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2006年3月25日 (土)

日本という国

すこし時をはずしましたが、WBCの感動は政界にも広がりました。
安倍官房長官は記者会見で、「久々に国民の心が一つになった。思わぬ準決勝、決勝進出だったが、チャンスをよく生かした。本当にうれしかった」と述べた。

竹中総務相も「WBCという新しい試みが国民に感動を与えた。野球のシステム改革の中で選手が頑張り、ファンも感動を共有している。素晴らしいことだ」と。

首相は、首相官邸で記者団に、「久しぶりに興奮しながらテレビを見ていた。(プロ野球の)日本シリーズの緊張感と高校野球のひたむきさ、これが重なり合って、多くの人に興奮と感動を与えてくれたのではないか」と語った。

中川経済産業大臣は、イチローの示したとの時々のリーダーシップとその姿勢について、『われわれも学ぶ点が多い、WTOの交渉にも参考になる』と発言しています。

スポーツの世界でぎりぎりのところで発揮できる力は最終的にはその精神力と積み重ねられた練習の結果なのだと思います。

世界一の“二日酔い”WBC日本優勝一夜明け

イチローの示したリーダシップをけなす記事を書いているのは、韓国の一部メディア(<WBC>世界4強金寅植監督「学業並行が野球発展へ」)と日本の中のスポーツを知らないコメンテーターです。これは醜いですね。スポーツは勝つことを目的に行われるもの。公正なルールにのっとり勝ち負けが決まるのですから、『向こう30年間日本とは闘いたくなくなるような勝利』という表現は、完膚なきまでに敵を倒したいという、ごくごく普通のスポーツマンの精神であり、ライバルを貶める言葉でも何でもありません。

各国の論調も韓国を除けば、勝負の後のさわやかな記事になっています。

つくづく韓国という国が世界観を見失っていると感じざるを得ません。
そこから北朝鮮に近いものを感じるのです。
24日の惠谷さんの講演でも、韓国の赤化は、完全に北朝鮮の作戦(工作)どおり進行しており、これを崩すのは非常に難しいとのお話がありました。


実近の戦争犯罪という自虐史感にとらわれる人たちの中に、『イチローは突然愛国主義になった。発言はいきすぎだ』という人たちがいます。『日本は韓国が強いということを証明するためにも、優勝してほしい』といった、テレ朝の川村さんのことばを聞いて呆れてしまったのは私だけではないですね。
純粋に日本は日本のために勝利にこだわればいい。スポーツでは、他国に身を差し出して、媚びようとするのはルール違反です。しかし、特種な相手=韓国、北朝鮮、中国には、その発想が<0>なのです。
日の丸を焼いたり、指を切ったりする行動が、どのぐらい低次元かを私たちは知っています。

他国に占領されたり、蹂躙された経験のない国は、真の意味での国際交流や文化吸収ができない、国家とも言われます。

しかし、省みて日本という国はどうでしょう?韓国だけを笑ってもいられません。
歴史を紐解けば、日本が外国と戦闘を交えたことは数えるほどしかありません。
古代に百済に出兵したとき、蒙古来襲、朝鮮出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦など。

ヨーロッパや、アラブに比べれば、本当に他国と戦闘を交えたことが少ない国です。

外国と戦うことをあまりしなかった国家、日本。
源平の争い、室町の争い、戦国時代、明治維新も含めて、日本という国はほとんど内戦だけしか経験がないのです。
外と戦うことを知らないということなのかもしれません。戦争ではなくても、外国と交渉することを学んでこなかったのですね。

外交べたな国とも言えますね。
明治維新の時には、長州がいち早く、敵の強さを知り、尊王に切り替わり、国を守ることに切り替えました。
不平等条約改正にも心を尽くし、思えば数十年でそれを解消しました。

戦後60年、現代の日本は、北方領土も、取り戻せず、まだまだ戦後を引きずろうとしています。
そして、北朝鮮拉致問題も、進展がない。

原因はどこにあるのでしょう?
私たちは、仲間を増やし、それぞれが認知し連携できてきたでしょうか?

少なくとも、関心を持つ仲間は手を繋ぐべきです。
たとえば攻めるべきは総連という組織であり、多少の違いはあっても、支援者同士が仲違いする必用はないのです。
私は、意見の合わない部分があっても総合的に救う気持ちさえあれば、誰でも味方だと思っています。9条の会の人たちまではとても無理かもしれませんが、異論があっても味方同士が貶めあう必用はないと思っています。

24日の講演の最後、質疑応答で、「同じ敗戦国であるのに、ドイツと日本はどうして違うのか」という質問に、「日本は負け慣れていない」という趣旨のご返事がありました。(詳細はテキストで)

戦争は、天皇がいたから起こったのではない。戦争は日の丸があったから起こったのではない。
戦争は、負けた日本がすべて悪かったのではない。
天皇を利用して、日の丸をシンボルにたて、人間が起こした罪です。
日本という国家が戦争の反省の上、二度と他国を侵さないという誓いを持ったのですから、もう戦後は終わりにすべきなのです。

イチローがダイヤモンドを日の丸をもってはしゃいで歩くさまを、子供たちはうれしそうに見ています。
親の世代が、日の丸への自虐意識を改めるべきではないでしょうか?新生日本の国旗なのですから、日の丸への自虐意識を卒業し、新しい日本の象徴として日の丸を捉えればいいのです。

先日の不届きもののような、過激極右を装った分子が、日の丸を貶めていると私は思います。意図的な貶めの可能性もあります。
私は、もっと素直に国旗をみたいと思うのです。普通に。

フランスは三色旗で革命を勝ち取りました。しかし、同じ三色旗でナポレオンはヨーロッパを蹂躙しました。功罪両面を持ちながら歴史は動いていきます。戦争には、醜いものが付きまといます。従軍慰安婦のような問題や、殺戮はどんな戦争にも必ず見られます。

人間は少しずつ学んできました。ヨーロッパは戦いから学んで、ルールを作ってきました。
日本も学べばいい。過去から学んで同じ間違いを犯さなければいいのです。

スパイ防止法も、破防法も、適用を躊躇するのではなく、正しく制定し、正しく適応し、正しく運用する知恵はすでに持っているのだと私は思います。

戦後、いつまでたっても戦争への恐怖と自虐からの脱却ができなかった。
いつも罪悪感を持ち、他国に気を遣うあまり日本が放置した拉致事件。

私たちも意識改革をすべきですね。内戦だけに明け暮れず、発展的に仲間を増やすこと、そして外国に向け発信していくこと。
そして、9月までに、拉致問題に関心を持つ国民の意識を更に深めていくこと。
日本という国全体がその意識を持つことで、政府は動きやすくなるはずです。

日本は戦争をせずに外国の知識や文化を吸収するという意味では天才的な国です。

心を一つにして、チームが闘う姿をWBCメンバーは私たちに見せてくれました。
日本中が一丸となって拉致問題に取り組むことも、出来るはずです。

和という日本の精神を、私たちは忘れていないのか?
そう言う気持ちを国民全体が持つことができれば、昨日の強制捜査に対して、総連が行った恣意的行為など、誰も目にとめないでしょう。自信を持って、政府が総連の解体に着手できるはずです。

世論が、現在の動きを応援している、まだまだ生ぬるいと思っていると言うことを、しっかり政府に伝えて行きましょう。

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