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2006年7月23日 (日)

横田早紀江さん 石垣島(1)

横田早紀江さん 石垣島(1)


石垣のみなさん、こんばんは。
今日は本当にひどい風の中をこのようにたくさん、遅い時間にお集まりいただきまして、私達の被害者、また拉致問題のためにお話を聞きに来てくださいまして本当にありがとうございます。

今日の会を開いてくださいますために砂川さんはじめブルーリボンの会のみなさま、多くの方々が、いろいろな準備をしてくださいまして、日にちをのばしてもらったり、いろんなご迷惑をおかけしましたけれど、本当にこのように沢山のかたがこの場に集まっていただきまして本当にありがたく思っております。

今日はほんとうに、素晴らしい歌を聞かせていただいて、本当に心の底から、いろーんなことが思われて、あの美しいお月様がこちらで出てきましたときは、本当にお月様をいつもみながら私達も泣いておりまして、何年も何年も、めぐみのことを思いながら、「あの子もこのお月様見てるのかなー?どこにいるのかなー?」「ただもう生きていてほしいなー」、と言う思いで、何度、庭に出ては泣いたかわからないのですが、やはり曾我さん、蓮池さんたち、お帰りになった方もおっしゃっていましたけれども、「本当に何度もお月様をみながら毎日誰かが助けに来てくれるんじゃないかと待っていたんです」ということをおっしゃっていました。

蓮池さんご夫妻は、「待っても、待っても日本から誰も助けに来てくれなかった。三年間一生懸命我慢して助けに来てくれると思い続けていたのに、誰も来てくれなかったので、私達は諦めるしかないんだと、北朝鮮人として生きていくしかないんだと、思って、そして諦めてそのような生活を180度思いを変えて、過ごしてきたんです。」とおっしゃていました。

曾我ひとみさんは、「最後まであきらめないで、必ず日本に帰れると思って、思って、思ってきたんです」とおっしゃっていました。

みんなそれぞれ、どんな本当に悲しみの中に、理不尽な、な~にも悪いことをしていない、こんなに平和な日本の国の町々から、海岸から、いろんなところから、あっという間に袋を被せられて、あっという間に、船の乗せられて、暗い夜に船に乗せられて、ボートに乗せられて、そして工作艇に乗りかえさせられて、そして大きな母船まで運ばれて、北朝鮮に運ばれていったということを、みんな同じ事をお話しされていることを聞くたびに、本当に本当に恐ろしいことが、この日本の国の中で(起こっていたのだと思うのです。)

私達は何にもわからないで、平和な国になって、戦争を放棄して、「良かった、良かった」と物質にも恵まれ、自由に発言でき、なんでもおいしいものを頂き、なんでも好きなものを着られ、本当に自由に、素晴らしい人生になったと喜んでいたのに、その大切な平和の中で、(そう)思っていた大切な平和の中で、これだけの多くの日本の若者たちが、皆様のお子様と同じように本当に、お母さんのお腹の中に神様がくださった、大切な大切な小さな命が芽生えて、そしてそれが、本当に一生懸命喜びの中で大きくなって、10ヶ月たってようやく生まれてきて、「あー良かった」と、一生懸命に育てて、「あー、三歳になった」、「一年生になった」、「10歳になった」、「あー、13歳になった」、「二十歳になった」と、みんなが喜んで親は、喜んでいる最中に、また子供達はそれぞれに大きな夢を持って「この日本の国でこれからどんなことをしようかな」「どんなお役に立つような人間になろうかな」とか、いろいろに純真な思いで育っていただけの、ただそれだけの平和な子供達が、いったい何の罪があるのでしょうか?

私は、この事件が二十年間わからないで、新潟のあの海岸を泣きながら何度も探し回りました。
「めぐみちゃん、どこに行ったの?どうしたの?どこにいるの?」
まさか、あの土の中に埋められたんではないだろうか、まさか、あの海に放り投げられて、お魚に食べられてしまったのだろうかとか、もう本当に、黒い雲のように恐ろしいことが頭の中を駆けめぐって、気が狂うような、新潟時代を過ごしてきました。

一体この子はあんなに元気で歌っていたのに、あんなに家の中で大きな声で笑って、みんなを笑わせていたのに、ぱっとあの学校の帰りに、家のすぐそばの曲がり角のところで消えてしまって、まるで煙のように、パット消えて、何にもわからない、何十年探しても。

新潟県警がもう、かつてないような、大捜索で、あらゆるところを探し回ってくださっても、何一つわからない。こんな不思議なことが何故あるんだろうと思い続けてきました。お友達と三人で帰ってきましたその角のところで、捜査をする犬がきまして、ここでにおいが消えていました。「きっとめぐみさんはここまで歩いてきたにちがいありません」と言われていました。

その角のところで、いつもいつも、普通に帰ってくる角、もうすぐのところが家なんですが、どうしてこんなにわからないんだろうと、ここで何があったんだろうと、いつも思っていました。そして煙のように消えたことが不思議で不思議で、一体どういう事なんだろうと考えていましたが、曾我ひとみさんが帰国をなさって、(曾我ひとみさんはめぐみが連れて行かれて一年ぐらい後に北朝鮮に連れて行かれたんですが)その時にすぐに早いうちに、めぐみがひとりで住んでいる招待所と言うところにひとみさんが、連れて行かれて「今日からあなたはこの子と一緒にここで勉強することになりましたから、この子と暮らしなさい」と連れてこられたそうです。

初めて、自分とほとんど年が同じ年頃の(四つ五つは違うんですが)女の子同士があったわけで(す。)めぐみは本当に不審船(工作船)の船底にに閉じこめられて、「お母さん、助けて! お母さん、助けて!」と絶叫しながらあの暗い日本海を、40時間もかけて、もう泣き叫んで、疲れ果てて、どーんな怖い思いで連れて行かれたかわかりませんが、そのようなことを聞きます時に、本当に恐ろしかったと思います。悲しかったと思います。何故自分がこんなところにいるのかもわからないで、気が狂うような毎日だったと思います。

たったひとりで招待所で朝鮮語や物理や、数学や、いろんなものを、朝鮮史とか朝鮮語とか教えられていたと思いますが、そこにひょっこりと曽我さんが現れたことで、どんなに嬉しかったことでしょう。
あー私と同じようなお友達がきた と思ったと思うんです。それで「<こんにちは>と優しく声をかけてくれたんですよ」 とひとみさんは言ってました。そしてこれから一緒にここに住むようになったということで「よかったね」ということで名前を言い合って、そしてお茶を飲んだりしながら。

「夜寝るときに、お布団を敷いているときに、めぐみちゃんが聞いたんですよ」(ケガをしていたのかどうか知りませんが)ひとみさんの足を見て、めぐみが「<ひとみさん、その足どうしたの>、と聞いてくれたんですよ、こんなに優しく聞いてくれたのは、もう本当に初めてだったので、もう嬉しくて思わず私は本当のことを言いました。私は佐渡に住んでいて、そして佐渡で、お母さんと一緒に、夜、お買い物に出たときに突然後ろから3~4人の男の人に追いかけてこられて、あっという間に植え込みに連れ込まれて、そしてぐるぐる巻にされて、猿ぐつわをはめられて、あっという間に袋を被せられて、船に乗せられて連れてこられたんです」と言ったらしいんです。

「けれども私のお母さんは一緒に来たのに、そのお母さんはここにいないのよ。どこに行ったのかわからないのよ。」とめぐみに話してくださったそうです。そうしたらめぐみも「あーそうだったの。私も、実はバトミントンの練習の帰りに、お友達三人と一緒に帰ってきたときに、角のところまで歩いてきたときに男性に捕まえられて北朝鮮に連れてこられたんですよ、と言ってくれました。」と初めて話してくださいました。

「あーそれで、あの角で消えたのは、そういうことだったのか」とわかりました。
そして、本当に、北朝鮮に連れて行かれたことが現実だとはわかっていましたけれども、いろいろと細々と知らないことが次から次からと出てくるようになりました。

私達は、一人ではめぐみを捜し出すことはできませんので、家族会のたくさんの方達と、有本恵子さんや、この方は先ほど砂川先生がお話なさったように、ヨーロッパ経由であちらの方に騙されて連れて行かれたんですけれども、海岸から連れて行かれた蓮池さんや地村さん、そして曽我さん、そして富山から連れて行かれそうになって、ぐるぐる巻きにされて、もう連れて行かれそうになって海岸に置いておかれた時に、犬がワン!ワーン!と吠えてきたので連れて行こうとしていた人たちは、ぱーっと逃げて、そして、もうおばQのようにくるまれたたままでその男の人は転がるようにそのままで民家まで転がって、助けを求めて、助けていただいた。それは未遂事件ですけれども、その方は、全然表には出ませんが、そういうことは確かにあるんです。

そう言うことが、次から次からと、こんなに平和な日本の国で行われ続けてきたと言うことが、今わかりました。そして私達は、あまりにも北朝鮮という恐ろしい国のことを知らなすぎました。私達も全然知りませんでした。朝鮮と言っても本当にそんなことまでする国とは思っておりませんでした。だけれども、今の指導者の国家犯罪としての指令のために「拉致をしてきなさい」ということで、たくさんの人を連れて行ったんです。そしてそれは私達の日本だけではなく、ジェンキンスさんがお帰りになって「告白」と言う本を書かれてっそしてその本の中で、レバノンやその他の国(タイ・シンガポール・マカオ・香港・イタリアなど)全部で12カ国から若い人たちが拉致をされ、そして親はみんな悲しんで待っているわけです。そのようなことがだんだんと明らかにされてきました。

私達は今年の3月に一度(那覇に)伺いましたけれども、今日、二度目の沖縄ですが、全国を回って、もう10年になります。全国をこうして訴えてきまして、全国みんな、ほとんどの県がよくわかってくださり、そして救う会もたくさんの会ができました。私達はそのことだけでなくアメリカにも二度行きました。向こうのアーミテージさんはじめ多くの高官の方々、上院議員、下院議員の方に拉致問題を訴え、スイスのジュネーブのほうまで行き、国連の(国連人権委員会)にまで行って、訴え、本当に一生懸命に助けを求めてきましたけれども、日本の政治、日本の動きというのは非常に私達にとっては冷たいものでありました。本当にどうしてこんなに本気になって動いてくださらないんだろうと、みーんな家族のものは悲しくて仕方がありませんでした。

けれども、このたび、初めてアメリカの議会の公聴会に出させていただき、拉致被害者の家族として証言をさせていただく機会を与えられました。本当に普通の主婦でしかない私など、そんなところにとっても出られるものではないのですが、もうただ一心で、この問題を一生懸命話させていただき、まさかお会いできると思わなかったブッシュさんにお会いさせていただき、非常に緊張してカチカチになっていたのですけれども、ブッシュ大統領は非常に明るい方で、「こんな大切な人権の、命と自由と言うことについては、私はどんな時間でも割いて話しをすることができる」と言う形ではっきりとおっしゃっていただき、「このお母さんは、もう何にもいらないんだ、だた娘を返してほしいだけなんだ。娘を抱きしめてやりたいだけなんです。」ということもはっきりとおっしゃってくださいました。「北朝鮮が世界に尊敬される国になりたいのならば、拉致をした人を、すべて返すべきだ」ということまで、はっきりとおっしゃってくださいました。

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