島田洋一教授が米下院に提出した陳述書(和訳)
北朝鮮による外国人拉致について
教授・島田洋一
福井県立大学教授
救う会全国協議会副会長
2006年4月27日
米国下院 国際関係委員会アジア太平洋小委員会・国際人権小委員会共催「北朝鮮:人権最新状況と国際拉致」
少なくとも12カ国が関係している
北朝鮮の拉致問題に関して、私の意見と情報を提供する貴重な機会を与えてくれることを委員長、および委員会の皆様に感謝する。
日本政府は日本人11件計16人を公式に北朝鮮による拉致事件として認定している。この数字は、しかし、氷山の一角にすぎない。
暴力的な誘拐の他にも、多くの人々が北朝鮮におびきだされ、拘束されていると思われる。
正確な数字を出すことは困難だが、私は100人以上の日本人が拉致されたと推定している。
これらの日本人被害者に加えて、おびただしい数の韓国人拉致被害者がおり、これについては後ほど韓国人の証言者が詳細に述べるだろう。
北朝鮮亡命者は私に対し、1976年にキム・ジョンイルが北朝鮮のスパイ活動を向上させるため、外国人を組織的に利用するという極秘命令を出したことを教えてくれた。彼はこれを「スパイ教育のローカリゼーション(現地人化)」と呼んだ。北朝鮮による拉致は継続的に行われたが、拉致が加速して行われたのはこの命令の後である。
1977年から1978年にかけて、13歳の横田めぐみを含めた少なくとも11人が拉致されている。
5人の韓国人高校生も1977年から1978年にかけて拉致されている。
4人のレバノン人女性も1978年に拉致されている。そのうち1人は、今も北朝鮮にいる。
また、少なくとも2人の中国人女性と1人のタイ人女性が1978年の同じ日の夜に、北朝鮮によってマカオから拉致されたことが確認されている。彼女らは皆20代前半だった。
米軍を脱走し、今は日本に住んでいるチャールズ・ロバート・ジェンキンスは、私に対し、ドナというルーマニア人女性もまた北朝鮮に拉致され、北朝鮮で暮らすことを強いられていることを伝えてくれた。
レバノン人女性らは何とか北朝鮮から帰還した後に、北朝鮮のスパイ訓練場に送られ、一緒に講義の他、柔道、テコンドー、空手、盗聴技術等のトレーニングを受けていたと証言している。彼女らは、訓練場に3人のフランス人女性、3人のイタリア人女性、2人のオランダ人女性、その他の西洋人女性と中東の女性と見られる女性を含んだ28人の女性らがいたことを記憶している。(1979年11月9日、レバノンの新聞El・Naharより)
1978年にシンガポールで拉致され,1986年なんとか脱出した有名な韓国人女優・Choi Un-heeは、北朝鮮でヨルダン人女性と一度短い会話を交わしたことがあると証言している。
Choi Un-heeは、また、フランス人女性が外見の良い北朝鮮の男性によって拉致された話を耳にしており、北朝鮮工作員・キムヒョンヒも同様の話を記憶しておりこれを伝えている。
このように、一連の北朝鮮による拉致によって影響を受けた国は12カ国にものぼる。日本、韓国、レバノン、中国、タイ、ルーマニア、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、マレーシア、シンガポールである。
これらの情報がより広く入手できるようになったことを受け、私は以下のことを強く提案したい。失踪者の友人、親族、政府は、もし北朝鮮が関与した可能性がわずかでもあるならば、それらの事件を北朝鮮の関与を考慮にいれて再調査すべきである。これは、特に1977年、1978年に失踪した10代および20代の人物にあてはまる。
拉致の目的
日本人失踪者を取り返す活動を通じ、私は「なぜ北朝鮮は外国人を拉致するのか」との疑問を持った。過去の事例から、北朝鮮は以下の6つ理由のために拉致をしたと思われる。
1 不幸にも北朝鮮工作員と遭遇した目撃者を排除するため
2 被害者の身分を盗み浸透するため
3 北朝鮮工作員に被害者の言語や習慣を教えさせるため
4 洗脳し秘密工作員にするため
5 被害者の特殊な技術等を利用するため
6 脱走者や拉致被害者といった北朝鮮に住む特殊な外国人の配偶者にす るため
言うまでもなく、これらの6つのパターンは相互に相容れないものではなく、実際には多角的に利用している方がより一般的であろう。
これらの目的のうち、1番は古くから一貫して実行されている。2番、3番、4番は上述した1976年のキム・ジョンイルの命令から生じたものであり、彼の言う「スパイ教育の現地人化」のためのものである。女優Choi Un-hee’sの事例は5番である。最後の6番は言わば、犯罪が新たな犯罪を生じさせた類型である。(訳者注:crime-generates-new-crime category of deedがうまく訳せなかった)
テロ放棄の証明としての拉致被害者の解放
なぜ平壌が多くの拉致被害者を解放しないのかということを学ぶために、多くの努力が費やされてきた。横田めぐみや他の日本人拉致被害者については、彼らが地元の言葉や習慣を北朝鮮工作員に教えることを強いられてきたことが確認されている。
そのため、もし彼らが解放されれば、彼らは日本や他の場所で活動している北朝鮮工作員を見分けることができる。
私はこれが北朝鮮が被害者の解放を拒む理由だと考えている。
言い換えれば、もし、北朝鮮がテロ訓練、すべての秘密工作、世界各地へのスリーパーの潜伏をやめる決定をするならば、そのとき,すべての教官、拉致された外国人を即座に解放できるはずである。
北朝鮮が拉致被害者の解放を拒絶しているこの事実こそが、まさに北朝鮮がテロを放棄する意思のないことの確かな証拠なのである。
私は北朝鮮に対するあらゆる経済援助により先に、核計画の検証可能な放棄を求めるアプローチはまったく正しいと思う。同様に、検証可能なテロの放棄もまた、あらゆる経済支援に先だって要求されるべきである。拉致被害者の解放は、テロの放棄に不可欠の要素である。つまり、拉致問題が未解決のまま残っている間は、我々は北朝鮮がそのテロ計画を放棄しないだろうと考えざるを得ないのである。我々はこのようにして行動すべきである。
北朝鮮に拉致された子供達
横田めぐみは北朝鮮に13歳で拉致された唯一の日本人ではない。他にも13歳で拉致された日本の少年、寺越武志がいるのである。
1963年、寺越武志は二人のおじらとともに漁船から失踪した。亡命者によれば、その漁船は日本の水域で北朝鮮工作船に衝突された。北朝鮮人達は目撃者を排除するため、日本人の漁師らを連れ去った。この事件は、1987年におじのひとりが日本の親類に手紙を送った時に北朝鮮による拉致事件だと確認された。
武志の母親ははじめ彼の息子を取り返すため,他の被害者家族とともに活動していた。しかし、武志は北朝鮮に自分は拉致されたのではなく北朝鮮の船に救助され幸せに暮らしていると発言することを強制された。結果、母親の態度は変わり、彼女は今、日本政府に対し彼女の息子の名前を拉致被害者リストに加えないよう求めている。母親は平壌の武志のアパートをたびたび訪問することを許されている。彼女は明らかに北朝鮮当局と当局に将来の訪問を拒絶されることを恐れている。
個人的には、日本政府はもっと前に武志と二人のおじを公式に拉致被害者として認定するべきであったと思う。北朝鮮にあやまったメッセージを送ってはいけないのである。
北朝鮮の船が武志を救助したというのはばかげた話である。
もし、それが本当であったとしても、(もちろん本当ではないが)13歳の少年を救助したのにそれを両親に何十年も知らせないのは拉致にほかならない。(訳者注:ここの内容については自信がない)
北朝鮮によって殺されたとされている武志のおじの3人の息子は家族会の活動的なメンバーであり、日本政府に対しこの事件を公式に拉致と認定するよう求めている。米国下院議会は北朝鮮による拉致事件を2005年7月11日の決議において、「テロ活動であり、人権に対する広範な侵害である」と非難しており、寺越武志の事例にも以下のとおり言及している。
北朝鮮工作員は子供達を拉致し、自分の子供に何が起こったのか分からないまま暮らす両親に想像もつかない苦しみを与えた。寺越武志のケースでは、13歳の少年がふたりのおじとともに漁船から拉致された。
この決議は我々をとても勇気づけてくれた。重ねて感謝を申し上げたい。
私が指摘したように少なくとも5人の韓国人高校生もまた、北朝鮮に拉致されている。そして、日本人高校生の拉致が疑われる事例がいくつかある。私は個人的に、北朝鮮による拉致が日本人と韓国人だけであると限定することは間違いだと思う。
結婚の隠された目的:米国脱走兵と拉致された女性達
1965年に北朝鮮に脱走した米軍軍曹・ジャールズ・ロバート・ジェンキンスは2004年に日本に帰還した後、以下のように証言している。彼は北朝鮮でのその厳しい生活を(訳者注:on an on-and-off basisは翻訳できず。おそらく頻繁に転々としながらとか入れ替わりなどとの意味ではないか)3人の脱走米兵、Pfc. James Joseph Dresnok (August 1962), Pvt. Larry Allen Abshier (May 1962), Cpl. Jerry Wayne Parrish (December 1963)らと過ごしていた。
これらのアメリカ人脱走兵はすべて北朝鮮で外国人拉致被害者と結婚していた。
日本から拉致されたときまだ若かった曽我ひとみはジェンキンスと結婚した。彼女は、今日本で勉強に打ち込みキャンパスライフを満喫している2人の娘を産んだが、ひとみとともに拉致された母親はいまだ行方不明である。北朝鮮は彼女の母親が入国した記録はなく彼女の母親については何も知らないと主張している。彼らの主張にはまったく信憑性がない。ひとみは彼女自身が拉致被害者でありながら、また、被害者の娘でもある。
Siham Shraitehは1978年,日本での偽りの仕事のオファーによってだまされ、北朝鮮に連れてこられた。彼女はParrishと結婚し、3人の息子をもうけ、3人の息子は今も北朝鮮で生活しているが、パッリシュは1997年8月死亡した。
1978年マカオから拉致されたアノーチャ・パンジョイはアブシャーと結婚したが、アブシャーは1983年に死亡した。
数年後、アノーチャはジェンキンスに対しドイツ人男性と結婚するところであると語っている。これがジェンキンスのアノーチャに関する最後の目撃証言である。
ルーマニア人女性・ドナはドレスノクと結婚した。ドナは死ぬ前、ジェンキンスに以下の話を伝えた。
彼女の母親はロシア人で父親はルーマニア軍の幹部であった。彼女は一度あるイタリア人と結婚して離婚した後、離婚手当を用いてイタリアの芸術学校に入学した。
その後、他のイタリア人男性が彼女に近づき、彼女に対しソロエキシビジョンの仕事をするため、ロシアと北朝鮮経由で香港に行くことを要求した。彼女は北朝鮮に取り残され、イタリア人男性はいなくなった。ドナは1997年に肺ガンで死んだ。彼女が土葬しないでほしいと求めていたため、ドレスノクは彼女の遺体を火葬した。ドレスノクは Danaという北朝鮮とトーゴとのハーフと再婚した。ジェンキンスはまた、北朝鮮のスパイ組織のリーダーがおそらく外国人カップルの子供を利用しようと考えていること、混血の子供達を秘密工作員として、特に混血がめずらしくない米国外の米軍基地周辺で利用しようとしているだろうと発言した。
ジェンキンスは、北朝鮮当局が彼の娘を平壌外国語大学に入学させるよう指示したとき、落胆した。ご存じかも知れないが、1987年のコリアンエアラインの爆破犯人、キム・ヒョンヒはこの大学の在学中に北朝鮮当局に秘密工作員として選抜された。
このことや他の証拠から、北朝鮮に拉致された女性は二重の苦しみを受ける。ひとつめは、自国における若い人生が拉致によって突然台無しにされることである。ふたつめは、被害者である彼女らは母親となり、その子供達は彼女らの憎む北朝鮮の秘密工作員となることである。
北京は救出の努力を妨害している
北京は国連難民条約の加盟国でありながらこれを破り、不幸な北朝鮮難民を狩り続け、キム・ジョンイルの拷問官のもとへ送り返している。送り返された者達の中には、拉致された外国人や彼らの家族、拉致被害者の居場所について有用な情報を持っていた者達もいたにちがいないし、将来もその可能性がある。
そのため、私は中国当局が拉致被害者を取り返すという我々の努力を組織的に妨害していると言わなければならない。
さらに、北京は自国の拉致被害者を取り返すため何の努力もしていないようである。ある例を紹介させてほしい。
ともにマカオの住人で20歳のHong Leng-iengと22歳のSo Mio-chunは1978年7月2日、北朝鮮工作員に拉致された。マカオはそのときポルトガルの植民地であったが、1999年に北京に返還されている。ゆえに二人の拉致被害者は今は中国の国民である。彼らの家族も中国の国民である。
私と私の仲間達は様々な証言からこの事件を拉致と確認した。例えば、韓国人女優・Choi Un-heeは1978年1月に香港から拉致され1986年脱出しているが、彼女は平壌にあるいわゆるゲストハウスで一時期Hong Leng-iengと暮らしていたと証言している。
Choi Un-heeはHong Leng-iengのクリスチャンネームがマリアであったことを憶えていた。我々はHong Leng-iengの家族にこの名前について確認した。家族らは彼女がカトリックの洗礼を受けたことは知っていたが、彼女のクリスチャンネームは知らなかった。彼らは彼女の所属していた教会に赴き、彼女の洗礼名が実際にマリアであることを発見した。
Choi Un-hee はHongが平壌で中国語を教えることを強制されていると語った。
我々の組織は東京の中国大使館のスタッフにこれらの市民の状態を知らせようとしたが、彼らは面会を拒絶した。ゆえに、我々は文書を中国大使館に郵送した。返事はまったくなく、彼らはただ我々を無視している。
北京はただ、難民を北朝鮮に送り返して外国人拉致被害者の救出を妨害しているだけではなく、冷血にも北朝鮮に拘留されている自国民を見捨てている。 このような政権にはたしてオリンピックを開催する資格があるだろうか。もし、世界が脱北者狩りを公式なスポーツに採用するほどに堕落してしまうのなら、中国はそのイベントを開催するもっともふさわしい場所といえよう。そして、疑いなく中国チームは金メダルに輝くだろう。
しかし、私の中の良識は私に北朝鮮難民を狩り続ける限り、北京はオリンピックを開催するにふさわしい場所ではないと言うのである。
北朝鮮について言及すると、北朝鮮は生きることはできず、されど去ることもできないところと言われており,それはまさに地獄の定義そのものである。(訳者注:うまく翻訳できず,LIVE(生きる)とLEAVE(去る)をかけた皮肉?)そのとおり、そして北京は地獄の協力者である。中国共産主義者のリーダーは自分自身を恥じるべきである。
経済制裁による体制変更
私は体制変更こそが拉致問題解決のため、さらに言えば核問題、ミサイル問題解決のための唯一の方法だと考えている。無責任かつ中途半端な手段は役に立たない。ゆえに問題はいかに体制を変更するかなのである。
勝利するために近道はありえない。私の考えでは、経済圧力が鍵となるだろう。これについては平壌だけではなく、北京にも圧力をかけるべきである。
このために、昨年9月アメリカが実行した金融制裁は正しい動きである。この制裁は他にも北朝鮮と協力している中国の銀行も標的にしている。私は米国がこれらの手段をさらに拡大し、他の国も米国に続くことを望んでいる。
日本政府は安倍晋三官房長官の強力なリーダーシップの下、最近北朝鮮に対して様々な手法を用いて圧力を強化している。これはとても心強いことである。
2年前、日本の国会は2つの重要な法案を可決した。ひとつは改正外国為替及び外国貿易法で、この法律は政府に対し、日本の安全と平和のために必要と判断した場合には、政府が貿易や送金を停止することができるようにしたものである。
ふたつめは政府に対し、特定の船舶の日本への入港を阻止することを認める法律である。日本はいまや首相の決断さえあれば、北朝鮮の船舶だけではなく、中国の船や日本籍の船であっても、北朝鮮の港に入港した船を入港禁止にできるのである。
個人的には、この強力な道具の適用が長い間延期されすぎていると思う。今こそが、全面的な経済圧力の時なのである。
私にキム・ジョンイルへのメッセージはあるだろうか。いや私にはない。彼には希望はない。私はただ彼にできるだけ早く歴史の灰だまりのなかにおちてほしいと望むだけである。
しかし、私は彼の周囲の人たちにはメッセージがある。キム・キョンイルを抹殺して拉致被害者及び家族、友人の自由と安全を保証してほしい。すなわち、キム・ジョンイルと取り巻き以外のすべての人たちである。そのとき、北朝鮮は制裁を解除され世界中から多くの資金援助を受けられることだろう。
ありがとうございました。
電脳補完禄さんより転載
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