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2006年5月21日 (日)

東京連続集会18-1 横田滋さん

   『横田滋 家族会代表 訪韓報告』

皆さん、こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
今回は家族会4名、救う会2名、その他内閣府・外務省・警察庁・神奈川県警とかで、15日から17日まで訪韓して来ました。
最初の日には、自由北韓放送と言うところの放送局へ行きまして、そこで一人が約2分ずつの原稿を持っていきましてそれを録音いたしました。
これは数日後に放送されますが、更に再放送も行なわれるという事になっております。
(西岡氏より「今日も」の声)
今日も放送されます。

そして当初は韓国にあります日本の大使館へ、最終日に表敬訪問をする予定だったんですが、金ソンジュというハンナラ党の議員、その後はハンナラ党の本部へ行って党主の朴槿恵さんという方にお会いするという事が決まりましたので急遽大使館訪問は取りやめ、大使館へは行く事が出来なくなりましたので、この日の夜に大島大使主催の歓迎の夕食会を開いてくださいました。
なかなか、山の・・・(聞き取れず)の所があって静かな綺麗な庭のところです。
そのとき大島大使が、数年前に家族会がジュネーブに行きました時のジュネーブの大使だったものですから、平野さんとは顔見知りで、それから哲也をみて「しばらくぶり」なんて言って、拓也と間違えて(笑い声)そんなこともありました。

初日はそれで終わりまして二日目には、少し順序が逆になりましたけど韓国の空港に着いて驚いたんですが、我々二階で飛行機から出てきましたら、そこには韓国のメディアだけ。
日本の人は一階の方にちょっと待ってくださいと言う事で、先に韓国の人と話をしましたが、2003年に行った時は特に韓国のメディアは少なかったんですが、今回はテレビで御覧になったと思いますが、凄い人数で。
(後ほど司会者の方からこのときに取材に集まったマスコミの人数は約300人と公表されました)
更に一階の方に降りていきましたら、崔祐英さんが花束を持って出迎えてくれて、その周りに警察官が何十人と壁を作って我々の通る道を確保してくれましたので、日本のマスコミもちょっとこれまでに無いような、アメリカの時よりも多かったような、私はアメリカは分かりませんが、両方行った方の話ですとアメリカ以上にマスコミの方が来て下さいました。

二日の日は韓国にあります家族会が3団体ありますが、韓国の拉致被害者協議会の事務所、それは崔祐英さんが代表をやっていますが、こちらの事務所に行きました。
それでそこの事務所は学生のボランティア、日本からも・・・(聞き取れず)学院大学からも東大なんかに留学している方もいましたのでかなりの人がいたんですが、今回は30人くらいのマスコミが来るというのを学生が誰も信用しなかったそうですけど。
実際は上回る人が駆けつけたものですから肝心のボランティアが入れないくらいの人で、そこで我々は韓国の家族会は従来から韓国の家族会と連携してやっていますので、「これからも引き続き協力しましょう」と言う話を致しました。

それから次に朝鮮戦争の時の被害者の家族会の事務所、李美一さんて言う、この前のワシントンで英語で証言なさった方ですけど、こちらの事務所に行きました。
そこに行きましてセロハンにマジックでお願い事を書いて、それに風船をつけて飛ばすような行事をしたり。
それからそこの屋上に朝鮮戦争の一部の写真を展示しておいてくれたので、それを見てから下の事務所に行きました。
これも韓国の政府では朝鮮戦争の時に連れて行かれた名簿なんか無いって言ってたんですが、家族会の人が、日本では国会図書館のような所だと思うんですが、そういう所で見つけてそれをコピーして製本した物がおいてありました。
このくらい(人差し指と親指を開いて本の厚さを示す)の分厚い物が5冊くらいあって。
それが第一巻は例えばソウル地区とか地域別に分けてありまして、そして第5巻と言うのは追加分ということで後から見つけて入れてありますけど。
8万数千人の人の名前、性別、住所それから職業、かなりの部分が空欄の部分もありますから全部が分からなかったかも知れないけど、それだけの物があるということが分かりまして、一部はハングルのままコピーしましたので後で家族会の事務所とか救う会の事務所に置いておいて何かの行事の時に提示をしたいと思います。

それから午後は、崔成龍さんと言う方が代表をしています拉北者家族会と言うところの集会に参加いたしました。
それでそこで金英男さんのご家族と我々の対面がありました。
ここにもマスコミが数え切れないくらい来ておりまして、普通の低い所では見えないから壇上に上がって対面をしました。
そして私どもとしましては、結婚した相手が加害者国の北朝鮮の人でなくて良かったと言う事と、また一日も早く金英男さんとお母さんが対面出来ることを祈っていますと言う話をして、日本から持って来ましたお土産を渡しました。
それと同時に今回早紀江は体調が悪くて来れなかったもんですから、手紙を差し上げました。

そうしましたら金英男さんの所も、同じような形で手紙を下さいまして、それからお土産として茶器のセットを下さいました。
そしてそれを渡して下さるときに、「これは普段に使ってください」
すると普段に使うとすぐにそこにあるわけですから「私たちの事を思い出してください」と言う事だったので、私どももその言葉を受けて、非常に高価な物だけどそれはそういった趣旨で頂いたのであれば、「これはいつも使って皆さんの事を思い出します」と言って受け取っておりまして。
それと同時に早紀江への手紙、これは非常に長い物だったんですけどそれを頂きました。
そして「これからも一緒に元気でやって行きましょう」と言う話をして、それからその後で集会みたいな形になりまして、いろんな人が少しずつ拉致に関する問題で話を致しました。
その日はそれで終わりました。

それから最後の日は金ソンジェさんというお名前が良く分からないんですけど、その方との朝食会がありまして。
南北の鉄道が途中で線路を外したのを直してつないで試運転をして、それから金大中さんがそれに乗って行って、噂によるとその中に拉致被害者数名を乗せて帰るとか言う噂もあるようですけど、そんな事があるんですけど。
その前にハンナラ党と言う野党の勉強会に私らの西岡さんを呼んで、そこで拉致問題の話とか、それからどうやってこのような大勢の方が支持して下さって強く動く事になったかという事についてまで聞きたいという事が、日程を調整して行くことになると思います。

それからその後ハンナラ党の、空港の近くなんですが事務所に行きまして朴槿恵さんという、その方にお会いしましたが、やはり拉致問題の非常に熱心な方で、韓国の議員はそれほどでも無いと言われておりましたけど、我々がお会いした皆さんは関心の高い方で、国家が国民の命を守るという事は当然大切な事だからそれを家族と被害者が一日も早く対面できるよう政府に伝えていきますと仰って。
それからまた国会議員の方が二人いましたが、三人ですか?
その方々が聴衆に向かって演説をしてくださいました。
それでそれが終わってから空港に行って、最後に韓国に来たんだから焼肉ぐらい食べとかないとと言う事で(笑い声)庭の綺麗な所、ホテルの経営しているところでして、そこに行きまして無事に終わったという事で喜び合って、そこで韓国料理を食べて終わりとなりました。

韓国の世論と言うのも以前はあまり拉致の問題なんか取り上げなかったらしいですけど、金英男さんが、めぐみの夫のチョルジュンさんが韓国から拉致された5人の高校生の内の一人であると言われて、それで結果が4月の11日に出たわけです。
そうしますと4月の12日には一面トップに各紙はそれを報道したりして、それ以降拉致の問題と言うのが新聞に出るようになり。
それからアメリカに行きまして27日の公聴会でも、日本側は大使館員それから日本政府の一行が非常に強くバックアップしてくれたわけですけども、韓国側はそんな事は全然なかった。
それに対して新聞が「日本はちゃんとやるのに、どうして韓国はアメリカにある大使館は何もしなかったんですか?」と新聞で批判をしたと言うことも聞きましたし。
今回行きました時も最初の日は、二日目の方に・・・(聞き取れず)の所で中ほど二面出ておりまして、2ヶ所載せているところもありまして全部の物が取り上げて下さいましたし、ちょっと過熱とも思えわれるような取材もありました。
ですからこれがこのまま一過性で終わったら何もならないので、ぜひこれからも連携を強めていきたいと思います。

今朝も崔祐英さんから電話がありまして、「お父さんが来たおかげで今日も外国のメディアの取材が一杯集まって忙しいんです」なんて言っていた。
そういった形で韓国でも日本だけでなくてメディアだけでなくて、他の国のメディアからも照会が来る様になったという事は喜ばしい事なので、ぜひこれからも続いてこれからもつないでいければと思います。
簡単ですが、以上です。(拍手) 

蒼き星々(サブボード)より


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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