島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書
■島田洋一救う会副会長の米議会下院公聴会への提出文書(日本語訳)
以下は、今年4月27日、米下院国際関係委員会に属するアジア・太平洋問題小委員会および国際人権問題小委員会が合同開催した「北朝鮮:人権の最新状況および国際的拉致問題」公聴会における島田洋一救う会副会長の意見陳述(正式提出文書)の日本語訳である。当日は、第一部の公述人がジェイ・レフコウィッツ北朝鮮人権問題特使、第二部の公述人が、脱北した拉致被害者など韓国人3人、日本人2人(横田早紀江、島田洋一)であった。
英語版は、「救う会」ホームページのUpdates欄に、また米下院国際関係委員会のホームページ中の下記アドレスにも掲載されている。公聴会のビデオ映像も米下院同ホームページ上にある。
米国議会ホームページ ――――――――――――――――――――――――――――――――
★米議会下院公聴会における意見陳述(提出文書全文、日本語訳)
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2006年4月27日
北朝鮮による外国人拉致について
島田洋一(福井県立大学教授、「救う会」副会長)
●少なくとも12カ国に及ぶ被害者
(議長および委員への謝辞——略)
日本政府は、現在、日本人の拉致被害者として11件16人を認定している。
しかしこの数字は、氷山の一角に過ぎない。
暴力的な連れ去りの他、騙されて北朝鮮に誘い込まれ拘束されている人々も多いと思われる。確実なところは分からないが、おそらく百名を越える日本人拉致被害者がいるだろう。
日本人に加え、多くの韓国人被害者がいる。その件については、同席の韓国人陳述者らに委ねたい。
脱北者の証言によると、1976年、金正日が、外国人をより組織的に利用することによって工作活動の質を上げよという秘密指令を出した。彼はこれを「工作員の現地化教育」と呼んだ。北は昔から一貫して拉致に手を染めてきたが、拉致工作が本格化するのは、この指令以後である。
13才の横田めぐみさんを含む少なくとも11人の日本人が、1977年ないし七八年に拉致されている。五人の韓国人高校生も1977年ないし78年に拉致されている。
4人の若いレバノン人女性も1978年に拉致された。そのうち1人は、今なお、北朝鮮内に拘束されている。
少なくとも2人の中国人女性およびタイ人女性も、1978年の同じ夜、マカオから拉致された。3人とも、当時20代前半であった。
現在日本に住む元・脱走米兵チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は、ドナという名のルーマニア人女性が、やはり拉致され、北での生活を余儀なくされていたと証言している。
首尾よく北朝鮮から脱出したレバノン人女性たちの話では、彼女らは、北朝鮮内でスパイ養成施設に送られ、思想教育や、柔道、テコンドー、空手、盗聴技術などの実技教育を施されたという。そのスパイ・キャンプには、3人のフランス人、3人のイタリア人、2人のオランダ人、を含む二八人の若い西洋・中東系の女性がいた(レバノン紙『エル・ナハール』1979年11月9日付記事より)。
1978年1月に香港から拉致され、1986年、脱出に成功した韓国の著名な女優、崔銀姫氏は、北朝鮮内で、ヨルダン人女性と言葉を交わしたことがあると述べている。
崔銀姫氏はまた、「美男子の北朝鮮人」に誘われ北に拉致されたフランス人女性がいるという話も聞いている。元・北朝鮮工作員、金賢姫氏も、類似の話を回想録に記している。
1978年8月にシンガポールで行方不明になった5人の若い女性——マレーシア人4人とシンガポール人一人——の事件も、北朝鮮が関与した可能性が強い。
崔銀姫氏は、マレーシア人の拉致被害者がいるという話も、北で聞いている。
北朝鮮によって拉致された被害者の国籍は、したがって、少なくとも次の12カ国に及ぶものと見られる。日本、韓国、レバノン、中国、タイ、ルーマニア、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、マレーシア、シンガポール。
以上に鑑み、行方不明事件を抱える世界中の関係者——政府、親族、友人たち——に、強く次のことを促したい。すなわち、わずかなりとも北朝鮮との接点が考えられる場合、北の犯行という観点から、事案を再調査してもらいたい。特に、1977年、78年に発生したケース、それも行方不明者の年齢が、20代あるいはティーンエイジャーであるケースについては徹底的な洗い直しが必要である。
●拉致の目的
当然、一つの疑問が湧いてこよう。北朝鮮は、一体何のために、外国人を拉致するのか?
過去の事例から、次の六つのパターンが浮かび上がってくる。すなわち、北朝鮮が外国人を拉致する目的は、
(1) 工作活動中の北朝鮮スパイに運悪く遭遇した目撃者を連れ去る
(2) 被害者の身分を盗み、本人になりすました工作員が当該国その他に侵入する
(3) 拉致被害者を、その出身地の言語や風習を北朝鮮工作員に伝授する教官として用いる
(4) 拉致被害者を洗脳し、工作員として用いる
(5) 拉致被害者がもつ専門知識や特殊技能を利用する
(6) 北朝鮮内に住む、一般国民とは異質な居住者、とりわけ脱走米兵のような亡命者や別の拉致被害者など隔離された生活を送る外国人の配偶者にする
いうまでもなく、これら六類型は相互に排除し合うものではない。被害者の「多角的利用」を狙う場合の方が、むしろ普通であろう。
これら6つの目的のうち、
(1)は古くから一貫して行われてきたものである。
(2)(3)(4)は、上記の1976年金正日秘密指令に発する「工作員の現地化教育」に対応したものといえよう。
韓国の女優崔銀姫氏や映画監督申相玉氏のケースは(5)に当たる。
最後の(6)は、いわば、犯罪が新たな犯罪を生むという範疇に入るものであろう。
●「検証可能なテロ放棄」としての被害者解放
拉致の実態が明らかになり、北朝鮮に批判的な世論が高まる中、なぜ北は、いまだほとんどの拉致被害者を解放しようとしないのか。
ここで注目すべきは、横田めぐみさんをはじめ多くの拉致被害者が、工作員の教育係を強いられてきたという事実である。
もし解放されて故郷に戻れば、彼ら拉致被害者は、捜査機関が示す情報の確認などを通じ、各国に潜伏する北朝鮮工作員の摘発に貢献できよう。
私は、北朝鮮が被害者の解放を拒む主要な理由はここにあると見ている。逆に言えば、もし、北がテロリスト養成事業をやめ、すべての工作員、世界各地に潜伏させているスリーパー・セル(冬眠テロリスト)を引き揚げるという決断をするなら、彼らの顔を知る教官たち——すなわち拉致された外国人——を、即座に解放できるはずである。
北朝鮮が拉致被害者解放を拒んでいるという事実こそが、北にテロを放棄する意思がないことを示す何よりの証拠である。
北朝鮮に何らかの経済支援を行う前提条件として、「検証可能な核廃棄」を求めるという方針は明らかに正しい。同様に、「検証可能なテロ放棄」も、やはりあらゆる支援の前提とされねばならない。拉致被害者の解放は、このテロ放棄過程における必須の要素である。
すなわち、拉致問題が未解決である限り、われわれとしては、北朝鮮にテロを放棄する意思なしと見ざるを得ない。したがって、当然そうした前提のもと、北に対処していかねばならない。
●北朝鮮に拉致された子供たち
国家による子供たちの拉致は、とりわけ許すべからざる行為である。そして、北朝鮮によって拉致された13才の被害者は、横田めぐみさんだけではない。もう一人、13才の犠牲者がいる。寺越武志という名の日本人少年である。
武志さんは、1963年、2人の叔父とともに操業中の漁船から姿を消した。
ある脱北者の証言によれば、漁船は日本の海域内で北朝鮮の工作船にぶつけられ、工作船は、証人を消すため、寺越さんらを連れ去ったという。
1987年、叔父の一人が、日本の家族のもとに手紙を届けることに成功し、この失踪事件が北朝鮮による拉致であることが明らかになった。
武志さんの母は、当初、息子を取り返すため、他の被害者家族とともに活動していた。しかし、北朝鮮当局は武志さんを脅し、拉致ではなく北朝鮮の船に「救助」されたのであり、北で「幸せに」暮らしていると宣言させた。そのため、母親の態度も変わり、現在、息子の名前を拉致被害者リストに加えないよう日本政府に求めている。
母親は、平壌にある武志さんのアパートを時々訪問することを許されている。
彼女は明らかに、北朝鮮当局を刺激して、訪問を拒絶されるという事態を恐れている。
私は、日本政府は、はるか以前に、武志さんと2人の叔父を拉致被害者と認定していなければならなかったと思う。ところが、いまだに認定せず、そのことで、北朝鮮に対し、誤ったメッセージを発し続けている。
北朝鮮の船が武志さんを「救助」云々というのは、笑止千万な話である。
仮にそれが事実であったとしても(もちろん事実ではないが)、13才の少年を救助して、数十年間も両親に知らせないというのは、それ自体、拉致以外の何物でもない。
叔父の一人(北は、すでに亡くなったと主張している)の3人の子息は、拉致被害者家族会の活動的なメンバーであり、日本政府が寺越事件をはっきり拉致と認定するよう求めている。
米議会下院は、北朝鮮による拉致を「テロ行為であり、人権のあからさまな侵害」と非難した2005年7月11日付決議の中で、寺越事件に、正しく次のように言及している。
北朝鮮の工作員は、子供たちを拉致し、自分の子供に何が起こったのか分からぬまま暮らす両親に、想像を越える苦悩を強いてきた。その例として、2人の叔父とともに拉致された13才の少年、寺越武志のケースがあり、……(以下略)
この決議は、われわれを大いに鼓舞してくれた。ここで改めて謝意を表したいと思う。
先に、少なくとも5人の韓国人高校生が、北に拉致されていると指摘した。日本人の高校生に関し、拉致ではないかと疑われるケースもいくつかある。北朝鮮によって拉致された子供が、日本人と韓国人に限られると見る根拠はどこにもないと思う。
●秘められた意図をもった結婚:脱走米兵と拉致された女性たち
1965年1月、北朝鮮に向け脱走した米陸軍軍曹、チャールズ・ロバート・ジェンキンス氏は、2004年に解放されて来日後、北朝鮮での厳しい生活を、他の3人の脱走米兵、すなわちジェームズ・ジョゼフ・ドレスノク一等兵(1962年8月入北)、ラリー・アレン・アブシャー二等兵(1962年5月入北)、ジェリー・ウェイン・パリッシュ伍長(1963年12月入北)と、時に一緒になったり離されたりの関係で過ごしたと証言している。
これら四人の脱走米兵は、すべて北朝鮮内で、海外から拉致された女性と結婚した。
若くして拉致された日本人曽我ひとみさんは、ジェンキンス氏と結婚した。娘2人が生まれ、彼女らは、現在日本で、勉学に打ち込むとともにキャンパスライフを楽しんでいる。しかし、ひとみさんとともに拉致された母親はいまだ行方不明のままである。北朝鮮は、母親が入国した記録はなく、何も知らないと主張しているが、信ずるに値しない。ひとみさんは、自身拉致の被害者であったと同時に、いまなお拉致被害者の娘であり続けている。
1978年、日本で仕事があると騙され、北朝鮮に連れてこられたレバノン人シハーム・シュライテフさんは、パリッシュ氏と結婚し、三人の息子をもうけた。
パリッシュ氏は1997年8月に死亡したが、彼女と3人の息子は今なお北朝鮮にいる。
1978年、マカオから拉致されたタイ人、アノーチャ・パンジョイさんはアブシャー氏と結婚した。アブシャー氏は1983年に死亡している。数年後、アノーチャさんはジェンキンス氏に対し、まもなくドイツ人男性と再婚すると語った。それが、ジェンキンス氏がアノーチャさんを見た最後だという。
ドナという名のルーマニア人女性は、ドレスノク氏と結婚した。ドナさんは、亡くなる直前、ジェンキンス氏に次のような話をした。
彼女の母親はロシア人で、父親はルーマニア軍将校であった。彼女は、かつてあるイタリア人男性と結婚した。離婚後、慰謝料を用いイタリアの芸術学校に入学した。
その時知り合った美術商風のイタリア人男性が、ロシア、北朝鮮経由で香港に行き、個展をめぐるツアーをしないかと持ちかけてきた。彼女は北朝鮮で止められ、イタリア人の男はどこかに消えた。
ドナさんは1997年、肺ガンで亡くなった。彼女が北朝鮮の地に埋葬されたくないと言ったため、ドレスノク氏は、遺体を火葬に付した。その後ドレスノク氏は、ダダという名の女性(北朝鮮とトーゴのハーフ)と再婚した。
ジェンキンス氏は、次のような興味深い証言をしている。北朝鮮の工作活動指導部は、おそらく、外国人カップルの子供、混血の子供を、特に在外米軍基地の周りで活動する秘密工作員として利用しようと考えていたのではないか。在外米軍基地周辺では、混血の子供たちは決して珍しくない。
ジェンキンス氏は、北朝鮮当局が娘たちを平壌外国語大学に入れよと指示してきたとき、やりきれない思いになったと述べている。ちなみに、大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯金賢姫も、この大学在学中に、秘密工作員に選抜されている。
以上に鑑みれば、北朝鮮に拉致された女性たちは二重の苦悩に苛まれているようだ。まず最初は、若くして突如将来の夢を奪われた拉致被害者として。次いで、彼女らが心から憎む北朝鮮という体制の秘密工作員になることを強いられる子どもの母親として。
●救出活動を妨害する中国政府
中国政府は、自らも署名している国連難民協約に違反して、難民狩りに奔走し、哀れな難民たちを金正日の拷問室へと送り還している。こうして強制送還される人々の中に、拉致された外国人、その家族、拉致被害者について重要情報をもつ人々などが含まれていた、現に含まれている、また今後も含まれるであろうことは間違いない。
中国当局は、拉致被害者を救出しようというわれわれの努力を、組織的に妨害している存在と断ぜざるを得ない。
さらに、中国当局は、自国の拉致被害者を取り戻す努力も何らしていないようである。一例を挙げよう。
2人のマカオ居住者——当時20才の孔令イン(貝二つの下に言)さんと22才の蘇妙珍さん——が、1978年7月2日、北朝鮮工作員によって拉致された。
マカオは当時ポルトガルの植民地であったが、1999年に中国政府の施政権下に入った。二人の拉致被害者は、したがって、現在、中国国民である。彼女たちの家族もまた中国国民である。
私たちは、関係者とのさまざまな面談などを通じ、この件が拉致であると実証することが出来た。たとえば、韓国人女優崔銀姫氏が、平壌にあるいわゆる「招待所」で一時的に、孔令インさんと一緒になったと証言している。
崔銀姫氏は、孔令インさんのクリスチャン・ネームが「マリア」であると記憶していた。われわれは、孔さんの家族にこの点を照会した。家族らは、孔さんがカトリックの洗礼を受けたことは知っていたが、クリスチャン・ネームは知らなかった。家族は、孔さんが通っていた教会に走って、彼女の洗礼名が実際、「マリア」であることを確認した。
崔銀姫氏は、孔令インさんが、中国語の教育係をさせられていたと述べている。
われわれ「救う会」は、東京の中国大使館スタッフに、中国国民に関わるこれらの情報を伝えようとしたが、彼らは面会を拒否した。そこでわれわれは、関係資料を文書で中国大使館宛にファックスおよび郵送した。現在に至るまで、何の反応もない。無視を決め込んでいるようだ。
中国政府は、難民を北朝鮮に送り還すことで外国人拉致被害者の救出を妨害するのみならず、北朝鮮に囚われている自国民を弊履のごとく捨てて顧みない。こんな政権に、オリンピックを開催する資格があるだろうか。
公開競技として難民狩りを実施するとでもいうなら、中国が開催地として適当だろう。そして間違いなく、中国チームが優勝するであろう。
が、常識の立場に立つなら、難民狩りを続ける限り、北京はオリンピック開催地としてふさわしくない。
北朝鮮についてある人が、生きていく(live)ことができず、さりとて去る(leave)こともできない場所とは、すなわち地獄の定義に他ならないと述べている。その通り。そして北京は、その地獄の共同管理者である。中国共産党指導部は、自らを恥じるべきだ。
●経済的締め付けを通じたレジーム・チェンジ
私は、久しく、レジーム・チェンジ(政体変更)こそが拉致問題解決の唯一の道だと確信している。核問題、ミサイル問題解決についても同じである。半端な方策は役に立たない。
したがって問題は、いかにしてレジーム・チェンジを実現するかである。
勝利に近道はない。私は、経済的締め付けが鍵になると思っている。そしてその場合、平壌のみならず、北京にも圧力をかけねばならない。
この点、昨年9月にアメリカが発動した金融制裁は、まさに正鵠を射た動きである。この制裁は、とりわけ、北朝鮮と手を組んでいる中国の銀行を標的にした。
私は、米国が、ますますこの種制裁を強化し、他国もアメリカにならうよう望んでいる。
日本政府は、安倍晋三官房長官の強いリーダーシップのもと、近年、さまざまな道具を用いて、北朝鮮に対する経済的圧力を強化してきた。心強い動きだといえる。
二年前、日本の国会は二つの重要な法案を可決した。一つは改正外国為替及び外国貿易法で、政府が「わが国の安全と平和のために必要」と判断した場合、いかなる国に対しても、貿易や送金を停止する権限を与えたものである。
もう一つは、特定船舶入港禁止法である。いまや日本は、首相が決断しさえすれば、北朝鮮の船舶に限らず、中国籍やさらには日本籍であっても、北朝鮮の港に立ち寄った船をすべて日本に入港禁止とすることができる。
私が見るところ、この強力な道具は、あまりに長い間たなざらしにされてきた。
今や、全面的な経済的締め付けを行うべき時である。
金正日に何かメッセージがあるか? 何もない。救いがたい男という他ない。
可及的速やかに歴史の灰の山に墜ちていくことを願うのみだ。
しかし、金正日の周りに対しては、メッセージがある。あの男を除去せよ。そして、拉致被害者、その家族、その友人、友人の友人——すなわち金正日と手下を除くすべての人々の安全と自由を確保することだ。そうすれば、単に制裁の解除のみならず、世界中から、多額の経済援助が来ることを期待できよう。
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