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2006年6月

2006年6月30日 (金)

拉致被害者に嘘の証言をさせる北朝鮮

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.06.30)より

 6月29日、北朝鮮・金剛山で、金英男さんが母の崔桂月さん、姉の金英子さんとともに会見し、拉致ではなく北朝鮮に「救出された」、「めぐみさんは死亡した」などと証言した。また、横田めぐみさんへの愛情や、横田夫妻への配慮はまったく見られなかった。北朝鮮に拉致された被害者自身が、拉致の事実まで否定して嘘の証言をせざるを得ないという残酷かつ許しがたい茶番劇となった。家族会・救う会では、まず会見の映像(日本語に通訳されたもの)を見て、その上で会見に臨んだ。以下に、金英男さんの会見に関する家族会・救う会の会見の概要をお伝えしたい。

 なお、今回の会見では、韓国側のみの取材が許可された。また、予め質問事項を提出させこれに金英男さんが答えるという形をとった。さらに、南北の「離散家族」面会事業は戦争中の離散家族が対象で、両国赤十字社が主催するものであるが、北朝鮮赤十字社が党の支配化にあることは言うまでもない。会見場には北朝鮮当局者多数がおり、金英男さんの一挙手一動を監視していた。金英男さんの会見内容は各紙に詳しいのでそれぞれご参照いただきたい。今回の会見内容は、一見、北朝鮮当局が練りに練った文案のように思えるが、実際はミスがボロボロという代物である。それについては、家族会、安明進氏も招き、7月20日(木)午後6時半から東京連続集会(友愛会館)で検証したい。

 参加者は、家族会=横田滋・早紀江代表夫妻、増元照明事務局長、救う会=佐藤勝巳会長、西岡力常任副会長、島田洋一副会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務局次長。

■拉致被害者に嘘の証言をさせる北朝鮮


横田 滋 我々は、2002年にも死亡宣告されている。後は解決済みと言っている。今回、目新しいことはなかった。ヘギョンさんを日本に行かせるつもりはないと神経質に言った。引き取るのは難しいかもしれないが、来れればぜひ受け入れたい。今の話ではこれまでの繰り返しだ。生存を前提に政府に引き続き交渉をお願いし、何もなければ制裁を実施してもらいたい。

横田早紀江 予想していたとおりの答弁。めぐみが鬱病というのは安明進さんの本にも、若い時に入院したとある。拉致問題は残酷そのものだ。13歳で拉致され、一人にさせられれば、誰だって鬱病になって当たり前だと思ってきた。めぐみは、小さいときに大きなけがをしたことがない。小さいとき、階段へ落ちたことはあったが、異常はなかった。偽の骨は鑑定がはっきりしている。拉致被害者は隠れた場所で、今でも有効に使われていると思うので、(死亡は)信じていない。

横田 滋 自分の心とは別に、北朝鮮の指令で話していると思う。

横田早紀江 昨日のテレビでも、監視の人がうろうろしており、英男さんの行動を注視していた。圧力がかかっての行動だ。

横田 滋 2004年の小泉訪朝で、死亡とされた人の再調査が約束され、偽の遺骨が出てきた。これは誠意ある対応とは思えない。北朝鮮人権法が成立したが、拉致は究極の人権侵害だから、是非誠意ある対応がなければ制裁を発動して拉致問題を解決してほしい。

横田早紀江 頭がにえくりかえるような、腹がにえくりかえるような思いを長い間してきた。このようなことを平然とやる国がある。小さい子どもを拉致して自分の国のために使うようなことはあってはならない。世界に信頼される国になりたいなら即座に返すのが当たり前。こんな茶番劇を断片的に注目させる国があることが段々明らかになっている。世界中に知られ、出てくるといいと思う。

横田早紀江 金英男さんは工作員としてかなり鍛えられた人との印象を受けた。

増元 想定内の話で驚いていない。(会見には出なかったため)ヘギョンさんに芝居をさせなくてよかった。人権という言葉を使ったが、しらけるような言葉だった。ジェンキンズさんも、小泉首相の説得を受けても本心がいえなかったことを忘れないで下さい。

西岡 死亡について、「後に機会があれば」と逃げた。この手紙には93年死亡とあるが、北朝鮮は当初93年と言い、後に94年に訂正した。これについての弁解の準備ができていなかったのだろう。韓国メディアからの質問に「拉致」の言葉が出ていない。また、(今見た映像は)一問一答なのに、一問の方はカットされるような会見しか北朝鮮ではできないということだ。今年、韓国のメディアが拉致と言ったので送信を止められたことがある。これで自由な会見と言えるか。
一方的な宣伝ではないか。

 手紙の件も、93年の偽診断書についても答えないことに怒りを感じる。韓国にも特殊機関があるだろうと、特殊機関に誇りを感じるようなことを言っていたが、77年、78年に拉致された他の4人の高校生の家族はどう思っただろうか。
崔正男という工作員の先生を彼らがしていた。拉致が判明しているのに何も言わなかった。崔桂月さんと4人の家族を分断している。(今回の面会は)被害者全員を取り戻そうという目的ではない。金正日の拉致指令で韓国人化教育をしたと韓国政府が97年に発表している。このことを一切言わない会見が行われた。

増元 船に助けられてというのは寺越武志さんのケースとそっくりと思った。寺越昭男さんが常々言われる言葉だが、拉致されたのに感謝しなければならない立場に追い込まれてしまう。英男さんも辛いだろうと思った。拉致という厳しい現実があることを韓国の皆さんは忘れてしまっているのか。これで韓国国民は納得するのだろうかと思った。蓮池さんや地村さんを見ても、拉致されても洗脳はそれほど強くないと思う。めぐみさんが小さい時に事故に遭ったという、事実ではない話を新たに出してきたのは、めぐみさんに詳しく聞いたということではないか。そして、めぐみさんが「生きている」とメッセージを送ったのではないか。

西岡 寺越事件でも、昭二さんの墓に刻まれた生年月日が一日違う。外雄さんが調査を受け語った話だと思われるが、そこにもメッセージがこめられているような気がする。


横田 滋 韓国は北朝鮮に対し宥和政策をとっている。戦争をしたくないのは分かるが、拉致がなかったとするのは間違いだ。5月にハンナラ党の朴代表に会ったが、政府は国民の生命を守るのが当然と言っておられた。

佐藤 
すべてが茶番劇だ。韓国は日本と違う方針で、援助したからいい場面ができたと日本にも見せる面があるのかもしれない。たった一人の指令する人、それに同調する人が北朝鮮にいる。世界が核でやられる恐怖に置かれるのも、原因はそこにある。いっしょになってメッセージを送る必要がある。アメリカは早くから金融制裁をかけている。日本も万景峰号を止めてもらうのがいい。


  救う会ニュースより

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拉致問題:金英男さん会見=要旨

拉致問題:金英男さん会見=要旨

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 横田めぐみさんの夫とみられる金英男(キムヨンナム)さんが29日、韓国共同取材団と行った会見の要旨は次の通り。「ウンギョン」はヘギョンさんを指す。

 【冒頭発言】

 私と家族に対する内外の関心が高まり、良くない世論も飛び交っているのでインタビューすることになった。もともと離散家族再会では許されていないが、特例として許容した北側関係者に感謝する。

 【北朝鮮での暮らし】

 北に来てから党(朝鮮労働党)の胸に抱かれて幸福に生きてきた。大学も出て、重要な職責の仕事をしている。ウンギョンは金日成総合大学で勉強している。誰をうらやむこともない生活だ。仕事は特殊部門で(南北)統一部門関連の事業をしている。

 【北朝鮮入りの経緯】

 78年8月5日ごろ、海水浴場に男女の仲間で行った。男はテント、女は民宿だ。女友達に録音機を貸したが、乱暴な先輩2人が「使うから返してもらえ」と言う。自尊心が傷ついたが、先輩の暴力が怖くて悩んだ末に海辺に行って木製の小船に隠れた。そのうち眠ってしまい、気がついたときは大海原の上だった。船が近づいてきて助けられたが、もとの海岸に戻るのは大変なので自分たちの所に行こうと。それは北側の船で、着いたのは(北朝鮮の)南浦港だと後で分かった。

 最初は眠れず、食欲もなかったが、北側の人々の親切と特別待遇を受け、気持ちが変わった。無料で大学に行けるというのも気に入った。ここで勉強してから南に行けばいいと考え、28年の歳月が流れた。

 【めぐみさんについて】

 私は特殊部署で、めぐみから日本語を習った。86年初めだ。しとやかそうな女性で、異性として親しくなり、その年8月に結婚した。その後3年は娘も生まれ幸せだったが、めぐみに病的症状が出始め、出産後の健康管理もうまくいかなくて悪化した。うつ病になり94年4月13日に病院で自殺した。これについていろいろ説があるが、別の機会があれば話す。

 めぐみはうつ病による精神分裂症だとのことで、好転したとき自殺しようとするそうだ。そういうことが何度もあった。めぐみは幼いころ事故にあって脳に大きな損傷を受けたと話していた。

 日本政府は私の言葉を信じようとしない。04年11月に平壌に来た日本代表団に具体的に説明し、遺骨も渡した。めぐみの両親に責任をもって渡し、公表しないと言ったのに、鑑定遊びをしたあげく偽物だという。私とめぐみに対する侮辱であり、耐え難い人権じゅうりんだ。

 【ヘギョンさんについて】

 本名はウンギョンで、ヘギョンは幼名だ。めぐみの問題に火がついて、思春期の衝撃も大きく、私生活が公開されては良くないと考えて、ヘギョンという名前を使った。

 ウンギョンはめぐみと私の娘だ。(日本に返せという)要求は納得がいかない。日本当局のやり方を見れば行かせたくもないし、本人も行かないと言っている。

 【韓国取材団への要請】

 私の話を正確に報道してほしい。私が北に来たのは拉致でも自分から越境したのでもない。私と私の家庭の問題が不純な政治的目的に利用されるのを防いでほしい。私の問題はこれで幕を下ろしたい。【ソウル支局】

毎日新聞 より

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2006年6月29日 (木)

物語のようなショック

ブルーリボンの祈り Book ブルーリボンの祈り

著者:横田 早紀江,斉藤 真紀子,真保 節子,牧野 三恵
販売元:いのちのことば社フォレストブックス
Amazon.co.jpで詳細を確認する

横田早紀江さんは、2003年に出版された「ブルーリボンの祈り」の序章で以下のように述べています。

―引用―――――――――――――――――――――――
~はじめに~  横田早紀江
金木犀の香りが街角に漂う秋、10月。
5日は、拉致された娘めぐみの39回目の誕生日。13才からの幾年間が、恐怖と寂しさに耐えながら、何度、金木犀の香りに日本の家庭や友人たちへの思いをかき立てられたでしょう。

今年は期せずして誕生日前日の四日に、昨年帰国なさった曾我ひとみさんから速達が届きました。『何かしら?』とあけて読むと、思いがけず、北朝鮮でめぐみと過ごした10月5日のことが書いてありました。拉致されてから2年目、めぐみの15才の誕生日にひとみさんとめぐみは、指導員の車で街をドライブし、二人ともご機嫌だったこと。賄いのおばさんの手により、お祭りの時よりもすごいご馳走が用意されていたこと。そこには肉、魚、野菜等々たくさんあって、二人とも少しお手伝いをしたこと。そのおばさんは、家でバースデー・ケーキを作って持ってきてくださり、『お母さんと一緒だったら、もっとおいしいご馳走を作ってくれたでしょうに、ごめんね』と言われたこと。そして、二人とも本当の娘以上にかわいがっていただいたことなどが書かれてあり、大変驚きました。いったいどのように過ごしているのかと想いを巡らし続けていた私達にとって、一時的ではあれ、このように優しい方に出会い、暖かい思いやりの中で過ごしていた娘の様子を知り、神さまのお守りを感謝しました。

          (中略)

私はこのように、まるで物語のようないろいろなショックを次々と受けながらも今日までやってこられたのは、さまざまな出会いがあったからです。

あの新潟での絶望の時に巡り会ったマクダニエル宣教師ご夫妻、事件直後、最初からかかわってくださった友人たち、何より大切な聖書との出会いがありました。
           (以下略)
参照:Blue-jewelVoice

――――――――――――――――――――――――――

今日の記者会見は、想定内の事ではあります。
それでも、きっと滋さん、早紀江さんにとっては、≪新たな物語のようなショック≫です。

金英男さんは、準備周到に用意された原稿を何度練習したのでしょう?よどみない会見をみながら、私は、平島筆子さんを思い出しました。彼女には、涙がありました。彼女は、ウソとわかっていても、北朝鮮に戻った以上、彼等の指示どうり語らざるを得ない、涙がありました。彼女は、泣きながら、「金正日マンセー」と叫びました。その声は震えていました。

寺越武志さんも中学生、15才で拉致をされました。彼も、表向き北朝鮮の代弁者ではありましたが、「そうせざるを得ない」苦悩も感じ取れました。

金英男さんは、よどみなく、「私は拉致されたのではない、北朝鮮政府に厚遇された。感謝している」と話しました。彼は、完全に洗脳されています。工作員としての教育を受けているんですね。

私は、金英男氏が哀れで仕方がない。
哀れです。痛々しいです。疑いもなくこの言葉を言っているのかどうかわかりませんが、彼は間違いなく自分の人生を北朝鮮に弄ばれている。

ここに三日ほどの間、横田夫妻のお疲れ、心労が日に日にたまっているように感じられます。北朝鮮は、どこまで人の心を弄べば気が済むのでしょう?

真心のない国家、北朝鮮。
それでも、早紀江さんは、耐えています。
≪物語のようなショック≫を乗り越えていく横田夫妻。

それを支えるのは、私達の責務です。
日本人としての責任ですよね、みなさん。

私達は今まで拉致を解決出来なかった日本人の責任を私達も果たさなければなりません。
この問題は次世代に引き継いではいけないのです。
今の時代に生きている私達が、解決に向け、関心を持ち、支えていきましょう。

今日の怒りを、はがき、メールに託してください。
蒼のはがき、送ります。メール(mail@blue-stars.org)までご連絡ください。
どうぞ、宜しくお願いします。

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2006年6月28日 (水)

金英男氏家族面会に関する日本家族のコメント

 救う会ニュースより家族のコメント

本日6月28日、北朝鮮で金英男さんが家族と面会した件につき、家族会・救う会では衆議院議員会館で記者会見を開いた。参加者は、家族会=横田滋・早紀江代表夫妻、飯塚繁雄副代表、増元照明事務局長、救う会=佐藤勝巳会長、西岡力常任副会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務局次長。参加者の発言は以下の通り。

■北朝鮮の謀略・計画性が見え隠れしていた「離散家族」面会
横田 滋 金英男さんのお母さんは生きているうちに会いたいと何度も言っておられた。また、会えば話が尽きないだろうとも言っていられた。28年振りの面会場面を見て、会ってよかったと感じた。金英男さんの顔は、キム・チョルジュンさんの顔とよく似ているとされるが、前はサングラスのせいかよく似てはいないと思った。日本側は、行けば二度と会えなくなると考えるが、韓国側は政府が取り戻した人が一人もおらず、行かなければ会えないので、会えた人は運がよかったことになる。しかし我々は、だからといって行こうとは思っていない。韓国では、(外務部でなく)統一部が国内問題としてやっているので、会えてよかったということになる。2泊3日の間、思いのたけ話してほしい。

◆横田早紀江  複雑な、本当に複雑な思いで対面の場面をみせてもらった。9月17日の悲しかった時もたくさんの人に来ていただいた。死亡と伝えられた時だ。
今日は、色々なところで北朝鮮の謀略・計画性が見え隠れしていた。拉致問題は、たくさんの人の人生がおかしくさせられた問題で、日本人みんなで考えなければならない大事な問題だ。ヘギョンさんと新しい家族も来ていた。今日は触れられなかったが、やっぱり死んだと報道されると、見ている人は分からないのだから信じてしまう。9月17日と同じように、死んだと言われた人たちはみんな生きている。助けを求めている。日本ではそう(思うように)なってきたが、冷静に受け止めたい。ヘギョンさんは成長したが、心の中に孤独感がただよっていると感じた。一日も早く、めぐみと一緒に連れ帰してあげたい。

◆飯塚  今日の場面は抱き合っているだけで、コメントはほとんどなかったが、非常に異様で不思議な光景と感じた。北朝鮮に拉致された金英男は、拉致されたことを忘れているのか怒っていない。犯人のところに行って、会わせてくれてありがとう、という感じだ。この手で一本釣りされることを想定すると、時間、お金がかかる。北朝鮮が親切に救出したことにつなげるパフォーマンスだ。その前に支援をしていることを考えると、韓国も国として拉致にコメントしない。北朝鮮が拉致して、行方不明者とか離散家族にしてしまったのに、この場面だけみても、親切な北朝鮮というのは間違いだ。北朝鮮の発言は100%信用していない。

 日本は日本としてのやり方で、協力に推し進めてもらいたい。南北のパフォーマンスを一々取り上げるのも大人気ない。北朝鮮の思う壺となる。まだ、相当数の拉致がある。しかし、そんなに時間はない。犯罪国に対し、被害国として強い対応をすべきだ。横田家が北朝鮮に行けば終わりになる。我々もそこを考えて戦っていきたい。

◆増元  お母さんの年齢、体調を考えると、会ってよかったと思うが、後ろに控える4人の高校生の家族はどういう気持ちだろうかと思った。ヘギョンさんとの血縁があって英男さんが出てきたが、(他の拉致された)4人の高校生の家族のことを思うと複雑な思いがした。また、4年前、5人が帰国した時の再会とオーバーラップした。日本で会ったのに5人は涙を流した。今回、英男さんは涙を流さなかった。これは、感情を押し殺す訓練をされたのかと思い可哀想になった。北朝鮮では特別待遇されていると考えると、一時帰国もあるかなと考えた。我々は、帰さないといけないと主張してきたが、果たして金英男さんの家族は対応していけるのかと疑問をもった。

◆佐藤  我々が一貫して主張してきたことは、誠意を示さなければ制裁を含む圧力で解決を迫ることだ。国会最終日に北朝鮮人権法が成立したが、これは従来のものとは違う。誠意を示さなければ、外為法、特定船舶入港禁止法等で制裁することを国民の代表が法律を通したわけだ。今日の面会は、日本の拉致解決には何の進展もない。既定方針通り圧力を加えるべきだ。5月28日の、安倍晋三官房長官のメッセージには「対話と圧力」ではなく、「圧力と対話」とあった。従来とは逆になっている。政府も朝鮮半島をにらんで、日本の実態に即した救出の構えになってきている。制裁、そして交渉で進みたい。政府も早くやってほしい。

◆西岡  明日の金英男さんの会見で、拉致ということばを使う会見になるのかすら明らかでない。そういう中で、真相が分かるのか。北朝鮮の管轄下では、自由な発言はできない。前回、北朝鮮は拉致の言葉をつかったら電気を止めてしまった。
今日の映像も北朝鮮の検閲したものだ。犯人の監視下での3日間となる。英男さんもかわいそうだと思った。ジェンキンスさん、蓮池さんたちも本当のことが言えず苦しかったのと同じだ。監視されているのだから。これが許せない。

 また4人の高校生のことを英男さんは知っている筈だ。「朝鮮日報」97年12月21日号に、78年にも3人が拉致と書かれている。この新聞で英男さんの拉致が分かり、韓国政府が発表した。脱北者の崔ジョンナム氏が、89年2月から90年5月まで15か月間、金正日政治軍事 大学分校の地下にある「以南化環境館」で金英男さんに訓練を受けたと証言している。DNAで今回分かったわけではない。韓国を攻撃するテロリストの訓練に利用されているのに韓国は抗議もしていない。

 今回は顔を見せただけだが、寺越武志さんと同じやり方だ。昭二さんが武志さんをかばったのに、救出と言わされ、かばったおじさんのことも言えない。韓国当局が被害者が北朝鮮の管轄下において会見させるのは許せないことだ。韓国政府は高校生5人についてなぜ返せと言わないのか憤りを感じる。

 また、2002年に、キム・チョルジュン氏が横田夫妻に書いた手紙では、めぐみさんが93年に病死したとあり北朝鮮は後に94年と訂正したが、夫がうそを書いたのが、別人が捏造したかのどちらかになる。

 離散家族の面会では両方が泣いているが、今回英男さんが泣かなかったのも異様な感じだ。離散家族の面会では予め訓練がある。今回は、背広に金の時計をしていたが、幸せな暮らしをしていると思わせ、拉致してけしからんと思わせないようにしたのか。

★コメント(平田隆太郎)
 離散家族の面会は1回限り。以後一切音信不通となる。これほど残酷な人道ショーはあるまい。被害者と家族の人権を韓国政府はどう考えるのだろうか。

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アブダクション 拉致 横田めぐみストーリー

本日(2006年6月27日)家族会主催で上映会が行われました。
会場には、外務省、政府関係者、報道機関、家族会、救う会関係者を中心に300名ほどの人数が集まりました。
安倍晋三官房長官、中山恭子元参与、鈴木政二官房副長官の姿もありました。

Chris Sheridan さん Patty Kimさんも駆けつけ、上映前にご挨拶、上映後には質問にも答えてくださいました。
サファリメディア(http://www.safarimedia.net/

映画について
めぐみさんの拉致当時から現在までを、コンパクトに丁寧にまとめたドキュメントでした。
めぐみさん問題を中心に、帰国した5人の家族や、まだ戻れない市川さん、増元さん、松木さん、有本さん、田口さん、石岡さん達にも触れながら構成されています。

会場の報道関係者からも、「改めてこの30年間の経緯をみることができ、感慨深い」との感想も述べられました。

明日、金英男さん家族の面会を控えた今日、この映画を見ることが出来たことは、非常に意味がありました。

家族が全国を駆けめぐる代わりに、この映画が日本の各地で上映されれば、大きな力になるだろうと思いました。

報道機関のみなさんには是非こういう映画があること、国内で配給されていないことなどをしっかり伝えてほしいと思います。

今回の上映会に当たっては、田村順子さんの多大なご助力があったと、増元さんから紹介があり、ご本人も会場にいらっしゃいました。
参考:(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/04/10/02.html

これをきっかけに、この映画の配給会社が決まって日本上映が可能になることを祈ります。

◆尚、現在の状況は

調整室では民間の商業作品なので、政府は関与できないと言っていました。

少し詳しい人に聞いてみたら、
●実はサファリメディアの状況は莫大な個人負担の投資(借金)の回復を少しでも達成するためにも、映画をメジャーの配給主に売りたい。
●そのため、各地の映画祭への参加を続けている。
映画祭の規則で、参加作品は、一般上映していないという条件があるため、一般上映できずに、映画祭参加を続けている。

●日本の配給会社はドキュメンタリー映画の配給経験があまりなく、躊躇している?
―――――――――――――――――――――――――――

◇日本の大手の映画配給 会社に働きかけて、動かすことはできないでしょうか?

◇それは、どこの映画配給会社ならやってくれそうなのか?

◇だれかそう言う動きを率先してやってくれる知識人はいないでしょうかね?

読者のみなさんにも、上映に向けてどのような活動が有効か、どういった形なら上映が可能かなど、ご意見がありましたら、コメント欄に書き込んでいただけると幸いです。

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(10)

   『参加議員の紹介、高沢皓司氏からのメッセージ紹介、閉会の辞』

★司会 高橋氏

本日は神奈川の議員が自治体から駆けつけてくださいましたので、ご紹介をさせて頂きます。
藤沢市議会議員・三野由美子先生。(立ち上がって会場に会釈、拍手)
ありがとうございました。

本日この集会にですね。
この福留貴美子さんの問題を初めて取り上げられた、こちらに「宿命」という本がありますけども、この本を書かれたジャーナリストの高沢皓司さんからメッセージを頂きましたので、紹介をさせて頂きます。

★高沢皓司氏からのメッセージ(代読:高橋氏)

本日の福留貴美子さんの拉致問題の集会について、こうしてお集まりくださいました皆様に心からの激励を送りたいと思いますと同時に、本日の集会を実行まで努力をしてくださった様々な方々、横田滋さん・横田早紀江さん・荒木先生・救う会神奈川の方々はじめ、皆様に御挨拶申し上げたいと思います。
と言いますのも、もう何年も前、限られた条件の中でジグソーパズルの駒を捜すようにして、この条件に合致する人間がどこかに必ずいるはずだと。
それだけを信じて四国の山中を捜しさ迷い歩いていた頃から考えますと、まさに隔世の感があり、本日の集会を実現してくださった方々には感謝の言葉も無いくらいありがたい事だと思っております。

★司会 高橋氏

このようにメッセージを頂きました。
高沢さん、どうもありがとうございました。(拍手)
続きまして事務局よりお知らせ、並びに閉会の言葉と致します。

★川添友幸 神奈川救う会会長 閉会の辞

本日は長時間、講演ありがとうございました。
福留さん中心にした集会、是非、私も良かったと思います。
今後も拉致の問題続くと思いますけど、宜しくご協力できればと思っております。
次回のお話なんですが、今回も講演いただきました増元さんに来月の7月の8日にこちらの方で講演を行おうと思っています。
増元さんと寺越昭男さん、内田美津夫さん、特定失踪者問題調査会から真鍋さんに来ていただこうと思っております。
あとですね。
北朝鮮難民救援基金さんの方にお願いして、脱北者の方にですね。
今交渉をしております。

ちょっとまた、昨年の7月こちらでやったときには頭巾みたいのをかぶって確かやったと思うんですが、また今回もそんな形になるんじゃないか?
まだ身の危険を感じている方、という話を伺っていますので。
講演会を行おうと思っておりますので、7月の8日、こちらではなくて上方のラウンジ、6階のラウンジの方になると思いますのでですね。
またご参加できればと思っております。
今日、長時間本当にありがとうございました。(拍手)

それでいつものお願いなんですが、ボランティアでやっておりますので、もしお心のある方いましたらカンパ箱がありますので、そちらの方のご協力お願いします。
本当に今回ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(9)

  『パネルディスカッション その3』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次は野村さんにお話をして頂こうと思ったのですが、今日ですね。
兵庫から特定失踪者調査会の理事である岡田和典さんが来られましたので、ちょっと一言だけ御挨拶をしていただこうと思います。(拍手)

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

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こんにちは。
えっとですね。
今日は野村さんもお見えでございますので、ちょっとだけお話をさせて頂きたい。
飛び入りで恐縮でございます。

野村さんのお書きになった本の中にも書いてある事なんですけども、私は神戸市です。
それも灘区というところで、今出ておりますSAPOIを御覧になった方はですね。
灘区周辺でですね。
拉致に関係する物が余りにも多いというような地図入りの、袋綴じじゃないんですけども(笑い声)、一番最初のページに出ています。

あれは恵谷さんと一緒にずっと回ったんですけどもね。
実は有本恵子さん。
当時ですね。
通っておりました学校がですね。
神戸市立の外国語大学なんですね。
ここから200メートルほど山側の方に行きましたところにですね。
神戸にはもう一人の拉致認定者がおりましてですね。
田中実さん。
養護学校がこの200メートルほどしか大学と離れていないんですね。

その上へ持ってきてですね。
有本恵子さんがですね。
通っておりました神戸外国語大学、有本さんは一部・二部の二部の方ですね。
所謂、我々の年代で申しますと夜間と申しましてですね。
夜の方に行ってたわけですね。
当然ですね。
当時の所謂ローテーション、シフトを見ておりますと、大学の先生方というのはですね。
一部担当と二部担当とに分かれていたようでございます。
これも私も少しばかり調べました。

その二部の担当のですね。
国際法というところにですね。
現在、金正日著作研究会連絡協議会の代表世話人、これが二人、鎌倉孝夫ですかね。
これと一緒に代表世話人をしている家正治ですね。
これがですね。
当時の二部の担当の教授なんですね。
教授ではなかったまだ当時は、京都大学を出てすぐに神戸外大の講師か何かになるんですが、まだ当時は教授じゃないですね。

この家先生でございますですね。
極めて怪しげな有本さんとの接触をしているわけですね。
まだ有本さんの事が、それ程世間に流布されていない。
それでも有本さんご両親ですね。
非常に積極的に様々な集会に出られてですね。
お訴えをされていたんですね。

そこにですね。
いきなり名刺持って来られた方がおるんですね。
その集会に参加されていた方が名刺持って来られてですね。
そんな方たくさんおられますから、一つ一つ覚えていないんですね。
ただお父さんがですね。
非常に珍しい名前だったから、覚えておられたんですね。

それから神戸市の外語大学なんかで、私も一緒にいろいろ活動をしまして、所謂同窓会。
そういう組織が動いてくれましてですね。
有本さんは2回3回ほど、神戸外大で公演等を、そういう集会等も行っておられます。
で、有本さんが拉致認定されてですね。
小泉訪朝があってですね。
有本さんの事がいよいよ明白になったと。

ですから訪朝後半年、一年も経ってなかったくらいだったと思うんですけど、今度突然にですね。
有本さんの家に手紙が届くんです。
で、これも有本さんのお母さんですね。
そういう手紙、全国からたくさん参りますので、特別覚えていないわけですね。

たまたま私がですね。
この家先生というのはいかがな人なんだ?と、言うような事でいろいろと、それなりにうろうろうろうろしておりましたらですね。
その集会の折に、有本さんご両親がたまたま揃っておりましてですね。
そこでこの家教授の話をしたわけですね。
お母さんからそういう話があったんですけどね。
「その人だったらこの前手紙が来たよ」とそこで初めて話が出るわけですね。

でそこで、今度はお父さんがですね。
「それ、覚えとるで」と。
「そんな変った名前の人はそんな多くは無いから、昔集会来とって名詞出したの覚えとる」
こういう話なんですね。
野村先生、中々の人物ですよね?この家先生という方は。

★野村旗守氏

ええ、謎の人物ですよね。

★岡田和典氏

でねぇ。
そんな方がわざわざ、どっちかと言えば拉致問題なんて話にですね。
世間で言ったら、我々は当たり前の大事な運動をしているつもりなんですけども、この拉致問題が明らかになる前はですね。
どちらかといえば、ああいうところに集まる人というのは真ん中というよりちょっと右じゃないかと。(笑い声)
世間では思われているような集会でございますよね?

★増元照明氏

よく反動勢力と言われて・・・(笑い声)

★岡田和典氏

そういう所に、チュチェ思想を信奉する先生が何しに来たんか?と、こう言う話にもなってくるわけですね。
今日おそらくですね。
こういう非常に福留さんという、よど号のグループにとってはですね。
一番アキレス腱といいますかですね。
触れられたくないということ、こういう会を川添さんが勇気を持ってやってこうしておられるわけで、間違い無しにこの中に、まぁ数人とは言いませんけども寝。
よど号の今の、今のですね。
支援するグループは多々あるわけです。(「ほう」という声)

間違い無しにこの中に来ておられますね。
皆さんも一人ずつ顔を覚えられているかも分かりません。(笑い声)
電車に乗るときなんかはですね。
絶対にプラットホームの前には立たないでくださいよ?(笑い声)
後ろからポンと押されたら終わりですのでね。
我々は何年もそういう事に注意しながら活動を続けております。
川添さんも全く同じ立場の人間でございます。

非常に中でも、私でも神戸で中々福留さんの集会よう開きません。
それ程非常に今日は貴重な集まりでございます。
ただ、余りにも先ほどから申し上げておりますように、極めて狭い空間の灘区の、本当に何百メートルというところに神戸に二人いる。
田中実さんそして有本恵子さんがお互い同じ空気、同じ匂いを吸っておった場所で生活しておられた方がおられる。
この事実ですね。

それと有本さんにですね。
なんかよう分からん人がですね。
極めて不思議な形で、接近していると言う点ですね。
何か日本の拉致事件というのはですね。
辛光洙が何もかも全員やったみたいな言われ方を最近、報道等も含めてですね。
警察発表でもございますけどね。
そんな事はありえないわけでございましてですね。

この中にもそういう過去に協力をした方がおられるか分からんですけど、間違いなしにですね。
日本人の協力者がいなければですね。
これだけの人間がですね。
北朝鮮に拉致されていたのは、ありえないわけでございます。

飛び入りで貴重な時間申し訳ございませんでしたが、そういう事を一言、神戸からのご報告という事で失礼致します。(拍手)

★司会 川添氏

岡田さん、ありがとうございました。
すみません、野村先生ちょっと宜しくお願い致します。

★野村旗守氏

私ですね。
本来、拉致問題門外漢でありまして専門家ではありませんので、ちょっと最後ですので一般的なお話をしたいなと思います。

前ですね。
あるインタビューで田原総一郎さんと喋った時があって、「いや、ここ10年くらいで本当に日本は変ったよな」という話になって、自分が89年に「朝まで生テレビ」あの番組を始めたころに、ディスカッション番組ですから朝まで激論するですね。
その当時としては画期的なスタイルの番組。
朝まで生で見ている番組を始めた時、あの右の論客を探そうと思ってですね。
探そうとしたんだけど誰もいないと。
という事は、右と左で激論を戦わせなければいけないので右の論客を探すんだけど、右の論客が誰もいないって言うんですよね。

ところが10年経ったら誰も彼もが右だ右だという事になって(笑い声)左の子と喋ってる奴はあいつまだあんな事を言ってるのか?と、馬鹿な奴だと生きてる化石みたいな野郎だという事ですね。
馬鹿にされているという傾向はあるけれども、でも10年前にそれこそね。
国家体制がどうとかいわゆる国際主義がどうとか言う事を、テレビがまともに喋ろうとしたら「あいつテレビであんな事を言ってるよ」と。
「もうちょっとアカデミズムの世界では相手に出来ないよな」というような、そういう風潮だったと思うんですよ。
10年、15年位前までは少なくともですね。
それがもうガラッと変ったと。

ガラッと変った中にはこの北朝鮮問題というのは非常に大きな要因だと思うんですけども、だた世の中のそういう空気。
要するに拉致をしやすい空気というものが、この日本の中の70年代80年代非常にあったと。
これですね。
これ拉致というのは北朝鮮の最初の首謀者は金日成であり金正日でありというような、それは分かっているけれども、それを助けたのは誰か?って言えば、金日成・金正日体制を支えた北朝鮮国民であり、それを支えていた日本の朝鮮総連と言う組織であり、その朝鮮総連という組織を生かしていた日本という社会。

別に同罪とは言いませんけども、かなりですね。
かなり日本側もムードで幇助していたという事は言えると思うんですよね。
日本のその片仮名で書くサヨクのムードが北朝鮮の拉致を幇助していた。
それがああいうよど号の事件を生み、あるいはよど号の妻たちというグループを作ったりしたわけで、そういったムードの犠牲になって例えば有本恵子さんが拉致された、福留さんが拉致されたというような事件が頻発して起こっちゃったんじゃ無いかな?と思うんですけども。

結局チュチェ研の目的はなんだったのか?と。
先ほど荒木さんも言われましたけど、あの中でチュチェ研の目的は何だったか?という事を考えていくと、私最大の目的は日本でそういうムードを作る事だったんだろうと。
北朝鮮のシンパをたくさん作っていて、例えば北朝鮮シンパとならずとも雰囲気的にでもですね。
例えばいざ事が起こった時、じゃあ韓国と北朝鮮がケンカした時に北朝鮮の方に味方してやろうと思うような。
普段は別に朝鮮問題なんかどうでも良いかもしれないけれど、いざ事が起こったらどっちかと言えば北朝鮮の方が良いよねと北朝鮮の方が正しいよねと、そういうようなムードを作る。
そういった空気を作る目的が第一の目的だった、チュチェ研の第一の目的だったのではないかな?と私はうっすらと考えているんですけども。
これ、正しいかどうか分かりませんが。

そういったムードを作るという非常に漠然とした仕事をしていたもんだから、これまで捜査の対象にもならないでですね。
なんと言いますか、何十年もこのチュチェ研という組織、いまだに相当数の勢力、独断で熱心に活動しているかどうかは別として相当数の勢力がいるようですが、そのムード作りにある時期まではある程度成功していた、言う事があったと思うんですが。
それが先ほどの田原総一郎さんじゃないけれども、10年間で本当にガラッと変っちゃったと。
10年前は右の論客なんか誰もいなかったと。
で、テレビに出てくれといったらとんでもないと誰も出てくれなかったと、そういう状況のなかで、ところが10年経ったら誰も彼もみんな右だということで、アメリカが正しいという事になってですね。
これもちょっと問題だなぁと私思わなくもないんですけど、そういったムードが出来た。
要するにチュチェ研の野望は途中で費えたわけですよね?

北朝鮮シンパを、あるいは社会主義をマルクス主義を、というようなチュチェ研の野望は費えたわけだけれども、いまだにこの拉致問題が全く、解決の兆しは見えましたけれども、兆しだけでその先進展しないというところ。
じゃあ何が、日本から北朝鮮を擁護しようというムード・空気は消えたにも拘らず、いまだに何が邪魔をしているのか?という事を考えていきますと、これはひとつムードとは裏腹にですね。
非常にムードと対照をなすような、非常に生臭いと言うか現実的なというか。
はっきり言ってムードとは対照的な裏腹の現実的なものと、現実的な裏づけという事でひとつ実益というか、利益・利権と言われるようなですね。
北朝鮮を利すると自分達が得をするという、例えば日本の政界にもいるし財界にもいるし、あるいはあらゆる分野に北朝鮮を利する事によって自分が得をすると。
それはごくごく私的な利益かもしれないけれども、とにかく得をするという事で国益を無視して私益に走る人たちがいるのが問題ではないかな?という事をまとめてみたのが、荒木先生に手伝って頂いた「北朝鮮利権の真相」という本なんですけども。

そういった中で例えば北朝鮮とですね。
国交を結ぶと、日本の側にとって何のメリットがあるのか?
国にとってはメリットは無いけれども、そこに北朝鮮と日本が国交を結ぶと何が起こるか?というと、これ日本と韓国の場合を考えてみれば分かるんですけども、日韓条約ですね。
日韓基本条約と言うのが結ばれた後に、当時のお金で5億ドルの経済協力という支援が行われました。
これ日本から韓国に一方的に流れるお金だけれども、これこのミソはですね。
キャッシュでお金払われるんじゃなくて、なんと言いますか、事業と建設というような形。
要するに日本の会社にお金が落ちるんですね。
日本の会社にお金が落ちる。
日本の建設会社は大挙して韓国に乗り込んでいって、その当時高速道路を作ったりとか地下鉄を作ったりとか、韓国のために随分と物を作ってあげたんですよね。
それによって韓国経済がぐっと成長したわけです。

それによって北朝鮮もやっぱり同じ事をやろうとする。
当時一番儲けたと言われているのは伊藤忠という商社ですけども、伊藤忠の瀬島龍三、政商と言われる男ですね。
非常にそういった政治的なビジネスに食い込むのが上手いと、元々・・・(司会より、残り時間の指示あり)
すみませんちょっと注意が入ってしまったので。(笑い声)

★司会 川添氏

すみません、会場が5時までしか借りて無いもので(笑い声)本当に申し訳ない。
また野村さんちょっとお呼びしてですね。
じっくりしたいと思います。
それでは最後に斉藤さん。
是非、今の思いをですね。
短くお願いして、なるべくお話して貰いたいと思います。
宜しくお願いします。

★斉藤文代さん

私は金正日に申し上げたいんです。
あなたは心があった人間であるならば、拉致した家族を全員返しなさい。
そうすればあなたの心も軽くなると言う事じゃないでしょうか?
全員返しなさいと申し上げたいです。(拍手)

★司会 川添氏

パネルディスカッション、どうもありがとうございました。
次が、今日始まる前にですね。
増元さんをお話もしていたんですが、岡田さんからも指摘があったんですが、福留さんを中心にした集会と言うのは全国でこれが初めてということだそうです。
今後も福留問題についてはですね。
私自身、よど号問題にかけておりますので、うちの会、神奈川の会では全国協議会とあるいは調査会と協力してやっていきたいと思っておりますので、今後もご協力の程を宜しくお願い致します。(拍手)
パネルディスカッションはこれで終わりにします。
   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(8)

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次に斉藤さんの方にちょっとお話をいろいろまたお伺いしたいと思います。
2月にですね。
私も警視庁に同行したんですが、よど号グループに対して監禁罪で刑事告発をしましたが、告発した事に対して心境はどうでしたか?どんな感じだったか?というのと。

実は今月の13日にですね。
八尾恵さんの長女が帰ってきます。
長女が帰ってきた後はですね。
どうもよど号の本丸、所謂松木さん・石岡さんを拉致した実行犯、もしくはそれに近い支援者の人間が帰ってくるのではないか?という情報が我々入って来ております。
拉致実行犯の帰国が迫ってますが、その辺に関してどのように思われているのか?と、この2点ちょっとよろしくお願いします。
0000821m
★斉藤文代さん

告発の件はですね。
前々から私は弟を拉致されたことに関しまして許せないと言う気持ちでいましたので、いつかこういう機会がありましたらば絶対に、よど号犯の拉致した人たちを許す事はできないので、前々から考えていた事ですのでそれが出来て良かったなと思っております。
それからこれからよど号犯の妻たちが帰ってくる予定になっておりますけども、私が申し上げたいのは、

「なぜ帰ってくるんですか?好きであなたは北朝鮮に行ったんじゃないんですか?」

と言いたいです。
帰って来るんであれば、日本の拉致した家族を全部連れて帰って来なさいと言いたいですね。
それでもし日本に住みたいのであれば、日本でちゃんとするべき事をしてから(日本に)住む人間になって欲しいと、私はその様に思っております。
本当に許せないんです。
こんなに我慢しているのに、自分達だけ都合の良い時に行ったり来たりするということは、許せないと思っております。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしましたらですね。
皆様方に最後に一言ずつですね。
会場の皆さん、もしくは会場によど号グループの関係者が来られているかもしれませんので(笑い声)、一言お話して頂ければですね。
伝わってくれるかもしれませんのでね。
ひとつよろしくお願いします。
じゃあ、増元さんから。

★増元照明氏

よど号の事件というのは丁度1970年ですから、私が高校一年だと思いますね。
るみ子が高校三年生で、高校から帰ったら福岡空港にずっと飛行機が止まってまして、それをずっとNHKが追いかけて、金浦まで行ってそれで平壌に行ってしまったんですけども。
あの事件が後々自分にとってこんな大きな問題として関わってくるなんて、あの時全く思ってなかったですね。
画面の向こうの中、夢物語のような感じで「彼らは彼らの思想で行ったんだからしょうがないわ」と、それくらいしか思ってなかったのに、彼らが主体的になって家族会の有本さんや松木さんやそして石岡さんたちを拉致していくのに非常に関わっていた事について、私は家族会結成してビックリしました。

で、この方たちの存在が、私は結局ですね。
1970年に平壌に入って金日成や金正日が日本人を何というか、オルグしていけば使いやすいな?と思わせたんじゃないかと。
荒木さんたちはその前からずっとやってるというように言ってましたけど、それまでは必要に応じて拉致していた人たちだとは思うんです。
それから金正日が1970年代後半に拉致を頻繁にあちこちでしていったのは、自分達の国でオルグして工作員化すれば、もしくは日本人は本当に従順な勤勉な人間だから使えるなと思わせたのがよど号だと私は思ってましてね。
その70年のよど号が向こうに行った事件が、その後の日本から私の姉やそれからめぐみちゃんやそして多くの日本人を連れて行った可能性も否定できないなと思っております。

その点で、高校のときにただテレビの画面で見ていた事件が自分の人生に、本当に大きく関わって来ると言うふうになっていきますと、人生という物は不可思議な物であるし、予想もできない物を感じてしまいますね。
運命と言えば運命なんでしょうけども、ただあの時にもっとよど号問題を真剣に考えておけば良かったかな?とちょっと反省しております。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
今増元さんが、私も実は同じくちょっと感じてしまったのは、私ずっとこの藤沢に住んでいまして小学校の高学年の時でしょうかね?
スイミングスクールに通ってまして隣が交番だったわけですね。
で、ポスターが貼ってありまして、リ・ウネのポスターでしたかね金賢姫に拉致された、この人知りませんか?と。
何気なく通りかかってうちの母親に「この人なんなんだ?」といったら、母親がなにか「北朝鮮に連れて行かれちゃった人なんだ」と言われてまして、もう15年くらい前の話ですが、良く考えればわずか15年後にですね。
この女性の方を助ける事ですね。
こういうふうに活動しているなんて夢にも思いませんでしたし、この間、飯塚耕一郎さんにこの話をしたら、「それは高田さんの本じゃありませんけど宿命だったんじゃないですか?」と言われてちょっと何か納得して・・・
今増元さんの話を聞いてそんな事も自分でイメージしてしまいました。

それでは次にですね、荒木先生。
ちょっと一言よろしくお願いします。

★荒木和博氏

先ほど野村さんのお話を聞いててですね。
ちょっと思ったんですが、一体そのチュチェ研というのは元々なんだったんだろうな?ということをちょっと気にかかったんですね。
というのは北朝鮮の基本的な対日工作というのは、昔は韓国に直接入り難かったので日本を経由して工作活動をやると浸透するという事が、それが一番のメインでありまして。
北朝鮮の国家目標というのは言うまでもなく武力統一ということで、南朝鮮からアメリカを追い出してそして傀儡政権を打倒して統一をすると、言うのが目的だったのでですね。
日本の中での事というのはあくまでも2次的なものだったと思うんですね。
それがなんでこんなに長い間組織が続いているのか?と。
単に北朝鮮からのですね。
影響だけで果たしてこれだけ続くんだろうか?という事をちょっとふと今思いました。
北朝鮮の工作のですね。
系統からしてもちょっと異質な感じが今ふとですね。
しましたんで、改めてこれについては考えてみる必要があるのかな?という気がしました。

それからですね。
お母さんの話がいろいろ出てましたが、先ほど増元さんが増元さんのお母さんも信子さんということだったと、私の女房も信子でございまして(笑い声)、これもなんかの宿命なのかな?と私思いましたけど。(笑い声)

この家族という事についてなんですけど、政府がですね。
ご家族の意向を尊重してという事をしょっちゅう使うんですけども、これかなり曲者でありまして、どうもそのまま鵜呑みには出来ない。
というのはですね。
これ逆に裏返しにしますと、家族がもう良いよと言ったらそれでおしまいに出来るという事でもあるんですね。

一番良い証拠は寺越武志さんです。
誰がどう見たって拉致されたという事以外に考えられない。
彼は向こうにいて、そして失踪したときの状況とかですね。
それから考えればこれだけで拉致だと十分分かるんですが、政府は認定をしません。
認定をしない理由は何か?というとあのお母ちゃんがですね。
拉致だと認めないからという事を言われていたんですね。

かつてですね。
平沢勝栄さんが拉致議連の事務局長をやってたときだったかな?
何かあの、福留さんの話が出てですね。
で、その聞いたらば、それ何かお母ちゃんが認めないからというような事を言ってですね。
そりゃあいくらなんでもないでしょうと、そんなの認められるわけ無いじゃないですか?と。
いや本人も認めないと、そりゃ本人が認めるわけ無いと。

という、いろいろすったもんだした挙句にですね。
いや、まぁ、じゃあお母さんが認めるんで有れば、警察の方も考えるという事を聞いたもんでですね。
お母さんに相談した事もあったんですが、結果的にはやっぱり認めるわけにはいかないという事でした。
お母さんも直接話すときには拉致だということは言ってるわけで、それを認めないというのはいったいどう言う意味があるのか?と。
そういう時にだけ、家族というのをですね。
隠れ蓑に使っているのではないだろうか?と。

9.17の後で北朝鮮側は、蓮池さんたちからはですね。
横田さんの情報だけ出させたと。
他の人たちについては全く知らないと言いながら、横田めぐみさんの情報だけはですね。
べらべら喋らせたと。
そしてあの時何をやろうとしたか?というと、お父さんお母さんを平壌に呼んでですね。
そして終わりにしようとしたわけです。

あの時もし、お父さんも相当ですね。
揺れたわけですけども、ご家族が北朝鮮に行ってしまって納得してしまえばですね。
まぁ家族が納得したんだから良いんじゃないですか?というふうになっていた可能性がある。
家族という物をそういうふうに使っていた可能性があります。

そして一方でですね。
政府の人間が逆に言う時は、国益の観点から行くと拉致被害者の事だけで日朝国交正常化が止まって良いんだろうか?と。
これは槙田(邦彦)元アジア大洋州局長の「10人くらいの事で日朝交渉止まっても良いのか?」という事を言いましたが、そこに本音が非常に表れているわけでございまして、ここはしっかりですね。
問題の本質を考えなければいけないと。

私は常にこの拉致問題というのは安全保障の問題であり、ある意味で戦争であると言っているのはですね。
ここにちょっともうひとつ重要な意味がありまして、ご家族が可哀想だ・本人が可哀想だという事でやっている救出運動であれば北朝鮮が暴発して、今もちょっとごちゃごちゃやってますけども、ミサイル撃つぞと。
ミサイル打ち込むぞという事を、例えば言った時にですね。
彼らにそんな度胸はないと思いますが、もしそういうような事を見せた時に日本の中でどういう判断が下るか?と。

いや確かにそれは拉致された人も可哀想だしご家族も可哀想だと。
しかしその事と、その人たちを助ける為にまた何十人だか何百人だか例えば犠牲者が出てしまったら、それは釣り合わないでしょうと。
だからこれは大人しくしていた方が良いでしょうというふうにですね。
なるんですね。
実際彼らがおそらく世論誘導をやろうとすると、そういう事をやろうとすると思います。

しかし問題はそうではなくて、もし彼らのそういう脅しに屈すればまた次の事をやられる。
あるいは北朝鮮だけでなくてですね。
他の国からもそういう事をやられるかもしれない。
言う事なんであって、それがまさに私がこの問題は安全保障の問題であって、家族の意向というのは2次的な問題だと、いうふうに言ってる事の最大の理由でございます。

もちろんそれはご家族の意向は最大限尊重して貰わなければいけないわけなんですが、そうは言ったって我々古川(了子)さんの訴訟でですね。
政府認定者とそれ以外の人たちとを差別するなというふうに言ってはいるわけですけども、そうは言ったって拉致の可能性のある人という意味ではですね。
我々のリストだけで460人いるわけで、それ以外にも警察に我々のと重なってますが、問い合わせは900くらい人以上いる。
そして問い合わせをして来ない方も相当いるわけで、この人たち全部に家族会と同じように説明するなんて物理的に不可能なんですね。

もちろん特定失踪者のご家族も、もちろん拉致の可能性が高いというふうに思っていられる方でもですね。
やっぱりその一面、ひょっとして日本の国の中でですね。
何かの理由でいてくれないか?という気持ちは皆さん共通であって、我々もそうであってそれで見つかってくれればそれで良いと思ってやっているわけでございます。

そうするとその間を埋める物は何か?と言うと、もしその、例えば説明の仕方とかそういう物がですね。
政府拉致認定者と違っていたとしても、じゃあ実際に北朝鮮の中に誰がいるんだ?どこにいるんだ?という事に付いてはですね。
全く見えないところでも何でも良いからともかく一生懸命探しているという事が分かれば、それはそれでですね。
ある程度は仕方が無いと言うふうになるわけで、問題はそこをしていないという事にある。

増元さんが前にもよく言われますけども、その家族会が出来る前までですね。
我々が見えないところで政府がやっててくれるんだろうというふうに思っていたらば実は何もしていなくて、言う問題がですね。
これがやはり問題の本質であって、国家の意思というものはそういうものでは無い。
安全保障上やっぱり守るためには、ただ食う物を抑えるということは絶対出来ないわけでありまして、こちらから戦っていかなければいけない。

相手側の情報を得てですね。
そして実際にどうやって取り返すのか?具体的な手を打っていくと、言う事の努力をしていかなければいけないという意味でございまして、この福留さんの問題というのはある意味でそういうもののひとつのバロメーターにはなるのでは無いだろうか?と。
これからまた先ですね。
場合によってはよど号グループとか、あるいは場合によったらその警察とか国家機関の方からもですね。
いや実は福留さんはああだったんだこうだったんだと、拉致ではないと言うような情報を流してくる可能性だってあります。

しかしそういう時にですね。
そこで踏みとどまって、ともかくこの人は帰って来て貰わなきゃいけないんだというふうにですね。
やはり国民の意思が結束できるか?と言うのが極めて重要でございますので、このお忙しい中お出で頂いた皆さんには、ぜひともそこをご理解頂きたいというふうに思います。
ありがとうございました。(拍手)

p>TITLE:蒼き星々 掲示板(サブボード)
DATE:2006/06/27 00:10
URL:http://8229.teacup.com/blueribbon/bbs

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(7)

   『パネルディスカッション その1』

「福留貴美子さん拉致事件とよど号拉致事件」

★司会

川添友幸 救う会神奈川会長

1151201411

★パネリスト

野村旗守氏(ジャーナリスト)
荒木和博 特定失踪者問題調査会代表
斉藤文代さん
増元照明 家族会事務局長
岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★司会 川添友幸氏

後半なんですがパネルディスカッション、今年の1月のよど号の集会のときにもパネルディスカッションやったんですが、今回もやりたいと思います。
よろしくお願い致します。
私が司会でちょっといろいろ質問をしていきますので、それでお答えをしていくような形で皆様お答え頂きたいと思います。

今日ですね。
急遽なんですが、拉致被害者家族会の事務局長である増元照明さんが今日来ていただきました。(拍手)
それではまず増元さんに早速なんですが、お伺いしたい事があって伺います。
増元さん自身、先ほど荒木先生が福留さんのお母さんと面識があったとお話をされましたが、増元さん自身お会いになられた事があるかな?と。
その時のエピソードのような事があれば教えて頂きたいと言うことと。

この福留さんの拉致事件に関してですね。
警察は拉致では無いというような事を言われましたが、それに関して拉致被害者家族としてどう思うか、と言うところを2点伺えればと思います。
よろしくお願い致します。

★増元照明氏

1151201435

あの、増元です。
何か勝手が違うので。(小さな笑い声)

先ほど荒木さんが仰っていたように確か多分荒木さんと同じ時に会ったんじゃないかと思うんです。
西村眞悟さんと一緒に会ったんですよね?
福留貴美子さんのお母さん、信子さんと仰るんですが、うちの母も信子と言う名前で全く字が一緒なんです。
その時は印象深いんですけれども、四国の片田舎から2000年だったと思うんですが出てこられて。
私たちも出て来られると言うのは全く知らずに横田ご夫妻と私と、たまたま西村先生と会うという事で永田町のあそこは赤坂見附だと思いましたけど、その事務所に行ったときに福留貴美子さん(のお母さん)がおられた。

それは荒木先生がアテンドして頂いたと私は記憶しておりますが、福留貴美子さんも拉致被害者であると言う思いが非常に強くて。
当時私たちは北朝鮮に拉致された可能性のある、というか殆ど間違いの無い寺越さんとかも一緒にやろうとしていましたし、当然よど号の松木さんとか石岡さんなどとも呼びかけはしておりました。
そして福留さんにも呼びかけを致しまして、で来られたんだと思います。
本当に体が弱ってられた中でも出てこられて、そして田舎の人間ですからそんなにお喋りになるような事は無いんですけど、必死の思いで貴美子さんを助けたいと言うその気持ちは非常に強く伝わった事を覚えています。

そして北朝鮮、福留さんは拉致では無いと言う警察の見解でしたね?
荒木さんが仰ったとおりのことでしょう。
とにかく北朝鮮に行って、どのような理由であれ北朝鮮に行って帰りたいと言うふうに思っても、帰れない状況になるならということです。
川添君が書いた福留貴美子さんのプロフィールに関してもそうですけど、モンゴルに行きたいと言う人が何故北朝鮮に行ったのか?という、全く不明ですから。
その辺は全く騙されていったのは間違いないと思います。

当初モンゴルに連れて行くという一緒に行くと言う予定で、どこかで・・・(聞き取れず)された。
そこでチュチェ思想の下に教え込まれた。
そしてよど号の妻となったと言う事でしょうけども、日本に帰ってきた事があって友達のところには行ってるわけですね?
実家には帰らなかったんですけども友達のところには行っている。
この辺をずっと監視体制の下で見ていた朝鮮総連もしくは、こちらの旗守さんが仰っていた日本の支援組織の人たちにばれたんですね。

で、無理矢理また連れて行かれたんですが、警察がいくら言っても日本で彼女が行動するためには、行動するには必ず監視されていたと言うのは、その一点を持って間違いが無いでしょう。
監視対象だと言う事は結局は無理矢理やらされていたというのは私たちの一般的に考える認識です。
ですから警察のその認識が自分達のおそらく捜査が今まで生温かった事を認めたくないという、案外官僚というのはそうなんです。
自分達の間違いを認めませんから。

田中均さんもずっと外務省の今までの拉致問題に対する対応を絶対に謝罪しませんでしたから。
悪くないと思ってるんですね、その官僚体制が、自分達が続けてきた事は。
ですからそういう何か悪い慣習というのかな?
あるのではないでしょうか?

私たちは自然に考えて無理矢理日本での監視対象であったと言う事は、まだ向こうの思想に染まっていないと言う、それでもう一回連れ戻された。
それで向こうで死亡とされているんですけども、私は多分内紛か何かあったんだろうと思っています。
高沢さんの「宿命」の中でもあまりにも不自然です。
岡本武と福留貴美子さんの死というのは余りにも不自然ですので、これは内紛があって処分されたのか?
それとも生きている事を隠なければならない何か事情があったのか?
とにかくよど号とは離されたと思いますね。

更に言わせて頂けば、田宮が死亡したというのも非常に不自然です。
高沢さんに田宮さんは「有本さんたちの返還を必ず成し遂げる」と言う風に約束されて、その数年後、一年後か二年後くらいに突然死亡していますので、何らかの画策をしてそれが発覚して処分されたのではないか?というふうに私は考えています。

あとチュチェ研の事を旗守さんが仰っていましたけど、チュチェ思想を作った張本人の黄先生が今韓国に亡命していますから。
黄長ヨプ(ヨプ=火へんに華)。
で彼に会って聞いたんですけども自分が作ったものですから、チュチェ思想は絶対に悪くは無い。
ただそれを使う人たちが悪いんだと言うふうには彼は言っておられた。
チュチェ思想は絶対に間違いの無い共産主義体制を支える北朝鮮では絶対的な思想であると、本当にパラダイスを作るための思想であると。
あれを使う人が悪いからああいう国になってしまったというふうに伺いましたので、その辺ではまだ主体研究というのに反省の無い残念な老人だなと私は思っております。
以上です。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
次ですが、荒木先生に何点かお伺いしたい点があります。
今の荒木先生の、あと増元さんの話にもあったんですが、北朝鮮側が福留さんが死亡したと言う事をちょっと言われてまして、私自身もよど号を支援していた方から福留さんの遺骨があるとかお墓があるみたいな話を以前伺った事があるんですが、その辺のあたりというのはどうなんでしょうか?というのがまず一点。

次に先生、「しおかぜ」でですね。
何か福留さんの関係の放送とかそういうことはされたのかな?と、ちょっとお伺いできればと思います。
その2点、よろしくお願い致します。

★荒木和博氏

はい、え~とですね。
今川添さんが言ったようなことと具体的には変らないんですが、遺骨があるというような話を先ほど申しましたように、話があったというのは聞いています。
だから必要があればそれを出して来れば良いわけですけども、出して来れないというのは、やはり出して来れない理由があるのでは無いだろうかな?と考えざるを得ない。

松木薫さんの物にしても、もし本人が亡くなっておられるのであれば、北朝鮮でですね。
遺骨が出せないわけは無いわけでありまして、遺骨を出してしまえばですね。
それで納得せざるを得ないわけですが、わざわざ偽の遺骨を出してくると言う事事態に、そういう意味があるのだというふうに思うべきだろうと思います。

私、大学の授業でも良く学生には言うんですが、基本的には北朝鮮がする発表というのはですね。
最初からこれは全部嘘だと思って聞いた方が良いと。
その上で、なんでこの人たちはこういう嘘をつくんだろうか?というふうに考えると、だいたい向こうの言いたい事というのが以外に正直に出てきております。
ですからその偽の遺骨を出すと言うのはですね。
やはりその裏の意味がどういうことか?という事を考えていけば良いのではないだろうか?というふうに思います。

それから「しおかぜ」の中では、福留さんに関してはご家族からの声と言うのはお母さんがいなくなってしまって出せませんので、今全部の名前とそれから失踪時期のデータ読み上げの中で福留さんの事が一緒に入って毎回流れております。
今、ご案内の通り妨害電波が流れていますので中々聴き取り難いですが、今月中に周波数とか時間を変えてまた流しますので、また向こうが追っかけてくると思いますが、とりあえずまた聴こえるようにはなると思います。
以上です。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしますと次、野村先生にちょっと何点かお伺いしたい点があるのですが。
チュチェ研とよど号グループの妻以外の連携というか関係というか、妻たちの話では伺ったんですが、連携みたいな物。
例えば福留さんがこちらに戻られた時に監視されたという話があったんですが、その辺の監視体制はどうだったのか?という事がまず一点。

次にやはりよど号のご家族の問題を考えるのに社会党とかですね。
あの辺の責任といった物が出てくるのではと思いますので、チュチェ思想とかチュチェ研と関係のある社会党の国会議員とかの事をもしご存知であれば教えて頂きたいと思います。
その2点、よろしくお願い致します。

★野村旗守氏

チュチェ研に関しましては主にですね。
入り込んでいってるのはアカデミズムの分野だと思いますね。
先ほど言った労働者組織の他にアカデミズムの世界、特に大学教授あるいはそうそうたる法曹界のメンバーであるとか、そういったところのなんて言いますか。
非常に知的な人たちがなぜか知らないけれど、こういうわけの分かったような分からないような、学問なのか思想なのか良く分からない、それとも単なる根性論なのか良く分からないような思想に、なぜか日本のですね。
それこそ頭脳のトップに当たるような人たちが、なぜか先ほどの佐久川政一会長じゃないですけれども、そういったような人々がなぜか訳の分かったような分からないような、本当にこんな物が実現できるのか出来ないのか、所謂観念論というような思想にハマってしまうという、これ非常に面白い現象だなと思って。

今日は朝鮮総連とチュチェ研という関連を話してくれといわれて来て、先ほど言ったようにチュチェ研と朝鮮総連というのはそれぞれ役割が違う物ですからあまり接点は無いんですね。
というのはチュチェ研というのは北朝鮮に協力できる日本人を探す為のプールのような場所、これがチュチェ研であって。
朝鮮総連って言うのは北朝鮮の対日・対南活動、非公然活動に役立ちそうな人間をピックアップするプールのような役割をしている組織という事で、それぞれ在日の中からピックアップする組織、それから日本人の中からピックアップする組織という事で、それぞれ役割が違うのでこれ余り接点は無いんですけども。

それでも接点という事で言っていけばですね。
これ資金的にどうもこのチュチェ研を支援している資金というのは、どうも在日の中のある富豪、在日の中の資産家から資金が出ているようです。
というのは先ほど言ったチュチェ研総帥の尾上健一ですけれども、非常に潤沢な資金を持っておりまして、その白峰社という出版社を経営している他に、チュチェ研メンバーですね。
チュチェ研メンバー、だいたい40代から50代が主ですけども、この40代50代はチュチェ研のメンバー同士が結婚しているわけですが、それぞれ子供を作っていてその子供たちが通う保育園を経営し、更に池袋でスナックを経営していたりしまして。

それでこの尾上健一が住んでいるのが練馬区の光が丘のとあるマンションなんですけども、このマンション。
マンションのの名前今ちょっとすぐに思い出せないですけども、マンションの9階のワンフロアを全部使っているというような、大したお金持ちではあるんですね。
これが例えば白峰社の売り上げの中からそれだけの潤沢な資金が出てくるか?という事を考えていくと、とてもそれは考えられないわけであって、これはどこからかお金が出ているに違いないということが言われております。

と同時にこの日本におけるチュチェ研グループですけども、これがですね。
殆ど東京の豊島区の池袋あたりに固まってます。
先ほど言ったチュチェ研グループの例えば金日成主義研究会とか、あるいは自主の会であるとか、あるいは朝鮮女性と連帯をする会とか、そういったようなですね。
思想的なグループが池袋に固まっていて私がこのグループを、この白峰社も池袋にあるんですけど、これを一つ一つ訪ね歩いた事が実は前にあって、最初電話でアポを入れようとしたんですけどどこも相手にしてくれなかったもんですから、一軒一軒を、3つくらいの事務所がひとつのマンションに固まっていたのでそんなに難しい事じゃなかったんですけれども。

池袋のですね。
3ヵ所くらいかな?
マンションをアポなしで飛び込みで取材していって、コンコンとドアを叩いて尋ねて行ったことがありました。
それがもう2年か3年位前ですかね?
行ったんですけども、朝鮮総連の連中にいわせると「あのチュチェ研の連中は絶対におかしいと。
「目付きが尋常では無い」と。
良く朝鮮総連怖いと日本人の方々大体思っていて、実際怖いところがあるんですけども、その朝鮮総連の連中が評して「あのチュチェ研の連中は絶対おかしいですよ、あれ。目付きが違いますよ、我々と」(笑い声)言うふうにいうくらいですから。

確かにですね。
あの絶対おかしいと私も思いました。
ドアをノックして出てきたときのその表情から何から、もうこちらを見る目から朝鮮総連なんかよりよっぽど怪しいと私思ったんですけども。
あの人たちが出てきてそれこそ詰問調でですね。
「何しに来たんだ、お前。一切答えられない」ということで、ガチャンとドアを荒々しく閉めると。

そういった事を3ヶ所4ヶ所と繰り返されまして、顔つきからしてどうしても健全な通常の、健常な人間の顔とは思えないですよね。
まるでオウムの信者のような、確かに新興宗教のような。
確かに朝鮮総連の人たちはそんな顔をしていません。
日本の中で非常に憎まれていますけども、そういうような顔はしていないですけども、宗教の信者のような顔はしていないけれども、あのチュチェ研の人たちの顔つきというのは非常に宗教がかった、ちょっと一種独特の顔つきですので、この人たちは余りお友達にならないように(笑い声)、余りお友達にならない方が良いんじゃないかと、私ちょっと一言アドバイスをさせて頂きます。

なんか質問の答えになったかどうか分からないですけど、(司会より「国会議員の声)あ、国会議員ですか?
国会議員は、それこそ労組出身の例えば国会議員で言うと、チュチェ研に属している属していないという話になると難しいんですけども、一番言われているのがですね。
チュチェ研と社会党、特に結んでいたのではないか?と、黙される人物が、ここは講演会だから放送しちゃって、放送しないで下さいね。(笑い声)

あの○○○というですね。
元社会党の議員がいましたけど、もうあの人落選しましたよね?
○○○というのが、そのチュチェ研と社会党を結んでいた重要人物ではないか?という事で黙されておりまして、公安の中でもごく少数はそういうふうに疑っていた人たちもいたようですけども、実際捜査の手が伸びるということはなかったですね。
私が聞いている話に間違いがなければ、○○を特に個人的にマークしたという事は無いんですけども、これ例えば金丸訪朝の時とか、日朝交渉が重要な場面に差し掛かるとこの○○が裏でちょこちょこといろいろ画策していたというような話が漏れ伝わってきておりまして。
もう少しこの○○と朝鮮総連あるいはチュチェ研といったような物に対しての解明も進んで良いのではないかと思っております。
そんな事お前がやれといわれるかもしれませんけども、私もちょこちょこやってますので。
皆さんも機会があったら是非調べてください。

★司会 川添氏

確か○○は行方不明になってるんじゃないですか?
所在不明になっているという話を噂で・・・

★野村旗守氏

いや、僕はそれ聞いてはいません。

★司会 川添氏

何かそんな話を噂で聞いていると思いますけど。(会場より「最近また活動している」の声)
動いている?
ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※文中、野村氏の意向に配慮して人物名を伏字でご紹介しております。
悪しからずご了承ください。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年6月27日 (火)

朝銀問題・コルレス契約・パチンコ・総連の資金

企画・連載 : 栃木 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)による企画記事は、<朝銀問題・コルレス契約・パチンコ・総連の資金>に関して非常にまとまっており参考になりますので、まとめてリンクを紹介しておきます。

特に

◆検証 足銀破たん 第2部「向江時代」(04年4月22日~5月1日)

は北朝鮮の資金にどのように日本の金融機関が関わりを深めてきたかを理解するのに役立つと思います。

◆検証 足銀破たん(04年1月29日~2月5日)
 足利銀行の破たんから、二十九日で二か月がたった。県内の預金占有率40%を誇り、かつて「地銀の雄」と称された足銀。シンボルマークは、青い色で、希望の風をはらむ翼を表現している。その足銀がなぜ、破たんしたのか。翼がまさに地に墜(お)ちようとした瞬間を、関係者への取材から検証する。(敬称略、肩書は当時)

(1)通告 監査法人の言葉に絶句
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/1.htm
(2)直談判 「なぜ」必死の頭取ら
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/2.htm
(3)検査 「都銀並み」厳しさ痛感
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/3.htm
(4)楽観 「りそな方式」確信 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/4.htm
(5)苦渋 最悪シナリオに恐怖
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/5.htm
(6)国有化 浮き足立つ行員ら
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/6.htm
(7)行脚 謝罪行員に非難、同情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/7.htm
(8)隔たり 説明の有無、真っ向対立
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/030/8.htm


◆検証 足銀破たん 第2部「向江時代」(04年4月22日~5月1日)

融資先の選別が始まるなど、足銀の破たん・一時国有化による県経済への影響は広がり始めた。かつて「逃げの銀行」とされ、堅実を売り物とした銀行の破たんの芽はいつから膨らんだのか。第二部では、バブル期をまたぎ、長く足銀の舵(かじ)取り役を務めた向江時代にさかのぼり検証する。(敬称略)

(1)生え抜き頭取
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/1.htm
(2)行風
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/2.htm
(3)暴走の芽
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/3.htm
(4)地域密着
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/4.htm
(5)北朝鮮との関係 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/5.htm
〈6〉パチンコ店
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/6.htm
(7)ノンバンク
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/7.htm
(8)孤高の頭取
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/8.htm
(9)遅れた撤退
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/9.htm
(10)向江元頭取インタビュー 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/036/10.htm


◆検証 足銀破たん 第3部「不透明な融資」(04年8月28日~9月4日)
 バブル景気に乗って急成長した足利銀行。本体からだけでなく、関連ノンバンクを通じて巨額の資金が様々な企業へ流れた。だが、バブル崩壊とともに融資先が相次いで破たんすると、足銀も大きく傷ついた。第三部では、足銀本体や関連ノンバンクを巡る不透明な融資の実態に迫る。

(1)関連ノンバンク
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/1.htm
(2)トンネル会社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/2.htm
(3)母体行責任
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/3.htm
(4)大阪・堂島ホテル
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/4.htm
(5)“頭取案件”
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/5.htm
(6)建材商社「シモレン」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/6.htm
(7)粉飾決算
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/7.htm
(8)鹿沼グループ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/042/8.htm


◆検証 足銀破たん 第4部「責任追及」(05年2月9日~13日)
 旧経営陣の経営責任を調べていた内部調査委員会の報告を受け、足利銀行が民事訴訟を起こし、責任の本格追及が始まる。指摘されるずさんな融資や違法配当はなぜ行われ、見過ごされたのか。第四部では、破たん責任の所在を、関係者の証言などから検証する。

(1)ずさんな融資
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/1.htm
(2)違法配当
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/2.htm
(3)刑事責任
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/3.htm
(4)監査法人
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/4.htm
(5)内部調査委員長インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/056/5.htm


◆足銀 再生の行方(05年5月26日~6月2日)
 足銀の破たん・一時国有化から1年半。05年3月期決算は経営計画の目標値をほぼ達成する好決算となった。県などが国への要望を始めた受け皿選定も、今後、本格化するとみられる。足銀再生の足取りは確かなものか――。その現状と行方を検証する。

(1)4年ぶり黒字 企業体質改善が課題
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/1.htm
(2)受け皿問題 地元と国大きなずれ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/2.htm
(3)金融支援で激減 不良債権処理
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/3.htm
(4)審理長期化懸念も 旧経営陣の責任追及
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/4.htm
(5)池田頭取 好決算に手応え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/059/5.htm

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2006年6月25日 (日)

■飛ばせなくなったテポドン(佐藤勝巳)

■飛ばせなくなったテポドン

          佐藤救う会会長


 金正日はテポドンを飛ばすつもりだった。飛ばしたかったが飛ばせなくなった。

 今、8割くらい飛ばさない方向ではないか。

 なぜ発射したかったのか。北朝鮮が完全に行き詰まって、発射によりアメリカと二国間交渉に持ち込み、局面を打開したかった。

 なぜ行き詰ったのか。アメリカの金融制裁の効果だ。世界の銀行が、マカオのバンコ・デルタ・アジアと同じ措置をとられると困るので、北朝鮮の口座開設に応じなくなった。困った北朝鮮がロシアと現金決済で取引をしたところ、1割がドルの偽札だった。以後、現金決済もできなくなった。

 4月に、6者協議の各国首席代表が東京に集まった時、北朝鮮の金桂冠外務次官は、帰国会見で、「核開発を止めたかったらアメリカは金融制裁を解除せよ」、「解除すれば6者協議に出る」と居直ったが、これは悲鳴だ。アメリカがEUに北朝鮮の犯罪情報を提供し、EUは摘発を続けている。

 日本は現行法の厳格な適用と言いつつ、在日本朝鮮人科学技術協会(科協)を捜索し、そこで得た資料から摘発を続けている。例えばパチンコ屋の脱税容疑での摘発がかなり行われており、総連にいてはビジネスを続けられないとの不安が広がっている。また、RCC(債権回収機構)は旧朝鮮信用組合(朝銀)から総連が借りていた628億円を取立て中で、払わないと担保になっている総連の不動産が競売されることになる。

 北朝鮮は、次の総裁選で、安倍総理が一番困るとのことだ。つまり、制裁が効いているということの証明だ。テポドンの部品は日本製がかなりあるだという。
大量破壊兵器の部品もそうだ。制裁は効果がある。金正日の料理人だった藤本氏は、近著で、金正日のほしいものを万景峰が買ってくると述べている。万景峰を止めて困るのは金正日だ。

 安倍官房長官は、5月28日の国民大集会へのメッセージで、「対話と圧力」とは言わず「圧力と対話」と述べた。圧力をかけてから交渉するのは当然だ。
こういう日米の圧力で金正日政権が追い詰められたことが発射理由の一つだ。

 また、韓国の統一地方選挙で与党が惨敗したことにより、金正日政権が追い詰められた。何か手を打たないと、と危機感を持っている。2000年6月15日、金大中が平壌に行き、北朝鮮の連邦制案は韓国の案と共通性が高いと評価した。
「現代コリア」はそれが危ないということを言い続けてきている。北朝鮮、韓国の専門家も「現代コリア」を読んでいるので知っている筈だ。

 ところが、金大中は、テポドンを理由に訪朝を取りやめたと言っているが、それは違う。訪朝もテポドン発射も前から決まっていたことだ。理由は別にある。

 まず、北朝鮮にとって金大中は利用価値がなくなったということだ。民団と総連が5月17日に和解声明を出した。テロ国家の出先機関と和解するとは民団は気でも狂ったのか。私は「現代コリア」に、「本気なら民団は敵だ」と書いた。
ところが、民団にもしっかりした人たちがいて、6月15日、8月15日の共同行動は中止になった。明日の中央委員会でこの声明が否定されれば、現執行部は総退陣になろう。

 なぜこういうことが起こったのか。72年、南北共同声明直後、民団に郭東儀をトップとする左派グループが浮上した。我々は、ベトコン派と呼んでいたが、この時民団乗っ取りに失敗した人々が現在まで粘り強く運動し、今年になって乗っ取りに成功した。当時排除された韓民統が韓統連と名を変えて運動していたが、その幹部も民団の幹部になった。

 北朝鮮は20年単位で工作を行う。その結果生まれた民団内左派の狙いは、連邦制の雛形を日本でまず作ることだ。そして金大中が訪朝し、南北で連邦制を作ろうと言うことだった。

 もう一つは、金大中のスキャンダルが最近判明したことだ。金大中は米国のニューヨーク州に400億円の土地を持っているという。韓国の保守派がアメリカで告訴し、ソウルでも告訴した。韓国メディアはまだ報道していないが、口コミで北朝鮮も知っている。韓国や日本にも金大中ファンドがあるかもしれない。こういうことでは将軍様が傷つく。金大中は金正日に見捨てられたのであって、テポドンではない。悪魔と詐欺師が合体して生き延びようとしているのだ。

 李鍾●統一部長官は、ミサイル発射なら食糧、肥料の支援はできないと言ったが、本心ではない。そう言わざるをえない状況が生まれたということだ。大胆な予測をすると、金大中はこれで政治生命を絶たれた。地元の全羅道でもいっしょに心中するのはいやという政治勢力が出てきた。

 テポドン発射にどこが一番反対したか。それは北京だ。今回、北京が強い圧力をかけている。北朝鮮はアメリカとの二国間交渉が狙いだが、中国は6者協議を仕切ってきた。ミサイル発射は、もう中国はいらないということだ。これで、中国の北朝鮮への影響力もゼロになる。しかし、そういう事態は、中国としては絶対に認められない。中国は北朝鮮を植民地くらいにしか思っていない。大国意識が強い。にもかかわらず、ミサイル発射など、後ろ足で砂をかけるような行為だ。

 安倍官房長官は、在京の各国大使にサミットで拉致問題を取り上げるよう要請した。中国は公使だったが、この公使が別の所で、「拉致問題解決に協力する」と発言している。これを北朝鮮が持ち出して中国に抗議したらしい。また、「自国で作った武器を発射して何が悪いか」と居直ったという。中国は、「やれるものならやってみろ」と圧力をかけた。結局、発射していない。中国からすれば、重油を止めればいい。中国が何か圧力をかければ北朝鮮は発射できないだろう。

 アメリカはイージス艦5隻を浮かべている。1隻に巡航ミサイル200発なので計1000発撃てる。また、南西太平洋に4席の空母を出して軍事訓練をしている。1隻に75機の航空機を積んでおり、計300機がいつでも飛べる状態だ。
空母1隻には5000人が乗っており、他に護衛艦、駆逐艦が5隻、潜水艦が2隻で船団を組んでおり、これが4つある。すごい軍事的圧力だ。日本人は意識していないが、これらで日本人の安全が確保されているということだ。

 金正日が発射できないと、一度はゴーサインを出しただけに軍との信頼関係が大きくゆらぐ。韓国、北朝鮮が自らアジア情勢を作れなければ、内部矛盾が高まる。南北政権ともに、そういう厳しい状況におかれていると思われる。
●=夾の人が百


平成18年6月22日 東京集会にて

救う会ニュースより

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(6)

  『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄) 特定失踪者家族の紹介と訴え』

★大沢茂樹さん

ただ今ご紹介にあずかりました、私、特定失踪者・大沢孝司のすぐ上の兄で、大沢茂樹と申します。
本日は福留貴美子さんの拉致事件を考える会に参加させて頂きまして、本当にありがとうございます。
今日は私の他に3家族の特定失踪者の家族も見えておりますので、この機会に簡単にご紹介をさせて頂きたいと思いますので、ちょっと前の方へ出て来て下さい。(特定失踪者のご家族が登壇する)

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(写真左より、寺島佐津子さんのご両親、高野美幸さん、大沢茂樹さん)

こちらにおられるご夫婦は昭和54年8月の10日、鎌倉市で花火大会があり、その銀行の親睦旅行を兼ねて花火大会に参加した後、戸塚駅でバスに乗り帰宅途中忽然として行方不明になった寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島さんのお母様

よろしくお願いします。(ご両親がお二人揃って会釈をされる、会場より拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和54(1979)年
228
228 氏名 寺島 佐津子 失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ 生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 当時の年齢 19
身長 体重
公開 第12次公開
当時の身分 銀行員
特徴
失踪場所 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

TITLE:特定失踪者問題調査会
DATE:2006/06/24 23:28
URL:http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

★大沢茂樹さん

私の隣にいる方は昭和51年7月の30日神津島で、大学の友人と遊びに行き、神津島の民宿で忽然と姿を消した高野さんの妹さんでございます。

★高野美幸さん

いつもお世話になっております。
神津島から行方不明になりました高野清文の妹、美幸になります。
藤沢の方は良くお話をさせて頂いていますので、今回はちょっとご挨拶だけという事でありますが、今日は私いつも母の作品をお持ちしておりますけれども、調査会の方で「しおかぜ」という短波放送をしておりまして、最近ですね。
北朝鮮側から妨害電波が入っておりまして、非常に放送の状況が大変な状況なっております。
6月の中旬より対策をとりまして放送の方を再開・再編成と言う事で放送をしていくことになっております。
そのしおかぜの方の支援を致しますサポーターグッズ、タオルとかストラップ・リストバンドなどを販売しておりますので、W杯も近い折、娘さん息子さんに紛れてそういうグッズを使って頂いても良いかと思います。
ご協力の方をよろしくお願い致します。(拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和51(1976)年
80
80 氏名 高野 清文 失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ 生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 当時の年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時の身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪場所 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より
http://chosa-kai.jp/index.html

★大沢茂樹さん

どうもありがとうございます。
もうお一方、昭和47年東京の渋谷区でクリーニング店に行くと行って出たまま、行方が分からなくなった生島孝子さんのご親戚のコイト(漢字表記不明)さんも見えておりますが、ちょっと席を立って後ろへ・・・(その場で立ち上がり会釈)
よろしくお願い致します。(拍手)
以上3名のご家族が本日の勉強会に参加させて頂きますので、よろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

昭和47(1972)年
55
55
1000番台リスト
氏名 生島 孝子 失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ 生年月日 昭和16(1941)年6月14日
性別 当時の年齢 31
身長 体重
公開 第1次公開
当時の身分 港区役所麻布支所交換手
特徴
失踪場所 東京都渋谷区
失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

うらさんの祈りはダイヤモンドになって―健気に生きた明治の母 うらさんの祈りはダイヤモンドになって―健気に生きた明治の母

著者:生島 馨子
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参考朗読Blue jewel Voice

★大澤茂樹さん

簡単に御挨拶をさせて頂きます。
私の弟は昭和49年の2月の24日、新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の拉致現場から、距離にして7~8キロしか離れていない、天然記念物トキの保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。
曽我さんたちの約2年半前の事件であります。
事件当日丁度日曜日で、一人で隣町の金井町と言う所に遊びに行きその帰り、単身で佐渡に渡っておりましたので夕飯を外食し、帰宅途中知人宅のタバコ屋に立ち寄り、そこまでは足取りがつかめておりますが、そのタバコ屋から一切消息が分からなくなっております。

事件当時、佐渡の両津警察さんの方から、大掛かりな捜索をしていただきましたが結局分からず、また失踪する理由も分かりませんでした。
私の家族は拉致の疑いが排除できず、約4年半前新潟県警の方に再調査を依頼致し、再調査をしていただいたところ「拉致の疑い間違いない」と言う新潟県警の異例中の異例の見解を頂く事ができました。

私の弟は今月の21日になりますと誕生日で満60歳で還暦を迎えます。
今から拉致されて32年になりますが、残りの人生の3分の1、何が何でもこの日本に戻し自由な国に過ごしてやりたいと思っております。
また私どもの親は、母親は弟が失踪してからその心労が元で昭和63年に他界いたしましたが、今年95歳になる父親はまだ健在でございます。
せめて父親が元気なうちに弟の再会を果たしてやりたく、私もこのような機会があれば出席させて頂き、このようにお訴えをさせて頂いております。
今の日本政府の拉致の取り組み状況は北朝鮮が悪いのか、日本政府の方が悪いのか分かりませんが、今硬直状態となっております。

先ほど松木薫さんのお姉さん、また荒木先生の方からもお話しがありましたが、横田めぐみさんまた松木薫さんの遺骨、また有本恵子さん等の診断と全て捏造であり、ばれました。
ところが北朝鮮は拉致はすでに解決済みと居直り、話し合いをする姿勢もありません。
このままでは拉致被害者は全て皆殺しになると思います。
私はこの拉致問題を一刻も早く解決するには、小泉さんから経済制裁の発動を一日も早く発動していただき、圧力で解決していかなければあの国とは話し合いでは解決できないものと思っております。

それには今の日本政府は皆様方の世論の後押しがなければ何もやってくれません。
どうかこの拉致問題が一刻も早くまた一日も早く解決するには、更なる皆様方の日本政府に対する圧力が必要と思っております。
更なるご支援とご協力をお願いし、甚だ簡単ではございますが私の挨拶とさせて頂きます。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

■公開リスト詳細(検索結果)■

昭和49(1974)年
69
69
1000番台リスト
氏名 大澤 孝司 失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
ふりがな おおさわ たかし 生年月日 昭和21(1946)年6月21日
性別 当時の年齢 27
身長 体重
公開 第1次公開
当時の身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
特徴
失踪場所 新潟県佐渡郡新穂村
失踪状況 自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50~60人が勤務、うち15~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年6月24日 (土)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(5)

  『斉藤文代さん(松木薫さんの姉)の訴え』

~~よど号グループに思うこと~~

0000706m

皆様、今日は本当にありがとうございます。
松木薫の姉の斉藤文代です。
いつもこうしてお話を聞いて頂いて、本当に私いつも思うんですけれども、早くこのお話を聞いて頂かなくても皆様が喜んで頂ける、まぁ顔ですね。
私も見たいし私も見せたいし、早く解決しないかといつもいつも願っておりますけれども、中々これは難しい問題で全然私たちも前進致しませんけども、やる事だけは全部やらなければいけないという気持ちで、私も一生懸命やっております。

私の弟は8つ下で1980年に北朝鮮の方に、先ほど話されたよど号の妻たちによって拉致をされて連れて行かれました。
もう本当にもう少しで帰ってくると言う。
本当に私の父も今度こそは自分の息子と一緒に住めると、長い長い願いがあったんですけれども、本当にお酒もですね。
父はうちの弟と一緒に飲み交わしたいと言う事を常日頃聞いておりました。

ですから「学校を卒業したら俺は薫と一緒に飲みたいから、お前もたまには付き合ってくれよな」って言うような事は良く私も聞いておりましたので、本当にそれをさせて上げられない。
可哀想だなと思って、薫がいなくなりましてからは、私も少々は飲めますので父が寂しい顔をしているときには「お父ちゃん、今日は一杯飲もうか」と言って、私は女ですけれども弟の代わりは出来ませんけれど、父と一緒に飲むとですね。
とても喜んで私といろいろ話をして中々それを終わろうとしませんので、母から「女の子なんだから」と言う事で「やめなさい」と言われる事もありました。

私は時々しか帰りませんので、家の方にですね。
父と飲める事を楽しみにしておりましたけども、ただただ残念な事には父は私の耳には一切薫の事は話してくれませんでした。
やっぱり話をすれば父も辛いんでしょうし、私もこういう人間ですから考えが道がどこかに逸れる場合もあるんじゃないかと父は思って、いろんな事で父は私に苦しい思いを話してくれなかったと思います。
今になって思えば父は本当に私たちに苦労をかけまいと思って、自分ひとりで苦しい思いをして、そして平成2年に亡くなりましたけど、拉致問題と言うのは拉致された家族じゃないと本当に言い表せない苦しみと言うのがあるんですね。

今度父が亡くなりまして、今度は残された母がまた気の弱い人間ですので、今度は私に全部これが降りかかってどうしたら良いんだろうと、母はまた随分苦しんだと思います。
それで普通でしたらばまだ、今現在84歳ですから元気でなければいけないんですけども、やはりいろんな事を考えてますので、痴呆に入るのが本当に早かったと私思います。
ですから私に対してお話をするときにでも、ときどきあれ?っていう様な、全然関係の無いような言葉をいう時があるんです。
何でこんな事を言うんだろうな?って、そういう言い方はお母さんの言い方にハマらないな?と思いながらも、私も案外無頓着な物で気が付かない所があるもんですから、それが段々段々酷くなっていたのに気がつかないで、私も気が付いてあげればよかったんですけども。

本当に苦しんで苦しんで私が気が付いた時には本当にもう、母と私が会話がじっくり出来るような正常な状態でお話が出来るような所でなかったもんですから、今思えば本当に可哀想な事をしてしまったと思いまして、今病院の方に入院しておりますけども、精一杯私は出来る事をして上げなければと思って今病院の方で。
前はですね。
昔は薫の事をお話しませんでしたけど、今は薫の事も黙っているよりいろいろお話してあげた方が良いと思って、いろんなお話をしながら母に希望を持たせなければいけないという気持ちがありますので、もうすぐしたら帰ってくるとか話をいろいろとっかえましていろんな会話をしておりますが。

私が一番本当に今現在正直に望んでいますのは、母もそんなに長くはこの世にいられないんじゃないか?と言うことも思っておりますので、何としてでもやはりこの問題を解決しなければと思いまして、私も力不足で何もこう得意な物もありませんし、いつもいつも考えてどうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?と、いつも考えておりまして、この間ですね。
ここの救う会、神奈川の救う会の川添さんから、「ノルウェーの方に行くんだけれども斉藤さん行って見ませんか?」と言うお話がありまして、急遽でしたが私が何か出来れば行って私が何かやりたいと言う気持ちもあったものですから参加させて頂きました。

それでノルウェーの方で斎賀大使と話をさせて頂きまして、国際会議ですからスケジュールはキッチリと詰まっておるんで、私が出てお話をするという事はそれは到底時間的にも出来ませんでしたので、斎賀大使が朝早く時間を取ってくださいましてお話しする事は出来たんですね。
それで拉致問題のお話を私はずっと経過をお話しまして、「拉致された家族・特定失踪者・私たちの家族、もうみんな本当に苦しんでおります」と。
「高齢化しておりますので、なんとしてでも皆さん全員家族に会わせてあげたいと言う気持ちで私はノルウェーまでお願いに参りました」と。
それでノルウェーの力、欧州の方からですね。
声を広げて頂いて、北朝鮮と言う国を理解して頂いて、早く何らかの解決の道がひとつでもですね。
前進をするようにお願いをしたいと私申しましたらば、国際会議の場で斎賀大使は自分の持ち時間を割きまして、拉致問題に対してたくさんお話をしてくださいました。

私は英語は分かりませんけども、日本から来られた外務省の方が「今こういうようなお話をしております」と、送ってくださいましたので、今こういうお話をしているんだなって事で。
本当に私はそれを聞いていまして、あぁ長い間ずいぶんお話してくださったなと思いました。
「今度は人権の方に話が変ります」とかって言われたので時計の方を見てみましたら、20分くらいは、だいたい持ち時間は30分くらいでしたが、20分くらいは拉致問題に対してお話をしてくださいました。

その時は私は本当に来てよかったと、私は他の方に、いろんな国の方が来ていらっしゃいましたので、本当に拉致と言う事は人権問題でもありますし、早く解決しなければいけない問題です。
本当に日本の場合は長すぎるんですね。
この問題がですね。
だからもう斎賀大使とお話をしていましても、私の母だけでなくて、いろんなお母さんたちの顔が拉致家族のお母さんたちの顔が浮かんできます。
本当にこのお母さんは、このお母さんはと言うたびに、私は胸が詰まりまして。
でもそれを言わなければ本当に皆さんがそれを分かってくださらなければいけないことなので、私も本当に苦しい事ですけども斎賀大使に「なんとしてでも助けてください」と、早く解決する事を私は本当に願っておりますし。

私もこういう体型ですけどもいろんな病気がありますので、私も母と同様に同じように床に付くようになってはいけませんので元気なうちになんとしてでも解決して、家族がですね。
みんなタラップから降りてくる事を、一回目のタラップからは私たちの家族は降りてきませんでしたけども、2回目は絶対に全員が降りてきて、皆がよかったねと、本当にこれまで一生懸命やって良かったねといえる日が来るまで、皆で頑張ろうねっていつもいつも励ましあっております。
だからそれが実現するまではなんとしてでも皆様方にこういうお力を借りて、本当に一日でも早く北にいる皆が日の丸の旗を掲げた飛行機を待っている。
皆を助けると言う気持ちで、私も一生懸命やらせていただいております。

本当に私の家族も骨とか持たされました。
2度もですね。
でもその骨も他人の物と言う事で、ますます私は薫を救ってあげたいと言う気持ちで頑張っておりますので、どうか皆様方もこれからも温かく私たちの家族を、全員の家族を支援して頂いて見守って頂いて、一日でも早く全員が帰国できまして、皆で笑って良かった良かったといえる日が一日でも早く来ますように、どうぞ皆様これからも力を貸してください。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年6月21日 (水)

福留貴美子さん拉致事件を考える集い(4)

荒木和博 特定失踪者問題調査会代表 講演

~~福留貴美子さん拉致事件の本質~~

0000816m

ご紹介を頂きました荒木でございます。
今日はお忙しい中こんなにたくさんの皆さんお集まり頂きまして、本当にありがとうございます。

今、野村さんの話を聞いていてですね。
映画の話が出ましたんで、ふと思い出したんですが、私も実はその北朝鮮の映画を一回見に行った事がございます。
ずいぶん昔ですが、学生時代だったかな?渋谷にですね。
北朝鮮の映画を上映する映画館と言うのがあったんです。
確か、入場無料だったか千円くらい取ったか忘れちゃいましたけど、見に行きまして、観客私一人でした。(笑い声)
やってた映画はですね。
今でも覚えているんですが、「高圧線」と言う映画で、要は電気の技師がですね。
朝鮮戦争のときに米軍の爆撃から高圧線を守るためにですね。
その活動について描いた映画でございまして、これ、中々良く出来てですね。
正直言って私泣いてしまったという(笑い声)感動的な映画でありました。
で、私には幸いにしてその後お声はかからなかったんですけども、まぁそういうふうにして声の掛かった方はおそらくいたんだろうなと。

それからもうひとつ、これはまだ私が民社党の本部に勤めていたころですが、私の通勤経路がですね。
丁度歌舞伎町が通勤経路になっていまして、で、あるときですね。
もうだから20年位前かな?
仕事が比較的早く終わってですね。
ふらふらっと歌舞伎町の中を歩いていましたならば、こういう名前の看板がありまして、(後ろのホワイトボードに平仮名で「まだん」と板書する)これ韓国語がお分かりの方ならご存知と思いますが、広場と言う意味の韓国語です。
当時は今みたいな韓流ブームでも何でもなかったものですのでね。
こんな看板なんか殆ど見た事がなかったので、ふらふらっと入っていきました。
スナックでございました。

カウンターで飲みながらですね。
話をしてて、何でそうなったのか?今になるとよく思い出せないんですけども、マスターがですね。
おもむろに名刺を出してきました。
その名刺になんて書いてあったかと申しますと、(ホワイトボードに「統一革命党日本代表」と板書)「統一革命党日本代表」というこれは北朝鮮の工作機関ですが、この文章が突然出てきたもんですでね。
おそらく一体なんで入ったか?と言う話になって、韓国のこととかやっているという話をしたからじゃないか?と思うんですが、さすがに私もビックリしましてですね。
しかしまぁ、相手がそれを出して来たんだから、こっちも名乗らないわけにはいかないと思って、「いや俺は民社党本部の人間だ」という事を言って(笑い声)申しました。

そしたらそこに、これは名刺を出したのはマスターなんですけども、ママさんがいましてですね。
その人がいろいろ良くしてくれまして、それから数回行ったんですが、後で聞いたらこのママさんが、マスターは余りたいした問題じゃなくて、この人が大物の工作員と言うかエージェントだったという事が後に分かりました。
で、ふと今から考えてみるともしですね。
あの時、酒の中に薬でも入れられたらですね。(笑い声)
それでおしまいですね。
私だから、仕事終わって一人でふらっと帰ったわけであって、職場の同僚ももちろん分からないと。
で、家族ももちろん知らないと、いう所でですね。
入った飲み屋でそこで飲まされて、後はどこかへ行っちゃったという事であればですね。
誰も気が付かない事である。

その後私もですね。
性懲りもなく何回もその店へ行ったもんでですね。
そうすると今度はもし例えばそこの店に行ったという事が分かったとすると、今度はいやあいつはおそらく北朝鮮の事が好きになって自分で行ったんじゃないか?というふうにですね。
なってしまった可能性も、これも当然ある、と言う事でございます。

で、この名刺なんか出したのはたいした事無いんですが、そこのママさんがやはり大物でですね。
大物だっただけに結構ちゃんとした人でですね。
その後、もう亡くなったと聞いていますけども、いろいろとお付き合いと言うわけじゃないですけど、店には行ったりしたという事がございました。

で、今日は焦点となっていますのは福留貴美子さんの事で、先ほど川添さんのお話の中に、警察がどういうふうに認識をしているか?と言うことについてのお話がありました。
これはですね。
この中にもおそらく神奈川県警の方なんかおられるのかな?
まぁ警察の認識としては、さっき川添さんが言ったように自分で行ったと。
そして逃げられたのに逃げなかったと、いう事でこれは拉致だと認めていないという事、ですね。

この2月の日朝の実務者協議のときに、福留さんの名前を出していると言うのは、これは実は警察に相談しないで外務省がやった話です。
だから外務省はですね。
警察からの追求を避けるために三十数名と言う言い方をしています。
実際は1000番台リスト34名に、小住さんと福留さんを入れて36名なんですが、これを三十数名というようにぼかしているのは、この福留貴美子さんとそれから警察が死んだと言うことにしている山本美保さんの二人が入っているから、と言う事でございます。

この福留さんの事件と言うのは、非常にある意味でいうと象徴的な事件でありまして、一体拉致の本質は何か?と言う事を考える上でですね。
それは非常に重要な事件です。
と言いますのは、拉致と言うとやはりですね。
海岸を歩いていたらば無理矢理捕まえられて、そして袋に詰め込まれて船に乗せられたと、いう事でですね。
連れて行かれたというふうに思われるイメージが非常に強いと。
しかし、実際にはですね。
そういうケースはそれほど多くはない、と思います。

今日は家族会の増元事務局長がお見えですけども、増元るみ子さんなんかの場合はですね。
やはり市川さんとデートに行ってる時にやられたと言う事で、その可能性が一番近い人ですけども、しかしその増元さん・市川さんのケースでも市川さんは電電公社の社員でしたが、電電公社とか電話の関係者でいなくなってる方が多い事を考えますとね。
その場で行き当たりばったりではなかった可能性と言うのも存在をする。

一番可能性として高いのは横田めぐみさんですとか、おそらく横田さんの場合でも全くたまたま出会いがしらと言うのではなくて、若い女性を連れてくるという指示があって待ち構えていて網に引っかかったと言う事は最低限あるんでしょうが、そこから段々段々ですね。
グレーゾーンに向かっていくんですね。

一番のグレーゾーンと言うのはやはり自分で北朝鮮が好きになって入ったと。
しかし戻れなくなったと、いうことです。
これはある意味ではよど号の妻たちでもそうです。
よど号の妻たちでも彼女たちは大部分は北朝鮮にですね。
もちろん自分の意思では行ってますけど、まさか向こうでよど号グループと結婚させられるとは想像していない。
で、行ってみたら無理矢理くっつけられたと。

これもいろんな話があるんですが、どうもですね。
相当無茶な事をされた・相当酷い事をされたらしいと言う話も私聞いております。
そういう中でも他に選択がなくなって結婚をしたと。
で、しかし結果的にはですね。
本人たちがその気になったから、あれは拉致ではないということなんですが、彼女たちだってもし向こうに行ってからですね。
「こんなはずじゃなかった」と「私たち帰る」と言ったら間違いなく拉致になります。

福留さんはやはりそこに近いグレーゾーン、だと思いますね。
自分の意思で北朝鮮に入った事は、まぁ間違いが無い。
そういった意味では有本恵子さんとか、松木さん、石岡さんなんかと同じケースになります。
しかし、そこでず~っと暮らす事になるとはおそらく思っていなかった、いう事でですね。
拉致と言うのはそこまで全部ひっくるめないと、いけない。

そうすると更に言えばですね。
この自分の意思で入ってそして出られなくなった拉致と言うのはですね。
もうほとんど境界線の無いくらいの先には、今度は帰国運動があるんですね。
帰国運動で、確かにそれは自分達で決めて北朝鮮に行ったと。
しかし、すぐにですね。
帰国運動の時は1年か2年したらば里帰りできると思って行ったらば、全く出られなくなってしまったと、いうようなことがある。
これは殆ど境目が無いに近いぐらいの状態でその向こう側にはこれがある。
ず~っと、これグレーゾーンなんです。

この間に更に今はほとんど問題になっていませんが、在日朝鮮人の拉致被害者と言うのがやはりいます。
このケースもですね。
やはり、例えば工作船なんかを使って不法に出国したと言う可能性はある。
しかし本人たちは戻ってくるつもりだったのが戻れなくなったとかですね。
そういうケースが相当ある。

だから拉致と言うのはですね。
バシッとですね。
ここでもうこれは拉致です、これは違いますというふうに割り切れる物ではなくて、凄くですね。
非常に複雑だと、いうことです。
それを是非考えておいて頂きたい。

それから福留さんのケースでやはり日本に戻って来たと、これが警察が拉致を認定しないひとつの大きな理由なんですが、これは先ほど川添さんが言ったように、子供たちを残して来ているという事でですね。
無茶な事は出来ないと。
尚且つ、例えば警察に駆け込んだところでですね。
警察がその時相手にしてくれたかどうか?と言う事も疑わしい、と言うことであります。

レバノン人の拉致被害者ですね。
彼女たちも、北朝鮮の当局はベオグラードに出す時に、「お前たち、もし逃げ込んだってレバノンの大使館にだって俺たちの仲間はいるんだぞ」と言うような事を言っていたと、言う事でですね。
当然「警察にだって仲間はいるんだ」とか言ってたでしょうし、そうするとそこでですね。
勇気を出してそういうことが出来るか?と。
ひとつ間違えたらば、自分の命が無いかもしれないと、言う事があったということでありまして、これも重要な問題として、考えておかなければいけないわけです。

向こうに行ったというのは、基本的には向こうが何か使おうと思ってるわけですから、当然何かしらの工作活動に従事している可能性は十分あります。
だって例えばですね。
今帰っている蓮池薫さんなんかにしたって、全然喋らないですよね?
喋らないどころか彼が出してくる情報の中には、どう考えてもですね。
何らかの目的を持って出しているとしか考えられない情報が決して少なくは無い、わけであります。

こういう事が彼の耳に入ると彼は相当敏感になるんだそうですけども、この間金英男さんのご家族が行って会ったときも、金英男さんのご家族は今まで聞いていた事だけだったと非常に失望されたと言う事だそうですが、実際おそらくそうなんだろうと言うふうに思います。
今でも例えば地村さんなんかは毎日のように柏崎に電話して指示を仰いでいるという話であって、蓮池薫がコントロールタワーをやっているだろうと言う事は、もうみんな公然の秘密みたいな物でありまして、誰も言わない。
ある意味で言うと子供たちが帰ってきたら喋るんじゃないか?と思っていた私たち自身の期待も裏切られて、そして子供たちが帰ってきたら尚の事喋らなくなってしまったと、言うのが残念ながらその事実であろうと言うふうに思います。

かといってじゃあ、彼らをですね。
全面的に非難できるか?と、今喋ってくれない事については私は様々な思いがありますけども、しかしですね。
彼らが喋らないのは、ただ単に北朝鮮に対して忠誠心を持っているから喋らないと、いうことではやはり無いと思います。
ある意味で言うとドメスティック・バイオレンスみたいなものでですね。
恐怖感からは絶対に抜けられないと。

彼らのところに書いた手紙では、私は「戦ってくれなければ絶対にその恐怖感からは逃げられませんよ」と言う事を書いたりしたことがあるんですが、そういう事を書いたら何か脅迫状が来たとか言う事をですね。
言われてしまっていますので、まぁ相当嫌われているんでしょうけども、しかし現実問題としてはやはり彼らの恐怖をですね。
つかさどっているあの体制が潰れない限りは、どうやってもですね。
彼らがその恐怖感から逃げる事はできません。
だからそういう意味では、彼らが今やってることについて、100%の非難は出来ないと。
もちろん喋ってもらわなければいけませんし、もっと無理をしてでも喋らせなきゃいけないと私は思いますが、そういうことはある。

だから拉致被害者が何となくイメージとして、無理矢理つれて行かれて、何とか日本に帰りたいと思ってですね。
ただじっとしていると言うふうに思うイメージを思い描いていると、後でおそらくそれと現実のギャップがですね。
相当違った物が見えてくると。
その時に我々騙されたとか言う事をですね。
なってしまうと、これは拙いです。

そうじゃなくて、ああいう国の中にいるんですから、当然そういうことをさせられたと言う事はあるわけで。
それが例え半分くらい本気で彼らがやっていたとしても、それをですね。
最終的に我々は全て悪事を働いていたと言うような見方をする事は出来ないであろうと、言うふうに思うわけでありまして、その点をどうかご理解を頂きたいと思います。
福留さんの事件はまさに、そういう事件のひとつの象徴であります。

で、特に彼女の場合はですね。
私も救う会の事務局長をやっていた時代から彼女の事には関わっておりまして、高沢皓司さんと一緒に高知に行ってですね。
お母さんご存命のうちに2度お会いした事があります。
あのお母さんはですね。
前に日比谷の全国集会に一回来ていただいた事がありますが、本当に見かけは田舎のおばあちゃんですけども、物凄い記憶力の良い人で、凄い頭の良い人だなぁと、私よりよっぽど良く物を覚えている人でありました。

お母さんの言った事で非常に印象に残っているのは、あの時よど号グループの関係者が何とかしてその孫をですね。
貴美子さんの娘さんたちの事で結びつきを持って、そして福留貴美子さんの死亡届を出させようとしていたと。
その時に、お母さんが言ってたのは「私が骨で、そして貴美子は肉なんだ」と「そして孫たちは皮である」と。
「皮と骨は直接繋がらないで必ず間に肉がなければいけないので、貴美子の事が分からないのであれば、それは分かるまでやらなければ、そこで妥協すると言う事はできない」と言う事を言っておられました。

そういうお母さんですから、かなりしっかりしていたという事もあり、相手側もですね。
相手側と言うかよど号グループの関係者、この中にも誰かしらいるんでしょうけども、相当神経を使ってました。
ひとつ前に言われてびっくりしたのは、ご存命のときにですね。
福留さんのお母さんが一回ですね。
何か目の病気で隣町の病院に数日間入院した事がある。
数日で帰ってくるんで近所の誰にも言わなかったと。

で、郵便局にだけ「手紙をちょっと止めて置いてください」とか何とか言ってたらしいんですが、そして帰ってきてからしばらくしてからですね。
北朝鮮のよど号グループから、その病院気付でですね。
お母さん宛に手紙が届いたという話をしてました。
ですからどこでどういう事をしているのか?と言うのをですね。
チェックしている人間がいるんだなぁということが分かったわけで、あんな本当に田舎なんですけども、そこでもそういう事をやっていたという事であります。
だからこそ、そういう一応ネットワークがあるから、そう簡単に帰国したからと言ってそこでパッと逃げ出せるということでは無いと言う事をご理解を頂きたいと思います。

政府が認定しています11件16人というのはですね。
これ結局、我々も古川了子さんの訴訟で認定の基準の問題なんかをやってるんですが、要はですね。
認定の基準なんか何も無いんです。
たまたまマスコミが騒いだとかですね。
それから工作員が捕まって自白したとか、そういう事でやってるだけで、それ以外の物は無いと。
そこに一生懸命ですね。
屁理屈を付けて、認定の基準はこうだとかああだというような事を言うから、返って話がおかしくなる。

所謂その警察の捜査のやり方でですね。
そして認定できる人間なんてそんなにおそらくいないだろうと、言うふうに思います。
しかし問題は、じゃあ警察の判断で認定できる人間がいないから、じゃあみんなそのままで良いのか?と。
あいつは自分の意思で行ったんだよと言うことだけでですね。
済ましてしまえるのか?と。

非常に不謹慎ながら、私は時々例えで使うんですけども、「踊る大走査線」でですね。
青島刑事が公安の刑事だったとしてですね。
人がいなくなる失踪事件を追っかけると。
で、「いやあの人は拉致されたことに間違いがありませんよ」と言ったらですね。
所長と副所長と課長がですね。
「いや青島君、あの人は自分でいなくなったんだからね。拉致じゃないから、自分でいなくなったよ」と言う風にして終わりにしてしまうと言うようなパターンがあるのではないだろうか?と。

ですから最終的には田中実さんの事件とか、原敕晁さんの事件とかもそうですが、ああいって身寄りの無い人を狙ったケースについては、ご家族が名乗り出る事も何も無いわけなので、結局全ての人たちを返してくるためにはやはり今の体制を変えてしまってですね。
そしてみんな自由に出て来れる様にすると言う所に持っていく以外に方法は無いと。
これは他の北朝鮮の人権問題の解決なんかも結局そこに辿り着いてしまうんで、そこに行くしかないわけですが、そこを警察的に刑事事件として捉えるということであれば、逆に上手く行かないであろうと言うのが私の考え方でございます。

先ほど野村さんが言われたチュチェ研の動きとか、そういう事はですね。
これは全部止めるなんて事は絶対出来ません。
どんな国だって、自分の国が生き残る為に工作活動っていうのは必ずやります。
アメリカだってもちろん日本に対してやってますし、イギリスだってやってると。
中国も韓国ももちろん皆やってるわけでありまして、それは同盟国・友好国とか関係ありません。
生きるためには当然そういうことはしなければいけないわけでありまして、日本だってですね。
極めてお粗末ではありますけども、やって無い事は無いわけであります。

戦前はかなりですね。
それこそ満鉄の調査部とかあんなのを含めて考えれば、膨大な情報機関を持ってやってきたわけで、これは国家として生き残る為に当然です。
ですからどういう世界になろうと、そういう物をですね。
全部なくす事はできないんで、ですからそれはカウンター・インテリジェンスでですね。
抑える努力をしながら、そしてこちらからも送り込んでですね。
そして情報を取ると。

場合によったら、アメリカほど荒っぽい事をやらなくてもですね。
政権の転覆を図るような事くらいまで、やんないとですね。
攻撃は最大の防御と言うやつで、専守防衛でいくらやったってこの国を守る事なんか絶対に出来るはずなんか無い、と言うことであります。

そういう意味で福留さんの事件を我々本気になって取り返すことが出来るかどうか?と言う事が、ある意味で言うとこの拉致問題での認識をですね。
どういうふうにしていくのか?と言う重要な問題に絡んでくると言う事でございまして、どうかその点をですね。
ご理解を頂きたいと思うわけでございます。

もちろんそれだけは言っておきますが、かつてですね。
金子だったかな?
誰かが日本との電話の中で、「福留さんのお骨は実は今私の横にあるのよ」と言うような話を言ったと言う事を、私聞いたことがございます。
それが本当であればそのお骨を持って来れるはずですよね?
それでもちろんそれを鑑定することも出来る。
いまだにそれは出てきていないと。
と言う事はこれは間違いない事実だと言うことでありまして、松木さんの骨だってもし本当に亡くなっているのであれば、当然その遺骨が出てくるわけですが、わざわざ2回も偽物を掴ませてくるという事がどう言う意味が在るのか?と言う事は皆さんお分かりだろうというふうに思います。

まぁ以上ですね。
私申し上げましたが、拉致問題の解決と言うのはやはり幅広く見ていただく必要があるという事で、ご理解を頂きたいと言う事でございます。
ありがとうございました。(拍手)

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(3)

  『野村旗守氏(ジャーナリスト) 講演その2』

それをですね、裏付けると言うか、もしかしたらあったんじゃないか?と言う事を傍証にもならないかもしれないけれども、傍証になり得るんじゃないかと一時期騒がれたのが、月刊誌正論他にですね。
送りつけられてきた、元社会党員と名乗る人物の告発手記みたいな手紙が送りつけられていて、実は社会党の中に拉致補助グループがあって、その拉致補助グループが北朝鮮から資金運用を受けて、拉致被害者の選定に当たっていたと。
その下部要員がですね。
拉致被害者の選定に当たっていたと、言うような告発の手紙が正論他いろんな雑誌に届きまして。
実際に掲載したのが正論が殆どイニシャルで塗りつぶして殆ど何の事か分からなかったけれども、一応そういう手記を載せたと、言う経緯があってですね。

これがもしかしたらチュチェ研じゃないか?と言うような事を。
実はそこにチュチェ研と言う名前は出てこなかったわけですけども、我々と言うか捜査関係者、私は捜査関係者じゃないですけど、捜査関係者の間ではこれもしかしたらチュチェ研じゃないのか?というふうに一時期騒がれたんですよね。
今はもう余り話題にならなくなっちゃいましたけれども。
一時期はこれはもしかしたらチュチェ研じゃないかと言う事を、というか社会党の中にもチュチェ研グループというのがだいぶ入り込んでいて。

このチュチェ研と言うのが実態がわかり難いと言うのは、非公然活動の中でもそういった破壊活動とか分かりやすい活動はあまりやらないですね。
拉致の実行とか、それからどこかに爆弾を仕掛けるとか、そういった破壊活動をやらずに思想活動を普及していく。
日本には表現の自由・信仰の自由・思想の自由と言うのがありますから、憲法で保障されていますから、それをやるなと言うことは出来ないわけであって。

というのはこのチュチェ研と言うのは、はっきり言って取り締まりの対象にはなり難いグループだったから、だからこれは摘発されていませんけれども、先ほど言ったチュチェ研総帥のですね。
尾上健一と言う人物がいるんですけれども、この尾上健一氏が経営する白峰社という出版社が池袋にあって、白峰社と言うのは白い峰の会社の社。
白峰社と言う出版社があって、この出版社にあれは確か一時期・・・・(聞き取れず)日報さんでしたかね?
の旅券法違反に絡んで都内のチュチェ研関連施設に一斉にワッとがさ入れが入ったんですけど。

その時がさ入れをした捜査員に話を聞いたら、チュチェ研の尾上の事務所の会社の金庫の中から、朝鮮労働党から授けられた勲章が山のように出て来たと言う話があって。
この尾上がですね。
だいぶ拉致等にも関わっていたのではないか?と。
日本人の協力が無いと、あれだけこう、なんていいますか、見つかり難い人物・拉致被害者の選定が出来なかったんじゃないか?と言うようなことが今言われています。

チュチェ研がですね。
例えばどうやって人を増やしていくのか?と言うこと、それを実際の状況を書いたのがやはりこの八尾恵の「謝罪します」の中で八尾恵は、自分がどうやってオルグされたか?
仲間に引き入れられたか?と言う事を書いています。
それによるとチュチェ研のですね。
そのオルグの仕方と言うのは、「派遣と移住」という、要するに東京なり大阪なり大都市に拠点があって、それが八尾の場合尼崎でしたけど、尼崎の方にメンバーが派遣されていくと。

それで朝鮮映画を上演する会と言うチラシを配ってですね。
それで引っかかってきた若者たち、主に若者たちに映画を見せて、名前と住所を書いてください、と。
今日の映画の感想を聞かせてください、って言う事で名前と住所を書かせて、で電話番号を書かせて。
数日するとその上映会のメンバーから電話がかかってきて、「先日の映画の感想はどうですか?楽しかったですか?」と。
「感想を聞かせてください。出来れば話してみませんか?」と言う事で、そう言って電話をかけてきて近付いていくと。

で、見込みありそうだという事になったら、何人か仲間が出来たらそこに核が出来るわけですから、その仲間たち、「ちょっと一緒に暮らしませんか?」と言う事で、派遣されてきたメンバーがそこに住み着いちゃう。
移住しちゃってそこでまた細胞を作って普及活動を広げていくと言うような方法で、この尾上健一氏はですね。
70年代から80年代にかけて作ったチュチェ研組織が日本で約300あると、その功績が非常に認められて勲章を貰った。

オルグされたメンバー、何をやっていたか?と言うと、もしかしたらそういった例えば青年チュチェ研・教職員チュチェ研のようなメンバーが、ひょっとしたらこの拉致の関わりの中で行くと拉致被害者の選定と言う事でですね。
例えば名簿を集める。
拉致してもなるべく足の付かないような候補者を選んで、朝鮮労働党の方に送るといったような活動をしていたのではないか?というような話が出て来ています。

それともうひとつこのチュチェ研が関与した中で、何をやっているのか?と言うと、このチュチェ研の中核組織が金正日著作研究会と言う話は先ほど言いましたけれども、この金正日著作研究会の表の顔が「自主の会」という会がありまして。
この自主の会が主にどんな活動をしているか?と言うと、その中の大きな柱のひとつに、「アイヌと沖縄との連帯」と言うような事を謳っています。
日本の中の少数民族と連帯して、共に活動していこう、共に戦っていこうというような事を訴えています。
で、これどういうことか?っていうと、沖縄と言う事を非常に言うんですよね、彼らは。

沖縄に何があるか?といったら、これ米軍基地があります。
日本最大の米軍基地があって、東アジアというかアジア最大の米軍勢力が結集しているのがこの沖縄ですね。
で、私ちょっと沖縄関係の本を作った事があるんですけれども、沖縄でこのチュチェ研の事を調べていきますと、沖縄の米軍基地の中にこのチュチェ研が実はあります。
沖縄の基地の中に基地の職員の労働組合があるんですけども、その中にチュチェ研があります、実は。

尾上健一自身が「沖縄では基地の中で働く我々の仲間が、このチュチェ思想を広める為に日々頑張っています」と言うような事を北朝鮮で演説しているんですよね。
その文章を一度私インターネットの上で見つけた事があるんですけども、非常に血の気が引きました。
と言うのは北朝鮮の中の北朝鮮のメンバーがアジア、要するに北朝鮮の暴発の最大の防波堤と言うか、最大の抑止力になっている沖縄の米軍基地の中に、この北朝鮮の思想を信奉している信奉者が何人もいたら、これ一体どんな事が起こるんだろうか?と。

言う事を非常に不安になりまして、いろいろ調べきったわけじゃないんですけども

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(2)

『野村旗守氏(ジャーナリスト) 講演その1』

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~~チュチェ思想とよど号妻~~

はじめまして。
どうも、野村と申します。
本日はお招き頂きましてありがとうございます。

今日はですね。
拉致問題の中でもよど号関連の特に福留さんの事件を中心にお話されると言う事なんですれけども、よど号と言えば必ず出てくるのがよど号の妻と言った関係で、この福留貴美子さんは非常にその中で異色の存在でして。
よど号の妻の中では、よど号の妻を送り出したある思想団体があって、それがチュチェ思想研究会と言う不思議な朝鮮の思想を学ぶ不思議な会があって、・・・(聞き取れず)の方にありまして。
そこから送り出されて行ったんですけども。

ところがこの福留さんのケースは非常にレアケースであって、福留貴美子さん自身は殆ど関係ないと。
チュチェ研とは関係ないところから送り込まれていたと言うんですけれども、よくよく調べてみると実は全くそういう思想に興味のなかった福留さんが、そのモンゴルに非常に興味を持っていたと。
モンゴルの事に興味を持っていて、モンゴルに行ってモンゴルの大地を歩きたい。
草原で翼を広げたいというふうに思われていた福留さんが、実はいつの間にか北朝鮮に行く事になってしまった背景には、実はチュチェ研の力が働いていた。

というのはモンゴルと北朝鮮とは不思議な因縁のある国でありまして、例えば日本モンゴル研究会とか日本モンゴル友好協会とか、そういったところに時々北朝鮮のメンバーが入っているという不思議な、これはまだ実際は解明されていませんけれども、もしかしたら福留さんが北朝鮮に行く事になってしまった不思議なきっかけと言うか、その原因ももしかしたらこのチュチェ思想の人間が絡んでいるのではないか?と言う疑いが浮上して来ているようです。

それでチュチェ思想研究会と言うのはですね。
特に公安の中でも警察のいろんな中でも、あまり何と言いますか。
注目されていない部分と言うか、今最も日本と北朝鮮を結ぶところ、なんと言いますか、いろいろなコネクションがありますけどもそういった絆の中で、これもっとも解明されていない部分ですね。

私もこの間警察のOB、公安のOBと話しておりまして、いろいろ言っていたんですけれども、一時期このチュチェ研と言うグループがですね。
余りにも謎の多い組織だと、いう事で警察の方も、あるいはその他公安機関も随分追いかけたらしいんですけども、だいぶ調べても分からない。
なんか調べても何も出て来ないという事で、これは危険度が無いだろうという事で、一度もうチュチェ研に関してはこの団体は危険性は無いということで、なんて言いますか視察の対象から外してしまったらしいですね。
外してしまったんだけれども、どうもこれは過去にいろいろやってるんでは無いか?という事で、最近またにわかに注目が集まって来て、捜査関係者の中でもやはりもう一度チュチェ研を調べるべきだと言うような声が上がっているようです。

と言うのはこのチュチェ研と言うグループはですね。
非常になんていいますか、秘匿性が高いグループでして、北朝鮮のチュチェ研と言うのは要するに「主体思想研究会」と書きますけれども、この主体思想研究会以下、なんていいますか。
日本人の中の、日本にいる北朝鮮の人たち、所謂朝鮮総連の人たちですね。
朝鮮総連をまとめるのは学習組という朝鮮の非公然組織がやってるんですけども、それとは別に日本の中にいる、北朝鮮が利用できそうな人材を確保するグループ、これがチュチェ思想研究会と言う事で、そういう捕らえ方でいいと思います。

これについてですね。
一番詳しい資料と言うのは、チュチェ研という事に関して書いた物・書かれた物というのは、要するにその実態について書いた文献というのは非常に少ないんですけど、このチュチェ研の実態を描いた文献として最も詳しいのは、私が調べた範囲では八尾恵。
日本に帰って来た元よど号の妻ですよね。
柴田泰弘の妻の八尾恵が書いた文藝春秋の「謝罪します」と、今確か文春文庫の中に入ってると思いますけど、あの「謝罪します」と言う本の中に書かれている描写が、おそらく私が調べた中では一番詳しい文献です。

八尾恵自身、このチュチェ思想研究会のメンバー。
特に青年チュチェ研。
この青年チュチェ研と言うのが今現在全国にたくさんあるチュチェ研グループ、これ全国チュチェ研と言う組織がありますけども、全部合わせた組織ですね。
その全国チュチェ研の中核組織が青年チュチェ研から発展していった「金正日著作研究会」というのがあるんですけども、この「金正日著作研究会」と「自主の会」
この二つが、実はこれ表向きの顔が「自主の会」で裏の顔が「金正日著作研究会」と言うんですけども、この「金正日著作研究会」と言うのが、これが本当の中核組織ではあるんですが、この中核組織が表に出てくると言う事はまず無いですね。
おそらくHPで「金正日著作研究会」と言うのをインターネットで引いても殆ど検索出て来ないと思いますけど。

ただ、実際にこの全国チュチェ研と言うのを操っているのはこの「金正日著作研究会」
そこの幹事長、実質的にここを支配している人物が尾上健一。
この尾上健一と言う人物、今60前後だと思いますけど、この尾上健一と言う人がチュチェ研の総帥と言うふうに考えて良いんで無いか?と思います。
この尾上健一氏が日本全国にいるメンバー、これ数千人からもしくは1万人くらいではないか?と目されていますけれども、正確な数は分かりません。

どういう組織かと言うと、この青年チュチェ研の中にいる学生のメンバー。
それからもうひとつは特に労働者組織ですね。
今現在日本の中にいる労働者組織と言うのは非常に力が弱くなりましたけど、一時期労働運動といったら官公労を中心に膨大な数のメンバーがいたんですけども、その中でももっとも勢力が強かったのは学校の先生です。
教職員の組合の中に入り込んだチュチェ研、これがだいぶ活動を広げていった。

と言う事で「教職員チュチェ研」と言う組織がありますけども、この中でどれくらいの方が北朝鮮にいかれたことがあるか分かりませんけど、おそらく北朝鮮にツアーで参加された方はですね。
平壌の主体思想塔。
なにか味も素っ気も無い、馬鹿でっかい、ただ高いだけのタワーが平壌に立っていまして、あのコンクリート製の建物ですね。
タワーがありますけれども、あのタワーの下のところにこれを建設する為に寄付を頂いたと。

その寄付をした人たちの名前がば~っと、こうパネルでですね。
一杯貼ってあるんですけども、そのパネルの中で例えば、岩波書店の何とか社長だとか、朝日新聞の名前は出てなかったかな?
とにかくそういった左翼系の日本の組織がだいぶあそこに寄付しているんだと言うのが分かりますけれども。
それ以外に例えば群馬教職員主体思想研究会だとか、福島教職員主体思想研究会だとか、あるいは熊本教職員主体思想研究会だとか、そういったような名前のパネルがずら~っと貼ってあります。
というのは、日本にいる主体思想信奉者たちが朝鮮にだいぶ寄付をしているという事ですよね?

で、先ほど八尾恵の話しましたけど、その八尾恵が書いている所によれば、一体この主体思想研究会・チュチェ研と言うのは何か?と一言で書いているんですけれども。
八尾恵の「謝罪します」と言う本によれば、

「北朝鮮が利用できる日本人を見つけるためのプールのような働きをしている」

この表現、的確だと思います。
「北朝鮮が利用できる日本人を見つけるためのプールのような働きをしている」
これ朝鮮総連が、要するに北朝鮮の非公然活動ですね。
やるために要するに南進赤化統一と言うような活動をするために、役立ってくる革命戦士を見つけるためのプールのような、在日朝鮮人のプールのような働きをしてるのが朝鮮総連だとすれば、それに役に立つ北朝鮮に役に立つ日本人を見つける。
プールのような働きをしている組織というのが、それがチュチェ研と言う組織。

そこに入って来たちょっと入って来た、ふらふらと迷い込んで来た人たちを自分達の仲間に引き入れると言う事をやっていて、よど号の妻たちと言うのは先ほど福留さんはちょっと違うんですけども、他の人たち、たくさんいますよね?
よど号の田宮から始まってあのメンバーの妻となった人たちって言うのはみんなそうですよね?
森(順子)さんにしろ、黒田(佐喜子)さんにしろ、チュチェ研と言う組織にふらふらと入ってきた。
もちろん八尾恵もそうですけども、入って来てちょっと北朝鮮に行って見ないか?と。
向こうに行けば面白い事あるよと地上の楽園があるよと言うことで、一回行って見ないか?と連れて行かれたら何か向こうでお見合いをさせられて、そのまま向こうの妻に納まったと、言うような経過を辿ったと言うんだと思いますけども。

そういう中でチュチェ研と言う組織が他にどんな働きをしていたのか?
これはまだちょっと完全に裏が取れていないということで余りおおっぴらに話す事は出来ないんですけども、ですからこれは確実に裏の取れた情報ではないけれども、一つ考えられるのは拉致事件との結びつきで言えば、ひとつ拉致の実行犯となったよど号メンバーの妻となったという、ひとつの実績と言うか、事実はあるわけですよね?
しかも妻たちも拉致に加担していたと、その事実もある。

それともうひとつ疑われているのは拉致者ですね。
拉致被害者の選定に、もしかしたらこのチュチェ研と言うグループが関わっていたのではないか?と言う疑いが今持たれています。
というのはこのチュチェ研と言うグループですね。
労働組織の中に随分入り込んでいたと。
労働者組織の中でも教員労働者、それから自治労とかそのあたりにいたんですよね。
どういうことか?と言うと教員それから自治労と言うのは自治体の職員、これは個人情報を非常に集めやすい立場にいると。

例えば学校、クラスの中のタナカ君のところのお父さんとお母さんはどうも仲が悪いらしい。
で、タナカ君のお父さんはアル中で奥さんはいつも苛められているらしい、と、これ例え話で言ってますよ?
そういった、じゃあタナカ君のところだったらいなくなっても、もしかしたら誰も調べないんじゃないか?とか。
そういったようなひとりひとり個人の情報を調べやすい。
拉致被害者これ、25年も30年も経過して殆ど、25年から30年間もこれだけの事件が多発していて殆ど足が付かなかった。

もちろん荒木さんとか佐藤さんとか、拉致被害者救う会の努力によって今になってワッと分かって来ましたけど、少なくとも四半世紀の間は、密閉にですね。
隠密にされていて明らかにされて来なかった背景と言うのは、これは元々いなくなっても分からない人間。
いなくなっても分からなかった人間を連れて来た可能性が強いと言う事で、じゃあ、誰がいなくなったら分からないか?と言うのを調べる役目ですね。

拉致を実行したのは例えば北朝鮮の工作員です。
それを補助したのは主に日本の中にある非公然組織ですよね?
補助グループ、これは殆どというか全員在日朝鮮人で構成される補助グループが、その主犯格の北朝鮮の工作員を助けると言う形で拉致を実行しますけれども、もしかしたらその選定にこのチュチェ研が当たっていたんじゃないか?と言う疑いが、今浮上して来ております。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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福留貴美子さん拉致事件を考える集い(1)

  「福留貴美子さん拉致事件を考える集い」 

         06.6.3 藤沢産業センターにて

『川添友幸 神奈川救う会会長 講演』

~~福留貴美子さん拉致事件とは?~~

本日はご参加頂きありがとうございました。
最初ですね。
この会は学習会みたいなのを考えていたんですが、こんなに人が集まって頂いてですね。
非常に私も嬉しい限りです。
今日は福留問題といって、まだ殆ど皆さんご存じない拉致問題・拉致事件だと思いますので、ご理解頂ければ良いと思いますし、更にこれがかなり福留問題と言うのは拉致事件の中で重要な事件。
他の拉致事件とは違った次元で重要な事件ですので、是非ご理解を頂ければと私たちも思っています。

そうしましたらまず、私が作りました「福留貴美子さんについて」と題したチラシを出してください。
だいたいこのチラシに添ってですね。
話をしていこうと思いますので御覧になってください。

福留貴美子さんですね。
この方、1952年1月1日に高知県の方でお生まれになりまして、1970年に高知県の高校を卒業し、大阪万博の方のですね。
警備員をされていました。
その後ですね。
上京しまして、アルバイトをしながら専門学校に通って保育士の資格を取りました。
その後、その頃ですね。
高校の頃からなんですが、モンゴルに行きたいという事を非常に熱望していました。
このモンゴルに行きたいというのはですね。
お父様が太平洋戦争のときに、満州の方におられたという事でモンゴルに行きたかったという事がどうもあったと、そういう話が関連しているのではないかと伺いました。

次、拉致事件の経緯なんですが、当時モンゴルはですね。
私もモンゴル大使館の方に確認をしたんですが、共産圏と言う事で殆ど一般の人が個人で旅行する事は出来なかったそうです。
しかしですね。
1976年の7月18日に、急にモンゴルへ行くといって直前にパスポートを取りまして、羽田を出国しました。
この後ですね。
全く所在がつかめなくなってしまいまして、1979年の8月に東ベルリン、昔ベルリンの壁ありましたね?
東ベルリン、共産圏の方ですね。
共産圏の東ベルリンの消印の手紙が、高知県の実家の方に届きました。

で、この手紙の中でですね。
福留さんが、ある共産圏の国にいる事と、もう少し海外に滞在しなければいけない事、生活には困っていないという事。
で、この後がちょっと重要なんですが、いとこの結婚式を祝う事が出来なかったので宜しく伝えて欲しいと書いてあったと。
ここで非常に重要なのはですね。
殆ど実家とは音信普通にも拘らず、何故いとこの結婚式を知っていたのか?と。
どうも福留さんの身の回りにですね。
北朝鮮と繋がっている人間がいた、あるいはよど号グループといた、と言うふうに考えるのが自然ではないか?と思われます。

その後ですね。
今度これも非常に奇妙な話なんですが、1980年3月11日に突然福留さんが、これは横浜に住まわれている方なんですが、同級生の家に突然現れまして2~3日間その家に滞在しましていろいろな話をしていたと。
このとき滞在した友人にですね。
これから高知の実家に戻るんだと言うふうな事を言ったそうですが、実家に戻る事はなく、また姿を消してしまいます。
この後同年6月にですね。
日本を再度出国したと言う記録が出て来ていますが、この記録自体が本当に正しいのかどうか?
あるいは別の方が出国したのか分かりませんし、確認は取れていません。

ここでちょっと注意しないといけないのは、ここでもうこの時にですね。
子供が二人お生まれになって、本当に日本に戻ってくるのであれば、子供たちを北朝鮮から連れて戻ってきますので、子供が一緒でなかったという事が非常におかしな事と言わざるを得ない所です。

さてですね。
拉致事件として実際如何に表に出たか?と言う事をちょっと見ますと、実はちょっと福留さんの話とはズレるんですが、よど号グループのメンバーの岡本武がですね。
テルアビブ・ロッド空港乱射事件、岡本公三のお兄さんに当たる方なんですが、岡本武がですね。
ずっと結婚相手が北朝鮮の方だと言われて来たそうです。

しかし、ジャーナリストの高沢皓司さんが1995年春に北朝鮮で田宮高麿とですね。
もう亡くなられました田宮高麿とインタビューした時に、岡本武は日本人と結婚している。
二人子供をもうけていると。
岡本武と結婚した日本人女性は、高知県の出身である事・東京に住んでいる事・剣道大会に出席した事がある事などを田宮が語ったと。
結婚の時に田宮が、岡本夫妻が今生存している。
今自分の手元から離れているが、どこか別の所で暮らしていますよ、と言う言い方をしていたと言う事を前提で話しました。

で、その後ですね。
高沢氏と朝日新聞などが調べましてですね。
高知県の、当時警察は実は把握してなかったそうですが、高知県の方でいなくなった福留貴美子さんと一致しているとして、96年の8月7日、朝日新聞の社会面に衝撃的な記事が踊りました。
この報道の直後から、急に国内にいるよど号グループの支援グループが動き始めまして、今度中日新聞に共同通信配信で、中日新聞が記事を書いたんですが、「よど号の岡本武容疑者の妻/8年前に死亡?」
96年ですから、88年に事故で亡くなっているということを、共同通信、これ北京の共同電ということで、これ、間違いなくよど号グループからのリークがあったと我々見ていますが、リークがあり、それを報道しました。

事件の概要ですと、88年に北朝鮮から岡本と福留さんが土砂崩れで死亡したという通知があったと。
(よど号グループの)支援者が高知の、福留さんのお母さんがおられまして、お母様の方に実はお話をしに来たということだそうです。
その後、お母様に対して、北朝鮮に来てですね。
遺骨を取りに来てくれとか、死亡届を出してくれとかですね。
そういうことをずっと連絡をしました。

お母様の方はですね。
1996年11月25日に、代理人を通してですね。
亡くなったという事は了解できないと。
全く死亡の経緯なども明らかでないので、と言う事で質問書を出しました。
しかしその質問書に対しても、田宮高麿が亡くなってしまいましたので、小西(隆裕)がですね。
第三者を介在させたくないので直接お母さんと話をしたい、と言う回答が1997年11月15日であり、そのあと電話がですね。
平壌から何度もかかって来たと。
その時に、貴美子さんの死亡届をお母さんに出して欲しいと、言うような事を言われました。

ここでひとつ、私思うのはこのチラシには書いて無いんですが、横田めぐみさんが亡くなられたときにですね。
しきりに北朝鮮側はですね。
来てくださいと促したりとか、今は金英男さんのお母さんに対して北朝鮮が韓国政府に来てくれと言う事をしきりに言うのと何か似ているなぁと思います。
これがまた向こうの多分やり方なのではないでしょうか?と思います。

実はその後ですね。
お母様が救う会の方に入られまして、家族会の方と一緒に行動されたんですが、2002年の1月の12日にご病気で亡くなられてしまいました。
実は(福留貴美子さんの)娘さんたち二人がですね。
2003年、2004年にですね。
帰国しました。
他のよど号のメンバーと帰国してですね。
現在関西の方で、他のメンバーたちと一緒に暮らしているそうです。

私自身ですね。
おととしの暮れのよど号の裁判の時に実はお会いしました。
まだ高知の方に若干親戚の方が残っていまして、そちらの方に時たま姿を現しているという噂を風の便りに私も伺ったという感じですね。

次にちょっと裏面の方のお話をします。
行政の認識と言う事をちょっとお話したいと思うんですが、行政が、政府や警察が如何に動かれたか?と言う事の流れなんですが、福留さんの拉致事件はですね。
発生当初から存在を感知していたとは感じられない。
これはどういうことかと申し上げますと、横田めぐみさんの拉致事件とかですね。
今日も来られています、増元(照明)さんの増元るみ子さんの拉致事件なんかと言うのは、ある程度起きた当時から拉致じゃないか?と言う事は分かっていたらしいんですね。

工作船の動きだとかですね。
そういう事で分かっていたんですが、福留さんの件に関してはですね。
存在を確認できた様子が感じられない。
どうも96年の朝日新聞の報道を受けてですね。
事件を認知したようで、警察の捜査でもですね。
旅券の更新手続きや足取り等の方もかなりつかめているようである。
国会で実は何回か福留さん問題になっていまして、国会の答弁を2回くらい見ておりましても、警察庁としては拉致にいたる判断をしていないと答弁していたんです。

しかしこれ、私間違えました、2005年なんです、2004年ではなくて去年なんですが、去年の10月11日にですね。
東京地裁でよど号関係者の民事訴訟と書いてあるんですが、簡単に申し上げますと帰国した娘さんたちのですね。
成田空港でカバンの所持品検査を警察で受けたんですね。
それに関して裁判を起こしまして損害賠償請求、その公判のなかで警視庁公安一課の幹部が、「救う会が認定している福留貴美子さんは、警察としては拉致被害者として考えていない」というような判断を致しました。

それに対してですね。
こちらの資料を御覧になっていただきたいんですが、救う会全国協議会ニュース。
ここの救う会全国協議会ニュースでですね。
私11日の日にこれすぐ情報入りまして、救う会の西岡副会長とちょっとご相談してですね。
すぐ反論を出した方が良いと言うことで、私の名前で反論を出しました。

それでですね。
端的な反論から申し上げますと、公安一課長がですね。
公安一課の幹部なんですね。
福留さんが日本に一時帰国している時に友人宅などに泊まったりなどしており、逃げる機会はあったと。
在外公館に自ら旅券更新をしていたので拉致ではないと言うような事を根拠に拉致では無いと言っているわけですが、まず私が思うにですね。
北に入った時点で洗脳されている可能性も高いですし、最大の問題は子供さん二人をですね。
北朝鮮側に人質として取られている状況で、例えば今ですね。
拉致被害者の方が、どこかの大使館に逃げ込めばこれは保護してくれると思いますが、80年代にこれをやってもただ頭のおかしい人と言う事で処理されてしまったと思うので、やはり難しいのではないかと。
これはおかしいのではないかと言う事で、反論を出しました。

あえてもう一点ここで私のコメントとして言わせて頂くと、連れて行かれた経緯がですね。
騙されて連れて行かれたとしても帰ってこれなければ、それは拉致なんですね。
寺越さんとか、例えば有本さんにしても同じだと思うんですが、騙されて例え自分の意思で行ったとしてもですね。
これは拉致なんではないか?と思います。
この辺は荒木先生に細かくお話をして頂こうと思っておりますので。

その後ですね。
このよど号訴訟の証言が出た後ですね。
今年の2月に北京で開催された日朝の実務者協議でですね。
外務省が36人の安否確認、これは政府が認定しています11人以外に、特定失踪者、所謂1000番台、今日来られていますが大沢さんのケースなんかを含めました1000番台の人間プラス、小住健蔵さんと福留貴美子さんの安否確認を行いました。
実はこれまでですね。
日本政府は福留さんの安否確認を言う事を北朝鮮側に行っていなかったんですが、そういうわけかここで安否確認を行った。
ということで、これも警察の判断とはちょっと違う判断で、どういうことかな?というふうに思います。

今後の問題点なんですが、福留さんの拉致事件の真相究明、特にどういうルートで連れて行かれたとか、実際殆ど分かっていません。
帰国も非常に重要であると私思っています。
しかしですね。
私、近頃最大の問題と思っていますのは、娘さん二人がですね。
22と27で、実は帰国して、関西の方にいらっしゃいます。
彼女たちの意思でですね。
そこに戻るならそれは良いと僕は思うんですが、生まれてからずっとよど号のグループと一緒にいる、ある意味監視下、北朝鮮の状況下にいる中で、これもやはりある意味拉致ではないかと私思うので、娘さんに対して早期に何らかの対応を取れないかと思うので、いろんな方と相談して何らかの対応を取れないかと言う事を考えております。

まとめとしてですね。
この福留問題と言うのは難しいと思いますし、救う会の中でも今までずっと店晒しと言うんでしょうか。
そういう面もあったかも知れませんが、今全国の救う会と併せてですね。
この問題を顕著化していこうと思っていますので、皆様のご協力とご関心の方をよろしくお願いします。
以上です。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク

救う会全国協議会ニュース(2005・10・15)

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年6月20日 (火)

横田早紀江さんの訴え(20006/5/28水戸にて)

【2006年5月28日、茨城県民集会 水戸市民会館にて】

  ◆横田早紀江さんの訴え

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みなさんこんにちは。今日は本当にこうしてたくさんの方がお集まりくださいましてありがとうございます。

私たちは、10年ほど前になりますが、安明進さんが(一部不明)めぐみが北朝鮮で生きているということをはじめて知らされて、本当に20年間何にもわからなかった、子供の消息が、突然北朝鮮というところにいるということがわかったんです。

それから「あぁ、めぐみちゃん、生きていたんだ」と思って二、三年のうちに会えるんだと思ったことが、こんなに長くかかって、そして全国のみなさん方のたくさんの署名を頂きまして、初めのうちは、だれもチラシすら受け取ってくださらなくて、『そんなことって本当ですか?』てこうやって(手を振る様子を示して)通り過ぎる方がほとんどでしたけれども、そんな中から、今は500万名以上の署名を官邸に提出することができましたし、そして皆様のお一人、お一人の暖かい浄財を、家族会の活動のために、全国津々浦々からが、お一人お一人が心を込めて「がんばってください」と家族会の方に振り込んでいただいたおかげで、今回のような訪米、訪韓、以前に行きましたジュネーブの国連への要請とか、前にも二度ワシントンに行きましたけれど、そのようなたいへんな数の費用とか宿泊料とかは、私達普通の庶民ですから、本当にそのようなことできるわけないんですが、本当に皆様方の暖かいお心の中で支えられて、今日まで、こんなに大きなところまで動いて来ることができましたことを、本当に心から感謝いたします。(大きな拍手)

私は平凡で普通の主婦でしかない、このような人の前でお話しすることなど苦手で、逃げることしかなかったようなものが、こんな本当に大変な人生を歩むことになったことすら不思議なんですが、今回、三度目の訪米なんですが、その中で米国の議会の公聴会の証言ということで、日本の家族から、横田早紀江さんということで、初めてそのような場で証言をさせていただく機会を与えていただきました。

本当にどんなことになるのかと思っておりましたけれど、西岡先生とか、島田先生とか、荒木先生とか本当にたくさんの方がこの10年間、・・・以後、どんなに心を砕いて一つ一つ小さく計画を立ててくださり、知恵を働かせてくださり、私たちにできないようなことをこうして実現させていただいたことを、心から感謝しています。

公聴会に行く前の日には、国防総省というところに参りまして、そちらのほうで、みなさまよくご存知のラムズフェルド長官がちょうどイラクにいらしてそこにこられないということがわかりまた時にして、イングランド副長官という方、さっと来てくださって、ローレンス副次官とか、よくテレビで記者会見をなさっているヒルさんという方がいらっしゃいますね・・・そういういろんな方が来てくだしましてそして私達の話をお一人お一人が一生懸命聞いてくださいました。

いつも、アメリカでは感じますが、これはその時だけと思えないほど、お一人お一人のお気持ちがですね、<私達が遠いところをおして訴えに来たんだ>ということを本当にしっかり受け止めてくださって、「本当にこれは大変な問題なんだ。許せないんだ。絶対にアメリカはこの拉致問題を見捨てることはありません。必ず拉致問題のことをきちっと表に出して、忘れませんよ』という強いお言葉をいただきまして、本当に有り難く思いました。

いよいよ27日の公聴会の時間が参りまして本当にドキドキしていましたけれども、それも非常に長い文章を書いていましたので、全部言いたいと思って。『そんなに無理です、ひとり5分しかないんですよ』と言われて、先生方も徹夜のように直してくださって、通訳のスーザンさんという方が、それを訳してくださって、二人で掛け合いをしながら何度も練習をいたしまして、そしてその日の望みました。

本当にスーザンさんは前のときの訪米のときも通訳をしてくださった方で、このとてもよく拉致のことをご存知で、ただ表現する、読むというだけではなくて、通訳すると言うだけじゃなくて、本当に、私がめぐみが船に乗せられて「お母さん助けて!お母さん、助けて! 」と呼びながら壁をかきむしって、爪がはがれそうになって血だらけでしたと言う話をしたときにも、女性でいらっしゃいますから、私の気持ちと同じように、「ヘルプ、マザー!、マザー!、セイブ、マザー!」と本当に上手に、感動的に話していただいて、とてもよいことだったと思っています。

委員長だったスミスさんとか、リーチさんという方も私達が持っていったブルーバッチをすぐにつけてくださいまして、そして壇上に座ってくださって、真剣に聞いて考えてくださって、そして「キムヘギョンさんという子供と会うことはできないですか?会う気持ちがありますか?」という質問をなさって、私達は会いたい気持ちは、本当に今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい思っていますけれども、そのようなことに、いろんな謀略を仕掛けてくるのが北朝鮮であると言うことがよくわかっていますから、そのことのためにめぐみをはじめ多くの方々が・・・ですよということで、今も言っているような結末になってしまって拉致問題が本当にこれで終わりになるということを考えたときに、非常に恐ろしい決断だと思いますから、私達は絶対にどうなっているということがはっきりと証明されるまでは、絶対にヘギョンちゃんに会うことはしないと、一生懸命にこらえてすごしてまいりました。

そして28日いよいよ公聴会の時にそれが終わりまして、その夕方にホテルに帰ってきました時に、「明日ブッシュさんとお会いできますよ」という連絡が入りました。もしかしたら会えるのかなと思っていたんですが、「本当にそんなことあるんですか」と言ったら「ホントですよ」ということで、拓也と言う息子がおりますが、一緒に行ってくれましたけれど、その子とお母さんと二人がブッシュさんに会えますよ、ということで、前に中国でハンミちゃんというかわいい女の子が、(親御さんが引きずり出されたことを覚えていらっしゃると思いますが、)そのご一家が、ハンミちゃんと一緒に3人で私達の前にいらっしゃいました。もうひとりの名前をちょっと忘れましたが(キム・ソンミンさんのこと)北朝鮮の放送のほうをやっている方とがいらして、そこでブッシュさんとお会いすることができました。

『本当にこんなにお忙しい時間をとっていただいて、私たちのためにお会いいただいてありがとうございます。』とまずまず握手する手を出しました。ブッシュさんは「私は人権という問題と自由と命という問題に関しては忙しくて会えないという、そんなことはない」とはっきり、「どんなことがあっても時間を作って会います」という表現で、・・・私達に話してくださったときには、本当に前に小泉さんにお会いしたときに、みなさん遠いところから、福井とか鹿児島とか、たくさんのところから年を取った方々がわざわざ面会にあいにきたときも、「1150~12:00までです」ということで、「こんなに短い時間で何が話せるのかしら」、「どうしてこんな時間を決めたのかしら」とみんなで不思議がっていたんですが、そう言うことが思い出されたんです。心があればどんなことでも聞いてあげましょう、私達の国の問題だと、特にそういう思いが募るのが本当だと思いました。
こないだのブッシュさん時なんか、すぐに感じ取れました。

そして座って、質問をしました。本当にどうにもならないんだと、ものすごい忍耐と苦しさと悲しさと絶望が付きまといますけれども、私達はたくさんの苦しんでいる人たちを娘を含めて全部取り戻すためにこうやってがんばってきました。だからどうか、これからもしっかりやってくださいと申し上げたら、「そのとおりだ」

はっきりと、みんなの前で、北朝鮮に向かってメッセージを出されまして、「北朝鮮の国に言いたいのは、このお母さんは何にもほしいものはないんだ。娘を元に戻して、抱きしめたいだけなんだ。この親子を抱きしめさせるべきなんだ。」ということをはっきりとおっしゃってくださいましたし、そして≪北朝鮮が、世界から尊敬される国になりたいんならば、本当に拉致問題を解決するべきだし、このようなことを犯罪として指導していると言うことは許せない≫ということをはっkりとみんなの前でおっしゃってくださいました。

拓也は(皆様ご覧になっているかと思いますが)めぐみの白いブラウスを着た哀しい写真を北朝鮮からだされてきたのをちょっとパネルの大きさにして、、4人で写した萩の楽しそうな写真と二枚を持っていきまして、『これが北朝鮮から出された写真なんです。姉はこんな悲しい顔をしたことがないんです。』といって息子が言いましたら、ブッシュさんはよく見ていらしたのでしょうか、「ふんふん」とおっしゃってすぐそれを受け取られて、そして『この子は、体としてはこの部屋にいないんだけれども、この子の心を私達と一緒にここにおきましょう。』とそう言う言葉で言って自分の横のテーブルの上に置いてくださいました。

さっきの女の子(ハンミちゃん)の泣き叫んでいる写真も持ってきてらっしゃいましたので、「それもだしなさい」ということで、「一緒にここにみんな並べておきましょう。みんなで写してもらいましょう」ということで、きちっとそう言う態度で示してくださったことは私達にとっては本当に嬉しくてたまらないことでした。

どうして、もっと日本の国民が、こんなにたくさんの人たちが闇の中にかき消されたまま、親子が離され、親族兄弟が引き裂かれて、何故自分がここに来たかもわからない、しかも袋に入れられて、船底に詰められて、40時間も日本海の海を漂いながら、そして30年間もの間、監禁されたような状態で、何かひとことでも反発すれば、銃殺されてしまうかもしれない、何か言えば、それこそ強制収容所に送られてしまうかもしれない、・・のような生活をしなければならない、絶対に苦しくても帰るまで頑張らなくてはならない、何があってもと思って、めぐみも今、増元るみこさんも、有本恵子さんも、田口八重子さんも、市川修一さんも、松木薫さんも、みんあ死亡と言われた人たちは、「あ~曽我さん帰っちゃった。蓮池さんも何で帰れたんだろう。私たちは何で帰れないんだろう?」どんな思いであの飛行機を見ていたんだろうと思います。悔しかったと思います。「どうして?」と思って、「毎日毎日明日は必ず来てくれる」そのことだけを願ってみなさんの助けを待っているんだと思います。

日本の国家するべき事です。
家族がこんなに何十年も、動き回ることはないはずなんです!
誰がなってもそんなことではいけないんです。
「私がこの国を背負っていきますから、私を当選させてください」と言った方がしっかりとそれをやらなければならないのです。(拍手で一部聞き取れず)・・・

(拍手で一部聞き取れず)・・・私達は国民を守ってくださいと委ねたんです。その方々が今、一体今をしているんでしょうか?
毎日毎日、いろんな本当に考えられないような、お金、汚職とかとか言うことのために、こんなに立派な人たちが、こんなことばっかりして「お許しください」と頭を下げなければならないんだろうかと本当に悲しくなります。

大切なことは真心が清くなければ、絶対にいけないんです。
何にもいらないから、一生懸命生み出された命を、自分で守って国家が守ってよい人たちを育てていく。そうしたところに、本当に素晴らしい国が、暖かい国ができると私は思っています。(大きな拍手)

(拍手で一部聞き取れず)・・・本当に、神様は、大事なお仕事を、こんな最終的年齢になって、させてくださっているなーということを感謝しています。

どうかこれからも宜しくお願いいたします。(大きな拍手)

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2006年6月18日 (日)

日韓連帯東京集会(14)

   『佐藤勝巳 救う会会長 挨拶』

★司会 西岡力氏

本当はですね。
他の家族の人たちにもまた会場からも質問を頂きたいと思っていたんですが、35分過ぎております。
最後に救う会の佐藤会長に挨拶をして頂きまして、今日の集会は終わりたいと思います。
短い時間でお願いします。(小さな笑い声)

★佐藤勝巳 救う会会長

雨の中お集まりいただきまして、ありがとうございました。
特に韓国からはたくさんの方が来て頂きまして、ありがとうございました。

喋りたい事はたくさんあるんですけども、1分間くらいと言うような形で(笑い声)我慢をして終わりますが、崔祐英さんが韓国には救う会が出来ない、何故か?
それを知りたい、と言う趣旨のお話がありまして、私が救う会をやるようになったのは、実は直接的なきっかけは今この会場に来ていらっしゃる、ホン・ヒョウンさん。
当時韓国大使館におった方ですが、その人から「これだけたくさんの日本人が拉致されているのに、何故日本人は救出の運動をやらんのか?」という指摘をしばしば受けておったんです。

でまぁ、そうだやらなきゃ駄目だなぁと思いましてまぁ始めたわけなんで、これ以上の事を言うともう1分を過ぎてしまうので、(笑い声)後で崔祐英さん、韓国の皆さんとでも良いんですけど、少し時間をかけて日本の運動の現状がどうなっているのか?
あるいは何故日本が韓国に比べて運動が大きくなっているのか?
何故韓国があれだけたくさんの人がおるのに運動の広がりを見せないのか?と言う両国間の文化や歴史、金正日政権に対する評価の問題、などを含めて少しこの後で何かあるんでしょ?
そこで時間をかけて議論をしてみたいと思っております。(拍手)

私は2000年の6月15日、金正日と金大中が抱き合ったときにですね。
悪魔と詐欺師の抱擁だと(笑い声、拍手)いうふうに自分の本の見出しに使いましたけども、それは間違いではなかったし、絶対に悪魔を倒さない限り、趙甲済さんが言う東アジアにおける平和と安定、あるいは人権と民主主義と言うものが確立していかない、言うふうに確信をいたしております。
これから韓国の心ある人たちと手を握り合って、頑張っていきたいと思います。
今日はありがとうございました。(拍手)

★西岡力氏

韓国のお客様、金聖ミンさん一言も言えなかったんですけども、皆さんのところにですね。
自由北朝鮮放送の支援委員会のチラシが入っています。
是非、自由北朝鮮放送を支える気持ちのある人はですね。
悪魔と戦う為の、一番最前線で闘っていますので、そのための軍資金をよろしくお願いします。(拍手)
今日はありがとうございました。(拍手)
これで終わりにしたいと思います。(拍手)

・・・集会終了・・・

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日韓連帯東京集会(13)

   『増元照明 家族会事務局長のお話』

皆さん、長時間に亘りありがとうございます。
また、韓国からお出で頂き、いろいろと教えて頂いて感謝致します。

皆さんもお分かりのように今の盧武鉉政権、非常にアホな政権ですから。(笑い声)
ああいうアホな政権だったら、簡単に私たちは言い負かせるんですね。
感情的になじっている人たちは言い負かせるんです。
でも、ハンナラ党論客が多いですから、ハンナラ党が(政権を)取ったら日韓間にある問題、非常に手ごわい相手になると思いますが。(小さな笑い声)
ただ、趙甲済さんが仰ったように自由と人権を基本に考える両国であれば、必ずやお互いの問題は解決できると私は信じています。

今日は拉致の問題でひとつ韓国の人たちに言っておかなければならない事があります。
今、北朝鮮は6人の拉致被害者を生存と言うふうに言っています。
そのうち取り戻したのは日本サイドが5人だけです。
その一人が寺越武志さんです。
何故、寺越武志さんが日本に帰って来られないのか?
取り戻せないのか?
それが私たちには、韓国サイドに教えておかなければならない事では無いか?と思っております。

昭和43年に石川県沖で拉致された寺越さんが、昭和60年に北朝鮮から来た手紙により生存が確認されました。
北朝鮮は日本海で遭難した武志さんを救助したと言っておりました。
それで寺越武志さんのお母さんは、長く会っていない息子に会いたいと言う気持ちだけで、日本の政治家の甘言に乗って北朝鮮に会いに行ってしまった。
そして北朝鮮の地で武志さんに、武志さんの言葉として「私は偉大なる将軍様の自愛の下に楽しく生きている、私は北朝鮮公民である」と言う事を世界中に言ってしまったという事で、日本政府はそれ以上寺越さんを救出する動きを封じ込められてしまったと言う事です。

今でもお母さんは多額の金を使って、何回も北朝鮮詣でをさせられているという事から考えますと、今韓国にたくさんいらっしゃる拉致被害者家族に、安易に北朝鮮に会いに行くと言う事は、もうその人たちを取り戻せなくなると言うことだけは知っておいて頂きたい。
おそらく北朝鮮は同じ手を使って、金英男さんを出してくる可能性があります。
そこで安易に会いに行くと、もう彼らを取り戻すことは二度と出来なくなるという事を、韓国の国会議員の皆さんにも知っておいて頂きたいと思います。

武志さんの事をお聞きになりたければ、ここに従兄弟の寺越昭男さんもいらっしゃいますので、後ほどゆっくりご質問ください。
本当に今日はありがとうございました。(拍手)

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日韓連帯東京集会(12)

   『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

本日は韓国側の現状といろいろな悩み、あるいは今後の見方をいろいろお聞きしましたけども、その中で日本のこういった拉致問題に関する日本国民、あるいは我々の動き・活動が非常に活発で羨ましいと言う話もありましたけども。
家族会いろいろ活動をやってますけども、やはり活動上の成果と言う事では相当盛り上がって進んでおりましたけども、いろいろお話を聞きますとやはり私たちは直接北朝鮮、悪の枢軸、犯罪国家である北朝鮮、しかも金正日に交渉するわけに行きません。

あくまでも政府が責任を持ってやるという事につきましては、これは韓国も同じですし日本ももちろんそうです。
この両国がいかに協力してですね。
この問題を片付けるべく早く強力に確実に進めていく事を私たちは願っています。
またいろいろお話を聞きますと、長くかかりそうだなぁと言う気もするんですが、これは絶対に諦めずに皆さんと共に頑張っていきたいと思いますので、これからのご支援もよろしくお願いします。(拍手)

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北朝鮮人権法成立に思う

北朝鮮人権法は、成立に当たり与野党の意見をすりあわせて成立しました。
この法律が直接的に拉致問題の解決に繋がる訳ではないが、制裁発動の根拠となる部分も含まれ、日本政治の一つのステップとして前進したのだと思います。

拉致問題は今や国際問題です。家族や救う会の努力でアジアにも、アメリカにも国連にも取りあげられ、日本だけの問題ではなく、北朝鮮という犯罪国家による他国民への人権侵害として世界が注目しています。

法律に含まれる脱北者の保護について、厳しい見解も聞かれますが、日本が世界に拉致問題を人権蹂躙として訴えるならば、北朝鮮人民に対する金正日の人権蹂躙に対して私達が目をつぶり、そっぽを向くことは許されません。

この掲示板に投稿してくださっていた疲れ目さんが、北朝鮮が崩壊した場合に北朝鮮の難民受け容れる必要があると言う意見を数年前に書いてくださったことがあります。その折『日本が難民を受け容れる必要はない』『そんな余力はあり得ない』という反論もありました。

しかし、我々が世界に人権を訴えるのであれば、やはりこの問題は避けて通れないのだと私は思います。
人権という問題は、人類共通普遍の問題であるからこそ、ブッシュ大統領も家族と面会したのだと思います。

私達は今試されています。我々も、人権問題を主張し語る資格があるのかと。
日本人が差別や、嫌悪を超えて、人として人権を語る資格を持つこと、人権意識を高めることが大切だと思います。それは半島全体に対しても同じであるべきです。

北朝鮮の政権は人権を無視しているからこそ世界から非難を浴びます。今そのことに世界が気づこうとしています。このところの韓国の動きには、落胆する部分も多くあり金英男さん家族の北朝鮮での面会を推進する北朝鮮、韓国両政府にも私達は苛立ちを覚えます。しかしそれは、政権に対する批判であるべきで、そこに住む人々全体に対するものであってはならないはずです。

韓国の中にも、北朝鮮という国に対する対応に新しい動きがあり、私達と同じ考えを持つ人々がいることを、5.27の日韓連帯集会で知ることができました。(当ブロク記事参照)

<嫌韓>を超えて、世界共通の人権という意識を持たなければならないと思うのです。その意識こそが拉致問題解決への底力になるはずです。

調査会ニュースの中で加藤博さんと荒木さんの会話の「10年前なら『北朝鮮人権法』などと言っても誰も相手にしなかったでしょうね」というのは真実ですね。そこまでの人権意識が10年前の日本にはなかったでしょう。

この法律にはまだまだ不備なところもあります。けれども成立したことに意義があります。そしてどんな法律も運用する側の資質によってよくもなり悪くもなるのです。

大切なことは、この法律をきちんと運用できる政権を私達が選び、監視していくことです。そして不備があれば改善させることです。

韓国で私達と同じ意識をもっている人たちは、韓国保守ではなく、左の人たちです。私は日本の左の人たちにも、このことに気がついてほしいと思っています。九条の会の人たち、そして今回の法案に反対した社民党、共産党のひとたち。彼らは人権を標榜し、人権問題に積極的に取り組んできた人たちのはずですから。

しかし、哀しいかな社民党は北朝鮮人権侵害対処法案についてという談話を出しています。

  本法案がこれまでの外交的努力、国際的な努力を阻害させるおそれがあるばかりか、 かえって拉致問題の解決をも遠ざけるのではないかと危惧せざるを得ない

この政党に未来がないと改めて思いました。しかし、その中にももう一度人権と言うことを考え直せる人たちが出てきてもらいたい。そういう人たちが出てくる日本であってほしいと願います。

参考:参議院投票結果

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2006年6月17日 (土)

北朝鮮人権法について

北朝鮮人権法に関する資料

◆6月17日付・読売社説(1)
 読売新聞社説

[『北』人権法]「拉致を許さない決意を明示した」

 国家犯罪である拉致を許さない、という日本の国論、世論に揺るぎがないことを北朝鮮に明確に示したのではないか。

 いわゆる北朝鮮人権法が成立した。政府が拉致被害者の帰国実現に最大限努力すること、事態に改善がない場合、政府が経済制裁措置を取ることなどを明記している。制裁条項は、国内での制裁発動の法的根拠となる。

 「北」人権法は与党と民主党がそれぞれ法案を提出していた。会期末目前で修正合意し、成立にこぎつけた。

 合意が出来ず、法案の成立が先送りされていたら、北朝鮮に、日本国内は一枚岩ではなく、付け入るスキがあると、誤解させる恐れがあった。

 小沢民主党は対決路線を打ち出している。だが、さすがに、「北」人権法で“対決”して、北朝鮮を利することは出来ないと判断したのだろう。

 修正合意によって、法律の内容も強化された。与党案には、脱北者の支援に関する規定はなかった。民主党案には、制裁措置の条項はなかった。成立した法律には、これらすべてが盛り込まれた。

 もちろん、「北」人権法が出来たからといって、直ちに実効があがるわけではない。拉致問題を解決するためには、やはり北朝鮮に対する国際的な包囲網を強化しなければならない。

 日本が単独で制裁を発動しても、効果には限界がある。「北」人権法が、国際的な連携強化を求め、政府の制裁発動に当たって、拉致問題に対する「国際的動向を総合的に勘案する」としているのも、そのためだ。

 日本は7月の主要国首脳会議(サミット)で拉致問題を議題として取り上げるよう参加各国に求めている。6月末の日米首脳会談では、改めて拉致問題での協力を確認する見通しだ。

 北朝鮮が先の外務省談話で、「拉致問題の国際化の策動」で「日朝関係を史上最悪の局面に追い込んでいる」と非難したのも、こうした動きを警戒しているからだろう。

 北朝鮮は、横田めぐみさんの夫とされる韓国人の拉致被害者・金英男さんに、母親の崔桂月さんが面会することを認めた。韓国世論を軟化させ、日韓分断を図る狙いがうかがえる。

 韓国の盧武鉉政権は、拉致問題の解決に積極的ではない。北朝鮮を刺激し、北朝鮮に対する融和政策の障害になることを避けたいからだ。

 だが、日韓の協力は、国際連携の中で最も重要な部分だ。北朝鮮の策謀に乗ることのないよう、日韓の連携強化を粘り強く働きかけていく必要がある。

(2006年6月17日1時32分  読売新聞)


西日本新聞/社説

[国際連携強め有効運用を 北朝鮮人権法]
 今国会で成立した北朝鮮人権法は、拉致問題で「誠意ある対応」を示さない北朝鮮に解決を迫る日本としての明確な意思表示と言えよう。

 日本単独での送金停止や輸出入規制を可能にした改正外為法、北朝鮮の船舶を想定した特定船舶入港禁止特別措置法に次ぐ、新たな「圧力カード」になる。

 与党と民主党による議員立法だ。それぞれ提出していた法案を一本化した。

 背景には昨年末の国連総会で「拉致非難決議」が採択され、横田めぐみさんの両親による訪米、訪韓で拉致問題に対する国際的な関心の高まりがある。

 7月の主要国首脳会議(サミット)でも拉致を議題にするよう働きかけを強め、アピールする意味合いもあろう。

 人権法は(1)拉致問題などで北朝鮮の姿勢があらたまらない場合、改正外為法などによる送金停止などの経済制裁措置発動(2)脱北者の保護や、脱北者を支援する民間団体への財政支援―などが柱だ。

 注目されるのは脱北者支援である。

 拉致被害者蓮池薫さんらの帰国後の証言が警察当局による元工作員辛光洙(シングァンス)容疑者らの国際手配につながり、「拉致問題は解決済み」という北朝鮮の主張を突き崩す根拠となった。

 脱北者に関しても、政府が聞き取り調査を行い、北朝鮮国内の日本人拉致被害者に関する情報収集も期待できよう。

 ただ脱北者支援には、その対象範囲や手法など慎重な判断が必要だろう。

 与党は帰還事業で帰国した朝鮮半島出身者、日本人妻などを想定している。

 しかし、なし崩し的に対象を拡大して脱北行為に深く関与することがあれば、北朝鮮側は「体制崩壊を狙った主権侵害」と受け止めて態度を硬化させ、進展は遠ざかりかねない。

 肝要なのは、北朝鮮に対して毅然(きぜん)とした姿勢を示すとともに国際連携を強化する中で、いかに北朝鮮人権法を有効に機能させるかである。

 韓国の盧武鉉(ノムヒョン)政権が標榜(ひょうぼう)する対北融和政策推進に伴い南北接近は加速し、今月末に金大中前大統領が訪朝の予定だ。

 韓国はその阻害要因ともなる拉致問題には冷淡だ。北朝鮮もめぐみさんの夫とされる韓国人拉致被害者と家族を再会させ、日韓連携に揺さぶりをかけている。

 一方、日本が経済制裁を発動するにしても実効性が伴わなければなるまい。

 この3年間で北朝鮮と日本との貿易額は半減したが、逆に友好国の中国や、韓国との貿易額は急増している。

 日本としては米国だけでなく中韓両国とも共同歩調が取れるよう独自戦略を持ち、外交努力を重ねることが不可欠だ。

 日本の対北政策は「対話」と「圧力」が基本方針だが、「圧力」はあくまでも「対話」を引き出す外交手段である。

 人権法の規定で制裁発動の判断など裁量を委ねられた政府も慎重、適切な判断を迫られる。責任は一段と重くなった。

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日韓連帯東京集会(11)

横田早紀江さんのお話

★司会 西岡力氏

もう時間が20分過ぎておりますが、日本の家族会の方々に予定では。
前に座っていらっしゃる滋さんに話をして頂きましたので、横田早紀江さんと飯塚さんと増元さんに一言だけお話をして頂いて、閉めたいと思いますのでよろしくお願いします。

★横田早紀江さん

0000807m

皆様こんにちは。(「こんにちは」の声)
今日は雨の中をこんなにたくさんお集まり頂きまして、ありがとうございます。
また、韓国からは議員の先生方、本当にたくさんの方が、こうして私たちと同じように本当の平和を求める為に団結しようと言う気持ちで集まって、わざわざいらして下さいまして本当にありがとうございます。

私たちのめぐみの事が浮上しましてから、思いがけない事ばかりで今日まで参りましたけども、今日も見えていらっしゃいます安明進さん。
元工作員の方の本当に勇気ある証言の中で、めぐみの事がはっきりと、全く闇の中から浮かび上がってきたわけです。

本当に信じられないような現実が明らかになって、そしていろんな事が次々と今日まで、考えられないような事が起きてきましたけども、本当にたくさんの日本の皆様の温かいご支援の中で、とうとうアメリカのブッシュ大統領にお目にかかれて、直接に思いのたけを話させて頂く事が出来る所まで来た事は、本当に不思議なことです。
ブッシュ大統領の仰った最初の言葉が、本当に先ほども西岡先生が仰いましたように、「自由と人権、そして自由と人の大切な命の問題、この事を話す時間が無いほど私は忙しくありませんよ」という最初の言葉が本当に、あぁ小泉さんも一言、半分でもいいから(笑い声、拍手)聞かせて頂けたらと思います。

本当の悪と言うものがあって、それはどうにもならないほどの悪であって、その事に対して戦うという事は本当に大変で、苦しくて忍耐が必要ですし、たまらない悲しさの中でありますけども。
私たちは今日までたくさんの人たちが自由になれるように、子供たちが無事に帰って来られるように今日まで頑張ってきました時に、ブッシュ大統領はめぐみのあの白いブラウスの写真を息子が、「これが北朝鮮の出して来た物です」とこうやって掲げて見せました時に、ブッシュさんは本当に悲しそうな顔を一瞬なさって、写真を更に受け取ってくださって。
「この子はここに体は無いけれど、この子の心を私たちと一緒にここに飾りましょう」と「一緒に写しましょう」と言って、ハンミちゃんのご一家の悲しい門の時の写真と一緒にその2枚をテーブルの上に置いて、マスコミの方にも見せて映してもらう事が出来ました。
本当に温かさと言う物をその瞬間に感じました。

本当にこの問題は非常に難しく、先ほども先生方のお話を聞きますと、本当にもう、どこまでどうしていいのか分からないような難しい問題ですけども。
本当に一人一人の心の中にある、大事な物が大切な事に向かってしっかりとひとつになったときに、必ず良い方に向かっていくんだと言う事を、今までの状況を見ても私たちは実感しておりますし。
絶対に希望を捨てないで勇気を失わないで、健康に気をつけてこれからも頑張っていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。(拍手) 

蒼き星々サブボードへのぴろんさんの投稿による

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日韓連帯東京集会(8)

趙甲済 前「月刊朝鮮」編集長 講演その1 (通訳:西岡力氏)       

★司会 西岡力氏

すみません、次にですね。
今日のメイン講師である、前「月刊朝鮮の編集長で、韓国を代表する韓国の民主主義の知識人であり、私たちがみんな教わってるんですけど、趙甲済さんにお忙しい所無理を言って来て頂きました。
「韓国情勢と拉致問題」と題して講演をして頂きます。(拍手)

★趙甲済 前「月刊朝鮮」編集長(通訳:西岡力氏)

0000804m

志を同じくする人たちを前にして、韓国情勢について話を出来る事を大変嬉しく思っております。
実は10年前まででもですね。
今西岡さんたちが話しているような事を、私が日本人に話をしていたのです。
1991年に実は私どもの月刊朝鮮の記者を日本に送って、辛光洙の拉致事件について取材をした事があるんですが、それをしながらですね。
日本の警察は何故全て知っているのに、これを積極的に取り組まないのか?と。
日本のマスコミは何故報道しないのか?と。
日本の国民は何故関心を持たないのか?と、日本人拉致問題について私たちは感じたわけです。

98年の金大中政権が発足する前はですね。
拉致問題そして脱北者の問題、あるいは北朝鮮の政治犯収容所の問題など、人権問題も韓国からその情報が発信されることが多かったのです。
ところが、これまで北朝鮮の人権問題の輸出国だった韓国が、2000年を契機に輸入国に逆転してしまって日本の皆さんから学ぶようになってしまったのです。

いろんな理由がありますけど、一番大きな物は2000年の6月にありました、いわゆる南北首脳会談であります。
6.15宣言と言う物が発表されまして、その後韓国の状況、何よりも金大中大統領が変わってしまいました。
それまでの金大中氏は民主化の闘志と言うイメージが強かったのです。
もちろん嘘を大胆につくとかですね。
政治的な謀略をするとかと言う面についての評判もありましたけれども、民主化運動家と言うイメージが強かったのです。

しかし6・15宣言を出し、そして韓国の対北政策を転換させ、韓国社会の北朝鮮に対する姿勢を変える中で、金大中氏も大きく変りました。
現在の韓国社会を理解するのに一番重要な文書は6.15共同宣言です。
6.15共同宣言と言うのは最初の文章から最後の文章まで、一言で言えば、金正日の対南工作文書であると言うことです。

実は現在ですね。
南北の左翼の連合が出来て、アメリカに反対し、そして大韓民国に反対すると言う事をやっている彼らが掲げるスローガンが、「我々民族同士」と言うスローガンですが、そのスローガンもこの文書から出ているのです。
誤解を避けるために正確にその意味を申し上げますならば、「我々民族同士」という彼らの掲げるスローガンの意味は、「我々民族“背信者”同志」と言う意味であります。(小さな笑い声)

その共同宣言の中でも確信的な条項はですね。
南側の連合制による統一法案と、北側の低い段階での連邦制による統一法案が共通点が多いので、その方向で統一を進めると言う条項であります。
6.15共同宣言が出る前、韓国の検察と警察は、北朝鮮の連邦制を主張する人は国家保安法違反で逮捕して処罰しました。
ですから金大中大統領が、まさに国家保安法で処罰を受けなければならない法律違反を犯したと言う事です。

連合制であれ連邦制であれ、彼らの言うその統一法案と言うのは一言で言って詐欺です。
その理由は簡単です。
現在の朝鮮半島における分断は民族が違っている為に分断されているのではなくて、理念・イデオロギーと制度が違っている為の分断です。
従って朝鮮半島の統一とは、イデオロギーと制度をひとつにするという事です。
しかし連合制や連邦制の主張はですね。
今のように南では自由民主主義体制、北では社会主義独裁体制のイデオロギーと制度をそのまま維持しておいて、それで統一出来たというふうに主張してしまおうと言う提案です。

従ってその統一法案と言うのは詐欺である事は明らかなのでありますが、その意図は何なのか?と言うと、南を共産化しようとする中間段階であるということです。
従って連邦制統一の為の前提条件として、在韓米軍の撤退と国家保安法の撤廃を要求しているわけです。
従いまして、金大中大統領が金正日の連合制・連邦制統一法案に同意したと言う事は、金正日による対南赤化戦略に同意をしたと言う意味があるのです。

従って、私は6.15詐欺文書と言うんですが、その6.15文書の結果ですね。
その後、韓国の中で親北・反米勢力が自由に活動する免許状を与える事になってしまった。
活動免許状を与える事になってしまった。
その様な活動を制御する為に作られたのが、国家保安法です。
韓国の赤化を防ぐ物は韓国軍と、それと韓米同盟と、そして国家保安法でした。

金大中氏は朝鮮戦争当時左翼活動家でいましたが、その後自分の正体をずっ~と隠していて、6.15宣言の後にその正体を出して、韓国の中での左翼活動を取り締まる国家保安法を事実上停止状態にしてしまったわけです。
それに従って韓国社会は急激な左傾化が起きてきました。
金大中氏とその運命を共にしている盧武鉉現大統領は、最近「我々は左派だ」と言う発言を公然と行いました。

日本における左派と言う言葉の意味と、韓国における左派と言う言葉の意味は大きな違いがあります。
韓国においては今の大韓民国憲法が社会主義階級制度を認めていません。
韓国における左派と言う人たちはいくつかの特徴を持っています。
第一に大韓民国の国家の正当性と、大韓民国の偉大な業績を認めません。
そして反対に大部分の左派あるいはその追従者たちは、むしろ金日成・金正日政権の方が正当性があり偉大だと認識しています。
ですからその様な信念を持った左派活動家たちは、必ず反米・反大韓民国的な活動をするようになるのです。
そして金日成・金正日に対する怒りは彼らは持たず、北の住民たちに対する同情がなくて、冷笑と無視が彼らの特徴です。

続く その2へ

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日韓連帯東京集会(9)

  趙甲済 前「月刊朝鮮」編集長 講演その2                                                    (通訳:西岡力氏)

問題はですね。
1998年以降2代の政権に亘って、その様な人たちが大韓民国のリーダーになった時代を迎えているということです。
日本の皆さん方は不思議に思われる。
何故、韓国政府のレベルで北朝鮮の人権問題が取り上げられないのか?と言う事についての答えは、このような根本的な政治構造の理念の問題から起きていると言うことです。

すなわち、反大韓民国・親北朝鮮的な信念と価値観を持っている者たちが権力を握り、公権力を行使し、法を執行しているからであります。
この勢力は今までは自分たちを左派だとは言わないで、進歩勢力・民主化勢力・改革勢力と偽装してきました。
それに対してその正体を公開せよと要求すると彼らは、マッカーシズムだ・反共だといって反撃をして来たものでした。

そうしますとですね。
我々右派、韓国の右派が作り、その右派の自由民主主義の中で大きな業績をあげてきた大韓民国の国民が、何故その様な反憲法的で反大韓民国的な勢力を権力の座に上げたのか?と言う疑問が生まれると思います。
その答えは簡単です。
有権者が騙されたのです。
左派を民主闘士として信じたのです。
左派たちは、世界の共産主義者は皆そうですけども、大変な言語活用能力を持っていて国民を騙すのです。

問題はですね。
その様な騙しの手法で権力を握った左派たちが、実は今マスコミまでも握っているという事であります。
いろいろな事例を見てもですね。
政権とそしてその言論が展開する御用言論の結果ですね。
明白な嘘でもその御用言論が宣伝するならば、国民の半分以上が騙されてしまうと言う事例がたくさんあります。

国民を騙す事が出来る力を持った左派たちは、今の韓国の核心的な部署である国会、そして大統領府、そして裁判所の中に多く布陣して来ました。
その様な反逆の時代を開いたのが6.15宣言だったと言う事です。
そのような金大中氏が再びこの6月に北朝鮮を訪問して、彼はもう体が病人であるにも拘らず金正日に会って「統一問題を話し合う」と公言しています。
北朝鮮と統一問題を話すと言う事は、小学生の学生が中学・高校に入らないで大学に行くと言っているのと同じ事です。

なぜなら今南北は休戦状態です。
まだ戦争状態です。
北の核問題は解決していません。
平和協定も結ばれていません。
韓国人拉致被害者・約20万人も帰って来ていません。
戦後拉致被害者・約500人も帰って来ていません。
不法に抑留されている韓国軍捕虜・2万5千人も、生死確認と送還も実現していません。
ですから南北の間は今戦争中だけど、ただ、今ハーフタイムを迎えているというだけです。
このような状態の中で金大中前大統領が金正日と会って統一を議論すると言う事は、いかにデタラメで危ない事なのか、理解して頂けると思います。

ミステリーは、何故80を過ぎた老政治家がこのような無理をするのか?と言う事です。
それはある意味ではですね。
金大中・盧武鉉・金正日と言うこの3人の左派勢力、朝鮮半島における左派勢力が、大変な危機感を感じているという事を意味すると思います。

韓国では今、政権による国家に対する裏切り、そして社会の左傾化が進んでいる結果ですね。
その反作用として、国民の大覚醒が進んでいます。
言論を通じて、あるいは韓国政府の政策だけを見て韓国を観察しているとですね。
その国民の大覚醒を見逃しやすいと思います。

簡単に言いますとですね。
韓国のテレビ局、KBS(韓国放送公社)・MBC(韓国文化放送)の報道が正しいのであれば、5月31日の統一地方選挙で与党が大勝利をしなければなりません。
しかし状況は反対になっているわけです。
鄭東泳(チョン・ドンヨン)ヨルリン・ウリ党の幹部が数日前に国民に対する声明を出したんですが、「ハンナラ党の一人勝ちをさせないでください」と言う内容でした。(笑い声、拍手)

実はですね。
日本の都道府県に当たるのが道、そして直轄地や特別地という市がありまして、16が統一地方選挙で全国の知事と市長の選挙になるわけですが、そのうちハンナラ党がリードしているのが12。
もしかしたら14ハンナラ党が取る可能性がある。(拍手)
そしてですね。
日本と同じように今度は市町村レベルの選挙も同時に行われているんですが、そこでは200人余りの市長と郡長を選ぶんですが、そこの中でヨルリン・ウリ党が当選する可能性は10%~20%と言われています。
5月31日の統一地方選挙の結果を予想するならば、韓国の政治史上最悪の与党惨敗になる可能性がある。(拍手)

しかしこの勝利は、ハンナラ党が良く戦って北朝鮮の人権問題などをきちんと主張した結果、得られた勝利ではありません。
先ほど申し上げました6.15詐欺国家反逆文書についてですね。
ハンナラ党は今まで一度も廃棄や無効を宣言した事はありません。
それにも拘らず、反ヨルリン・ウリ党あるいは反盧武鉉的な世論が拡散したのは何故なのか?と考えると興味深いです。

それは我が大韓民国の国民が戦ったからです。(拍手)
多くの愛国心団体があります。
大集会をやれば10万人以上が集まります。
殆ど毎日のようにですね。
その人たちはゲリラ的に金大中(元)大統領の家の前でデモをやったり、親北御用学者の前でデモをやったりして、その人たちを告発したり、そして逆に告発されたりしています。(小さな笑い声)

特にですね。
偉大な韓国の現代史をリードした世代・成し遂げた世代が、すなわち60代・70代・80代の老人世代が、この闘争の先頭に立っているのです。(拍手)
その世代がもう一度また大韓民国を助け、救出しているというのです。

続き、その3へ

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日韓連帯東京集会(10)

趙甲済 前「月刊朝鮮」編集長 講演その3

                                    (通訳:西岡力氏)

興味深い統計があるんですが、韓国において世論に影響を与えるのは、すでにテレビではなくてインターネットになっている。
そのインターネットを学んでですね。
インターネットの中で、韓国の現代史を教えられえていない左派的な考えに取り込まれている若者たちと、インターネット上で論争して戦っているのが実は老人世代なのです。(笑い声、拍手)

昨年、仁川にありますマッカーサー将軍の銅像を左翼が壊そうとしました。
マッカーサー将軍が指揮した国連軍が仁川に上陸をして、北朝鮮軍を打ち破ったと。
その事について恨みを持っている左派がマッカーサー将軍の銅像を壊そうとしたのです。
もちろんその運動をしようとしていたのは20代30代の若い人間が、角材を持って集まって来たのです。
それに対して、そのような若者たちの活動に激怒した朝鮮戦争に参戦した60代70代の老人たちが、卵を持って集まって来た。(笑い声)
そこで老人たちが卵を投げ、若者が角材を振り回すと言う記事が出ました。

それに対して韓国のマスコミはどのような見出しをつけたのか?
「進歩と保守の対決」と付けました。(小さな笑い声)
進歩を偽装した国家を裏切る反逆勢力対保守・愛国勢力の戦いだったにも拘らず、「進歩と保守の戦い」と見出しを付けたのであります。
その様な意味で韓国のマスコミは真昼間の暗黒を演出しています。

5月31日以降の韓国の状況は大変流動的になるだろうと見ています。
金大中・盧武鉉・金正日勢力に対する国民の支持が、顕著に弱体化したと言う事が明らかになるからです。
そうなった場合に南北の左派勢力、金大中・盧武鉉・金正日勢力が何をしてくるだろう?
二つの可能性があります。

2007年の12月の大統領選挙で3回目の左派政権を作るために協力する。
そのために金大中さんが橋渡しをして盧武鉉・金正日の会談、そこで統一問題の具体的な議論と言ういろんな話が出てくるのではないか。
今の世論調査では、正常な選挙が行われれば2007年12月の大統領選挙で左派が勝つ可能性は大変低いという事です。
従って左派政権を作ろうという勢力は、御用言論とそれから政府の周辺にある左派系の団体を動員して、非正常な状況・非正常な事件を作り出してくるんじゃないか?という可能性がある。

反対の可能性もあります。
盧武鉉政権が、いまや金正日・金大中路線と自分が離れなければ、自分が辞めた後危ないんじゃないか?と考えると言う可能性です。
後者の方に行くならば、すなわち盧武鉉政権が正常な方向に戻ってくるならば、韓国は安全でしょう。

しかしそうではなくて、第一の可能性、非正常な状況に左派勢力が韓国を持っていこうとするならば、韓国は内戦的な状況になると思われます。
2007年12月の大統領選挙の間に今回朴槿恵(ハンナラ党)代表がテロに遭ったように、候補者の一人が北朝鮮にそそのかされた人間にテロに遭うというような事が起きてしまえば、韓国社会は統制不可能な状況に陥るでしょう。

この二つの流れ、政権による韓国の左傾化と国民の大覚醒と言う二つの流れが、2007年12月までの間、お互いに併走して競争して、どちらが先にゴールインするか?出来るのか?という事によって拉致問題の解決、日本人を含む拉致問題の解決も左右されると思います。

日本人拉致問題、そして韓国の戦争中拉致問題、戦後の拉致問題、あるいは北朝鮮の人権問題、政治犯収容所の問題全ては、金正日政権の存在によって起きている。
そしてまたその金正日政権を支えている韓国の盧武鉉政権によって起きている。
また、金正日政権の後見人である中国によって起きていると言える。
従って2007年12月の選挙で韓国の政権に正常な政権が樹立されるならば、北朝鮮の人権問題・日本人の拉致問題についても大きな良い影響を与えると思います。

私は北朝鮮の人権問題に取り組む韓国・日本・アメリカの運動の核心は、自由と人権を大切にする人たちであるという事だと。
領土問題や歴史問題においては国籍が違えば意見が違うでしょうが、人権と自由の問題については国籍を超えて同じ考えになる事が出来る。
今ここに集まっている皆さん方が心配しているその問題の解決は、金正日政権の交代、そして韓国の左派政権の交代、中国の民主化によって実現するでしょう。

ですから我々のこの運動はですね。
東アジアにおける自由民主主義を広める運動であり、そして国境を越えて東アジアにおける平和と繁栄を築くための基礎を作るその様な運動であり、より広い国境を越えた連帯をしていかなければならないと思っております。
北朝鮮の人権問題、北の人たちを助けるに当たって一番責任があり、先頭に立たなければいけない韓国国内において今国民の大覚醒が起きており、従って2007年12月の大統領選挙では韓国が正常化する可能性が高まっていると言う点で、我々は今勝ちつつあるということを申し上げて、私の話を終わります。(拍手)

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北朝鮮人権法可決について(荒木和博氏)

■北朝鮮人権法可決で思ったこと
                    荒木和博

 今日北朝鮮人権法案が参議院で可決成立しました。

 会期延長がないということで、正直なところ継続審議になってしまうのではないかと思っていましたので、とりあえずほっとしています。内容的にも評価できるものであり、自民・民主・公明各党の担当者の皆さんのご尽力に心より敬意を表する次第です。

 私は今島根の松江にいます。明日開催される島根県民集会に参加するためです。この集会には加藤博・北朝鮮難民救援基金事務局長と私が講演しますが、空港から松江市内に向かう途中、加藤さんと「10年前なら『北朝鮮人権法』などと言っても誰も相手にしなかったでしょうね」と話していました。世の中の変わりように感慨もひとしおです。

 ところで、ここに来る前に平沼赳夫・拉致議連会長にお会いしたところ、事務所に「人権法に難民の保護をうたっているのはけしからん」という内容のメールが多数来ていると言っておられました。それを聞いたときに、私は、「これこそが今後の運動の中で克服していかなければならないことだな」と思いました。

 「拉致問題だけ協力してほしい」と外国で言ったところで、それは基本的にはエゴでしかありません。「北朝鮮の人権問題は深刻であり、拉致被害者のいる日本はそれを身にしみて感じている。したがって先頭に立って北朝鮮の人権問題を解決します。皆さんも協力してください」というのがあるべき姿でしょう。直接の解決はあくまで日本の安全保障問題として、日本と北朝鮮の二国間でやるべき問題です。

 例えば、アメリカ人が日本にやってきて「うちの息子がキューバに拉致されている。日本は同盟国なのだから助けて下さい」と言ったらどう思うでしょう。「それは、お気の毒だけど、まずアメリカとキューバの間でやることではないですか。もちろん、お手伝いはしますが」というのが正直なところでしょう。

 難民保護について、日本国内の混乱を心配する声もあるようですし、確かにその懸念が全くないとは言えません。しかし、日本の人口から考えれば最大限でもコンマ数パーセント程度の、しかも日本に縁故のある難民を引受けられないほど、この国は包容力のない国なのでしょうか。

 大東亜戦争をアジア解放の戦争だと思っている方は、多少の犠牲を払っても北朝鮮国民を独裁政権から解放することこそ、英霊の思いに報いることと考えていただきたいですし、逆に侵略戦争だったと思っている方は、その償いのためにも北朝鮮の独裁政権から、彼の地に住む人すべてを解放しようと考えてもらいたいと思います。今、本当になすべきことは何なのかを考えれば、そう違った結論は出てこないはずです。

 いずれにしても、この人権法可決は今後大きな効果をもたらすでしょう。まさに「攻撃は最大の防御」であり、法律制定の効果を高めるためにさらに次の手を打っていかなければなりません。わたしたちもそのために努力を続けるつもりです。

 今朝、石川県の白山市では、特定失踪者安達俊之さんのお母さんと支援者の皆さんが早朝5時半からの「しおかぜ」第一放送を聞いてくださいました。東京では受信状況が悪かったので心配したのですが、石川ではしっかり聞こえたそうで安心しました。ご家族の思いを何とか結果に結びつけるように、がんばります。今私たちのところに入ってきている様々な情報は、間違いなく近いうちに大きな変化があることを指し示しています。人権法制定をはじめ
このチャンスを絶対に逃さないようにしていきます。今後ともよろしくお願い申しあげます。

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2006年6月16日 (金)

2つの経済同友会

2つの経済同友会

           投稿者:momoedake 2002年6月15日

  私達は、北朝鮮の犯した拉致事件の早期全員奪還を目指して戦っている。そして、その解決に対して程度の差はあれ、敵対しているのが韓国盧武鉉政権と中国共産党政権である。昨今、靖国問題、竹島問題などで、韓国、中国政府の反日活動は耳目を疑わざるを得ないものがあり、それが拉致事件へも影響を及ぼしている。問題なのはそれに迎合する形で、朝日、毎日新聞などのマスコミのみならず、あろうことか経済界まで韓国、中国に媚びへつらう愚かさを露呈している。経済同友会(代表幹事北城 恪太郎)では「今後の日中関係への提言」と題する「提言」を5月9日、採択し発表した。
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/060509a.html
一読すれば、たちどころに分るのが、良くぞここまで、媚びへつらえるものかと、の印象である。冒頭の箇所だけでも、お付き合いいただくと

中国に対しては、このような日本の反省、お詫び、さらには戦後平和国家へ 転換し復興を遂げるなかで果たしたアジアへの貢献、(中略)とりわけ 1972 年の国交 回復から今日に至るまでの日中間の経済協力関係、文化交流の歴史について、幅広い国民的理解が得られることを望みたい。一方、日本も過去に対する謙虚な反省の上に立って、中国政府・国民にその気持ちが正しく伝わる行動を続けなければならない。(引用終り)

これが、最初の「 1)未来志向の新日中関係を-------日中両国政府に対して」の内容である。反省、お詫びするから、中国政府・国民にその気持ちが正しく伝わる行動を続けなければならい、という。全編、この調子であるから、小泉首相からも、「商売人」、と一蹴された。櫻井よしこさんも一刀両断で切り捨てている。
これが日本を代表する経済界の総意であるかと思えば、胸を痛くする思いであったが、これに真っ向から反対する意見が同じ経済界から起こっていた。関西経済同友会である。4月18日付けで、“ 「歴史を知り、歴史を超え、歴史を創る」~より良き日中関係・日韓関係に向けて~ “ 、と題した提言である。全体は29ページであるが、本文は9ぺーじであるので是非一読されたい。内容的には、きちんとした分析を伴う正論である。一部を紹介すると

Ⅰ.歴史認識に関わるもの
(問題の所在)
歴史教科書の記述など歴史認識に関わる問題、靖国神社への首相・閣僚の参拝を中韓両国が外交カードとして使っている。それに対して、節度ある生産的な議論がなされず、生煮えの歴史対話となっている。
(対応方向)
日本人が、特に近現代史についての理解を深め、自分なりの歴史認識を持つ。
(解決すべき主な課題Ⅰ)政府高官も含め、日本人自身が歴史を知らない
Ⅱ.相手国による非友好的な行為
(問題の所在)
中韓両国は特定施設や教科書で反日教育を行い反日的な国民を育成している。中国では、在瀋陽日本国総領事館での主権侵害、アジア杯サッカー時の群集の無礼な態度、日本公用車の破壊、反日デモ時の日本公館損壊などの事件への謝罪を行なっていない。竹島は韓国が実力支配するに及んでいる。
(対応方向)
反日感情を煽っている事実、領海侵犯、主権侵害や毀損行為、中国の軍事大国化などについては、正しい相互理解促進の観点から、修正・謝罪・透明化を率直に求める。また、国際法・条約などに照らして徹底的に議論・説明する必要がある(例、国際司法裁判所において)。
(解決すべき主な課題Ⅱ) 中国・韓国の国内政治的な背景に基づき、一方的に
日本が批判されている中で、適切に反応・反論ができていない(引用終り)

取り分け、「終りに」がこの提言を総括する意味でも、明確な態度を打ち出しているので大いに評価できる。

§おわりに
(前略)
本提言で主張した、『未来志向』と『相互主義』に基づく率直な主張の展開が「反日」への有効な処方箋であると信じることに加えて、中国の覇権主義を思わせる状況と韓国の北朝鮮迎合的な傾向に対しては、両国とのより良き関係構築の観点から、政府・議員・官僚はより毅然とした態度で外交交渉に臨むことが肝要である。経済人も、また然るべく民間交流に努めるべきである。(後略)

同じ経済人でも、これ程の違いが出てくる。単に、「利」を求めるが故に、「理」など投げ捨てるのか、日本と日本人という視点を持ち、「理」をつくし結果として「利」が伴うのか。基本的な考え方はここにあるであろう。
ライブドア、村上ファンドなど、金儲けして何が悪いんだとの考え方の延長線上では、日本経済同友会の対応になるのであろう。法律に触れなければ、揉み手摺り手で、相手に気に入られればそれが国益だという考え方になるのだ。そこにおいては、人としての基本的な考え方など無く、全て相手方に対応する考え方になる。教科書問題、南京「大虐殺」、東シナ海ガス田、尖閣諸島、化学兵器処理、・・・・・・、延々と続くのであろう。
関西経済界での代表的人物である稲盛和夫京セラ創業者の言葉を読んで欲しい。

http://www.kyocera.co.jp/event/inamori/word/index.htm

正しい判断を行うには
  ものごとに筋が通っているか、すなわち道理に適っているかどうかを判断するためには、単に論理的に矛盾がないかということだけでなく、それが人としてとるべき道に照らし合わせて、不都合がないかという確認が必要だ。
   常に原理原則に基づいて判断し、行動しなければならない。原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人間として正しいものを正しいままに貫いていこうということだ。人間としての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、どのような状況においても受け入れられる。 (中略)
   私はすべての判断の基準を「人間として何が正しいか」ということに置いている。
   人間として普遍的に正しい判断基準とは、簡単に言えば公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、誠実というような言葉で表現できるものである。自分の心の中に、こうした人間として普遍的に正しい判断基準を確立し、それに従い行動することが成功への王道である。(引用終り)

日本経済同友会代表幹事の北城格太郎には、これらの言葉をかみ締めてもらいたい。経済の世界でも、言うべき事は毅然として主張する。互いの理解、そして利益はそれによってしか生まれないのである。
私達は、拉致事件解決を叫ぶ、それを阻止するが如く蠢く中国、韓国。それに迎合する日本経済界という図式であったが、関西経済界の正論たる提言を読み、日本の経済界にも正しい判断能力を持つ人達がいることが分ったので、紹介した次第です。 

蒼き星々メインボードより

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2006年6月15日 (木)

前橋集会(5/20)飯塚繁雄さん

「あなたも拉致の現実を知ってください」(群馬・前橋にて)


 2006年5月20日
      群馬県前橋市 前橋市総合福祉会館にて
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家族会副代表 飯塚繁雄さんの訴え
―――――――――――――――――

5202_1

群馬のみなさんこんにちは。ちょっと座らせていただきます。
私、もちろん耕一郎もそうですが、こういった活動で群馬に来るのは初めてでございまして、従ってみなさんと会うのも初めてと言うことで、日頃私達は日本全国、外国も行きますけれど、東奔西走して全国に訴えておりますが、群馬のみなさんにもこの問題を更にご理解を頂こうということで訴えに参りました。

日頃この問題につきましては非常にみなさん関心を持っていただきまして、みなさんができる活動の中で非常にご支援を頂いております。署名ですとか、あるいは講演会、並びにそれに関したボランティアの方を含めた活動を頂いておりまして、おかげさまをもちまして、3年前とは全然違う今のこの問題に取り組む国民の皆様、もちろん我々もそうですが、この拉致問題をなんとか片付けなくてはいけないという気運が高まって参りまして、私達としても活動がしやすいと言いますか、そう言う状況にも、今あるわけです。

先日家族会として訪米をしたり、訪韓をしたりして、特に訪米の折には、願ってもないブッシュ大統領との面会ができたという、この大きなアクションというか、出来事は、今までかつてないほどこの問題が日本始め世界中に意識されているんだなという実感も受けた次第です。

もちろんこの件だけでこの問題は終わるわけではないんですけれども、やはりこういった形で日本の国民の人たち、それから政府も担当する方々、更に言えば韓国の人々、それから今や拉致の問題は世界的になっておりまして、非常に北朝鮮としては、世界各国から12(の国から)拉致をしたという実績、結果も出ていますし、そう言う意味ではブッシュ大統領が家族と会ったというのは世界に対して、こういう問題、人権の問題に対して、かなりのインパクトを与えたメッセージではないかというふうに私達は感じております。

今日はたまたま飯塚家が中心になるお話になってしまってアレなんですけれども。
私は埼玉県に住んでおりまして、川口と言うところで長く兄弟達と生活してきたわけですが、私の兄弟は7人おりまして、その一番下が連れて行かれた田口八重子という。(名字が違うのは結婚してしまったからそうなんですが)私としては17も違う妹については、妹と言うより親子みたいな感じでですね、そのころの苦しい生活を兄弟力を合わせて何とか乗り切ってきたと言う時代なんですね。言ってみれば、明日何を食べようかという次元の心配をしょっちゅう頭の中でしていると、で、兄弟助け合いながらやってきた訳なんですけれども。

訳あって妹八重子は結婚後、母子家庭を営んでおりまして、私達兄弟もですね、たくさんいる中で、意見として、『もし仕事をするんだったらば、きちっとした昼間の仕事に就きなさい』とかなり意見を言ったのですが、あの当時、女手一つで子供を育てていくというのは、非常に大変なことで、言ってみれば水商売の方に言ってしまうのは無理もないという、そう言う時代だったんですが、私も心配して、いろいろそこの店に行ったり、店長にあったり、友達に会ったりして仕事の状況を見ながら、心配しつつも、これなら大丈夫だということで、ついそう言う形になってしまったんですが。

まぁ、それも僅かの間、3ヶ月ぐらいの間でですね、突然いなくなってしまったと。まぁここに、こんな大きいのがいますけれど(耕一郎さんの方を向いて)実際はその時一歳だったんですね、上の子が二歳半ぐらいで、ちょうど、もちろん親の手を入れなければ生活もできないそう言う時代だったんですけれども。私達もあの頃ちょうど、1978年の6月末に失踪してしまったと言うことなんですが・

本人は(耕一郎さんを見ながら)知らない話なんでしょうけれども、まぁ、ベビーホテルに預けてあったんですね。それでベビーホテルも今のようなきちっとした形ではなく、モグリでやっていたような状況だったんですね。非常に子供達がそこに行くのを嫌がっていた。私も務めていましたから、土曜日に迎えに行って、日曜日の夜又預けに行ってという、こういうパターンを2~3週間も続けたんですけれども、今、後悔するのはあんなに嫌がるところに何故三週間も入れておいたんだということ、反省、後悔はしているんですけれども、まぁその時は仕方がなかったと言うことになるんですけれども。とりあえず子供を何とか育てなければならない、何とかめんどうをなければならないと言うことで、まずそれが中心になって、私はこの耕一郎を、上のおねいちゃんは私の妹が引き取って今まで育てて来たと言うことで。

まぁ、当時は何で八重子がいなくなったかと言うことについては不思議でしょうがなかったんですけれども、そのうち返ってくるんだろうという気軽な事で、とにかく子供達を何とかしようと言うことに力を注いできたわけですが。そんな生活がかなり続いたんですが、やっぱり育てていくためにはきちっとしなければならないという私の持論もありまして、私の子供も3人いまして、上に。まぁ子供達に前に座らせて『これはお父さんの妹の子供だから、兄弟として仲良くするんだぞ。』と。それから『このことは絶対本人に行ってはいけないよ』と言う話をしまして、3人はただうなづいて『わかった』と。その『わかった』と言うのが20年も続いたんですね。それが、当の本人が一番びっくりしたんですけれども。そう言う状況の中で、私達は自分の子としてこの子を育て、将来返ってきた時には、ちゃんとした形で、妹に返してあげたいという気持ちも当然ありますから。

そう言う生活が続いたんですが、これですねまた大きなショックとして、みなさん既にご承知だと思いますけれども、1987年、大韓航空機の爆破事件がありましたね。あれは、今はもちろんこれは北朝鮮の策略だというふうな事が、今はオーソライズされていますけれども。北の狙いとしては、韓国のオリンピック、ソウルオリンピックを妨害するために、日本人が飛行機を爆破したと言うことにするという、そういう策略だったんですね。ですから犯人の金賢姫という人が、偶然生き残っ訳ですけれども、その人の日本人化教育をさせるためにうちの田口八重子を狙い定めて連れて行ったと。まぁこれは、そう言う目的ですから、たとえば結婚の経験がある、子供を育てたことがある、生んだ経験もある、いろんなファンションだとか、雑誌だとか、世間の噂だとか、だいたい全てを知っている人を狙っていたようです。

ですから東京のど真ん中、池袋からそういう拉致をされたと言うことについては、単に海岸にいたからと言う事ではなくて、向こうの目的にあったものを選定して連れて行ったと言うことが、後々わかる訳ですけれどもね。ですからこの大韓航空機事件の犯人であった金賢姫が生き残ったから、今その教育係が(その当時リ・ウネと言う名前でいたんですけれども)田口八重子だと言うことがはっきりしたんですね。

私達その当時そんな大それた事ができるわけがないとか、そんな事件に巻込まれたくないという気持ちがあったんですけれども、まぁ彼女の証言で、写真についても、10枚のうちから、懐かしい声で、『ウネ先生!』ということで、田口八重子の写真を指さしたと言うことで、これはもう決定的になったわけです。ですから。私達はそれを認めざるを得ない。これは確定的、決定的になったんですね。

当然マスコミさん達はこれは大きな事件として、記事にするために面白く書いたという私の感想なんですけれども、
それについては、非常に私の妹が<北朝鮮の手先になった>という、<犯人と一緒にこの事件を起こした>という、そう言った意味合いの書き方がどうも多くですね、<私達は本当は被害者なんだ>と、<日本人被害者が向こうに連れて行かれて、そういう役割を負わされたんだ>という書き方をしていただければ良かったんですけれども、なかなかそう行かなかった時期がありました。従って、その事件に巻き込まれた親(八重子さん)を本人(耕一郎さん)には知らせない努力というか、戦いが長く続いたんですけれども。

まぁそれは、いろいろ毎朝、毎晩押しかけるマスコミを、何とか帰っていただくように、そう言った写真だとか週刊誌だとか新聞だとか一切本人に見せないようにはしてきたんですが、まぁ、そういうふうに残念ながら、そう言った面ではそういう事実だけがわかったと言うことで、実際には、<じゃぁ、助け出せるのか>と言うことになるんですが、それが非常に難しい状況にありまして、未だにそうなんですけれど、何でうちの妹だけがそういう被害を受けなければならないんだとか、被害妄想的な感じもします。

みなさんのように平凡な生活が何故できないのか、させてやれないのかと言うことになるわけですけれども。

こういう事実がわかった以上、何とか奪還しなければいけないと私もちょっと遅ればせながら、例の2002年の9.17のあと、他の家族のみなさんと一緒に活動を始めたわけです。それを見てですね、当の耕一郎は『おれも活動に参加する』ということを言ってくれたんですが、まぁ、『一時待て』と言うことで少しロスタイムがあったんですが、やはり私の疲れた顔とか、後ろ姿を見てると、じっとしていられないという気持ちだったようです。その辺の話はあとで出るかと思いますが。

そう言うことでは、未だに北朝鮮は、さっき言った大韓航空機の策略をですね、北朝鮮ではないとあれは韓国のでっち上げだとか、認めていないんですね。これは世界的に認められている話なのに、未だにアレは認めていない。そう言う状況ですし。それから、のちのち首相が訪朝するわけですけれども、その結果についても、5人生存、あとは亡くなっているという報告をうけたわけですが。

それも外務省から単に『お宅の妹さんは亡くなっています。お気の毒ですね』とこういう感じだけで、いかにも、日本政府がすべて確認して確信がある話だという雰囲気で伝えたんですが、私は『全くそれを信用しない。もうチョット詳しく聞きたい』と言っても、何もわからないという状況があったんですが。

その後いろいろ交渉の中で、亡くなったという人たちの報告書がくるわけですね。それがみなさんご承知のように、まず一番はっきりしているのは横田めぐみさんの骨といわれるやつが、全くのねつ造品、でたらめだったと。それから、松木薫さんの骨も偽物だった。それから、我々を含めた各被害者の報告書も全部ウソの報告書ばっかりで、これはもちろん我々も突き詰めましたけれども、専門家、あるいは政府もこれは全くのでたらめだということをはっきりと確信を持って言及したわけですが。

それを受けて当時の官房長官細田さんが、『北朝鮮が迅速かつ誠実な対応をしなければ、日本としても相当な覚悟の上で厳しい対応を取らざるを得ない』と、はっきり、一昨年の12月24日に言ったわけですが、それから一年半もたっちゃうわけですよ。何にもしてないわけです。


ですから私たちは、一ヶ月、二ヶ月過ぎるごとに、『何にもそういう対応できないんだったら、経済制裁をしてくれ』という話をずーーと続けて参りましたけれども、これもいろんな論議がありまして、日本だけで経済制裁をしても大して困らない、効果がないという話もありますし。私たちは経済制裁を白ということは自分たちの家族も危ないぞというそういったリスクも抱えながら訴えているわけですね。しかしながら今のままではまったくこの問題は解決しないし、何か手を打たなければいけないというのがはっきりしている訳ですから、そういうことでは、経済制裁をするというのは、日本が怒っているんだと、国民、政府、もちろん家族が、もう相当怒っているんだということを、北に態度で示すというメッセージを与えるという、こういう大きな効果があるはずなんですね。

まぁ、実際に経済制裁すれば、いろいろ工業関係、電子関係、すべての部品については日本製がかなり向こうで使われていまして、それがすべてとまってしまうというような効果といいますか、影響があるはずなんですが、なかなか法案は、特定船舶入稿禁止法案とか、外為の改正法案とか、いろいろ準備はできているんですね。

それから、今は【北朝鮮人権法案】というものを、与党、野党ともに作っていますけれど、いずれをとっても、肝心な総理の決断が最後にいるわけなんですね。閣議決定して総理が決断しないと発動できないと。そういうものがありますけれど、まぁ、法律というのはいろいろ解釈のしかたでもって、かなりなことができるはずなんですが、ちょっといまいちその辺がはっきりしない。

この辺で訪米報告に繋がりますが、(時間がないのではしょりますが)経済制裁についてはアメリカ本国のほうが、北に対してものすごく大きな制裁をしているわけなんですね。ご承知のように、マネーロンダリングということで、マカオの銀行を閉鎖して北朝鮮の口座を閉鎖して、それに関する他国の口座も結局繋がらなくなるわけですから、相当資金源で苦しんでいるという話です。

さらにはこれを拡大して、香港とかスイス銀行とか中国銀行とか、その辺にも手を出すという強い意気込みが今あります。それから船舶を止めるにしても、核兵器とか、兵器に繋がる物資の輸出・輸入に対する船の制限も、はっきりとやっています。さらには、今回我々家族にブッシュ大統領が会ったということは世界に対するメッセージでありまして、人権を尊重するということは、まず何よりも優先することだと、はっきりあらわしているわけですね。

我々まさかブッシュ大統領と会えるとは思わなかったという部分がある反面、期待はしていたんですけれども。安倍官房長官、その他の人々の力添えを得まして、更にはシーファー大使=駐日アメリカ大使が非常に貢献して頂きまして、結果的には会えることになりましたんですが。

日本の偉い人が行ってもなかなか会えないブッシュ大統領に我々平民が会えたと言うことはその間に、≪人権の尊重≫という、大きなテーマを持っていると。それに対する活動もしている。更にはその人達の気持ちがわかると言うことで。何よりも優先してこの問題を解決しなければならないのだという表れですね。

みなさんもご知っているかと思いますが、ブッシュ大統領に明言がふたつあります。

【私は忙しい忙しいと言っているけれども、自分は人間の尊厳と自由について話せないほど忙しくはない。】

他の仕事は忙しいことがいっぱいある。この問題を除いて忙しいとは言えないというふうな事を言っていますし。これは当然、政府、各国、あるいは日本、アメリカにこういったことを理解してもらうためにはっきり言ったんですけれどもね。

それからもうひとつは
【最近になく最も心動かされた会談だった。】

感動した会談だったと言うことで、もちろんその場面通訳も含めてですね、ブッシュさんと早紀江さんの間にめぐみちゃんの写真とか置いてですね、ブッシュは、(めぐみさんが)ここにいると言うつもりで話をしようじゃないかと言ってますし、又通訳の方も早紀江さんの話を聞きながら、眉をひそめて泣きべそをかきそうになりながら、通訳をしているんですね。要するに気持ちを表して通訳をしている。だから、ブッシュさんも非常に感動して言った言葉が出てきているんではないかと。

アメリカの方はですね、大体すべてこういう考え方なんですね。人の権利、幸せになる権利を奪うことは、まず最悪のことだと、しかも他国からそういった犯罪的に、持って行かれる、誘拐される、拉致されるというのは、とんでもないと。

だから最初行ったときには、『今更、そんなことがあるんですか』と言われることが多かったですね。この世界に。ところが実際にある。日本、韓国、世界中各国の12カ国の人を拉致していると言うことがわかって、これを手邸的に解決するための動きをしなければならないというのが、各議員の先生とか政府の高官とか、みなさん全てそう言う態度ですね。我々の話も最初はアポイントを取っていくんですが、実際にはそれよりも(アポの予定より)二段も三段も上の人が出てきて、それで実際に話を聴いてくれる。それで、こういうようなことでアメリカは約束すると大きなコメントも頂いています。

それから、ペンタゴン、アメリカの国防総省にも我々は行きまして(あそこもめったに入れるところではないんですが)たまたまラムズフェルド長官が留守で、ナンバー2のイングランド副長官がわざわざ出てきてくれて、もう目の前で色々話を聴いてくれるんですね。更には、一人一人こうしたサイン入りのメッセージを明くる日すぐに届けてくれて、『私の話したことは、全てみなさんに対する約束事で、絶対に忘れないし日本と協力してやっていきます』という強い話もしてくれましたし。

だけどある人の発言は(これは当然だと思うんですけれども)『みなさん、アメリカに来て色々お願いしていますけれど、肝心の日本は、日本の政府はどんなことをやろうとしているんですか?』とか、そう言う話がやはり出るんですね。私達は向こうまで行って日本政府の悪口は当然言えませんから、コメントに困ったんですけれども。まぁ、とにかく『日本もこの方面については対話をしていくんだという態度がはっきりしていますから、アメリカと是非協力して今後もやってください。』と言う話にして帰ってきたんですが。

先ほども言ったように、この我々の活動のひとつの大きな通過点としてはですね、ものすごい大きな成果であったと思うんですね。『家族会って言うのはすごいな』と、これを一番感じているのは、金正日だと思うんですよ。今まで何となく全てごまかしてきたのが、今度はそうではないなという、そう言った緊迫した意識になっているのは確かですし。

ただ問題は、こうした大きな活動の成果を、実際に日本人を奪還するための具体的な策に繋げなくてはならないと。

これは当事国の、日本政府、韓国政府。
韓国政府もいろいろ聞きますと、北への太陽政策というか、北を刺激したくないという政策ですから、今回横田さんが行っても『会う必要はない』という、冷たい態度なんですね。

やはりこの問題というのは、個人では解決できませんから、当然国と国の政府がきちっとした対応、外交の元で片付けて行かなくてはならないと。しかもこれは犯罪ですから、他国による犯罪ですから、かな強い態度でこれを取り返す、これは当然のことだと思うんですけれども。

もう、私たち、待ちに待って、横田さん夫婦もそうですけれども、みんな家族は年をとり、疲れていますよね。
一番大変なのは、当の被害者です。あの厳寒の地にもう二十数年も囲われている。何時帰れるのか、何時帰れるのかと何時迎えに来てくれるのかと、毎日、月や星を見ながら、当然思っていると思います。

先ほど言った≪偽の報告書≫その他のいろんな情報からすると、あれは、かえって生きてるから、ああいうウソの情報がでてくるんだと。その後のいろんな情報によると、向こうが死んだという日付よりも後で『いや、実はあそこで見た』とかね、安明進さんの話もそうですが、そう言った情報が結構あるんですね。

こういうことも色々考えながら私たち身を粉にして活動しているんですけれども、『なんで、私達、被害者の家族がこんなにまでしなくてはいけないんだ』という素朴な疑問にいつもでっくわすわけなんですよ。『なんでアメリカのこんなところに私が立っているんだ』と。

まぁ、これは何でもやんなければいけないんだと言うことでみなさんのご協力を得てやっていますけれども、最終目標は、日本人被害者の奪還、すべての日本人を奪還するんだということですから、必ずこれに繋げなくてはならない。中途半端な形で終わらせたくない。

当初帰国した5人の日本人被害者の方達が帰ってきて、あれで終わりにしたいという、北の意向もありましたし、もしかすると日本の意向もそうだったかもしれません。これはとんでもないと言うことで、今かなりな活動と、ほとんど国民の方達のご支援を頂いて、やっとここまできたという感じなんですね。

まぁトンネルの向こうに細い光が少し見えたかなという感じですけれども。
この問題を解決するためには相当な大きなインパクトがいるわけです。

たとえば先ほどの、私の妹のことも、大韓航空機のことを北に認めさせなくてはならない。それから、報告した北の言っていることは全てウソですと、ごめんなさいと言わせなければならない。こういう事にしないと被害者達は出てこないと。

そのためにどうするのかというのを考えていかないと、単に柔な交渉でじっと我慢してくださいと、対話対話といっても対話ではとでもないけど、この問題は片づかない。向こうがあらゆる制裁を受けて、ギブアップして『もうごめんなさい、助けてください』というふうにならなければたぶん先が見えないと思うんですね。

そういうことで話が長くなりますけれども、そこまでするためには相当な覚悟もいるわけです。
ですから何事も、北の言っていることは全てウソだと言うことを我々も常に認識して、あまり向こうの陽動作戦に乗らないようにしようと言うことなんですが。

まぁ、話が長くなりますが、良くみなさんも、『私達も本当にそう思うんですがいったい何をやったらいいんですか』といつも言われるんですが、みなさんもこんな拉致なんて事は絶対良いわけがない、絶対卑怯な酷な話だと言うことは当然知っているわけですから、まぁ、こういった運動に、国民運動として盛りあげて政府の尻を叩くと言うことで、いろんな方法、街角でお願いしている署名活動ですとか、政府の官邸に直接、メールでも電話でも、FAXでも送っていただいて、『早く片付けないと、今後の日本はないぞ』と言うくらいな気持ちで、ちょっと、ご支援を頂くとかですね、いろいろこの話を広めていただいて、ご家庭、学校、会社、親戚などに広めていただいて、みんなでこの問題を盛りあげて解決しなければ、誰かがやってくれるだろうと言うことでは絶対ならないというふうに、私も思っていますので、本当に申し訳ありませんが、もし自分の家族がこういう目にあったらどうなんだろうと言うこともちょっと考えていただいてこれからのご支援を宜しくお願いしたいと思います。

どうもありがというございました。

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2006年6月14日 (水)

日韓連帯東京集会(7)

『中川正春 民主党・衆議院議員 挨拶』

★司会 西岡力氏

ありがとうございました。
韓国からは後二人、金聖ミン自由北朝鮮放送代表に来て頂きました。
そして安明進さんにも来て頂いておりますが、二人の話は何回かゆっくり聞いて頂いてますので、(笑い声)紹介の拍手だけで。(拍手)

黄先生の親友の中川(正春)先生が駆けつけて下さいましたので、中川先生に一言頂いて、それから今日のメイン講師である趙甲済さんに講演をして頂きたいと思います。

★中川正春 民主党・衆議院議員

0000803m

どうも、ご配慮いただいてありがとうございます。
私も本当にお二人のハンナラ党の、それこそ人権問題を先頭に立って命かけてやってるお二人が来て頂いて本当に良かったなというふうに、つくづく今日は思いました。

31日が、投票日なんですね、それこそ統一地方選挙の大統領選の前哨戦。
気になって仕方が無いと二人が言うもんですから、大丈夫、私が・・・・・(聞き取れず)日本から電話をかけてもらうから、応援するからと言ってですね。
お話をした所です。(拍手)

私の思いも、何とか拉致問題を6者協議のテーブルに入れ込むという事。
二国間でですね。
大きな壁が立ちはだかっているのを何とか皆さんのお力で、押して押してここまで来たという事でありますから、それを多国間協議、特に韓国・アメリカの連携との中で何とか押し込んでいくと言う事。
これが私の使命と言う思いでひとつは取り組んできました。

それには私は黄祐呂先生にそれこそ学んだわけですが、この拉致と言う問題をそうした多国間のテーブル、あるいは国連の場に押し上げていくには、我々の気持ちの中で人権と言うユニバーサルな価値観の中にしっかりおいてですね。
連帯と言う物を作っていく事。
ここだったんです。

具体的に、もちろん野党ですから民主党でございますから、議員外交あるいは野党外交としてハンナラ党と連携しながら出来るという事がある。
そのひとつが、この黄先生や宋先生と国際議員連盟と言うのを立ち上げまして、一回目はソウルで開き二回目は、実は去年8月に東京でやりました。
実は黄先生の事務所を中心に30カ国以上、最終目標は40カ国と彼は言ってるんですが、の議員ですね。
国会議員の連携を作っていこうと言う目標を持っています。

次は、我々いわゆる立法機関ですから、先にお話が出ましたように北朝鮮に関する人権法、これを連携をして作ろうと言うことでありまして、実はトップを切って作ったのは日本なんです。
経済制裁法、私が提出議員の一人として名を連ねて頑張って来たんですけども、経済制裁とそれから船ですね。
万景峰号を止めると言う、その法案を2本作りました。

それと連携をしてですね。
実はアメリカが人権法を成立をさせたと言う事になりまして、これは拉致をこの中に入れて、脱北者あるいは行方不明という全体の枠組みの中で北朝鮮に人権の改善、特に強制収容所の問題も含めてですね。
迫っていくという、ひとつのモデルのような物を作ってくれましたので、後は日本とそれから韓国でそれを連携させていって、包囲網を作っていこうと思っております。

民主党が提出した人権法に対して自民党もそれに応えて来てくれましたので、その中に私の思いとしては汎用性、脱北と言う問題もそれから行方不明者の救済と言う問題も含めて、汎用性のある法律にしていこうということ。
この事を主張しています。
実はこの火曜日からですね。
自民党の逢沢(一郎)さんと私と話し合いをしまして、なんとかこの国会中にこれをやっていきます。
通していきます。
完成していきますので、どうぞ応援を頂きたいと思います。(拍手)

後は韓国で頑張って頂きたいと思います。(拍手)
皆様、この二人の先生に心から感謝を申し上げますし、まだこれから本当の戦いが続いていくと言うこと。
この事を確認をさせて頂き、本当に感謝の気持ちを込めて御挨拶をさせて頂きました。
どうもありがとうございました。(拍手)

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日韓連帯東京集会(6)

  『宋永仙 ハンナラ党国会議員 講演(通訳:西岡力氏)』

★司会 西岡氏

続きまして、やはりもう一人ハンナラ党から来て頂きました、宋永仙先生お願い致します。(拍手)

★宋永仙 ハンナラ党国会議員(通訳:西岡力氏)

0000802m_1 

(日本語で)
皆様、はじめまして、こんにちは。(「こんにちはの声)

私は晴れ男じゃないですから、ソウルから東京まで雨を連れてますけども(笑い声)、全部ここで笑顔で集まれて嬉しいです。
私の日本語は余り上手じゃないんです。
その上で、私は韓国の国会議員なので、今から説明は韓国語でします。
失礼します。(拍手)

(ここより韓国語で)
皆さん、本当にお会い出来て嬉しいです。
そしてまた日本が拉致問題について大変強い関心を持っている事を羨ましいです。
そして政治家の一人として何も出来ていない事について恥ずかしいです。

1995年、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きたときですね。
日本では沖縄と東京までの距離は、東京とワシントンまでの距離よりも遠いと言うような話がありました。
北朝鮮の人権問題あるいは拉致問題を考えますならば、日本と韓国と言うのはその時の東京とワシントンのような距離であり、ハンナラ党と今の韓国政府は当時の沖縄と東京のような遠い距離になると思います。
(日本語で)ありがとうございます。
どのような意味かと申し上げますとハンナラ党が拉致問題についての考えと、現政府の考えとは大変距離があるということです。

3つだけ申し上げます。
まず韓国、特に具体的には盧武鉉政権と日本の違いについて申し上げます。
日本における拉致問題は人権問題であると同時に国家の自尊心の問題です。
政党に関係なくですね。
北朝鮮が日本人を拉致したという事については、憤慨しなければならない共通認識を持っています。
ですから別の言い方をするならば拉致問題が国内政治に利用されていないという事です。

しかし韓国においてはですね。
今から2007年の12月に予定されている次期大統領選挙までの間、盧武鉉政権が拉致問題を国内政治上の大きなカードに利用するだろうという事です。
国内世論を分裂させるのに、この拉致問題を通じて在韓米軍問題そしてFTA問題くらい良い問題はありません。
そして拉致問題は反日感情を刺激するのに大変効果的です。

日本の拉致問題にハンナラ党が協力する事について、政府はこのように言っています。
親日だと。
靖国神社の参拝を続け、歴史問題についての真の解決をしない日本と一緒に進んでいるハンナラ党は、日本よりももっと憎いと。(小さな笑い声)
ですから拉致問題を国境を越えて取り組むのは本当の親日だと。
この盧武鉉政権のもっとも嫌っているのは親日です。
そしてもうひとつは反米感情です。
北朝鮮の人権問題に深く関与している人間は全て親米だと、あるいは反民族だと言うふうに見ているわけです。
従って拉致問題を見る視角は韓国においては大きな差があるという事です。

2番目の問題です。
盧武鉉政権は拉北者、北朝鮮による拉致と言うんですが、「拉北者」と言う単語を絶対に使いません。
その代わりにですね。
「戦争の後、消息が分からなくなった人々」と言う単語を使っています。
これは金正日が強く要求してそれに従っているのです。
「拉北者」と言う単語を認めてしまえばですね。
同じ民族同志で拉致をしたと言う事実を認めなければならなくなるので、それを認めたくないのです。

2004年9月から2005年10月にかけてですね。
北朝鮮の住民支援あるいは脱北者支援、拉致被害者支援など、3つの法案を国会に提出しました。
ところが国会の外交通商統一委員会はその法案の審議さえしていません。
もちろん法案は全部ハンナラ党が作りました。
与党、ヨルリン・ウリ党は意図的にこの法案の審議を回避しています。
なぜならばその法律を通すと言う事は、北朝鮮が拉致をしたと言う事を認めるという事につながってしまうからです。

それだけではなくてですね。
朝鮮日報・東亜日報・中央日報といういくつかの保守的言論を除いては、いくらこのような拉致被害者救出集会をやっても、北朝鮮人権国際会議を開いても報道をしないのです。
無関心ではなくてですね。
もっと大きな部分では意図的に避けているんです。
政府が望まないからです。

統一部にはケソン公団の関連の実務者が36人います。
南北経済関連の実務者が38人います。
しかし拉致被害者に関連するデーターベースを作るための実務者は1人です。
関心を持とうとしない、神経を使おうとしないわけです。

最後に整理をしておきたいと思います。
私は実は韓国においてですね。
長い間、国防問題の専門家、あるいは武器の専門家として知られている者でございます。
個人的に昨年実は、西岡先生に会い、また崔祐英会長に会い、尊敬する金文洙議員に会ってですね。
私に大きな心境の変化が生まれました。
政治家はですね。
国民の涙を拭き、痛みを和らげるのだと何回も繰り返して言います。

平和をも守るために国防は絶対大切です。
国家の平和を守るためです。
しかし国家は人間で構成されています。
人間の平和は人権から生まれなければなりません。
人間の平和を守る事をせずに、頑丈な国防を築く事は出来ないと思っています。
そこで共に戦おうとしたのです。
ですから国防の専門家としてそれと兼ねて、北朝鮮人権専門家になろうと決心したのです。(拍手)

そこでベルギーのブリュッセルで開かれました、第3回北朝鮮人権国際会議に参加した事を契機として、様々な人権問題の公聴会を開いたり参加したりして来ました。
ヨルリン・ウリ党の協力が得られないために通過させる事が出来ていない北朝鮮人権法や、拉致被害者家族支援法を通過させるために、私のHPに国民1000万署名運動を開設しました。
国会議員より力があるのが国民です。
なぜなら国民が国会議員を選ぶからです。
北朝鮮の人権問題そして拉致問題解決を願う国民、そのような同志たちの力でこの問題解決をしなければならないと思います。
長く険しい道になるかもしれませんが、私は最善の努力をしたいと思います。
一緒に頑張りましょう。(拍手)

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2006年6月11日 (日)

何故万景峰号が止められないのか?

国民大集会での漆原議員の発言を聞きながら、私は本当に苛立ちを感じました。漆原さんも、頑張っていらっしゃるのでしょう。それはわかります。
しかし、漆原さんの

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『この万景峰号をなんとしても、入港を止めたいと思っているんです。(大きな拍手)
ここに新潟県民のあるいは全国の皆さんの反対の声を押し切って、真っ白い船が悠々と港に入ってきて、コシヒカリとかメロンだとか新潟の美味い物をみんな持って行く。
とても許せない、と思います。(拍手)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上記の言葉を、私はもう何回も聞いています。きっと漆原さんは、私が聞いた以外の集会でもこのフレーズを何度となくおっしゃっているに違いありません。そして大きな拍手を受ける。。。
この言葉を最初に聞いたときは、万景峰号はもうすぐ止まるだろうと期待しました。しかし、それからもう3年近くなります。

下記のテキストでも白眞勲さんも、<万景峰号を止めろ>とおっしゃっています。もう万景峰号を止めることは国会議員も会派や政党にかかわらず意見は一致しているはずなのです。
もちろん国民世論も、万景峰号を止めることには異論がないと思うのです。

ところが、何故か止められない。どうしてですか?
一番金正日のみを苦しめる、現政権だけが困る、他に迷惑をかけることのない制裁であるはずの万景峰号入港阻止。
それが何故できないんでしょう?

何処かに原因があります。万景峰号は、一度止めても相手の出方によっては<再開する>というカードにもなる。法的にも、実務的にも難しい事ではない。金融凍結よりも実務処理がいらない。ただ止めるという決断さえ出せばいいだけの事なのに、何故止められないんでしょう?
私は、そのことを、それぞれの講演者に聞きたかったのです。
何故止められないのか?止められない要因は何処にあるのか?止めるなと圧力をかけている政治家はいるのか?どうしたら止められるのか、その方法を教えてほしい。

万景峰号を止めるために、私達ができることがあれば、何でも協力したいのです。
新潟港での抗議活動をテレビなどで見るたびに、ご家族の悔しさがひしひしと伝わってきます。雨の中抗議活動をすることがどんなにご家族に空しい感覚を持たせるかと思うとたまらなくなります。

入港が決まっている。必ず入ってくるとわかっていて、その白い巨体をみながら抗議活動をする姿をもう見たくないのです。

止めてください!万景峰号を!
万景峰号を止める方法を、教えてください。
これ以上ご家族をこういった形で苦しめないでほしいと思うのです。

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白眞勲さん講演(2006/4/15)

4月中旬、都内で行われた集会での白眞勲さんの講演をテキストにしました。
概略のテキスト化に当たっては、白眞勲先生から、ご許可を頂きました。
今回の金英男さん家族面会の状況、韓国内の状況、朝鮮日報の論調などについても理解する材料になるのではと思います。参考に。

白眞勲先生のご意見に納得する部分、もう少しつっこんでお聞きしたい部分もありましたが、そこまではお聞きできませんでした。

―――――――――――――――
  ◆白眞勲さんの講演
―――――――――――――――
ご紹介いただきました白眞勲です。
拉致の救出関係については30分と区切らせていただいて話しさせていただきます。
ご存じのように私は朝鮮日報という、韓国の新聞社の日本の支社長をずっとしておりまして一昨年7月に参議院に当選をさせていただいた一期生でございます。

当然私、実は比例区、昔の全国区ですので何処かの県民のためとか選挙区のために仕事をするのではなくて、すなわち日本国全員、国益のため(もちろん国会議員というのは皆そうなんですけれど)特に私の場合は何処と言うことありませんので、地域の利益代表というよりは、日本国の利益の代表としてという観点からですね、仕事をしていきたいと思いまして、立候補させていただいて当選をさせていただいたわけでございます。

そのためには、良く批判されるんですよ。おまえ韓国人だったから、(まぁ、今日本人ですけれども)韓国の利益を考えて日本の国政をやってるんではないかと。そんなことありません。韓国の国益=日本の国益にあり、日本がとなりの国と仲良くすることが日本の国益になる、これは当たり前のことなんですね。それも、『日本だ、韓国だ』とか言ってるような、僕は、時代ではないんじゃないかなというつもりでして、そう言う観点から、日本の国会議員になる以上、この国の利益と言うのは考えるわけで、それは世界平和であり、平和な、みんなが仲良く暮らしていけることが、一番、私は、みなさんの利益に繋がっていくんではないかと観点から今仕事をしている訳なんですね。

そう言う観点からすると、どうしてもこの北朝鮮の拉致問題というのは、解決すべき問題という認識を持っていますし、又北朝鮮に対して、これはみなさん区別していかなければいけないと私が思っているのは、『北朝鮮けしからん』ではなくて、『金正日けしからん』なんですよ。

北朝鮮の一般の大衆というのは、猛烈に金正日によってきわめて厳しい迫害を受けているわけですね。やはりこれは、助けてあげなければいけないと私は思っているわけです。ですからその辺も、私達は分けて、北朝鮮の金正日体制に対して厳しい見方をしていくというのがわたしの考え方であるというのをご理解頂きたいと思います。

今の現象について国政の立場からご説明するのが一番良いだろうというふうに思います。
私は国会議員として外交防衛委員会に属しております。それでですね、今回めぐみさんのお嬢さんのキム・ヘギョンさんのお父さんが韓国で拉致された金英男さんであるということがはっきりしたわけです。今まで韓国の対応というのを見て頂くと、金大中さんからですね。北朝鮮に対しては、宥和政策を取っていました。太陽政策、それはみなさんよくご存じの政策です。太陽政策はどういう政策かといいますと、いわゆる北朝鮮と、南北が統一すると、きわめて南が負担が大きくなるのではないだろうかと。これは当たり前のことだと思うんですね。

特にですね、韓国が北朝鮮に対する宥和政策に転換したのは、私は<東西ドイツの統合>、これが一つの契機になったんじゃないかと。東西のあのドイツが統合したら、あの西ドイツがひどい目に遭っていると。これは統一するのは大変だねと言うことがわかってしまったということだと思います。

イギリスの調査機関によりますと、統一にかかる経費が一兆ドルぐらいかかるんではないかというんですね。一兆ドルです。120兆円ぐらいですか今のお金でいうと。とんでもないお金ですね、日本円でいうと。韓国の国家予算10兆円ぐらいですからもし、(これは一つの概算ですが)南北が統一したら、南の韓国まで、へたするとおかしくなっちょうんではないかというわけです。

じゃぁ、どうすればいいのかと。つまり北朝鮮の経済というものを底上げしていくことによって、南北の格差を減らして、それから統一に少しずつ、徐々に持っていくのがいいんじゃないかというのが、金大中さんの考え方だったと思うんですよ。ですから南から北に経済援助みたいな形で、どんどん援助を始めたということなんですね。

私は、それには反対だったわけです。(援助は)金正日体制では、体制維持に使われるだけであって、北朝鮮の一般大衆に対しては役に立たないんじゃないだろうかという意見なんですけれども。

いずれにしても韓国民は金大中さんを直接投票で選んだわけですから、その金大中さんがそう言う形でみなさんご存じのいわゆる太陽政策というのをやったんです。これは太陽政策ということばどおり、イソップ物語の、『北風と太陽』からきてるわけですね。

北風と太陽というのは、イソップ物語で、あれは北風と太陽が喧嘩しているわけでしょう。当然これは、旅人は知らないんですよ。北風と太陽が喧嘩していることをですね。知っていたら<マントを脱ぐ、脱がない>にならないでしょう。言わないでおいて喧嘩するから、太陽が熱いからと言ってマント脱いだわけでしょう。

金大中さんが、『太陽政策、太陽政策』と言ったら、これ、北風と太陽で、(旅人=北朝鮮が)マント脱ぎますかってことになるんですよ。言ってることあってるでしょう?言わないでやるなら良いんですよ。言っちゃったら、『北風と太陽』、太陽政策(が勝つこと)にならないの!黙ってやるべきだったの。

黙ってやるべき。ところがこういうことをやっている。当然金大中大統領5年間の経済はどうだったかと。格差はもっと開いてしまったんです。北朝鮮の経済というのは全く低迷したままだったということが今、はっきりしているんです。ですから、この太陽政策というのは、金大中政権5年間で完全に失敗しているんですから、当然盧武鉉さんは、それに対して転換していかなければならないわけなんですけれど、相変わらず北朝鮮に対する宥和政策をとっている事対して、私は韓国に対しても批判的なんです。

これは、新聞社の時代にテレビによく出たときに(韓国の政策批判を)言っていたら、韓国の新聞社からも“売国奴”とかなんとか私のことを指して言うわけで、大使館からもなんだかんだと言われたんですけれども。あれって不思議なもので、“出る杭は打たれる”っていうじゃないですか。でも、出過ぎると打たれなくなるんですね、これ、杭っていうのは。引っ込まなくなるから。そう言うことで、出過ぎてしまったら何にも言われなくなっちゃったね、ということがあって。

私は考え方としてはっきり信念を持っています。この方が正しいと思っています。やはり、金正日さんを何とかしなない限り北朝鮮は良くならない、これははっきりしていると思います。『金正日さんを殺せ』と非難とか言ってるのではなく、ともかく反省して下野するというか、政権から降りて頂くのが北朝鮮にとって一番いい。これが拉致問題解決への一番の早道であるというふうに私は思っております。

じゃぁ、北朝鮮の今の状況というのは、一つ言えるのは、北朝鮮というのは、100万人の兵力を持っている強大な軍事国家であるの事はおわかり頂けると思います。2000万の人口で100万人の兵隊を持っているんですよ。こんな国ないんですよ。中国でさえ300万人、12億いるんでしょう?12億に300万人、日本の自衛隊が26万人ですよ。南の韓国で(人口が)4,000万人。4,000万人で(兵力が)60万人ですよ。北朝鮮は2,000万人で100万人という兵力。

みなさん頭の中で20人にひとりだと思っているでしょう。“違う”っていうの、それ。何故かわかる?女性が半分でしょう。だから男は1,000万人しかいない。男1,000万人と言ったって、老人から子供まで赤ちゃんだっているんだから。

  つまり100万人というのは、生きのいい男はみんな兵隊だって事ですよ。

ということは、どういう事かっていうと、簡単な話、生産活動ができないと言うことなんです。軍人というのは生産活動しないんです。基本的に鉄砲を持ってヘルメットかぶって、野原を駆け回っているってことですよ。軍事費といったら、これは一般のこの辺の渋谷なんかのの若者でじっと座っている子供達に比べて、お金使うんですとあの子達は。兵隊というのはお金がかかる。

戦車、リッター400mですよ、燃費が。ヘルメットから食べ物まで、みんな食べ物まで国が負担しなければならないんです。この軍事費というのは、(日本の自衛隊も同じなんですが)ものすごく費用がかかるんですね。それから新しいものにどんどん装備を変えていかなければならないでしょう、装備も。戦車なんて中古で売れませんからね。みなさんも中古車センターで戦車売ってるのをなんて見たことないでしょう。

だから結局そう言う観点からすると、北朝鮮は軍事国家であるから故に破綻しているんですよ。簡単な話なんですね。そういうことをまず念頭に置けば、まずはあの北朝鮮を変えるべきであるというのは言えることだと思います。それははっきりしている。

それで今アメリカを中心として制裁が始まっているわけですね。実質的には制裁が始まっていると思う。それは何故か?金正日さんの財布の根っこを締めてしまう。つまりマカオにある銀行口座を止めてしまう。凍結してしまった。これは非情に効果あると思っています。

金正日さんが1月だったかに、中国を訪問してますね。急に何で中国を訪問したかというと、私はたぶんあのマカオの口座を何とか中国に頼んで、『何とかしてよ』と言いに行ったんじゃないかと、私は思っているんです。

中国側はあれはどうにもならないらしいですね。あれはアメリカが決済しているから。つまり貿易をするときには、アメリカの銀行を通じて決済するから、あれはアメリカの国内法。そう言う形でピタッと止めちゃえば、チェイスとかああいう銀行が止めれば、世界中どこに銀行があろうと、アメリカで決済しちゃうわけですから、ダメなんです、これ。
そう言う形で、止めてしまっているというのは、これは私は非常に良い形だなと思っているんです。

あとは新潟の万景峰号、これは止めるべきだと私は思っています。私は国会で、必ずと言っていいほど外交防衛委員会でこのことを言っています。ここには麻生外務大臣とか必ず来ますから。必ず、万景峰号を止めろと言うことを言っています。

何故私が万景峰号を止めろと言っているかというと、4月15日は金日成の誕生日でしたね。そう言う日に金正日は贈り物をしているんですよ。おくりものというのは食い物が多いですね。その食い物をどこから運んでいるかというと、日本からですね。万景峰号で運んでいるんですよ、だから、4月11日に万景峰号が入ったんですよ。食材を入れているんですよ。高級ワイン、メロン、霜降り和牛、そういうものをあの船に乗っけて運んでいるわけですよ。

霜降り和牛なんて、今口に出して言っているけど、なかなか私の口に入ってこない。私はそう言うものを止めるべきだと思うんです。経済制裁をすると一番困るのは、北朝鮮の困っている人たちなんですね。94年に300万人、餓死したと言われている。あの2,000万人の人口で、300万人餓死しているというのに、金正日政権は残っているんです。だから、(直接)経済を締め付けても困るのはかわいそうな子供達なんです。それが本当に良いんだろうかと言うことを考えたら、一番良い方法は金正日を困らせることなんです。

金正日に持っていく食い物を、肉を固くしてしまわなければダメだと言うことなんです。彼はいいんですよ、霜降り和牛を食べなくたっていいんですよ、十分にお腹ぽこぽこでているんだから。少しはダイエットさせればいい。そう言う観点から見れば私は万景峰号を止めるべきだと、これは非常に象徴的な意味があると思っているんです。それに伴う関連の法律ができているんだから、さっさとやるべきだというのがわたしの考え方なんですね。

それと同時に、韓国で金英男さんの問題がありますが、みなさん『何で、韓国では拉致の被害者468名、政府で認定されているにもかかわらず、これがなかなか進展しないのか』とおっしゃいますが、これは先ほど申し上げた太陽政策、宥和政策をとっているから、北朝鮮を余り刺激したくないからと言うのがあります。もう一つあるのは、韓国と北朝鮮との間には離散家族が約一千万人いる。それから朝鮮戦争当時の捕虜が何十万とかいるんですよ。そうすると、政府としての優先順位は、離散家族一千万人になってしまう、と言う部分もあるのではないかと、私は思っています。

ですから、自分の両親というのは、一分の一ですよね、一人しかいないんだから。あるいは自分の肉親だって一分の一、しかし、これを政府として考えると、一千万人か、468人かと言うことになってしまう。ということになると、どうしても一千万人のほうに力を入れざるを得なくなるというのが政府としてあるんではないかと思います。

朝鮮日報も(本当に北朝鮮に対してはいつも厳しい論調をはっているんですが)今回は本当に一面トップに出しましたし、(私の出身である朝鮮日報も)今回は韓国に対しても『何をやっているんだ』と『日本政府によって韓国人の拉致がはっきりしたじゃないか』と、『今まで何をやっていたんだ』と、相当厳しい論調になってきている。

金英男さんのお母さんに対しても本当にかわいそうだなという感じがする。人間というのは、日本人も韓国人も同じなんですよ。両親、肉親を奪われた苦しみ、肉親がいないという悲しさは、お母さんとして、これは当たり前なんですよね。

肉親がいない悲しさ、こういう気持ちが、これから韓国政府というものをどう動かしていくかということが私は一つの試金石になっていくんではないかと思って、(今回のことを)一歩前進、二歩前進と思っています。

麻生外務大臣は、外交防衛委員会でこの拉致問題について私が聞いたとき、『これからは韓国と強く連携していく』と言いました。
≪強く≫と言う言葉を言いました。ですからだいぶ変わってくるんじゃないかと思います。今の日本政府の態度も少し(強く)と言う方向に舵を取り始めているというのはみなさんも感じていると思いますし私もそう思っています。

今度は、拉致の特命で鈴木政二さんという議員さんが特命の隊長として頑張っていますので私はそれに期待したいなと思っています。

私もめぐみさんのご両親さまにはお世話になっておりまして、先日も外交防衛委員会わざわざ傍聴に来てくださいまして、やはりお二人が来ると大臣も違うんです。やはりしゃべり方も違うんです、いるだけで。大臣も、気持ちの問題ですよ。

そう言う中でこれからも拉致問題については注目して行きたいと思っています。

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平田隆太郎さん(救う会全国協議会・事務局長)講演

「あなたも拉致の現実を知ってください」(群馬・前橋)」より

平田隆太郎さん(救う会全国協議会・事務局長)講演

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北朝鮮は今でも拉致問題はもう解決済みと言っています。
ある意味で4年前に小泉さんが訪朝をして5人生存、8人死亡と言うときに日本政府もですね、たとえば福田官房長官が「貴方の家族はなくなっています。」と家族にお伝えしました。何の証拠も無くですよ。この人本当に人間の血が通っている人なのかと思うくらい、家族には大変ショッキングな日なんですね。ある意味でうちの子が殺された日。日本政府も、同じようなことをして北朝鮮と国交正常化をしようとした。でも、国交正常化というのは、普通の良い国とするのが普通で犯罪史かやらないような国と何が正常化なんだろうと思うんですけれど、何故か正常化というのが大事だと思っていて、まぁ、≪拉致被害者の5人、10人なんだ≫というような意識を持つ人がいるのではないかと思うんですね。

しかしながら、家族会救う会でこれを跳ね返してきて、いや、そうじゃない、みんな生きてるという動きをその4年、続けてきて、実は生きているんだと言うことに、今なっております。

みなさんのお手元にこういうものがあって(配付した拉致被害者に関する資料を示して)、全部1978年になっていますね。このころに拉致が非常に多いんです。今わかっているだけで外国で12の国から拉致をしております。まだたくさんの国から拉致をしている可能性もあります。世界中からなんで拉致をしたのか。その人達も全部78年。

拉致はかなり前から実はやっていまして、ここにあるように一番最初に寺越さんというのが63年。古くからやっているんですけど、国家として組織的に拉致を始めたのが77年の後半ぐらいのようです。そして76年に金正日が『拉致指令』を出していると言う事がわかっています。それから今年30年であります。『拉致指令』からちょうど30年。

指令をしてから、工作員を訓練するのにおそらく一年ちょっとかかっている。そのあと実際に始まっていると言うことなんですね。従って
この年が非常に多い。それは、安明進さんという元工作員が授業でそういうふうに習ったと。将軍様がこんな輝かしい成果をあげたと言う事例としてそう事を習っているんですね。おそらく間違いないとことだろうと思います。

そういう形で、拉致というが78年から集中的に世界的に広がったと。何故拉致をするのかと。田口さんの場合は、教育係りとして拉致をしていますね。工作員が、若い女性に化ける。言葉から文化、風習まで若い女性に化けて何かの破壊活動をするとか、あるいは韓国を北に取り込む活動をする。田口さんの場合は破壊活動のほうに使われている。そして金賢姫と言う人を教育して日本語の上手い、まるで日本人のような人を作り上げて日本のパスポートを持たせて87年に大韓航空機を爆破したわけですね。

ふたを開けて出てくると、もし上手く死んでいれば、この事件は日本人の犯罪になったわけです。それが死にきれずにですね、あけてみたら実は北朝鮮が関わっていた。そこから田口さんというのが出てくる。一応<86年に死んでいる>というのは、87年の事故に関係なくするために勝手にそう言う年月を設定していると言うことになるわけです。実は87年以降、さきほどの話がありましたように生きているという情報があります。北朝鮮が出してきた情報は、いまのところ全てウソです。本物が一つもない。遺骨から資料から死亡確認書、結婚、全部ウソの情報で、自分の都合の良いように作り替える。

大韓航空機の時は、87年ですね、88年にソウルオリンピックがあって。このソウルオリンピックを邪魔するために、韓国の飛行機を墜としたわけです。しかもそれを日本がやったと。そして国際的にトラブルを起こさせて韓国を不名誉な国にするというようなことが、目的だったようです。それに使われているわけです。

あるいはそれ以外にたくさんの工作員に化けて特に韓国に侵入させる。工作員というのは日本にもいっぱいいるんですよ。今でも数百人単位でいると言われています。ある日ある時、送電線が爆破されるとか、いろんな事を起こすために配置をされていると言われています。そういうことで、北朝鮮の工作活動をは続いていて、そして韓国を必死で取り込もうとしていて、実は韓国で成功しつつあります。前の政権、今の政権、完全に北朝鮮、親北政権、反米政権になっています。北の目標ははやく米軍を全部撤退させると。そして最終的に取り込むという作戦ですから、今ぴったりのことを韓国がやってくれているという状況になっているわけです。

家族会、救う会で訪米をしましたけれど、飯塚さんが団長で、早紀江さんが大統領にあったりとか証言ををしたりしましたけれどしましたけれど、<助けてくれ>とお願いに言ったわけではありません。<助けてくれ>ではなくて、たとえば先ほどの話の中で国防総省に行ったと言う話があります。何故国防総省にいくんだと。日本の防衛庁に拉致問題で行くでしょうかと。アメリカにとっては北朝鮮というのはいまのところ拉致被害者がいないと言う建前になっていますから、核・ミサイル問題が一番大事な問題なんですね。アメリカにとっては核・ミサイル問題が解決されれば、それで済むという面もあります。だから六者協議やその他でそういうこと一生懸命やろうとしていますが、日本にとっては拉致問題なんです。

日本は核ミサイル問題だけで解決してもらっては困るので、拉致問題を忘れないでください。この拉致問題の解決無しに手を打たないでね、というお願いに行っているんです。ただ助けてくださいといっているわけではないんです。

そして国防総省でイングランド副長官もあるいは、ホワイトハウスもブッシュ大統領も、人権問題は絶対に忘れないと。これ大事な問題なんだと。世界に普遍的な問題、それを大事にしない国では、拉致被害者本人、あるいは家族が大変苦しい思いをさせられてにいる。

人権侵害というのは、本当にひとつひとつの事例をとると苦しい苦しい物語がたくさんある事件です。そう言うことが起こらないために人権の問題だけは絶対に譲れないと、全部が明言をしてくれた。国防総省で人権問題は絶対に忘れませんよと言う明言をとったんですよ。これが大事なんですね。従って今後はアメリカは絶対に全面的にバックアップして拉致問題が解決しない限り、北朝鮮と妥協しないと。

じゃ、日本政府はどうするのかというのが次の問題になるわけですね。
日本では昨年世論の後押しを得て国会で制裁二法が通りました。だけど、未だに発動しない。なんで発動してくれないんだと言うことを家族会は言い続けているわけですね。

制裁というと大変厳しい言葉のように聞こえますが、となりの家が自分の子供を拉致をした。どうするかと。米を持っていきますかと。日本は米を持っていくんですね。だけど(こどもは)全然返してくれない。貴方の家は悪い家だからもうお付き合いしないよ。人と金の出入りを止めますよというのが制裁です。船が行ったり来たりとか、人が行ったり来たりとか、お金が行ったり来たりとか、ものが行ったり来たりとか、そう言うことを止めますよと。制裁といっても最も消極的な手段で、腕力を使って取り返しに行くというんではないんですね。ただお付き合いをしないと。

昔<村八分>というのがありましたけれど、残り二分は何だったでしょうか?火事と葬式ですよね。火事は緊急避難、葬式は人道支援。この2つを除いた全てのお付き合いをしないというのが村八分ですよね。人道支援と緊急避難を除いて一切やりませんよということが日本政府は言えないんです。未だに普通なまともな国としてお付き合いをしていて、定期的に万景峰号他、何百の船が日本に来ています、北朝鮮の国会議員が在日に6人います。堂々と日本と北朝鮮の間を出入りしています。おそらく何かの命令を受けて帰ってきて秘密の工作が行われている可能性があるんですけれど、知らん顔です。

隣のうちが、うちの子供を人さらいしたのに、何でそんなことをいつまでもやっているんですかと。日本という国はちょっとおかしいんじゃないかと。アメリカ人も何でやらないのと言って質問するんですよ。何でやらないのかと。せめてですね、あんたとお付き合いしないと言うことぐらいすればいいのにと。

何もミサイル撃てといってないんですからね。それをどうして日本政府はできないのかと。ミサイルが飛んできたらどうするのかと。いや、ミサイルは飛んできませんよ。飛んできたらその国は終わりですから。何か近くミサイルを撃つとか撃たないという話が今日の新聞に出ていますけれどもね。おおいにやってほしいんですね。どうせ海に撃つんですから。どのくらい性能があるのかすぐわかりますから、損するのはむこうなんです。撃たないんです。脅しだけなんです。脅しに屈するというのが狙いなんです。これは北朝鮮の唯一のカードなんです。もうこれしかないんです。これで怖いと思ったら日本はまた米を出したりやらなければいけません。政治家の人も脅されているんですよ。ここで怖くないと、あんた何もできないでしょうと思えるようになったら、もう返ってくるんです。

そこがどうしても、この日本のある意味平和な60年の中で日本人が毅然とした態度がとれない。まぁ平和ぼけの60年というのがあるわけです。そういうことで、政治家の人たちも毅然とした態度がとれません。

経済制裁をしても、実は在日の人たちは喜びます。(北朝鮮に)行かなくて良いと。無理矢理行かなきゃ行けなかったのが、いかんでいいと。船でいくと高いんですね。本当は飛行機で行きたいんですね。飛行機で行けると。あるいは食料を支援しても、どうせ上の方にしかいきません。下のほうにはいきません。

あさりの輸入禁止などというのを救う会が運動してみなさんの御協力ですぐに<0>になりました。あさりは軍が北朝鮮のこどもに強制労働させて、強制的に奪って送っている飢餓輸出です。あれをもし日本が輸入しなければ、子供が動物性タンパクをたべる可能性があるんです。私達はその可能性さえ奪ってきたんですね。

ただかわいそうだからと言ってものを送ればいいと言うわけではありません。どうせ送るんだったら私は米よりご飯を送るべきだと思います。ご飯はすぐに腐るから。米は権力のある人が何時までも持ち続けるんですよ。腐らないから。その場に行って炊き出しをすれば絶対に良い活動ができますよ。それはさてくれませんからね。とするといまのところ送らない方が良いと。日本が制裁をすると言うことは、日本政府は拉致と言うことを理由に明らかな国家の意思として、許さないと、怒っているんだと言うことを示すことになります。

いまのところ日本政府はまだそれをしないで、現行法の厳格な適用、安倍さんが官房長官になってからそれをものすごい勢いでやりだしました。おそらく『やれ』と『おれが責任取る』という命令が出ているんだと思います。

いろんなところで、今北朝鮮はたいへん苦しい思いをしています。アメリカの制裁があるので外貨が無くなってきています。2月16日の金正日の誕生日には、普通お米とかいろんものが国民に配られるんですけど、無かったんだそうです。買えなかったんでしょうね。こんな人を信じて良いんだろうかという声がおそらく北朝鮮の中にいっぱいおこっている、そう言う時期です。

今まで何時滅んでもおかしくなかった国が滅ばなかったのは、<U>≪外圧をかけなかったから≫</U>です。外圧なしには自分たちだけで革命をおこすというのは無理です。しかし2000万国民、未だに飢えに苦しんでいるです。本当にこんなこと、目をつぶっていて良いんでしょうかという状況が続いています。

同時に拉致被害者を救わなければいけない。そう言うことも毎日毎日の苦しみを彼らは乗り越えて生き続けていますから、その悲鳴を聞いて私達も1日でも早くですね、助けてあげなきゃいけないと思います。

今年は是非ですね、制裁を発動してほしいと。さっき言いましたように<北朝鮮を村八分にしましょうよ>ってことですね、簡単に言えば。
まぁ、本当の緊急の場合の人道援助とか、火事なんていうのはこっちにも降りかかってきますので、協力しないわけにいきませんけれど、それ以外のお付き合い止めると。船で来んでくれという制裁を是非やってほしいと。そのくらいのことをして、<対話と圧力>でなくて、まず<圧力>をかけて、話したいと言うんだったら話しても良いよと。圧力もかけないで話しましょうなんて言うから、拉致問題は解決済みなんて言われるんですよ。それを『是非やってくれ』という声をですね、群馬からもわーっとあげてくださると力がつききますので、是非御協力を御願いします。(拍手)

※一部発言の中の年代の言い間違えなどは、こちらで修正しました。

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日韓連帯東京集会(5)

  『黄祐呂 ハンナラ党国会議員 講演(通訳:西岡力氏)』

★西岡氏

ありがとうございました。
今、崔祐英会長がご紹介くださいましたように、ハンナラ党から二人の先生が来てくださいました。
黄祐呂先生はハンナラ党の中にあります、拉致・脱北委員会委員長で、これまでも何回か日本に来てくださって、拉致問題についても関心を持って下さっていますけども、今日は大変忙しい中、来てくださいました。(拍手)

★黄祐呂 ハンナラ党国会議員(通訳:西岡力氏)

0000801m

韓国は問題も多いし、事件も多い国です。
朝にはこの問題を解決しなければならないと考えていたのに、夕方には別の問題が起きてきます。
実はですね、昨日の夜までは、統一地方選挙で何とか勝たなくてはいけないと思って遊説していたんですけど、朝起きて早く日本に行かなきゃならないと思ってやって参りました。
私がここに来ているとですね。
国会の副議長から、「黄議長はどこに行ったのか?」と電話がかかって来て大変です。

しかし私はここに来た事をですね。
韓日の友好のために、また拉致問題の解決のために、特に愛する韓国の拉致家族のために私は良い事をしたと思っています。(拍手)

韓国と日本の間には一緒に解決しなくてはならない問題がたくさんございます。
しかし一番大切な事は、人間が人間らしく暮らす事が出来るように二つの国をしていく事では無いかと思います。
先に二人の方が話されたように、この拉致問題と言うのは韓国において大変古くからの問題であり、また今の問題でもあります。
この問題を解決する為には実は韓国の歴史、過去と未来、我々の意識構造までもが全て含まれている、大変包括的な問題であります。

幸いな事に我が国の国民・言論、そして政治家たちも遅くではありますが、再びこの問題について関心を持つようになりました。
そのひとつの契機は尊敬いたします日本の皆様方、日本の国民が、この問題について断固たる態度を取っていらっしゃって来たと言う事がひとつの大きな契機になったと思っております。
私自身は実は7~8年前から脱北者問題について一生懸命取り組んで来たものですが、2~3年前から拉致問題も大変重要な問題だというふうに考えて参りました。

そこで党内にですね。
特別対策委員会を作りました。
そして拉致被害者とその家族を政府が助けなければならないと言う義務を明記して、そしていろいろな措置を取る事を書いた法律をですね。
法案を作って国会に提出をしております。
何故その法案が早急に処理されないのか?と言う事については後で説明いたします。

それから2番目はですね。
拉致問題に関するいろいろな資料・記録が散逸しており、はっきり分からない物が多いのでそれらの物を集めて公開すべきだと。
それが出来ないならば、国政調査権を発動してでもその事をしたいと考えています。
そしてこの問題について北朝鮮との間に、日本・韓国・アメリカ単独で行動するんではなくて、連帯して取り組めるようにすべきだと思っています。

そこに問題があるのです。
韓国現政権の政策は、北朝鮮との間では和解と協力をしなければならないと、太陽政策であると言う立場を取っている事です。
長い間交渉のテーブルにさえつかなかった北朝鮮をテーブルにつかせて、いろいろな話し合いをして協力をしていくためには北朝鮮を刺激してはならないと、彼らが嫌がる事を言ってはならないというのが我が国の現政権の姿勢です。
無条件で北朝鮮を支援すればいつか北朝鮮も心を変えてくるのではないか?と言うのがわが国政府の今の方針です。
しかし、その様な政策が多くの国民を我々野党の立場からすると、賢くて効果のある政策なのかどうか?疑問が多いのです。

問題が複雑な時は原則に帰るべきだと信じます。
国家が存在する理由は我々人間の人権を尊重し守るために存在理由があるのです。
では、人権をどの程度保障するのか?守るのか?と言うことを決める権限は、国家や政府にありません。
ですから、和解と協力を進めるに当たってですね。
もしもその和解と協力の政策が人権侵害に当たるとすれば、今まで結んできた様々な協定や約束は無効である、と言うふうにいえるんだと思います。

ですから和解と協力のために何か約束をしたとすればそれはですね。
それによって人権が大切にされ、人間らしい生活が出来るようになる為の目的でなければならないと言う事です。
ですからどのような関係の中にあったとしても、拉致問題は最優先で先に解決してそして次に取り組むと言う姿勢でなければならないと言う事です。
そうしないとですね。
問題が複雑になり、そして最終的に解決できないようになってしまうかもしれないという事です。

ここにいらっしゃいます、日本の友人の皆さん。
そして心が痛い、拉致被害者家族の皆さん。
これからは日本と韓国、韓国と日本がこの問題についてひとつの心になって解決して行こうではありませんか。

私の古い友人である中川(正春 自民党・衆議院議員)先生は、この問題について私と全く同じ立場でいらっしゃいます。
昨日の夜、私は韓国から「これから日本に行かなければなりませんか?」と中川先生に聞いたところ、中川先生は「来なきゃならない」と仰ったので来ました。(笑い声、拍手)
そして、私は中川先生にが来てくださいといえば、中川先生、いくら忙しくても来てくださるんです。
ですから兄弟のようになっています。

我々がひとつの心になれるのは人権問題を考える時になれるのです。
日本と韓国、韓国と日本の間には解決するべき多くの問題がありますけども、私たちのようなひとつの心になれば多くの問題が解決できると、私は信じます。

そしてもうひとつ私が言いたいことは中国を動かさなければならないという事です。
私たちがいくら圧力を加えても後ろの門が開いていては何もならない訳です。
2008年に北京でオリンピックをするときですね。
この問題について中国が我々と同じ考えを持たないならば、我々も別の行動をするかもしれないという事を明確に中国に伝える必要があると思うんです。(拍手)

なぜならば、オリンピック精神と言うのは一人の人間として自由に走り飛ぶというものであります。
ところがこの拉致問題を無視して、中国で人間らしく人間がスポーツをする事が出来るのか?その精神が守られるのか?と言う事です。
中国がオリンピックをするに当たって、オリンピック精神に基づいて、我々にくれなければならないプレゼントを準備しておくべきだと考えます。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)

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日韓連帯東京集会(4)

日韓連帯東京集会(4) 

   『崔祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長 講演』

★司会 西岡力氏

続いて日本でもおなじみの崔祐英会長にお願いします。

★崔祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長

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皆様こんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)
今日は東京の天気が雨が降って大変なんですけど、こんなに多くの方々がいらっしゃって本当にありがとうございます。
私は韓国語でも良いんですけど、皆様にもっと韓国の状況を話したいと思って、今から下手な日本語なんですけど、よろしくお願いします。(拍手)

私は初めて韓国で家族会を作った理由はひとつ、愛しているお父さん拉致されたお父さんが生存を信じて待っていたのに、結局お父さんは北朝鮮の酷い所、政治犯収容所にいる事が分かりました。
それに対して政府を訪問したり、いろいろな人権団体に訪問して訴えたんですけど、力が全然無かったでした。
それで本当に傷ついてガッカリした途中で、私は日本の被害者(の集まりの)事を知って、日本の東京の大集会に初めて参加して、それで家族会が被害者じゃなくて救う会のいろいろの方が力を会わせて訴える所を見て、希望を持って韓国に戻って家族会を作りました。

その時は私は短い時間に、私が訴えたら日本のように救う会の方々の(ような支援者の)人が、韓国にも必ず出てくると信じました。
しかし今6年過ぎても韓国には拉致問題の専門的な支援団体ひとつ無い、と言う事です。
信じられない事ですし、想像できないことなんですけど、韓国には専門支援団体が余り無いんです。

しかし拉致被害者の問題じゃなくて、脱北者・北朝鮮の人権団体の問題は15以上あります。
韓国には拉致被害者の問題は北朝鮮の人権問題よりももっと(関心が)薄いの意味があります。
なぜ?なぜどうして?韓国の拉致被害者なのに。
私たちはお父さんが息子が拉致されて、でも私たちはみんな税金を払って、それから韓国人は男は軍隊に入ります。
入って国民としての義務を全部尽くしたのに、どうして?どうして韓国には拉致じゃなくて、北朝鮮の人権問題に対してだけ関心が深いのか?
それが分からないんです。
今でも分からないんです。

ずっと私は韓国の被害者、特に北朝鮮に被害者。
例えば・・・・・・・・(聞き取れず)の被害者もあるし、それから・・・(聞き取れず)の朝鮮の死んだ人軍隊もあるし、いろいろ北朝鮮から人権問題に対して傷ついた国民がいるんですけど、これは全部今はなくなったんです。
彼らは全部韓国に住んでいますけど、どんな声にも訴えないんです。
北朝鮮からの被害者方はみんな黙っています。
なぜか?と。
どんなに、どうしてもどうしても訴えても、それがしょうがない。
帰らないと思っています。
私及び家族会の方々が訴えたのに、他の人からそういいます。
頑張ってください、けどそれが出来ない事かもしれない。
そういう冷たい支持を送られました。

2000年の時、今傍にいらっしゃる方なんですけど、本当に拉致被害者の問題に対して大事な方です。
趙甲済先生は2000年度に北朝鮮から脱出した李在根さんが中国で国家に助けてくださいと言ったんですけど、国家が無視して、李在根さんに韓国に税金を送った事がありますか?とか、どうして国家にこんな事を助けてくれるか?と言う冷たい質問を受けました。
その時月刊朝鮮の対応なんですけど、その時記者とそれからお金を出して彼を助けてくれました。

それで韓国の戦争以後の拉致問題は、ほとんど海上で拉致された方々が90%以上です。
彼らはみんな海で拉致されたので、マスコミに余り出ていないんです。
その時から月刊朝鮮はそんな事に対して取材をしました。
その時にはもちろん政府はその拉致問題に対して情報を持っていますけど、今まで55人が情報を公開してないんです。
韓国の拉致問題は55人がこんなに悪くなる事は言えません。

前にお話した李美一会長のお話したとおり、戦争以後の拉致被害者も政府から何か危害を受けられるし、それから拉致された人は北朝鮮から人権を侵害されました。
しかし93年までは拉致被害者の問題は国民の間には余り知らないことなんですけど、政府は南北長官会談があるときに、必ず拉致問題に対して一言しました。
しかし、北朝鮮は非転向長期囚の問題を必ず最優先の話題に持ってきますから、いつも対立してその問題が解決しなかったんです。
しかし韓国は本当に積極的に拉致問題に対して北朝鮮に訴えるより、北朝鮮から非転向長期囚の問題を出すから、それに対して対応的な面として韓国の拉致被害者の問題が話題になりました。

2000年度になって、金大中大統領は韓国じゃなくて北朝鮮にも太陽政策をしようという政策を発表して、韓国には統一の話題の雰囲気が盛り上がりました。
その時私たちは大統領として非転向長期囚の人権問題を言及する方ですから、私家族のみんな期待したんですけど、結局は一言も北朝鮮に行って結局一言も言わなかったでした。
6年、太陽政策が出来て6年過ぎましたけど、私たちは生死確認さえ家族会一人も、国家として取り戻すことが出来なかったんです。

私はこの社会を信じてはお父さんは死ぬまで、生きている間には取り戻すことが出来ないと思っていました。
それで昨年10月26日、お父さんの60回目のお誕生日を迎えて、金正日主席に手紙を公開して報告しました。
その内容は金正日主席は金日成お父さんのために、いろいろな記念日を作られたり、それから数年の間にいろいろ記念の事業を行われているなんです。
それで息子の立場で、それから金正日主席の息子がいる事があるし、娘のいる家長として韓国の拉致被害者を考えてください。
一番良いのはお父さんを送還する事が良いなんですけども、それが出来ないならば必ずお誕生日の日に美味しい食べ物を作られてくださいと、手紙をお送りしました。
それを読んで韓国にはいろいろな方々から応援されて、それから韓国の拉致問題に対して関心が深くなりました。

それでお父さんがまさか、来るかもしれないと言う強い期待を持つようになりました。
それが夢だったんですけど、結局は夢だったんですけど、昨年はそう感じられました。
それで3・6線の近くに、木の傍にイエローハンカチをかけました。
お父さんが送還される、帰るときに、私の家族が愛して忘れないで待っている事を知らせる為に、イエローハンカチをかけました。
それが韓国のイエローリボンの運動の、韓国の由来でした。
もちろんそのイエローリボンは、日本のイラク戦争に軍隊の無事帰還のためにイエローリボン運動がある事を分かりました。
それでアメリカの小説にもそんなイエローハンカチの内容があるし、イエローリボンと言う・・・(聞き取れず)もあるそうです。

しかし韓国には拉致問題が被害者中心としてこれをするから、それが力が弱いです。
6年間、日本の救う会が(全国に)37個が出来たのに、何故?韓国には専門救う会が一つも出てこないか?
それで2番目は、最近は韓国でいろいろな方が私に、拉致問題に対して聞きにいらっしゃいます。
私に、どうして拉致問題を解決しますか?
解決法はなんですか?
私は被害者なんですけど、皆さん、いろいろな方は解決のために私に相談しに来ます。

実はその方は私を見て私の話を聞いて、今までは大丈夫、私たちが知っているから、私たちが助けてあげます、頑張りましょう、と言う言葉を聞きたいんです。
今の韓国の状況はわたしとそれから李美一会長が、拉致問題に対して説明する状況です。

惜しい事は、日本の拉致問題は本当に活発だし、それから今・・・(聞き取れず)も今日いらっしゃる事が見えます。
全国いろいろな方がいらっしゃって、日本の拉致問題じゃなくて韓国の拉致問題に対して、韓国人よりもっと関心を持っていらっしゃって本当に感動して頂きます。
それで日本の活動に対して韓国語であんまり翻訳した事が無いんです。
韓国の方々に日本の運動の状況に対して、何か教える事が必要だと思います。

しかし今日は本当に良い日でした。
意味がある日でした。
今日は被害者でなくて、韓国からハンナラ党の脱北者人権特別委員会の委員長・黄祐呂議員と、それから宋永仙幹事長が一緒にいらっしゃって本当に心が良いです。
それでこの日まで家族会の方々、救う会の方々、日本のマスコミの方々がいらっしゃるから今日があると思います。
本当にありがとうございます。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考過去記事

★韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(4)05.10.20 日本青年館にて
『崔祐英(チェ・ウヨン) 拉北者協議会会長のお話(通訳・西岡力氏)』
http://piron326.seesaa.net/article/8846528.html


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日韓連帯東京集会(3)

  『李美一 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表 講演』

★司会 西岡力氏

それでは集会の本題に入りまして、まず韓国のご家族から訴えをして頂きたいと思います。
韓国の拉致は、何度も言いますように朝鮮戦争中の拉致と戦後の拉致があります。
朝鮮戦争中の拉致についてはそこに数字が出ておりますけれども、82959と。
これは韓国政府の調査の結果です。
その事について実はアメリカの議会は、今お話をしていただく李美一さんを横田早紀江さんと一緒に呼んで、証言を聞いています。
まず、朝鮮戦争のときの家族会の代表の李美一理事長にお話をお伺いしたいと思います。

★李美一 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表(通訳:西岡力氏)

0000799m

皆さんお会い出来て嬉しいです。
特にこの席には、日本の一般の国民の方というよりも、積極的に拉致問題解決運動に取り組んでいらっしゃる方々がいると聞いております。
韓国の拉致問題は、まだ積極的な世論が展開されるまでに至っていない背景について説明します。

まず過去の問題から話したいと思います。
私たち朝鮮戦争中の拉致の被害者は主として1950年の6月25日の戦争勃発から同じ年の9月28日、ソウルが再び国連軍によって奪還されるまでの間に、拉致された被害者が大部分です。
1952年に韓国政府がその期間に拉致された人たちの調査をしまして、そこにある82959人と言う名簿を作りました。
その名簿を今日いらっしゃった趙甲済社長の月刊朝鮮から本として出版しました。

何故このような多くの拉致被害者が出たか?と言う事ですが、まず終戦になった後、北では社会主義体制がそして南では自由民主主義体制が出来たわけです。
そして北では私有財産を没収すると言う事が起きました。
地主や企業家、あるいは言論人・宗教人に対する粛清が始まり、その結果300万人と言う人たちが難民となって南に逃げてきました。

1946年に金日成は自分の名前を付けた金日成大学と言う大学を作りましたが、学者が足りないといって南から学者を連れて来いという指示を1946年7月30日付で出しております。
ですから戦争前に彼らは連れてくるべき有名人士の名簿を作っていたわけです。

戦争が勃発した後最初にした事が、政治家それから有名人の拉致でした。
そしてその後は戦争の後の国土開発に使う労働力、あるいは北朝鮮兵として前線に送るための所謂義勇兵の募集という形で青年たちに対する拉致が行われました。

今のような家族会は実は1954年の9月に、ソウルが再び修復された後に集まり始めて、57年に正式に発足しました。
そして家族会はまず、名簿作成から作業を始めたわけです。
そしてその名簿を国会議長に送ったり、あるいは在韓米大使に送ったり、国連に送ったりしました。
休戦会談の中で南側が拉致被害者を送還せよと何回も要求したにも拘らず、北側は拉致などしていないと拒否したのです。

その時の韓国の家族会は実は母親が中心だったんです。
私の母親の世代で、夫を取られた人・息子を取られた母親が立ち上がって53年7月に休戦協定が成立した後ですね。
数千人規模のデモを二回行っています。
韓国の国会にも請願書を出したりですね。
あるいは国連の代表が韓国を訪れた時に、その人たちに食事の接待をしてそこで家族の気持ちを聞いて頂いたりなどの活動をしたということです。

その後新しい局面が生まれます。
それは北朝鮮が若者・青年たちを拉致していった、その青年たちをスパイ教育をして南に再び送って来たという事です。
50年年代の末からそういうことが起きます。
そうしましたらば、韓国政府は我々を助けてくれるどころか、我々がスパイの関係者だと言う事で家族連座制を適用して監視と差別を受けるようになりました。

ですから私たちは、北朝鮮から拉致されそしてスパイにされるという二重の被害を受け、そして南からは監視されるという三重の被害を受けたということです。
これが朝鮮半島で起きた冷戦時代の状況でした。
私たちはその様な特殊状況を受け入れるしかなかったのです。

1964年、赤十字社とそして朝鮮日報が、拉致被害者救出のための国民署名運動を行って、その署名を国連に送りました。
その時でも、実は大統領から始まって各界の代表的な方々がみんな署名をしてくれました。

私たちのその様な問題が、しかし表面から出なくなってしまった理由は、第一に冷戦時代の構造があったということです。
そして二つ目の理由は北朝鮮が休戦後も新しい拉致を始めたということです。
当然政府としては現在進行形で起きている拉致についてまず対処せざるを得なくなって、戦中の拉致の問題は忘れ去られていったのです。

当時の家族会の運動の記録が政府の資料館から出てきたんですが、それを見ますと当時の家族会は在日朝鮮人の北送反対運動にも参加していますし、拉致被害者が何人か帰って来たときの歓迎大会にも参加しています。
そして80年代の中盤に(家族)連座制が解除されるまで、私たちはその様な状況に置かれていたわけです。
私たちはまた冷戦の中でそのような状況をある程度理解する事が出来たんです。
それは戦争を経験した世代として、共産主義がいかに恐ろしい物であるか?と言う事を体で体験した世代だったからです。

当時はそして南北で対話が無かったわけですが、2000年代になって金大中政権で南北首脳会談が開かれたと。
ここで話題になるんじゃないか?と私たちは大変期待をしたわけです。
なぜなら金大中大統領は戦争も体験した方だし、自分自身も拉致を体験した方なので、拉致された者とその家族の苦しみがどのようなものなのかと言う事を、よく理解してくださっているだろうと期待したからです。

しかし大統領は戦中の拉致被害者については一言も、言及さえもしなかったのです。
480何人の戦後の拉致被害者だけ言及されたという事です。
我々が訴えたところですね。
あなた方の問題は南北の和解が進んで対話が進み、一番最後に取り上げるという回答が来ただけでした。

韓国の拉致問題が何故このように支離滅裂で成果が上げられないのか?と。
それは現時点の政権に問題があると思っています。
もちろん日本の拉致救出運動のように、このような組織的な運動が無いということもひとつの理由でしょう。
そしてここにいらっしゃる皆さんのように、他人の人権についても本当に大切だと思ってくださる方たちが、韓国にはまだ少ないと言う事です。

しかし幸いな事に、戦後の拉致被害者家族と日本の家族会との連帯・交流が韓国のマスコミに報道される事によって、韓国国民の関心が高まって来ています。
一番大切なのは国民の声です。
国民の心・国民の願いがどこにあるか?ですが、実は戦争中の拉致被害者については言論の報道が無いのです。
言論はいつも問題を探し、そして特ダネを追います。
戦争中の拉致被害者は自力で脱出した人はまだ一人もいません。

私たちは重要な資料をこの4年間、多く発掘いたしました。
資料を発掘しましてマスコミに公開しますと、その資料の価値その物よりも、これは特ダネなのか?そうではないのか?と言うところにばかり関心を持ちます。
まだ韓国では資料の大切さ・重要さを分かっていないのです。

私の以上の説明で韓国で、何故?拉致救出運動が盛り上がらないか?という事の背景がご理解頂けたのではないかと思います。
私は今後も韓国で多くのNGOと協力をし団結をしながら、ひとつの組織の責任者として努力を続けていくことを約束致します。
皆さんの関心に大変感謝いたします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考過去記事

救出のために日米韓連帯を!東京集会より
05.11.23 友愛会館にて

★『李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』
http://piron326.seesaa.net/article/10683736.html

★『李美一 朝鮮戦争拉北者人士家族協議会理事長のお話(通訳・西岡氏)』
http://piron326.seesaa.net/article/10719896.html
   


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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日韓連帯東京集会(2)

  『横田滋 家族会代表 挨拶』

0000798m

皆様、こんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)
本日の日韓の連帯の集会、そして明日開かれます国民大集会に韓国からの方をお招き致しました。
それで西岡副会長の挨拶に尽きるわけですが、やはり日本の場合は国会議員の方、それから家族の方、韓国からお見えになった方が多い物ですから。
お一人の方からお話を伺えるというのは4~5分と言うか、それくらいしかありませんので、それだけでは折角お出で頂いたのに意味が少ないということで、前日に会を開いて韓国の実情を、何故被害者が多いにも拘らず、政府が余り熱心でなかったのか?と言うことについて、我々も一緒に学んでいきたいと思っています。

それで、韓国は関心が薄いといいますが、今月の15日~17日までソウルに行ってまいりましたが、やはりマスコミの方の取材と言うのは非常に多くて、関心が高いということ。
それからめぐみの夫であるキム・チョルジュンさんが、韓国から拉致された高校生である金英男さんであると言う事が、日本では4月の11日に発表されたわけですが。
それと同じ事を韓国でも最高検察庁みたいなところとそれからソウル大学で(DNA)鑑定をした結果、日本と同じような結果が出ました。
それでまた、そういう事になりますと、韓国の世論もまた高くなると思いますし、それらに乗って政府もいろいろ動いてくるんじゃないかと期待をしております。

これから韓国の実情を皆様と一緒にお聞きして、これからどうすれば連帯で拉致が解決できるか?と言う事についてご教示を頂きたいと思っております。


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日韓連帯東京集会(1)

日韓連帯東京集会(1) 

『西岡力 救う会副会長 挨拶』

0000797m

皆さん、こんにちは。
予定の時間を少し過ぎましたので、「日韓連帯で全ての拉致被害者を救出するぞ!東京集会」を始めたいと思います。
今日は、私が司会兼通訳をさせて頂きます。
救う会の常任副会長であります、西岡でございます。
よろしくお願い致します。(拍手)

実は私たちは、日韓連帯拉致被害者救出集会を開くのは3回目です。
昨年の10月(※1)と11月(※2)にやはり東京で集会を開いてきました。
10月には朝鮮戦争後の約500人以上と言われる拉致被害者の問題を取り上げ、その家族会に来て頂きましたし、11月には朝鮮戦争中の民間人拉致の被害者の家族会にも来ていただきまして、集会を致しました。

そして金英男さんが横田めぐみさんと結婚生活をして娘さんを持たれたという事が判明致しまして、日本社会で韓国人拉致についての関心が今大変高まっている中で、今日の3回目の集会を持つことになりました。

残念ながら、この席には金英男さんの家族はお招きする事は出来ませんでしたけども、今日の集会では金英男さんと横田さん御家族の出会いという問題ではなくて、今日本で大きく感じている疑問について考えたいと思っています。

その疑問とは、韓国には日本と比べられないくらい多くの拉致被害者がいるのに、何故今韓国政府は拉致問題に積極的に取り組んでいないのか?
いないように見えるのか?
韓国のマスコミは日本に比べて拉致問題の報道が小さいのか?
韓国の国民は被害者の家族を助けようという姿勢が日本と比べて小さいのか?
と言う疑問です。

そこで今日は、特に韓国から国会議員の先生も二人来てくださいました。
実は韓国は今、大統領選の前哨戦として一番大切な統一地方選挙の真っ只中で、3日後に投票日で。
尚且つハンナラ党は党首がテロに遭って、選挙戦を戦えないという非常事態の中で。
しかしハンナラ党は前回私どもがソウルに行ったときに、ハンナラ党として拉致問題を最優先課題にすると言ってくださって、忙しい中二人の先生が来てくださいました。

そこで、今日はですね。
特に声をかけたのが全国の救う会の仲間たち、あるいは政治家の秘書の方たちや、これまでも何回も集会に来てくださっている人たちで、拉致が大変な事なんだという事はすでにもう分かっていて、どうしたら解決できるか?と、いう事に関心を持っている人たちに集まって頂きまして、韓国と連帯するためには今韓国の拉致はどうなっているのか?と。
韓国の拉致問題を分かるためには、韓国の社会そのもの、韓国政治を分からなくちゃいけない。
私たちは勉強をしようと思ってこの席を作りました。
ですから韓国から来た方々にゆっくりとお話をして頂いて、それを聞いて日本の家族の人たちから質問をしていただいたり、皆さんから質問をしていただくというふうにしたいと思います。

その様な趣旨で集会を持たせていただきますが、まず主催者を代表致しまして、横田滋家族会代表から挨拶をいただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★筆者注

※1=韓国人拉致被害者も救うぞ!東京連続集会12 (05.10.20 日本青年館にて)
※2=救出のために日米韓連帯を!東京連続集会13 (05.11.23 友愛会館にて)


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2006年6月 9日 (金)

(1)沖縄県に関係する特定失踪者

この資料は、特定失踪者問題調査会のリストを参考に各県別に、その県に関係する失踪者をまとめていきます。

(1)沖縄県に関係する特定失踪者リスト

■公開リスト詳細(検索結果)

52kawamitsu_6    川満 敏弘(昭和47(1972)年)

氏名 川満 敏弘 失踪年月日 昭和47(1972)年5月
ふりがな かわみつ としひろ 生年月日 昭和13(1948)年11月3日
性別 当時の年齢 33
身長 体重
公開 第3次公開
当時の身分 自動車メーカーのの季節労働者
特徴
失踪場所 愛知県名古屋市?
失踪状況 季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。その後消息不明。

97huse_3 1000番台リスト(昭和52(1977)年

氏名 布施 範行 失踪年月日 昭和52(1977)年3月
ふりがな ふせ のりゆき 生年月日 昭和29(1954)年2月9日
性別 当時の年齢 24
身長 180センチ 体重
公開 第2次公開
当時の身分 アルバイト(プレハブ工事現場)
特徴 やせ型
失踪場所 不詳
失踪状況 3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。

昭和52(1977)年227_3
氏名 仲里 次弘 失踪年月日 昭和52(1977)年5月
ふりがな なかざと つぐひろ 生年月日 昭和25(1950)年11月15日
性別 当時の年齢 26
身長 161~2センチ 体重
公開 第12次公開
当時の身分 自動車会社季節工終了後
特徴
失踪場所 不明
失踪状況 "陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。2002年8月に男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。""""ちゅうさん""""と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。"

93kinnkawa_2 昭和52(1977)年
氏名 金武川 栄輝 失踪年月日 昭和52(1977)年11月24日
ふりがな きんがわ えいき 生年月日 昭和26(1951)年2月9日
性別 当時の年齢 26
身長 164センチ 体重 64キロ
公開 第1次公開
当時の身分 漁船員(甲板員)
特徴 右目か左目かのどちらかの目の白目のところに米粒半分位の茶色の斑点があった。バレーボールが得意、中学校で指導していた。機械をいじるのが好き。
失踪場所 沖縄南方海上
失踪状況 乗組員7名が失踪。マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。12月20日頃帰る予定が戻らず。第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

昭和52(1977)年94makishi_2
氏名 牧志 孝司 失踪年月日 昭和52(1977)年11月24日
ふりがな まきし たかし 生年月日 昭和12(1937)年11月9日
性別 当時の年齢 40
身長 体重
公開 第2次公開
当時の身分 漁船員(船長)
特徴
失踪場所 沖縄南方海上
失踪状況 乗組員7名が失踪。マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。12月20日頃帰る予定が戻らず。第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

95tajima_2昭和52(1977)年

氏名 田島 清光 失踪年月日 昭和52(1977)年11月24日
ふりがな たじま せいこう 生年月日 昭和6(1931)年5月19日
性別 当時の年齢 46
身長 174センチ 体重 71キロ
公開 第2次公開
当時の身分 漁船員(漁労長)
特徴
失踪場所 沖縄南方海上
失踪状況 乗組員7名が失踪。マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。12月20日頃帰る予定が戻らず。第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

96gima_2 昭和52(1977)年
氏名 儀間 隆 失踪年月日 昭和52(1977)年11月24日
ふりがな ぎま たかし 生年月日 昭和17(1942)年10月2日
性別 当時の年齢 35
身長 170センチ 体重
公開 第2次公開
当時の身分 漁船員(甲板員)
特徴
失踪場所 沖縄南方海上
失踪状況 乗組員7名が失踪。マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。12月20日頃帰る予定が戻らず。第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

117hara_2 昭和58(1983)年
氏名 原 哲也 失踪年月日 昭和58(1983)年3月
ふりがな はら てつや 生年月日 昭和37(1962)年5月22日
性別 当時の年齢 20
身長 158センチ 体重 42キロ
公開 第3次公開
当時の身分 無職食品会社を退職した直後
特徴 喫煙飲酒少々。胸に縦10センチ位のキズあり、左足の太ももに手のひら大のおできの痕。
失踪場所 沖縄県。東京都江戸川区に居住。
失踪状況 3月初め、友人と二人で沖縄に行き、知人宅に寄った後、消息不明。

126shimoji_2 昭和60(1985)年
氏名 下地 才喜 失踪年月日 昭和60(1985)年4月
ふりがな しもじ さいき 生年月日 昭和37(1962)年7月10日
性別 当時の年齢 22
身長 165センチ 体重
公開 第3次公開
当時の身分 アルバイト
特徴
失踪場所 東京?
失踪状況 東京都内の居酒屋でアルバイトをしていた。昭和60年4月に「ラジカセを月賦で買うから保証人になってほしい」と母親に電話したのを最後に行方がわからず。出身は沖縄県那覇市。

141sakiyama_2 昭和63(1988)年
氏名 崎山 実 失踪年月日 昭和63(1988)年11月24日
ふりがな さきやま みのる 生年月日 昭和39(1964)年5月24日
性別 当時の年齢 24
身長 体重
公開 第4次公開
当時の身分 会社員
特徴 小柄。猫背ぎみ。八重歯。
失踪場所 大阪府
失踪状況 突然家族との連絡がとれなくなった。部屋へ行ってみると荷物はそのままだった。沖縄出身。

259tomikawa_2 平成6(1994)年

氏名 富川 久子 失踪年月日 平成6(1994)年2月14日
ふりがな とみかわ ひさこ 生年月日 昭和33(1958)年2月18日
性別 当時の年齢 35
身長 体重
公開 第23次公開
当時の身分 主婦
特徴
失踪場所 沖縄県石垣市
失踪状況 失踪当日、ゴルフ練習所に勤める友人女性とゴルフ場にて子供づれで会った。友人に「今日はバレンタイン・デーだからご主人にチョコレートを買ってきたら」と勧められ、子どもを友人に預けて、近所のスーパー・マーケットに行くため自分の車で練習所を出たまま失踪。本人の車は、翌日、石垣島北西部の御神岬の灯台で発見された。所持品でなくなったものは本人の免許証のみだった。子どものためのミルクなどの買い物は車内に残っていたが、チョコレートは発見されていない。

特定失踪者問題調査会
2006/06/08 現在
URL:http://chosa-kai.jp/cgi-bin/address/list3.cgi

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2006年6月 7日 (水)

国民大集会(28)閉会佐藤勝巳氏

『佐藤勝巳 救う会会長 閉会の辞』

★司会 櫻井よしこ氏

時間も迫ってきました。
ここで救う会の会長であります、佐藤勝巳よりご挨拶申し上げます。

★佐藤勝巳 救う会会長

0000793m

紹介を頂きました佐藤でございます。
事務局から1分で閉会の挨拶をしろと(笑い声)言われていますので、これから1分でやります。

本日の集会を聞いておりまして、政府ならびに政治家の発言が非常にトーンが高くなっておりまして(拍手)、私のような年寄りはぼちぼち引退をした方がいいんじゃないかと言う事がまずひとつ。

それからご案内のように日韓の関係は過去の歴史であるとか、靖国の問題であるとか、竹島の問題であるとかでギスギスと対立を致しておりますが、人権と言う一点においては完全に日韓は連帯は可能であるなと、言う確信を致しました。(拍手)

それから家族の皆さん、まぁ哲也君や拓也君のような若い人は別にしまして、そうでない家族の方々はご案内のようにかなり疲れております。
どうしても早い時期に問題を解決をしなければならない。
近頃痛感を致しております。
そのためには、断固として経済制裁を発動する以外に無い。(拍手)
確信を致しています。

本日はたくさんの皆さんにお集まりいただきまして、ありがとうございました。(拍手)
だいたい1分で終わったと思います。(拍手)

★櫻井よしこ氏

皆さん、本当にありがとうございました。
壇上からこの国会議員の皆様方、家族の皆様方、全員でお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。(壇上の登壇者起立して会場に会釈、会場から拍手)
ありがとうございました。(拍手)

今年中に問題解決を心に誓って、どうぞ皆さん、お足元に気をつけながらお帰りください。(拍手)
本当にありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・


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国民大集会(27)

  『松原仁 拉致議連事務局長代理 大会声明朗読』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、拉致議連の事務局長代理、民主党の松原仁さんに、大会声明を読んで頂きたいと思います。
松原仁さん。(拍手)

0000792m

★松原仁 拉致議連事務局長代理

決議案

 多くの拉致被害者が北朝鮮にいるのを分かっていながら救出できず、今年もまた、私たちは国民大集会を開いた。なぜ、助けられないのか、口惜しくて、悲しくてたまらない。

 それでも、国際連帯と制裁による圧力という二つの柱を掲げた私たちの運動はこの1年で大きな成果を挙げた。

 金正日が世界12カ国から拉致を行っているという驚くべき事実が明らかになった。また、横田早紀江さんが米議会で証言し、ブッシュ大統領との感動的な会見を行ったことも記憶に新しい。日韓の拉致運動の連帯も強化された。

 日本政府も拉致問題特命チームを中心に法適用厳格化などで強い圧力を加え始めたし、米国が昨年9月に実施した金融制裁は大きな効果を上げている。

 窮地に追い込まれた金正日政権がどのような反撃に出てくるのか、予断を許さない緊迫した局面が生まれている。

 私たちは今、北朝鮮の地で助けを待っている被害者に向かい「あともう少しです、元気で待っていてください」という心からのメッセージを送りながら、次の3点を強く要求する。

1 金正日政権はすべての拉致被害者を即刻返せ。

2 小泉首相は、北朝鮮への制裁を発動してすべての被害者を救出するという強い国家意思を示せ。(拍手)

3 韓国盧武鉉政権、中国の共産党政権は、拉致というテロへの加担を意味する金正日への支援を中断せよ。(拍手)

平成18年5月28日
小泉首相の決断と、今年中に拉致被害者全員救出を求める国民大集会参加者一同

以上であります。(拍手)
よろしくお願いします。(拍手)

(※大会声明の部分は、救う会メールニュースより転載)

★櫻井よしこ氏

皆様の絶大なる拍手で小泉首相のみならず、韓国政府ならびに中国政府に突きつけたこの大会声明、ご了承いただいたものと判断いたします。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)


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国民大集会(26) 家族の訴え(7) 

   『寺越昭男さん (司会進行:増元照明氏)』

★増元照明氏

寺越さんお願いします。

★寺越昭男さん1149572357

私たちが声を上げてもう、3年と7ヶ月になります。
この間、県警に告訴したり、アメリカの下院で法案に明記されたり、成果はありました。
しかし、日本の中では何ひとつ解決されていません。
なんででしょうか?

ある国会議員の先生が今北朝鮮にいる武志のお母さんに、
「武志君は偉くなった、お母さんはいつでも行きたい時に行ける、だからそれでいいんじゃないか?」

ではもし、私の父親は殺されたかも分からない。
じゃあ父親の人権はどうなるんだ?
北朝鮮で亡くなった叔父の外雄さん、そしてその家族はどうなるんだ?(拍手)
そういう事を国会の先生方、そして政府の先生方に理解をして頂きたいと思います。

先日16日、小泉総理が石川県の方に観光視察に参りました。
私はよっぽど能登空港まで行って、総理に「事件の現場を視察して頂きたい」と言おうかと思いました。
まぁ、思い止まりましたけど、総理にお願いしたいと思います。
寺越事件の拉致認定だけじゃなく、ここにおられる特定失踪者の方、そして来られなかった特定失踪者の方の、間違ってもいい。
全部を拉致認定して、国際世論の中にもアピールして頂きたいと思います。(拍手)
それが金正日政権のまた違った面での圧力になると思ってますので、皆さんよろしくお願いします。(拍手)

★増元照明氏

1149572129

今日は浜本雄幸さんと地村保さんがお出でになっておられますが、(地村さんマイクを握って話し始めようとする)あのちょっと待ってください。(会場笑い声)
時間が無いので、宜しいですか?すみません。
あの、お出でになっておられますけれども、一応立って御挨拶を(拍手)、これからも一緒に戦っていって頂く・・・・。(拍手で聞き取れず。浜本さん・地村さん会場に向かって会釈、更に拍手)
ありがとうございました。

これほど私たちに力を貸してくださっている皆さんに、感謝申し上げます。
しかし、これだけの国会議員がいて、県議会議員で議連が出来て、地方議員もいて、何故3年半も経ってまだ何もひとつも解決できないのか?
なぜ?政府は制裁も出来ないのか?
私は説明できません。
ただ一人の愛の無い宰相の為だけでしょうか?
それだけでは無いと思います。
やはり私どもの本気度も足りないのかもしれません。
一緒に戦ってください。
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

どうもありがとうございました。
そして先ほどこの会場に駆けつけてくださった、参議院議員で北朝鮮による拉致問題等特別委員長の広野允史(ただし)さんをご紹介します。
どうもありがとうございます。(拍手)


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国民大集会(25)家族の訴え(6))

『家族の訴え(6) 斉藤文代さん (司会進行:増元照明氏)』

★増元照明氏

次、お願いします。

★斉藤文代さん

0000790m

私は松木薫の姉の斉藤です。
ちょっと短めにお話をさせて頂きます。(笑い声)

私に何が出来るのかと思いまして、5月の9日よりノルウェーのベルゲンの方の国際会議の方に行かせて頂ました。
私たちの家族だけでなく、日本だけでなく、世界からも拉致されています。
本当に私たちの家族以上に皆さん苦しみが本当にもう膨らんで、風船がパンと弾けて皆さんどこに行っていいものかと、分からないような状態になっております。
本当にこれは時間の問題なのです。
私たちの家族もそうです。
皆さんも高齢化が進んでおります。

ですからなんとしてでも欧州の国から世界の方に声を広めて頂きまして、拉致問題が一日も早く解決ができますようにと言う事を、私は一生懸命お願いをしてまいりました。(拍手)
斎賀大使にお願いをしてまいりました。(拍手)
またそれに応えて頂きまして、いろんな自分の持ち時間を割きましてお話をしていただいた事に、私は本当に感謝しております。
どうか政府の皆様方も力を振り絞って、今年中にでもなんとしてでも解決の道に近づけて頂きたいと私は願っております。(拍手)
どうぞよろしくお願いします。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年6月 6日 (火)

国民大集会(24) 家族の訴え(5)

  『 有本明弘さん (司会進行:増元照明氏)』

★増元照明氏

有本家、お願いします。

★有本明弘さん

わずか2分と言うお話なので(笑い声)、何を言っていいのか分かりませんが。
お昼の空いた時間に、安倍さんに総理になって頂きたい。(拍手)
それが私たちの願いである。
それでもって、安倍さんに総理になってもらいたい。
共通の思いを持っている方に2時間ばかりいろいろお話をしました。

それはどんな話かと申しますと、我が国のメディアがこれがおかしいと言うお話から入りました。
急かされますので(笑い声)、共同通信が20何社という、自民党関連する行事の・・・(聞き取れず)に談合したのか、それとも共謀して誘って北朝鮮を訪朝したのか?
これはメディアの社長の倫理観を問う大きな問題なんです。(拍手)

それに対して我が国ではこれに対して誰も物が言えない。
警察にも意見をぶつけましたが警察は関与できないと言う話で、それならばこれの監督官庁は言うべき問題だと言う事をお聞きしましたが、どうもそれにもハッキリとお答えが無かった。

それで私は今ここにおられる議会の先生方に、この倫理観に外れた日本の国のメディアのどういうふうにして物を言って頂けるのか?
法的にはそれはあるのか無いのか?
そういう事も議連の先生方に、お尋ねしたい。
我が国は今法律を自民党が通そうとしています。
それはどんな法律かといいますと、共謀罪。
それと憲法改正の国民投票法案に関するメディア規制と言うのがあるんです。
これはメディアはこぞってこれに反対して、この法案が尻すぼみに現在なっとるんです。(増元さん、有本さんの横に来て話を短く切り上げるように催促の姿勢、会場笑い声)

だから(拍手)、これを強硬に国会で上げるべきだと、こういうお話を申し上げました。
なぜならば、メディアの事件で国会の立法府の人がそれに従うと言う事はあってはならないことなんです。(拍手)
強行採決してでもこれをやってもらいたい、と言うこともお話しました。(拍手)

なぜなら(笑い声、「お父さん言いたいこと分かったよ」の声)、国民投票法が施行されても絶対法律は通らない。
このメディアがある限りは。(笑い声)
そういう事をお話しました。
以上です。(拍手)
   

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国民大集会(23)家族の訴え(4)

   『 市川龍子さん (司会進行:増元照明氏)』

★増元照明氏

市川家です。

★市川龍子さん

皆さんこんにちは。(拍手)

いつまで待てばいいんですか?
歯を食いしばって食いしばって、耐えて耐えて生き抜いている母ももう90過ぎました。
修一の帰りを待っているんです。
なぜ、日本政府は全国会議員、団結が出来ないんですか?(拍手)
裏で何をしているんですか?(拍手)
これほどまでに馬鹿にされ、コケにされ、侮られているのに、日本の国会議員は怒りと言う気持ちは無いんですか?(拍手)

・・・・・・・・(拍手で聞き取れず、笑い声)鹿児島弁で言います。
まったくもってやってんもんじゃと言いたいです。(拍手)
小泉さんを初め本当に私たちの代表である国会議員は、他人事としか思えないような軽いコメントしか出て来ません。
いつも言いました。
日本国民に向けて自分の国の国民を絶対救うぞと言う、そういう腹の底からの決意っていうものが見えてこないんです。(拍手)
北朝鮮に対して当然上がるべき、怒りの声も聞いていません。
北に対して拉致被害者を直ちに返せと正当な要求をしている、そういう声を一度だって聞いた事がありません。
北朝鮮に対して諦観していたはずの日本人に指一本でも触れたら承知しないぞと、自国民の生命を守るための言葉を聞いておりません。
北朝鮮の・・・・・・・・(拍手で聞き取れず)私は見た事がありません。

どこの誰が見てもキム・ジョンイルは極悪非道な悪人です。(拍手)
キム・ジョンイルは愛称だそうですのでキン・ショウニチです。
今こそ世界に正義を示す時ではないですか?
そして北朝鮮の一般民衆も全員救ってあげたいと思います。(拍手)

裏でこそこそと何かしているそうですが、日朝国交正常化より人命救助が最優先です。(拍手)
それからノーベル平和賞を貰ってください、小泉さん。(拍手)
バッシングを受けるのは覚悟の上です。
当然の事です。
自分の身内だったら、そういうふうに仰ってください。

北朝鮮にいる修一に向かって主人は言いました。
「寒くは無いかい?元気でいるかい?必ず帰って来いよ、待ってるよ、帰って来たら二人で酒を飲もうな」
というメッセージを「しおかぜ」に乗せて短波放送を流しました。

日本全国の皆さんがこうして一生懸命力を合わせてくださっています。
私は増元るみ子ちゃんのお父さんの葬式の時に弔辞を読ませて頂きましたけど、必ず世界の世論を高めて絶対にるみ子ちゃんを取り戻すから、安心して浄土に行ってらっしゃいって送り出しました。

助けてと頼みの綱はただ一人、三度の便りに命をかけて

と、短歌を作りブッシュ大統領に手紙を3回書いたことが、今回主人たち・早紀江さんたちをアメリカに送り出す事が出来ました。
皆様もテレビ放送でご存知のように、本当に今ここで日本の心意気と言ったらおかしいんですが、本当にですね。
きちっとした態度を、政府の皆さん、国会議員の皆さん全員です。
本当に団結して全員を取り戻す、そういう今日の会合にして頂きたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)

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国民大集会(22) 家族の訴え(3)

   
  『 平野フミ子さん (司会進行:増元照明氏)』

★増元照明氏

次は増元家です。

★平野フミ子さん

みなさん、こんにちは。(拍手)
僭越ながら小泉総理大臣に物申します。

あなたはイラクの人の人権のために自衛隊を派遣していらっしゃいます。
でも、国家主権を侵され拉致された日本人の人権はどうなさるおつもりですか?(拍手)
中途半端に解決なさらないで下さい。
もうそろそろ心の冷たい氷を溶かしてもいいんじゃないですか?
私たちは小泉総理が人間の心を取り戻すよう、お願い致します。
ありがとうございました。(拍手)

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国民大集会(21)家族の訴え(2)

;『 飯塚耕一郎さん (司会進行:増元照明氏)』

★増元照明氏

次は飯塚家。

★飯塚耕一郎さん

皆さんこんにちは。(拍手)
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎です。

私の方からひとつ申し上げたい事は、先日の訪米の結果を受けて、ある紙面で今まさに日本の政府として拉致問題の対応の真意が真価が問われている段階であるという紙面がありました。
つまり今回の家族会の訪米の結果を受けて、国際的な世論が盛り上がっているところで、日本政府として何をやって来たのか?何をすべきなのか?と言う、そこが全世界で注視されている部分ですよ、という紙面でした。

私はその紙面を見たときに、やはり1年半前の日本政府の発表から、何も具体的に対外的に何も動いていないと言う実情を鑑みまして残念に思いますし、また逆にこれからこの2~3ヶ月、もしくは今年一杯で日本の政府が対外的に北朝鮮に対して何かしら明確な態度を示さない限り、世界から日本と言う国の見方がまた変わってきてしまうのではないか?と言う懸案に変りました。(拍手)

ですので、本日ご来賓頂いた議員の皆様から、例年以上の力強いお言葉を頂きましたので、今年一杯にはぜひとも日本政府としての明確なハッキリした厳しい態度を取って頂きたいと思います。(拍手)
その上で私の母に対して、直接「お母さん」と言う、普通の家族が毎日言っているような一言を直接伝えて上げられれば幸せだな、と思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)
   

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国民大集会(20) 家族の訴え(1) 

  『横田早紀江さん (司会進行:増元照明氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

さてここで、家族会の皆さん方を紹介したいと思います。
これはもう、皆さん良くご存知の増元照明さんにお任せ致します。(拍手)

★増元照明 家族会事務局長

皆さん、こんにちは。
今日は茨城で1100名の皆さんが集まって頂きました。
ここにはこれだけ多くの皆さんが集まって来て頂きました。
本当にありがとうございます。

本当でしたら崔桂月さんに日本の皆さん、これだけ多くの皆さんが支持そして一緒に戦ってくださっているという姿を見ていただいて、実感して欲しかったんですが、残念な事に今回は欠席をなされましたので、宋議員、必ず崔桂月さんに伝えて頂きたいと思います。

日本の国民はこれだけ、拉致被害者家族を応援している。
そして私たち家族も本当に疲れきっています。
でもこれだけの皆さんが私たちを応援してくれている、支持してくれている、そして一緒に戦ってくれているという、その私たちの目の当たりにして、私たちはもう少し我慢できる。
もうちょっと頑張れると勇気を頂いております。
本当にありがとうございます。

今日は本当に時間も無くなりつつありますので、各家族一人ずつ、北にいる私たちの家族に思いを言って頂きたい。
もしくは政府に何をして頂きたいか?
2分間お願い致します。
まず、横田家からお願いします。(拍手)

★横田早紀江さん

皆さん、こんばんは。
本当に毎年このようにたくさんの方に来て頂きまして、私たち家族会このように大きな活動が出来るようになった事も、本当に皆様方のたくさんのカンパそして署名、いろいろ頂いてご好意によってここまで来る事が出来ました事、本当にまず感謝を申しあげます。
ありがとうございます。(拍手)

この度は家族会と救う会・議連の訪米並びに訪韓によりまして、拉致問題が日朝間だけの深刻な問題ではなく、12ヶ国にもわたる国際的な人権問題であるという事が、広く理解されました。
本日は韓国人の拉致被害者のご家族もお見えになり、更なる連帯を確認できた事はとても重要な事であります。
私のめぐみの夫であると言われるキム・チョルジュンさんと言う方が、韓国から拉致をされた高校生であった金英男さんだと言う事が分かり、そのご家族は今日のこの会には参加されておりませんけども、全ての被害者を取り戻すのだという価値観の下に、心をひとつにして共に北朝鮮と闘っていきたいと思っております。

皆様思い出してください。
北朝鮮は2002年の暮れに横田家に対してキム・ヘギョンちゃんを利用して、訪朝計画を実現させようとしました。
この手に乗っていれば、ヘギョンちゃんは「母は死にました」と言わされて、あたかも北朝鮮の主張する死亡説を既成事実化させてしまう恐れがあったために、私たちは家族や関係者の皆様との判断で断念を致しました。
この決意と我慢がこうして北朝鮮に対する国際包囲網の形成に繋がって、彼らの狙いを打ち砕く事が出来ました。(拍手)

北朝鮮は金英男さんご家族に対しても、同じような甘い罠を仕掛けて、拉致問題の幕引きを図ろうとするかも知れません。
我が子を必ず取り戻す為に、ご支援されている崔成龍さんやご家族が決して安易な誘いに乗ることが無いよう、手を取り合っていきたいと思います。(拍手)

一方私たち家族に対しても、再び同じような罠を仕掛けてくる事があるでしょうけれども、北朝鮮が画策するヘギョンちゃんに会う事による幕引き作戦に乗ずる事無く、まず横田めぐみを一刻も早く、そしてたくさんの人たちを全部無事に取り戻す事を最優先する事。
これまでの信念を守って戦っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)
ありがとうございます。(拍手)

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国民大集会(19)杉野正治氏

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の報告』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、ここで特定失踪者調査会の調査報告書について、今の現状を報告して頂きたいと思います。
荒木さんが今ちょっと出張でおられませんので、杉野正治さんに代わってお願いしたいと思います。
特定失踪者問題調査会常務理事の杉野さん、よろしくお願い致します。(拍手)

★杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事

みなさん、こんにちは。(「こんにちは」の声)
調査会の杉野でございます。

今日は冒頭から対話と圧力と言うお話、あるいは圧力と対話だというお話がございました。
先日この横田早紀江さんがブッシュ大統領とお会いした時、私は「ああ、これこそ対話と圧力だなぁ」と思いました。
この会談、北朝鮮の金正日にとってはかなりの激烈なメッセージと受け取れたと思います。
これこそが対話と圧力である、私は思いました。

一方で日本政府はどうでしょうか?
偽の遺骨を掴まされて、北朝鮮に対しては「違うじゃないか」と。
それから30数名の特定失踪者の方を含めた方、日朝協議で北朝鮮に示しましたけど、「この人たちについて調査をしてください」と。
そして北朝鮮に対して「誠意を見せてください」と、そういう態度でこれまで臨んで来ております。
北朝鮮に誠意があるかどうか?
これは皆さん、考えてすぐに分かると思いますけども、北朝鮮がまともに返事をするわけが無いわけです。
まともに返事をしないものに対して、対話と言うものは成立しない。(拍手)

私は対話というのは圧力を伴っていなければならない。
これが対話と圧力だと思います。
あるいは圧力と言うものに対話が伴っている。
これこそ圧力と対話、圧力イコール対話でなければならない。
その様に私は考える次第でございます。

今年の年頭、警察庁長官の漆間長官が「今年は拉致問題、勝負の年に出る」というふうに仰いました。
実際に拉致問題対策室、あるいは原敕晁さんを拉致した辛光洙を国際手配するなど、いろんな動きは出ております。
今更ながらと言う気がしないでも無いんですけれども、それはともかくとして、この辛光洙あるいはその配下の者、どんどん捜査の手は進めて頂きたい。
言うふうに考えるわけですけども、しかし残念ながら警察がどんなに努力をしても、そして真相究明をしても、北朝鮮にいる拉致被害者を救出する事は警察には出来ないんです。(「その通り」の声)

日本国の政府がそれを元に北朝鮮に対して、それこそ圧力をかけていかなければならない。
そういう意味では辛光洙なんてけちな事を言わずに、それに拉致を指示をした金正日の引渡しくらい求めてもいいのかな?と・・・・・(拍手で聞き取れず)
このようにいろんな意味で我々は北朝鮮に対して圧力を加えていく、と言う事が必要だと思います。

先ほど金聖ミンさんの自由北朝鮮放送、いろいろ努力してやられておりますけども、私どもも同じように北朝鮮に向けて、短波放送「しおかぜ」と言うのをやらせて頂いております。
昨年の10月から始めまして、当初は失踪者それから拉致被害者のお名前を読み上げ、そして御家族の皆様のメッセージを伝えるという事をやってまいりましたが、今年の4月から北朝鮮に向けて英語、それから中国語、それから朝鮮語でいろんな放送を始めている。
北朝鮮に対して、北朝鮮の人民、それから軍の幹部に対して、是非決起をして欲しい。

今日ここにお出でですけど、安明進さんをゲストに迎えまして放送を始めました。
この4月からです。
そうしましたら、たちどころに北朝鮮は妨害電波を我々の放送にかけて来ております。
現在も続いておりますけれども、私どもはこの妨害電波に屈する事無く今対処を進めておりまして、6月の早々にはまた聴けるようになるいうふうに思いますので、皆さん是非これからもご支援お願いしたいとそういうふうに思います。(拍手)

今日はこの会場にも特定失踪者のご家族、たくさん見えられております。
大変恐縮ですが、ご起立をいただけますでしょうか?(会場正面席の特定失踪者ご家族が起立、周囲に向かって会釈をする。会場より拍手)
こちらの皆さんに是非、国会議員の皆さんも会場の皆さんも、是非この人たちにご協力を頂きたいと思います。

この特定失踪者のご家族、政府に認定はされておりません。
しかしながら私はこの皆さんは全て、拉致被害者の家族であるというふうに思います。(拍手)
北朝鮮が拉致さえしなければこの方々は、自分の家族が拉致なんじゃないか?と心配をして、我々調査会あるいは警察に相談する事はなかったわけです。
あるいはここで、皆さんにお願いしますと言うような事を言う、そういう立場にはなかったわけです。
そしてこの皆さん方、こちらの家族会の皆さんと同様、日々署名を集め、ビラをまいたり、あるいは集会で訴えたり、それもご自分達の事だけではありません。

今日もお見えになっておりますけど、古川了子さんのご家族、昨年の4月に政府に対して(拉致)認定を求めての行政訴訟を起こしました。
今立っている方です。(古川さんの姉・竹下珠路さん起立して会場に会釈。拍手)
御家族の竹下さん、常々仰っているのは「私の家族だけの話では無いんだ」と。
「全ての拉致被害者に対して日本政府がどのように考えているか?それを知りたいんだ」
この行政訴訟はそういった意味も持っておりまして、残念ながら今、中々実態審理に入らないんですけど、この6月に次回の公判が開かれるという事になっております。

このようにですね。
ご家族がいろんな所でビラをまき、署名を集め、北朝鮮に対して経済制裁をすべきだと、日本政府は毅然とした態度を示すべきだと。
これは何もご自分の家族だけを取り返せば良いというんじゃないんです。
この拉致問題全体の解決。
被害者かもしれない。
そういう意識に立った時にこの方々は、日本の政府がいかにおかしいか?
そういう事を言っておられるわけです。(拍手)
もちろんここにおられる家族会の皆さんもそうです。

この間、横田さんがブッシュ大統領とお会いになったり、あるいはお父さんが韓国に行かれたり、その姿を見て我が国の総理大臣は「横田さんには本当に頭が下がる」そういうふうに仰ったそうです。
このご家族の態度と総理大臣の態度が全く逆なんです。(拍手)
どうせ頭を下げるんでしたら、直接会って「申し訳ありませんでした、私がやるべき事を代わりにやって頂いて」(拍手)とそういうふうに言って頂ければいいのかなと思うわけでございます。(大きな拍手)

いずれにしましても、小泉総理、残り数ヶ月の任期でありますけれども、このまま推移していけば、我々は、
「小泉総理は拉致被害者救出のために全く何もしませんでした」
残念ながら、拉致被害者が日本に帰って来たときにですね。
「あなたたちを助ける為に総理は何もしませんでした、努力をしませんでした。」
そういうふうに言わねばなりません。

私はここにいらっしゃる方もそうですけど、特定失踪者のご家族、あるいは拉致被害者のご家族にお会いすると必ず申し上げます。
皆さん、待つと言う気持ちを持ってください。
その待つと言うのはいつまでも待つと言うことではありません。
待つと言う気持ちを強く持って頂くということ。
絶対に諦めない。
絶対に取り返すんだと言う、そういう気持ちを持って頂きたい。

拉致被害者が帰ってきたときにですね。
探しませんでしたとか、何もしませんでした、諦めていましたとだけは絶対言って欲しく無い。
これはご家族だけではございません。
ここにいらっしゃる皆さん方、そして政府の皆さん全員がそうです。
絶対に後悔をしない。
我々は出来る限りの事をやる。

その意味で、私どもは昨年から今年中には世界中の拉致被害者全員を取り返す。
その様にお約束をさせて頂きました。
やれば出来ます。
西岡副会長が最初に申し上げましたとおり、愛と勇気を持てば我が国は必ず出来るんです。
是非、皆さんも心からご協力を頂けるようにお願いを申し上げまして、ご報告とさせて頂きます。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

どうもありがとうございました。

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国民大集会(18) 地方議員紹介

  『地方議員の会の出席者紹介(紹介者:櫻井よしこ氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、この会の他に「北朝鮮に拉致された日本人を救出する地方議員の会」と言うのもございます。
改めてご紹介をさせて頂きます。
皆様方にはもうおなじみかと思いますけども。

都議会議員の土屋たかゆきさん。(大きな拍手と歓声)
同じく都議会議員の古賀俊昭さん。(拍手と歓声)
八尾市(大阪府)の市議会議員の三宅博さん。(拍手と歓声)
そして元駐米公使として家族会を大変に支援してくださった、今仙台市長となられました梅原克彦さんです。(拍手)

地方議会の皆さん方のなさる事は本当に山ほどあるかと思います。
万景峰号を止める事もそうですし、もしくは朝総連に対しての免税措置をやめさせる事もそうです。(拍手と歓声)
朝総連が行っている歌劇団に支援を与える事をやめる事も、地方議会の直接的な管轄権になります。(拍手)
特に今、日本では朝総連と民団が、実に奇妙な形で統合しようとしております。
大きな民団が、なぜ朝総連に屈するのか?
事実上の朝総連による併合をなぜ民団が許すのか?
なぜ民団は、あの金正日の傘下にある朝総連と手を結ぼうとするのか?
私たちは厳しく問わなければならないと思いますが(大きな拍手)、その先頭に立つのが地方議会の皆さん方です。
しっかりやって頂きたいと思います。
よろしくお願いを致します。(拍手)   

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国民大集会(17)深井明氏

;『埼玉県議会議員 報告』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、国会議員と共にというより、時には国会議員よりも尚激しく強くこの問題を追及してきたのが、地方議会の皆様であります。(拍手)
地方議員の皆様方はこの拉致問題について、この4月18日「拉致問題地方議会全国協議会」を作られました。
その会長であります、深井明さんに報告をお願いしたいと思います。(拍手)
埼玉県議の深井明さんです。
よろしくお願いします。(拍手)

★深井明 拉致問題地方議会全国協議会会長・埼玉県議

もう、皆さん方も随分お疲れでしょうが、もう少し頑張って頂きたいと思います。
私は埼玉県議会の拉致問題の議員連盟の会長の深井明でございます。
同時に埼玉県の自由民主党の幹事長も勤めております。
また、同時に4月の18日に発足いたしました全国地方議会の拉致問題の会長も務めております。
今日は副会長として、新潟から高橋(正)先生が見えております。(拍手)
副会長です。
その隣におりますのが、全国の幹事長・事務局長を務めます、埼玉県議会議員でございます、蓮見昭一先生でございます。(拍手)

私どもは全国の組織の中で、47都道府県がございますけども、だいたい30県位、この拉致の議員連盟が発足をいたしました。
政令市にも全部呼びかけております。
過日、内閣官房の副長官でございます鈴木(政二)先生、平沢(?ハッキリ聞き取れず)先生、平沼(赳夫)先生、そして逢沢(一郎)先生。
この方々の先生に全て話を通しまして、「地方議会が動くけれどもどうだろう?」と、こういうご相談を申し上げた所、「思う存分やって頂きたい」こういうお話でありますから、ご承置きをお願いしたいと思います。(拍手)

万景峰号がしばらく来なかったけれども、また来るようになりました。
近いうちに万景峰号反対と言うのを新潟に行ってやってくるつもりであります。
すでに何回もやっております。(拍手)
今年は初めてでございます。

全国の議会で経済制裁を含めた意見書を提出したいと思っています。
米はもちろんでございます。
薬も駄目だ!
化粧品も駄目だ!
自転車も駄目です!(拍手)
全てこういう形の中で、全国で行動していきたいと思っております。

来月には、7月に議会が終わった所で全国の幹事会を開き、そこに政府から鈴木副官房長官、拉致議連からは平沼先生に来ていただき、講演をしていただく予定になっております。
私たちはいずれ全国組織の中で街頭活動をしながら、どうしても一日も早くこの拉致の被害者を返してもらうために、徹底していきたいと思っております。(拍手)

私はこの問題については、県会議員ではございますけれども、すでに9回県議をやって参りました。
9回とも1番か2番の成績で当選をして参りました。(笑い声)
いずれ私はこの仕事に最後の政治生命をかけて(拍手)、拉致の被害者を返してもらうために力いっぱい運動し続ける事をお約束を申し上げて、ご挨拶と致します。(拍手)
終わり。(拍手)

★櫻井よしこ氏

深井さん、本当にありがとうございました。

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国民大集会(16) 議員紹介

   『古屋圭司 拉致議連事務局長による出席国会議員の紹介』

★司会 櫻井よしこ氏

日本の国会議員の皆さん方、沢山ここに来てくださっています。
拉致議連の事務局長をしていらっしゃる、古屋圭司さんにご紹介頂き、スピーチを頂きたいと思います。
古屋圭司議員です。
よろしくお願いします。(拍手)

★古屋圭司 拉致議連事務局長

ご紹介を頂きました、拉致議連の事務局長の古屋圭司でございます。
一言だけ、御挨拶をさせて頂いてから出席議員の紹介をさせて頂きたいと思います。

4月28日11時、横田早紀江さんとブッシュ大統領が歴史的な対談を致しました。
その時、横田早紀江さんは、
「自分はクリスチャンだけど自分の娘は絶対に生きている。そう信じて歯を食いしばって頑張っている。」
こうおっしゃいました。

この事に対してブッシュ大統領は手を握り合い、
「私も敬虔なクリスチャンだけどあなたの事は良く分かる。厳しい道のりだけど頑張ろう。」
こういう激励を頂いたそうであります。
すなわち、悪を絶対に許さないと言う全うな人間同士の心と心がしっかりと通じ合った、私はその一瞬だったと思います。(拍手)

ご承知の通り、今アメリカはまだ一人の拉致被害者と言う者は判明を致しておりません。
おそらく1970年代から80年代にかけて、救う会の島田先生なんかが指摘しているように何人かは拉致されている可能性は高いと思います。
しかし現在では判明していない。
その国の大統領が自らのリーダーシップで拉致は核問題と同様に大切である。
絶対我々は忘れない。
原理原則を守っていく。
こう、はっきりと言明を致しました。
いよいよ拉致問題と言うのは新たな段階に入ってきた。

一方16人の政府認定の拉致被害者、400名を越える特定失踪者がいる日本が、一人の拉致被害者も判明していないアメリカの後になると言うことは絶対に私は許されない事だと言うふうに思っております。(拍手)
我々拉致議連は230名の衆参両議院の超党派の議員で構成をさせております。
時には政府の対応が生温ければ厳しく我々は要求を致します。
我々の目標はただ一つ。
拉致被害者の立場に立って、拉致完全解決の為には経済制裁の発動。
そして拉致されている日本人全員を、この私たちの住むこの日本に故郷に、自らの足でしっかりと再び元気な姿で踏みしめて貰う。
この事が、我々の目標でございます。(拍手)

今日お越しいただいたハンナラ党の宋(永仙)先生を初め、我々拉致議連としては、やはり極めて消極的な姿勢を崩さない韓国に対しても、我々議員外交を通じて働きかけていく必要があろうかと思います。
早速、明日は我々議員総会もありますので、そういう連携も深めていきたいというふうに思っております。(拍手)

今日は皆さん、日曜日でございます。
日曜日は我々国会議員は各地域で選挙区でいろいろな行事があります。
しかし、それを曲げて今日は出席をしていただいた議連の仲間の議員がおります。
この仲間の議員こそ本当に日本を思い、国家を思うまともな政治家である事を私はハッキリと申し上げたいと思うのでございます。

早速お集まりの国会議員を紹介させて頂きたいと思いますが、その前に最後に一言。
先ほどの平沼会長からのご挨拶の中で、次の総理はこの拉致問題を徹底的に追及して頂ける方がなっていただくのが相応しい、言うお話がございました。(拍手)
その方は皆様良くご存知の現官房長官だと思います。(拍手)
その官房長官が就任以来徹底的にこの拉致問題を、先ほどのメッセージにもあるように法の厳格適用、あるいはG8サミットでの主要議題として取り上げよう。
本当に熱心に取り組んで頂いております。
改めまして私どもは熱意を頂きました官房長官に敬意を表したいと思います。(拍手)

さて、今日は出席した議員を紹介させて頂きたいと思います。

まず議連会長、平沼赳夫先生(無所属 岡山3区)。(拍手)
お帰りになられましたが、議連顧問・前会長の中川昭一農林水産大臣(自民党 北海道11区)。(拍手)
議連会長代行・民主党拉致対策本部長・衆議院議員、中井洽先生(民主党 比例東海)。(拍手)
議連副会長・内閣府大臣政務官・参議院議員、山谷えり子先生(自民党 比例)。(拍手)
内閣府官房副長官・参議院議員、鈴木政二先生(自民党 愛知)。(拍手)

自由民主党拉致対策本部長・衆議院議員、逢沢一郎先生(自民党 岡山1区)。(拍手)
公明党拉致対策委員長・衆議院議員、漆原良夫先生(公明党 比例北陸信越)。(拍手)
拉致議連副会長・衆議院議員、原口一博君(民主党 比例九州)。(拍手)
拉致議連幹事長・衆議院議員、西村眞悟先生(無所属 比例近畿)。(大きな拍手)
拉致議連事務局長代理・衆議院議員、松原仁先生(民主党 比例東京)。(拍手)

拉致議連副幹事長・衆議院議員、渡辺周先生(民主党 静岡6区)。(拍手)
拉致議連副幹事長・参議院議員、森裕子先生(民主党 新潟)。(拍手)
拉致議連幹事・衆議院議員、馬渡龍治先生(自民党 比例東海)。(拍手)
衆議院議員、水野健一先生(自民党 千葉9区)。(拍手)
衆議院議員、笠浩史先生(民主党 南関東)。(拍手)

衆議院議員、坂井学先生(自民党 神奈川5区)。(拍手)
衆議院議員、保坂武先生(無所属 山梨3区)、(拍手)先ほどお帰りになられました。
参議院議員、山根隆治先生(民主党 埼玉)。(拍手)
そして私、議連事務局長の衆議院議員、古屋圭司(無所属 岐阜5区)でございます。
ありがとうございました。(拍手)

(※集会の終わりの方で、参議院議員・北朝鮮による拉致問題等特別委員長の広野允史(ただし)先生(民主党 比例)も来場されましたのでこちらに補足します)

★櫻井よしこ氏

古屋さん、ありがとうございました。 

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飯塚耕一郎さんの想い(群馬集会)

田口八重子さん長男:飯塚耕一郎さんの講演

    ~お母さんと呼ばせてください~


  「あなたも拉致の現実を知ってください」       

    2006年5月20日(土)群馬県前橋にて

Imgp0695

群馬のみなさんこんにちは。はじめまして。田口八重子の長男であります、また飯塚繁雄の次男であります飯塚耕一郎と申します。

先ほど副代表の方から、今回の訪米関する報告等が出てきましたので、私のお話としては、田口八重子の拉致の話をもうちょっと掘り下げた形でお話しさせていただきたいと思います。

まず、小さくて大変申し訳ないんですが、ここに一枚の写真があります。これは私が以前公の場にでたあとで、まぁ、あるテレビ局を通じて、昔、田口八重子さんの近所に住まれていた方が撮って頂いた、かつて28年前に撮って頂いた写真です。
何故この写真をお見せしたのかというと実は、先ほどの親父の話にもあったように母が1978年に拉致をされたとき、まだ一歳という年であって、全く記憶がありません。ですので、お話の中でも、<お母さん>ではなくて<田口八重子さん>とどうしても言ってしまう部分があるんですけれども、この写真は、本当に母親が優しい顔をしているところを初めて見た写真なんですよね。この写真に関しては、母親が本当に優しい顔をしているのを初めて見た写真なんですね。

私それまで母に関する情報というのは、実は親父から聴く話と、金賢姫さんが書いた『忘れられない人』と言う本がありますけれど、そこの話と、こちらの写真と、大きく三つの情報しか、母につながる情報を持っていないんですよね。

5203

この写真に関しては、すごい私の方を向いてほほえましくしている写真であって、その写真を初めて昔の知り合いの方から頂いたときは、『やっぱりボクのお母さんなんだなぁ』と思ってホットするの半分、やっぱり哀しい悔しいと言う気持ちが半分湧いたのを、感じたことを覚えています。

そもそも私は・・さっき親父の方からもありましたけれど、かつて28年前に、田口八重子が、夫婦が別れ、女手一つで、私と私より2つ上の姉を育てるのになりふり構わず一生懸命頑張ってくれていたのだと思います。実際それだけ苦労をして、なんとか二人の子供を育てようとしていたにも関わらず、この拉致という問題が発生して、ごく普通にある当たり前のような家族を切り裂くような形で、そのまま30年近く放置されている、これは国家としてはとても問題だと私は思っています。

私の方は、実際記憶がなかったので、一歳の時に飯塚家に引き取られてからは、もうそこの子供だとずっと私は思っていましたから、飯塚家に引き取られてからは何も知らずにそのまま二十四年近く育ってきました。

ある時私が仕事の関係で外国に行くことになり、その時に戸籍謄本というのを初めて取ったんですが、そこの私の部分の続柄は<養子>となっていたんですね。『なんだろう』と最初はびっくりしたことはびっくりしたんですけれど、結構、その時22だったんですけれど、その時、22と言うと年まで何で隠し続けなければならなかったんだろうと、私は思っていたんですけれども。

うちの親父は<誇れる親父>ですから、その親父が、たとえば二十歳ですとか、会社に入った二二歳の時とか、そう言うタイミングに切り出さなかったのは、きっと何かがあると思って、正直、そのまま、発覚したその日には聞けませんで、ちょっと親父の方に、一週間後、日曜の昼下がりぐらいに話をしたんですけれども。

その時に言われたのが端的に言って、『おまえの母は北朝鮮に拉致をされたらしい。』と言う風に言われたんですよね。その時、そもそも普通の日本人だと北朝鮮という国は、たいした情報というのは特に持っていないと思うんですよ。韓国の上にあって、訳のわからない指導者がいて、未だに残っている共産主義系の国だとしか、私はその時知識としてなかったんですけれども。その国に拉致をされたと言うことがどういう事か、全くわからない訳なんですよね。イメージとして、何とも想像できないわけで、ものすごく心が混乱してしまったことをよく覚えているんですけれども。

ただ、それを言われたときにまず思ったことは、じゃぁ、母親を助けるためには、我々はどうしたらいいかと言うことをその時に私は親父と話しました。親父からの回答としては、『我々に今できることはない』という絶望的な回答でした。

もちろんそうだと思います。大韓航空機爆破事件で、非情に事件性のある、家族会の中でもかなり事件性のある家族ですし、その時、公の場にも出ていなかったわけですし、また過去には、大韓航空機爆破の教育係として殺人の幇助をしていた女性だという見解でマスコミからだいぶ叩かれていた状況ですし、そう言う状況で、他の家族会の方と同じように、公の場に出て助けを求めるというのは、とてつもない勇気のいることですし、また逆に、『犯罪者の家族が何を言っているんだ』という見方にもなりかねない状況でした。その時は何もできずに、ただ単に絶望感ではないですけれど、やりきれない気持ちというのが心の中にたまっていた状況でした。

それから、お話を、時間がそんなにないので、はしょらせていただきますが、2002年の9.17の時、5人のかたが帰っていらっしゃいましたが、その時は田口八重子に関しての情報というのは、<1986年の7月30日に死亡されています>と言う報告でした。

その時私は日本にはいなくて仕事で海外の方に行ってたんですけれども、(その時朝仕事をする前に、ニュースのチェックというのは常に毎日欠かさなかった訳なんですけれども)その時ニュースのチェックをしたときに、結果として<死亡>となっているということで、大変い驚いてそのまま親父の方に国際電話かけたんですけれども。

その時親父はは飯倉公館の方には行っていませんでしたので、後日改めて外務省の方に確認をするという話でした。その時に、すごい思ったのが(海外に行っていて日本人が誰もいないという環境もある程度、雰囲気として出てしまったんでしょうけれども)その時やはり23年、母と別れて23年たって、その母の最新の情報として出てきたのが<死亡>というあまりにも過酷すぎる、残酷すぎるような情報を突きつけられたということです。

その時に、やはり日本に帰るかどうかは迷ったんですけれども、その時親父の方が『どういう情報が出てくるかわからないから。待て』と言うお話でしたから、ちょっとまぁ我慢をして、何とか平静さを保とうと思ったんですが。

その時に私の育ての母=飯塚繁雄の奥さんですけれども、その親父と話したときにうちの母と話したときに、うちの母は号泣なわけなんですね。もう何も言えずに、ただ俺(耕一郎さん)が心配だから電話変わってくれたらしいんですけれども。ただ母親の方が号泣なわけで、自分の息子のように育てた子供がまた厳しい現実に直面しなければならないというこの惨さというのをやはり彼女は我慢できなかったわけですよね。

それで、泣いて一言。『そう言うことだから、じゃぁ、がんばってね』としか言えないんですね。その時僕は本当に訳もわからず泣いてしまったんですけれども。やはりそこの部分というのは、この拉致問題が家族に与えている惨さ酷さの一端のひとつなんですよね。

その後2004年の5月の22日に小泉さんが第二回の訪朝を行って、その時にもまた<田口八重子は死亡している>という情報しか出てきません。もう、情報として何も変わらないわけですよね。9.17の時には、こちらのパンフレットにもありますが死亡確認書と言われるものが出てきて、実際もうはんこの部分とか、記載されている部分とか、汚れの部分とかが、全く他の家族と一緒のようなものが出てきて、まぁ日付なり名前形が変わっているようなもの。こんなばかげたものが9.17の時に出てきた。

その時の聞いたお話ですと、外務省の方が、『死亡という一言では家族に何の報告もできない。何か証拠を持ってこい』と言って、向こうの担当官が一時間ぐらい席を外して、出てきたのが死亡確認書です。

2004年5月の22の時には<交通事故を起こしました>と言う事件報告書が提示されてきたんですけれども、それを外務省の方から提示された後で、ボランティアの方に頼んで翻訳をしてもらったんですけれども、田口八重子の<た>の字も八重子の<や>の字も、何も載っていないんですよ。僕が記憶している限りでも、15~6ページある文書なんですけれども、1ページ、1ページの4分の一、5分の一近くが塗りつぶされていて、何が書いてあるのかわからない。翻訳した結果は、結局<軍部の車と一般の乗用車がぶつかって、その一般の乗用車が谷底に転落しました。その女性と男性が死亡しました。>みたいなことがかいてあるだけなんですよね。それをもって田口八重子の名前も載っていないような死亡報告書を見て、『何を信じれば良いんだ?』と外務省の方には、ちょっときつめの言葉で言ってしまった事があるんですけれども。

この二点にあるように、<田口八重子が死亡している、母親が28年たって死亡している>という状況を否定するような情報というのはいくらでも出てくるわけですよね。帰国された五名の方々とお話したときも、『実はこういうところでこういう話を聴いています』と。具体的に言うと1987年7月30日に死亡しているよと言われているにも関わらず、その年の10月に外貨ショップで(地村さんのところのかな?ちょっと忘れてしまったんですが)元運転手の方が、田口八重子さんを外貨ショップで見かけている。

情報というのは、あとは、安明進さんという北朝鮮の元工作員の方がいるんですけれども、その方の情報からすれば、91年に金正日総合大学で、金賢姫の元教官お方が、が一時期、86年か87年にだいぶ脅えていたと言うんですよね。その理由は、大韓航空機爆破事件を実施して結局金賢姫さんは自決ができなかったと。そこから北朝鮮の情報が漏れることは、北にとって大打撃なわけなんですよ。金賢姫さんは実際韓国に捕まっていますから、その矛先は元金賢姫を教えていた教官に当てられるわけですよね。要するにその教官の指導がなっていないから自決もできない。自白もしてしまう。北朝鮮にとって大打撃になるだろうと。で、『私は殺されるかもしれない』と、そのハム(?)教官というのはだいぶ脅えていたらしいんですけれども。その後日、いくつか年月がたって91年に、また安明進さんがその教官と会ったときは、だいぶ元気にしていたと。その教官が言うには『金賢姫の日本語の教育係をやっていた女性が何も処罰されないのだから自分も処罰さるわけがないという結論に至っている』と。この発言のうらを取れば、逆にこの時点では生きているというので、結局は北朝鮮の報告というのはウソになる訳なんですよね。

そういういろいろな北朝鮮の報告を覆すような情報というのは、私の家族にとってはとても情報自体少ないんですけれども。この少ない情報の中でも、覆すような情報というのは、いくつか出てきています。

そこの部分で結局私が何を言いたいのかと言いますと『人の母親を勝手に拉致しておきながら勝手に殺すな。』と。勝手に殺したあげくに、日朝国交正常化を行って自国に食料を入れさせてくれというのは、人としておかしい。言語道断だと私は思っています。

自分たちが困るという部分というのは、やはり人としてあるべき部分を保てていないから困っているだけの話だと僕は思っているんですよね。人としてちゃんと誠意を持って、過去に犯罪を犯したとしてもその誠意をもって対応する。すべきことをすれば周りの人も認めてくれるはずなんですよ。それは国も人も関わらないと僕は思います。

そう言う対応を今北朝鮮に対して求めるのはとても難しい状況です。
細かい政治的なお話というのは私の方からするより平田さんの方から行っていただいた方が良いと思うので。

北朝鮮に対して<対話と圧力を使って被害者を救出する>とうたっている日本政府というのは、とても厳しい状況だと思います。

先ほど親父も言いましたけれども、2004年12月24日にに細田官房長官が(このパンフレットの裏にも書いてありますけれども)『北朝鮮側が迅速かつ誠意ある態度を取らないければ、経済制裁をおこないますよ』という発言をされていますけれど、結局一年半もたっても、何もできない状況なんですよね。やはり日本の国内の中では、いろいろなしがらみがあって動けない。もちろん政治的な要素というのが多々あって動けない部分というのがあるからこそ、家族会が、わざわざ海を渡ってラオスに行ったり(タイの誤り?)今回訪米したり、韓国に行ったり、グローバルになっているわけですよね。

決して日本の中の救出活動に対して何か不満があるとか、そういうわけではですよね。海外的な視野を含めてこの活動を広めていかないと、日本政府というのは今とても動きづらいからこそ、アメリカを含めてグローバルな形で解決して行かなくてはならない。

それに当たって一番のポイントというのは、本当に僕の中では、とても不思議というか驚きなんですけれども、やはり国民の皆様が一人一人の御協力というのがとても重要なんですよね。たとえば、例を一つあげると、小泉さんが2004年の5月の22日に訪朝をしたときの家族会がだいぶバッシングされました。その時は訪朝してある程度成果を持ってきたにも関わらず、お礼の言葉も差し上げないで、何非難をしているだというよな報道がされました。
ただあの時発言している家族ひとつひとつというのは全て小泉さんに『首相、大変お疲れのところ申し訳ありません』とか『ご苦労様でした』とか敬意を持った発言しているにも関わらず、ああいう形に取られてしまったんですよね。ただ、その非難というのは結局長く続かないわけですよ。何故かというと、日本の中でみなさんがちゃんと理解をしてくだっているから非難というのは長く続かないんですよね。そこの一端で訳ですよ。

そう言うみなさんの理解があるからこそ、高齢な家族会の方々もアメリカに行ったり、毎週毎週各地方で公演をしてお話をさせていただいたりしているので、拉致を許さないんだという気持ちを根付かせている訳ですよね。

今回私は」群馬という地に初めて来ましたけれど、群馬のみなさんの中でもより深い理解と広い理解を求めるような活動を頂きたいかなと心の片隅で思っています。

親父の方が先ほど言いましたけれども、この問題に対して動かすというのは日本政府を動かすため、最終的な部分は日本政府を動かすためには、手紙なりFAXなり、メールなりをを送るというのは実はかなり結構有効です。
家族会の今事務局次長をなさっている横田拓也さんはかつては安倍さんに対して毎月のように送っていたらしいんですけれども、安倍さんに初めてあったときに、『君が横田拓也君か?メールは何回も見てるよ。』とおっしゃっていただきました。

日本政府は見てないようで見ているんです。見てないふりをすることは、結構しばしばあるんだと、そう言うことなんだと思うんですね。でも、日本全国から、もう背けないような状況になれば、日本という国も、この問題に対してアプローチができるのかなと思っています。

最後に個人的になりますけれど、私が田口八重子さんに対して<お母さん>という一言はを直接言ってあげていないんですよね。<お母さん>という一言というのは、一般に日常の家族の生活の中で、普通に言っていることにも関わらず、僕は言えないと。ただ田口八重子さんに直接言えたときと言うのは、拉致問題が収束し始めている兆候であり、また田口八重子と僕の家族という図式が始められるときだと思っています。

ですので、是非、本当に個人的な部分で言わせていただければ、<お母さん>と言わせていただけるように、みなさんの御協力を得られればなぁと思っています。
以上です。ありがとうございました。 ◆―――――――――――――――――――――――――◆
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2006年6月 5日 (月)

島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書

■島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書(日本語訳)

 以下は、今年4月27日、米下院国際関係委員会に属するアジア・太平洋問題小委員会および国際人権問題小委員会が合同開催した「北朝鮮:人権の最新状況および国際的拉致問題」公聴会における島田洋一救う会副会長の意見陳述(正式提出文書)の日本語訳である。当日は、第一部の公述人がジェイ・レフコウィッツ北朝鮮人権問題特使、第二部の公述人が、脱北した拉致被害者など韓国人3人、日本人2人(横田早紀江、島田洋一)であった。

 英語版は、「救う会」ホームページのUpdates欄に、また米下院国際関係委員会のホームページ中の下記アドレスにも掲載されている。公聴会のビデオ映像も米下院同ホームページ上にある。
米国議会ホームページ ――――――――――――――――――――――――――――――――
★米議会下院公聴会における意見陳述(提出文書全文、日本語訳)
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2006年4月27日
北朝鮮による外国人拉致について
島田洋一(福井県立大学教授、「救う会」副会長)

●少なくとも12カ国に及ぶ被害者
(議長および委員への謝辞——略)
 日本政府は、現在、日本人の拉致被害者として11件16人を認定している。
しかしこの数字は、氷山の一角に過ぎない。

 暴力的な連れ去りの他、騙されて北朝鮮に誘い込まれ拘束されている人々も多いと思われる。確実なところは分からないが、おそらく百名を越える日本人拉致被害者がいるだろう。

 日本人に加え、多くの韓国人被害者がいる。その件については、同席の韓国人陳述者らに委ねたい。

 脱北者の証言によると、1976年、金正日が、外国人をより組織的に利用することによって工作活動の質を上げよという秘密指令を出した。彼はこれを「工作員の現地化教育」と呼んだ。北は昔から一貫して拉致に手を染めてきたが、拉致工作が本格化するのは、この指令以後である。

 13才の横田めぐみさんを含む少なくとも11人の日本人が、1977年ないし七八年に拉致されている。五人の韓国人高校生も1977年ないし78年に拉致されている。

 4人の若いレバノン人女性も1978年に拉致された。そのうち1人は、今なお、北朝鮮内に拘束されている。

 少なくとも2人の中国人女性およびタイ人女性も、1978年の同じ夜、マカオから拉致された。3人とも、当時20代前半であった。

 現在日本に住む元・脱走米兵チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は、ドナという名のルーマニア人女性が、やはり拉致され、北での生活を余儀なくされていたと証言している。

 首尾よく北朝鮮から脱出したレバノン人女性たちの話では、彼女らは、北朝鮮内でスパイ養成施設に送られ、思想教育や、柔道、テコンドー、空手、盗聴技術などの実技教育を施されたという。そのスパイ・キャンプには、3人のフランス人、3人のイタリア人、2人のオランダ人、を含む二八人の若い西洋・中東系の女性がいた(レバノン紙『エル・ナハール』1979年11月9日付記事より)。

 1978年1月に香港から拉致され、1986年、脱出に成功した韓国の著名な女優、崔銀姫氏は、北朝鮮内で、ヨルダン人女性と言葉を交わしたことがあると述べている。

 崔銀姫氏はまた、「美男子の北朝鮮人」に誘われ北に拉致されたフランス人女性がいるという話も聞いている。元・北朝鮮工作員、金賢姫氏も、類似の話を回想録に記している。

 1978年8月にシンガポールで行方不明になった5人の若い女性——マレーシア人4人とシンガポール人一人——の事件も、北朝鮮が関与した可能性が強い。
崔銀姫氏は、マレーシア人の拉致被害者がいるという話も、北で聞いている。

 北朝鮮によって拉致された被害者の国籍は、したがって、少なくとも次の12カ国に及ぶものと見られる。日本、韓国、レバノン、中国、タイ、ルーマニア、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、マレーシア、シンガポール。

 以上に鑑み、行方不明事件を抱える世界中の関係者——政府、親族、友人たち——に、強く次のことを促したい。すなわち、わずかなりとも北朝鮮との接点が考えられる場合、北の犯行という観点から、事案を再調査してもらいたい。特に、1977年、78年に発生したケース、それも行方不明者の年齢が、20代あるいはティーンエイジャーであるケースについては徹底的な洗い直しが必要である。

●拉致の目的
 当然、一つの疑問が湧いてこよう。北朝鮮は、一体何のために、外国人を拉致するのか?

 過去の事例から、次の六つのパターンが浮かび上がってくる。すなわち、北朝鮮が外国人を拉致する目的は、

(1) 工作活動中の北朝鮮スパイに運悪く遭遇した目撃者を連れ去る
(2) 被害者の身分を盗み、本人になりすました工作員が当該国その他に侵入する
(3) 拉致被害者を、その出身地の言語や風習を北朝鮮工作員に伝授する教官として用いる
(4) 拉致被害者を洗脳し、工作員として用いる
(5) 拉致被害者がもつ専門知識や特殊技能を利用する
(6) 北朝鮮内に住む、一般国民とは異質な居住者、とりわけ脱走米兵のような亡命者や別の拉致被害者など隔離された生活を送る外国人の配偶者にする

 いうまでもなく、これら六類型は相互に排除し合うものではない。被害者の「多角的利用」を狙う場合の方が、むしろ普通であろう。

 これら6つの目的のうち、
(1)は古くから一貫して行われてきたものである。
(2)(3)(4)は、上記の1976年金正日秘密指令に発する「工作員の現地化教育」に対応したものといえよう。
韓国の女優崔銀姫氏や映画監督申相玉氏のケースは(5)に当たる。
最後の(6)は、いわば、犯罪が新たな犯罪を生むという範疇に入るものであろう。

●「検証可能なテロ放棄」としての被害者解放
 拉致の実態が明らかになり、北朝鮮に批判的な世論が高まる中、なぜ北は、いまだほとんどの拉致被害者を解放しようとしないのか。
 ここで注目すべきは、横田めぐみさんをはじめ多くの拉致被害者が、工作員の教育係を強いられてきたという事実である。

 もし解放されて故郷に戻れば、彼ら拉致被害者は、捜査機関が示す情報の確認などを通じ、各国に潜伏する北朝鮮工作員の摘発に貢献できよう。

 私は、北朝鮮が被害者の解放を拒む主要な理由はここにあると見ている。逆に言えば、もし、北がテロリスト養成事業をやめ、すべての工作員、世界各地に潜伏させているスリーパー・セル(冬眠テロリスト)を引き揚げるという決断をするなら、彼らの顔を知る教官たち——すなわち拉致された外国人——を、即座に解放できるはずである。

 北朝鮮が拉致被害者解放を拒んでいるという事実こそが、北にテロを放棄する意思がないことを示す何よりの証拠である。

 北朝鮮に何らかの経済支援を行う前提条件として、「検証可能な核廃棄」を求めるという方針は明らかに正しい。同様に、「検証可能なテロ放棄」も、やはりあらゆる支援の前提とされねばならない。拉致被害者の解放は、このテロ放棄過程における必須の要素である。

 すなわち、拉致問題が未解決である限り、われわれとしては、北朝鮮にテロを放棄する意思なしと見ざるを得ない。したがって、当然そうした前提のもと、北に対処していかねばならない。

●北朝鮮に拉致された子供たち
 国家による子供たちの拉致は、とりわけ許すべからざる行為である。そして、北朝鮮によって拉致された13才の被害者は、横田めぐみさんだけではない。もう一人、13才の犠牲者がいる。寺越武志という名の日本人少年である。

 武志さんは、1963年、2人の叔父とともに操業中の漁船から姿を消した。
ある脱北者の証言によれば、漁船は日本の海域内で北朝鮮の工作船にぶつけられ、工作船は、証人を消すため、寺越さんらを連れ去ったという。

 1987年、叔父の一人が、日本の家族のもとに手紙を届けることに成功し、この失踪事件が北朝鮮による拉致であることが明らかになった。

 武志さんの母は、当初、息子を取り返すため、他の被害者家族とともに活動していた。しかし、北朝鮮当局は武志さんを脅し、拉致ではなく北朝鮮の船に「救助」されたのであり、北で「幸せに」暮らしていると宣言させた。そのため、母親の態度も変わり、現在、息子の名前を拉致被害者リストに加えないよう日本政府に求めている。

 母親は、平壌にある武志さんのアパートを時々訪問することを許されている。
彼女は明らかに、北朝鮮当局を刺激して、訪問を拒絶されるという事態を恐れている。

 私は、日本政府は、はるか以前に、武志さんと2人の叔父を拉致被害者と認定していなければならなかったと思う。ところが、いまだに認定せず、そのことで、北朝鮮に対し、誤ったメッセージを発し続けている。

 北朝鮮の船が武志さんを「救助」云々というのは、笑止千万な話である。
 仮にそれが事実であったとしても(もちろん事実ではないが)、13才の少年を救助して、数十年間も両親に知らせないというのは、それ自体、拉致以外の何物でもない。

 叔父の一人(北は、すでに亡くなったと主張している)の3人の子息は、拉致被害者家族会の活動的なメンバーであり、日本政府が寺越事件をはっきり拉致と認定するよう求めている。

 米議会下院は、北朝鮮による拉致を「テロ行為であり、人権のあからさまな侵害」と非難した2005年7月11日付決議の中で、寺越事件に、正しく次のように言及している。

 北朝鮮の工作員は、子供たちを拉致し、自分の子供に何が起こったのか分からぬまま暮らす両親に、想像を越える苦悩を強いてきた。その例として、2人の叔父とともに拉致された13才の少年、寺越武志のケースがあり、……(以下略)

 この決議は、われわれを大いに鼓舞してくれた。ここで改めて謝意を表したいと思う。

 先に、少なくとも5人の韓国人高校生が、北に拉致されていると指摘した。日本人の高校生に関し、拉致ではないかと疑われるケースもいくつかある。北朝鮮によって拉致された子供が、日本人と韓国人に限られると見る根拠はどこにもないと思う。

●秘められた意図をもった結婚:脱走米兵と拉致された女性たち
 1965年1月、北朝鮮に向け脱走した米陸軍軍曹、チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は、2004年に解放されて来日後、北朝鮮での厳しい生活を、他の3人の脱走米兵、すなわちジェームズ・ジョゼフ・ドレスノク一等兵(1962年8月入北)、ラリー・アレン・アブシャー二等兵(1962年5月入北)、ジェリー・ウェイン・パリッシュ伍長(1963年12月入北)と、時に一緒になったり離されたりの関係で過ごしたと証言している。

 これら四人の脱走米兵は、すべて北朝鮮内で、海外から拉致された女性と結婚した。

 若くして拉致された日本人曽我ひとみさんは、ジェンキンス氏と結婚した。娘2人が生まれ、彼女らは、現在日本で、勉学に打ち込むとともにキャンパスライフを楽しんでいる。しかし、ひとみさんとともに拉致された母親はいまだ行方不明のままである。北朝鮮は、母親が入国した記録はなく、何も知らないと主張しているが、信ずるに値しない。ひとみさんは、自身拉致の被害者であったと同時に、いまなお拉致被害者の娘であり続けている。

 1978年、日本で仕事があると騙され、北朝鮮に連れてこられたレバノン人シハーム・シュライテフさんは、パリッシュ氏と結婚し、三人の息子をもうけた。
パリッシュ氏は1997年8月に死亡したが、彼女と3人の息子は今なお北朝鮮にいる。

 1978年、マカオから拉致されたタイ人、アノーチャ・パンジョイさんはアブシャー氏と結婚した。アブシャー氏は1983年に死亡している。数年後、アノーチャさんはジェンキンス氏に対し、まもなくドイツ人男性と再婚すると語った。それが、ジェンキンス氏がアノーチャさんを見た最後だという。

 ドナという名のルーマニア人女性は、ドレスノク氏と結婚した。ドナさんは、亡くなる直前、ジェンキンス氏に次のような話をした。

 彼女の母親はロシア人で、父親はルーマニア軍将校であった。彼女は、かつてあるイタリア人男性と結婚した。離婚後、慰謝料を用いイタリアの芸術学校に入学した。

 その時知り合った美術商風のイタリア人男性が、ロシア、北朝鮮経由で香港に行き、個展をめぐるツアーをしないかと持ちかけてきた。彼女は北朝鮮で止められ、イタリア人の男はどこかに消えた。

 ドナさんは1997年、肺ガンで亡くなった。彼女が北朝鮮の地に埋葬されたくないと言ったため、ドレスノク氏は、遺体を火葬に付した。その後ドレスノク氏は、ダダという名の女性(北朝鮮とトーゴのハーフ)と再婚した。
 ジェンキンス氏は、次のような興味深い証言をしている。北朝鮮の工作活動指導部は、おそらく、外国人カップルの子供、混血の子供を、特に在外米軍基地の周りで活動する秘密工作員として利用しようと考えていたのではないか。在外米軍基地周辺では、混血の子供たちは決して珍しくない。

 ジェンキンス氏は、北朝鮮当局が娘たちを平壌外国語大学に入れよと指示してきたとき、やりきれない思いになったと述べている。ちなみに、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯金賢姫も、この大学在学中に、秘密工作員に選抜されている。

 以上に鑑みれば、北朝鮮に拉致された女性たちは二重の苦悩に苛まれているようだ。まず最初は、若くして突如将来の夢を奪われた拉致被害者として。次いで、彼女らが心から憎む北朝鮮という体制の秘密工作員になることを強いられる子どもの母親として。

●救出活動を妨害する中国政府
 中国政府は、自らも署名している国連難民協約に違反して、難民狩りに奔走し、哀れな難民たちを金正日の拷問室へと送り還している。こうして強制送還される人々の中に、拉致された外国人、その家族、拉致被害者について重要情報をもつ人々などが含まれていた、現に含まれている、また今後も含まれるであろうことは間違いない。

 中国当局は、拉致被害者を救出しようというわれわれの努力を、組織的に妨害している存在と断ぜざるを得ない。

 さらに、中国当局は、自国の拉致被害者を取り戻す努力も何らしていないようである。一例を挙げよう。

 2人のマカオ居住者——当時20才の孔令イン(貝二つの下に言)さんと22才の蘇妙珍さん——が、1978年7月2日、北朝鮮工作員によって拉致された。
マカオは当時ポルトガルの植民地であったが、1999年に中国政府の施政権下に入った。二人の拉致被害者は、したがって、現在、中国国民である。彼女たちの家族もまた中国国民である。

 私たちは、関係者とのさまざまな面談などを通じ、この件が拉致であると実証することが出来た。たとえば、韓国人女優崔銀姫氏が、平壌にあるいわゆる「招待所」で一時的に、孔令インさんと一緒になったと証言している。

 崔銀姫氏は、孔令インさんのクリスチャン・ネームが「マリア」であると記憶していた。われわれは、孔さんの家族にこの点を照会した。家族らは、孔さんがカトリックの洗礼を受けたことは知っていたが、クリスチャン・ネームは知らなかった。家族は、孔さんが通っていた教会に走って、彼女の洗礼名が実際、「マリア」であることを確認した。
 崔銀姫氏は、孔令インさんが、中国語の教育係をさせられていたと述べている。

 われわれ「救う会」は、東京の中国大使館スタッフに、中国国民に関わるこれらの情報を伝えようとしたが、彼らは面会を拒否した。そこでわれわれは、関係資料を文書で中国大使館宛にファックスおよび郵送した。現在に至るまで、何の反応もない。無視を決め込んでいるようだ。

 中国政府は、難民を北朝鮮に送り還すことで外国人拉致被害者の救出を妨害するのみならず、北朝鮮に囚われている自国民を弊履のごとく捨てて顧みない。こんな政権に、オリンピックを開催する資格があるだろうか。
 公開競技として難民狩りを実施するとでもいうなら、中国が開催地として適当だろう。そして間違いなく、中国チームが優勝するであろう。

 が、常識の立場に立つなら、難民狩りを続ける限り、北京はオリンピック開催地としてふさわしくない。

 北朝鮮についてある人が、生きていく(live)ことができず、さりとて去る(leave)こともできない場所とは、すなわち地獄の定義に他ならないと述べている。その通り。そして北京は、その地獄の共同管理者である。中国共産党指導部は、自らを恥じるべきだ。

●経済的締め付けを通じたレジーム・チェンジ
 私は、久しく、レジーム・チェンジ(政体変更)こそが拉致問題解決の唯一の道だと確信している。核問題、ミサイル問題解決についても同じである。半端な方策は役に立たない。
したがって問題は、いかにしてレジーム・チェンジを実現するかである。

 勝利に近道はない。私は、経済的締め付けが鍵になると思っている。そしてその場合、平壌のみならず、北京にも圧力をかけねばならない。

 この点、昨年9月にアメリカが発動した金融制裁は、まさに正鵠を射た動きである。この制裁は、とりわけ、北朝鮮と手を組んでいる中国の銀行を標的にした。
私は、米国が、ますますこの種制裁を強化し、他国もアメリカにならうよう望んでいる。

 日本政府は、安倍晋三官房長官の強いリーダーシップのもと、近年、さまざまな道具を用いて、北朝鮮に対する経済的圧力を強化してきた。心強い動きだといえる。

 二年前、日本の国会は二つの重要な法案を可決した。一つは改正外国為替及び外国貿易法で、政府が「わが国の安全と平和のために必要」と判断した場合、いかなる国に対しても、貿易や送金を停止する権限を与えたものである。

 もう一つは、特定船舶入港禁止法である。いまや日本は、首相が決断しさえすれば、北朝鮮の船舶に限らず、中国籍やさらには日本籍であっても、北朝鮮の港に立ち寄った船をすべて日本に入港禁止とすることができる。

 私が見るところ、この強力な道具は、あまりに長い間たなざらしにされてきた。
今や、全面的な経済的締め付けを行うべき時である。

 金正日に何かメッセージがあるか? 何もない。救いがたい男という他ない。
可及的速やかに歴史の灰の山に墜ちていくことを願うのみだ。

 しかし、金正日の周りに対しては、メッセージがある。あの男を除去せよ。そして、拉致被害者、その家族、その友人、友人の友人——すなわち金正日と手下を除くすべての人々の安全と自由を確保することだ。そうすれば、単に制裁の解除のみならず、世界中から、多額の経済援助が来ることを期待できよう。


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2006年6月 4日 (日)

東京集会18-10横田拓也さん


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みなさま、こんばんは。横田拓也でございます。一番近い日程で、訪韓で、哲也が行ったんで、私哲也じゃないかという話じゃないかという方がいるかもしれませんが、アメリカに行った方の人なんで、お間違えないようお願いします。(会場笑い)

さきほど、多くの方が話しているので、重複するところはカットしてお話ししたいと思います。

日本時間で、24日~30日の行程で訪米団を組みましてアメリカに行って参りました。
家族会、救う会、議連の先生方、内閣府、外務省そして在米の日本大使館の方、本当に政府一丸、国一丸となって今回は、訪米をすることができて、その姿勢や意気込みが伝わる形で多くの方々とお会いすることができたということでございまして、私達が気持的にも、肉体的にも倒れることがなく訪米を終えることができたのは、皆様方の心からお支えがあってですね、無事に帰国をすることができて、それも訪韓に結びついたと私達は理解をしております。

母の方から、初日にステーブ・チャボット下院議員の方とお会いしまして、いつもどおり--私達も何度もお会いしている方なんですが--この拉致問題の深刻的状況、何も解決されていないんだというお話を申し上げて、その方は公聴会にも後日出られる方なんですが、事前にお話を申し上げたわけでございます。

報道でみなさんがご存じないこと等のほうが、みなさんが興味があると思うので、その点をお話ししようと思うんですが。
実はチャボット議員の部屋の中で、姉が、北朝鮮から提示された、哀しそうな顔をした、大きな写真と、私達が幼少の頃の--父が写真を撮って、4人で手をつないで山口だと思うんですが、歩いている写真、ご記憶あると思うんですが、あの写真を私達が見せたときに、チャボット議員が『あなたはどっちの弟なんだ』と聞かれて、正直私わからなくて、『わかりません』という話を申し上げて、(会場笑い)母が『こちらが拓也です』と、助けの一言を入れてくれたおかげでですね、委員も『なるほど』ということで、なんなくその場は収まったと言うことでございます。

そのあとも、会見が終わった後、部屋の廊下でですね、本当に多くのカメラ・報道の方がいらしゃって、実にご関心が高いと言うことが彼らをもってわかりましたし、議員は、私達の心を、本当に全部受け止めてくださって、『拉致問題、絶対許さないんだ、アメリカとしても、これからも、追求していくんだ』と私達に声をかけてくださったことは、とても大きな成果だったというふうに思っています。

そして、翌日には、国防総省とか国家安全保障会議に行くわけですが、先ほど母が若干ちょっとニュアンスが違うようないい方をしていたんですが、始めからイングランド副長官がお迎えになると言うことではなくてですね、当初はローレンス国防副次官と、ヒル部長という方がですね、私達が事前に知らされていたお会いする予定の方だったわけなんです。そこで、国防総省のビル、正面玄関に行ったときに、すでに、国防副次官が、ご本人が直接私達をお迎えになってくださっている状況でありまして、国防総省、テロの後の時で、とてもセキュリティが厳しいわけなんですが、ノーパスノーチェク、で、私達が部屋の中に入ることができて、こう話しているときに、後からイングランド副長官が、私達の部屋には行ってくださって、先ほどの飯塚副代表がおっしゃっていたように、まぁ、ちょっとサプライズ的なお話をされて、とても、国防というとなかなか厳しい顔をされた方なのかなという感じがあるんですが、母によると『母の父に似ている』、何かそんな風な話もしていましたけれど(会場笑い)、そういうすごく身近なものを感じたと母は当日言っていましたが、とても優しい顔で、目が本当に柔和な方で、私は『この方が本当に副長官なのかな』とというくらいの優しい顔つきの方でありました。

そして最後には記念写真とか、先ほど公聴会にお届けくださった写真をですね、わざわざ私達に届けてくださって、おそらく公聴会前に、『がんばれよ』と、勇気を付けてくださったんだと思いまして、一言一言違うメッセージというものは何も声は聞こえないんですが、本当に私達の心に響く大きなメッセージであったというふうに思います。

国家安全保障会議に行ったときもですね、実は、去年の10月に、半年前に増元さんと私と島田副会長とですねアメリカに行く際にですね、当時の上級アジア部長、マイケル・グリーンさんにお会いしたわけなんですが、今その方、おやめになって、今後任でワイルダーさんという方が上級部長を務めていらっしゃいまして、その下にアジア部長のビクター・チャーさんという人がいらっしゃいます。

私達は、本来そのお二人に会うという予定で行ったわけなんですが、行ってみると、『レコビッツ人権特使もいますよ』ですとか、クラウチ国家完全保障会議の次席補佐官もお部屋に来てくださっていてですね、とても心強いというか、予定外で、しかも、それより上位、高位の方が、いつも私達のお会いする機会に同席してくださると言うことで、本当に今回の訪米というものは、私達のこの気持ち、ムーブメントみたいなものにですね、本当に同調・同感される形で、この問題、何とか解決しようじゃないかという気持ちが響いていたというような形です。

クラウチさんが私達に言って行ってくれた言葉の中で、後ほど、西岡先生とか島田先生のほうが、若干の捕捉をしてくださると思うのですが、アメリカというのは、ご存じの通り、核問題、安全保障の問題で北朝鮮と対峙して、そして六カ国協議でこの問題を真剣に討議するわけなんですが、その時に、『あれは六者協議は六者協議の問題なんだと、あともしくは犯罪行為・××兵器・・たとえば麻薬の問題とか、人身売買の問題とか、偽ドルの問題、こういったものは、・・・許せない問題であって、安全保障の問題、核の問題を叩くときに、私達の人権の問題、拉致の問題を譲らない、ここはは原則として譲らないと言うことを、あなた方に約束する』と、私達に<約束する>という言葉を使ってくださって、アメリカの真剣な強い気持ちというのがですね、私達にに伝わったとても良い機会、これはご本人個人の言葉ではなくて、おそらく大統領の言葉でもあったでしょうし、国の考え方だったと思うので、その時はまだ大統領と本当に会えるかどうかと言うのは定かではなかった時期だったのですが、とてもアメリカの意気込み、本気度合いというのが、私達に響いたわけでございます。

翌日は27日の公聴会、これが、事前に私達が公式的に伝えられていた一番のメインの行事であった訳なんですが、母と島田先生がお話しする機会と言うことで、個人的には母と今回、同じ部屋に一週間宿泊をしました。やはり父が今回体調が崩れることを懸念して、父は日本にいて哲也が体調のケアをして、私が一緒に行くことで一番近くにいて何とかが起こらないようにと言うことで、一緒の部屋で同行同席したわけなんですが、まぁ、その母がこうは見えても、なかなか緊張し~でして『公聴会、明日本当のどうしよう』いうことで、もう本当に。うろうろはしていないんですが、たぶん気持ちはうろうろ、うろうろしていているような感じで緊張している訳なんですね。で、『どうしよう、とどうしよう』と言うんですが、一番この中でも本番には強いと言うことで(笑い)、皆様もご覧になったとおり、きっちり伝えることができて、(拍手)

委員長が二人いるんですが、スミス委員長が公聴会が終わった後にある記者のインタビューに答えたところによると、『二十数年間の議員生活の中で、一番感動した公聴会の証言だった。』ということもお話しされているとおり、とても日本国民のみなさんも報道を見てご覧になって感じていらっしゃるように、アメリカの方にも、多くの方がこの事実と人の大切なものを理解をすることができた良い機会であったし、それが世界に発信できたし、それが記録に残ったということは、おおきな意味があったわけです。

その時点ですでに、アメリカで私達に同行してくださった記者の方は、『もう大統領と会うんでしょう』と『裏とれてるんでしょう』と全員質問でくるんですけれども、私達はそうはいってもなかなかわからないですし、前日のイングランド副長官が、直接的言葉もなくはなかったような気もするんですが、『アメリカの最高の関心を持っていますよ』といういい方をなさっていたので、大統領はお忙しい立場の方なので、本当に会えないかもしれませんから、あまりぬか喜びしている立場でも私達はありませんし、そんな人間ではありませんから、会えないかもしれないという前提で、『そんなことは知りませんよ、聞いてません』ということで報道記者の方にはお伝えしていたんですが、ただまぁ、前日の27日夕方、5時50分ぐらいだったと思うんですが、日本大使館の方から、電話をホテルの部屋に頂きまして『決まりました』ということが正式に入って、そうすると、公聴会がやっと終わって肩の荷が下りた、力が抜けた母にですね、第二波の緊張の波がきまして、『どうしよう、どうしよう』ということで、公聴会前のうろうろぶりが更にはやくなってうろうろしているかたちでですね、緊張しまくっていたということが、当日の部屋の中の状況でした。

まぁ、母は先ほど言ったように本番に強いと言うこともあったんですが、私自身もたまたま、今回あの部屋に一緒にしてもらったのは、母と私と言うことだったんですが、緊張しなかった大きな理由というのは、それは、家族会で今回一緒に行った方々、今日お見えになった方もいますけれど、今回ご一緒できなかった有本さんとか、もしくはこれなかった家族会の方々、特定失踪者の方々、いろんな人々の全ての期待を背負っている、その自信と自負があるので、自分が完全に自分自身でない、超越しているような気分になってもう緊張しない(会社にいる方が緊張してるかもしれませんが、これは冗談ですけれども)それくらい普通の気持ちで会うことができたし、あとやっぱりみなさん方に支えられていて、きっとこれをテレビなり、あとでカメラなりでお知りになるだろうということが、本当に勇気を後ろから支えられて押されていると言う気持ちがあって、まぁ母はたぶん当日緊張しなかったと思うんですけれども、とてもフランクな気持ち、状態で、大統領にお会いすることができたと思っています。

当日は実は、私達の家族会と、ハンミちゃんたちと、さきほど西岡先生がお話しされてたキムソンミンさんが大統領執務室の中にご一緒させてもらったんですが、その私達が入る前にアゼルバイジャン大統領がいたわけです。私達が控え室で待っていると、あちらのアメリカのエネルギー庁長官がですね、いらっしゃったり、加藤良三大使が、『緊張しないで楽しむような気持ちでいなさい』とか言って私達にリラックスの言葉を投げかけてくださるような配慮をしてくださり、それでやっとスタッフの女性の方が『今日はビジーですが、順番ですからどうぞ』と言う形で通してくださって、そう言う状況から、母が冒頭、最初に『お忙しい中お時間を割いていただきありがとうございます。』というお礼のを申し上げたところですね、先ほど飯塚副代表がお話ししましたように、『人の尊厳とか、自由とか、そういうものを話せないほど、自分は忙しくないんだ』という言葉を言ってくださったときに、私はこの辛い活動の中で一番嬉しかったし、これほど人間的な瞬間はなかったと思います。

これは、ホワイトハウスのホームページで私達が会った時の写真が今でも掲載されていると思うんですが、会った瞬間の握手を母がしている写真ですけれども、あの時も、8年前、10年前、署名活動、ビラを配っているときに、これは誰が悪いと言うことより、事実として申し上げると、どなたもご関心がなかった、振り向いてくださらなかったあの頃と比較した時に、大統領執務室で私達が、握手ができているということの大きな違いの感動と、大統領とお会いしたときに、『そんな時間はないほど、自分は忙しくないんだ』ということを私達に配慮、もしかしたらあれは本当の気持ちだったと思うんですが、言葉として投げかけてくださったことはとても嬉しかったし、本当にこれは大きなメッセージになったし、北朝鮮が早く悔い改めてほしいなということを思いました。(拍手)

今回母と一緒に部屋にいた時にですね、確かに行く前から体調はすぐれていなくて、周りからも私達家族からも、『今回見送った方がいいんではないか』と言う声もあったんですが、シーファー大使の感触ですとか、今回の訪米が大きく前進できた成果というのは、実はみなさんご存じのように安倍官房長官の、本当に心強い、力強いお支えがあったためで、それが事前に私達も何となく聞こえていたので、それでまぁ母に無理を言って一緒に行った訳なんですね。

部屋にいるとですね、今回右肩が痛いということで、体中がこわばって、さきほど言ったように二回も緊張があったわけですが、本当に母は私達の前でも弱音を吐くことはないんですが、寝返りを打つときの、本人は寝ているんでしょうけれど、寝ながら『痛い痛い』と言いながら寝返りをうっていましたから、本当に家族会の立場では来てほしかったけれども、個人の家族、息子としては、『本当になんでこんなところに連れてきてしまったんだろうな』という辛い気持ちも重なりながら早く両親他、そしてここにいる家族、特定失踪者の家族も含めて、そして一番苦しんでいるのは被害者本人達が、みんなが、早く楽しく、楽になって、笑いあってみんなに報告できる機会が来ればいいなということを、横にベットにいる母を見ながら思ったと言うのが実際でございます。

今回の大統領にお会いすることができたというのは、本当に皆様方のお力添えの、継続的なお力添えの賜、結果だと思ってまして、これをもっと大きなムーブメントに変えていかなければいけないですし、・・・に結びつけて、本当に国際的な輪を主張していかなければ行けないと思っています。

アメリカの多くの方々が言っていたのは、『人権というものは、とても力強いものであり、普遍的なものである』というのはその通りでございまして、この点は韓国がですね、今・・なっているかというと、みなさんもご存じでしょうが、拉致されている被害者の規模から考えても、人間として何をしなければならないのかというのを自分たち一人一人が国境、国民、政治、イデオロギーを超えてですね、親から教えられたことを、自分たちが、何をしなければいけないのかということを彼らも考えて実行して行かなくていけないし、今回私達が大統領とお会いしたときに加藤良三大使が政府を代表する形で、私達をエスコートしてくださったわけですけれど、韓国側には大使も公使もだれもいなかったということは、何を意味しているのかということをですね、もう少し、日本国民の皆様方も、韓国国民の皆様方も、世界国民の世論の皆様方も、注視していく必要があるのではないかなと言う風に思います。

今のがだいたいの行程なんですが、その行程の中で26日だったと思うんですが、実は加藤良三大使の大使公邸で夕食会の機会がございまして、その夕食会の前にレセプションというのがあって、大使公邸に行く前に国家安全保障会議で、先ほどのワイルダー上級部長とかビクター・チャー部長とか、実はレセプションにいらっしゃったんですね。私達はそんな方がまさかいらっしゃるとは思わないので、『どうもどうもありがとうございます』なんて言っていたら、何処かで見たような方がいらっしゃったので日本人の方かな、どなたかなと思っていたら先ほどあった偉い人が歩るかれているんですね。

びっくりして『先ほどありがとうございました』なんて言っていましたら、もっと驚いたのは、後ろ姿でどっかでみたなと思っていたら、だれかなと思っていたら、六者協議のクリストファー・ヒルさんがいてですね、かなり背が高い方なんですが、その方がいて、『六者協議どうですか』など通訳を介して話していたんですが、その時にヒルさんがいうには、この前民間で六者協議みたいなものが日本で開催されて金桂寛と会わずに帰ってしまったということ、ニュースでご記憶新しいと思うんですけれども、あのこと聞いてみたんですね。まぁ、ヒルさんが言うには、『金桂寛は私と写真を撮ることには興味があったようではあるけれども、私はそう言うことはいやなんで帰りました』と言ってまして、完全に北朝鮮側の意向というか、だましの手口というのを見切っている、見透かしているというのが本人から聞いた非公式な場でのことばでして、これはアメリカの心強いものというのをいろんな行間行間で私達に教えてくださったものは大きかったなというふうに思っています。

たぶん、ここにも一部あるんですが、母とクリストファー・ヒルさんが写っている写真というのは、後ほど救う会のほうから、ホームページなり、皆様方に配信されるのかもしれませんが、とても大きな前進ではあったんですが、さきほど増元事務局長がおっしゃったとおり、大統領に会えたことは大きな成果ですが、短期的なことだと思うんです。やはり会えても一人として被害者は帰って来ていないと言う部分では北朝鮮側の不誠実な態度というのは、そのままであるし、全然前進していない。未解決であり、彼らの言うような解決済みと言うような次元では全くないということです。
ですから、大統領にお会いしたことがイベント的でよかったねと言うことで--<浮かれている>と言葉は使ってはいけないかもしれませんが--私達誤解してはいけないのは、浮かれている場合ではなくて、これをもっと違うムーブメントに変えて、北朝鮮に対してこの拉致問題を解決するための矢を向けていく必要があると私は思いまして、引き続き皆様のご支援をお願いいたします。

テキスト蒼き星々、金木犀蒼き星々メインボードより


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国民大集会(15) 趙甲済さん

   『趙甲済 前「月刊朝鮮」編集長の訴え(通訳:西岡力氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

さて次に、もうお一方、韓国からのゲストをお招きしたいと思います。
月刊朝鮮の前編集長であります。
趙甲済さんです。(拍手)

★趙甲済 前「月刊朝鮮」編集長(通訳:西岡力氏)

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皆さん、こんにちは。
多分、私は現職の記者でありながらこのような席に立っていることについて、おかしいと思われる方もいるかもしれません。
私とそして月刊朝鮮はこの十数年間の間、北朝鮮の人権問題・脱北者問題そして拉致問題について、報道し続けて参りました。(拍手)
強制収容所から脱出した人の証言を元に、北朝鮮ではいまだにアウシュビッツのような収容所があるという事を報道いたしました。
安明進さんを一番最初にインタビューして重要な情報をたくさん報道いたしました。

また、韓国政府がすでに忘れられて無くしてしまっていた、朝鮮戦争中の拉致被害者そして殺された人たちの名簿を発掘いたしまして、それを本にして出版いたしました。
また戦後の400数十人の拉致被害者について、最初に問題提起をいたしました。
また実際拉致された被害者で、自力で中国に逃げた人3人を、我が月刊朝鮮の記者が助け出してソウルに連れてきました。(拍手)
このような活動を通じて月刊朝鮮は、北朝鮮の人権問題に関する情報を世界に輸出する媒体となりました。
ところが最近数年間、韓国の月刊朝鮮を除く他のマスコミや韓国社会は、北朝鮮の人権そして拉致問題について、日本の活動状況・日本の運動から学ぶ輸入国家になってしまいました。

なぜそうなったのか?
まさに1980年以降、北の人権問題に無関心で金正日政権に服従する左派政権が韓国に成立したからであります。
しかしこの部分で誤解の無いようにお願いします。
北の人権問題、そして日本人拉致問題・韓国人拉致問題について無関心で顔を背けているのは、政府とそして政府系の御用言論だけであって、大韓民国の国民はそうではありません。(拍手)
韓国の愛国心のある勇気のある人々は、日本の皆様よりもっともっと勇敢に積極的に、北朝鮮の人権問題・脱北者問題、韓国内で金正日政権に追随している勢力と勇敢に戦っています。

その成果を5月31日の韓国の統一地方選挙の結果によって皆さん方も確認できると思います。(拍手)
私が自信を持ってここで予言を出来るのは、5月31日の統一地方選挙におきまして、北朝鮮の人権問題に顔を背けてきた与党、ヨルリン・ウリ党は史上最悪の惨敗をするだろうと見ています。(拍手)
その与党の大敗北は、この間北朝鮮の人権問題に関心を示さず、金正日に服従して来た与党に対する国民の正義感と怒りの現れです。(拍手)
この間日本の国民の皆さんが、韓国全体が北朝鮮の人権問題・拉致問題に冷たいように誤解してしまったのは、実は政権とそれに癒着している御用言論が、国民の正しい声を外に伝えて来なかったからです。
そういう面で盧武鉉政権は大韓民国の健全な国民を代表していません。(拍手)

今日ここで確認できたのは、ただの一人の悪魔のために韓国人そして日本の皆さん、そして世界中の人たちが苦しめられているんです。
金正日の存在は、韓国・日本を含むアジア人、もっと広く人類全体に対する挑戦だと思います。(拍手)
金正日と人間は共存できません。(拍手)
この間、金正日政権の反人類的な犯罪が許されてきたのは、その事を防ぐ事が出来る人たちが関心を持たなかったからです。
私はユダヤ人のタルムードと言う本にこのような事が書いてあるのを覚えております。

「残忍な人間を同情する人間は、同情されるべき人に対して冷たい」(拍手)

今日、金正日政権が続く事を助けている人は、金正日の国際的な犯罪の共犯者です。(拍手)
なぜならば、まさに彼らが金正日政権の国際犯罪をやめさせる力を持っていながら、それをしないでいるという事だからです。(拍手)
私が今日ここに来たのは、真実があなた方を自由にすると言う心理を信じているからです。(拍手)
金正日が日本人を拉致したと言う真実を佐藤勝巳先生や西岡先生のような少数の偉人たちが(笑い声)、発見して道を変えていくのです。
今日はこの席は私には韓日人権協力の場面に考えられます。(拍手)
韓日人権協力は、韓日経済協力・韓日軍事協力よりも重要です。(拍手)

ここにいらっしゃる皆様方、そして私の心の中にあるのは人間の大切さ、そして愛であります。
私は最初から金正日を憎んでいたわけではありません。
金正日が行った悪行によって、北の人々がどれだけ苦しんでいるのかと言う事を知って、金正日を憎むようになったのです。(拍手)
ここにいらっしゃる皆さん方はそれぞれ国籍に従った愛国者だと思います。(拍手)
ある民族に対する憎悪心や過去に対する問題を刺激して、国家主義・国粋主義に行くのではなくて、人類に対する普遍的な愛を持って愛国者になるためにここに来たのです。(拍手)

皆さんが方心配している問題の解決は、金正日に対する圧力だけでは解決しないと思います。
この問題の解決は金正日政権の交代、そして韓国の左派政権の終息、そして中国の政策変化が行われて始めて解決するのです。(拍手)
ですから、この問題は拉致された日本人を取り戻すだけの問題から、もっと広いアジア全体の平和と繁栄の問題に拡大されなければならないのです。(拍手)
その意味で私たちは今歴史を変えている主人公であると思います。(拍手)
従いまして、私たちは必ず勝利をすると、今勝ちつつあると言います。
ありがとうございました。(大きな拍手)

★櫻井よしこ氏

趙甲済さん、金聖ミンさん、宋永仙さん、李美一さん、崔祐英さん。
韓国からいらした5人の方々、本当にありがとうございました。(拍手)
日韓両国が手を携えて一緒に頑張りたいと思います。
ありがとうございました。(5人の登壇者その場に立ち上がって会場に会釈、大きな拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(14) 金聖ミンさん

   『金聖ミン(王へんに文) 自由北朝鮮放送代表の訴え(通訳:西岡力氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

さて次に自由北朝鮮放送の代表であります、金聖ミン(ミン=王へんに文)さんにお願い致します。(拍手)
金聖ミンさんも韓国で孤独な戦いを続けております。(拍手)
よろしくお願いします。(拍手)

★金聖ミン(王へんに文) 自由北朝鮮放送代表(通訳:西岡力氏)

お会いできて嬉しいです。
私ども自由北朝鮮放送局を訪問してくださいましためぐみさんのお父さんと弟さん、そしてるみ子さんのお姉さんと弟さんの声は、今日も私どもの電波に乗って北朝鮮に届いています。(拍手)

金正日は外国人まで拉致して行った悪魔であり、それと戦い続けている皆さん方は天使ですけども、皆さん方の邪魔をする人間は、金正日と同じ悪魔であると警告を発したいと思います。(拍手)

皆さん、希望を持ってください。
金正日の最近のやり方を見てますと彼は長くは持ちません。(拍手)
拉致・核・麻薬・偽札、出来る限りの悪をやっているわけですけれども、金正日政権さえ倒れればみんな解決します。(拍手)
金正日さえいなくなれば、皆さん方の愛する娘・息子・きょうだいたちが、みなさん方の涙を拭くために走って帰ってくるんです。(拍手)

拉致問題の貴重な情報を提供してくれた安明進さんと私たち脱北者は、ソウルで金正日の打倒のために一生懸命放送を使って戦います。
是非、私たちを応援してください。(拍手)
どうぞお願いします。(拍手)

★櫻井よしこ氏

北朝鮮から脱北してきた姜哲煥さんは言っております。
北朝鮮でラジオを聴いて、韓国の様子・日本の様子を聴いて本当に勇気付けられたと。
ですからこの北朝鮮向けの放送は本当に多くの人の耳に届いている事と思います。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(13) 宋永仙 さん

   『宋永仙 韓国・ハンナラ党国会議員の訴え(通訳:西岡力氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

またここで日韓の協力を実現していく為に、韓国の方からもハンナラ党の国会議員の方々がいらしてくださいました。
そのうち黄(祐呂)議員は議会の仕事がございます為に、昨日韓国の方にお戻りになりまして、今日はこの会場に宋永仙議員がいらして下さっています。
宋議員、よろしくお願いします。(拍手)

★宋永仙 韓国・ハンナラ党国会議員(通訳:西岡力氏)

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(日本語で)皆様、こんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)
ハンナラ党の北朝鮮の人権問題と拉致問題委員会の幹事長を担当している宋永仙議員です。
今から、韓国語で話すのでお願いします。(拍手)

(以下、韓国語で)
拉致問題に対する日本の態度が羨ましいです。
国民と政府、皆が一体となってこの問題に取り組んでいると言う事を感じさせられました。
日本は全国民が一つになって、拉致問題に国家の名誉を賭けて取り組んでいるということが羨ましいのです。
率直に申し上げますと我がハンナラ党の中でさえ、この問題に対する正しい理解と幅広い支持が不足している状況でございます。
韓国で拉致問題に関するセミナーや学習会を開きますと、与党や政府からは誰も来ません。
そして聴衆の席は空席ばかりが目立つと言う状況です。
それだけでは無くて今日の、北朝鮮に対して経済制裁を加えるべきだと言う日本の一致した声が大変羨ましいのです。

大韓民国の政府と与党は来年2007年12月の大統領選挙まで、この問題に無関心を装うのではなくて、逆にこの問題を政治利用して反日・反米の道具に使ってくるのではないか?と思っています。
と言うのは、今の政府の態度は拉致問題、そしてそれだけではなくて北朝鮮の人権問題に取り組んでいる人たちに対して、彼らは親日だ、親米だ、反民族主義者だというふうにレッテルを貼ろうとしているからであります。

盧武鉉政権は「拉致被害者・脱北者」と言う単語さえ使いません。
拉致被害者と言う単語の代わりに、「戦争以後に消息が分からなくなった人々」と言う単語を使います。(小さな笑い声)
これは金正日の要求に服従してしまった結果であります。
拉致だとハッキリ言う事は、金正日が気分を害して南北関係に悪影響を与えると考えているのです。
このように基本的な考え方が違う政府・与党に対して、ハンナラ党が野党の立場で拉致問題に取り組むと言うのは孤独で激しくそして寂しい、卵で岩に立ち向かうような、その様な辛い戦いであります。

しかし私はこの道を選びました。(大きな拍手)
北朝鮮の人権問題を解決して、拉致被害者を取り戻す長くて険しい苦しい道を選んだのです。
有名になる道でもなく、お金になる事でもなくそして、票にもなりません。(笑い声)
しかし、私はしなければなりません。(拍手)
大韓民国を愛しているからです。(拍手)
真の朝鮮半島の平和の為です。(拍手)
そして奪われた我が家族を取り戻すために、この事をしなければならないのです。(拍手)

そして何よりも大切な事は、自由民主主義の勝利を金正日に見せ付けてやる事です。(拍手)
私たちのような平凡でそして心の温かい人たちは、人を攫っていってなぶり殺し飢え死にさせているその様なテロ政権を終わらせる事が出来る、勝つ事が出来ると言う事です。(拍手)
国民の痛みと共に会い、国民の涙を拭いて上げるのが政治家の仕事であるならば、一番最初にしなければならない事は北朝鮮の人権問題と拉致問題の解決であります。(拍手)

皆さん、人権は国境・国籍を越えております。
北朝鮮の人権と拉致問題の解決のために、共に行きましょう。(大きな拍手)

★櫻井よしこ氏

野党・ハンナラ党の宋永仙議員でありました。(拍手)
宋永仙議員に全身全霊の支持を与えて続けていきたいと思います。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(12)李美一さん

『李美一 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表の訴え(通訳:西岡力氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

次に朝鮮戦争のときに拉致をされました被害者の家族協議会代表の李美一さん、お願いします。
李美一さんも幾度も幾度も、この私たちの大会に参加してくださりました。
よろしくお願いします。(拍手)

★李美一 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会代表(通訳:西岡力氏)

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(日本語で)こんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)

(以下は韓国語)

久しぶりにまた皆さんにお会いする事が出来まして心から嬉しく存じております。
今年も変わる事無く、私ども朝鮮戦争の時の被害者家族会をも招待してくださいまして、心より感謝申し上げます。
この間、私身体の調子が悪くて、私自身が国民大集会に出る事が出来なかった事をお詫び申し上げます。

しかし、いつでも私の熱い心は日本の被害者の家族の人たち、皆さん方と一緒にございました。(拍手)
拉致被害者家族の皆さん、そしてここにいらっしゃる皆さん方の「拉致被害者を助けよう・人権は大切だ」と思う熱い気持ちが2002年に5人の被害者を取り戻し、家族を取り戻しました。
その後も、まだ帰って来れない拉致被害者を取り戻す為に継続して戦い続けていらっしゃる皆さん方に、心からの尊敬と感謝の言葉を申し上げます。

しばらく前に、実は日本の皆さんの積極的な調査の結果、拉致被害者は日本と韓国に限らず、世界各地に広まっていると言う事実が明らかになり、これは拉致問題解決のために大きな一歩だったと思っております。
皆さん、北朝鮮の拉致犯罪がこのように明らかになった以上、北朝鮮の犯罪国家は拉致被害者の生死確認を今すぐして、全ての被害者を家族の元に今すぐ返すのが道理だという事では無いでしょうか?(拍手)

また、最近には高校生・金英男さんが拉致され、そして中学生で拉致された横田めぐみさんと結婚をしていたと言う事実が明らかになりました。
地獄のようなあの地において、被害者同士が少しでも慰め合えることが出来ていたんだなと思って、小さな慰労を受けた物であります。
この間も韓日の拉致被害者家族同士が連帯を強めて参りましたが、この事を契機と致しましてこの連帯をいよいよ強めて被害者全員を早く家族の元へ取り戻したいと願っております。(拍手)

朝鮮戦争のときに拉致されました民間人は10万人を超えております。
これは北朝鮮の金日成が南のインテリを連れて来いと命令をした、命令に基づく拉致であり、また南の人的資源を枯渇させてしまえと言う計画的な拉致でありました。
朝鮮半島はこの間、激しい冷戦が戦われて来た地域でありました。
その様な冷戦体制の中、我々朝鮮戦争拉致被害者の生死確認はもちろんの事、救出も全く出来ないでいたと言う事は大変恥ずかしい事であります。
ご高齢になっている被害者の事を考えますならば、一日でも早い解決が望まれるものです。

2002年9月の南北赤十字会談で、戦時の行方不明者の調査をすると合意をした後、3回も会談が行われていながら何の成果も上げていないということは大変遺憾に思います。
私たち家族会は本来ならば韓国政府がすべき関連公式文書や名簿、韓国政府が作った名簿がどこかに行っていた物を私たちが発掘して公開をする、整理をするという作業をして参りました。
この間集めて参りました資料とそして拉致を直接目撃した方々の証言などを集めて、この9月に朝鮮戦争拉致資料集を発刊する予定にしております。

御覧のとおり、私は身体障害者でありますけれども、それでもこの問題を世界に知らせなければならないという覚悟で、4月の27日には横田めぐみさんのお母様と一緒に、アメリカ議会下院の公聴会で私も証言を致しました。(拍手)
なぜならば、この日本も北朝鮮に対して強い圧力をかける事の出来る国でありますが、世界で北朝鮮に対して一番強い圧力をかける国はアメリカだからであります。

皆さん、北朝鮮の拉致犯罪は金日成時代、1950年から始まった根深い犯罪であります。
拉致とは、貴重な人生をめちゃめちゃにして、愛する家族・家庭をめちゃくちゃにする、許す事の出来ない人権侵害であります。
一人の人間の価値と言うのは何人も変える事の出来ないものであります。
拉致犯罪政権はこれ以上権力を握る事が出来ないようにしなければなりません。(拍手)
国境を越えて全ての拉致被害者を取り戻すために、私たち全てが心を合わせて一致団結しようではありませんか。
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

李美一さん、本当にありがとうございました。
日韓のみならず、全ての国々が力を合わせてこの拉致問題に当たらなければならないというメッセージだったと思います。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(11)崔祐英さん

『崔祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長の訴え』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、拉致の被害者は日本人だけではありません。
韓国には日本よりも幾数倍の多くの被害者がおります。
その韓国から二人の方がお出で下さっています。
まず、拉致韓国被害者家族協議会の会長を務めていて、この会にもずっと参加をして下さっている崔祐英さんです。
よろしくお願いします。(拍手)

★崔祐英 韓国・拉致被害者家族協議会会長

0000775m

皆様、こんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)
今回の国民大集会に招待をして頂いた家族会の横田滋代表、救う会の佐藤勝巳会長、議員連盟の平沼赳夫会長に感謝いたします。(拍手)
5月15日から17日に横田めぐみご家族、増元るみ子ご家族、救う会の西岡副会長、及び11名の方が韓国にいらっしゃいまして、韓国のマスコミとそれから直接に日本からいらっしゃったマスコミの方が、関心が深く深くなって韓国の拉致問題にもいろいろな盛り上がりがありました。
感謝いたします。(拍手)
日本のマスコミの方に、誠に感謝いたします。(拍手)

日韓被害者の連帯はもう7年になりまして、被害者が心を合わせて一つになって協力したら必ず全ての家族が戻ると確信しております。
また被害者以外に日韓議員の連帯を期待しております。
昨年韓国でハンナラ党の金文洙議員が国民大集会に参加してから、今回はハンナラ党の脱北者人権特別委員会の・・・・(聞き取れず)として宋永仙(ソン・ヨンソン)議員もいらっしゃいました。
今年には必ず日韓拉致連帯の連盟の結成を期待しております。

最近ハンナラ党の鄭亨根(チョン・ヒョングン)議員が今まで政府が出来ない事、すなわち拉致された高校生の5人の生死確認を明らかにしてまいりました。
これこそ私たちが6年間訴え続けた事で、一番最大の成果でした。(拍手)

韓国には5月は家庭の日として5月8日(?)には父の日・母の日でした。
お父さんの胸にカーネーションの(花を)着ける時ですが、私は今年もお父さんの胸にカーネーションの花を着けられなかったんです。
それで着けられないままで寂しく過ごしました。
もう20年が過ぎました。
来年の父の日には必ず愛するお父さんの胸にカーネーションを着けられるように、お力をお貸しください。(大きな拍手)

今こそ、日韓被害者連帯を強化する時期だと思います。
頑張ります。
ありがとうございました。(大きな拍手)

★櫻井よしこ氏

私たちよりも素晴らしい日本語で崔祐英さん、本当にありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※参考リンク

「北に拉致された高校生5名は全員生存」
朝鮮日報より


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国民大集会(10) 山中燁子氏

『山中あき子(あき=火へんに華) 外務大臣政務官 メッセージ紹介(代読:櫻井よしこ氏)』

★司会 櫻井よしこ氏

さてここで、外務大臣政務官の山中あき子さんからの、国民大集会に寄せるメッセージが届いております。
大変長いメッセージでございますけれども、その一部を私が代読させて頂きます。

外務大臣政務官 山中あき子

外務省としては、国際的な圧力を強めるべく、G8サミットにおいて拉致問題を取り上げ、力強いメッセージを送り出す事が出来るようにしたいと考えております。
また国連に新たに創設された人権理事会において、日本は5月9日の選挙で理事国に当選いたしました。
今後とも国連の場でも、拉致問題を含む北朝鮮の人権問題を積極的に取り上げていきたいと考えております。」

と言う事で、山中外務大臣政務官から外務省として、これまでの腰抜け外交とは対照的にですね。
一生懸命にやると言う誓いの言葉でございました。
どうもありがとうございました。(拍手)

蒼き星々掲示板サブボードより

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国民大集会(9)漆原良夫氏

   『漆原良夫 公明党拉致対策委員長・拉致議連副会長 挨拶』

★司会 櫻井よしこ氏

では次に、公明党拉致対策委員長であって、拉致議連の副会長を務めておられる、漆原良夫さんにお願い致します。

★漆原良夫 公明党拉致対策委員長・拉致議連副会長

0000773m

皆さんこんばんは。
ただ今ご紹介を頂きました公明党の漆原でございます。
今日は日曜日のお忙しい所、こんなにたくさんの皆様ご参集頂きました事、本当に嬉しく思っています。
10年になります。
一緒に解決して行こうと言う決意を共々に、今日から出発していきたいと思っておりますので、感謝を込めて御礼申し上げたいと思います。
本当にありがとうございます。(拍手)

先ほど来、家族会の皆さんがアメリカへ行かれた報告がなされております。
本当に私も横田さんの話、ブッシュ大統領の話、感激してテレビで見ておったわけでございます。
その中でこの拉致と言うのが本当に重大な、重大な人権侵害なんだという事。
アメリカの世論にブッシュ大統領に強く認識して頂く事ができたと言う事が、私は最大の効果ではなかったかなというふうに思っております。
この拉致問題、6者会議においても日朝間の二国間交渉に最初いまして、私は大変な不満を持っている。
これは6者協議の核と同じように、メインテーマにしていかなければならない。
こんなふうに思っております。

なぜかと言うと理由が二つあります。
この拉致問題と言うのは、親が子を思い子が親を慕いきょうだいを慕っていく、これは当たり前の事であります。
もっとも根源的な最も重要な人権問題。
これには洋の東西を問わず経済体制を問わず、全部が同じ目線で同じ立場で議論して当たり前だというふうに思うからであります。

もう一つは、そもそもこういう親子の間を裂いて平然としている国と本当に国際協力、国際約束出来るんだろうか?
そもそも私はこういう肉親の情を裂いて、隠して、苛めている国。
こういう国と約束をしている。
この国は約束を果たさなかった。
いうふうに思っているわけであります。(拍手)
そういう意味ではその核問題の解決の大前提として、拉致問題が解決されるのだ、言うふうに思う訳であります。

先ほど来、逢沢先生からお話がありましたように、自公が今回北朝鮮人権法案を出しました。
提案をして貰いました。
もしも政府が北朝鮮に対して、拉致・人権問題に対して積極的な行動を取らなければ、この北朝鮮人権法案によって強く政府に経済制裁の発動を求める事が出来ると言う、こういう内容になります。

会長は仰いました。
大小2本の刀を渡したんだけど、伝家の宝刀を中々抜かない。
刀を置いてそのままにしているという。
許されない。
それを国会の議員立法として政府に強く迫るというのがこの人権法案でございます。
なんとしても、残り少ない会期となりましたけども、今国会必ず成立をして参りたい、と思っております。

私は新潟県生まれでございます。
この万景峰号をなんとしても、入港を止めたいと思っているんです。(大きな拍手)
ここに新潟県民のあるいは全国の皆さんの反対の声を押し切って、真っ白い船が悠々と港に入ってきて、コシヒカリとかメロンだとか新潟の上手い物をみんな持って行く。
とても許せない、と思います。(拍手)

今日は新潟県の拉致問題の代表者である、県会議員の高橋正さんもお見えになっております。
私はこの新潟県の皆様と一緒に、万景峰号来るなと言う、万景峰号阻止と言う事で全力をかけて戦って参りたい(拍手)、と皆さんにお訴えを申し上げまして私の決意とさせて頂きます。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

どうもありがとうございました。


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国民大集会(7)逢沢一郎氏

   『逢沢一郎 自民党拉致対策本部長 挨拶』

★司会 櫻井よしこ氏

では次に自民党の拉致対策本部長、逢沢一郎さんにお願いいたします。
ここで中川大臣が退出です。
どうぞ皆さん、拍手で送って頂きたいと思います。(拍手)
どうもありがとうございます。(中川大臣、壇上で会場や家族に向かって会釈をした後退出)

★逢沢一郎 自民党拉致対策本部長

0000771m

自民党幹事長代理を務めております、逢沢一郎です。(拍手)
司会の櫻井さんからご紹介を頂きましたように、安倍内閣官房長官の後を受けて、自由民主党拉致対策本部の本部長を務めさせて頂いております。
今日この国民集会、本当に力を感じます。
また勇気付けられる思いが致すわけでございます。
この集会を準備を頂いた、開催を頂いた日韓両国、ひとりひとりの関係者の皆様のご努力に、まず心から敬意を申し上げます。
ありがとうございます。(拍手)

拉致はテロ、であります。
拉致は明らかなテロ行為、と言わなくてなりません。
同時に許す事の出来ない人権侵害であり、国家主権の侵害であります。
私たちは国民世論に訴えながら、強い姿勢で北朝鮮に対処し、そして実践的に国際社会にも訴えていかなければならないわけであります。

先ほど安倍官房長官からのメッセージ、鈴木副長官から紹介がありました。
日本の対北朝鮮の基本姿勢、基本方針。
対話と圧力であったわけでありますが、それは現内閣においては圧力と対話である。
と言う事が明言を頂いたわけであります。(拍手)

私も外務大臣時代、度々拉致問題について国会で答弁をさせて頂いた。
自らも対話と圧力ではない、圧力と対話であると、臨まなくてはならない。
その事を国会でも度々申し上げてきたわけでございます。
平沼議連会長からもお話があったように、すでに日本の国会は政府に具体的な圧力、経済制裁の手段・ツールを手渡しているわけであります。

外為法を改正し、そして特定船舶入港禁止法もすでに施行をされているわけであります。
いつでも政府の判断でボタンを押す事が出来るわけであります。
また私ども自民党・公明党、与党はこの上に更に北朝鮮人権法を議員立法の形で、すでに国会に提出をさせて頂きます。
国民の皆様の理解を得ながらなんとしても今国会で成立を期したい。
その様に考えております。

圧力をかけていく。
経済制裁を実行していく。
経済制裁をやるかどうかの議論の時期は過ぎた。
いつどんな形で制裁を行うか?
今まさにそういう時点に我々は立っている。(拍手)
そのように申し上げたいと思うわけであります。

私事で恐縮でございますけど、私には一人娘がおります。
今中学3年生であります。
丁度2年前の秋、あれは確かフジテレビの報道2001だったと記憶しておりますけど、横田滋さん早紀江さん夫妻と一緒にテレビに出させて頂いた。
それが終わった後控え室で話を致しておりましたときにご夫妻から、「実はめぐみが拉致されたのは、明日の事なんです」
そんな話を聞かせていただいたわけであります。

真剣に国会議員として拉致問題に対応する。
そういうつもりはあったけれども、本当に心の底から我が事としてこの問題に対応、自分はしてきたんだろうか?
大きく私はその事に反省をさせられたわけであります。
一人一人の国民の皆様が我が事として、この拉致問題風化させない。
北朝鮮に引き続き、強い怒りをぶつけていく。
その事が本当に大切であると、改めて今日この場所でお訴えをさせて頂きたいというふうに思います。

アメリカからの情報発信、そして日韓の足並みも今まさに揃いつつある中で、この今日の国民集会を拉致問題の早期の解決に向けて、新しい一歩に続けていこうではありませんか。
私は自由民主党の与党の立場で最善を尽くして参ります。
政府と協議し、自民党から政府に強く注文をつけながら国民の皆様と共に歩んでいく事を心からお約束を申しましてご挨拶と致します。
共に頑張りましょう。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

是非、北朝鮮人権法の実行をお願いしたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)


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国民大集会(6) 山谷えり子氏

   『山谷えり子 内閣府大臣政務官 挨拶』

★司会 櫻井よしこ氏

では次に横田早紀江さんに同行してアメリカにも行かれました、山谷えり子内閣府大臣政務官にお願いをしたいと思います。(拍手)
山谷さんよろしくお願いします。(拍手)

★山谷えり子 内閣府大臣政務官

皆様こんにちは。
私は今、遺族会の皆様と先ほどまでお話をしておりました。
拉致、かくも酷い人権侵害、そして国家主権の侵害でございます。
「国よ国たれ、ときっと御霊も思ってくださっているから」というふうに励まされて、今ここにやって参りました。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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私は今、内閣府大臣政務官、安部官房長官の担当政務をしております。
そして政府の拉致問題特別チームの一員でございます。

アメリカの下院での公聴会、そしてブッシュ大統領との会見、また野外集会での家族会・救う会の皆様の訴えは、大きな衝撃をアメリカにそして世界に向けてもたらしました。
下院の公聴会で拓也さんが、北朝鮮に囚われた直後のめぐみさんの悲しそうな写真を掲げた時、早紀江さんは「歌の好きな明るい少女でした」と仰られました。

私はその時歌の好きな明るい少女めぐみさんが、北朝鮮で曽我ひとみさんと、監視の目が厳しゅうございます。
布団にもぐりこんで二人で聞こえないように小さな声で、故郷やもみじを歌っていたと聞いておりますけれども、早く取り戻して大きな声で大好きな歌を歌わせてあげたい、と思いました。(拍手)

また私たちとともに何年も活動してくださっている女性、通訳の方が、早紀江さんの思いをひとつひとつ英語、練り上げてくださいました。
北朝鮮の工作船に閉じ込められて「お母さん助けて!」と、あの暗い海を運ばれていく時、
「Mother,help me! Mother,help me! Mother, save me!」
一つ一つの言葉を練り上げてくださいました。
アメリカの国会議員たちは泣いておりました。
そして傍聴席は満員でございました。
うぉ~という怒りを押し殺したような声が傍聴席から上がったのでございます。

ブッシュ大統領が、早紀江さんとの会見の前に早紀江さんの手を取られて深い祈りを捧げられました。
そして家族会・救う会の皆様が資料をお作りになられました。
田口八重子さん、市川修一さん、増元るみ子さん、一人一人の写真を御覧になり、そして家族からの一人一人のメッセージを丁寧に読み上げられながら、「一人一人の命が大事だ、必ず取り戻す」と言うご決意の下で会見をしてくださったのでございます。
「世界の全ての被害者を全て救い出す」「お願いします」と言う早紀江さんに、ブッシュ大統領は、「マム」と呼ばれてハグされました。
家族の絆、母である事の強さ、悪と戦う忍耐、自由の尊さ、それを守るために何よりも政治が頑張らなければならない事を、政治家に魂を吹き込んで早紀江さんは世界の母となって訴えられた瞬間だったというふうに思いました。(拍手)

政府と致しましては安否不明全員が生存しているとの前提の元に、即時早期帰国をこれから求めて参ります。
また北朝鮮がこれまでどおりの曖昧な対応を取り続けるならば、厳しい対応を取らざるを得ないという方針を明確にしている所でございます。
拉致問題の解決なくして国交正常化はありません。(拍手)

家族会・救う会、もう10年近くでございます。
国民大集会、皆様と何度お会いした事でございましょうか?
ホワイトハウスやアメリカの国会議員たちは、家族会・救う会のお話を聞かれて、
「事実を知ると同時に心に深く感じる事が出来た。
この心に深く感じる事、これが何よりも忍耐強い行動のために、問題解決のために大切な事だ、ありがとう」
と家族会・救う会の人を労われました。

私たちはこの10年間、雨の日も雪の日も日照の日も集会を開き、該当署名をし、訴えて参りました。
忍耐と言っても忍耐にも限りがございます。
かくも長きに渡る人権侵害、そして国家主権の侵害。
世界との連帯も広まっております。
「サミットの主要テーマにしようじゃないか」とアメリカの議員の人たちも力強くマスコミに向けて訴えて行動し始めてくださっています。

国会は間もなく終わります。
その後、政務官や副大臣は世界中にこれから拉致の6ヶ国語のパンフレットを持って、私たちは参るんです。
世界中に訴えて参ります。(拍手)
連帯を強め、皆様のお気持ち、心で深く感じている皆様のお気持ちを決して無駄にせず、政府一丸となって取り組んで行く事をお誓い申し上げます。(拍手)

★櫻井よしこ氏

本当に勇気付けられるメッセージ、山谷さん本当にありがとうございました。

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国民大集会(5) 平沼赳夫氏

   『平沼赳夫 拉致議連会長 挨拶』

★司会 櫻井よしこ氏

さてたった今、拉致議連会長の平沼赳夫様がいらっしゃいました。
現会長としてのお心をお聞きしたいと思います。
平沼赳夫さん、よろしくお願い致します。

★平沼赳夫 拉致議連会長

0000769m

皆様方、日曜日いろいろご予定があったと思いますけども、この問題解決のためにこうして盛大にお集まりいただきました事、主催者の一人として冒頭まず心から皆様方に御礼を申し上げたいと思います。
皆様方、本当にありがとうございました。(壇上で深々と会釈、会場より拍手)
議連の会長でありながら私も遅参を致して本当に申し訳ない事だと思っています。
今日は東京大学で皐月祭という催しがありまして、若い学生の諸君に語りました。
その場でこの拉致の問題について私から詳しく訴えさせて頂いた所でありまして、そういう関係で遅参を致した事をお許し頂きたいと思います。

本日のこの国民集会には韓国から被害者のご家族の代表の方、それもまた朝鮮戦争のときに拉致された被害者の代表の方も含まれる。
更には国会議員でハンナラ党の議員でいらっしゃる宋・黄両議員のご来席を頂き、また言論界を代表する方々もご出席を頂いている。
このような大会になった事は大変意義深い事だと思わせて頂いています。

私ども議連は衆議院・参議院に設置されました特別委員会で経済制裁を発動しろと、こういう決議をさせて頂きました。
そして一昨年の事に相なりますけども、皆様方ご承知のように5月22日に小泉総理が電撃的に2回目の訪朝をされたわけであります。
その時も家族会の皆様方、横田代表ご夫妻をはじめとして皆様方が総理大臣に訪朝前にお会いをして、そして胸の丈をお訴えしたいんだ。
そういうお気持ちがありましたけれども、なぜか我が国の総理大臣はご家族に会われませんでした。
出発の前には誰にも会いたくない。
こう言うことでありました。

議連の会長として、私は強く会見を申し込んだわけでありまして、最終段階の5月19日の事だったと記憶しておりますが、「たった一人で来い、15分間だけ会う」
こういう事でお会いを致しまして私は、総理大臣に対して甚だ僭越だとは思いましたけれども、議会で二つの法案を作った事をあえて申し上げさせて頂いて、外為法の改正と特定船舶入港禁止法。
言ってみればあなたは大小2本を差したんだから、とにかく硬軟使い分けてしっかりとした交渉をして来て欲しい。
御家族の皆さん方のお気持ちもそこにあるんだと、こういう事を申し上げたわけでございます。
しかし結果は、会談に入る前、「日朝平壌宣言が正常に履行されている限りにおいては経済制裁は発動しない」と言って、折角の大小2本の刀を置いてしまわれたわけでありまして本当に残念でありました。

この4月には皆様方ご承知のように、横田早紀江さんがアメリカに行かれました。
アメリカの議会で証言をしたときに、アメリカの議員は胸を打たれて、メガネを外してハンカチで涙を拭った議員もいたわけであります。
中々実現が難しいと思ったブッシュ大統領との会見もご承知のように、ホワイトハウスのオーバールームでその会見が出来たわけであります。
横田早紀江さんは日本の婦人でありますから、「世界一お忙しい大統領が貴重なお時間をお割き頂いて、大変恐縮です」と言う趣旨のお話をされた時に、アメリカのブッシュ大統領は「大切な人権問題で時間が割けないほど自分は忙しくない」
こういう事を明言されました。
どこかの国の総理大臣とは違う認識だと、私は思うのであります。(拍手)

どこの国でも人権問題と言うのは仇や疎かな問題ではありません。
そしていまだ帰らぬ愛しい家族の事を思っておられるご家族の皆様。
その事を思うときに我々議員連盟も一致結束して、経済制裁を含めて毅然と断固たる措置を取っていかなければならないと思っております。(拍手)

来年の参議院選挙も大きな政局でしょう。
そしてこの9月には新しい総理大臣が登場する運びに相成っております。
その時には是非経済制裁を含めて、この拉致問題で決然と立つ総理大臣をお互いに選びたいと思っております。(大きな拍手)
・・・・・・(拍手で聞き取れず)政局の戦いにあって、一生懸命やっていくことをお誓い申し上げ、今日お集まり頂きました皆様方のご厚情に心から感謝を申し上げまして、主催者としての挨拶を終わらせて頂きます。
誠にありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

大変に心強いお言葉でありました。
どうもありがとうございます。

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国民大集会(4)中川昭一氏

『中川昭一 農林水産大臣 挨拶』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、次に長年拉致議連の会長を務めてくださいました、今は農林水産大臣でいらっしゃいます。
中川昭一様の御挨拶をお願いしたいと思います。(拍手)

★中川昭一 農林水産大臣

0000768m

皆様こんにちは、中川昭一でございます。
ちょっと遅れてまいりました。
申し訳ございません。

先ほどまで鹿児島で会合がございまして、大勢の皆さんの前で私の仕事を申し上げたんですけれども、鹿児島ですからどうしても最後に申し上げたい事がある。
農林水産大臣の直接の仕事ではないと思っていますが、一政治家としても、また一人間としても、鹿児島だからこそ申し上げなければいけない。
つまり増元さんの生まれ育ったところで、是非皆さん方に一日も早く増元るみ子さん始め、拉致された皆さん方帰ってくるように、地元のお仲間の皆さんにひとつ改めてお力を頂きたい。
そういうことをお願いをして、そして飛行機に乗ってただ今着いた所でございます。(拍手)
本当に増元さんとは私も同い年でございますので、同じ年、ほぼ近い物でありますから、しょっちゅうお会いををしているわけでございます。

今年も大勢の皆様がお集まり頂きまして、嬉しいと言う気持ちが半分。
また今年もこういう大会をやらなければならないのか?という気持ちが半分でございます。
私も会長をやった事がございますますし、今は平沼会長の下で一メンバーでございますけども、気持ちは全く変わっておりません。
それどころか、ますますこの問題に対しての取り組みをしなければいけない、と言う気持ちで一杯でございます。

先ほど西岡先生から、さあ政治家は何をやってくれるんだ?と言う事でございます。
我々議連を作ったのは今から4年前の事でございまして、御家族の皆さんから見るとたった4年です。
10分の1近い、短い時間でしかないわけでございまして、やっと政治家が動き出したのか?
政府が動き出したのか?そして国民の皆様大きな関心事になったのか?と言う事でございますから、まず私から皆さんにお願いしたいのは、やはり国民世論。
皆さん方の、国民の代表である皆さん方がこうやってお集まり頂いている。
この事がなんと言っても一番大きな私は解決の為のパワーだと思っております。

そういう意味でこういう国民全体の共通意識を表に出る形で、北朝鮮はもとより世界へ。
これは一政府、一団体の皆様が騒いでいるんじゃないんだと。
国民の世論なんだと言う事を解決するまで常に持ち続ける事が、私は一番の大きなポイントだろうと言うふうに思っております。
しかし民主主義国家でありますから、そういう前提がある以上は政治家も、まして内閣にいる私どもはしっかりと行動をしていかなければならないと思っております。

私の出来ることは何か?
改めて今西岡さんの話を聞きながら、心の中で問うておりました。
まず一つは、私も海外に行く機会が大変多ございますので、あるいは外国からのいろんなお客さんが来る事が大変多いわけでございますので、その機会にこの問題30数年前から現在に続いている。
普通の日本人が外国から盗まれていた。
そして苦しんでいる。
拉致された方も残されたご家族も、ということを私は常に申し上げているつもりでございます。

多くの外国の閣僚たちは知らないんですね。
今年の2月のアメリカの国務副長官ロバート・ゼーリックさんとお会いした時にも、改めて私からワシントンで。
そしてその後すぐに日本に参りましたので、私からもお伝えをしました。

またジュネーブに行く機会が多いわけでございまして、各国の閣僚と何回もお会いを致しまして、そのたびにこのお話をさせて頂いておりますし。
今お話があったとおり、日本だけでは残念ながら限界がありますので、アメリカ、あるいは韓国、あるいは該当関係国だけではなく、民主主義を愛し、そしてまともな国家そしてまともな人間の心があれば、私がお話をした殆ど全ての人が気の毒であり自分達に何が出来るか?と言う事を、言って頂いております。

4月の終わりに3年前に家族と一緒に行って、めぐみさんの写真を見て涙を流してくれた当時の国連人権特別代表・デメロさんと言う方にお会いをしました。
大変理解をして頂きました。
しかしその4ヵ月後、イラク担当になってバクダッドで爆殺されてしまいました。
私はジュネーブに行くたびに、そのデメロさんのお墓、ブラジル人なんですけどもジュネーブにもわざわざ、ジュネーブ市民のためのお墓にデメロさんは眠っておられます。
そこにお花とメッセージを今年も置いて参りました。
天国のデメロさんはこの拉致問題の解決についても、きっと我々に天国から力を貸してくれていると思っております。

私は現在農林水産大臣でありますから食料の担当でございます。
今官房長官のメッセージにありました。
政府全体として制裁にむけてやるべき事をきちっとやるべきである。
私もそういう指示であれば万が一にでも米一粒、日本海の向こうに送るという事に対しては、私は体を持って反対をしていく。(拍手)
出来れば、あの丸々と太った将軍様のために、北海道のメロンやあるいは新潟の美味しいお米やお寿司の材料を運んでいく。
これもストップしたいんですけれども。(拍手)
残念ながら、これは私の所管ではありません。
同僚の閣僚に是非私からもきちっと申し上げていかなければならないと思っております。

21世紀のこの時代です。
一部の人たちが自分達の国民を徹底的に苦しめて、そして他人の物を取っていく。
人間まで捕って行く。
そしてマスコミも無い、議会も無い、民主主義も無い。
そういう国がこのアジアの周りにあるんです。
いずれはその国はおかしくなるでしょう。
なってもらわなきゃおかしいんです。(拍手)

心に少しでも人間の気持ちがあれば、盗んで行った普通の日本人を「悪うございました」
まぁいうほどの気持ちがあればさっさと返すと思いますけども、とにかくきちっと返すまで、我々は戦っていかなければなりませんし、私は与えられた立場がどういう立場であろうと、この問題に全力を尽くして取り組んでいく事をお誓いを申し上げてご挨拶と致します。
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

あの金正日に米一粒たりとも送らないという、心強いお誓いの言葉であったと、私は解釈を致しました。


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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国民大集会(3)鈴木政二官房副長官

   『鈴木政二 官房副長官 挨拶(安倍官房長官メッセージ代読)』

★司会 櫻井よしこ氏

さて、国民がそして被害者の家族がここまで運動を盛り上げ、世界に拉致被害を発信いたしました。
西岡さんが仰ったように後は政治の決断と行動のみでございます。
日本国の政府の対応をずっと見てまいりました。
このところ非常に良くなりました。
けれども、被害者が戻っていない今、その日本政府の努力が万全な物であるとはまだ言えない訳でございます。
結果が出るまで、私たちは頑張らねばならない。
そこで官房副長官の鈴木政二様にご挨拶をお願いしたいと思います。(拍手)
鈴木政二官房副長官です。
よろしくお願いします。

★鈴木政二 官房副長官

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ご紹介を頂きました、内閣官房の副長官をしております鈴木政二と申します。
ご案内かも分かりませんけど、安倍長官になってからこの拉致問題につきまして「拉致問題特命チーム」と言う事で全省庁参画をさせて頂きました。
そしてまぁ、ご案内かも分かりませんけれども、政府広報、初めて拉致のポスターも20万部今作って配布させて頂いて追加も10万部、今日お見えの方々もたくさんご要望がございまして、今ポスターを30万部全国各地下鉄だとか、民間の方々にも大いにご活用して頂きまして、心使いをして頂きまして、本当に国民の皆さんに一致団結をして頂いて心から感謝を申し上げます。

そして先ほど西岡さんから話がありましたように、この拉致問題特命チームの中にも法の執行、きちっとした法律違反は当然ながら厳しく追及しやって形に、6名のチームで各省やらせて頂きます。
そして世界の情報、いろんな物を情報収集するために我が国のトップリーダーが4人集まりまして定期的に月2回、各持ち回りできちっと今やっている最中でございます。
ご案内の通り安倍内閣官房長官がリーダーとして私に指名をしております。
今・・・・・(聞き取れず)からもいろんなお話がありましたし、私ども政府は今日お見えの各党の皆さんと一体になってこの解決のために全力を挙げてやっている最中でございます。

今日本来ですと総責任者であります安倍官房長官が来まして皆様のご挨拶をするところでございますけれども、どうしても今日所用がございまして、私に代理で、「私の気持ちを皆さんに伝えて頂きたい」と言う事でメッセージを預かってまいりました。
いろんな面で家族会の皆さんともご親交をさせて頂いて、一つずつ確実に、今年中何とか解決できる方法を私ども政府一体としてもやっていきたいと考えております。
長官からメッセージがありますので、皆さんにご報告をさせて頂きます。
では長官からのメッセージを読まさせて頂きます。

『 本日の国民大集会の開催に当たり、一言御挨拶を申し上げます。

 拉致問題の解決には、国内・国外を通じた力強い世論の盛り上がりが不可欠であり、その意味でも、本日の国民大集会は、誠に意義深いものであると考えます。

 先日、横田早紀江さんをはじめとする御家族の方々が訪米し、米国下院公聴会で証言を行い、ブッシュ大統領と面会されました。この訪米を通じて、拉致被害者の御家族の方々の活動が、米国内のみならず、全世界に対して、大変大きな感動を与え、その結果、拉致問題解決の重要性を訴える力強いメッセージが発出されたと考えます。

 また、国内においても、御家族の方々は、それぞれの地域において、日頃から署名活動や集会の参加、自治体関係者への要請などの地道な努力を通じて、拉致問題の解決に向けた国民世論の形成に尽力されているところであります。

 御家族の皆様のこのような御努力に対し、深甚なる敬意を表したいと思います。

 政府としては、拉致被害者が全員生存している事を前提に、圧力と対話と言う基本方針の下、拉致問題の解決へ向け、あらゆる努力をしているところであります。

 私は、官房長官に就任後、直ちに、厳格な法執行や情報収集の強化を関係省庁に指示し、さらに鈴木官房副長官が議長を務める拉致問題特命チームの下に、法執行班および情報収集会議を設けて体制を強化し、政府一体となって、さまざまな情報の収集や厳格な法執行等の措置を講じてきております。

 また、国際社会との連携を一層強化していくため、私を含め、政府全体として、外国要人との二国間会議や国際会議の場において、拉致問題の解決に向けての協力や支援を求めるとともに、国連等の場において拉致問題を取り上げ、決議等の形で北朝鮮に対して強いメッセージを発していく、更には、G8サミットにおいても拉致問題が取り上げられるよう、外交努力を尽くしているところであります。

 国際的な圧力を高め、包囲網をしっかりと構築しながら、北朝鮮に対し、すべての生存する拉致被害者を帰国させなければ拉致問題は解決しない、拉致問題の解決なくして国交正常化はない、ということを十分認識をさせることが必要であります。
 今後とも、拉致問題の一日も早い解決に向け、政府一丸となって、全力で取り組んでいくことを改めて表明し、御挨拶と致します。

平成18年5月28日
内閣官房長官 安倍晋三』

(※メッセージの部分は、会場で配られた資料をそのまま転載)

代読でございます。(拍手)

★櫻井よしこ氏

「対話と圧力」ではなく「圧力と対話」と、安倍官房長官はメッセージを送ってくださいました。(拍手)
鈴木政二官房副長官、ありがとうございました。(拍手) 

蒼き星々 掲示板(サブボード)より


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国民大集会(2) 基調報告

   『西岡力 救う会常任副会長 基調報告』

★司会 櫻井よしこ氏

さて今、飯塚さん仰いましたように全世界がこの拉致に注目をするようになりました。
拉致問題を解決するには北朝鮮に対して世界に対して、人権を旗印にして迫って行かなければならないという事はハッキリとして来たと思います。
そして家族の皆さん方、国民の支援のお陰で拉致問題は本当に日本一国の問題ではなく、国際社会の問題となりました。
これから先は政治が力強くこの問題の解決に率先して走っていかなければならないと思います。
その辺の事情を救う会の常任副会長であります、西岡力さんが紹介いたします。
よろしくお願いします。(拍手)

★西岡力 救う会常任副会長

2

西岡でございます。
北朝鮮に、多くの私たちの仲間・同胞そして友達・家族が今もいるんです。
それが分かっていながら助ける事が出来ない。
その中で私たちは今年も10回目になる国民大集会を、「今年中に拉致被害者全員救出を!」と言うテーマを掲げて開く事になりました。
いつもいつも今年中にと言っていて10回目になってしまった。

亡命工作員の安明進さんの証言によりますと、横田めぐみさんは連れて行かれるとき真っ暗な工作船の船倉の中で、「お母さん助けて!お母さん助けて!」とコンクリートの壁をかきむしりながら、叫び続けていたと。
清津の港に着いたらば、爪が剥がれていたと。
その助けてと言う声が今も続いているのに、めぐみさんが拉致されてから29年。
そして家族会・救う会が救出運動を始めてからも9年以上も経って、また金正日が拉致を認めてからも4年が経っているのに、大多数の被害者を取り戻す事が出来ないままであります。
悔しくて、悲しくてたまりません。

しかし振り返ってみますと、私たちの戦いはこの間大きな成果を上げてきたと自信を持って言えると思います。
私は数ヶ月前、中国の民主化運動をしている方と会ったんですが、共産党の独裁政権の当時の特徴は「嘘と暴力」だと。
「嘘と暴力」だと言っていました。
私たちの戦いもまさにこの嘘と暴力に対する戦いでありました。

金日成・金正日政権は暴力でもってめぐみさんたちを日本から無理矢理連れて行って、連れて行った場所で暴力で脅して、工作員教育にまたいろんな事に利用してきたわけです。
そして私たちが拉致があるというと、無いと言う、でっち上げたと嘘をついた。
嘘と暴力でここまで拉致をごまかし、被害者を返さないで来たわけです。

その嘘と暴力に対して残念ながら、実は日本の政治家や日本のマスコミも過去には加担していたことがありました。
1988年の3月には国会で国家公安委員長がアベック3組6人の失踪について、北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚。
北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であると歴史的答弁をしましたけど、朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も3大紙が一行も書かなかった。
1990年5月には警察が田口八重子さん拉致事件のために、朝鮮総連の大幹部の自宅と総連の事務所を家宅捜索し、大幹部の部下を一人逮捕するべく令状まで取りましたけど、直前に当時の与党自民党の大物政治家・金丸信氏の介入で中止になった。
これは文藝春秋1998年6月号と、産経新聞2001年12月16日付けで報道されている事実です。

ここにいらっしゃる西村(眞悟)先生が、めぐみさんの事を初めて国会で取り上げた時も、警察のある人が来て「身辺に気をつけた方が良いですよ」と言われた。
日本の国会議員が日本の中で拉致の事を取り上げたらば身辺が危なくなる。
その様な嘘と暴力の呪縛が日本にあったんです。
この呪縛を打ち破ったのは、家族会の、そして私たち国民の愛と勇気だったと思います。

1988年に石岡さん・有本さん・松木薫さんが北朝鮮から手紙を勇気を振り絞って、囚われの北朝鮮の地から愛する家族の所に送ってきて、それで拉致が分かったんです。
しかしその手紙を持って外務省に行った有本さんたちに外務省は、「騒ぐと危ないですよ」と一言言って全然動いてくれなかった。

しかしその後も、今日も後から来てくれますけども安明進と言う亡命工作員、命懸けでめぐみさんの拉致、様々な拉致について証言をしてくれた。
彼も実は横田さんのご両親に会って、横田さんのご両親が娘を思う切実な愛情に接して、男泣きに泣いたんだそうです。
そして横田さんたちのためならば、命懸けで証言しようと今まで証言し続けているわけです。

愛と勇気が嘘と暴力の呪縛を解き始めたのが、横田(めぐみ)さんの拉致が明らかになった97年、家族会・救う会が出来た時です。
その後私たちは金正日の嘘と戦って来ました。
彼は3つの嘘をつきました。
そしてその3つの嘘をすべて私たちは暴く事が出来ました。

第一の嘘は拉致はでっち上げだと言う嘘です。
彼らはず~っとでっち上げだと言っていた。
しかし2002年の9月に拉致をした事を彼は認めざるを得なかったわけです。
家族を思う家族会の勇気とそれを支えた国民の声が、そしてもう一つの金正日がついた核開発を秘密でしていたと言う国際社会に対する嘘に対して、ブッシュ大統領が悪の枢軸だと言って怒った事によって金正日は追い込まれて拉致を認めたんです。
これは大きな勝利の一歩でした。
そして5人が帰って来、5人の家族を取り戻す事が出来ました。

しかし、ここで何度も強調しましたが、金正日はその時もう一つの大きな嘘をつきました。
あと二つです。
拉致した人は13人しかいない。
拉致した人は13人しかいないと言う大嘘です。

もう一つは13人の内5人返したと。
残り8人は死んだ。
8人は死んだと言う大嘘です。
13人しかいない、8人は死んだ。
だから拉致問題は終わりだと言う大嘘です。

これに対して日本政府も16人拉致されていると言っているんです。
救う会は今23人、調査会は450人の可能性のある事案を調査して34人が確立が高いと発表しています。

また、彼らは日本だけで拉致したんでは無いんです。
韓国からはなんと82959人。
82959人を朝鮮戦争中に拉致をしたと。
これは韓国政府の公式の統計です。
そして戦後には485人が拉致されて、いまだに帰って来ていないんです。
ところが彼らは韓国人は一人も拉致していないと、いまだに嘯いています。

そして曽我ひとみさん・ジェンキンスさんたちの勇気ある証言によって、日本人・韓国人に加えてレバノン・タイ・ルーマニア・中国・マレーシア・シンガポール・フランス・イタリア・オランダ・ヨルダン、合計12カ国から拉致されていると言う事が明らかになって来ています。
今日お配りしています資料の中にも、この表が入っていますけども、12カ国から少なくとも拉致は行われているという事を暴く事が出来たのも、帰って来た拉致被害者たちの勇気ある証言なんです。
愛と勇気が嘘を暴き続けて来たと言う事です。

そしてもう一つの嘘。
8人が死んだという事については、彼らは8枚の死亡診断書と、それから2人分の遺骨と、2通の交通事故調書と1冊の死亡台帳を出して来ました。
しかし家族はそれを信じなかった。
日本政府が科学的な鑑定をした結果、8枚の死亡診断書は全部偽造だった。
これは北朝鮮が認めました。
それからめぐみさんの名前が出ていた死亡台帳は、これは入退院台帳だった。
これも北朝鮮が認めました。
交通事故調書は交通事故現場の写真も無い、被害者の名前も書いていないもので、信用できないものだと言う事が判明しました。

そしてご承知の通り遺骨は他人の物だったんです。
めぐみさんの骨だけではなくて、松木さんの骨に至っては3~4人の人の人間の別人の骨と動物の骨も入っていた。
こんな物で人間が死んだ事を証明できると思っているのか?
8人死亡と言う嘘も完全に暴く事が出来たんです。

ではどうやって助け出すのか?と。
嘘を暴く事が出来たのに何故助け出せないのか?と。
私たちはこの席で何回も、国際的な連帯と日本の経済制裁と言う二つの圧力で、彼らが被害者を返さざるを得ないような状況を作るしかないんだと。
嘘と暴力をつく人間に対しては圧力をかけて、今の状態でいる事が大変不利益になる、と言う状況を作るしかないと訴え続けてきました。

座り込みもしました。
署名も500万以上集めたと。
国際的な連帯で言えば、先ほど飯塚副代表が仰ったように、ブッシュ大統領にも会う事が出来たと。
タイやレバノンとの連帯も広まっている。
これ以上のことは無いんです。
本当に出来る限りの事をやってきました。

横田早紀江さんは実はアメリカに行きたくないと言ったんです。
体が持たないと。
飛行機に乗る事が出来ないと言いました。
横田滋代表は去年の12月に一時危篤に遭いました。
危なかったんです。
薬の副作用ですが。

早紀江さんはアメリカの議会でこう言いました。

「私たちは本当にもう心身疲れ果てておりますけども、子供たちが助けを求めている間は、どんな事があっても倒れることが出来ません。
日本国民・全世界の自由を愛する国民の総意で、怒っていると北朝鮮に態度で示して頂きたいと私は願っています。
拉致は許せない。
全被害者をすぐに返しなさい。
それが無いなら経済制裁を発動します、とハッキリ言って頂きたいのです。」

アメリカの議会での証言です。
全員取り戻す為に今何が必要なのか?
私たちは経済制裁を小泉総理に決断して頂きたいと思っています。
日本政府は今法の適用を厳格化するという事と情報を集めると言う事で、全力を尽くして動いている事は良く知っておりますけども、もう一歩、愛と勇気。
国民に対する愛と、制裁をすると言う勇気を小泉総理に持って頂きたいと心から願っております。

今日は、今日の集会は全員取り戻す為に何が必要なのか?
家族の言う事が可哀想だ、助けなくちゃいけない、と言う事を感じる為に集まって頂いたのではありません。
その事を前提として、家族の人たちが心身疲れ果てており、倒れる事は出来ないけれども疲れ果てて倒れそうだと言っているときに、家族の話を聞くのではなくて、家族に政治家の皆さんからどうするのか?を聞かせて頂きたい。(拍手)

もう家族の方たちはゆっくり休んでいて良いんですと。
私たちが先頭に立って助けますと。
是非力強いメッセージをお聞かせ願いたいと。
私たちはそしてそれを心から応援すると。
日本国一丸となって全員を取り戻すと。
そういう集会にしたいと思いました。

政治家の先生方、お忙しい中たくさん来て頂きまして、それぞれがどう助けるんだと言う事を言って頂く事になっております。
官房長官からもメッセージを頂いております。
是非皆で、今日、どうやって助けるのか?と言う事を考えようと思います。
ありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

どうやって私たちの同胞を、韓国の被害者、その他の国々の拉致被害者を助けていくのか?
私たちは知恵を絞らなければなりません。
その知恵を行動に移さなければならないわけですが、ちょっとここでお願いがございます。
行動にはお金がかかります。
会場にカンパの箱が回ると思いますので、浄財を入れて下されば心より嬉しく御礼を申し上げたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
 

蒼き星々 掲示板(サブボード)より


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国民大集会(1) 開会・挨拶

小泉首相の決断と、今年中に拉致被害者全員救出を求める国民大集会
    06.5.28(日) 16:00~18:30

                  日比谷公会堂にて

『飯塚繁雄 家族会副代表 主催者挨拶』

★司会 櫻井よしこ氏

Sakurai1

皆様こんにちは。(会場より「こんにちは」の声、拍手)
この拉致の被害者を助ける国民大集会、今年で10年になりました。
今日は特別の決意を持ってこの大集会に臨みたいと思います。
小泉首相の決断と今年中に拉致被害者全員の救出を求める国民大集会、ただ今より開会させて頂きます。(大きな拍手)
私は司会の櫻井よしこでございます。(拍手)
まずこの会が来年は喜びの報告集会に変わるように、心からの決意とそして心からの期待を持って、皆さんと一緒にこの会場を埋め尽くし、そして未来に向かって進んでいきたいと言うふうに思います。
まず主催者を代表いたしまして、家族会副代表の飯塚繁雄さんにお願いします。(拍手)

★飯塚繁雄 家族会副代表

Iiduka

皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
また何年目かでここでお会いしました。
皆様の温かいご支援ご協力によりまして、我々の活動もかなり活動的には活発になり、これだけの成果を上げて参りました。
日常の皆様のこの拉致に関する深いご理解とご支援、誠にありがとうございます。

この拉致問題は今や日本だけではなくて、韓国はもちろん世界各国の何も罪の無い人が北朝鮮に拉致される。
そういった状況が明らかになり、この活動もこの運動も今や世界的な形になってまいりました。
我々家族会・救う会としましても、今年からそういう意味では訪米あるいは訪韓、あるいはタイの方たちへの面会を含めてかなりグローバルな動きをしてまいりました。

皆様すでにご存知の通り、4月の28日にはアメリカのブッシュ大統領と我々の家族と面会出来たという事は、今までにかつて無い活動の大きな成果であり、この事が日本の皆様を始め世界各国にこのニュースが流れ、世界の大統領ブッシュがこのように考えていると言う強いメッセージを与えたかと思います。
更にはアメリカの議会の中、あるいは国防総省の中、非常な高官の人たちが我々の話をじっと聞いて頂き理解を深めて頂き、本当にこの拉致の問題と言うのは人権その物の問題であると。

ブッシュ大統領の名言、あります。
「私はこの人権の問題を語れないほど忙しくは無い」
これは言ってみれば全ての仕事にこの人権の問題は優先するんだと、言う事と思います。
従って各議員の人たち、あるいはその政府の高官の人たちも全く同じような意見・雰囲気でこの問題に当たって来ております。
北に対しての制裁についても、アメリカのあらゆる制裁が今北朝鮮を相当苦しめているという現実でもございますし、私たちはそれを聞いて、つい我が国と比較をしてしまうわけですけども、やはりこういった活動の時点でもいろいろな成果。
これは単なる成果として見るだけではなくて、これをきっかけとしてこれをステップとして、この問題をどう解決していくかという大きなメッセージを与えたのではないか?と。

私たち最終目的は日本人の拉致被害者の奪還です。
韓国拉致被害者の奪還です。
そして世界の人々を北朝鮮から奪い返すと、言うのが最終的な目標でございます。
今年5月まではそのために大きな手段としていろいろ活動をして参った訳でありますけど、それももちろん我々家族会・救う会では出来ない状況でもありましたし、これは安倍官房長官をはじめ、アメリカではシーファー駐日大使をはじめ、あらゆる関係者の方々が我々を援護して頂いて、こういう結果になったと言うふうに考えています。

この結果を見てもちろん日本政府、トップである小泉首相、更には韓国の盧武鉉にも訴えたいと。
今の状態では絶対韓国の拉致被害者は帰れないんだぞと言う今の状況が窺えますけども、その辺の話は今日実は韓国の方々がここの場所に皆さん方の前に立って、韓国の実情をお話してくれると思いますけども。
一番肝心な日本政府・韓国政府がどれだけ協力、力を合わせてこの問題を解決する姿勢をはっきりと打ち出していけるかと、いうところに鍵があります。

このスローガンにもありますように、今はやわな交渉だけでは全く解決の道筋すら見えない。
やはり北に対しては相当強い圧力を課して、北がもうごめんなさいと、全ての被害者を返しますと、言うような状態に持って行かない限り、この問題はいつまで経っても解決しないと言うふうに私たちは考えています。
愛しい家族がもう30年近くもあの厳寒の地に囲われとなっている事を思う。
今この時間も待っていると思います。
是非日本の皆様、当然一丸となってこの問題に取り組んで頂き、更には韓国あるいはその他の国と手を組んで、北への圧力を更に強くしていきたいと、そのために皆さまのご協力を是非得たいとお願いしたいと思います。

後ほど横田代表が遅れてまいりますけど、またご挨拶の中で話があると思いますけども、私たちは黙って見ている訳には行かないんです。
毎日毎日何かをしなければいけないと、いう気持ちの上で毎日戦っているわけですけども、その辺も考えながら今年こそはと言う信念で戦って参ります。
皆様の相変わらずのご支援をよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

★櫻井よしこ氏

飯塚さん、ありがとうございました。
今飯塚さんもちょっと仰いましたけども、家族会代表の横田さんとそれからご夫人の早紀江さんは、他にちょっと先約がございまして、後ほどこの会場にいらっしゃいます。
その時またご挨拶をと思っております。 

蒼き星々掲示板サブボードより


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