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2006年5月

2006年5月29日 (月)

国民大集会決議文(2006/5/58)

決 議 文 案

多くの拉致被害者が北朝鮮にいるのを分かっていながら救出できず、今年もまた、私たちは国民大集会を開いた。なぜ、助けられないのか、口惜しくて、悲しくてたまらない。

それでも、国際連帯と制裁による圧力という二つの柱を掲げた私たちの運動はこの1年で大きな成果を挙げた。
金正日が世界12カ国から拉致を行っているという驚くべき事実が明らかになった。また、横田早紀江さんが米議会で証言し、ブッシュ大統領との感動的な会見を行ったことも記憶に新しい。日韓の拉致運動の連帯も強化された。

日本政府も拉致問題特命チームを中心に法適用厳格化などで強い圧力を加え始めたし、米国が昨年9月に実施した金融制裁は大きな効果を挙げている。

窮地に追い込まれた金正日政権がどのような反撃に出てくるのか、予断を許さない緊迫した局面が生まれている。

私たちは今、北朝鮮の地で助けを待っている被害者に向かい「あともう少しです、元気で待っていてください」という心からのメッセージを送りながら、次の3点を強く要求する。

1 金正日政権はすべての拉致被害者を即刻返せ。
2 小泉首相は、北朝鮮への制裁を発動してすべての被害者を救出するという強い国家意思を示せ。
3 韓国盧武鉉政権、中国の共産党政権は、拉致というテロへの加担を意味する金正日への支援を中断せよ。

平成18年5月28日
小泉首相の決断と、今年中に拉致被害者全員救出を求める国民大集会
参加者一同

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国民大集会進行表

進行表

開会           櫻井よしこ ジャーナリスト

主催者挨拶   飯塚繁雄 家族会副代表

基調報告    西岡 力 救う会常任副会長

来賓挨拶    鈴木政二 官房副長官、安倍官房長官メッセージ代読、

挨拶       中川昭一 農林水産大臣 主催者挨拶   

                    平沼赳夫 拉致議連会長 来賓挨拶

                  山谷えり子 内閣府大臣政務官   

                     逢沢一郎 自民党拉致対策本部長

                  中井 洽 民主党拉致対策本部長・拉致議連会長代行                       漆原良夫 公明党拉致対策本部長・

                      拉致議連副会長 メッセージ   

                      山中燁子 外務大臣政務官

                  崔 祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長

                 李 美一 朝鮮戦争拉致被害者家族評議会代表報告 

                  宋 永仙 韓国ハンナラ党国会議員   

                     金 聖民 自由北朝鮮放送代表

                 趙 甲済 前「月刊朝鮮」編集長 出席議員紹介

                  古屋圭司 拉致議連事務局長報告    

                     深井 明 拉致問題地方議会全国協議会会長・埼玉県議

来賓紹介        櫻井よしこ    

報告          杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事訴え

                横田 滋 家族会代表、他家族会(司会増本照明)

大会声明    松原 仁 拉致議連事務局長代理

閉会の辞    佐藤勝巳 救う会会長

閉会           櫻井よしこ

(配付された資料ではなく、実際の進行を表記)

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2006年5月28日 (日)

5.28国民大集会を盛りあげよう。

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国民大集会まで、あと一週間ですね。27日の◆日韓連帯東京集会 、28日同日開催の茨城県民集会(水戸)、そして、東京日比谷公会堂の「今年中に拉致被害者全員救出を!国民大集会」を成功させ、政府に決断を迫らなければなりません。 ご家族は本当にお疲れです。私達も力を出しましょう。 上記の画像を用意しました。

ブロクやサイトをお持ちの方、応援する意志を示すために、この画像をサイトに貼り付けてくださいませんか。日本中に関心を持ってもらいましょう。

大会に参加しなくても、参加しても、関心を持って見守っていますという目地印に。御協力頂ければ幸いです。

リンク先は(http://www.sukuukai.jp/index.html)救う会のTOPページまたは、(http://blue.ap.teacup.com/star717/528.html

または、このページに。

画像だけの掲載でも結構です。

サイトをお持ちのみなさん、トラックバックなどで、応援する仲間に知らせてください。

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◆今年中に拉致被害者全員救出を!国民大集会

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

と き:平成17年5月28日(日) 午後4時から6時半まで

開 場:午後3時(先着順)

ところ:日比谷公会堂 

   〒100-0012 千代田区日比谷公園1-3

      TEL03-3591-6388       

     地下鉄霞が関駅B2・C4口、内幸町駅A7口、

     日比谷駅A14口徒歩3分

司 会:櫻井よしこ・ジャーナリスト

訴 え:家族会会員・救う会役員・拉致議連役員       韓国人被害者家族と家族会など 来 賓:(未定)参加費無料(会場カンパ歓迎) 参照:救う会HPでご覧ください。

  

当日横田夫妻、増元さんは、水戸の集会から移動しての参加です。

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2006年5月26日 (金)

東京連続集会18-13本間勝さん

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え』

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折角ですから一言言わせていただきますが、本当に韓国それからアメリカに行かれた皆さん方、本当にご苦労さんでした。
これを一歩前進としましてですね。
次の一手、次の一手をどう考えるかがかなり重要であります。
島田先生が言われたように、北朝鮮のバックにいる中国をどう攻めていくか?
中国に対しては、我々のみんな家族の命というのは基本的人権を侵されている訳なんですから、基本的人権に対してそんな真っ当な国じゃない北京の次期の2年後のオリンピックに対しては、これはもうボイコットすべきだと。(拍手)
基本的人権も誠意も無い北朝鮮がオリンピックに参加するようだったらば、日本はとても参加できないよと。
まして、アジアで大きな立場でいる日本が参加しなかったら凄いインパクトがあるんです。
もう、そういう風に攻めていくしかないと思います。
アメリカに対しては、早く牛肉を輸入して頂いて(笑い声)、今回のね、借りを返すと。(大きな笑い声と拍手)
アメリカの牛肉を食べてやってください、是非。
(西岡氏「アメリカの肉みんな食べましたから、大丈夫です、皆で食べましたから」の声)

・・・集会終了・・・

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東京連続集会18ー12有本嘉代子さん

『有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)の訴え』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
本当に横田早紀江さんがアメリカに行って下さって、本当に5分間の間に、拉致の経緯から親としての気持ちをじっくり言って下さったときは、夫婦で見てもっていました。
だから本当にね。
あれを良かった良かったで済ませないで、今先生が仰ったように、あれを日本がきちっと利用せないかんです。
それで、日本も一緒にどうすれば良いか?と言う事をしっかり考えて頂きたいと思いますし、今先ほども島田先生が仰ってましたように、寺越さんのようになったら困ると言う事を、私が一番よう思いました。(拍手)
・・・・・・・・(拍手で聞き取れず)それだけはこちらからキッチリと見て、やはりあちらの方々が分からない点はこちらからアドバイスするのがいいんじゃないかと思います。(拍手)

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東京連続集会18-11有本明弘さん

『有本明弘さん(有本恵子さんの父)の訴え』

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みなさん、こんばんは。(「こんばんは」の声)
今、私が一番危惧しておるのは韓国の家族と、横田さんとはこないに親戚同士になったと。
これを私一番危惧しとるんです。
横田さんの奥さんが図らずも仰ったように、あの家族を北朝鮮が利用したら、我々の運動が物凄く危険な状態になってしまう。
その事を家族が月末には来られますから、それは私たちは言葉ではあの家族とは話できないから、それは西岡さんの責任において(笑い声)それは家族に、いろいろこういう事があるよと言うことを、伝えて頂いて向こうから何か連絡のあった場合は、すぐにこちらの方に連絡してくれと。
そういうふうにいろいろな、作戦を練ってやってもらう。
これを見逃していろいろとやってしもうたら、偉い目に遭う可能性が十分にあると私は思うている。
そこだけはお願いします。(拍手)

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東京連続集会18-9西岡力氏

『西岡力 救う会副会長 訪米報告』

ワシントンに行ってですね。
去年から言いますと、タイに行きましてですね。
チェンマイに行って、マカオに行って、ソウルに行って、ワシントンに行って、また韓国に行ってですね。
それからこの間、斉藤(文代)さんはノルウェーに行って。
そしてタイから来てもらって、レバノンから来てもらって、中国の被害者をソウルに連れて行って、韓国からたくさん来てもらい、今回もまた来てもらう事になっているという国際活動をしておりまして、かなりの成果を上げて来ているというふうに思っています。

一点だけ私がアメリカで重大だと思った点で、今拓也さんが若干触れましたけど島田さんが触れなかったので申し上げますと、我々がアメリカにずっと訴えてきた私たちの戦略の目標は、アメリカは核問題で北朝鮮を圧迫するだろう。
今圧迫しつつある。
しかしそれは2度目の事で、第一次核危機が93年94年のときに起きて、94年には戦争の直前まで行った。
核問題を理由として。
しかし最終的に妥協が成立したあと、拉致問題は一切取り上げられなくて、日本に10億ドルの請求書が来たと。
村山政権はそれを出すと約束して、約5億ドルは支出されてしまっていると、言うのが現状です。

93年94年と言うのは、実は1988年の梶山答弁の後なわけなんです。
拉致問題があるという事を政府が認めた後に行われた。
戦争直前までも来る、日本政府が全面的にアメリカ政府に協力した危機(回避)の結果、拉致問題は一切取り上げられなかった。
そして10億ドルと言うお金を払う事まで約束させられた。
言う事があったんです。
今の韓国よりももっと悪いんですよね。
拉致問題は無かったことにされてしまった。

という事に、第二次核危機の時はならせてはならない。
いう事を戦略目標に置いて、訪米活動をしてきたわけですけども。
ですからアメリカに助けてくれと言いに言っているつもりは全くなくてですね。
アメリカも同盟国として、核問題と拉致問題とを共に戦うべきだと。
我々も共に戦うと、いう事を言いに行っていたつもりで、その話は通じたと。
拉致と言うテロに対してアメリカも一緒に戦うべきだと。
拉致と言う日本に対する主権侵害に対して同盟国としてアメリカは戦うべきだと。
そして核もやめさせるべきだし、北の人権問題も解決させるべきだと。
そのためには金正日政権を圧迫する以外に無いと、言う事をアメリカは今考えていて、我々とほぼ同じ考えになっている。
動いていると。

テロ支援国リストから外されそうになったクリントンの政権末期からすると天と地の違いで、この現代コリアの6月号に書いた島田さんの報告によると、今年のアメリカのテロ支援国リストのレポートの中では北朝鮮をテロ支援国にしている理由の中で、日本人・韓国人拉致だけではなくて、他の外国人拉致についても確実な証拠がある?(隣の島田氏に確認を求める。島田氏「信頼出来る情報がある」と発言)
信頼出来る情報があるという事が、すでに国務省の公式の報告書に書き込まれるているわけです。
(島田氏「公聴会の翌日に出た」)公聴会の翌日ですか?
公聴会行き渡った?(島田氏「かも?」)

ということで、そしてクラウチ安全保障担当の首席補佐官がいろいろな話をして最後に「あなた方と約束をしたい」と、言って言った事は、「核問題は大切である」と「絶対に解決しなければならない」と「これは日米同盟にとって重要な問題だ」といった中で、「核問題が解決する中で様々な犯罪行為、偽札や拉致問題については忘れませんし、原則を守ります。その事をあなた方に約束します」
核問題は解決しなきゃならない。
しかし、その解決の仕方と言うのは12年前のジュネーブ合意のように、拉致問題を一切取り上げないで北朝鮮に大規模な援助を行う事はしない。
という事を、安全保障会議の担当者がわざわざ雑談の中で、冒頭の挨拶とか話の延長で我々が質問したときに言ったんじゃなくて、向こうからわざわざそういう話を切り出して言ったと。

だからブッシュ大統領が会ってくれたし、国防総省と言う安全保障の部署が我々を歓待してくれたわけです。
核問題と言うのは安全保障問題なんだと。
アメリカの兵士の安全保障にもかかわる問題だし、アメリカの国民の安全の問題を担当している部署がアメリカ人は被害に遭っていない。
現在の所、島田仮説だとあるかもしれませんが、問題についても忘れないと。
原則を守るといったわけですね。
これは一般的な人権問題よりもレベルが上がったと。

中国の、いや北朝鮮の人権問題についてアメリカは言っていますけど、それが核問題の解決するときに忘れなくて原則を守るかどうか分からない。
しかし、偽札問題はアメリカは絶対6者協議で核問題が進展するにも拘らず、偽札問題での制裁をやめないわけです。
それはアメリカの主権侵害だからです。
アメリカの主権侵害と日本人拉致問題が同じレベルに上がると、安全担当の補佐官が話があったと。
我々に対する若干のリップサービスもあるんでしょうけど、しかし約束すると言った言葉は大変重いと思いますし、準備されていた言葉だったと感じました。

そういう点では、つまり日本が最善の努力をすれば、国際社会は一緒に戦ってくれる環境は出来たと。
そして核問題でこれから国際社会が今年来年にかけて、今も去年の9月から強い圧力がかかり始めてますけども、その圧力が強まっていくだろうと。
それに対して盧武鉉政権がいろいろな圧力を弱めるような動きに出てきたと。
言う大きな状況の中で日本はどうするのか?と。

小泉政権は9月までで、その後誰が、こういう朝鮮半島と戦争直前まで来るような危機の中で、誰が担当して北朝鮮問題を解決するのか?
その解決の仕方によっては日米同盟に大きなヒビが入るかもしれない。
言う状況の中で、しかし絶対アメリカは拉致問題を忘れない。
原則を守ると言った、いう事であります。
これは2001年から我々が目標にして来てやってきた事で、そういった点では助けてくれと言ったつもりは一切無くて、変な言い方すれば、同盟国としてアメリカに一緒に戦って欲しい。
こちらが戦う事が前提です。

で、今度5月28日に国民大集会をやるわけですけども、この5月28日では余り国際的な事を強調するつもりは無いんです。
ですから今日、長く訪韓の報告もやったんですが、そうじゃなくてこの状況を受けて日本はどうするんだ?と。
いうことをみんなと一緒に考える集会にしたいと思います。
そこで政府からは、鈴木副長官と山中政務官と山谷政務官の3人に来て頂いて、鈴木副長官には安倍官房長官のメッセージを読んで頂くという事になっています。
そして各党の、自民党と民主党と公明党の拉致対策本部長にご出席とご発言をお願いしている所です。
また拉致議連の先生方にも是非なるべく時間を割いて、話をしていただこうと思うんです。
それぞれの政治家として。

もう家族が色々訴えるのはもう終わったと。
可哀想だというのは皆、分かっているわけです。
今頃になって、朝日新聞とかが一生懸命写真展やっていますけども、その中には経済制裁という言葉は一切入ってない写真展で、日本の中の世論が割れていることについてやらないから人が簡単に集まると思いますけども。
それは韓国の家族会の状況などについては必要だと思いますが、今、我々が必要なことは北朝鮮に対して日本がどうするのか?と言う事を考える。
めぐみさんを取り戻さなければならないということは、もう当たり前の前提で、そのためにどうするのか?と言う事を考える、ということだと思っておりまして、そのための集会にしたい。

政治家の人達にそれぞれの党の、あるいは政治家個人として、政府の立場を明らかにしてもらいたい。
それを聞いて私達は考えたい。
我々は経済制裁をして欲しいといっている。
圧力を強めるべきだと言っている。
それについて違う考えがあれば、言っていただきたい。
違う考えがないならば、何故やらないのか説明して欲しい。
言う事を目的にしようと思っています。

そして韓国からは今回の事もありましたのでたくさんお客さんが来ますけど、日韓の、特に韓国の状況は今流動的ですから、その事を考える為に前日27日に2時から4時まで日韓連帯の集会をしますが、そこでは韓国の家族にも話をしていただくが、そこでメインに考えているのは実は月刊朝鮮の趙甲済さんに来て頂きまして。
今韓国がどういう状況なのか?と。
韓国政府が拉致問題にどう取り組もうとしていて、韓国の野党や保守派がそれをどう批判しているのか?
韓国は今真っ二つに割れているわけですけども、盧武鉉一派がやろうとしていることと、自由民主主義を守ろうとする内戦状態の戦いの中で拉致問題はどうなっていくのか?ということを、韓国の人はその事分かりませんから。
自分の状況をアピールしてもらった後、40分くらい解説をしていただこうと思っています。

そういうことを踏まえたうえで金英男さんの家族や、いろいろな問題がこれから出てくると思いますので、韓国の全体状況を頭に入れた上で、家族会・救う会としても韓国から出てくるいろいろな提案があるかもしれないし、韓国の家族の方が、この集会参加そのものについても明日あたり、記者会見があると聞いてますけど。
そういういろんなことが出てくる大きな枠組みの背景に韓国の事がどうなっているのかと言うことを頭に入れておこうと。

しかしそれは今回の国民大集会のメインではなくて、国民大集会は日本がどうするか?
言う事でやりたいと思っています。
是非5月の28日に4時からですね。
これは茨城の会の集会が先に決まっていた物ですから、4時と言う時間になりまして。
横田さんたちにはちょっとご無理を頂く事になるんですが、大事な集会だと思いますので、いつも大事な事だと無理ばっかり言ってるんですけども、是非頑張って頂いて、会場を一杯に出来るように。
ちょっと4時と言う中途半端な時間ですけどお願いしたいと思いますし。

韓国の事も是非皆さんにも考えて頂きたい。
ただ家族同士が会えて良かったとか、韓国での報道が増えてよかったと言うことではなくて、予断を許さない。
言う事ですので、直接韓国の専門家の話を是非皆さんに聞いて頂きたいと思って、土日と連続でやりますけども、ご関心のある方は、是非。
少し専門的かもしれませんが継続的に拉致を考えるのに絶対必要ですし、今後動きが出てきますから。
土曜日にも参加して頂ければと思っております。
以上です。(拍手)

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東京連続集会18-8島田洋一氏

『島田洋一 救う会副会長 訪米報告』

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あの、手短にお話しますけど、ブッシュ大統領との面会は多分実現するだろうと思っていましたが、儀礼的な握手をして「頑張ってください」という表敬訪問的なものになるのかな?と思っていたら、本格的なものになるとは分からなかったんですが。
実際実現してみるとですね。
本当の本格的な形の物になりました。

一言で言えばですね。
日本との連携をどんどん深めて、中国共産党政権、それから盧武鉉政権への圧力を強めていく。
こういう格好で北朝鮮の人権問題を厳しく追及して行こうと。
そういう大統領の意思を内外に向けて示したと、そういう意味では大変戦略的な対談だと。
従って人選も大変戦略的に行われていまして、横田さん親子を招待したというのはもちろん日米の連携強化の象徴ですけども。

キム・ハンミちゃん一家。
これはご存知の通り瀋陽の日本領事館に駆け込もうとしたところ、中国の公安に引き摺り出されて危うく北朝鮮に送り返されるところだったわけですけども。
ハンミちゃん、非常に元気な姿を見せて私嬉しかったんですが、あれもし北に送り返されていたら餓死になった可能性強いですね。
あの元気な姿と、送り返されていたら今餓死していただろう。
それを重ね合わせて考えると、中国政府による難民狩り・強制送還がいかに非人道的な行為であるか、明らかになると思います。

それから金聖民さん。
これは脱北者で韓国から北朝鮮に向けて自由化のための放送をやってますけども、盧武鉉一派が何とか潰そうと嫌がらせをしているという話ですけども、この方を呼んだというのは盧武鉉一派に対してですね。
警告を発すると言う意味があったと思います。

ついでに幹部がたくさんが招集されて横田さんの後ろの所に、狭い部屋ですけども2列に椅子を並べて座っておられたと、と言う事ですけども。
簡単にどういう人が呼ばれたか?
名前を挙げるとですね。

ホワイトハウスのいわゆる官房長官的な役割を果たしている、ジョセ・ボルティンホワイトハウス首席補佐官。
スチーブン・ハドリー国家安全保障担当大統領補佐官。
ジャック・クラウチ、同じく首席補佐官。
レフコウィッツ北朝鮮人権問題特使。
クリストファー・ヒル国務次官補、6者協議担当ですね。
チェイニー副大統領のオフィスから、サナンズ・アーリッジというアジア問題担当の副大統領補佐官も来てたと。
ビクター・チャーNSC(国家安全保障会議)アジア担当部長。
それから報道官のスコット・マクレガン氏

そうそうたるメンバーを集めて、みんなそれぞれ予定が入っていたはずですけども、キャンセルして出ろと命令があったと。
それだけ幹部をキャンセルさせて集めておいてですね。
四方山話をしましたではすみませんから、ハッキリした北の人権問題について、この政権の重要テーマにしていくんだという方針を日本・中国・韓国・北朝鮮はもちろんに対してのみならず、対内的にもですね。
徹底させるという意味があったと思います。

問題になるのは今拓也さんも触れましたけど、日本はどうするのか?と。
これは横田さんが大統領に会ってですね。
アメリカが協力してくれそうだと、良かった良かったと言ってる場合じゃないんでね。
ブッシュ大統領のメッセージと言うのは日本に対してもですね。
中国や韓国に対してもっと強い態度で一緒に当たって行こうじゃないかと。

そういう趣旨ですから、従ってまず日本としては北朝鮮に対する圧力をですね。
一段と加速させないといけませんし、韓国政府に対しては単にあの対宥和政策を傍観するだけではなくて、失敗させるためにですね。
いろいろ戦略的に動いていかなければいけない。
北で共謀政策させるような物資は一切日本では許させないですね。
いろいろなやり方があると思いますけども、

で、中共政権、中国共産党政権に対してもですね。
やはり難民の強制送還をやめさせるために、アメリカと一緒になって国際関係の先頭に立つと、いうくらいの事を日本はやるべきだと思います。
あの機会の直後にブッシュ大統領はですね。
中国で人権活動をやっている、いわゆる地下教会に属するクリスチャンの人、中国政府が弾圧しようとしている中国人の3人をホワイトハウスに呼んだと。
早速中国への圧力強化と言う事で、次の手を打ってるわけですね。
日本は何をしているか?と言うと今までのところ何もしていない。

これはアメリカの北朝鮮人権法、一昨年10月に出来ましたけれども、中身を見ると半分くらいはですね。
難民を強制送還している中国政府に対する批判。
それをただぼやっと見ている国連難民高等弁務官に対する批判なんですね。
その点、日本で用意されている北朝鮮人権法案と言うのは、中国批判等書いて無いですから、まだまだブッシュ政権がどんどん先に行っているのと比べると大変ですね、弱い。
遅れていると言わざるを得ないと思います。

中国政府に関しては私、公聴会の証言能中で言ったんですが、中国は難民を捕まえて送り返すわけですけども、その送り返されている脱北者の中には日本人拉致被害者が含まれているかもしれない。
家族が含まれているかもしれない。
あるいは重要情報を持っている人が含まれているかもしれないわけで、そういう人たちを送り返している北京政権と言うのは明らかに拉致問題解決を妨害している存在なんです。
言う事を強く協調して参りました。

従って拉致問題解決のためには北朝鮮だけではなくて、中国に対しても圧力をかけなくてはいけない。
その点ではアメリカが昨年9月から実施している金融制裁と言うのはまさにですね。
マカオの銀行を始め、中国の銀行に制裁をかけていることですから、まさにですね。
正鵠を射た動きであると思います。
是非他国もですね。
アメリカに倣って同じようにやってもらいたいと、公聴会で言って来たんですけれども。

韓国政府については救い難い状況ですが、李鍾○(イ・ ジョンソク ○=「大」の左右に「百」)統一相、(横田滋さんに)会わないと言ったらしいですけど、会わなくて精神衛生上良かったかもしれません。(笑い声)
むしろあれがですね。
にこやかに会いましょうなんて言って来たら、これは何か陰謀を考えているので(笑い声)、気をつけないといけない。
実際ですね。
「金英男さんに時々会わしてやるから運動なんかするな」とか、「拉致されたんじゃなくて溺れた所を救助されたと言え」とかね。
そういう日本で言えば寺越さんと同じようなケースのように持って行こうと言うような、策謀を絶対に考えて来ると思いますから、そこの所は大変こちらとしては韓国政府が言い寄って来た時にですね。
非常に警戒して当たらなければならないと、思います。

アメリカでですね。
強調した点の一つなんですけど、まず拉致と言うのは日本人が拉致されているからアメリカ助けてくださいという、そういう問題ではなくて、アメリカに対する現在進行形のテロの脅威でもあるんだと言う事をまず言いました。
具体的にはですね。
これはジェンキンス氏が本の中に書いている事ですけども、どうも北朝鮮は、脱走米兵の4人の人全員拉致された女性と結婚しているんですけども、曽我ひとみさん。
それからレバノンから拉致された女性。
タイのアノーチャさんですね。
ルーマニア人のドナさん。

ジェンキンス氏が言うには、西洋風の顔を持った子供を産ませてあるいは混血の子供を産ませて、それを特に在外米軍基地周辺で工作活動をする工作員に仕立て上げようと養成しようとしたんじゃないかと。
例えば在韓米軍基地の周辺とか良く混血の子供が多いらしいんですけども、そのジェンキンス氏自身もですね。
二人の娘が平壌外国語大学に入れと命令された時に、これは金賢姫が平壌外国語大学にいた時にですね。
ピックアップされて工作員にされたと言う経緯もありますから、ジェンキンス氏はやっぱりと言っていた。

というんで愕然としたと言うわけで、従ってペンタゴンでも言ったんですけども、だから拉致問題の解決と言うのは米軍基地の安全。
ひいてはアメリカの安全と言う面からもですね。
揺るがせに出来ない問題ですけども、これを言った所、フローレス副次官がですね。
首を振りながら、我々が出した世界の拉致被害者と言うリストを見てましたけども、その後すぐ側近を呼んでですね。
リストの中から、このイタリア人のケースについて彼らにちょっと詳しく聞いてくれ。
彼らと言うのは我々ですけども、イタリアは米軍基地があるわけですね。
で実は私(日本に)帰ってから、パソコンを開いてみると、フローレスさんからEメール来てましてね。

私の証言の書いたもの、書いた物は実際横田さんのお母さんからもそうですけども、実際公聴会で喋った物の何倍もあるわけですけども。
私の場合4倍か5倍ありますが、それが議会のサイトにそのまま載ってるんですね。
そのサイトに載った方の・・・・・・・・(聞き取れず)と言いますけど、書かれた証言を関係部局に全部回して置いたからと、いうがメールが来ていましたけど。
それで従ってこれでアメリカにとっても米軍にとっても異常な問題なんだと言う事がですね。
メッセージとして伝わっただろうと思いますし、それからですね。
金正日がまず76年くらいに外国人を本格的に工作員教育をさせると言うんで、77年78年にまず大々的に拉致が行われましたけど、その時分にアメリカ人が拉致されている可能性だって十分にあるという事を言ってきました。

これを言うとですね。
北もまさかアメリカにはよう手を出さんだろうと、という顔をする人もいるんですけども、77年から78年と言うと、ジミー・カーター政権の時ですよね。
カーターと言うのは先制降伏を信条としているのか?と言われる位ですね、弱い大統領。
カーターの時にもちろんご承知の通り、イランのアメリカ大使館が選挙されて大使館員が人質になった。
79年ですけども、その大使館と言うのは外国領土扱いですから、そこを占拠されて大使館員が人質になっても手をこまねいているような大統領ですから、これは北から見ればですね。
あんなアメリカ人拉致したって大丈夫と。
従ってアメリカの場合は79年80年当たりも結構危ないと思うんですけど、実際リュックサックひとつ担いで中東あたりで行方不明になったアメリカの若い人結構いますけども。

今まではですね。
中東のテロ勢力にやられたんだろうと、言うくらいに皆思っているわけですけども、そのうち何人かが北朝鮮に連れて行かれたと、言うような可能性だって十分あるわけですね。
だからとにかくまず、1977年78年に行方不明になった、特に20歳前後の人のケースについて北朝鮮との関りと言う観点からもう一辺徹底的に洗い直しましょうと言うことですね。
呼びかけました。
その議会のサイトは一応世界中からアクセスがあるということなので、アメリカのみならず各国で洗い直してもらえば、アメリカ議会とかですね。
アメリカのCIA、DIA、この辺りが本格的に調査すればですね。
その過程でまた新たに日本人拉致被害者に関する情報も出てくるかもしれませんし。

そして今日本政府としては拉致問題に関する国際世論を高めるというのを一つの外交方針にしていますけど。
そのために次の7月のサンクトペテルブルクサミットで取り上げるとか、あるいは英語のパンフレットをたくさん配るとか。
それも重要でしょうが、それよりも迂遠なようであっても調査をして77年に行方不明になったキャサリン何とかと言う女の子が実は北朝鮮に拉致されたんだと。
1件明らかになればアメリカの世論が沸騰するわけですから、従ってそういう戦略的にですね。
情報収集戦略と言うのを日本が各国に呼びかけてやるべきだと思います。
それが国際世論を盛り上げる機運ですね。
もっとも効果的なのではないか?と、そのあたりの事もアメリカで言ってきた所ですけども。

公聴会に関して最後に一言付け加えると、マスメディアの関心は全部お母さんに集まってましたから、私は全然緊張しなくて(笑い声)、いるのかいないのか分からないというそれ位のあれで。
お母さんの証言の方はまさに顔面にストレートパンチをかませたような、もの凄いインパクトがあったと思いますけど、私のはボディブローをかましてですね。
北朝鮮の専門家とかあるいはさっきも言ったペンタゴンの分析をやってる人間もかなり、私の書いた物を丹念に読んでくれているみたいなんでね。
ボディブローが効いてくれれば良いと思うんですが、最後に日本政府がですね。
この機会にどんどんアクションを起さなければいけない。
それは二つに絞られると思うんですけど、一つは経済制裁をどんどん強めていくと。
もう一つは戦略的にですね。
情報収集を各国に呼びかけていくと、これを是非やってもらいたいと思います。
以上です。(拍手)

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東京連続集会18-7増元照明さん

『増元照明 家族会事務局長 訪米報告』

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私は22日から一応訪米しました。
それはなぜかと言うと、実は昨年の7月のフリーダムハウス主催の北朝鮮人権会議がワシントンで開かれて、そのときにお出でいただいた浅野さんと言う方が大沢昭一さんの孝司さんの従兄弟に当たる方ですが、ワシントン在住でもちろん前々から拉致問題には非常に関心があったし、今日の・・・・・・(聞き取れず)という思いがありましたけども。
とにかくワシントンの、拉致被害者家族がワシントンに来た時もサポートする組織を作りたいと、その思いで昨年の秋に作り上げたと報告していました。

昨年の秋にもホワイトハウスの前で集会はやったんですけども、まだ本当に小さい組織でこれから広げていかなければならない。
広げるまでには私は解決すると思っているんですが、でもそういった方たちがアメリカにいるというのは非常に心強いですし、その方たちが今回の朝鮮自由週間と言う、これはさっきご存知のスザンヌ・ショルティーさんと言う北朝鮮自由連合と言う組織の理事長ですが、この方たちの、ノースコリア・フリーダム・ウイークという、一環として最初の22日に日本人、それから韓国系アメリカ人、脱北者 そこで集会をすると言う事でしたので、行かして頂きました。

そこには大沢昭一さんと奥さんと、それから森本美沙さん。
これは山本美保さんの双子の妹さんですが、も、お出でになって訴えらておりました。
市川健一さんもそこにいて、健一さんには修一さんへの思いを読んで頂きましたが、何分にもホワイトハウス前の芝生でやっている小さな集会ですから、日本のメディアがだいぶ来ていただいてはいたんですが。
まだまだこれから大きな集会になるにはちょっと厳しいかなと言う思いもしておりました。
でもそういう集会から少しずつでも広がっていければ良いと思っております。

更に「アブダクション」という映画が22日、それから23日の昼にボストンで行われるという事を聞きまして、そこに私達も行った方が良いだろうということで22日の集会を終えたその足で、30年ぶりにボストンへ行って。
でも余り変わってなかった気がするんですけどね。
良い町です。
そこに行きまして、それで2回ありまして2回とも200人強ですか。
合計500人くらいの人たちが集まってくれました。
3割くらいは日本人、日系の人がいたんですが、アメリカの人たちも結構観てくれています。
あちこちのそういう映画祭で上映されていますので、延べ2000人以上は見てくれています。

更に29日にはカナダのトロントで850人くらい収容できる映画館でやったと言いましたので、そのときソールドアウトしていたと聞きましたので、カナダでもそういう一般の方たちへ拉致と言う訴えが広まって行けば、きっと大きな力になるとは思っておりますけども。
そういった事も含めて、感謝していきたいと思っておりますけども。
残念ながら、このアブダクションは今年中に日本で公開されると言う事は、ちょっと難しいのではないかと思っています。
今度来月なんですけど、限定で今度関係者を集めて上映会を開きたいと言う意向があるようですけども、一般公開するにはまだ多少乗り越えなければならない壁があるようです。

そして24日にワシントンに帰ってきて、長旅の皆さんと合流しました。
アメリカの飛行機と言うのはすぐ遅れる。
ユナイテッド、ボストン8時で9時45分につけば十分間に合うと思ったんですが、それが何か天候のせいなのか8時の奴がすでに3時間遅れていて、それじゃ間に合わないと思って。
朝早く起きたもんですから、飛込みで7時の奴だったら定時で飛ぶからと言って7時から一応乗ったんです。
どうにか間に合って乗ったんです。
でも飛行機の中で2時間くらい待たされまして、何故待たされるのか全然良く分からない。
天候のせいだと言うふうには言ってるんですけど、でもそういうのしょっちゅうですから、アメリカは。
1時間2時間遅れは当たり前ですので、もし時間通り行きたいのだったら列車をつかってください。
でもだいぶ時間がかかりますけども。

どうにか一緒の時間には着いて合流が出来ました。
日本から先ほど言ったように、あの時は政務官二人まだお出でになっていませんでしたけど、外務省それから調整室それから・・・と我々とそして合流させて頂きました。
今回日本大使館の皆さんも早紀江さんの体調を一番目においていましたので、私たち結構アメリカに行ったときはハードスケジュールだったんですけど、2003年は本当にハードスケジュールでした。
けれども私たち行く度に多少スケジュールを入れて頂いてこなしてはいたんですが、今回はもう体調がまず第一だと。
公聴会までとにかく体調を考えて緩やかなスケジュールにしようのがあって、だいぶ考えて頂きましたけど、それでも先ほど言った国防総省、今回は国務省には行きませんでしたね。
NSC(国家安全保障会議)そして公聴会、最後には大統領というメインイベントが、今までに無い重い、これがあったんですが。

それはそれで大統領に会えたのは最終目標と言うか、今回の最終目標は大統領に会うために早紀江さんに無理をして頂いたという事もありますので、それが実現出来て非常に良かったと思っています。
多分大統領にお会い出来ると言うのは先ほど副代表が仰ったようにシーファーさんが半分以上は確信していたんですが、実は昨年の11月に拓也君と私と島田先生がアメリカに行ったときに、当時のNSCの代表のマイケル・グリーンという上級部長に、もう辞められたようですが、その方にもそういう打診はしたんです。
是非大統領にお会い出来る機会は無いだろうか?と言う事は言っておりました。

そのときに大統領の訪日前で、もし日本に来られる時だったらという事だったんですが、結局実現しなかったですね。
でもおそらくシーファー大使が今年の3月、横田めぐみさんの拉致現場に行ったという事は、向こうのアメリカ政府、ブッシュの意向も多少あったのかな?と私は思っているんです。
で、シーファー大使と会って4月の公聴会が行われる時に会う段取りが出来たからと私は思っています。
確信して会えるだろうと思って確信して行ったんですが。
それでもいろいろな安倍さんやそれから平沼さんたちも外務省も、それから日本大使館も皆さんが一緒になってアメリカ政府に掛け合って最後の最後まで秘密にしながら実現できたというのが現実です。

で、公聴会です。
公聴会、これは27日、下院国際関係委員会アジア太平洋小委員会というのがあります。
これはジム・リーチと言うちょっと白髪の声の小さい方なんです。
写真が前もってたんですけど今はちょっと手持ちが無いんでこの委員会の委員長が
もうひとつ国際人権小委員会と言うのがありまして、これはスミスさんと言う委員長なんですが、格からするとジム・リーチさんの方が上なんですが、この二つの委員会、人権とそれからアジア太平洋の中の問題をやるというので、この二つの委員会が共催でやられたようです。
委員長が二人いらっしゃるんですね。

「北朝鮮:人権最新状況と国際拉致」公聴会と言う名前が付いていたようで、早紀江さんの最初の証言の原稿はこれだけの内容だったんです。(原稿の書かれた紙を掲げる)
これをちょっと読み合わせしたら5分では読み切れない。
とても5分では読みきれないということで、この早紀江さんの口調と言うのがあるじゃないですか?
ゆったりと相手に説得するような。
それを早口で言っても何にもならないので、縮めようと言う事でこの半分くらいの量になったんです。
それをまた、これが最終稿。(別の原稿が書かれた紙を掲げる)
これくらいにまとめて5分くらいでまとめてやったのが、寝ないでやった西岡さんとさっき言ったスザンヌさんと、当然拓也君も一緒にやるし、英語の事ですから当然島田先生も。
島田先生酒飲んでましたか?いましたか?(島田氏より「いませんでしたね」の声、会場内小さな笑い声)

島田先生、なにか公聴会前で緊張して自分の義務でということを私に仰っていましたが、私はそれを余り信じていないです。
島田先生酒飲んで・・・(聞き取れず)良いと思ってたんです。(笑い声)
で、本当に西岡さん、大変だったと思います。
いろいろな準備で、特に大統領の面会もそうですが、公聴会も訴えをどうしようかと非常に苦労されたと思います。
通訳のスザンナさんにもお願いしたり、それから山本君にもお願いしたりして、いろいろとその調整もやられたようですね。
皆さんもテレビで御覧になっているように、早紀江さんの口調と言うか訴えるように、私たちは後ろから見ていたんですが、正面を後で見るとやはり写真で見ていても、あれだけで訴える。
言葉が通じなくても訴えられました。

この小委員会に出てきた女性の名前を私ちょっと忘れましたけどその方も泣いておられました。
その女性の方が公聴会で一番最初に話をしたレフコウィッツに対して、「あなた今何をやっているのか?」って、凄い詰問口調なんですよ。
「今この拉致問題にしてどれ位動いている?実働どれくらいなの?一週間どれくらい動いているの?」
殆どたじたじでレフコウィッツが、そして「日本に言った事があるんですか?中国に行ったことがあるんですか?」とまで言って、結局日本にも中国にも来てないのでこいつは、答えられなかったと私は記憶しています。
それ程厳しく追及する女性議員が、早紀江さんの言葉に目頭を熱く涙をされるわけですよね。
それだけ凄い、私たち傍で聞いていてもやはり感動する場面でした。
まずこれがあってやはり世界に訴えられたのではないか?と思っています。

私は28日に帰って来たので、ブッシュ大統領との面会直前に私は・・・(聞き取れず)ものですから。
ただ朝方だいぶ緊張されていたようですが、拓也くんが話してくれると思います。
28日に私はそのまま帰って来ました。
帰って来る時かなぁ?帰って来る時、日本政府の安倍官房長官とそれから小泉総理の談話が載っておりましてね。

これを聞いて安倍長官は、こう仰ってるんですね。
「10年が経過したけれどもいまだに救出する事が出来ないということは、大変私にも重く響いたわけでありまして、我々もしっかりとこれを私たちの責任としてこの問題の解決をしていかないとならないと。
めぐみさんたちをしっかりと取り戻す為、最善の努力をしていきたいと改めて思いました」
っていうのが官房長官のお話です。
28日金曜日10時7分から25分の間。

そして18日午後6時29分から5分間、ぶら下がりインタビューで、
「これはブッシュ大統領が会ってくれれば、米国が拉致問題に重要な関心を寄せているという現れですからね。
世界的な関心ごとになりますね。
拉致と言うのは許す事の出来ない人権侵害であり、これは日本も米国と協力し、そして世界も関心を持って欲しいと。
今後北朝鮮に対して、やはり誠意ある対応を示さなければいかんなぁという、そういう圧力になってくると思いますね。
それを期待しています」
これが小泉さんの言葉です。

非常にガッカリしたというか他人事みたいで残念なんですが、早紀江さんに無理をしていただいてアメリカに行って頂くのも、日本政府にもっとしっかりやって頂かなければならない。
特に小泉さんブッシュに会えばいいはずなのに、そういう思いはあるんですが、もっと当事国の総理としてもっとコメントのしようがあるだろうと私は思うんですけど。
これが非常にガッカリしまして、ちょっと疲れがどっと出てしまいました。
これが私のアメリカの訪米報告です。(拍手)

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東京連続集会18-6飯塚繁雄さん

『飯塚繁雄 家族会副代表 訪米報告』

5183

今の横田早紀江さんの方からおおよそ話がありましたけども、25日~29日まで、家族会としては横田早紀江さん、私と増元事務局長それから横田拓也事務局次長、この5人で、もう一人市川(健一)さんですね。
この5人で、救う会の方は西岡先生と島田先生が同行して頂いた。
そのほかに政府から山谷(えり子)政務官とか山中(○子、○=火へんに華)政務官、外務省の関係で調整室の方が一緒に同行されて行きました。
それから議連の方でも古屋(圭司)事務局長ですね。
民主党の渡辺周参議員、この方がいろいろな集会あるいは会談に同行して頂きました。

細かく話すと長くなりますから感想ですけども、やはりアメリカへ行くと先ほど増元さんがホッとすると言いましたけど、本当に人権の話と言うのはどこでも受け入れられる。
まずその人権と言う事がきちっと守られなければ他の事は出来ないと。
この話も早紀江さんがブッシュ大統領と会った時の名言として「私はこの人間を尊重する、人権を守るという事を考える時間が無いほど忙しくない」と。
言うような名言をしていただいて、まずもってこの話と言うのは全てに通じると、全てに優先すると。
そういう意識が非常に一連の日程の中で感じられました。

もう一つ名言としてはですね。
これは新聞にも出てましたけどね。
「最近に無い心を動かされた感動の一日だった、会談だった」と。
この二つを私は非常に心に感じて、果たして我が国と比較してですね。
そういう事を思うわけですけども。
いずれにしてもそういう事では、私たち家族会は行く度にですね。
物凄い高官の人が出て来てくれると。
今回、最高の人が出て来てくれたんですけど、行く前にはもしかしたら会えるかも知れないと言う半信半疑で、もちろん期待を持って行ったんですけど。
各方面から、もちろん安倍官房長官含めて各方面からの願い・申請によってこれが実現されたと。

特に日本も駐日大使、あ、ごめんなさい、シーファー大使ですね。
この方がブッシュ大統領とだいぶ仲が良いらしくて、「おい、お前」と言う仲みたいなんですね。
新潟にも行ってくれましたし、その実態も確認して家族会が行ったら会ってくれという事になったようです。
この話も実はですね。
先ほどのペンタゴンに行った時のイングランド副長官が、私たちとの会談の時にもらしちゃったんですね、ちょっろとね。
私たちは悲鳴上げて喜んだわけですけども、「あ、ちょっとそれは待ってくれ」と。
「どう変わるか分からないから」と申しましたけど、全く自信のある言い方で話してましたけど。
そうしてこの最高のブッシュさんに会えたわけですけども。

これは、この事自体は物凄い世界的にインパクトを与えたんではないかと。
もちろん北朝鮮に対しては相当なインパクト、政治的なメッセージを与えたと思うんですけど。
これは世界で一番のトップの大統領と言う位置付けもありますから、当然世界的にもこの問題をきちっと取り上げていく機運と言いますかね。
これを得られたんではないかと、言うふうに感じます。

問題はですね。
これはニュースでぱ~っと流れてさっと抜けたと言う感じもあるんですけど、先ほどの韓国の報告にあったようにこういった我々の活動、皆さんが今日来ていただいた我々の活動の成果といいますか、活動の過程の中の成果。
これをただ喜んでいるわけではありません。
当然ながらこれを上手く引き継いで、それぞれの政府がこの問題をどうやって解決していくんだと言う具体的な動きがなければ意味が無いんですから。
私たちはそれを相当期待しているわけです。
日本政府も韓国と協力してこの問題に対応していくんだという話もありますけども、中々具体的には話が出てこないのが非常に残念だし今の状況です。

我々としてはこういった物を少しでも国民、日本国、あるいは韓国、あるいは世界の人間にですね。
訴え続けて、この問題と言うのは世界的に広がっている。
こんな問題が今あってはならないという事を今後も訴えながら、少しずつでも解決の糸口が見つかるように頑張っていきたいと思います。

このほかにアメリカの活動の中で、例えばワシントンに在住する在米商工会と言うのがありまして、日本企業の社長さんがたが集まる組織があるんですけども、約100名くらい来て頂きまして、私たちの訴えを聞いて頂きまして、非常に感動したと。
で、我々もアメリカの中で何か役立つ事をやりたいとそういったお答えを頂きましたけど、非常に関心を持っております。
「日本ではどうなんですか?」と言う質問もありましたけど、もちろん今のこの世論の盛り上がりと言うのを説明をしていきました。

それとあと丁度、早紀江さんがブッシュ大統領に会っている時間帯に、国会議事堂の前で野外集会と言う事でスザンヌ・ショルティーさんが仕切っている団体、あるいはその活動、行事なんですけども。
私と島田先生と訴えて参りました。
これもですね、韓国系の人が多いんですけども、人権問題と言うのは最重要だと。
拉致とかそういう問題については非常に怒っていると、言うような雰囲気の大会なんですけども。

私も一言喋りましたけど、傍で通訳してくれる人がですね。
山本君って言うんですけども、私の事も知ってますし家族会の事も知ってますし、これまでの状況も知ってます。
そういう中で私の言葉を感情的にプラスアルファしてですね。
物凄い迫力で言ってくれるんですね。
私も傍で聞いていてビックリしましたんですけども、非常にそういう意味では日本から家族が来て、直にこういうところで日本語で訴えていると。
言う姿は皆さんの心に残ったかなと、言う思いです。

通訳の話でもう一つ、早紀江さんのですね。
公聴会で訴えたときにやはりその凄く綺麗な英語で、それから感情を凄く込めて、早紀江さんの気持ちを十分汲み取った通訳って言うんですかね。
私全部分かりませんけど、そういうふうな意気込みを感じてました。

一方韓国の方の証言、公聴会の参加者はですね。
時間も守らないでだらだらだらだらと言ってましてですね。
折角日本の人たちが頑張ってこういう場面を作ったのに、それに乗っかったと言う感じが私もしないでも無いんですけども、時間も守らずですね。
通訳もただ直訳するだけで、あんまり迫力がなかったと言う感じもいたしました。
ちょっとすみません、長くなっちゃって。
(西岡氏より「大丈夫です、訪米報告メインですから長くして頂いて」の声)

それから余談ですけど、斎木公使、全権公使ですね。
前、外務省におられた。
この人がワシントンに駐在していまして、自宅にですね。
結構大きな家なんですけども、そこへ私たちが朝ごはん、朝飯を招待されまして。
気を利かして納豆と卵と味噌汁と、こういう感じだったですけど非常に美味しかったです。
そういう気がします。

非常に広い家屋でですね。
周りが非常に緑が濃く、非常に空気も良く静かで、逆に斎木さん曰く「一人では怖い」と、言うふうな事を言ってましたけど。
「毎日納豆を食べながら仕事をしてますよ」と言う話もしましたけど。
またああいった拠り所があるとまた非常にいいなと言うふうに感じましたけども。
斎木さんもアメリカにいても、この問題は日本にいるときと同じように、あるいはそれ以上に気を使ってあらゆる面で対応していきたいと。
何か相談事があったら即相談してくれと。
いうような話もありましたので、私たちとしては心強く感じました。
また後、拓也さんの方からも補足があると思いますけども、私の感じは一応以上です。(拍手)

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東京連続集会18-5横田早紀江さん

訪米報告

5181

本当に皆様にご心配をおかけしていましたが、良いように、全てのことが順調に進みまして、思いがけない、ブッシュ大統領ともお会いすることができて、『長男拓也と二人で出てください』ということで、お会いすることができました。


始めの時に、もっと早い日にちに、増元さん達が先に出発していただいて、いろいろと行事に参加してくださいまして、私達は24日にでたんですが、25日にチャボットという下院議員の方に話をすることができました。それから26日、このときは、大使レセプションというので、ほんとうはラムズフェルドさんがいらしていただくはずのところが、、イラクの方にいらしたものですから、あの方とはお逢いできないと思っておりました。そうしたら、副長官のイングランドさんという方がですね、その場にきてくださいまして、ローレンス副次官とか ヒル北米アジア部長さん、(・・名前、ちょっと忘れちゃうんですけれど)沢山の方があってくださいまして私達の話を聴いてくださいました。

その時にイングランドさんという副長官が、私達家族と『写真を写しましょう』と言って、めぐみの、あの哀しい白いブラウス写真と、広島で、私達家族4人の歩いている写真との二枚を、かなり大きなパネルにして持って行っていたんです。それをお見せしましたら、『一緒に写しましょう』ということで、このようにして写していただきまして(その写真を掲げて)、翌日の公聴会の『証言の、その時までにすぐに、家族の人たちにこれを届けてあげなさい』 ということで、その日の朝早くに私達、行った家族に一人一人全部メッセージ違って、こういう風な紙にはいってですね、お届けくださいました。本当に迅速な行為というか、暖かさというものに家族はみな感激しました。本当にありがたいと思いました。
その時に写したものが、ここに何枚か、国防総省で写したものが何枚かありますので、又後から、見ていただけばいいと思います。

そして、27日の公聴会が非常に、初めてのそのような場所なので、心配だったんですけれど、西岡先生、島田先生、スーザンさんという女性の通訳の方とが、本当に細やかに、何度も何度も私の書いたものを、見てくださって、そして、本当に5,6分しか日本語で言えないんですね。通訳の方が5分ということで、だいたい10分ぐらいでピタッと終わらなければいけないと言うことで。ずいぶん長い文章を書いていたんですね。それを本当に何度も何度も先生方が、直してくださいまして、そして、スーザンさんや島田先生がそれを英語に訳してくださいまして、それを書いて書いて、前の晩は一生懸命遅くまで部屋で話を全体が10分以内で、両方がピタッと終わらなければならないと言うことで、
一生懸命、夜遅くまで、西岡先生の部屋で話をピタッと時間内にいけるかどうか、練習をいたしました。何度か読んで、スーザンさんが通訳なさって、すぐにぱっと次ぎにはいれる、スーザンさんが通訳なさって。なかなか重なったちゃったりして、早く言いすぎたりして、いろいろあったんですが、時間は本当に正確にきちっとした部分、大事なところだけを、先生方がきちっと書いていただいて、そして本当にその当日に、安心して眠ることができました。

スーザンさんは、通訳をなさいますので、私の隣に座ってくださるという話になっていたので、安心していたんですね。早く私が話しすぎないように、私が英語で話した後は、『ぱっと、机を叩いてあげるから』って言ってくださったので、『あ、それじゃぁ大丈夫だ』と思ったんですけれど、当日その席に行きますと、『横田早紀江さん、一番端っこです』って言われて、一番始めのところに行ったんですね。その次は、スーザンさんかと思ったら、韓国の方が座られて、島田先生、韓国の方、スーザンさんは一番端っこの方に座ったんですね。『わぁ、どうしよう』と思ったんですけど、まぁだいぶ練習していたので、一生懸命やればいいと思って、一生懸命、話をさせていただきました。
本当にちょうど良いように、一秒ほどおいて、もう大丈夫かと思って、次ぎを話すというように。『本当にちゃんと伝えられていましたよ』と後から言っていただいて、ホントにありがたいと思いました。

その時もですが、ブルーバッジを委員の先生方お二人に『付けてください』って、舞台に上がる前にお願いして『はい、付けます』っておっしゃって、それを付けて座ってくださいましたし、翌日のブッシュさんにお目にかかった時も、私がすぐに『バッジをお付けします』って持っていきましたら『これは自分で付けるのが一番うまくいくんですよ。でも、貴方に刺されると思って言ってるんではありませんよ。』と。(早紀江さんも会場も軽い笑い)すごい面白いことをおっしゃるんだなと思ったんですけれど、さっと、すぐに上手に付けてくださいまして、会談に赴いてくださいました。

加藤良三大使が、ホワイトハウスにわざわざホテルから連れて行ってくださる案内をしてくださいまして、二人を乗せて連れて行ってくださったのですけれど。『今までいろいろな会見が有りますけれども。ブッシュさんは、その人達とカメラで写される記念撮影はしたが記念撮影はなさいますけれど、絶対にメッセージ出す、話すと言うことは今までなかった事で、これは異例ですよ。』って言ってくださったんですね。それでびっくりしたんですけれど。でも、『はい』って言ってホントにどんな人かなと思っていたんですけれど、非情に明るい感じの人で、本当にテレビで見ていると同じ、何かすごく、どうらん化粧ををしているのかな?とおもうぐらいなんか、赤茶っぽい顔でいらしたから、『あ~、こういう人は、こういうときもお化粧するのかな』とか、変なところまでみながら、・・・(笑い)

本当に『あんまり緊張しないでください』と言ってくださって、何度も。『緊張しないでください。みんなもっと笑ってください』おっしゃってくださって、こちらを安心させてくださって、お話をしてくださいました。

それで、ハンミちゃんという女の子も大きくなって、入ってくると、すぐにブッシュさんはハンミちゃんをすぐに抱き上げて『大きくなったね』と言って抱き上げて、
お話をしましたときも、私は、本当に、さっきも先生がおっしゃたように、国家犯罪としての悪を行っている。そのことが一番基にあって、こういう悲劇が日本だけでなく、韓国、いろんな、二重に家族が苦しんでいる人がいるんだ、って。一番悪の根源がはっきりとしていると言うことを、みーんなが知らなければならないということで、そう言うことでみんなが頑張ってきたんで、みなさんに伝えたくて参りましたけれど、ブッシュさんにも、そのことをすぐにお話ししました。

『本当にもう、悪というものと戦うというのは、もうほんとーに、大変な、考えられないほどの忍耐と辛い思いをしなければならない事ですが、私達全部の人たちを取り戻すために、一生懸命にみなさんに支えられて、今日まで頑張ってきました。』と言いましたら、『本当にその通りだ』ということで、北朝鮮に対してはっきりと、みなさんもお聞きになったと思いますけれど、『本当に世界に信頼される国になりたいんなら、お母さんは、何もいらないんだ。子供を抱きしめたいだけなんだ。だからこの親子を抱き合わせなさい』とはっきりといってくださいました。そして、『本当に国家が何も罪もない国家の意思で、他国の国民を誘拐して他国で暮らさせるなんて、本当にとんでもないことだ。』とはっきりとメッセージの中に入れてお話ししてくれたことが、ちょっとびっくりしたんですが。

本当にその通りで、いろんな問題が、今度のこと、今おっしゃったヨンナムさんとの会見の中でヘギョンちゃんという孫が、両方のにとって孫ということがあります。そのために、昨日お手紙を頂いたんですけども、金英男さんのお姉さんからも、長いお手紙を頂いたんですが、やっぱり、 『ヘギョンちゃんだけでも、私たち両家族だけで一緒に会えたら、どれだけいいのでしょう、それは可能でしょうね?』と、クウェスチョンマークで、書いていらっしゃいます。『誰もこれについて、話をしてくれていません。この願いだけは、叶えられる事を願います。』 これは肉親の情として当たり前で、私達は、ヘギョンちゃんが現れた時に、本当にすぐにでも飛んで行きたいとの思いを持って、葛藤の中で留められたのですが、やはり今その状態の中にいらっしゃるのだなあと思いますが。

本当にこのことが、<対面>ということになって、金英男さんという人がもし出てきたとしても、向こう(北朝鮮)の言葉で、向こう(北朝鮮)の指令の中で、『横田めぐみは本当に死んだんだと、言いなさい。夫である貴方が言いなさい。』そして『子供である貴方が言いなさい』と、ヘギョンちゃんと二人に厳しく言った場合、もうそれは、あそこの国にいる限り、守らなければならない。どんなに哀しくても、その通り平然と言わなければならないような国ですから、そのときには、そう言うことが起きたときに、私たちはそのときには、何も言いようが無く、本当に私達、行き詰ってしまってどうしようもない状態が起きてくる。それはうちの事だけでなく、全部の、ものすごい数の苦しんでいる人が、また、同じような中で行き詰まっていくという、ものすごく大変な問題にそう言うことがあった同じよう中で引き裂かれていく。つながっていく。ものすごい大変な問題がつながっていく。絶対にそんなことは出来ないのですが、今回、お会いしたことで肉親ということの中で、このようなことが北朝鮮からのいろんな指令の中で動いていった時、本当にどの様に対応していったらよいのかなと、本当に最初から心配していましたので、これからも皆さんに考えて頂いたり、救う会のご協力で考えなければならない事だとと思っています。

本当に、ブッシュさんにお会いして、やっぱりこんなような事をしている国があることが、拉致問題だけじゃなくて、麻薬とか、前から言われているようにお金の問題とか・・・とか偽ドルとか、様々なこと・・しまいに核まで今は。それが経済援助することによって、どんどん、どんどん、向こうは生き延びていくわけですから、そのことによって、また、もし核を今やっているとすれば、またそれをお金に使って、軍備というものを、いそしんでいくと言うことが明らかなのですから。それが長引けば長引くほど、どれだけ多くの人が苦しまなくてはならないか。世界的にいろんな不幸なことが、起きてくるんじゃないかと言うことは誰にも明らかなことですから、何とかここはみんなで踏ん張って、日本中で、アメリカ中で、韓国も連れになって、一緒になって、北朝鮮のトップの人に、こんなこと、大変なことをやっているんだと言うことがわかるように、いろいろな形でメッセージを送っていくしかないって、私は思っています。

今回は本当に素晴らしい経験をさせていただきました。
本当に、多くの素晴らしい方にお願いができたこと、そしてだんだん、これが、どうなるかわかりませんけれど、これからもみんなの本気の努力さえあれば、これが結束すれば必ず解決すると私は信じていますので、これからもどうぞ宜しくお願いします。

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2006年5月21日 (日)

東京連続集会18-4 西岡力さん

『西岡力 救う会副会長 訪韓報告』

訪米の事がありますので少なめにしたいと思いますけども、韓国の今の拉致問題の状況は、丁度日本の河野外務大臣が60万トンのコメ支援をしたときと似ているなと思っています。
まず、最初は日本も韓国も同じですけど、拉致問題はあったわけです。
あったけれども無かった事にされていた。
家族が声を上げなかった時は、問題があったにも拘らずマスコミも政治も国民も取り上げずに、ただ本人と家族が自分達だけで苦しんでいたと、言う時期があるんですね。
韓国も去年くらいまではその時期だったんじゃないか?と。

家族が名乗り出て日本との連携の中で2000年から運動をしていましたけれども、今増元さんが言ったみたいに、家族会が主催で拉致集会と言うのを拉致だけで出来て無いんですね。
抗議行動はたくさんやってますけども、北朝鮮の代表が(韓国に)来た時に行って抗議行動をして機動隊に殴られたりとかですね。
韓国の警察は家族も殴りますから、そういう事はやってましたけども、その家族を支える国民が50人でも集まって集会をするとかそういう事は余り無い。
ほとんど無かったですね。
家族の人たちが人数が多いもんですから、家族たちが集まると言うのはありましたけども。

と言う状況が変り始めたのは去年の後半くらいで、北朝鮮の人権問題に関する韓国国内の特に一部の若者たちに関心が高まって、そしてそういう中で崔祐英さんが黄色いハンカチ運動と言うのを始めたんですね。
黄色いハンカチを木に結ぶと。
特に北朝鮮に見えるところの板門店の近くの木に結ぶんですね。
梯子をかけて木の上の方に結ぶわけです。
で、「うちのお父さんに見えるように」と言って結ぶんです。
それが父親を思う娘の心と言う事で、純粋さが国民(の心)を打ってですね。
黄色いハンカチ運動と言うのが去年の年末くらいから広がっていまして、去年の12月にフリーダムハウスと言う、アメリカのNGOが北朝鮮人権法によってアメリカの政府から得た支援を元にして、韓国のNGOと協力して開かれた国際会議でも黄色がシンボルカラーになったんです。

リボンだけでなく黄色のバッジとかも出て来てですね。
野党のハンナラ党も黄色いリボン運動に参加すると。
それからキリスト教の大きな教会が黄色いリボン運動に参加すると言うような事が起きて、少し盛り上がっていた所で今度は金英男さんがめぐみさんと一時期結婚していたことが分かったと。
その事があって、その後今度はブッシュ大統領が早紀江さんに会うと言う事が起きて、アメリカは拉致問題をこんなに重視しているんだと。
その人の親戚に当たる人が韓国の拉致被害者なんだと言う事で、余計今回大変な盛り上がりがあって、町の人の声を少し聞いてみたんですけども、拉致があるという事はかなりの人が分かる様になったと。
今まで拉致があると言う事も、韓国人が拉致されていると言う事も知らなかったと言う。

学生のボランティアの人にも会ったんですが、3~4年前は韓国人が拉致されていると言う事を私たちも知りませんでしたと。
3~4年前と言うのは、韓国の家族会は2000年に出来ているわけですから、2000年に出来た後3~4年くらいは、北朝鮮の人権問題に関心を持つ学生たちも知らなかったと。
言う状況だったんですが、今回の一連の黄色いリボン運動から金英男さんの事、そしてアメリカのブッシュ大統領の事で、韓国の世論が拉致の事は知るようになったと。

知るようになったら今度はどうするか?と言うと、北朝鮮を刺激しない方向で解決しようとするんですね。
我々の経験からしてそういう事が起きたんですけども、今韓国政府はそういう事をやろうとしている。
拉致を無視は出来ない。
だから、取り上げると。
取り上げる方法は、北朝鮮が身柄を持っているんだから、北朝鮮を刺激しない方が良いと。
大規模に援助をして返して貰おうじゃないかと。
いう事を今の政府は言い始めているんです。
それを言っているのは李鍾○(イ・ ジョンソク ○=「大」の左右に「百」)という統一の長官で、横田さんに会う必要は無いと言った訳ですね。

それは横田さんや我々は北朝鮮に圧力をかけるべきだと言ってるんですね。
ブッシュ大統領もそうなんですね。
李鍾○(イ・ ジョンソク ○=「大」の左右に「百」)さんは圧力をかける事に反対なんですね。
圧力をかけないために何をするか?と言う事を常に考えている人で、だから多分会う必要はないという言葉が出て来たんだと思いますけども。

じゃあ韓国のメディアの取り上げ方はどうなのか?と言うと、13歳で攫われた女の子と16歳で攫われた子とが結婚していたと。
その親戚同士が会うんだという事ばかり繰り返して報道していまして、そこには可愛い女の子も生まれていると。
その女の子がお祖父さんお祖母さんに会いたいと言っていると。
いつ会いに行くんですか?と言う報道が主です。
量は多かったですけども、そういう報道です。

でも拉致問題を知らないという人たちが、拉致されていたんだと言う事は分かったと。
じゃあ、政府はどうするのか?という事になるわけですけども、政府は大規模な援助をして取り戻す。
拉致と言う言葉を使わないで行方不明者と言う言葉でやる。
今年の2月だったと記憶しているんですが、もしかしたら違って3月だったかもしれませんけども、金剛山で離散家族の再会があったんですけども、そこに韓国のメディアが行って、その中に一部拉致被害者が入っていて家族との再会だけさせられて帰って来たんですけども。
拉致と言う言葉を使って現場でテレビで中継したら、北朝鮮は電気をプツッと切っちゃって、「拉致と言う言葉を使うな」と。
それで記者団と喧嘩になったんですが、北朝鮮はそこは折れなかったんで、そして記者団は全体で引き上げると言う。
「行方不明と言え」と言う事がありました。

そして韓国政府は今行方不明と言う事で、北朝鮮に対して被害者を返してくれたらば大規模な援助をするという話を李鍾○(イ・ ジョンソク ○=「大」の左右に「百」)さんが言ったわけですね。
で、盧武鉉と言う大統領がモンゴルに行って、被害者を返してくれると言う条件も落としちゃって、無条件で大規模な援助をすると言ったんです。
その延長線上で6月に金大中元大統領が列車で訪朝すると言う話が、政府が全面的に援助をして始まっていると。
そしてそこでは南北の2回目の首脳会談をいつやるのか?と言う事が話し合われて、国際社会が北朝鮮に対して圧力をかけるという時に、韓国の政権が北朝鮮に援助をするという動きをしようとしている。
そしてその援助をする口実に、拉致被害者を取り戻す為には援助が必要なんだと言う事を使おうとしている。
と言うのが全体の構図です。

しかし(横田)滋代表が仰ったように、何もしなければ何も出来ないので一歩前進したと。
韓国民の大部分が韓国人が拉致されているって言うことが分かったと。
野党も今回、我々立ち上がると言ったんですね。
それまでは野党も余りやらなかったんです。
脱北者と一緒に扱ってたんです。
脱北者問題の方が世界の関心があったので、そっちの方を優先していたんですね。
両方しなくちゃいけない事なんですけども、しかし我々韓国の野党の党首に会いましたけど、どうするかとは言わない。
真相究明するとか政府が立ち上がるべきだとかそのための法律を作るとは言いましたけど、経済制裁するべきだと言うことの議論は出てこない。
政府が今までやってこなかった事の無策がけしからんと言う。

ですからぜひ日本の拉致議連の先生方と交流してくださいとお願いしたんですけども、そこで議員同士議論をしていただいて、家族の話を聞くと言うんじゃなくて北朝鮮政策をどうするのか?と言う議論を政治家同志で是非して頂いて、日本は河野外務大臣の時の経験があり、そしてコメを出さなかったら5人が帰って来たと。
出した時は行方不明調査と言っても何も出て来なかったと、言う経験をしているわけですし。
議員同士で是非協力して頂きたいという話はして来たんですけど。

ですから一歩前進であるけれども、予断も許さないと。
そういう点では増元さんが緊張を覚えたというのは正しいと思いますけど、増元さん結構朝まで屋台なんか行ってたので(大きな笑い声)緊張していたというのも・・・(笑い声で聞き取れず)と思いますが。
と言う状況ですから、6月の金大中の訪朝で何人かの被害者が帰ってくるかもしれないけれど、噂が流れているのはそういう事で、帰って来たとすればですね。
それは多分5人が帰ってきたときみたいに一時帰国と言う事で帰ってくる可能性が高いと思います。
それで(北朝鮮に)戻ってしまう。
その見返りにかなり大規模な援助が行われて、国際社会が今経済制裁をしているのを無効にすると。
全体の人が帰って来れない状況になってしまうかも知れないと。

今回の朝鮮総連と民団の、私に言わせると野合ですけども、そういう韓国政府の北朝鮮を孤立化させない政策が東京でも行われている。
韓国政府の指導の元に民団は動いたわけですね。
そして金大中さんが行くということになっている。
それを日米が、そして韓国のこちらの人たちはどう止めるか?
と言う事で、実は韓国の保守派を代表する知識人の一人の趙甲済さんに、私一人朝食会の後に飛び出して会ったんですが趙さんも心配していまして、金大中大統領が何人かの被害者を連れて来て大規模な援助となるかもしれない。
その時にどう日本と韓国が連帯してそれがおかしいと言うのか?論理を開発しておこうと相談したんですが、そういう点でも朝鮮戦争で8万3千人の拉致があるんだと。
韓国政府が作った名簿があるんだと。
その事はまだ韓国に知られていないんです。

韓国で今回拉致があると知られることになったのは485人のこと。
野党の党首も485人がと言いました。
じゃあ私がわざわざ、なんで日本から来たのに韓国の党首にブリーフィングしなけれならないのか?分からないんですけど、図表を出して全世界にはこれだけの人数がいて韓国には8万3千人いてと、私が韓国のトップにブリーフィングしてあげたんですけども。
8万3千人もやられていて、そこで、韓国は努力をしたんですけど結局解決できなくて、解決できなかったから新しい拉致が起きたんですね。
拉致をしても制裁は加えられない。
だから次の拉致が起こるわけです。
そして韓国人が400人くらいやられて、70年代の後半に今度は世界中でやられたと。
言う事が起きて、今度は拉致被害者が利用されて大韓機爆破事件と言うテロが起きた。
どこかで止めないといけないわけです。

そこには世界全体として1950年の朝鮮戦争のときからの全体の拉致をどう解決するのか?と。
そのとき何人かの人が列車に乗って、ヘギョンさんなりが来てお母さんと会って帰ったっていうのは解決じゃないと。
その事は無条件でなされるべきだとはと思いますけども、その事と北朝鮮の拉致をした政権を支える事が条件になっていたならば、つまり拉致の解決は遠のくと。
人質犯が人質を持っているときに、一人だけ出してきてすぐ返すというのに、人質犯に新しい武器を与えるのか?と。
最低限それはサンドイッチと水くらいは与えてもいいですけれども、彼らが新しい犯行を出来る様な大規模な援助をするというのは全員の人質を解放してからであるべきである。
単純なことなんですが。
そういうことを韓国の世論に分かってもらうには、まだ程遠いと。

しかし拉致がある事も分かってもらえなかった家族会のスタートの時、銀座に立っても誰も振り向いてもらえなかった状況からは変わって来たと、言うふうに言えるのではないかと思います。
そういう中でそうするとやはり国際社会が韓国の盧武鉉政権をも含めて、今この拉致問題をどうして行くのか?と、いう事になって、訪米の意味が出て来るんでは無いかと思いまして、これから訪米報告に変えさせて頂きます。(拍手)

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このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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東京連続集会18-3 増元照明さん

  『増元照明 家族会事務局長 訪韓報告』

今回は行く前に李鍾○(イ・ ジョンソク ○=「大」の左右に「百」)統一相があのような言葉を言ったので、ちょっと不穏な空気が有りそうかなと思って、ボディーガード兼カメラマンとして行って来ました。(会場内くすくす笑い)
報道が非常に過熱しておりまして、横田のお父さんは有名ですからみなカメラマンがよけて行けるんですけども、私は一般人と全く同じでカメラを構えていたもんですから、弾き飛ばされそうになりました。(笑い声)
向こうのカメラマンの場合は、ルールの無いところのカメラマンは大変でしたね。
汗を一杯かいて少し痩せて参りました。(笑い声)

今、代表からお話があったように、と思います。
私アメリカにも行きましたが訪韓も両方やりましたが、どちらかと言えばアメリカの方が非常に好意的であって、そしてアメリカにいる時の方が安心感があったと言うのが、私の感想です。
韓国と言う、取材陣の過熱報道もそうなんですが、何とこうなくちょっと不穏な、自分がそう考えているのかもしれませんけども、安心しきっていたと言う事は無かったです。
これは2泊3日でしたから良かったけど、これが一週間続いたら体が持たなかったなと思っています。

今回、日本の警察の方とそれから外務省も一緒に行って頂いたし、調整室も(行って)頂いて、非常に私たちにはサポートをして行ってくれておりました。
空港に着いて40人か50人くらいの警察の方が、私たちを守ってるのか整理をするためなのか分かりませんけど、そういう人たちが一杯いることにもビックリ致しました。
谷地さんがこの前来て以来だというふうに言っておりましたので、それほど向こうの報道にとっては大きな問題という意識はあったと思うんですね。

ただ、今回は本当に石を投じたと言う事だと思います。
それをどうやって広げるのかは韓国の国民の問題だと思っていますので、それを広げる為にはやはり、私たち家族が経験したことですが、家族会だけでは中々難しいのではないか?
やはり向こうに救う会のような支援する組織が必要なのではないか?と改めて感じております。

今崔祐英さんとか李美一さんとかそれから崔成龍も頑張ってやってはいるんですけども、集会一つやっぱり開く事が出来ないですし、その仕組みも出来る様な雰囲気でも無い。
ですから国民の皆様に直接訴える場所が結局メディアを通してですから、メディアを通すと少し、ちょっと曇りガラスの向こう側の出来事になってしまいます。
それが直接訴える場所を作って欲しい、そういう組織が出来て欲しいと言うのが感想ですね。

だいぶこうやって新聞は非常に大きく取り上げているところが多かったです。
ただテレビはどれ位やっているのか?私たちには見えませんでした。
ですから韓国の事情がありますからその辺はまだ難しいんでしょうが、テレビは報道をやったかどうか?西岡さんにちょっと聞かないとちょっと分からない。
以上です。(拍手) 

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東京連続集会18-2 横田早紀江さん


  『横田早紀江さん 訪韓報告を受けての感想』

皆様、こんばんは。(「こんばんは」の声)
本当にお世話になっておりまして、ありがとうございます。
昨日はちょっと心配していたんですが、主人もみな無事で帰って来てくれまして、あちらでも家族会としてもいろいろな形で動いてくることが出来きて、本当にありがたいと思っています。

なかなか、韓国は本当に全然、今まで全く関心が無い。
今もそうですけども、それでもやはりこうやってあちら側も、たまたま金英男さんの事でこんな不思議な事があってその事が現実だと言うことを証明する為に、家族同士がお会いする事が出来て。
その事によって韓国の方も初めて本当に大変なことなんだと思った方もたくさんいると思いますので、少しずつ、本当に時間がかかりますけども、何もしなければ終わってしまうんですけども、こうやって一生懸命に現実的に前進しているとと言う事は思いますので良かったと思っています。

今は訪韓の事だけについてですけども、これからもよろしくお願いします。(拍手) 

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東京連続集会18-1 横田滋さん

   『横田滋 家族会代表 訪韓報告』

皆さん、こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
今回は家族会4名、救う会2名、その他内閣府・外務省・警察庁・神奈川県警とかで、15日から17日まで訪韓して来ました。
最初の日には、自由北韓放送と言うところの放送局へ行きまして、そこで一人が約2分ずつの原稿を持っていきましてそれを録音いたしました。
これは数日後に放送されますが、更に再放送も行なわれるという事になっております。
(西岡氏より「今日も」の声)
今日も放送されます。

そして当初は韓国にあります日本の大使館へ、最終日に表敬訪問をする予定だったんですが、金ソンジュというハンナラ党の議員、その後はハンナラ党の本部へ行って党主の朴槿恵さんという方にお会いするという事が決まりましたので急遽大使館訪問は取りやめ、大使館へは行く事が出来なくなりましたので、この日の夜に大島大使主催の歓迎の夕食会を開いてくださいました。
なかなか、山の・・・(聞き取れず)の所があって静かな綺麗な庭のところです。
そのとき大島大使が、数年前に家族会がジュネーブに行きました時のジュネーブの大使だったものですから、平野さんとは顔見知りで、それから哲也をみて「しばらくぶり」なんて言って、拓也と間違えて(笑い声)そんなこともありました。

初日はそれで終わりまして二日目には、少し順序が逆になりましたけど韓国の空港に着いて驚いたんですが、我々二階で飛行機から出てきましたら、そこには韓国のメディアだけ。
日本の人は一階の方にちょっと待ってくださいと言う事で、先に韓国の人と話をしましたが、2003年に行った時は特に韓国のメディアは少なかったんですが、今回はテレビで御覧になったと思いますが、凄い人数で。
(後ほど司会者の方からこのときに取材に集まったマスコミの人数は約300人と公表されました)
更に一階の方に降りていきましたら、崔祐英さんが花束を持って出迎えてくれて、その周りに警察官が何十人と壁を作って我々の通る道を確保してくれましたので、日本のマスコミもちょっとこれまでに無いような、アメリカの時よりも多かったような、私はアメリカは分かりませんが、両方行った方の話ですとアメリカ以上にマスコミの方が来て下さいました。

二日の日は韓国にあります家族会が3団体ありますが、韓国の拉致被害者協議会の事務所、それは崔祐英さんが代表をやっていますが、こちらの事務所に行きました。
それでそこの事務所は学生のボランティア、日本からも・・・(聞き取れず)学院大学からも東大なんかに留学している方もいましたのでかなりの人がいたんですが、今回は30人くらいのマスコミが来るというのを学生が誰も信用しなかったそうですけど。
実際は上回る人が駆けつけたものですから肝心のボランティアが入れないくらいの人で、そこで我々は韓国の家族会は従来から韓国の家族会と連携してやっていますので、「これからも引き続き協力しましょう」と言う話を致しました。

それから次に朝鮮戦争の時の被害者の家族会の事務所、李美一さんて言う、この前のワシントンで英語で証言なさった方ですけど、こちらの事務所に行きました。
そこに行きましてセロハンにマジックでお願い事を書いて、それに風船をつけて飛ばすような行事をしたり。
それからそこの屋上に朝鮮戦争の一部の写真を展示しておいてくれたので、それを見てから下の事務所に行きました。
これも韓国の政府では朝鮮戦争の時に連れて行かれた名簿なんか無いって言ってたんですが、家族会の人が、日本では国会図書館のような所だと思うんですが、そういう所で見つけてそれをコピーして製本した物がおいてありました。
このくらい(人差し指と親指を開いて本の厚さを示す)の分厚い物が5冊くらいあって。
それが第一巻は例えばソウル地区とか地域別に分けてありまして、そして第5巻と言うのは追加分ということで後から見つけて入れてありますけど。
8万数千人の人の名前、性別、住所それから職業、かなりの部分が空欄の部分もありますから全部が分からなかったかも知れないけど、それだけの物があるということが分かりまして、一部はハングルのままコピーしましたので後で家族会の事務所とか救う会の事務所に置いておいて何かの行事の時に提示をしたいと思います。

それから午後は、崔成龍さんと言う方が代表をしています拉北者家族会と言うところの集会に参加いたしました。
それでそこで金英男さんのご家族と我々の対面がありました。
ここにもマスコミが数え切れないくらい来ておりまして、普通の低い所では見えないから壇上に上がって対面をしました。
そして私どもとしましては、結婚した相手が加害者国の北朝鮮の人でなくて良かったと言う事と、また一日も早く金英男さんとお母さんが対面出来ることを祈っていますと言う話をして、日本から持って来ましたお土産を渡しました。
それと同時に今回早紀江は体調が悪くて来れなかったもんですから、手紙を差し上げました。

そうしましたら金英男さんの所も、同じような形で手紙を下さいまして、それからお土産として茶器のセットを下さいました。
そしてそれを渡して下さるときに、「これは普段に使ってください」
すると普段に使うとすぐにそこにあるわけですから「私たちの事を思い出してください」と言う事だったので、私どももその言葉を受けて、非常に高価な物だけどそれはそういった趣旨で頂いたのであれば、「これはいつも使って皆さんの事を思い出します」と言って受け取っておりまして。
それと同時に早紀江への手紙、これは非常に長い物だったんですけどそれを頂きました。
そして「これからも一緒に元気でやって行きましょう」と言う話をして、それからその後で集会みたいな形になりまして、いろんな人が少しずつ拉致に関する問題で話を致しました。
その日はそれで終わりました。

それから最後の日は金ソンジェさんというお名前が良く分からないんですけど、その方との朝食会がありまして。
南北の鉄道が途中で線路を外したのを直してつないで試運転をして、それから金大中さんがそれに乗って行って、噂によるとその中に拉致被害者数名を乗せて帰るとか言う噂もあるようですけど、そんな事があるんですけど。
その前にハンナラ党と言う野党の勉強会に私らの西岡さんを呼んで、そこで拉致問題の話とか、それからどうやってこのような大勢の方が支持して下さって強く動く事になったかという事についてまで聞きたいという事が、日程を調整して行くことになると思います。

それからその後ハンナラ党の、空港の近くなんですが事務所に行きまして朴槿恵さんという、その方にお会いしましたが、やはり拉致問題の非常に熱心な方で、韓国の議員はそれほどでも無いと言われておりましたけど、我々がお会いした皆さんは関心の高い方で、国家が国民の命を守るという事は当然大切な事だからそれを家族と被害者が一日も早く対面できるよう政府に伝えていきますと仰って。
それからまた国会議員の方が二人いましたが、三人ですか?
その方々が聴衆に向かって演説をしてくださいました。
それでそれが終わってから空港に行って、最後に韓国に来たんだから焼肉ぐらい食べとかないとと言う事で(笑い声)庭の綺麗な所、ホテルの経営しているところでして、そこに行きまして無事に終わったという事で喜び合って、そこで韓国料理を食べて終わりとなりました。

韓国の世論と言うのも以前はあまり拉致の問題なんか取り上げなかったらしいですけど、金英男さんが、めぐみの夫のチョルジュンさんが韓国から拉致された5人の高校生の内の一人であると言われて、それで結果が4月の11日に出たわけです。
そうしますと4月の12日には一面トップに各紙はそれを報道したりして、それ以降拉致の問題と言うのが新聞に出るようになり。
それからアメリカに行きまして27日の公聴会でも、日本側は大使館員それから日本政府の一行が非常に強くバックアップしてくれたわけですけども、韓国側はそんな事は全然なかった。
それに対して新聞が「日本はちゃんとやるのに、どうして韓国はアメリカにある大使館は何もしなかったんですか?」と新聞で批判をしたと言うことも聞きましたし。
今回行きました時も最初の日は、二日目の方に・・・(聞き取れず)の所で中ほど二面出ておりまして、2ヶ所載せているところもありまして全部の物が取り上げて下さいましたし、ちょっと過熱とも思えわれるような取材もありました。
ですからこれがこのまま一過性で終わったら何もならないので、ぜひこれからも連携を強めていきたいと思います。

今朝も崔祐英さんから電話がありまして、「お父さんが来たおかげで今日も外国のメディアの取材が一杯集まって忙しいんです」なんて言っていた。
そういった形で韓国でも日本だけでなくてメディアだけでなくて、他の国のメディアからも照会が来る様になったという事は喜ばしい事なので、ぜひこれからも続いてこれからもつないでいければと思います。
簡単ですが、以上です。(拍手) 

蒼き星々(サブボード)より


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2006年5月20日 (土)

これが韓国の倫理か

蒼き星々メイン掲示板 momoedake管理人の投稿より

これが韓国の倫理か

投稿者 momoedake 投稿日  5月20日(土)

盧武鉉政権は、拉致問題、人権問題にとって完全な敵であることを、下の報告で述べたが、昨日の集会の段階では知らなかった盧武鉉政権の反人権行動の一端が露見している。私が見たのは、勝谷誠彦の××な日々

>訪韓した横田滋さんに書簡を送りつけ「めぐみさんは冷戦の被害者だ」「韓国には徴用や従軍慰安婦として連れていかれた何十万人ものめぐみさんがいる」など言ってのけた。更にはそうした連中に会わせる用意があるがどうかとも。

原文

勝谷氏は、ここで、訳せとおっしゃるが、翻訳能力が低いので、子細には判りかねたが、下記のブログで訳文を紹介してある。ぜひ、一読して欲しい。

もじもじスケッチさん。

掲載してくれた方に大感謝です。いずれにしても、これは北朝鮮が言っている論理と全く一緒である。横田さんに「強制連行」、「従軍慰安婦」など、一切関係ない。それを、会うべきであろうと、脅しを掛けている。これが韓国の国会倫理特別委員長である。韓国盧武鉉政権は拉致事件解決へ、敵対している。彼らには連帯など求めない。金正日と同列の反人権政権であり、打倒する対象である。日本政府はこの書簡を出した金元雄国会倫理特別委員長に抗議せよ。

き星々~北朝鮮による拉致被害者・家族を支援する人の集う掲示板
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日米韓での連帯を この意味

蒼き星々メイン掲示板投稿より

日米韓での連帯を この意味
投稿者:momoedake管理人 投稿日: 5月20日(土)

日経新聞には、“横田さん夫妻「日米韓で連携を」・訪韓訪米の報告会”、と題した記事が載っている。
日経記事

私たちは、この意味をきちんと理解しなければならない。私たちが連携する相手は誰であるか。まず、米国、ここはブッシュ大統領をはじめ政府首脳が人権問題に熱心であり、今回の早紀江さん公聴会、大統領会見でも分かる様に私たちが連携するに当たり、十分頼りがいのある関係である。個人的に思うには、一般の人が、北朝鮮拉致に関する意識は少ないのがこれからの課題である。公聴会でも早紀江さんの言葉に目頭を押さえている議員もいたとのこと。

日本政府はどうか。4月28日の安倍官房長官、小泉首相の談話で分かる様に、余りにも他人事の小泉首相には、愕然とせざるを得ない。

安倍官房長官 

 「10年が経過したけれどもいまだに救出することができないということは、大変私にも重く響いたわけでありまして、我々は、これをしっかりと、私たちの責任として、この問題の解決をしていかなければならないと、めぐみさん達をしっかりと、取り戻すため、最善の努力をしていきたいと、改めてそう思いました」

小泉首相  

  「これは、ブッシュ大統領が会ってくれれば、米国が拉致問題に大きな関心を寄せているということの現われですからね。世界的な関心事になりますね。拉致というのは許すことの出来ない人権侵害である。これは日本も米国と協力し、そして世界も関心を持って欲しいと。今後、北朝鮮に対して、やはり誠意ある態度を示さなければ遺憾なあ、という、そういう圧力になってくると思います。それを期待しています。」

こういうトップを持つ日本政府には、繰り返し北朝鮮へのあらゆる制裁の実施を迫らなければならない。特に、送金停止、朝銀への厳格な審査など色々な経済制裁がある。
韓国政府に対してはどうか。現在の盧武鉉政権。これは完全に金正日の手下であり、韓国拉致問題、脱北者問題を押さえ込もうとする反人権主義者である。従って、韓国政府には連帯など期待できない。韓国拉致被害者への支援など全く期待できない。それに対して韓国野党は盧武鉉政権に反対し、拉致事件へも支援の手を差し伸べようかとしている。私たちは、盧武鉉の思惑を挫折させなければならない。

一方、民間レベルはどうであろうか。韓国拉致事件解決運動はやっと立ち上がった段階であり、支援組織すら全く無い。従って拉致被害者の集会すら出来ない。金英男さんのお母さんは、横田さん達とヘギョンちゃんだけでも会いたい、と手紙を寄せている。日本の家族会が通過した関門である。有本さんは、非常に危険である、そのような事態の時には、是非連絡してもらって、色々な作戦を練ってやってもらおう、寺越さんの二の舞いになったら困る、と話していた。そういう意味で、私たちと韓国との関係があるのかと思う。

一般のマスコミでは、“日米韓で連携を”、としか表現しない。しかし、昨日の5.18東京集会で語られた内容は以上の通りである。


蒼き星々~北朝鮮による拉致被害者・家族を支援する人の集う掲示板

投稿文

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5.18東京集会報告

蒼き星々メイン掲示板投稿より

momoedake管理人の東京集会出席報告

東京連続集会18に出席しました。三田の友愛会館9F会議室に約100名の参加者が集まりました。家族会から横田夫妻、拓也君、飯塚副代表、増元事務局長、有本夫妻、救う会から西岡さん、島田さんが出席。熱気に溢れた集会でした。

主に、訪米、訪韓の報告がありましたが、今回の報告から言える大事なことは、拉致問題を、日本とアメリカは連携して人権問題として戦っていくことです。もちろん、相手は北朝鮮は言うまでも無く、対中国、対韓国で人権問題で圧力を掛けていくことがポイントです。アメリカは、今回の公聴会、早紀江さん、キム・ハンミちゃんとの会談で強力なメッセージを出しているのです。拉致事件解決、脱北者問題を解決していく、即ち、それを妨害しているのは北朝鮮であり、中国なのです。さらに、日本は加藤駐米大使が出席していますが、韓国は大使、公使、領事は誰も出席していないのです。

会談の際、レセプションにはアメリカのハイ・ランクのメンバーが出席して、その決意を鮮明にしています。レセプションには、6者協議のクリストファー・ヒルズ国務次官補も出席しています。
西岡副会長からは、5.28の国民大集会の位置づけを発表しました。それは、今回の訪米、訪韓のことよりも、それを受けて、日本はどうするのか、それを考える集会にしたいとのことです。その際、各政党には、どのようにして拉致事件を解決していくのかを発表させたいとのことです。なお、安倍官房長官は国民大集会に向けてメッセージを託し、会場で読み上げられるとのことです。

今回の集会で、ブッシュとの面談には、安倍さんの並々ならぬ熱意での働きかけが何度も報告されました。
懸念することも報告されています。訪韓しなかった早紀江さんに対して、めぐみさん夫の金英男さんのお母さんからの手紙には、両家の両親で、早く、ヘギョンちゃんに会いたいですね、と書いてあることです。早紀江さんは、以前のヘギョンちゃんと会うことの葛藤、問題を話され、会うことが拉致問題全体への大きな障害になることを心配され、今度、日本でお母さんに話をしたいと言っていました。有本さんも、このことに大きく心配しています。

拓也君も、早紀江さんが緊張していた様子を話していましたが、早紀江さんは体が相当、痛かったようです。久方ぶりに卓也君の話を聞きましたが、論理も明快で、熱っぽく話す姿を見ると、家族会の大きな柱に成長したとの印象です。
救う会の島田副会長は、日本政府に必要なことは、1.経済制裁、2.各国の拉致に関する情報収集を図っていくことを訴えていました。

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どうして福田、左翼、ゼネコンを「擁護」するのか?なぜ巨悪を助けるのか?

蒼き星々 メイン掲示板への投稿から

投稿者:太一さん 投稿日: 5月18日(木)

売国真理教徒の左翼ならいざ知らず、この掲示板にいる人の中に安倍さんを非難する人がいるのがとてもじゃないけど信じられない。

確かぴろん様がおっしゃっていましたが、日本のゼネコンや多くの財界人・利権を持つ政治家、そして朝鮮総連や左翼組織、様々な連中が拉致問題の早期幕引きを狙って、経済制裁をはじめとする拉致問題解決に向けた政策を阻止している。

逆に聞きたいのですが、どうして「倒閣派」の人たちは、ゼネコンや左翼を批判せず、「擁護」するのでしょうか?
これらが「直接」に拉致問題解決の障害になっているんです。なのにどうしてこれらを放っておきたがる、つまり「擁護」したがるのか?

結局政府以外のそうした勢力を叩かない限り、いくら政府を叩いても時間の無駄です。
政府の立場からすれば、正反対の2つの勢力から突き上げを受けている。どっちをとっても逆側から批判される。しかも片方(もちろん売国勢力)がとんでもなく凶悪だ。

政治家の中でも特に高い位置にいる人たちが、拉致問題解決に手をつけた途端、どれだけ強大な圧力がかかるか、想像に難くない。あの豪腕で鳴る小泉でさえ、その圧力の前にビビって尻尾を巻いて逃げ出してしまった。それだけ強大な圧力。
そんな圧力の中で、総連、売国政治化、売国学者、マスコミ、などから数々の嫌がらせを受けながらも、拉致問題を何とかしようとしている安倍長官。
そんな人を非難するなんて、とても拉致問題解決を望んでいる人とは思えない!

安倍さんが総理になったとしても、安倍さん1人で打ち勝てるほど、この圧力・そして敵は甘くないでしょう。マスコミも安倍さんではなく、その圧力の側に味方する非道な連中であることは既に分かっている(個々に素晴らしいマスコミ人はいても、結局社としては非道な選択をする)。
そんな中、我々国民が安倍さんに協力しなければ、とてもじゃないが巨悪には勝てない。
安倍さんを非難する人たちは、そんな状況でも安倍さんの足を引っ張ろうとするのか?見殺しにしようとするのか?そんなにまでして巨悪を助けたいんでしょうか?

安倍さんを落としたら、あの売国政治家・福田が総理になり、金正日がどれだけ喜ぶか、そんな簡単なことすら分からないんでしょうか?

政府以外のものを批判するとすぐに小泉擁護だ、とか言いたがる人たちがいるが、この板のどこに小泉を心から支持してる人間なんているのか?
そして自分達が巨悪を擁護しているのに気が付かないのだろうか?そしてどうして福田を批判しないのか?福田は次期総理になる可能性が十分にある政治家ですよ。
それでは福田を「擁護」しているととられても仕方ないのでは?


>安倍氏40%、福田氏31% ポスト小泉で世論調査
>福田氏が急速に支持率を伸ばして安倍氏に接近しています。

本当に日本国民もつくづく最低だと思う。もちろんかつては福田を支持していなかったのに、ここにきて支持した31%の中の連中のことです。

顧問扇子様のおっしゃるように、根源は中国の工作活動でしょう。
そして直近の原因は、その中国国家のプロパガンダ機関に成り下がっている日本のマスコミによる、必死な安倍叩きと福田支持の売国報道でしょう。
今滋さん達がこんな思いで頑張っておられる「この時期」に、中韓におべっかを使うために拉致問題を無視して、よりによって福田支持に切り替える日本国民を私は決して許さない。

テレビを見てみれば、日本の有名人は皆、アメリカ等には文句を言えても、朝鮮民族や中国人には一切文句を言えない。

前に爆笑問題太田光が、「今後1年間、アメリカとの国交断絶すべき」と訴え、大橋巨泉がそれに賛成していた。
今、早紀江さんがあのお体でアメリカへ行き、ブッシュ大統領と面会した「この時期」にそんなことを平気で言う太田と巨泉の2人は一体何だ?
拉致被害者を全員取り戻すことが出来た後なら、国交断絶でも何でもかまわない。でも「今」は絶対に有り得ないだろう?
こいつ等が拉致被害者が勝手に苦しめばいいと思っている非道な連中であることが白日の下にさらされた瞬間ではないでしょうか?
私はこの2人を決して許さない。

TVタックルでも北野武、大竹まこと、阿川某とやらは、一度も拉致問題に対する中韓の態度を批判したことはない。言いやすい日本とアメリカだけは批判できるくせに。
自分の芸能人としての安全を守るためか?お前等は仮にもこんな番組に国民の代表として出ているんだろう?
特に北野武、お前は日本でも随一の有名人で、しかも巨匠とか言われてるんだろ?いい年して何をビビってるんだ?何が文化勲章だ?ふざけるな!お前なんかそこら辺の犬1匹の価値すらないよ。違うと言うなら、ちゃんとご家族のためになることを一言でも言ってみろ!拉致問題を題材にした映画を作ってみろ!


ベイエリアで何度も暮らしていて思うのですが、日本人は政治の責任が自分達国民にもある、という自覚が全くない。政府、国会議員を選んでいるのはあくまで我々国民です。
そして自分が投票しなかった政府の悪事に対しては、その政府を非難するだけでなく、その政府に投票した国民を非難しなければ、何の意味もない。
ブッシュ再選の時も、ブッシュ支持者と不支持者がお互いを非難するデモが巻き起こった。大統領制と議員内閣制の差こそあれ、それが正常な姿です。

日本人は何でも「政府が悪い」とさえ言えばいいと思っている。これは政治に限らず、例えば町内会の役員でも自分はやりたがらずに誰かにやらせ、それでいながら影で「あの役員が悪い」と悪口を言い合うだけ。参加意識や自分の「責任」についての意識が全くない。いつも「〇〇してくれない」ばかり。
自分の問題をいつも親のせいにばかりしている子供と同じだと思います。日本人は民主政治に関してはまだまだ「お子様」だとつくづく感じます。

こういう我々国民のだらしなさが、今の今まで拉致問題を放置し、ご家族をこんなに苦しめてきたんだ、という責任と自覚が、今の日本国民には必要だと思います。圧力を恐れ、拉致問題に一切手を付けてこなかった政府を維持していたのは、まずは大手ゼネコンをはじめとする大企業だが、さらにそれを支えてきたのは他でもない我々国民です。

だから今から我々国民が、北朝鮮、中国政府、韓国政府、総連、大企業、マスコミなどの勢力による圧力を負けずに、安倍さん達志ある政治家をサポートする勇気を持つことが、拉致問際解決の最短距離になる、ということなのです。
本当の大元を叩かねば、いくら政治家を叩いても問題は決して解決しません!

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2006年5月17日 (水)

家族の叫び(2006/4/22ワシントンにて)

「4.22 ワシントンDC集会帰国報告会」で配布書類の中から、家族の叫びをご紹介します。被害者家族の心からの叫びに耳を傾けてください。

大澤昭一さんから弟の大沢孝司さんにあてた手紙

孝司、元気かい?
今年の冬は寒かったでしょう。新潟も近年暖冬が多かった後だけに寒さが強く感じました。
雪の量も津南、入広瀬などは4mを超え、まさに豪雪、雪のニュースが毎日テレビを独占していました。
親父も96才高齢のため保温力がなくストーブを身体の前後に据えてまだ寒がっていましたが、4月に入って元気を取り戻して、食事時間に呼ぶとすぐきて、食べっぷりは非常に良いです。「孝司が帰るまで頑張る」といっています。
新穂の焼肉屋のおばさんも孝司と我々兄弟に「おいしい肉を食べさすかち、早く連れ戻せ」と、時々電話で催促してきます。
同級生の植松君や中学の仲間はたびたび集まっては救出運動を続けてくれています。4月は分水花見、次に白根の凧合戦と各地の署名運動で多数の人々の支援を受けています。
孝司が新穂転勤記念として寺澤家の庭に植えたイチョウの木は30 年の歳月で大きく成長し、毎年秋になると黄金色に輝き主人の帰りを待っています。
日本の国もこのごろようやく変わってきました。何も機能しなかった外交にこれでよいのかと国民も気づき、国家国益を考え始めました。警察庁も拉致専門部署を作ってくれました。
日本も変わってきます。日本の国だって強いんだぞ、日本の国だってやれるんだぞ。
孝司、もう少し我慢しておれ。必ず迎えに行くから。

2006 年4 月22 日 ホワイトハウス前にて
大澤昭一


市川健一さん挨拶文
日本の鹿児島から着ました「拉致被害者市川修一の兄」市川健一です。
拉致問題は一国も早く解決しなければならない深刻な人権問題です。なかなか解決の風穴を切り開けず、家族は大変苦しんでおります。現在、日本の被害者家族は、拉致されている被害者に向けて「短波放送」を通じてメッセージを読み上げています。必ず、被害者の耳に届くと信じて、また、口コミの情報が広がることに期待し、放送を続けております。
私も弟、修一に呼びかけました。以下がそのメッセージです。
『修一元気ですか?兄ちゃんだよ!修一と28 年もあっていないんだよね。早く会いたいです。るみ子さんと一緒に出かけたまま、行方がわからなくなった二人を一生懸命探しました。また、大勢の方たちが捜索に協力してくれました。お父さん、お母さんも高齢の身になっていますが、元気でいます。「修一と再会するまでは、体を大事にして、元気な体で迎えてやるのだ」といって、毎朝・毎晩祈り続けています。北朝鮮の冬は厳しい寒さだと聞いています。夏の姿で出かけた二人に、暖かいセーターを送ってやりたい気持ちでいっぱいです。長いこと、救出することが出来ずに本当にごめんね!日本では、400人以上とも言われる「被害者全員の救出」に向けて世論が高まっています。国際社会にも協力をお願いしています。
修一!もう少しの辛抱です。必ず、救出するからね!修一が帰ってきた時は、一緒に酒、飲もうな!体を大事にしろよ!頑張れよ!負けるなよ!生き抜けよ!』
アメリカ国民の皆さん、拉致被害者全員が日本の、祖国の土を踏むまで、私たち家族と一緒に闘ってください!ご協力を切にお願いいたします。


森本美砂さんから姉、山本美保さんに宛てたメッセージ

美保ちゃん、元気ですか?
いえ、元気でがんばっていると信じています。
今、私はアメリカの首都ワシントン、ホワイトハウスの前にいます。
美保ちゃんの救出を訴えるために、この地にやってきました。
あなたが私たち家族の前から突然姿を消してしまってから22年になろうとしています。
自分の夢に向かってがんばっていた20 歳の頃の美保ちゃんの姿は、今でもその印象のまま私の脳裏に焼き付いています。
「図書館に行く」と言って出かけたあの日のあなたは、いつもの美保ちゃんでした。こんなにも長い間家に帰らない日の朝になるとは、夢にも思いませんでした。
あなたが家から姿を消してしまってからというもの、父さんも母さんも私も、東京の女子大の進学を反対したことをずっと悔やんできました。あの時、賛成して送り出していたらと。
でも、お兄ちゃんが亡くなって、美保ちゃん一人を東京に行かせたくなかった、家族がバラバラになるのが耐えられなかった、美保ちゃんにはいつもそばにいてほしかったのです。
たぶん、あなたもそんな私の気持を理解して家に残ってくれたんだと思います。進学した看護学校では、山登りに夢中でしたね。高校時代、一緒に入った山岳部で登った南アルプスの山々、鳳凰三山の美しさは今でも忘れません。美保ちゃんが、18、19歳と北アルプスの山々に挑戦していた頃の山の写真はアルバムに残っています。今日もあなたのポスターにして持ってきました。
その間、私は少し山から離れていましたが、今、また3 千メートルの山に挑戦しています。仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳、北岳、山梨のアルプスの山脈を覚えていますか?一昨年、昨年と私はこの山頂に立つことができました。昨年は、息子と長年の夢だった甲斐駒ケ岳に登ることができました。亡くなったお兄ちゃんにどこか似ている息子です。
大好きだったお兄ちゃんが亡くなって、悲しみに暮れていたあの頃、家族みんなを支えながらも自分の目標を失わなかった美保ちゃん。父さんや母さんを一番心配していたあなたが、家族に黙っていなくなるはずがありません。気持の弱かった私をきょうだい一人にするわけがありません。この状態は、美保ちゃんの意思ではありません。そう信じています。
2002年、日本の小泉首相が訪朝したのを境に、美保ちゃんが拉致されたのではと、大きな報道になりました。図書館に出かけたはずのあなたのカバンが、新潟県の柏崎の荒浜海岸に落ちていたからです。同じ柏崎で蓮池さん夫妻が拉致されていました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我さんご夫妻は、無事日本に戻ることができました。国民全員で救出活動をしたからです。
今まで難しい問題にも直面しましたが、美保ちゃんは元気でいること、北朝鮮で助けを待っていることを信じています。
あなたに再会することは私の使命だと思っています。
あなたに会えるまで、私は声を出し続けます。美保ちゃんに会いたいという気持に、たくさんの方が力を貸してくれました。
私の大学の恩師の方が声を挙げ、その後、甲府東高校の同級生がすごい力を貸してくれたのです。なにがあってもひるまず、これまで支えてくれました。市川小学校の同級生も大きな力で動いてくれました。長松寺、池田地区の方々も美保ちゃんの帰りを待ってくれています。みなさんの力で集めた美保ちゃんを救出する署名活動は、20万人の署名を集めるまでになりました。署名を2度に分けて政府に提出しました。
人前で話すことなど苦手な私が、たくさんの人の前で美保ちゃんのことを話してきました。こんなことにも慣れてしまうほど、美保ちゃんの救出には長いこと時間がかかっています。
横田めぐみさんのことを知っていますか?同じ世代ですから、どこかで会ったことがあるかもしれません。佐々木悦子さんと一緒に部署にいるとの目撃情報もあります。秋田美輪さんも同じようなケースでいなくなっているのです。
日本では、400人を数える人が理由もなくいなくなっています。特定失踪者と呼ばれる人たちです。特定失踪者問題調査会の荒木先生が中心になって、みなさんの情報を集めて救出に乗り出してくれました。
短波放送「しおかぜ」を聴きましたか?荒木さんの声や家族の声が聴こえましたか?美保ちゃんをはじめみなさんに宛てたメッセージを流しています。
北朝鮮に囚われたみなさん全員を助け出すまで、私たちはあきらめることなく声を挙げ、救出活動を続けます。どうか会えるその時まで、希望を失わず、力強く生き続けてください。
もう少しで会えると信じています。
大好きな美保ちゃんに必ず会えると信じています。

2006年4月22日 あなたの妹 美砂


妹、生島孝子へ..
..
..
タァーチャン、今どこで、どのように過ごしていますか。..
元気ですか? 病気してませんか。
お母さんは自分が入院中に、タァーチャンが行方不明になったと寂しがっていました。明
治の女性なので、感情を口にはしませんでしたが、片時も忘れず神様に祈っていました。き
っと何処かで生きている・・・・と根拠も無いのに、母親の勘でしょうか、そう確信してい
ました。
..
33年過ぎ、北朝鮮での目撃証言を得た時、「良く頑張ったねぇ、きっと苦労したんだろう
ねぇ」と涙ぐんで、でもニコニコと穏やかな顔をして。あと1年ぐらいきり生きられなと話
していたお母さんです。..
..
思い出してください。お母さんって優しかったわねぇ。が、寒さに負けたのか、タァーチャ
ンが生きていたと確信して安心したのか、3ヶ月で力尽き、天に召されてしまいました。亡
くなる1ヶ月前くらいから、しきりに「もう間に合わない、もう間に合わない」と言い、会
えない無念さを口にして、焦っていました。..
..
亡くなって1年3ヶ月、お母さんを守りきれなくてごめんね。早く帰ってきて「お母さんた
だいま!」と言ってあげてください。..
待ってます。..
..
..
馨子


金英男さんの母上の手紙
「いとしい我が息子へ」
別れてから28年後、私がお前の名前を呼ぶ時、私の心は溢れ出る。
まるで小説のようですがこれは本当のことで、私はどのようにして、この気持ちを表したら良いのかわかりません。
私は今、80歳代で、体調はだんだん悪くなってきています。歩くのさえままなりません。
しかしお前の二人の兄弟、義姉達、姉妹達が私の面倒を見てくれており、お前がまだ生きているという望みを私に与えてくれています。
先日、見知らぬ人達が村にやって来て、お前の生存の可能性を調査するために私を病院に連れて行った時、私はずっと泣いていました。
お前の姉(妹)は「お母さん、英南(男)は生きている。あの子は北朝鮮に住んでいて、日本の女性と結婚した。捜査して、あの子が生きていることを確認できたのよ。」と叫んだ。
その言葉は私を震えさせました。
私のいとしい息子、英南よ。私はお前がまだ生きていたなんて信じられません。私は神に感謝します。私はお前が海岸で溺れて死んでしまった、と思っていました。しかしお前は生きて、そして結婚さえしていたんですね。
英南、私はいつ、お前に会えるんですか? 死ぬ前にお前に会いたい。私の健康状態は悪化しています。でも、私はお前に会うために生きていたい。お前に会いたいという以外に何も言うことはありません。
死ぬ前に、息子に会えるように、どうか助けてください。
一度でも良いから、死ぬ前に息子の顔を見させてください。
親愛なるブッシュ大統領、韓国系アメリカ人の皆様、どうか、どうか私が死ぬ前に息子に会えるように助けてください。
どうかこの年老いた母親の希望をかなえてください。
私のいとしい息子、英南よ、お前は自分を大事にしなければなりません。
私とお前が会うまで、お前は生きていなければなりません。
私はお前の大好きなゆで卵を作ってあげる。
それまで、お前は元気でいなければなりません。
お前が生きていると聞いてから、お前に何か悪いことが起きるのではないかと心配で、眠れません。
先日、お前が私の腕の中にくる夢を見ました。そしてお前の名前を呼びながら、目が覚めました。
私のいとしい英南よ、私の大事な息子、英南よ。何故、お前はこんなに遅くやってきたんですか。
何故、お前はこんなにも長い間、家に帰って来れなかったんですか。
これからは、幸福な人生をおくろうね。
私達が失った30年のことは忘れましょう。そしてこれから楽しむことを考えましょう。
会って、たくさん話そうね。
1日で足りないなら、2日でも、3 日でも、4 日でも、話そうね。
今日は書くのはこの辺で止めておきます。後で会った時に話しましょう。
お前が無事にいることを祈っています。


タイ人拉致被害者アノーチャさんへ兄スカムパンジョイさんから

お前の故郷の母から。

アノーチャさんへ・・・家族の手紙
私の愛する妹 アノーチャパンジョイへ
1973年、お前はバンコックへ仕事に出かけました。
そしてそのあと、たびたび家に帰ってきましたね。
しかし、ある日突然マカオで誘拐されたとの連絡が届きました。
このニュースはお前の友達が父親と私に手紙を送ったもので、彼女は私たちに会いたいというものでした。それで、私たちは彼女に会いにバンコックへ行きました。彼女は詳しい説明なしに、お前が6 ヶ月前にマカオで誘拐された、と言い、それが私たちが聞いたすべてでした。
私と父親がうちに帰った後、私たちの家族は集まって、お前のことを話し合いました。みんなお前がいつか帰って来るだろうといいました。そして私、父親、姪たち、そして甥たち、親戚中のみんなは1978年からずっとお前を待っていました。
2005年の10月1日、TVで、アノーチャパンジョイさんはマカオで誘拐され、それから北朝鮮で暮らしている、といっているニュースを見ました。それを見るやいなや、そのTV局へとんでいきました。そのTV ニュースの後、たくさんのレポーターが家にやってきました。しかし、私は誰に助けを求めるべきか分かりませんでした。それで私はレポーターに、このニュースを北にいる妹に届けるようにしてもらえないか、とたのみました。
私の妹アノーチャパンジョイよ、おまえは私達の家族みんなを覚えているでしょう。
お父さんのサムパンジョイ。
義妹のトングパンジョイ。
そして姪や甥たち、
ウアパンジョイ、ウライペンルアング、そしてバンソンペンルアング。
私の妹アノーチャパンジョイよ、私が心の底から書いたこの手紙をもしお前がうけとり、幸せな気持ちになってくれることを望んでいます。
そして、どうか悲しまないでください、6ヶ月前に27 年間お前を待っていたのに、お父さんが亡くなったことを。姪と甥の2人、バンソンとユーも亡くなりました。
私の妹アノーチャパンジョイよ、この手紙を読んだ後、私のことを思って寂しくてたまらない気持になるでしょうね。
お前のニュースを見てから、私たち家族全員はお前にすぐ会えると期待しています。
この拉致はお前におこるべきことではなかったのです。
みんながお前に会いたがっています。
お前がいなくなった後、私たちにはたくさんの試練や困難がありました。
私たちはお前を探すためにたくさんのお金を使いました。
お父さんは病気になったので、最後に97才のお父さんを入院させました。
しかし、昨年亡くなりました。
お前がこの手紙を読んで、そして家族みんなを想ってなつかしむよう願っています。
私たち家族はお前が帰れるように助けたい。
こわがる必要は何もありません。
最後に、お前が元気で健康でいることを願っています。
みんな寂しがっています。
私はいつもここにいて、いつもお前を想っています。

2006 年3 月21 日 スカムパンジョイ


蒼空~to美保 は、山本美保さんの家族を支援する会、関係者の方が資料を公開しているブロクです。この記事は、そちらからpdfファイルをお借りしてご紹介しています。

蒼空には、他にも貴重な資料がありますので、みなさんも、一度訪れてください。

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自由北朝鮮放送でのメッセージ

■ 横田滋さんら、自由北朝鮮放送でメッセージ収録

          救う会ニュースより

 15日から訪韓している家族会の横田滋さん、横田哲也さん、増元照明さん、平野フミ子さんの4氏は、同日午後4時から、自由北朝鮮放送にて横田めぐみさん、増元るみ子さんへのメッセージ収録を行なった。放送は18日夜から4日間で計6回繰り返し放送される。4氏の収録原稿は以下のとおり。

横田滋さんのメッセージ
 めぐみへ
 めぐみちゃん。お父さんです。暫く会わないうちに白髪が増えましたが、お母さんと共に元気に暮らしているのでご安心下さい。
 私は銀行を定年退職して新潟を離れ、今は神奈川県の川崎に住んでいます。川崎は以前住んでいた鹿島寮から横浜方面に電車で10分位です。12階の部屋からは富士山がよく見えます。
 拓也・哲也はそれぞれ結婚し、合わせて3人の男の子がおり、小学校・幼稚園に通っており可愛いですよ。キム・ヘギョンさんは只1人の女の孫で、テレビで見たら可愛らしく賢い子で早く会いたいです。
 めぐみのことが漫画の本になり、大勢の人が読んでいます。また、めぐみが生まれてから13年間の写真展が新潟・横浜等で開かれ、10万人を超える人が見に来てくれました。
 日本中の人が、めぐみちゃんが1日も早く帰ってくるのを待っています。帰ってくる日はそう遠くないと思っています。皆で一緒に暮らせる日が早く来るのを楽しみにしています。それまで健康に気をつけて過ごして下さい。

横田哲也さんのメッセージ
 めぐみちゃん。弟の哲也です。37歳になってしまい、その姿を想像出来ないでしょう。今、韓国に来ていて、目と鼻の先にいながら救出することが出来ないで本当にゴメン。
 元気にしていますか。北朝鮮に拉致されてから既に28年も経過してしまった
けど、一度たりとも忘れたことは無いし、いつもめぐみちゃんのことを想っています。自由を奪われ辛い毎日だと想うけど、あともう少し辛抱して下さい。日本だけでなく世界各国が北朝鮮の非道ぶりを解決しようと動き始めているので、頑張って下さい。救出に全力を尽くすから。
 両親はだいぶ歳をとってしまったけど、元気にしています。兄の拓也も救出に向けて一所懸命戦っているよ。めぐみちゃんの友達や多くの日本国民が帰国を心から待ち望んでいるから、とにかく健康だけには留意して過ごしてね。広島にいた時のように、また楽しく暖かい時間を家族で過ごそう。
 この放送を聴いている北朝鮮のテロリスト達よ、拉致被害者に決して手を出すな!もし危害を加えるようなことをしたら、日本国民は決して容赦はしない。拉致被害者全員を無事に日本に帰すことが、あなた達が生き残る唯一の道だぞ。金正日体制が続くのもあと僅かだということを肝に銘じておいて欲しい。

増元照明さんのメッセージ
 るみ姉!
 こう呼びかけるのは、今年2回目ですね!照明です。「しおかぜ」の放送は聴きましたか?るみ姉が拉致されてからもう、28年が過ぎてしまいます。この間、親父もお袋もるみ姉を探し続けて、ついに「北朝鮮」に連れて行かれたことを知るに及び、当初は貴方に危険の及ぶことを心配し、政府に任せていましたが、10年ほど前から一生懸命救出運動に身を投じてきました。なれない署名用紙を持っての署名集め、時には無視され時には罵声を浴びせられ、それでも諦めずに続けてきた成果が上がり、蓮池さんや地村さんたちが帰ってきました。祐木子さんから貴方のことを聞いて涙が出てしまいました。拉致当初はどんなに不安で怖かったかと思うと悔しくてなりません。そして、未だに助けてあげられないことが残
念でなりません。親父は、祐木子さんたちが帰国された2日後にるみ姉に会いたいという思いを半ばに他界しました。死の直前、るみ姉に対してメッセージを残していますので、それを伝えます。「るみ子、父ちゃんはもうこんな状態だから迎えにはいけないけど、どこかそこら辺でマッチョってくれ!」最後まで親父はるみ姉の生存を信じて、救出したいと思いを持って他界しました。親父の思いを引き継いで俺もるみ姉に会えるまで、頑張るから。あきらめずに健康に気をつけて生き抜いてくれ!
 北朝鮮の人民に告ぐ!
 金正日の命令によって日本人を拉致したことは明らかになっている。貴方たちに罪はないことも充分承知している。しかし、今後「日本人拉致被害者」を傷つけたら、日本国民は貴方たちを許すことはない!中国の実質支配を許す「金正日」を見限り、解放の日まで「日本人」を守り続けることが貴方たちの未来に繋がる。
中国が頼りにならないことは貴方たちも知っているだろう。日本こそ、貴方たちの救世主だから!「拉致被害者を返し、核を放棄したならば直ぐにでも世界は貴方たちを助けるだろう」絶対に、傷つけるな!

平野フミ子さんのメッセージ
 増元るみ子さん、増元るみ子さん、るみ子ー。
 今、どこにいますか?
 元気にしてますか?
 体の具合はどうですか?
 私達にはそれが何も分かりません。
 でも元気でいることを信じているよ!!
 貴女も大変な所へ連れて行かれてしまったねー。
 でも、今国際社会も北朝鮮による拉致を認識し始めました。
 世界の心ある人達がるみ子達の救出に向けて少しずつ動いています。
 だから、ガンバレ、キバレ、もう少しじゃっど!!
 私達(日本)が必ず助け出すからね。
 どんなことがあっても希望を持って生き抜いてね。
 母ちゃんもるみ子の帰りを待ってるよ。
 るみ子達を救出する為に一生懸命活動してくれてます。
 鹿児島の桜島も、天文館も喜んで迎えてくれるよ!!
 安心して帰って来てね。
 いつまでも、待ってるからね。
 姉ちゃんより。

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2006年5月15日 (月)

 韓国における拉致救出運動概況

 韓国における拉致救出運動概況


 韓国における拉致救出運動概況を紹介するため、西岡力救う会常任副会長が昨年出した、著書『韓国分裂』の中から、関係論文を以下に再録(救う会ニュースより)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
北朝鮮による韓国人拉致被害者を

見捨ててきた韓国政府と始まった救出運動

                文:西岡力
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韓国では、政府認定だけでも朝鮮戦争中に8万2959人、休戦後に485人が拉致されいまだに帰れないでいる。ところが、これらの拉致被害者に関して韓国政府と韓国国民世論はほとんど関心を示さず、見捨ててきた。
 1994年7月31日にアムネスティ・インターナショナルが北朝鮮政治犯55人のリストを発表したが、そこには韓国出身者が11人含まれていた。11人の中には自ら進んで北朝鮮に入ったと思われる者もいるが、1人は確実に拉致被害者だった。
78年4月13日ノルウェーで拉致された高校教師・高相文氏である。当時、韓国マスコミはこのアムネスティ発表を大きく報じた。金泳三大統領も政府が総力を挙げて高氏をはじめとする拉致被害者の送還を実現させよと命じた。
 しかし、北朝鮮は高氏を平壌放送に出演させ、拉致ではなく自ら進んできたに北朝鮮に来たし、政治犯収容所などには入っておらず北朝鮮女性と結婚し幸せに暮らしていると語らせた。ショックを受けた高氏夫人は自殺してしまう。
 翌95年韓国は北朝鮮に対してコメ支援を実施するが、その際拉致解決を求めることはなかった。つまり、前年の金泳三指示も世論を意識した一過性のものだった。(以上の事実関係は当時の『朝鮮日報』の報道によった。)

安明進氏の韓国人拉致証言 

 朝鮮日報1997年12月1日付けは「『北朝鮮に拉致された住民20人余りもっといる』」と題する記事を報じた。その主要部分を引用しておく。

 対南工作員として選抜され「金正日政治軍事大学」で教育を受けて93年対南浸透訓練中に休戦ラインを通じて亡命した安某氏[安明進氏のこと・西岡補]は[1997年11月・西岡補]30日「私が教育を受けた平壌市龍城区域『以南化環境館』の教官50余人はすべて南韓出身」と語り「そのうち韓国の海岸で拉致されたと聞いた人間は20余人になる」と明らかにした。残りは海外で拉致された人やベトナム戦争での捕虜で、自分で進んで北に入った者は公開講演など身分を表に出さなければならないので教官として利用はしないというのだ。………
 安氏は「ある教官が自分のことを暗示して『南韓に行ったら海岸でテントを張って寝ている人間を連れてこないで、北韓に行きたいという人だけを連れてこい』と冗談を言うのを聞いたことがある」と語り「教官は30代後半から50代までで、生徒・学生出身が一番多く釣り人、魚屋もいた」と明らかにした。
 安氏が記憶する教官は「金」先生と呼ばれていた7人と「馬」「趙」「吉」「洪」「閔」先生などで、「馬」先生と「洪」先生は今回明らかになった天安農業高校と天安商業高校3年李ミョンウ、洪ジン杓だった。
 「以南化環境館」の金銀製品店担当者である閔先生(現在37?38歳)は江原道出身で80年代初め軍除隊後に大学入試準備をしているところで拉致され、金先生と呼ばれている40代後半の女性は全羅南道の海岸の村で魚屋をしていたところを拉致されてきたということを聞いたと明らかにした。
 軍事教官をしている「趙」先生はベトナム戦争で捕虜となって連れてこられた将校出身で韓国軍内での食事法などを教えてくれたと記憶している。

 ここで言及されている「以南化環境館」に関して、安明進氏は著書『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店)の中で次のように実態を明らかにしている。

 当時、韓国の実状を教え込む教育会館は龍城区域新美里一〇号洞[「一〇号棟」と訳されているが、北朝鮮の地名であるため「洞」が正しいと思われる・西岡補]という場所にあったが、それはまさに巨大な一つの韓国社会だった。この教育会館は、またの名を「環境会館」とも言われていた[上記新聞記事の「以南化環境館」と同一のもの。韓国では分断された南北に関して「以南」「以北」という表現を使う・西岡補]。龍城区域の山の地下に一〇キロ以上もトンネルを掘って、そこに作られた巨大なセット(略)、そこは本当に華やかな宮殿のようだった。(略)その教育会館は長さ一〇キロ以上、幅三〇?四〇メートル、高さ四メートルにもなる巨大な洞窟で、中には韓国の街並みがそのまま再現されていたのである。(略)
 ちなみに韓国にあるものはほとんどそろっており、韓国社会そのものと言ってもよかった。警察署から小学校、中学校はもちろん銀行、スーパー、高級ホテル、ひいては退廃的な歓楽街までそのまま再現されていた。そこで学生の韓国人化教育に携わっている人々は、私が接してきた限りでも八〇名以上はいたと思うが、彼らはほとんどが韓国人化教育のために拉致されてきた韓国の人々だった。
 当初、そうした人たちがどういう経緯で北朝鮮にやって来たのかわからなかったが、やがて私はその経緯を耳にするようになる。すなわち北朝鮮当局は、必要と思えば手当たりしだいに韓国から人々を拉致してきたということだった。
 地下トンネルで教育を受けながら次第にわかってきたことは、北朝鮮の工作員が日本からだけでなく韓国からも人々を拉致してきては、工作員教育に利用している事実だった。なぜなら、こうした教育担当者の一人と親しくなって個人的な話までするようになると、「私が幼いころ、私が中学生に時」という言葉はよく出ても、「私が軍隊にいた時、私が商売をしていた時」などという言葉がまったく出てこなかったからだ。気になった私たち学生は「大人になった時はどうでしたか?」とよく質問したが、そのたびに彼は「北朝鮮には幼い時に来たから……」と言って、言葉を濁してしまう。
 幼い子供が、自分の意志で北朝鮮に来たとは誰も思わないだろう。結局これは北朝鮮工作員が韓国に侵入して、子供までも拉致の対象としてきたことの証拠でもあると思う。
 さらに驚いたことに、韓国人化教育会館に設置された市場で商売する人は実際に韓国の市場で働いていた人々であり、薬局で薬を売っている薬剤師も韓国の薬剤師だった。決してその職業の真似だけをしているのではなく、彼らは「本物」だったのである。

 この安明進氏の証言などによって韓国の海岸から5人の高校生が拉致されていることが明らかになった。横田めぐみさんが拉致されたのと同じ1977年の8月12日に当時高校2年だった李X(王扁に民)校、崔承民の2人が全羅南道紅島海岸から、翌1978年8月5日に高校生金ヨンナムが全羅北道群山ソニュウ島海岸から同月10日当時高校3年生だった洪建杓、李ミョンウが全羅南道紅島海岸拉致され、工作員を韓国人化するための教官として働かされている。この5人は全て、横田めぐみさんらと同様に1976年の金正日の拉致指令によって実施された拉致作戦による犠牲者と言える。

国情院が休戦後拉致被害者リストを公表 


 朝鮮日報が安明進氏の証言を根拠に韓国人高校生拉致を報じたのは1997年12月である。つまり、横田めぐみさん拉致が日本国内で大きく報道された1997年2月から10か月たってから、韓国の海岸で5人の高校生が拉致されたことが明らかにされたのだ。これは何を意味しているのか。
 1997年以降日本で展開された拉致被害者家族と支援者らの救出運動は、韓国の被害者家族と韓国政府内担当官らを刺激した。横田めぐみ拉致は韓国情報当局が亡命者証言を日本に伝えてくれたことから明らかになったのだから、まず韓国から日本が刺激を受け、それがブーメランのように再び韓国に戻ったというのが正しい見方だろう。
 韓国政府が拉致に関して表だった動きを見せるのが、1999年になってからである。
 1月31日に韓国国家情報院は拉致および自ら北朝鮮に入った韓国人のうち22人が政治犯収容所に収監されていると発表した。これは、拉致被害者の消息をはじめて、韓国政府機関が公式に明らかにしたものだ。「最近、北朝鮮脱出者を尋問する過程でこのような事実が確認され、彼らは拉致あるいは自らの意志で入国後1から2年後に政治犯収容所に収監されたものと明らかになった」と説明が付いて発表された22人の名簿は次の通りだ(『朝鮮日報』99年1月31日)。

1、身元確認者。カッコ内は北朝鮮に入った時期、当時の肩書き、順序も発表のまま。
▲李ヨンフン(92年4月、弁護士事務長)▲チョン・ナクホ(91年7月、チョガン海運船員)▲李ジェガン(89年12月、三星電子代理店勤務)▲チョ・ホンネ(92年8月、運動器具点運営)▲崔ヘチャン(91年10月、チョガン海運船員)▲李デシク(88年9月、パラグアイ移民)▲シン・ウォンシク(91年6月、米国 橋梁設計士)
▲カン・ガンソク(92年12月、不動産仲介業)▲金ソンベ(83年5月、建設会社重役)▲金スンソン(西ドイツ鉱夫)▲李宰煥(87年7月、在米留学生)▲崔宗錫(87年1月、東進27号拉致船員)▲金ウォンソク(90年2月、観光会社代表)▲ヤン・チルソン(88年9月・不動産仲介業)▲金ソンジン(84年9月、軍人2等兵)
2、身元未確認者
▲権オムン▲チョ・セング▲ソ・ハクシク▲朴チョンシン▲李チャンス▲ユ・ジェオン▲金チュンギル

 政治犯収容所内拉致被害者リスト発表の約1カ月後、1999年3月9日韓国国家情報院は北朝鮮に拉致されて抑留されている韓国人454人のリストを公開した。朝鮮戦争休戦後、北朝鮮に拉致された韓国人は合計3756人に上りそのうち3302人が帰国したが、依然として454人が抑留されているという。その後、韓国家族会などの調査で明らかになった被害者があり、2002年3月現在韓国政府が認定している朝鮮戦争休戦後の拉致被害者は485人になっている。

韓国家族会発足 

 1999年4月、5月2日に開催される拉致被害者救出のための国民大集会の準備を進めていた救う会に韓国から国際電話が入った。韓国の拉致被害者がその集会に参加することができないかという打診だった。それは願ってもないことで主催者として正式に招聘する、と返事した。
 そして3人の拉致家族が来日した。1987年ヨーロッパ旅行中に拉致された留学生・李宰煥氏の父李永旭氏と、同じく1987年に黄海で漁業操業中に北朝鮮に拿捕されそのまま抑留され続けている東進27号漁猟長・崔宗錫氏の妻金太女朱氏(女偏に朱)、娘崔祐英氏の2家族3人だった。前述の政治犯収容所リストの中に李宰煥氏、崔宗錫氏が入っていたため、この2家族は、この世の地獄といわれる政治犯収容所にいる拉致被害者の救出を関係機関へ陳情しマスコミと通じて訴え続けていた。その延長線上での来日だったのだ。
 ここで初めて、日本と韓国の拉致被害者が出会うのだ。崔祐英氏は帰国後、韓国でも拉致被害者家族会を作ろうと努力したが、支援者が全くなくマスコミの関心もあまりない中、作業は進まなかった。
 同年12月韓国ソウルで、第1回北朝鮮人権・難民問題国際会議が開催された。そこに私は日本人拉致救出運動を代表してオブザーバーとして参加した。北朝鮮の人権問題でさまざまの活動を展開する韓国の多くのNGOや研究者が集まったその会議でも、韓国人拉致に関してはまったく話がされなかった。しかし、そこに聴衆として参加した崔祐英氏を私が、やはり会議に参加していたNGO「北韓民主化ネットワーク」のメンバーと引き合わせ支援してくれることを依頼した。同NGOメンバーが積極的に支援する中、同年2月28日「拉北者家族会」(以下、韓国家族会)がソウルで17人の家族の参加を得て発足した。
 そこで家族会は「太陽は私たちにも切実に必要です」と題する嘆願書を金大中大統領宛に送った。以下その主要部分を翻訳引用する(『月刊Keys』第2号から翻訳)

政府は彼らの問題に対しては沈黙で一貫したまま政府次元での対応を考慮していません。(略)その上、政府の力が強かった時代には、拉致被害者家族は公安機関に連行され「自分の意志で北朝鮮に入ったのではないか」という疑いを受け弾圧まで受けてきました。言葉にできない彼らの絶叫を政府は本当に知らないと言うのですか。
 近い日本の例をとっても彼らは自国民の拉致事件に関して始終一貫して政府の力で圧力に対応しています。朝日修交交渉など朝日関係で拉致問題が優先的に扱われていることを見るとき、私たちは本当にうらやましく感じました。(略)
 私たちも太陽政策の恩恵を受ける者となりたいです。飾り立てて形式的なものでなく真に影となっている場所にいる、分断によってもっとも大きな痛みを覚えている離散家族たちの痛みを癒してくれるそのような太陽の光を受けたいのです。

 日本の運動が刺激になっていることが分かる。韓国家族会の設立総会に寄せられた韓国・MBCテレビのディレクターの手紙にも日本の運動に関する次のような記述があった。
「取材にために日本に行ったとき、私は日本の家族の活発な活動よりも彼らが活発に政府に対して強い批判をなし、また日本政府でも彼らの声に耳を傾け聞いてくれるという事実に大きく感銘を受けたところです。人間に関することを数字で軽重を計ることはできませんが、日本の拉致被害者は10余名から60余名までと推定されていますが、我が国は確認された人だけでも450名を超えています。それなのに、我が国政府は何をしましたか」。
 この2000年は、6月に南北首脳会談が実現した年だが、それに向かって韓国家族会は運動を盛り上げていく。3月15日に第2回の家族会会合を持つ。そこに私を含む日本人救出運動関係者3人が参加し、日本における拉致被害者救出運動の現状について報告した。
 同年4月18日に、ソウルで韓日共同記者会見が持たれた。韓国側は崔祐英氏ら韓国家族会会員が、日本側は荒木和博・救う会事務局長(当時)と北朝鮮に拉致された日本人を救出するための地方議員の会役員の6議員が参加した。その席で、韓国家族会は南北首脳会談に臨む韓国大統領に対して「大韓民国元首が北に行くのですから北にいる大韓民国国民を連れて帰って下さい」という声明書を発表した。また日韓の共同声明も出された。
 つづいて、4月30日、東京で開催された第2回北朝鮮に拉致された日本人を救出する第2回国民大集会に韓国家族会から崔祐英氏と李延順氏が参加した。崔氏は前年に引き続いての参加だが、李氏はご主人の安承運宣教師が1995年中国延辺地域を拠点として北朝鮮に布教活動中に拉致されている。


南北首脳会談での金大中大統領の裏切り 

 5月10日には統一部が入居している政府庁舎ビル前で、「南北首脳会談で拉致問題を主要議題として採択することを求める街頭集会」を開催した。雨の降る中、家族らは横断幕の前に被害者の写真を持って立ち、統一部に向かって訴えた。5月26日には史上初めて統一部長官と家族との面談が実現した。そこで、崔祐英・韓国家族会代表は「我々の要求事項」を長官に手渡した。その第1項は先の集会の要求と同じく、拉致問題を首脳会談の議題とせよというものだった。
 しかし、6月13日から15日、平壌で開催された金大中と金正日の南北首脳会談では拉致問題は議題に取り上げられなかった。実は金大中大統領は首脳会談において韓国と日本の拉致救出運動に対して2つの重大な裏切りを働いたのだ。
 第1の裏切りは韓国人拉致被害者へのものだ。当初韓国政府は非転向工作員の送還を、韓国人拉致被害者と韓国軍捕虜との交換条件で解決する方針だった。例えば、金大中大統領は99年3月24日統一部国政改革報告会議で「最近釈放された南派工作員も北朝鮮に送る用意がある。同時に北朝鮮も韓国軍捕虜、拉致被害者などについて措置がなければならない。人道的立場から南北の間で合意があることを望む」(青瓦台ホームページ)と訓示している。
 しかし、2000年6月に出された南北共同宣言第3項では「南北は今年の8月15日に際して、離散家族・親戚訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決するなど人道的問題を早急に解決していくことにした」とされた。ここには金正日の強い希望で、非転向の北朝鮮工作員を送還するという約束が入った反面、韓国人拉致問題はまったく言及されなかった。
 第2の裏切りは友好国日本に対するものだ。韓国政府は共同宣言第3項に従い、2000年9月2日、63人の北朝鮮工作員を北朝鮮に帰した。その中には、1980年大阪の中華料理コック原敕晁さんを拉致し、原さんになりすまして工作活動を展開していた辛光洙が含まれていた。これは、北朝鮮の憎むべきテロ行為に金大中政権が加担したことを意味するもので、日韓の友好関係に対する裏切りである。
 韓国の法律では辛光洙は韓国国籍者であり、その人間が北朝鮮に入る場合は韓国政府の特別な許可が必要だ。本人の希望だけでは北朝鮮に入ることはできない。韓国政府は「非転向長期囚」の北朝鮮送還は6月15日の南北共同宣言で金大中大統領が約束したことだとしている。
 しかし、南北共同宣言には送還されるべき「長期囚」のリストは明記されておらず、辛光洙をその中に入れたのは、韓国金大中政権の選択だ。一方、北朝鮮は辛光洙について、北朝鮮の人間ではなく韓国当局がでっち上げた人物だと次のように主張している。「われわれと総聯とは何の関係のない人物である」(『労働新聞』昭和60年(1985)7月2日、『民主朝鮮』同年7月3日)、「一から十まで事実無根であり、事件は韓国当局によるでっちあげ」(同年6月28日在日朝鮮総聯社会局長声明・『週刊朝日』1985年7月12日号からの引用)。韓国金大中政権は、北朝鮮が「われわれとは関係ない」と明言している辛光洙をわざわざ送還リストの入れることにより、日本人拉致事件の解明を意図的に妨害しようとしていると言わざるを得ない。


韓国家族会の活動で盛り上がる世論 


 韓国家族会は2000年8月27日、北朝鮮への送還を前にした非転向工作員シン・イニョン、李キョンチャンらを訪ね拉致被害者の名簿を渡して生死確認を要請した。それに対して非転向工作員らは「北には強制拉致された人間はいないのでどうして拉致被害者という言葉を使うのか」「拉致被害者はおらず、(北朝鮮が)好きで北にいるのではないか」とうそぶいたという。
 韓国家族会は8月15日、離散家族再会の現場のホテル入り口でプラカードを持ってアピールしたり、9月2日非転向工作員らが北朝鮮に送還されるとき、「なぜ一方的に韓国で捕まった北朝鮮工作員を帰し、北朝鮮が拉致した韓国人被害者は帰ってこないのか」と訴えるなどの活動を展開した。これらの活動は、韓国のテレビ新聞に大きく取り上げられ、拉致問題に関する韓国世論の関心は大きく高まった。
 その結果、金大中大統領も9月3日、テレビ記者会見で次のように明確に拉致問題の存在を認め、解決への努力を約束した。

▲質問・昨日、韓国政府は南北共同宣言にしたがって非転向長期囚63人を北に送りました。したがって、北側でも人道主義と相互主義に立脚して私たちの拉致被害者と韓国軍捕虜を送ってくれなければならないという話があります。これについて大統領はどう考えますか。
▲金大中大統領・北朝鮮の立場からはいま韓国軍捕虜はいないという主張です。なぜならば、53年の休戦の時、捕虜交換を全部したではないか、このような立場で、拉致はそのようなことはないというのですが、しかし実際私たちがいろいろな情報とすべてのものをして判断し把握したところでは韓国軍捕虜が約3?4百名把握されていて、また拉致被害者もその程度の数、それで全部合わせて7?8百名が把握されています。大部分あちらで結婚し家族をなして暮らしています。私たちはこの問題を必ず解決しなければならない、とにかくどのような形態でもお互い南側にいる家族と生死の消息を伝え面会もして、そして必ず必要な人は再結合もし、このようなやり方で問題を推進していくのですが、この問題はことの成果のため当分の間は水面下で接触をもっと進展させなければならない、そのように考えています。この前も韓国軍捕虜と拉致被害者家族がホテルの前で慟哭するのを見て、本当にその時も胸が張り裂ける思いでした。今回私たちが非転向長期囚を送り返しましたが、それも韓国軍捕虜や拉致被害者についての問題を解決するのに助けになるはずです。また、その問題について言いたいのは、韓国は人権国家ですからこれができるのです。あのような人たちを私
たちがここで捕まえておいてここで死ぬようにさせることよりは故郷に行き家族とも会い、そこで骨を埋めてもよいと送ったことは、全世界が韓国の人権国家としての面目を今日、確認するようになるのだ、そう考えています。

 この金大中大統領の談話で強く気になるのは、被害者への同情や大韓民国大統領としての救出への決意でなく、「北朝鮮の立場からは………という主張です」という金正日の立場からの弁明から話を始めていることだ。


救出を提起しないことが韓国政府の方針 

 実は、韓国政府は拉致問題を北朝鮮に対して正面から提起しないという政策を南北共同宣言作成直後に定めていた。7月28日統一部が公表した『南北共同宣言条項別解説および主要懸案問題関連質疑、応答資料』には、「直接的に送還を要求することよりは広い意味での離散家族問題の範疇に入れて接近することがより現実的で合理的な解決策だ………今回の合意を契機に政府は韓国軍捕虜と拉致被害者問題が広い意味の離散家族問題の範疇で早急に解決されるべく最大限努力していく計画」(統一部のホームページ)と明確に書いている。無理やり拉致され数十年も故郷に帰れず家族にも連絡すらできない自国民被害者の送還を「直接要求しない」というのだ。自国民の人権よりも金正日の機嫌を優先する政策だ。
 その政策通り、韓国拉致被害者家族の中から2人が離散家族訪問団の一員として選ばれ、北朝鮮を訪問し被害者との面会を果たした。2000年11月30日?12月2日第2回離散家族相互訪問で、87年に拉致された東進27号乗組員・姜ヒグン氏と母親・金三礼氏が再会した。2001年2月16日?28日第3回離散家族相互訪問では69年にハイジャックされた大韓航空機の乗員・成宗姫氏と母親・李厚徳氏が再会した。この2件は両方とも拉致家族が個別に「離散家族訪問団」に参加したいと申請し、韓国政府が一般申請者とは別枠で選抜したことで実現したものだ。しかし、その面会は北朝鮮当局の監視監督の下に行われたため、被害者は拉致でなく自らの意志により北朝鮮で暮らしており金正日のおかげで幸せだと語っただけだ。
 南北首脳会談の結果、韓国で逮捕され有罪となって刑期を済ませた北朝鮮工作員は希望者全員が北朝鮮に帰ることができた。ところが、韓国の拉致被害者はたった2人が監視下で家族との再会を果たしただけだ。これが相互主義と言えるだろうか。人道主義の美名の下、金大中政権が一方的に金正日に譲歩を続けているということだ。

自力で脱北した拉致被害者を助けなかった韓国外交官

 もう一つ、金大中政権が韓国人拉致被害者救出に真剣に取り組んでいないことを証明する事件が首脳会談の直前にあった。前記のごとく2000年3月15日、韓国家族会は第2回会合をソウルで開きそこに私も参加した。集会後、家族会幹部らと夕食をとっていたとき、事務所に次のような電話があった。「自分は中国で宣教活動をしている韓国人宣教師だが一時帰国している。中国に自力で脱出してきた北朝鮮に拉致された漁船員に会った。韓国大使館は彼を助けようとしない。困った彼が私に助けを求めてきた。帰国して関係機関に相談したところ、家族会ができて活動中と聞いて連絡した」
 この連絡を受けた韓国家族会は、詳しく事情を聞いたところ、中国で身を隠しながら助けを求めているのは、1970年4月29日黄海で北朝鮮警備艇に拿捕された漁船ポンサン22号の船員・李在根氏と判明した。李氏は韓国政府が作成した拉致被害者名簿に入っている拉致被害者であった。
 韓国家族会は韓国大使館が協力を拒否しているという状況下で、自分たちだけでは救出は困難と考え、マスコミとチームを組んで救出に当たるという作戦を立てた。まず、映像が必要と考え、ちょうど拉致家族の番組を作るために取材中だった洪性X(サンズイに秦)・「大田放送」プロデューサーとカメラマンを、それから、活字メディアではこの間、中朝国境地域で北朝鮮難民の取材を豊富に行てきた金容三・『月刊朝鮮』記者を参加させた。韓国家族会からは、崔成龍氏が加わり、拉致被害者救出チームが結成された。彼らは中国に飛び、4月20日キリスト教関係者にかくまわれていた李氏と会った。
 チームの目の前で李氏は青島韓国領事館に電話した。

李「なんとか国へ帰れませんか」
担当官「兄弟が見捨てたあなたのような人を、どうやって国が面倒を見るんですか?」李「私の兄は労働者なのに、息子二人を大学へやり、また三人の娘も高校を卒業させて嫁にやったから、蓄えを使い果たしたのです。いまは年老いて引退していて、金がないので呼び寄せられないと兄は私に弁解しているのです。仕方がないから、こうし
てあなたにお願いしているのですよ」担当官「あなたも話の分からない人ですね。兄弟の力を借りて韓国に行く手段を講じるべきでしょう。なぜ国家に面倒をかけるのですか。あなた、大韓民国に税金を払っていますか?」(李在根著・河合聡訳『北朝鮮に拉致された男』河出書房新社)

 韓国外交官が、拉致された自国民の保護を公然と拒否しているのだ。
 この電話に至るまで、李氏と韓国大使館・領事館の間でも次のような驚くべきやりとりがあった。
 1998年、このままではみな餓死すると判断した李氏は北朝鮮で結婚した妻と息子をまず中国に逃がしそのあと自分も脱出した。家族と合流した李氏は1998年10月5日北京の韓国大使館に電話をかけ、自分は拉致された韓国国民で中国まで逃げてきたから韓国に連れていってくれと願ったところ、事情を聞いた北朝鮮担当官とい
う人物は一方的に電話を切ってしまった。翌99年4月1日青島の韓国領事館を直接訪問し救出を訴えたところ、本国に電話するから待てといわれ500元の「車代」を渡されて追い払われ、その後3回電話したが「韓国政府から返事がないから待て」という返事ばかりを聞かされたという。99年12月には事情を知って一時帰国した韓国
人宣教師が韓国から電話で「国家情報院に話を付けたから瀋陽の韓国総領事館にいって経緯を告げよ」と連絡を受け、行ってみると、「いまは韓国へ行けないから、帰りなさい」と一言の下で拒絶された。
 困り切った韓国人宣教師が結成されたばかりの韓国家族会に電話をしてきたのが先に書いた2000年3月だったのだ。
 救出チームは先の電話のやりとりを録音したテープを持って北京の韓国大使館を訪れ、李氏救出を迫った。その結果、2000年4月27日、在中韓国大使館は李氏とその妻、息子に韓国国民であることを証明する旅行証明書を発給した。
 しかし、韓国政府は李氏をすぐ韓国に帰国させなかった。李氏らはそれから約3カ月近く、韓国国家情報院の指示で中国内に潜伏生活をさせられ、7月23日になってやっと韓国に帰国できた。南北首脳会談前に李氏が帰国し、拉致を実行した北朝鮮と李氏らを約2年間助けなかった韓国政府への批判が高まることを怖れての処置だった。
 現場取材した大田放送と月刊朝鮮に対しても、まだ中国に李氏らが潜伏しているのだから安全のために報道を控えるようにと要請し、首脳会談前の報道を抑えようとした。『月刊朝鮮』はそれでも、母体新聞である『朝鮮日報』に情報を流して首脳会談前の6月3日に同紙が第一報を伝えた。『月刊朝鮮』は首脳会談終了後発行の7月号
で金容三「拉致漁夫李在根氏、30年ぶりの生還記」(『正論』2000年11月号に訳載)
を掲載し李在根氏救出を大きく伝えた。

朝鮮戦争中の拉致被害者家族会発足 


 本章冒頭で書いたように、実は韓国人拉致被害者は2つのグループに分類される。第1は、朝鮮戦争時、北朝鮮の軍や政治警察などによって拉致された民間人である。韓国政府が戦中の1952年に作成した『6・25事変 被拉致者名簿』によると、
8万2,959人の民間人が拉致され、その大多数がいまだに生死確認もできずにいる。
第2が休戦後の拉致である。
 戦中拉致被害者問題は1952年1月第66回休戦会談で国連軍によって提起されたが、北朝鮮側は「拉致被害者はただの一人もいない」というでっち上げの主張を繰り返すのみだった。
 休戦協定成立直後の1953年と1954年に、当時結成されていた「拉致者家族会」が、拉致被害者救出大会を開き、国際赤十字社に訴えるなどの活動を展開した。1956年大韓赤十字社が国際赤十字社の仲裁の下、「失郷私民」という名称で消息の問い合わせをしたところ、1957年北朝鮮赤十字社から337人の消息に関する回答を受けた。これ以降、北朝鮮は一切消息を伝えていない。
 1964年には朝鮮日報が主体になって拉致被害者送還のための100万人署名運動が行われ、朴正熙大統領をはじめとして全国から集められた署名簿を同年12月11日、国連人権委員会に提出した。
 その後、この問題は次第に忘れられ、「拉致者家族会」も活動を停止し事実上、救出運動は姿を消した。
 戦中拉致の被害者家族は、2000年2月以降の戦後の拉致家族会の活動を関心深くみつめていた。しかし、マスコミ報道でも政府答弁でも一切、戦中の拉致については言及がなかった。特に、先に見た金大中大統領が9月3日、テレビ記者会見で「韓国軍捕虜が約3?4百名把握されていて、また拉致被害者もその程度の数、それで全
部合わせて7?8百名が把握されています。」と発言したことに強い衝撃を受けた。
戦中拉致がまったく無視しされていたからだ。
 自分たちが立ち上がって声をあげなければと考えた、戦中拉致被害者家族が、2000年11月30日に集まり、「韓国戦争拉致人士家族協議会」(以下、戦中家族会)を結成した。理事長には李美一氏が就任した。
 李美一理事長は父親が拉致された状況について次のように証言している。

 私の父は、ソウルで鍮器工場を営む事業家でした。韓国戦争前に西北青年団(保守派青年組織・西岡補)に加入したのです。当時は政局が不安定で、国の一角の青年た
ちは青年団に加入していました。父も事業家でしたので、当然加入していましたし、資金もある程度提供していたようです。また、工場の従業員も相当数が青年団員だったようです。
 ところが、1950年6月北朝鮮軍が南下してきてソウルを占領し、北朝鮮政治保衛部員が家に来て、青年団のことを調査するといい、父を連行していきました。そのときはすぐ返してやるといい内務署(警察署)に連れていきました。当時、父は半ズボンにゴム靴姿でした。翌日になっても戻らないので母が内務署を訪ねると、もっと
調べることがあって政治保衛部に連れていかれたというのです。そちらを母が訪ねると、バリケードがあって中に入れずそのまま生き別れになった。
 同年9月国連軍がソウルを取り戻した後、母は刑務所、内務署、政治保衛部など退却した北朝鮮軍が殺害した死体があるところを回って父を捜しましたが、幸か不幸か父の痕跡を見つけることはできなかったのです。
 母は父に会うまで髪を切らないと言って、今でも髪を長く伸ばしています。あまり長くなると切っては束にし、家においています。いつか父が帰ってきたら、私はあなたをこんなに待っていたと見せるのだと言って…。


 結成後の戦中家族会は資料収集、実体験級、政府、国民への訴えなど精力的に活動を続けている。2001年9月の第3回国民大集会に参加して以来、日本の家族会・救う会とも緊密な連帯を保っている。
 戦中家族会の活動で大きな功績は、1952年10月韓国政府が作成した『6・25事変 被拉致者名簿』を国立中央図書館で発見したことだ。 実は、韓国政府は戦中家族会の問い合わせに対して、戦中拉致者の資料はどこにあるか分からないなどと答えていた。2002年末にある蔵書家から、広報処統計局発行の『ソウル特別市被拉致者名簿』を購入し、記者会見で公開した。すると、ある入会希望の家族が拉致被害者家族であることを証明する資料として見たことのない名簿のコピーを持参した。きくと、国立中央図書館に行って、「ここに戦中拉致被害者の名簿があるはずだ、出せ」と大声を上げて要求しつづけたら、書庫から5冊の名簿が出てきたという。そこで、急いで確認すると、分厚い4冊の名簿と追加分が1冊の合計5冊の韓国政府発行『6・25事変 被拉致者名簿』が保管されていたというのだ。
こうして50年間誰も捜すことがなく書庫で眠っていた拉致被害者名簿が、世の中に姿を現した。
 戦中家族会はそのデータを自分たちの力でコンピューのターデーターベース化した。
2003年7月、月刊朝鮮社と共同で『拉致被害者8万2959人名簿』として出版した。
名簿が出版されると、多くの戦中拉致家族が月刊朝鮮編集部を訪れた。その結果、戦中に拉致された多くの被害者の名前がこの名簿にないことが判明した。戦中家族会ではこの事実などから、戦中の拉致被害者は10万人を超すものと考えている。
 しかし、金大中政権、盧武鉉政権は戦中拉致被害者について、まったく何の対策もなく、放置している。


家族会の被害者救出事業 


 2000年後半に朝鮮戦争休戦後の拉致被害者家族の団体が分裂した。「拉北者家族会」は李在根氏救出にあたった崔成龍氏が代表になった。崔成龍氏が李在根氏を救出したという情報が、自力で中国に脱出し隠れている韓国人拉致被害者のところに伝わり、崔代表のところには救出を求める手紙やテープなどが人づてで届けられた。2000年9月には崔成龍氏が斡旋し中国で拉致被害者・李成一氏が兄と姉に再会した。李成一氏は1967年漁船で操業中に拉致された被害者で、韓国政府作成名簿に入っている。李氏は北朝鮮に残した息子らを連れてくると言い残し北朝鮮に戻り、翌2001年5月に「遺骨を故郷に埋めてくれ」といい残し病死した。
 2001年には拉致被害者・陳正八氏が中国の隠れ家で書いた手紙が人づてに崔成龍氏のところに届く。陳正八氏は1967年4月黄海に漁船で操業中に拉致された拉致被害者で、自力で中国に脱出していた。やはり韓国政府作成名簿に入っている。崔氏が陳氏の家族を捜し出し、国際電話で通話をさせる一方、韓国政府に救助を要請した。しか
し、韓国政府は陳氏救出に消極的で、そこで崔氏は金演光・『月刊朝鮮』記者の同行を得て中国に向かった。某所に潜伏中の陳氏と合流した崔氏らは国際電話で韓国政府と交渉して数日後、やっと韓国外交官に陳氏を引き渡し、保護を求めることができた。
 崔成龍氏は陳氏以外にも救出を求める拉致被害者がいるとして「政府が拉致被害者を帰還させるという断固たる意志だけがあれば、今すぐでも10名の拉致被害者を韓国に連れてこられるのだ」と語っている(『月刊朝鮮』2001年12月号)。
 また、分裂したもう一つの韓国家族組織は「拉北家族協議会」で、会長は最初に韓国家族会を立て上げた崔祐英氏だ。崔祐英氏は2001年5月、日本人拉致被害者家族らと一緒にジュネーブの国連人権委員会を訪れ、日韓拉致被害者の救出を要請した。崔祐英会長は2005年4月の第7回国民大集会まで毎回の国民大集会に参加しつづけ
日韓連帯を確認している。
 2002年1月16日「拉北家族協議会」は崔祐英会長を初めとする家族26人の名義で韓国政府を相手に憲法上の「国民の生命と自由を保護する義務」をないがしろにしたとして損害賠償訴訟を提起した。
 2002年9月、1審判決で韓国家族会は敗訴した。その判決文を見ると、金大中政権の太陽政策を賞賛する一方、拉致問題を金正日政権に提起しなかったことにより「貪小大失の過ちを犯さなかった」と、むしろ拉致問題を取り上げなかったことを肯定的に評価している。自国民保護が「小」でありテロ政権を支援することが「大」だと裁
判所が公言しているのだ。韓国家族会はこの判決に憤慨しているが、韓国内ではマスコミ報道もほとんどなく、家族の怒りは全く無視されたままだ。
 2004年に米国議会が全会一致で成立させた北朝鮮人権法には、日本人拉致と並んで韓国人拉致が明記されている。同法の規定によると、米政府は日本人拉致、韓国人拉致が解決するまで人道レベル以外の北朝鮮経済支援をすることが禁じられている。
ところが、韓国の与党国会議員らは、北朝鮮人権法に反対する書簡を米議会に送るなど、韓国人拉致解決に逆行する行動を取り、韓国家族会から厳しい批判を受けた。議員らもマスコミ関係者も同法に韓国人拉致問題が書き込まれている事実自体をほとんど知らなかった。
 盧武鉉政権の反米親金正日路線を激しく批判する保守勢力は、韓国人拉致問題を自国民保護という観点から韓国政府が最優先で取り組むべき課題と考え、2003年以来、ソウルなどの街頭で行われている反北朝鮮親米大集会で、帰国した拉致被害者や家族会幹部に訴えをさせるなどして、積極的に取り組んでいる。

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2006年5月14日 (日)

戦略情報研究所荒木和博氏講演 まとめ

;『最後にまとめ 荒木和博氏』

最後にもう一まとめだけして終わりにしたいと思いますが、本当に今日時間遅くなってしまいましたがありがとうございました。
覚悟しなければならない事と言う話をしたのは、私、今、今回が初めてでございまして、正直言って自分自身でもですね。
一般の人に話をするときに、やはりそういう事は言いたくない、です。
言いたく無いけれど、この拉致の救出運動をやっている人であれば、誰でも心の片隅にですね。
この事をやる事によって拉致被害者に危害が及ぶのではないか?とか、そういう恐怖感は持っているはずだと、私は思っています。

9.17の時にですね。
あの時に私は外務省の麻布の飯倉公館で、横田めぐみさんのご両親とか有本恵子さんのご両親とか増元さんとか市川さんなんかにですね。
に対して、政府が「亡くなりました」と言う現場にいた人間でございまして、あの時は本当にですね。
自分がやってた事で、人殺しをしてしまったと。
いったいどうやって償えばいいんだろう?と、本当にですね。
頭の中が真っ白になるというのはこういうのを言うんだろうなと、言うような体験を致しました。

今、これをやってる限りはですね。
また、あるいはもっと酷い事を体験しなければいけないんでは無いだろうか?と言う事を、ある程度覚悟は致しております。
覚悟はしてますけども、誰かがやらなければ、これは絶対に問題は解決しない、と言うふうに思っておりますし。
これまで、もし何十年も前に拉致の過程で殺されてですね。
日本海に沈められた人が居たんだとすれば、その人たちの思いをですね。
少しでも慰める為には、絶対にこの事をここで止めることは出来ないというふうに私は確信を致しております。

これは本当にある意味で言うと、戦後60年間、我が国はですね。
とにかく自分から悪い事をしなければ人から悪い事をされないんだという、全くの夢のような事を、夢だと分かっていながらそれを現実のつもりでして余計な物に目を向けて来なかったと。
言う事のある意味で、ツケだったと思うんです。

おそらく小泉さんはあの拉致問題に手を付けて、それまで何の関心も無かった事なんでしょう。
それでやってみてですね。
この問題の深さをおそらくかなり分かったんだと思います。
分かってパンドラの箱の蓋を閉めようとしたんだけど、もう締め切れない。
と言う事がですね、今日につながっているんだろうというふうに私は思っております。
我々もその蓋を開けて見なければいけない時が必ず来るであろうと。

そして、いったい我々は何をやってたんだろう?
安全とかそう言う物はですね。
ほったらかして勝手に来るものだ、と言うふうに思っていたという事が、間違いであったという事がやっと戦後60年経って分かったという事になるのかな?と。
余りにも遅すぎたといえば遅すぎたという事なんですけども、しかし我々自身が皆ですね。
その事に絶対に直面をしなければいけない時に今来ているんだろうというふうに、私は思っています。
そしてその時になれば、この国はちゃんと動ける国であると私は確信を致しております。

増元照明さんのお父さんが亡くなる時に、「俺は日本を信じる、だからお前も信じろ」と言って死んでいった。
あの事を考えればですね。
我々はその言葉に対して、恥ずかしく無いようにしなければいけないのではないだろうか?と言うふうに思っている次第でございます。

これから先まだ、いろいろですね。
雑音があるでしょうし、いろんな事が起きると思います。
起きると思いますけども、しかしですね。
最終的な目標だけは絶対に見失わないようにしなければいけない。
見失わないでやっていればですね。
絶対に私は問題は解決できると、この国はその力があるというふうに思っております。
どうか最後までご協力をお願いしまして終わりたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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戦略情報研究所講演会 質疑応答

  『質疑応答 回答者:荒木和博氏』

★質問者1

非常にアホな質問になってしまうんですれけど、アメリカと日本を利口とアホを使って比較しましたけど、アメリカと言うのは上から利口がアホを押さえつける国で、日本は利口がアホを支える国と言う意味ですかね?
荒木さんの言ってる事は?

★回答 荒木氏

あぁ、中々良いご意見ですね。
それは上にも利口な人はいますけど、何でしょうね。
やっぱり逆に言うと下がしっかりしているから、上があんまり物を考えなくなってしまうと言う感じがします。
あるのは日本的なリーダーシップで権威と権力が大体別れるから、そうすると余り責任が無くなってしまう。
言う事なんじゃないかと思います。
よろしいでしょうか?

★質問者2

○○と申します。
質問させて頂きます。
自衛隊の中にアメリカ、あるいは英国、あるいはドイツの軍隊の中にあるような、特殊部隊と言うかそういった物が想定されているのかいないのか?
あるいはいるとしたら、どこかで秘密裏に訓練しているとか言う事は無いのか?
70年安保の頃に治安出動を想定した訓練があって、すっぱ抜かれた事を記憶しているんですけどもその辺はいかがでしょうか?

★回答 荒木氏

あのですね、もちろん私が知らなきゃそれでおしまいなんですが、自衛隊の中でも一番の・・・(聞き取れず)は習志野にあります特殊作戦部というのはですね。
これは一番様々な事を想定して、行動できる部隊ですね。
あと九州の方に西部方面隊にあります西部方面の普通科連隊、・・・(聞き取れず)と言うんですが、これもそれに近い。
ただしそちらはどっちかと言うと中国を睨んだ島しょ防衛の部隊ですね。
そういう物もあります。

後は一般の空挺部隊とかですね。
そういう事になっていきます。
やってる事はそこそこ、隠れて訓練もやってはいます。
昔みたいに、仰ったような状況の時みたいにですね。
今、本当に徹底的に隠さなきゃいけないという、そういう状況には無いんですね。
ですから以外にももうオープンにしても問題ないんですが、特殊部隊ですから明らかにしないと言う部分で、出してない事もありますけども、それなりのやる事はやっております。

ちなみにですね、もう一つ言うと今ゲリラコマンドの対策みたいな物は、自衛隊全体としてもかなり重要な問題になっていまして、私らみたいな予備自衛官が年間わずか5日間訓練受ける時でも、担当した部隊によっては市街戦の訓練とかやる事もあるわけですね。
もちろん私が・・・(聞き取れず)という小銃を持ってゲリラコマンドの鎮圧に当たる時は、この国はおしまいだと思いますけども(笑い声)、一応そういうふうに全体的にはなって来ている、と言うことです。

★質問者3

例えば民間への被害の想定を折り込まなければいけないというご意見だったんですが、これどのように具体的に方法を使ったら良いとお考えですか?

★回答 荒木氏

方法と言うのは、相手がやってくると言う事ですか?

★質問者3

やってくることじゃなくて普通、民間人と言うのは日本の国民の事ですよね?(荒木氏「そうです」)
国民に理解を求め、家族の・・・(聞き取れず)どのような方法を使うと良いとお考えですか?

★回答 荒木氏

つまりですね。

拉致問題の解決と言う事を考えると、拉致問題の解決で強硬な姿勢をとった。
それについては北朝鮮側が脅かすと言う意味でですね。
こういう特殊部隊を入れたりとか、言う事をやって例えば東京の新幹線を例えば爆破するとか、あるいは毒ガスを撒くとか、そういうような事があるわけですね。
それに対してそういうことがあるならばやらない方が良いじゃないかと言う世論が出来てしまうと、これはもう相手方にどんどん付け込む隙を与えてしまう。

そこは、そんな事やるならやってみろと、こっちが仕返ししてやると言うようなふうにしていかなければいけないんですが、その為のですね。
私は一つ乗り越えなければいけない問題と言うのがこの拉致問題に関して言うならば、今どうしてもご家族がと言う、まず先頭に立ってるんですね、この拉致問題の。
政府もご家族の苦しみを少しでも和らげて問題を家族の問題と言うふうに、皆がどうしてもしてしまっている。
で、これでやってしまうとですね。

そこももちろん必要なんですよ?
私もそこで入ってきている人間ですから、否定はしないんですがこれをいつまでも先頭に出していると、結局最後は他人事になってしまう。
まぁそういう人たちも可哀想かもしれないけれど、それで新たに自分達が被害に遭う事はないんじゃないかなと、当然なってしまうわけですね。
そうじゃなくて、この拉致と言うのはこれはもう北朝鮮がやってきた一種の戦争行為であって、だからもしここで我々が怯んでしまったら、またもっと更に酷い被害が起きるんだという事を・・・

★質問者3

それは例えば、どういう対策を?

★回答 荒木氏

だからそれはつまり、ここでですね。
例えばちょっとした事で、ちょっと爆弾でも爆破すると。
これで日本の世論も大混乱して大騒ぎになると、これは強攻策は取っちゃいけないと言うのが巻き起こるとします。
じゃあ辞めようと、言うふうになったときには北朝鮮はですね。
この手を使えばもう次も出来ると思うわけですね。
効き目が悪ければもっと酷い事をやるという事になってしまって、そしてそれにコントロールされて日本の政府は政策を決めていかざるを得なくなる。
いう事になってしまう。
それが一番怖いと言う事です。
そこを何とかして止めなければいけない。

★質問者3

あと一つ、今回初めて36人の特定失踪者の情報を北朝鮮に公開すると言う事がニュースにありましたけども、例えば今、家族以外は全くの第三者ですから、どの程度が36人に数えられたのか?
向こうで目撃証言がありましたとか、こちらの・・・(聞き取れず)北の拉致だと考えられますというので、第三者をもう少し納得させられる方法と言うのはどのようなのか?

★回答 荒木氏

もっと他にいるという事についてですか?

★質問者3

例えば理由が無くていなくなったから北朝鮮による拉致ではないか?と言うのではなくて、北朝鮮による拉致と言うのはこういう証拠によって私達が北朝鮮による拉致だと考えます、と言うのはまぁいえないでしょうけども、どの程度公開できるものなんでしょう?

★回答 荒木氏

こういうことがあったから、こういう証拠があったからこれは拉致だというのはですね。
おそらく言えるケースと言うのは全体の1割も無いんじゃないかと思います。
それ以外は推測でやるのと、それから推測をしても分からないケースと言うのが相当数ある。
これどういうことかと言うと、要は政府認定者の中にも原(敕晁)さんとか久米(裕)さんとか田中(実)さんというのは、これは身寄りが無いのを狙った拉致ですね。
成功していれば、誰も拉致だと分かっていないケースです。
そうするとご家族が名乗り出ると言う事も有り得ない。

そういう人たちのケースと言うのは証拠も何も、いなくなってると言うこと事態分かってない事ですから、その人たちは証拠だなんだと言っていたら絶対に見つかる事は無い、という事になります。
だからこの問題が解決するのは、要は金正日の体制を倒してしまって、自由に中にいる人が帰国する。
あるいは我々が自由に北朝鮮に入っていける。
そして自由に自分の意思が表現出来ると言う所まで行かない事には、問題の解決には行かないし、全ての人を取り返すことは絶対に出来ない。
ということです。

★質問者3

もう一つ宜しいですか?
・・・(聞き取れず)の5月号に、日本の戦争にアメリカを巻き込むのだと言う最後にお書きになってらっしゃいましたけど、あれを具体的にどのような方法で決断なさるとお考えなんですか?

★回答 荒木氏

それはですから日米安保という事になるんですが、かつてその日米安保についてですね。
日本に日英安保がある方が戦争に巻き込まれると、アメリカの戦争に巻き込まれると左翼の方でずっと言って来たんですね。
そうではなくて逆にこちらが使うと言う事をもっと考えても良いのではないか?
それはどういうことかと言いますと、北朝鮮に対して何らかの救出作戦とかそういう事をやるときに、やはりアメリカに知らせないでやる事は不可能に近いですから、アメリカのいろんな物を使わざるを得ないんです。

アメリカが、今この間新潟に大使が行ってですね。
横田めぐみさんの拉致されたところの現場を見たとか、そういうようないろんなパフォーマンスをアメリカがしてるのは、やはり日本に対して協力をしているという姿勢を見せる事で、様々な事でプラスになるという読みがあるからですね。
もちろん同盟国だからやってると言う事もあるんですけども、しかしそういう物は最大限に利用して、ともかく日本は今この拉致被害者、国民を助けようとしているんだと、だから当然協力してくれということでですね。
アメリカを一緒に引きずり回すと、いう事が必要じゃないか。
一緒にですね、例えば在韓米軍の基地を使わせてくれとか、これを使わせろとかですね。
例えばここまで輸送してくれとかそういう事を含めて協力を求めていこう、と言う事だろうと思います。

同時にアメリカが巻き込まれるという事はですね。
攻撃されれば当然アメリカは反撃をしなければいけないわけで、それは北朝鮮からすれば、日本とアメリカが一緒になってやってきたという事の恐怖感と言うのは、これは想像を絶するほどの恐怖感が当然あるわけでして、それによる抑止効果と言うのも当然大きいんだと思うんです。
それをやるべきだと言う事ですね。

★質問者3

具体的にこういう事を通してアメリカを巻き込むんじゃなくて、作戦としてありとあらゆる機会をアメリカと共闘するという?

★回答 荒木氏

こちらがこういうふうにやると言う事で、それに対してこれは事前に言っておかなければいけないと思いますけども、言っておいたら言っておいたで後は、じゃあこれやってくれあれやってくれと言う事を、こちらから要求していくと言う事ですね。
それは出来ると私は思っています。

★質問者3

ではあの時に、例えば16日にシーファー大使が新潟へ行って、翌日の17日に牛肉のBSEで輸入再開で早速利用して頂きたいとニュースがあって。
あれはあれこれはこれと言う考え方なんですけども、まぁそういう物かなぁ?と思いました。

★回答 荒木氏

同盟国なんてどうせそんなもんですから。
何となく日本人の中で、アメリカ好きって言う人と嫌いって言う人で、何か好きっていうとアメリカみんな日本の事を考えてやってくれると思っちゃう。
そういう人が多いんです。
しかしそんな物じゃなくて、同盟国ったってお互いの利益が一致する物と一致しない物があるわけで、それは比較的一致する物が多いから同盟国をやってるわけですけども、それでも全然違う所はある。
お互いに握手しながら足蹴り合うくらいのつもりでですね。
やってればいいわけで、その中でアメリカだって日本が使えるから利用しているわけで、こっちもアメリカで使えるものは利用しなければいけない。
それくらいの割り切りにしてしまわなければ良いかと思うんです。

★質問者4

すみません、座ったままで失礼します。
拉致問題とは関係ないかもしれません。
関係ないと言いますか拉致救出と言うテーマからはずれてしまうかも知れませんが、先日めぐみさんの写真展が妨害されたとか言うニュースを聞いておりましたが、こういった妨害工作と言うものがあるとするならば、まだ妨害している人たちがどういう所の人なのか分かってないのかも知れませんが。
これはやはり北からの物と見て良いのか?推測の話しかないのかもしれませんけども、それをお尋ねしたいのと。

いくつかの文献等を見まして、具体的にどうかと言うのは良く分からず、とりあえず西新井病院に関係があるという程度の話なんですが、地下鉄サリン事件に朝鮮総連というか、北がらみの組織があるというか関与していたと言うような事を文献で読んだ事がありまして。
僕は全く知らなかった物ですから、そうだったのか?と思ったんですが、その辺は真相はどうなのか?
分かるのかどうか?と言うことと。

もし関係があったとするならば、具体的に拉致以外にも我が国には被害者が出ているという事になりますので、そういうことでもう一度日本国民全体の意識の活性と言いますか、そのきっかけにならないか?と思いますがそのあたりはどうか、お尋ねしたいと思います。

★回答 荒木氏

あの写真展の話はですね。
ちょっと私も分かりませんが、他でこう言うのが起きてる訳では無いですから、一時的ないたずらの可能性が高いんじゃないかな?と、思います。

今、だから、朝鮮総連はそういう事に関してですね。
もう動く力が残っていないです。
力があればおそらくまたチマチョゴリの切り裂き事件とか、まだやるかと思うんですけどね。
もう全然無いでしょう?
かつてはちょっとミサイルがどうたらこうたらと言って、日本で世論が硬化するとすぐにね。
チマチョゴリが切られたとか言ってやってたわけですけども、もう今は無いと言うのはどういう事かと言うと、今下手に出しちゃってでっち上げだと分かっちゃったら大変な事になると言う事で、そういう事が出来る状況に無いんだと思います。

その時だって、あるいはひょっとしたらちょっと(朝鮮学校の)女の子をからかったとか、そういう事はあったかも知れませんけどね。
あったかも知れないけどそれは別に普通の日本人の女子高生だってからからかっていた人間が、からかっていた事もあるのかもしれないけど、それを我々はやられたと言うふうにしてしまった面もあると思います。
だからこれも同じで、何かしら、そういう脅かしたりして楽しんでいると言う、そういう話ではないかな?と
もし組織的であれば他の所でも同じ事がそれまでも起きているのではないかな?と、私は思います。

それからオウムとの関係なんですけども、これはですね。
私も良く分からないんですね。
オウムに関しては坂本弁護士事件の担当をやっていた、テレビに出ているあの滝本(太郎)弁護士なんかともお話をしたんですけども、その事も聞いてみたんですけども、滝本さんは全く関係が無いはずだと言ってます。
それはあの人自身が結構何回か殺されそうになっている。
本人はオウムの・・・(聞き取れず)とかああいう連中とですね。
いろいろ話をして、相当の時間聞いていると。
で、絶対いって無いと言ってると。
本人は死刑になる事が分かってるんだから、今更隠してもしょうがないはずだと、言ってはいました。

ただ西新井病院とか、かする部分はある。
何かしらひょっとしたらあるかもしれないと思いながら、正直言って今のところは結論が出ないと言うのが実情です。

★質問者4

どうもありがとうございました。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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六団体による 北朝鮮に関する人権法案に対する要望書

(要請書の全文)

        北朝鮮に関する人権法案に対する要望

 北朝鮮では多数の人々がはなはだしく人権を蹂躙されているばかりか、日本、韓国、レバノン、タイ、中国をはじめとする12カ国にも及ぶ人々が拉致されるなど、金正日政権による人権侵害は、世界で最悪のもとなっている。

 一昨年、米国では北朝鮮人権法が制定され、昨年はブッシュ大統領が脱北者姜哲煥氏と面会し、北朝鮮の収容所の実態と脱北者救出の要請を受け、12月には国連総会本会議で北朝鮮の人権侵害に対する批判決議が採択された。今年4月にはブッシュ大統領が横田早紀江さんなど拉致被害者家族と脱北者に面会し、拉致問題へも強い関心を表明した。また、米国のレフコウィッツ北朝鮮人権担当特使は、中国が脱北者を「不法入国者」として強制送還していることを「深刻な人権侵害」と批判し、脱北者を「難民」として実際に受け入れることを表明した。韓国においても、金英男さんのDNA鑑定を契機に拉致被害が再認識されつつあり、金正日政権の人権侵害に対する国際的な批判が高まっている。

 北朝鮮に大勢の人を拉致された私たちは、拉致がわが国民に対してなされた許しがたい人権侵害であると同時に、国民生活の安全を脅かすわが国への重大な主権侵害であることを自覚しなければならない。さらに私たちは、帰還事業で北朝鮮に渡っていった在日朝鮮人とその日本人配偶者の迫害など、北朝鮮の特異な独裁体制に起因する深刻な人権問題を抱えていることを忘れてはならない。

 近年、生活苦と迫害によって北朝鮮を脱出した人々が救助を求め、すでに8000人近い人が韓国に入国し、日本にも100人ほどが入国していると思われる。今後、金正日政権の政権維持能力によっては、政権の崩壊も予想される。そのような場合、一時的に大量の難民の発生も想定されるが、そのような事態の発生にも万全の体制を整え、一定の難民の保護を引き受ける覚悟をもって事に当たらねばならない。

 何よりも大切なことは、東アジアで拉致、誘拐、難民への虐待、強制収容所などの人権侵害を起こさせない国際関係を作りあげることが、東アジアの平和と民主主義と発展の基礎になるという認識を持つことである。

 私たちは、このような時に自由民主党と民主党からそれぞれ「北朝鮮人権法案」が国会に提出されたことを心から歓迎すると同時に、直接これらの課題に取り組んでいる者として下記の要望を提出し、必要かつ十分な、実効ある一つの最終案が形成されることを強く要望する次第である。

 具体的には、問題解決のこれ以上の引き延ばしを許さず、(1)金正日政権の国家犯罪に対する制裁を時期を失せず課することができるよう明記すること、(2)北朝鮮に拉致された疑いがある人たちの調査を積極的に行い、拉致認定の業務を迅速に行うこと、(3)日本に関係する北朝鮮難民(脱北者)を速やかに保護すること、(4)日本に戻った拉致被害者と脱北者について、心身の健康回復と新しい環境におけるメンタルケアに充分配慮し、社会生活の再建、自立を支援すること、(5)人道的立場から北朝鮮難民の保護に、国際的な連携を図りつつ、日本政府が積極的な役割を果たすこと、以上の5点を北朝鮮人権法の中に盛り込み、実施していくことを強く求める。
          2006年5月12日

特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博
北朝鮮難民救援基金 事務局長 加藤 博
北朝鮮による拉致と人権問題にとりくむ法律家の会  代表 木村晋介・藤野義昭
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 代表 山田文明
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 会長 佐藤勝巳
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 会長 横田 滋
(順不同)

調査会ニュースより

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2006年5月11日 (木)

日本再生フォーラム 野口孝行氏

『野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金・国際担当)の講演』

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皆さん、こんにちは。
指名手配中の野口孝行と申します。(笑い声)
今日はこういった貴重な機会にですね。
時間を与えて頂きまして、誠にありがとうございます。

今日私、初めて埼玉で話す機会を頂いたんですが、実は私埼玉の出身で蓮田市と言う所で育ちました。
そして現在はさいたま市、ここからも自転車ですぐの所に住んでまして、とてもここの場所は良く知っている所なので、今日は本当にこの場所でお話しする事が出来て大変光栄に思っております。

更にそれだけでなく、先ほどですね。
鈴木(賢)さんのお兄さんだったかと思いますが、実はですね。
私、鈴木さんの高校の後輩に当たる関係でありまして、実は高校は浦和西高校と言うところに行ってまして、その関係でですね。
なにか経歴を見たら、浦和西・明治大学と書いてあって、これは他人事では無いなと思って本当にこの問題にはですね。
これからも埼玉県民の一人としてですね。
一緒に協力して立ち向かって行きたいなと思っている次第です。

次なんですが、実際に私が(中国で)捕まったんですが、これはですね。
2003年の12月ですね。
私と元在日朝鮮人の人で北朝鮮に渡っていた人が二人いたんですが、彼らと中国の遼寧省の大連と言うところで合流しまして、彼らが「どうしても日本に帰りたい」と、「どうしても助けて欲しい」と言う要請を受けまして3人で、4人ですね。
4人でバスと列車を使ってベトナムの方に、ずっと何百キロ何千キロを走って逃げていく途中、最後の広西壮族(チワン)族自治区と言うところでですね。
区都の南寧(ナンネイ)と言うところでですね。
ホテルで休んでいる時に中国の公安に踏み込まれまして、そこで逮捕されるという事になりました。

その前にもですね。
私は脱北者といわれている人に会って来ていまして、どういう状況かと言いますと、だいたいその黒龍江省とかですね。
遼寧省、吉林省と言われる、東北三省と言われるところにたくさん脱北者の方たちがいるんですが。
ご年配の方々には凄く馴染みのある都市の名前だと思いますが、ハルピンとかですね。
牡丹江とかそういったところからバスなんかで何時間も走っていく。

「昔はここに開拓団の人たちが居たんだよ」と言うそういう話をですね。
聞かされるようなちっちゃな村に隠れている脱北者の人たちと会ってですね。
お話をするわけですが、そういった中で私は日本人としてそういったところに行きまして。
年配の方、60過ぎた方がですね。
生まれ故郷である日本に対してですね。
「どうしても帰りたいんだ、助けてください」と、そういったちっちゃな寒村で話をされるわけですね。
そうしますと私も日本人として、こんなに日本を恋焦がれているなら助けてあげたいなと言う思いが強くなりまして、こうした活動を続けてきたわけです。

ハルピンで会ったとき、何人かの脱北者がいたんですが、とても不思議な思いと言うかですね。
彼らは私の生まれる前の日本を知っていて1960年代に北に渡って行った訳ですね。
私は1971年生まれですから、彼女たち・彼たちが知ってる日本を知らないわけです。
で、逆に彼らはですね。
要するに彼らの知らない日本を私は知っている。
そういった存在をお互い東北三省という土地で会って、お互い日本の事を話をして、「今日本はどうなっているんですか?」と話をしながらですね。
「じゃあ、一緒に日本に帰りましょう」と言う思いでこれまでいろんな思いで、脱北支援を運動をして来ました。

そういうわけで私は捕まりまして8ヶ月という実刑判決を受けたんですが、作戦の中でですね。
いろいろな予期せぬ事が起こりまして、その南寧(ナンネイ)と言う町はベトナムの国境から列車で3時間の所なんですが、そこに到着する列車のですね。
私は夜到着する列車を予約して乗ったんですが、それは以前にも乗った事がありまして、夜着けば後は中国の町の闇に紛れてしまえばですね。
人の目にもつかないし、どうにかなるだろうというような計画で以前も行っていたんですが、皆さんご存知のように中国の経済発展と言うのはですね。
本当に日進月歩と言うか凄まじい物がありまして、数ヵ月後に同じ時間北京の駅を発車する列車に乗ったらですね。
その間に電車の性能と保線の性能と言うか品質が良くなったせいだと思うんですけど、私たちが目的地に着いたときは真っ昼間だったんですね。

というのは数時間単位で電車が速くなっている。
そこに着いたらあれ夜のはずなのになんでこんな昼間についているんだろう?(笑い声)そういう状況でして。
後々話を聞くとどうやら北京の前で張っていた公安の連中がいまして、僕らを見てこいつら怪しいぞと。
と言う事で私たちを尾行したと言う話がありますので、今思いますと、あれが夜だったらもしかしたら助かったのかな?と言う思いもあります。

先ほど荒木先生からちょっとお話がありましたが、私が今年の2月ですね。
日朝交渉の時に、私が日本に帰ってもう2年くらい経ちますから、あまりマスコミなんかで名前が上がらなくなって来てちょっとホッとしていたと言う所なんですが、7人の引き渡し要求が出たと。
言う話が突如出て来まして、正直、もう本当に北朝鮮を、実際笑ってしまったと言う感じなんですね。
よくもまぁこんなにとんでもないコジツケをですね、言えたものだと。
恥も外聞も無い状況だなというように思いました。

それでまぁ3月ですか。
次は逮捕状が出されると言う状況なんですが、本当にここで真面目にどうこう話をするのも馬鹿らしいくらいなんです。
実際向こうは北朝鮮の公民を拉致誘拐した極悪犯と言う事を言ってるんですが、だったら私と一緒に拘束されて北朝鮮に送還された二人は被害者なわけですね、私に誘拐された。
であれば、その二人を表に出しなさいと、言いたい所なんですが、結局ですね。
私が連れていた一人は結局収容所みたいなところに入れられて、もう命が無いんじゃないか?と言う話も有りますし。

また、もう一人の人はですね。
6ヶ月間、強化所と言われているところに入れられまして、酷い罰を受けてどうにか生きて出てくる事は出来たんですが、罰せられたわけであります。
もしくは私に誘拐拉致された被害者であれば、彼らは保護されるべき位置にいる人間であって、決して罰せられる対象では無いと言う事をですね。
いうまでもなく、北朝鮮の言ってる事はデタラメであると言うことを言っておきたいと思います。

今回ですね、この件があったときに出て来たときに、たまたま実際に現地で一緒に活動してきた韓国の60歳を過ぎている活動家の人がいるんですが、東京で食事をする機会がありました。
その時に私と、私の団体の事務局長の加藤(博)もまた逮捕状を出されているんですが、二人で食事をして、その韓国人の男性が上手な日本語で「加藤さん、野口さん、これは良い機会じゃないですか?」と。
「あなたたち北朝鮮に行きなさいよ」と。
そして引渡しを受けて「辛光洙で何でも引き渡せ」と、「やりなさい」と。
「そうする事によって日本人の勇ましさを世界中にアピールする事が出来るんですよ」ととても強く叩られたんですが。

「うん、そうですね」と言いながらですね。
「そんな馬鹿な話に乗ってもしょうがない」という事で、今お手元にある私たちの資料にですね。
共同声明を出すと言う所で一応納まってるんですが、これ以上いい加減な事を言ったらですね。
私たちも更にレベルをアップしてですね。
何か対抗処置を取らなければいけないというふうに思うところもあります。

最後にですね。
そこの資料にもあるんですが、自民党と民主党が先々月同時に順番にですね。
北朝鮮の人権法案と言う物を出しました。
これですね、内容を見ると自民党案と言うのは基本的にもちろん拉致問題を解決しましょうと言う内容で、経済制裁も使いながら解決していきましょう、という内容です。
これは私はそれはそれで意義のある事だと思います。

また民主党案はですね。
経済制裁と言うよりも脱北者の問題を難民として取り上げて、国連の難民条約に準じた形で条約難民として、北朝鮮の難民の人たちを助けて、日本に保護を求める人はこちらに保護を許すと。
こちらで在留する事を許しましょうという法案ですね。

それで私ここでひとつ申し上げたい事なんですが、もちろん拉致の問題も解決しなくてはいけません。
もう一つなんですが、ここで日本としてですね。
脱北者を助けると言う法律・法案で・・・(聞き取れず)をつけて、それに対して動くと言う事はとても大切な事だと思うんですね。
なぜかと申しますと、これまで私も韓国の人たちにたくさん会って来ました。
それはこの問題に関る前からもいろんな所で韓国の人たちに会って来ました。

で、大体ですね。
皆さんもご経験ある方もおられるかもしれませんが、やはり豊臣秀吉の話から始まるわけですよ。
日本人は悪い人ですね、と言う話から始まってとくとくと歴史の話をされるんですね。
で私が「お前500年前生きてたのか?」と、「俺は生きてないよ」と。
「過去の事を言われても私は責任取れません、ただこれからの未来に向けては責任を取ることは出来ます」ということで、いつも韓国人とはだいたい朝までかかる口論になってしまうんですが、そういう状況の中でですね。
今回、その日本と言う国が朝鮮半島の人たちを保護する為に、法律を作ると言うのはですね。
大変意義のある事だと思うんですね。

歴史問題、認識をですね。
に対して、あの国の、韓国も含めて朝鮮半島の認識を変えると言う事は本当に難しい事だと思うんですね。
ただ、これからの将来とか未来を作っていくと言う事は、若い世代を始めとして出来る事だと思うんですね。
ここでそういった朝鮮の人たちを助けると言う法律を日本が作る事によって、本当にですね。
拉致の問題だけじゃなくて、更に大きな大局的な立場に立った場合、100年後200年後にですね。
相手は500年前の話を言ってるわけですから、100年後200年後にですね。
いや、ちょっと待てよと。
俺たちはあの時にこういう法律を作って、北朝鮮の人たちを救ったじゃないかと。
そういう事をですね、言える法律だと思うので、是非皆さんも、もちろん拉致の解決は当然の事です。
ですが、もう少し大局的な観点からですね。
こういった難民の問題と言うことにも目を配って頂いて、ご理解を頂けたら大変私は感謝いたします。

時間ももう無いようですが、最後にですね。
この脱北者の取り組み、国際的な取り組みなんですが、3月にベルギーで国際会議が開かれました。
これは今までの会議と違って、今まではこんな酷い状況がありますよと言うような、状況を説明するばかりだったんですが、今回はちょっと一歩踏み出しまして、金正日を国際法廷で裁こうじゃないかと決議案が出まして、国際法の専門家の弁護士さんたちが集まって今後ですね。
金正日を国際法廷に引きずり出そうと言う枠組みが出来ました。

更にその後には国連、今民間レベルですから、その後は国連のですね。
オランダのハーグにある国際犯罪法廷に持って行こうと言うような枠組みも出来ています。
先月ですか、ユーゴスラビアのミロシェビッチがですね。
あの中で亡くなりましてね。
と言う事は、国家元首級の人をですね。
迎え入れる施設があそこに空いている筈なんですね。(笑い声)
ということは、そういう事でですね。
是非あそこに金正日をぶち込もうと(拍手)、いうように私は思っております。

どうも今日はありがとうございました。(拍手)

・・・この後主催者の挨拶などがあって、講演会は終了・・・
   


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム鈴木智さん(2)

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え 2』

アピールの方は以上なんですけども、私思いますのに。
先ほど来荒木代表、本間さんの方から大変力強い話がございましたが、現在このまま推移しますとある日ある時、国が国民が大きな後悔の念を持たざるを得ない日が来るんじゃないかと言う事でもって、大変危惧しております。
そういう意味で、少なくともですね。
北朝鮮の理不尽な発言については、国のトップがもっともっと心の底から怒りを持って強硬に抗議を発信すると言う事が大事じゃないかと思います。

最近お話を伺ってますと、お話を聞いてますと、国のトップの言動と言うのは大変熱い物が感じられません。
そういう点でですね。
少なくとも日本人の生命と安全を守る国の最高責任者の発言とは思えません。
少なくとも、国のトップと国民の世論との間に非常にギャップがあるんでは無いかと思います。
この隙間を北朝鮮は突いているんじゃないかというふうに思えてなりません。

そういう意味では「拉致被害者救出緊急事態特殊法」とでも言いますか、そういった物を制定して頂いて。
少なくとも国のトップと国民が同じ方向で向き合って同じ犯罪への目に立って、この問題に対処して行く時期では無いかと考えておりますので、これからも出来るだけ精一杯のご支援を頂いて、一人でも多くの方のご協力を頂きながらこの市民活動の輪を広げていきたいと言うふうに思っております。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム生島馨子さん

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』

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こんにちは。特定失踪者・生島孝子の姉、馨子(けいこ)でございます。どうぞよろしくお願いします。 妹は1972年渋谷区笹塚、新宿の駅から3つ目ですね。のところで、日中にいなくなりました。

それから33年経って北朝鮮での目撃証言を得ました。妹が失踪した当時母は入院しておりましたが、33年後に(孝子さんが)北朝鮮で目撃されたと言う証言を得て、母はとても喜びまして、自分が33年間生きていると信じて生き延びてきた事を、自分自身をとても褒めて喜んでいました。33年生きていて良かった、会えるんじゃないか?会いたい会いたいと言いながら、でもその目撃証言を得て3ヵ月後に、会いたい会いたいと言って力尽きて亡くなってしまいました。 その母の無念さを皆様に知って頂く事で、孝子を取り返す運動につなげていきたいと思って、自費出版をする事を決意したんですが、母の無くなった当時、特定失踪者と言うことがまだ世の中に余り知られていない為に、言って良いのかどうか?と言う疑問がありました。不安がありました。それと、家族会になんで入らないの?と言われた事もありまして、当時の状況から特定失踪者の母がこのように残念な思いをして死んでいきましたと言うふうに言う事が憚られたんですね。

それでも何か家族としては、残された私としては何か母のためにしてあげたいと思って、このような本を出版いたしましたが、1年経って見るともうちょっと『特定失踪者である妹の孝子という者の母親であった』と言う事を、ハッキリ書けばよかったかな、と思ってます。ですからこれの中にはその事は殆ど触れてなくて、『母親がこういうふうに我慢して33年間生きてきた』と言う事だけを中心にして書きました。 今日この場に主催者の方、またご出席の皆様のご好意に甘えまして、このつまらない本をちょっとご紹介させていただきます。こんな中身の薄い物を1400円も出すのはちょっと憚られると思われる方は、ネット本に入れましたので、ネットで500円で見て頂きたい。それもちょっとねと言う方は、そういう思いで私が、母の思いを世の中に知って頂きたいと言う事だけで、こんな本を出したという事をチラッと思っていただけると、ありがたいと思います。どうもいろいろありがとうございます。

よろしくお願いします。(拍手)

・・・資料紹介・・・

氏     名: 生島 孝子

ふり  がな: いくしま たかこ

失踪年月日: 昭和47(1972)年11月1日

生年  月日:昭和16(1941)年6月14日

性     別:

当時  年齢 :31

身長   体重:公開 第1次公開

当時   身分: 港区役所麻布支所交換手

失踪   現場: 東京都渋谷区失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

特定失踪者問題調査会HPより引用

◆参考資料

「うらさんの願いはダイヤモンドになって」特定失踪者・生島孝子さんの姉、生島馨子さんの著書紹介
★「うらさんの祈りはダイヤモンドになって」電子版出版のご案内

このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年5月10日 (水)

Blue jewelブロクの移転について

Blue jewelブロクの移転について


  gooでご覧頂いていたみなさん、つたないブロクにお越し頂き、本当にありがとうございました。いくつか改善したいこともあって、今回思い切ってココログに「移転しました。

2006年4月22日23:55分以降の記事は全てこちらに表示します。

URLは http://blue-jewel-7.cocolog-nifty.com/blog/   です。
gooのBlue jewel http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/ のログはこのまま残します。

過去ログはほとんど移転先に移して有りますが、現在画像の一部が表示できていません。リンク集など細部は順次構成していきますのでしばらくお時間をください。

今後の投稿は、ココログに写し、gooはアーカイブとします。

リンクしてくださっているサイトの皆様には、お手数ですが、ココログに変更してくださいますようお願いします。

移転後も、拉致問題解決のための資料、テキストなどを収集していきますので、みなさんのご理解と御協力、ご来訪をどうぞ宜しくお願いします。


尚、今回の移転については善さん にお力をお貸しいただきました。
こころから感謝いたします。

尚、サイトに関するご意見などは、この記事のコメント欄にお願いします。

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2006年5月 9日 (火)

戦略情報研究所荒木和博氏講演(2)

戦略情報研究所講演荒木和博氏(1)に続いて

2006/4/21

じゃぁ、どういう風にしていくのかと言うことなんですが、まずですね、やらなければいけない国内の捜査なんですが、実行犯らの検挙をする、それから北朝鮮系組織の違法行為の摘発をする、そこから今までもやってきてることを更に強くやってもらうということ。これは、当然警察の仕事と言うことになります。ただ、鳴り物入りでやった、原さんの拉致に関わる大阪の商工会、あのラーメン屋のがさ入れも、結局あれだけで、誰も捕まえることができない。

こんなことを言うと誤解を招くかもしれませんが、がさ入れをやる、礼状を持ってがさ入れをやると言うことは当然犯人を検挙できると思ってやるはずなんですね。がさ入れだけやって、検挙しないと言うことは、ある意味人権侵害なんじゃないかと思うんですが、なんで向こうは言わないだろうとすら、思う次第です。

すでに原さんが拉致をされてから、26年たっているわけで、26年たってから、ラーメン屋をがさ入れしても、おそらくラーメンの汁ぐらいしか残っていないわけでして、何もわかるはずがない。

そう言うことでは困る。実際に救出に近づけるための、捜査をしてもらわなければならない。そして、それ以上に必要なのは、北朝鮮側の情報の収集でございまして、これは拉致被害者の状況、北朝鮮の内部情報等についてですね、収集して分析をするという努力が必要でございます。

こないだ内閣府の制度幹事会の中に【特命チーム】というのを作りまして、やっと今から始めたんですが、しかし、この特命チームの中から防衛庁ははずされていると言うことでありまして、普通だったら考えられない話しなんですけれども、現実にはそう言うことになっている。

で、まぁ、人のことばっかり言ってもしょうがないので、調査会では、これを今できるだけ進めていこうとをしております。惠谷さんに調査会の常務理事になっていただいたのも、ここの部分をですね、何とか強化をしたいという事でお願いをしたわけであります。

それから、『国際的包囲網』、これは普遍的な人権問題としての圧力、それから同じ拉致被害者を抱える関係国と連携ということで、すでに、この月末に横田早紀江さんたちが(アメリカに)行かれて、アメリカの議会で証言をされる。それにあわせて、(4月)22日にはホワイトハウスの前でデモンストレーションをやるというようなことが決まっておりまして、まぁ、そう言うものはだんだんと着実に進んでいる。

それから、こないだのDNA(鑑定の)問題などで、この韓国との連携も更に強化されるであろうと、想定されます。

そういう事の中で、やらなければいけないのは、経済制裁のような、このような圧力、そして圧力をバックにした交渉ですね。これはもう、外務省、それから警察庁等の関係省庁の連携、対応、それをやるときに国民が支持するということが当然必要であります。

それから、【北朝鮮の威嚇に屈しない国民の姿勢と政府の対応】、まぁこれは国民保護と言うことで、北朝鮮が、場合によっては特殊部隊を入れるとか、あるいはですね、ミサイルですね、こういうことを言い出してくる可能性がある。
その時に、これがやはり気持ちの問題なんですが、『そんな怖いことになるんだったら、拉致問題、あんまり騒ぐの止めようよ』と言う風に世論がなってしまう可能性がある。それは、十分にあります。

『どうせなんだかんだ言ったて、家族の問題じゃないか。かわいそうな家族かもしれないけれども、それを守るために、我々まで被害に遭うことはないでしょう』と言う風に世論がなっていく可能性はこれは、十分にあります。
そこを、世論=国民がですね、<そんなものには屈しない、我々、戦うんだ>という姿勢を見せることによって、それが北朝鮮に対する圧力になると言うことなんですね。それがどうしても必要である。

それから、これは主に自衛隊の範囲ですが、【体制崩壊に伴う邦人の保護】を行う。つまり体制崩壊になった場合にですね、どこで、どういう風に助けるかと言うこと、これは、我々やっております<しおかぜ>でもやるつもりにしておりますけれども、そして、一方でですね、たとえば、・・ですとか、清津とかに、護衛艦が行ってそして救出をしてくる。これはこの3月8日に、参議院の予算委員会で、民主党の山根隆二議員が質問をいたしまして、額賀防衛庁長官が、拉致被害者の救出という意味では初めての答弁をしてくれたんですが、生ぬるい答弁ではありましたけれど、『外務省の要請があれば行きます』と言う風に言っておりました。ただ、言わなくても良いおまけにですね、『安全が保障されるのであれば』という余計なことがついていたわけですが、安全が保障されるなら別に自衛隊がいく必要などないわけでございまして、そういうことは取っ払っても言ってもらうしかない。

イラクの派遣の時に、小泉首相は、イラクの特措法で、『自衛隊は安全なところに行くことになっている。だから、自衛隊が行くところは安全なんだ』という非常に素晴らしい論理を使って、イラクを解放したわけでありまして、この論理を使えば、何でもで、おそらくできるだろうと、いうことですね。

それから、【救出作戦】ということで。これは自衛隊を使って、救出をすると。そのために、向こうにいる拉致被害者と何らかの形で、アクセスができて、そして、本人が『危険を犯してでも帰りたい』と意志がはっきりした場合に、何らかの手段を使ってやるということですが、これはやるとなっても、ぎりぎりまで極秘の状態でやらざるを得ません。しかし、そう言うことをやった場合に、やはり国民の支持が当然必要だと思います。

そういうことをやると言うことは、つまり<日本人の拉致被害者の救出>を突破口にして、全ての拉致被害者の救出して、そして、北朝鮮の国民の人権を回復すると言うことであります。それはつまり金正日体制を崩壊させること。それによって、東アジアの安定と日本の安全を図る。まぁ、当然、北朝鮮の向こうにもうちょっとやっかいなのがいますけれど、金正日体制の崩壊というのをですね、日本が主導してやっていく事によって、中国に対しても、カードを持つことができると言うことだろうと思います。

ちなみに、おととい(19日)法律家の会の総会がありまして、そのあと講演会にですね、ジンネットの高世仁さんが、講演をされました。そこで高世さんが本に書いたものを資料として持ってこられたんですが、高世さんの論文のタイトルがですね、『金正日体制を平和的に打倒するということについて』という論文なんですね。こういうことを説明しながら話をしてくれたんですが、だんだん話しているうちにですね、じゃぁ具体的にどうするかという話になったときにですね、『結局、暗殺するのが一番早い』という話になって、全然平和的でも何でもないんですが。(荒木さん、会場とも、笑い)結局、とどのつまりはそこに行ってしまうと言うことなんだろうと思います。

そう言う中で、自衛隊が何をしなければいけないかということなるわけなんですが、これは先ほど言ったことと重なりますが、情報の収集、拉致被害者の状況の特定他ですね。幸か不幸か特命チームの中に、自衛隊が入っていませんから、だったら勝手にやればいいということになります。

ここらへんのことは、もう今でも進められる事ですね。

それから、先ほどの額賀長官の答弁と関係しますが、【体制崩壊時の拉致被害者の安全確保】
これは、体制崩壊の時に、殺されるとか言う危険は当然あるわけでございまして、その時に安全をどうやって確保するかということが一番問題だと言うことであります。

これは朝鮮戦争の時でも北朝鮮軍というのは、攻められて逃げていくときにかなり虐殺をやっています。ですから、刑務所なんかに入れてあった政治犯などはみんな殺して北に逃げていますので、そういう可能性はですね、我々としては考えておく必要があるという事になります。

で、もちろん【救出作戦】ということですね。そして更に、北朝鮮のテロとか、ミサイル等への対処をする。これは、国民保護の観点から、必要です。そのためには、今の<専守防衛>と言うことでは、絶対限界があるんです。これはもう、この国の状況を見ていて、これだけ海が広い国でですね、入口に来たところを、蠅たたきみたいに追っかけるなんて事は、絶対にできるはずがありません。
だから、これを我々国民が自分たちの安全を守るのならば、専守防衛ではなくてですね、実際にこれに対応していかなければいけないと言うことです。

いずれにしても、これらのことは、準備が整いきれない状態で見切り発車になることは間違い有りません。
しかし、<そうは言っても、準備ができていません>などと言って、それを理由にして躊躇するなどということは絶対許されないと言うことでございます。

もうこういう危ないときにはですね、軍隊がいくしかない。そのために我々、何兆円も税金払っているんでして、その時になって、「あれもできません」、「これもできません」と言うのでは困るわけです。

ところが、・・・残念ながら、自衛隊得体の中では、何かというとですね、この法律ができてないから、憲法がひっかるとかですね、マスコミが悪いから、そういう泣き言ばかり言う人が、結構少なくない。それは非常に問題です。

おそらくここに来られる方は、やはり自衛隊と言うものに対してですね、好意的な方が多いと思いますけれども、残念ながら、今の現状はそんな簡単なものではないということも理解をしておいて頂く必要がある。

それはこの【課題】と言うこと何ですが、自衛隊を出すときにはですね、法的な根拠などと言い始めたらですね、とても間に合いません。これはもう基本的に政治判断に委ねなければいけないということです。

憲法を直してですね、自衛隊法を直して、あれも直して、これも直してなんて話をしてたらですね、そんなことやっていたらみんな死んでしまいます。死んでしまっても良いのか?<それでも法律を守る>という人はたいしたもんですけれども、しかしそう言うことは許されないと思います。

これはですね、基本的には個別自衛権の行使だということです。憲法上の問題があるという人が当然これは、出てくると思うんですけれども、そんなこといってたらですね、自衛隊というものがそもそも憲法違反の存在でありまして、予備自衛官であるわたしだってそうですが、憲法上、あってはいけない軍隊が存在しているわけでございます。
別に、イージス艦とか、F15とか、・・・式戦車を持ったこの集団がですね、消防署とか八百屋さんと同じと見る人はいないわけでして、間違いなく軍隊を持っているわけですが、その軍隊を持っていても--憲法上問題があると言うことはどういう事かというと、逆に言うと、憲法の方が間違っているということですね。

だからこの状態で、もうきちゃっているから、それならば、護憲派の人たちは憲法、直しちゃいけないと言っているわけで、そう言うことであれば、憲法がどんどん形骸化していくということで、まぁ、逆に言えば、形骸化していると言うことは(とっくに形骸化しているんですけれども)それがわかったのであれば、もうですね、逆に言えば、もう自由にできるはずである。それは、国民の意思を受けて、国会が構成され政府ができているわけですから、その判断を持ってやるということが、当然の責務であろうというふうに思っております。

自衛隊以外に助けることができないと言うときにですね、拉致をされて、そして憲法はどうかというならば、基本的人権をきわめて長期的にわたり蹂躙されている我が国民を救うためにですね、これを使えないというのであれば、それは税金泥棒であって、年間何兆円もですね、税金を削る必要は私はないと思っている。

そしてさっき言った話なんですが、しかし、実現のために必要なのはですね、国民による支援と同時にですね。自衛官のほうの意識改革も、これは絶対に必要である。

拉致問題というのは主権を侵害されているわけですから、当然ですね、軍人からすれば、自分たちの縄張りを荒らされていると言うことになります。絶対に、正義的に許しておけないというふうに怒ってもらわなければ困るんですね。ところが、あんまり怒っている人がいない。我々・・・と思っている人が多いんです。

私は、この6年ぐらい、航空自衛隊の幹部学校で一番上のクラスの教育にですね、ちょっと関わっていたいたことがあるんですが、何年間もやってですね、非常に不思議な違和感を感じています。それはどういう事かと言いますと、なんだかわかんなかったですね。一昨年ぐらいから、ぱっと気がついた。私はこの北朝鮮問題、拉致の問題なんかについて、年間に二日間ばかりですが、話をしたんですが、その時の反応がですね、なんかその、軍人の反応っていうんじゃなくて、国際関係やってる大学院生と話しているような感覚なんですね。

みなさん非常にまじめな人達なんですね。一佐とかですね、二佐クラスですから、基地の司令部とかそれくらいのクラスのかなり上の人ですけれども、それであるにも関わらず、なんか非常に他人事みたいに聞いている。その緊張感が足りないという感じがしました。こういう拉致の問題なんかについて、軍人としての怒りを感じてもらわなければしかたない。

私自身が予備自衛官でも、実際に招集されたときには、一般の自衛官と同じ扱いになり、一般の自衛官であれば、自衛官の宣誓ということでですね、任務遂行に当たっては、身の危険を顧みずと言うことを、宣誓しなければいけないわけでありまして、これはつまり、<いつでも死ぬかもしれないよ>と言うことが一応前提になっている訳であります。その緊張感を持ってもらわなければないけない。これはですね、正直言って、これから先非常に大きな問題にやはり、なってくるだろうと言う風に思います。

私も半分足をつっこんでいるわけなんで、それをこれから先も、内部でも言い、そして外からも言おうと思っているんです。だからみなさんも、もし周りに自衛官や自衛官の知り合いとか、あるいは部隊に行ったりとか、そう言う機会があったら、「何故自衛隊は拉致問題に動かないんだ」と言うことをやはり是非言ってもらいたいと思います。

そして更に進んでですけれど、この拉致問題が・・前提で、我々、覚悟しておかなければならない事はですね、これは私も今まで感じていたことですが、今まではこういう講演の場で言ったことは一度もありません。今日こういう場でこれから言っておかなければいけない。

寺越昭次さん寺越事件の一番上おじさんですが、この方は、拉致をされた時にですね、その場で殺されて、錘をつけて海に沈められたと言われております。これはおそらく間違いないと思うんですが、これに当たる人は、他にも間違いなく存在をします。

安明進も、連れてくる途中に衰弱して亡くなった人とか、あるいは北朝鮮まで連れてきて数日で亡くなった人と言う話をですね、--まぁ、これは本人が見たわけではありませんけれども--、そう言う話を聴いたということは言っておりますので、必ずあるなと。

私達は、そう言う意味で言うと、今想像もしていないような現実に、間違いなく直面する時がきます。我々も名前を知っている人--今のところ、幸いにして私は誰がなくなっているとか言う情報を、受けてはおりませんけれども、特定失踪者、あるいは、それ以外の人も含めてですね、そう言う状況になった人が、一定数いると言うことは覚悟しておかなければいけない。

逆に言うと、その数は今でも増えている可能性があると言うことです。
だからこそ、のんびりと待っていることはできないということになります。

それから、拉致被害者の救出に自衛隊を使った場合、戦死者が出るという可能性を考える必要がある。
これは救出作戦の場合は、より可能性が高くなりますが、そうでなくてもですね、北朝鮮には実際には腹が減って動けないとは言いながら100万人以上の軍隊があり、そして、そこに武器が行き渡っているわけですね。混乱状態の中で、何が起こるかわからない。そう言うことになると、戦死という人が出るという可能性も覚悟しておく必要があると言うことです。

ところがこれも問題なんですけれども、自衛官の中で、自分が戦死すると思っている人があまりいないですね。
自衛隊にいれば安全だと思っている人も意外に多い。最近若い、若くして入っている人はですね、逆に北朝鮮の驚異だとか、あるいは海外派遣だという話を、若い人は知っていますから、逆に若い人の方がしっかりしているんですが、私と同じくらいの年とかですね、そう言う中には、そうでもない人が結構いる。しかし、実際には、こういう事ですね、説明すると言うことも、考えておく必要があると言うことですね。

それから、北朝鮮が報復して特殊部隊でテロを行ったり、あるいはミサイルを撃つという可能性もですね、全くゼロと言えないわけですね。その時に場合によっては、<B>一定数の民間人の被害も覚悟せざるを得ない。</B>そう言うことがあるのであれば、「拉致被害者救出なんか止めましょう」という風になってしまう可能性が、半ば有ると言うことですが、それを我々は絶対に乗り越えなくてはならないと言うことです。

そして更にみんな取り返せばそれでハッピーエンドになるかというと、そうではありません。
生存している拉致被害者が全部帰還が実現しても、被害者の状況はおそらく千差万別です。対応には、これに対応するためには、これ、どのくらいいるかわかりませんが、たとえ、100人であっても、人的、物的資源の導入が相当必要になる。ハッピーエンドには絶対終わりません。

それから全部の拉致被害者の救出が成功するというのは、おそらく、外国の拉致被害者も還る。それから、在日朝鮮人に帰国者及び、日本人妻等もかえれるであろうと思うんです。
そうすると、拉致被害者とそうやって在日の帰国者の中にはある程度騙されて行った言える人もいるわけでして、そこを一体どうやって区分けをするのか。そしてその人達にですね、どういう教育をし、あるいはどういうリハビリテーションをしなければいけないのかということを考えると、やらなければいけない事というのは、ものすごくたくさんあり、そして、それもしっかりした基本方針を持ってやらないと、大後悔に陥ると言うことであります。

その覚悟の上で、なんとか我々は決断をして、行動しなければいけない。

今まで、私自身も、正直意図的に余り言っておりませんでした。しかしもう、これ我々は考えておく必要が絶対にあると言うことであります。

※最終部分は、ぴろんさんが、テキスト化してくださることになりました。
 ありがたいお申し出に感謝して、お任せします。

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戦略情報研究所荒木和博氏講演(3)

話しの花束ぴろんさんのテキストを再構成

『荒木和博氏の講演 その3』

え、ちょっとおまけですが。(自衛隊の制服姿の荒木氏の写真がスクリーンに映る、会場小さな笑い) もう少しですね。後残りの時間ですね。安全保障と言う意味でもうちょっと 我々が何でこの事を危険を負っていてもやらなければいけないのか?と言う事についてのお話をしておきたいと思います。

これは・・・・・・(聞き取れず)と思いますが、元朝鮮総連の財政局の副局長、韓光熙(ハン・グァンヒ)と言う人物がですね。が書いた「我が朝鮮総連の罪と罰」の中に出てきます、韓光熙一人で策定した進入ポイントですね。38ヶ所を設定している。韓光熙一人で38ヶ所と言う事は、これは別に一人でやってたわけではありませんので、3桁のかなりの所まで行く進入ポイントがある事は間違いない。ここには日本海側が中心ですけども、当然太平洋側にも存在しているはずであります。

これは富山県の黒部川の河口で発見された北朝鮮工作員の水中スクーターで、これ自体が見つかったのは平成11年、12年だったかな?くらいですね。まだ6~7年前の事なんですけども、埋められたのも平成2年から11年の間に埋められているという事であります。

埋められた場所はこの黒部川の河口ですが、この場所から言いますとここらへんになったと思うんですけども、このこっちからこう来て、その先の所がこうなっているんです。ここらへんに埋められていたと言う頃でありまして、土が露出して明らかになったと言う事であります。こうやって見て分かるように非常に開けた場所ですね。開けた場所にあるのにも拘らず、こういうところに重い水中スクーターを引きずって持ってきて埋める事が出来たということです。

さっきのはついこの間ですが、これは能代事件で昭和38年の事件。これはこの頃は非常にですね。工作員の進入が多かった頃でありまして、恵谷さんの著書にも一つ一つの事が詳しく書いてありますけども、能代にですね。2回に亘って工作員の死体とか、あるいはゴムボートですとかいろんな機材が流れ着いた事件であります。そのなかにこうやってピストルもあった。当然入って来る工作員の中で、こうやってピストルを持って入ってきている人間と言うのは、ピストルですとか銃関係を持って入って来ている人間であるわけであります。

  

これもですね、機材も全部持って来ていたと。ちなみにこれは秋田県の能代ですが、能代から北、JRの五能線の沿線は本当にそう言うのがしょっちゅう入っていた所だそうで有りまして、あるテレビ局の人がここを後で取材した時に、そこにいる住民の漁師さんたちがですね。みんな何か賞状を持ってくる。警察からの感謝状を持っている。何かと言うと要はですね。置いてあった不思議な変な金の入っていたバッグですとか、工作用の機材が入っていたバッグを拾って警察に届けたと、いう事で感謝状をみんな持っていたというのにビックリしてしまったという話なんですが。そういう所がざらにあるというんですね。

いうまでもなく日本の海岸はこういうふうに非常に横がオープンになってるわけですが、韓国の海岸であればこうやって鉄の柵がずっと巡らしてある。そしてある程度の距離の感覚で韓国軍の警備歩哨があって、実弾を込めた銃を持った兵隊が警備をしているわけでございます。この韓国の海岸でも北朝鮮の工作員は入るわけですから、日本の海岸なんかですね。どうぞいらっしゃいって言うような物であります。しかも日本は非常に海岸が入り組んでいて海岸線の長さが長い。これをまさに専守防衛で防ごうって言ったって、出来るわけが無いということです。

 
 
   ◆参考画像:台場で展示されたときのもの

北朝鮮はこういう、御覧になった方もおられると思いますが、工作船を持って侵入してくる。これは今横浜の海上保安庁の展示施設の中にある、例の工作船ですが、これを見てもですね。この工作母船は漁船を改造した物でも何でもない。正面の切り立った船首を見ても、このために作った船であるということが明白でございます。この船は40ノット(1ノットは1.852キロメートル毎時、40ノット=時速約74キロメートル)以上のスピードが出る。その右側の工作小船という小さな船はただのポンポン船に見えますけども、これは50ノット(=時速約79キロメートル)くらいのスピードが出る。と言う非常に高性能の船でございます。それで入って来る。つまり北朝鮮の工作活動と言うのは拉致もそうですけども、たまたま一時的にですね。思い立ってやったものではないと、これはずっとやる。それが当たり前だという事でやっていた、という事になるのでは無いだろうかと思います。

 

で、この工作船の中にはこういう対空機関銃の装備があった。非常にかなり大きな機関銃ですね。    それからこういう地対空ミサイルの反動砲、こういう物も積んでいて、手榴弾ですとかそういう物もたくさんあったと言う事でございます。ですから工作船とか不審船とか言うと何か聞こえが良いんですけども、これは間違いなく一種の軍艦であるというふうに思った方が良い、と言うことであります。 ということでですね。結局何が言いたいか?専守防衛では日本は守れない。つまり逆に言えばどういうことかと必要に応じて威嚇をする。先制攻撃をするということが必要ですね。これは日本の国会でもすでに、例えば敵国がミサイルの発射準備をしたときには、これをですね。先制攻撃をするのは自衛の範囲だという国会答弁もありますので、それをするという事は考えておく必要はある。 で、今、ミサイル攻撃とかやろうとしています。物凄い金がかかるわけですけども、そのお陰で自衛隊の一般の予算はかなり削られてしまうすう勢にある。しかし今の状態で、物を決められない状態でミサイル攻撃をやってもですね。例えば、「ミサイル発射されました」というですね。天気予報以外、何も出来ません。こんな事をやったって、ほとんど意味が無い、と言うことだろうと思います。アメリカがですね、予報と言う事以外、どうしようもないと私は思っています。 で、最初に言いましたけどこの事はやるとなれば、政治が決断をしなければいけない。例の集団的自衛権の問題なんかも、国会で議論しても法制局が「それは憲法に関って行使出来ない」、言う事を言っているのが一つの歯止めになってしまっているわけですが、しかし法制局と言うのはですね。あくまでも法律用語を作ったりするのの手助けをするところであって、それを決める場所ではありません。これは国会の意思としてですね。法制局が何と言おうとやる事はもちろんやらなくてはいけない、言う事ですね。国民から選ばれた国会議員がですね。役人の言う事を聞く必要は全然無い、と思います。 以上は現行憲法でも可能である。そしてこれ、逆にですね。憲法が改正されなければ出来ないと、こういう事を言う人が多いですけども、そういう思考停止は絶対に許されない。そんな事を言ったら絶対に、問題解決する事は出来ません。逆にですね、私は今ある憲法を改正する事は非常にちょっと危機感を持っておりまして、何か保守系の人でですね。憲法を改正すれば全て上手く行くと、彼らは勘違いをしてしまっていると。いったいどう変えれば良いかという事については何も考えて無いわけですが、しかし何か変えればですね。全て上手く行くんじゃないか?と思っているという事で、そんなのは絶対に有り得ません。 毎年ですね、憲法を変えるというくらいの事にしていけば、いくらか時代からずれるのは止まるかもしれませんけど逆にですね。変なふうにいい加減に憲法を改正してしまうと、その後でですね。今はあの憲法であれば戦争に負けてアメリカがドサクサに押し付けたんだと言う事で、だからそういう努力目標にしておきましょうよで済みますが、一旦憲法を改正してしまえばですね。国会でしかも、国民投票までやるわけですから、そしたら国民が認めたという事になってしまって、尚更手足を縛ってしまう事になる。だから憲法改正の問題はですね。逆に気をつけておいた方が良い。今のままでも出来るんだと言うことです。 そしたら我々が常に認識しておかなければいけないのは、今我々は我々自身の利益と言うことだけで動いております。で、今の生活がどうなるのか?どうすべきか?今の生活が厳しいからこうすべきだとか、今の景気が悪いからこうすべきだとか言ってますけども、しかし日本と言う国は今生きている我々だけのものでは無いと言う事は当たり前なんです。先祖があったから我々が存在するわけでありまして、そしてこの国にはこれからも我々の子孫が生まれてですね。そして育ってこの国を形作っていくわけで、我々は祖先とそして未来に生まれてくる我々のその次の世代にも責任を持っている。我々もあくまでも今の時期に中中継ぎをするだけだ、と言う事でございます。 だから過去の世代に対してですね。失礼になるような事は絶対にしてはいけないし、そして次の世代に対してもツケを回すような事も絶対にしてはいけない。そのために我々自身が犠牲をするということの必要はあるのではないだろうか?と思います。「男たちの大和-YAMATO」のコピーでですね。「彼らが命懸けで護った未来に私たちは生きている」いうのがありましたけど、まさにその通りでは無いだろうか?というふうに私は思っている次第でございます。 大体一時間たったわけでございますけども、やはりですね。もう、今、あんまりのんびりしている時間は無いと私は思います。「しおかぜ」を始めまして大体半年経ちました。まだ情報の収集と言う意味では十分に出来ておりませんけども、本当にこれは具体的な事はこれだと、まだ余り言えないんですが、感触としてはこれから先急激に変わるんではないか?と言う感触を私は持っております。いろんな情報の入手とか、あるいは上手く行けば救出と言う事も含めてですね。動く可能性がある。 それは始まったら待った無しで、凄いスピードで始まってしまうだろうと思うわけでございまして、その時にですね。いろんな事をですね。大所高所はどうだとか、そういう事を言っている余裕は無い。政府がけしからんとか外務省が駄目だとか、そういう事を言っている余裕すら無くなるであろうと言うふうに思います。全ての立場の人たちが、それぞれの立場で各々やっていく事で、状況を進展させるしかない、言う事だろうと思います。そしてそういう状況になった時、実は我が国がある意味で言うと一番強い、と言う事も私は確信を持っております。 この国は60年前にですね。アメリカ相手に戦争をやった国であります。アメリカだけではない。中国でその前、4年前から戦争を始めていてですね。そして中国戦線で伸びきった所に持ってきて、アメリカ・イギリス・オランダとまとめて戦争を始めてしまったと。そしてあれだけの酷い所でですね。とにかく世界中の大国を向こうに回して戦う事が出来た国なんです。 しかもその日本はですね。陸軍と海軍の中が物凄く悪かった。陸軍が潜水艦や航空母艦を作ってしまった国と言うのは世界中で我が国しか存在しないわけでございまして、これは良い方に見ればですね。いかに我が国が優秀であったか?陸軍でも潜水艦や航空母艦を作れたという証明でもあろうかと言うふうに思います。 ケンカしながらともかくあれだけ戦う事が出来たという事の中の一つにはですね。旧軍でも今の自衛隊でも、あるいは一般のいろんな社会の各局面でそうですが、中堅クラスがですね。非常に優秀な人が多かった。ある程度ハッキリした目標が定められていれば、その目標に従って自分で物事を考えて行動する事が出来るというのがこの国の一番の強みでありまして、これはですね。アメリカでも中国でもロシアでも絶対に真似が出来ません。 アメリカとか中国とかロシアとか、基本的には上に立つ人間は物凄くしっかりしなければいけない。それが全ての責任を負う。その代わり下にいるのは、どんなアホが来ても構わない。と言うのが基本的に前提でございまして、どんなアホが来ても大丈夫なようにやるシステムであります。 日本はそうではなくて、上に行けば行くほど悪くなる。(笑い声)と言う非常に困った国ではあるんですけども、逆に言えばですね。上が問答無用の方針があれば、勝手に物が進んでいくと言う事でございます。これはもう、戦後、というか、まず明治維新の時から戦後の復興とかですね。そういう時に日本人が発揮した底力と言うものがあるわけでございまして、そうすると今のような状況でですね。もう北朝鮮なんかメチャクチャな状態になっている。中国なんかが手を突っ込む。今胡錦濤がアメリカ行ってやってるわけですけども、本当はもう北朝鮮が6者協議に参加すると言うお土産を持っていきたかったのに、北朝鮮が言う事を聞かないと。 そしてブッシュはブッシュでですね。自分の支持率に火がついているだけではなくて、今のアメリカの国力から言ってですね。北朝鮮に軍事攻撃をする力なんか残っていない。脅かすのは散々っぱら脅かすと思いますけども、しかし出来るだけ枠を作ってですね。向こうからやられれば当然やり返すんでしょうが、こちらから因縁つけてやると言う事はもう出来そうも無い。みんなそれぞれですね。弱みを持っているわけであります。尚且つみんな勝手なシナリオを書いている。役者はここに何人もいるわけですけども、その人の周りに演出家とかシナリオライターとかがいてですね。「おい、このシナリオでやれ!」と言う事をあっちからこっちからシナリオを突きつけて来ているというような状態であろうと思います。 もうちょっと分かりやすく言う為にはですね。放送禁止用語を使えば説明できる部分があるんですが女性がいますので、ちょっとその部分は控えさせて頂きますが、ともかくですね。そういうような事は我々にとって、非常にプラスなんだという事を考えてみて良いのではないか?我々はそれを絶対にやる力がある、と言う事でございます。そうでなければですね。この国はこんな経済大国になるはずも無いし、あるいは明治維新以後ですね。あっという間にこれだけの大国になっていくはずが無いわけでございます。 今、韓国のですね。保守系の方で非常に今、韓国の事を憂いている方が言っておりましたけども、結局経済の急速な発展と言うのはあるけれども、政治には急速な発展は無い。つまり韓国、ご自分の国の事を差してなんですが、今韓国の中は左翼が全盛でメチャクチャな状態になってる。経済は確かに韓国は非常に良くなったんですけど、やっぱり政治とかいう事は出来ていない。結局だからそういう形で近代化出来た国は、世界中で日本しか今だないんじゃないか?と言っておりましたけども、やはり我々がそういう部分に対しては自信を持っていて良いのではないだろうか?と言うふうに思っている次第でございます。 その思いでですね。これから先、おそらく短期間に、かなりのいろいろな事が起きると思いますし、ショッキングな事とか様々な事が起きると思いますがここにお出での皆さんは何とかですね。その最新の方向性を見失わないで、共にこの問題の解決に努力をして頂ければと言う事を思っております。残り25分でございますね?残りあと質問等をお受けしていきたいと思います。とりあえず、終了させていきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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戦略情報研究所荒木和博氏講演(1)

2006年4月21日(金)  

「自衛隊による拉致被害者救出のシミュレーション

  ーー議会・世論等周辺状況の整備を中心にーー」

※プロジェクターを使い、パワーポイントで作成した資料を表示しながら、講演が行われました。

講師:荒木和博氏   

        戦略情報研究所所長   

    特定失踪者問題調査会代表   

    拓殖大学の教授  

    予備自衛官 

ご紹介頂きました荒木でございます。
今日はみなさんお忙しいところ、時間がだいぶ遅いところからのスタートですが、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。
今日は、私自身、今紹介にもありました、私自身予備自衛官でございまして、この連続のシリーズは、拉致被害者の救出のために、自衛隊をということが中心的なテーマでやってまいりましたので、本来であれば制服を着てお話をすれば臨場感があるんですけれども、ここでさすがに制服を着てしまうとですね、これからの話の内容から言って、どう考えても、問題があると言うことでですね、制服まがいで、明細ではありますが、これは駐屯地で買ったものであるんですけれども、別に制服ではないというもので、ちょっとかっこだけつけて話をさせていただきます。

(プロジェクターにパワーポイントで作った資料を写して)
これから、画面を見ながらお話をしていきたいと思いますが。

私自身が、あちらこちらでですね、拉致被害者の救出のために自衛隊を使わなければならないと言うことを、言っておりますので、今回は、そのことを少し具体的にどうするのかと言う視点で、--すでに佐藤元空将、惠谷さんにお話を、かなり技術的なところまでしていただきまして--今回もちろん、具体的な作戦とかするときはもっと詰めて行かなくてはならないんですが、私は、逆に、ちょっと広げた形で、なんでこういう事をしなければならないのかと言うことの話を中心にしていきたいと思います。

尚、忘れないうちに申し上げておきますが、次回の講演会は、5月の12日(金)に、たぶんこちら(UIゼンゼン会館)こをお借りして、ジャーナリストの青木直人さんに(今胡錦涛が訪米していますが)、中米関係等からみてですね、(青木さんは【北朝鮮処分】、【拉致処分】などの本を書いていますが)要は、中米関係などを見据えて、どうやって北朝鮮を潰してしまうかという話をしていただく予定になっております。是非また次回も宜しくお願いします。

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拉致被害者救出シミュレーション第4弾 

日時:5月12日(金)18:00開場 18:30開演

会場:ゼンセン会館2F大会議室

タイトル「北朝鮮処分にどう備えるのか---全拉致被害者奪還のために--」 北朝鮮に介入を強める中国、胡錦涛訪米後、朝鮮半島抜きでさらに加速する「北朝鮮処分」、拉致被害者救出のため日本は対中及び対・中米関係でどう行動 すべきか

講演:青木直人(ジャーナリスト)北朝鮮処分、拉致処分

戦略情報研究所 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日のテーマとなるのは、我々の見方でですね、我々の平和とか安全とか自由とか人権とかはですね、こういうものは、放っておいて向こうからやってくるものではないと、我々自身が、そのことについて、しっかりものを見てこなかったのではないか?そうじゃなくて、こういうものはすべて戦って勝ち取って守るものであると、これは今度の全ての基本でございます。

まず古川了子さんの裁判で問題になっている認定と言うことについてお話していきます。
政府認定の拉致事件、ここに書いてある(プロジェクターを指して)16人なんすが、これは一体どうやって明らかになってきたのか?

まず昭和50年9月の久米裕さんの事件ですが、この事件は協力者・・・という朝鮮人の協力者を逮捕して事件が明らかになったんですが、不起訴になった。結局、これは警察はやりたかったんですが、検察は言うことを聞かなかったと聞いております。それで、事態は極秘にしてしまった。警察庁長官省を石川県警はもらっているんですが、そのこと自体全くの秘密の状態である。

横田めぐみさんの事件はご存知のように、現代コリアの平成8年10月号の石高健二さんの論文によって明らかになりました。

田口八重子さんの事件は工作員金賢姫が、大韓航空機の爆破事件のあとで捕まりまして、李恩恵という名前で呼ばれていた日本人の女性から日本語とか日本の風習を教わったと言ったので、それを調べて、わかったわけですね。もし、金賢姫がそこで自殺を遂げているか、あるいは、捕まらないで北朝鮮に戻っていたら田口八重子さんの拉致は結局わからなかった。

田中実さんはですね、月刊「文芸春秋」平成11年(97年)1月号に、張龍雲(ちょう りゅううん)さんという方(亡くなられましたが)この人が在日朝鮮人、この方が、手記を書いて、独白の手記ですが、これは田中実さんが務めていた神戸のラーメン屋、「来大」の店主(曹廷楽と韓竜大)等と一緒に、北朝鮮の特殊工作員のグループ、洛東江というグループの一員であった人ですが、その人が告白の手記を書いたことによって、わかった。

それから、地村さん夫妻、蓮池さん夫妻、市川さん夫妻、この3件については、産経新聞の昭和55年(1980年)1月、安陪雅美記者のスクープによって明らかになった。高岡の未遂事件も同様でございます。

こないだ、富山の救う会の会長代行から聞いたんですが、その方が、富山の県警の警備部長と話をしている時にこの話になって、県警の警備部長は、「実は、この高岡の未遂事件は、北朝鮮による拉致未遂だということを知ったのは、大韓航空機の爆破事件の後だ」という風に言っていたそうでございます。これは真っ赤なうそです。この高岡の未遂事件によって、北朝鮮の拉致だと言うことがわかったのであって、それが87年の大韓航空機爆破事件まで解らなかったなどと言うのは、絶対にあるはずがございません。
間違えたとしたら、そんな人間が警備部長をやる資格はありませんし、そうでなくてですね、嘘をついているんだったら、これは、怖いことなんですが、そういうことが、実際には発言としてあった。

それから、ヨーロッパ拉致、石岡さん、松木さん、有本さんですが、この3人は石岡亨さんが東ヨーロッパの人に託した手紙で、これが東ヨーロッパから投函されて、石岡さんの札幌の自宅につく。そしてその中に、松木さん、有本さんと一緒に暮らしていると書いてあったんで解ったんですね。もしこういう手紙が届いていなければ、この三人はただヨーロッパで失踪した青年と言うことになってしまう。

原忠晃さんは工作員である辛光洙が成り代わって、85年に韓国に入った時に捕まって、そして白状した。

曾我ひとみさん、ミヨシさんに至っては、北朝鮮側が先に出してきた。
誘拐犯の方がですね「我々が誘拐しまたよ」と言ったもんで、日本政府は「そうか、それはそう、拉致」と言って認定をしたということでございます。

つまりこうやってみていると政府機関が自ら拉致を明らかにしたというケースは存在しないということでありまして、これは逆に言えば、それ以外の拉致が非常に多数ある証拠だということでございます。

こういうのを見ていると解りますが、ともかくですね、政府は、騒がれて騒がれて、マスコミが騒いだりしてどうしようもない、証拠が突きつけられて、それで初めてこれは拉致だと認定すると言うことでございます。

この間、10件15人になってからですね、田中実さんが追加認定されるまで二年半かかっておりまして、こんなふうでやってたらですね、100人ぐらいだったら、200年ぐらいかかってしまうと言うような状況でございます。



政府認定の拉致事件、11件16人ですが、この中で安明進さんが目撃した人は、(プロジェクターの画面を指して)この矢印の方々がいます。しかしそれ以外に、安明進さんが目撃した人は、特定失踪者で藤田進さん、加藤久美子さん、古川了子さんを見ているわけですが、この3人とも日本政府は拉致の認定をしておりません。

安さんが見たというのはこれは事実だと言うことが証明されていますが、それについて日本政府は拉致認定をしていない。それがあって、我々は古川了子さんのご家族に御協力を頂いて、古川さんの拉致認定を求める訴訟というのをやっているわけでございます。

ちなみに、ニュース等でもお知らせしておりますが、6月28日の古川さんの次の公判では、私が原告側の証人ということで、安さんに直接会って話を聞いている人間として、あるいはご家族についてもある程度解っていると言うことで、私一人が証人として認められていまして、私が証人として陳述をすると言うことになっております。

これが残念ながら今までの現状だということでございます。

若干蛇足になりますが、安明進さんは蓮池さんを金正日政治軍事大学で見ているんですね。ですから、蓮池薫は間違いなく、藤田進とか加藤久美子、(古川さんは見たかどうか解りませんが)この二人は間違いなく見ているはずです。
そうすると、彼らは日本政府には全部しゃべったと言っているわけですが、見たと言うことをしゃべっているのか?しゃべっているとすれば、なんで日本政府は認定しないのかと言うことになりますし、あるいは、しゃべっていないとすれば、一体彼らはどういう状況にあるんだろうとか、それが非常に大きな問題になってくるわけでございます。
と言うことをですね、しょっちゅうあちこちで言っているので、私は、特に蓮池薫さんには相当嫌われているらしいです。この際だから、行くところまでいってですね、名誉毀損の訴訟でも起こしてもらえば、法廷で、できると思って、もうちょっと頑張ってみるつもりでいます。


さて余計な話しはともかくとして、現在の拉致問題の解決の仕組みというのは、こういう風になっています。警察が捜査して、そして内閣が認定して、外務省が交渉して北朝鮮から帰国すると言うことなんですが、これにはさまざまな壁がございます。

ひとつは『法との照合という警察の壁』でございます。いうまでもなく、警察というところは法律に基づいて動くところで、証拠がなければ捕まえない。、まぁ、そう言いながら結構証拠がなくても捕まえてしまったりもするようですが、一応そう言う建前になっている。そうするとどうなるかというと、誰が拉致されたかを認定するために、誰がどういう経路で連れて行かれたかが解らないと、認定ができないというふうに、警察としては思ってしまうということでございます。

そうすると、たとえば、加藤久美子さんの事件は、昭和45年(1970)の8月8日ですが、今から36年前ですね。そう言う事件についてもう記憶をしている人がほとんどいない。場合によっては、ご家族でもあまり記憶がないという事件が非常に多い。そういう状況の中で、警察がいくら捜査しても、これはもう間違いないというふうにいけるのは、よほど運の良い事件しかあり得ないと言うことであります。
そうすると、ごく一部しか認定ができない。

そして、たとえばたまたま警察がうまくいってこれは認定すべきだと言っても、こんどは内閣の方で認定をするときにですね、どうしても日朝国交正常化に未練がある。国交正常化への障害を増やしたくない。それから、まぁ、良い方向で見れば、この拉致問題の解決のために、北朝鮮が軟化してもらわなければ困る。拉致被害者の数が増えたとなれば、北朝鮮が硬化するということで、これ以上増やしたくない。(一部不明)
ですから、田中実さんの認定をしたときには、小住健三さんも警察は拉致認定をすべきだという具申をしているわけなんですけれども、結局、田中さんは認定したものの、小住さんは認定していない。

あれだけ、いわゆるスパイ朴ですね、(チェなんとかと言っているようですが)このスパイのことを年末年始から大騒ぎしたわりには、小住さんについては今のところ手が着いていないということでございます。

そして、こんどは、それでもしょうがないから認定をしようかと言うことになった場合、外務省はどうなんだろうかというと、『力の裏付け』をもたない。要は、経済制裁するとか、そう言うことをやろうとしないということですね。それによって力の裏付けがない。ですから、この交渉がうまくいかない。

で、そう言う状態で北朝鮮からの帰国というのは、ここから、ここまで辿るまでにほとんどできないと言うことになってしまうと言うことであります。



で、じゃだったらば、どうすればいいのかということですが、やはりこれはですね、問題を『安全保障の問題』として見直すしか解決の道はないと私は思っております。

警察にできることというのは、基本的には<日本国内での事件捜査>しか有りません。あとは、ヨーロッパでの拉致なんかについて、ICPOですとか他の国の警察と連携をしてと言うのがありますけれども、それは本当に極限られた部分であって、北朝鮮の中に入って、犯人を捕まえる事はできないわけですね。

そう言うことが、限界が最初から有る。で、その法律の適用のできない地域というのは、これは正に北朝鮮ですが、これはもう対応は警察ではできません。

で、これはですね、たとえばもし北朝鮮がごく普通の国、普通でなくてもちょっとおかしいぐらいの国であればですね、その中の一部のゲリラとか反体制勢力がですね、そういうものが、なんかの理由で拉致をしたというのであれば、北朝鮮と信頼関係を築いて解決を目指すと言うこともできるわけですね。かつてフィリピンでしたか、三井物産の若王子支店長の事件がありましたが、ああいうような状況になるわけですが、しかし、犯人が、なにしろ北朝鮮の当局者である。指示をしたのが金正日であり、金日成であると言うことになれば、何らかの強制力を持たない解決というのはあり得ないということであります。

絶対忘れてはいけないことは、最終的かつ最優先の目的、目標というのは拉致被害者の救出である。真相究明ではないんですね。真相究明とかはやった犯人の処罰とかは、非常に重要なことではあるんですが、あくまで二次的な問題でしか有りません。

警察にやってもらわなければならないことなんですが、あくまでも、次の問題であって、今やらなければならないのは拉致被害者をいかに取り返すかということです。

ところが、この国の中では、警察がそういうことをやることになっていたという思いこみがあってですね、なんか警察がともかくやれば前に進むのではないかと。警察にはもちろん、こないだ対策室も作られていますし、前に向かって進んで入るんだと思いますが、しかしどうやったってもう最初から限界があるということであります。



これはたびたび私、あちこちで取りあげておりますけれども、去年の6月14日、参議院の内閣委員会でですね、民主党の森ゆうこ議員が質問したのに対してですね、細田官房長官が答えている答弁、これはもう異常ですね。政府の今の現状をはっきり示しているものであります。

森さんは、外務省が交渉していく場合に、先ほど論点でもありましたように、認定、要は認定のやり方に対してもうちょっとやり方を変えるべきじゃないかと言ってるんですね。これに対して細田官房長官は、こう答えています。『これは確かにおっしゃることはわかるわけでございます。しかし、こういういわば犯罪の被害者、いわば誘拐ではございますからそ、の犯罪の被害者として、誰か特定の人が、特定の場所で、こういう経路で誰が手伝って連れていたと、拉致をしたと言うことを、やはり警察当局がしっかりと証拠固めをして、そして認定をするという仕組みでやっております』というふうに答えているわけですね。

つまり先ほど言ったように、正に法と証拠に基づいてやります。法と証拠に基づいてやりますと言ったって、さっき言いましたように、大昔の事件が多いわけであって、そう簡単に調べられるわけではない。

これはつまり、『認定はほとんどできませんよ』と言っていることと変わりません。

そしてもうひとつですね、森さんが、『国民が拉致されて、救出を待っているときに、我が国の政府が自分でできる主体的にできることを、いつまでに、どのように、何をするのか、具体的にお答えいただきたい』と言う質問をされているんですが、これに対して細田官房長官は『先方も政府で、彼らのその領土の中に於いてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに<実は生きておりました、全員返します>と言うまで粘り強く交渉することが我々の今の方針でございます。』と言う答弁をいたしております。

この答弁は、ホントだったら、あの永田メール問題の騒ぎどころではなくて、この答弁一つで、政府がひっくり返ってもおかしくないような答弁ですが、残念ながら、あの当時マスコミでも誰も、問題にした人がいない。<先方も政府で、彼らのその領土の中に於いてはあらゆる人に対する権限を持っております>ということはつまりどういう事かと言いますと、要は、拉致をしてしまったら、あとは似て喰おうと焼いて喰おうと相手の勝手ですということですね。

<我々は絶対に拉致被害者を助けません>と言うことを宣言しているのに等しい訳でございまして、ほんとにとんでもない答弁なんですが、残念ながら、この拉致問題を個別の刑事事件として捉えていくとこういう風にならざるを得ないんです、結局。

そこを変えていかなければならないと言うことなんですね。
戦略情報研究所荒木和博氏講演(2)へ

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2006年5月 8日 (月)

日本再生フォーラム大越宏子さん

『大越宏子さん(特定失踪者・江原信明さんの姉)の訴え』

司会鈴木智さん :次にはですね、特定失踪者の江原信明さんのお姉さんでございます、大越宏子さんです。

0000739m

大越宏子さん

こんにちは。(拍手) こちらが私の弟の江原信明です。(弟さんの写真を掲げる)1988年の5月9日に大宮の方にちょっと遊びに出かけます、と言う事で出て行ったきり、本日まで何の消息もございません。両親も警察やら友人やらいろいろ捜しましたけども、全然手がかりになるような事はひとつもありませんでした。

そして特定失踪者問題調査会の方で、取り上げて頂き今日に至っております。警察も・・・(聞き取れず)ですけど、銀行の口座ですとかいろいろ両親も調べたりしたんですけども、何の動きも無い。全く手がかりがつかめなかったんです。それで、万が一拉致と言う可能性もあるんじゃ無いか?と言う事で、姉の私が今ここでこうしてお願いしているわけでございます。これからも市民の皆様が関心を寄せて頂く事で、少しでも早く解決出来る日が近付くと思っております。どうぞこれからもよろしくお願いします。(拍手)

・・・資料紹介・・・

氏    名: 江原 信明

失踪年月日: 昭和63(1988)年5月9日

ふりがな : えばら のぶあき

生年月日: 昭和34(1959)年9月12日

性      別:

当時年齢: 28

身      長: 177センチ

体      重: 63キロ

公      開: 第4次公開

当時身分: 農業特徴 髪は多めでややくせがある。白髪が多かったので黒く染めていた。前歯は銀色のものをかぶせていた。タバコ、酒はほとんどやらない。電気工事士、アマチュア無線、普通自動車の免許あり、趣味は釣り 失踪現場 埼玉県南埼玉郡白岡町の自宅失踪状況 「たまには大宮にでも行って映画を観てくる」と白岡町の実家を出たまま失踪。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより

司会鈴木章さん: 先ほどお話しました7名の特定失踪者の中で藤田進さん、佐々木悦子さん、新木章さん。この3人は拉致が濃厚と言う事でもって、政府のほうに認定を申請して頂いているという状況でございます。続きまして、埼玉では無いんですけども東京の方で(失踪をした)生島孝子さんのお姉さんを紹介します。


 蒼き星々 掲示板(サブボード)より

このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム佐々木アイ子さん

   『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

0000738m

皆さん、今日はありがとうございます。(拍手)
特定失踪者問題調査会でお世話になっております、佐々木悦子の母でございます。
いつもご支援ありがとうございます。

先ほど荒木先生から短波放送「しおかぜ」のお話がありましたが、家族からの手紙の代読を荒木先生には一生懸命に読み上げて頂いております。
また1月からは家族の声も流しております。
長い長い年月の中、本当に月日が経っているんだなと。
皆さん、家族の中には亡くなった方がたくさんおります。
本当に辛い事です。

うちの場合もそうなんです。
悦子が失踪してから5年後、やはり娘の安否を気遣って、本当に心労心労で(主人は)5年後に亡くなりました。
本当に無念でなりません。
私は主人のために、悦子が日本に帰るまでこの目で悦子を見届けるまでは、死ぬ事は出来ません。
頑張り続けます。
皆様これからもご支援の程よろしくお願いします。(拍手)

・・・資料紹介・・・

氏    名  佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふり    がな ささき えつこ
生年   月日 昭和38(1963)年12月6日
性         別 女 当時年齢 27
身         長 162センチ 体重 52キロ
公         開  第1次公開
当時   身分  埼玉銀行パート
特         徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪  現場  埼玉県浦和市
失踪  状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者調査会HPより


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム 飯塚耕一郎さん

  『飯塚耕一郎さん(田口八重子さん長男)の訴え』

0000736m

ご紹介を頂きました、田口八重子の長男で飯塚耕一郎と申します。
本日はお招きを頂きまして、誠にありがとうございます。
本来ですとうちの親父、副代表の飯塚繁雄の方がお伺いする所、ちょっと私用がございまして、こちらの方へは私及び私の伯父の方が代わりに出席をさせて頂きました。

本日はまず荒木先生の方にとても有意義なご講義を頂きましたけども、まず家族会としての総意と言っている部分はこの2~3年まったく変わっていないと思っています。
まず早期の経済制裁を求めたい、この一点に尽きると思います。
皆さん、この言葉に関してはもしかしたら耳にタコが出来てしまう、それくらいのお話かと思いますけども。
ここには早期経済制裁を実施しないといったいどう言う事が起きるか?と言う部分が、本日皆様にお配りいただいているこの資料の中にとても分かりやすくまとまっていると思います。

こちらの資料の方の5ページ目、まさに家族会が言いたいことがかなり集約されていると思います。
まず経済制裁を行わなくてはいけないと言う部分に関してはまず一点、国家の意思を発信させるという観点、ここの部分にまず尽きると思います。
日本がこの問題に対してこの事件に対してどれだけ怒っているか?と。
そういった部分を犯人の北朝鮮に告げなければいけない。
そうでないと別に犯人の方としては、日本が怒っていないと。
別に人質を帰さなくても日本は何も言って来ないと。
お金は出来るだけ出してくれるというずるい態度、北朝鮮のずるい態度ですね。
ずるい態度がこれまでの歴史どおりに北朝鮮によって・・・(聞き取れず)しまうという問題があります。

もうひとつ違った観点で申しますと5ページの一番上、2004年の11月日本政府の制裁予告と言う部分がありますけど、この時期に細田官房長官の方から「迅速且つ誠意ある対応が無ければ厳しい対応を取らざるを得ない」という発言をしております。
今、2006年の4月です。
一年半以上、こういう「迅速且つ誠意ある対応を取っているのかどうか分からない政府というふうに、私としては考えられます。
この1年半と言う長い時間は、果たして短いスパンなのでしょうか?
ここの部分は私は疑問に思います。
逆にこの1年半、何もしてこなかったと言う部分はますます北朝鮮に対する認識として、やはり拉致問題というのは日本は重要視していないと言う考えが定着してしまいます。
これは時が経てば経つほどそうだと思っています。

こういう観点からまずそういう、単独であろうが共同であろうが何でも構いません。
日本としての意思を発信する。
政治的な発言をして発信すると言う経済制裁を行うべきだと、この点を改めて私は皆さんにお伝えしたいと思います。
また、実際に私たち個人レベル民間レベルでは、じゃあ政府は経済制裁に全く動かない。
我々はどうすればいいのか?何をすれば良いのか?と言う疑問が湧いてくるかと思います。

それは前回は、私もこちらの日本再生フォーラムさんの方に参加させていただいた時も申し上げましたが、まず政府に対して我々の意思を発進する事が大事であると。
荒木先生も先ほど仰っていましたけど、この問題に関して動かすと言うのはやはり国民の民意と言うか、感情の部分がまさにこの活動、運動の大きな源、源泉かと思います。
その源である皆さんのひとりひとりから政府に対して手紙でもメールでも電話でも結構です。
政府に対して何故拉致問題を早く解決しないのか?何故経済制裁を実施しないのか?と言う部分を政府に発信していただければと思います。

これは横田拓也さんのお話ですけども、横田拓也さんはかつて日本政府に対してメールを何百通何千通と出しました。
あるときに、今安倍官房長官ですけど、安倍さんと初めてお会いした時に安倍さんからのまず一言は「君が横田拓也君か?メールは見ているよ」と言うふうに仰って頂いたというお話があります。
やはり日本政府には毎日何百通も何千通も連絡が来ると思いますけども、やはりこの拉致問題に対して解決をしたいという意思を持っている方は、必ず我々拉致問題を解決したいと思う気持ちに同情している人の発進や意思と言うのは、どのくらい忙しくても汲み取ってくれると思います。
ですので皆さんも無駄な事とは思わず、政府に対して発信していただければと思います。

これまでは私の家族会の立場として申し上げましたけど、やはり私個人として申し上げれば、今こちらにも写真がありますけども、実際私どうしても田口八重子さんと言ってしまいます。
どうしても母とは呼べません。
今年で29歳になりますけども母と一緒に居たのは、たった生まれて1年の間しか母子として一緒に居た事がありません。
当然1歳ですから、記憶も何もありません。
その様な状況で親父、副代表である飯塚繁雄に育ててもらって、何不自由なく育てて頂きましたけど、親父にはいっぱい親孝行的な物をしていきたいと思います。
旅行とかお袋と行って来なよと言って促してあげたりとか、体の心配をしてあげたりとか、巨人が負けているからどうするんだと愚痴を聞いて上げるとか、そんな下らない事までだいぶ話せるようになりました。

ただ、親父に対してはそう出来るんですけども、田口八重子さんに対しては何も出来ていません。
まだ家族である、「お母さん」とすら一言も彼女に伝えてあげる事が出来て上げられてないのが、現状です。
正直、その部分については複雑な気持ちがあります。
やはり一度も見た事の無い人なので、その人を本当に「お母さん」と呼べるのか?と言う複雑な思いもある一方で、やはり自分の事お腹を痛めてを産んでくれた母として、拉致をされた時の北朝鮮の海岸の所で、「私には子供が居るので」と人目を憚らずにお腹を出して妊娠線を北朝鮮の工作員に対して(見せて)訴えて「だから日本に返して」と。
「是が非でも帰りたい」と言う気持ちを嘆願したという、まだ見ぬ母に対してはやく親孝行をひとつ、何でもいいから出来ればと。
でもやはりその前にまずは「お母さん」と呼んであげたいと思っております。

私が今現状、日本政府はこの問題に対する大きな動きはございません。
この事件は1年半近く、こちらの資料に書いてありますけども細田官房長官の発言以降、対北朝鮮に対する政治的な発信と言うのは、政府としての発進はほぼ皆無だと私は思っています。
この停滞している中でここまで家族会の運動が盛り上がったのは、やはり皆さん国民一人一人の方々のご協力とお声の発進があったからこそだと思います。

私が親孝行でも何でもないんですけど、田口八重子さんに対して直接「お母さん」と呼んであげられるように、何とか頑張っていきたいと思います。
それには皆様のご協力とご理解とご発信が必要だと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年5月 7日 (日)

国民大集会のチラシ

国民大集会のチラシ全文を紹介します。

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小泉首相の決断と、

今年中に拉致被害者全員救出を求める国民大集会━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「遺骨」も「死亡確認書」もすべて捏造でした。にもかかわらず、「拉致問題は解決済み」と居直り、誠実な対応を示さない北朝鮮。これ以上北朝鮮との話合いは無駄です。圧力をかけない限り、金正日政権は国家犯罪を隠し続けることが誰の目にも明らかです。

米国は、北朝鮮によるドル札偽造で制裁を発動しました。4月に来日した北朝鮮代表は、「米国が制裁を解除しなければ6者協議に出ない」とし、その間に核兵器の増強を進めると居直りました。
これらは、制裁に効果があったが故の犯罪政権の捨て台詞です。この時、米国代表は北朝鮮との「対話」を拒否し、北朝鮮船舶に対し新たな制裁準備を始めました。

日本が今、米国と共に制裁を発動すれば、北朝鮮は対応せざるをえなくなります。日本人の人権と日本の主権を侵害し、拉致被害者をいつまでも返さない北朝鮮に対し、日本の国家意思を明確に示さねばなりません。そうでないと拉致問題だけが置き去りにされてしまいます。

北朝鮮に対しては、「圧力」をかけて「対話」すべきです。今こそ決断の時です。そして今年中に拉致被害者の全員救出を求めます。

  圧力なしでは解決しない!
【制裁】を発動して拉致被害者全員救出を! 

横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者の金英男さんであるとの科学的鑑定結果が出ました。金日成・金正日政権は韓国人、日本人だけでなく、レバノン人、タイ人、ルーマニア人、中国人を拉致したことが明らかになっています。それだけでなく、マレーシア人、シンガポール人、フランス人、イタリア人、オランダ人、ヨルダン人が拉致されているとされ、それ以外の国からも拉致されている可能性があります。

その目的は、「対南工作」というもので、韓国を北朝鮮の支配下に置こうという独善的な考えに基づく犯罪行為です。そのために中・高校生を含む多数の人々の自由を奪い、多数の国の主権を侵すことを、金正日政権は犯罪とすら思っていないのです。

このような犯罪政権との間で、他の普通の国々と同じような交流を行う必要はありません。
一日も早く制裁をかけ、物、人、金の交流を断つべきです。国交正常化などもってのほかです。

政府は平成16年12月24日、「北朝鮮側が迅速かつ誠意ある対応を行わない場合、日本政府として、厳しい対応をとらざるを得ない」(細田官房長官)との立場を公表しました。ところが金正日政権は、依然として不誠実な対応を取り続けています。誰が見ても北朝鮮は「迅速かつ誠意ある対応」をしていないのに、政府は制裁二法を発動しようとしません。

北朝鮮に拉致された全ての拉致被害者を取り戻すという不退転の国家意思を示すこと抜きに、どうしてめぐみさんたちを取り戻せるのでしょうか。まず、北朝鮮との交流を断ち、圧力をかけた上で、韓国等とも連携し、拉致被害者を救出すべきです。

家族会・救う会は、今年中に拉致被害者を全員救出するとの強い決意をもって、制裁の発動を小泉首相に迫っていきます。
国民の皆様のご支援、ご協力、ご参加をお願いいたします。


島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(和訳)
島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(英文)
上記二文も参考にしてください。


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日本再生フォーラム本間勝さんの訴え

本間さんは、本当にお人柄が優しく、おおらかなかたです。
小泉首相への怒りもはっきり表していますが、だからといって人に強要するようなところもなく、誰とでも気さくに拉致のことをお話になります。

大人であり、純粋であり、奥行き深く、懐大きく、 そして、その情は限りなく妹に注がれていると私は生で感じています。

本間さんは、本当に心の奥底から、八重子さんを救いたいのです。

その気持ちがあふれ出るような、切々とした訴えです。

どうか耳を傾けてください。


『本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え』

0000735m

どうも今日はこんなに多数の皆様方、日本再生フォーラムの講演会に来て頂きまして、拉致問題に対し興味を持っていただくことに対しましてありがとうございます。

今日は本来であれば家族会の副代表である、私どもの一番上の兄貴・飯塚繁雄が来てお話すべき所なんですが、親戚にお祝い事がありまして、そちらの方にどうしても出かけなければいけないという事で私がちょっとお話をさせて頂きます。

私の妹の八重子という、そこに写真もあるんですけども、昭和30年生まれで昭和53年に・・・(聞き取れず)に拉致をされてもう28年、今50歳ですね。
50歳になる所なんですが家族を、ここに来ております当時1歳でした耕一郎君と3歳のお姉さんを残して、北朝鮮に非情にも連れて行かれて現在に至っている状態です。
本当に早く耕一郎君の胸元へ母親である八重子を飛び込ませてやりたい。
早く抱きしめて上げさせたいと、本当にそれだけです。

私どもの方も段々年をとって来ております。
北朝鮮と言うのはそういう暮らしが悲惨な、食料も無いとかね。
ごく一部の平壌に住む特権階級・軍隊・そういった人たちだけが安穏と、人よりはレベルの高い生活をしているという事を聞いております。
ですから八重子はそういった組織の一員として働かされているとは言え、平壌からは多分遠くの山間部に収容されて人目の見難いね。
日本人がいると言う事が分からないような山間部に多分収容されているんではないか?と現在思います。

八重子はですね。
蓮池さんたちと一時期同じ所の収容所に生活をしていました。
蓮池さんたちは労働党の情報部の工作員とかいった政治軍事大学の先生をやっていたと言う所にいたみたいなんですけども、八重子は工作員教育、大韓航空機爆破の金賢姫を教育した、というひとつの工作員教育に携わさせられたという所なんですけども。
ある時期から労働党から離れて、軍隊の組織である人民軍の総参謀部・総政治局と言う所に、敵工局というのがあるそうですね。

当初は蓮池さんからね。
聞いておったんですが、敵工地に八重子さんは回されていますよと言う話だったんですが、どうも聞きますと敵工地ではなくて敵工局だと。
今言った人民軍の総参謀部の政治局の中の敵工局にいると。
その組織は何をやっているか?と言いますと宣伝工作ですね。
政治工作です。
韓国に対する対南工作、それから人民軍のですね。
日本軍が攻めて朝鮮半島に来た時に、「どう対処すればいいか?」というようなマニュアル的な本を作る。
そういう事もやってる所なんだそうです。
対南のラジオ放送局もやってる所だと。
今は平壌放送の一部でもそういった事をやってるそうです。

この話はですね。
先日12日に、田町の東京の友愛会館と言うところで集会があったんですが、今度新たにですね。
ラジオ放送、「自由北朝鮮放送」と言う組織、支援日本委員会と言うのが設立されたんですね。
西岡先生が日本側の委員長になられるんですけども、そういった韓国側の自由放送の責任者の方(=金聖民代表)が、北朝鮮の軍隊の将官の方だと言うことでしたので、私は人民軍の生の組織の人だったらそういった話も聞けるかなと思って質問をしました。(※本間さんの質問の様子は下記の参考過去エントリー参照の事)
そしたら今言われるような話なんですね。

それで蓮池さんたち5人は帰って来られましたけど、うちの妹田口八重子の事とか有本さんとか増元さんと言った人たちは帰って来られないわけなんですが。
要するに公開できない秘密を知っている部署にいる人間は出さないんじゃないか?と。
出さないだろうと、いうような話をしておりました。

先ほど話の出ました金正日の料理人、藤本健二さんが逃げて帰って来られたんですけども、ああいう人は金正日の料理の仕入れ、食材を仕入れるために外国に行けた訳ですね。
それを利用して脱出できたというような話なんですね。
うちの妹も、非情にもですね。
私も工作員になって海外に出られればね、逃げるチャンスもあるんじゃないか?
工作員にしてください、と言うような事を訴えたそうです。
そしたら周りの人が、そういう人間性も見ての話なんでしょうけども「あなたはとても工作員にはなれませんね」と言うような話だそうです。

先ほどの自由北朝鮮放送と言うのは、設立されて近々中波で放送するわけなんですが、目的の若干的なことを紹介させて頂きますと、自由北朝鮮放送を通じて金正日政権幹部に拉致被害者救出に対する日本人の不退転の決意を伝える。
被害者の保護、救出や情報提供に協力すれば報償を与える事を伝えると、攻めの姿勢で放送をやるということですね。
自由北朝鮮放送を通じて北朝鮮住民に国際社会の動き、民主政治の思想とか金正日政権の政治宣伝の嘘を伝えて北朝鮮の自由化に備える。
そういった目的を持って放送を始めると言うことです。

しおかぜの方でも我々の拉致被害者の名前・特定失踪者の名前を放送していただいて、荒木さんがアナウンサーやっているんですけども、深夜11時からそういった放送を聴いておりますと涙の出ない時はありません。
本当にもう「元気でいてね」「きっと取り返すからね」そういった声が、皆同じ声を上げております。

私も経済制裁が何故いけないんだろう?と常々思っていますけど、国民の皆様70%以上が経済制裁をやるべきという支持を頂いているにも拘らず、小泉さんが腰が引けているから経済制裁は実行できない、と思ってます。
どこにこれは原因があるのかな?
対話と圧力と言って、対話だけ重視していれば・・・・・(聞き取れず)日朝の友好関係を保ちたい。
ただそれだけなんですね。

後はちょっと穿った所ですけども、在日の朝鮮総連に対して相当気を使っている。
そういった人たちに直接関る経済制裁を控えているんでは無いか?と、決断出来ないんではないか?と思っております。
朝鮮総連からかなり日本の国会議員に金が相当ばら撒かれているみたいですけども、そういった人たちが経済制裁を声高に声を上げない。
それがひとつの原因かな?と言う、私なりの穿った気持ちでいます。

先日10日からですか。
6者協議のメンバーが東京に集結して、国際学術会議・北東アジア協力対話という対話の元に集まりましたけども、北朝鮮は金融制裁を解除、ただそれだけで対話に乗ってこない。
もう、アメリカはそんな話にはならないと。
金融制裁と核の問題は別個なんだから6者協議は当然やる。
早く出て来いという事を強く言ってるんですけども、金融制裁を解除して欲しいという話は、本当にあの体制が存続するのに危ない。
金が軍資金が凍結されて金正日の手元に残っていない。
それだからそれに絞ってですね。
動いているんではないかと思います。

金融制裁の解除、それがかなりの効果を持ってこれからそれでもって体制が、金正日が倒れて民主的な体制が出来れば我々拉致被害者の家族が出てこられると思いますけども。
そのとき無事でいられるかというのもちょっと心配なところなんですが、先ほどの自由北朝鮮放送の中でね。
日本人に危害を加えたら容赦しないよと、それを強力に言っております。
と言う話です。

私も北朝鮮の体制が崩れて、北朝鮮の内部に入って行ける時があればと言う事で、遅ればせながらですね。
韓国語、本当に初期的な入門なんですけども、東京にある家政大学というのが十条にあるんですけども、そこで韓国語の入門の日常会話程度を話せるように勉強して、それで北朝鮮に入って八重子を探す。
日本人を探す。
そういったことに命をかけようかと、そういった決意で私はいます。
遅かれ早かれ体制の崩壊は来ると思います。
来て欲しいと思います。

あと万景峰も当初4月の11日、新潟港に入港する予定だったそうなんですが、保険の証明書の交付が国交省から出ないために引き延ばしされたと。
それで24日に第一回の入港があるそうです。
これも早くこの船は、大型の工作船に間違いないんです。
藤田進さんがこの船で北朝鮮に連れて行かれたとか、そういった話もありますけども、一方的な北朝鮮に利するだけの船なんですね。
日本人がそれに乗って自由往来、そんな出来る船じゃないんです。

先ほど深井(明・埼玉県議会議員)先生が新潟の方に万景峰の入港阻止の集会に声高に抗議してきたと。
私も入港する度にですね。
兄貴と交代で入港阻止の集会に声を上げてきました。
万景帰れ!日本人を返せ!
あの白い1万トン級のでかい船体を見ると、本当に物悲しくなってきます。

新潟港に入港する時はですね。
海上保安庁の大型の巡視艇、最近は余り大型の舟は使わないでいるんですけども、そういう船が先導して入って来るんですね。
で、ゴムボートで新潟港の河川の周りを周回して危険物は無いか?
そういった行動をしながら守られながら入港してくるんですよ。
あの船は民間の船という事になってますよね?万景峰号は?
そんな民間の船だったら、危険だったら、当然入港させないのが筋だと思うんですよ。
日本は、海上保安庁はそれを守ってあげなければと行き来出来ないような、そんな状態だったらば入港させない。
と言うのが一番だと思います。

それから最後にですね。
西村眞悟先生が弁護士法違反で捕まって、一時臭い飯を食べてきた所なんですが、今現在は国会に戻って活躍をしていますが。
この拉致被害者救出の運動の発端と言うのは西村眞悟先生が国会で声を上げ、それで周知して戦ってたからこそ、現在につながってるんですね。

弁護士法違反と言う罪は罪なんですけども、それにあまり足を引っ張らないで、ますますこれからも国会でも継続して拉致被害者救出運動に携わって頂きたいなと。
また皆さんのそういった目で見て上げて頂きたいと思います。
西村眞悟先生、大阪で裁判を受けるわけなんですが、罪は罪としてなるべく穏便にお願いしますと。
我々拉致被害者の救出から考えれば無くてはならない人なんですと、言う事を最後にお願いして終わります。
ありがとうございました。(拍手)


参考過去エントリー

06/4/12質疑応答通訳:西岡力氏;参照

蒼き星々掲示板(サブボード)参照


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このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年5月 6日 (土)

島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(和訳)

北朝鮮による外国人拉致について

教授・島田洋一
福井県立大学教授
救う会全国協議会副会長

2006年4月27日

米国下院 国際関係委員会アジア太平洋小委員会・国際人権小委員会共催「北朝鮮:人権最新状況と国際拉致」

少なくとも12カ国が関係している

  北朝鮮の拉致問題に関して、私の意見と情報を提供する貴重な機会を与えてくれることを委員長、および委員会の皆様に感謝する。
 日本政府は日本人11件計16人を公式に北朝鮮による拉致事件として認定している。この数字は、しかし、氷山の一角にすぎない。
 暴力的な誘拐の他にも、多くの人々が北朝鮮におびきだされ、拘束されていると思われる。
 正確な数字を出すことは困難だが、私は100人以上の日本人が拉致されたと推定している。
 これらの日本人被害者に加えて、おびただしい数の韓国人拉致被害者がおり、これについては後ほど韓国人の証言者が詳細に述べるだろう。
 北朝鮮亡命者は私に対し、1976年にキム・ジョンイルが北朝鮮のスパイ活動を向上させるため、外国人を組織的に利用するという極秘命令を出したことを教えてくれた。彼はこれを「スパイ教育のローカリゼーション(現地人化)」と呼んだ。北朝鮮による拉致は継続的に行われたが、拉致が加速して行われたのはこの命令の後である。
 1977年から1978年にかけて、13歳の横田めぐみを含めた少なくとも11人が拉致されている。
 5人の韓国人高校生も1977年から1978年にかけて拉致されている。
 4人のレバノン人女性も1978年に拉致されている。そのうち1人は、今も北朝鮮にいる。
 また、少なくとも2人の中国人女性と1人のタイ人女性が1978年の同じ日の夜に、北朝鮮によってマカオから拉致されたことが確認されている。彼女らは皆20代前半だった。
 米軍を脱走し、今は日本に住んでいるチャールズ・ロバート・ジェンキンスは、私に対し、ドナというルーマニア人女性もまた北朝鮮に拉致され、北朝鮮で暮らすことを強いられていることを伝えてくれた。
 レバノン人女性らは何とか北朝鮮から帰還した後に、北朝鮮のスパイ訓練場に送られ、一緒に講義の他、柔道、テコンドー、空手、盗聴技術等のトレーニングを受けていたと証言している。彼女らは、訓練場に3人のフランス人女性、3人のイタリア人女性、2人のオランダ人女性、その他の西洋人女性と中東の女性と見られる女性を含んだ28人の女性らがいたことを記憶している。(1979年11月9日、レバノンの新聞El・Naharより)
  1978年にシンガポールで拉致され,1986年なんとか脱出した有名な韓国人女優・Choi Un-heeは、北朝鮮でヨルダン人女性と一度短い会話を交わしたことがあると証言している。
 Choi Un-heeは、また、フランス人女性が外見の良い北朝鮮の男性によって拉致された話を耳にしており、北朝鮮工作員・キムヒョンヒも同様の話を記憶しておりこれを伝えている。
 このように、一連の北朝鮮による拉致によって影響を受けた国は12カ国にものぼる。日本、韓国、レバノン、中国、タイ、ルーマニア、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、マレーシア、シンガポールである。
 これらの情報がより広く入手できるようになったことを受け、私は以下のことを強く提案したい。失踪者の友人、親族、政府は、もし北朝鮮が関与した可能性がわずかでもあるならば、それらの事件を北朝鮮の関与を考慮にいれて再調査すべきである。これは、特に1977年、1978年に失踪した10代および20代の人物にあてはまる。
  

拉致の目的

 日本人失踪者を取り返す活動を通じ、私は「なぜ北朝鮮は外国人を拉致するのか」との疑問を持った。過去の事例から、北朝鮮は以下の6つ理由のために拉致をしたと思われる。
 1 不幸にも北朝鮮工作員と遭遇した目撃者を排除するため
 2 被害者の身分を盗み浸透するため
 3 北朝鮮工作員に被害者の言語や習慣を教えさせるため
 4 洗脳し秘密工作員にするため
 5 被害者の特殊な技術等を利用するため
 6  脱走者や拉致被害者といった北朝鮮に住む特殊な外国人の配偶者にす    るため

 言うまでもなく、これらの6つのパターンは相互に相容れないものではなく、実際には多角的に利用している方がより一般的であろう。
 これらの目的のうち、1番は古くから一貫して実行されている。2番、3番、4番は上述した1976年のキム・ジョンイルの命令から生じたものであり、彼の言う「スパイ教育の現地人化」のためのものである。女優Choi Un-hee’sの事例は5番である。最後の6番は言わば、犯罪が新たな犯罪を生じさせた類型である。(訳者注:crime-generates-new-crime category of deedがうまく訳せなかった)

テロ放棄の証明としての拉致被害者の解放

 なぜ平壌が多くの拉致被害者を解放しないのかということを学ぶために、多くの努力が費やされてきた。横田めぐみや他の日本人拉致被害者については、彼らが地元の言葉や習慣を北朝鮮工作員に教えることを強いられてきたことが確認されている。
 そのため、もし彼らが解放されれば、彼らは日本や他の場所で活動している北朝鮮工作員を見分けることができる。
 私はこれが北朝鮮が被害者の解放を拒む理由だと考えている。
 言い換えれば、もし、北朝鮮がテロ訓練、すべての秘密工作、世界各地へのスリーパーの潜伏をやめる決定をするならば、そのとき,すべての教官、拉致された外国人を即座に解放できるはずである。
 北朝鮮が拉致被害者の解放を拒絶しているこの事実こそが、まさに北朝鮮がテロを放棄する意思のないことの確かな証拠なのである。
 私は北朝鮮に対するあらゆる経済援助により先に、核計画の検証可能な放棄を求めるアプローチはまったく正しいと思う。同様に、検証可能なテロの放棄もまた、あらゆる経済支援に先だって要求されるべきである。拉致被害者の解放は、テロの放棄に不可欠の要素である。つまり、拉致問題が未解決のまま残っている間は、我々は北朝鮮がそのテロ計画を放棄しないだろうと考えざるを得ないのである。我々はこのようにして行動すべきである。

北朝鮮に拉致された子供達

 横田めぐみは北朝鮮に13歳で拉致された唯一の日本人ではない。他にも13歳で拉致された日本の少年、寺越武志がいるのである。
 1963年、寺越武志は二人のおじらとともに漁船から失踪した。亡命者によれば、その漁船は日本の水域で北朝鮮工作船に衝突された。北朝鮮人達は目撃者を排除するため、日本人の漁師らを連れ去った。この事件は、1987年におじのひとりが日本の親類に手紙を送った時に北朝鮮による拉致事件だと確認された。
 武志の母親ははじめ彼の息子を取り返すため,他の被害者家族とともに活動していた。しかし、武志は北朝鮮に自分は拉致されたのではなく北朝鮮の船に救助され幸せに暮らしていると発言することを強制された。結果、母親の態度は変わり、彼女は今、日本政府に対し彼女の息子の名前を拉致被害者リストに加えないよう求めている。母親は平壌の武志のアパートをたびたび訪問することを許されている。彼女は明らかに北朝鮮当局と当局に将来の訪問を拒絶されることを恐れている。
 個人的には、日本政府はもっと前に武志と二人のおじを公式に拉致被害者として認定するべきであったと思う。北朝鮮にあやまったメッセージを送ってはいけないのである。
 北朝鮮の船が武志を救助したというのはばかげた話である。
もし、それが本当であったとしても、(もちろん本当ではないが)13歳の少年を救助したのにそれを両親に何十年も知らせないのは拉致にほかならない。(訳者注:ここの内容については自信がない)
 北朝鮮によって殺されたとされている武志のおじの3人の息子は家族会の活動的なメンバーであり、日本政府に対しこの事件を公式に拉致と認定するよう求めている。米国下院議会は北朝鮮による拉致事件を2005年7月11日の決議において、「テロ活動であり、人権に対する広範な侵害である」と非難しており、寺越武志の事例にも以下のとおり言及している。

 北朝鮮工作員は子供達を拉致し、自分の子供に何が起こったのか分からないまま暮らす両親に想像もつかない苦しみを与えた。寺越武志のケースでは、13歳の少年がふたりのおじとともに漁船から拉致された。

 この決議は我々をとても勇気づけてくれた。重ねて感謝を申し上げたい。
 私が指摘したように少なくとも5人の韓国人高校生もまた、北朝鮮に拉致されている。そして、日本人高校生の拉致が疑われる事例がいくつかある。私は個人的に、北朝鮮による拉致が日本人と韓国人だけであると限定することは間違いだと思う。

結婚の隠された目的:米国脱走兵と拉致された女性達

 1965年に北朝鮮に脱走した米軍軍曹・ジャールズ・ロバート・ジェンキンスは2004年に日本に帰還した後、以下のように証言している。彼は北朝鮮でのその厳しい生活を(訳者注:on an on-and-off basisは翻訳できず。おそらく頻繁に転々としながらとか入れ替わりなどとの意味ではないか)3人の脱走米兵、Pfc. James Joseph Dresnok (August 1962), Pvt. Larry Allen Abshier (May 1962), Cpl. Jerry Wayne Parrish (December 1963)らと過ごしていた。
 これらのアメリカ人脱走兵はすべて北朝鮮で外国人拉致被害者と結婚していた。
 日本から拉致されたときまだ若かった曽我ひとみはジェンキンスと結婚した。彼女は、今日本で勉強に打ち込みキャンパスライフを満喫している2人の娘を産んだが、ひとみとともに拉致された母親はいまだ行方不明である。北朝鮮は彼女の母親が入国した記録はなく彼女の母親については何も知らないと主張している。彼らの主張にはまったく信憑性がない。ひとみは彼女自身が拉致被害者でありながら、また、被害者の娘でもある。
 Siham Shraitehは1978年,日本での偽りの仕事のオファーによってだまされ、北朝鮮に連れてこられた。彼女はParrishと結婚し、3人の息子をもうけ、3人の息子は今も北朝鮮で生活しているが、パッリシュは1997年8月死亡した。
 1978年マカオから拉致されたアノーチャ・パンジョイはアブシャーと結婚したが、アブシャーは1983年に死亡した。
 数年後、アノーチャはジェンキンスに対しドイツ人男性と結婚するところであると語っている。これがジェンキンスのアノーチャに関する最後の目撃証言である。
 ルーマニア人女性・ドナはドレスノクと結婚した。ドナは死ぬ前、ジェンキンスに以下の話を伝えた。
 彼女の母親はロシア人で父親はルーマニア軍の幹部であった。彼女は一度あるイタリア人と結婚して離婚した後、離婚手当を用いてイタリアの芸術学校に入学した。
 その後、他のイタリア人男性が彼女に近づき、彼女に対しソロエキシビジョンの仕事をするため、ロシアと北朝鮮経由で香港に行くことを要求した。彼女は北朝鮮に取り残され、イタリア人男性はいなくなった。ドナは1997年に肺ガンで死んだ。彼女が土葬しないでほしいと求めていたため、ドレスノクは彼女の遺体を火葬した。ドレスノクは Danaという北朝鮮とトーゴとのハーフと再婚した。ジェンキンスはまた、北朝鮮のスパイ組織のリーダーがおそらく外国人カップルの子供を利用しようと考えていること、混血の子供達を秘密工作員として、特に混血がめずらしくない米国外の米軍基地周辺で利用しようとしているだろうと発言した。
 ジェンキンスは、北朝鮮当局が彼の娘を平壌外国語大学に入学させるよう指示したとき、落胆した。ご存じかも知れないが、1987年のコリアンエアラインの爆破犯人、キム・ヒョンヒはこの大学の在学中に北朝鮮当局に秘密工作員として選抜された。
 このことや他の証拠から、北朝鮮に拉致された女性は二重の苦しみを受ける。ひとつめは、自国における若い人生が拉致によって突然台無しにされることである。ふたつめは、被害者である彼女らは母親となり、その子供達は彼女らの憎む北朝鮮の秘密工作員となることである。

北京は救出の努力を妨害している

 北京は国連難民条約の加盟国でありながらこれを破り、不幸な北朝鮮難民を狩り続け、キム・ジョンイルの拷問官のもとへ送り返している。送り返された者達の中には、拉致された外国人や彼らの家族、拉致被害者の居場所について有用な情報を持っていた者達もいたにちがいないし、将来もその可能性がある。
 そのため、私は中国当局が拉致被害者を取り返すという我々の努力を組織的に妨害していると言わなければならない。
 さらに、北京は自国の拉致被害者を取り返すため何の努力もしていないようである。ある例を紹介させてほしい。
 ともにマカオの住人で20歳のHong Leng-iengと22歳のSo Mio-chunは1978年7月2日、北朝鮮工作員に拉致された。マカオはそのときポルトガルの植民地であったが、1999年に北京に返還されている。ゆえに二人の拉致被害者は今は中国の国民である。彼らの家族も中国の国民である。
 私と私の仲間達は様々な証言からこの事件を拉致と確認した。例えば、韓国人女優・Choi Un-heeは1978年1月に香港から拉致され1986年脱出しているが、彼女は平壌にあるいわゆるゲストハウスで一時期Hong Leng-iengと暮らしていたと証言している。
 Choi Un-heeはHong Leng-iengのクリスチャンネームがマリアであったことを憶えていた。我々はHong Leng-iengの家族にこの名前について確認した。家族らは彼女がカトリックの洗礼を受けたことは知っていたが、彼女のクリスチャンネームは知らなかった。彼らは彼女の所属していた教会に赴き、彼女の洗礼名が実際にマリアであることを発見した。
 Choi Un-hee はHongが平壌で中国語を教えることを強制されていると語った。
 我々の組織は東京の中国大使館のスタッフにこれらの市民の状態を知らせようとしたが、彼らは面会を拒絶した。ゆえに、我々は文書を中国大使館に郵送した。返事はまったくなく、彼らはただ我々を無視している。
 北京はただ、難民を北朝鮮に送り返して外国人拉致被害者の救出を妨害しているだけではなく、冷血にも北朝鮮に拘留されている自国民を見捨てている。 このような政権にはたしてオリンピックを開催する資格があるだろうか。もし、世界が脱北者狩りを公式なスポーツに採用するほどに堕落してしまうのなら、中国はそのイベントを開催するもっともふさわしい場所といえよう。そして、疑いなく中国チームは金メダルに輝くだろう。
 しかし、私の中の良識は私に北朝鮮難民を狩り続ける限り、北京はオリンピックを開催するにふさわしい場所ではないと言うのである。
 北朝鮮について言及すると、北朝鮮は生きることはできず、されど去ることもできないところと言われており,それはまさに地獄の定義そのものである。(訳者注:うまく翻訳できず,LIVE(生きる)とLEAVE(去る)をかけた皮肉?)そのとおり、そして北京は地獄の協力者である。中国共産主義者のリーダーは自分自身を恥じるべきである。

経済制裁による体制変更

 私は体制変更こそが拉致問題解決のため、さらに言えば核問題、ミサイル問題解決のための唯一の方法だと考えている。無責任かつ中途半端な手段は役に立たない。ゆえに問題はいかに体制を変更するかなのである。
 勝利するために近道はありえない。私の考えでは、経済圧力が鍵となるだろう。これについては平壌だけではなく、北京にも圧力をかけるべきである。
 このために、昨年9月アメリカが実行した金融制裁は正しい動きである。この制裁は他にも北朝鮮と協力している中国の銀行も標的にしている。私は米国がこれらの手段をさらに拡大し、他の国も米国に続くことを望んでいる。
 日本政府は安倍晋三官房長官の強力なリーダーシップの下、最近北朝鮮に対して様々な手法を用いて圧力を強化している。これはとても心強いことである。
 2年前、日本の国会は2つの重要な法案を可決した。ひとつは改正外国為替及び外国貿易法で、この法律は政府に対し、日本の安全と平和のために必要と判断した場合には、政府が貿易や送金を停止することができるようにしたものである。
 ふたつめは政府に対し、特定の船舶の日本への入港を阻止することを認める法律である。日本はいまや首相の決断さえあれば、北朝鮮の船舶だけではなく、中国の船や日本籍の船であっても、北朝鮮の港に入港した船を入港禁止にできるのである。
 個人的には、この強力な道具の適用が長い間延期されすぎていると思う。今こそが、全面的な経済圧力の時なのである。
 私にキム・ジョンイルへのメッセージはあるだろうか。いや私にはない。彼には希望はない。私はただ彼にできるだけ早く歴史の灰だまりのなかにおちてほしいと望むだけである。
 しかし、私は彼の周囲の人たちにはメッセージがある。キム・キョンイルを抹殺して拉致被害者及び家族、友人の自由と安全を保証してほしい。すなわち、キム・ジョンイルと取り巻き以外のすべての人たちである。そのとき、北朝鮮は制裁を解除され世界中から多くの資金援助を受けられることだろう。
 ありがとうございました。

陳述書英文


電脳補完禄さんより転載

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島田洋一教授が米下院に提出した陳述書

救う会副会長の島田洋一福井県立大教授が米下院に提出した陳述書

At Least 12 Countries Affected

Mr. Chairman and Committee Members, thank you for giving me this precious opportunity to share my information and views on the North Korean abduction issue.
The Japanese government has officially recognized 11 cases involving 16 Japanese nationals who were abducted by North Korea. This figure, however, is just the tip of the iceberg.
Along with violent kidnap, a number of people seem to have been lured to North Korea and then held. Although it’s hard to be certain, I estimate that over one hundred Japanese have been abducted.
In addition to these Japanese victims, there are numerous South Korean abductees, on whom Korean witnesses before this committee will later elaborate.
North Korean defectors have told us that in 1976 Kim Jong-il issued a secret order to use foreign nationals more systematically and thereby improve the quality of North Korean spy activities. He dubbed it “localization of spy education.” Although abduction had been conducted consistently by the North, it was after this order that the kidnap operation went into high gear.
At least eleven Japanese, including thirteen-year-old Megumi Yokota, were abducted in 1977 and 1978. Five South Korean high school students were also abducted in 1977 and 1978.
Four young Lebanese women were also kidnapped in 1978. One of them is still being held in North Korea.
It was also confirmed that at least two Chinese women and one Thai woman were abducted by North Korea from Macau on the same night in 1978. All of them were in their early 20s.
U.S. Army deserter Charles Robert Jenkins, who is now living in Japan, told us a Romanian woman named Dona was also kidnapped and forced to live in North Korea.
The Lebanese women, after having managed to escape, testified that they had been sent to a North Korean spy camp and given indoctrination lectures together with physical training, including Judo, Taekwondo, Karate, and eavesdropping exercises, among others. They recalled there had been 28 young female trainees in the camp, including three French, three Italians, two Hollanders, and other Western European and Middle Eastern looking women (Lebanese newspaper, El Nahar, November 9, 1979).
The renowned South Korean actress Choi Un-hee, who was abducted from Hong Kong in January 1978 and managed to escape in 1986, testified that in North Korea she had once exchanged brief words with a Jordanian woman.
Ms. Choi Un-hee also had heard about a French abductee lured by a “good-looking North Korean man.” North Korean ex-agent Kim Hyon-hee told a similar story in her memoirs.
There is a case of five missing young women from Singapore in August 1978, four Singaporeans and a Malaysian, in which North Korean involvement is also highly suspected. Ms. Choi Un-hee said she had heard about the presence of Malaysian abductees.
It appears therefore that the countries affected by the North Korean abduction apparatus amount to at least 12: Japan, South Korea, Lebanon, China, Thailand, Romania, France, Italy, Holland, Jordan, Malaysia, and Singapore.
As this information becomes more widely available, I strongly urge those concerned-- governments, relatives and friends of missing persons -- to reexamine their cases in light of the North Korean connection if there is even a remote chance of its involvement. This is especially true for cases from 1977 and 1978 in which the missing persons were in their twenties or teenagers.

Objectives of Abduction

In attempting to recover Japanese missing persons I have also considered the question“Why do North Koreans abduct foreign citizens?” Six patterns emerge from the past cases. North Korea appears to abduct foreign citizens in order to:

1,eliminate hapless witnesses who happened to run into North Korean agents in action
2,steal victims’ identities and infiltrate agents back into the countries concerned
3,force abductees to teach their local language and customs to North Korean agents
4,brainwash them into secret agents
5,utilize abductees’ expertise or special skills
6,use abductees as spouses for unusual residents in North Korea, especially to lone foreigners such as defectors or other abductees

Needless to say, these six patterns are not mutually exclusive. In fact,“multiple-utilization” may be rather common.
Among these objectives, the first is old one and was consistently performed practice. Numbers 2, 3, and 4 derive from Kim Jong-il’s above mentioned secret order in 1976, and contributed to his “localization of spy education.” Actress Choi Un-hee’s case falls into Number 5. The last, Number 6, is, so to speak, a crime-generates-new-crime category of deed.

Victim’s Release as “Verifiable Renunciation of Terrorism”

Considerable effort has been invested to learn why Pyongyang has not released most of its abduction victims. Megumi Yokota and other Japanese abductees have been confirmed to be forced to teach their own local language and customs to North Korean agents. So, if released, they would be able to identify Pyongyang's agents operating in Japan and elsewhere.
This I believe is the principal reason why North Korea is refusing to release them. In other words, if North Korea makes a decision to stop terrorist training and withdraw all secret operatives and sleeper cells hiding in various places in the world, then it could release all their teachers -- abducted foreigners -- at once. The very fact that North Korea refuses to release these abductees is a sure sign that it has no intention of abandoning terrorism.
I think it is exactly the right approach to demand verifiable dismantlement of nuclear programs as a prerequisite for any financial aid to North Korea. By the same token, the “verifiable renunciation of terrorism” should also be demanded as a prerequisite for any financial aid. The release of the abductees is an indispensable factor in this renunciation process.
In short, so long as the abduction issue remains unresolved, we cannot help but assume that North Korea will not abandon its terrorist programs. We should act accordingly.

Children Abducted by North Korea

Megumi Yokota is not the only 13-year-old child abducted by North Korea. There is another 13-year-old victim, a Japanese boy named Takeshi Terakoshi.
Takeshi disappeared from a fishing boat along with his two uncles in 1963. According to a defector, the fishing boat was rammed by a North Korean spy ship in Japanese waters. North Koreans carried off the three Japanese fishermen to eliminate witnesses.
The incident was confirmed as a North Korean abduction case when one of the uncles managed to send a letter to Japanese relatives in 1987.
Takeshi's mother at first worked hard with other victims’ families to recover her son. But Takeshi was forced to declare he had not been abducted but instead “rescued” by a North Korean ship and that he is living “happily” in North Korea. Accordingly, his mother’s attitude changed and she now asks the Japanese government not to include her son's name on the victims list.
The mother has been allowed occasionally to visit Takeshi at his apartment in Pyongyang. She is obviously afraid of antagonizing the North Korean authority and of being denied further entry into the country.
In my opinion, the Japanese government should have officially recognized Takeshi and his two uncles as abduction victims many years ago. Not doing so sent the wrong message to North Korea. The North Korean ship “rescuing” Takeshi is just a ridiculous story. Even if it were true, which it is not, rescuing a 13-year-old boy and not notifying his parents for several decades is nothing but kidnapping.
Three sons of one of Takeshi's uncles, who is claimed to be dead by North Korea, are active members of the Abductees Families Association and have demanded that the Japanese government officially recognize the case as abduction.
The U.S. House resolution condemning North Korean abduction as “acts of terrorism and gross violation of human rights,” which passed the House of Representatives on July 11, 2005, rightly referred to Takeshi’s case as follows:

Whereas North Korean agents have abducted children, causing unimaginable anguish to parents who live decades with the uncertainty of what has happened to their child, as in the cases of Takeshi Terakoshi, a thirteen-year-old boy kidnapped from a fishing boat with his two uncles. . .

This resolution has given us great encouragement. Here, I want to say Thank You again.
I have pointed out earlier that at least five South Korean high school students were also abducted by North Korea. There are several suspected cases involving Japanese high school students too. In my opinion, it is a mistake to assume that North Korea’s abduction of children is limited only to the Japanese and the South Koreans.

Marriages with a Hidden Purpose: US Deserters and Abducted Women

Charles Robert Jenkins, who deserted to North Korea in January 1965 when he was a U.S. Army Sergeant, testified after his repatriation to Japan in 2004 that he shared his harsh life in North Korea, on an on-and-off basis, with three other alleged U.S. Army deserters: Pfc. James Joseph Dresnok (August 1962), Pvt. Larry Allen Abshier (May 1962) and Cpl. Jerry Wayne Parrish (December 1963).
All four American deserters married foreign abductees in North Korea.
Ms. Hitomi Soga, who was a young woman when she was abducted from Japan, married Mr. Jenkins. She gave birth to two daughters who are now studying hard and enjoying campus life in Japan but Hitomi’s mother, who was abducted along with her, is still missing. North Korea has claimed that her mother’s entry into the North had not been documented and they say they knew nothing about her. Their claim is entirely without credibility. Hitomi herself was a victim of abduction and is still the daughter of another abduction victim.
Ms. Siham Shraiteh, a Lebanese, who was deceived by a fictitious job offer in Japan and taken to North Korea in 1978, married Mr. Parrish and gave birth to three sons who are living in North Korea. Mr. Parrish died in August 1997.
Ms. Anocha Panjoy, a Thai who was kidnapped from Macau in 1978, married Mr. Abshier. Mr. Abshier died in 1983. Several years later, Ms. Anocha said to Mr. Jenkins that she was about to remarry a German. That was the last time Mr. Jenkins saw her.
A Romanian woman named Dona married Mr. Dresnok. Dona told Mr. Jenkins the following story just before her death.
Her mother was a Russian and her father a Romanian Army officer. She had once married an Italian. After divorce, she entered an Italian art school using her alimony to pay for it.
Subsequently another Italian man approached her and asked her to go to Hong Kong via Russia and North Korea to do some preparatory work for her possible solo art exhibition. She was then left stranded in North Korea and the Italian man disappeared.
Dona died from lung cancer in January 1997. As she had asked not to be buried in North Korean soil, Mr. Dresnok had her body cremated. Mr. Dresnok then remarried a woman named Dada, who is half North Korean and half Togolese.
Mr. Jenkins has suggested the North’s spymasters would quite probably consider using the children of foreign couples and children of mixed race as secret agents, especially for work around U.S. military bases overseas where mixed race marriage is not uncommon.
Mr. Jenkins said that he felt depressed when North Korean authorities ordered his daughters to enter the Pyongyang Foreign Language College. As you may be aware, Kim Hyon-hee, a perpetrator of the Korean Airline bombing in 1987, was picked out as a secret agent by the authorities when she was a student of that college.
This and other evidence indicates that women abducted by North Korea seem to be tormented by a double agony. First, as a young adult, each woman’s promising life in her own country is suddenly destroyed by the kidnapping. Then these victims become the mothers of children who, in turn, are forced to become secret agents of North Korea, the regime she detests.

Beijing Obstructs Rescue Efforts

Beijing continues to hunt down hapless North Korean refugees and drive them back to Kim Jong-il’s torture chambers in violation of the U.N. Refugee Convention, of which it is a signatory. Among those forcibly sent back, there must have been, are, and will be abducted foreign nationals, their family members, and people who have valuable information on abductees’ whereabouts.
So, I have to say that the Chinese authorities are systematically obstructing our efforts to recover abducted victims.
Moreover, Beijing appears to make no effort to rescue its own abducted nationals. Let me give you an example.
Two Macau residents, 20 year old Ms. Hong Leng-ieng and 22 year old Ms. So Mio-chun, were abducted by North Korean agents on July 2, 1978. Macau was a Portuguese colony at the time but fell back into Beijing’s control in 1999. The two abductees therefore are Chinese nationals now. Their family members also are Chinese nationals.
My colleagues and I were able to confirm this case as abduction through various interviews. For example, South Korean actress Choi Un-hee who was kidnapped from Hong Kong in January 1978 and succeeded to escape in 1986, testified that she temporarily lived with Ms. Hong Leng-ieng at a so-called “guest house” in Pyongyang.
Ms. Choi Un-hee remembered that Ms. Hong’s Christian name was “Maria.” We asked family members of Ms. Hong about this name. They knew that she had baptized as a Catholic but did not know her Christian name. They ran into the church to which she had belonged and found out that her baptized name in fact was “Maria.”
Ms. Choi Un-hee said that in Pyongyang, Ms. Hong had been forced to teach Chinese language.
Our organization tried to inform the staff of the Chinese Embassy in Tokyo about the abduction status of their citizen but they refused to meet. Therefore, we mailed written materials on the case to the Chinese Embassy. There has been no response at all. They have just ignored us.
Beijing is not only obstructing rescue efforts of abducted foreigners by sending refugees back to North Korea but it is cold-bloodedly deserting its own nationals held in North Korea. Is this kind of regime qualified to hold the Olympic Games?
Were the world degenerate enough to adopt a refugee hunt as an official sport, China would be the most suitable place to hold the event. And, no doubt, team China would win the Gold Medal. But common sense tells us that Beijing is not an appropriate place for the Olympic Games so long as it continues to brutally hunt down North Korean refugees.
Referring to North Korea, it has been said that a system where you can't live but you cannot leave is the definition of hell. Yes, it is, and Beijing is the co-manager of that hell. Chinese communist leaders should be ashamed of themselves.

Regime Change through Economic Squeeze

I’ve long since come to the conclusion that regime change is the only way to resolve the abduction issue, and the nuclear issue and missile issue, for that matter. Feckless half measures won’t work.
The question, therefore, is how to achieve regime change.
There is no shortcut to victory. In my view an economic squeeze is the key. In this, not only Pyongyang should be pressured, but also Beijing.
To this end, the financial sanctions launched by the United States last September are exactly the right move. Those sanctions are targeting, among others, Chinese banks joining hands with Pyongyang. It is my hope that the United States will ratchet up these measures and that other countries will follow the U.S. lead.
The Japanese government, under the strong leadership of Chief Cabinet Secretary Shinzo Abe, recently has strengthened economic pressure against North Korea using the various tools at hand. This has been encouraging.
Two years ago, the Japanese National Diet passed two important bills. The first is the Revised Foreign Exchange and Foreign Trade Law that enables the government to halt trade and monetary remittances to any country if the government judges that "it is necessary for the maintenance of the peace and safety of our country."
The second is a bill that would allow the government to prevent specified vessels from entering Japanese ports. Japan now can ban the entry not only of North Korean ships, but any ship, say a Chinese or even a Japanese flag vessel which stops at North Korean ports, if the Prime Minister in his discretion decides to do so.
In my opinion, the implementation of this powerful tool is long overdue. Now is the time for an all-out economic squeeze.
Do I have a message for Kim Jong-il? No, I have none. He is hopeless. I just want him to fall into the ash heap of history as soon as possible.
But I have a message for the people surrounding him: Eliminate Kim Jong-il and secure the safety and freedom of the abductees, their family members, their friends, their friends’ friends. That is, for all except Kim Jong-il and his henchmen. Then North Koreans can expect not only the lifting of sanctions but also tremendous financial aid from all over the world.
Thank you.

陳述書和訳へ


電脳補完禄さんより転載

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日本再生フォーラム 荒木氏講演質疑応答

質疑応答 回答者:荒木和博氏 

※この講演会での質疑応答は事前に質問を文書で出しておき、その中から荒木氏ご本人が質問を選んで回答するという形式を取っています。
従ってこの質疑応答は質問の朗読・回答どちらも荒木氏ご本人が行っているのですが、テキスト上では質問と回答の区別をつけて、読んで分かりやすいように文章の構成をしております。
その事を予めご理解の上でテキストをお読み下さるよう、お願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんご質問を頂きましてありがとうございます。
できるだけお答えをしたいと思います。

★質問1
まず、経済制裁はなぜ出来ないのか?
ご家族に対して説明はなされているのか?という事でございまして。

★回答
このご家族に対する説明の方は、誤魔化そうと・・・・・・・・・。(聞き取れず)
政府は経済制裁を出来ない理由を説明していない。
なぜか?というということで、これは私どもも良く分かりません。
ある意味でかなり執拗に、断固として経済制裁をしたくないと言う意思を感じます。

北朝鮮は逆にですね。
経済制裁の動きがあった一昨年の、てか3年前の年末くらいですか?
経済制裁の動きがあって公安がですね。
審議をされていると、いう時に何をやったかと言うと、平沢勝栄さんあるいは山崎拓さんと中国でのですね。
会談をやりまして、そして一昨年の5月ですか?
子供さんたちを返してきたということで、おそらく経済制裁をやられては絶対に困るというものがあるんだと思います。
困ると言うものがあるので、日本の側にもとにかく「これだけはしないで貰いたい」と言う事をいろんなルートを使って言っているんだろうと思います。
これが経済制裁と言うが進めば、非常にいろんな物が変わって参ります。
それをしない・させないという事は単に北朝鮮側の意向と言うことと日本の政権だけの意向じゃなくて、ひょっとしたらそれ以外の意思も働いているのではなかろうか?と。

一つは中国はやはり経済制裁させたくないでしょうし、韓国もさせたくないと思うんですが、場合によったらひょっとしたらアメリカも何かあるのかな?と、いう感じもちょっとしたりしております。
これは正直言って絶対こうだと言う回答は私にもございません。
アメリカがやってる事はですね。
金融制裁、この偽ドルやなんかの問題につきましてこれは北朝鮮に対してどの程度の効果があるか?
また日本政府はこれに呼応した動きをすると思われるけれども、アメリカに加えて日本政府の圧力はいまひとつ及び腰である。
この理由は何か?と言うご質問がありまして、ですからやっぱり経済制裁への及び腰だということにはいろんな事が、さっき言った様な事もありますし、場合によったら何かの脅迫をされているのかもしれない。

例えば東京中枢でですね。
かつてのオウムのサリン事件とか、ああいうのに匹敵するものとか、あるいは新幹線に爆弾を仕掛けるとかですね。
そういうような事で大混乱を起すと、あるいは原発を狙ったテロであるとか、そういう事をやるぞと言うような脅しもされている可能性もあるのではないだろうか?と思います。
これは一つや二つではない、と言うことだろうと思っております。

★質問2
それから、北朝鮮の体制が崩壊すると直前に拉致被害者への危険が及ぶ可能性がある、と言うことは無いだろうか?と言う事で。

★回答
これはもう相手が向こう側にいる限りは、その可能性は最後の最後まで絶対に捨て切れません。
それをどうするか?
じゃあ穏便にやれば取り返せるか?と言うと取り返せない。
取り返せないどころか時間が経てばですね。
その前に、場合によっては命を落とす人が出てくる可能性もございます。
ですからここはですね。
もう気合でやるしか仕方が無いです。

かつて9.17の時にですね。
あの飯倉公館で、私ご族と一緒に政府からの宣告みたいな物を聞いておりまして、そして最初に横田めぐみさんのご両親、双子の弟さんと一緒に呼ばれてですね。
「めぐみさんは亡くなっております」と、言う話を聞いたときは私はですね。
これは拉致の救出運動に関っている者は、誰も大なり小なり皆心の底にあると思うんですが、この救出運動で北朝鮮を刺激して拉致被害者に危害が加わるんじゃないだろうか?
言う思いがこれ当然あるわけでございまして、あの時はですね。
これは本当の事になってしまったんだと、自分のやってる事は人殺しだったんだと言う思いでですね。
本当に茫然自失と言う思いをした記憶があるんですが、これから先だって、そういう事を思う事が無いという保障は正直言って全くございません。

そうなったらばどうしなければいけないか?
と言うことの最低限の一応覚悟をしてやっていくつもりでございますけども、そのときに、ともかくそうしないようにする為には何が必要か?
絶対にこれ何が必要か?と毅然たる態度が必要です。
もし日本人がですね。
一人にでも手をかけたらばただではおかない。
非常に言い方がキツイ言い方をすれば、「お前ら皆殺しにしてやる」と、北朝鮮の幹部をですね。
それくらいの事を言う事は絶対に必要です。

その代わりもし日本人の拉致被害者を助けてくれたらば、それはもう絶対に我々としては身柄を保護するという事をですね。
飴と鞭の両方を、こういうのを対話と圧力と言うんですね。
こういうのを使わなければいけない。
我々が絶対に取り返すんだと、言う事の意思を明らかにしている限りはそこは、北朝鮮の高官も手を出しません。
あの国のやり方からすると、今までのいろんなやり方をみてますとね。
こっちが強い時は絶対に強く出ません。
必ず引き下がります。
こっちが弱くなると偉そうな顔をする。
言う事ですので、ここは一種のチキンゲームみたいな気持ちでですね。
最後まで徹底してやるという事が必要では無いだろうか?と思います。

★質問3
それから、世論の大切さも国民一人一人の気持ちが大切なのも分かりますが、トップが代わる事で随分違うのではないかと思う。
誰が総理大臣になったらば被害者が帰ってくると思うか?

★回答
いいご質問がございました。
これは全くそうなんですけども、ある意味で言うと小泉さんのときにですね。
北朝鮮が拉致を認めて5人が帰って来たと言うのは、もちろんそういう時代になっていたと言う事もありますが、たまたま今の総理大臣がですね。
外交に全く関心が無い人であったと、尚且つしかも総理大臣になる時に、誰もあの人が総理大臣になるとは思っていなかったために、北朝鮮側はマークしていなかった。
いう事がございます。

これから先今言われている4人はですね。
皆それなりにそれぞれ北朝鮮側がマークをしておりまして、それがどれくらいの力があるか分かりませんけども、しかしですね。
それは誰がなってもそれほど極端な違いは、良い意味でも悪い意味でも私は無いんじゃないか?と思っております。
もちろん個人的に親しいとかそういう意味で言えば、安部さんにやって貰いたいとか、いう思いはありますけども、しかし安倍さんだったら全て上手く行くか?と言ったら私はそんな事は絶対にありえないと思っております。
安倍さんだってご出身の選挙区の下関というのはですね。
極めて北朝鮮とつながりの近い地域でありまして、安倍さんの選挙地盤の中にもそういう物は入っている。
安倍晋三さんが選挙に出るはるか前から出来ていたつながりでございまして、そう簡単にいくら本人がそういう意思があったとしても簡単には切れるものではない。
ですから、それでも切って貰いたいと思いますけど、これはそれだけの問題ではないと思います。

こういうふうに変わってこなかった問題と言うのはですね。
例えば金丸信ですとか野中広務ですとか田辺誠ですとか、そういう名前がいろいろ出て参りますけど、もし今まで逆にですね。
そういうそこに出て来た政治家の一人が悪くて、そうなっている問題であればその政治家が失脚したり死んだりすれば問題は解決していたはずです。
少なくとも大きく動いているはずです。
それが動かない。
金丸信が失脚しようが何をしようが事態は極端に前には進まなかった。
これはいったいどういう意味があるのか?

これはもっとですね、個々の政治家ではない、この国の戦後60年の政治構造の中に深く根ざした物があるということでございまして、これはですね。
そう簡単には引っくり返せるものではない。
変えて行かなければいけないものでありますけども、そう簡単に出来る事ではない、と言う覚悟を持って当たるしかない。
いう事ではございます。
その辺の事はタケマサ議員(?)に頑張って頂くと致しましてですね。

しかし、それでも尚且つ拉致問題がこれだけ大きな問題になって来ていると言う事はどういう意味があるのか?
これは国民の声です、断然、何をさておき。
国民の声があってですね。
これはこんな事は許しておけないと、いう事があったからここまで動いて来たんです。
それが無ければ政府だけで勝手に動くなんて言う事はありえない。

尚且つ、それと一緒にですね。
マスコミの方々がこれを報道してくれた。
いろんなこと文句を言う方はもちろんおられますし、いろんな立場の人いるわけですけども、しかしそれでもですね。
マスコミの中でこの問題何とかしたいと思ってる方が何人もおられて、その方が報道してくれたという事によって、更に多くの方がこれを知る事が出来た。
いう事は間違いなく言えると思います。

そういうものが更に大きな流れを作って行ったということでございまして、これは私は度々こういう席で報道関係の方が来ておられれば言っているんですが、報道関係の方々もこれはもちろんお仕事でやるわけで、そのお仕事の中で良い仕事を残していただければいいんですが、その書いていただく活字の一文字。
あるいは映して頂くテレビの画像のホンの5秒の画像が与える影響がいかに大きいか?
それによって動かす、その意味で言えばマスコミの方々も、やはりこの拉致の救出と言う第一線に立っているということは言えるのではないだろうか。

ですからここにおられる皆さんでもですね。
是非新聞とかテレビとか、そういう物で拉致問題でですね。
いい報道があったと言うのを御覧になった方は、それぞれの会社にですね。
電話して頂いて、「あの番組は良かった、この記事は良かった」という事を言ってですね。
「是非もっと頑張ってやってください」という事を応援をしてあげてください。
そういう事をやることによって、何とかしようと思っているマスコミの方々にですね。
追い風を与えることが出来るのだというふうに思っております。

で、質問の話に戻りますけども、ですからそういう流れはいろんな事があっても簡単に消えないと思います。
ですからこれから先、誰が総理大臣になってもですね。
私はこの拉致問題は前に進むだろうと思っておりますし、そうさせなければいけない。
いうふうに考えているわけでございます。

★質問4
それから北朝鮮の体制崩壊の可能性は?と言うことのご質問がございます。
その時の難民の問題とか、その事が出てございます。
また最近報道されています、金正日の義理の弟の復活等々についてのご質問がございますので、まとめてお答えしますと。

★回答
今金正日の義理の弟、張成沢と言いますが、この人が1月の末に復帰をして参りました。
私は、結論から言いますとこの張成沢の復帰と言うのはおそらく中国の差し金だろうというふうに思っております。
どうしてか?
一番最初に出てきたのは旧正月の日の宴会と言いますか、観劇と言いますか何かイベントがありまして、旧正月を祝うイベントがありまして、そこに金正日が座っている後ろに張成沢が立っていた。
言うのが写されてこれが復活という事になったんです。
その後、金正日の出張と言うのに同行しているのが報じられたというのもあるんですが。

非常に印象的だったのは、一番最初に写真の出たその時ですね。
この旧正月のお祝いと言うのはどういう会だったか?
普通日本で報道されているのでは全く分からないと思いますが、あの時に金正日の隣に座っていたのは中国の大使です。
で、労働新聞の記事を見ますとあの時にですね。
大使の隣はおそらく顔は良く分かりませんが間違いなく大使夫人だと思います。
こっちは金正日の部下と言うか軍の幹部なんかが座っている。
記事を見てもですね。
その時の中国の、平壌にいる外交官から仕事で来ている人から留学生から皆集められたんです。
一番最後終わった時にはその中国の人が、劇の主役なのか分からないけど芝居のそういう人たちに、花束を進呈したと書いてある。
それはつまり、中国に向けてある意味で中国を接待する集まりだったわけですね。
その後ろに来ていたと言う事がどういう意味があるか?

そして3月になりましてから中旬に張成沢は中国を訪問しました。
この事については私が気がついている限りでは、北朝鮮では報道していません。
しかし中国政府はちゃんと報道している。
で、金正日が回ったところと同じ所を回ったと言われております。
北京市の共産党の代表と会った事も書いてありますが、もっと重要な人とも会っているんだと思います。

こういうことは全て北朝鮮に対しておそらく、ここから先は完全な推測なんですが、張成沢を通して金正日をと言うか北朝鮮をコントロールしようとしているのではないか?いうふうに私は考えています。
それだけ金正日のリーダーシップは低下している、と言うことでありまして、バランスさえ崩せばいかにも簡単にあの体制を倒してしまう事が出来るというふうに感じます。
ただし、放ったらかしてもいつまで経っても中々崩壊しない。

これはあの国は朝鮮半島と言うのは、周囲が日本と中国とロシアとアメリカと言う4つの国に囲まれておりまして、どこかが面倒を見てしまう。
言う事があってですね、放っぽっといても中々潰れない。
私はもう十年以上前にですね。
北朝鮮はすぐにでも潰れると、1年以内に潰れる事に10万円賭けてやると、10年以内に潰れる事に100万円賭けてやると言いまして、誰も賭けに乗らなかったお陰で助かったんですけども(笑い声)、やはり考え方を変えまして待っていてもしようが無いから潰してしまおうと、言うふうに考え方を変えた次第でございます。

あと難民の問題があるんですが、今、後ほどお話をされます野口さんなんかが北朝鮮難民救援基金でですね。
難民で出た方の保護を一生懸命やっておられます。
中にはすでに100人くらい日本に帰って来ている在日朝鮮人の帰国者などがいると、言う事なんですが、更に出るんじゃないかと言われます。
しかし、私はですね。
一時的にはともかくとして、朝鮮半島の外に難民が出るという事はですね。
逆にかなり激減をするのではないか?と思っております。

と言うのは朝鮮半島で、北朝鮮で、今の体制が潰れてしまえばあの北朝鮮の中で十分飯が食えるんです。
あの体制があるから飯が食えない。
体制が潰れてしまってが開放政策が戻ればですね。
わざわざ危険を冒して中国へ出て行って苦労をする必要はなくなります。
そうなれば私は逆に戻る人が多くなるのではないだろうか?と思っています。

ただし、韓国に対しては離散家族とかがありますから、南に行く人は相当いるだろうと思います。
それから日本に対してはやはり在日朝鮮人の帰国者などでですね。
帰ろうとする人はいると思います。
その数、かつて入管では30万くらいと予測しておりまして、ひょっとしたらそれくらいになるかもしれませんが、それは日本の人口1億2千万5百万から考えれば30万の在日くらい帰国出来ない事はない。

まぁいろいろ問題は起きるかもしれませんが最終的には出来るだろうと言うふうに思っておりまして、そういう支援作業は韓国政府は北朝鮮を大韓民国の領土だと言って韓国の憲法に書いてありますから、それは韓国はやるしかない。
それから日本に帰ってくる人たちについてはこれはやっぱり日本がやるしかないだろう、と言うふうに思います。

日本に関係なく来る人についてはですね。
一般の難民の保護という事になりますけども、それはやはりそれなりの保護はしなければならない、というふうに私は思っております。
しかしいずれにしても日本に出来ないような事ではない、と言うふうに思います。

★質問5
それから、帰って来た5人が発言しないのは北で脅かされているからじゃないだろうか?
それから日本の中にも北のシンパが相当いるということで、これですが。

★回答
それは間違いなくあると思います。
ただ、安明進さんの話ですけども、彼に言わせるとやはり蓮池さんは特に彼は北朝鮮の中で対日工作の要員の教育をやっていると。
だからいったい日本の中でどれ位工作員がいて、彼らがどれくらいの事が出来るか?と言う事は当然知っているはずだと。
だからそう簡単に喋らないんじゃないでしょうか?というのが安さんの言い方なんですけども、それ以外にもいろいろ彼から聞くとやはり彼らが喋れないように二重三重四重にですね。
北朝鮮はタガをはめた上で日本に送り返しているという事は、間違いないだろうと言うふうには思います。
しかし、それでも尚且つやはり彼らは喋ってもらった方が、彼ら自身が北朝鮮の体制から自由になれると私自身は思っています。

★質問6
それから「金正日の料理人」藤本健二さん、著書の内容は本当か?と言うことなんですけども。

★回答
私も一回あの人にお会いした事がありますが、書いてある事自体に嘘はそんなに少なくとも無いんではないか?と思います。
ただ、書いて無い部分でですね。
かなりあの人はいろんな物を見ていると、あるいはいろんな事を知っているはずだと思います。
本人が喋りたいという思いがあるみたいですけども、やっぱり躊躇している事はいろいろあるというふうには気がついています。

★質問7
それから、久米さんのケースで警察庁長官賞をもらったのはいくつになるか?と。

★回答
警察の中でも、これ何とかしないといけないと思ってる人はたくさんいるのは間違いないですね。
これは本当にですね。
一生懸命苦労している方おられます。
それは私たちも本当に頭の下がる思いなんですけども、それだけでは中々上手くいかない。

あと警察にとってはですね。
ひとつは検察がブレーキのネタになっていることがある。
検察が逮捕状とかをですね、中々出してくれない。
結局、だから裁判が維持できなかったりすると検察にとってマイナス・減点になってしまうので中々ちゃんとやらないと言う事がありまして、これが非常に警察にとって困るという事もあるというふうに聞いています。

★質問8
それから、日本が弱いという事の原点は金丸訪朝時にあるのではないか?ということで。

★回答
あの人がいろんな物を貰ってきたりとかですね。
いろんな事をしたと言うのは事実でございますので、そういうことの中でいろんな弱みがあるという事は間違いが無いと思います。
これは北朝鮮だけではなくてですね。
どこかの総理大臣が中国の女性と大変仲良くなってしまったりですね。
そういう事はたくさんあるわけですね。

山崎拓さんなんかもあの人もほとんど・・・(聞き取れず)みたいな者ですから、北朝鮮に限らずいろんな所でいろんな事があるんでしょうが、そうすると沢山弱みを握られている。
しかし、そういう弱みを握られるなどと言うのは政治家にとっては当たり前の事でありまして、しかしこれも図々しくやると言う事が本当は必要では無いだろうか?と言うふうに思います。

ちなみに昔ですね。
若い方は覚えてらっしゃると思いますが、私のおりました民社党に春日一幸 という元委員長がおりまして、この人は特に女性関係が非常に華やかだった方でありましてですね。
あるとき、皆もう知っていた。
ある地元で演説をしたときにですね。
共産党の人間がですね。
「妾はどうした?」ってですね、野次を飛ばしたんですが、それに対して春日さんはですね。
「いやありがとう、お陰で元気にやっております」と(笑い声)いうふうに答えてですね。
これで話が続かなかったと。
山崎拓さんもですね、あれだけやるんだったらそれくらい堂々とやって貰いたいものだと思うんですが、ちょっと若干・・・(聞き取れず)な感じが致します。

それはともかくとしてですね。
ちょっとですね、そういう弱みがある事は事実なんですが、しかしそういう物だけでですね。
動かないと言うのは許されないだろうと思います。

★質問9
それからめぐみさんが金正日王朝の誰かに日本語を教えていたのではないか、と言う話が・・・(聞き取れず)本当にあるか?でございますが。

★回答
これはおそらく大体間違い無いだろうと思います。
ジョンチョルかその下のジョンウン、あるいは両方に教えたんではないだろうか?
そういうこともあるのがやっぱり北朝鮮側がですね。
出せない理由なのでは無いだろうかな?というふうに私は思っております。
まぁ理由のひとつですね。

★質問10
それから、よく国交正常化といいますけども国交正常化すれば拉致問題は解決するか?と言う事で。

★回答
そういう事をいう人がいます。
国交正常化したら自由に行き来出来るようになる。
そうしたら探せるんじゃないだろうか?いう事はありますが、これはですね。
全く嘘です。

例えば日本と台湾の間だって国交はありません。
国交無くったってですね。
お互いに自由に行き来が出来る、どこにでも行ける。
で、例えば中国と北朝鮮の間と言うのは国交が、一番強い関係があるわけですが、それだからといって中国人が全く自由に北朝鮮のどこにでも行けるか?と言えばそういうわけではない。
と言う事でございまして、そういう事は国交とは全く関係が無いわけでございます。

北朝鮮と日本の国交正常化の前にまずやらなきゃいけないのは、北朝鮮と日本をそれぞれ正常化していくということでありまして、日本と北朝鮮がちゃんと正常になればですね。
おのずから国交正常化は簡単に実現するということでございます。

★質問11
それから平沢勝栄議員が外国との折衝は二元外交と言う事で、拉致議連の事務局長を辞めたけども、なんで二元外交では悪いのか?
外務省が過去にどんな事をしたのだろう?と言う事でございます。

★回答
ここは確かにですね。
ちょっと難しい所で、外交のやり方の中に政争は水際までと言いまして、与野党が戦っていたとしても外交については、やはり外国に対しては一致してやらなければいけない。
これがひとつ当然の事ではありますが、それ以外の外交の仕方、いろいろなですね。
民間のルートとかそういう物を使ってやるという事も、有効に使える場合には使った方が良いのは事実だと思います。

ただ、個別的に言えば平沢勝栄さんのやったこと自体はあの時に、逆にですね。
正攻法から押すと言うやり方、特に経済制裁とかそういうことをやる事によってですね。
押して行こうと言うやり方に対して、ブレーキをかけることに結果的にはつながってしまった。
と言うことがあったと言う事だろうというふうに思います。

あの時、ですから3年前の年末から一昨年の4月頃にかけてはですね。
北朝鮮側もとにかく出来るだけいろんな手を使おうと思っていろんな事に手を伸ばしておりました。
私、見ていてですね。
なんでこんな事まで手をかけるんだろう?と思うほど、NGOから何からいろんな所へ手を出して日本とのルートを探っておりました。
それだけ北朝鮮にとってはこの拉致問題でですね。
経済制裁をかけられるのが怖かったということだろうと思います。

だから、だとすればあの時にこっちから手を差し伸べてはいけなかった。
もっと締め付けて北朝鮮が本当に逃げられないようにしなければいけなかった。
そのときにある意味で言えば手を差し伸べてしまったような形になってしまったという事だろうと、言うふうに私は思っています。

★最後にまとめ

大体ご質問のお答えは以上だったろうと思いますが、ともかくですね。
この経済制裁の問題なんかは効き目があるから相手側はですね。
効き目が無いと言うんですね。
北朝鮮側は経済制裁なんかやられたって全く意味が無い。
我々は心配ない。

あるいはアメリカがやって来たら直ちにですね。
100倍1000倍にして返すんだと、言う事を言ってるわけですが、こういう事を言ってる時は大体向こうは怖がっている時です。
北朝鮮と言うのはですね。
直ちにアメリカ帝国主義を倒してとか日本軍国主義は粉砕してとか言う事は、しょっちゅう労働新聞なんかを読めばですね。
毎日のように出て来る。

放送にはですね。
あの絶叫しているおばさんが出て(笑い声)しょっちゅう言ってるわけでございますけども、あんな物はですね。
アメリカ帝国主義を粉砕する、日本帝国主義を打倒すると言う言葉はですね。
おはようございます、こんにちは位に還元しておけばいいだけの話でありまして、たいした意味は無い。
言うことですから余り気にしないでですね。
向こうが怖がっているんだと言う事を逆にこちら側がしっかり理解して、有効なカードを使っていけばいいのでは無いだろうか?と言うふうに思います。
以上です。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年5月 5日 (金)

劇団てんびん座公演『この手に・・・』

5月7日(sun)最終公演です。

とても良い作品です。

横浜まで是非お運びください。

先日の神奈川集会でも、案内がありましたが、5月、ゴールデンウィークに、てんびん座という劇団が、めぐみさんの拉致を取り扱った演劇を行います。
沢山のかたに拉致の悲惨さを知ってもらいたいという願いで行われる公演です。
お近くの方はどうぞこの機会にお出かけください。

  

━━━━━━━━━━━━━━
『この手に』

  ~横田めぐみを想う~
━━━━━━━━━━━━━━

あの子を返してください
13才のあの子を・・・
生き生きと ぴかぴかだった
あの子の命を・・・
二十九年の『とき』を
返してください

日時:2006年5月
3日(水)       18:30
4日(木) 13:30/18:30
5日(金) 13:30/18:30
6日(土) 13:30/18:30
7日(日)   15:00

全休日 開場は開演の30分前

場所:相鉄本多劇場
   電話:045-319-2150

―――――――――― 
 チケット購入方法
――――――――――
前売¥2500
当日¥2800

全席自由・日時指定

◆チケットぴあ
 電話:0570(02)9999
ファミリーマートから申し込めます。

◆松林堂書店(鎌倉駅前)
  その場で購入できます。

◆相鉄本多劇場窓口
  予約受付します
―――――――――――――――
劇団てんびん座
TEL:0467-31-6565
FAX:0467-25-5777
tembinza@kamakuranet.ne.jp
http://www1.kamakuranet.ne.jp/tembinza/

<地図>


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日本再生フォーラム 荒木和博氏(1)

日本再生フォーラム第17回講演会 (06.4.16 JACK大宮ビル5階にて)
「拉致問題を通して日本のあり方を考える 第6弾 
~北朝鮮による拉致を二度と許さないために~」より

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

本日はお忙しい中、多数の皆様お集まり頂きまして本当にありがとうございます。
また、この会を主催するに当たりまして竹本代表を初めと致します、日本再生フォーラムの皆様のご尽力に心より敬意を表する次第でございます。

これから私がお話いたしますのは、今日ですね。
特に中心的な題は「拉致を二度と許さないために」と言う事でございまして、主にこれからどういうふうにするべきかという事について話をさせて頂きたいと思いますが、皆様なんと言いましてもこの所出ておりますキム・ヘギョンさんと韓国人拉致被害者・金英男さんのDNAの鑑定の結果等々をですね。
この事が大変ご関心を持っておられると思いますので、ちょっと最初にこのことに触れておきたいと思います。

この事が明らかになったのは先週辺りから、先々週ですか。
辺りからちょっと話が出るんではないか?と言うことを言われておりました。
正式に発表がありましたのが11日でございまして、この時に政府がそのDNA鑑定の結果、キム・ヘギョンさんの血液とそして金英男さんと言う、昭和で言うと53年の8月5日に韓国の西海岸の島から拉致された当時工業高校の高校生です。
このDNA鑑定の結果ですね。
二人の間に血縁関係がある事が確認をされた、と言うような報道でございました。

この(DNA鑑定を)2ヶ所やってほぼ間違いが無い、と言うような事でございましてですね。
私たちにとりましてはご存知の無い方もおられるかもしれませんが、特定失踪者のDNA鑑定の問題と申しますと、山梨県の甲府市で失踪された山本美保さんの事について、山梨県警が行ったDNA鑑定と言うのはですね。
どうも余りにもちょっと信用できないと。
言う物がありますので、DNAと聞いただけでちょっと?マークがつくんですが、今回の調べ方等々からするとやはり間違いないだろうと言うふうには思っております。
ですから少なくとも一時期、横田めぐみさんと金英男さんの間に夫婦の関係が存在したという事は間違いが無いかと思います。

で、もともとこの情報は去年の12月にですね。
韓国の拉致被害者家族会、韓国では拉致被害者の家族の会が3つありまして、そのうちの一つの拉致被害者家族会の崔成龍さんという代表が発表をした。
これは一昨年の2004年の9月、中国で情報をですね。
北朝鮮の高官から得たと、言う事で発表した情報だったんですが、それが確認されたと言う事でございます。

ちなみに去年くらいからですね。
ニュースにもちょっと出たようですが、蓮池薫さんが横田めぐみさんのご主人は韓国人の拉致被害者であるということを言っていたと、言う話もございました。
ですからその二つのソースがあったわけですが、今回これが確認をされたと言う事です。

私が調査会のメールニュースでですね。
書いたんですが、蓮池さんは帰ったときにですね。
帰国した時に横田さんのご両親ともそれから双子の弟さんにも会っている。
その後も何回か会っている訳ですが、最初の内はですね。
めぐみさんのご主人は拉致被害者の韓国人であると言う事は一言も言っていません。
一昨年くらいから、ちょっと周辺には漏らし始めたという話を聞いておりますが、結局ですね。
横田さんのご両親はあるいは弟さんたちは直接は彼らからそういう話は聞いていない、と言う状態であると思います。

で、ここにおられる皆さんもいろいろなお気持ちの方がおられると思いますが、私もこういうことばかり言っておりますんで、相当彼らからは煙たがられているようなんですけども、あのですね。
ちゃんと言うべきですよね?こんな事は、当たり前の話で。
最初からそんな事を分かっているなら、分かってないわけが無い。
彼らは一緒に暮らしていたわけですから、一緒に暮らしていたのが嘘であれば分かりませんけど、本当に一緒に暮らしていたのであれば、当然一緒に暮らしていた人間が同じ朝鮮語で話をしていたって、それがただの元々の北朝鮮の人なのか?
拉致された韓国人なのか?くらいはですね。
わかんないはずが無い。
ですから帰国した当時すぐにですね。
それを教える事が出来てもおかしくなかったと言うふうに思います。

あの当時彼らが言っていた事は殆ど横田めぐみさんの事についての証言ばかりでございまして、そのあとポツリポツリと田口八重子さんについての証言ですとか出て参りましたけど、あの時はめぐみさんの事ばっかりでございます。
それはどういう事を意味するかと言いますと、この横田めぐみさんの事を出すことによりまして、横田さんのご両親をピョンヤンに呼ぶと。
そこで横田めぐみの墓と言うものでも作っておいてですね。
そこで拝ませて、キム・ヘギョンさんと感動の対面をさせて、それを持って拉致問題はおしまいと言うふうにしようとしていたんだろうと思います。
彼ら自身はちゃんとそういうふうに喋れと、言う事のシナリオに従って喋ったんだろうと私は思っております。

しかし、これはある程度仕方が無い部分があります。
当然そういうような事をですね、しなければ北朝鮮が出すはずもありませんから、ある程度は仕方がなかったと思うんですが、それにしてもここに来てからもう3年半経つわけですが、その頃になってこういう事が出てくるということ事態がですね。
やはりどう考えてもおかしいんではないか?と思うんです。

それからですね。
ちょうど蓮池さんが拉致されたのと金英男さんが拉致された頃がほとんど同じ時期です。
7月の末と8月の初めですから。
で、つまりご両親はこの二人の息子をそれぞれ二十何年前待ち続けたんですね。
蓮池さんのお母さん、ハツイさんなんかは最初の内はですね。
本当に、こう言っては失礼ですが、錯乱状態に近いような状態になってしまったという話を聞いております。

そういう状態の中で苦しんで、しかし息子を何とか取り返したいと言う思いでですね。
お母さんは一生懸命やってこられて、そして現実に息子さんを取り返す事が出来たんですが、同じ苦しみを受けているお母さん、崔桂月さんに対してですね。
もっと早く本人から直接ですね。
連絡を取って上げられなかったもんだろうか?と、そういうことを私は未だに非常に疑問に感じております。
彼らにすればもちろん言い分はあるんでしょうけども、しかし普通に考えてですね。
やっぱりおかしいんじゃないかな?と言うふうに私は思っております。

彼ら自身は特にですね。
今まで喋ってない事は非常にたくさんあります。
彼ら自身は政府に対しては殆どみんな喋ったと言うような事を言っておりますけども、そんな事絶対にあるわけは無いです。
もちろん、喋れない事もあるんでしょう。
それはまぁ認めますけども、しかし、それはそれとしてですね。
それにしても彼らが全部喋ったと言う事は嘘だとしか言いようが無い。

彼らの中でもですね。
特に地村さんご夫妻とか、あるいは曽我さんなどはですね。
何かあれば柏崎に連絡を取って、そして喋っては駄目というふうに言われると喋らない。
こういうような話を私はいろんな所から聞いております。
ならば、やっぱり蓮池薫さんがですね。
それなりの責任を持って対応をするべきであろうと言うふうに思っております。
こんな事を言うのは大体私とあと何人もいませんので、言えば嫌われるんですけども、そんなのんびりした事も言っていられませんので、この場を借りてもですね。
ちょっと申し上げておきたい、と言うふうに思っております。

そうしないと、まさに、今回の金英男さんの件でもそうですが、こういうことが明らかになってからですね。
なんだあいつ等話してなかったじゃないかと言う話になってくる。
これ日本人の、韓国人にも酷い話ですけど、例えば日本人の拉致被害者の人で特定失踪者の中の人とかですね。
当然蓮池さんは藤田進さんなんかを見てるはずなんですが、見ていないと。
やがて別の所から明らかになったときにですね。
なんだ、何であの時言わなかったんだ?という話になれば、彼ら自身の立場の方が危なくなる、非常に悪くなるということもあるわけで、やはりいろいろ問題はあるんでしょうけども、しっかりとそこは話をして貰いたいという事をですね。
本当に切実に感じております。

しかしこういうふうになる事の理由がいったいどこにあるのか?
まさにこの国の根本に関る問題である、と言う事であります。
この国がもうちょっとしっかりしていれば、彼らはもちろん拉致をされる事は無かったでしょうし、拉致をされてももっと早く取り返す事が出来たでしょうし、こんなに多数の方々が拉致をされる事もなかったであろうと言うふうに思います。
もちろん拉致をしたのは北朝鮮と言う極めて異常な体制の国がやった事ではございますけども、一方でその拉致をやらせてしまった言う意味でですね。
日本と言う国も極めて異常な国である、というふうに言わざるを得ません。

田口さんの拉致もおそらく今まだいろんなこと分かってない事がたくさんあると思うんですが、横田めぐみさんの拉致もですね。
複数の筋から私が聞いている話では、昭和52年11月15日のあの拉致をされてから間もなくの時点で日本政府の上の方はですね。
もう北朝鮮による拉致だと言う事は認識していたと言う話がございます。
おそらく私はそれは間違いが無いだろうと思っています。

で、しかしその後ずっと言って来なかった。
平成9年にこれが明らかになったためにですね。
政府は拉致であると言い始めたわけでありますが、これを民間の方で明らかにしていなければですね。
未だにおそらく横田めぐみさんはただの失踪した中学一年生の少女、と言う事であったのではないだろうか?
もちろん今帰国している5人も帰ってくる事はなかっただろう、と言うふうに思うわけでございます。

で、どういうふうにこの国がおかしかったのか?と言う事を知る上でまずですね。
北朝鮮がどういうことを今までやって来たか?と言うようなことについてのお話をして行こうと思います。

ちょっと遠くの方は分からないかもしれませんが、これは北朝鮮の潜水艦です。(写真を一枚掲げる)
今から11年前にですね、東海岸に工作員を侵入させるためにやって来てですね。
そしてそこで波が高かったので座礁して、帰れなくなったという潜水艦でございます。
事件を覚えていらっしゃる方もおられるんじゃないかと思います。
この時にこの潜水艦に乗っかっていた乗員はですね。
全部上陸をいたしまして半分はその場で集団自決をする。
残りは皆山の中に逃げ込んで、そして一人が捕まりまして残りの13人だったかな?
が射殺されて、一人はどうも北朝鮮に逃げ帰ったらしいと、言うふうに言われております。

で、この潜水艦、近くじゃないと分からないと思いますが、前に魚雷の発射管が無いんですね。
ここから見えませんがこの反対側、右舷の船首の方にですね。
一ヶ所だけハッチが、魚雷発射管みたいな場所に付いています。
それが何かと言うと工作員が脱出する為の、つまり上陸したりするときのですね。
ここから出て水中スクーターのようなそういう物で海岸に入る。
そのためのハッチが一つだけ付いております。
他にはこの船にはですね。
魚雷もないし、それ以外の武装もしていない。
もちろん銃とかですね、そういう物は持ち込んでいたんですけども、その船自体には直接くっついてはおりません。

それはいったいどういう事を意味するのか?と言いますと、この潜水艦がいわゆる普通の海軍が戦闘をやったりするために使う船では無いと言うことですね。
この潜水艦の目的と言うのは韓国に工作員を送り込む、偵察を行う為の潜水艦だと言う事です。
北朝鮮の工作活動と言うのは、ですからたまたまいろんな事をやってる中で必要性に応じてついでにやると言う事ではなくて、工作活動をやること事態が彼らにとって極めて重要な物のひとつである。
それは韓国の中の政権を転覆させて、そして南を共産化統一をするという北朝鮮の国家目標に基づいたものですけども、そういう物に基づいて作られていると言う事です。

韓国はそれに対抗する為にこうやってですね。
海岸に韓国の東、西、南の海岸と言うのはほとんどこういう鉄の柵が巡らされております。
韓国へ行かれたら海岸の方で人目の無い所でもずっとこう言うのが通ってますから、御覧になったら良いと思いますが、かなりしっかりとした鉄の柵で上には鉄条網が巻かれております。
こういうものがずっと渡されている。
こう言うのがあっても潜水艦が来たら平気で入ってくるんですね、北朝鮮の工作員と言うのは。

それと今、埼玉には海はありませんけども、この茨城でも千葉でもですね。
海岸線にこんな物あるか?と言うと、どこにも無いわけでございます。
この中には、これもちょっと小さくて分かり難いと思いますが、ここの端の所にですね。
韓国軍の警備・・・(聞き取れず)があります。
ここには実弾を込めた銃を持った兵隊がですね、警備をしている。
それから海も船がパトロールをしている。
こういうふうにやってる中ででもですね、平気で入って来る、と言う状況です。
それと日本の状況を比べてみるといったいどういうものか?と言うのは非常にお分かりになるだろうと思います。

で、日本には、今潜水艦はひょっとしたら使ってるのかもしれませんけども、基本的にはこのこういう工作船ですね。
こういう物で入って来ているという事が多い。
最近一応(潜入は)止まってるんじゃないか?と言う話も有りますが、ちょっと詳しい事は分かりません。
使える時は、また使ってくると思います。

この工作船は今横浜のですね。
観光地になっています赤レンガ倉庫がありますが、あの先に海上保安庁の施設がありまして、そこで展示をしてあります。
ゴールデンウィークにでも横浜の方に遊びに行かれたらちょっと足を伸ばしてですね。
30分くらいで見れますので、行って御覧になったら良いと思います。
陸の上に上げてありますから、非常に大きく見えます。

船の事をお分かりの方ならすぐ分かると思うんですが、この船の船首の形状は非常に尖ったV字型の形状をしております。
これもさっきの潜水艦と同じように、漁船を改造したとかそういう片手間仕事でやった物では無いと言うことです。
完全に工作活動をやるために、特に日本に工作員等を送り込むために作った船だと言うことですね。
この船は時速で言いますと大体40ノット(1ノットは1.852キロメートル毎時、40ノット=時速約74キロメートル)以上のスピードが出る。
この船の後ろの方が観音開きで開きまして、工作小船という、ちょっと上から見ますとですね。
普通のポンポン船にしか見えない船が出てくるわけですが、この船はもっとスピードが速くて50ノット(=時速約79キロメートル)くらいのスピードも出して走ることが出来る。
そういうような船ですね。
この船で沖合い500メートルくらいまで行って、それからゴムボートに乗り換えて上陸をすると、言うようなパターンが非常に多いというように聞いております。

荒木氏講演2


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム 荒木和博氏(2)

   『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』

そういう事をやられても、大部分は少なくとも今までは分からなかった、と言うことであります。
前に私がインタビューをした事のある工作員は一回日本に入った事があるそうですけども、日本に入るときは何を持って行ったか?と聞いたらですね。
食料と無線機だということで、武器は持って行かなかったのか?と聞いたらば、持っていかない。
日本では絶対に見つかる心配が無い。
見つかっても捕まる心配が無い。
捕まってもスパイを取り締まる法律も無いから、自由に一年位したらすぐに出て来られるという事でございます。

実際にスパイを防止する法律がありませんので、これは佐々淳行さんの本にも書かれていたことですが、捕まえた者はですね。
工作員をどういう法律でやるかと言うと、出入国管理法違反とかですね。
そういう法律で捕まえるんですね。
で、そうするとですね。
例えば無線機でも持ってたとすると、刑が終わった後で強制的に出国させるんですが、その時に無線機も持たせて帰すんですね。
そうしなければいけないという、以外に親切な国でございます。

で、しかしこっちが親切にしていてもですね。
相手はそういう中でゴムボートに乗って、あるいはこういう水中スクーター、これはさっきの工作船の中にあったものです。
こういうゴムボートもあった。
こういうものでですね、自由に入って来ると言う事でございます。
あの工作船の中にどういう物があったのか?と言いますとこれもちょっと遠くて見難いと思いますが、これがまず12点、対空機関銃ですね、がついている。
これが上についてます。
これは海上保安庁の巡視船と交戦した時は、使ってはいなかったようです。

しかしこの中で自衛隊の経験がある方がおられればお分かりになると思いますが、私なんかが訓練で使う7.62ミリですね。
64式小銃は倍くらいの弾丸を使うわけでありまして、これがいくつか当たればですね。
完全に体は粉々におそらく吹っ飛んでしまうと思います。
それから他に積んでいたのは無反動砲とかですね。
地対空ミサイルがありまして、地対空ミサイルの方は2発くらい発射(ボタン)を押したようですが、幸いにして当たらなかった。
こう言うのが一発でも巡視船に当たっていれば、巡視船の装甲と言うのは海上自衛隊の船とは違って薄いですから、おそらく一発で撃沈されてみんな死んでるかと思います。
数人の怪我人だけで済んだのはある意味奇跡に近い。

この船はどうして沈んだかと言うと、海上保安庁の船の銃撃を受けて沈んだんじゃないですね。
自分から自沈してます。
それは船内に自爆スイッチがあってですね。
それを押すと船底に穴が開いてそれで沈むという事になっている。
だから我々は日本の国は平和だと思ってますが、その平和なはずの国にですね。
自分が死ぬ事を覚悟して、そして当然こういうものを使って人を殺傷して当たり前だと思って入って来る連中がいるんです。
と言う事は少なくとも理解をしておかなければいけない。

で、この状態は別に今始まったわけではないです。
はるか昔からずっとそうだったんです。
ずっとそうだったんですけども、問題はそれをですね、この国の政府が一切明らかにして来なかったと言う事に問題があるわけでございます。
昔は確かに日本の中にも、例えば社会党が非常に強くてそういう北朝鮮のですね。
北に対する批判的な事をやれば直ちに大騒ぎをすると、言うような時がございました。
そういうのは確かに警察にとっては非常にしんどかったんだと思いますけど、しかしそれだけで責任が逃れられるはずの物ではなかったと思います。

横田めぐみさんの事件が起きたのは昭和52年の11月でございます。
それから半年ちょっと後に田口八重子さんの事件が起きる。
横田めぐみさんの前年が藤田進さんでございますけども、そういうふうにしてこの時期ですね。
いろいろ続いていたと。
しかしその時点では日本の政府はですね、全くこれが北朝鮮の拉致だということは発表をいたしておりません。

田口八重子さんの事件が分かったのはどうして分かったかと言うと、大韓航空機の爆破事件で犯人金賢姫が証言をして、そして自分は李恩恵という名前で呼ばれていた日本人の女性から日本語とか日本の風習を学びました、と。
いう事をいって、それから調べてやっと分かったわけですね。
それが無ければ分からなかったわけです。
もし例えば大韓航空機の爆破事件が成功して金賢姫が平壌に戻っていたりとか、あるいは逆にですね。
毒薬を飲んでその場で死んでいれば、誰も今は田口八重子さんはただの失踪した女性としかおそらくなっていないだろう、と言うふうに思います。

もし例えば、この日本の国は災害の多い国でございます。
台風だとか地震だとかですね、水害だとかそういう物が非常に多い。
しかし我々比較的そういうものに慣れております。
どこかでこの関東地方にも大地震は来るだろうという思いはある。
あるいはですね、台風は毎年夏になればしょっちゅうやってくる。
やってくると分かっていればその備えをするわけですね。
台風が今沖ノ鳥島のどこに来ているとか、沖縄に上陸したとかですね。
そういう話を聞けば、あとこれくらいで来るかも知れないというふうに思って、それならば出かけるのを控えようとか、そういう準備をするわけであります。

もしあれがですね。
例えば天気予報で日本は明日も明後日もずっと快晴が続くでしょうと、言っていた所に突然台風がやって来てしまったら、どういう事になるか?
地震の方は確かに全く予知が出来ない物でありますけども、しかしそれでも地震がしょっちゅう来るものだと思っていれば、例えば地震があったときにすぐに火を消すと。
あるいはこういうふうにして上から落っこちてくる物から身を防ぐという事は、皆さんも大体お分かりになっていると思います。
それを何も言わないで、日本には地震なんか絶対に来ませんと、言っていた時に地震が来たときはどうなるか?
それはもう想像以上の大惨事になると言う事はお分かりです。
それがまさに拉致についても起こったという事でございます。

現在政府の認定している拉致被害者、昭和52年に一番最初は東京の三鷹市役所のガードマンだった久米裕さん。
それから11月に横田めぐみさんですね。
そして昭和53年に田口八重子さん。
それから神戸の田中実さん。
そして・・・(聞き取れず)福井の小浜の地村保志さん、それから奥さん浜本富貴恵さん。
その後が蓮池薫さん、それから奥さんの奥土祐木子さん。
そして鹿児島の市川修一さん、それから増元るみ子さん。
それから曽我ひとみさんとミヨシさん。
そして昭和55年に原敕晁さん。
それから・・・(聞き取れず)前ですけど、石岡享さんと松木薫さん、お二人はスペインで拉致されている。
原敕晁さんは辛光洙が背乗りをやった相手ですね。
58年に有本恵子さん。
これで16人、この16人と言うのが現時点の政府の認定者です。
しかしこの政府の認定者でですね。
日本で例えばマスコミが誰も何も言わない時、これは拉致だと明らかにしたケースがいったい何件あるか?と言うと実はひとつもない。

久米裕さんのケースはですね。
久米さんがお金を借りていたサラ金の業者というのが在日で、この在日の業者がですね。
北からの指示を受けて久米さんを騙してそして能登半島に連れて行って船に乗っけると言う事をやりました。
これも遠くて見えないと思いますが、場所はですね。
こういう入り江になった所です。
能登半島の舟隠しと言うふうに通常地元の人は言うようですが、こういうところに連れて行ってそこで船に渡したと。
本当にですね、周りが人気もいなくなるとですね。
本当に見つからない。
良くこんな場所を探したんだなぁと言うような場所です。

実はこの(久米さんを)連れてきた李と言う在日はですね。
妹さんか何かが確か帰国をしておりまして、その帰国をしている妹さんを人質にして要は協力をさせられたと言うことなんですね。
しかし事件の直後に久米さんが拉致された直後に捕まっておりまして、自供をしている。
自供しているんですが結局、警察は立件したかったようですけども、どうも検察が言う事を聞かなかったらしい。
言う事で結局そのまま釈放されまして、今に至るまでも結局全く一度も久米さんの拉致についてで、罪を負ったことはありません。
今でも東京の西東京市で普通の日本人として、名前は日本名になっていると思うんですが、普通の市民として暮らしております。

横田めぐみさんの事件は、これは月刊現代コリアのですね。
平成8年の10月号に載った朝日放送の石高健次さんの論文が元になって明らかになったケースでございます。
これは最初は石高さんの論文では誰かと言うことは分からなくて、中学一年生の女の子が1970年代の後半に日本海側のどこかで拉致をされていると言う情報でありました。
その事を元にして調べた結果、これが横田めぐみさんである事が分かった。
そして平成9年の2月3日に、去年弁護士法違反で捕まった西村眞悟衆議院議員が、予算委員会で質問をしてくれまして。
そして同時に朝日新聞のアエラとそれから産経新聞の本紙が報道してくれた事がきっかけとなってですね。
非常に大きな話題となって、この事が元になって家族会も出来、そして救出運動もスタートしたということなんですね。

この事件はさっき言いましたように、事件の起きた当時からこれが北朝鮮による拉致だと言う事はどうも分かっていたらしいという事でございます。
これが分かってたんならこの後も分かってた。
田口さんだけは分からなかったかも知れませんけども、少なくともアベック拉致も当然起きた当時から全て分かっていたはずです。

田口さんの事件はさっき言いましたように、これは大韓航空機爆破事件の金賢姫が喋ったから明らかになったわけです。
田中実さんの事件と言うのは、これは神戸のラーメン屋さんの店員ですけども、ラーメン屋の主人がこれが在日で、これも北から指示を受けて自分のところの店員をヨーロッパに旅行させるということで、騙してオーストリアに送ってですね。
そこから拉致をさせたという事件でございます。
これはそのラーメン屋の店主と同じ北朝鮮の秘密組織にいた人が、もう亡くなりましたけど張龍雲さんと言う方が自分で手記を書きまして、その中で田中実拉致を書いたんで明らかになった。

それからこの地村さん、浜本さん、蓮池さん、奥戸さん、市川さん、増元さん。
あと富山で未遂事件と言うのが一件ありますけどもこれは全部ですね。
昭和55年の1月7日に産経新聞がスクープをして明らかになったケースです。
ちなみに(拉致された日は)7月の7日、31日だったかな?
8月の12日。

7月の15日に富山県の高岡市で海水浴をしていたアベックが狙われて、そしてこれが未遂に終わると言う事件が起きております。
この間富山の救う会の方が、富山県警の警備部長と会った時に、警備部長はですね。
この事件がこのアベック拉致、特に高岡の未遂事件を北朝鮮による拉致だと認識したのは、この田口八重子さんの大韓機爆破事件があった時だと、言うふうに言っていたそうです。

全くの嘘です。
よくも・・(聞き取れず)くてですね。
私その場にいたら張り倒してやろうかと思いますけども(小さな笑い声)、この高岡の未遂事件の時に人を捕まえて入れた袋とか、あるいは手錠のような物がですね、見つかってそれでこの一連の事件が北朝鮮の拉致事件だと分かってるんです。
その時にわかんなかったはずが無い。
そう言うふうにですね。
変なふうに誤魔化すのはこっちがますます警察に不信感が起きてしまって、そのうちに私は捕まるかもしれませんがその前にたくさん喋っておこうと思うんですけども(小さな笑い声)、ともかくですね。
この事件は産経のスクープで分かった。

原敕晁さんになり代わった辛光洙、最近良く出てくるんですね。
報道を見ると何でも言ってると思うんですが、この辛光洙と言うスパイが韓国に1985年・昭和60年に入ってですね、そして捕まると。
そこで原敕晁になり代わったこの拉致の事を話している。
それによって明らかになったわけです。
つまり辛光洙が捕まってなければ原さんの拉致も分からないわけです。

それから石岡さん、松木さん、有本さん。
このケースについてはどういうことかと言うと、石岡さんが東ヨーロッパの人にですね。
手紙を渡して出国してからこの手紙を投函してくださいと、言った手紙が札幌の自宅に届いて、その手紙の中に今平壌にいると。
そして松木さんと有本さんと一緒にいるということが書いてあったんです。
それによって明らかになるわけですよね。
これがもし石岡さんの手紙が届いていなければこの3人もですね。
拉致とは疑われていない可能性が極めて高い。

そうやって見てくるとですね。
この中で誰も分かっていないのに、日本政府の方でこの人は拉致ですと発表したケースと言うのは実は残念ながら無いということです。
無いと言うのはどういう事を意味するのかと言うと、これ以外にもたくさんあるということです。
ここに出て来ている人たちと言うのは要は仕方がないから認定してしまったと、言う人ですね。

この曽我ひとみさんなんかに至ってはですね。
ともかく、こっちが何も言わないのに向こうが出して来ちゃった訳ですから。
つまり誘拐犯の方がですね。
警察が何も言っていないのに、いや実は私誘拐をしましたって言って出て来ちゃったと。
それでああこれは誘拐事件だと言ったような物ですからね。

曽我ミヨシさんは一緒にいなくなってるんで、日本政府は拉致というふうに言ってるわけですけども、しかしその所はですね。
このような状況である、と言うことです。
これがまだ残念ながら今のところ我が国の現状です。
何でこんな事になったのか?と考えますと、昔から分かってましたとしか思えない。
分かっていて、しかしもう今は明らかには出来ない。

大体現場のいろんな警察の特にOBの方とか、いろんな方に話を聞きますとやはりですね。
全国で「このケースは拉致だったんではないかな?と言うふうに思うんだけれども、上に上げたら潰されてしまった」という話はあちこちで聞きます。
ケースによってはですね。
警察の人が私らにですね。
「あの人は拉致だと思うんだけど、何で情報を上の方に持っていかないんでしょうね?」と話が来たりですね。
物によってはですね。
調査会に失踪者のご家族の方に書いていただく調査票というアンケート用紙の様な物があるんですが、あれを警察の人が書いてくれたとかですね。
そういう話はございます。

場所に寄っちゃ警察でですね。
「うちの子供は拉致じゃないでしょうか?」と相談に行ったら、「いや調査会と言うのがありますよ」と紹介して頂いたり、別に紹介料を取ってるわけじゃありませんが、とにかくですね。
嬉しいような悲しいようなこういう話がございます。

荒木氏講演3


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム 荒木和博氏(3)

『荒木和博 特定失踪者問題調査会の講演 その3』

で、こういうことですから実際にはかなり多いんじゃないか?と言う事でございます。
特に今話題になっています元NHKのワシントン支局長の手島さんのですね。
「ウルトラ・ダラー」と言う小説がございまして、この中に印刷関係者で拉致されている人がいる、と言う話が出てきております。

これは印刷関係の人はですね。
たくさん拉致をされているのではないか?と言うのは、特にうちの専務理事の真鍋が中心になって調べている事なんですが、手島さんと真鍋が会って話もしていますけど、私がちょっと思ったのはですね。
手島さんの所に入ってきた情報と言うのは、我々が言っていた情報が回りまわって手島さんの所に来ていたとすれば、元の出元は同じですから
が、しかし他のルートから入ってきた情報であれば、全然別の所からの情報が重なったと言う事であれば、やはりかなり信憑性が高いのではないだろうか?と言うふうに思います。

100%と言う確定は出来ないんですけども、やはりですね。
今のところ感触では別々のルートから来た情報であるというふうに言える。
で、もしこれが本当に別々のルートであったと言う事であれば確度が高くなりますし、確度が高くなるとどうなるか?というと、印刷工・印刷関係の技術者でいなくなってる方々、だいたい70年前後くらいです。
この拉致を見ていただいて分かるように政府認定者というのは昭和52年・1977年スタートでございまして、これは一般的に言われるのは1976年に金正日が工作機関に対して指示を出して、そして日本人化を進めよと。
外国に行ったときに、日本とかあるいは南朝鮮に行ったときに、そこの人間になりきれる工作員を作れというふうに言った事が元でですね。
始まったというふうに一般的には言われているわけでありますけども、それ以前に組織的な拉致があったという事になります。

我々は元から、これより遥か前からですね。
ずっと拉致は行われていると思っているんですが、この時に日本人化教育の教員としてまとめて連れて来たのと同じように、もっとそれより前、つまり金日成が・・・(聞き取れず)機関にも金正日よりはるかに影響力があった時代から、そういうふうに例えば印刷工が足りないなら印刷工を連れて来いというような指示に基づいて、組織的な事が行われていたとすると、やはりこの拉致自体がですね。
そんな金正日ひとりがどうこうと言うような問題ではない。
北朝鮮と言う国家体制事態から出てきた問題だという事に間違いなくなるわけです。
明らかになれば本当に大変な事だと思います。

そうするとここから先にずっとやっていて、その中にも組織的な拉致があるとすれば、この後も当然組織的な拉致が行われているはず、でございます。
佐々木悦子さんなんかはもう90年代、比較的近い事件でありますけども、やはりですね。
そういうこと自体があってもおかしくない。
そうすると場合によったら2000年以降に、あってもおかしくない。
ひょっとしたらこれから先にあってもおかしくない、という事に当然なってくると言う事です。

これはですね、ともかくその中のほんの一部で、出したくないんだけどもうこうやって出て来てしまったから認定をしたと、言う事なんだろうと思います。
一番最後に認定されたのは田中実さんが去年の4月ですけども、それまでにちょうど一年前ですね。
その前と言うのは9.17で曽我さんなんかが出てきて、曽我さんを認定した時。
石岡さんなんかもまだそのとき認定していませんでしたから、曽我ひとみさんとお母さんと、それから石岡さんと松木さんを4人認定して15人になった時から、2年半かかってやっとですね。
田中実さん一人。

ところが田中実さんは拉致をした犯人と言うのが二人日本国内にいるんですよ。
韓竜大と曹廷楽というのがいるんですけども、しかしそこは一切手をかけていない。
原敕晁さんだってある意味で主犯とも言える、原さんが勤めていた中華料理店はいまだに普通に営業していて、そして店主はそのまま罪にも問われていない。
この間ガサ入れはありましたけど、しかし罪には問われてはいない。
と言うような状態がずっと続いて来てしまっているという事でございます。
ですからね、こういう事をともかくどうにかしていかなければ問題は絶対に解決をしない。

非常に不謹慎な話かもしれませんが、「踊る大捜査線」という織田裕二が(主演した)あれで行きますと、織田裕二がもし公安の刑事で、なにか拉致事件を見つけたと。
それで「あれは拉致でしょ?」と言うふうに言うとですね。
袴田課長とか神田署長がですね。
「いや青島君、あの人は自分でいなくなったんだからね」と(笑い声)言う事でですね。
それで交通課にでも回されてしまうというような、そういうパターンになってるんじゃないだろうかな?と言うふうに思います。
そういう状態で次に来るとですね。
次に受けた人間は「これはとんでもない話だ」と思っても、「いや、俺の時に起きた事じゃないよ」と言う話で、「前に起きてる話で、こんな物自分は対応取れないということで・・・(聞き取れず)を次々送ってしまう。
どんどんたまっていくわけです。

小泉さんは結局なんだったか?と言うと、おそらくですね。
あの人は、元々外交のことなんか全く関心の無い人でしたから、しかしそれが何か声がかかってですね。
ちょっと拉致の事で上手く行くかもしれないと、言う事でやってみたと。
9.17の頃になってですね。
初めてどういう事だったのか?と言うのが分かったんだと思います。
どうもパンドラの箱をこう開け放ってしまったじゃないかと。
で、ばっと見たらとんでもない物が詰まっていたと。
で慌てて蓋を閉めてしまったと。
ところが蓋が締め切れなくて出始めてしまったので、そう言うのがこうやって出て来ている事だということで、小泉さんからすれば「俺は関係ない」と。
「元々何十年前からやってる話でそれまで解決しなかったのが悪いんだから、俺がそんな事解決する必要は無いじゃないか」という事ではないだろうかな?と私は思っています。

現在この拉致問題の解決をですね。
どういうふうにやってるかと言うと、今言ったように警察がとにかく中心になって捜査をする。
そしてこれは拉致間違いないと言うふうになったらですね。
これは内閣が内閣の責任でですね、認定と言うのをやります。
そうするとですね、これを外務省が北朝鮮に交渉する。
この枠組みが今ほとんど変わらない状態で続いて来ております。

ところが実際にはですね。
警察がやるとどうなるか?と言うと結局ですね、ほとんどのケースは認定は出来ないんです。
と言うのは例えば横田めぐみさんの事件は昭和52年の11月の15日。
この中にはまだ生まれていない方もたくさんおられると思いますが、生まれていた方でもですね。
昭和52年の11月15日に何をしていましたか?と言われてですね。
あの日は昼頃起きて仕事をしてその後どこへ飲みに行って、と話が出来ればそれだけで十分飯が食える。
そしてそんな人がいるわけが無い。

ところが警察は基本的にはどこでどういうふうに連れて行かれたか?と言う事が分からないと拉致認定が出来ないと言うのが基本的な考え方です。
ところがいなくなった時にですね。
今日ここにも特定失踪者のご家族とかたくさん来られていますし、田口さんもそうなんですけども、皆さんですね。
いなくなる理由が大体分からない訳なんです。
皆さん、全く北朝鮮と関係ない。
だからまさかね、北朝鮮に拉致されてるかもしれませんなんて事を言った人はほとんどまずいないですね。
我々のリスト、450人の中にも今の政府認定のご家族の中にも。

そうするとどうなるか?というと大抵殆ど大人ですから。
横田めぐみさんみたいに中学一年生の女の子であれば、これは事件性があるといって調べますけども、そうでもなければですね。
「いやそれは嫌な事でもあったんでしょうから、もうちょっとしたら戻って来ますよ」と言うふうにいわれて大体おしまいです。
警察もですね。
年間に8万人から9万人、行方不明者の届けがあります。
ですからとてもそんな物を調べちゃいられない。
事件だと思わなければそれでおしまいだと、いう事になってしまうわけで、例えば拉致がこれだけあったとしても今から警察が拉致認定できるのは氷山の一角だけです。

氷山の一角を内閣に出す。
どうするかと言うと政府の方はですね。
ここでもし拉致認定をして、拉致被害者の数を、その認定者の数を増やしてしまうとまた北朝鮮が硬化する、態度が。
態度が硬化してしまうと国交正常化も滞るし、あるいは拉致の解決にも悪影響を及ぼす。
いう事になって中々認定しません。

この間外務省が北朝鮮に出した36人のリスト、あれは公式には30数人となってますが、36人ですね。
36人と言うのはこの中で調査会の1000台番リスト、埼玉で言えば佐々木悦子さんと新木章さんと藤田進さんですか。
を入れた方々ですね。
それに加えて小住健蔵さん、これもまた最近名前の良く出て来た朴と言う工作員ですね。
なり代わった小住健蔵さん。
そして福留貴美子さん、二人を入れて36人になるんですが、この小住さんについては警察はですね。
一昨年くらいの時点では内閣の方に政府の方にこれは認定すべきです、というふうにどうも言っているようです。
しかし、認定をしない。
田中さんと小住さんと二人出したらしいんですけども、結局田中さんだけ認定と言う。
その状態で外務省は北朝鮮に交渉する。

ところが北朝鮮にはですね。
対しては今のところ経済制裁とかそういう圧力をかけてはいない。
圧力をかけないで北朝鮮に話をして話を聞くか?と。
北朝鮮に「こういう人たちについてを拉致しているでしょ?」と、「戻してください返してください」と言って、「分かりました、返しましょう」と言う国であれば初めから拉致なんかするわけ無いんですね。
相手は詐欺師と暴力団一緒にやってるような国ですから、こういうところに力使わないで返してくれと言ったって返してくれるはずが無い。

去年の6月に参議院の内閣委員会で民主党の森ゆうこ議員が質問をしまして、当時の細田官房長官に「どうやって取り返すんですか?」と言う事を質問しました。
そのときに細田さんの回答はどういう回答か?と言うと、

「相手も国家で向こうにいる人は権限は皆向こうが持っているんだから、粘り強く話をして分かりました、やってました、返します、と言ったら取り返します」

と、こういう事を言ってるんですね。
永田某のガセメール事件でですね。
大騒ぎをしている暇があったらこういう時にですね、大騒ぎをしなきゃいけない。
本当だったらばこの答弁一つだけで政権が倒れたっておかしくないような答弁なんですが、残念ながらマスコミでもどこも書いていませんし、殆ど相手にしなかった。

しかし、ああいうふうに相手に言われてですね。
つまり「向こうにいる人は向こうに全部権限があるんですか?」と言う事はどういうのか?というと、「拉致をされてしまったらば、もう煮て食おうと焼いて食おうと北朝鮮の勝手ですよ」と言ってるのと同じです。
これはまさに日本政府が「我々は絶対に拉致被害者を取り返さないぞ」と、言う事を国民に向けてですね。
断言したのに等しい、と言うほどひどい話です。
しかし現状は今もそれ程変わっていない。

そういう状態の中でですね。
どういうふうにしなければいけないのか?と言うのがやはり問題としてあるわけでございます。
ともかくこのやり方だけ続けていたって、いつまでも解決しません。
この間の原敕晁さんの関する大阪のラーメン屋のガサ入れとか朝鮮商工会のガサ入れ、何でそんな物ガサ入れしたんだろう?と思います。
だって事件が起きてからもう26年、辛光洙が捕まってから21年経ってるんです。
行ったってですね、ラーメンの汁くらいしか残っていない。(笑い声)

それなのにですね、しかも(ガサ入れを)やりながら誰も捕まえてないです。
誰も捕まえてないのはどういうことか?と言うと、それは現場でやってる人は一生懸命やってるんでしょうけども我々が見たらですね。
そんな物ただ警察が一生懸命やってますと言う事を言いたくてやってるんじゃないか?と言わざるを得ないわけでございます。
それじゃ困るんですね。
尚且つ、もしそれで犯人が捕まった所で原敕晁さんが帰ってくるわけではない。

これは日本国内の事件としてやってるから問題なので、安全保障上の問題であるというふうに捉えなければですね。
問題は解決しない。
これは北朝鮮と言う国が国家目的の為にやっている一種の戦争です。
だからそれに対するちゃんとしたやり方をしなければですね。
誰も返って来ないです、わけでございます。

それはどういう事を意味するか?と言いますととこれはですね、例えばこういう事です。
埼玉は海が無いから、海のあるところでですね。
どこかの海岸にどこかの軍隊が100人くらい上陸してきたと、そこに陣地を作って占領して、当然銃とか撃って周りに死傷者が出るわけですね。
それをどう対応するか?
警察が対応するとどうなるか?と言うとそこへ警官がやってきてですね。
誰が誰を撃ったかとか、こいつが殺人罪だとかこれが傷害罪だとかですね。
司法検分をしてそういう事をですね。
捕まえようとする事になっちゃうわけです。
警察はそう言うのが仕事ですから。

しかしそんな事をやっていてですね。
じゃあ問題解決するか?解決するわけないですね。
そのときは同じ武器を持っていたとしてもそれは軍隊と警察の全くの違いと言うのは、警察と言うのは武器を使って法秩序を回復すると言うのが目的ですけども、軍隊と言うのは基本的にですね。
敵を制圧すると言うのが目的で使い方が全く違う。
その相手を制圧してですね。
そして排除しなければいけない。
そうしなければ問題は解決しない。
ところが今この拉致問題をやってるのは拉致と言うのは国家の安全保障にも拘らず、警察だけがここをやっている。

内閣の中に専門幹事会と言うのがございます。
それは鈴木官房副長官と言うのをトップとして各省庁が入ってですね。
拉致問題についてのプロジェクトチームをやってるんですが、今年の1月になるまでですね。
この中に防衛庁は入っておりませんでした。
文部科学省は入るんですよ?入ってるのにも拘らず、防衛庁は入っていない。
やっと1月の末に入りました。

ところが今度はですね。
このプロジェクトチームの中に北朝鮮の情報収集をやるチームと言うのを作ってるんですが、今度はこの中から防衛庁は排除されている、いうことです。
警察というところはですね。
元々内務官僚と言うのは、この中にも警察の方おられるかもしれませんが、元々軍隊と言うのが嫌いですから、出来るだけ排除したいと言う思いが働くんでしょうけども、そういうふうにやってしまっているわけでございます。
しかし問題は安全保障の問題だというふうに解決をしていかなければいけない。

そうすると何が必要かと言うと、情報の収集、これはともかく必要です。
いったいですね。
日本の国内でどんなに調べたって分からないです。
北朝鮮のどこに田口さんがいるのか?
北朝鮮のどこに佐々木悦子さんがいるのかと言う事をですね。
調べていかなきゃ、問題は前に進まない。

今までこの話は全部点でした。
そういう点を何とか結びつけて面にしていくという努力をしなければいけない。
我々もそれを今遅まきながらですね。
もう一回今まで出て来た情報をひっくり返して、その間をつなぎ合わせようとしているわけでございます。

荒木氏講演4


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日本再生フォーラム 荒木和博氏(4)

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その4』

それから私たちは現場で現地での向こう側からの情報のルートと言うのは非常に弱い。
今日野口さんもお見えですけど北朝鮮難民救援基金の協力も頂いたりしながら、情報を何とか接収をするということを進めている、と言う事でございます。
この情報を元にして誰がどこにいるかと言うのを調べていく作業をしていかなければいけない。
これは外国の情報ですからね。
こういうのをやるのは、私は日本の官庁であれば自衛隊かそうでなければ公安調査庁あたりがやるべきだと思います。
公安調査庁は公安調査庁で、拉致を専門にやってる方々何人もいますので、とにかくどこでも良いんですけど、情報をしっかりまとめると言う事の必要があるだろう。

そしてそれからもう一つは北朝鮮の拉致被害者の情報だけではなくて、北朝鮮内部の情報をしっかり掴んで置く。
そういう中でですね、もし北朝鮮の体制崩壊と言う事があった場合、これは今日ちょっとお話しする時間もありませんけども、金正日体制が崩れる言う事があったときには、これは邦人保護と言う観点で救出をするしかない。
これは誰が行くのか?と言うとですね、これは八百屋さんや魚屋さんが行ったって仕様が無いので、軍隊が入るしか仕方がありません。
自衛隊が行くという事でございます。

ちなみにこの埼玉出身の参議院の山根議員さんが、この間3月の8日に参議院の予算委員会で拉致問題について質問してくださいまして、このとき初めてですね。
防衛庁長官が拉致被害者の救出について答弁をしました。
初めてです、これまで。
ただ今までの大体決まってた事が、そんなに足を踏み外した物ではありません。
こういう事態が起きた時に外務省の要請を受けて、そして安全が確保される限り行きますと、いう事でした。
安全が確保されるなら別に軍隊が行く必要は無くて、誰が行ったっていい訳ですね。(笑い声)

安全が確保されないから軍隊が行くんですけども、取り合えずですね。
答弁自体は不満なんですけども、しかし少なくとも防衛庁長官がですね。
答弁をする事になったのは、いくらか前に進んだと言う事だろうと思っております。
これをやってきたと言う必要があります。
そのためにどこがどういうふうにとか、港がどうなってるとか、そういうことを調べていく。

それから更にですね。
もう一つ更に進んで自衛隊を使った救出作戦という事になりますが、それは北朝鮮の中にいる人と連絡が取れて、その人が多少の危険は覚悟して脱出すると言う意思があると確認された場合、やるわけですが、これはもうギリギリの所まで秘密にしておかざるを得ませんので、公公然と そういう準備を始めておく必要が私はあるというふうに思います。
こういうことを私が言うとですね。
最近でもこういうところで話をしてもですね。
余り抵抗感がなくなりました。

昔は話していても、いやそう言ったって憲法が引っかかるのどうのと言う方があるわけでございますが、憲法に引っかかかるくらいであればですね。
我が国の憲法どこがどうなんだと、軍隊なんていらない事になってますから、自衛隊なんてどう考えたって私憲法違反だと思っているんですね。
しかし私も憲法違反の存在のごく一部でございまして、じゃあ今の日本でですね。
自衛隊は憲法違反だから無くしてしまえと言ったらどうなるか?と言うと、そっちの方がよっぽど問題にされると言う事でありまして、現実問題としてはこういう時のためにですね。
軍隊が存在するわけですよね?当然。
こういう時に、本当に困っている人苦しんでいる人がいるときに、助けられないような軍隊だったらですね。
年間何兆円もお金を出す必要は無い。
それこそ税金泥棒以外の何物でもないわけで、そうじゃないとするためにはですね。
しっかりこういうことをやるようにしなければならないし、当然それに対して国民の側もバックアップをしていかなければいけないだろうと思います。

ちなみに戦前ですけども、日米戦争が始まる前、昭和15年に日本の北洋漁業の漁船がソ連に拿捕されたと言う事件がありました。
そのときに青森の大湊にいた艦隊ですね。
それは明治時代に設計されたボロボロの駆逐艦ですけども、その駆逐艦隊がカムチャッカまで行ってですね。
その捕まえられている所の港の前で派手に演習をやりました。
言う事をやったらすぐにソ連はですね、返して来たと言う話でございまして、それはソ連からすると日本海海戦でですね。
コテンパンにやられたと言う恐怖感があったせいだと思いますが、こっちから行ったのはボロボロの船でもですね。
すぐに返してきたと言う事でございまして、いろんな形でそういう物はちゃんと使わなければいけないというふうに思っています。

そしてこういうことをやっていく中で、何を目指していくか?
当然日本人の拉致被害者の全ての救出、これは当然ですね当たり前の話です。
全てというのは今我々の特定失踪者のリストにも載っかっていない人ですね。
それはどういうことかと言うと、例えば久米さんにしても原さんにしても田中実さんにしても、身寄りの無い人を狙った拉致です。
だからこれ、成功していればですね。
我々の所に誰も分からない。
日本の中で誰も拉致をされた事を知らない人と言うのが明らかにいるんです。
しかし我々は日本国民の責任においてこの人たちを全て取り返さなければいけません。
それをやる。
この全てを取り返して日本人拉致問題の解決と言うことです。

もちろん終わって帰ってきた後でですね。
いろんな問題が起きると思いますが、ともかくそこまでは絶対にやらなくてはいけない。
これが実現するとどうなるか?と言うと、日本人だけではなくてですね。
他の国の、韓国なんかも含めてですね、他国人の拉致被害者の問題もですね。
並行して当然解決をしていく。

つまり全ての日本人拉致被害者の問題が解決するというのは、要は向こうに入って自由に中を探してくる事が出来なければいけません。
と、これは向こうの体制が倒れていなければいけないわけでして、そうなれば他の他国人の拉致の問題も解決をしていく。
同時に北朝鮮の中の人権問題、今たくさんの人が北朝鮮を逃れて非常に苦しい思いをしているわけですけども、その北朝鮮の人権問題も当然解決の方向に向かうということでございまして、これは全部含めてやるという事でなければ意味が無いわけでございます。
物理的に言っても日本人の被害者だけ取り返して終わりと言う事は有り得ない事なんですが、やはりですね。
ここまで持ってくる事を考えておく必要はある。

今北朝鮮を巡る状況と言うのは非常にですね。
混乱した状況です。
中国が北朝鮮の中にどんどん手を突っ込んでですね。
人事まで引っ掻き回しています。
経済的には中国との国境辺りはですね。
殆ど植民地化されているような状態で、土地を買い漁ってですね。
鉱山をどんどん買って、商人がどんどん入っている。
しかし中国にとって見ればですね。
これ一つ間違えると、中国の歴史と言うのは朝鮮半島に手を突っ込んだときに王朝が倒れている歴史でありまして、そう言うふうになり兼ねない。

アメリカはアメリカで、今非常にこの問題どうにかしたいと思ってますが、しかし爆撃したりとかですね。
手荒な事を使う力はアメリカには残っていません。
韓国は今はもう北朝鮮に対してはですね。
何でも言う事を聞くと言う状態です。
ある意味で言うとですね、日本は非常に筋を通している。

金正日と言うのは日本よりは中国の方が嫌いですから、中国にうるさい事を言われたくない。
だから今話として時々出ている、第3次の小泉訪朝、場合に寄ったら例えば横田めぐみさん一人を返してくるんじゃないか?とかそういう話があるんですが、こういうのは全て9.17の時と同じでともかく日本にですね。
と手を結ぶことによってアメリカからの圧力を抑えて、金を取って、そして中国との関係をもうちょっとバランスを保ちたい。
言う事の表れだろうと思います。
これは100年前、大韓帝国が潰れていった時の状況と非常に良く似ています。
おそらくああいうような事のようになるんだと思います。
ただ100年前と違うのは、日本の中にはですね。
極左から極右まで全部含めて大部分の日本人は二度と戦争なんかしたくないと思っている点ではですね。
これは国民的なコンセンサスでございまして、そういう事は有り得ないですけども、しかしあの国が潰れていく時の状況と非常に良く似ている。

ですからこういう時に我々はですね、こっちで受身になっていて良い状況になるのを待っているのではいけない。
これはこっちからどんどん打って出て、そしてあの体制を揺すぶってですね。
そして倒してしまって拉致被害者を取り返す、と言う事をやっていかなければいけないと思います。
外務省がけしからんとか、警察が駄目だとか言う事だけをいくら言っていても問題は絶対に解決しません。
こちらから手を突っ込んでですね、解決をしていくしかない、と言う事でございます。

今度我々一日一時間半ですね、短波放送でラジオを流しております。
「しおかぜ」という名前でですね、報道で御覧になった方もおられるかもしれませんが、夜の11時から12時とそれから早朝の4時から4時半まで、5.89メガヘルツで流しておりまして埼玉でも聞こえると思いますので、もし短波が入るラジオをお持ちでしたらね。
一度聞いて頂きたいと思います。
この放送は今まで拉致被害者の方々、特定失踪者の方々のお名前の読み上げとか、あるいはご家族からのお手紙の代読、そしてここにも何人もおられますが、ご家族からの直接のメッセージを流しておりました。

これはこれから先も続けるんですが、これに合わせてもっと強いメッセージを出していこうという事でですね。
明日、月曜日からですね。
一部放送を変えまして、月曜日の11時から11時半、これは朝鮮語。
それから火曜日の11時から11時半までが英語。
水曜日が日本語ということで、ニュースの解説みたいな時間を作りまして情報を流していこうというふうにしています。
明日、朝鮮語放送は私が流すんですけども、この中にはですね。
この間山根さんが質問してくれた国会での状況などを伝えるのと同時に、北朝鮮の幹部に対してともかく今の内に日本人拉致被害者の救出を手伝った方が身の為ですよと、いうですね。
半ば脅迫みたいな物ですが、こういうのを入れて流します。

英語の方は、これはですね。
これは逆に短波放送と言うのは非常に遠くまで届きまして、アメリカとかヨーロッパとかオーストラリアでも受信されたと言う報告が入っております。
ですから英語圏の人々に拉致とはどういう事なのか?と言う事を流す放送を行う。
日本語は、日本の中でも結構聞いておられる方もおられますし、それからもちろん拉致被害者日本人の方は分かるわけで、それを流していくという事をですね、やりまして。
そしてさっきのこのような状況になった場合はですね。
今度は拉致被害者の方々にどこに集合してくださいとか、どこで待っていますとか言うような事の情報をですね。
流すように使っていきたい、と言うふうに思っております。

ともかくそういう事をやってですね。
戦わなければ、我々自身の安全も絶対に守れることは出来ない。
こういうのを放ったらかしてしまえば、また次の被害者がこの埼玉でも出るかもしれません。
ですからそういうのを止める為にはですね。
こちらから戦っていくしか方法がない、と言うふうに思っております。

後でお話いただきます野口さんは、北朝鮮からも指名手配されていまして、それは大物だからと言う証拠でございまして、私なんか残念ながら指名手配して頂いておりませんので(小さな笑い声)、頑張って何とか向こう側のリストに載ってですね。
気合を入れてやっていきたいと思いますが。(笑い声と拍手)
例えばですね、今必要なのは我々のあるいは我々の子どもがですね。
次の世代を守るために戦う姿勢がなければですね、我々自身の安全も守れない。

お配り頂いた物の中にもちょっと書いてあるんですが、とにかく日本と言う国はですね。
良かった悪かったという事については色々それはもちろん評価がありますが、ともかくですね。
60年前に世界中の大国を相手にして戦った国です。
アメリカも含めて世界中の国でですね。
全ての大国と戦った国と言うのはどこにもありません。
日本しかない。

アメリカと戦った時だってですね。
陸軍と海軍が喧嘩をしながら戦争をやってるわけですね。
陸軍が潜水艦と航空母艦を作った国なんて日本しかありません。
と言うほど仲が悪くてそれで戦争をやりながらですね。
アメリカ相手にして4年間戦った。
アメリカ以外の国には負けていないわけですね。
と言うだけの日本がですね。
しかし、あの戦争についてだけはいろいろな評価があります。

この北朝鮮の問題は我々がやられている被害者です。
しかも例えば日本人を拉致をしてそれによって金正日がですね。
北朝鮮の国民を救おうとしたとか言うのであれば、許す事は出来ませんけどもしかしまぁ、理屈としては分かると。
ところが日本人を拉致して他の国の人も拉致してそして、尚且つ北朝鮮の一般の国民もですね。
とんでもないひどい目に遭わせておいて、自分達だけ贅沢をしているということから考えたらですね。
我々にとって何もですね、恥ずかしい問題は何一つ存在しないわけでございまして、あの体制をどうにかしてしまうという事についてですね。
躊躇をする必要はまったくないし、そしてこの国の力からすればですね。
そんな事は簡単に出来るはずだとそういう事を思って、みんなの力を集めていくという事が重要だと思います。

北朝鮮にとって見れば、9.17の時に非常に困ったと。
ブッシュ政権が出来てですね。
ひょっとしたら爆弾を落とされるかもしれない。
金は無い。
と言う状況で仕方が無いから日本と手を結ぶしかない。
手を結ぶときに拉致問題が、日本から外務省の田中均さんか誰か分かりませんが、とにかく拉致問題認めてくれと。
拉致を認めてくれたらば、これで日朝国交正常化があっという間に進むんだと言われたわけです。
それでそうかと言う事でですね。
認めてしまったら大騒ぎになって逆にマイナスになる。

そこでもう一回ですね。
認めたんだから、5人だけ一回返してくれと。
生きてると言う5人だけでも返してくれと、戻してくれたらすぐに2週間くらいで北朝鮮に戻すと。
そうしたら次はあっという間に国交正常化が進むからやってくれと言うふうに言われてですね。
じゃあそうかといって返したら戻さない。
更にですね、拉致問題どんどん酷くなって行く。
と言う事でですね、一昨年だったらば子供たちを返してくれれば後は大丈夫だという話だと思って返してみたらばそうも行かない。
と言う事で、北朝鮮からすれば騙されたと言う思いが非常に強いわけです。

日本人の強い所はですね。
皆それぞれ勝手な事をやっていてもですね。
お互いに何の指揮命令系統が無くても同じ方向に動くとなれば、それが最大限上手く行くという特性があります。
それが半分皮肉を込めて言えば、上手く行かなかった事もあるんですが、とにもかくにもこういう問題はですね。
解決をしていくという事に今ある意味で言うと、絶好のチャンスだと思います。
我々どうしてもこの国の力を過小評価してあれが無いから駄目なんだとか、これが無いから駄目なんだとかですね。
マスコミが悪い外務省が悪い、何が悪いこれが悪いと言いながらですね。
言い終わったら一杯やるかと言えば飲んでおしまい、と言う事が非常に多いんですが、実際にはそうではなくてこの国の力をですね。
今こそ試されている時で、その力は十分に我々にはあります。

ある力を使うかどうかの問題であって、それは我々の決断だと言うふうに私は思っています。
もう少しで私は問題解決できると思います。
年内に全部解決してみせると言うことを言っているわけでございますけども、それはもちろん解決したとしても私の力でやるわけではない。
国民全体の力でやるわけですが、そういうところまで私は迫っていると思います。
絶対に出来ると確信を持って、今後とも拉致問題の解決にご協力をお願いしたいと申し上げまして、私の話を終わります。
ありがとうございました。(拍手) 

質疑応答へ


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年5月 2日 (火)

ブルーリボン

早紀江さんのアメリカでの活動、すばらしかったですね。
お体を休める暇もない帰国後の行動力にも、本当に敬服して拝見しています。

早紀江さんの母としての訴えは、世界にも、そして日本でもたくさんの人の心を揺り動かしましたと思います。

今日、私はその実例にめぐり合いました。私の知り合いの方とお話をしたときのことです。
彼女は、大先輩ですが、まもなく定年になります。
日ごろから私が拉致問題に僅かばかり関わっていることを知っていて署名も快くしてくださった方です。

その方が、今日私に言いました。
『今回の訪米の様子を報道で見ていて、私は早紀江さんの姿が崇高にみえたのよ。あの姿は、現在の日本の母親が、時折忘れてしまっている、本当の母親の姿だと思います。どんなに苦しくても、わが子を救おうと必死になっている早紀江さんの姿を見て、涙がでた。私はもうすぐ定年で退職します。早紀江さんの姿をみて、定年後の時間を何かこの問題のお手伝いに使えないものだろうか?本当にこの問題は、制裁でも何でもやって取り戻すべきことだと思ったわ。あなたは、どんなことをやっているの?』と。(要旨)

私は署名、NETで情報を伝えていること、はがきの運動をしていること、集会に参加していることなどを言いました。そして、何か一つでいいから行動してほしいとお願いしました。

彼女は『今のところ、集会などに行く時間はまだ作れないけれど、何かできることはないかしら?』と。

私は、バックにつけていたブルーリボンを差し上げました。
『私は、手先が器用ではないので、リボンを作ることはしていません。よかったらリボンを作っていただけませんか?』と。

彼女は『これなら私にもできるわ。これを作ってあなたに渡せばいいのね?そうしたら、あなたが集会や、署名活動にもって行ってくれるのね?』

私は、物凄くうれしかったですよ!

彼女は仕事が終わったら、すぐにでもリボンを買いに行く、そして早速作り始めるとうれしそうに、おっしゃってくださいました。

私ができることは、こうやって一人一人を仲間にしていくことです。ほんのわずか、一人、一人ですが、仲間が増えているのが、心強いのです。

NETを通して、人を通じて、拉致の情報を知り、それぞれが仲間を増やし、何でもいい、行動をおこしてくれれば、きっと政府も動かざるを得なくなります。

早紀江さん、あなたの訴えは、日本人だけではなく、世界中の人間に響いたのだと思います。
大きな力をいただきました。

早紀江さんには、「どうか、お疲れを休めてください。」と言いたいです。

私たちも行動し、そしてめぐみちゃんや、特定失踪者を含む、すべての被害者を取り戻すまでがんばらなくちゃ!

先輩は、仕事が終わるとすぐにリボンを買いに、お店に向かいました。

もし、この記事を読んで、私もリボンを作りたいと思ってくださった方は下記リンクを参考にしてください。
作り方が書いてあります。

ブルーリボンの作り方

蒼き星々HPからメインメニュー、そこから、資料集にはいって、ブルーリボン工作室をクリックしてみてください。

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米大統領・横田さん面会の意義

世界日報より

「救う会」副会長・福井県立大教授 島田洋一氏に聞く

 ブッシュ米大統領と横田早紀江さんの面会実現は、今後、拉致問題の行方にどのような影響を与えるのか。今回、横田さんとともに米下院公聴会で証言した拉致被害者家族支援団体「救う会」副会長の島田洋一福井県立大学教授に聞いた。
(聞き手=ワシントン・早川俊行)
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 しまだ・よういち 1957年生まれ。京都大学法学部卒業。同大学大学院法学研究科博士課程修了。福井県立大学助教授を経て、2003年から同教授。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など。 
 ――ブッシュ大統領が横田早紀江さんと面会した意味は何か。

 ブッシュ政権が人権問題への取り組みを強めていくというメッセージだろう。具体的にどういう動きに発展するかは分からないが、一つはっきり言えることがある。ブッシュ大統領は早紀江さんとお互いにクリスチャンであるという話をし、三回以上も握手をしたそうだ。この事実を受け、米政府は今後、人権問題で明確な進展が見られなければ、核合意が進行しても北朝鮮に経済援助をすることはないだろう。そんなことをすれば、ブッシュ大統領が早紀江さんを裏切ったという話になるからだ。

 また、ブッシュ大統領は「一国のリーダーが子供の拉致を奨励することなど想像できない」と語った。米国の大統領が、金正日個人が拉致を指令したとの認識を示したことは重要だ。

 ――今回の面会は、米国の北朝鮮政策に影響を与えるということか。

 まさにそうだ。面会の場には、六カ国協議の担当者であるヒル国務次官補やレフコウィッツ北朝鮮人権問題担当特使らも同席した。これは、大統領が北朝鮮政策の方針を示すために彼らを呼んだわけだ。つまり、今回の面会は、政府内に向けた大統領のメッセージでもある。その意味で、非常に大きな成果だったと思う。

 ――横田さん以外に、北朝鮮を脱出して韓国に亡命したキム・ハンミちゃん親子も招かれた。

 ハンミちゃん一家を北朝鮮に送り返そうとした中国に対する警告であることは明白だ。また、韓国政府がつぶそうとしている北朝鮮向けラジオ局の金聖民代表も招かれたが、これは盧武鉉政権に対する警告だ。戦略的判断に基づく人選であり、北朝鮮、中国、韓国に対して同時に圧力を強めていく方向が示されている。

 ――拉致問題を七月のサンクトペテルブルク・サミット(主要国首脳会議)で取り上げるべきとの意見が出ているが。

 サミットで取り上げることが大切ではないとはいわないが、それよりも情報収集のほうが重要だ。「救う会」のような小さな組織が調査しただけでも、日本人以外に拉致されたケースが確定している。米国が一九七七、七八年ごろに若者が行方不明になったケースを徹底的に洗い直せば、必ず新たな拉致事例が出てくるはずだ。米国にも拉致被害者がいたことが判明すれば、米政府も本格的に対応せざるを得ない。米議会を中心にその情報収集キャンペーンをやってもらいたい。

 曽我ひとみさんの夫チャールズ・ジェンキンスさんら脱走米兵四人は皆、拉致被害者と結婚している。ジェンキンスさんは、外国人同士を結婚させて、西欧風の顔をした子供を産ませ、彼らを在外米軍基地を狙う工作員として使おうとしていたと証言している。こうした工作員をたくさん養成するために、米国人を拉致してこいという話が出ていたとしても不思議ではない。これは米軍の安全に関係する問題であり、決して日本と北朝鮮のバイラテラルな(=二国間の)問題ではない。

 なぜ七七、七八年かといえば、金正日が拉致の指令を出したのが七六年半ばといわれているからだ。当時の米国は、世界から甘く見られていたカーター政権であり、海外を旅行していた若者などが被害に遭っていたとしてもおかしくない。

 こうした新たな情報が出てくることが国際的な運動につながっていく。

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家族会訪米後、荒木氏【雑感】

調査会ニュースより

~家族会訪米後~

■雑感
                   荒木和博

 横田早紀江さんの米議会証言、ブッシュ大統領との会見などは連日大きく報道され、日本でもあらためて拉致問題への関心を高めることができました。家族会・救う会の皆さんのご尽力に心から経緯を表する次第です。横田早紀江さんも団長を務められた飯塚繁雄・家族会副代表もハードなスケジュールだったと思いますが、帰国後はできるだけ無理をしないで、少しでも休息をとってもらうよう切に願う次第です。

 今回の一連のイベントでは、22日の集会に大澤孝司さんのお兄さんである昭一さんご夫妻、山本美保さんの妹さんである森本美砂さんも参加されました。特定失踪者ご家族への政府の対応は、家族会の発足した頃と同様の状況であり、その点では現在の家族会とは差がつけられていると言わざるをえません。

 だからこそ古川了子さんの拉致認定を求める訴訟も行っているのですが、私たちとしては個別の対応もさることながら、「北朝鮮にいる拉致被害者は全員探し出し連れ帰る」という、基本に立ち返って対応してもらいたいと思います。その線が守られていれば、個別の対応が多少雑であろうと、私たちもご家族も、おそらく大部分の人は文句を言わないでしょう。「どこに、誰がいるのか調べ、どうやって助けるのかを考え、実現する」という、国家として極く当たり前のことをやってこなかったのだということはしっかりと認識してもらいたいものです。

 ところで、今回、一つ日本の報道で気になったことがあります。

 それはブッシュ大統領との会見のことなのですが、日本の報道を見ていると、多くの人は何となく横田早紀江さん、拓也さんと大統領が単独会見をしたように感じられたのではないでしょうか。しかし、実際にはこのとき、瀋陽総領事館駆込み事件のハンミちゃん一家や自由北韓放送の金ソンミン代表、さらに北朝鮮の収容所をテーマにしたミュージカル「耀徳ストーリー」の監督であり自らも脱北者の鄭成山氏が同席したとのことで、このときのブッシュ大統領のメッセージは包括的な北朝鮮人権問題への姿勢を表したもので、個別の拉致問題だけについてのメッセージではありません。

 従って、これから重要なのは今回のことをいかに有効に使っていくかです。その意味では団長である飯塚繁雄・家族会副代表の帰国会見での「今回は一つの通過点。肝心なのはこれをステップに、具体的にどう動くかだ」と言葉に尽きていると思います。米国は慈善事業で拉致問題への関心を示しているのではなく、自国の国益にのっとってやっているのだという前提で、今回の成果をどう活かしていくかであろうと思います。知人の言葉で、「かつて『日米安保で日本はアメリカの戦争に巻き込まれる』と言われたが、この問題は、『日本の戦争にアメリカを巻き込む』のだ」というのがありますが、そのつもりでやっていく必要があるでしょう。

 それにしても、今回代表団は国防総省や国家安全保障会議を訪問しましたが、日本で家族会の方が防衛庁を訪問したことはありません。自衛隊が拉致問題解決のために動くということが、少なくとも最近まで「想定外」だったからですが、防衛庁・自衛隊の皆さん(私も片足の親指の先位は自衛隊員なので、天に唾するようなものかも知れません)は、この現状を少しは恥ずかしいと思ってもらいたいものです。

 また、帰国後安倍官房長官への報告のとき、安倍長官は「政治家が会うより、みなさんが直接訴えた方が何倍も力がある」と横田早紀江さんらに伝えていますが、本来なら、ご家族が米国まで行かなければならない現状をお詫びすべきではないでしょうか。もっとも、安倍長官はかつて、「政治家として解決できていないことをお詫びしたい」との趣旨の話をしていますので、たまたま一部が報道されただけかも知れませんが。

 いずれにしても、今回様々な形で関わった皆さんに重ねて敬意を表するとともに、私たちもこれを期に、結局拉致問題は日本が先頭に立って動かねばならないという現実に立ち返って頑張っていかなければならないと、思いを新たにした次第です。

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ブッシュ大統領が声明

■横田早紀江さんらとの面会でブッシュ大統領が声明

救う会ニュースより

 5月28日、横田早紀江さん・拓也さん、加藤良三駐米大使と瀋陽総領事館駆込み事件の金ハンミちゃん一家、金聖民自由北朝鮮放送代表が、ブッシュ米国大統領に面会した。以下は、面会後のブッシュ大統領の声明で、ホワイトハウスのホームページに掲載されたものである(救う会訳)。


ホワイトハウス報道官室
2006年4月28日
大統領声明:
北朝鮮により拉致された日本人被害者の家族および北朝鮮亡命者との面会を経てOval Office (大統領執務室)
午前11時39分 米国東部標準時間

 大統領:たった今、ここOval Office(大統領執務室)にて大統領就任以来、最も心を動かされた会談の一つと言える話し合いを持ちました。私は、娘または姉とすぐにでも再会したいと痛切に願うお母さんと弟さんに会いました。彼らが離れ離れになった理由は、北朝鮮政府がその娘をまだ中学生の頃に拉致したからでした。そしてそのお母さんが願うことは決して大袈裟なことではなく、娘と再会するといった、たった一つの願いでした。

 国家が拉致行為を奨励するということはいわば信じがたいです。我々米国民にとって、どの国の指導者であろうと幼い子供の拉致を後押しすることは理解に苦しみます。もし、愛する家族を引き離すようなことがあれば、その国家は心無き国家に他ならないが、正に北朝鮮の行った行為はそのような悲劇を作り出したのです。もし北朝鮮が国際社会より尊敬されたいと願うのであれば、人権そして人の命の重さを尊重し、ここにいるお母さんが再びその娘を抱きしめられるよう務めなければなりません。

 わたしは虐政の支配から逃れ、自由の生活を手に入れるため逃避したある若い北朝鮮の一家とも話しました。この若い夫妻は脱出当時、子供の出産を予定しており中国へと通じる川を渡ったときお母さんは妊娠5ヶ月でした。彼らはその後、中国国内をさ迷いながら自分の子供が果たして本当に幸せな人生を歩むことが出来るのかを考えていたそうです。彼らは子供の将来を危惧していたのです。どのお母さんでもお父さんでも、子供の将来はとても気になります。

 ご夫妻はさ迷い続けなければならなかったわけです。なぜなら自分の子供には暴力が溢れ、人権を尊ばない社会に育って欲しくなかったからです。そしてやがて神のご慈悲により、彼らは安息の地に辿りつき、子供を無事出産し、そして家族全員が平和にそして守られながらここ大統領執務室にいま座っているわけです。

 わたしは北朝鮮を逃げた勇気ある男性と話しました。彼は北朝鮮の軍隊に所属していました。政権の暴力的な性癖を最前線で目撃し、それに最早耐えられなかったわけです。彼の良心がそれを許せなかったわけです。彼は自分の道徳心に従い脱出しました。この男性は今まで脱出を試みた何千人という国民、そしてまだ国内で生きる何千という人々の代弁者なのです。彼は雄弁に北朝鮮国民に自由が必要であることを、国民が丁重に扱われる必要性があることを話しました。

 世界はいま、人権を尊重しない人間と真正面より対峙する勇気を必要としています。そして今回、そのような圧倒的な勇気を持ち合わせた皆様をここ執務室にお招きできたことを誇りに思います。皆様はお母さんであり、お母さんとお父さんとその幼い子供、元軍人、そして弟さんであります。わたしは改めて歓迎の言葉を述べたいと思います。訪ねて頂いたことを光栄に思います。わたしは米国が人権を尊重する国家であることを保証します。私たちは自由のために、北朝鮮の国民が自分の子供を自由で希望に満ちた社会で育てられるように、そしてお母さんが二度と拉致された娘のことを心配しなくていいように強い意志を持って働きかけます。

 ここにいらっしゃる皆様に神のご加護があるように、そして来て頂きありがとうございました。

午前11時44分 米国東部標準時間

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東京連続集会 16-8横田早紀江さん

   みなさん、こんばんは。本当にありがとうございます。
今日はシーファーさんがわざわざ新潟の拉致現場、私たちと寄居中学校から、そこであって、それからずっとめぐみが帰ってきた道を通りまして、友達と別れたところ、曲がり角の、犬がきてそこでにおいが消えたところ、そして私たちのうちの前、そしてずっと海岸まで行って、そのときの様子とか、私たちの親の気持ち、いろんなことを話し合って、聞いていただくことが出来ました。

ほんとうにいつも思うんですけれども、あちらの方は、ご自分でも口に出してはっきりとおっしゃいましたけれど、「正義が悪に勝たなければならない。必ず悪に負けない。正義は必ず勝つという思いで、頑張らなければいけない」とはっきりとおっしゃいました。私たちはいつもそのことを思いながら頑張って参りますけれども。

今日は佐藤先生の(お話)に、あんまり毒気に当てられて、(笑い)なにか、あてられて呆然としてしまったようなところがありますが。

やはり、日本の政府の中に、本当に国のために立ち上がった人たちの中に、そういった金銭とか、私利私欲のために大切なことをないがしろにしていくというのが、当たり前になっていくというような思いの方がたくさんいらっしゃるんだなーということを、前から感づいておりましたけれど、今日のお話で、まだまだ、そういう方たちがあちこちにいらっしゃるんだということがわかりました。

本当にそう言うことを、今日の加納さんのように、ひとつひとつ、「これは、どうなんだ」ということをはっきりと証明されるようなことを、きちっと示して、何にも見えないような状態にバッと出して、明らかに現されていくようにということを、マスコミの方たちにもお願いして。

本当に今までそういうことをやってきたいろんな方がたくさんいると思いますけれど、北朝鮮に何度も行って、交渉してきた中にも何をしてきたかわからないような方がたくさんおりますから。よく(一部不明)見守っておりますが、その後亡くなっていない方もたくさんいらっしゃるわけで、そう言う方はいろんなことを知っているかもしれない。それをどうしたら出せるかということが、それがはっきりと国民の前で明らかにされないと、はっきりしたことが言えない。「それはもう、本当だな」と今日も聞きながら思いましたので。

どうしたらそれができるのかということを、私たち国民全部が考えて、本当に正しい方向に向かって。
「もう絶対の私たちも頑張ります」とおっしゃってくださって、シーファーさんは「本当にあらゆる協力をいたしますけれども、日本のこの拉致問題、私たちはできる限りの協力をします。けれどもこれは日本の国がやることです。」ということをはっきりとおっしゃったのが非常に印象深く残っております。

今日のお話で、本当にだいぶいろんな点で非常に今までと変わった。ずいぶんと前進してきているということを、感じておりますので、あとしばらく、金正日より(先に)倒れないように頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします。

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2006年5月 1日 (月)

大統領への手紙

<拉致問題>訪米「大きな成果を得た」 家族会期待(毎日新聞)より

 ◇大統領へ手紙の内容
 家族会のメンバーが大統領にあてた手紙の概要は次の通り。

家族は、被害者の写真に大統領へのメッセージを添えて、面会した早紀江に託した。

ブッシュ大統領は、ひとりひとりの写真をみて、頷いたという。

記録として残しておきます。


▽市川健一さん
 私の両親は91歳の高齢者。一刻も早く会わせてやりたい。時間がありません。



▽飯塚繁雄さん
 22歳の時、2人の幼い子供を残して北朝鮮に拉致された妹・田口八重子の懐かしい写真です。残された子供はもう29歳と30歳になってしまいました。早く普通の家庭に戻してあげたい。


▽横田拓也さん
 私の姉は太陽のような存在でした。私の家族は大変幸せに暮らしていましたが30年前に姉が拉致され、家族の写真がありません。めぐみを取り戻してほしい。今すぐ会いたい。


▽横田早紀江さん
 かわいそうなめぐみちゃん。こんなに悲しい目をして、苦しいでしょう、悲しいでしょう、つらいでしょう。早く神様がみなを救出してくれるよう、毎日毎日祈り続けています。



▽増元照明さん
 私の姉・るみ子と父の写真です。私の父は3年前に亡くなりました。父はるみ子にもう一度会いたいと祈り続けていました。北朝鮮から私の姉を取り戻すのにどうか力を貸してください。

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