« 日韓連帯東京集会(7) | トップページ | 2つの経済同友会 »

2006年6月15日 (木)

前橋集会(5/20)飯塚繁雄さん

「あなたも拉致の現実を知ってください」(群馬・前橋にて)


 2006年5月20日
      群馬県前橋市 前橋市総合福祉会館にて
―――――――――――――――――
家族会副代表 飯塚繁雄さんの訴え
―――――――――――――――――

5202_1

群馬のみなさんこんにちは。ちょっと座らせていただきます。
私、もちろん耕一郎もそうですが、こういった活動で群馬に来るのは初めてでございまして、従ってみなさんと会うのも初めてと言うことで、日頃私達は日本全国、外国も行きますけれど、東奔西走して全国に訴えておりますが、群馬のみなさんにもこの問題を更にご理解を頂こうということで訴えに参りました。

日頃この問題につきましては非常にみなさん関心を持っていただきまして、みなさんができる活動の中で非常にご支援を頂いております。署名ですとか、あるいは講演会、並びにそれに関したボランティアの方を含めた活動を頂いておりまして、おかげさまをもちまして、3年前とは全然違う今のこの問題に取り組む国民の皆様、もちろん我々もそうですが、この拉致問題をなんとか片付けなくてはいけないという気運が高まって参りまして、私達としても活動がしやすいと言いますか、そう言う状況にも、今あるわけです。

先日家族会として訪米をしたり、訪韓をしたりして、特に訪米の折には、願ってもないブッシュ大統領との面会ができたという、この大きなアクションというか、出来事は、今までかつてないほどこの問題が日本始め世界中に意識されているんだなという実感も受けた次第です。

もちろんこの件だけでこの問題は終わるわけではないんですけれども、やはりこういった形で日本の国民の人たち、それから政府も担当する方々、更に言えば韓国の人々、それから今や拉致の問題は世界的になっておりまして、非常に北朝鮮としては、世界各国から12(の国から)拉致をしたという実績、結果も出ていますし、そう言う意味ではブッシュ大統領が家族と会ったというのは世界に対して、こういう問題、人権の問題に対して、かなりのインパクトを与えたメッセージではないかというふうに私達は感じております。

今日はたまたま飯塚家が中心になるお話になってしまってアレなんですけれども。
私は埼玉県に住んでおりまして、川口と言うところで長く兄弟達と生活してきたわけですが、私の兄弟は7人おりまして、その一番下が連れて行かれた田口八重子という。(名字が違うのは結婚してしまったからそうなんですが)私としては17も違う妹については、妹と言うより親子みたいな感じでですね、そのころの苦しい生活を兄弟力を合わせて何とか乗り切ってきたと言う時代なんですね。言ってみれば、明日何を食べようかという次元の心配をしょっちゅう頭の中でしていると、で、兄弟助け合いながらやってきた訳なんですけれども。

訳あって妹八重子は結婚後、母子家庭を営んでおりまして、私達兄弟もですね、たくさんいる中で、意見として、『もし仕事をするんだったらば、きちっとした昼間の仕事に就きなさい』とかなり意見を言ったのですが、あの当時、女手一つで子供を育てていくというのは、非常に大変なことで、言ってみれば水商売の方に言ってしまうのは無理もないという、そう言う時代だったんですが、私も心配して、いろいろそこの店に行ったり、店長にあったり、友達に会ったりして仕事の状況を見ながら、心配しつつも、これなら大丈夫だということで、ついそう言う形になってしまったんですが。

まぁ、それも僅かの間、3ヶ月ぐらいの間でですね、突然いなくなってしまったと。まぁここに、こんな大きいのがいますけれど(耕一郎さんの方を向いて)実際はその時一歳だったんですね、上の子が二歳半ぐらいで、ちょうど、もちろん親の手を入れなければ生活もできないそう言う時代だったんですけれども。私達もあの頃ちょうど、1978年の6月末に失踪してしまったと言うことなんですが・

本人は(耕一郎さんを見ながら)知らない話なんでしょうけれども、まぁ、ベビーホテルに預けてあったんですね。それでベビーホテルも今のようなきちっとした形ではなく、モグリでやっていたような状況だったんですね。非常に子供達がそこに行くのを嫌がっていた。私も務めていましたから、土曜日に迎えに行って、日曜日の夜又預けに行ってという、こういうパターンを2~3週間も続けたんですけれども、今、後悔するのはあんなに嫌がるところに何故三週間も入れておいたんだということ、反省、後悔はしているんですけれども、まぁその時は仕方がなかったと言うことになるんですけれども。とりあえず子供を何とか育てなければならない、何とかめんどうをなければならないと言うことで、まずそれが中心になって、私はこの耕一郎を、上のおねいちゃんは私の妹が引き取って今まで育てて来たと言うことで。

まぁ、当時は何で八重子がいなくなったかと言うことについては不思議でしょうがなかったんですけれども、そのうち返ってくるんだろうという気軽な事で、とにかく子供達を何とかしようと言うことに力を注いできたわけですが。そんな生活がかなり続いたんですが、やっぱり育てていくためにはきちっとしなければならないという私の持論もありまして、私の子供も3人いまして、上に。まぁ子供達に前に座らせて『これはお父さんの妹の子供だから、兄弟として仲良くするんだぞ。』と。それから『このことは絶対本人に行ってはいけないよ』と言う話をしまして、3人はただうなづいて『わかった』と。その『わかった』と言うのが20年も続いたんですね。それが、当の本人が一番びっくりしたんですけれども。そう言う状況の中で、私達は自分の子としてこの子を育て、将来返ってきた時には、ちゃんとした形で、妹に返してあげたいという気持ちも当然ありますから。

そう言う生活が続いたんですが、これですねまた大きなショックとして、みなさん既にご承知だと思いますけれども、1987年、大韓航空機の爆破事件がありましたね。あれは、今はもちろんこれは北朝鮮の策略だというふうな事が、今はオーソライズされていますけれども。北の狙いとしては、韓国のオリンピック、ソウルオリンピックを妨害するために、日本人が飛行機を爆破したと言うことにするという、そういう策略だったんですね。ですから犯人の金賢姫という人が、偶然生き残っ訳ですけれども、その人の日本人化教育をさせるためにうちの田口八重子を狙い定めて連れて行ったと。まぁこれは、そう言う目的ですから、たとえば結婚の経験がある、子供を育てたことがある、生んだ経験もある、いろんなファンションだとか、雑誌だとか、世間の噂だとか、だいたい全てを知っている人を狙っていたようです。

ですから東京のど真ん中、池袋からそういう拉致をされたと言うことについては、単に海岸にいたからと言う事ではなくて、向こうの目的にあったものを選定して連れて行ったと言うことが、後々わかる訳ですけれどもね。ですからこの大韓航空機事件の犯人であった金賢姫が生き残ったから、今その教育係が(その当時リ・ウネと言う名前でいたんですけれども)田口八重子だと言うことがはっきりしたんですね。

私達その当時そんな大それた事ができるわけがないとか、そんな事件に巻込まれたくないという気持ちがあったんですけれども、まぁ彼女の証言で、写真についても、10枚のうちから、懐かしい声で、『ウネ先生!』ということで、田口八重子の写真を指さしたと言うことで、これはもう決定的になったわけです。ですから。私達はそれを認めざるを得ない。これは確定的、決定的になったんですね。

当然マスコミさん達はこれは大きな事件として、記事にするために面白く書いたという私の感想なんですけれども、
それについては、非常に私の妹が<北朝鮮の手先になった>という、<犯人と一緒にこの事件を起こした>という、そう言った意味合いの書き方がどうも多くですね、<私達は本当は被害者なんだ>と、<日本人被害者が向こうに連れて行かれて、そういう役割を負わされたんだ>という書き方をしていただければ良かったんですけれども、なかなかそう行かなかった時期がありました。従って、その事件に巻き込まれた親(八重子さん)を本人(耕一郎さん)には知らせない努力というか、戦いが長く続いたんですけれども。

まぁそれは、いろいろ毎朝、毎晩押しかけるマスコミを、何とか帰っていただくように、そう言った写真だとか週刊誌だとか新聞だとか一切本人に見せないようにはしてきたんですが、まぁ、そういうふうに残念ながら、そう言った面ではそういう事実だけがわかったと言うことで、実際には、<じゃぁ、助け出せるのか>と言うことになるんですが、それが非常に難しい状況にありまして、未だにそうなんですけれど、何でうちの妹だけがそういう被害を受けなければならないんだとか、被害妄想的な感じもします。

みなさんのように平凡な生活が何故できないのか、させてやれないのかと言うことになるわけですけれども。

こういう事実がわかった以上、何とか奪還しなければいけないと私もちょっと遅ればせながら、例の2002年の9.17のあと、他の家族のみなさんと一緒に活動を始めたわけです。それを見てですね、当の耕一郎は『おれも活動に参加する』ということを言ってくれたんですが、まぁ、『一時待て』と言うことで少しロスタイムがあったんですが、やはり私の疲れた顔とか、後ろ姿を見てると、じっとしていられないという気持ちだったようです。その辺の話はあとで出るかと思いますが。

そう言うことでは、未だに北朝鮮は、さっき言った大韓航空機の策略をですね、北朝鮮ではないとあれは韓国のでっち上げだとか、認めていないんですね。これは世界的に認められている話なのに、未だにアレは認めていない。そう言う状況ですし。それから、のちのち首相が訪朝するわけですけれども、その結果についても、5人生存、あとは亡くなっているという報告をうけたわけですが。

それも外務省から単に『お宅の妹さんは亡くなっています。お気の毒ですね』とこういう感じだけで、いかにも、日本政府がすべて確認して確信がある話だという雰囲気で伝えたんですが、私は『全くそれを信用しない。もうチョット詳しく聞きたい』と言っても、何もわからないという状況があったんですが。

その後いろいろ交渉の中で、亡くなったという人たちの報告書がくるわけですね。それがみなさんご承知のように、まず一番はっきりしているのは横田めぐみさんの骨といわれるやつが、全くのねつ造品、でたらめだったと。それから、松木薫さんの骨も偽物だった。それから、我々を含めた各被害者の報告書も全部ウソの報告書ばっかりで、これはもちろん我々も突き詰めましたけれども、専門家、あるいは政府もこれは全くのでたらめだということをはっきりと確信を持って言及したわけですが。

それを受けて当時の官房長官細田さんが、『北朝鮮が迅速かつ誠実な対応をしなければ、日本としても相当な覚悟の上で厳しい対応を取らざるを得ない』と、はっきり、一昨年の12月24日に言ったわけですが、それから一年半もたっちゃうわけですよ。何にもしてないわけです。


ですから私たちは、一ヶ月、二ヶ月過ぎるごとに、『何にもそういう対応できないんだったら、経済制裁をしてくれ』という話をずーーと続けて参りましたけれども、これもいろんな論議がありまして、日本だけで経済制裁をしても大して困らない、効果がないという話もありますし。私たちは経済制裁を白ということは自分たちの家族も危ないぞというそういったリスクも抱えながら訴えているわけですね。しかしながら今のままではまったくこの問題は解決しないし、何か手を打たなければいけないというのがはっきりしている訳ですから、そういうことでは、経済制裁をするというのは、日本が怒っているんだと、国民、政府、もちろん家族が、もう相当怒っているんだということを、北に態度で示すというメッセージを与えるという、こういう大きな効果があるはずなんですね。

まぁ、実際に経済制裁すれば、いろいろ工業関係、電子関係、すべての部品については日本製がかなり向こうで使われていまして、それがすべてとまってしまうというような効果といいますか、影響があるはずなんですが、なかなか法案は、特定船舶入稿禁止法案とか、外為の改正法案とか、いろいろ準備はできているんですね。

それから、今は【北朝鮮人権法案】というものを、与党、野党ともに作っていますけれど、いずれをとっても、肝心な総理の決断が最後にいるわけなんですね。閣議決定して総理が決断しないと発動できないと。そういうものがありますけれど、まぁ、法律というのはいろいろ解釈のしかたでもって、かなりなことができるはずなんですが、ちょっといまいちその辺がはっきりしない。

この辺で訪米報告に繋がりますが、(時間がないのではしょりますが)経済制裁についてはアメリカ本国のほうが、北に対してものすごく大きな制裁をしているわけなんですね。ご承知のように、マネーロンダリングということで、マカオの銀行を閉鎖して北朝鮮の口座を閉鎖して、それに関する他国の口座も結局繋がらなくなるわけですから、相当資金源で苦しんでいるという話です。

さらにはこれを拡大して、香港とかスイス銀行とか中国銀行とか、その辺にも手を出すという強い意気込みが今あります。それから船舶を止めるにしても、核兵器とか、兵器に繋がる物資の輸出・輸入に対する船の制限も、はっきりとやっています。さらには、今回我々家族にブッシュ大統領が会ったということは世界に対するメッセージでありまして、人権を尊重するということは、まず何よりも優先することだと、はっきりあらわしているわけですね。

我々まさかブッシュ大統領と会えるとは思わなかったという部分がある反面、期待はしていたんですけれども。安倍官房長官、その他の人々の力添えを得まして、更にはシーファー大使=駐日アメリカ大使が非常に貢献して頂きまして、結果的には会えることになりましたんですが。

日本の偉い人が行ってもなかなか会えないブッシュ大統領に我々平民が会えたと言うことはその間に、≪人権の尊重≫という、大きなテーマを持っていると。それに対する活動もしている。更にはその人達の気持ちがわかると言うことで。何よりも優先してこの問題を解決しなければならないのだという表れですね。

みなさんもご知っているかと思いますが、ブッシュ大統領に明言がふたつあります。

【私は忙しい忙しいと言っているけれども、自分は人間の尊厳と自由について話せないほど忙しくはない。】

他の仕事は忙しいことがいっぱいある。この問題を除いて忙しいとは言えないというふうな事を言っていますし。これは当然、政府、各国、あるいは日本、アメリカにこういったことを理解してもらうためにはっきり言ったんですけれどもね。

それからもうひとつは
【最近になく最も心動かされた会談だった。】

感動した会談だったと言うことで、もちろんその場面通訳も含めてですね、ブッシュさんと早紀江さんの間にめぐみちゃんの写真とか置いてですね、ブッシュは、(めぐみさんが)ここにいると言うつもりで話をしようじゃないかと言ってますし、又通訳の方も早紀江さんの話を聞きながら、眉をひそめて泣きべそをかきそうになりながら、通訳をしているんですね。要するに気持ちを表して通訳をしている。だから、ブッシュさんも非常に感動して言った言葉が出てきているんではないかと。

アメリカの方はですね、大体すべてこういう考え方なんですね。人の権利、幸せになる権利を奪うことは、まず最悪のことだと、しかも他国からそういった犯罪的に、持って行かれる、誘拐される、拉致されるというのは、とんでもないと。

だから最初行ったときには、『今更、そんなことがあるんですか』と言われることが多かったですね。この世界に。ところが実際にある。日本、韓国、世界中各国の12カ国の人を拉致していると言うことがわかって、これを手邸的に解決するための動きをしなければならないというのが、各議員の先生とか政府の高官とか、みなさん全てそう言う態度ですね。我々の話も最初はアポイントを取っていくんですが、実際にはそれよりも(アポの予定より)二段も三段も上の人が出てきて、それで実際に話を聴いてくれる。それで、こういうようなことでアメリカは約束すると大きなコメントも頂いています。

それから、ペンタゴン、アメリカの国防総省にも我々は行きまして(あそこもめったに入れるところではないんですが)たまたまラムズフェルド長官が留守で、ナンバー2のイングランド副長官がわざわざ出てきてくれて、もう目の前で色々話を聴いてくれるんですね。更には、一人一人こうしたサイン入りのメッセージを明くる日すぐに届けてくれて、『私の話したことは、全てみなさんに対する約束事で、絶対に忘れないし日本と協力してやっていきます』という強い話もしてくれましたし。

だけどある人の発言は(これは当然だと思うんですけれども)『みなさん、アメリカに来て色々お願いしていますけれど、肝心の日本は、日本の政府はどんなことをやろうとしているんですか?』とか、そう言う話がやはり出るんですね。私達は向こうまで行って日本政府の悪口は当然言えませんから、コメントに困ったんですけれども。まぁ、とにかく『日本もこの方面については対話をしていくんだという態度がはっきりしていますから、アメリカと是非協力して今後もやってください。』と言う話にして帰ってきたんですが。

先ほども言ったように、この我々の活動のひとつの大きな通過点としてはですね、ものすごい大きな成果であったと思うんですね。『家族会って言うのはすごいな』と、これを一番感じているのは、金正日だと思うんですよ。今まで何となく全てごまかしてきたのが、今度はそうではないなという、そう言った緊迫した意識になっているのは確かですし。

ただ問題は、こうした大きな活動の成果を、実際に日本人を奪還するための具体的な策に繋げなくてはならないと。

これは当事国の、日本政府、韓国政府。
韓国政府もいろいろ聞きますと、北への太陽政策というか、北を刺激したくないという政策ですから、今回横田さんが行っても『会う必要はない』という、冷たい態度なんですね。

やはりこの問題というのは、個人では解決できませんから、当然国と国の政府がきちっとした対応、外交の元で片付けて行かなくてはならないと。しかもこれは犯罪ですから、他国による犯罪ですから、かな強い態度でこれを取り返す、これは当然のことだと思うんですけれども。

もう、私たち、待ちに待って、横田さん夫婦もそうですけれども、みんな家族は年をとり、疲れていますよね。
一番大変なのは、当の被害者です。あの厳寒の地にもう二十数年も囲われている。何時帰れるのか、何時帰れるのかと何時迎えに来てくれるのかと、毎日、月や星を見ながら、当然思っていると思います。

先ほど言った≪偽の報告書≫その他のいろんな情報からすると、あれは、かえって生きてるから、ああいうウソの情報がでてくるんだと。その後のいろんな情報によると、向こうが死んだという日付よりも後で『いや、実はあそこで見た』とかね、安明進さんの話もそうですが、そう言った情報が結構あるんですね。

こういうことも色々考えながら私たち身を粉にして活動しているんですけれども、『なんで、私達、被害者の家族がこんなにまでしなくてはいけないんだ』という素朴な疑問にいつもでっくわすわけなんですよ。『なんでアメリカのこんなところに私が立っているんだ』と。

まぁ、これは何でもやんなければいけないんだと言うことでみなさんのご協力を得てやっていますけれども、最終目標は、日本人被害者の奪還、すべての日本人を奪還するんだということですから、必ずこれに繋げなくてはならない。中途半端な形で終わらせたくない。

当初帰国した5人の日本人被害者の方達が帰ってきて、あれで終わりにしたいという、北の意向もありましたし、もしかすると日本の意向もそうだったかもしれません。これはとんでもないと言うことで、今かなりな活動と、ほとんど国民の方達のご支援を頂いて、やっとここまできたという感じなんですね。

まぁトンネルの向こうに細い光が少し見えたかなという感じですけれども。
この問題を解決するためには相当な大きなインパクトがいるわけです。

たとえば先ほどの、私の妹のことも、大韓航空機のことを北に認めさせなくてはならない。それから、報告した北の言っていることは全てウソですと、ごめんなさいと言わせなければならない。こういう事にしないと被害者達は出てこないと。

そのためにどうするのかというのを考えていかないと、単に柔な交渉でじっと我慢してくださいと、対話対話といっても対話ではとでもないけど、この問題は片づかない。向こうがあらゆる制裁を受けて、ギブアップして『もうごめんなさい、助けてください』というふうにならなければたぶん先が見えないと思うんですね。

そういうことで話が長くなりますけれども、そこまでするためには相当な覚悟もいるわけです。
ですから何事も、北の言っていることは全てウソだと言うことを我々も常に認識して、あまり向こうの陽動作戦に乗らないようにしようと言うことなんですが。

まぁ、話が長くなりますが、良くみなさんも、『私達も本当にそう思うんですがいったい何をやったらいいんですか』といつも言われるんですが、みなさんもこんな拉致なんて事は絶対良いわけがない、絶対卑怯な酷な話だと言うことは当然知っているわけですから、まぁ、こういった運動に、国民運動として盛りあげて政府の尻を叩くと言うことで、いろんな方法、街角でお願いしている署名活動ですとか、政府の官邸に直接、メールでも電話でも、FAXでも送っていただいて、『早く片付けないと、今後の日本はないぞ』と言うくらいな気持ちで、ちょっと、ご支援を頂くとかですね、いろいろこの話を広めていただいて、ご家庭、学校、会社、親戚などに広めていただいて、みんなでこの問題を盛りあげて解決しなければ、誰かがやってくれるだろうと言うことでは絶対ならないというふうに、私も思っていますので、本当に申し訳ありませんが、もし自分の家族がこういう目にあったらどうなんだろうと言うこともちょっと考えていただいてこれからのご支援を宜しくお願いしたいと思います。

どうもありがというございました。

◆―――――――――――――――――――――――――◆
この記事が参考になった方は、下記バナーをクリックしてください。

人気blogランキングへ

|

« 日韓連帯東京集会(7) | トップページ | 2つの経済同友会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/35960/2233278

この記事へのトラックバック一覧です: 前橋集会(5/20)飯塚繁雄さん:

« 日韓連帯東京集会(7) | トップページ | 2つの経済同友会 »