮮労働党直属の工作員との棲み分けを行いながらさまざまな活動を行った。
 例えば故金炳植元副議長のもとで某裏組織のキャップとして活動していた高大基氏は、西五反田のユニバーストレーディングという貿易会社を足場に秘密活動を展開した。
 朝鮮総連は「在日同胞の権利を擁護する統一戦線体」と標榜しているが、その本質は北朝鮮の統一戦略を実践する側面部隊である。2000年の「南北共同宣言」以降、韓国では「国家保安法」が形骸化され「親北勢力」が大手を振って活動できるようになったため、朝鮮総連の対南工作活動に対する要求度は低下しているが、その本質的役割が変更されたわけではない。
 金正日総書記が、1999年4月20日に徐萬述議長に指示した「赤い心は内に秘め右傾化したのではと疑われるほどになれ」とする「外柔内剛戦術」は、今もなお朝鮮総連の基本戦術である。彼らは今弱体化している組織の復活を「朝日国交正常化」に置き起死回生を狙っている。

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