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2006年4月

2006年4月30日 (日)

拉致を訴える政府ポスターについて

このポスターについては、デザイン、キャッチコピーなど批判も多く見られます。
それは救う会が作ったものではなく、政府が作ったものであるため、更に批判は激しくなっているようにも思います。もし、これが救う会の作ったものであれば、コピーもデザインも違ったかもしれません。そして、救う会が作ったものであれば、多少の不満も表面化しなかったかもしれません。

しかし私は意味は大きいと思うのです。
一つは、政府が公費で作ったという点です。救う会は昨年末からポスターを考えていました。そのことは関係者から聞いていました。いつになったらできるのだろうと思っていましたが、政府が取り組むと言うことで、救う会は政府に任せたのです。
心ある人のカンパで運営している救う会に資金が豊富な訳がありません。昨今は拉致被害者が新たに判明した韓国、レバノン、マカオ、タイ、韓国などと連携のため、外国に出向くことも多いのです。
会の関係者も「政府が作ってくれるから」とおっしゃっていました。資金的にも、連絡配付の実務を考えても、20万枚を全国の公共機関に無料で配布し貼ってもらうことは、なかなか、難しいのだと思います。
駅構内の掲示にも広告料がかかる時代、それも、良い場所はそれだけ高くなるわけですから。

だから、色々文句はあっても、このポスターはありがたいことであり、できるだけ目立つところに貼ってほしいのです。20万枚と言っても、全国各都道府県に、5000枚程度の数ですね。各県の県庁、市役所、窓口、図書館、公民館を考えれば、ほんの僅かですね。駅などにも配付するそうで、すでに都内の地下鉄駅でご覧になった方も有るそうですから、東京の私鉄だって、駅ごとに貼るほど数はありません。

私達は、このポスターを批判しているだけではいけないのです。それぞれの意見を伝えることです。
もっと良いものを、もっとたくさん貼ってほしいという希望を伝えることです。
国民の多くが、それを望んでいる、ポスターの反響が大きいと言うことがわかれば、増刷、改善だってあり得るわけですから。

ところで、今日とてもいやな新聞記事を知りました。
政府制作のこのポスターを使って、小泉政権を皮肉ったパロディです。

拉致のポスターを利用してこんな形で、小泉政治を批判する、この記事。この記事全文読んでいないのですが、この画像だけでも、私はがっかりします。

新聞記事のほうは、「日本は見捨てない」と言いながら、小泉首相の政策で 格差社会を作り沢山の人を見捨てたじゃないかと言う風刺 なのですね。

拉致問題の解決と小泉政治批判を意図的に関連づける、この左の人たちの巧妙さを、しっかり見てください。
そもそも、拉致問題と、小泉政権批判を同列に扱うこと自体が、間違っているのです。

小泉批判に、このポスターを利用すること自体、拉致問題を茶化していることになるし、せっかく早紀江さん達がアメリカで努力して、世界の人権問題として訴えてるときに、拉致問題をわざと矮小化して見せているようで腹が立つのです。

朝日新聞には、是非抗議をしてください。
せっかく盛り上がろうとしている世論を、さめさせるような、コメンテーターの言動も昨日今日目立っています。もっと私達が声を上げなければ、意図的にこの動きを封じ込めようとする人もいるかもしれないのです。

ところが、みなさん考えてください。私達は不満の余り、同じようなことをしていませんか?
左の人は、そこのところを上手くついてきたように私には思えます。
朝日新聞のこの記事は、そのことを良く現しています。
あなたは支援者としてそう言うスキを彼らに与えていませんか?

私達の最終目的は、被害者の奪還です。経済制裁も、それをなかなか実行しない小泉首相への批判も、奪還のための手段です。にもかかわらず、小泉批判や打倒が目的になってしまっていませんか?

私達も注意すべきです。
拉致問題を矮小化する人々は、狡猾です。
その狡猾な人々に、私達はスキを見せてはいけない。
目的である奪還のために、そのあたりも気をつけていきたいものです。

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私達ができること

ホワイトハウスにメールを!ホワイトハウスに感謝のメールを送りませんか?
文章は以下だけでも、追加してもいいでしょう
――――――――――――――――――――――――――――

 My name is _______, and this mail is from Japan.
 Thank you very much for the meeting with Yokota family.
 I am very proud of you, Mr. President.
 God bless you, and God bless America.     
――――――――――――――――――――――――――――

ホワイトハウスホームページに今回の面会の様子が掲載されています。
ページ内からも日本からメールが送れます。
感謝のメールを送ることも、後押しになるでしょう。
ホワイトハウスにホワイトハウスにメールを送ろうと呼びかけているサイトもあります。

ブルーリボンをつけよう
バックに、胸に、ブルーリボンをつけましょう。
ビーズのお店Blue wishでは、拉致の解決を願うビーズのブルーリボンが見つけられます。
新しいデザインもありますよ。

  

署名
署名用紙はこちらからダウンロードできます。

官邸に拉致解決を願うはがきを送る運動。
  蒼のはがきキャンペーンにも是非参加してください。
  はがきの請求は、mail@blue-stars.org まで。
  ご自分で作ったはがきでも良いです。
  郵送先は
  〒100-8968
  東京都千代田区永田町 1-6-1
   内閣官房
   拉致被害者・拉致問題連絡・調整室気付
   内閣総理大臣 小泉純一郎様

  

総理官邸宛のメール
  小泉首相、官邸へのメールはこちらから
  みなさんの、拉致の解決を願う素直な声を届けましょう。

拉致関連書籍を読みましょう。
  お勧めの2冊

    

まず入口は「ブルーリボンの祈り 」が良いでしょう。

~横田 早紀江 (著), 斉藤 真紀子 (著), 真保 節子 (著), 牧野 三恵 (著)~世界、アジア情勢からの分析は「拉致」処分―家族を翻弄する米中のパワーバランス はいかがでしょう?  ~青木 直人 (著)
5月12日には、戦略情報研究所の講演会講師をなさいます。集会に参加することも目標に、事前に読んでおかれることをお勧めします。

今日の署名活動
   署名活動(上野)

   日時:4月30日(日)午後1時半~午後4時半
   場所:上野(西郷さんの銅像の下の歩道)
   主催:新潟救出の会関東県人会(代表・桑原)

お天気も良いようです。お近くでおこなわれる署名活動にも是非足を運んでください。

みなさん、何でも良いのです。
自分のできることを一つで良いのです。
ご家族の変わりに少しだけできることを行動に移しましょう。
それが私達国民のできる具体的支援です。
Netから、行動へ
Netで得た情報と知識を、貴方の周りの人にも伝えましょう!

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増元照明さん (神奈川県民集会)

  『増元照明 家族会事務局長の訴え』

こんにちは。
早紀江さんがあれだけ激しい言葉を仰って、トリを務める私が喋り辛くなりました。
でも、今日は加藤さんや山田先生のような北朝鮮から逮捕状まで出されて指名手配をされているお二人と一緒にこの壇上でお話できる事は非常に光栄に存じます。
その点では救う会・家族会ではまだ名前すら挙がっていないので、まだ抗議や活動が足りないのかな?と反省はしておりますけども、北朝鮮から指名手配されるほどの活動はやっていかなければならないと思っております。

先日金桂寛外務次官がやってきました。
そして私たちも声明を出しました。
翌日に家族会激怒という(記者会見を)やったんですけども、僕たちは、早紀江さんもそうだと思うんですけど、この10年間ずっと北朝鮮と言う国を見てきまして、北朝鮮がどういうタイミングでどういう言葉を発するかと言うのを、ある程度予想できるようになりまして、基本的にはあんなもんだろうと思ったんです。
ですから、そんなに怒らないと言うことはないんですけどもそんなに激怒と言う事もなかったんですが、激怒と言うふうに出てしまいまして、どうしようかなと思ったんですが。

でもあの金桂寛の態度にはやはり私たちは疑問を呈さざるを得ません。
2002年9.17以降、初めて北朝鮮の高官として入ってくるのなら、日本国民に最初に謝罪の言葉を述べるべきだと私は思っています。(拍手)
それがひとつもなくニコニコしながら入ってくるなんてとんでもない事だと思いまして、激怒ではありません。
私の・・・(聞き取れず)ですが、抗議の意味で断食を始めました。

それはなぜかといいますと報道の人たちがあの金桂寛が入ってきて、6者協議の再開を希望するような報道しかしなかったわけです。
6者協議が・・・(聞き取れず)迫って、金桂寛が入って6者協議の再開がなされるんじゃないかという、そういう希望的報道しかしなかったから、違うだろうと。
日本には拉致問題があるんではないか?と。
拉致問題がこれだけ日本の関心を持っていて、国民全てが拉致被害者の救出を願っているという報道をしていかなくてはいけないのに、金桂寛が来ているからこそ、報道が金桂寛に突きつけるような感じでやって頂きたかった。
ですから、私はあえて(断食を)やらして頂きました。(拍手)

そしたら11日にヘギョンちゃんと金英男氏の親子関係と言うのが確定がされて、それで初めて報道の方たちが大きく報道をして頂きました。
これで金桂寛も日本に来て拉致問題の大きさと言う物を実感して帰ったと思います。
ソン・イルホはそれに対してあの程度の対応しか出来ないでしょう。
それは我々も分かっています。
それに対してまた我々家族会も・・・(聞き取れず)と書いてあるんですが、私はこれまで北朝鮮がやってきた事で激怒した事は、一回だけです。
めぐみちゃんの骨、あれを出してきた時、めぐみちゃんの骨と証する物を出してきてそして偽物だったと言う、あの時は本当に怒り心頭に達しました。
でも本当に私が激怒しているのは、すでに日本政府のだらしなさに対してです。(拍手)

5月22日に北朝鮮から小泉さんが帰ってきて、二回も騙されてもあの人は良い人だったと。
頭の良い良い人だったと言った小泉さんのこの言葉。
私には本当に恥ずかしい思いで感じられましたし、日本政府は本気で拉致被害者を救出するのか?というその気概が見えないことに対して、私は非常に怒りを覚えています。
今でもそうです。(拍手)

先ほど、○○先生は経済制裁はタイミングを見ながらと言う趣旨で話されたと思いますけども、なぜ万景峰号を止められないんですか?
アメリカの金融制裁はあれだけ効いて、そして世界の銀行が取引停止をさせられたら困ると言って、北朝鮮の貿易を扱う事を嫌がり始めました、
ですから北朝鮮は核を作ろうとしても必要な物資を他国から買う。
その貿易が出来なくなっているから中々作れないでしょうし、金正日のお金が凍結されたら、今今日の新聞を見ましたら、スイスの銀行まで調べ始めたそうですが、そうなったら金正日は干上がってしまう。
これが効いているんです。
こういう波及効果が出てくること。
しかし、私たちの国はまず効く効かないではなく、北朝鮮に対して厳しい姿勢を示すべきではないですか?(拍手)

万景峰号が北朝鮮の・・・(聞き取れず)の船だと私は思っています。
あれが人道の船だというのはとんでもないです。
あの船で在日の方たちが、あの船でしか行けないというのは嘘だと言う事を李英和さんも言っていました。
あの船は20数時間、構造が悪いので非常に揺れる中で行くそうです。
年老いた在日の方たちがあの船で20数時間も揺られて元山に着いて、そこから平壌に行って、そして会わなければならない。
しかも旅費は飛行機で行くよりも高いと言う話なんです。

この前某放送局が言ってましたけど、10数万円と言うのは朝鮮総連が言ってるお金ですから、実際は70万とも80万とも言われているんです。
それよりも飛行機で行った方が安いんです。
しかも早いし、安全だし、そういう船をなぜ日本は止められないのか?(拍手)
あの工作船をなぜ止められないのか?
これはまず私たちの日本は、拉致被害者を救出する為には本当に厳しい対応を取るという姿勢を見せる事、それが必要だと思っています。

先ほど加藤さんがやはり北朝鮮は脅してくるだろうと、それは皆さんに対し覚悟を迫る事かもしれないというふうに仰ってました。
でも北朝鮮が脅してきて、窮地を取られて良いんですか?
それと同じ事です。
100人200人は確かに少ない数かもしれませんが、100人200人を見捨てる国は1億2千万を見捨てます。
それはもう国にはなりません。(拍手)
国家として成り立ちません。
ですから皆さんには、もっと国民としてその覚悟を持ちながら、北朝鮮との対峙をしていただかなければならないと思う。

ただ、北朝鮮は(ミサイルを)撃てないと思います。
私は北朝鮮がそんな覚悟を持っているとは思っていません。
現代コリアの5月号で書いてますけども、1000発のトマホークが、アメリカのイージス艦から北朝鮮の軍事基地を狙っています。
北朝鮮が一発撃ったら全てそれが発射される。
その準備が出来ています。
それを北朝鮮は知っています。
ですから撃てないと思います。
それでも撃って来るなら撃ってみろと、それくらいの覚悟でやらないと・・・・・・・・(拍手で聞き取れず)
私も戦争は嫌いです。
戦争をすべきではないと思っています。
しかし、そういう覚悟を持たないと国は守れないと思っています。

今一番の問題は中国です。
報道の方にお願いしたいんですけど、中国の孔泉さんに私は聞いて頂きたい。
中国人二人が拉致されているのをどうするんですか?と。
どこの社も聞いてくれないんですよ。
なぜか?
中国から睨まれると支局を閉鎖させられるから。
実際追放になった人もいるらしいです。
ですから遠慮して聞けないんです。
そんな遠慮なんかしていてどうするんですか?いったい。(拍手)
中朝国境で今問題なのは、拉北者ですよ。
彼らの人権を今非常に侵されて、それを捕まえてこれを北朝鮮に返還している。
この事実をなぜ、報道はやって頂けないのか?(拍手)

靖国問題を中国が言っている事よりも、中国のやっている大きな人権侵害に対して・・・・じゃないですか?(拍手)
マスコミも現場の方たちは凄くいい人たちばかりです。
しかし社に帰ると全然違ってくるのが、ちょっと不思議なんですけども。(くすくす笑い)
ぜひ現場の方から上に上げてください。

大きな人権侵害、更にアメリカは北朝鮮の人権法案で、その中国に対して何もしない難民高等弁務官事務所に対しても厳しい姿勢を取るようになっています。
私たちはそういう大きな人権侵害に対してはやはり厳しい目で見て厳しい声を上げていただかなければならないと思います。
それは私たちの家族を取り戻す早道にもなりますし、北朝鮮の人民の人権を取り戻す早道になると思っておりますので、是非皆さん、私たちと一緒に戦ってください。
よろしくお願いします。(拍手)


~~決議文の朗読、事務局からの連絡、閉会の挨拶があって集会終了~~

蒼き星々 掲示板(サブボード)への話しの花束、ぴろんさんの投稿による。 ◆―――――――――――――――――――――――――◆
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崔祐英(チェ・ウヨン)さんの訴え

2006/4/16横浜  開講記念館にて

―――――――――――――――
 韓国拉北者家族会崔祐英さん
―――――――――――――――
みなさまこんにちは。(会場からこんにちはの声)
尊敬する川添会長、それにみなさま、日本拉致被害者問題に限らず、韓国拉致被害者問題に関心を持って私達を招待していただいて、感謝申し上げます。

また今日は日本政府が認定している拉致被害者の他に、特定失踪者の(ご家族の)訴えを聞いて、非常に感銘を受けました。

私は高校一年の時に、この世で最も愛する父親(東進号の漁労長、崔宗錫さん)を拉致されました。

東進号という漁船に乗って、先ほどの朴さんと同じように、そのお父さんと同じように、韓国の西の海(=黄海の事)のペニョン(白○、○=令+羽)島と言う島の近くで、北朝鮮に拉致されましたがその当時は、家族は、お父さんがすぐ帰ってくると言う話しを聞いて安心していました。

しかし、ある日突如として、政府から南北会談が微妙になったので、すぐには帰ってこれないという連絡を受けた後、20年間、音信とれなくなっています。

その後、偶然に新聞報道によって、お父さんが、北朝鮮の中の政治犯収容所に入れられていると言う知らせを受けました。
しかし、その時私はまだ幼い年齢であったので、北朝鮮という国が、どういう国か、その中での収容所と言うところが、どういうところなのかを知りませんでした。

韓国では、私の前にお話しした朴さんのお話でもありましたが、公安関係の監視、あるいはひどい場合は拷問を受けることもあるので、どこにも自分たちの現実を、自分たちの実情を訴える場所がありませんでした。

そう言う背景の中で、韓国には485人、拉致被害者がいるんですが、その家族達は、一緒にあうことができません。そう言う環境の中で、私は、横田めぐみさんのお父さん、横田滋さん、増元照明さんたち日本の拉致被害者のご家族のみなさんと韓国の拉致被害者家族よりも早く合う事ができました。

・・・この問題は単なる韓国と日本の問題ではなく、家族を失った、同じような痛みを持っている家族同士の出会いだったと気付きました。

昨日私は、横浜にきたのですが、偶然ホテルのテレビで、横田めぐみ姉さん(横田めぐみさんを<横田めぐみ姉さん。とよんでいますが)の写真展をやっているニュースを見ました。そのニュースを消して私自身、愛するお父さんの思い出が沸々とわき、お父さんのことを考えて眠れませんでした。

お父さんはいつも船に乗っていましたので、身近に愛を分けてくれることはできませんでしたが、船に乗る前に手紙を書いて、妹、私、お母さんに手紙を書いてくれました。

横田滋さんもめぐみさんの写真を撮ることをすごく喜んでいたという話を聞きましたが、私の父親も、拉致される前は、・・・に連れて行ってくれては、写真を撮ってくれました。

私の父親は、「いつも、人間は、誠実に、真実に、まじめに、生きれば、必ず幸せになり、その努力が報われる」と言う話をいつもしていたのをいまだに覚えています。

おとうさんが拉致される以前に、うちの家の近くには、小さな池がありました。その池を掃除しながら、今度くるときはこの池に鯉を放して育てようと約束しました。

私のお父さんは、とても刺身がすきで、その刺身のあらで・・・を食べるのを喜び、そして、いろんな話を私達子供にするのを楽しみにしている非常に優しい父親でした。

「お父さん、お父さん」いつもと呼んでみますけれど、お父さんはあたしの呼びかけに対して、答えてくれることはありませんでした。

生きているのか、死んでいるのか、心の中でいつもお父さんに呼びかけております。いまだに何も返事をしてくれないお父さんを、今、私は待っています。

この場にいらっしゃるみなさんに訴えたいと思っております。私達拉致被害者の家族は、お父さんの情、そして娘の情を奪われたまま、20年、30年間、時間が止まったままの生活になっております。

幸にも、長くて寒い冬が終わり暖かい春になりました。
一日も早く拉致被害者がたちが戻ってきて、家族と共においしいものを食べて、いっぱい話ができるような時間が来てほしいと思っております。

去年の10月、お父さんの還暦がありました。韓国及び朝鮮半島では、こうした還暦の祝いは子供達が、立派な食事を作ってもてなす、そういう風習があります。

お父さんは、北にいるので、そう言う食事を作ってあげることができなかったので、せめてもの救いで、金正日国防委員長に「どうか北朝鮮にいる私のお父さんに、還暦の祝いをしてほしい」というメッセージを込めて、韓国の新聞紙上に広告を載せました。

いろんな出来事が各マスコミに報道され、その報道結果を見て私は今(すぐ)にでも、お父さんが韓国に帰ってくるのではないかという期待を持っていました。

そして、お父さんの誕生日であります10月23日、韓国の・・・・黄色いリボンをかけました。

もしお父さんが近々帰ってくるならば、韓国に残っていた私達家族は「貴方のことを決して一日たりとも忘れずに、貴方を待っていたんですよ」という意思表示のために、この黄色いハンカチの運動を始めました。

この黄色いハンカチの由来は、日本でも知られていると思うんですが、戦争に行っている夫の無事帰還を、無事の帰国を祈った家族の話、そして戦争に行った旦那さん思った奥さんが胸にかけた黄色いハンカチに由来する話しです。

この黄色いハンカチの運動は、私が採り入れたんですが、・・・のみなさん、韓国国内の食堂を経営しているみなさん、そして拉致被害者のみなさんが、みなさんがこのような黄色いハンカチをかけてくれるようになりました。

これは黄色いリボンなんですが、私がここに来たときに日本のある女性からプレゼントされたものです。
その人は、去年の10月の出来事をニュースで知り、そして私と会うまでに作って・・くれたものだそうです。

その黄色いリボンを横田めぐみさんの旦那さんである金英男さんの家族にもあげたら、今度北朝鮮のほうでも、
・・・・・・(不明)

この黄色いリボンを作ってくれたボランティアの女性が私に言ってくれたことがあります。
「拉致問題に関しては、日本と韓国が一緒に、共に連帯して解決していかなければなりません。」と言っていました。

日本と韓国の関係は非常に複雑で、いろんな問題を抱えているのが実情です。

いろんな問題はありますが、この拉致問題に対しては、被害者のみなさんが、手を組んで、また力を合わせ、団結して、そして解決していくまで、努力していかなければならないと思っています。

韓国も拉致問題に対して、だいぶ流れが変わってきました。その一例がですね、イ・ジョンボク統一省長官は、ついこの間、北朝鮮に対して、拉致被害者問題について訴えることを明らかにし、また韓国の国会でも、拉致被害者法法律制定のために動くことを、・・しました。

ここまでくるのに、非常に険しい道でありました。しかし私達韓国の拉致被害者家族達は、日本の拉致被害者を支援しているボランティア団体、NG0団体の日本の国民大集会に参加して力をもらい、韓国に戻って、韓国の拉致被害者達と、力を合わせて頑張ってきました。

日本に拉致被害者がいるのと同時に、韓国にもこのような悲惨な拉致被害者家族及び拉致被害者がいることを、みなさま覚えてください。そして私達(韓国の)拉致被害者の家族は、日本の拉致被害者家族と共に、力を合わせて、頑張っていきたいと思っております。

日本のみなさんも、まだ解決されていない日本の拉致被害者の問題を抱えていながら、韓国の拉致被害者問題に関心を持っていただいたことに対して、非常に感謝の気持ちを申し上げたいと思っております。

また、この場にいらっしゃる拉致被害者(特定失踪者家族)、山本美保さん家族、高野清文さん家族(他)のみなさまも頑張っていただきたいと思います。

私は明日、この横浜を離れますが、韓国に戻ったら、より日韓拉致被害者家族会の連帯及び、私のお父さんの送還、そして韓国の拉致被害者が無事帰ってくるまで頑張りたいと思います。
みなさま、私の話を最後まで聴いていただきましてありがとうございました。

by蒼き星々金木犀

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朴さん(韓国人拉致被害者家族)の訴え(神奈川県民集会)

  朴さん(韓国人拉致被害者家族)の訴え 通訳:金基柱氏(守る会)

※朴さんのお話中、固有名詞がはっきり聞き取れず、人名・地名などやむを得ず空白にしているところがあります。
また朴さんのお話は通訳の音声その物が全体的に聞き取り難く、途中意訳を加えて文章の意味が通じるようにしてある所もありますことを予めご了承くださいませ。


(日本語で)こんにちは。

(以下韓国語で)
皆様こんにちは。
私は1971年1月6日、韓国の西の方の海の○○道○○島という島の近海で、北に拉致された朴○○の娘で朴○○と申します。
まずこのような貴重な席で話をする機会を与えてくださった関係者の皆さんに深く感謝申し上げます。

当時、お父さんが乗っていた船の名前は「ヒヨン(?)37号」と言う船で、インチョンに籍を置いた漁船でありました。
その当時非常に視界が悪く、また船の機械の故障によってですね。
船の流れ着いた所、北朝鮮の警備船から攻撃をされ、そして拉致をされました。
その後36年が過ぎた未だに生きているか死んでいるか、まだ分からない状態が今も続いています。
平和だった田舎村にある日突然訪れたこのような苦難はですね。
私たち家族にとって想像が出来ない事だったと思っております。
平和だったのはもちろんその行為によって、お母さんは未だにうつ病にかかっております。

その当時、私は15歳でした。
・・・(聞き取れず)を感じるくらいその当時はですね、今は白髪の混じっているお婆さんになってしまいました。
また私のお父さんは・・・(聞き取れず)を連れて戻ってくる事ができない場所に連れて行かれ、未だに涙の季節は流れております。
今日か明日か、いつか息子が帰ってくると思って海だけを臨んで息子を待っていたお爺さん・お婆さんは、夢にも望んでいた息子を待ちながら、結局は目を開いたまま亡くなりました。
この世を去りました。
旦那をなくし、その悲しみから去る暇もなく、お母さんは私たち幼い子供たちを抱え生活を心配しなければなりません。

しかし、それよりももっと辛かったのは、韓国公安関係の刑事の監視だったんです。
私が結婚する当時も私の主人の・・・・(聞き取れず)まで行うくらいの監視の対象になっていました。
お祝い・・・(聞き取れず)盆と正月が来れば、お父さんの思い出が涙の内になってしまいましたが、しかしその悲しむ間にも刑事たちの監視の目は光っていました。
分断国家で生まれた事が罪といえば罪だと思います。
36年間の・・・(聞き取れず)この出来事を一言では表現出来ないと思います。
すでに涙も枯れてしまった私のお母さんの恨みを子供として少しも楽にしてあげる事が出来ず、隣の国である日本でお父さんの消息を何とか訴えている私のこの姿が余りにも力なく情けなく、本当に惨めな思いで一杯です。

今韓国では黄色いリボン運動によって、韓国の国民たちも少しづつ拉致被害者の事を分かるようになりました。
マスコミの報道によって、日本の拉致被害者であるめぐみさんと韓国の拉致被害者の金英男氏が、北朝鮮で夫婦の縁を結んだと言う事を、関心高く見守っております。
私たち韓国人は韓国に税金を納め、国民の権利を行使できる権利のある、韓国の国民であります。
しかし、どうして私のお父さんは・・・(聞き取れず)仕事をする最中に拉致をされ、それにも拘らずこのような状況を分かってくれる政治家が一人もいない。
韓国の実態を本当に情けなく思っています。

しかしそういう韓国もだいぶ事情が変わってきました。
韓国の政治家にも拉致被害者の為の特別な法律を制定する動きが見えています。
しかし旦那を拉致された私のお母さんは、もう残りわずかな人生なのでこれ以上待っている時間はありません。
一日も早くお母さんが生きている間にお父さんの顔だけでも見る事が出来るように、しかしそれが無理であるならば北朝鮮の中に生きているのか死んでいるのかだけでも教えて貰えるように、集団解決のために日本と韓国が連帯し私たちの家族を一日も早く救出できるように欲しております。
分断の悲劇と言うには余りにも過酷なこの現実が一日も早く解決され、お父さんを連れ戻せるように劇的なヒューマンドラマのような幕を閉じるような場面を一日も早く実現するように待っております。

この場にいらっしゃっている尊敬する皆さん。
また先生方の皆さんに、私のこのような出来事をどうか覚えてください。
また、力を貸してください。
全世界が一つになり、拉致と言う言葉がこの世から無くなる日まで、そして北朝鮮がその過ちを認め、また北朝鮮の同胞たち・住民たちが自由を行使できるようなその日が来るまで、一日も早くその現実が現れる事を望みながら、最後に私の涙声の訴えを聞いてくださって非常に感謝しております。

皆様ともう一度会うときは、「私のお父さんが元気で帰って来ましたよ」と言う知らせを皆様に報告できるような言葉を持って、皆様と再会できる事を望んでおります。
どうもありがとうございました。(拍手) 

蒼き星々 掲示板(サブボード)への話しの花束、ぴろんさんの投稿による。

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2006年4月29日 (土)

荒木和博氏講演(2006/4/16)

日本再生フォーラム第17回講演会 (06.4.16 JACK大宮ビル5階にて)
「拉致問題を通して日本のあり方を考える 第6弾 ~北朝鮮による拉致を二度と許さないために~」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

本日はお忙しい中、多数の皆様お集まり頂きまして本当にありがとうございます。
また、この会を主催するに当たりまして竹本代表を初めと致します、日本再生フォーラムの皆様のご尽力に心より敬意を表する次第でございます。

これから私がお話いたしますのは、今日ですね。
特に中心的な題は「拉致を二度と許さないために」と言う事でございまして、主にこれからどういうふうにするべきかという事について話をさせて頂きたいと思いますが、皆様なんと言いましてもこの所出ておりますキム・ヘギョンさんと韓国人拉致被害者・金英男さんのDNAの鑑定の結果等々をですね。
この事が大変ご関心を持っておられると思いますので、ちょっと最初にこのことに触れておきたいと思います。

この事が明らかになったのは先週辺りから、先々週ですか。
辺りからちょっと話が出るんではないか?と言うことを言われておりました。
正式に発表がありましたのが11日でございまして、この時に政府がそのDNA鑑定の結果、キム・ヘギョンさんの血液とそして金英男さんと言う、昭和で言うと53年の8月5日に韓国の西海岸の島から拉致された当時工業高校の高校生です。
このDNA鑑定の結果ですね。
二人の間に血縁関係がある事が確認をされた、と言うような報道でございました。

この(DNA鑑定を)2ヶ所やってほぼ間違いが無い、と言うような事でございましてですね。
私たちにとりましてはご存知の無い方もおられるかもしれませんが、特定失踪者のDNA鑑定の問題と申しますと、山梨県の甲府市で失踪された山本美保さんの事について、山梨県警が行ったDNA鑑定と言うのはですね。
どうも余りにもちょっと信用できないと。
言う物がありますので、DNAと聞いただけでちょっと?マークがつくんですが、今回の調べ方等々からするとやはり間違いないだろうと言うふうには思っております。
ですから少なくとも一時期、横田めぐみさんと金英男さんの間に夫婦の関係が存在したという事は間違いが無いかと思います。

で、もともとこの情報は去年の12月にですね。
韓国の拉致被害者家族会、韓国では拉致被害者の家族の会が3つありまして、そのうちの一つの拉致被害者家族会の崔成龍さんという代表が発表をした。
これは一昨年の2004年の9月、中国で情報をですね。
北朝鮮の高官から得たと、言う事で発表した情報だったんですが、それが確認されたと言う事でございます。

ちなみに去年くらいからですね。
ニュースにもちょっと出たようですが、蓮池薫さんが横田めぐみさんのご主人は韓国人の拉致被害者であるということを言っていたと、言う話もございました。
ですからその二つのソースがあったわけですが、今回これが確認をされたと言う事です。

私が調査会のメールニュースでですね。
書いたんですが、蓮池さんは帰ったときにですね。
帰国した時に横田さんのご両親ともそれから双子の弟さんにも会っている。
その後も何回か会っている訳ですが、最初の内はですね。
めぐみさんのご主人は拉致被害者の韓国人であると言う事は一言も言っていません。
一昨年くらいから、ちょっと周辺には漏らし始めたという話を聞いておりますが、結局ですね。
横田さんのご両親はあるいは弟さんたちは直接は彼らからそういう話は聞いていない、と言う状態であると思います。

で、ここにおられる皆さんもいろいろなお気持ちの方がおられると思いますが、私もこういうことばかり言っておりますんで、相当彼らからは煙たがられているようなんですけども、あのですね。
ちゃんと言うべきですよね?こんな事は、当たり前の話で。
最初からそんな事を分かっているなら、分かってないわけが無い。
彼らは一緒に暮らしていたわけですから、一緒に暮らしていたのが嘘であれば分かりませんけど、本当に一緒に暮らしていたのであれば、当然一緒に暮らしていた人間が同じ朝鮮語で話をしていたって、それがただの元々の北朝鮮の人なのか?
拉致された韓国人なのか?くらいはですね。
わかんないはずが無い。
ですから帰国した当時すぐにですね。
それを教える事が出来てもおかしくなかったと言うふうに思います。

あの当時彼らが言っていた事は殆ど横田めぐみさんの事についての証言ばかりでございまして、そのあとポツリポツリと田口八重子さんについての証言ですとか出て参りましたけど、あの時はめぐみさんの事ばっかりでございます。
それはどういう事を意味するかと言いますと、この横田めぐみさんの事を出すことによりまして、横田さんのご両親をピョンヤンに呼ぶと。
そこで横田めぐみの墓と言うものでも作っておいてですね。
そこで拝ませて、キム・ヘギョンさんと感動の対面をさせて、それを持って拉致問題はおしまいと言うふうにしようとしていたんだろうと思います。
彼ら自身はちゃんとそういうふうに喋れと、言う事のシナリオに従って喋ったんだろうと私は思っております。

しかし、これはある程度仕方が無い部分があります。
当然そういうような事をですね、しなければ北朝鮮が出すはずもありませんから、ある程度は仕方がなかったと思うんですが、それにしてもここに来てからもう3年半経つわけですが、その頃になってこういう事が出てくるということ事態がですね。
やはりどう考えてもおかしいんではないか?と思うんです。

それからですね。
ちょうど蓮池さんが拉致されたのと金英男さんが拉致された頃がほとんど同じ時期です。
7月の末と8月の初めですから。
で、つまりご両親はこの二人の息子をそれぞれ二十何年前待ち続けたんですね。
蓮池さんのお母さん、ハツイさんなんかは最初の内はですね。
本当に、こう言っては失礼ですが、錯乱状態に近いような状態になってしまったという話を聞いております。

そういう状態の中で苦しんで、しかし息子を何とか取り返したいと言う思いでですね。
お母さんは一生懸命やってこられて、そして現実に息子さんを取り返す事が出来たんですが、同じ苦しみを受けているお母さん、崔桂月さんに対してですね。
もっと早く本人から直接ですね。
連絡を取って上げられなかったもんだろうか?と、そういうことを私は未だに非常に疑問に感じております。
彼らにすればもちろん言い分はあるんでしょうけども、しかし普通に考えてですね。
やっぱりおかしいんじゃないかな?と言うふうに私は思っております。

彼ら自身は特にですね。
今まで喋ってない事は非常にたくさんあります。
彼ら自身は政府に対しては殆どみんな喋ったと言うような事を言っておりますけども、そんな事絶対にあるわけは無いです。
もちろん、喋れない事もあるんでしょう。
それはまぁ認めますけども、しかし、それはそれとしてですね。
それにしても彼らが全部喋ったと言う事は嘘だとしか言いようが無い。

彼らの中でもですね。
特に地村さんご夫妻とか、あるいは曽我さんなどはですね。
何かあれば柏崎に連絡を取って、そして喋っては駄目というふうに言われると喋らない。
こういうような話を私はいろんな所から聞いております。
ならば、やっぱり蓮池薫さんがですね。
それなりの責任を持って対応をするべきであろうと言うふうに思っております。
こんな事を言うのは大体私とあと何人もいませんので、言えば嫌われるんですけども、そんなのんびりした事も言っていられませんので、この場を借りてもですね。
ちょっと申し上げておきたい、と言うふうに思っております。

そうしないと、まさに、今回の金英男さんの件でもそうですが、こういうことが明らかになってからですね。
なんだあいつ等話してなかったじゃないかと言う話になってくる。
これ日本人の、韓国人にも酷い話ですけど、例えば日本人の拉致被害者の人で特定失踪者の中の人とかですね。
当然蓮池さんは藤田進さんなんかを見てるはずなんですが、見ていないと。
やがて別の所から明らかになったときにですね。
なんだ、何であの時言わなかったんだ?という話になれば、彼ら自身の立場の方が危なくなる、非常に悪くなるということもあるわけで、やはりいろいろ問題はあるんでしょうけども、しっかりとそこは話をして貰いたいという事をですね。
本当に切実に感じております。

しかしこういうふうになる事の理由がいったいどこにあるのか?
まさにこの国の根本に関る問題である、と言う事であります。
この国がもうちょっとしっかりしていれば、彼らはもちろん拉致をされる事は無かったでしょうし、拉致をされてももっと早く取り返す事が出来たでしょうし、こんなに多数の方々が拉致をされる事もなかったであろうと言うふうに思います。
もちろん拉致をしたのは北朝鮮と言う極めて異常な体制の国がやった事ではございますけども、一方でその拉致をやらせてしまった言う意味でですね。
日本と言う国も極めて異常な国である、というふうに言わざるを得ません。

田口さんの拉致もおそらく今まだいろんなこと分かってない事がたくさんあると思うんですが、横田めぐみさんの拉致もですね。
複数の筋から私が聞いている話では、昭和52年11月15日のあの拉致をされてから間もなくの時点で日本政府の上の方はですね。
もう北朝鮮による拉致だと言う事は認識していたと言う話がございます。
おそらく私はそれは間違いが無いだろうと思っています。

で、しかしその後ずっと言って来なかった。
平成9年にこれが明らかになったためにですね。
政府は拉致であると言い始めたわけでありますが、これを民間の方で明らかにしていなければですね。
未だにおそらく横田めぐみさんはただの失踪した中学一年生の少女、と言う事であったのではないだろうか?
もちろん今帰国している5人も帰ってくる事はなかっただろう、と言うふうに思うわけでございます。

で、どういうふうにこの国がおかしかったのか?と言う事を知る上でまずですね。
北朝鮮がどういうことを今までやって来たか?と言うようなことについてのお話をして行こうと思います。

ちょっと遠くの方は分からないかもしれませんが、これは北朝鮮の潜水艦です。(写真を一枚掲げる)
今から11年前にですね、東海岸に工作員を侵入させるためにやって来てですね。
そしてそこで波が高かったので座礁して、帰れなくなったという潜水艦でございます。
事件を覚えていらっしゃる方もおられるんじゃないかと思います。
この時にこの潜水艦に乗っかっていた乗員はですね。
全部上陸をいたしまして半分はその場で集団自決をする。
残りは皆山の中に逃げ込んで、そして一人が捕まりまして残りの13人だったかな?
が射殺されて、一人はどうも北朝鮮に逃げ帰ったらしいと、言うふうに言われております。

で、この潜水艦、近くじゃないと分からないと思いますが、前に魚雷の発射管が無いんですね。
ここから見えませんがこの反対側、右舷の船首の方にですね。
一ヶ所だけハッチが、魚雷発射管みたいな場所に付いています。
それが何かと言うと工作員が脱出する為の、つまり上陸したりするときのですね。
ここから出て水中スクーターのようなそういう物で海岸に入る。
そのためのハッチが一つだけ付いております。
他にはこの船にはですね。
魚雷もないし、それ以外の武装もしていない。
もちろん銃とかですね、そういう物は持ち込んでいたんですけども、その船自体には直接くっついてはおりません。

それはいったいどういう事を意味するのか?と言いますと、この潜水艦がいわゆる普通の海軍が戦闘をやったりするために使う船では無いと言うことですね。
この潜水艦の目的と言うのは韓国に工作員を送り込む、偵察を行う為の潜水艦だと言う事です。
北朝鮮の工作活動と言うのは、ですからたまたまいろんな事をやってる中で必要性に応じてついでにやると言う事ではなくて、工作活動をやること事態が彼らにとって極めて重要な物のひとつである。
それは韓国の中の政権を転覆させて、そして南を共産化統一をするという北朝鮮の国家目標に基づいたものですけども、そういう物に基づいて作られていると言う事です。

韓国はそれに対抗する為にこうやってですね。
海岸に韓国の東、西、南の海岸と言うのはほとんどこういう鉄の柵が巡らされております。
韓国へ行かれたら海岸の方で人目の無い所でもずっとこう言うのが通ってますから、御覧になったら良いと思いますが、かなりしっかりとした鉄の柵で上には鉄条網が巻かれております。
こういうものがずっと渡されている。
こう言うのがあっても潜水艦が来たら平気で入ってくるんですね、北朝鮮の工作員と言うのは。

それと今、埼玉には海はありませんけども、この茨城でも千葉でもですね。
海岸線にこんな物あるか?と言うと、どこにも無いわけでございます。
この中には、これもちょっと小さくて分かり難いと思いますが、ここの端の所にですね。
韓国軍の警備・・・(聞き取れず)があります。
ここには実弾を込めた銃を持った兵隊がですね、警備をしている。
それから海も船がパトロールをしている。
こういうふうにやってる中ででもですね、平気で入って来る、と言う状況です。
それと日本の状況を比べてみるといったいどういうものか?と言うのは非常にお分かりになるだろうと思います。

で、日本には、今潜水艦はひょっとしたら使ってるのかもしれませんけども、基本的にはこのこういう工作船ですね。
こういう物で入って来ているという事が多い。
最近一応(潜入は)止まってるんじゃないか?と言う話も有りますが、ちょっと詳しい事は分かりません。
使える時は、また使ってくると思います。

この工作船は今横浜のですね。
観光地になっています赤レンガ倉庫がありますが、あの先に海上保安庁の施設がありまして、そこで展示をしてあります。
ゴールデンウィークにでも横浜の方に遊びに行かれたらちょっと足を伸ばしてですね。
30分くらいで見れますので、行って御覧になったら良いと思います。
陸の上に上げてありますから、非常に大きく見えます。

船の事をお分かりの方ならすぐ分かると思うんですが、この船の船首の形状は非常に尖ったV字型の形状をしております。
これもさっきの潜水艦と同じように、漁船を改造したとかそういう片手間仕事でやった物では無いと言うことです。
完全に工作活動をやるために、特に日本に工作員等を送り込むために作った船だと言うことですね。
この船は時速で言いますと大体40ノット(1ノットは1.852キロメートル毎時、40ノット=時速約74キロメートル)以上のスピードが出る。
この船の後ろの方が観音開きで開きまして、工作小船という、ちょっと上から見ますとですね。
普通のポンポン船にしか見えない船が出てくるわけですが、この船はもっとスピードが速くて50ノット(=時速約79キロメートル)くらいのスピードも出して走ることが出来る。
そういうような船ですね。
この船で沖合い500メートルくらいまで行って、それからゴムボートに乗り換えて上陸をすると、言うようなパターンが非常に多いというように聞いております。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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ブッシュ大統領への横田早紀江さんの手紙全文

≪横田早紀江さんの手紙全文≫


 横田早紀江さんがブッシュ米大統領にあてた英文の手紙の全文は、次の通り。

 親愛なる大統領閣下

 娘のめぐみは1977年、北朝鮮に拉致されたとき、13歳で、中学校から歩いて帰る途中だった。その後、20年間は、彼女に何が起きたのか分からず、苦悩の時を過ごした。

 後に亡命した北朝鮮工作員からめぐみが拉致されたことを聞いた。工作員は「彼女は、工作船の船底にある小さな暗い部屋に閉じ込められ、(日本から北朝鮮へ)暗い海を渡る間、『お母さん助けて』と叫びながら、部屋の壁をつめでかきむしっていた」と証言した。

 同封したのは、拉致された後、北朝鮮で撮られためぐみの写真。めぐみは、音楽が好きで、元気な女の子だった。でも、この写真では、とても寂しそうで、私は、思わず「めぐみ、あなたはこんなところにいたの。とても怖かったでしょうね。まだ助けてあげられなくてごめんね」と言い、写真をなでた。

 今でも、めぐみとほかの拉致被害者は、北朝鮮で生きているに違いない。子供の失われた年月は、取り返しがつかないが、世界中の国から拉致された被害者を救い、残りの人生を自由の国で過ごさせてあげることはできる。政府から非道な人権侵害を受ける北朝鮮の国民のことも忘れてはならない。

 大統領、私たちがあなたと米国民の助けをどんなにありがたいと感じているか知っていただきたい。


 横田早紀江


sannkeiwebより

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2006年4月28日 (金)

横田早紀江さんの陳述書全文 

   
横田早紀江さんが米下院に提出した陳述書全文は次の通り

実際の証言とは一部違う部分がありますが、文書で提出された陳述書と、口頭で行われた証言の双方が記録として残されるそうです。


 本日はこのような貴重な機会を与えてくださったリーチ委員長、スミス委員長をはじめとする米議会の議員先生方に感謝いたします。

 私は、今から29年前、1977年11月に13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみの母、横田早紀江でございます。

 めぐみが中学校からの下校途中に行方不明になってから、どうしていなくなったのか分からない長い長い20年間の苦悩の日々を過ごしてまいりました。めぐみが北朝鮮の工作員によって拉致され、北朝鮮平壌郊外の工作員養成学校「金正日政治軍事大学」で工作員の日本人化教育の教員をしている、という情報が入ったのが、20年たった1997年のことでした。

 こんなに長い間、このような大変なことがどうして分からなかったのだろうと感じつつも、私たちは、それでもめぐみが生きていたのだ、すぐにでも会えるという思いで大変喜びました。けれども、北朝鮮にいると分かってから、今日まで9年以上が過ぎたのに、まだ救出できないままです。なぜ、助けられないのか、口惜しくて、悲しくてたまりません。

 一貫して「日本人拉致」を否定してきた金正日は、2002年9月の日朝首脳会談で、一転して13人だけの拉致を認めました。北朝鮮が拉致した日本人は13人どころではありませんが、彼らは、数多くの被害者について、いまだに拉致したことさえ認めていません。拉致の疑いがあるとして家族などが調査を依頼しているケースが450人以上あります。日本政府はそのうち30人以上について北朝鮮との外交交渉で名前を挙げて追及しました。

 娘「めぐみ」と、本日家族がこの席に来ています田口八重子さん、増元るみ子さん、市川修一さんら8人は、死亡と通告されましたが、北朝鮮が8人の死亡の根拠として提供した医師の署名入りの死亡診断書、病院死亡台帳、警察作成とされる交通事故調書などは、日本政府の精査の結果「すべて信じるに値しない」ものでした。一昨年11月「めぐみの骨」とされるものが、日本政府により持ち帰られましたが、日本の高度なDNA鑑定により全く他人で年齢も違う2人の骨であることが証明されました。松木薫さんのものとされる遺骨も本人のものではないという鑑定結果が出ています。

 これは一昨年11月、偽遺骨とともに日本政府に提供された、拉致直後のめぐみの写真です。この寂しそうな顔を見て、私は思わず写真をなでながら「めぐみちゃんこんなところにいたの。どれほど不安だったでしょう。まだ助けてあげられなくてごめんなさい」と話しかけました。本日、一緒にこちらに参っていますめぐみの弟、拓也ももう1人の弟とともに、この写真を見て男泣きに泣きました。

 2002年9月の日朝首脳会談後、めぐみの娘、私たちの孫であるキム・ヘギョンさんの存在が明らかになりました。今月11日にはめぐみの夫、そして私たちの孫の父が、実は「韓国の拉致被害者」である金英男さんであることが、DNA鑑定で証明されました。金英男さんは、めぐみが拉致された1年後の1978年、16歳高校生で拉致されています。英男さんをはじめ5人の韓国の高校生が拉致されたことが分かっています。ところが、北朝鮮はいまだに英男さんら韓国人を拉致したことを一切認めていません。

 あまりにも数々のうそ、偽りを言い続けながら、開き直っている北朝鮮に憤りを覚えます。罪なく、このような理不尽な国家テロの犠牲になって、今も長期にわたり監禁され助けを求めている世界の12カ国に及ぶ多くの被害者を助け出さねばなりません。ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません。亡命工作員の証言によると、娘は工作船の暗い船底に閉じ込められ「お母さん、助けてお母さん」と壁をかきむしって、絶叫し続けて、暗い海を運ばれたといいます。それから四半世紀を超え、既にどの親も老齢のため、残された時間は多くありません。

 めぐみたちはまだ元気であちらにいるのです。そして、あの国がいかに凶暴であり、人の命を何とも思っていないようなところであるということはもう世界中が知っています。貴国のブッシュ大統領が、「悪の枢軸」と言われる通りです。たくさんの日本の、韓国の、また多くの国の何の罪もない若者たちが数十年間も抑留され、向こうの思ったように動かなければ強制収容所や、銃殺刑にされるかもしれない中で、一刻一刻助けを待っているのです。まだおぼれたままでいるのです。おぼれた人がいれば、私たちはすぐにでも手を差し伸べるのではないでしょうか。ほかのいろんな用事をまずおいて、飛び込んで助けるのが人の心ではないのでしょうか。

 私たちは、本当にもう心身疲れ果てておりますけれども、子どもたちが助けを求めている間はどんなことがあっても倒れることができません。日本の国民、全世界の自由を愛する国民の総意で、「怒っている」と北朝鮮に態度を示していただきたいと私は願っています。「拉致は許せない。全被害者をすぐに返しなさい。それがないなら経済制裁を発動します」とはっきりと言っていただきたいのです。

 先月には、トーマス・シーファー駐日米国大使がわざわざ新潟の「めぐみ拉致現場」をご視察くださり、拉致のむごさを身をもって感じ「私の人生の中でもっとも悲しい話の一つだ」とお語りくださいました。子どもたちの失われた年月は取り戻せませんが、世界各国から拉致されたすべての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたい、それが私たち家族の心からの願いでございます。何とぞ、米国議会、政府、国民の皆さまのお力添えをお願いいたします。

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早紀江さんの証言

電脳補完禄さんのご厚意で、サイドバーに、アメリカ公聴会での早紀江さんの証言動画を掲載しました。
是非ご覧ください。

そして、私達が何ができるか、考えていきましょう。

早紀江さんの証言全文も、電脳補完禄さんからお借りして掲載します。
――――――――――――――
  早紀江さんの証言全文
――――――――――――――
本日はこのような貴重な機会を与えて下さったリーチ委員長、スミス委員長を初めとする米国議会の先生方に感謝いたします。

私は今から29年前、1977年11月に13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみの母、横田早紀江でございます。めぐみが中学校からの下校途中に行方不明になってから、どうしていなくなったのかわからない長い長い二十年間の苦悩の日々を過ごして参りました。めぐみが北朝鮮の工作員によって拉致をされたという情報が入ったのは、1977年のことでした。

私たちはめぐみが生きていたのだ、すぐにでも会える、という思いで大変喜びました。けれども北朝鮮にいることがわかって、それから9年以上が過ぎたのにまだ救出出来ません。なぜ助けられないのか、悔しくて、悲しくてたまりません。

金正日は2002年9月の日朝首脳会談で一転して13人だけの拉致を認めました。北朝鮮が拉致した日本人は13人どころではありませんが、彼らは数多くの被害者について、いまだに拉致したことさえ認めていません。拉致の疑いのあるケースは450人以上あります。

娘めぐみと、本日家族がこの席に来ています田口八重子さん、増元るみ子さん、市川修一さんら8人は死亡と通告されましたが、めぐみの骨とされるものなど北朝鮮が8人の死亡の根拠として提供したものは、日本政府の精査の結果、全て信じるに値しないものでした。

これは1年半前にニセ遺骨と一緒に日本政府に提供された拉致直後のめぐみの写真です。めぐみは歌の好きな明るい少女でした。この淋しそうな顔見て私たちは思わず写真をなでながら、「めぐみちゃん、こんな所にいたの? どれほど不安だったでしょう。まだ助けてあげられなくてごめんなさい」と話しかけました。

めぐみの娘、私たちの孫であるキム・ヘギョンさんの存在が明らかになり、今年4月にヘギョンさんの父親が韓国の拉致被害者キム・ヨンナムさんであることがDNA鑑定で証明されました。ヨンナムさんは16歳、高校生で拉致されました。北朝鮮による拉致被害者は日本、韓国だけでなく、中国、タイ、レバノン、フランスなど12ヶ国に及んでいます。

亡命工作員の証言によると、娘めぐみは工作船の暗い船底に閉じこめられて、「お母さん助けて、お母さん助けて」と壁をかきむしって絶叫し続けて暗い海を運ばれたと言います。

めぐみたちはまだ元気であちらにいるのです。本当にもう心身疲れ果てておりますけれども、子供達が助けを求めている間は、どんなことがあっても倒れることは出来ません。

子供達の失われた年月は取り戻せません。世界各国から拉致された全ての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたい。ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなくてはなりません。

世界が心を合わせて、「拉致は許せない。全被害者をすぐ返しなさい。それがないなら経済制裁を発動します」とはっきりと言っていただきたいのです。それが私たち家族の心からのお願いでございます。

米国議会、政府、国民の皆様のお力添えをお願いします。
本当に今日はありがとうございました。

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2006年4月27日 (木)

■訪米報告

■訪米報告
               真鍋貞樹

 4月22日、ホワイトハウス前のラファイエット公園で行われた拉致問題解決向けてのコンサートとラリーについては、日本での報道のように無事終了した。参加者は、日本からの参加者11名に加えて,韓国人、在米日本人など合わせて100名程度だった。

 日本からの参加者は、家族会からは市川雄一さん、増元照明さん。特定失踪者ご家族としては、大澤孝司さんの兄昭一さんご夫婦、山本美保さんの妹の森本美砂さん。特定失踪者問題調査会からは私真鍋。また、武蔵村山市議会議員の、天目石要一郎さん、須藤博さん、支援者3人も参加した。

 内容としては、概ね次のようなものである。
 本イベントの主催団体であるReACHは、特定失踪者の大澤孝司さんのいとこ(在米)を中心として在米日本人によって結成されたものである。

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 今回、大澤孝司さんをはじめとして、山本美保さん、古川了子さん、生島孝子さんら特定失踪者への手紙の朗読が最初にあった。

 韓国からはチェ・ソンヨン拉北者家族会会長を中心に、脱北してきた韓国拉致被害者も参加し、訴えがあった。そして、タイのアノーチェさんの家族からの手紙の代読があった。

 手紙の朗読と、失踪者全員の名前の朗読に続いて行われたコンサートは、在米の日本人女性歌手のアミーカさんを中心に行われ、さらに脱北者した女性歌手も加わって催された。

 コンサート終了後、参加者全員でホワイトハウス前を行進し、拉致被害者の救出をアピールして全日程が終了した。

※特記事項

 古川了子さんの拉致認定を求める訴訟において、政府側は終始「拉致被害者家族と特定失踪者家族は差別的な扱いをしていない」という表明を繰り返している。しかし、今回の訪米においても「差別的取扱い」が顕著に現れた。それは、家族会のメンバーには、内閣府拉致問題連絡調整室の室長ならびに室員が同行し、全ての日程の調整を行っている。例えば、在米日本大使との懇談、下院公聴会への同席などについては、家族会のメンバーは全て政府の調整によって参加することになっている。しかし、訪米した特定失踪者のご家族には政府からなんらの連絡も調整も行われていないことが判明したのである。しかも、今回訪米した特定失踪者のご家族は、外務省が北朝鮮に対してリストを渡した大澤孝司さんと山本美保さんのご家族である。
 今回の22日のイベントの主催団体代表は、特定失踪者のご家族であり、そのイベントに家族会のメンバーが参加したものである。こうした特定失踪者のご家族の努力に対して、政府側はなんらの考慮も払っていなかったわけである。

これまで、特定失踪者問題調査会からは政府に対してこうした「差別的取扱い」を改めていくように、再三にわたり裁判や要請活動において求めてきたものである。特に今回、在米日本大使に対して特定失踪者の問題を訴える場も用意されなかったという事態は、政府が特定失踪者家族を「差別的取扱い」をしているなによりも証左となる。
 この点について、6月28日に予定されている、次回古川了子さん拉致認定訴訟における証人として荒木和博特定失踪者問題調査会代表が指摘をしていく予定である。

■戦略情報研究所講演会

5月12日(金) 18:30~20:30

講師:青木直人氏(ジャーナリスト)
テーマ 「北朝鮮処分にどう備えるのか---全拉致被害者奪還のために--」

 北朝鮮に介入を強める中国、胡錦涛訪米後、朝鮮半島抜きでさらに加速する「北朝鮮処分」、拉致被害者救出のため日本は対中及び対・中米関係でどう行動すべきか

参加費 2000円(お送りした講演会参加券がご利用になれます。参加券がない場合は一般参加費を頂戴します)
○予約等はありません。直接会場においで下さい。
○会場:UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel03-3288-3549)
 ※市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い (地図は下記をご覧下さい)。
http://www.uizensen.or.jp/doc/uizensen/access.html


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横田早紀江さんのことば(神奈川県民集会)

悲鳴とも、絶叫とも聞こえる、この声を、皆さんにも聞いていただきたいと思います。


2006年4月16日横浜開港記念館にて

―――――――――――――
 横田早紀江さんの叫び
―――――――――――――

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みなさんこんにちは、長い本当に長い年月ですけれども、この活動の中で本当に沢山のご支援を頂き、カンパを頂き、大変な活動ではありますが、多くの皆さんに支えられ、今日も私のマンションのお住まいになっている皆さま方が、本当に沢山手伝いに来てくださり、始めから終わるまでボランティアとして活躍してくださる方に支えられて今日までくることができました。

     本当にありがとうございます。(拍手)

様々なショックを受けながら、めぐみが消えた52年の11月15日のあの夕方から今日まで。
いよいよ、こんどは、めぐみの夫であったと言われる人の金英男(キム・ヨンナム)さんというという方が出てくる。そしてそれがキム・ヘギョンさんのお父さんであろうと、ほとんど確実なまでのものがでる。またこれも、喜びのショックでありますけれども。

ヘギョンちゃんが現れたことや、めぐみが死亡とされたこと。そして白い骨が、骨壷が私たちの前に現れたこと。そして探し続けていた、めぐみのあの13才の白いブラウスの写真が、本当にどんなに探しても20年間見つからなかった、めぐみの姿が、あの時に、骨の壺と同じ時に、白いブラウスの哀しい目のめぐみが、私たちの目の前に、忽然として現れました。

さまざまなショックがこれでもか、これでもかと、私たち家族を打ちのめしながら、この拉致問題が展開されて参りました。

9年前、私たちが立ち上がって家族会を作って、そして、有楽町や池袋、新宿と、いろんなところに、日本中の元気な若者達、沢山の裕福な方々が、何の苦労もなく、右往左往して歩いていらっしゃる中で、(注:何の苦労もなさそうに、楽しそうに応対する姿を言いたかったのだと思います)『助けてください』『助けてください!』と、署名活動をお願いしましたけれども、その頃の日本の皆様は本当に『何のことやってるんですか』『こんな事、本当なんですか?』と(言って)、みんな、片手をあげて素通りをなさったんです。

雨が降ってカッパを着て、一生懸命声をだして言いましたけれど、こんなことをしていて本当に何になるんだろうと思っておりました。

けれども、いつも私たちは、めぐみをはじめ、たくさんの、何の罪もなく、あの海を渡って、船底に閉じこめられて、連れて行かれたまま、長い長い年月、親を想い、兄弟を想い、日本の国を恋しがって、思い、
『助けて!』
『いつ助けてくれるの?』
『明日ですか?』
『あさってですか?』


と、毎日毎日お月様を眺め、星を見ながら、助けを求めている。

またそれは日本の国だけでなく、先ほどもお立ちになった崔祐英(チェ・ウヨン)さんのお父様他、沢山の韓国の拉致被害者の方。

またあるいは、ジェンキンスさんや、いろんな方からの証言がありまして、各国、12カ国ほどの、沢山の国々からも、何の罪もなく沢山の人たちが、いろんな形で、あの北朝鮮に連れ去られて。

全く違った人と結婚させられて、『私はこの人と結婚したくなんかありません』と日本の国のように一言でも言おうものならどんなところに追いやられるかもわからない、本当に恐ろしい監視の中で、『はい』と言うしかないんです。

めぐみのあの哀しい目は、そのことを物語っていました。

私は本当にあの写真を出されたとき---

--骨の壺を見たときは、『この骨は私のめぐみのものだとは思っておりません』と『めぐみは生きている』と『お母さんそれを信じないで、私はここにいるのよ、助けて!』と言っている声が聞こえるようでした。

---けれども、あの写真は本当に酷いものでありました。

あんなに明るかった、元気だった、大きな声で『今日はね、お母さんこんな事があったのよ』と毎日玄関から大きな声で、学校での内緒も明るい声で教えてくれた、また大きな声で歌を歌い続けていた、あの子が脅えた目で哀しい目で、『どうしたらいいの?お母さん』『お母さん、私はどうしたらいいの』と言う目で、私たちを見つめていました。

『あーぁ、めぐみちゃん、こんなところにいたのね』と私は思わずあの写真をさすって、涙が止まりませんでした。ふたりの弟たちも本当に声をだして泣きました。

こんな酷いことを、長い長い年月、拉致をしたこともない、そんな人は一人も入ってきたことはない、見たこともないと言い続けていた北朝鮮が、拉致を認め、挙げ句の果てに、このような無惨な姿のかわいそうな娘の姿を、平然と家族の前に出してくるわけです。

そのようなものしか持って帰ってくることのできなかった、政府の方たちも本当に大変だったと思いますけれども。

この拉致問題というのは、誰がこのようなめにあっていたかわからないような、大変な問題が日本の中で長い年月、行われ続けていたということがようやく今、わかりました。

今私たちの目の前にお座りになっていらっしゃる皆様が、私のようにここに立って、『助けてください。皆さん聞いてください。』とおっしゃっていたかもしれなません。。私がその場に座って、涙を流していたかもしれません。

めぐみの問題だけではないのです。
増元るみ子さんだけの問題ではないのです。
特定失踪者の名前もわからない方達が、まだ北朝鮮の土地で、『私は探してももらっていないんだ。だーれも母も父も、ここにいることを知らないんだ』と『どうしたら日本に帰れるんだろうか』と、嘆いている方がたくさんいらっしゃるのです。

この問題を解決するためには、人間全部の、魂の強さが必用です。家族だけでは有りません。家族は我が子ですから。我が父ですから。何とか助けてあげたいという気持ちが必然的にありますけれど。

これは国民全部の大切な問題であります。政治家の問題であります。警察の問題でもあります。

官邸も外務省もあらゆる日本中の人の心が本気で、この人達を助けるのが当たり前のことなんだという想いで、一つになって熱を持って戦って行かなければ、このことは絶対に解決していかないのだと思います。(拍手)

北朝鮮は様々なことを言ってきます。
めぐみの夫であろうと言う人が、現れたとたんに、その金英夫という人とめぐみの娘であるキム・ヘギョンちゃんという人たちを、軟禁しているというニュースが入ってきました。
私は、もともと北朝鮮の国そのものが、国民の全部の皆様が軟禁されているような状態であるんだと私ども思っておりますから、『あぁ、またこんな風なことを言っているんだな』というような想いで受け止めておりますけれど。
本当に何をするかわからない国なんだなと言うことも、恐怖の素になっています。

日本にはたくさんの在日の方々もお住まいになっています。
この方々はこの方々で様々なご苦労をなさっていたと思っています。

北朝鮮に沢山の身内の方を、帰国させられて、その人達を人質に使って、『もっと、これだけもののをよこしなさい。』『たくさんの金銭とこれだけのものをもってきなさい。』『これだけのものを持ってきなさい、そうでなければ、あなたたちの家族もどうなるかわからない』というような恐ろしいことを言われて、なさって、一生懸命にその貢物をしてこられて、苦労してやってこられた方が沢山いらっしゃるんじゃないかと、私たちは、本を読んだり、お話を聞いたりして思っています。

    みーんな犠牲者なんです。

たった一人の罪深いもののために、これだけたくさんの人が、世界中の人たちが苦しみ続け、たくさんの北朝鮮の善良な、純真な国民のみなさまが、何の罪もないのに、食べる物もなく、餓死に追いやられている。その体は、どこともわからないところに、押しつぶされて、ブルドーザーで埋め込まれているような、そのような国に対して、どれだけの世界中の人々が立ち上がって、『そんな恐ろしいことは、人のすることではありません。もっとあなた方の平和な、本当に自由な生活をしようと思いませんか?暖かい交渉をしながら、あなた方もまっすぐにたくさんの世界の中に出てきて、本当の話をして、助け合って行きませんか』と言うことを、世界中の沢山の人たちが、声を一つにして、北朝鮮にメッセージしていかなければならないのではないかと思っています。(拍手)

訪米をしまして、下院議員の公聴会に出席をさせていただきことになりました。
私のような、学歴もない、英語もはなせないこのような難しい問題なんて何にも知らなかった、普通の主婦である私が、こんなようなことが、本当にできるんだろうかと、プレッシャーでいっぱいですけれども、本当に今お話しましたような事を、いつも心のおいて、あちらの公聴会この問題を、世界の人の知っていただきたいと、お話をさせていただきたいと思います。(拍手)

シーファーさんも、この間、新潟のめぐみのいなくなった現場にわざわざ足を運んでくださいました。
そして私たちにおっしゃいました。『テレビや新聞などで、報道で聞いているのと違って、本当にこの町で、本当にうちが近いこの角で、あんなに小さかっためぐみちゃんが、どうしてあんなむごい目にあうのか、なんと酷いことが行われていたんだろうと、哀しくなります』と涙を流してくださいました。

『私はブッシュさんととても仲がいい。ブッシュさんは大統領ですから、向こうのブッシュさんはじめ、多くの高官のみなさまに、この問題をしっかりお届けしておきますよ』と言ってくださいました。『だからあなた方も、訪米をしてお話をするときに私のことを忘れないでください。』とまで言ってくださいました。

日本のマスコミの方々も、私たちに今は一生懸命付き従ってくださって、しっかりこのことの解決のために、本気でずーっと、長い10年近く、本当に懐かしい顔を見せてくださって、私たちを助けてくださいますけれども。

今でもまだ、こないだの、金英男(キム・ヨンナム)さんのことが出たときに、すぐに、ある新聞社たちは、たくさんの新聞社達が、すぐに平壌に行って、宋日昊(ソンイルホ)という人たちに面会をし、あちらが言っている、『全くそんなことは知らない』というそういうことをすぐに聞いて、それを報道なさるようなことはしていただきたくありません!(拍手)

その方達も・・・日本人であります。
そのような、向こうの、北朝鮮にそこの(支)局が新設されると思って、みなさん活動なさると言うことも聞きますけれど、

そんなことのために私たちの同胞のたくさんの命がないがしろにされて、あのような国で、埃にまみれたままで、あの土の中に埋め込まれてしまうようなことだけは、絶対に止めてください。(拍手)

本当に全世界の拉致された人たち。そしてあちらに離別していらっしゃる韓国の方達。北朝鮮の国で苦しんでいる多くの国民方が本当に、自由な人間らしい生活ができ、そして良い国として、世界に認められるような国になっていただきたいと、私は思うので、こうして、一生懸命お願いしております。
どうかこれから、よろしくお願いいたします。

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2006年4月26日 (水)

めぐみさんの写真展(札幌)

横田めぐみさんの写真展始まるSTVニュース STV


   北朝鮮による拉致の現実を肌で感じることができます。開催の中止を要求する脅迫状が届き、急遽、会場が変更された横田めぐみさんの写真展がきょうから始まりました。

これは、13歳になったばかりのめぐみさん、事件前の最後の写真です。この1か月後にめぐみさんは北朝鮮に拉致されました。この写真展は横田さん家族を支援する団体が開きました。展示されている写真はおよそ100点。そのほとんどが、札幌出身の父・滋さんがめぐみさんの嫁入りの時に持たせようと撮りためたものです。そして、北朝鮮政府がめぐみさんだとして提示した写真です。両手を前に組む姿勢は拉致前に撮影されためぐみさんと同じ姿勢です。めぐみさんが習っていたクラシックバレエの基本の姿勢です。
(訪れた人)(めぐみさんは)中学生でいなくなったので母親の気持ちがわかる。幼い子供を非常にも拉致した国に怒りをおぼえる
この写真展をめぐっては会場として予定されていた百貨店に写真展の中止を求める脅迫状が届き、急遽、会場が変更されました。
(山内記者)取材するにあたり私たちはこの腕章の着用を求められました。こうした写真展で腕章の着用を求められるのは珍しいことです。そしてこちらでは普段より多くの警備員が警備にまわっています
また、きょうは横田滋さんと同じく3人の子供を持つ札幌市の上田市長も会場を訪れました。
(上田文雄・札幌市長)(自宅には)それなりに家族の写真がある。それと思いを合わせるとせつない
厳重な警備の中での写真展ですが北朝鮮による拉致の現実を身近に感じてほしいという父・滋さんの想いが伝わってきました。


いよいよ始まりました。
会場には、上田札幌市長も訪れたとのこと。上記STVのサイトでは動画もご覧になれますので、是非みてください。

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2006年4月25日 (火)

特定失踪者ご家族の紹介(神奈川県民集会)

――――――――――――――――――
   特定失踪者ご家族の紹介

杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事

――――――――――――――――――
  
今ご家族の話を致しましたけれども、今日は何人かの特定失踪者のご家族が見えておられますので、ちょっと壇上の方に上がっていただければと思います。
今日は山梨県からも、この後お話になって頂きますけども、山本美保さんの妹さんの森本美沙さんがいらしてますので、それを含めて皆さん、ちょっとだけ自己紹介をしていただきます。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

昭和51年7月30日に伊豆七島の神津島から失踪しました、高野清文の妹で高野美幸と申します。
私横浜磯子区に在住しておりますので、今回の集会もお手伝いさせて頂く事になりました。
皆様のお手元のチラシのほうに、神津島で消えた兄というチラシが入っているかと思います。
私の兄のこと、特定失踪者の事をお訴えした資料となっておりますので、御覧いただければと思います。
また私の家族だけではなく、ご家族で今署名の方を持って来ております。
皆さんの右手奥の方で署名台を作っておりますので、帰りがけなどにお時間ございましたらご協力をお願いいたします。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 男 当時年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★佐藤暢一郎さん(特定失踪者・佐藤剛生さんの父)

私は平成9年7月29日に失踪しました佐藤剛生の父の佐藤暢一郎でございます。
私は今世田谷に在住しております。
7月29日以降、現在まで一切何の手がかりも掴めておりません。
失踪した以降ですね、夜8時からの1時間のテレビ番組、6時からの準報道番組、30分ほどの番組ですけども、それにも出演させて頂いて、日本国内に何とか手がかりが無いか、その番組を見た方から御覧になった方から何らかの連絡が無いかと言うような事もやって参りました。
しかし、現在まで何の手がかりもありません。
今日、この会場に参りまして、大勢の方が失踪者に対して関心をお持ちになってあるいは応援をしていただいて、非常に心強く思っております。
これからよろしくお願いします。(拍手)

氏名 佐藤 剛生
失踪年月日 平成9(1997)年7月29日
ふりがな さとう たけお
生年月日 昭和46(1971)年11月30日
性別 男 当時年齢 25
身長 170センチ 体重 70キロ
公開 第3次公開
当時身分 会社員
特徴 体形普通。眼鏡使用。高校時代水泳。高校時代から長距離走に興味を持ち、ミニトライアスロンに出場したこともあり。
失踪現場 千葉県船橋市JR駅近く
失踪状況 7月28日22時頃、先輩と帰社。翌29日11時20分頃、出社しないため、会社から寮に寮に電話。寮の管理人が部屋を見にいったところ、本人は電話中、かなりの長電話だった。その後本人の姿を見かけた者はいない。8月1日と4日は会社の先輩グループと登山の計画があり、有給休暇申請済み。写真が寮に残っていない。その他持ち出したものは特定できない。パスポートも後日発見。仕事上の問題なし。国外には出ていない、サラ金の借入なし、その他手がかり、痕跡なし

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★笹垣さん(特定失踪者・笹垣範夫さんの父)

92年の9月の12日に、失踪しました笹垣範夫の父親の笹垣でございます。
13年ちょっとになりますが、まだ何の手がかりも掴めておりません。
何か情報でもありましたら、と思っておるんですが、北朝鮮で淡い期待を抱いております。
今後とも何かありましたらよろしくお願いします。(拍手)

氏名 笹垣 範男
失踪年月日 平成4(1992)年9月12日
ふりがな ささがき のりお
生年月日 昭和49(1974)年3月4日
性別 男 当時年齢 18
身長 168センチ 体重 58キロ
公開 第3次公開
当時身分 予備校生(美大志望)
特徴 剣道をしていた(2段)ので利き腕側の胸が厚い。歯並びがよい。
失踪現場 神奈川県三浦市
失踪状況 当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。預金通帳は残っている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★杉野正治氏

ありがとうございました。
このあと森本美沙さんの方にお話を頂きますので、その中でご主張をお願いしたいと思います。
いずれにしましてもこの拉致問題、あの北朝鮮と言うたった一人が物事を決める、あるいはたった一握りの人間が物事を決める。
その時にこの民主主義と言うシステムをとっている我が国が屈する事は、民主主義国家の一員として許される事ではありません。(拍手)

民主主義国家と言うのはたくさんの人が、日本国民全員の力の結集なんです。
その意味で皆さん一人一人がこの問題に関心を抱き、そして我々国民の同胞を取り戻す。
そして無辜の人たち、日本だけではなく韓国そしてもっと他の国々からも拉致をされている事が判明しております。
この民主主義国家の力と言う物を我々は発揮してこの問題を解決していただき、皆さんのご協力をこれからもよろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※尚、当日会場には特定失踪者・寺島佐津子さんのご家族もお見えになっていたそうです。
壇上にはお上がりになりませんでしたが、ここで寺島さんの情報も合わせてご紹介をさせて頂きますのでご一読ください。

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 女 当時年齢 19
身長  体重
公開 第12次公開
当時身分 銀行員
特徴
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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杉野正治さん講演(神奈川県民集会)


    2006年4月16日
           横浜開港記念館にて
         特定失踪者問題調査会常務理事
               杉野正治さん 講演


ご紹介を頂きました、特定失踪者問題調査会の杉野でございます。
今日は本当にたくさんの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今日皆様こちらの会場にお入りになったときにお聴きになった方が多いと思いますが、会場で冒頭に流されておりましたナレーションと言いますか、これは「しおかぜ」という私ども特定失踪者問題調査会でラジオの短波放送、これ北朝鮮向けに発信しようと言う事で作った番組でございまして。
毎日1時間半づつ、特定失踪者に寄せられた方のお名前、それからご家族の方からの直接のメッセージと言うのを是非北朝鮮に届けたいという事で、昨年の10月30日から始めた番組であります。
今まで私どもは、私たち日本は北朝鮮からの情報と言う物を一方的に受け入れるだけ。
朝鮮中央なんとかテレビですとか、脱北者の情報ですとか、そういった物を受け取るだけでした。

我々特定失踪者のご家族にお会いしますと、皆さん仰います。
私達が待っていると言う事を自分達の家族に、もし北朝鮮にいるのであれば伝えたい。
決して諦めているんじゃない、探しているんだ。
言う事をぜひ伝えたい。
是非そういう思いをですね、北朝鮮に我々も伝えるお手伝いが出来ればと言う事で、この放送を始めておりまして。
お陰さまでいろいろな世界中からですね。
この番組を聴いているという情報が寄せられております。
残念ながら北朝鮮内部からの情報は無いんですれけども、ある人によりますと北朝鮮内部でもよく聴こえているという事は伺っております。

我々はこの情報をこちらから発信するだけでなく、是非向こうからも北朝鮮内部からの情報も我々の元に持って来たいと言う事で、このラジオ放送を通じてですね。
もっともっとこれを活用して、そして出来ればですね。
今年中に我々も拉致問題を解決したいと言う事で、日夜努力を致している所でございます。

さて、私ども特定失踪者問題調査会というのは出来てから3年になります。
あの小泉訪朝の後、9・17の後に先ほど木村先生からもご紹介のありましたように、私どもの元には自分の家族も拉致をされているんじゃないだろうか?
非常な心配をされた方が、たくさん相談を寄せられまして、現在460名の方が私どもの元に相談を頂いております。
現在260名くらいの方が、氏名をお名前を公表いたしまして、今日もご家族こちらの方に上っていただきますけども、そういったたくさんの方が自分の子供も拉致をされているんじゃないだろうか?
言う所で、私どもも調査を続けている所でございます。

そしてそのうちの34名の方、いろんな情報からはこの方々は拉致の可能性が高いであろう。
いうふうに判断を致しまして、私どもは警察に告訴・告発を行う、などの事をやっております。
先ほど木村先生からもお話がありましたように、その中の一人古川了子さんについては是非拉致の政府認定をして頂きたい。
言う事で東京地裁の方に行政訴訟を起こしているわけですけども、被告である政府側の方は「これは裁判に馴染まない」と。
「我々は認定はしていないが一生懸命やっているから裁判をしても無駄です、却下してください」という事で現在の所、意見は平行線を辿っていると言う状況でございます。

しかしながらその中で、政府の方が訴えられたからアリバイを作ったわけではないでしょうけども、昨年12月の日朝協議におきましては、この拉致の可能性が高いと言われる34名を含めた方、これを北朝鮮に提議をしたと言う事でございます。
何もやらないよりはマシなんですけども、ここの34名を提出して北朝鮮に「調べてください」と北朝鮮に対して「このような方はいませんか?」と顔色を伺うように北朝鮮に対して我が日本政府はお願いをしているという状況でございます。

この政府認定と言う事、我々はこれを非常に高いハードルと感じてならないという事でございます。
政府認定をするには今の法律の下では、拉致被害者支援法と言うのがございますけども、この拉致認定をするまで警察は一生懸命調べて証拠を積み重ねて、そして首相官邸にこの方を認定してくださいと。
それを官邸が、ハイ認定しましょうと、それで初めて拉致認定という事になるわけです。
そして認定されて始めて外交交渉で、「この人を返せ」というふうに言っている。
そういう流れとなります。

しかし考えて頂ければ分かるかと思いますけども、こんな事をしていますといったいひとつ認定するのに何年かかるか分からないのです。
この支援法と言う法律が出来て以来拉致認定されたと言うのは、昨年神戸のラーメン屋の店員をしていた田中実さんと言う方、ただ一人でございます。
そういう意味で言いますと、警察が一生懸命捜査をして証拠に証拠を積み上げて拉致認定できるまで何年も何年もかかっちゃうわけです。

考えてみて頂きたいんですけども、拉致被害者と言うのは人質に捕らえられているのです。
北朝鮮に誘拐されて犯人の手元にあるんです。
現在切羽詰って、我々はこの人たちを救出しなければならないんです。
それを警察の捜査から一からやると言うのは、これはもう我々はこの人たちを救出すると言う気はないんじゃないか?と政府は考えているとしか思えない。

拉致と言うのは確かに犯罪でありますけども、個別の犯罪、誘拐事件・殺人事件国内で行われているああいう個別の事件ではないんです。
北朝鮮と言う国家の、日本と言う国家に対して日本国民を拉致するという国家的な犯罪なんです。
だとすれば警察任せにするんではなくて国が国の責任として日本人を救出すると言うことにしなければいけません。
良く真相究明は大事だと言われますけども、真相究明をしてその上で救出をするということでは何年もかかってしまいます。
まず救出をして、それから真相究明と言う事をやっていかなければいけない。

そうしないとどういうことが起こりますかと言いますと、例えば北朝鮮の中に拉致された日本人がいる。
それが分かっているときに、その人が、
「私は日本に帰りたくありません。この北朝鮮と言う国は良い国です」
と言ってしまうと、これ警察の発想からすると、これ事件で無くなってしまうんですね。
そういう事じゃないんです。
この人が帰りたいと言おうが言うまいが、日本の国の責任としてこの人を日本に連れ帰り、そして自由な意思を取り戻してからこの人の意見を聞く。
それから拉致の真相究明、こういう発想をしていかないとこの拉致問題と言うのは何年経っても解決はしていかない。
そういうふうに考える次第です。

先ほど全国で特定失踪者460名と言うふうに申し上げましたけども、私どもの所に来ている以外に警察の方、約900名の方が拉致をされているんじゃないか?
そういう相談が来ているそうです。
と言う事は拉致された日本人は相当数に上る。
我々調査会が把握している以外にも多くの方が拉致をされている。
あるいは中には身寄りの無い方がいらっしゃる。
そういう人を狙ったと言う事だってありえるわけですから、いったい拉致の規模と言うのはどのくらいだったのか?
いう事を・・・(聞き取れず)なく調べなければならない。

そして救出するという事を考えなければいけません。
そういう意味では北朝鮮の中でどんな人がどんな所にいるのか?
そして救出する時はどうするのか?
例えば日本人を日本に運ぶ時には自衛官を出すのかどうか?
自衛隊の船を出すのかどうか?
そういったところも、もう今から想定をしていかなければなりません。

あるいは拉致被害者が日本に帰ってきたとき、どうするのか?
相当な規模で、例えば北朝鮮が崩壊して日本に帰ってくる。
北朝鮮が崩壊して日本人被害者が帰ってくる。
日本はどのように対応するのか?
国だけでは対応できません。
おそらく各自治体などもその準備をこれから進めておかなければなりません。
そういった法律ですとか、準備とかが今全く日本の中でなされていない。
つまり救出すると言う発想が日本の中に無いのではないか?
いうふうに思うわけでございます。

この神奈川県内におきましても十数名の方が特定失踪者としておられます。
この方々、460名全部もそうですけども、全部が全部拉致をされているという確証はありません。
しかしながら拉致をされているかも知れない。
ご家族が心配をして私どもに相談をされているわけです。
私たちはこの人たち、拉致の認定をされていようがいまいが、拉致被害者だと言うふうに・・・(聞き取れず)
北朝鮮が拉致をしなければこの人たち心配して、私どもの所に電話をかけてきたりする事は無かったわけです。

しかし皆さん、自分のところは拉致じゃないかもしれないと、しかし北朝鮮の拉致はもし違っていたとしても北朝鮮の拉致は許せない。
なぜ日本の政府は毅然とした態度を取らないのか?
なぜ経済制裁をしないのか?
一刻も早く横田めぐみさんに帰ってきて欲しい。
そして他の人たち皆帰ってきて欲しい。
そう仰って、仲良くビラを配ったり署名活動をしたり。

今日もここに何人か来られておりますのでご紹介したいと思いますけども皆さん同じ思いです。
自分達の力であの北朝鮮と言う国家と闘おうとしているわけです。
大変素晴らしい事なんですけども、じゃあ日本の国家はこれでいいのであろうか?と。
冒頭申しましたように、大変な思いをして認定をして、その結果北朝鮮に名前を提議して誠意を見せろと、北朝鮮に誠意はあると思ってやってるのか?とつい疑問になってしまうわけですけども。
国としてこの人たちを守る。
取り返すと、いう立場を表明して、そして行動に移すと言うのが本来の姿だと思います。(拍手)
いうふうに思うわけでございます。

このご家族の皆さん、私は皆さんに会うときに必ず申し上げる言葉がございます。
460名もおりますので、特定失踪者のご家族にもいろんな方がおられます。
中には今日見えていただいた方の中にも署名活動をしたり、街頭で訴えたり、ビラをまいたり、活動されている方もおられれば、大変な高齢で立ち上がる事も出来ない。
調査会が出来ましておよそ3年になりますけども、ご家族の方ですいぶん何人かの方が亡くなっておられます。
大変時間が無い中でその様にいろんなご家族がおられるわけです。

私が申し上げるのは皆さんの仕事は、何にも出来ないと仰るかもしれませんけども、皆さんが待つと言う気持ち、待っているんだ、じゃあいつまで待つんだ?と言う話ではありません。
待つ、絶対に帰ってくると信じて待つ。
絶対に取り戻すんだという気持ちを強く持っていただきたい。
ご家族の仕事と言うのはそれが最初で最後です。
そういうふうに申し上げます。

そうでなければ、もし北朝鮮に連れさられていて、日本に帰ってきたとき、諦めていましたとか、探していませんでしたとか、そういう事だけにはならないで下さいと私は申し上げます。
しかし翻ってみますとこれはご家族だけ、ではありません。
私を含めてここにいらしている皆さん、日本国の政府もそうなんです。
必ず取り返すんだと、帰って来たときに何もしませんでしたと、探していませんでしたと、諦めていましたと、そういうことだけには絶対になって欲しくない。
その意味で、今日来られている皆さん方、是非これまで以上にですね。
我同じ日本人を取り戻すという気持ちを強く持ってもらって、ご協力を頂きたいとお願いする物でございます。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年4月24日 (月)

木村晋介氏の講演(神奈川県民集会)

2006年4月16日
     横浜開港記念館にて

――――――――――――――――― 
木村晋介 法律家の会共同代表のお話

―――――――――――――――――

大変大勢の方にお集まりいただいて、大変私たちも心強く思っております。
私ども法律家の会、3年前に発足しまして、拉致被害者の方々のために一つでも何か法律家として応援出来ることは無いか?ということでやっております。
この拉致の問題がもっとも人道上憎むべき人権犯罪であるということは、言うまでもない事でございます。
私たちは自分で自分の人生考え、誰とどのように生き、何を夢見て何をして生きていくのかと言う事を自分で決めていくという基本的な権利を持っております。
これを根こそぎ奪ってしまうのが拉致と言う犯罪であります。

しかしこの拉致と言う犯罪は、その拉致をした瞬間に終わる物ではなく、拉致された瞬間から開放されるまでその人権侵害は止めないんです。
そういう継続的な根こそぎ的な物であると言う事を、私たちは深く心に刻まねばならないと思います。
国際法の中でもこの拉致は強制失踪とされまして、大変重い人道上の罪でございます。
そして位置づけられております。
今日一日、今一刻、私達がここでこうして話をしている間も人権侵害は行われているんです。
今続いているんです。
そういう意味で拉致と言う人権犯罪は寸暇と言う物を許さない。
特別の人権犯罪だというふうに私どもは思っております。

先般大阪で、原敕晁さんと言う拉致被害者の方の関係で、3月の23日に朝鮮総連系の商工団体と(拉致の)関与が疑われている中華料理店の強制捜査と言うことがありました。
が、原敕晁さんが拉致されたのは26年前の事でございます。
26年前に起こった犯罪なのになぜ今頃?と言う声があるかもしれませんが、今でもそれが出来るという事はそれだけこの犯罪が現在尚行われ続けている犯罪だと言う事を国家が正式に認めたと言う事であります。
しかも強制捜査と言う事は、これは警視庁公安部がやっている訳でございますけども、警視庁の公安部の判断だけで出来るものではありません。
裁判所から捜索令状が出て初めて出来るわけです。
それは拉致と言う犯罪が今今日尚犯され続けている犯罪であると言う事について、司法の判断がなされた言う事をも意味しているわけでありまして、その解決と言うものが私どもは改めて肝に銘じなければいけないだろうと思っております。

北朝鮮の教育では政治の名称を北朝鮮民主主義人民共和国といっております。
民主主義を名乗る国家でありますので、当然ながら憲法と言う物を持っております。
この憲法の中ではどういうことが謳われているかと言いますと、一切の人民は性別・民族・信仰・技術・財産・知識の如何に拘らず、全ての部門において平等の権利を有すると言う事が定められています。
そして人々は言論・出版・結社・集会の自由も持つというふうに規定されています。
信仰の自由も認められております。

こうした憲法を持つ国でありますが、その実態が、この憲法に約束された物といかに異なるか?という事について、皆さんもご承知の通りの事でございます。
今の北朝鮮は人権以上の事態になっているといって過言ではありません。
北の労働党の政策によって厳しい身分差別が行われております。
党に友好的な勢力を確信勢力、政治的な人々を動揺階層、そして気に入らない人物を敵対的階層と言うふうに呼びまして、この敵対的階層という事になりますと事実上北部の貧しい山岳地帯に追放されるようになっております。

こういう敵対階層の中にどういう人々が入るのか?と言うことのリストが明らかにされております。
宗教の自由が認められておりますからどうなんだろうと見ておりますと、プロテスタントを信仰して儀式を行う者、これは敵対階層だとされております。
プロテスタントと言うのは慣行的な宗教だからそうなのかな?と思って横を見ておりますと、カトリックを信仰してその儀式を行う者も敵対階層だという事になっております。
そうか、キリスト教が西洋的なものだから駄目なのかな?と思ってその間を見ておりますと、仏教を信仰してその儀式を行う者、これは敵対階層だと書いてあります。
仏教も駄目なのか?
そうすると朝鮮は儒教の国だから許されるのは儒教だけなのか?と思いますと、儒教を信仰してその儀式を行う者をやはり敵対階層と言うふうに謳われているわけでございます。
結局これはその国の指導者を神として崇め、これを神格化し、これに当然従わない者全てを敵とする国家。
そういう国家であると言う事を意味いたします。
ここに何の平等があるでしょうか?

そしてひとつは徹底した監視体制の下にあります。
同時に北朝鮮の中に多くの強制収容所、そこに政治犯の強制収容所が作られている事が分かっております。
北朝鮮の人口は2000万人と言われておりますけども、その100人に一人に当たる20万人くらいの人がその強制収容所に入れられた経験を持つ。
収容されていると言われております。
こうした事実は北朝鮮から脱出してきた脱北者、あるいは亡命してきた元収容所の警備員の証言によって極めて詳細に語られております。

デビッド・ホークという、これは国連高等弁務官事務所にも勤めておったある著名な人権家でありますが、この方が25人の収容所体験者から詳細な証言を得まして、強制収容所での収容者に対する反人権的な取り扱いについて詳細なレポートを提出しております。
ここでは大変重い労働が課され、そして食べるに足りない食料しか渡されておりません。
このレポートの中に4人の元収容所経験者が、ヨドク(耀徳)と言う地域にある政治犯の強制収容所で体験した事が書かれております。

ここで収監者の処刑が行われておりますが、逃亡を企てたり食べ物を盗んで捕まった収容者の絞首刑や銃殺刑。
時にはそれよりも酷い形の公開処刑が行われた。
逃亡を企てた収監者の公開処刑では、その収監者は車の後ろに縛り付けられて、集められた収監者の前で死ぬまで引きずられる。
処刑後、他の収監者はその横を通り過ぎながら、血まみれの体に障るように要求される。
この惨状を見て叫んだ収監者は直ちに銃殺された。
このような証言が書かれております。

8人の女性の収監者からは、収容所の中での人口を増やさないために、妊娠した女性は強制堕胎させられている。
生まれた子供が次々殺されている実態が報告されております。
こうした人を人とも思わないような反人権的な国家の政策と拉致事件、私たちの直面している拉致事件とは本当に一体の物でございます。
その意味で北朝鮮の中に起きている反人権的なそれによる被害を受けている人々。
これも拉致被害者とともに北朝鮮政府による反人権的政策に苦しんでいる人々がありまして、この問題は決して北朝鮮国内の問題ではなく、拉致問題と一体になった私たち日本人の問題であり、日本国の問題であり、国際社会の問題であるというふうに考えなければならないと思います。

拉致被害者は今日本で認定されておりますのは11件16人という事になっております。
これは金正日は拉致の犯罪を認めて、その後日本で北朝鮮拉致被害者の支援法が作られ、それによってそれによって拉致被害者と認定された人々です。
しかし実際にはかなり多くの人々が拉致されていると言うふうに考えます。
先ほど名前が呼び上げられ拉致の経過が報告されておりましたけど、特定失踪者問題調査会と言う団体がありまして、この団体にやはり自分の身内も全く理由の分からないまま、失踪している。
北朝鮮による拉致ではないか?と言う事で申し込みが殺到しております。

現在460名がこうした可能性がある特定失踪者という事になっております。
そのうち34名については北朝鮮の中で目撃した人がいるなど、拉致被害者である可能性が高いとされている人であります。
私どもはそうした拉致被害者の中で、なぜある人々だけが認定され他の人々は認定されないのか?ということも問題にしております。
もっと拉致被害者の根は深い、幅は広い、いうふうに考えているわけでございます。
その全体像は北朝鮮の反人権的な国家政策が変わらない以上、全貌は分からないのであります。
しかしその範囲も一つ一つの努力を詰めて、真相を明らかにしていく事を行なわなければなりません。

私たちは35人の中の一人、千葉に市原に住んでおられて73年の七夕の日に突然失踪された古川了子さんと言う方の拉致被害者認定を求める裁判を現在進めております。
東京地裁の民事二部と言うところで進めております。
この裁判では実のお姉さんから委任を受けておりますが、この裁判でようやく証人尋問が開かれる事になりました。
6月の28日、特定失踪者問題調査会の代表である荒木和博さんが証人に立ってくださる。
裁判所もこれを1時間証言を聞く、言う事になりました。

私たちは一つ一つの努力を積み重ねて、私たちに出来る事を一つずつやっていきたいと考えております。
もちろん何を持って拉致問題を解決するか?という事は難しい問題であります。
拉致された人々の全員を救出、これはもちろんの事でありますけども、この拉致を行った国家機関に対して適切な制裁・処罰が私はなされなければならないと言うふうに思います。

最近ベルギーのブリュッセルと言うところで行われました、アメリカの人権団体「フリーダム・ハウス」と言う所が主催した北朝鮮の難民問題・人権問題の解決を目指す国際集会が、金正日を国際法廷で裁こうではないか?と言う提案がなされているそうであります。
もちろん国際法廷で裁くために、日本がオランダにある国際刑事裁判所に提訴すれば一番良いわけですが、これには壁があります。
日本自体が国際刑事裁判所の条約をまだ批准していないと言うことがあるんです。
将来はこうした拉致犯罪を犯した所の処罰を含めた運動が進められなければなりませんが、そうした所にも私たちは被害者の救済を含めて出来る限りの努力をしていかなければならないと思っております。

少なくとも今のような拉致問題を解決する姿勢を全く示さない、あの国。
そしてその背後に先ほど述べた様な、大変凶悪な人道犯罪・人権犯罪を犯し続けている北に対して、私の個人的な考えでありますけど、やはり何らかの制裁はなされなければならないだろうと思っております。
その一つの選択肢として経済制裁も考えて然るべきだろう、いうふうに思います。

経済制裁によって人権問題が解決された例としては南アフリカのケースがあります。
南アフリカではアパルトヘイトと言われまして黒人たちが住むところも別々にされて差別をされている。
そういう隔離政策と言うものが行われております。
これはまさに敵対階層を北部の山岳地方に収容している北の政策と共通する物があります。
この南アフリカに対して国際社会は経済制裁に踏み切ります。
経済制裁を行う事はかえって南アフリカの貧しい人々にとって苦しめる事になるのではないか?
こういう議論がありましたけれども、そのときに南アフリカのアパルトヘイトと戦っている黒人指導者はこのように言いました。

「南アフリカに対する経済制裁はアフリカ人に苦しみを与えるかもしれない。
だがその方法が我々の願っている、我々の被っている血みどろの苦しみを短縮する物である。
この苦しみを短縮する物であるなら我々はその犠牲を喜んで払うだろう。」

こうした黒人指導者たちの断固たる戦いがあって、国際社会の経済制裁の効果を奏し、その結果94年にアパルトヘイトに終止符が打たれ、ネルソン・マンデラ大統領の新しい政策、黒人による大統領が生まれたわけです。

私は経済制裁による人権問題の解決と言う事は大いにある選択肢である、と言うふうに考えております。
そして全ての拉致被害者が救出される事に、その思想が廃止され、そしてこうした人権犯罪を犯した人・国家機関が徹底的に処罰される日まで、粘り強くこの問題と寄り添って行きたい、言うふうに思います。
是非、皆さん一緒に戦いましょう。(拍手)   


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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加藤 博さんのお話(神奈川県民集会)

加藤 博さんが、解決のための方策、<覚悟>についてお話になりました。
どうぞ、じっくり読んでください。
体を張って、真正面から北朝鮮と対峙してきた方の、力強い、重みのあるお話です。

2006年4月16日、神奈川県民集会、

横浜開港記念館にて
―――――――――――――
  加藤博さんのお話
―――――――――――――
北朝鮮救援難民基金の事務局長をしている加藤博です。

本日、救う会神奈川の川添さんのご厚意によってここにこれましたことを、深く感謝したいと思います。
それから、みなさんにお会いできたことに感謝します。

と言いますと、私たちは、北朝鮮から食べられなくて出てくる人や、どうしても北朝鮮では命を長らえることのできない、そういう人たちを助けています。この行為に対して、北朝鮮は非常に快く思っていない訳ですね。

快く思っていないどころか、みなさんもご存じのように、今年の3月27日に、朝鮮民主主義人民共和国、人民ん保安省というところから、逮捕令状を発行して、私達の身柄を、北朝鮮に戻せとそう言う要求を日本政府にしました。私だけではありません。私の団体におる、野口貴之という国際担当をしているものに対しても、行われました。それから、『北朝鮮帰国者の命と人権を守る会』の山田文明代表に対しても同じようなこともありました。それから、RENKの李 英和代表に対しても、ありました。こういう行為を私達が、黙って、見過ごすならば、これは私達4人に対して行われた事だけでなくて、他の人にも、起こることだと私は考えています。

私は、身柄の請求があったと言って、日本政府がそれに応じるなどと言う事は思っていませんし、日本政府はこの問題に対して『とんでもない話、問題外』と言う態度を取っておりますので、私はそんなことは、心配していません、

しかし、今まで話題になっているように、日本からは多くの方が拉致されていっているんですね。
誰もその人達が、北朝鮮に対して目障りなことをしたわけでも、北朝鮮に、妨害工作をしたわけでもないんです、。
その人達が拉致されていっているんですね。
ところが、私たちは北朝鮮から来た人たちを助けた。それが罪だ。食えない人を助けることが罪だし、病気で死にそうな人を助けることが罪だと。そして、これが国家転覆罪であると言う風に言って、指名手配するわけです。

ですから私は、自分でこれから自分の身に何が起こるかわからないとそういうふうに感じています。

これだけではありません。私は2002年に中国大連で、中国の安全局というところから、拘束を受けました。北朝鮮から逃れて中国にいる人たちに、冬服を配給するために行ったときに拘束されたんです。

このときに、私がこの事件の後に、私が幸いにも日本に帰ってくるときに、聴いた話によると、<私は密かに、北朝鮮に身柄を渡されるはずであった。> 北朝鮮の国籍を持った人間が中国にたくさん住んでいます。それから私達の活動を支援する人たちがいます。それから、私達の活動に理解を示す中国の公安局の人間もいます。そういう人たちから聴いた話によると、私が、2000年に北朝鮮からお尋ね者になった。

その時は今回のように、明確に身柄を引き渡せだとか、逮捕状を発行したとか。そう言うことではなかったんですね。

これは密かに、中国にいる北朝鮮の意を受けて動く、それは、私の身柄を生死に関わらずに北朝鮮に持ってくれば、35万元、(これは日本のお金にすると今525万円ぐらいですけれど)それとベンツ一台を渡す。そういうふうに懸賞金をかけてやるんですね。彼らは、公然ともするけれども、密かにもやるんです。

ですけれども、幸いにも、私の場合には『人道支援家が中国で行方不明になった』ということで、記者会見を開いてくれて日本のメディアが取り上げてくれて、世界のメディアも報道してくれた。そのおかげで私は、北朝鮮に持って行かれないですんだんですね。

もし、あの時に誰も興味を示してくれなかったら、私は今日みなさんの前に立つこともなかったかもしれない。
ですから、そう言う意味では、北朝鮮の人権問題対して、みなさんとここで共に考え、共に語り合える、そう言う場を持ち得たことは、私にとっては、大変嬉しいことです。

もう二度と会えなくなるかもしれないと思ったけれども、再びあうことができた。
そう言う意味では、私が感じた事をみなさんにお伝えすることが私の役割だと思っております。

ですから私の経験から、北朝鮮という国はどういう国なのか、それを少し話したいと思います。

私の逮捕状の件ですが、これは今年の3月に、辛光洙という北朝鮮の工作員他二名を日本政府が、国際刑事警察機構に、指名手配した。そして朝鮮総連傘下の大阪府商工会、これに 警視庁が家宅捜索にはいった。こういう流れの中で起きた事件ですね。、北朝鮮が、この行為に対して、朝鮮総連への弾圧だといってその報復として、私達の、先ほど紹介した4名の逮捕状が出てきたんですね。

私たちはさきほども言いましたように、北朝鮮から食うに食われず、暮らすに暮らせずに、やむを得ず出てきた人たちを、助けている団体です。

そして、北朝鮮が、今私達に逮捕状を発行して身柄を要求しているのに、彼らが罪もない人間を他国に持って行って、それと同等だと考えているんですね。

ですからこんな事は問題外なんですけれども、これは、北朝鮮にとっては常識かもしれない。世界の常識ではないけれども、北朝鮮では常識。北朝鮮の常識は世界の非常識。

これは今まで起きたいろいろな事件からも、それは、言えると思うんです。

日本の新聞も<突拍子もない要求>ということで、これは問題にしませんでしたけれども。私は、このような北朝鮮の要求に事を構えるよりは、実際に日本の中から、甘言を弄し、あるいは暴力的に連れ去った、そこに協力した人間を次々に摘発するべきだというふうに思います。(長い拍手)

 <B>その意味から言えば、あまりにも遅い、私は、そう思います。</B>

横田めぐみさんのご両親、あるいは他の、拉致被害者の家族のみなさんが、家族会を作って活動したときから、私は、知っております。あのころはまだ、メディアも多く取り上げてくれず、そして、議員さんの間でも、議連というものが、できてもいなかったし、日本国民の認識も低かった。しかし、家族会の人たちが、寒い冬の日も夏の日も一生懸命やって、ようやくここまで来たんですね。

そして、ひとつひとつの家族会の動きが、国会を動かし、政府の役人を動かすまでになったんです。

でも、しかしこれでも私は十分ではないと思うんですね。
何故かというと、政府が、本当に真剣になってやってくれているのかという事を、時々疑問に思うんです。(拍手)
                   (開場、そうだ!)

私達が、何故それを感じるかと言うとですね、特に外務省の高級官僚はこの問題について、本当に自らの問題として解決しようとしない、国民の痛みをわかっていないという風に思うからなんです。

日朝協議の時に、その名簿を渡されたときの対応を、みなさん思い出すでしょうか?
政府の安全確認のいいかげんさ、これで事を済まそうとした。このような、行為。人の命を軽んずる、あるいはそれを無視するような、そういう人権感覚の官僚が多いと言うことです。

私は全ての人がそうだとは、言わないけれど、その姿勢を正すのは誰かと言いますと、私たち一人一人がそれを正すんですね。(拍手)

これを、家族会に任せっきりとかね、それから救う会に任せっきりだとかね、そういうことではダメなんだと思います。(拍手)

そして、私達は、この問題に対して毅然と対処すべきと言います。
しかしみなさんよく考えてください。
毅然と対処すると言うことはどういう事ですか?

口を厳しく、相手を非難することですか?

そうではありません。、私たちが<覚悟>を求められていると言うことなんです。

どんな覚悟でしょうか?

北朝鮮は、自分たちで拉致したと言うことを認めても、返さない。
『もう終わった事だ』、そういうふうにして、うやむやにする。
また、今度のように、DNA鑑定によって、<横田めぐみさんの夫が、金英男氏である>と言うようなことがわかったとしても、彼らはこの問題に対して、関心を示すことをしない。

ちょうど同じ時期に、金桂寛という外務次官が来ていました。彼は六者協議の再開のためにアメリカの代表と会うために、来たようですが、それができなくなると『それはそれで結構だ』と。で、『我々はその時間に核開発をする時間がある』と、そう言うような事を、捨て台詞を残して帰って行きました。

これだけじゃありませんですね。
南北首脳会談の事務局の会議の中でも、『我々の言うことを聞かなければ、ソウルを火の海にすることができる』、こういう脅しをかけてきますね。

つまり、北朝鮮はミサイルによって、今開発しているミサイルによって、『日本を撃つ事だってできるんだぞ』と、そう言うことを言われたときですね、日本の政治家はね、これに対してどういう風に対応できますか?

国民の安全を守らなければならない国会議員は、こういう事を聞くべきだ。(拍手)

それに断固として反撃すべきか、これは国政を預かる議員のみなさんは、非常に頭を悩ますところだと思います。
しかし、これは、私が【覚悟】と言ったのは、そう言うことなんです。
彼らは、政府のトップが自分たちで拉致と言うことを認めてたとしても、返さない、そう言う人たちです。
余りうるさいことを言えば、『ミサイルを発射するぞ』という脅しをかける、そういう人たちです。

そうした時に、私達は、『ちょっと待て、ちょっと待って、私達は、お米を何十万トンやるから、ちょっと待て』『肥料を何十万トンやるから、待て』と言いますか?

それともこの問題に真正面から立ち向かう覚悟 がありますか?

この問題は、そういう問題としてみなさんが受け止めなくてはならない。
私たち一人一人が、受け止めなくてはならない、そう言う問題だと思います。
そう言う気概、そういう気持ちが自分たちにないと、残念ながら、今、北朝鮮閉じこめられている、拉致被害者を取り戻すことは、私はできないと、そう思います。

こういう断固とした、毅然とした姿勢があってこそ、私達は、この問題を正当に、<人権問題は、まんべんなく誰にでも保障される>そういうものだと、知らしめることができると思っています。

ですから、今回の私達の逮捕請求などというのは、小さな、こんな小さなNGOを取引の材料にしようとしているんですね。

こんな小さなNGOを取引の材料にしなければならないほど、北朝鮮は今、追い詰められている。

2004年にはアメリカの上下両院で人権法が成立しました。
そして人権大使も任命されました。
それから、ジュネーブの国連人権委員会では、2003年2004年、2005年、三度にわたって北朝鮮二対する決議案が出されています。

そして、昨年の12月には、ついに、これは、国連総会で北朝鮮人権問題に対する決議案が、可決されています。
これは、北朝鮮がいかに孤立しているのかと言うことを、示しています。

で、これで終わりではありません。
先ほど、紹介があったように、ちょうど今ご紹介しましたように、アメリカが香港にある、バンコ・デル・アジアという銀行の口座を凍結しました。この銀行は、北朝鮮で作った偽札をマネーロンダリングする銀行ですね。
ですから、これによって止められ、そこと取引をする銀行も次々アメリカによって、制裁を受けています。

北朝鮮はそれによって非常に打撃を受けていますね。

今年の金正日の誕生日に例年ならば、自分の部下達に、下賜品を与えるんですが、それは外貨で買うものです。
その下賜品を与える外貨でさえ不足するようになった。これは非常な、北朝鮮にとっては打撃です。
これは、いいことですね。

何故かと言いいますとね、彼が買えなかったから小気味が良いとか、そう言うことではないんです。彼が今まで、それができていたのに、できなくなったと言うことは、彼の権力維持基盤にひびをいれることなんですね。ですから、その意味では、この人権問題を解決するためにはですね、プラスの要素なんです。

救う会が、経済制裁をすべきだと言っていますが、私は経済制裁はすべきだと思いますけれども、ま、アメリカの金融制裁ほどではありませんね。

でも、この<アサリを買うなと言う運動>でも、これは非常に有効です。
何故ならば、彼らが持っている、漁業権というのは、北朝鮮の軍の重要な資金源になっている。これは、保衛部であるとか(保衛部は秘密警察ですね)、あるいは、軍団とか、公安部とか、そういうところの、資金源になっている。

ですから、そのはまぐりなり、あさりなりを売る権利が、日本政府の経済制裁によって止まってしまうとですね、売れなくなりますから、持っていれば持っているほど、赤字になりますから、それをできるだけ早く売りたいと。その権力を持っている同士の間で、売り買い。それから、オレの方が多く売りたいと、軍団同士の争いが起こるわけですね。これも、権力基盤にひびをいらせる。

つまり、拉致を認めても拉致問題を解決しようとしない、北朝鮮の人民が2000万人も、餓死しても何とも思わない、我々権力支配層が、200万人いれば、この北朝鮮はそれでいいと考えている人たちに、打撃を与えるためには、そして、人権問題が解決できないと言うことは、自分たちの政権が維持できないと言うことを知らしめるためには、有効な手段です。

私達が、経済制裁をすると戦争になるとか、そう言うことを言う人がいますけれど、これは、そんなような考えをすれば、これは、北朝鮮の思う壺です。

経済制裁が及ぼす効果というのは、何であるのかということを、私は、今一度よく考ええるべきです。
でも、その扱い方には注意が必要です。
私はそのことを、みなさんに申し上げておきたいと思います。

それから、この拉致問題を解決するためにはですね、今、国際的な動きが非常に大きくなって、包囲網ができています。しかし、中国や、韓国というやっかいな問題があります。

中国は、北朝鮮に対して、今、膨大なインフラの投資を始めています。
茂山(ムサン)と言うところが、中国と北朝鮮の国境に、鉱山が、鉄鉱山があります。ここに、50年間の租借権を得て、中国は今、膨大な投資を始めている。だから、これを失わないために、また、外貨を獲得するために、平壌のデパートを買収しました。このように、中国は自分たちの経済権益を、北朝鮮国内に、今獲得しています。

ということは、北朝鮮の権力基盤を持つ人間が、北朝鮮国民の利益になるような、権益を外国に売り渡しているということなんですね。

ですから、中国の援助なしに、北朝鮮の経済は成り立たない。
そういう状況があると言うことを、私達は理解しなければならない。

それから韓国。韓国は、自国に500人近い拉致者を抱えていても、あの問題は、真剣に解決しようとしない。
朝鮮戦争の時に、捕虜になった人たちを帰せとは言わない。離散家族だと。こういう政府ですね。
そして、できるだけ多く援助する、融和的な態度をする。そうすれば、北朝鮮は平和的になる。
朝鮮戦争のようなことをおこしてはならないという、そういう口実を元に、非常に融和的態度をとる。
ですから、これを変えなくてはならない。

もう一度、みなさんに思い起こしてほしいんですが、『横田めぐみさんを返せ、他の拉致被害者を返せ』と言って、運動を始めたときの、家族のみなさんが、どれだけ大変だったか。
今、韓国の人たちは、それとおなじだけ大変な時期を、今味わっていると思うんですね。

しかし、日本は幸いにして、皆さんの大きな支持と、大きな応援で、ここまでやってこれた。
ですから、私達がそういう経験を韓国のNGOと、韓国の拉致被害者ご家族会とも協力する必要が有るんではないでしょうか?

私たちから頻繁に出かける、交流する、そう言うことが必用だと思います。

政府は、その時々に出された条件によって、政策や、方針がぶれます。その<ぶれ>を止めるのは、私達一人一人なんですね。ぶれたら、『おかしい』とはっきり言う。
そういう声の固まりを、たくさん作っていく。

このような、集会を全国でおこす、それがこの拉致問題を解決する大きなうねりにして、韓国と共に、解決していく、唯一の保障だと思います。

ですから私は、みなさんに、訴えたいですね。そのために、私達の情報発信能力を高めよう。
私達は、積極的にいろいろなところに出かけていって、人権問題、拉致問題について発言し、お互いに交流し励まし合う、そう言うことが必要でしょう。

北朝鮮難民や、人権の問題に関する国際会議が有れば、そこに出て行って、自分の意見を言うことが必用でしょう。
そこに来ている国際機関の人間や、政府の人間に対して語りかけることも必要でしょう。

それから、直接私達の声を届ける放送も必用です。
しおかぜという放送について出てきましたけれど、韓国には、北韓自由放送というキム・ソンミンと言う方が、脱北者の方が必死になってやっている、そういう放送局もあります。
そういう放送を通じて、私達のメッセージをどんどん、伝えていく。それがどうしても必用です。

そのためには、政府にその応援を頼っていてはダメなんですね。
私達自身が、この放送を支える。この放送が最も最も効果的な武器になるように、人権問題を解決する、大きな武器になるように、育てていかなければならない。

これは、荒木さんのところでやっている、<しおかぜ>ですけれども、これがみんなの<しおかぜ>にならなくてはならない。

みんながこの<しおかぜ>を最も有効な武器に育て上げなくては、ならない。

私は、このようにして、他の放送局も、他のメディアも人権と拉致の問題を解決するように力を尽くしていただきたい。

そのために、財力もみなさんの手で集めていただいて、そして、みなさんの自分ができる場で、応援団になってもらいたいと思います。

ありがとうございました。(拍手)

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横田滋 家族会代表の挨拶(神奈川県民集会)

~~06.4.16 神奈川県民集会  横浜市開港記念会館にて~~

『横田滋 家族会代表の挨拶』

本日は日曜日で何かとお忙しい中、拉致問題の・・・(聞き取れず)を取り扱う集会に大勢の方がお越しいただきまして誠にありがとうございます。

先般政府の方からめぐみの夫である金英男さん、韓国から拉致された5人の高校生の内の一人だと言う事が判明いたしました。
この事は韓国でも大きく報道されたという事を我々は知りました。
救う会・家族会では従来から拉致問題と言うのは日朝間の問題でもありますけど、私たちは国際世論を高め、日本人以外の拉致の人についても救出すると言うのを運動の方針としておりまして、これは韓国の拉致被害者の方にもお話を伺ったり、こちらから訪問して集会に参加した事もございます。

本日も拉致被害者家族の崔祐英さんともうお一方お見えになっておりますが、やはりこの問題を解決する為には世界各国、ことに日韓の連携と言う事が非常に大切になってまいります。
これまで韓国の場合は日本の動きと(違い)、政治家それと政府の関心が若干低いと言う問題がございますが、これを機会に韓国の世論も盛り上がって、拉致被害者全員が一日も早く帰ってくる事を ております。

先般神奈川でめぐみの写真展を開催しましたが、この席でこれまでで一番の方が来て頂きまして、累計で9万人を突破いたしました。
先般の日朝の並行協議の中で、北朝鮮は新潟で開かれました写真展を取り上げて、元々新潟は拉致に対する関心が高い所なんですが、「たった2000人の人しか来なかった」と言う事を日本代表に伝えたそうです。
それに対して日本の梅田参事官は、「誰がそんないい加減な事を伝えたのか分からないけれど、私が行った時は満員で実際には2万5千人の人が来てくれた」と反論したそうですけど。
そういう地方で開かれる写真展までどのくらいの方が来ているか?と言う事を気にしているようです。
ですから本日の集会でも、もし皆様方のお越しがなければ、我々の(拉致問題に対する)関心が薄いんだと言う事が報道されてしまいますが、大勢の方お越し頂いたと言う事は非常にありがたく、拉致の解決の支えになると思います。

この問題は世論が政府を動かすか?と言うことであります。
そして世論を背景にして政府は交渉する事になりますので、皆様が関心を持ち続けてくださる事によって大勢の拉致被害者を助ける事につながります。(拍手)
安倍官房長官の話の中に拉致の解決は、「何を持って解決するのか?」と言う記者の質問に対して、「全ての被害者が帰ってくる事だ」と答えております。
これが従来の交渉ですと、政府の認定者だけが中心で特定失踪者についてはそれほど交渉が行われなかったんですけど、前回は日本側がリストを提出したら、北朝鮮側はもう少し追加の資料を出して欲しいと言ったそうですが。

こういった事で認定している人が少ないと言う事は、・・・・・(聞き取れず)と言えますけど、それは我々としましても・・・・・・(聞き取れず)。
それから分かっても国会でも認定までは時間がかかっていますし、それから現在は認定されていないという方でも事実上拉致されたのであれば全ての人を救出しなければこの問題は解決とはいえませんし、そしてその問題が解決しなければ国交正常化と言うのはありえないと政府は言っておりますので、それを是非貫き通していただきたいと思います。

なんと言ってもこの問題が解決するのには世論の力が最大の力となります。
是非引き続き拉致問題、広い意味での拉致問題ですが、是非関心を持って見守ってくださいますようお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年4月23日 (日)

山田文明さんのお話(神奈川県民集会)

『北朝鮮帰国者の命と人権を守る会』の山田文明先生が、神奈川県民集会にわざわざおこしになりました。当日は、北朝鮮救援難民基金の加藤さんのあとに、飛び入りでお話になりました。
山田先生は、加藤さん、リ、ヨンファさん、野口さんと共に、北朝鮮から逮捕状が出ている方です。

埼玉の集会でお話を伺ったことがありますが、とても紳士的な方で、お話の仕方もとてもはっきりしていて、上品な雰囲気もお持ちです。

以下の内容は私たちの覚悟にもつながります。
北朝鮮からの脱北者の抱える悩みは、今後帰ってくる拉致被害者も持っているはずです。
同じような心の苦しみを持っていると考えて、私達は備えて行かなくてはならないのだと思います。その覚悟も必用です。是非お読みください。
――――――――――――――
   山田文明さんのお話
――――――――――――――

2006年4月16日神奈川県民集会  

於:横浜開港記念館にて

ご紹介いただきました、『北朝鮮帰国者の命と人権を守る会』の山田文明(ふみあき)でございます。宜しくお願いいたします。せっかく来たのだから、川添さん高橋さん、主催者の方が、少しは話しをする時間をくれようと、この場に立たせていただきました。

本当にありがとうございます。
こんなに多くの方が、この重い話題にお集まりいただき、熱心にお聞きくださっている様子を伺いまして、大変励まされる気持ちでおります。

まず、みなさまに感謝申し上げます。

最小限、皆様に申し上げたいこと、簡単に申し上げます。

すでに北朝鮮お脱出した日本国籍を持った人、あるいは、もと日本に住んでいた在日コリアンの人、ご家族、100名を超えていると思いますが、日本に戻られている訳でございます。その人達は北朝鮮の帰国事業というので北に渡った方でありますが、その点はもう触れませんが、戻られた方々から、いろんなお話、実情を聞くことができる、それがですね、私達にとりましても、北朝鮮の実態を知り、あの国に対してどう対応すべきかを考える大きな材料を提供してもらえるものになっています。

そのうち、まず日本に戻った方の実情だけを申し上げたいと思います。日本に戻った脱北者の人たちは、大変大きな悩みの中で、日々を過ごしています。
確かに食べ物の不自由や、身の危険を考えないですむところに、ようやくたどり着けたわけでありますが、その方々を通してみたとき、まず北朝鮮で多くの北の人たちは通常の人間としての心を、破壊されるような中で生きている人が多いと言うことです。

通常の正義感や、道徳観などがうちひしがれ、完璧な恐怖政治の元で、賄賂だけが通用する中で、生き延びてきた、そのことによる<B>人間破壊</B>が、いろいろと影響を与えている。更に中国へ脱出する課程でも、北朝鮮の中で、人身売買のブローカーに連れ出された人も少なくありませんし、中国に出てから、母親、姉、本人、妹、4人が売られていったというふうな事例もあるわけでございます。

そう言う中で、その中国で売られていった経過から、ある程度そう言うものを、自分たちが受けた政治状況による危害として受け止めらる人はまだ良いんですが、幼い娘達の場合は、そういう受け止め方が、まだできない。すると自分たちの家族に対する不信感となります。そして、場合によっては、自分の親が助かりたいために、助かるお金を得るために、自分を売ったのではないかという、そういう不信感を持っているんです。

そのために、場合によっては、そう言う人人々たちを何とか救出できたとしても、親に対する不信、あるいは、それを通して、出会う人、全ての人に対する強烈な不信感からですね、社会的な適応が困難である。そういう事態が起こっております。

そう言う人々を含めて、北では、まともに職場が機能しておりません。ですから、ちゃんと仕事に行き、決められた仕事を果たして、給料をもらって暮らすという経験がないのです。そう言う人々が、多数いますから日本に入ってきてからも、社会生活の復帰は大変困難でございます。

そう言う人々を含めて、北の脱出者をどう助けていくかということを考えたとき、日本社会に於いてその人々をどう理解して、受け止めていくか、この点が大事だと思います。

北から来た人たちは、自分が北から来たと言うことを言うことをいやがります。
なぜなら、<北から来た、じゃぁ、劣等人間だ、悪い国の人間なんだ>そう思われてしまう。
そういうことを何とか避けたい。だから自分をだます、人に対しても騙して生きていく。
その辛さがあります。

(北に)親族が残っています。自分の親族が残っています。自分だけは、逃げて、安全なところに来た。
家族を捨ててきた。家族は北で生きているかどうかわからない。
その自分だけが助かったという、悩みも持っています。

そういう大変な悩みの中で生きていると言うことも、ご理解いただきたい。

<B>現状の事態の進行から言ったらば、本当にその人々を含めて、北の人権被害者、拉致被害者はもちろんのこと、救うのは、緊急課題です。</B>

をその緊急課題に対応する政治の動きがないというのが、現状であります。

この緊急課題に対応した動きを、どう作っていくか、その上での、皆様方のお力と、特に政治をになう方々の緊急行動を言えるような活発な展開を願っております。

時間がございませんので、これだけを申し上げて、終わらせていただきます。
ありがとうございます。(拍手)


私は、この文章をテキストにしながら、涙が止まりません。
どうして、仲間をえせ支援者などと、言えるのでしょう。
一人でも多くの人に、この問題を知ってもらう事こそ、今後の活動を支える力になるはずです。

何故、内側に敵を見つけなければならないのでしょう。
それぞれができることを。そのできることをお互いに認め合う、同じ考え、同じ論理で染め尽くす必用はないのだと思います。

難民基金の加藤さんのテキストもUPしますが、加藤さんも<覚悟>について多く触れています。厳しい状況を日本国民全体で支えていくために、どうしても私は外側の多くの人を仲間に迎え入れたいのです。



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森本美砂さんのことば(神奈川県民集会)

2006年4月16日に行われた神奈川県民集会での、森本美砂さんの言葉です。

―――――――――――――――――――――――――――

山本美保の双子の妹の、森本美砂と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
神奈川から、何人もの方が失踪している中で、山梨の私がお話を申し上げるのは本当に僭越ではございますが、特定失踪者460人いる中で、なかなか家族支援団体が有る方が少ないんです。
みなさん家族だけで苦しまれている方がたくさんいらっしゃいます。
その中で私も同じような立場でございますけれど、たまたま地元で同級生を始め、いろんな先生方が多大な力をくださいまして、今までに、政府に20万人の署名を持って、姉の救出を訴えて参りました。

私の事例は、460名の特定失踪者、特定失踪者の一時例としてお聞きください。そしてその事例は、他の460名、それぞれの家族の想いとおなじことだと考えていただきたいと思います。

私の姉は、山本美保は21年前の、昭和59年6月4日に、当時二十歳でしたが、『図書館に勉強に行ってくるね』と言って母に言い残し、ミニバイクで図書館に向かった日、帰ってきませんでした。

当時受験勉強をしていまして、進学するための大学を目指して頑張っていたときです。何の失踪理由もございません。私が先に、大学に進学していて、そう言う差があったと言うこともありまして、ちょっと姉には応援しきれなかったという部分は、未だに抱えております。

実は、私の2つ上の兄が事故でなくなりまして、当時、姉も東京女子大に受かっていたんです。ところが兄の死をきっかけに、美保ちゃん、--美保ちゃんと呼んでいます--美保ちゃんがひとりで東京に行くことを賛成することができなかったんです。
『どうか家族の側にいて!』とお願いをしました。その想いを聞き届け、姉は地元に残りました。

でもやはり、青春真っ直中の中、自分の進学への想いが断ち切れず、もう一度挑戦したいという思いで二十歳からまた勉強し直していた時期なのです。あの時応援していれば、と言う想いが、いまだに私は続いております。姉が失踪して以来、18年間何もできなかったという自分を、いまだに責めながら生きて参りましたが、でもその想いを、こうやってみなさんが応援してくださる力をお借りして、姉の救出をずーっと訴えていきたいと思っています。

地元で本当に大きな力を得まして、先ほど申し上げた20万人という本当に尊い署名を持って、政府に二度も、訴えに参りまして、これはすごいことだと、また・・・思っているんですが。

こうした力を、もしかしたら、政府--今、拉致被害者認定者は16名、その他に460名ももしかしたら拉致被害者であるという疑いを持って相談されている方、これがもし全員拉致被害者であったらとんでもないことだと言う風に思った--政府関係者がいるんではないか?

 これをどこで線引きしようと言う風に思った方がいるんだと思うんです。

特に特定失踪者の中で、力強い支援を受けていた私たちの団体を邪魔だと思った方がいるのではないでしょうか?ちょうど二年前、平成16年、3月4日にその当時から21年前に山形で発見されたご遺体が『それが山本美保さんですよ』というふうに急に言われました。『DNA鑑定が一致しました』と言うことでした。たぶんご存じの方、多いと思います。いきなりテロップで全国放送されましたので・・・

私も、本当になんのことか、訳のわからない状態でした。もしDNA鑑定をされるのであれば、家族に詳しい内容が伝えられるべきなんです。『美保さんのところは特定失踪者ですね。これだけ力強く・・・あらゆる捜査をします。もしかしたら不幸にも、国内で違った形で見つかるかもしれません。そういう一つ一つを潰していく意味でも、貴方(美砂さんの)の血液を提供してください』と言う風に言われました。

私は、あらゆる捜査をしていただけるならということで、血液を提供しました。誰も、山形のご遺体がそうかもしれませんので、最後の確認のためにDNA鑑定をすると言うことは伝えてはくれませんでした。
本当は伝えるべきということは後から聞きました。何の情報も与えられないまま、いきなりDNA鑑定をされまして、『一致した』ということだけを、いきなり携帯電話にかかってきたんです。

頭の中が真っ白になりまして、訳がわからなかったです。『それは、そのご遺体が姉と言うことですか?』とやっとの思いで聞き返した私に、『その可能性は高いです。でも詳しいことはまだわかりませんので名古屋大学にかけてあるDNA鑑定の結果を明日持ち帰りますので、是非お母さんにお伝えしたいのでお会いしたい。』と言うお話しでした。

でも私の母は、精神的にかなり参っていました。三年前父を亡くしているんですが、ちょうど、美保の問題が明らかになり、拉致かもしれないと言うことで、当時山梨県警にずっと務めていた父でしたが、姉の問題を抱えながら一生懸命仕事をしていたんですね。

警察の大変な仕事のことを、何よりも知っている父なんですね。現場の人間です。・・の人間ではありません。その現場の人間が、姉の問題を抱えながら姉が失踪した理由をひたすら・・言うことができませんでした。
本当は警察に伝えて、捜索を願いたいと思ったと思います。でも、自分の娘のことで、これだけ大変な思いをしている警察現場に迷惑をかけたくないと言うことで、口を噤んでいたんです。

いわば警察の身内の人間でした。
その警察に裏切られたという思いを未だに持っております。

父は美保の問題が勃発しまして、本当に20万人という署名を、一緒に足を運んで政府に出した人間です。
ところが、やはり・・・たたりまして脳腫瘍ということで、三年前に他界しました。その父を亡くし母はがっくりしていたんです。

本人もいろんな情報がはいったり、北朝鮮から情報が入ったり、また違う情報が入ったりして、一喜一憂している母は、かなり精神的に参っていました。その母に不確かな情報を伝えることはできないと思ったのです。ですから。『待ってください。確かなことがわかるまで、私が情報を聞きますから、母に伝えるのは待ってください』と言ったんですが、もうすでに、マスコミ関係はそのことを聞いていまして、全国のテロップニュースで流しました。

母は詳しい内容を、警察関係者とか専門のDNA鑑定士から聞いたのではありません。いきなりテレビの画面から自分の娘が遺体で発見されたと言うことを聞いたんです。

     こんな辛いことがあるでしょうか?

                       開場から『そうだ!』

私は母にこの運動に参加してほしいということは、気持ちでは思いますが、

『もうこれ以上、母を苦しめないでください』

ということを、まず言いたいんです。だから私が先頭に立つしかない。

これは、こういう思いをしている人は、私だけではないのです。460名、特定失踪者、いろんな形で苦しんでいるんです。家族を何十年も待ち続けています。失踪した理由も、探すこともできず、ひたすら待つだけの生活で、苦しんでいる。そう言う方、たくさんいるんです。ましてや運動しているのに、まだ拉致だとも、はっきりわからないのに、いきなり『死亡しています。貴方のところは拉致被害者ではありません』というようなことで、いきなり突きつけられた場合、もう母は、二重三重の苦しみを負っているわけです。

何故このようなことが起こったのか?

もし、これが本当であれば、私は真実を受け容れるつもりではいました。
どんな過酷なことであっても、真実であるならば、受け容れて姉の供養をしなければというふうに思いました。ところが、DNAが一致したのであれば、もっと他のことも一致するはずなんです。でも一致するものは何一つありませんでした。

さきほども杉野さんからお話がありましたが、DNAといえば、もうこれ以上のものはないと言われています。ところが体のサイズが全く違っているんです。当時ぽっちゃりしていた姉は、かなり体重も身長も・・しているんですが、そのご遺体の体重と身長と座高もあわないんです。遺留品も、見たこともないものでした。とても変わったジーパンをはいているご遺体で、前と後ろに皮が施されているもので、<ノスタルジックスレンド>というロゴまであったんです。『こんな特徴のあるジーパンなら、調べられますよね』というふうに警察の方に申し上げましたが、一切調べてはくれません。

支援団体の友人が、必死になって探して、やっと関西方面のごく一部で販売されていたのではないかと言うことだけがわかりました。
私は山梨県の生まれです。関東の人間です。姉の行動範囲はせいぜい山梨、長野、東京ぐらいです。関西に行くと言うことはほとんどありませんでした。
全く見たことのないジーパンです。『これはおかしいです』と言っても、『DNAが一致して遺留品が違うと言うことは、本人ではないと言うことになるんですか?』と、全くあっさりした答えが返ってきました。それほどDNAというものは威力を持ったものなんだと言うことを改めて感じたんですが。

でも、下着のサイズも体のサイズも、全く違っています。

もし姉だとするならば、柏崎の海岸から、海に入ったとして発見までに13日間です。そのご遺体の写真を私も勇気を出して見せてもらいました。男も女も、人間とすらわからないような、白骨化したとても痛ましいご遺体でした。手足が有りませんでした。スクリューで着られたという風に言われていますけれども、かなり事件性の高いご遺体です。

それを自殺の可能性が高いという一方的な憶測で、テロップニュースは流しました。
『一つ一つ丁寧に証拠を積み上げていくのでなかなか拉致認定はできません』というすごく慎重な警察が、何故、姉の場合だけはあっさりと『自殺の可能性が高いですね』と何の証拠もないのに、言うんでしょうか?

すごく政治的な力を感じました。

山梨県警だった父が(勤めていた父が)その当時からすると18年前になりますが、姉の存在を全く探さなかったわけではありません。警察には全国の身元不明のご遺体の情報や、失踪者の氏名、状況が全部手に入るんです。

父は密かに調べていました。
その山形のご遺体が姉の失踪の21日後、発見されたんであれば、とっくに情報は手に入れているんです。
当時筆まめな母が、日記に残しているものがありました。一ヶ月後に父が情報を得た中に、--『大丈夫だ、。失踪者とか全国のご遺体の中には、美保の情報はない。安心しろ』と父から(お父さんと呼んでいますが)電話がありホットする-という日記が残っているんです

何故今頃になって、そんな乱暴なことをするのか無念と疑心暗鬼の気持ちと、でも負けないという思いで今戦っております。

特定失踪者調査会の荒木代表、先生が、しおかぜで家族のメッセージ、名前を読み上げてくださっています。とても暖かい言葉で、家族が言い表せないことも、全て力強く訴えてくれています。

その声は絶対、姉を含め北朝鮮で自由を拘束されている拉致被害者が、全員が聞いていると信じています。

私たちは待っています。北朝鮮ばかりか、国内でも圧力はかかっておりますけれど、家族に会えるまで信じて待っています。

こういう想いを、今アメリカでも、支援してくださるという方が立ち上がってくださいました。

横田さんご夫妻、昨日は長野、今日は神奈川と本当に休む暇もなく全国を走り回っていられますけれど、また来週も、アメリカにいかれるんですね。本当に、下院で証言をなさいますけれど。

めぐみさんのことだけではないんです。めぐみさんの事と共に、私たち特定失踪者、北朝鮮にいるならば、拉致被害者なんですね。何の変わりもないんです。
姉はめぐみさんと同世代です。
たぶん向こうで、顔を合わせていると思っているんです。
成田(羽田と言いたかったと思います)のタラップから、めぐみさんと美保ちゃん、また他の被害者の方々が手を取り合って、おりてくるのを信じて待っています。

私は今週、またアメリカの方に旅立ちます。
立場上下院での証言ではありませんけれども、民間団体のワシントン拉致連絡会というグループが、ワシントンにあるホワイトハウスの前で集会を行ってくださいます民間団体がありまして、そちらの方に招待されて行って参るつもりです。

どれだけ私たち拉致家族がどれだけできるかわかりませんが、支援してくださる方が有れば、声を大にして訴えてきたいと思います。

これは姉だけの問題ではありません。拉致被害者全員を救出するために、家族は諦めずに戦い続けます。その想いを伝えるために行ってまいります。

どうかみなさんも、この問題が無事に解決するまで声を出してください。
諦めずに家族と共に戦ってくださいますよう、宜しくお願いします。

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2006年4月19日 (水)

横田早紀江さんの叫び(2006/4/16)

悲鳴とも、絶叫とも聞こえる、この声を、皆さんにも聞いていただきたいと思います。


2006年4月16日横浜開港記念館にて

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 横田早紀江さんの叫び
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Imgp0568
みなさんこんにちは、長い本当に長い年月ですけれども、この活動の中で本当に沢山のご支援を頂き、カンパを頂き、大変な活動ではありますが、多くの皆さんに支えられ、今日も私のマンションのお住まいになっている皆さま方が、本当に沢山手伝いに来てくださり、始めから終わるまでボランティアとして活躍してくださる方に支えられて今日までくることができました。

     本当にありがとうございます。(拍手)

様々なショックを受けながら、めぐみが消えた52年の11月15日のあの夕方から今日まで。
いよいよ、こんどは、めぐみの夫であったと言われる人の金英男(キム・ヨンナム)さんというという方が出てくる。そしてそれがキム・ヘギョンさんのお父さんであろうと、ほとんど確実なまでのものがでる。またこれも、喜びのショックでありますけれども。

ヘギョンちゃんが現れたことや、めぐみが死亡とされたこと。そして白い骨が、骨壷が私たちの前に現れたこと。そして探し続けていた、めぐみのあの13才の白いブラウスの写真が、本当にどんなに探しても20年間見つからなかった、めぐみの姿が、あの時に、骨の壺と同じ時に、白いブラウスの哀しい目のめぐみが、私たちの目の前に、忽然として現れました。

さまざまなショックがこれでもか、これでもかと、私たち家族を打ちのめしながら、この拉致問題が展開されて参りました。

9年前、私たちが立ち上がって家族会を作って、そして、有楽町や池袋、新宿と、いろんなところに、日本中の元気な若者達、沢山の裕福な方々が、何の苦労もなく、右往左往して歩いていらっしゃる中で、(注:何の苦労もなさそうに、楽しそうに応対する姿を言いたかったのだと思います)『助けてください』『助けてください!』と、署名活動をお願いしましたけれども、その頃の日本の皆様は本当に『何のことやってるんですか』『こんな事、本当なんですか?』と(言って)、みんな、片手をあげて素通りをなさったんです。

雨が降ってカッパを着て、一生懸命声をだして言いましたけれど、こんなことをしていて本当に何になるんだろうと思っておりました。

けれども、いつも私たちは、めぐみをはじめ、たくさんの、何の罪もなく、あの海を渡って、船底に閉じこめられて、連れて行かれたまま、長い長い年月、親を想い、兄弟を想い、日本の国を恋しがって、思い、
『助けて!』
『いつ助けてくれるの?』
『明日ですか?』
『あさってですか?』


と、毎日毎日お月様を眺め、星を見ながら、助けを求めている。

またそれは日本の国だけでなく、先ほどもお立ちになった崔祐英(チェ・ウヨン)さんのお父様他、沢山の韓国の拉致被害者の方。

またあるいは、ジェンキンスさんや、いろんな方からの証言がありまして、各国、12カ国ほどの、沢山の国々からも、何の罪もなく沢山の人たちが、いろんな形で、あの北朝鮮に連れ去られて。

全く違った人と結婚させられて、『私はこの人と結婚したくなんかありません』と日本の国のように一言でも言おうものならどんなところに追いやられるかもわからない、本当に恐ろしい監視の中で、『はい』と言うしかないんです。

めぐみのあの哀しい目は、そのことを物語っていました。

私は本当にあの写真を出されたとき---

--骨の壺を見たときは、『この骨は私のめぐみのものだとは思っておりません』と『めぐみは生きている』と『お母さんそれを信じないで、私はここにいるのよ、助けて!』と言っている声が聞こえるようでした。

---けれども、あの写真は本当に酷いものでありました。

あんなに明るかった、元気だった、大きな声で『今日はね、お母さんこんな事があったのよ』と毎日玄関から大きな声で、学校での内緒も明るい声で教えてくれた、また大きな声で歌を歌い続けていた、あの子が脅えた目で哀しい目で、『どうしたらいいの?お母さん』『お母さん、私はどうしたらいいの』と言う目で、私たちを見つめていました。

『あーぁ、めぐみちゃん、こんなところにいたのね』と私は思わずあの写真をさすって、涙が止まりませんでした。ふたりの弟たちも本当に声をだして泣きました。

こんな酷いことを、長い長い年月、拉致をしたこともない、そんな人は一人も入ってきたことはない、見たこともないと言い続けていた北朝鮮が、拉致を認め、挙げ句の果てに、このような無惨な姿のかわいそうな娘の姿を、平然と家族の前に出してくるわけです。

そのようなものしか持って帰ってくることのできなかった、政府の方たちも本当に大変だったと思いますけれども。

この拉致問題というのは、誰がこのようなめにあっていたかわからないような、大変な問題が日本の中で長い年月、行われ続けていたということがようやく今、わかりました。

今私たちの目の前にお座りになっていらっしゃる皆様が、私のようにここに立って、『助けてください。皆さん聞いてください。』とおっしゃっていたかもしれなません。。私がその場に座って、涙を流していたかもしれません。

めぐみの問題だけではないのです。
増元るみ子さんだけの問題ではないのです。
特定失踪者の名前もわからない方達が、まだ北朝鮮の土地で、『私は探してももらっていないんだ。だーれも母も父も、ここにいることを知らないんだ』と『どうしたら日本に帰れるんだろうか』と、嘆いている方がたくさんいらっしゃるのです。

この問題を解決するためには、人間全部の、魂の強さが必用です。家族だけでは有りません。家族は我が子ですから。我が父ですから。何とか助けてあげたいという気持ちが必然的にありますけれど。

これは国民全部の大切な問題であります。政治家の問題であります。警察の問題でもあります。

官邸も外務省もあらゆる日本中の人の心が本気で、この人達を助けるのが当たり前のことなんだという想いで、一つになって熱を持って戦って行かなければ、このことは絶対に解決していかないのだと思います。(拍手)

北朝鮮は様々なことを言ってきます。
めぐみの夫であろうと言う人が、現れたとたんに、その金英夫という人とめぐみの娘であるキム・ヘギョンちゃんという人たちを、軟禁しているというニュースが入ってきました。
私は、もともと北朝鮮の国そのものが、国民の全部の皆様が軟禁されているような状態であるんだと私ども思っておりますから、『あぁ、またこんな風なことを言っているんだな』というような想いで受け止めておりますけれど。
本当に何をするかわからない国なんだなと言うことも、恐怖の素になっています。

日本にはたくさんの在日の方々もお住まいになっています。
この方々はこの方々で様々なご苦労をなさっていたと思っています。

北朝鮮に沢山の身内の方を、帰国させられて、その人達を人質に使って、『もっと、これだけもののをよこしなさい。』『たくさんの金銭とこれだけのものをもってきなさい。』『これだけのものを持ってきなさい、そうでなければ、あなたたちの家族もどうなるかわからない』というような恐ろしいことを言われて、なさって、一生懸命にその貢物をしてこられて、苦労してやってこられた方が沢山いらっしゃるんじゃないかと、私たちは、本を読んだり、お話を聞いたりして思っています。

    みーんな犠牲者なんです。

たった一人の罪深いもののために、これだけたくさんの人が、世界中の人たちが苦しみ続け、たくさんの北朝鮮の善良な、純真な国民のみなさまが、何の罪もないのに、食べる物もなく、餓死に追いやられている。その体は、どこともわからないところに、押しつぶされて、ブルドーザーで埋め込まれているような、そのような国に対して、どれだけの世界中の人々が立ち上がって、『そんな恐ろしいことは、人のすることではありません。もっとあなた方の平和な、本当に自由な生活をしようと思いませんか?暖かい交渉をしながら、あなた方もまっすぐにたくさんの世界の中に出てきて、本当の話をして、助け合って行きませんか』と言うことを、世界中の沢山の人たちが、声を一つにして、北朝鮮にメッセージしていかなければならないのではないかと思っています。(拍手)

訪米をしまして、下院議員の公聴会に出席をさせていただきことになりました。
私のような、学歴もない、英語もはなせないこのような難しい問題なんて何にも知らなかった、普通の主婦である私が、こんなようなことが、本当にできるんだろうかと、プレッシャーでいっぱいですけれども、本当に今お話しましたような事を、いつも心のおいて、あちらの公聴会この問題を、世界の人の知っていただきたいと、お話をさせていただきたいと思います。(拍手)

シーファーさんも、この間、新潟のめぐみのいなくなった現場にわざわざ足を運んでくださいました。
そして私たちにおっしゃいました。『テレビや新聞などで、報道で聞いているのと違って、本当にこの町で、本当にうちが近いこの角で、あんなに小さかっためぐみちゃんが、どうしてあんなむごい目にあうのか、なんと酷いことが行われていたんだろうと、哀しくなります』と涙を流してくださいました。

『私はブッシュさんととても仲がいい。ブッシュさんは大統領ですから、向こうのブッシュさんはじめ、多くの高官のみなさまに、この問題をしっかりお届けしておきますよ』と言ってくださいました。『だからあなた方も、訪米をしてお話をするときに私のことを忘れないでください。』とまで言ってくださいました。

日本のマスコミの方々も、私たちに今は一生懸命付き従ってくださって、しっかりこのことの解決のために、本気でずーっと、長い10年近く、本当に懐かしい顔を見せてくださって、私たちを助けてくださいますけれども。

今でもまだ、こないだの、金英男(キム・ヨンナム)さんのことが出たときに、すぐに、ある新聞社たちは、たくさんの新聞社達が、すぐに平壌に行って、宋日昊(ソンイルホ)という人たちに面会をし、あちらが言っている、『全くそんなことは知らない』というそういうことをすぐに聞いて、それを報道なさるようなことはしていただきたくありません!(拍手)

その方達も・・・日本人であります。
そのような、向こうの、北朝鮮にそこの(支)局が新設されると思って、みなさん活動なさると言うことも聞きますけれど、

そんなことのために私たちの同胞のたくさんの命がないがしろにされて、あのような国で、埃にまみれたままで、あの土の中に埋め込まれてしまうようなことだけは、絶対に止めてください。(拍手)

本当に全世界の拉致された人たち。そしてあちらに離別していらっしゃる韓国の方達。北朝鮮の国で苦しんでいる多くの国民方が本当に、自由な人間らしい生活ができ、そして良い国として、世界に認められるような国になっていただきたいと、私は思うので、こうして、一生懸命お願いしております。
どうかこれから、よろしくお願いいたします。

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2006年4月18日 (火)

政府作成のポスター



新しく組織された拉致特命チームが、最初の仕事として、拉致の解決を訴えるポスターを作りました。
全国の駅、公共施設などに貼られることになるそうです。

本来、拉致奪還は国家が取り組むべきものなのに、現在までの活動は、ご家族、救う会にほとんど頼り切りでした。

これを契機に、拉致問題の集会の企画、パンフレットなどにも積極的に取り組んでほしいところです。

ポスターは希望者も多いようですので、デザインや、訴える言葉も工夫して第二弾、第三弾と企画してほしいと願っています。

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2006年4月16日 (日)

『金賢姫様へ』飯塚耕一郎さんからの手紙

群馬県前橋市で行われる集会『あなたも拉致の現実を知ってください 』のチラシに掲載されている、田口八重子さんの長男飯塚耕一郎さんから、大韓航空機事件の犯人、金賢姫宛の手紙です。

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金賢姫様へ

前略
  突然の手紙をお許しください。私は田ロ八重子の長男の新一郎と申します。
  私の母であると言われている李恩恵について、お話を聞かせていただきたくペンを取りました。
 金さんにとっては、もう思い出したくない話かもしれません。
  しかし、私には母親の思い出がまったくないのです。
  母が北朝鮮に拉致されたのは、私がまだ1年半のときでした。
  母親の兄である飯塚繁雄に引き取られて二十五年、母のことは写真と養父から聞く思い出以外には何も知らずに生きてきました。
  それまで、記憶にない母に対する感情は正直言って曖昧なものでしかありませんでした。抱いてもらった思い出も、叱られた思い出も何もないので、当然なのかもしれません。
  2002年9月に、母の死亡という報道を海外出張先で知りました。そのとき心が張り裂けそうな衝撃に駆られました。どうしょうもない虚無感に駆られ、涙を流しました。
  そのときの気持ちはいまだに自分の中で整理できていないのですが、きっと自分の中に、二十五年ものあいだ触れることができなかった母親に対する感情がない、と知ったからだと思います。私には、実母の写真を見ても、どのような声で、どのような笑顔をしていたのかまったくわからないのです。

  そんな母に対してどんな感情を持てばいいのかわからないのです。ですから、金さんから母のことを聞いて、一片でも母の面影を自分の心の中にじかに焼き付けたい。私はまず、このことから始めたいのです。

  これから私が見るべき明日に向けて、そして未来の家族のためにも、空白になっている母の面影を少しでもつなぎ合わせていきたいのです。
  お忙しい中、このような手紙をご覧いただき、ありがとうございました。
  どうかご自愛ください。また、乱文失礼いたしました。      敬具
飯塚耕一郎


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2006年4月14日 (金)

「自由北韓放送」について(2)

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■北朝鮮に自由の風を送りたい−金聖民代表が報告
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~脱北者の6割以上が外部ラジオを聞いていた~

★金聖民自由北朝鮮放送代表からの報告
 私は、16年間、将校として北朝鮮人民軍に勤務した。西岡先生や加藤博さん(北朝鮮難民救援基金事務局長)に会い、拉致問題を知り、金正日には悪事が多いと感じた。それが率直な告白だ。

 みなさんは金正日に拉致を認めさせ、金正日を降伏させた。金正日が拉致を認めた時、あいつは悪いやつ、ずるいやつ、ひどいやつと感じた。総連もひどい。
自分の都合ででっちあげと言ったのに、拉致を認めた。

 今回、めぐみさんと金英男氏が夫婦だったことが明らかになったのは、粘り強い運動の成果だ。人間の良心を大切にする日本人、韓国人、そして世界の人々に、貴重なメッセージを発したと思う。金正日が詐欺をしていることは皆知っていたが、この金正日をどうしたら屈服させられるかは分からなかった。今回も金正日は最後まですらばくれると思う。北朝鮮については、動物的な勘で分かる。

 北朝鮮は国家レベルで緻密に嘘をつくから、NGOが退行するのは難しい。しかし皆さんは勝った。

 自由北朝鮮放送は、当初は、インターネット放送局としてスタートした。2003年のことだ。2005年12月6日から短波ラジオ放送を開始した。2006年4月20日からは、妨害されている短波放送を停止し新たに2つの周波数で放送する。6月からは中波放送も開始し、放送時間を30分から1時間に延長する。

 2004年から6年に、北朝鮮にいた時に外部のラジオ放送を聞いたことがあるかと、200人の脱北者に聞いた。その結果、2003年に脱北した人の68%、4年が63%、5年が72%の割合で、アメリカのボイス オブ アメリカや自由アジア放送、韓国のKBSを聞いたことがあると答えた。放送を聞いて脱北した人が60%というのはかなり高い割合だ。

 また、北朝鮮住民の0.2%が外部の放送を聞いた経験があるという報告もある。0.2%が正しいとすれば、40万人が聞いていることになる。北朝鮮は口コミが発達しており、40万人が聞けばあっという間に噂が広がる。

 94年の噂ではこういうのがあった。日本人がねずみのしっぽを集めているという噂だ。精力剤に使うもので、高く売れるという。その直後、北朝鮮住民がねずみとりに走ったことがあった。そして、国境地域のねずみがほとんどいなくなったという。92年から96年にかけて、中国に銅を持っていけば高く売れるという噂があった。言ってみたら高くはなく、1キロ1元もしなかったが、電線を切り取ったり、工場の部品を外して持ち出す洪水のような流れができた。

 そこで、口コミに放送で情報を入れて、北朝鮮に民主義の発想を広め、自由化を進めたいと思った。同時に日本の家族会・救う会の助けにもなり、将来、救出の転機を作りたい。既に、西岡先生が毎週10分の番組を放送している。今後は、毎日1回、拉致問題の番組を作りたいと考えている。日本の家族会の皆さんのお気持ちを届けたい。北朝鮮の住民や、党、軍、情報機関の幹部に、メッセージを送っている。

 私は脱北者同士会の会長もやっているが、共通の目標は金正日政権の精算だ。
金正日を降伏させ、住民や拉致被害者を助け出すことだ。力を合わせて目標を達成したい。日本委員会の設立に感謝している。

 拉致被害者を取り戻すには突破口がいる。金英男さんの拉致報道を見て、知らんぷりの韓国政府も半分くらいは関与し始めた。4月22から28日までの人権週間の最中には、横田早紀江さんが米下院で証言をする。脱北者の代表は上院で証言することになっている。人権という人類の普遍的価値観から訴えれば、アメリカの参加の契機になると思う。悪の金正日から降伏を引出す最もいい手段は人権だと黄長�さんも前から言っていた。その人権問題の核心に日本人、韓国人等の拉致問題がある。

 日本に支援の委員会ができたのは嬉しい反面、こんな委員会がソウルでもできていれば日本に来ることはなかったのにという複雑な思いもある。

 情報統制が北朝鮮体制維持の秘密だ。北朝鮮で大尉であった時、13歳の女の子を拉致したことを知ったら、反感まではいかなくても金正日政権に疑いをもつと思う。外部情報を遮断しているから北朝鮮が維持されているのだ。韓国は、北朝鮮に外部情報を送ることをやめた。そこで脱北者を集め、お金を集め、2003年に最初のインターネット放送を始めたのだ。

 今は、知られるようになったが、始めた時はどうしたらいいか分からなかった。
2004年に初めてインターネット上で実験放送を行ったのは2月16日、金正日の誕生日の日だった。これが朝鮮日報を通じて報道された。2004年4月3日の南北会談で、北朝鮮代表が我々の放送を中断しろと要求した。まだ実験放送の段階だったのに。

 あとで日本経由で知ったのだが、金正日は、党を裏切った黄長�や脱北者が放送するというのは許せないと指示を出したそうだ。我々がやると問題になるので第3者を通じて粉砕せよ、という指示だ。

 5月18日、放送準備の段階で、家主が突然出ていってくれ、と言い出し、追い出された。平壌ではなくソウルでだ。仲間と涙を流しながら出た。韓国には金正日の指示で動く団体が多い。なぐられて救急車で運ばれたこともある。しかし、おかゆをすすってでもやらねばならないと思った。北朝鮮の同胞には、食べ物より民主主義、自由の情報を送ることが大切だ。

 韓総連(韓国の左翼学生全国組織)200人に奇襲デモをかけられたこともある。我々は3人しかいなかった。機動隊がいなければ私はここに来れなかっただろう。何があろうと正しい道を歩みたい。放送局にかかる脅迫電話は数千件、メールは数え切れない。我々は、誇りをもってこの仕事をしているので、私が倒れても別の日とが旗を掲げ続けると思っている。

 北朝鮮が頼んだのだと思うが、中国から妨害電波が出た。中国政府は我々のホームページへの接触も遮断している。これは大きな表彰だ。4月からは短波が2つになり、6月からは長波もやる。妨害されてももっとやる。拉致問題にも、この放送を通じて確実な貢献ができると信じている。

★質疑応答
問 口コミの他の例は。
金聖民 太陽政策までの韓国政府は、北朝鮮に向けて気球を揚げ、ビラや物をまいた。これが軍隊の警備地域によく落ちた。すると韓国のお菓子やラーメンはおいしいとの噂が広がり、落ちたとなると必死に取りにいく人が増えた。成�琳は金正日の愛人で金正男の母だが、人妻だったのを金正日が奪った。これが口コミで広がった。噂した人は政治犯収容所で厳しい取調べを受けた。逆に、私は、軍の将校だったが、拉致問題は知らなかった。

問 ラジオの効果は。
金聖民 まだ4か月なので具体的な成果はない。しかし、北朝鮮は4回にわたり放送は許さない、爆破すると脅してきた。これは嫌がっている証拠だ。また妨害電話を出したことも嫌がっている証拠だ。

問 めぐみさんの夫の確定は日韓協力の成果だ。
金聖民 97年にめぐみさんの拉致が明らかになり、韓国の情報機関が調査をし直した。その結果、5人の高校生が出てきた。連携の成果だ。

問 どんな放送をしているか。
金聖民 脱北者の座談会で、中国でどんな苦労をしたかとか、なぜ命がけで脱北したか、貞操まで売りながら中国に隠れ住んだこと、ベトナムやモンゴルルートの話など、自然に分かってもらえるものだ。

◆「自由北朝鮮放送」支援日本委員会について
目 的�「自由北朝鮮放送」を通じて、金正日政権幹部に、拉致被害者救出に対する日本人の不退転の決意と、被害者の保護・救出や情報提供に協力すれば報償を与えることを伝える。

   �「自由北朝鮮放送」を通じて、北朝鮮住民に国際社会の動き、民主政治の思想、金正日政権の政治宣伝の嘘を伝え、北朝鮮の自由化に備える。

役 員 顧 問=横田滋・家族会代表、佐藤勝巳・救う会会長、平沼赳夫・拉致議連会長、委員長=西岡 力・救う会常任副会長、理 事=増元照明・家族会事務局長、島田洋一・救う会副会長、平田隆太郎・救う会事務局長、事務局長=山岸丈良・救う会事務局次長

事務局 〒1120013東京都文京区音羽11711905救う会内 電話0339465780
 FAX0339465784

募金先 郵便振替口座00100414701 救う会(通信欄に「ラジオ」と記入してください)

救う会ニュースより

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2006年4月13日 (木)

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(1)

NHKスペシャル
『ドキュメント北朝鮮第一集』を文字化してみました。
貴重な証言だけでもテキストに残しておきたかったので、よかったら、みなさんも参考にしてください。


D11

 
 
 
 
 
 
 ~導入~
<ナレーション>

厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
多くの謎が世界を脅かし続けています。

私たちは、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書を世界各国から入手しました。旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料です。
その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材。
北朝鮮の知られざる姿に迫りました。

3回シリーズの一回目は強固な独裁体制を作り上げたキムイルソン(金日成)の真実です。
その後巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。

―――~金日成の映像~―――――――――――
我々のやり方でやっているので滅びない。
我が党は世界でも類を見ない「絶対党」なのだ。
――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当初ソビエトから見いだされ指導者となった金日成。
その後個人崇拝を強め、巨大な権力を手にしていく課程が明らかになりました。
いかにしてソビエトの統制を離れ独自の路線を突き進んできたかその軌跡を辿ります。

  ◆映像:証言者との面会の様子

<ナレーション>
2回目は金正日総書記台頭の謎です。
1970年代から80年代にかけて北朝鮮が繰り返した日本人拉致。そして、多くの犠牲者を生んだテロ。
旧東ドイツ秘密文書は、金正日総書記がこの頃、すでに国家の前活動を指揮していたことを明らかにしています。
社会主義では前例がない権力の世襲をどのようにして実現させたのか、その謎に迫ります。

3回目は国際社会を震撼させる核開発です。
核をカードに大国を翻弄する北朝鮮。
映像:六カ国協議の様子

――アメリカ米国務長官――――――――――――――――――
北朝鮮はいつも強硬姿勢を崩さず、我々は譲歩せざるを得ません。
彼らは貧弱なカードを巧みに使いこなします。
――――――――――――――――――――――――――――

北朝鮮との交渉に当たったアメリカの当局者を取材。
瀬戸際外交の裏に隠された、北朝鮮の野望を描きます。

  ━━━━━━━━━━━━
  第一集「個人崇拝への道」
  ━━━━━━━━━━━━

人口およそ2300万の北朝鮮。
首都平壌の中心に金色の巨大な銅像が建っています。
建国の父とされるキムイルソン(金日成)です。
人物の銅像としては世界最大規模と言われます。

  ◆映像:花を捧げる市民

北朝鮮の強固な独裁体制を支えているのは金日成に対する個人崇拝です。
その個人崇拝は、数々のプロパガンダによって築き上げられてきました。

建国の歴史を描いた北朝鮮の記録映画です。

  ◆映像:日本軍を撃退する朝鮮軍

―――映像の朝鮮語ナレーション―――――――――――――――――――
私金日成は、朝鮮人民革命軍に祖国解放のための総攻撃を命令した。
日本帝国主義者に強烈な打撃を与え、退散させた朝鮮人民革命軍によって
我が国の開放は成し遂げられた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
金日成が朝鮮人の軍隊を指揮し、祖国を日本から開放したとしています。
個人崇拝の原点である、この建国の物語は事実なのでしょうか?

私たちは北朝鮮建国に至る経緯を記録した機密文書を独自に入手しました。
朝鮮半島北部を占領したソビエト軍が作成した非公開の内部資料です。文書には金日成の経歴が記されています。金日成は19才の時から、中国東北部、旧満州で抗日ゲリラ活動をしていました。その後、ソビエトのハバロフスクに逃れソビエト極東軍の88旅団に参加しました。記録映画にある朝鮮人民革命軍の記述はありません。88旅団はソビエト軍が養成した朝鮮人と中国人の部隊でした。記録映画では、金日成は朝鮮人民革命軍の司令官とされていますが、ソビエト軍の文書では一部隊の部隊長となっています。

  ◆~モスクワ郊外の映像~

私たちは88旅団を指導指揮していたソビエト極東軍の将校を探し出しました。
ワシーリー・イワーノフ84才。金日成の上官でした。ワシーリーは、88旅団で金日成に様々な戦術を教えました。金日成の主張する朝鮮人の軍隊の存在を即座に否定しました。

  ◆映像:当時の写真

――ワシーリー・イワーノフの証言―――――――――――
金日成の主張には賛成できません。
朝鮮軍など存在しませんでした。
存在しなかった軍隊に金日成は命令したのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
日本が統治していた朝鮮半島に侵攻したのはソビエト軍でした。
イワーノフは金日成はこの戦闘にも参加していないと証言しました。

――ワシーリー・イワーノフ(ソビエト極東軍)の証言―――――――――――
キム・イルソンたちは戦争に参加する準備をし、参戦したいとアピールしました。
しかし我々ソビエト軍の司令官は金日成を戦争に参加させませんでした。
彼らは大した貢献ができないと判断したからです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮半島北部を占領したソビエト。
友好的な政権をつくろうと考えたスターリンにとって、重要なのは誰を指導者に選ぶかと言うことでした。

  ◆映像:スターリン、メクレル(ソビエト軍特別宣伝部長)の写真

指導者選びの任務を負った一人が、ソビエト軍の特別宣伝部長、グレゴリー・メクレルです。
様々な候補者と面接し、能力だけでなく、ソビエトへの忠誠度を測りました。
ソビエト軍の秘密文書の中に、メクレルの報告書があります。

  ◆映像:外交文書/チョ・マンシクの写真

面接した政治家の一人が、チョ・マンシクです。チョ・マンシクは朝鮮のガンジーと呼ばれた63才の民族主義者。
朝鮮の人々に最も知られた、信望の厚い政治家でした。
しかしメクレルは指導者としてふさわしくないと判断しました。

――メクレルの報告書――――――――――――――――――
チョ・マンシクは反共産主義的である。
表向きはソビエト指導部を支持しているように見えるが、
実際には朝鮮人民とソビエトとの友好に反対している。
彼は我々の信用に値しない。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルも健在でした。
しかし、このあと96才で無くなりました。

  ◆映像:メクレルとの面会の模様。
      取材記者に対してメクレルが日本語で「初めまして」
      「とてもうれしい」「とてもおもしろい」と答える様子

――メクレルの証言―――――――――――――――――――――――――――
私は金日成の能力を確かめるため、朝鮮の情勢に関し、様々な質問をしました。
彼は長年海外で抗日活動を続けていたため、
朝鮮のことは何も知らないと思っていました。
しかし、キム・イルソン(金日成)は私の質問にとても的確に答えました。
朝鮮の情勢に通じている人の答えでした。私はとても満足しました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
メクレルは、キム・イルソン(金日成)の存在を人々にアピールするため、ソビエト軍の歓迎集会を利用しようと考えました。
数万人の観衆を前に、キム・イルソン(金日成)を抗日闘争の英雄として紹介したのです。
このとき33才。しかし人々は意外な反応を示しました。

――カン・インドク(歓迎集会に参加していた)の証言―――――――
キム・イルソン将軍という名前は知られていたため、
かなり年を取った人が出てくると思っていました。
しかし、出てきたのは、単なる若者でした。
人々は騒ぎ始めました。「あれは何だ、偽物じゃないか?」
会場は大変な騒ぎになってしまいました。
――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
偽物説が広がると指導者として受け入れられないのではないか?
懸念を増したメクレルは策略を練りました。

―――メクレル証言――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)に指示しました。
貴方の故郷に行くと発表しなさい。希望者を一緒に連れて行きなさい。
キム・イルソンは私の指示通り、故郷の訪問をラジオで発表しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆画像:故郷訪問の写真

<ナレーション>
故郷の人々と再会するキム・イルソン(金日成)の写真です。
メクレルはこの訪問を新聞でも宣伝し、偽物説を打ち消しました。

メクレルの報告を受けた最高幹部がモスクワに送った秘密文書です。
キム・イルソン(金日成)こそ指導者にふさわしいと結論づけています。

―――(報告書の内容)――――――――――――――――――――――――
キム・イルソンは、日本帝国主義に立ち向かった英雄として有名である。
彼の名は朝鮮人民の幅広い層に知られている。
朝鮮で統一戦線を創設するとき、キム・イルソンを
その指導者に据えるべきである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトが撮影した戦後初の選挙の時の映像です。

  ◆映像:演説するキム・イルソン(金日成)

メクレルから与えられた様々な指示をキム・イルソン(金日成)は忠実に実行に移しました。

ドキュメント北朝鮮第一集(2)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(2)

――メクレルの証言―――――――――――――――――――――――――――
私はキム・イルソン(金日成)とあらゆる分野、あらゆる問題で行動を共にしました。
政治や党関連の重要な仕事を一緒に行いました。
取るに足らないようなことでも私たちは常に一緒に行動しました。
私はあらゆる場面でキム・イルソンを助け、キム・イルソンを育て上げたのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:建国当時の映像

<ナレーション>
1948年9月。
朝鮮民主主義人民共和国の建国です。
キム・イルソン(金日成)は最高指導者として内閣の首相と、党の委員長を兼任しました。

貴重な肉声がアメリカの国立公文書館に残されていました。

―――キム・イルソンの肉声―――――――――――――――――――――――
朝鮮民族の解放者であるソビエト軍と偉大な領導者スターリン大元帥、万歳
解放された朝鮮人民、万歳
朝鮮民主主義人民共和国樹立、万歳
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
建国当時のパレードの映像です。
スターリンとキム・イルソン(金日成)の肖像画が並んで掲げられています。
ここまではソビエトの思惑通りでした。

  ◆朝鮮戦争の映像

38度線で分断された朝鮮半島。
金日成が個人崇拝への道を歩き始めるきっかけは、統一を目ざした朝鮮戦争でした。
1950年6月、北朝鮮は南に一斉攻撃を開始。
二ヶ月後、韓国の9割以上を制圧しました。
開戦直前、キム・イルソン(金日成)はスターリンに<アメリカは介入しない>という判断を伝えていました。
しかしアメリカは参戦し、戦局は一挙に逆転。その後、戦闘は三年に及びました。
100万人以上が犠牲となり、一千万人が離散家族となった朝鮮戦争。

自らの誤った判断で始めたこの戦争をキム・イルソンは権力の強化に利用します。

キム・イルソン(金日成)がアメリカ帝国主義に勝利したという宣伝が始まりました。
巨大な肖像画が勝利集会で掲げられ、『敬愛する指導者』という呼び方が用いられるようになりました

  ◆ソ連系朝鮮人の写真
金日成を称えるプロパガンダを進めたのは、ソビエトから送り込まれたソ連系朝鮮人でした。
ソ連系朝鮮人は、ソビエト軍の指示を受け、党、政府、軍の中枢で金日成を支えました。その数は400人以上にのぼります。

  ◆カザフスタンの映像

<ナレーション>
プロパガンダの中心を担った人物が旧ソビエトのカザフスタンに住んでいました。
チョン・サンジン、87才。
50年代半ばまで北朝鮮で文化宣伝省の次官を務めました。

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――
当時私たちはソビエトのそのまま北朝鮮に適用したため、
プロパガンダを当然のことだと思っていました。
ソビエトではスターリンが絶対的権威でした。
『北朝鮮でも金日成が同じような権力を持つべきだ』と思っていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
強化された権威を利用し、キム・イルソン(金日成)は反体制派の粛清を進めます。
最初に標的となったのは副首相のパク・ホニョンでした。
アメリカのスパイとして逮捕され、後に処刑されました。
 ◆パク・ホニョンの映像

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――
金日成は朝鮮戦争に失敗した全ての責任をパク・ホニョンに押しつけました。
疑いの余地は全くありません。
そしてキム・イルソンはそれをきっかけに、パク・ホニョンの派閥を全て粛正したのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時北朝鮮には4つの政治勢力がありました。
  ◆4つの派閥の図
粛正されたパク・ホニョンは国内派、戦時中抗日活動を国内で行ったグループです。
他にソ連系朝鮮人のソ連派。中国で活動した中国派。
キム・イルソンとゲリラ活動を共にしたパルチザン派は最小派閥でした。

  ◆スターリンの葬儀の模様

スターリンの死によってキム・イルソン(金日成)の粛正は更に進みます。
ソビエトの統制がゆるんだのを見て、ソ連派に矛先を向けました。
キム・イルソン(金日成)を支えてきたソ連派は次々に批判され、解任されました。
その後処刑されたり、行方不明になった人も数多くいます。

文化宣伝省の次官を務めたチョン・サンジン。
1955年に解任され出身地カザフスタンに帰りました。
キム・イルソンにスターリンのような権威を与えようとしたプロパガンダが、自らの追放に繋がりました。

―――チョン・サンジンの証言――――――――――――――――――――――
我々ソ連系朝鮮人がいなかったらキム・イルソン(金日成)の個人崇拝は無かったでしょう。
ソ連系朝鮮人がソビエトのスターリンをまねて、キム・イルソン(金日成)の個人崇拝を始めました。
それこそが、現在の北朝鮮の悲劇の原因なのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
朝鮮戦争が終わった年の翌年のパレードの映像です。
ソビエトの指導者の肖像画は目立ちません。金日成を称える歌が様々な集会で歌われるようになりました。

  ◆解放記念祝賀パレードの映像

歌われた歌詞
 ~あぁその名も懐かし我らが将軍
 ああ、その名も 輝くキム・イルソン将軍~

肖像画は町の至る所に掲げられるようになりました。
 ◆画像:病院、家庭などに掲げられるキム・イルソン(金日成)の肖像画

~モスクワ~
<ナレーション>
金日成の個人崇拝が進む最中、ソビエトは政策を大きく転換します。
共産党第二十回党大会。
第一書記のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を批判したのです。
五ヶ月後、モスクワを訪問したキム・イルソン(金日成)。
このときフルシチョフは金日成に個人崇拝を止めるよう求めていたことが今回の取材で明らかになりました。
このときのやり取りを記録したソビエト共産党の内部資料です。

―――内部資料――――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮の同士に対して指摘した。朝鮮労働党に深刻な違反が見られる。
キム・イルソン同士の個人崇拝が存在する。
キム・イルソン同士は我々の提言を受け入れた。
欠点を除去する対策をこうじると約束した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ソビエトの動きが北朝鮮の反体制派を勢いづけました。
国内派、ソ連派が粛正された後、中国派が密かにクーデターを計画していました。
中国派の幹部が党の会議で金日成を批判。
しかし、事態は思わぬ展開となりました。

  ◆~ソウル・オ・ギワンとの面会シーン~
<ナレーション>
このときの一部始終を目撃していた人がいます。
オ・ギワン、77才。当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていました。
60年代初頭、韓国に亡命しました。

―――オ・ギワンの証言―――――――――――――――――――――――――
中国派のひとりが最初に発言し、個人崇拝を批判しました。
するとキム・イルソンのパルチザン派が大声で罵声を浴びせたため発言を続けられなくなりました。
会場は、騒然となりました。
このため、他の中国派は発言することさえ、できなくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)は事前にクーデターを察知していたのです。
計画に関わった中国派を全員党から除名しました。

再びフルシチョフが動きました。
毛沢東と協議し、北朝鮮に共に特使を派遣。
キム・イルソン(金日成)は除名を一時撤回しました。

しかし翌年、再び中国派を追放。
更に思想調査を行い、不満分子をあぶり出しました。
私たちの入手したソビエトの文書には金日成の激しい弾圧の様子が記されています。

―――ソビエト共産党中央委員会の報告書―――――――――――――――――
国家体制に敵対的な態度を取っているとして、北朝鮮では一月に2000人以上が摘発された。
裁判は公開され、400人以上が公開銃殺の判決を受けた。
大規模な公開銃殺の実施は国にとってマイナスである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
個人崇拝の行き過ぎを懸念していたソビエト。
しかし、フルシチョフはつよい行動に出ることはありませんでした。

 ◆モスクワの映像

<ナレーション>
何故ソビエトは黙認したのか?
私たちは交渉の末、真相を知るキーパーソンにインタビューすることができました。

元ソビエト共産党中央委員会のワジム・トカチェンコ、74才です。
フルシチョフの時代からゴルバチョフ時代まで、30年以上にわたり共産党の中枢で朝鮮政策に携わりました。
ソビエトの歴代の首相と金日成との会談にも立ち会っています。

―――ワジム・トカチェンコの証言――――――――――――――――――――
当時我々ソビエトは社会主義体制のリーダーでした。
この陣営で何か悪いことが起こればそれはリーダーが悪いと言うことになります。
つまり、我々ソビエトの威信が傷つくのです。
だからソビエトの指導者は北朝鮮の不快な出来事にも目をつぶったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ソビエトが目をつぶっている間、北朝鮮では新たなプロパガンダが始まりました。

   ◆映像:チョンリマの銅像

一日に千里を走る伝説の馬、チョンリマからその名をとったチョンリマ(千里馬)運動です。
北朝鮮は大衆を動員して経済の五カ年計画の目標を2年半で達成したと発表しました。

――チョンリマ運動のプロパガンダ映像――――――――――
我が人民は度重なる支援を打開し、千里馬の大進軍を行った。
短時間で新しい歴史を作り上げた。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかし平壌駐在のソビエト大使は北朝鮮経済の実情を見抜いていました。
北朝鮮では重工業を重視するあまり、生活用品の生産が不足していたのです。
ソビエト大使はモスクワに報告書を送りました。

――――報告書の内容―――――――――――――――――――――――
北朝鮮では綿、衣服、下着、石鹸などが不足している。
地域間の商品交換も欠如し、悪影響を与えている。
医療は最も遅れた分野である。
医者、病院の数が不足し、国民への医薬品の支給がきわめて困難である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆1959年帰国事業の映像

<ナレーション>
この報告書の翌年から、帰国事業が始まりました。
2年間で7万人以上の在日朝鮮人が地上の楽園と呼ばれた北朝鮮にわたりました。
キム・イルソン自ら帰国者を歓迎しました。
しかしその後多くの人の消息が途絶えました。

当時北朝鮮で副首相の補佐官を務めていたオ・ギワン。
帰国者の受け入れを担当しました。

――オ・ギワンの証言――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮では食料も生活必需品も不足していました。
帰国した人たちは、こんな体勢の元で、どうやって暮らすことができるのかと、不満を募らせました。
不満を言う人たちは監獄へと送られました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソンは更に軍備の増強にも着手しました。

――キム・イルソンの演説――――――――――――――――――――――――
我々は戦闘訓練を強化し軍事技術を高め、戦争準備を強化しなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆1962年~全人民の武装化~

<ナレーション>
キム・イルソンは全人民の武装化を提唱。
老人、女性、そして子供にまで武器を持たせ、軍事訓練を受けさせました。

ソビエトの専門家が試算したところ、60年代後半、北朝鮮の軍事費は国家予算の50%を超えました。膨張する軍事費はますます国民の生活を苦しめました。

1060年代、ソビエトと中国との間で社会主義の路線を巡り、激しい対立が始まりました。
西側との平和共存を唱えるフルシチョフ。
革命闘争の継続を訴える毛沢東。

金日成はどちらの側にも組せず、中ソ双方から援助を引き出すことに成功しました。
このときキム・イルソンが打ち出したのが主体思想でした。1965年の事です。

  ◆主体思想塔の映像

  ~政治における自主、経済における自立、国防における自衛~

社会主義の中で、ソビエトにも中国にも頼らない独自の路線を突き進むと宣言しました。

60年代、ソビエト大使館に情報分析官として勤務したドミトリー・カプースチン。
主体思想によってキム・イルソン(金日成)の個人崇拝が確立したと指摘しています。

ドキュメント北朝鮮第一集(3)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(3)

ドミトリー・カプースチンの証言 
主体思想はプロパガンダの寄せ集めにすぎません。
ソビエトの影響を受けたキム・イルソンは人を洗脳するプロパガンダの
重要性をよく理解していました。
彼は主体思想を用いて国民の洗脳を始めたのです。
その洗脳はとても速い速度で進み、我々はただただ驚きました。


<ナレーション>
主体思想によって、歴史の書き換えも進みました。
建国の歴史はキム・イルソンへの賛美で彩られるようになりました。
解放直後のソビエト軍の歓迎集会は、『キム・イルソンの歓迎集会』に変えられています。

記録映画でのキム・イルソンの発言  
私キム・イルソン(金日成)は党創建後10月14日に人民にあいさつしました。
私が演題に立つと、群衆の歓呼の声は最高潮に達しました。


<ナレーション> 
人々の反応も、全て熱狂的な歓迎とされ、偽物と疑われたことには触れられていません。

記録映画でのキム・イルソンの発言  
私が帰郷したと聞いて、遠くの村からも人々が列をなしてやってきました。
 

<ナレーション>
故郷訪問の写真も改ざんされています。
当時の写真は左側、キム・イルソン(金日成)を支えたソビエトのメクレルが写っています。
記録映画ではメクレルの存在は消され、朝鮮人に変えられていました。

個人崇拝を確立したキム・イルソン(金日成)
祖国統一を掲げ過激な行動に走ります。

1967年、非武装地帯で南北の衝突が急増。
ソビエトは北朝鮮がそのほとんどを引き起こしていると結論づけました。

翌年1月。北朝鮮の武装ゲリラ31人が、韓国の大統領官邸を襲撃。
武装ゲリラは韓国軍と2週間にわたって銃撃戦を繰り広げ、ほとんどが射殺されました。
ただ一人拘束されたゲリラを尋問した映像を入手しました。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   質問:『どんな任務を受けたのか?』

   答え:『大統領官邸にいるパクチョンヒ大統領を銃殺し、
        主要な幹部を撃ち殺す任務です。』

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


<ナレーション>
北朝鮮はパク・チョンヒ大統領を殺害すれば、民衆が蜂起し革命が起きると考えたと見られています。

ワジム・トカチェンコの証言  
――――――――――――――――――――――――――――
我々は、危険だと感じました。
北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。
我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。

――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
考える間もありませんでした。
二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。
大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。
航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。

ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。

ワジム・トカチェンコ
    (当時、ソビエト共産党中央委員会)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。
誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。
ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。

コスイギンの書簡 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。
北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――



<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。
至急協議したいと呼びかけました。

その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。
初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。

――キム・イルソンの書簡―――――――――――――――――――――――――
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。
彼らはカミソリの上を渡っていたのです。
一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。
戦争の危険を顧みずに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。
しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。

パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。
交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。
11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。


―――◆アメリカ側の発言―――――――――――
私は金正日が用意した書類に今から署名するが、
これは私たちの主張とは異なる文書である。
我々は乗員を自由にするためだけに署名する。
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカは北朝鮮が用意した謝罪文に署名しました。
当時アメリカの国務長官だったニコラス・カッツェンバック。
カッツェンバックは大統領の下でプエブロ号事件の対応に当たりました。

ニコラス・カッツェンバックの証言 
アメリカにとって屈辱的な経験でした。
しかし我々は、乗員を救出する方法を他に知りませんでした。
あのまま続けば、何年もかかったでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
事件発生から11ヶ月後、北朝鮮はようやく乗員を解放しました。
しかし、キム・イルソンはプエブロ号の返還を最後まで拒否しました。

アメリカと北朝鮮との交渉を固唾を呑んで見守っていた人がいます
ロアルド・サベリエフ、76才。サベリエフは当時ソビエト大使館の書記官でした。
その後も20年以上北朝鮮との外交を担当しました。

ロアルド・サベリエフの証言―――――――――――――――  
「その後の北朝鮮の行動原理を考えると、プエブロ号事件は北朝鮮の瀬戸際外交の始まりです。
そうした新たな戦術の始まりなのです。
北朝鮮はこの機会を利用してアメリカ帝国主義と闘っていることを誇示したのです。」
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮も協議の様子を撮影していました。

――――北朝鮮の記録映像―――――――――――
プエブロ号が我が人民軍に拿捕されて11ヶ月
米国は我々の前にひざまづき、謝罪文に署名した。
―――――――――――――――――――――――

~ピョンヤン~
<ナレーション>
返還を拒否したプエブロ号は戦利品としてピョンヤンに展示されています。
アメリカに勝利したと、金日成の個人崇拝を更に高めています。

――展示場の案内――――――――――――――――――――――
プエブロ号の10分の一の模型です。反米教育に使われています。
米国が侵入すれば絶対に容赦しないことを我々は見せつけました。
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮の指導者として見いだしたソビエト連邦。
しかし金日成はソビエトの統制を離れ、個人崇拝に基づく独自の独裁体制を築きあげていきました。

Wt

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 



ワジム・トカチェンコ
(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば 

――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。
彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、
どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。
私は時折思います。
このような人々と全く関わらない方がいいと。
不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。

――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
70年代に入ると金日成の個人崇拝は更に強化されました。巨大な銅像が各地に次々に立てられて絶対の忠誠を誓うことが求められました。その一方絶対的権力が、長男金正日に継承する準備が密かに進められていました。
金正日に個人崇拝による独裁体勢は父から息子へ引き継がれて行くことになります。

参考:プエブロ号事件
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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第二集「隠された世襲」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)


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「自由北朝鮮放送」について

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★自由北朝鮮放送
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ホームページ WWW.FREENK.NET
短波放送 現在の周波数SW5880KHz

連絡先 大韓民国ソウル市陽川区新政7洞210?25 B1
    TEL:0226528350 FAX:0226528349
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 � 自由北朝鮮放送の目的
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1.無権利な北朝鮮住民たちに自由と民主主義理念を伝播する。
2.北朝鮮独裁政権が民主主義と改革、開放に進むように誘導する。
3.北朝鮮独裁政権に追従する勢力を批判、警告する。
4.北朝鮮の人権の実情を韓国と国際社会に知らせる。
5.日本人拉致被害者、韓国人拉致被害者問題を持ち出し、解決を促す。
6.自由と権利を求めようとする第3国の脱北者たちに希望と勇気を与える。
7.朝鮮半島の統一と世界民主化に貢献する。

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� 自由北朝鮮放送の聴取対象と編成方向
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◎自由北朝鮮放送の聴取対象
・ 北朝鮮住民と第3国で流浪している脱北朝鮮人
・ 韓国国民と海外韓国人

◎ 自由北朝鮮放送の編成方向
・ 脱北者の望ましい韓国定着プログラムと有用な情報提供
・ 脱北者が直接参与する生きている情報で現場感覚を維持
・ 双方向コミニケェーションを通じた北朝鮮と中国など第3国脱北者の意見をリアルタイムで提供する開かれた放送制作
・ 金正日の虚像に対する体系的な指摘と海外の動向に関する情報(ニュース、風刺、時事、伝達など)を責任を持って伝達

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 � 現在の週間番組
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曜日
月 深層取材6分 黄長X【火扁に華】講座10分 脱北者手記(中国編)
6分 本朗読・音楽 8分
火 深層取材 6分 趙甲済の統一戦略10分 西岡力の拉致問題 10分 本朗読 4分
水 深層取材6分 金龍範の歴史の真実 10分 脱北者手記(韓国編)6分
 本朗読・音楽 8分
木 深層取材6分 脱北者招待席10分 李東X【復の扁を香に】統一教室
10分 本朗読4分
金 深層取材6分 康仁徳の統一の話10分 脱北者手記(北朝鮮編)6分
 本朗読・音楽 8分
土 総合ニュース6分 論評6分 リアルトーク10分 本朗読・音楽 8分

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 � 自由北朝鮮放送の運営体系
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◎ 自由北朝鮮放送委員会
名誉委員長 金泳三・前大統領
委員長   黄長X【火扁に華】・前朝鮮労働党書記
委員    康仁徳・前統一部長官
      李東X【復の扁を香に】・前国会議員、明知大学碩座教授
      趙甲済・月刊朝鮮編集委員
      金龍範・漢陽大教授、小説家
      姜哲煥・脱北者、朝鮮日報記者
      安明進・脱北者、元北朝鮮工作員
      安X【赤を二つならべる】・脱北者
      許光一・脱北者

◎ 自由北朝鮮放送制作局
局長     金聖民
記者     金ミンス(室長)、金キソン、朱ソンイル、金スヨン
アナウンサー 車キョンスク(室長)、朴ミョンファ
編集     宋ドンヨル
技術     韓ソンヨル(副局長)、鄭ソクウ


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 � 自由北朝鮮放送の経過報告
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◎ 準備期(2003年下半期)
1.インターネット放送局ホームページ構築(10月?12月)
2.スタジオ関連の諸般設備設置および運営技術習得

◎ 推進期(2004年上半期)
1.実行チーム確定、体系化
2.定期的時間帯の番組(出演者)確保
3.多様なコンテント開発および確保
4.インターネットホスティング、サーバー確保

◎ 実行期(2004年中半期)
1.2004年2月16日 一次実験放送
2.2004年4月15日 2次実験放送
3.2004年4月20日 インターネット放送開始
4.時間帯安定化、内容の定期化

◎ 実行期(2005年)
1.2005年12月6日 短波ラジオ放送開始
2.24時00分から24事30分まで 短波5880KHz
3.開始後2週間頃後に北朝鮮当局が妨害電波発信

◎ 実行期(2006年予定)
1.2006年4月20日より妨害されている短波5880KHzを停止し、新たに2周波数で同じ内容を送信予定
2.6月より中波放送も開始 放送時間を1時間に延長予定
3.妨害電波発信時には、周波数を変更(2か月に一回)予定


★自由北朝鮮放送の拉致番組で取り上げるべき内容
 現在、北朝鮮の軍、党、工作機関、治安機関、政府などの幹部でも、日本担当でない限り、多数の日本人、外国人が拉致され今も北朝鮮内に抑留され続けているという事実を知らない者が多い。これら幹部等に拉致問題に関する日本の不退転の立場を伝えることが、金正日に対する圧力になり、また、クーデターや暗殺などで金正日が政権から離れた後、拉致被害者の安全を守る道にもなる。

 彼らの中には外部情報を知るために隠れて外国放送を聞いている者がかなりいる。彼らは拉致問題に関する情報が欲しくてラジオを聞くのではないという点に留意し、ニュース番組などの中にこちらが伝えたい以下のような拉致関連情報を自然に加えていくのが望ましい。

 また、拉致被害者たちもラジオを聞いている可能性は高いが、その場合でも、以下のような内容がニュースに含まれるならば、日本が自分たちを助けようと懸命になっているという事実を知り、勇気を得ることになるはずだ。

1 拉致被害者が無事帰国しなければ、仮に核問題など他の問題が解決しても絶対に日本は北朝鮮に経済援助をしないという、日本の基本的立場を伝える。拉致問題の解決なしに国交正常化なし、国交正常化前に経済支援なしという日本の基本的立場を繰り返し伝える。

2 拉致問題を日本がいかに重視しているのか。自国民の救出は日本にとって最優先課題で妥協の余地はないと伝える。拉致救出のための動きを折に触れて詳しく伝え、政府と国民が一体となって救出運動を展開していることを伝える。日本国民で拉致問題を知らない人はおらず、全国民が早期救出を願っていることを繰り返し伝える。

3 現在、北朝鮮が抑留している被害者に危害を加えるならば、日本はその責任者を絶対に許さない。草の根を分けても犯人を探しだし、絶対に処罰することを伝える。一方、被害者を保護した者には必ず報償を与えることも伝える。

4 被害者に関する情報提供と、救出への協力を求める。救う会や日本の在外公館などに被害者の所在等に関わる情報を提供してくれれば、それが正しい情報だと確認され次第、それなりの報償を与えると伝える。


◆「自由北朝鮮放送」支援日本委員会について
役 員 顧 問=横田滋・家族会代表、佐藤勝巳・救う会会長、平沼赳夫・拉致議連会長 委員長=西岡 力・救う会常任副会長、理 事=増元照明・家族会事務局長、島田洋一・救う会副会長、平田隆太郎・救う会事務局長、事務局長=山岸丈良・救う会事務局次長
事務局 〒1120013東京都文京区音羽11711905救う会内 電話0339465780
 FAX0339465784
募金先 郵便振替口座00100414701 救う会(通信欄に「ラジオ」と記入してください)

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2006年4月12日 (水)

東京連続集会17-1(2006/4/12)

Yokota ~~自由北韓放送の現状と日本委員会設立について~ 
             東京連続集会17より

『横田滋さんのお話』



昨日の午後、外務省の梅田参事官から連絡がありまして。
韓国の5人の方のDNA鑑定をするために、拉致された高校生の、全員がお母さんがいるわけではありませんので、ほとんどの方はお母さん、一人の方はお父さん、それからきょうだいの方から血液とか口の中の粘膜などの提供を受けてDNA鑑定をやっていたわけです。
これは韓国の家族会の方の崔(成龍)さんと言う方が、北朝鮮側からの情報と言う事で、5人の拉致された高校生のうちの誰かひとりがめぐみの夫である、キム・チョルジュンさん同一ではないか?と言う事が言われたわけです。
それで我々も政府に対してその方のDNA鑑定が出来ないだろうか?と言うことをお話したら、考えておきましょうと言うことは仰っていました。

そしてテレビでDNA鑑定は、韓国の方の日本大使館の方と被害者(の家族)と一緒に行って採血している場面は見たわけですが、しかし日本政府からはその時DNA鑑定をやっているとか日本から係官が行ってるかどうか?とかについては、全然話はありませんでした。
ですから公式にはそんな事をやっているという話は全く聞いておりませんが、その時の情報では2月の中旬くらいにそういった資料の提供を受けたってことはテレビ等で報道されました。

それでキム・ヘギョンさんがめぐみの子供であると言うことを証明する為に、早紀江の血液とか姉弟である拓也・哲也の血液を採ってその結果が出るのは、母親だけ女の人だけに伝わってくるミトコンドリア法と言うのでは約2週間で、それ以外の鑑定方法3種類くらい、合計で言えば4つくらいの鑑定をしますけど。
その結果、ミトコンドリア法では2週間、それ以外の物をやるには3週間くらい時間がかかると説明がありました。
ですから仮に11日に採取したとしても2月中に(鑑定結果が)出るとは考えていませんでしたけど、3月に入りましたら当然(結果が)出てるんじゃないかと思いましたけども、政府はやってる事自体は必要ありませんでしたし。
かなり遅くなってから例えば記者会見で官房長官に対する質問があったり、我々も政府は・・・・(聞き取れず)の鑑定をしていた時に山中政務次官のところでお話を伺った時にも、早く公表すると仰ってましたけど、いつごろと言う話は全くありませんでした。

そして今月に入って韓国の中央日報ですか。
そこがいきなりその5人の中の金英男さんと言う人のお母さんのDANが、キム・ヘギョンとの共通点が多いと言うことが言われていましたので、そういった事が結果が出るだろうと想定はしておりました。

政府の方は官房長官の談話で11日以降に発表という事が出ておりましたし、安倍官房長官も同じ事で11日頃に発表すると仰ってましたし、マスコミの方はもっと前倒しに発表されるんじゃないか?と随分照会がありましたが、実際に出ましたのは昨日のお昼頃に一つだけ出たと言う事でもう一つの大阪医科大学の結果が出たら説明すると言う事で、3時半頃に2度目の電話を頂きまして、それで大阪の方も結果が出たという事で、5時からどこかで説明をすると。
調整室と場所を調整すると言う事で、後で調整室から5時に内閣府の方で説明すると言う事で連絡を頂きました。

今回はミトコンドリア法と言うのは使えませんので、核DNA法というのを使ったようです。
それは常染色体と性染色体の両方からやったと言う事で、そして同一人であると言う数字を出して、それを掛け合わせて%で表した物が50%であればどちらとも言えないと言うことでありますし。
それよりも大きければ、共通性が強いと言う結果になる、それが少なければ関係が無いと言う事でなるんだそうですが。
今回の神奈川歯科大学のケースでは99.5%、それから大阪医科大学の方では97.5%、極めて高い数字が出ましたんで、それは親子関係があるということは濃厚であると、実際は断定しても良いと思いますけども、こういった事が伝達されまして。
それ以外の方(の数字)は小さいということがありまして、片一方が99.いくつで、片一方は0.いくつと言う事で確率ですから、他の4人の方はその可能性が無くて、金英男さんであると言うことは99.5%、100%と同じくらい親子関係があることは間違いが無いと発表されました。
そのときは審議官は大まかな説明で、そのほかに課長補佐の方が実際大学に行って説明を受けた方がいて、その方から詳細な説明がありました。

そして鑑定書というのがありましたけど未定稿でありまして、完全に出来た物が後2~3日かかるのでその段階で我々に鑑定書を頂いて、それから韓国政府にもそれを渡すと言う事です。
韓国政府はこれまでも噂はありましたけど、DNA鑑定をしていないと言う事で、韓国で鑑定をしてもキム・ヘギョンさんの資料がなければ照合が出来ないわけですから。
キム・ヘギョンさんの資料は小泉さんが最初に訪朝されました平成14年の9月に、日本の調査団が行った時に貰った資料がありますから、それを韓国政府に渡すと。

それからその鑑定結果については昨日外務省が韓国側にいる家族に連絡したわけなんですが、その前に韓国政府に対しては佐々江アジア太平洋局長から来日中のチョン・ヨンウ朝鮮半島平和交渉本部長に対して伝達しました。
これは時間は5時過ぎだと言う事です。
そして改めて韓国側の協力を要請して、そしてこれより前に北朝鮮側に佐々江局長から来日中の金桂寛外務次官ですか。
この方に対して今回の鑑定結果を踏まえて、拉致問題の解決について北朝鮮側が誠意ある対応をするべきだと改めて強調したそうです。
北朝鮮側にはキム・ヘギョンさんのDNAを提供すると言う事はしないで、事実関係を知らせると言う事だそうです。

これまで韓国政府は余り自国民の拉致被害者の救出と言う事を熱心でなかったと言われております。
これは韓国のケースですと、日本人の拉致と同じケースもありますけど、自由意思で行った方もかなりたくさんいて、その区別が付け難いということも言われていましたけど。
やはり北朝鮮側を刺激すると言うことは避けると言うのが主な部分だと思います。
しかし今回の場合は、日本の拉致と同じように高校生ですからもちろん自由意志で行ったわけではなくて、強制的に連れて行かれたわけです。
そしてめぐみと金英男さんがおそらく強制的に結婚させられたと思いますし、引き続き北朝鮮で拘束されているわけですから、人権も侵されておりますし。
ですから韓国の国内でもおそらく今回は今までのような冷たい世論と言うことではなくて、必ず自国民を救出しなければと言う世論が盛りあがるんじゃないか?と言うことは我々は大いに期待をしております。

それから今日の昼に金英男さんのお母さん、78歳の方がテレビに出ておられましたが、ヘギョンさんから見れば伯母さん、英男さんから見ればお姉さんに当たる人も出ておりましたんですが、お母さんも自分が生きている間に是非息子に会いたいと言っていましたし、お姉さんも日本の我々と手を携えて解決のために力を尽くしたいと仰っていました。
やはりこういった拉致された家族と言うことでの気持ちは誰も同じですし、その家族の方も同じ思いをしていると思いますので、今の韓国側の対応と言うのはどうなってるのか分かりませんので、もう少しはっきりしたら政府関係者とか救う会関係者と相談の上で韓国の方とお目にかかって、高齢のお母さんですから慰めてあげたいと思いますし。
それから我々が行って何かする事によって韓国の世論の盛り上げになるんであれば、韓国の救う会の方と家族会の方そういった人と連絡を取りながら、韓国政府に対しても訴えを起して、一日も早く親子の再会が実現するようにこれからも手を取り合ってやっていきたいと思います。

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東京連続集会17-2(2006/4/12)

『横田早紀江さんのお話』
Sakie412

皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)

昨日ようやく金英男さんと言う方のDNAとヘギョンちゃんの、金英男さんのお母さんの血液とか粘膜とかからの、キム・ヘギョンさんとの血縁関係があるという事で、この人のお父さんはこの方だとハッキリと分かりました。

私たちはめぐみは13歳で拉致をされたと言う事事態が、他の方は成人でいらしたので、何で若い中学の一年生と言う子供を拉致するのかな?と、どういうことなんだろう?と本当に不思議に思っていたんですけども。
昨日の段階でやはり韓国の高校生の少年たちが、16歳くらいの若い歳で5人も拉致をされていたと言う事がハッキリと分かりまして。
その中のひとりがめぐみと結婚させられて、どんなためにそうしているのか分かりませんけど、北朝鮮は本当にいろんな事を暴力を持って拉致を繰り返しているのかな?と。
どういうふうにしてこういうふうにしてといろんな事を考えて、計画的にやっていたんだなぁという事を改めて思わされております。

本当にこの拉致問題と言うものがこんなにも難しく恐ろしいものだと言う事を、また改めて思わされております。
もう事実が行われてしまった、過去形になってしまった事をいくら悔いて悲しんでいても、元に戻るわけには行きませんけども。
こんなに悪い事が皆様方のご支援のお陰で、たくさんの方々と一緒に戦っていったお陰で、あちらの凄い悪い事を暴き出して来ているんだと言う事を、ハッキリと現れてきていますので、やはり一生懸命に救出のためにやってきた事が本当に良かったなと今思っております。
何とかして一日も早く、皆さんが元気な間に子どもたちを取り戻す事ができるように、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。(拍手)
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東京連続集会17-3(2006/4/12)

『西岡力 救う会副会長のお話』 
0000712m


今日の本来のテーマの、自由北朝鮮放送支援を通じてどのような形で拉致問題解決につなげていくかと言う事を話たいと思います。
先ほど記者会見のときに申し上げましたが、6時半からいらっしゃった方もいるので繰り返しになる方もいますがご説明させて頂きます。

この冊子を見ていただけますでしょうか?
(資料の内容はこちらを参照)

「ラジオ放送で北朝鮮幹部・住民に働きかけ」、「救う会に自由北朝鮮放送支援日本委員会を設立」と書いています。
下の黄色い所を見て頂きますと、自由北朝鮮放送と言うのは脱北者の方たち、ここにいらっしゃる金聖民代表が中心になって黄長ヨプ(火へんに華)さんと言う、北朝鮮の元書記の方が委員長でやってらっしゃる放送ですが、その放送が昨年の11月からいよいよ短波を始めました。
そしてこの4月には短波を二つにふやして6月には中波も、そして今30分なのを1時間にしようと言う事を、私たち分かりまして、それを支援する日本委員会を作ろうと決めました。
そして今日を持ってこの支援日本委員会を設立させて頂きます。

その目的はそこに書いてありますが、自由北朝鮮放送を通じて北朝鮮政権幹部に拉致被害者救出に対する日本人の不退転の決意を、被害者の救出情報の提供・保護に協力すれば褒賞を与える事を伝える。
ご承知の通り荒木代表がやってらっしゃる特定失踪者問題調査会の「しおかぜ」を言う放送を日本で独自にやっていらっしゃいます。
ですがこの自由北朝鮮放送は脱北者の方たちが北朝鮮内部に向けて外部の情報を入れて、北朝鮮の自由化を目指す放送です。
その中の一部の番組で拉致問題を取り上げていただく。

北朝鮮の人たち自身は拉致問題にはそれほど関心はないんですね。
拉致をしているということ自体も知らないと思います。
しかし、外部の情報を欲しい人たちはたくさんいるんです。
外部の情報を欲しい北朝鮮の幹部の人たちに、その外部の情報の番組の中で拉致問題が少しだけ取り上げられる。
夜中に隠れて聴く訳です。
聴いていることが分かると取調べを受けたり処罰をされると言う危険を冒してでも、夜中に聴くわけです。
今は深夜の12時から12時半までこのラジオをやってますけども、その番組の中で実は私が韓国に一月に一回行って、4回分録音しまして10分×4本を録音して、今は30分の中の一週間に一回10分、日本人拉致問題の時間を作って頂いてます。

今後はもうちょっと増やして頂く計画が金聖民代表から話が出る中で、そういうことを通じて拉致被害者本人に日本語で訴える被害者への情報と言うことではなくて、北朝鮮の住民や幹部の人たちが欲しい聴いている情報の中に、拉致問題の時間を入れてそしてここに書いてある、絶対に日本は被害者の救出を諦めない。
被害者救出がされない限り、日本から経済協力は行かない。
そういうことの学習力が強まる。
日本国民は諦めない、関心は低くなっていない、そして何よりも今いる被害者に危害を加えたら絶対に許さない。
こういう事が後で判明したらば最後まで追いかけて責任を追及する。
しかし今いる人たちを守ってくれれば後でそのことが分かった時には、日本としてそれなりの報償をすると。
そしてまた確実な情報を提供してくれれば報償をしたいと、いう事を幹部の人たちで金正日政権に疑問を持っていて夜遅く危険を冒して聴いている人たちに伝える。
いう事が第一の目的です。

第二の目的は自由北朝鮮放送そのものを支援する。
北朝鮮の中で独裁政権の下で人権が侵害されている人に正しい外部の情報を伝えて、来るべき北朝鮮の自由化の到来に備える。
北朝鮮の人たちも被害者であって、その人たちを助けるために脱北者の人たちは、実はあとで話がありますが金正日政権はこの放送局を4回爆破すると脅迫しているんです。
金代表には今警察の警護がついています。
テロに遭う危険が実際あると言われています。
そして韓国の中の左翼に金正日が命令をして放送を潰せと言ったので、左翼のデモ隊が来たり殴りかかられたり、実際そういうことを経験していても先に自由世界に出て来た者として、北朝鮮に残っている人たちにも自由化へ向けて戦いたいと言って、放送局を続けていらっしゃるわけです。

韓国政府の今の状況はそういう脱北者の人たちを支援するような雰囲気では率直な所無い訳です。
そういう中でソウルでこういう事をするというのは大変困難があるんですけども、でもやっている。
そして脱北者ですから北朝鮮の人たちが欲しい情報が分かるわけです。
どういう事が聴きたいのか?それを伝えると。
北朝鮮の人たちが今一番必要な情報をラジオを通じて、命懸けで伝えようとしている自由北朝鮮放送そのものを私たちも支えようじゃないかと。
日本人だけが帰ってくれば良いとは私たちはいつも言っていなかった。
全ての外国の、今日は実はタイでタイの被害者の救出運動をやっている海老原さんが、救う会のタイ連絡員をされているわけですが、来て下さっています。
後でちょっとご報告をしていただきますが、タイの被害者も助けなくちゃいけない。

そして実はテロをする政権と言うのは国内で人権弾圧をする政権なんです。
自国民の人権を考えない政権が外国に対してもテロをするんです。
そういう点では北朝鮮の住民の人たちと我々は同じ立場なんです。
金正日独裁政権の被害を受けている。
その人たちにも何とか自由の風を送りたいと言うふうに思って、我々は国民大集会でも「世界が力を合わせて救おう、拉致被害者をそして北朝鮮の住民を」というテーマを過去に掲げた事もありますけど、それを具体的に助ける事が出来るのが命懸けで韓国でやっているこの放送局を支える事だと。
そしてその放送局の中では実は拉致問題も取り上げて、拉致問題解決にも取り組んでくださっているわけですから、余計その放送局自体を我々がただ拉致問題解決に利用するのではなくて、この放送局自体も支えて一緒に金正日独裁政権と戦っていきたいという事で支援委員会を作りました。

実はアメリカでも同じような組織が出来ておりまして、アメリカでかなりのカンパが集まって短波放送が一つだったのが二つになる。
中波放送が出来るようになったのはアメリカのカンパのおかげが随分あるわけです。
アメリカは拉致被害者はいないんです。
でも教会などを中心に人権問題と言う事で金さんが何回もアメリカに行って被害について証言しているんですが、アメリカの中にも支援の声が出て来ている。
日本でも是非この放送を支える。
人権を大切にすると言う自由民主主義の立場に立った日本人の声を上げていきたいと思っております。

そしてまさに今北朝鮮情勢は風雲急を告げておりまして、アメリカの制裁や今回の非公式の6者協議のようなものなど、いろんな動きが出ておりますけども、金正日政権が追い詰められていることは間違いがありません。
そのことについては私がインタビューに答えた物をまとめた、「金正日を追い詰める時が来た」と書いた資料も配ってありますし時間があれば後で佐藤会長にもお話をしていただこうと思っておりますが。
そういう中で北朝鮮に・・・(聞き取れず)と言うことは大変意義に適っている事ではないかと思います。
今日はわざわざ自由北朝鮮放送の代表で、そしてもう一つ脱北者同志会と言う、今韓国に8000人くらい脱北者が来ているんですが、その中にいろいろ脱北者の団体がありまして一番大きな団体、脱北者同士会の会長をしています。
脱北者のいろいろな面倒を見ていますので、その立場から放送局のあり方・・・(聞き取れず)。

この放送局の名誉委員長は金泳三前大統領で、委員に康仁徳前統一部長官、李東○(複のへんを香に)全国会議員、趙甲済月刊朝鮮編集委員。
あるいは姜哲煥さん(「平壌の水槽」著者)、この間ブッシュ大統領と握手をした脱北者の方。
それから安明進さん、なんか皆加わっているんです委員に。
で、私は委員になっている。
その金聖民さん、わざわざこのために東京に来てくださいました。
そして明日は大阪に行って同じような集会をいたしますけども、金聖民さんから自由北朝鮮放送についての内容と、それから自由北朝鮮放送で何をしようとしているのか?
そしてもうひとつ脱北者の立場から拉致問題解決のために私たちは何をすれば良いのか?と言うようなことについてお話をしていただければと思います。

金聖民さんです。
拍手でお願いします。(拍手)

このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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東京連続集会17-4(2006/4/12)

『金聖民(キム・ソンミン) 自由北朝鮮放送代表のお話 その1
                      通訳:西岡力氏』

もう一度ご挨拶を申し上げます。
私は脱北者であります金聖民と申します。(拍手)

実は私は北朝鮮で16年間将校として軍に勤務しておりました。
そして脱北してきたんですがそのあと西岡先生に会ったり、あるいは脱北者を助けていらっしゃる加藤博(北朝鮮難民基金・事務局長)さんのような方にお会いして、自分が北朝鮮で軍隊にいたと言うことは悪い事をして来たんだなと。
自分のやってきたことは悪い事だったんだなと。
そしてまた、こんなにたくさんの被害者が拉致されて来たと言う事を知りまして、金正日と言う人間は本当に酷い事をたくさんやっているんだなぁと言う事を、改めて感じました。

それが私の率直な告白でありますけれども、それにも拘らず皆さん方は金正日を降伏させた人たちだと言うことです。

実は金正日が皆様方の力でですね。
拉致を認めたわけです。
その時私はまずこう感じたんです。
あいつは悪い奴だなぁと、ずるい奴だなと、酷い奴だなと。
と言うのは拉致を認めたときすぐに感じたのは、朝鮮総連の人たちが酷い目に遭うんじゃないか?
自分達が利用してきた朝鮮総連の人たちが酷い目に遭うにも拘らず、そんな事お構いなしで自分の都合ででっち上げたと言っていた物を認めてしまう。
そういうふうにまず感じたわけです。

その背景はお金が欲しかったとか、圧力があったとかいろんな話がありますけれども、とにかく金正日を皆さんは降伏させたのです。
そのことは多くの人たちに希望を与えたと思います。

また今回のですね。
横田めぐみさんと金英男さんが夫婦であったと言う事実が明らかになった。
具体的なことは私は聞いておりませんけども、皆さん方の粘り強い運動のひとつの成果だと思います。

これはですね。
人間の良心を大切にする日本人・韓国人ばかりでない世界中の人たちに貴重なメッセージを発したと思います。

金正日が拉致をしているということは皆知っているんです。
世の中の人は皆知っている。
しかしその金正日をどうやったら屈服させる事が出来るのか?降伏させる事が出来るのか?と言うことは分からなかったんです。

私は北朝鮮で生活してきましたから動物的な感覚で分かるんですが、今回も金正日は絶対に最後までしらばっくれると思います。

ですから同じ事で思い出すのはですね。
日本人の拉致被害者は皆死んで墓に埋められたけど墓は流れて無くなったと、しらばっくれた事があった事を思い出します。

私は良く覚えていないんですが、確か94年95年に黄海北道の麟山(リンサン)と言うところの墓が洪水で流れたと発表したと思うんですが、実は私は当時すぐその横で部隊で勤務していたんです。
そして洪水の被害があったのは当時は黄海北道ではなくて平安南道だったんです。

私は皆様方にご忠告申し上げたいんでありますが、北朝鮮は国家レベルで綿密に嘘をついてくる。
国家全体が動員されて嘘をついてくる。
それに対して民間のNGOの力で対抗するのは非常に難しいんです。

ところがその様な北朝鮮に対して皆さん方は勝ったんです。

金正日政権の事を不良政権だと言うふうな呼び方もされるわけですけども、核問題・麻薬そして偽札、もうできる限りの悪事をずっとやっているような政権を屈服させて、拉致被害者を取り戻して北朝鮮の住民を助ける為には何らかの突破口がなければならない。

今回のめぐみさんと金英男さんに関する報道に接して私はこんな事を考えました。
拉致問題は人権問題である。
この拉致問題と言う人権問題が金正日政権を屈服させるのに突破口になるのではないか?
その様に思ったわけです。

例えばですね。
北朝鮮の人権問題にこれっくらい知らん振りをしていた韓国政権が、今半分くらいはこの問題に関与し始めました。

4月22日から28日、ワシントンで行われる北朝鮮人権週間の行事の日程を見たところ、横田早紀江さんがワシントンに行かれてあちらの下院の公聴会で証言をされると言うふうに出ておりました。

そして我々脱北者の代表がアメリカ議会の上院の公聴会で証言をする事になっております。
そのことを契機としてアメリカの世論に人権と言う、人類の普遍的な価値観から北朝鮮問題を訴えれば、アメリカも大々的にこの問題に関与してくるんじゃないか?と。
その様な契機になるんじゃないかと思います。

金正日の事を悪だと呼んでおりますけども、悪の金正日から降伏を引き出す一番良い手段は人権問題だと、いうふうに元労働党の黄長ヨプ(火へんに華)先生は、前から提議していました。

その人権問題の核心には実は拉致問題がある。
日本人拉致問題・韓国人拉致問題があると私は思っています。

それで放送の話を申し上げたいんですが、この様にですね。
皆さんと心を合わせて北朝鮮と闘うために放送を始めて、皆さんがこの放送のための支援委員会を作ってくださった。
このような席に私を呼んで頂く事は大変嬉しい、反面ですね。
実はこのような支援委員会が韓国でソウルで出来ていれば、私はわざわざ東京まで来る事は無かったんじゃないかと若干複雑な思いもするわけです。

私達がこのような対北放送を始めようとした大きな理由は、実は韓国のテレビや新聞を通じて、政府が今までやっていた北朝鮮に対する放送を中止すると言う報道を見てですね。
それならば我々の力でもやらなければならないと、そういう意見が集まって始めたのです。

実はですね。
理解できないような北朝鮮の体制が維持されている最も重要な秘密は、実は情報統制です。

もしも私が脱北していなくてまだ北朝鮮にいて北朝鮮の軍の大尉だったとします。
そして我々の偉大なる指導者の金正日同志が、日本から13歳の子供を工作に使うために本当に拉致していたということを聞いたら、本当なのか?と。
本当なら酷いじゃないか?と、体制に対する反感までは行かないまでも疑いを持つようになると思います。

ところがその様な外部の情報を北朝鮮は100%、外からの情報を、テレビやラジオを通じて入ってくる電波の情報を遮断しているから、だから体制が維持出来ている。

ところが北朝鮮の内部に対して外部の情報提供をしていた韓国政府が、ある日突然それをやめると宣言したんです。

そこで私たち脱北者が知恵を集めてお金を集めて、2004年に最初のインターネット放送を始めたわけなんです。

今はですね。
随分私たちの放送も知られるようになり、また西岡先生も来て出演してくださったりしているんですが、しかし始めたころはどうして良いか分からなかった。

2004年に最初のインターネットを通じた実験放送を、2004年の2月16日金正日の誕生日に合わせて実験放送をしました。
そしたらそれが朝鮮日報と言う韓国の新聞を通じて報道されました。

そうしましたらですね。
その年の4月3日にあった南北会談で北朝鮮の代表が、まだ実験放送しかやっていない段階なのに「脱北者たちの放送を中断しろ」と言ってきた。

またですね。
その年の3月に金正日が指示文を出したんです。
後でその内容を日本のマスコミを通じて私たちは入手したんですが、それによると「祖国を裏切った黄長ヨプ脱北者たちがラジオ放送をやっている」と。
「それは人民の名前で許す事はできない」と。
「しかし我々が直接出て行くといろいろ問題があるので第三者を使って粉砕せよ」と、金正日の指示が2004年の3月に出たということを後で知りました。

5月18日にですね。
私たちはスタジオ全部設備を入れて準備をして本格的な放送を始めようとしていた段階で、家主が突然「出て行ってくれ」と言って来て、私たちは追い出されてしまった。
平壌でなくソウルで、北朝鮮(向け)の放送をしようと思ったら、2月に始めて5月には追い出されて行くところがなくなってしまう。
白昼ソウルで茫然自失して仲間たちと涙を流した事を覚えています。

皆さん方はご承知かもしれませんが、実は韓国には金正日の指示に従って動く団体が大変多いんです。

その代表的な団体の事務局長は、実はスパイ罪で捕まって実刑を受けて刑務所に入って出てきた前科を持っている人ですが、統一連帯と言う組織があるんです。
統一連帯と言う組織は、韓国の中の親北運動・反米運動に殆ど参加して指揮をしているような団体ですが、その統一連帯の人間が5月に30人、私たちの事務所の前に来て「ラジオ放送を中断せよ」という路上記者会見。

その時警察が間に入って止めたわけですけども、もしも間に警察が入らなければですね。
南の中で一番親北で一番極左のグループと、金正日を一番憎んでいる脱北者の我々一番右のグループが対峙していたわけですが、警察がもしも取り締まりをしなければ朝鮮戦争以上の乱闘劇になったんじゃないかと思われます。
そしてその中で実は私は救急車に乗せられて病院に運ばれました。

私たち脱北者は絶対に譲れない一線と言うのがあるわけです。
肉を食べないでお粥をすすってでも絶対にそれはやらなくちゃいけない。
それは北朝鮮にいる私たちの同胞に、今食べ物を与えるよりもまず自由を、民主主義の風を、情報を送りたい。
そのことについて私たちは何があっても絶対に譲ることは出来ないと思っております。

その後には韓総連と言う日本で言えば全学連みたいな学生運動の全国組織が200人、統一先鋒隊という過激な団体が奇襲デモで放送局を襲ってきたわけですが、その時我々の側は3人しかいなかった。

その時機動隊がバス2台動員されたんですが、それが無ければ私はここにはいられなかったでしょう。

しかし私はこのように生きております。
そして自由北朝鮮放送も今でも健在です。
私たちは誰がどのような事をして来ようと正しいと信じる道を歩んでいきたいと思っております。

私たちの放送局にかかってくる脅迫電話、これまでに数千件の脅迫電話がかかってきて、また脅迫メールは数える事が出来ないくらいたくさん来ております。
また、祖国統一戦線の北朝鮮のいろいろな組織の代理人談話とか、あるいは論評とかそういう物で我々を批判して、許す事は出来ないと、爆発するとか粉砕するとかそういう事をどんどん談話で出しております。

私たちは誇りと決意を持ってこの仕事をしているので、私が倒れても別の脱北者が出てきてこの旗を上げ続けるだろうと信じております。
そしてまた今日この様に同じ志を持つ家族会・救う会の皆さんに呼んでいただいて、このような集会で話す事が出来てより一層この戦いをやめるわけにはいかないと、堅い決意を固めた物であります。

私達が短波放送で引き続き電波を送り始めたときに、北朝鮮は大変強い妨害電波を出して来ております。
また私たちのインターネットサイトに対しては北朝鮮が中国政府に依頼したんでしょう。
中国政府は接触を遮断しています。

それに対して私は実は大きな表彰だと思っています。

また報告を差し上げてはいるんですが、4月20日からはですね。
北朝鮮が妨害電波を出していない新しい周波数で、かつ1時間に延長して放送します。
6月20日からはそれに加えて中波放送を始めて3つ(電波を)維持します。
北朝鮮がまた妨害電波を出してくればもっとやります。
最後まで戦い続ける覚悟ですし、また皆さん方が絶対に解決しなくてはいけないと思っている拉致問題についてもこの放送を通じて、小さなしかし確実な貢献をしたいし出来ると信じております。(拍手)

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東京連続集会17-5(2006/4/12)

『佐藤勝巳 救う会会長のお話』

北で今言われていることは、朝鮮戦争以来の最大の危機を迎えているという話が広く広がっているようです。
それがどういうことか?と言うと、一番主要な原因は拉致問題を巡って国際的な取り組みが広がっているという事でありまして、先ほどから指摘されております様に韓国の今の政府と言うのは、自国民が拉致されてもそれを救出するという意思は余り無いようです。

しかし今回DNA鑑定でハッキリした訳ですから、5月の地方選挙を今目の前にしていますから、あの問題についてしかも自国民が拉致されているという、しかも500人近い人を放置しておく事がかなり難しい状況にはなって来ている。
しかし、一生懸命やるか?といったらそんな事全然無いと思います。
一生懸命やって北を刺激するとそれは上手く行かない。
盧武鉉政権が取っている宥和政策が上手く行かない、と言うような事でその包囲網の中で一番のアキレス腱は韓国なんですね。
中国はもちろん、中国も日本のような厳しい態度はもちろん取っておりませんけども、しかし韓国に比べればそれ程甘い態度は取っていない、言う事です。

しかしそう言いましてもですね。
2年後に北京がオリンピックを控えておりますから、そのオリンピック前に一番陸続きの朝鮮半島の北の方で混乱が起きては困るという、そういう状況に立ち至っています。
ですから中国側とすれば会うたびに援助を要求される、金を貸せ、いろいろな事を言われて、そうですね。
トウ(登におおざとつくり)小平政権が出来たのが1983年ですから、83年以来中国は「北朝鮮が生き延びるには改革開放以外に無いんだ」と言い続けてきても、ご案内のように改革開放の方向には政策を執っておりません。

あれ、政策を執った瞬間にですね。
金正日政権は崩壊すると言うのが我々の分析です。
執れないんです。
その選択をしてしまうと自分が倒れてしまうから、どうしても従来のような訳の分からない政策をずっと執り続けてきて、そして今極限状況に立ち至っている。
言う事であります。

従ってアメリカのマネーロンダリング、は広く言われているからご案内だと思うんですが、あれは偽ドルを承知でもって洗浄したのに協力したバンコ・デルタ・アジアと言う銀行に対して、アメリカ国内法、愛国法311条か何かを適用して来たんですね。
ちょっとこの数字の数は自信がありませんけど、これはどういうことか?と言うと、ああいう事に加担した銀行に対してはアメリカの銀行は取引をしないと言うことなんです。
それを適用したんです。

適用したアメリカの方も実は驚いているんですけど、世界中の銀行が北朝鮮の団体とか個人に下手に口座を設けるのを、北朝鮮と言うのは何をやるか分からん。
変な事をやったらとアメリカの銀行と全部取引駄目だぞと、停止だぞと、言う事がわかってから北朝鮮がですね。
口座を設けようとしても世界中の銀行が相手にしないと言う問題が発生して来たんです。
銀行が相手にしないと言うことは、取引の決済・貿易の決済が出来ないと言う事です。

そこで北は困りましてね。
現金で取って欲しいと言ったら、これ偽ドルを作ってる所ですから、現金なんか貰ったらそこに偽ドルが入っていたらどうにもならんから、(笑い声)それは困りますと言って誰も相手にしない。
後残された道はどういうことか?と言うと物々交換しかないんです。
と言うような状況に今立ち至っています。
日本の方もご案内のように去年の内閣改造以来、かつて無く現行法を使って今締め上げをやっているわけですね
というアメリカと日本の締め付けについて、我々の想像をはるかに越える大きなダメージを与えている。

先ほど私、もはやいつ崩壊してもおかしくないんだと言う趣旨の話をしましたが、私は次のように考えております。
今のまま、今の現状のままで北朝鮮の内部矛盾が起きてテロだとかクーデターが発生するとは考えておりません。
現状のままだったらそういう内部矛盾は起きないと思っております。
もう少し軍事的圧力、これは情けない話なんですけども、結局アメリカの力を借りなければならないんですが、軍事的圧力が強まった時に北朝鮮内部でどういう問題が起きるか?と言うと、北朝鮮の軍の中で「アメリカと闘うべきか、外交で解決すべきか」という問題が起きてくるんです。
必ず二つに意見が分かれる。
そのときに初めて内部矛盾が起きてくる。
従って軍事的圧力と言うのは必要不可欠な要因なんですね。

それはどういうことかと言うと今アメリカのイージス艦が、その時によってどうも違うようなんですけども、だいたい5隻前後朝鮮半島周辺に配備されております。
イージス艦と言うというと昔の軍隊で言えば巡洋艦ですから、これイージス艦一隻に約200発の巡航ミサイルが搭載されているんです。
5隻ってことは1000発です。
巡航ミサイルの射程距離は1300キロですから、東京湾から発射しても北朝鮮全域に届きます。
ご案内のようにあのミサイルは高度50メートルで飛ぶんですから、レーダーなんかには全くかからない。
殆ど100発100中ですね。
1000発の巡航ミサイルで北朝鮮の軍事施設は包囲されています。

しかしそれだけではなくてやっぱり目に見えて、第7艦隊の空母が入ってくる。
と言うような状況が作り出されたときに、金正日政権、北朝鮮内部における軍の矛盾が起きてくる。
どちらか二つに割れたときにどっちかの派が金正日を担ぐわけです。
担ぎそこなった反対派の方は全部粛清されますから、粛清されるんならばと言う事で初めて矛盾が起きてくる。

今の北朝鮮の状態でですね。
チャウシェスクが倒れた時のような、チャウシェスク自身が主催の集会を開いて、その集会の片隅から「馬鹿野郎!退陣しろ!」と言う声、そういう状況には全くありません。
そういう状況を作り出すためには、外からの情報がどんどんどんどんやっぱり入っていかないと、駄目なんですね。
仮に外から入って行ったにしても、一般の大衆が立ち上がって集会をやるとかデモをやるとか、そんな状況にはなってないんですね。

何でなってないか?と言うと、頭の中おかしいとかそういう事じゃなくて、お腹が空いておってはそりゃ人間自分の命を支える事を最優先しますから、物理的に難しいんです。
結局軍なんです、問題は。
そういうような状況に我々がどんどん追い詰めていく。
今その過程にある、と言うことです。

本当にアメリカが軍事的圧力をかけるのかどうか?と言うのは、そこは私自身は不透明で良く分からない。
しかしながら今のマネーロンダリングの締め上げ方を見ておりますと、それだけで留まってしまうと金正日は延命をしてしまう。
問題は抑止力の行使を使うかどうか?と言うところ。
今自身もアメリカがそこのところを本当にブッシュ政権はどう考えているのか?と言う事をよく聞いてないし、分かりません。
だけど流れは間違いなくその方向に行っていると言うことは間違いのない事で、外部からの情報の流入、これは東欧諸国・旧ソ連、これは全部外部からの情報によって動揺を来たして崩壊して行った。
言うことはこれは間違いの無い事です。

ですからこれから考えている、さっきここで結成された外からの情報を仕掛けた、脱北者が自らの体験を元にして、どのような情報を送り込む事がもっとも有効か?と言う意味では、この自由北朝鮮放送は非常に力を持つであろう。
言うふうに思っております。
ですからいつ倒れるんだ?と言う質問を良くされるんですけども、それは私に言わせると全然話が違うんだと。
いつ倒れるか?ではなくて、いつ倒すのか?という、こちら側のですね。
決意と言うか運動と言うか具体的な行動が伴わないと、やはり駄目なんですね。
放っておいて自然にあんな、言って見れば超独裁政権、超秘密警察が力を持っているところで、放っておいて自然に崩壊するなんてことはまず考えられない。

だから結局拉致(被害者)を奪還する、あるいは東アジアの平和と安定を考える。
あるいは核を持っている、ミサイルを持っている。
そういう政権をですね。
東アジアから無くして行かないと、我々の日本の安全などと言う物は全然守れないわけですから。
拉致の奪還と合わせてですね。
今あの政権をどのように私たちは対峙して、自国の我々の生活や平和を守っていくのか?
焦眉の課題になって来ていると私は思います。
そういう観点から言うと、安倍さん一生懸命やっているけれどちょっとまだぬるいよという感じは致しますよね。

しかしこういう問題は人質は向こうにいるんです。
金正日が握っているわけです。
それを握られておってこちら側が生きたまま奪還する戦いと言うのは非常に難しいんです。
言うほど簡単にですね。
ああやればいい、こうやればいいと言う様な事ではいかん訳で、最後の土壇場に行って全部自動小銃で撃たれたら元も子もないわけですから、そこを外交を含めて諜報を含めてお金を使ってどうするか?と言う事をですね。
本当に真剣に今考えていかなければいかん所だろうと、考えています。
ちょっと押しました、ごめんなさい。(拍手)
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話の花束、ぴろんさんのテキストです。

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東京連続集会17-6 (2006/4/12)

『海老原智治 救う会タイ連絡員の報告』
★西岡力氏

先ほど紹介しましたけどタイから海老原さんが来てくださっていますので、一言ご挨拶を。

★海老原智治氏

0000715m

タイの海老原です。(拍手)
タイの方では12月の国民大集会以降、その時の訪日の様子がかなり大きくタイで報道されて、テレビではここでの集会それから日比谷での集会も含めまして連日報道されておりまして。

私、社会認識と言う事で言いますと、その様な報道が出るときはパッと意識が行くんですけども、中々それが持続しない。
且つそれが国民的な支援運動につながるというのにまだまだ至っていないという厳しい状況にあります。
その様な状況から、私のような在住の日本人が、まず当初の支援運動のきっかけ作りとして果たすべき役割、これ非常に大きいと考えております。
その様な視点からですね、活動を行っております。

その前にタイ政府および社会の認識をもう少し申し上げますとタイ外務省・・・(聞き取れず)っておりますが、タイ外務省の言葉としては

「我々は北朝鮮を非難するその様なつもりは無い。北朝鮮とタイの関係は良好な物と認識している。そのためタイ政府は北朝鮮政府と協力の下にこのタイ人拉致問題という物を解決していきたい」

だからこれまでも公式にはタイ政府は「拉致」と言う言葉は使わずに「タイ人行方不明者」と言う認定をしている。
そういう状況であります。
ただし私どもに伝えている・・・(聞き取れず)状況は行方不明と言うことではなくて、強制的に拉致されたのであると言うことは政府も分かっているが言う状況ではない。
まぁそのような事であると。

社会状況としては認識はこのような事でありますが、その様な中で私どもの方はですね。
様々な拉致問題の個別の問題の調査、事実がどうであるのか?
それを集めてタイ政府に出していく。
タイ政府の判断材料とするために出していくのと同時に、そういった事の社会発信、これを重要な物であると認識しております。

それに関しましてタイ人拉致問題、今現在確実に明らかになっているのはアノーチャ・パンジョイさん一名ですけど、これの資料と言いますか精細な証言はジェンキンスさんが書きました「告白」
あれに詳細な事実があるという事で、今のところこれがタイ人拉致の根本文献、根本資料だというふうに考えています。

最近2月にこのタイ語での版権を取得しまして、現在早ければ年内にタイ語訳をタイで出版する準備を進めております。
しかし、自費出版に成らざるを得ないという事がありまして、資金的に寄付に依存するしかない。
そこでちょっと根本的なものがあるんですが、スムーズに行けば年内に出版出来る予定です。

その様な事を含めまして、拉致問題と言う事が個別の行方不明事件なんていうことではなくて、北朝鮮政府の国家による犯罪行為である。
そのような犯罪行為にタイ国民が晒された、このような問題行動、これをきちんと発表して社会認識をするというのが、私どもの役割かと考えております。
特に拉致問題に関しましては、世界でもっとも詳細な情報が集まっているのはこの日本です。
それを体系的にタイに導入しましてタイ語で発信していく。
この部分が大きな役割と考えております。(拍手)

★西岡力氏

ありがとうございます。
去年の11月でしたっけ?
11月にチェンマイに行ったんですよ、私と増元さんとで。
チェンマイ空港でですね。
アノーチャさんの家族と会えてチェンマイ空港で帰るときにですね。
知らない日本人が空港にいるんです。
それで、増元さんにサインでも求めているのかな?と思って。(笑い声)
増元さん有名になったのかな?と。(笑い声)

ずっと空港で待っていてくれたんです。
チェンマイの大学の先生なんです、海老原さん。
日本語を教えてらっしゃってタイ語の研究家でいらっしゃるんですが、タイ人の奥さんを持ってらっしゃってチェンマイで教えてるんですが。

放送か何かで増元さんがチェンマイに来ているという事だけ分かったと。
何時の飛行機に乗るか分からないけれど、空港にいれば会えるだろうとずっと待っていてくださって、飛行機の時間までちょっとしかなかったのでちょっとだけ話をして名刺交換をして、「何か出来る事があったらやります」と言ってくださって、タイでも衛星放送を見て拉致被害者の家族の訴えをずっと聞いていたと。
「何か出来ることがあればやりたい」と申し出てくださって、それで12月にアノーチャさんの家族を呼んだときも一緒にタイから来てくださって。

我々タイ語の通訳をどうしようか?と思ってたんですが、言語学者ですから。
自分から来てくれたんで、尚且つあそこは方言があるんですよね?
だからなかなか普通のタイ語の通訳では大変だったと思うんですが、方言の研究をしている方が自分で来て下さったので助けて頂いて。
今度は日本語の資料をタイ語に翻訳すると言う作業をして、タイで活動をしてくださっているという事で。
こういう人がどんどん出てきて世界の拉致が今広がってきていている状況であります。

後30分くらいありますけど、金聖民さん折角来てくれましたから、・・・・(聞き取れず)の話を。

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このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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東京連続集会17-7(2006/4/12)

『金聖民 自由北朝鮮放送代表のお話 その2 通訳:西岡力氏』

★西岡力氏

今せっかく来ていらっしゃいますから、脱北者同士会の会長でもありますので。
脱北者の人たちが来ると会うわけですね。
最新の北朝鮮の内部情報をたくさん持ってらっしゃるので、北朝鮮が今どういう状況にあるのか?
特に北の住民の人たちが今どんな事を考えているのか?
あるいは金正日政権の状況はどうなのか?と言う事をちょっとお聞きしたいと思います。

★金聖民氏

脱北者の中でも私どもの団体は、最近の北朝鮮の情報を多分一番良く知っている団体のひとつではないかと思います。
私たちは実は一週間に一回、北朝鮮の内部に電話をしています。
そして、「今ラジオが聴こえるか?」とか「最近起こったことは何か?」と言う事を聞いています。

それはどうして可能なのか?と言いますとですね。
北朝鮮の国境地域は中国の携帯電話が使えるわけです。
ですから時間の約束をして、こちらからかけるわけには行きませんけども、向こうからかけて来るんです。

最近国境警備隊が国境警備している姿を隠しカメラで撮った映像、あるいは脱北してきた人たちを取り調べて殴っているような映像を入手して我々のHPで公開した事があります。

昨年まではですね。
北朝鮮の幹部たちに対する教育資料として、講演記録と言うのがあるんですね。
それが文章で対外秘で幹部たちが読んでいる。
その本がそのまま外に出て来ていて、それをソウルで入手したり日本で入手したりしていたんですが、今年になってからはですね。
その物じゃなくてそれをデジタルカメラで写してチップで持ち出されて、どんどん内部の情報が外に出ている。

今日は日本のテレビ局もたくさん来ていらっしゃるようですが、最近の状況はですね。
ただ北の状況を写して来いと言うのではなくて、こういう場面をこういう目的でこういうのを撮って来てくれと注文が出来るような状況になっている。(笑い声)

なぜこの話をするのか?と言いますとですね。
北朝鮮の民心が大きく変わったと言うんです。
お金さえ出せばなんでもするようになった。
お金さえ貰えばどんな事でもすると言うふうに北朝鮮は変わってきたと言う事です。
今、例えば北の内部で売春が行われていて、その売春の場面まで直接外に出てきている。

しかし、皆さん方に理解して頂きたい事はですね。
お金さえ払えば何でもやる。
注文してくださいと言う北朝鮮の人たちに、政治的に「お前たちは統一の為に何か組織を作っちゃえ」「活動してみないか?」と言うと、やらない。

北朝鮮の住民はですね。
人間が二つに分かれている。
こちら側の頭ではですね。
金正日が配給をくれないんだから、生き残らなくちゃならないんだから金になることはなんでもやる。
考えているんだけど、こちら側では「お前、統一の為に何かしないか?政治的な事を何かしないか?」と言うとですね。
向こうは「スパイをやれと言う事か?」という事になるんですね。
それは絶対にしない。

今混乱期だと言えると思いますけど、北朝鮮の住民一人一人がですね。
南と直接連携が出来るパイプを持つ事が出来るようになるならば大変な事が起きるから、今それが無いからこのままでいると。

北朝鮮の例えば軍の将軍たちの中で、金正日が政治を失敗していると。
このまま行ったら長くは持たないと言う事を分かっている人は大変多いと。

そしてその様な人たちはですね。
南の情報も皆入手して見ているので、南の政権が先行きの無い北の政権を今支えていると言う事まで知っていると。

その様な人たちからすると韓国はもう絶望的だと。
アメリカに期待をかけているんだけど、それにつながるラインを探せないんだと。
日本はどうか?と言うとラインが無いと。
彼らの中で実は外につながりたいと思っている人が必ずいると私は信じている。

その様な人たちに対してですね。
私たちの脱北者の放送や、あるいはアメリカがやっている「ボイス・オブ・アメリカ放送」や「自由アジア放送」は、その様な人たちに窓口の役割を果たす事が出来るんじゃないか?と私は思っています。

実はですね。
ここでは拉致問題に皆さん関心がありますから拉致問題についてお話を申し上げるんですが、先ほど記者会見でも申し上げたんですが聞いてらっしゃらない方もいるので繰り返しになりますが、1994年ごろですね。
中朝国境地域、とくにヘヨン(?)辺りでですね、ある口コミの噂が広まったんですね。
日本人はねずみの尻尾が好きだと、高く買うと、ねずみの尻尾は精力剤だと。
高く売れると言う噂が広まってですね、国境地域にねずみがいなくなってしまった。
皆がねずみ捕りに走った。

そして今ラジオ放送を通じて、西岡先生がソウルに来て北朝鮮に対して拉致被害者の情報を出してくれれば報償すると、お金を払うと言っている。
そういう噂がパッと広がるとですね。
私は多分物凄い数のいろんな情報が出てくると思います。
多分偽物もたくさんあるでしょうけども口コミでそれが広がると、情報が出てくるんじゃないかと思います。

先ほど申し上げたんですが中国の中で捕まって刑務所に入っている脱北者が、中国の刑務所ってラジオ聴けるんですね。
やる事ないですからラジオばっかり聴いている。
それで直接国際電話で金さんの所へ電話がかかってきて、日本人の拉致被害者の写真と日記を持っていると言って。
それで私(=西岡)の電話を教えて私が電話を取ったんですが、どう判断して良いのかが分からなくて、日本にも領事館はあるからといって領事館の電話番号は教えてそことやってくれと言ったんですけども、もちろん確認しなきゃいけないので本当かどうか分かりませんけども、しかしもうすでにそういう反応が出てきている。

心理戦であると思うんですけどね、こういう事は。
北朝鮮の人たちは拉致の話を聞けばですね。
罪のない日本人が拉致されているという話を聞けば、それは自分がやった事ではないにしても、申しわけないと言う気持ちは北朝鮮の人間にも出てくる。
特に血縁関係の、家族が家族を探していると言う、日本の家族の直接の訴えを朝鮮の人たちが聴くことが出来ればですね。
絶対に感じる物があるはずだと。
それを普遍的な人権とか人間の良心とか言いますけども、そういう事に訴える訴えを継続してやっていけばですね。
少なくとも日本人に危害を加えようとしないで守ろうと言う心を持つんじゃないかと。
北朝鮮の人たちも人間です。
酷い状況におかれていますし、ひどい事もしているわけですけども、しかし心が通じる人間だと訴えたいと思います。

北朝鮮ではですね。
昔は北朝鮮の人間は純真だと言ってたんですけども、それは無くなりました。
お金のためなら何でもやると言う風に変わってしまいました。
最近も電話で内部から聞いたんですが、国境警備隊で長い事勤めていて金を大変集めた兵士が軍の保衛隊ですから憲兵隊ですね。
憲兵隊の部長の家を買ったんです。
兵士が憲兵隊長の家に住んでるんです。
お金で買える。
それが発覚して処罰されたんです。
お金があれば憲兵隊長も家を売っちゃうんです。

北朝鮮はそれくらい混乱しているんですけども、しかしまた金正日は譲歩しようとは思ってなくて、自分の後継者を息子にしようとしている。
鉄のような統治を続けようとしているんです。
代を世襲で。
そういう非正常な北朝鮮に対してその政権を倒すという事が北朝鮮の人民を助ける事になり、拉致問題解決の究極の目標ではないかと思っているんですが、そのために出来る限りの事を皆がそれぞれやるべきだ。
ラジオ放送であればラジオ放送であると。
拉致被害者救出運動は救出運動、それぞれがそれぞれに出来る限りの事をやって北朝鮮に働きかけて、政権を倒す事を目指すべきだと思っています。

ですから私は金正日政権と北朝鮮の人たちは分けて考えなくちゃいけない。
そして金正日政権を倒すためにはどんな手段方法を使っても良いと思います。
それは私たち脱北者皆の考えです。
ですからラジオを今一応やってますし、またある脱北者の団体は北朝鮮にビラを気球で落とすという事をやっています。
またある団体はですね。
日本で本の出た「金正日の料理人」と言う本の写真だけをですね。
出版社と新しく契約して、あの写真を見れば金正日と言うのはこういう男だったのかと、すぐに分かるわけです。
それを濡れても大丈夫なようにコーティングして北に送ると、言う作業をしている。
それで、昔はビラをやったりそういうことは韓国政府がやっていたんです。
しかし韓国政府がやらなくなったから、脱北者がやってるんです。

ですから自分がやろうと思った事は最後まで粘り強くやって行かなくちゃいけないと思っています。
さきほど私は大変だと自分が殺されるとちょっと弱音も吐きましたけども、しかし決意を固めて仕事をしていけば実は韓国社会の中にも同志は多いと。
多くの方が支援をしてくれていると、友達もたくさん出来たと。
同志が増えていると言う事を報告したいと思います。

私は普通の脱北者です。
北にいたら黄長ヨプ先生に会うことが出来なかったような立場です。
しかし脱北者として来て、黄先生にマイクを突きつけて録音お願いしますと言えると。
あるいは今私たちの放送に出てくれている康仁徳・統一部前長官とか、李東○(複の扁を香に)前国会議員とか趙甲済・月刊朝鮮の前編集長とかそういう人たちが大変有名な人たちばかり。
しかしそういう人たちが私たちを助けてくれるのは、この放送に意味がある。
そして私たちは最後までやろうという決意を意気に感じて助けてくれているのだと思う。

また私は脱北者ですけどもこちらに出てきて、日本は私たち北に住んでいた人よりも北の内部の事をいろいろ知っているんだそうです。
・・・に会ってみて、あるいはジャーナリストに会ってみてそんな事も感じています。
そういう人たちがラジオに出て下さって北朝鮮にアピールする事もまた意味があるんじゃないかと

実はあそこにいる二人の女性、(控え席にいる女性二人、立ち上がって会釈)韓国人なんですけども、韓国で自由北韓放送をボランティアとして手伝っていて、二人とも梨花女子の大学院の北韓学科(?)マスターコースを終えた方であちらの方は日本人と結婚して今日本に住んでいらっしゃって、こちらの方は一ヶ月前に慶応大学に留学に来たんです。
こういう人たちとも私は運動する事によって知り合いが出来て、日本でも私たちを助けてくれています。
そして最後に申し上げますけども、私たちはこの問題を解決するには金正日政権を倒すしかないと思っています。
2400万の北朝鮮の住民を助ける道、そして皆さん方が本当に心から望んでいる拉致被害者を全員取り戻すためにも金正日政権を倒すしかない。
それが究極の目標だと思っておりまして、そのためには私どもは出来る限りの努力を今後もしていくことをお誓いして、そしてそのことの中で、小さいけれども確実な何かの成果を上げたいと思っています。
成果を上げた時は是非拍手を送ってくださるかと思います。
ありがとうございました。(拍手)

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東京連続集会17-8(2006/4/12)

『質疑応答 通訳:西岡力氏』

★質問者 増元照明氏

ありがとうございました。
ひとつだけ、日本の政治家の中にも国民の中にも、北朝鮮が崩壊した時日本に300万人の難民が来ると言っている方がいるんですが、実際北朝鮮が崩壊した時、難民が来ると思われますか?

★金聖民氏

そういう話は実は東京に来て初めて聞きました。
中国に逃げるだろう、韓国に逃げるだろうと言う話はありますが、初めて聞いたことなので今瞬間的に思っていることですけど、瞬間的に考えてお答えするんですが、殆どそういうことは無いんではないか?と思います。
ただ、無視できない点があるとしたら、北朝鮮の人間は日本が世界で一番暮らしやすい金持ちの国だと思っています。
在日朝鮮人がいろんな物資を持って来ているので、それで日本が豊かだと言う事は皆知っている。
ロシアの材木伐採工で行って帰って来た人間とか、ドイツに行って帰って来た人間とかいますから、いろんな国の状況を知っていますけど、その中で日本が一番豊かでいい国だと思っているんです。
だから混乱などでどこか行こうと思ったら、日本に来る可能性はゼロだとは思いませんが、船に乗ってまで来られるだろうか?と。
そういう事を考えると日本に難民がたくさん来ると言うのはちょっと考え難いんじゃないか?と思います。

★質問者 本田勝氏

0000717m

お聞きしたいんですけども、脱北者の方は貴重な人だと思うんですけども、まして軍隊にいたという事なので。
私の妹、田口八重子は蓮池さんの情報ですと、軍隊の組織「敵工地」と言うところに所属して、そちらの方でどこか別のルートにいると言う話を聞いておるんですが。
その敵工地と言う組織その物は何なのでしょうか?

それからもう一点、私の妹八重子は軍の移動中の車両と交通事故で、北朝鮮で言えば民間の車とぶつかって交通事故を起して死亡したと言われているんですが、軍の移動中と言うのはそういうことは起きるんでしょうか?

★金聖民氏

第一の質問ですが、敵工地ではなく敵工局だと思います。
敵工局というのは軍の組織であります。
それは朝鮮人民軍の総政治局の下にある直属の機関です。
軍の組織は総参謀部と総政治部の二つの組織に分かれるわけですけども、総参謀部は軍の編成上の空軍とか陸軍とか海軍とかがそこに所属していますが、政治ラインの総政治局のすぐ下に敵工局と言う組織があります。
一般の北朝鮮の人間でも敵工局と言う組織があるということは知っていますけども、そこが何をやってるかはあまり良く知りません。
ただ、私たち一般の軍人が知っているのは敵工局が作っている小さな本です。
冊子です。
その冊子は宣扇(せんどう)資料という、つまり宣伝扇動の宣扇ですね。
敵に会った時に、どうやって敵に政治工作をするのか?
その要領を書いて作ってある本を作って軍人に配っている組織だと理解しています。

その中で敵と対峙した時にどのように政治武装をして相手に勝つのか?
心理戦をやるのか?と言うことが書いてあるんですが、私は日本語で一つだけ知っているのがあるんです。
「我々は朝鮮人民軍だ」と、その本の中に出てくるんです。

ですから日本軍と対峙した時に、日本軍に対してどのような言葉を言って彼らを降伏させるのか?と。
そこに日本語を覚えろと書いてあるんです。
アメリカ軍と戦う時は英語で言えと英語で覚える言葉が書いてある。

しかし敵工局でやる本当の任務は対南工作です。
ふたつあります。
ひとつはビラや物を北から南に送ってそれによる政治工作。
北朝鮮は大変経済が狂っていて餓死者が続出していて、そして闇市ではうどん一杯を食べられなくて泣いている子供たちがたくさんいた。
大変な経済危機だった97年98年でも外貨を使っていい紙を買って来て、濡れないようにコーティングをしてビラを作って南に撒いていたんです。
あるいは金正日の贈り物の時計と言うのがあって、その星印の時計や北朝鮮の一番最高級のタバコを南に撒いていたんですね。
北朝鮮の社会主義がいかに偉大な物であるかと宣伝する為に撒いたんですが、その任務を担当していたのが敵工局です。

もう一つ敵工局でやっている事は対南ラジオ放送です。
実は北朝鮮は南北長官級会談で、お互いの誹謗放送をやめようと提案して来たんですね。
北の人間が南からのラジオを聴くとショックを受けるわけです。
平凡な事実でも北の人は知らないから、大変なショックを受けて変化が起きる。
北からのラジオを南の人が聴いても何の効果も出ない。
そういう中で両方一片にやめようと言う提案をしてきたわけですけども、その北朝鮮がやっていた対南放送を担当する部署が敵工局です。

その長官級会談でですね。
お互いラジオ放送を中断しようと合意したんですが、ですから北朝鮮の代表的な対南放送「統一革命党の声放送」これは放送を中断しました。
しかしその内容はそのまま平壌放送の一部に編成されて、対南番組が平壌放送の中に生まれて、そのまま吸収されて今もやっています。
ですから田口さんはもしかしたらそのラジオ放送の部門、政治工作の部門で何か仕事をさせられているのかもしれません。

率直に申し上げますけども、交通事故はどこの国でも起きるわけです。
北朝鮮で交通事故が起きるとすると軍隊の車両と起こる可能性が高いです。
なぜなら軍隊の車両は民間の車両が来ても避けないからです。
民間の車両は逃げなければならない。
そういう事はあります。

しかし北朝鮮が今死んだと言った事を信用できるか?と言ったら、私は全く信用できないと思います。
一人一人の人たちがなぜ死んだという事になっているか?
そして墓が流れたと言って証拠が出てこないのか?
これは北朝鮮が外に出す事が出来ない重要な地位にいて、秘密を知っているからです。
特に対南工作や対日工作に関係する重要で口外出来ない秘密を知っているので、死んだと言って嘘をついているんだと言うふうに思います。
そういう点では、つまり彼らは秘密を暴露されるのを恐れているから絶対に外へは出すことは出来ない。
大変皆さんは困難な戦いをしていらっしゃると思います。

このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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東京連続集会17-9(2006/4/12)

『金聖民 自由北朝鮮放送代表のお話 その3 通訳:西岡力氏』

★西岡力氏

そろそろ時間になりました。
戦いのためには軍資金が必要でしてですね、ここの振り替えの番号が募金先の番号が書いてあります。
もちろん家族や救う会が訪米したりして通常の資金も必要ではありますけども、体を張ってラジオ放送をやってその中で日本人拉致の問題も取り上げてくれる。
今度一時間になって、毎日5分とか拉致問題の番組を作るとさっき記者会見しましたけども。
この放送局を支える為には電波はアメリカからの短波が出ますけども、家賃や人件費や制作費、そういう物が必要なわけです。
そして電波も、また北朝鮮が妨害電波を出したら2ヶ月に一回は周波数を変える事が出来るんですね。
変えて妨害電波を出す。
その瞬間だけ聴く事が出来ないと、もっと増やすと。
最後までやると言ってますので、私たちも拉致問題解決のため、北朝鮮の人権問題・北朝鮮の人民を助ける為に、私たちも参加するためにも、ぜひこの北朝鮮自由放送を支えていきたいと思います。
ぜひ皆さんが他のご協力をお願いしたいと思います。
最後に皆さん大きな拍手を。(拍手)

★金聖民氏

最後に一言だけご挨拶申し上げますと、実はですね。
私たちの放送局の活動について一番多く報道しているのは日本なんです。
NHKが私たちの事をず~っと取材してくれて、昨年衛星放送で一時間のドキュメンタリー番組を、私たちの放送局の事で一時間の番組を作ってくれました。
韓国でもやってくれなかった事を、日本のメディアはやってくださっている。
それくらい関心を持ってくださっていることに大変感謝しておりますし、今後も日本のメディアを通じて私達が苦しい戦いをしているとか、いろんな情報が出たときには脱北者も頑張っているんだなぁと、激励の拍手を心の中で送り続けていただければと思います。
私たちも皆さん方の同志として最後まで戦う決意をここで表しまして、本日は本当にありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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めぐみさん写真展、累計来場者数10万人突破

横田めぐみさん写真展、累計来場者数10万人突破(asahi.com)

 横浜市西区の高島屋横浜店で開かれていた拉致被害者・横田めぐみさんの写真展「めぐみちゃんと家族のメッセージ 横田滋写真展」(あさがおの会主催、朝日新聞社、神奈川県ASA連合会共催)が11日、閉幕した。8日間で4万648人が訪れ、昨年11月の東京・有楽町で始まった写真展の来場者の累計が10万693人になった。

 横浜展の来場者は連日5000人を超えた。10万人突破については、あさがおの会会員が横田夫妻に電話で報告した。めぐみさんの父・滋さん(73)は「北朝鮮に対していいアピールになります」と話した。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――――――――
写真展の観客動員数
―――――――――
東京・有楽町(去年11月)  19,570人
東京・立川市(今年1月)     8,304人
新潟市(今年1月)       25,162人
群馬・高崎市(先月)       7,009人
横浜(今月)           40,648人
――――――――――――――――――――――
合計               100,693人

記録としてこの数字を残しておきます。

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2006年4月11日 (火)

北朝鮮が厚顔無恥な報道

北朝鮮が厚顔無恥な報道
―――――――――――――――――
在京の朝鮮中央通信社の論評の全文
―――――――――――――――――
■「拉致」騒動は自民党選挙のための欺まん策
 日本の極右保守勢力がすでに解決済みの「拉致問題」を引き続き持ち出し、米国の反共和国策動に積極的に追従している。

 彼らは、自民党が承認した「北朝鮮人権法案」を国会に提出するだの、パンフレットを改訂して米国に送るだのと騒ぎ立てている。

 さらには、当局を通じて高等学校の教科書に日本人「拉致」を過去形ではなく、現在形にねつ造して記述した検定結果まで発表した。

 これと同時に、共和国の海外同胞組織である在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の弾圧、迫害に国家権力をためらうことなく動員している。

 諸般の事実は、米国を後ろ盾にしている日本の極右保守勢力の反共和国ヒステリーが頂点に達しており、彼らが「拉致問題」をわれわれに対する排外主義的感情と国粋主義の鼓吹に悪用していることを示している。

 これに、海上「自衛隊」がこのほど、わが共和国に反対する核戦争演習を参観し、米軍の作戦理念を学んだ事実まで加えれば、問題の重大さがいっそう浮き彫りになる。

 問題は、最近、日本の極右保守勢力が反共和国ヒステリーの度をいっそう強めている背景である。

 結論から言えば、そこには「拉致問題」の解決と何の関りもない汚わらしくて醜悪な政治的謀略が潜んでいる。

 彼らの「拉致」騒動は、地域諸国から日増しに孤立し、排撃されている窮地から脱しようとするたわいない妄動であり、自民党総裁選挙を控えて政治的人気を獲得しようとする欺まん策の延長に過ぎない。

 かつて、イラクで自国民を救出したことを大げさにけん伝し、その茶番劇の裏で数人足らずの彼らに金を払えと要求する幼稚な行為もためらわなかったのがまさに、欺まんと謀略のベテランである日本の当局者、極右保守勢力である。

 このような連中がいくら「拉致問題」を取り上げて「人道主義の化身」を自称しても、それは政治小者特有の汚わらしい「劇場政治」、三文劇に過ぎない。

 同時にそれは、固執はしていても無分別であり、空元気はあっても定見のない連中が政界を牛耳る現代日本の残虐な悲劇である。

 こんにち、堕落し切った日本政治の保守化、右翼化は日本と隣国間の関係を最悪のどん底に追い込み、これにより日本政界の「元老」と言論界でも、このような無知な連中に政治を委ねることはできないという声が日増しに高まっている。

 日本の極右勢力が内外の危機からの活路を軍国化と戦争雰囲気づくりに求め、「拉致問題」をそれに悪用しているのは日本の未来に極めて有害なことである。

 現実を直視できる日本人であれば当然、表では国民のために行動しているように振る舞い、実際は国民を害して自分らの政治的利益だけをむさぼろうとする連中の無謀なヒステリーに巻き込まれてはならない。
――――――――――――――――――――――――――

このような報道に、どれだけの在日朝鮮人の方がついていくのでしょう?
断末魔ともいえる、呆れた評論を、記録として残しておくことにします。

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2006年4月10日 (月)

「母が拉致されたとき 僕はまだ一歳だった」

漫画アクションに、飯塚耕一郎さんの
  ―――――――――――――――――――――――
   「母が拉致されたとき 僕はまだ一歳だった」
  ―――――――――――――――――――――――
の連載が始まりました。



耕一郎さんの気持ち
参照


第一回「大韓航空機爆破事件」の冒頭のことばです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  蓮池透氏は『奪還』において、
  “弟の拉致”を怒りを込めて語った。
  横田滋・早紀江ご夫妻は、
  『めぐみ』において、
  “娘の拉致”を悲しみをこらえて語った。
  そして本編において、
  田口八重子さんの息子、
  飯塚耕一郎氏が、“母の拉致”を語る。
  そこに去来する想いとは・・・!?
  「大韓航空機爆破事件」「拉致事件」
  という未曾有の国家犯罪に
  巻き込まれた家族を描く、
  漫画アクション発
  北朝鮮拉致事件 ドキュメンタリー第三弾

『母が拉致されたとき 僕はまだ一歳だった』

 原作・監修/飯塚耕一郎
(北朝鮮による拉致被害者家族会)
 作画・構成/本そういち


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

耕一郎さんは、未だに本当の母田口八重子さんに「お母さん」と呼びかけたこともなく、
一度も、母の日に本当の母、田口八重子さんに、カーネーションを渡す幸せも味わっていません。
自分が生きてきた年月全てを、母田口八重子さんは、北朝鮮にとらわれている。
幼く別れた我が子のことを想い続け、妊娠線をみせて、日本に帰りたいと訴えた八重子さんを、日本という国は、未だに救い出すことができない!

母を知らずに成人した二人の子供のよりどころのない不安感を想うと、私には言葉がありません。
彼の心底からの叫びを、どうか皆さんにも聞いていただきたい。
漫画アクションを見かけたら、是非このページを開いてください!

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北朝鮮をめぐる昨今の動きについて

[調査会NEWS 355](18.4.10)より

■昨今の動きについて
              荒木和博

 6カ国協議もどき(?)や韓国人拉致被害者とのDNA鑑定の照合の問題など、最近様々な動きが出ています。もし第3次小泉訪朝があるならばGWの前後に発表されるのでしょうし、一方で北朝鮮では3月の張成沢(金正日の義弟)訪中など、中国の介入がさらに強まっていることが分かります。偽札問題を中心とした米国政府の北朝鮮への圧力、胡錦涛訪中など、変数が非常に多いため、なかなか予測は難しいというのが正直なところです。もちろん、おわればどうにでも言えますが。

 はっきり言えることは、マスコミへのリークであれ何であれ、1人や1国の意向だけで動いているのではないということです。1世紀前もそうだったのですが、周辺大国の思惑や、それぞれの中の力関係が影響して、結果が出ていくため、台風の進路を予測するような感じではないかと思います。

 一見一枚岩のように見える中国でも、胡錦涛の勢力と江沢民らの勢力の葛藤もあるでしょうし、おそらくはそれらがさらに複雑に分れ、絡み合っているのだと思います。米国もしかり、日本も首相官邸と外務省と警察と議会と…というように、様々な動きの結果として現実が動いているのだと思います。

 ただ、状況は1世紀前と同じように、当事者である朝鮮半島の2つの政権、特に一番の主役であるはずの北朝鮮が当事者能力を失い、周辺の大国(ロシアは今余り関係ないので日米中の3国)のプレゼンスだけが大きくなっているのではないでしょうか。青木直人さんの著書『北朝鮮処分』の中には、処分される北朝鮮の話がほとんど出てきませんが、まさにそういうことかなと思います。

 今回日本にやってきた北朝鮮の代表団は、13日午後に朝霞にある陸上自衛隊の広報センターを見学するのだそうです。理由はよく分かりませんが、折角ですから、目の前で拉致被害者を救出する訓練か、特殊部隊を制圧する訓練でも見せてやったらいいと思います。防衛庁長官も、滑走路の方向をどうするかで頭を悩ませているより、気分転換を兼ねて気合いを入れたらいいのでは。いずれにしても、自己認識はともかく、日本の存在感が色々な意味で高まっていることは間違いありませんし、そうしていかなければならないと思います。

 蛇足で一言。キム・ヘギョンさんの父親が韓国人拉致被害者である可能性は高いようです。もちろん、確率の問題ですから最後まで100%とは言えないですし、私たちは山本美保さんのことがありますからDNAと言われても「はい、そうですか」と信頼することはできないのですが、親しかったはずの蓮池薫さんたちは少なくとも、この結果を裏づける、あるいは否定する情報をもっているはずです。ここまで話が煮詰っているのですから、一言マスコミに語ってくれてもいいような気がするのですが。

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(1)

ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」
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 第二集「隠された世襲」
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NHKスペシャル
『ドキュメント北朝鮮第二集』を文字化しました。

~導入~
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

第二集「隠された世襲」
 

 ◆映像:2006年2月13日祝賀行事の模様

 金正日将軍祝賀を受けたまえ、 栄光をうけたまえ

今年2月、金正日総書記の誕生日を祝う式典です。

64才を迎えた最高指導者は今年も姿を現しませんでした。

金正日総書記は父キム・イルソン(金日成)の後継者として早くから権力の階段を登ってきました。しかしどのように台頭してきたか、その課程は一切明らかにされていません。

その肉声が長く西側に伝えられることはなく、謎の指導者とされてきました。

今回私たちは北朝鮮の権力継承の課程を記録した新たな資料を発見しました。
1500ページにのぼる旧東ドイツの秘密文書です。
平壌に駐在していた外交官達が独自に情報を収集し、その動向を追い続けていたのです。
  ◆映像:東ドイツ関係者の写真

沈黙を続けてきた旧東ドイツの関係者達が今回初めて証言しました。

<元東ドイツ 党国際関係部の関係者の声>
『私たちは社会主義国の中で親子で権力を継承することは
           あるまじきことだと考えていました。』

<ナレーション>
ドキュメント北朝鮮第二集
社会主義国としては前例のない世襲をいかにして成し遂げたのかに迫ります。

タイトル
第二集「隠された世襲」

1970年代、社会主義国の指導者が平壌を訪れたときの映像です。
北朝鮮は社会主義陣営の一員として東側の国々と友好関係を結んでいました。

北朝鮮の建国後、いち早く国交を結んだ東ドイツ。
最高指導者、ホーネッカーはキム・イルソン(金日成)と兄弟と呼びあう仲でした。

平壌にあった東ドイツ大使館です。(大使館の映像)
東ドイツは、同じ分断国家として北朝鮮の行く末を注視してきました。

ピョンヤンに駐在していた外交官の多くが旧東ベルリンで暮らしています。
当時の名簿が残されていなかったため、私たちはおよそ一年かけて彼らを捜しあてました。

クラウス・バーテル(元東ドイツ 副大使)73才です。
1963年から計10年間平壌に駐在し副大使も務めました。、
これまで自ら収集した北朝鮮の情報について一切明らかにしてきませんでしたが、今回初めて取材に応じました。
バーテルは国費留学生として、金正日総合大学で学んだ最初のドイツ人です
大使館では朝鮮労働党の権力構造を分析していました。
しかし友好国の外交官であっても、情報収集は困難を極めたといいます。

――バーテルの証言――――――――――――――――――
全てが秘密でした。
北朝鮮では国家の方針で外国人には情報を明らかにしない、
秘密主義をとっていました。
そうした彼らの態度を私たちは腹立たしく思っていました。
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:旧社会主義国の平壌駐在外交官の写真

<ナレーション>
ソビエトやルーマニアなど、平壌に駐在していた社会主義国の外交官です。
バーテルは互いに得た少ない情報を交換しあうことで、北朝鮮の動向を把握していました。

60才を迎えたキム・イルソン(金日成)です。
憲法を改正し、最高指導者である首領としての地位を確立しました。
その絶対的な権力を誰が引き継ぐのか、バーテルは強い関心を持っていました。
キム・イルソン(金日成)が親族を重要な役職に就けていたことに、バーテルは注目しました。

当時作成した秘密報告書です。

◆バーテルの報告書―――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)の弟にキム・ヨンジュがいる。
彼は党の政治委員会の委員、中央委員会書記、組織指導部長などの
要職をを歴任している。
彼の序列は六位である。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
バーテルはキム・ヨンジュをキム・イルソン(金日成)の最も有力な後継者と見ていたのです。

◆バーテルの証言――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は北朝鮮という国を自分の作品とみていました。
死んだ後に自分の作品がどうなるのかと、自問自答していたのでしょう。
そして自分の作品を継ぐ人物は信頼できる家族以外ありえないという結論に達したのです。
私たちはそう考えていました。
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
報告書はキム・イルソン(金日成)の息子については短く触れているだけです。

◆報告書――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)に息子がいる。
彼はキム・イルソン(金日成)の秘書であり、
同時にキム・イルソンを警護する部隊の部隊長である。
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
その名前すら記されていませんでした。

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――
金正日が後継者になるとはまさか想像もしていませんでした。
彼の方法は少なく後継者として議論にも登りませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

報告書は東ドイツをひきいるドイツ社会主義統一党の本部に送られました。
ベルリンでこの報告書を受け取ったのが、国際関係部のホルスト・ジーベックでした。
ジーベックは北朝鮮との外交を19年にわたって担当し、朝鮮労働党と太いパイプを持っていました。

  ◆映像:ドイツ社会主義統一党の建物

◆ホルスト・ジーベックの証言―――――――――――――
私たち社会主義国では、親子の権力継承はあるまじき行為と考えていました。
社会主義者における後継者とは、国家にとって、
政治的に最も能力のある人物が選ばれるべきだと考えていたからです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
前例のない権力の世襲。
その準備は、すでに始まっていました。
60年代前半軍を視察する親子です。(視察する親子の写真)
キム・イルソン(金日成)は息子が20代の頃から、軍や党の視察に頻繁に同行させていましたが、常に秘密にしていました。

アメリカ

当時の金正日総書記を知る人物がアメリカに住んでいることがわかりました。
キム・イルソン(金日成)一家の家庭教師を務めていた、キム・ヒョンシク(キム・イルソン家族の元家庭教師)です。
亡命後2003年、アメリカに移り住みました。
平壌の大学教授だったキムヒョンスクはキム・イルソン(金日成)の家族にロシア語を教えていました。
若き金正日総書記を直接言葉を交わした貴重な証言者です。

◆キム・ヒョンシクの証言―――――――――――――――
彼は大学に入学したときから、キム・イルソンの後継者は自分だと考えにに熱心に尽くしていました。
キム・イルソンが朝出勤するときは、靴を履かせて車に乗せ、夜帰宅するときは、必ず出迎えました。
外国に行くときも同行し、随行員が十分に父を世話していないと強くしかっていました。
キム・イルソン(金日成)もそうした息子に満足していました。
―――――――――――――――――――――――――――
  
◆映像:キム・イルソン(金日成)インドネシア訪問の時の写真、※金正日が同行し共に写っている

<ナレーション>
ソウルにも若いときの金正日を知る人物がいます。
キム・イルソン総合大学の総長を務めたファン・ジャンヨブです。
97年韓国に亡命しました。
後に国際担当の書記となったファン・ジャンヨブは亡命した幹部の中で最も地位の高い人物です。

◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――
彼は大学に入る前から、『自分は政治家になる。政治は父、キム・イルソンから教えてもらう』
とはっきり言っていました。
金正日が少しでも権力を握ると、叔父のキム・ヨンジュを追い出すかもしれないと考えました。
しかし、権力の世襲をするとは、まさか想像もしていませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の家族に関する報告書を書いた翌年、バーテルはキム・ジョンイル(金正日)という名前を特定し、その台頭についてはじめて報告します。
ハンガリー大使館からもたらされた情報でした。

◆バーテルの報告書(1973年10月1日作成)――――
労働党の総会で人事が議論され、金正日の昇格が取り上げられたとの未確認情報がある。
その情報によれば、金正日は党中央委員会の要職に付き、更に、宣伝扇動部の責任者になった。
―――――――――――――――――――――――――――

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――
この情報で、はじめて金正日が党内でその地位を高め始めていると認識しました。
彼が次第に影響力の大きい役職に就いていくと考えました。
後継者として作られていくかもしれないと、我々は予測したのです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
73年9月、キム・イルソン(金日成)は息子を党の宣伝扇動部の責任者に就任させました。
三〇代前半の姿です
当時彼の活動は外部に一切伏せられていました。
宣伝扇動部は国民の思想統制を担う重要な部署でした。

 ◆映像:1970年代に傍受された北朝鮮の映像

70年代韓国で傍受された北朝鮮の映像です。
宣伝扇動部が進めた思想教育が記録されています。
忠誠心を養うために少年達は、10日以上かけてキム・イルソン(金日成)が少年時代歩んだとされる道を辿らなければなりません。

  ――◆思想教育映像のこどものことば―――
     敬愛するお父さん
     キム・イルソン様を敬い
     私たちは忠誠の心を込めて
     最大の栄光と感謝をささげます。 
  ――――――――――――――――――――

  ◆映像:マスゲームの記録

<ナレーション>
強化されたのがマスゲームです。
これは1958年のマスゲームです。ソビエトのカメラマンが撮影しました。
キム・イルソン(金日成)が北朝鮮に採り入れたマスゲーム。
当時子供達の動きは、単純で、機敏な動作もありません。
全体の統制も取られていませんでした。

しかし70年代、大きな変化がみられます。
マスゲームはキム・イルソンへの忠誠の証と位置づけられ、数万人の子供が、一糸乱れず動くよう命じられました。

当時マスゲームに参加した人の証言です。
2000年韓国に亡命しました。

◆マスゲーム参加者の証言―――――――――――――――

当時のマスゲームの訓練は本当に厳しいものでした。
私は背景版を担当していました。
訓練中はトイレに一切行けません。
ビンに用を
足さねばなりませんでした。
半年間 勉強は全くできませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

◆キムヒョンスクの証言――――――――――――――――

背景版で最も難しいのが、キム・イルソン(金日成)の顔の部分です。
担当する子供達は死ぬ思いで練習します。
失敗してキム・イルソン(金日成)の顔を汚すと家族全員が処罰されるからです。

金正日が思想統制を担当してから、
国家全体、人民の全てがキム・イルソンに対する崇拝を強化しました。

国家体制はこのようにして作られていったのです。
―――――――――――――――――――――――――――

;ナレーション;
70年代中頃に撮影されたとみられる金親子の映像です。
キム・イルソン(金日成)は宣伝扇動部での息子の実績を認め、更に重要なポスト、組織指導部の責任者に抜擢します。

親子間の権力の継承はこのときから本格化していきます。

朝鮮労働党の機関誌『労働新聞』です
  ◆映像:労働新聞の写真。

1974年2月14日、これまで使われたことのない表現が登場しました。
<党中央>、キム・イルソン(金日成)を指す<首領>と並べて用いられました。、
その後党中央の名前で党の重要な指示が出されるようになります。

このころの金正日総書記です。

◆映像:金正日の当時の映像

<党中央>の表現が登場した直前、キム・イルソン(金日成)主席の後継者に選ばれたとしています。
しかし、当時その決定は明らかにされませんでした。

東ドイツも権力継承の動きはつかんでいませんでした。
文化担当官として大使館に勤務していたヘルガ・ピヒトです
ピヒトは60年朝鮮語を学ぶためキム・イルソン(金日成)総合大学に留学、後にホーネッカーの専属通訳を務め、キム・イルソン(金日成)との首脳会談には、すべて立ち会っています。

◆ヘルガピヒトの証言――――――――――――――――――

<党中央>とは不思議な表現でした。
私たちは当時、党の中心部と言う意味ではないか、
または党中央委員会の省略した呼び方ではないかと考えました。
それが一人の人間を指すとは、夢にも思いませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――

何故<党中央>という表現を使い、後継者の決定を明らかにしなかったのか?
キム・イルソン(金日成)の側近だったファン・ジャンヨブは、他の社会主義国を気にしたからだと言います。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――
社会主義、共産主義を掲げる指導者が、世襲で権力を息子に譲る。
これでは完全に封建制のやり方です。
だから公にすることはできなかったのです。
息子への後継は、既成事実として着々と進めていました。
どうしてそうしたことを表に出せるでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――

このころの金正日総書記の発言をまとめた資料を入手することができました。
労働党の幹部だけに配付されていた内部資料です。

  ◆映像:“キム・ジョンイル 主体革命偉業の完成のために”という文書の画像

そこには、組織指導部を率いる立場から党の幹部に行った講演が記されていました。

◆全国党組織幹部講習会での発言(1974年8月)――――――

党中央の意志はすなわち首領様の意志である。
そして党中央の指導は、首領様の指導を実現するためのものだ
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首領であるキム・イルソン(金日成)と同じ権威を持ち、後継者としての活動を始めると宣言したのです。
キム・イルソン(金日成)は息子のライバルであったキム・ヨンジュを政治の表舞台から追放します。
党の実権を掌握した父と共にその支配を国の隅積みまで広げていきます。

  ◆映像:スローガンの書かれたプラカードを持って行進する市民

当時北朝鮮では新たなスローガンが掲げられました。
キム・イルソン(金日成)は生産性を上げるため、思想や技術などの刷新をはかるように指示しました。
大学を出た20台を中心に<三大革命小組員>と呼ばれる若者が全国の職場に配置されました。
しかし、彼らには別の使命が与えられていました。
国内全ての生産現場で党や、警察とは異なる独自の監視網を作ることでした。

およそ20万人の若者達が事実上、金正日親衛隊として活動しました。
地方の集団農場で活動していた親衛隊の一人です。
2002年韓国に亡命しました。
体制に不満を持つ人間を排除するのが任務でした。

◆元三大革命小組員の証言――――――――――――――――
我々は巨大な蜘蛛の巣のような存在でした。全国の農村や家庭にまで入り込み、
人々の考えていることを全て洗いだし、些細な出来事まで中央に報告しました。
<党中央>の意志に反したり、疑問を持つ人間を見つけ出し、直ちに粛正しました。
金正日は国内での権力を固める上で、我々の力を大きく利用したのです。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
次の狙いは、建国以来の悲願祖国統一に向けられました。

 ◆映像:韓国パク大統領狙撃事件(1974年8月)

韓国で革命をおこし、政府転覆を謀る対南工作。
70年代北朝鮮は、頻繁に工作活動を繰り返していました。

 ◆映像:ピストルや弾丸他、工作活動の証拠の写真~工作員の手帳

私たちは対南工作を行っていた工作員のメモを入手しました。
メモが書かれたのは76年でした。
対南工作が誰の指示で行われていたか記されていました。

―――――――――――――――――――――――――
 党が命令する任務を正しく遂行するため、
徹頭徹尾、<党中央>の指導のみに、依拠するべきである
 ―――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
指示は、党中央から出ていたのです。

七〇年代に活動していた北朝鮮の元工作員です
韓国に潜入し対南工作をする組織作りを行っていました。

――工作員の証言――――――――――――――――――――
七〇年代半ば、韓国が警備を強化し対南工作が難しくなりました。
そこで、ある命令が出されました。
『北から南へ直接侵入する工作を減らし、日本を経由して侵入する工作をふやせ』
というものでした。
日本を利用した対南工作が本格化しました。
<党中央>の指示でした。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>

77年秋から、当時は原因不明とされた日本人拉致が相次ぎます。
政府が認定した政府が認定した被害者は16人に上ります。

北朝鮮の工作員が日本人になりすまして韓国に潜入するために、日本人のパスポートや日本語の教師が必用となり、拉致が行われたと見られています。

70年代後半、日本で対南工作に関わっていた在日朝鮮人に接触することができました。
男性は日本人の拉致には直接関係していないと言います。
日本に留学していた韓国人を北朝鮮に連れ出し、労働党から表彰を受けていました。

ドキュメント北朝鮮第二集(2)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(2)

  ◆映像:表彰された時の勲章

◆在日朝鮮人の証言―――――――――――――――――――
  金正日の指導に、これっぽっちの疑問も持たない。
  (指導は)すなわち命令、すなわち法律、
  すなわち自分の身を賭してでも成し遂げる。
  これが原則です。無条件貫徹する。
  日本人を拉致することは当たり前。
  革命のためには何でもやるんですからね。
――――――――――――――――――――――――――――

質問:日本人拉致もキム・ジョンイル総書記の指示ですか?

  ◆ファン・ジョンヨブ――――――――――――――――――――
   言うまでもありません。
  当時国内外全ての活動は彼の指示によって行われていました。
    
  ――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:2002年9月17日小泉訪朝

金正日総書記は拉致は盲動主義、英雄主義の工作員が行ったとして自らの関与は否定しています。

70年代末、板門店で撮影された写真です。
権力の世襲は最終段階に入っていました。

~ピョンヤン~
<ナレーション>
1980年、ピョンヤンでは10年ぶりの党大会が予定されていました。
党大会は労働党の最高意志決定機関です。
ピョンヤンの外交官の間では、党の最高ポストである総書記に金正日が任命され、後継者として発表されると言う観測が流れていました。

党大会の一月前、中国が後継者の選出についてある見解を発表します。
中国共産党の機関誌『人民日報』です。

  ◆映像:当時の人民日報の写真

中国が後継者の選出についてある見解を発表しました。
二日間に渡って社説を大きく載せました。

◆『人民日報』社説――――――――――――――――――――――――――――――――――

共産主義において一人の指導者が全てを決めることは封建制であり、マルクス主義に完全に反する。
個人が後継者を指定する制度は、最もあるまじき行為である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
人民日報は後継者を指名することは絶対に認められない。
国を指導する者は、優れた能力と実績が党と人民によって承認されなければならないとしたのです。

  ◆映像:第六回党大会の模様(1980年10月10日)

<ナレーション>
ピョンヤンでは第六回党大会の開催日を迎えました。
労働党の全国の代表3220人が参加し、外国からも来賓が招待されました。

公の場で外国人に姿を見せることがなかったキム・イルソンの長男、ジョンイルがはじめて登場しました。
大会では総書記に選出されませんでした。
東側が予測した後継者の発表は行われませんでした。

  ◆映像:ハンガリーの秘密文書

私たちは党大会の詳細な分析をおこなったハンガリーの秘密文書を入手しました。
大会に出席した情報員が作成したものです。

◆秘密文書―――――――――――――――――――――――――――――――
共産主義初の世襲政権、キム王国が成立するという予測はうらぎられた。
総書記に選らばれなかった理由のひとつは中国にある。
人民日報が、『政権の世襲はマルクス主義に反する』と報じたためである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ハンガリーの報告から3週間後、キム・ジョンイル(金正日)が後継者になったという情報が
チェコスロバキアの大使から東ドイツ大使館にもたらされます。
労働党幹部から次のような発言を聞いたというものです。

◆労働党幹部の話―――――――――――――――――――――――――――

金正日は優れた指導力を備え、党を指揮する才能を持つ。
彼はこれまで中央と地方の党機構を指揮・管理し、大きな実績を積んでいる。
労働党と人民はこの指導に納得し、運命を託した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

すぐれた能力を理由に党と人民が指導者として選んだという説明でした。

◆クラウス・バーテルの証言――――――――――――――

彼らのやり方でした。
重要な決定の通達にはこうした手段を使っていました。
外交官の一人に話せばすぐに広まることを知っていたのです。
――――――――――――――――――――――――――

これが北朝鮮による後継者の発表と考えたバーテルらはベルリンに打電しました。

しかしベルリンでは指導者としての資質に疑いの目を向けていました。

~ベルリン~

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――
金正日の能力に関する北朝鮮側の表現があまりにも大げさでした。
金正日はすぐれた能力を持っている。
党を指揮する才能があるなどと理由を挙げています。
しかし、どれ一つ事実に基づいて証明されていません。
我々は不安を覚えました。
――――――――――――――――――――――――――――
  ~ソウル~
この頃、韓国と北朝鮮との間で経済的格差が開き始めていました。
韓国は70年代後半から輸出産業に力を入れ、急成長を実現。
全斗煥政権が誕生した80年。
韓国統一省は、国民一人あたりのGNPの格差は二倍と推定していました。

北朝鮮では、党中央委員会書記となった金正日同士の下、
八〇年代に先進国入りするという目標が掲げられました。

◆朝鮮中央テレビの宣伝映像――――――――――

我が党が決心すれば、できないことは何もない
党が作戦を立て 命令を下した
もはや勝利も同然だ
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
生産現場では、短期間にノルマを達成する200日戦闘が始まりました。
外国に依存せずに自力で全てを達成するという、イデオロギー主体思想が強調され、大量の労働力が投入されました。
完成した施設は積極的に海外に公開されます。

 ◆映像:市民向け健康施設、ランニングマシーンなどの映像

キューバのテレビ局に公開された市民向けの健康施設です。
当時西側で流行していた器具が設置されていました。

 ◆映像:マンギョデ遊技場
およそ2万人の勤労奉仕で作られたとされる巨大な娯楽施設
高さが20メートルもある滑り台など、西側と同じ施設だと強調されました。

83年、北朝鮮は経済成長のデータの発表を突然取りやめました。
翌年東ドイツはその経済運営を批判的に分析しました。

◆北朝鮮との貿易に関する情報~東ドイツの分析~―――――――――
 
1983年北朝鮮の国民経済に大きな問題が浮上している。
対外貿易は前年比、5~10%程度のマイナスと見られている。
北朝鮮ではイデオロギーが最優先とされている。
経済の合理性を十分に考慮しない自己中心的な運営がなされている。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
報告書は当時の東ドイツ大使の情報をもとに作成されていました。
平壌に駐在していた、カール・ハインツ・ケルンです。

◆カール・ハインツ・ケルンの証言―――――――――――――――――――――――――
 
北朝鮮の経済政策は非生産的でした。
自己の力で全てをやり通すというイデオロギー、主体思想に基づいて運営されていたのです。
その結果、経済の発展が阻害されました。
全ての国民が、自力で目標を達成できると錯覚していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の主体思想を称える高さ170メートルの塔です。
建設におよそ1万人が動員されたとされ、キム・イルソン(金日成)が生きてきた25550日と同じ数の石が積み上げられました。

  ◆画像:完成した主体思想塔を訪れる金親子(1982年4月)

このとき70才を迎えるキム・イルソン(金日成)、。
金正日同士は優れた指導力を発揮したと息子を賞賛します。

この大衆動員を可能にした理由について、東ドイツの外交官が分析していました。
軍の駐在武官ホルスト・ローマンは自ら現場を回り収集しました。

◆ホルスト・ローマンの証言――――――――――――――――――――――――

ある朝鮮人がある朝鮮人が私にこんな発言をしました。
 『よき朝鮮人は4時間の睡眠で20時間働くことができる。
     それが我々が目指すべき理想の朝鮮人である。』

思想教育の結果だと考えました。
当時この国は人口の8割が40才以下でしたが、
生まれてからずっと、思想教育を受けてきたのです。
そのため金正日の指示する党の指示に不平不満を持たないのは当然でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:オリンピック開催地決定の映像(1988年)

国際的地位の向上を目指す韓国はオリンピックの開催権を獲得します。
お論ピックの準備を進める韓国と北朝鮮との格差は83年、およそ三倍にまで拡大していました。
南の躍進に、金親子はあせりを募らせたとみられています。

  ◆映像:ラングーン事件
     ミャンマーを訪れた韓国大統領全斗煥を狙ったテロの様子。

ミャンマーを訪れた全斗煥を狙ったテロ。
全斗煥は北朝鮮と国交のあるオリンピック参加を呼びかけていました。
ミャンマー政府は北朝鮮の軍の工作員の犯行と断定しました。

東ドイツの文書は当時秘密工作はすべて金正日が指示していたと指摘しています。

2年後の85年、北朝鮮で親子の関係に変化があったとファン・ジャンヨブは証言しています。

ドキュメント北朝鮮 第二集(3)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(3)

◆ファン・ジャンヨブの証言――――――――――――――

キム・イルソンは我が国の最高指導者はキム・ジョンイルだと語るようになりました。
85年以降のことです。
キム・イルソン(金日成)はうまく自分の権力を息子に委譲しました。
それ以前も親子二人の共同政権でしたが、85年から、
キム・ジョンイルがキム・イルソン(金日成)を上回る存在となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
これは金親子の指示で当時国際担当書記であったファン・ジャンヨブが東ドイツへ送った書簡です

◆東ドイツへの書簡―――――――――――――――――――
ソウルオリンピックは、単にスポーツの問題ではありません。
朝鮮半島で社会主義と資本主義のどちらが優位か我が国の運命を決める重要な政治的問題です。
オリンピックヘの参加は我々の革命に大きな障害となる2つの朝鮮を認めることになるからです。
社会主義陣営は、一致団結して南の単独開催に反対すべきです。
――――――――――――――――――――――――――――

ベルリンでは、党の幹部が急遽集められ、対応が協議されました。
当時東ドイツは2つの東西両ドイツの共存を認める<2つのドイツ政策>をとっていました。

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――
北朝鮮の政治的立場は理解できました。
しかし同じような分断された国家としては、我々のほうが、現実的でした。
朝鮮半島に2つに国があることは議論の余地がありません。
2つの朝鮮を認めない彼らの考え方は、非現実的でした。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
東ドイツがオリンピックボイコットの要請を受けた翌年、最高指導者ホーネッカーが平壌を訪れます。

  ◆映像:ホーネッカーを歓迎する式典の映像

当時東ドイツは経済の立て直しのため、西側の投資を必用としていました。
ホーネッカーとキム・イルソン(金日成)の二人だけの会話を、ヘルガ・ピヒトが通訳しました。

◆ヘルガ・ピヒトの証言――――――――――――――――――

ホーネッカーは、キム・イルソン(金日成)に直接こう伝えました。
 『東ドイツはソウルに選手を派遣しなければならない。
   国家の再建のため、国威発揚のため、ボイコットはできない。』
二人は互いの政治路線を理解し、それを妨げないことだけを確認しました。
そして会談は終わりました。
金正日は無言でした。
―――――――――――――――――――――――――――――

当時北朝鮮は韓国とオリンピックの共同開催を協議していました。
しかし東ドイツは北朝鮮の狙いは他にあると分析していました。

◆朝鮮情勢の発展に関する情報―――――――――――――――
オリンピックに対する北朝鮮のこれまでの発言を判断するに、北朝鮮側に共同開催の意志はない。
彼らの目的はソウルオリンピックの妨害とみられる。
(1987年3月作成・機密文書)
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
オリンピックが翌年に迫った87年11月、大韓航空機爆破事件が起こりました。
北朝鮮の秘密工作員キム・ヒョンヒによる犯行でした。

取り調べに対し、自分は拉致された日本人から教育を受けた工作員である。
そして、オリンピック妨害を狙った金正日の指令を受けたと供述しました。
北朝鮮は南の自作自演と関与を強く否定しています。

  ◆映像:ソウルオリンピック開会式の模様

ソウルで第二十四回オリンピックが開催されました。
参加したのは当時史上最多の160の国と地域。
北朝鮮とキューバなどを除く社会主義の国が選手団を派遣しました。
東ドイツは288人の大選手団を送り国の威信を世界に示します。

  ◆映像:クリスティン・オットー、メダル獲得のシーン

オリンピックをきっかけに社会主義国は、相次いで韓国と国交を樹立。
韓国の優位は決定的となります。

  ◆映像:1988年9月建国40周年パレード

<ナレーション>
ソウルオリンピックの一週間前、平壌で建国40周年の式典が行われていました。
国民は、ソウルオリンピックを知らされていませんでした。
式典では社会主義建設の成果が高らかに歌い上げられました。
パレードには100万人の平壌市民が動員されました。

  ◆映像:パレードの様子

このとき、韓国との格差は4倍まで広がっていました。
金親子は友好国である社会主義国を招待しました。
東ドイツが派遣した代表団は5人でした。

  ◆映像:1989年11月
      ベルリンの壁崩壊

翌年ベルリンの壁が崩壊。
冷戦は終結しました。

  ◆映像:拘束されたホーネッカー

東ドイツの最高指導者として君臨したホーネッカー。
市民への発砲を理由に逮捕されました。
後に亡命したチリで死亡します。

  ◆映像:隠れていた場所から引き出されるチャウセスク

壁の崩壊はルーマニアにも伝わりました。
金正日と親交を深めていたチャウセスク
軍による処刑の映像は世界に配信されました。

  ◆映像:北朝鮮の様子

このニュースは北朝鮮では伝えられませんでした。

このとき国内で何が起こっていたのか、その詳細を知る人物が来日しました。
朝鮮人民軍で部隊の指揮を執っていた幹部です。
金正日の動向を間近で目撃していました。

◆朝鮮人民軍元幹部の証言――――――――――――――
東ヨーロッパに留学していた軍人たちが突然粛正されました。
金正日は、自分がルーマニアのチャウセスクと同じように
軍により処刑されるのではないかと恐怖心を抱いたのだと思います。
金正日はこんな言葉を使うようになりました。
『あなた達は私の信任がないと、肉のかたまりのようなものだ。』
忠誠を尽くさない幹部は無慈悲に粛正されました。
新たな強権政治の始まりでした。
――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:人民軍創設60周年記念式典の様子(1992年4月)

<ナレーション>
92年4月人民軍創設60周年の式典です。
金正日総書記は、かつての親衛隊員を軍の幹部の登用。
最高司令官の地位を父キム・イルソン(金日成)から譲り受けていました。
このとき、わずか4秒の肉声を世界ははじめて耳にするのです。

◆金正日の演説―――――――――――
英雄的朝鮮人民軍将校に栄光あれ
――――――――――――――――――
このあと軍が全てに優先する得意な軍事国家を作りあげ、体制の強化に突き進んでいきます。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第一集「個人崇拝への道」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)

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2006年4月 9日 (日)

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)

NHKスペシャル『ドキュメント北朝鮮第三集』を文字化してみました。
D31
 
 
 
 
 
 
 
~導入~
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?

拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

  ◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
  ――――――――――――――――――― 
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
  ―――――――――――――――――――

  ◆映像:衛生からの核開発施設の映像

<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。

衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。

  ◆映像:六カ国協議の模様

核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像

北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。

時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。

アーミテージ元国務次官のことば
――――――――――――――――――
対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
――――――――――――――――――


ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
   (ゴルバチョフ・カーターも含む)

北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。

━━━━━━━━━━━━━
第三集「核開発を巡る戦慄」
━━━━━━━━━━━━━
<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。

これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
 核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
―――――――――――――――――――――――――――

核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。

キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。

  ―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
   核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
   更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
   何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
  ―――――――――――――――――――――――――――

  ~モスクワ~

<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。

当時の貴重な映像がロシアに残されていました。

  ◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
  (ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。

しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。
  
  ◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)

合同核研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。

  ◆映像:コトロフの写真

建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。

   ◆映像:報告書

技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。

―――コトロフの証言――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。

   ◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真

――――コトロフの証言―――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――

65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。

  ◆映像:衛星写真(提供アメリカ地質調査所)

アメリカは60年代からニョンビョン核研究センターを監視してきました。
このころ、偵察衛星がとらえた画像です。
65年の画像には、コトロフ達が建設していた原子炉がとらえられています。
年を追うごとに、新しい施設が、次々に増えていきます。
しかし、アメリカは原子力発電所を建設しているだけだと考えました。

  ◆映像:ドナルド・グレッグ

CIAや政権の中枢で40年にわたって北朝鮮を監視していたドナルド・グレッグ(元CIA-中央情報局-アジア担当)です。

――ドナルド・グレッグの証言――――――――――――― 
北朝鮮に関する諜報活動は、うまくいっていませんでした。
北朝鮮が何を考えどんな能力を持っているのか、
私たちは危険なまでに無知でした。
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:CIAの報告書

<ナレーション>
CIAが作成した北朝鮮の核開発に関する350ページの秘密文書です。
はじめてアメリカが懸念を抱いたのは、84年でした。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出できる黒煙炉型の原子炉を建設していることに気づいたのです。
一方で更に高度な技術開発が必用だと記しています。
北朝鮮には核兵器開発を進めるだけの能力は、まだ無いと見ていました。
アメリカはソビエトを動かし、北朝鮮を国際機関の監視下におこうとします。

――ドナルド・グレックの証言―――――――――――――――――
私たちはソビエトが原子炉の建設に必用なノウハウを
北朝鮮に教えたことを知っていました。
そこで、NPTに加盟させるよう、ソビエトをけしかけたのです。 
アメリカが北朝鮮と直接話し合うほどの問題ではありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時、核兵器開発の指揮はキム・イルソンから長男ジョンイルに移りつつあったと見られています。
このときすでにソビエトから警告を受けていました。

――ファンジャンヨブの証言―――――――――――――――
84年に私が国際担当書記になったとき、ソビエトの大使がたびたびやってきて、
『核兵器を大量つくろうとしているようだが、止めた方が良い』と忠告されました。
しかし、金正日にそのことを伝えると、『そんなの無視しなさい』と言われました。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は85年にNPT(核拡散防止条約)に加盟しますが、義務である核査察は受けようとしませんでした。

  ◆映像:世界青年学生祭典(スポーツ大会)の入場行進

ソウルオリンピックの翌年、北朝鮮は世界170国から選手を招き、スポーツ大会を開きました。
この直後冷戦が終結。北朝鮮を支えてきたソビエトは韓国との国交樹立に動きます。

  ◆映像:盧泰愚、ゴルバチョフの握手

その、国交樹立を伝えるためにソビエトのシュワルナゼがピョンヤンを訪れたときのことです。
北朝鮮の外相から衝撃的発言があびせられました。
  
  ◆映像:ソビエト外相(シュワアルナゼ)訪朝(1990年 9月)

――セルゲイ・タラセンコ ソビエト外相補佐官―――――
我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。
何が何でも核兵器を完成させてみせる。
ソビエトが韓国と国交樹立するならば、
我々もしかるべき行動を取ると彼らは言いました。
―――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかしソビエトは動かず、アメリカにも伝えませんでした。

――ミハイル・ゴルバチョフの証言―――――――――――
北朝鮮の発言を真剣には受け止めませんでした。
なぜなら、あれは我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、
単なる感情的な反発だと思ったからです。
それ以外の何物でもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

―ワシム・トカチェンコ ソビエト共産党中央委員会 ――
私たちは、北朝鮮の脅しを無視しました。
彼らは我々を攻撃するために
核兵器を製造しているわけではなかったからです
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:ソビエト連邦 崩壊(1991年 12月)

翌1991年12月、ソビエト連邦の崩壊で核の傘を失った北朝鮮。
自らの核兵器開発を急ぎました。

――ファン・ジャンヨブの証言 ――――――――――――
小国がどうしたら独立を守り、
生きながらえていけるか、真剣に考えていました。
社会主義国が改革開放に向かう中で、
金正日は体制を維持するために、
どうしても核兵器が必用だったのです。
―――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
核査察を受けようとしない北朝鮮に対し、アメリカは次第に懸念を深め始めます。
89年、CIAの資料には、北朝鮮が核開発を急速に拡大させていると記されています。

  ◆映像:91年当時のニョンビョン衛星画像 軽水炉、再処理施設

同じ年ニョンビョンをとらえた衛星画像です。
かつてソビエトから技術提供された<軽水炉>の南に北朝鮮が独自に建設した<黒煙炉>が写っています。
川を隔てた南側には、新たな施設の建設が更に進んでいました。
最も大きな建物は、再処理施設。
黒煙炉で燃やした燃料棒からプルトニウムを抽出するための施設と見られていました。

  ◆映像:ジェームス・ベーカー

当時のブッシュ政権で国務長官を務めたジェームス・ベーカー。
北朝鮮に核査察を受けさせるため、ベーカーとブッシュは思い切った手を打ちます。
  

――ブッシュ大統領の演説 ――――――――――――――――
アメリカは世界に配備した、全ての戦術核兵器を撤去します。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは韓国に配備した核兵器も撤去することにしました。

――ジェームス・ベーカーの証言 ――――――――――――――

私たちが韓国から核兵器を撤去すれば、
北朝鮮はNPTに違反して
核査察を受ける義務を放棄していると訴えやすくなります。
更に、北朝鮮に核兵器開発を進める口実を与えない狙いもありました。
――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:朝鮮中央テレビ
  タイトル画像~我が国に創設された“自立的な原子力工業基地”~

  ――核研究者の説明――――――――
  我が国の原子力工業は平和目的です
  人民経済の発展に利用されています
  ―――――――――――――――――
<ナレーション>
翌年、核査察の受け入れに合意した北朝鮮。
ニョンビョンの核センターの映像をはじめて公開しました。

IAEA(国際原子力機関)査察 1992年 5月

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

<ナレーション>
92年5月IAEA(国際原子力機関)による査察が始まりました。
黒煙炉ではプルトニウムを抽出できる燃料棒が、すでに取り出されていたことが確認されました。
疑惑の焦点は再処理施設と見られる建物に移りました。

  ◆映像:IAEA報告書

北朝鮮は過去に一度だけ燃料棒から微量のプルトニウムを試験的に抽出したと説明。
しかし、IAEAは北朝鮮の説明が査察の結果と大きく矛盾すると報告します。
プルトニウムをたびたび抽出していた疑いが強まりました。

――◆ジェームス・ベーカーの証言――――――――――
北朝鮮がプルトニウムを抽出していることは明らかでした。
彼らが核兵器を開発しようとしていることを確信しました。
―――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは直ちに核廃棄物貯蔵所の査察することをIAEAに要求めます。
ここを調べれば、過去に何回プルトニウムを抽出したかを確認することができるからです。

当時ファン・ジャンヨブは核兵器開発を担当する軍需工業担当の書記があわてる様子を見ていました。

―ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――
強制査察を受けなくてはならなくなりそうだと、心配していました。
プルトニウムを抽出した痕跡を何とか消そうと核開発廃棄物貯蔵所に土を盛って、植物を植えた
のですが、全て枯れてしまったのです。
更に人工衛星に写らないように、運動場ぐらいの大きな倉庫を建てて隠しました。
そして『ここは軍事施設だから核査察の対象にはならない』と言い張ったのです。
――――――――――――――――――――――――――――

~ワシントン~

北朝鮮を追いつめたかに見えたアメリカ。
しかしこの後、北朝鮮が仕掛ける駆け引きに翻弄されます。
93年1月、核疑惑が深まる中、クリントン政権が対応を引き継ぎました。
北朝鮮との交渉に直接当たった、国務次官補(当時)ロバート・ガルーチ。
そして国務省朝鮮担当部長(当時)チャック・カートマン。

  ◆映像:チームスピリット(1993年 3月)の模様

アメリカは韓国との合同軍事演習=チームスピリットで圧力をかけ、強制査察を受け入れさせようと考えました。
ところが北朝鮮は査察を義務づけたNPT=核拡散防止条約からの脱退を、突然宣言します。

  ◆映像:チャック・カートマン 米国務省 朝鮮担当部長
      ロバート・ガルーチ  米国務省 朝鮮担当部長

――ピョンヤン放送―――――――――――――――
我が国の最高利益を守るために、
やむをえず、NPTから脱会することを宣言する。
――――――――――――――――――――――――

――チャック・カートマン ―――――――――――――――――
チームスピリットは北朝鮮を狙った核攻撃の演習だと
彼らは以前から主張していました。
私たちは、NPT脱退を正当化する口実を
彼らに与えてしまったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――


―――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――
北朝鮮は、脱会の際は3ヶ月前に告知するという
NPTの規定を利用し時計をセットしたのです。
残り3ヶ月、私たちは脱退を取り下げさせるため、
関与せざるを得なくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝高官協議(1993年 6月)

<ナレーション>
アメリカと北朝鮮、初めての二国間の高官協議が始まりました。
ガルーチの交渉相手はカン・ソクジュ第一外務次官。
現在も北朝鮮外交のキーパーソンです。
ガルーチはNPT脱会宣言の取り下げと、強制査察の受け入れを求めました。
しかし強い反発を受けます。

『ドキュメント北朝鮮第三集』(2)

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(2)

 ◆映像:交渉時の写真

――ロバート・ガルーチ―――――――――――――――――――
彼は言いました。あなた達はIAEAを背後から操っている。
我々を絞め殺そうとしている。
そして、逆に補償を要求してきました。
『アメリカがまず我々に対して安全を保障し、攻撃を計画しないと約束しろ』と。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
協議は暗礁に乗り上げます。

NPT脱退の日が目前に迫る中、カンソクジュ外務次官が動いてきました。

――ガルーチの証言――――――――――――――――――――
私はこういわれました。過去を棚上げにすれば、
未来については協力しても良い。
あなた達にとって、過去と未来とどちらが大切か?
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
過去のプルトニウム抽出の疑惑に目をつぶればNPT脱退は取りやめる。
北朝鮮の仕掛けた駆け引きでした。

――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――
過去も大切ですが、差し迫った危険はなかったので、
こだわり続けるのは止めました。
―――――――――――――――――――――――――――――

――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長―――――
私たちはすでに北朝鮮の核兵器開発を確信していました。
もし彼らが、NPTから脱会すれば
開発を推し進めるに違いないと思いました。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
NPT脱会は避けられましたが、強制査察は先送りとなりました。

――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長―――――

彼らは賢く計算高く、利害関係をはっきり理解していました。
北朝鮮は危機のはしごを相手に登らせることができれば
自分たちが強い姿勢に出られることを知っていました。
危機のはしごを降りるタイミングは、
常に自分たちが握っていると考えていたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
瀬戸際までNPT脱退をちらつかせ、アメリカから譲歩を引き出した北朝鮮。
その裏で、核兵器開発を更に進めていきました。

北朝鮮の瀬戸際外交は続きました。
アメリカが経済制裁をほのめかすと、再び危機をあおります。

 ◆映像:韓国KBS 1994年3月

核問題を話し合う南北協議でのことでした。

 ◆映像:朝鮮中央放送ニュース画像~南北会談の模様~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
北:我々は戦争の準備ができている
  あなたたちはよく考えるべきだ
  ソウルは軍事境界線から遠くない
  戦争になれば、火の海になる

南:ちょっと待て

北:貴方も生き残れない

南:なんてことを言うんだ

北:とにかくよく考えるべきだ

南:宣戦布告をするのか?

北:そちらが言い出したのだ
  寝ぼけているのか

南:戦争で応じるというのか?

北:当然だ!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
当時のアメリカ国防長官ウィリアム・ペリー。
アメリカは北朝鮮に軍事的圧力をかけ牽制します。

――ウィリアム・ペリー(アメリカ国防長官)―――――――
私たちが軍を増強すれば、北朝鮮が対抗して攻撃してくる危険もありました。
しかし、こちらが真剣なことを示した方がむしろ彼らに行動を思いとどまらせ、
軍事衝突の危険が減るだろうと考えたのです。
――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:在韓米軍増強の模様(1994年 4月)

北朝鮮は対決姿勢をあらわにしてきます。
キム・イルソン(金日成)はNHKの取材に応じ、強制査察には断固応じないと主張しました。

 ◆映像:NHKの取材に答えるキム・イルソン(金日成)

キム・イルソンの声
━━━━━━━━━━━━━━━
我々は何も隠していない。
強制査察には断固応じない
もちろん軍事機密はある。
軍事機密を公開する国などない。
━━━━━━━━━━━━━━━

北朝鮮は韓国との軍事境界線の近くに軍を終結させました。
朝鮮人民軍の大尉だったキム・ソンミン、長距離砲の部隊を率いていました。

  ◆映像:軍事境界線付近の地図をみて説明するキム・ソンミン

軍事境界線からソウルまでの距離はわずか40キロ。
韓国お火の海に帰ることはできたと言います。

――キム・ソンミンの証言――――――――――――――――
あのころ、すべての兵士は、長距離砲を
発射するためのロープを一時も離したことはありませんでした。
攻撃命令がでれば、
すぐに韓国に砲弾を撃ち込むことができました。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は更に、危機のレベルをあげていきます。
黒煙路から燃料棒を引き抜き、プルトニウムを抽出する準備を始めたのです。

 ◆映像:ワシントン、ホワイトハウス

ホワイトハウスにペリーと軍の幹部が集まりました。
ペリーは核兵器開発を止めるため、韓国に駐留するアメリカ軍の更なる増強を提案。
急激な増強は戦争を招く危険がありました。

―――トニー・レイク 当時米大統領補佐官―――――――――
あの時軍の軍の増強を提案していなかったら、
その方が無責任だったでしょう。
戦争よりも危険な状況になるのを防ぐためには、
逆に、戦争の選択肢も無視することはできませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――

国防総省は、ニョンビョン核研究センターをピンポイントで先制攻撃する計画も検討していました。

―――ウィリアム・ペリー ――――――――――――――――――
ニョンビョンを爆撃すれば、核兵器に必用なプルトニウムが抽出できなくなります。
核兵器開発を阻止するためにも、施設を確実に破壊する計画を、
私たちは立てていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――

~ソウル~
戦争を何とか回避しようと考えた人がいます。
韓国駐在のアメリカ大使、ジェームス・レイニーです。

――ジェームス・レイニ 当時 駐韓米国大使――――――――――
アメリカは苛立って北朝鮮に脅しをかけているだけでした。
しかし彼らの敵対心をあおるだけだと私は考えました。
北朝鮮はプライドをかけて、国を守るために
必ず戦いに出てくるだろうと思っていました。
―――――――――――――――――――――――――――――――

レイニーは、アメリカが戦争を望んでいないことをキム・イルソンに直接伝えようと考えます。
特使として、元大統領のカーターに訪朝を促しました。

  ◆映像:カーターもと米大統領 訪朝(1994年 6月15日)

カーターは民間人の立場でピョンヤンに向かいました。
一方アメリカ政府はいっそう北朝鮮に圧力をかけるため、経済制裁の決議案を国連安保理に提出しました。
北朝鮮は激しく反発します。

   ピョンヤン放送
   ――――――――――――
   朝鮮半島の情勢はついに
   最悪の局面を迎えた
   制裁はすなわち戦争だ
   戦争になれば容赦しない
   ――――――――――――

緊張はピークに達しました。
韓国では全国一斉に防空訓練を実施。
戦争になれば100万人の犠牲者が出ると見られていました。

キムヨンサム 当時韓国大統領―――――――――――――――――
アメリカ二隻の空母と33隻の軍艦を展開し、
いつでも北朝鮮を攻撃できる態勢を取っていました。
韓国は大混乱に陥り、人々は食料の買いだめに走りました。
逃げる場所は何処にもありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
経済制裁の決議案を安保理に提出した翌日。
ペリーは大統領のクリントンに、軍の増強に関する詳細な計画を示します。
その規模は、最大で5万人にのぼりました。

――ダニエル・ポネマン 当時 大統領補佐官――――
戦争か平和か、正に瀬戸際に立たされている、
私は、そう強く感じました。
―――――――――――――――――――――――――

――ウィリアム・ペリー ―――――――――――――――――――
もし何もしなければ、北朝鮮に見くびられる可能性がありました。
だから行動に出た方が良いと思ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
クリントンが軍の増強に決定を下そうとしたその時、電話が入りました。
ピョンヤンのカーターからでした。
『キム・イルソン(金日成)が核開発を凍結しても良いと言っている。』
そう伝えて電話を切りました。
ホワイトハウスは、ピョンヤンからのCNNの生中継に釘付けになりました。

―― ジミーカーター元大統領 ――― 
キム主席は、米朝協議が再開されれば、
核問題は解決されると言っています。
北朝鮮の提案を受け入れることを
アメリカ政府に期待します。
――――――――――――――――――
<ナレーション>
クリントンは提案を受け入れました。
危機は回避されました。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)死去の報に嘆く市民 (1994年 7月)

翌月、キム・イルソン(金日成)が死去します。
このとき北朝鮮がすでに核兵器を完成させていたことを、ファンジャンヨブは明らかにしました。

――ファン・ジョンヨブ―――――――――――――――――――
93年か、とにかくキム・イルソン(金日成)が無くなる前でした。
核兵器がいくつあるのか知りません。
尋ねたこともありません。
ただ、金正日から直接、聞きました。
『核兵器開発は終えた。その責任者を表彰する。』
――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝枠組み合意 調印 (1994年 10月)

<ナレーション>
核兵器の完成をかくしたまま、北朝鮮はアメリカとの合意を結びました。
核開発を凍結し、いずれ施設を解体することと引き替えに、いくつもの見返りを手にします。

プルトニウムを抽出しにくい軽水炉の提供と重油の供給、アメリカが北朝鮮を核攻撃をしない保障、関係正常化に向けた協議の継続。
北朝鮮の要求が受け入れられました。

  ■軽水炉の提供
  ■重油の供給
  ■北朝鮮を核攻撃しない保障
  ■関係正常化にむけた協議の継続

――ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――――
金正日は大喜びでした。何もしなくても軽水炉が手にはいるのですから。
電力不足に悩んでいた我々にとっては本当に、大きな成果でした。
アメリカが戦争を仕掛けてくるなんて北朝鮮の幹部は誰一人考えていません。
金正日はアメリカの驚異を口実に、核兵器開発を正当化しているだけです。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
戦争の危機をかいま見た、アメリカ。

――ウィリアム・ペリーの証言――――――――――――――――― 
私たちは北朝鮮に繰り返し核兵器開発の放棄を迫りました。
しかし、どんなに圧力をかけても、
核兵器を持ちたいという彼らの強い意志を
打ち砕くことはできないとわかりました。
―――――――――――――――――――――――――――――――

ニョンビョンでの開発を凍結した北朝鮮。
しかし、核兵器の開発を止めたわけではありませんでした。

―――ファン・ジョンヨブの証言――――――――――――――――
このころから、核の問題については金正日とカン・ソクジュ、二人だけで対応する事になりました。
私は、関わらなくなったのです。
ただ、北朝鮮とアメリカの合意のあと、軍事工業担当の書記がたびたび来ました。
『核兵器がまだ足りないので、あといくつかつくりたい。』
『プルトニウムを買いたいのだか、ロシアに知り合いはいないか?』
と聞かれました。
96年の夏か秋に、彼が再びやってきて、『問題は全て解決した』と言うのです。
『どうしたのか』と聞いたところ、
『核兵器に必用なウランを共同開発する協定をパキスタンと結んだ』
『もうプルトニウムは必要なくなった』と言うことでした。
――――――――――――――――――――――――――――――――

『ドキュメント北朝鮮第三集』(3)

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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(3)

<ナレーション>
北朝鮮は、核の闇市場に手をのばしていました。

 ◆映像:アブドゥル・カティール・カーン博士

パキスタンのアブドゥル・カーン博士から新たな核開発の技術を手に入れたと見られています。

  ◆映像:遠心分離器(資料写真)

遠心分離器による高濃縮ウランの製造。
大きな設備を必用とせず、地下での開発が可能なため、偵察衛星では捕らえられないと考えられています。
米朝合意から4年たった98年、アメリカが約束した軽水炉の建設や、関係正常化の協議が滞る中、北朝鮮は、ふたたび危機をあおります。
弾道ミサイルテポドンの突然の発射です。

  ◆映像:弾道ミサイルテポドンの発射実験 (1998年8月)

アメリカは北朝鮮の挑発に乗らず、対話に動き出します。
アメリカは北朝鮮に対して食料援助を行いました。
朝鮮半島では韓国の宥和政策のよって、南北の和解ムードが広がりました。

  ◆映像:ウルブライトが、北朝鮮の子供と一緒に踊る様子

そうした中、国務長官ウルブライトがピョンヤンを訪問。
金正日総書記は朝鮮戦争以来、敵対してきた関係の正常化を求めました。

―――ウルブライトとの会談での金正日総書記の発言―――――――――
3時間の話し合いだけでは、50年間の問題は解決できないでしょう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカの急速な歩み寄りで、関係改善は進むと北朝鮮は考えていました。
しかし、アメリカの政権交代が、北朝鮮との関係を大きく変えていくことになります。

――ジョージ・ブッシュの演説――――――――――――――――――
北朝鮮は飢える国民に目もくれず、大量破壊兵器で武装し続けている。
彼らとテロリストたちは悪の枢軸だ。
――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
新たに発足したブッシュ政権は、クリントン時代の政策を否定。
強硬姿勢を打ち出しました。
対北朝鮮戦略を練ったのは、去年まで国務副長官を務めた、リチャード・アーミテージです。

――リチャード・アーミテージ―――――――――――――――
クリントン政権の時に北朝鮮は信用できない事がわかりました。
彼らが善意ある行動を取らなければ安全は保障しないと
警告する必用があったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――

アーミテージが作成した報告書です。

 ◆映像:報告書『北朝鮮に対する包括的アプローチ』

――アーミテージの報告書―――――――――――――――――
クリントン政権は北朝鮮に瀬戸際外交がうまくいくことを教えてしまった。
核兵器開発は終わっていない。抑止と封じ込めで、圧力をかけるべきだ。
―――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アーミテージの下、北朝鮮との交渉に望んだのが、国務次官補のジム・ケリーでした。
2002年、高濃縮ウラン開発の確証を掴んだとして、平壌に飛びます。
交渉相手は、カン・ソクジュ第一外務次官でした。
ケリーの追求に疑惑を認めたとされています。
問題を解決するため、首脳会談と、関係正常化を迫りました。

――ジム・ケリー国務次官補―――――――――――――――――
北朝鮮は94年の米朝合意を恋しがっているだけでした。
しかも、より大きな見返りを狙っていました。
しかし、そのような取引は、北朝鮮が核兵器開発を完全に放棄しない限り絶対にありえません。
――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
北朝鮮の要求をはねつけたアメリカ。
一方で北朝鮮と同時に悪の枢軸と名指ししたイラクへの攻撃準備を進めていました。
北朝鮮は再び、核のカードを切り始めます。
8年間凍結していたニョンビョンの核施設の稼働を再開すると発表。
その後、NPTを脱退しました。

そして去年2月、

 ◆映像:朝鮮中央テレビ(去年2月)
  ――――――――――――――――――――――――――
   我々は自衛のため 核兵器をつくった
   自由と民主主義を守るため、核兵器庫を増やしていく
  ――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:六カ国協議の模様 (去年11月)

<ナレーション>
今アメリカは中国や日本などと共に、対話によって北朝鮮に核の放棄を迫っています。
同時に金融制裁で圧力をかけ、追い詰めようとしています。

北朝鮮は、核兵器保有国となった以上、一歩的な放棄を迫られるのは不当だと主張。
新たな軽水炉の提供を求めています。

――アーミテージ前国務副長官――――――――――――――
私たちは、これまで北朝鮮徒向き合うたび、
譲歩せざるを得ませんでした。
貧弱なカードをとても、巧みに使いこなします。
しかし、私たちは以前ほど、
北朝鮮の瀬戸際外交を恐れてはいません。
――――――――――――――――――――――――――――

―――ジム・ケリー前国務次官補―――――――――――――
北朝鮮が核兵器を放棄しなければ、
将来多くの国々と幅広い関係を結ぶこと不可能です。
そのことを、彼らにはっきりとわからせなくてはいけません。
――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
ニョンビョン核研究センター
今も、北朝鮮の核兵器開発は続いていると見られています。

  ◆映像:ニョンビョンの最新の衛星画像(3月13日撮影)

最新の衛星画像、これまでの10倍の規模を持つ原子炉の開発が進められているとアメリカはみています。更に高濃縮ウランの開発が地下の奥深くでおこなわれている進められて言われています。
アメリカは北朝鮮の核関連物質や技術が拡散する事を恐れています。

  ◆映像:軍隊のパレードの様子

圧力をかけても、対話を求めても、北朝鮮は核開発を止めようとしていません。

―――ロバート・ガルーチ ―――――――――――――――
同じ事が繰り返されているような気がします。
北朝鮮はかつてと同じ交渉を求め、同じ見返りを迫っています。
彼らのひつこい取引は我々にとって不愉快ですが、
つきあい続けるしかありません。
――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:北朝鮮の子供達が軍服を着て、
      キム・イルソンを称える歌を歌いながら行進しているところ

軍が全てに優先する得意な軍事国家、北朝鮮。
核がもたらす危機をいかに回避するか?、
世界はその答えを未だに見いだしきれずにいます。

    
              ~~~終了~~~

――――――――――――――――――――――――

NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第一集「個人崇拝への道」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮 第二集「隠された世襲」(1)

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2006年4月 5日 (水)

ドキュメント北朝鮮を見て

~3日分を見終わって簡単な感想~

金日成、金正日親子が、いかに狂った指導者であるか、世界一おかしな指導者をソビエトが育成し、その危険性を知りながら、放置し、アメリカは取るに足らない存在として黙殺している間に、北朝鮮という非道国家を存続させ続ける結果となり、そのあまりにも身勝手な行動の<罠>にはまってきたかということを知ることができました。

この番組内容が、北朝鮮の全てではなく、取り扱い方も完璧とは思いませんが、北朝鮮の謎を解き明かす手がかりとなる一万二千ページの秘密文書(旧社会主義国の党幹部や、外交官が間近に接した北朝鮮の実情を克明に記した資料)を世界各国から入手したこと、その記述を元に、歴史的事件の渦中にいた当事者200人あまりを取材、その直接のインタビューを放映したことは、貴重な証言として評価したいと思いました。

3日間の放送には、下記のワジム・トカチェンコ氏の悔恨ともとれる言葉のように、我々が記憶しておくべき証言内容が多く含まれていましたので、少しテキストとして残そうと思います。

<ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば>

「北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。私は時折思います。このような人々と全く関わらない方がいいと。不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。」

顧みて実近でその姿を黙認してきた日本とは、いったい何だったのだろうと。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2006年4月 1日 (土)

改めて北朝鮮という非道国家を知るために

小泉訪朝の直前、ある新聞記者が北朝鮮から解放されました。
何回か北朝鮮を訪ねていましたが、1999年11月スパイと認定され、拘束され二年二ヶ月の拘留生活を送った、杉嶋たかし(漢字表記は山かんむりに今)さんです。

突然解放されたのは、2002年2月11日

みなさんもご存じかもしれませんが、北朝鮮滞在中の記録がWebサイトでご覧になれます。

http://www.econ.hitu.ac.jp/~trade/jsie/papers/2004/sugishima.pdf

 ↑は日本国際経済学会関東部会での
  ◆『拘留体験から見た北朝鮮と日本』 と題された講演会資料です。
拘束から、解放まで、克明につづられており、まだ未見の方には、お勧めです。

このPDFファイルを印刷すると24枚になります。

拘束期間中の北朝鮮の対応、招待所の模様、帰国直前『帰国後に共和国に内情を話せばこの世から消える』と言われたこと、日本の公安の情報は北朝鮮に筒抜けだったということなど、あらかじめ予測できることではありますが、体験に基づくレポートですから、生々しく聞こえます。

北朝鮮の生活の様子も事細かに伝えられており、食べ物、燃料、子供の遊びまで、触れられています。
可能な方は、印刷して読まれることをお勧めします。またお読みになった方の感想もお聞きしたいと思います。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
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東京連続集会16(7)


『佐藤勝巳 救う会会長の講演 その2』

国際世論と言うのは、例えば今日お話がありましたようにアメリカの大使が新潟に行ってですね。
現地を実際歩いてみる。
我が国の総理大臣も官房長官もそんな事は一度もした事が無い。
そうするとアメリカ下院が日本人とか韓国人を呼んで拉致の公聴会で発言を求める。
ワシントンから全世界に発信されていくわけです。
国連は国連であのような決議をやる。
やったんです、北朝鮮の人権問題を。

それで我が国もようやく国会で北朝鮮人権法と言うのが通過を致します。
これが通過いたしますと自動的とは行きませんけども北朝鮮が不誠実な対応をしたときは、経済制裁に入れると言うようなほぼギリギリ、立法府としてはギリギリ。
外交と言うのは政府の専権事項ですから、ここに踏み込む事は中々出来ないんです、法律上。
しかしここをギリギリ踏み越える所までの法案が今自民党内部の関係機関の中でほぼ、総会まで上がりそうな状況です。

総務会を通ればすぐ通常国会に提案されて、そうすれば民主党もそれに同調して、多分通過すると思います。
これこういうような世論の反映ですよね?
国会の中でそういう法律が通っていくという。
自己宣伝をさせて頂きますと今発売されている現代コリアと言う私の関った薄い雑誌があるんですけども、(笑い声)ここにですね。
山本一太さんが私のインタビューで法案の内容に詳細に触れています。
これは昨日か一昨日、15日に発売された物です。
中々面白い雑誌ですよ?
750円と高いんだけど、決して中身は損をさせない。(笑い声)
言う宣伝をさせてください。
(会場より「何月号になりますか?」の声)4月号です。

そういう言う事で情勢は大きく変わりました。
あとひとつ、あとひとつ結果として法律が、北朝鮮人権法が通りましたので、世論や我々の運動が支持しなかったら絶対駄目です。
安倍さんがどんなに拉致に理解があるからといったって世論がない限りは駄目です。
これが私達が10年間やってきた、私が学んだ非常に重要な教訓であって、結局は国民の皆さんが我々が訴えた事に対して応えて頂く事が出来たからここまで運動が来たんです。
マスコミの皆さんが我々の訴えを理解して正確に報道して頂いたから、ここまで追い込んで来ることが出来た。

後一押しです。
つまり北朝鮮人権法が国会で通ったら、今までと違って一段と様子が変わってくる。
そういう事ですね。
そのためには今報告された熊本の救う会の加納会長のような、確実に一つ一つ事実を踏まえて運動を積み上げていく。
それから茨城が先駆的にやったような、ひとつひとつ行政に向かって私達が働きかけかつその成果を積み上げていくというような事を抜きにして、運動が飛躍的に発展するなんてこれは金輪際ありません。
そんなこと絶対にない。

ひとつひとつきちっきちっと事実を踏まえて、で結局北朝鮮がですね。
昨年の11月、前に出した死亡診断書はあれは全部事実と違っておったと認めさせたのは、それは救う会・家族会がこことこことここがインチキだね、と具体的に指摘したわけです。
それには彼らは答える事が出来ない。
外務省の交渉する皆さんも、我々の指摘に基づいて、おかしいじゃないかと話をしているわけです。
言うような着実ないわば積み重ねが無い所でいくら・・・(聞き取れず)したって誰も動かないんですね。
これは私の10年のこの運動に関った結論の一つです。

ですからやっぱり駄目なものは駄目なんだと、それから、偉そうな事を私いろんな所で言っておりますけれどね。
拉致されて30年近くをね。
我々の仲間を取り戻す事が出来ないこの国って何なのよと。(拍手)
おかしい、どう考えてもおかしいわけです。
で、法律が出来た時制裁の発動は、小泉さんは首を縦に振らない。
何で振らないんだ?と。
自民党の先生方はなんで自分のところの総裁の態度を突き上げてくれないんだ?と。
おかしい、素朴におかしい。

私は単純明快、大層な理論とか世界観とか大層な事は無いです。
おかしいんだと。
何でこんな事がね、解決を出来ないんだ?と。
アメリカの大使はなんでわざわざ、およそ職務とは関係のないような新潟まで行って拉致の問題について、「自分の人生で最大の衝撃を受けた」みたいな発言をしているわけです。
なぜ日本の閣僚たちは総理大臣たちは何ゆえそれが出来ないんだ?と。
どうしてもやっぱりおかしい。
そういうおかしいことに対して素直に、つまり最初の初心に帰ってやっぱり運動を続けていかなければいかんのだろう、言うふうに思います。
私は拉致について解決できないなんて見通しは全く持っていません。

まだ少し時間があるみたいですから、今拉致を取り巻く国際情勢や国内情勢がどうなっているかと言う話をちょっとさせて頂きます。
最大の焦点は、朝中、この関係が今どう進むのか?言う所に今大きなポイントが一つあります。
北朝鮮の政権にとっては拉致の問題ではない。
政権その物が持続出来るのか?出来ないのか?の問題に、焦点はそこに今移って来ています。
この前金正日が大部隊連れて中国を訪問して、それで瀋陽とか広州とかそういう所を回りました。

何のために回ったのか?と言うと昨年の10月末、胡錦濤が平壌を訪問した時20億ドルの経済援助を約束しているんだそうです。
で、その20億ドルの約束には条件がついておって、北朝鮮が改革開放に政策を転換した場合援助をすると条件がついている。
それで金正日はマネーロンダリングなどの問題で慌てふためいて、それもあって行った。
で、改革開放と言うのはこういう物ですと言う所を実態を見せた。
で、帰ってきて、さぁ北朝鮮内部で中国から20億ドルの経済援助を貰うためには政策の転換が必要だ。
賛成か反対か、真っ二つに割れているんです、中が。
と言う内部からの情報です。

それで張成沢といって金正日の妹の亭主。
これが2年半くらい失脚してちょっと顔を見せなかったんだが、これがカムバックして来た。
彼を1ヶ月ないしは2ヶ月、広州、あの開放地域に経済特区に常駐させて実際に見てもらう、言う事です。
両政府間では決まってるんですけど北朝鮮内部で意見が割れてますから、実は派遣をする事が出来なくて足止めをされている。
その20億ドルが入って来なかったら、あの政権どうなるか?と言うことです。
だから内部で意見が真っ二つに割れているという事は、これは大変な危機的状況が迫っている。

もうひとつ、アメリカのマネーロンダリングの制裁が物凄く効いたと言うんです。
どういう効き方をしたかと言うと、アメリカは単純明快。
「はい、お前の銀行が偽ドルをロンダリングしているから、アメリカの銀行は取引をしませんよ」と言う措置なんです。
これはマカオのバンコ・デルタ・アジアという銀行なんですが、その他にですね、正確に言うと、こことアメリカとの銀行の正式な取引禁止を喰らったんです。
これを全世界の銀行が見ておって俺が北と付き合って下手に口座を設けさせると、俺の所もアメリカの銀行と取引禁止になる可能性があるよ、っていうふうに考えたんです。
だから北朝鮮があのバンコ・デルタを使って全部決済をしておったんです、貿易の。
そこが銀行の取引停止を宣言しましたから、北は貿易をするのに取引銀行が銀行を介しての取引が一切出来ない状態が発生したんです。
物凄い深刻な事なんですから。

中国。
実はバンコ・デルタ・アジアの、メインバンクは中国銀行です。
中国銀行と言うのは貿易業者を相手にしている銀行です。
これがバンコ・デルタ・アジアのメインバンクなんです。
だからアメリカ側のうまい所はね。
バンコ・デルタ・アジアが不正行為をやっている事を承知の上で金を貸してるか?って事になってるんです。
だったらお前の所もアメリカの銀行と取引停止も有り得るぞとなっているんです。
だから金正日も中国当局も慌てふためいたわけです。

中国は2年後に北京のオリンピックを控えておって、アメリカの銀行と取引停止がかかったら大変なことになるわけです。
あの問題というのはそういう背景があって、朝中両方とも慌てふためいておった。
同じような事が麻薬の問題、偽タバコの問題、これについてアメリカはすでに違反すればバシバシ取引停止。
それからアメリカ国内における北朝鮮商社の資産の凍結、取引停止、バシバシかけてますから。
そういう事が分かっていてなぜ出来ないのかね?
アメリカは一人も北朝鮮に拉致されていないんですよ。
拉致されている我が国がなぜそれが出来ないのか?
これも素朴な疑問として本当におかしいですよ?

法律が無いなら無い、しょうがないけどある。
あるのになぜ出来ないのか?
アメリカはもちろん国内法に基づいて全部やってるわけですから。
状況は同じなんですよ。
しかも日本がより北朝鮮から酷い目にあってるわけです。
当の日本がそれをやらない。
国際的にそうなるって言ったら、例えばアメリカの大統領が小泉さんに会って拉致問題の解決よろしくお願いします。
胡錦濤に会ってよろしくお願いしますと言ったって、だってお前の所は何をやってるの?と、いう事になるんですよ。
日本は拉致のために何をやってるの?と聞かれたら答える事が出来ない。
自分はやらないで人にばかりやってくれやってくれと言ってるわけでしょう?
こんな馬鹿な政治はどこにあるか?と。(拍手)

私は本当にね、小泉さんは・・・(聞き取れず)あったと思うんですよ。
なんか弱み握られているんだか何だか良く分かりませんよ?
良く分かりませんけど理由はあると思うんです。
だけど、あれは自民党の総裁なんだから、自民党の国会議員や党員が「総裁おかしいじゃないか?」と言う話をどうしてしてくれないのか?
全く不思議ですよ。
私から見ておったら全く自民党なんて政党はわけ分からん政党です。(拍手)
例えば家族会なんかに来ると・・・・・・・・(聞き取れず)拉致拉致なんて大音響で僕らの前でやるわけですよ。

そういう事を本当に素直に見てますとね。
不思議ですよね~~?
ですから私たちはそんなこと愚痴をいくら言ったって問題なんか解決しないから、ただひたすら「安倍さん頑張ってくださいよ」と、「応援します」と、言う以外に方法ないじゃないですか。
別に安倍さんのやってる事は悪い事をやってるわけじゃないですからね。
正しい事をやってるわけですから。
そういうふうな事で、一つ一つ地道に積み上げていって、そして日本が本当に制裁をかけた。

皆さん安明進と言う男を知ってると思うんですが、あの男は今現代コリア研究所の研究員として在留資格を取りましたからね。
彼はだから1年更新で、私の下でずっと仕事をしていく事になりますから。
で、彼が言ってるんです。
日本は北朝鮮と言う国に対してあらゆる意味で、日本が支えているんだと。

具体的になんだ?と言ったら、去年一年で北朝鮮の船が300隻くらい入港している。
貨物船なんかを含めて300隻くらい入っている。
とね、ある貨物船が入港して来た。
日本の海上保安庁とか日本の行政機関は写真撮るわけなんです、乗組員の。
その写真を検証してくれと言われて、見た。
見たら金正日政治軍事大学の一期先輩、二期後輩、そんなのがゴロゴロ乗って来てるんですよ、貨物船に。

貨物を運搬する時に、あれ、安明進と言うのはまさにテロを6年間教育された男なんです。
人を如何にして殺すか?と言う事を6年間、教育されてきた男です。
一年間に3万発も拳銃の弾を与えられて、それを撃ち切らなかったら懲罰をかけられると言う6年ですよ?
1年3万発。
だから俺に言うんですよ。
先生ね、先生殺すなんてのはね、どんな所でも瞬時にして殺す事が出来る。
拳銃が一丁あったらどんな姿勢でも。
一年間3万発も実弾を撃って来た男ですよ。
そんな奴らが何で貨物船に乗ってくるの?

だからそんなもの関係ない。
万景に行ってどんなに写真撮ろうが、あまり厳しくない貨物船に全部乗って来てますよと。
・・・・・・・・・・・(聞き取れず)だから先生一番先に狙われると冗談言うんですよ。
そんなね、万景をいくら厳密に調べたって、他の船でがんがんやって来るわけですから。
だから入港禁止措置を取らない限り、難しいんです。

要するに先ほど言いましたように大量破壊兵器の部品、弾道ミサイルの部品、これ日本の物が・・・・・(聞き取れず)流出しているんです。
それを対輸出措置を全部かければいいんです。
かける事が実際に難しいならどこがその部品を作っているかは、メーカーは分かっているんです。
東芝である、どこだどこだどこだ、通産省全部分かります。
そこの幹部たちを呼びつけて、日本の安全保障にとって君たちが出してる部品がいかなる結果を引き起こすのか、と言う事を政府が行政指導するべきなんです。(拍手)
それをですね、やらないからね。
駄目なんです。

法律で駄目だ、メーカーに止めとけって話をすればいいんです。
国家の安全が犯されていると。
拉致された人間が30年もね、帰ってくる事が出来ない。
それを四の五の四の五の下らない事を言い続けていると、君たちは・・・(聞き取れず)するのか?と製造メーカーに言えばいいんですよ。

こういうような戦いをしない限り、相手はテロ集団です。
普通の交渉?
何でね、あいつらが分かりました、それじゃめぐみちゃん返しましょうと、じゃあ増元るみ子さんを返しましょうと、絶対有り得ない。
自分の命が危ない。
自分の政権が倒れる。
言うような状況を作り出さない限り、拉致の解決なんて無いんです、それは。

そういう事で私一人興奮して頑張っております。(笑い声と拍手)
これくらいで質問を受けることにしますけど、ありがとうございます。(拍手)

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