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2006年8月

2006年8月28日 (月)

八重山集会 砂川昌順氏

   「日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民のつどい」
                   06.7.12 石垣市民会館大ホールにて

『砂川昌順氏の講演』

ただ今ご紹介頂きました砂川でございます。
オープニングで「トゥバラーマ」「月ぬ美しゃ」をそこで聴いていたんですけども、ついうるっと来ましてですね。
私も島んちゅですので、やはり歌を聴くと色んな思いが頭をよぎって行くんですけれども、本当に素晴らしい歌を聴かせて頂きました。

本日は横田さんご夫妻をお迎えし、「日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民のつどい」で講演させて頂く機会を与えられましたことを、大変光栄に思い深く感謝申し上げます。
本日の開催に向けご尽力くださいました主催者、実行委員、後援者、多くの関係者の方々、そして本日こうしてお忙しい中、それにも増して台風4号が接近中の中、ご来場くださいました皆様に対して心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。

以前、横田さんご夫妻と講演を一緒にさせて頂いた時でした。
何気ない会話の中で、「横田さんご夫妻が、全国でまだ講演に訪れていない県が二県ある」という話になりました。
「どこですか?どこの県ですか?」
軽く聞いてしまったんですね。
その答えを聞いたときに、ガツンと頭を思いっきり殴られたような思いで言葉を失いました。
その二県の中に沖縄県が入っていたからです。

「申し訳ありません」
ただ謝るしか言葉は見つかりませんでした。
足元を見つめていなかった自分が愚かしく情けなく、拉致被害者ご家族の皆様に対しまして「申し訳ない」と言う思いで、自分には横田さんご夫妻と一緒に講演をする資格など無いんじゃないのかな?と、その時思いました。
本日は石垣市民の皆様が横田様ご夫妻をお迎えしてくださって、こうして講演会を開いてくださったことに対して、特別の思いを込めて皆様に対しましてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございます。

私は毎年11月15日は新潟の海へ出かけています。
横田めぐみさん、当時13歳、中学校1年生。
学校からの帰宅途中拉致されたあの新潟の海を、この目に焼き付けておきたいと思うからです。
横田さんご夫妻が「めぐみちゃ~ん、めぐみちゃ~ん」と必死で我が子を探し回った。
暗闇の中を懐中電灯を手に必死で探し回ったであろう、その海岸に立ち、国民の一人としてそしてかつて公務に携わっていた一人として自分が至らなかった事を反省し戒め、拉致被害者ご家族の皆様に対しまして改めてお詫びの気持ちを強く思うと同時に、今私たちがやらなければならない事について足元から見つめ直していきたいという思いを、自分自身に強く叱咤する日としております。

過去において多くの日本国民が、拉致問題に真摯に取り組んでこなかった時期がありました。
助けを求める拉致被害者ご家族の声に耳を傾けなかった一時期がありました。
事実を、事実足らしめる物を見誤って来たように思います。
私たち国民も反省すべき点があるかと思います。

私は自分の記録した物を本として出版いたしました。
「極秘指令」と言う本ですが、それは元北朝鮮労働党調査部に所属していた蜂谷真一ことキム・スンイル、蜂谷真由美こと金賢姫の、大韓航空機858便の爆破した実行犯の二人を拘束した経緯をまとめた本です。
大韓航空機858便は1987年11月29日、二人の実行犯によって爆破されました。
115名と言う多くの尊い人命が一瞬にして消えました。

皆様の中には1987年12月15日のテレビ報道を記憶されておられる方もおられるかと思いますが、金賢姫が韓国に到着した日のタラップを安企部。
これは1988年に国家情報院と改称をしておりますが、その安企部、国家安全企画部のメンバー、その前身のKCIAとも言われておりますが、そのメンバーに両脇を抱えられながら飛行機のタラップを降ろされるシーンは、ご記憶されている方もいるかと思います。

しかしながら裏を返せば金賢姫の身柄を要求せず、韓国側に身柄を引き渡し、情報の収集・分析に消極的であった日本政府。
日本における、いわゆるインテリジェンスの不在を露呈したシーンだったと言えるとも思います。
この事件は単なるテロ事件として片付けられるものではありません。
日本国のパスポートが偽造され、日本人が偽装の対象となり、いわゆる日本国が陥れらようとしました。
それは日本国の国益が失われかけたとも言えます。
そこには日本の体制そのものにおける国家、存在としての根本的な問題、根幹が横たわっているように思います。

さてここで少し突っ込んでお話させて頂きます。
1987年7月、在バーレーン大使館での勤務を終え、帰国。
9月に休暇を取り、私はヨーロッパへ向かいました。
目的は3つありました。

ひとつはオーストリアの北朝鮮大使館において、大韓航空機爆破事件の真偽を問いただしてみる事。
二つ目は東西ドイツの壁、ベルリンの壁の崩壊・開放、東側社会体制の崩壊に関わる情報の信憑性の確認。
これは当時のソ連の国家保安委員会、皆さんKGBと申し上げると分かりやすいのかもしれませんが、そのメンバーに確認する事。
そして三つ目は日本の機密情報を東側に流している日本側協力者の情報を入手する事。
以上3つの目的を持ってヨーロッパへ向かいました。
本日は二つ目と三つ目の目的に関しては、今回の講演の趣旨とは直接関わりが無いため割愛いたしますが、ひとつ目の目的について、時間の範囲内で簡単にお話したいと思っております。

ウィーン到着後、二人のウィーンでの足跡を洗いました。
その後北朝鮮大使館側と話し合いを持ちました。
大使館側は参事官、書記官計5名が出席、その中での話し合いとなりました。
まず最初に「北朝鮮が大韓航空機858便を爆破したと考えられている。それは韓国でのオリンピック開催を阻止する事を目的として韓国にダメージ・打撃を与える為に、あなたたちの国が国家として国家犯罪として大韓航空機を爆破したと考えられているが、それについてあなたたちの意見を聞かせてもらいたい」と、いう問いかけを行いました。
彼らは真剣な顔つきをしながらも、時折薄ら笑いに近い表情も浮かべていました。

「あなた達が大韓航空機を爆破したんですか?」とストレートに問い掛けました。
すると、「南だよ、南のせいだよ」と言う答えが返ってきました。
全て南が悪い、南のせいだ。
論理や説明や根拠もなく、ただ口をそろえて「南のせいだよ、南が悪いんだ」と言い続けておりました。
そこで私は「二人は北朝鮮の工作員だと思われますが、それについてはどう考えますか?」と尋ねました。
すると一人の書記官が「あぁ、南の安企部だ。あいつらは安企部のメンバーだ」と答えてきました。
「どうして南の安企部だと言えるんですか?」
すると参事官が「いや、確か服毒したと聞いたけれど、服毒は南の安企部のやり方だよ。だから南がやったんだよ」という答えが返ってきました。

「なるほど、安企部のやり方ですか。それではこのテープを聴いて貰えますか?」
私は持ってきたテープをそこで回し始めました。
そのテープと言うのはバーレーンの空港で二人を拘束し、服毒現場を録音したテープでした。
彼らは暫く聞き入っていましたが、私が何も尋ねないうちから「いや、日本語は良く分からないし、何のテープなのか分かりません」と、言って来ました。
その会談は日本語でやってたんですけれども、そういう答えがこちらが何も尋ねないうちから即座に帰ってきました。

そこで「日本語を話せる人が北朝鮮にも大勢いると思いますが、日本人も結構いるんでしょうね?」と尋ねました。
すると彼らは「日本人は北朝鮮の研究所とか大学には結構います。日本語を話せるのは一杯いますよ」と。
「それは日本のせいでしょ?日本語教育、日本人化教育、それはあなた達がやったんじゃないですか?だから一杯いるんですよ」と答えてきました。

そこでちょっと話を戻して、「複数の日本人がヨーロッパから北朝鮮に入国していると言う情報を我々はつかんでいる。どうして彼らが北朝鮮に入国しているんだろうか?」と尋ねました。
すると、「あぁ、チュチェ思想だよ。彼らは北朝鮮でチュチェ思想を勉強している」
その偉大なるチュチェ思想とはどういう物か?というのを参事官がとうとうと説明を始めました。

その説明を一通り聞いて「なるほど、それでは私もチュチェ思想というのを勉強したいと思っている。どうですか?私を北朝鮮に入国させてくれませんか?私を受け入れて、日本の外務省の職員が北朝鮮に亡命したとでも何とでも発表すればあなたたちの国の宣伝にもなる。私が不要になればその時点で私を処分すれば済むのではないのか?こんなに都合の良い話は無いと思うがどうですか?」と北朝鮮入国の交渉を始めました。
いかなる理由、いかなる手段を使ってでも北朝鮮に入国し、彼らの旅券偽造、日本人化教育、北朝鮮にいる日本人の人たちがどうしているのか?
その実態を調査し情報を得なければ、国際社会において彼らを糾弾する事は困難と考えておりました。

彼らはその場で緊急に北朝鮮に本国に打電します。
「私の申し入れを打電します」と言う事で一人の書記官が席を立ちました。
暫くして北朝鮮からは3日後に返事が来るという事になったと言う事で、私は再度また3日後に北朝鮮大使館に来ることになり、その日の会談は終わりました。
それからはホテル周辺ではアジア系の顔をした男たちがうろうろし始めました。
それが北朝鮮側の見張り役かどうかは、確認する必要はありません。

3日後に北朝鮮大使館を訪れ、そこで返事が来たと言う事で返事を聞く話し合いを持ちました。
返事は日本人の外務省職員、あなたをここからオーストリアからウィーンから直接北朝鮮に入国させる事は出来ない。
それは不自然な為、危険と思われる。
日本に帰って朝鮮総連の誰それとコンタクトし、朝鮮総連のアレンジによって入国する事は可能。
あなたの要望を全て満たすことは可能、ということで北朝鮮大使館側からは直接朝鮮総連側の連絡先を記したメモをその場で手渡されました。
それはいわゆる、その時点での情報収集の道をふさがれた事を意味してもいます。

当時はヨーロッパから数名の日本人が北朝鮮に入国していると言う情報は得ておりましたけども、我々もそれが本人の意思で渡ったものなのか?
それとも強制的に渡らされたものなのか?
そこまでの情報は掴んでおりませんでした。
それを思うと、ただただ申し訳なく拉致被害者ご家族に対しては謝る事しか出来ていないと言えます。

さて拉致問題の解決に向けて我々がすべき事はなんでしょうか?
武力行使はもちろん出来ません。
戦争は、過ちは二度と犯してはいけません。
それでは北朝鮮に工作員とかCIAのようにエージェントを潜り込ませて、被害者の救出を図りますか?
そんな簡単な物でもありません。
他にお願い出来るような事でもありません。

それでは北朝鮮の体制崩壊を目論見ますか?
一番望むところですけれども、6者協議における北朝鮮の体制保障の問題、体制保障の絡みもあります。
それではどうしますか?
平壌宣言の約束を破り、国際社会の非難を浴びる中でも核保有をほのめかし、先週7月5日にはミサイルを発射した北朝鮮とどう向き合えば宜しいのでしょうか?

安倍晋三官房長官は、「我が国として厳しい措置で臨む。日本の出来るあらゆる措置を講じる」と明言しています。
その言葉を拉致問題解決につなげて欲しいと望む所です。
ミサイル発射に対する措置の断行を機に、言うまでも無く対話の門戸は決して閉める事無く、徹底した制裁による圧力を実行し、同時に国際世論、包括的な人権問題として国際世論の形成に日本は全力を傾けるべきだと思っております。

去る4月28日、横田早紀江さんはブッシュ大統領と面会する事が出来ました。
一人のお母さんの心の叫びが一人の母親の声が、超大国アメリカをも国際社会をも動かし始めています。
「10億の人に10億の父あれど、10億の人に10億の母あれど、わが親に勝る親は無し」とご両親の人生をかけた心血を注ぐ活動を知ると、めぐみさんはきっとそう言うと思います。

子を思うお父さんお母さんの叫びを 我が子を愛する親の心を、この日本最南端の地から応援して行こうではないかと思っています。
あなたの声を聞かせてください。
あなたの声を国際社会にも届けてください。
この最南端の石垣から八重山から声を上げていければ、それに勝る喜びは無いと思います。

本日は皆様の前でこうして講和させて頂きました事を改めてお礼申し上げます。
そして横田さんご夫妻がこの最南端の地、石垣市までお出でくださったことに対しまして、心よりお礼申し上げたいと思います。
横田さん、どうもありがとうございます。
そして皆様、どうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・
この集会の模様はオンデマンド放送で見る事が出来ます。
オンデマンド放送を御利用の方はこちらへどうぞ。
http://www.netlive.ne.jp/archive/ISHIGAKIJIMA/ondemand_060712.html

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年8月25日 (金)

川口市民の集い(14) 西岡力氏3

  『西岡力 救う会副会長の講演 その3』

え~~っと、(笑い声、会場より「金融制裁まで」の声)金融制裁まででしたよね?
どうもすみません。
本当に困っているんです。
最近、北朝鮮内部の話で聞きましたのは、北ではゴムが採れない。
ゴムは輸入しなくちゃいけないんですが、輸入ができない。
それで靴底を豚の皮で作っている。
靴が作れない。
また、軍の将軍たちには金正日が贈り物とかをして歓心を買っているわけです。
その贈り物の質がどんどん悪くなっていると言う話も聞いています。

彼らからするとですね。
実は時間は彼らの味方だと思っていたんです。
ブッシュ大統領には任期がある。
後2年半、我慢すれば良いと思っていたはずです。
その間、にらみ合いを続けながら核兵器の数を増やしていけば良いんだと、6者協議に出て何だかんだと言って引き延ばせば良いと。
しかし、その引き延ばしが効かなくなったんです。

金融制裁をされているので、金融制裁をされている間は6者協議には出られないと彼らは言っている。
アメリカは6者協議と金融制裁は全く関係ない。
偽札を、他人の国の札を勝手に作っていてそれは話し合いの対象にならない。
アメリカが要求しているのは版を出せと。
何か15くらい版があるそうです。
どんどんどんどん改訂しているわけです、彼らは。
で、(版が)出て来たら本当にやっていたという証拠になるわけです。
版がある以上、これがある以上やめろと言ったって次を刷るだろう、出せと。

どうもですね。
北の造幣局が刷っているらしいです。(笑い声)
隠れて刷っているんじゃない、北の札を刷っている所でドルも刷っている。
それだけじゃなくてマルボロと言うタバコも偽造している。
どうもマイルドセブンも偽造している。
東南アジアなんかに流通している。
日本に持って来たら分かりますけど、東南アジアで流通させる。

そして麻薬をやっている。
日本に一時期流通していた覚せい剤の約半分が北朝鮮製だと。
昨日でしたか、日本の警察庁の漆間長官が、「北朝鮮が国家として覚せい剤を作って日本に入れている」とハッキリ言いました。
それだけでも、清国でもアヘン戦争というのをするんです。
青少年に対する侵略です。

しかしもう一つ実は効いているのがあるんです。
日本も去年の11月くらいから、安倍官房長官になった頃からかなり厳しい事をやっている。
名実的な経済制裁は今回のテポドン発射で始まったんですけど、法律を厳しく適用すると言う制裁を去年の秋から本格的に始めました。
先ほど飯塚さんが仰った拉致問題特命チームの下にですね。
二つのチームを作りました。

一つが法適用厳格化チーム。
今まで余りにも北朝鮮や朝鮮総連に対して法律をきちんと適用して来なかった。
固定資産税を払うべきなのに払わない。
公的な機関でも何でもないのに。
日本人でも不動産を持っていれば固定資産税を払うわけです。
それを免除して来た。

あるいは1976年に高沢寅雄という社会党の代議士が、朝鮮総連の幹部を連れて国税庁長官に面会して、その後高沢寅雄さんの衆議院の議員会館の部屋で、国税の幹部と朝鮮総連の幹部が談判している。
その事は事実です。
談判したというは国税も認めている。
そしてその結果として国税庁と朝鮮総連は秘密合意をしたと、いうふうに朝鮮総連は言いまくっているわけです。

彼らのパンフレットとかに書いて、そして朝鮮商工会という朝鮮総連系の商工会の代表の理事長は、こういうところで挨拶を言うんですね。
「我々は税金には違う方便がある。」
実際総連系のそういう所に加盟しているパチンコ屋さんだとかそういう人たちの税金の書類は、朝鮮商工会、総連の人間が代行して作ってそして税務署に持って行くと。
問題だと言われても机叩いて「(日韓併合の)36年、お前何をしたんだ」と言う。
そして物凄く不明朗な形でやってまして、それで安くなった分を北朝鮮に献金しろと言って北に送らせていたと。

その事を実際にやっていた人が張龍雲さんがですね。
兵庫に住んでいる人で、田中さんを拉致した洛東江と言う組織に入っているわけですね。
あの人が講談社文庫で「朝鮮総連工作員」と言う本を書いてますけども、その中にどうやって税金を負けさせたのか?というのを一杯書いてある。
私、彼の家まで行って「本当に負けるんですか?」(と聞いたら)「大丈夫だ」と言う。
で、今は反金正日活動というのをやっていて、朝鮮総連の兵庫の人間に「総連に行かなくても俺が負けさせてやるから、総連に献金するのを止めろ、と言っているんだ」と。(笑い声)
真面目な顔で言ったんですけど。(笑い声)
病気でもう亡くなったんですが。
そういう不明朗な事があると。

あるいは朝鮮総連の持っている信用組合、朝鮮信用組合と言うのがあるんです。
どんどん破綻していて公的資金(の投入)が1兆4千億円という。
預金者保護という事で破綻すると預金者を保護するという事に入るんです。
その預金者が善意の預金者なのか?
脱税をしてお金が余ると裏金として長銀に預けるわけです。
長銀は絶対に税務署から守ってくれるという事になっている。
民団系のパチンコ屋さんも、裏金だったら長銀だと言っている。
そういう所を何で公的資金で守らなくちゃいけないのか?
そしてじゃあ何故破綻したのか?

長銀は朝鮮総連系の個人にお金を貸し出していた。
担保や朝鮮総連の土地や建物。
そしてそれが焦げ付いた。
その人は破産して終わりなんです。
そこへ公的資金が入る。

借りた人のところへあるジャーナリストが行って見るとですね。
裸電球が灯っている6畳と4畳半くらいのアパートに住んでいる人が数億円借りている。
「返すつもりなんか無いです」とうそぶいている。
何故そういう人が借りられたか?というと、朝鮮総連の土地が担保なんです。
しかし朝鮮総連というのは任意団体ですから、法人格が無いわけです。
信用組合は信用組合として、学校は学校で、あるいは新聞社は新聞社で土地建物を持っている。
それは個人で善意の商取引の結果、焦げ付いたんじゃないんです。
最初から焦げ付かせようとして焦げ付かせてて、そのお金はどこへ行ったのか?という事です。

しかし、その1兆4千億円の内2千億円についてはRCCと言う政府機関が、債権回収機構が今取立てをやっているわけです。
その取立てをやっている所が600億円について、借金の名義は朝鮮総連じゃないんですけど、朝鮮総連が借りたとみなして去年損害賠償の訴訟を起こしています。
朝鮮総連に。
総連の今の財産は大きく見積もっても200億を超えないだろうと言われています。
それに対して600億を出す。
ということが始まったのが、安倍官房長官になって法律を厳しく適用すると言う事が始まってからです。

あるいは核ミサイルの技術についても日本から部品が行っている。
さっき言いましたけども、それも朝鮮総連の在日朝鮮科学技術協会と言う、いわゆる科協というところがあってですね。
日本の学校、大学院まで出た理科系の専門家の人たちがそこに加入していて、その人たちがいろんな部品や技術を北に出しているわけです。
それについても去年の12月以降厳しい取締りをしている。
事務所のコンピューターを全部持って行ってしまうというような取締りです。
持って行ってしまったならば、その中で自衛隊がミサイルの起動を計算するソフトが入っていた。
軍事機密のスパイみたいな事をやっていたのが明らかになってきた。
そういうことについて、今までが余りにも甘すぎたんですがそのようにやる事は一杯ある。
かなりの事が出来る。
それが始まっている。

金融制裁がかかったらば、実は日本に朝鮮総連があったら総連が健在だったら北朝鮮は信用組合とか、日本を使ってお金を動かすんです。
それが出来ない。
日本とアメリカがタッグを組んで金融制裁等法律を厳しく、真綿で首を絞めるようにやっている。
それでたまらなくなってミサイルを撃ったんです。
しかし逆に日米はぶれないで、日本はすぐ制裁をかけたと。

これもですね、ミサイルだけの制裁じゃないんです。
安倍官房長官は繰り返し言いますが、これまで北朝鮮が拉致問題で不誠実な対応をしてきて、そしてミサイルを撃ったと。
その二つの事で制裁をかけたと。
ですから万景峰号が6ヵ月後どうなるのか?という事は、その間北朝鮮が拉致問題で誠実な態度を見せるかどうか?と、ミサイルでどうするか?と二つにかかっているわけです。
北朝鮮は国連の非難決議のあと、また撃つと言ったんです。
それどころか制裁かかった後にまた撃っているんです。
夕方もう一発撃ちましたからね。(小さな笑い声)

困ってるんです。
困ってきて、つまり2002年の9月と同じ状況になって来たんです。
ですから北朝鮮を動かすには経済制裁が必要だと言ってきたのはこの事なんですが、一番問題は、北朝鮮を圧迫して困らせて向こうが困ってくると話し合いに出てくるわけです。
そういう状況になって来た。

しかし問題はですね。
必要条件は満たされた。
十分条件がまだ無いんです。
北朝鮮に圧力をかけなければ彼らは動かないんですが、全員安全に取り戻す為には、今じゃあ一体何人の拉致被害者がいるのか?
言う事を我々は分かっていないわけです。

特定失踪者に入っていない拉致被害者もいる可能性が高い。
家族のいない人を狙うわけです。
原(敕晁)さんや久米(裕)さんなど、彼らが日本国内で騙して連れて行くときは、そういう人を狙うわけです。
460人の特定失踪者、900人の警察に届けている人以外の、あるいはめぐみさんたちが今どこにいるのかも分からない。
それで嵐の中を目隠しをして突っ込んでいくような状態。

でも日本政府は特別チームの下に法律適用厳格化チームともう一つ、情報収集分析チームと言うプロジェクトチームを作りました。
自衛隊や内閣府や警察、それから公安調査庁が持っている情報を全部集めて、そこで分析をしていると聞いています。
帰ってきた5人の被害者も去年の12月くらいから、かなり協力してくれていると聞いています。

出来る限りの事はやってきた。
国際社会も世論も盛り上がっている。
もしかしたら来年の今頃は、本当に田口さんやめぐみさんに会えるかも知れない。
まだ完全に勝てるとは言えませんけども、もう一度正念場を迎えたと思っています。
何とか皆さん方と一緒にですね。
今年中にと言っていますけども、本当に実現出来て行ったら良いと思っています。
宜しくお願いします。(拍手)   

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川口市民の集い(13) 岡村川口市長

   『岡村幸四郎・川口市長の挨拶』

0000893m

皆さんこんにちは、川口市長の岡村です。
今日はお話の通り、スキップシティの閉会式・表彰式がありまして、その名札を付けたまま着てしまいました。
申し訳ございません。

今日は拉致問題を考える川口市民の集いと言う事で、席が満席、多くの皆さんがご出席いただいて、この会が盛大且つ有意義に開催されます事、心から私どもは表明したいと言うふうに思っています。
西岡先生の話の途中で本当に失礼かと思いますが、指名でありますのでご挨拶をさせて頂きたいと思いますが、冒頭、今日来られるかどうか分かりませんでしたのでメッセージを託したんですが、私どもは田口八重子さんをはじめですね。
8人の被害者を抱えている町であります。

平成15年当時、ですから今から3年前になるんでしょうか?
スキップシティでビラをまく、そして署名活動をするという話を頂いた時に、地元の自治体としてそして地元の市長として、これにどう対応しようか?と言う事で内部でいろいろと議論を致しました。
その時に「これはやはり外交問題だから、市長、国に任せた方が良い」と言う意見もありました。
そしてまた「市長がなまじ表に出て行くと、政治的なパフォーマンスに取られかねない」と、「やっぱり推移を見たほうが良い」、これがどうもやっぱり役人の考えなんですね。

しかし、何はともあれ8人ものですね。
大量の被害者を出している。
その自治体の長として、これは黙って見過ごすわけには行かないだろうと。
しかも言うまでも無く極めて悪質な人権蹂躙であります。
その人権蹂躙が国家権力によって行われたと、こんな酷い話は無いわけであります。
ですから何らかのやはり意思表示をし、何らかの発信をし、そしてこの問題を我々市民レベルとしては風化させてはいけないと。
常に何らかの発信をしながら政府へ常にですね。
問題提起をして解決を迫っていくと。

この事が私は何より大事な事では無いだろうかと、こんな結論に達しまして、平成16年にやるんだったら被害者の皆さんにも失礼にならないように徹底的にやろうと言う事で、川口市民の皆さん20万5千人の方々の署名を集めて時の政府に届けました。
官邸まで届けました。
当時は杉浦官房副長官が我々に会って頂きました。
しかし外務省にも行きました。
結果的に署名は23万を超えるというかなりの数になりました。

そして私どもは札幌市とか川崎市とか、川口を含めて9つの市や町、被害者の出ている市や町にその自治体の長に呼びかけて、我々自治体が共に活動しようということで、この9つの市や町の市長をはじめですね。
長町さんあるいは担当の方が集まってやはり官邸に出向き外務省にも行って参りました。

そして私どもは公民館をはじめあらゆる市の施設に拉致問題に関わるビラも置きました。
ポスターも貼りました。
そして毎日電光掲示板でも、この拉致問題を市民の皆さんに啓発をしております。
自治体としてやれる事はしっかりやっていこうと、この問題を何とか早期に解決をしてもらいたい。
もちろん、我々の思い以上に被害者のご家族の皆さんのそのお気持ちたるや何をか言わんやろうと、その様に思っています。

今上田知事さんからもお話がありましたように、まさに今が正念場、大事な時だろうというふうに思います。
やはり一致結束して我々の声を、もちろん被害者の家族の声を政府に届け、そして北朝鮮に届け、世界中に届けてこの問題を何はともあれ早く、一刻も早く解決をしてもらいたい。
このように思っている次第であります。
是非皆さんと一緒に共に行動していきたい、と言うふうに思います。
どうぞ宜しくお願いを致します。(拍手)
ありがとうございました。(拍手)

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川口市民の集い(12)上田知事

『上田清司・埼玉県知事の挨拶』

0000892m

皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)
西岡先生、一休みになったんでしょうか?(笑い声)
飯塚さんどうもご無沙汰しております。

本当に今、正念場と言うタイトルを見ておりますが、今回のミサイル発射に関わる日本政府の対応、珍しく良かったです。(クスクス笑い)
私は率直に思っています。
非常にスピーディーに自己主張をきちっとした上で、きちっとしたプロセスをやった。
こんなふうに思います。
毅然としながら6ヶ国協議の場に引っ張り出して、また毅然とびしびし絞めていくという、そういう2段階の作戦が一番大事ではないかと思っております。
本当に大変珍しく良かったなと、もっと前からやっていれば良かったのにと、(笑い声、拍手)そんなふうに思います。

でも一番大事なのは正しい世論だと思います。
正しく無い世論もあります。
正しい世論をしっかり盛り上げて、広げて、そしてご理解いただいて、やはり国を動かし世界を動かして拉致問題を解決する。
この事が一番大事だというふうに思っています。
私も限られた立場ですが、一生懸命に頑張りますので皆さん宜しくお願いします。(大きな拍手)

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2006年8月21日 (月)

家族を前面に立てない戦い

アブダクションのハリウッド公開から日本上映へ向けての動き、須藤監督の映画制作、各地で行われている写真展、そして北朝鮮の人権問題を訴えるミュージカル「耀徳(ヨドック)ストーリー」のワシントン公演の動きを見ていて、新しい方法で拉致、北朝鮮人権問題を訴えることの重要性を感じています。

この4年間、横田夫妻をはじめとする拉致被害者家族の活動をずっと近くで取材し追いかけてきたある記者の方は、『ご家族の疲労は限界に来ていると感じます。取材をするのも痛々しいほど・・』と漏らされました。

私達は、家族を前面に出して戦いを進めてきました。横田夫妻はとうとう日本国中、全都道府県で公演を行いました。ご家族がいるからこそ、ご家族の切実な声があるからこそ、集会に人は集まります。ご夫妻の訴えは、どんなに人々の心を揺さぶったことでしょう。この活動があって、世論が揺るがず、全員の奪還を誓い、制裁への理解も深まってきました。本当にご家族の努力には、頭が下がるばかりです。

北朝鮮や総連は金英男さんの記者会見で、すべてこの問題は収まると本気で信じていたようで、それこそ私達は呆れてしまうのですが、その北の思惑を覆してきたのが、救う会、家族会の活動による日本世論の目覚めであり、揺るがぬ奪還への意志です。

どれほど、北朝鮮が日本世論を誘導できずにじたんだ踏んでいるかを伺わせます。
それも、ご家族の活動の賜です。

9月以降も、集会の日程は目白押しです。昨年末に体調を崩された滋さんも、弱気を見せずに、疲れをおして、周りには、『大丈夫です』と気丈に答え、その疲れを見せまい、心配をさせまいとなさっているように思えます。まさにつかれた顔を見せることで、北朝鮮につけいられないように、必死に闘い訴え続けようという強い強い意志を感じさせます。
私達が、それを止めることはなかなかできません。

しかし、このままで良いのでしょうか?

もちろん生の声を聞くことは本当に大切です。
けれども、走り続けさせ、消耗させ、家族を全面にたてていて良いのかという疑問が湧きます。

確かにご家族が参加すれば、署名の数も増えます。集会の参加者も増えます。しかしご家族は集客マシーンではないはずです。ご家族の最大のお仕事は、『生きて、元気で再会すること』のはず。それを絶対に忘れてはいけないと思うのです。

横田さんには全国から応援の手紙が届き、季節の果物、ぬいぐるみなど様々なものが届くと聞き及んでいます。しかし、全国からのその暖かい贈り物は、送り手の自己満足になっていないでしょうか?横田さんの自宅には倉庫が欲しいほどの贈り物の山ができているそうです。横田さん達が願っているのはめぐみさんとの再会です。そのための世論の支持です。物ではないのです。暖かいお気持ちを無にするつもりは毛頭ありませんが、そのところを忘れてはならないと思います。

荒木さんは、9.17以降も、いつもおっしゃっています。『本当は私達が先頭に立って、ご家族の代わりに訴えていかなければならない。ご家族には少し休んでくださいと言って、我々が活動を進めなくてはならない』と。

私は、このままの状況を続けていては、高齢のご家族の中から体調を崩される家族がでるのは、時間の問題だと思います。

石垣島の集会は、NETで配信されています。ぴろんさんのサイトでは、集会の音声がいつでも聞くことができます。書籍もたくさんあります。写真展も、映画も、ミュージカルも。。

家族はそれでも走り続けます。走りたい、居ても立ってもいられないお気持ちもあるでしょう。
走っていなければ、安心できないといったお気持ちもおありでしょう。

それでも、敢えて私達は、ご高齢のご家族には、10回に一回は『無理をせず休息してください』と言うべき時が来ていると私は思います。
5回に一回でも良い。

石垣島集会オンデマンド放送や、ご家族の声、映画、写真展など、家族に代わる訴えのできるさまざまなアプローチを生かして、私達が少しでも、ご家族の100分の一でも、前に進んで活動をしていくべきではないかと、私は思います。

その意味でも、私は須藤監督の映画制作を支持しています。

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川口市民の集い(10)

   『西岡力 救う会副会長の講演 その1』

~~正念場を迎えた拉致問題~~

西岡でございます。
川口市には、実は家内の妹が住んでいまして、何回か来た事があるんです。
埼玉県内では活動が盛んで今もいろいろな会があって、そして川口は人口は20万ぐらいですか?
20万くらい署名をされていて、二人に一人は署名されていると、大変・・・・・・・・・・・(聞き取れず)非常にありがたいと思っています。

4時までくらいの時間でということなので、途中・・・(会場より「マイクが入って無い」の声)
マイク入って無いですか?
持って喋った方が良いかな?
(司会者「先生、こちらのを使ってください」の声)大丈夫です、持って喋りますので。
途中で知事と市長がいらっしゃるというので、その時はすぐにぱっと代わりますので。(笑い声)
上田知事は元々拉致議連の副会長をして下さってまして、今年訪米したんですけど、その前に2001年に訪米したときは一緒に行って下さいまして・・・・・・・・・・(聞き取れず)人でいらっしゃいます。
今年、主題は「正念場を迎えた拉致問題」というのですが。

去年ですね。
表面上は余り動きがなかったんですね。
一昨年5人の家族が帰ってきて、その後ジェンキンスさんが帰ってきて、その後3回実務協議があって、めぐみさんの遺骨と称するものがあって、あるいは田口さんの交通事故調査書だとか、一昨年は少しそういう動きがあったわけですが。
しかしその全てが、遺骨と称する物もあるいは田口さんの交通事故調査書という物も全て信じるに足りないと。
と言うふうに、これは我々が言ったんではなくて日本政府が言ったんです。
全て信じるに足りないと。
北朝鮮は8人死亡としているけれども、8人死亡を裏付ける証拠は現時点では何も無いと。
いうふうに日本政府が結論付けたのが、一昨年の12月です。

そしてその事を踏まえて、北朝鮮が迅速で誠実な態度を取らなければ厳しい対応を取る。
当時の官房長官の細田さんが言ったのが12月の24日、だったようです。
ところがその後北朝鮮は、日本の方が遺骨の鑑定をでっち上げていると。
本物を出したのに偽物だと言っていると言ってですね。
拉致問題は全て解決済みと開き直ったんですね。
ですから誠実な対応をしていないわけですね。
じゃあ、迅速なのはいつまでなのか?と、いう問題があるわけです。
6ヶ月経っても日本政府が何もしなかったもんですから、去年の6月の24日、全部で3日間ですね。
国会前で座り込みをしました。

その頃、そしてその後もですね。
マスコミの報道やあるいはこういう所での質問などでですね。
拉致問題はこう着状態である、いう表現がたくさん出たんですね。
それに対して私は「こう着状態ではない」と、「嵐の前の静けさだ」と、言うふうに言ってきました。
必ず嵐が来るんです。
2002年の9月17日、10月15日に吹いたのよりももっと大きな嵐が来る。
言うふうに言っていました。

その根拠はですね。
端的に言うと米朝関係です。
アメリカのブッシュ政権と金正日政権の間で絶対に解消出来ない矛盾がある。
対決があるわけです。
アメリカのブッシュ政権は今テロとの戦争を戦っている。
戦時です。
そしてそのテロとの戦争を目標を二つ掲げているんです。

第一はテロリストを捕まえて正義の裁きを下し、そしてテロリストの基地を叩き潰すことです。
アフガニスタンで行われた戦争は、その第一の目標だったわけですね。
アルカイダも協力してたわけです。
それだけがテロとの戦争の目標ではない。
もう一つあるんです。
もう一つはテロ国家が大量破壊兵器を持ってアメリカやアメリカの同盟国を脅かしたり、その大量破壊兵器をテロリストに渡したりさせないという事です。
テロ国家が大量破壊兵器を持ってアメリカやアメリカの同盟国を脅かしたり、その大量破壊兵器をテロリストに渡したりさせないことです。
言う事をテロとの戦争の二つ目のゴールだと言うふうに、ブッシュ大統領は2002年の1月に演説しているわけです。
その演説の中でテロ国家の代表として、イラクとイランと合わせて北朝鮮を名指しで「悪の枢軸」と言ったんです。

つまり北朝鮮が核・ミサイルを持っている事を許さない。
北朝鮮から核・ミサイルを取り上げると言う事を戦争のもう一つの目標だと、ハッキリ言ったわけです。
しかしその後北朝鮮は何をしたか?と言うと、核開発・ミサイル開発を今も進めているわけです。
2002年の1月に比べて北朝鮮の持っている核兵器の数は少なくとも10発増えました。
2002年の1月の段階で1個持っていた事は、いろんな説があるんですが、私は5発くらいあったんじゃないか?と言う説。
日本の政府や韓国軍やアメリカの情報機関は少なく見積もっても1~2発と言ってた、2002年の1月に。

その後ですね。
2003年になってアメリカが北朝鮮は濃縮ウラニウムの、つまり広島型の核開発をしていると。
止めろといったのに対して北朝鮮は「アメリカの言う事は言いがかりだ」と言って、それまで凍結していたプルトニウムを原料とする長崎型の核開発を2003年1月に再開したわけです。
そして今も続けています。
8000本の燃料棒が、94年に国際機関のIAEAに監視されていたんですが、そのIAEAを追い出して、8000本の使用済み燃料棒の中に入っているプルトニウムを取り出す作業を彼らはやって完成したと。
8000本の使用済み燃料棒からは少なくとも、まぁいろいろな計算の仕方があるんですが、5発分くらいの核爆弾の燃料になるということです。

そして2003年の1月に、その8000本というのは94年に取り出していて、94年から燃料を入れていなかった5000キロワットの原子炉に8000本の燃料を勝手に詰めたんです。
そして去年の5月にそれを動かして燃料棒を抜いたら、また新しく8000本の使用済み燃料棒が出来たわけです。
そこからも5発分のプルトニウムが出た。
多分去年中に再処理が終わって5発増えた。
そしてまた新しく8000本の燃料が去年の5月に入れられて、今も稼動する。

もう一方でパキスタンから濃縮ウラニウムを作る技術を秘密で入手して、濃縮ウラニウムを作っているか作ろうとしているかなんです。
濃縮ウラニウム工場が完成しているかどうか?と言う情報がありましたが、アメリカはまだ完成していないと言っているようですが、正確な事は分からない。
しかし作ろうとしている事だけは間違いが無い。
そちらの方が完成すれば年間2発か3発、広島型の爆弾が作れる。
それだけではなくて、5000キロワットの原子炉が今稼動しているんですが、その横に実は5万キロワットの原子炉を今建設中で、その工事を中断していたんですけどそれが再開されたんです。

それから、今の5000キロワットと5万キロワットのあるところからもう少し北方の泰川(テチョン)というところには20万キロワットの原子炉の建設が進んでいたんですが、それも凍結されていたのがまた再開されている。
その原子炉が出来れば単純な計算ですが、出来ないと思うんですが、5000キロワットで年間2.5発出来るとすると5万キロワットだったら年間25発出来ると、いう事になるわけです。
その核開発を大々的に今進めているわけです。

そして今回ミサイルを撃ったんですね。
核兵器と言うのは爆弾があって、その運搬手段がなければいけない。
ミサイルは運搬手段です。
じゃあ、問題はその爆弾がミサイルに積める様に小型化出来ているかどうか?
日本政府の公式見解は、まだ小型化できていないと。
しかしそれについても専門家の間では意見が分かれています。
というより、私は少数説なんですが、出来ていると言う危険性があると思う。

なぜならパキスタンはすでに小型化の技術を持っているんです。
北朝鮮は先ほど言いましたようにパキスタンから濃縮ウラニウムを作る技術を貰ったんです。
その見返りにノドンミサイルを出したんです。
パキスタンはミサイルを持ってません。
だからインドは安心していた。
パキスタンは爆弾は持っていてもミサイルはない。
それでインドは核実験を止めていた。

ところが1998年にパキスタンはミサイルの発射実験に成功してしまった。
それは実はノドンだと。
それでインドが慌てて核実験をしたんです。
そしてその次の次にパキスタンが核実験をしたんです。
そのノドンの部品は日本製のものがかなり多いという。

韓国に亡命しました黄長ヨプ(火へんに華)さんという人がいます。
あの人と一緒に亡命したキム・ドクホンさんという彼の秘書みたいな人がいるわけです。
その人が北京で、外貨儲けをするために貿易をやっていた。
そしたら軍の商社が日本から精密部品をたくさん買っている。
それをみて「お前何をしているんだ?」と聞いたら「これはパキスタンに持っていく」と。
おかしいと思って黄長ヨプに報告したと。

黄長ヨプがチョン・ビョンホと言う軍事産業担当の書記に「何をやっているんだ?」と聞いたと。
そしたら「ノドンをパキスタンに出すんだ」と、こう言ったと。
その見返りに濃縮ウラニウムを貰う。
と言うのがアエラと言う週刊誌と産経新聞に1998年に出たんです。
キム・ドクホンという人にインタビューして、聞いているわけです。
ですからノドンと濃縮ウラニウムはマークだと言う事をやってたわけです。

じゃあパキスタンが持っている核爆弾の小型化技術を北朝鮮に提供していないか?
分からないわけです。
少なくともパキスタンは北朝鮮から貰ったノドンに爆弾を載せているんです。
じゃあそのノドン(の見返り)が今度逆に北朝鮮に行って無いか?というと分からない。
分からなければ、私は疑って備えよと。
安全保障というのは命がかかっているわけですから、疑うしか無いだろう。
まぁこれ以上入ると安全保障問題の話になってしまうので、日本の核政策と安全保障問題についてもいろいろあるんですが、ここまでにしておきますけども。

つまり、アメリカのブッシュ政権は金正日から核・ミサイルを取り上げると言う事を戦争の目標にした。
ところが金正日政権は今も核・ミサイル開発を進めているんです。
その事をアメリカは良く知っているんです。
アメリカとパキスタンは今軍事同盟を結んでいる。
パキスタンの中に米軍基地があるんです。
テロとの戦争やアフガニスタンとの戦争のときに、パキスタンはアメリカとくっついたんです。
パキスタンの軍が自分達の持っている核技術を誰に出したのか?というのを全部アメリカに話しているわけです。

アメリカは北朝鮮の核開発の水準について知っているんです。
パキスタンにあるノドンミサイルを見る事が出来るんです。
そして北朝鮮は悪の枢軸だと言ったんです。
2002年の9月はそういう背景から起きたわけです。
金正日からすると、アメリカに完全にばれてしまったと。
核開発を止めているといって、アメリカから年間50万トンの重油をタダで貰っていたんです。
ブッシュ政権も2002年まで金正日にタダで重油を出していたんです。
それは核開発を止めると約束したから。

止めるといって援助を貰いながら実は裏で続けていた。
その決定的証拠をブッシュに握られたんです。
そのブッシュは戦争をやるんです。
何をするか分からないと金正日は思ったわけです。
それで小泉さんに泣きついたわけです。
東アジアにおけるアメリカの同盟国の日本と韓国をアメリカから引き離さなければ、自分の身が危ないと。

田中均という局長が裏交渉で小泉訪朝をアレンジしたと言っていますけども、田中さんはいつから北朝鮮と交渉を始めたか?
ミスターX との交渉をいつから始めたのか?
2001年の秋だと言っています。
丁度アフガニスタンの戦争でパキスタンとアメリカが同盟を結んだ時です。
そこが危ないという事です

それで、その時にですね。
家族会が出来て97年から2002年まで5年運動して、日本中で横田めぐみさんという名前を知らない人がいなくなったと。
北朝鮮と交渉するのであればその人の、当時日本政府が当時認定していた11人について、何らかの証拠を出さなければ世論が納得しないと言う雰囲気を作ることに成功している。
そこで水面下の交渉で、日本の世論を納得させる為に拉致問題について証拠を出せと。
そうすれば国交正常化に入って国交正常化を早期にして、多額のお金を出すと、言う話が進んでいたんです。

・・・その2に続く・・・

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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川口市民の集い(11)

   『西岡力 救う会副会長の講演 その2』

アメリカは日本と韓国を巻き込んでまず経済制裁をするだろうと、金正日は思ったんです。
実際に1994年に今回と同じような国連安保理事会で、北朝鮮の核問題で非難決議の準備がされていたんです。
アメリカは案を出していたんです。
その時にカーターさんと言う人が訪朝して金日成と談判をして、核を止めると言ったので安保理事会での非難決議は流れたんです。

94年の非難決議には実は、ちょっと正確じゃない、94年の決議は非難決議じゃなくて制裁決議なんです。
経済制裁の内容が書いてある。
今回のより厳しいのが。
その根回しをしている最中にカーター元大統領が訪朝して、北朝鮮が核開発を凍結すると言ったからそれが流れたんです。
凍結すると言いながら作っていたわけです。
パキスタンから情報と技術を貰って。
その事がアメリカにばれてしまった。
だから94年以上の事をアメリカがやってくると考えるのは当たり前ですよね?

特に94年のときはクリントン大統領です。
話し合いを優先するクリントン大統領で、アメリカはテロとの戦争をやってなかったんです。
今はブッシュ大統領で、尚且つ戦時なんです。
それで自分がアメリカに攻撃されるかもしれないと思ったから、拉致を認めると言う博打に出てきたわけです。
アメリカから小泉さんを引き離すと。

だから金正日から見るとですね。
小泉さんの後ろにブッシュ大統領がこん棒を振り回しているのが見えるわけです。
小泉首相はこっちを見ているから自分の後ろが見えないんです。
田中(均)と言う人と上手く話し合いをしたから俺は平壌へ行けたんだな、と思ってるんです。
自分と金正日は仲が良いんだと。(小さな笑い声)

だからこの関係を切ってはならない。
独裁国家なんだから独裁者との関係を切ると今後の交渉にマイナスになる。
だから相手を刺激する事はやってはならない。
独裁国家の独裁者と会うと入ってしまう罠だと。
小泉総理もそこに引っかかったんじゃないか?
少なくとも、田中局長はそこに引っかかっていると。

5人が帰って来たときに一時帰国だと約束したからこれを守れないと、自分の相手に対する北朝鮮での立場が悪くなるから、だから返しましょうと言った。
ミスターXは金正日と繋がっている。
自分は金正日とのラインを持っている事は日本にとって良い事だと言っているわけです。
そうじゃなくてミスターXの為に、最終的には金正日の為に田中局長が動く事になっちゃうと。

ラインと言うのはあくまでも日本の主張を伝える為にあるのであって、ラインを維持する事を先に目的にしてしまうと向こう側に引きずり込まれちゃう。
それより、向こうが困れば向こうからラインを作ってくるんです。
小泉総理がなぜ訪朝できたのか?と言えば、それはテロとの戦争でブッシュ大統領が金正日をターゲットにしたからなんです。
ミスターXがいなくなったってすぐ別のラインが、向こうが必要なんです。
YでもZでもすぐに出てくるんです。

しかし、あの時にそういう関係で5人が帰ってきて、しかし北朝鮮は独裁国家ですから、金正日の責任に繋がる人間は出す事は出来ない。
だから生きている人を死んだと言ったわけです。
田口さんが一番分かりやすいケースですけど、田口さんが日本人化教育をしたテロリストの金賢姫は、115人を空中で爆破したテロリストは、「金正日の直筆の命令書があった」と言っている。
という事は、金正日は金賢姫が日本人化教育を受けていると言う事を知っていなければ、そんな命令書を出す事は出来ないんです。
「偽造された日本のパスポートを持って日本人に化けて、115人殺して来い」と命令したわけです。
拉致の事を知らなくてそんな命令を出せるはずが無いんです。

金賢姫が今韓国にいるわけですね。
で、田口さんが帰ってきて、二人が「20ヶ月こうだったわね」と抱き合って話をしたら、金賢姫の言っている事は全部正しいと。
115人を殺した命令者は金正日だとなるんです。
それは認められない。

金正日は「ブッシュ大統領は何をするか分からない、俺を守るために案を出せ」と言ったんです。
「拉致を認めて小泉を騙しましょう」とかって言ったんでしょうけども。
その時に金正日に関わる案は下の人間は絶対に出せないんです。
「大韓機爆破事件はどうするんだ?」という事になるんです。
「田口さんは日本政府が認定している、これはどうするんだ?」と。
「いや死んだことにしよう」と、奇想天外ですけど、死んだという事に案を作ったんです。

そして田口さんについてどう説明したか?というと、小泉さんの一回目の訪朝の時ですけど、何か知らないけど田口さんは宮崎の海岸にいたと。
そして上陸して日本人になりすまそうとする工作員とばったり海岸で会ったと。
「3日くらいだったら北朝鮮に観光旅行に行きたいわ」と彼女が言ったので、工作船に乗せて連れてきたと。
そこで原敕晁さんと結婚して幸せに暮らしていたと。
原さんは病気で死んで、田口さんは交通事故で死んだと。
丁寧に弔って墓は作ったけれども、洪水で流れて遺品は何も無いと。
これは北朝鮮政府が国家が、日本政府にした公式な説明です。

しかし地村富貴恵さんたちが言っているわけですけども、実は田口さんは連れて行かれた後、お腹の妊娠線とかを見せて自分には小さな子供がいるよと、帰してくれと、言ったと。
そして金賢姫の本の中にもありますけど、夜になると自分の子供は何歳か?と数えながら泣いていたと。
1歳と3歳の子供を置いた母親が3日間くらい観光旅行で北朝鮮に行きたいと言うか?と。
ハンドバッグ一つくらいしか持たないでね。
で、国家がこれ説明しているわけです。
親子関係に対する冒涜でもあると思います。
許せない、人間に対する冒涜だと私は思っているんですが。

しかしそういう説明をせざるを得ないんです。
拉致は認めるけど大韓機爆破事件は認められないんです。
死んだといって家族が納得してしまって、家族会が遺族会になってしまったら、彼らの勝ちだったんです。
9月17日から18日くらいは皆死んだと思って遺族という言葉が出て、蓮池さんが家族会の代表で横田さんが遺族会の代表になりそうになったんです。

しかしあの時彼らの誤算は今の安倍官房長官、当時の副官房長官が平壌まで行っていて、そして帰ってきた後次の日の朝に家族会が集まっているホテルまで来てくださいまして、説明してくれたんですね。
その時に北朝鮮で死亡を確認していないということが分かった。
9月17日には外務省の副大臣とか福田官房長官とかがそれぞれの家族を呼んで、「お亡くなりになりました」
断定的に言ったわけです。
その前に1時間半か2時間くらい待たせてですね。
「慎重に確認作業をしています」と言って、確認作業が終わってそれぞれを呼んで「お亡くなりになりました」と言ったらば信じますよね?

僕も実は死亡というのをその時信じたんですね。
あの時一緒に国会議員会館にいてくださったのが上田(埼玉県知事)さんで。
だから本当に危なかったんです。
死んだと信じてしまったら終わりだった。
あの時安倍官房副長官がいなくてですね。
福田さんと田中局長だけでやっていたらば、我々も死んだと思っていたんです。

ただ一人死んだと思ってなかった人がいたんです。
横田早紀江さんです。
横田早紀江さんはあの時記者会見でマイクを取って、「生きていると思っています。まだ戦い続けます」と言いましたよね?
僕ら横で見ていて、大丈夫なのかな?と思ったんですよ。
私たちなんかは運動を始めて、運動をした後に死亡日だったらどうしよう?と。
殺されたんだったらどうしてくれようかと、そこばっかり考えていたんですけれど。

結果として去年、一昨年の12月まで北朝鮮は8人の人を死亡だと言いたかったんですけども、8人について一人分でも死亡の証拠を出せなかったんです。
8分の0なんです。
8分の3は出していて5は無い、とかいうんじゃないんですね。
日本政府も全く信じられないと言っているわけです。
最近日本政府が日本語のパンフレットを出しましたけども、その中にも「全員生存を前提として北朝鮮と交渉する」と書いてあるんです。

しかし、最初に言った矛盾点はまだ残っているんです。
北朝鮮は核を作って、今回ミサイルを発射した。
アメリカはそれを止めさせようとしている。
アメリカはそれで去年の9月から、イラク情勢が落ち着いてきましたので、本格的に北朝鮮に対する対応を始めたわけなんです。
それは何か?というと金融制裁です。
金融制裁というのは、実は北朝鮮の銀行に対する制裁じゃないんです。
北朝鮮と取引をしている世界中の銀行に対する制裁なんです。

マカオに、バンコ・オブ・デルタという銀行があるんですね。
その銀行は金正日の秘密資金の出し入れなんかに使われている銀行なんですが、そこに偽札資金が入っていると言う事をアメリカ当局が察知して証拠を握って、去年の9月にそのマカオの銀行に制裁をかけたんです。
それを一方的にアメリカの国内法でかけるんです。
ですから、例えばですね。
日本でも足利銀行というのが朝鮮総連のメインバンクだったんですね。
一度破綻しましたけども、破綻しないで今もやっていたとすれば、アメリカから金融制裁をかけられたかもしれない。
一方的にかけるんです。
弁明の機会無しです。

かけられたらどうなるのか?というと、アメリカの金融機関が一斉に取引を停止するんです。
外国為替銀行でアメリカの金融機関と取引停止させられたら大変な事になります。
マカオでどうなったか?というと取り付け騒ぎになった。
あの銀行潰れると言う噂が出て預金者がわ~っと銀行に押し寄せたんです。
で、マカオ行政府が管理するって言って助けて、そして20くらいあった北朝鮮の口座を全部凍結した。
そこに2000万ドル以上の北朝鮮のお金が入っているんですけど、下ろせない、今は。

それを見ていた世界中の銀行が、北と付き合うとああなる。
バンク・オブ・チャイナという中国の外国為替専門の銀行があるんですが、そこについても実は、金大中が5億ドルの賄賂を持って金正日に2000年会ったんですね。
そのうち2億円くらいはバンク・オブ・チャイナを使って送金しているんです。
その犯罪資金だとみなされれば、バンク・オブ・チャイナもアメリカと取引出来なくなる。
実際アメリカの財務省の人間が「あそこも対象だ」と口で言ってマスコミに出た。
それで水面下でもうやらないからと北朝鮮と取引をやらない。
世界中の銀行が北の口座を開設するのを嫌がり、今ある口座も凍結しようとする。
送金を受け付けない。

アメリカは今何をやっているか?というとスイスの銀行。
スイスの銀行に40億ドルとも50億ドルとも言われる金正日の個人資金がある。
CIAが口座番号をいくつか感知している。
それを凍結しようとしている。
金正日は尻に火が点いた。
で、1月に急遽中国に助けを求めた。
しかし中国は犯罪には加担できない。
核問題ならまだ(助ける余地が)あるけれど、犯罪には加担出来ないということで助けなかった。
それでどうするか?って困ったわけですね。

クリントンの時はミサイルを発射したら二国間交渉になりました。
多分軍隊がいてじゃあそれで行けと言って、今回もまたミサイルを発射したわけです。
ミサイルを発射すると緊張が高まる。
で、もう発射しないから話し合いをしてくれと言う。
もう発射しないということと金融制裁とをバーターする。
自分が悪い事をしていてですね。
悪い事をやめると言う事があたかも何か貢献のように思って何か貰おう、と言うのが彼らの今までの手法だったんですが、ブッシュ政権は悪い事には褒美は出さないんです。
今も基本方針なんです。
結果として国連の安保理事会で非難決議になったわけです。

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年8月20日 (日)

写真展(町田)取り戻すまで

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絆(きずな)めぐみちゃんと家族
横田滋家族ミニ写真展

8月18(金)・19(土)・20(日)の三日間

       絆(きずな)
めぐみちゃんと家族ー横田滋家族ミニ写真展

☆拉致被害者全員の帰国を願って

町田市民ホール第1・第2ギャラリーにて
(小田急線町田駅より徒歩7分)

開催時間 10時~5時
     初日18日のみ12時~5時

入場料 無料

主催・北朝鮮に拉致された日本人救出のための町田市民の会
町田救う会から
尚、私たちの会の名前が長すぎるため、通称を町田救う会とさせていただいています。

写真展に向け、ただ今準備中です。

ご協力、よろしくお願い致します。
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2006年8月18日 (金)

川口市民の集い(9)

   『飯塚繁雄 家族会副代表の講演』

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皆さんこんにちは。
皆様方のこの問題に対する深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。

そういう国民の皆様の声が、言って見ればようやくこの問題を具体的にどう解決するのか?と言う所まで参りました。
振り返ってみれば5~6年前はですね。
この問題に理解を示してくれなく、我々家族会もどうしたら良いのだろう?と言う悩みがあったんですが、地道に頑張り皆様のご支援があってようやくここまで来たと言う事はハッキリしているわけですけども。
問題なのは、これを解決しなければ何もならないという事になるわけですけども。
私たち長い間戦って参りまして、毎年ですね。
今年こそは今年こそはという合言葉の下にいろんな検討をし、政府の動きも期待し、それから皆様のご支援によっていろんな活動を進めながら解決を望んでまいりましたけども、中々それが思うままにならず今年も半年過ぎたわけですね。

しかしながら今までとちょっと違うのは今年の初めからですね。
多分、安倍さんの指示かと思うんですけども、拉致問題について徹底的な取り組みをするというハッキリとした約束をされまして、それがですね。
内閣の専門委員会というのを作りまして、これは各省庁全部入ります。
今は名前が違いましてですね。
拉致対策特別チームと言うのを作りまして、各省庁徹底的な動きをしております。
各省庁で何が出来るのか?言うような事をテーマに与えまして活動を始めてますけども、目立つのは一つは警察の動き。
これが組織されまして、この問題専門に調査、捜査、活動を始めまして、もちろん特定失踪者の方々の情報、もちろん我々認定されている家族の情報も全て管理をして今おりますが。

言ってみれば特定失踪者の方々と言うのは全国にたくさんいます。
北海道、埼玉が一番多いんですけども、そういう人たちの捜査と言うのは民間がやる話じゃないわけですよね?
あくまでも政府として警察が徹底的に調べ上げて、そして確かにそれは拉致だと確認をされながら認定なり、北へのあるいはアピールなりメッセージをしていくのが当然なんですけど。
残念ながらまだそこまでは行きません。
一本釣りで各失踪者の方々の裁判を行って、それによる認定訴訟というそういう段階を踏んでおりますけど、これはすごく時間がかかるわけですね。
そういう事からするとやはりここまで来た以上、もちろん私たちの家族も含め一気に解決すると言うような狙いを定めないと、これまた後何十年かかるか分からないという事になりかねないという事もあります。

今年の各特別チームの働き、特に外務省あたりのですね。
徹底的な北に対する、要するに北の嫌がることは何か?と言う、当然考えながら先ほど準備をして参りました。
我々は長い間、このままの交渉ではいつ終わるか分からない。
いつ解決するか分からないという懸念から、北に対する制裁をしてくださいという事を長い間訴えて参りました。
それが現実的には今現在、ようやく制裁と言う形が出来てそれが実行される段階になっているわけですけども。
そういう意味では非常に動きがハッキリ見えてきたと言うのが、昨今の状況でございます。

我々は政府にいろいろお願いする一方、世界、要するに国際社会へのアピールもかなりやってきたつもりです。
皆様もご存知の通り、ワシントンDCに行きましてブッシュ大統領と面会が出来たと。
これはアメリカと言う大きな国・大きな力を、この拉致問題解決のために是非支援をお願いしますと言う形で行ったわけですけども、それと同時にアメリカの下院の公式な席でこの日本人拉致問題をきちっと訴えて来たわけです。
アメリカと言う国はなんと言いますか、日本と違って人権に対する、あるいは家族とか友人とかそういう事に対する怒りが、まず物凄い感情で出てくるわけですね。
何の事件、あるいは時代に先駆けて、やはりこの人権の問題というのは最優先すべきだというような全体の雰囲気です。
もちろんブッシュさんもそうです。

ですから「お忙しい所申し訳ない」と言ったら「私は人権の問題を疎かにするほど忙しくない」そういう発言もしていますし、終わった後でも「今回の面会は久しぶりに感動した面会だった」という事を言っておられましたけど。
そういった感じで非常にアメリカのブッシュさんが、我々家族会のメンバーと会ったと言うその事実。
これは世界にも報道されていますし、アメリカとしては凄い関心があるんだと言う事を議会を通じてメッセージをくれたと言うふうに思います。

問題はそれからなんですけどね。
じゃあブッシュさんに会ったと。
あぁ良かった良かったと言う雰囲気だったんですけども、やはりそれを受けて日本政府なり、拉致を解決しようとする諸団体なり含めてですね。
どう動くか?というのが・・・・。(聞き取れず)
あくまでもこれは大きな活動のステップ、一部として大きな成果という事は確認されますけども、それはあくまでも一つの経過であって、結果ではないというふうに私たちは考えております。

更には北朝鮮に対する制裁をお願いしている中で、皆さんこれもご存知な韓国の民間の家族といわれる方の面会と言う話が盛り上がっていますけど、これは誰しも感じていますが、全て北朝鮮の政府のシナリオだと。
家族がいろいろ会話した内容なんかを見ますと、これは全くどう見ても言わされているという感じがします。
そういうことからすると、彼ら、金英男さんですか?
彼も被害者、拉致被害者なんですね。
だけど本当の事は言えないと言うような状況を作り出しておりますし。
こういった物を通じて、北は横田夫妻を北朝鮮に呼んでヘギョンちゃんに会わせて、まぁ抱き合って喜んで、「お母さんが死んだ」と言う事を言わせて聞かされてそれで終わりと、言う目論見だと思うんですね。
それをしてしまいますと、私たち日本人何百人の家族が拉致されているのに、簡単に中途半端な形で幕引きをされてしまうと言うのが非常に恐ろしいわけです。

ですから家族会としては横田代表について「絶対に行かないでくれ」と。
代表はもちろん人間ですから家族ですから、孫を抱きたいと言う心情は分かるんですけども、北に騙されていはいけないということで、踏みとどまって貰ったと言うのが事実です。
あくまでも私たちはこの拉致事件、拉致問題を正常の方法で解決していくんだという、いわゆる一枚岩で行きましょうと言う事は確認されておりますけどね。
ですから北は人間の弱いところを突いて何とか北の思い通りにさせようという、そういう目論見が全く見え見えであります。

当然マスコミさんのですね。
どうせ北の言う事は全部嘘だと、いう事は承知で取材はしておりますけども、どうしても記事的には単発的に「こういうことがありました」、「こう言ってました」と言う事が報道の一つのネタになるんでしょうけども。
中々その、報道に聞くとですね。
その裏にあるものは何か?ということも考えて頂きたいなと言う事も、常に思っております。

最近特に皆さんすでにどなたかも言っておられましたけども、北への制裁がハッキリして来たと。
これは北がミサイルを日本海にぶち込んだと、言うのが大きなきっかけにはなったんですね。
ですから今まで何にもしなかった政府がようやく決断されたという事なんですが、言ってみればミサイルを撃ち込んで貰って良かったと言う感じもするわけですよ。
これが無ければ何も動かないと。
単なるやわな交渉で結果が中々出てこないような、いつまで待たせるんだと、そんな繰り返しになったかと思うんですけど、そういう意味では今回の北の乱発ミサイル。
これが日本だけではなくて韓国あるいは中国・ロシア、近隣各国に対する影響もかなり出てきているという事もあります。

具体的にはハッキリ出ているのは、安保理で非難決議が全員一致で採択されたと。
確かに制裁とかという具体的な文句は外されましたけど、全理事国が一致して「北はけしからん」という、こういった決定的なメッセージを与えたという事は、相当な制裁に繋がっていくはずだと思います。
我が国もこれから船は一応止めるという話になりましたけども、万景峰号ですね。
日本に来る一切の船を止めようじゃないかとか、あるいは北のミサイルとかいわゆる兵器を作るとか、そういう悪さに繋がる日本の精密部品あるいは電気部品、そういう物を一切止めようと、いうような準備もしているようでございます。

そういう意味では今回日本の政府筋も、この事件を受けて安保理の対策も含めて相当力強く動いておりましたね。
これももちろん安倍さんが、絶対ぶれない強い態度で態度を表明しております。
その支持によって多分いろんな工作をし、ロシアあるいは中国、まあ韓国もそうでしょうけども、この決議については絶対に賛成して欲しいという動きが相当あったようでございます。
そういうことではやっと日本がですね。
日本政府はやっと動きを具体的に示してきたなというふうに、最近では私たちもある期待をしております。

そうは言ってもですね。
北はこの非難決議は全面拒否と言う形になっておりますし、全てに対する北は今までと同じように関係各国を相手に、異常な態度を示しておりますね。
私たちも一番怖いのは、こういう北朝鮮みたいな独裁国家がね。
何をやらかすか分からない。
いわゆるキチガイ国家ですから、我々が強く出れば出ただけ向こうもそれなりの態度を取ってくる。
極端に言えばどうなってもいいと。
自分の国民なんかどうなっても良いから、軍部にミサイルでもバンバン撃ってね。
世界にアピールしようという事ですとか、あるいは北朝鮮そのものが崩壊して混乱するという状態も考えられますし。

そういう所では私たち一番心配な点は、この大勢の日本人を混乱の状態からどうやって助け出すのか?
こういった心配がかなりあるんですね。
いまだに誰がどこにいるかも分からない。
助け出しようが無いわけですね。
ですからそういうことでは、なんていうんですかね。
例えば外交機密費ですかね。
そういう物を使ったりですね。
いわゆる、多少お金がかかっても良いから、水面下の・・・(聞き取れず)でも良いから、徹底的に日本人のいる場所を突き止めて何かの連絡をして、いざという時にはここに集まってみんなで一緒に帰るというような。

いろんなシュミレーションをですね。
考えていかないと、そろそろ慌てふためくという場面が相当有ると思うので、私たちは是非返してもらう。
一人残らずどうやって助け出すんだ?と言う。
目標は日本人を取り返すことですからね。
奪還するんですから。
ただ北朝鮮を懲らしめれば良いというだけでは無いですから。
そういった事も考えながら、いろんなシュミレーションの中でそれぞれの動きをして頂きたいと、いうふうに強く思うわけです。

私たち本当にこういった問題については素人ですよね。
でもいろんな情報が入りますけどそれを分析して、こうしろ、こうだ、ああだ、という専門家のように込み入ったコメントは出来ませんけども、要は私たちの家族を返して欲しいと、早く。
いってみればそれだけなんですね。
しかしながらこのところ非常に問題が複雑化になり国際化され、段々段々拉致という問題が薄くなりそうな気配もするんですけども。
それは先ほど言いました、安保理それからこの間のサミット、この辺に拉致については並行したテーマでやってくれという強い日本の姿勢もありましたし。
それを協議されておりますので、絶対にこの拉致の問題というのはあらゆる舞台であらゆる場面で、並行して協議されると、いうふうな事では非常に私たちは期待をしております。

北朝鮮外務省声明というのもあるんですけど、それを取り上げて言うのももう余り時間も無いので、北朝鮮の外務省はですね。
こういった決議を受けてこう言っているんですね。
「我々共和国は、米国の対朝鮮敵対視政策の産物である国連安全保障理事会の決議を強力に糾弾し全面対立し、これに拘束されないであろう」
こういう強がりを言っているわけです。
「我々共和国は米国の極端な敵対政策により最悪の情勢が守られている状況で、全ての手段と方法を尽くして自衛戦争、抑制力を様々な方法で強化していく」と。
こういうふうに言っているわけですね。
それを写して来ただけなんですけども。

ですから今後、こういう環境の中ではもしかすると日本にミサイルが飛んできても不思議ではないと、いう情勢にはあるわけですよね。
そうなったらどうなるか?というのは向こうも馬鹿じゃないですから、考えていると思いますけども。
我々は世界の協力を得ながら、具体的にこの拉致問題を解決する日を待ち焦がれていると言うのが今現状でございます。

横田さんもだいぶ疲れていますしね。
やっと動いているんですね。
全国飛び回って、この間は石垣島まで行って講演しましたけども、来週は今度青森行ってやるとか。
私も今日仙台から来たんですけども、そういう意味で家族たち、皆さんもそうですけどお年寄りの方もいますけど、非常に疲れていて長く待てないよという状況でございます。
まぁ、2代目もいますけどね。
そこまでかかってもしょうがない、と思いますから。

是非ここで一気に、正念場であるこの問題を皆さんと共にですね。
解決していきましょうというのが、私の最後のお願いでございます。
どうもありがとうございました。(拍手)

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川口市民の集い(8)

   『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

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皆様こんにちは。
私は特定失踪者問題調査会にお世話になっております、佐々木悦子の母、佐々木アイ子と申します。
宜しくお願いします。

娘悦子は浦和埼玉銀行に勤めておりまして、平成3年4月22日月曜日、朝出たまま。
免許証、パスポート、社内預金、全然手付かずそのまま失踪。
今日まで15年間何ひとつ国内での情報はございません。
特定失踪者(問題調査会)の方にお願いしまして、いろんな報道関係の結果、15年には北朝鮮脱北者より「悦子を見た」と言う目撃情報がありまして、拉致濃厚となっております。

それで今日も見えております新木さんのご家族と一緒に、16年の1月には県警の方に一斉告発をしておりますが、まだ国の方からは認定されておりません。
母親として娘が日本の土を踏むまでは何としても頑張り続けたいと思います。
皆様、どうか拉致問題を忘れずにご協力・ご支援の程宜しくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
氏名 佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふりがな ささき えつこ
生年月日 昭和38(1963)年12月6日
性別 女 当時の年齢 27
身長 162センチ 体重 52キロ
公開 第1次公開
当時の身分 埼玉銀行パート
特徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪場所 埼玉県浦和市
失踪状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

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川口市民の集い(7)

   『新木博さん(特定失踪者・新木章さんの弟)の訴え』

皆様こんにちは。
本日はお休みの所、拉致問題に関心のある多くの方々にお集まり頂きまして誠にありがとうございます。
とても心強く思っております。
私は特定失踪者の新木章の弟の新木博と申します。
宜しくお願いします。
隣は姉の横山木三子と申します。
宜しくお願いします。

新木章は昭和52年5月の21日、仕事が休みであった土曜日、川口市栄町の自宅から「買い物に行く」といって自宅を出たきり、今日まで行方不明のままでございます。
この間、本人からの便りも一切ありませんし、自殺とか家出とかする状況でも全くありませんでした。
また事故等に巻き込まれたと言う情報も一切ありませんでした。
そして特定失踪者問題調査会というところを知りまして、相談をし調査をお願いしました所、どうやら川口市栄町に住んでおったとか、勤め先が三菱信託銀行・・・(聞き取れず)支店とか、年齢が29歳であったとか、そんな条件が重なったのでしょうか。
どうも北朝鮮に拉致された可能性が濃厚であるということが分かりました。

今、私が思いますのは、北朝鮮は今追い詰められている。
先日のミサイル発射によりまして、非難決議、これは当然であります。
是非北朝鮮も自分の国の非を認めて、無駄な抵抗は止めて、まともな国になって、どうかこの拉致問題の真相を明らかにすべきだと思います。
そして私たちも拉致された人を一日も早く取り戻す為に、また安否が確認出来ますよう活動してまいります。
どうかこれからもご協力の程、宜しくお願い致します。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
氏名 新木 章
失踪年月日 昭和52(1977)年5月21日
ふりがな あらき あきら
生年月日 昭和22(1947)年10月16日
性別 男 当時の年齢 29
身長  体重
公開 第1次公開
当時の身分 銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
特徴 中肉中背、眼鏡使用。
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況 「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。家を出たときは財布しか持っていない。免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

(↓写真左・姉の横山木三子さん、右・新木博さん)

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川口市民の集い(6)

   『大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)の訴え』

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こんにちは。
私は藤田進の従兄弟の大平一男と申します。
本来であれば弟の藤田隆司がここに来て、皆様の前でご挨拶するべきところですが所用につき、私が代わりに挨拶させて頂きます。

藤田進が失踪したのは昭和51年です。
最初はいなくなったという原因、どこに行ったのだろう?すぐに帰ってくるのではないか?と思い、2日、1週間、10日、1ヶ月、そして3ヶ月、半年。
経ってみれば、もう何十年にもなってしまいました。

もう、どこかで生きているのか?それとも命を落としているのか?
それすら全く分からない状態で、丁度2年前北朝鮮にいるという報道がされました。
まさに寝耳に水、自分の体が一瞬寒くなった事を覚えています。
どうして北朝鮮にいるんだろう?
考えてみればその実情も分からないではない。
しかしながらその当時は全く北朝鮮なんて考えてもいませんでした。

横田めぐみさんが1977年に拉致されて、そして横田ご夫妻が作った家族会が活動されています。
しかし自分が、私どもが、まさかその内側に入ると言う事は考えてもいませんでした。
藤田進はそのめぐみさんより1年前に姿を消しています。
そう思うと家族会の皆様には本当に頭が下がる思いです。

藤田進は今年50歳になります。
私と一つ違いなんです。
本来であれば日本にいて、日本の成長の共に力になり、味わって来るべきはずでした。
それが何故?北朝鮮なんでしょうか?
日本にいてもっと楽しい事、それを味わうことが出来ました。

彼が今向こうにいてどんな生活をしているのか?
元気でいるのか?
ちゃんと食事が取れているのか?
考えると行った事の無い国だけに、非常に不安を覚えます。

北朝鮮がミサイルを発射しました。
これはある意味、自分の中では日本がこれから強い姿勢になるべく、チャンスと言うか契機だと思っています。
ここにお集まりの多くの力をですね。
是非全国規模にもっともっと高めて、ここは一気呵成にあの国を攻め立てて、そして日本人全員を連れ戻したいと考えています。
ですから、皆様もこれからも声高に北朝鮮に向かって一緒に叫び続けて頂きたいと思っています。
宜しくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
氏名 藤田 進
失踪年月日 昭和51(1976)年2月7日
ふりがな ふじた すすむ
生年月日 昭和31(1946)年6月16日
性別 男 当時の年齢 19
身長  体重
公開 第5次公開
当時の身分 東京学芸大学教育学部1年生
特徴 家ではあまりしゃべらないタイプ、ギターがうまかった。
失踪場所 埼玉県川口市の自宅
失踪状況失踪当日6:30~7:00頃以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。脱北者が北朝鮮から持ちだした写真が、鑑定の結果、藤田進さんである可能性が極めて高いことが判明。平成16年 1月28日、埼玉県警に告発状提出。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

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川口市民の集い(5)

   『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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はじめまして。
私、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。
弟は1972年大学を卒業し、会社の春のレクリエーションと言う事で、当時の住まいでありました三芳町藤久保の自宅を朝6時に、母親と言葉を交わして家を出ました。
それ以来、今年で丸34年になります。
この間、誰一人として弟の顔を見た、あるいは声を聞いたと言う事は全くございません。
私たちも考えられる・出来得る捜索、あるいは調査、あるいはお願い、一通りの事はして来ましたが生死の区別も現在の段階でついておりません。

私現在、街頭におきまして皆様から大変温かいご支援を得て拉致問題のアピール活動を行っておるんですけど、その折ですね。
「特定失踪者って何?」あるいは「特定失踪者が何故拉致なの?」と良く聞かれます。
特定失踪者と言いますのは、全国から寄せられたあるいは公開・未公開に限らず、届出をした失踪者を調べて拉致の可能性のある人については、政府に調査・要請・提言をし、一方では拉致被害者の救出活動を支援しておる特定失踪者問題調査会という民間の機関が東京の飯田橋にございます。
この特定(失踪者問題)調査会の方に申し出をして調査をしておると言うことでございます。

私思いますのに、特定失踪者が全部が全部拉致だとは決して思っておりません。
しかしながら、特定失踪者の中にも北朝鮮に拉致された数人か、あるいは数十人か数百人か分かりませんが、必ずいる事と確信をしております。
政府の認定された拉致被害者は16名の内5名が帰還されて、いまだに11名の方は帰って来られません。
と同時にですね。
特定失踪者の中にも、この拉致問題について大変遠い日本の国を思い、家族を思い、待ち続けていることと思います。
卑劣極まりない北の金正日は国家戦略として、何の関わりも無い一市民を一方的に略奪して自分の命の存命、国の存亡の為に人質カードとして使って返そうとしません。

日本の国は被害国なんですけども、この拉致被害者を救出する為の策と言うのは無為無策。
国としての対応、余りにも情けなく怒りの気持ちを持ち続けてきましたが、このたびミサイルを発射されて目が覚めたのか、やっと国民の目に見える形で制裁が発動されました。
ここは一つ、北朝鮮の理不尽な言動に声を上げて、北朝鮮で拘束されている何名か何十名か何百人か知りませんが、邦人の身の安全と救出に大きな声を上げて日本政府を後押ししていきたいと思います。
今後も拉致問題の全面解決の為にアピール活動を続けていきたいと思います。
どうか皆様、今まで以上にご支援を頂きたくお願いをしまして、私の訴えとさせて頂きます。
本日はありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
氏名 鈴木 賢
失踪年月日 昭和47(1972)年5月28日
ふりがな すずき まさる
生年月日 昭和24(1949)年1月12日
性別 男 当時の年齢 23
身長 170センチ 体重
公開 第3次公開
当時の身分 会社員
特徴 中肉。
失踪場所 埼玉県三芳町の自宅を出て
失踪状況 会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。レクリエーションには行っていない。職場、大学時代の友人も心当たりなし。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

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川口市民の集い(4)

『特定失踪者・井上克美さんの兄の訴え』

私は井上克美の兄ですけど、その当時は私と弟で川口に住んでいました。
私は蕨で仕事が浦和の・・・・(聞き取れず)で二人で仕事をしたんですけども、それから私は別の仕事を選んで川口出まして東京に行ったんですけど。
その直後だったんですけど、拉致と言うのは。

今も母が言いますように12月29日の忘年会でね。
それから突然いなくなったと。
それから34年経って何のね、音沙汰も無いんですよ。
その間に私たちも、警察に行っていろいろ調べましたけど、その時の免許証のね。
(有効期限が)切れたから、もう私たち家族もこれは日本にいないと。
他の国にいるんだとそう思ってね。
必死に諦めたんですけども、ね。

それから今こうやって皆さんの力を得て頑張っているわけですけども、私たちもね。
母ももう82歳ですよ。
ね、だから、元気なうちに弟に会いたいと思います。
これからも皆さんにお力添えを頂くようになると思いますけど、すみませんが宜しくお願いします。(拍手)

(↓写真は左より、井上克美さんの兄と母親のイトノさん)

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2006年8月13日 (日)

川口市民の集い(3)

   『井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)の訴え』

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皆さん、こんにちは。
私は前橋の者なんですけども、息子が、井上克美の母です。
皆さんいろいろお世話さまになります。
今日はこんなに大勢の方お集まっていただいて、本当にありがとうございます。

うちの息子は(昭和)46年12月29日、忘年会が終わったその足でいなくなってしまったんです。
で、29日の夜だったです。
31日に前橋の井上家の方に、あの、結婚してました。
で、お嫁さんから「克美さんは行ってますか?」と電話があったんです。
で特に来ていないもので「来ないよ」と言ったら、「まだ29日に出たっきりうちに戻って無いんですよ」と嫁から(連絡が)ありました。

で、早速、31日の夜でしたから、あくる日は元旦でしたね。
その時主人と二人で早速川口へ行って捜しましたけども、とにかくお正月のことですから交番も何もあの当時、もう34年も前の話ですから閉まっててね。
どこの誰にも会わずに捜し求めて帰ったようなわけなんです。

それから始まってお正月が終わって私はね。
いろんな所に、何て言うんでしょうね。
あの当時は占い師って言うのが流行ってたもんで、皆さんに聞いては占い師の所へ行って占って貰いました。
それが何べんと無く、1週間くらい置いて次は何を言ってくれるかな?と思って行って。
結局その占い師さんも行った先をそれ以上行かないように足止めをしてくれる、そういうあれがあったんですよね。
足止めをしてもらいました。
そういう所にも散々行きました。
でも結果は全然帰って来ないし、一度も便りは無いし、本当に今の今まで音信不通なんです。

その時息子は、親の反対を実は押し切って若いのに結婚してましたので、お嫁さんは大きなお腹をして、12月にいなくなって1月の10日に出産しました。
その子供がもう34歳になりました。
息子の親も知らずにあれしてますけども、あの、皆さん。
川口の皆さんには本当にお世話になっています。
私は前橋ですから中々出て来られません。
皆さんに署名運動や何かでみんなお世話になっていますけども、皆さんどうぞこれからも宜しくお願い致します。(拍手)

Inoue_1 氏名     井上 克美
失踪年月日 昭和46(1971)年12月29日
ふりがな   いのうえ かつよし
生年月日   昭和25(1950)年6月8日
性   別   男 当時の年齢 21
身長  体重
公開 第4次公開

当時の身分 電気工事店勤務
特徴
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況 失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、すし屋で食事をした後友人と別れた。当時泥酔状態。夜帰宅しなかったので翌30日前実家にtelがあり両親も知った。妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思いtelしたとのこと。運転免許の更新もなし。連絡も一切なし。長男が生まれる直前だった。

特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html 

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川口市民の集い(2)飯塚耕一郎さん

『飯塚耕一郎さん(田口八重子さん長男)の訴え』

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川口の皆様、はじめましてと言うか本日はお呼び頂きまして誠にありがとうございます。
田口八重子の長男で飯塚耕一郎と言います。
大変すみません。
本日は遅れてしまいまして誠に申し訳ございませんでした。
また、お忙しい中お集まり頂きまして誠にありがとうございます。

昨今の今の現状を推察するに、北朝鮮は苦しんでいると言うのが私の所感でございます。
どういう因果か分かりませんけども、北朝鮮がミサイル発射を引き起こして、国連並びに中国及びロシアからもだいぶ敬遠されている状態です。
やはり北朝鮮として外交のカードが無くなって来ている状況だと思います。
ミサイルと言う脅迫を使って、北朝鮮は外交上何とか生き残ろうと考えているのだと私は推察いたします。
で、その最中、対南工作の一環だとは思うんですけども韓国と言う国を取り込んで、世界的に認められる存在にまた戻そうと言う動きが出ているのではないか?と思っています。

今回ミサイルと言うのはその発端で、大分北朝鮮が我々家族会が本来求める姿、要するに追い込むと言う姿になりつつは有るんですけども、これはあくまでも今現状ミサイルと言う北東アジアの安保の状態から突きつけられており、拉致問題という観点では中々クローズアップされていないんじゃないか?と思っています。
実際G8なり国連の決議なりで拉致問題という部分は取り込まれておりますけども、やはり安保と言う部分が第一優先であって、拉致と言う国家犯罪の部分は中々クローズアップされていないのが現状ではないのか?と私は考えています。

ですので、北朝鮮が今後どういう行動に出てくるのか分かりません。
正直言いまして、またミサイルを作って北朝鮮としてミサイルと言う外交の武器を持っているんだというスタンスで、また6カ国協議なりに臨むというスタンスを考え得るかも知れません。
ただ、我々は、我々日本国としてはその安保と言う部分も大事なんですけど、拉致問題と言う部分でこれだけ酷い事をして来ているんだという部分をアピールをする事も、今から更に重要になってくるのではないか?と思っています。

日本として被害者の国であるということで、北朝鮮の方が解決済みだと申し上げても、我々は納得する形では解決はできていない。
解決できていないに決まっているだろうと、そういう強いスタンスで強い意思を持って北朝鮮に対してアピールしていきたいと思っています。
そのアピールの中で皆さんの更なるご協力を頂ければ誠に幸いかと思います。
短いですけど、ご挨拶と代えさせて頂きます。
どうもありがとうございました。(拍手) 

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川口市民の集い(1) 本間勝さん

   拉致問題を考える川口市民の集いより
   06.7.23 川口総合文化センターにて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え』

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どうも皆さんこんにちは。(こんにちはの声)
田口八重子の3番目の兄であります、本間勝と申します。
今日は耕一郎が今遅れていますので、そのつなぎとしてすみませんが宜しく。
気持ちを述べさせて訴えさせて頂きます。

八重子は22歳でもって東京の豊島の池袋から拉致をされたんですね。
その時は耕一郎が1歳で、その上にお姉さんがいまして3歳ですね。
その3歳と1歳を残して北朝鮮に拉致をされたんですが、どこから拉致をされたって言うのは、まだ今ひとつハッキリしないんですね。
北朝鮮の言っている港とは違う、・・・(聞き取れず)と言う港に上陸したと言っている。
ちょっとどういうルートで渡ったのか?というのは結局分かりません。

その当時ですね。
うちの八重子が拉致される前に、ちょっと今日お見えになっていませんが藤田進さんが拉致をされているんですね。
川口と言うのは、皆さん、我々運動している中で分かると思うんですけどこの8人。
8人の人が濃厚となっております。
皆さん家族は本当に沈痛な思いでですね。
横田めぐみさんのご家族の皆さんのいろんな行動の話を聞いていると思いますけど、家族の気持ちは同じなんですね。
そういう悲惨な気持ちで、もう一日も早く八重子も戻ってくるように、またこの家族の方々がきょうだいが戻ってくる事を、是非子供が戻ってくる事を切に願って運動を続けております。
先ほど川口の救出運動を皆様に紹介して頂きましたけど、そのなか川口の署名運動を手広くやっていただきまして、安倍官房長官に相当の署名をお届けしております。

川口と言うのは皆さんご承知の通り鋳物の町なんですね、昔。
今でもまだ鋳物の工場が残っていると思うんですけど、当時そういった鋳物工場に朝鮮半島から連れて来られた朝鮮の人々が多数住んでいたんですね。
僕も川口に一時いたんですけども、そのころ・・・(聞き取れず)にもいましたよね。
それで北朝鮮への帰還運動と言う事で昭和35年ですか。
始まりまして、以来15何回か8回くらい帰還船が出ているんですね。
それで約10万名近い人々が北朝鮮に帰還されているんですね。

そういった中には、日本人、日本人妻って言われる人々が家族として北朝鮮に帰っているんですね。
そういった人々が、北朝鮮の・・・(聞き取れず)っていうのは、そういった日本にいた在日の人々・家族、そういった人々は元々北朝鮮にずっといたわけでは無いですから、処遇と言うのは酷い処遇を受けているということですね。
北朝鮮に戻った人でも朝鮮の労働党の幹部なんかになっている人は平壌に住んで優遇されているのに、あまたの日本人関係者は北朝鮮の中でも差別をされているという実態が有るそうです。
それは我々の拉致問題の下の方ですね。
そういった日本人妻問題、そういう人たちがいまだに自由往来できないでいると言う問題が続いているわけですね。
だから 北の問題は我々家族が生きて帰ってきて、そして特定失踪者と言われる方々が全部日本に戻ってきて、生きて帰って拉致問題の解決と言うのが着いて、初めてそういった日本人妻の人々は自由往来できるようになるんだと思うんですね。

北朝鮮の金正日の、首領様と言われてますけども、そういったその人の許可が無ければ一切そういう行動は出来ないと言われております。
だから今の北朝鮮の現状は体制を変えない限りは、金正日首領様をね。
あえて「様」と言いますけども、先軍政治という軍を中心として先頭にして、国民を蔑ろにした軍事力でもって国家体制を維持しているんですね。
そういった話は専門じゃないんですけども、そういった国家体制の酷さ。
そこに住まわされている我々の家族が今どうなっているのか?と言うのは、本当に悲惨な思いをしているんじゃないかと思われる。
決して優遇されているとは思いません。

そういった一日も早く日本に連れ戻す為には皆様の温かいご支援でもってですね。
一日も早く取り戻すよう、皆さんご協力をお願いしたいと思います。
宜しくお願い致します(拍手) 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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2006年8月11日 (金)

脱北者への質疑応答(1)

北朝鮮の帰国者の命と人権を守る会の集会より

      質疑応答

北朝鮮難民救援基金加藤博さんから金英順(キム・ヨンスン)さんへの質問

加藤博さん
ご自身が耀徳(ヨドック)収容所で、経験されたことをお聞きします。
その中で日本人の帰国者及び日本人妻で構成された第十作業班というのがあったとお話がありましたが、その事についてもう少し詳しくお話しいただけますか?

金英順(キム・ヨンスン)さん

私は耀徳(ヨドック)収容所に入ったのが1970年です。すでに10世帯の日本人家族がおりまして、そのうち純粋な日本人は女性でひとりいました。その女性は私より少し年上で、その夫はカン・ウォンシュクという在日朝鮮人の俳優でした。収容所に入った理由は、カン・ウォンシュク氏が日本の映画に出演した罪でした。

カン・ウォンシュク氏は役者で、奥さんは純粋な日本人でした。終戦の頃に北朝鮮に来たと覚えています。
カン・ウォンシュク氏は私が収容所に入った一年後に亡くなったのですが、その奥さんは、1975年に罪を解除され、ヤンガンドンという場所に配置されたというふうに聞いています。

そして帰国者=在日の帰国者達はたくさん入っていました。その中で、姜哲煥(カンチョルファン)さんはちょうど私が出る一年前1977年に耀徳(ヨドック)収容所に入ってきました。私達は、三作業班、四作業班があったんですが、その間に十作業団という組織を作り、そこは食糧工場をやっていました。だいたい在日帰国者達はその食糧工場で主に働いていまして、たまに百姓仕事=田んぼや畑の仕事もさせられましたが、帰国者達は畑仕事余り慣れていなくて、苦労していたのを覚えています。

そう言った帰国者達には日本の親戚から、いろんな物が送られてきていたんですが、そういうものは保衛部のほうで、セイコーの時計、カメラなど、貴重品みんな保衛部のほうでとってしまい、本人に渡るのは衣料品、服などが渡されただけでした。

帰国者達は日本である程度資本主義の中で、豊かな生活をしておりました。そして北に帰った後も、日本の親戚から支援ですね、いろんな物が送られてきたりしてそれなりに豊かな生活をしていた中で耀徳(ヨドック)収容所の悪い環境に着てしまって、栄養が不十分であり、ビタミンBT欠乏症といいますか、・・・病気にかかってたくさんの帰国者が・・・のを目撃しました。

自分の故郷に戻るために玄界灘を渡って帰ったのに、本当に自分の故郷に帰りたいという心で帰った人たちを、そういう悪い環境の収容所にいれた金正日にたいして本当に胸の怒りがこみ上げてきます。

中には何故政治犯収容所に送られたかというと市場や商店街に物があまり内のを見て『何故こんなに物が少ないんだ』と言ったその一言で、政治犯収容所に送られた人もいます。

またある人は、ハンシ・・というところに住んでいた人ですが、日本から訪問団が来ていて、その三日間、日本のビデオを見たために政治犯収容所に送られた人も私は目撃しました。日本からお父さんとおねいさんが来て、その間は目をつぶったのですが、三日の訪問団期間が終わり訪問団が帰った次の日に、ソンブルタン(?)というところに連れて行かれたのを私は見ました。

そのような帰国者達がたくさんの財産及びお金を北朝鮮に寄付したにも関わらず、少しの罪、過ちでそのようなひどい扱いを受けるのは本当にどうかと思いました。そのような過ちでも許してあげたり、また直してくれるのが普通なのにすぐ田舎に送り込んだり、ひどい扱いを受けることで、帰国者達からは『私達は騙された。来るべきじゃなかった』と言う後悔の声があがっていたのを私は覚えています。


写真1 司会の三浦小太郎さん


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写真2 挨拶をする小川晴久先生

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2006年8月 9日 (水)

東京連続集会20(7)

   『西岡力 救う会副会長のお話 その2』

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今の金英男さんの会見についてですけど、安明進さんも言いましたけど実は韓国には、さっき安明進さんはビデオ係りだと言いましたけど、金英男さんが拉致被害者だと認定されたのは今回のDNA鑑定の結果では無いんですね。
この新聞記事があるんですけども、これは1971年の11月27日の韓国の東亜日報という新聞の記事ですが、ここで「高永復教授36年間韓国でスパイだった」
ソウル大学の教授が36年間スパイだった。
その人に会うために夫婦のスパイがソウルに派遣されてきたんです。
で、奥さんが自殺をしてそして男の方、これが教授でその下この人がスパイなんです。

・・・資料より一部引用開始・・・

崔正男 19期生
     連絡部工作員
     1996年、夫婦で韓国に侵入し工作活動中に逮捕
金正男ら韓国人拉致被害者から韓国人化教育を受ける。安明進が金正日政治軍事大学で目撃した日本人教官を目撃している可能性有り

・・・引用終了・・・

崔正男、安さんの先輩で政治軍事大学の分校にある以南化環境館というところで韓国人化教育を受けて、そして3人の高校生が失踪した高校生が実は自分の先生だったと自白したと、いうふうに韓国政府が発表したと。
韓国政府の発表と違う事を、ここに金英男さん出てるわけですね。
英男さんが違う事を言わされていたことについて、韓国政府が反論しなければ誰が反論するのか?というふうに崔祐英さんや李美一さんがソウルで記者会見をして言っていました。
それはこの事なんです。

で、ここを見ますとですね。
金正日がこう言ったと。
「朝鮮戦争で北に来た人間たちは歳が多くなったので南朝鮮の人間を拉致して対南工作に利用しようと命令をして、それに従って拉致が行われた物である」と言うふうに崔正男が自白したと。
韓国政府の発表文なんです。
日本人拉致も「1976年の金正日の命令によって行われた」と安明進さんが言ってるわけですけど、それと同じ事を崔正男氏が取調べで言ったと、いうふうに91年の11月に韓国政府が発表しているわけです。
拉致の首謀者は金正日である、と言う事がここでも明らかになってるわけです。

そして今日お配りした資料はですね。
実は今名前が公開されている韓国にいる元工作員の名簿をお配りしました。
この人たちは捕まったりですね。
あるいは安さんのように自分で亡命したりして1度以上記者会見をしている人たちです。
それ以外に非公開の人たちが何人かいるようですが、金正日政治軍事大学、昔は朝鮮労働党中央委員会直属政治学校と言ったんですが、そこの出身者たちです。

韓国政府の発表でもですね。
崔正男さんが19期生でいますけどその上に金東植さんという人がいてですね。
この人も金英男さんを見ている。
言うふうにこのときの発表で書いている。

・・・資料より一部引用開始・・・

金東植 19期生、1962年9月28日生
     1980年8月、社会文化部(現在の対外連絡部)工作員に選抜
     1995年10月24日、韓国内で工作活動中に扶余で逮捕
金英男ら韓国人拉致被害者から韓国人化教育を受ける。安明進が金正日政治軍事大学で目撃した日本人教官を目撃している可能性有り。

・・・引用終了・・・

私もこの中の何人かの人に会いに行ってるんですが、韓国政府がこの人たちに対して強い圧力をかけて拉致問題の真実を言わないようにさせている、というふうに複数の関係者から私は聞いています。
しかし、崔正男さんと金東植さんの証言によって5人の高校生の拉致が明らかになってるわけですし、その下の21期生車成根、車と書く人ですね。

・・・資料より一部引用開始・・・

車成根 21期生
     1996年、ザンビアで空手教師として勤務中に亡命
     1996年5月9日毎日新聞で日本人拉致について証言
安明進が金正日政治軍事大学で目撃した日本人教官を目撃している可能性有り

・・・引用終了・・・

この人が毎日新聞の96年に日本人の拉致に対して証言していまして、その記事を持ってきていますけど、自分がやったと言うわけじゃないんですけども、自分の指導員から1980年代初めに日本海の海岸近くの公園を散歩していた20歳くらいの男を拉致してきたと、作戦を実行した指導員本人から聞いた。
日本人拉致は作戦部では常識だと。
ドル偽造の事も聞いていると。
ザンビア派遣での作戦で貰った1万ドルが偽札でなかった証拠は無いが、常識的には偽札は持たせないだろう。
偽旅券は私も使いシンガポール人になりすました。
アヘン密売の話を聞いた事もある。
96年の段階で言ってるわけです。

韓国には実は情報が一杯ありまして、韓国が左翼政権になるまでは我々を助けてくれたのは韓国なんです。
めぐみさんの拉致も韓国の助けによって。
日本の警察に最初情報が来た時は日本の警察は無視をして明らかにならなかったわけですけども、韓国の意図的な情報リークがあり分かったわけです。
金賢姫の事も辛光洙の事もみんな韓国からの情報提供があったわけです。
今逆の状況になってるわけですけど、情報自体は韓国にたくさんあるわけです。

そして一部ですね。
金英男さんの後妻の方が出てきたので、とにかくめぐみさんはあの家族から離されているんじゃないか?と。
だから、もしかしたらば亡くなっている事も有り得るんじゃないか?と言う質問を、地方に行ったとき全然別の所の二人から聞いたんですが。
これは救う会は2004年に発表しているんですが、これも韓国にあると思われるある事が、私たちが確認している情報なんですが、めぐみさんは金正日の息子の内の一人の日本語の家庭教師をさせられていると。
95年前後の2年間だという情報が私たちに分かった、韓国にそういう情報がある。
その事を知っている金正日書記室の副部長クラスの人間が韓国にそういう話をしているという情報について発表したんですが、週刊文春の7月13日号で全く同じ情報の話が出ていまして、出所が護衛司令部第9部の人間が韓国に来て話をしたという事になっているんですが。
出所が違うんですが、中身が全く同じ話がここに出ています。
私はもう一つ全然別の西側の情報関係の人からも同じ話を聞いています。

安さんから前にちょっと聞いた事があるんですが、金正日の家族の所に連れて行く場合は、いくら小さい子供がいても無理矢理引き裂いて連れて行くだろう。
5歳の子供と会えなくなるとなれば、精神的におかしくなっても、また一時的におかしくなっても帰りたいという状況になってもおかしくない、いうふうに思います。
とにかくあの一家とは離された。
蓮池さんたちも94年4月以降は全然全く消息が分からない。
死んだという事も知らない。
葬式にも出ていない、同じ所に住んでいて葬式にも出ないなんておかしいんです。

しかし今まで使っていた病院でいろいろ聞いてみても分からないということは、別の所に連れて行かれた。
三号庁舎よりもっと秘密の所があるとすれば、金正日ファミリー以外は有り得ない。
三号庁舎の病院と金正日ファミリーの病院とはまた違う。
言う事ではないかな?と。
まだ真実は明らかになっていませんけども少しづつ見えてきていて。

最後にミサイルの話をして今日の集会を終わりたいと思いますけど。
今回の金英男さんの会見も、つまり日本の怒りが解けないから。
日本は去年の11月以降、実は法律を厳しく適用すると言う事実上の制裁をやってるんです。
これ、かなり効いています。
朝鮮総連が潰れるかもしれない。
朝鮮総連に対して今600億円の損害賠償の訴訟を日本政府が起しているんです。
朝鮮総連の財産はいろんな試算がありますけども、200億円を越えないだろうと。
この裁判で勝てば、朝鮮総連の財産を全て没収される、と言う裁判を日本政府が起している。

科学技術者協会という朝鮮総連の下部機関が、不法に日本からミサイルや核に関する技術などを北にどんどん送ってきた事についても捜査が進んでいます。
税金の問題も大変不明朗な点があったという事についても、かなり厳しく法律が適用されて来ています。
それで民潭を使って総連を守ろうとしたんですが、それも失敗した。
日本の怒りを解かなければ駄目だし、今度はDNA鑑定までされてしまって韓国も日本の怒りに合流しそうだと。
崔桂月さんはあのまま行けば国民大集会に来て「金正日けしからん」と、横田さんと一緒にこぶしを上げていたわけです。
この事が無ければ。

それは絶対に阻止しなくてはいけない。
13歳と16歳、両方シンボルが二人出てしまって、両方が北の政権けしからんと言って制裁せよと言うと。
それにアメリカがブッシュ大統領が早紀江さんに会ってくれて、後押しをしてくれる状況になりそうになる。
それで北朝鮮には大変危険な、韓国人拉致被害者で尚且つ三号庁舎の中にいた人間を出すと言う賭けに出てきた。
そして何とか韓国の世論を拉致の怒りを解こうとしたけど、失敗したと。

もう一方、アメリカの金融制裁も物凄く効いているんです。
最近聞いた話ではですね。
ゴムを輸入できなくて、靴が作れなくてですね。
豚の皮で靴を作っている。
外貨が無いわけです。
有るお金も動かせないわけです。

今、マカオの銀行をやりましたけど、それ以外に実は中国銀行の香港支店に280万ドルの偽札が預金されたと。
預けた人間を確認する為に13万ドルだけ下ろさせたら、その結果北朝鮮が預けた事が確認されたと。
残り260万ドルが偽札だと、いう事が明らかになってきまして、中国銀行も偽札に加担しているという情報をアメリカは持ち始めている。
それに対して制裁をかけるかどうか?という事になっている。
またスイスの銀行に北朝鮮は秘密資金があるんですが、実は北朝鮮が何かの商取引で未払いが出て告訴した。
その告訴状に自分の銀行の口座名を書いてしまって(笑い声)、スイス当局が北朝鮮の口座を一部発見した。
それは犯罪資金として凍結されている。

アメリカは北朝鮮に対して偽札をやっていたと認めろと、そうすれば金融制裁を解いてやると。
で、偽札の版を出しなさいと。
版は15枚あるんです。
アメリカが確認している。
段々発達していくわけですね。
偽札の技術が(笑い声)、だから版があるんです。
出さない限りまたするかもしれないから、だから口で言っても駄目だと。
出したら、お前本当にやっていたな?と。(笑い声)

現金と食料と燃料が無いという状況で、今年の正月や2月や4月の、彼らの礼節というんですけどね。
金正日の誕生日や金日成の誕生日に贈り物が満足に出来ないような状況だと、いうことです。

それで金正日には道が二つあるわけです。
拉致を認めてめぐみさんたちを返し、核・ミサイル開発を止める。
そうすれば国際社会は彼との共存を選ぶことになる。
もちろん北朝鮮の中の人権問題があります。

しかし、彼はそれが出来ないわけです。
拉致の命令者は金正日だから。
三号庁舎に拉致解決の案を出せと言った時に、金正日に責任が被るような案は出せないんです。
そんな物を作ったら、隣の日から刑務所へ行かなければならない。
と、限界があるわけです。
お母さんの前で嘘を言わせるような案しか出来ないんです。
生きた人を死んだといわせるような案しか作れないんです。

核・ミサイル開発も、金日成が死んだのは94年ですよね?
金正日が全権を握った後、300万人の餓死者を出しながらも彼は核・ミサイル開発を続けてきたんです。
それだけの事をやった者を今、金融制裁がされたからと言って放棄出来ない。
止まらない列車に乗っているわけです。
で、どうするか?と言うと、今みたいな金英男さんを出して嘘をつかせたりして日本を鎮めようとして失敗したと。
ミサイルを撃っても、ミサイルを撃って彼らの手法で緊張を高めるわけです。
高めた緊張を交渉材料にして、もう撃たないから何かをやってくれ、と。
もう撃たないから金融制裁を止めてくれ。

金融制裁は偽ドルについてかかっているのに、ミサイルを撃たないから金融制裁を解いてくれと。
理屈に合って無いんですけども、今までは、つまりアメリカのクリントン政権の時は、「北朝鮮は変りつつある。我々の政策は成功しつつある」と国内に説明しちゃったもんですから、変わって無い事をやられると困るんで悪い事をしそうになったら、悪い事をしたらば褒美をやって止めさせる。
言う政策を執ってたわけです。
変わりつつある、と言ってしまった方が負けなんです。

しかしブッシュ政権は悪い事をした人間には褒美をやらないと、言う事を決めたわけです。
今回彼らが緊張を高めたらば、その責任は国連の非難決議になったんです。
少なくとも中国も非難決議までは合意しているんです。
これは日本外交でかつて無かったことです。
非常任理事国の日本が国連の安保理事会を引っ張って、そして反対していた中国が議長声明じゃなくて非難決議まで中国に出させる所に持ってきた。
今は日本と中国の間で文案の折衝をしているわけです。
彼は拒否権を持つ、こちらは無いのに、日本が毅然とした態度を取って国際社会を味方につければ、北朝鮮の悪事は孤立するんです。

でも彼らはまだ懲りないでしょうから、金正日の責任を認める。
核を止める事も拉致を認める事も金正日の責任と直結しますから、まだ出来ないでしょうから、もう一回緊張を高める事はやってくる。
ミサイルの開発か、再発射か、あるいは核実験をやるか。
やればやるほど国際社会から孤立する。
そして中国やロシアも応援できなくなる。
韓国もさすがに応援できなくなる。

後は韓国と南北首脳会談をやって韓国を大混乱に陥れるという事をやるかもしれませんが、すでにもう韓国の世論は盧武鉉の対北政策は失敗だったと思う人が過半数を超えたと。
多数です、すみません。
成功だと思う人より失敗だと思う人が初めて多くなったんです。

嵐が吹いてきた事は間違いが無い。
去年から私はこう着状態ではないと、嵐の前の静けさだと何回もここで言いましたけど、嵐が吹いてきたと。
北朝鮮がたまらなくなって動いてきたと。
北朝鮮は時間稼ぎが出来なくなったと。
ばたばたして来て失敗しているんです。
しかし、耐えられなくなるから今までの手法で緊張を高めたり嘘を言ったりするしか無いんです。
そして失敗をする。

金英男さんも出てきたわけです。
拉致を公式に、事実上認めたわけです。
いないと言っていたのに。
韓国版9・17です。
部分的だけど認めざるを得なかった。
追い込まれたんです。

もう一歩の所までは来ているわけですけれども、後は、つまり必要条件は満たされつつある。
救出の必要条件は満たされつつある。
しかし十分条件は何か?と言うと、どこに何人いるか?ということを知るという事です。
無事助ける為にはどこに何人いるか?ということが分からなければ、助けられないんです。

もちろん日本政府は今、実は法を厳しく適用するチームと一緒に情報を検討するチームを作って、政府を挙げて、今政府が持っている情報を一元的に管理して、必死で情報分析作業をやっていると私は理解しています。
今までそれも無い事だと思います。
各省庁、各いろんな機関が持っている情報を、拉致に関する事でひとつに集まって分析されている。
そこへ、帰ってきた人たちもかなり協力をしているというふうに聞いています。

しかしそれで、一生懸命やっていると言うのが助け出すイコールではないですから、まだ十分条件にはなり得ないんです。
必要条件は満たされつつありますけども、十分では無い準備の中で全員取り戻す事をしなければならない。
しかし、彼らがばたばたして来ている事だけは間違いが無くて。
拉致はテロだと言ってきたり、何回もアメリカに行ったりヨーロッパに行ったり、日本中世論を盛り上げてきた事は間違いが無かった、というふうに思っています。

今日お配りしたミサイルが発射された時の声明の中にはですね。
一番最後に最後に金正日テロ政権は追い込まれつつあると。
国際社会が団結して強力な圧力をかけて、彼らから核とミサイルを取り上げ、全ての拉致被害者を取り戻し、北朝鮮人民を人権抑圧から解放する事が出来ると。
拉致被害者の皆さん、もう少しの辛抱です。
元気で救いの手を待っていてくださいと、言うふうに書かれてありますけども、まさにそういう状況だと思っています。

救う会では9月に幹事会を開いて、12月に北朝鮮人権法が設定する啓発週間がありますけど、そこで何をするのか?
あるいは国連の安保理事会でいよいよ拉致問題が取り上げられるようになりましたから、安保理事会に対して我々がどう働きかけをするか?ということも、9月の幹事会を目指していろんな事を考えています。
また皆さん方にお願いする事もたくさん出てくると思いますけども、いよいよ、今までですとね。
このまま行ったら負けてしまうとですね。
だから集会でも助けてくださいと言いましたけども、死んだという事も定着されると言うことも無くなりました。

それはもう、今回の事で大失敗だという事で、もう日本政府が生存を前提として交渉すると言っているわけです。
今回日本政府が日本語のパンフレットを作ってくれたんですけども、その中でも政府としては拉致被害者が全て生存しているとの前提に立ち、北朝鮮に対して被害者の即時帰国、真相究明及び拉致実行犯の引き渡しを強く要求すると共に、北朝鮮側に納得できる対応が無い場合には厳しい対応をとる方針である。
つまり今まで言ってきた事が、ちゃんと文章で書いてある。
これ6万部作ったそうです。(拍手)

もう一歩だと思ってますので、お疲れで大変だと思いますけど、そろそろ休んで頂いても良いんじゃないか?と。
元気で待って頂かなくてはならないと思っています。
宜しくお願いします。(拍手)

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空を見て、月を見て

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今日(8日)の東京の夕焼けは、鮮烈でした。
赤く燃える空を見ながら、遠く北朝鮮の空の下、拉致被害者も空を見あげているのではないかと思いました。

早紀江さんは沖縄で月の話をしました。沖縄の澄んだ空気、何もない自然な空に浮かんだ月はどんなにきれいだったでしょう?
早紀江さんは、何度も何度も月を見あげてめぐみさんも同じ月をみているだろうかと思ったそうです。月を見て、めぐみさんを思って何度泣いたかわからないと。。

今日の北朝鮮の空はどんな空だったのでしょう?
多くの被害者がきっと見あげているであろう空に、月は、星は見えているでしょうか?夕焼けはみえたでしょうか?

ただ待っている。助けを待っている人たち。
何の罪もなく、拉致された人たち。
どんなに苦しく、悲しい日々を過ごしているのでしょう?

私には今日の夕日が被害者たちの叫びのように感じられました。

拉致被害者の嘆き、叫びのように感じられました。

私達は、生きている、血の涙を流しながら、『私達は待っている、生きている』 と声にならない声で、泣き叫んでいるように見えました。

どうしても救い出したい、その思いを更に結集していかなければなりません。

高齢の家族は、残り少ない命と時と闘いながら待っている。
一分、一秒、自らの命を繋ぐ戦いを続けて。。

月よ、星よ、私達の心を伝えてください。
被害者に『生きて待ってください』と伝えてください。

長い時を重ねて、故郷への思い、家族への想いは変わらないはず。

せめて再開を願う、この祈りを伝えてください。

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2006年8月 6日 (日)

鄭成山(チョン・ソンサン)氏 のお話

   鄭成山(チョン・ソンサン)氏 のお話

守る会集会(2006/8/5)食糧会館にて

「ヨドック・ストーリー」原作者・鄭成山(チョン・ソンサン)氏 証言集会から

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みなさん私は背が低いのでマイクをあげて話します。
私が日本に来て一番苦しいのは食べ物です。
その理由は、生もの、刺身を食べるとすぐにお腹を壊してしまうからです。
韓国では私の食を、非常に田舎臭いと。
昨日の夜は刺身を食べたのですが、昨日夢で鮫になって泳ぐ夢を見てしまいました。(笑)

しかしこれからは日本に数多く来て、日本の料理になれるようにします。

まず本題に入る前に、拉致された日本人、何の理由もなく、拉致される根拠もない日本人を北朝鮮に連れて行った金正日にかわって、同じ北朝鮮の人間である私が皆様にお詫び申し上げます。

スパイを育てる、又対南工作を行うために、何も知らない純粋な、優秀な女学生を拉致し、そうした被害を及ぼした金正日は人間ではなく、人間の面をかぶっている悪魔ではないでしょうか?

また、金日成・金正日の悪口を言った、お酒に酔っぱらって、ちょっと悪口を言ったり、当事者ではないおじいさんお父さんの経歴によって--たとえば韓国に親戚がいたり、朝鮮戦争の時に韓国のために仕事をしたとかの--過去の経歴のために政治犯収容所に送られたり、殺されたりする、そういう北朝鮮というのは、本当に神から見放された国ではないでしょうか?

そのような彼(金正日)のことを、これから≪悪魔≫と表現します。まれに見る悪魔に、又その悪魔に従って忠誠を尽くしている北朝鮮の偽善者たちの前に私は敢えて挑戦状を突きつけました。その挑戦状が「耀徳(ヨドック)ストーリー」です。

私の「耀徳(ヨドック)ストーリー」の話をする前に、北朝鮮の人権問題に真剣に取り組んでいるみなさん、又拉致の問題に真剣に尽力なさっている、ここにいらっしゃる小川(晴久)先生、山田(文明)先生、三浦小太郎さんにもう一度感謝を申し上げます。

又私達を招待していただいた北朝鮮の帰国者の人権を守る会に感謝いたします。

「耀徳(ヨドック)ストーリー」を一番最初に制作しようと気持ちを固めたのは2000年の2月頃でした。

その前は私はお金を稼ぎ、もしまとまったお金があれば、北朝鮮に残っている両親を韓国に連れてくるために中国の公安関係者をお金で買収をしようとしていました。

その前の1994年、私は韓国の放送を聞いたと言う罪を問われたので、私は脱北し、うちの両親は(ヤンガンドク?=収容所の場所)に収容されていました。

そして私は両親をお金を使って(カンウォン?)というところまで連れ出しました。

その最中、2002年のとても衝撃的な知らせに接しました。その知らせというのは、私の父親が北朝鮮の22号収容所(ヘヨン?収容所)というところで公開処刑されたというニュースでした。

よほど、殴られて、殴られて殺されたと聞いています。

その理由と言いますのは、私が韓国に来まして、韓国で作られる北朝鮮に関わる映画--みなさんもご存じだと思いますが、「JSA」や「シュリ」、KBSのドラマで「ツツジの花が咲くまで」というドラマがあるんですが、そのドラマの内容に金正日の一番知られたくない私生活の部分が描かれているものですが、それに協力したからです。

その知らせを聞いたとき私は一瞬でありますが韓国で生きていく意味を失いました。
自殺を図り、自分の体を切ったり、水に飛び込もうとしたり数十回も考えましたが、結局は死ねませんでした。その時私は、感じました。『このままでは絶対に死ねない。』と。

その時に何かをしようと決心しそして、作ったのが『太陽の呪い』という北朝鮮の映画のシナリオを書きました。しかしそのシナリオを持って韓国のいろんな制作会社を訪問しましたが、どこも相手にしてくれないし、又、変人扱いされました。

その時ちょうど、金大中政権が執っていた『太陽政策』の中で(私のシナリオは)本当に南北平和を壊す、時代を歪曲するような内容だと言われました。

そして、テーマを私はミュージカルに変えました。タイトルも「耀徳(ヨドック)ストーリー」に変え、人を恨み、憎み、復讐を誓うそういうストーリーから、赦す、愛する、そのような人間のヒューマニズムに近いストーリーに変え、又、イデオロギーや思想は 何より人権の問題にはかなわない、人権の問題より先にしてはいけないという、そういうテーマに変えたわけです。

そして去年からミュージカル制作に取り組んできたわけですが、しかしその時まで、韓国に数多く存在していた、保守陣営、右翼、その時まで、金正日を打倒し、金正日政権の崩壊を声を高く訴えていたそう言う団体が、いざ尋ねていくと私を無視し、相手にしてくれないそう言う現実に遭遇しました。

ソウルにある、ある・・団体に何日もかよってやっと200万ウォン=20万円ぐらいの金銭的支援をもらったこともあります。その時私はとても辛く、はたして私が進もうとしている道は正当なのかと、本当にこの方向でやっていって良いのか悩みました。

その時に、私に本当に力を貸してくれた人たちというのは、私と同じように北朝鮮から脱北してきた、韓国にいる脱北者たちでした。

そう言う悩んでいるときに、この場に来日している金英順(キム・ヨンスン)さん、みなさんご存じの姜哲煥(カンチョルファン)さんアンミュンチョル氏・・・など脱北支援団体の方が、私に不足しているお金、10万20万渡してくれて、又、稽古をする練習場に尋ねてくれ、『韓国の状況は悪いけれど、勇気を失わずに頑張ってくれ』と間食を差し入れてくれたりした、そのような行為が私に『これは進むべきだ、これからやるべきだ』という決心をさせてくれることになりました。

誰も、この「耀徳(ヨドック)ストーリー」が公演されるとは予想している人はひとりもいなかったんです。

私自身も、「耀徳(ヨドック)ストーリー」のミュージカルの幕が上がるのかと心配になったこともあります。また、この「耀徳(ヨドック)ストーリー」のミュージカルに対していろんなところから脅迫の電話、脅迫のメッセージがあったり、時々変な人が練習場に尋ねてきては、おかしな事をする、そのような、おかしな状況で、本当に自分自身が死と背中合わせでやっていく、そう言う日々でした。
助監督を務める人に、『私が万が一何かがあっても、必ずこの舞台の幕をあけろ』というそういう命令したこともあります。

そして韓国の国家権力は、情報関係者を私のところによこして、シナリオに問題点を提起し、『シナリオの内容は、韓国国家保安法にひっかかるよ』と。なんとなくシナリオの盛り上がりに水を差すような、そういう脅迫も私にありました。

その一連の流れで、一番決定的なダメージを私達に与えたのは、去年の11月、公演を予定していた劇場(これはソウル市内にある劇場であったのですが、そこが韓国政府の圧力によって、我々の公演を辞退してしまった。『協力なんかできない』と言う連絡が来たことが、一番ショッキングな事でした。

それに連ねて、政府がこのような圧力をかけると知ってしまった投資家、制作に金銭的に協力してくれる制作担当者が、投資を、金銭的協力を止めるという連絡をしてきました。

私の人生であの期間ほど、涙を流した時はなかったでしょう。

しかし、何とか公演できる劇場を確保しなければいけないので、私は自分の心臓を担保に2000万ウォン(日本円で200万円)を借りました。

本当に辛いそういう環境の中で、本当に諦めずにやらなければいけないという、その気持ちの支えになったのは収容所で亡くなった私のお父さん、又、収容所を経験している金英順(キム・ヨンスン)お母さん、その他の脱北者たちの恨みをはらさなければいけない(という気持ちです。)そして私の心臓を担保に、自分の体を売ってもなんとかこの作品を上演させるという決心が深まりました。

そしてその後、そのような一連の動きが韓国の新聞に報道され、何となく社会的雰囲気が追い風になったときに私は、「耀徳(ヨドック)ストーリー」の公演は神様が支えてくれていると思いました。
その新聞報道が出た後に、1日2000万ウォンの募金が入るようになりました。

また、約1000人ほどの後援者が、韓国のお金で一億1000万ウォン(日本円で1100万円)を集めてくれました。そのために、私達の「耀徳(ヨドック)ストーリー」のコピー、宣伝文句は『「耀徳(ヨドック)ストーリー」・大韓民国の国民のみなさんが作ってくれました』というコピーに決めました。

確かに舞台の幕が上がった最初は低迷していたんですが、韓国の表現で、大当たりと言いますか、3月26日公演以降は毎日毎回満員御礼が続く大当たりになりました。

この場にいらっしゃるみなさん方にも、その時韓国に来て、ミュージカルをご覧になった方もいると思いますが、3月の公演には、本当に日本からたくさんの団体ツアーを組んで見に来てくださいました。本当にたくさんの日本人が私を応援してくれました。

ミュージカル「耀徳(ヨドック)ストーリー」は韓国のミュージカルの歴史を少しずつ変えていきます。
まず韓国のミュージカル業界では5つの悪害=これがそろえば公演は成功しないという素材が5つあるそうです。

その一つめが、原作が輸入物ではなく創作ものであること
  二つめは、私のような全くの新人監督
  三つ目は、新人俳優
  四つ目は、どろどろしたストーリー、内容
  それから、非常に環境の悪い劇場

ソウルで公演したとき、この5つの素材は全部私達に当てはまりました。
この5つの悪材を全部ひっくり返したのは、私達の「耀徳(ヨドック)ストーリー」が初めてです。

ソウル公演を終え地方公演まで、7月末までやりましたが、のべ7万5000人の観客を私達のミュージカルを見たことになっております。

一番最初に、この作品をやろうとしたときに、スタッフのみなさんが私に言った言葉があります。
「監督さん、この作品は本当に政治的であり、内容もどろどろしたものなので、これは本当に上手くやらないと、みんな夜逃げするようなことになりますよ」と言われました。

しかし敢えてその問いかけにこういう言葉をかけました。
『ミュージカル「耀徳(ヨドック)ストーリー」は核爆弾になるよ』と。

私にいろんな人が、『何故、鄭成山さんは、「耀徳(ヨドック)ストーリー」をそんなに熱意を持っているんですか』と聞かれます。そこで私は、敢えて俗な言い方をします。

  金正日と一本勝負を望んでいます。

金正日はどの文化を、どのように利用し、使えば、上手く政治的に利用できるかを本当によく知っている人間であります。私は、北朝鮮で文化を学んでいたので、敢えてその(文化を政治利用する)金正日と、文化で一本勝負を挑んでいるのであります。

私達の「耀徳(ヨドック)ストーリー」を韓国国内で7万以上の人が見たと言うこと、その裏付けは、私達の「耀徳(ヨドック)ストーリー」に力があり、実力があると私は思っています。

それは収容所で亡くなった私の父親、又そこを経験して韓国に逃げてきた金英順(キム・ヨンスン)さん及び脱北者たちが、『私達を忘れないで欲しい』と訴え、また北に残っている(収容所に収監されている)人たちも『私達を助けて欲しい』と願っている、その魂が未だに私に訴えているからです。

北朝鮮の収容所に収監されている人の中にはみなさんの隣に住んでいた人がいるかもしれないし、横田めぐみさんのような拉致被害者もいると思います。

私は韓国に来て韓国の人たちに言ったことがあります。『あなた達は60年間何をやってきたんですか?』
(あーー と深いため息)
7年か8年前までは、北朝鮮の全人口は2300万から2400万人の人口でした。
今現在は、もちろんこれは非公式な数字ですが、1700万から1800万と言われています。

  300万人の尊い命を10年足らずに殺した人はこの世に誰もいません。

亡くなった300万人の中には、帰国船に乗って帰った在日韓国、朝鮮人、もしくは日本人も数多く含まれていると思っわれます。

彼等が何故罪もなく死んでいき、私達は何故その人々を見殺しにせざるを得ない状況を作った人を認めることができるでしょうか?(大意)

そう言う人が金正日なんですが、そう言う人はもうこの世にいなくなるべきです。
そのような悪魔である金正日を1日も早くこの地球上からなくし、また北朝鮮の残酷な実情、人権問題を早く解決するためには、先ほど申し上げた文化の力で闘わなくてはいけません。

その文化を先頭に立って引っ張っていくのが私としてはこの「耀徳(ヨドック)ストーリー」だと考えています。

その方法として、私は今年の9月アメリカ公演を行うことにしました。
このアメリカ公演は、アメリカから招待された、招待公演ではありません。
私達が、私の団体がお金を作って行く、企画公演です。
およそ150万ドルの費用がかかりますが、私は強行突破をはかっています。

それは何故ならば、この私が進もうとする道=行動が正義の行動であり、その意志は天にあると思っておりますので、私はその課程の中でたくさんの後援者ができると信じておりますし、必ず、その後援者を共に「耀徳(ヨドック)ストーリー」のアメリカ公演が実現できるだろうと考えております。

既にアメリカでは、(団体名)のスザンヌ・ショルティさん及び、アメリカ上院議員のサム・ブラウンバックさん、そして名前を挙げるとみなさんご存じの・・・北朝鮮の人権団体の方が後援会組織を作って既に活動なさっています。

北朝鮮の人権問題に非常に高い関心を持っていただいているアメリカの人たち、又、脱北者のみなさんと力を合わせて、金正日の実体を暴く「耀徳(ヨドック)ストーリー」の公演が成功すれば、非常に大きなきっかけになるだろうし、そしてブッシュ現大統領、クリントン前大統領、及びアメリカ政府の色々な人たちに招待状を送るつもりです。

このように、全世界の打倒金正日の雰囲気を盛りあげていけば必ず、金正日を倒すことができる。

そしてそのエネルギーを私は、日本で爆発させたいです。

ここにいらっしゃるみなさんが日本の拉致被害者、及び北朝鮮からの帰国者、脱北者のために献身的に努力を惜しまず行っている行動について、北朝鮮の人々は、決してそのことを無視することはしないでしょう。

これは私の個人的考えですが、本当の意味で北朝鮮を崩壊させ解放できるのは、アメリカ・日本しかないと思っています。

それはなぜならば、この作品を通じて、北朝鮮の人権を切実に訴えたいです。いろんな思想、それぞれの哲学、色々な立場よりも人間の尊厳について、人権及び正義、命に対する尊さをアメリカと日本が力を合わせて、北朝鮮を糾弾しなければならないと思います。

その始まりが、この「耀徳(ヨドック)ストーリー」であり、また日本公演を実現することによって北朝鮮、金正日の首をもっと絞めることになるでしょう。

私の計画としては、2007年、来年にはポーランドのアウシュビッツの跡地でこの「耀徳(ヨドック)ストーリー」の公演を目指しています。

そういった一連の行動が、この計画が、ひいては、北朝鮮の人権問題の解決につながるし、金正日政権を潰すことになると思います。
みなさまにみなさん全員が、力を合わせて、NGO団体が力を合わせて、国際的雰囲気を盛りあげていって欲しいです。

 私は日本公演をどんな手を尽くしてでも必ず実現させます。

私はみなさまの高い関心、そして温かい励まし、自らの参加がですね、私達の「耀徳(ヨドック)ストーリー」の日本公演を実現するキーポイントになると思っております。

私は最後に皆様に訴えたいことがあります。この話をはじめる最初に言ったことですが、何の理由もなく、拉致され連れ去られていった、辛い出来事のきっかけをつくる金正日政権。そして、今でも、北朝鮮では何の理由もなく殺されるという殺人が日常茶飯事に起きています。(北朝鮮には)そう言う人たちを殺すことに何の罪の意識もなく疑問を持たないまま行動を起こすような人間がたくさんいます。

私は、1日も早く金正日政権がこの地球からなくならないと行けないと思っています。

本当に時間がない、一時でも早く解決しなければならないと言うことを、みなさんに最後に訴えたいし、最後にこのような北朝鮮の人権問題に真剣に取り組んでいるみなさまにもう一度感謝の気持ちを申し述べさせていただきます。

今日はありがとうございました。

参考記事「耀徳(ヨドック)ストーリー」

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東京連続集会20(5)

   『横田滋 家族会代表のお話 その1』

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出席が大変遅れましたんですが、12日に日本最南端の石垣市の中学校の方と公民館の方で集会がありまして、予定では昨日帰る予定でしたが、台風4号の影響で全便欠航という事で誰も帰れなかったわけですけども。
今日も本来であれば9時5分くらいに出発する便なんですがそれが飛んだのが夕方の4時過ぎくらいでしたか、それで羽田に6時に着きました。
それでもそれは・・・(聞き取れず)の社長が特別配慮をしてくれまして、横田さんたちは早く返してあげたい(笑い声)と言う事で、一番最初に飛んだ飛行機に乗せて頂いて。(笑い声)
それでマスコミの方も一緒だったんですけど、マスコミの方の前には700人のカテゴリーの中で空席待ちをしていますので、それが全部さばけたら乗れるという事で、今日中には何とか(笑い声)何とか那覇までは来れるという事です。
それが帰ってしまわないと、明日からマンゴーとかパイナップルの出荷に影響すると言う事で、それで今日中に人だけは臨時便を出してということですので、皆さん一緒に行った方はそのまま残っています。(笑い声)

それで、会の方は小さな市ですけど、中学校の1年生から3年生まで全員が体育館で話を聞いてくれまして1時間くらいやりましたんですが。
それから公民館の方は満席になって、別室にもビデオで映像を見てもらうくらい熱心で。
そして台風が接近すると台風警報が出るんですが、それが出るとみんな家にこもって外に出ないそうですが。
6時開場6時半開演だったんですが、6時半に台風警報が出たと言う事で、入る人はみんな入ってくれて。
幸いにも途中で帰る人は殆どいなくて、満席でした。
その様な事がありまして、遅れたわけでございます。
これも本来であれば先月の29日から行きまして、市長の表敬訪問とか中学校へ行って、それから1日の日にやる事になっていたんです。
しかし(金英男さんの)会見が行われた結果、やはり東京にいた方が良いだろうという事で、頼んで延長してもらったんです。
その結果が台風の(笑い声)・・・。(聞き取れず)

この会見で・・・(聞き取れず)の仰る事は筋論なんですが国の違いがありまして、今も説明があったように韓国政府が何も拉致と言わないわけです。
それで我々の感じでは5月の15日から17日まで韓国に行って、向こうの家族と対面したわけです。
お母さんは日本人だともうちょっと若いかもしれませんけど79歳、数え年で一番多いのは83歳と言うのが有りますけど体が弱っていて、生きているうちに息子に会いたいと何回も言っていました。
ですから日本の感覚からいけば向こうに行くことによって、息子さんが自分は拉致ではなく救出されたんだと言って。
そして金正日のお陰で学校へ行ったり、それから病院の費用なんかも無料でよかったと言うだろう、と言う事は予想されていたわけです。
お母さん・お姉さんには説明したわけですけども、それはあくまでも説明で説得という事はしませんでした。

・・・・・・・(聞き取れず)と言うことであって。
日本であれば帰れなくなるから行かない方が良いと言いますけど、韓国の場合行かなくても誰一人として政府が救出した人がいないわけです。
それで再会した人が英男さんの前に12人が離散家族の中で面会しているんです。
ですから面会できれば運が良かったという感じがあって、そんなに(北朝鮮に面会に)行ったら帰れなくなるという感じは無いわけです。
(面会に)行かなくても帰れない。
それなら行った方が得だ、と言う所があるわけなんです。
ですから我々からすれば、もうちょっと喜んであげても良いんじゃないか?と言う感じは受けました。

そして実際金英男さんの話を聞いてみますと、予想通りに自分は拉致ではなくて救助されたんだと言う事と。
それからめぐみが死んだということ、聞いたような余りはっきりした事は言わなかったんですが、そういうような事。
それからウンギョンさんも私は日本で会いたくない、と言うような事。
それから本人も日本に行きたくないだろうと言ってましたので、だいたい予想されたような通りの結果になりました。
それからその時にちょっと、事故で脳に障害があるような事がありましたんですが、それは初めて聞いたことです。
そしてお姉さんが(韓国に)帰ってから、自動車事故に遭ったというような事を言ってましたけど、それは後でまた釈明をしていましたけど、結局弟からめぐみは3歳の頃に事故に遭って脳の障害があって、それが結びついて死んだという事になってるわけなんですが。
それがなんて言うか、自分が脳に障害が起こることと言うと自動車事故と思って言ってしまったという事で誤解を与えたと言ってますけど、金英男さんは別に自動車事故と言うふうには言ってなかったようです。

その事故、3歳の時にめぐみは低い所からですけど階段から落ちてたんこぶが出来た事はあります。
しかしそれで意識を失って救急車に載せられたというと事故になりますけど、普通の怪我であって頭が痛いなどという事も中学1年生まで有りませんし、そのために障害が出たらしいと言うこともなくて。
成績はいつも学校のトップクラス・学年のトップクラスでありましたし、脳に障害があったという事はちょっと考えられません。
その点、テレビに出てきたお医者さんの話を聞いていましても、小さいときに頭を打ってそれがうつ病につながる事は無いっていう事を、テレビ局が違いますから何人かの方がそうやってお話していますからそれはすべき事ではないと思います。

ああした生活をしていまして、アベックの方のように一緒に暮らしたわけではないので、18歳頃になったら帰れると思ったら帰れなくて、うつ病になったと言う事は亡命した工作員の証言から。
めぐみと一緒になって身の上話を聞いて、そんなことはありえると思いますけど。
たくさんの写真が出てきますけどその中に特に病気らしいと感じさせるものはありません。
ただ、カルテがたくさん出てきましてそのコピーを見ますといろんな病気になってるようですけど、そのカルテが日付順に並べたら年齢が連続しないとか、必ずしもめぐみのものかどうか分かりませんけど。
それにそんなにしょっちゅう入退院なんかを繰り返していたとすると、だいたい日本語教育の教官なんかになれるはずは無いと思いますし、それから結婚生活なんかも出来ないと思います。
結婚した後半くらいになると「帰りたい、帰りたい」という事をいっていたと蓮池さんも仰っていますから、やはりうつ病になったと言うことは有り得るかもしれませんけど、そんな病気の連続という事はちょっと考えられません。

それで今回新しく出てきた写真と言うのは、最初の時にも10枚くらい出てきたんですが、その後の時の日本の記者団向けの会見の時には2枚の写真が出てきまして、1枚は本人の物かどうか分かりませんけど(写真の裏に書かれた)数字の1と言うのは横にああして書くと7と見間違えやすいです。
だから私もああいう字は書かないし、めぐみも横に長くはしていないと思いますから字が違うような気がしますけど、韓国語の部分は我々は全く見当がつきませんから、本人のもので無いかもしれないと思います。
そして赤いスカートをはいているのを見ますとちょっと緊張した顔をしていますけど、でもやっぱり病気になったと言う感じはしませんし、それから1歳のウンギョンさんの誕生日の家庭でのパーティーでの模様もちょっと我々で想像も付かないような豪華にしていますけど。
あれも北朝鮮では立派な事をやると聞いていますけど、皆さんテレビで解説しているのを聞いても、あんな豪華な事をやれるのは限られた人だろうと仰ってました。

英男さんが話したのを総合的にみますと、やっぱり最初の(会見の)時は全く家庭生活の事は出なくて、それから原稿を読みながらの演説に、日本の新聞の評判からみても悪かったわけですけども。
それを知ってかどうか次の時には原稿も無しに、それから家庭の状況なんかについても話していました。
幸せな生活をしていたんだけど、脳の障害によってうつ病になって、その結果自殺をしたんだと言うような話に持って行こうとするための一つの形だと思います。
前の骨が出てきた時の写真も同じような形で、わが国が育てたんだけど、自分が弱って病気で自殺をしたんだと言う事で持ってきたんだと思いますけど、今回も同じような筋書きを作るために出してきたんだと思います。

あの2枚の写真と言うのは2002年の11月に、第3回の実務者協議が開かれていたときに、金英男さん、そのときはまだキム・チョルジュンさんでしたけど、チョルジュンさんがめぐみの遺骨と言う物を持ってきたわけです。
その時に日本政府の人は誰もチョルジュンさんと言うのは見たことが無いわけです。
最初に手紙を貰っていますけど、それは代筆だとか言われてますけど、それは本人から貰ったものではなくて北朝鮮政府を通じて貰っていますから、初めて見るから本人かどうか確認できない
結婚した直後の二人の写真とヘギョンさんと3人で写った写真があって、薄暗い部屋だったんで余りハッキリ確認は出来なかったんですけど、その写真に写っている人と骨を持ってきた人は同じ人だろうという事は政府の人も言っていました。
その写真が今回提供されたものです。

「ウンギョンさんはとても可愛くて賢い子だから、ぜひ会ってあげたら良いですよ」みたいな事を、テレビ局で向こうが英子さんがホテルにいて、こちらはテレビ局にいたわけですが、「何か横田さんに伝えたい事があるとか言ってたんですけど、どんな事ですか?」と聞いたらば、そんな事を言ってました。
我々としては今急に考えが変わったということではありませんし、特にこちらから会いに行くと言うことは考えていませんが、しかしめぐみの事が何か分かったと言うことがあったのであれば、また行って。
しかし、帰らない自分の意思だと言うかもしれませんけど、それはどこか別のところで政府の人が確認をするという事で、それは相談して決める事になるんでしょうけど、そういった事も考えなくてはならないことも出てくるかもしれませんけど、今の段階ではウンギョンさんに会いに行く事は考えておりません。
今回の記者会見、二回目の記者会見、それからお姉さんの会見で心から感じた事は以上です。(拍手) 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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東京連続集会20(6)

   『横田早紀江さんのお話』

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皆様こんばんは。
本当に遅くなりまして申し訳ございませんでした。
今、主人が殆ど感想を話してくれたので。

私は全然初めから、9月17日の時から、ずっと絶対に生きていると。
不思議なんですけど、なにかそういう不安な物が、死んでしまったと言う不安な物が絶対に感じられないので、カンと言うか自分の親の気持ち的なものだけなのかもしれませんが、絶対にあの子だったらうちの子だったらって。
みんな連れて行かれた人たちはどこか一ヶ所に、何をしているか分かりませんけど、大事な人質として囚われているというふうにしか思えないんです。
必ず元気で、いつか助けてくれるだろうと思ってみんな待っていると思います。

この間の金英男さんの面会・対面があったときの事は、最初から本当にこういうふうに、きっとこういうふうに言ってなるだろうと思っていた所にその通りで、びっくりするほどぴったりの感じで参りましたので、ああ、やっぱりそうだったというふうな物にしかなれなかったんですけども。
やっぱりヘギョンちゃんが出てきたときにかなりお姉さんになっていて、あの時はまだ本当にまだ少女と言うか抱きしめられるような小さな少女だったような気がしましたけど、ちょっと何年か経つとすぐに成長してね。
あんなに大きくなって。
ああ本当に大人になったなぁ、と。
本当にお父さんは小さい時に会いたいだろうなと思って、何とかして早くそういう日が来ると良いなと思いますけど。

やはり大人になっていた分だけ彼女自身もいろんな、何年か前の幼い顔の時と違って大人としての感覚も発達して来ているでしょうし、いろんな事も思いを巡らしたりしながら話をしていたような感じが見えて、どういって話したら良いのか。
鯉がアップアップして水面でこうして酸素を求めているような気持ちで、本当に可哀想で、こんなにも親・子・孫まで難題にも亘って拉致問題というのは本当に残酷、ということが改めて思われて。
私は・・・(聞き取れず)にも書いてありますけど、私は本当にお腹の中が煮えくり返るような悔しさで、どうして助けて上げられるんだろう?っていう事としか考えていないんです。

やはりあの、あちらは何とかしてこの拉致をした人たちが生きているって言う事を世界が知った時に、どういうことだったかと言う事が全部明らかになるし。
田口八重子さんの事もまだ大韓航空機爆破事件というのは我が国がやってないと言っているわけですから。
そういう所を全ての事を覆い隠そうと・・・・・・(聞き取れず)あちらの国のやり方だと言う事がようやく国際的な所まで分かってきて本当に私たちには信じられないような事だと、私たち自身がまだ本当かな?と思いながら始まった活動でしたけども、本当に次から次からと明らかにされて今もこうして事実が出て来ましたので。

本当に今問題になっているように制裁の問題もそうですけども、中国が今こんな時だからこそ、いろんなリスクもあるし国によって大事な事もあるでしょうけども、こういう事は全部の国が一緒になって違う!これだけは違う!こうしなさい!という事を一緒になって一つになってメッセージを出す、本当に良いときなので本当に考えを改めてみんなと一緒に協調して。
その代わり、それが出来れば本当に平和に友好関係はもちろんですよと言う事をきちっと伝えてやって頂けないものかな?と思いながら、願っております。

また質問を頂ければあれですが、今ちょっとこのような事しかいえませんが、めぐみは必ずどこかに他の人たちと一緒に匿われていてどこかに一生懸命頑張っているんじゃないかという事をいつも考えて頑張っています。
ありがとうございます。(拍手) 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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「耀徳(ヨドック)ストーリー」モデル、金英順さんのお話

金英順さんのお話

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みなさん今日はこちらに足を運んでいただいてありがとうございます。
今日ここで話を聴いていただく方々に感謝を申し上げます。
私は1937年生まれで今年で70才になります。
私は1970年に平壌の 平壌総合芸術大学舞踊学部 を卒業しまして有名な 崔承喜( チェ・ソンヒ?)先生からクラシックバレエを教えていただきました。

平壌でずっと良い暮らしをしていていたのに、ある日突然これまで聞いたことのない耀徳(ヨドック)収容所というところに行かされる運命となりまして、あんなに悲惨な暮らしが始まるなんて、夢にも思わなかったんです。

「耀徳(ヨドック)収容所の悲惨な状況を話そうとしたら何日間話してもきりがないです。
今日は短く何点か話させていただきます。

私は1970年八月に耀徳(ヨドック)収容所に収容されました。1978年11月に出所をいたしました。耀徳(ヨドック)収容所には日本人も何人かいらっしゃいました。有名な俳優・・・と言う方がいるんですけれども、彼の奥さんも日本人でした。その中(耀徳収容所)では日本人だけで構成された作業班があったんですけれども、第十作業班と言いました。

私の旦那さん(主人)は辛光洙に告発されて耀徳(ヨドック)収容所に入りました。
私が何故耀徳(ヨドック)収容所に収容されたかというと、私は金正日の奥さんであるソン・ヘリンと同級生であります。一家の内幕を良く知っていることが、罪となって耀徳(ヨドック)収容所に監禁されたのです。

その期間は8年間に及びました。その8年間の間に父母は栄養失調で亡くなり、一人しかいなかった息子は9才の時に学校から帰るときに川で溺れて死んでしまったんです。

耀徳(ヨドック)収容所の8年間の話は、「耀徳(ヨドック)ストーリー」の2時間では表現しきれない悲しい8年間だったんです。

それを鄭成山(チョン・ソンサン)監督さんが、私達の証言をもとに、また、監督さんのお父様が北朝鮮で亡くなった事への怒りを込めて本当に良い作品に仕上げたと思っております。
また、私も証言者として監督さんや俳優のみなさんに自分の知っている限りの証言をしてきました。

(私は)北朝鮮にいたときに舞踊家=ダンサーをしていたということで、今回の舞台の北朝鮮側の振り付けを担当しております。

これから、この作品(「耀徳(ヨドック)ストーリー」)を皆様が見てくださって、世界平和を願う皆様が、この作品を見て人類の幸せのために、北朝鮮の(収容所に収容されている)二十万の政治犯を助けるために、是非力を貸していただきたいのです。

その中で悲惨な暮らしをしている政治犯の人々、9才で入って19才で出た人もいます。私は34才で入って、8年過ぎて、42才で出ました。その8年間の話をしようとすると、涙が出て話が続けられないくらいです。

収容所を出るときは、この10本の指で指紋を押さされて出ました。二度と収容所の中には入らないことを誓いながら指紋を押さされたので、北朝鮮にいる間は何も話したいことを話せない状況でした。

私が8年間収容所にいたときに、お父さんとお母さんの死体は、棺桶も無しにただ風呂敷に包まれて、子供の死体も棺桶もないところにただ捨てられたというような感じでした。

それを思い出すたびに怒りがこみ上げて何を言えばいいかわからないくらいです。
そのような気持ちを「耀徳(ヨドック)ストーリー」という作品が代弁してくれまして、本当に感謝しております。

まだ若い鄭成山(チョン・ソンサン)監督さんが、この作品、「耀徳(ヨドック)ストーリー」を仕上げてくださって、金正日の罪を世界に知らせる、その発端の作品になるように願っております。

見てくださる人々も、早くこの金正日体制が倒れるように、みんなが力を合わせて、世界平和のために、苦しんでいる人々を助けてくださるように期待を込めております。

世界には貧しくてご飯を食べられない国がいっぱいありますが、それのほとんどは自然災害、地震とか言う理由ですが、唯一この北朝鮮だけは、独裁政治によって、国民が思うように食べられない国であります。

この国の体制は必ず絶滅させなければなりません。北朝鮮の国民を早く助けたいです。

(「耀徳(ヨドック)ストーリー」が)私達の講演とか政治的な確執より、芸術作品を通じて、金正日政権を狙う決定的な銃弾になって欲しいんです。

31年間国家保衛部から監督される長い生活だったんですけれども、2時間の「耀徳(ヨドック)ストーリー」をみながら、それでももっと・・前向きな気持ちで生きていこうと思っております。

北朝鮮では未だに罪ではない罪で、無法に死んでいく人がたくさんいます。日本の皆様、そしてアメリカ、ヨーロッパの中でも、北朝鮮の人権侵害に関心を持つ人々が力を合わせて早く金正日政権を倒して、北朝鮮の人々を助けてくださるように願っております。

話したいことは山のようにありますが、時間の都合で今日はこれくらいで終わろうと思います。しかし、、こんど東京にきて公演するときに、是非皆様にお会いして、その時にもっと色々なことをお話ししようと思っております。

「耀徳(ヨドック)ストーリー」はただのフィクションではなく、耀徳(ヨドック)収容所で悲惨な暮らしをしていた証言者の真実、事実に基づいて仕上げた素晴らしい作品です。

みなさまの心に響く作品になっていると思います。

最後にもう一度、素晴らしい作品に仕上げてくださった鄭成山(チョン・ソンサン)監督と、韓国で主演してくださる素晴らしい女優さん達に感謝の気持ちを述べます。みなさん、ありがとうございます。

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2006年8月 5日 (土)

「美しい国へ」から

安倍晋三(文芸新書)より

はじめに――――――
  「闘う政治家」「闘わない政治家」

私は政治家として14年目を迎える。この間、素晴らしい仲間にめぐり合ったし、尊敬する先輩の指導を受けることもできた。
政治家の中には、あまり政策に興味を抱かない人がいる一方、特定の政策については細部まで突き詰める人もいる。政局になると力を発揮する人もいるし、そうしたことには一切興味を示さない人たちもいる。かつて自民党に「官僚派」と「党人派」という区分けがあったが、現在は「政局派」と「政策派」という分け方ができるかもしれない。その意味では、若手議員のほとんどは、かつてと比べて政策中心にものを考える傾向が強くなっているのではないだろうか?

時代は変わったが、私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは、 「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。

 「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたの言うことは正しい」と同調するものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。

私が拉致問題について声をあげたとき、「右翼反動」というレッテルを貼られるのを恐れてか、運動に参加したのは、ほんの僅かな議員たちだけだった。事実、その後、私達はマスコミの中傷の渦のなかに身をおかざるをえなかった。「応援しているよ」という議員はたくさんいたが、いっしょに行動する議員は少なかった。「闘う政治家」の数が少ないのは、残念ながら、いつの時代も同じだ。

1939年、ヒトラーとの宥和を進めるチェンバレン首相に対し、野党を代表して質問に立ったアーサー・グリーンウッド議員は、首相の答弁にたじろぐことがあった。このとき、与党の保守党席から「アーサー、スピーク フォー イングランド(英国のために語れ)」と声が飛んだ。グリーンウッドは、その声に勇気づけられて、対独開戦を政府に迫る歴史的な名演説を行ったという。

初当選以来、わたしは、つねに「戦う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォー・ジャパン」という国民の声に耳を澄ますことなのである。

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「耀徳(ヨドック)ストーリー」について

鄭成山(チョン・ソンサン)氏 
◆人 鄭成山(チョン・ソンサン)さん(36才)

 ~~~北朝鮮の収容所を描くミュージカルを監督する脱北者~~~

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政治犯収容所の非人道性を告発するミュージカルの題は「耀徳(ヨドック)ストーリー」。
南北和解を目指す韓国政府関係者から内容の変更を求められたり、会場に内定した劇場に断られたりしたと韓国で報道され、15日のソウルでの開催前から話題になっている。

北朝鮮で栄光の頂点に立った女性舞踏家が、耀徳(ヨドック)収容所へ送られ、冷酷な収容所長との間で愛と葛藤の悲劇を展開する物語。「日本人拉致被害者」役も登場する。幼い頃隣に住んでいた日本出身の一家が収容所に送られた思い出をもとにしている。一家が歌った「北国の春」を劇中でも「日本人」が歌う。

朝鮮労働党幹部の家庭に生まれ、平壌演劇映画大学とモスクワで映画を学んだ。韓国のラジオを聞いたことを理由に沙里院の収容所に送られたのが、偶然の事故のため逃げ出すことができた。北朝鮮を脱出して95年、韓国に来た。

「シュリ」「JSA」など大ヒットした韓国映画の脚色を担当。映画制作を通じて南北朝鮮の若いに一役買おうと思った。だが、02年、「収容所で父親が公開処刑された」と聞かされ、「父に代わって北朝鮮の人権抑圧状況を伝えるのが自分の使命」と思い立った。

ミュージカルに出たくて集まった韓国の若い俳優たちが、練習を見に来る脱北者から体験談を聞き、北朝鮮の現状を学んでいる。「ここも南北対話の場」と自負する。

(2006年3月15日新聞記事より)

民族の傷に薬を

北朝鮮告発ミュージカル監督来日
北朝鮮で映画制作を学んで韓国に亡命した脱北者で、北朝鮮の政治犯収容所を告発するミュージカル「耀徳(ヨドック)ストーリー」を上演している鄭成山(チョン・ソンサン)監督(36)が脱北者支援団体の招きで来日した。3月のソウルでの初演以来、韓国で10万人が三田ミュージカルは、秋には米国でも上演される。5、6日には東京と大阪で北朝鮮の人権問題について講演会に出席し、「日本でもぜひ上演したい」と意欲を語る。

◆日本公演を目指す 

栄光の頂点に立った女性舞踏家が収容所に送られる過酷な運命の物語。
耀徳(ヨドック)収容所8年半収容された金英順(キム・ヨンスン)さん(69)ら脱北者から聞き取りした。「日本人拉致被害者」も登場。絶望して自殺を図り、帰れぬ故郷を懐かしんで「北国の春」を歌う。

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金英順(キム・ヨンスン)さん

公演を見た韓国の若い世代から「本当にこんな事が起きているんですか」と驚かれ、「韓国でも北朝鮮の真の姿が伝わっていない」と感じた。

「北朝鮮の人権抑圧は民族にとっての『傷』。傷を隠さずに広げて薬を塗り込むような公演にしたい」と意気込む。

ソウルでは8月11日から再演され、米国では9月、10月にワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルスで公演する。日本公演のめどは立っていないが、劇団四季に2年間所属し、日本語も話せる俳優、李朱蓮(イ・ジュヨン)さん(27)が主役を務める予定という。

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講演会は5日午後一時半から東京麹町の食糧会館、6日午後一時半から大阪中央区の府社会福祉会館で。

2006年8月5日(朝日新聞より)

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2006年8月 3日 (木)

東京連続集会20(3)

   『安明進さんの証言 その1(通訳:西岡力氏)』

0000872m まずお話申し上げる前に、私はちょっと日本の地理がまだ良く分かっていないので、(道に)迷ってしまって遅くなってしまった事を謝罪申し上げます。(笑い声と拍手)

今回の記者会見はですね。
韓国よりも日本で大々的に放映されました。
今回の記者会見を見てですね。
今回の会見は韓国人拉致被害を認めて韓国との関係改善を図ろうという会見ではなくて、日本を大変意識した会見だと思いました。

まず離散家族の再会の行事の中で金英男さんと家族の再会がなされたんですが、金英男さんは一般の離散家族とは別に特別に個室を二つ与えられて、そこで家族と面会をさせられたわけです。
その再会の場面を見てますとですね。
今の彼の所属はどこかもちろん分かりませんし、北朝鮮の赤十字の人間が何人かいたかもしれませんが、私の見覚えのある、昔私を教えた朝鮮労働党直属政治学校。
それが92年に金正日政治軍事大学と烽火大学に分かれたんですが、金正日政治軍事大学側にいた、私の事を叱った教官までもがそこにいました。

これを見ながらですね。
金正日は余りにも露骨だと。
私や先輩たち、政治軍事大学出身の者は韓国に何人もいるのに、その人間たちが見れば分かるにも拘らずその教官たちが堂々と出してくるんだなぁ、と。
それは韓国政府は自分達の味方だと安心しているからじゃないか?という考えも浮かびました。
そして金英男さんは統一事業で働いていると言ったんですが、韓国ではじゃあ統一事業って何なんだろう?と思う。
北朝鮮で言う統一事業というのは韓国を赤化統一する、金日成・金正日の独裁下で統一するという統一事業です。
確実に韓国を赤化統一する事が統一事業だと言う事は韓国の専門家たちはみんな知っている事です。
そして韓国で北の統一事業というのは赤化統一事業なんだという事を言える人たちは、実は今大きな声を出す事が出来ない状況にいます。

実は金英男氏については私はちょっと分かってなかったんですが、あの金英男さんは何回も政治軍事大学で私は会っていました。
しかし当時、北朝鮮の言葉遣いを完全にマスターしていたので、韓国からの拉致被害者だと思っていなかったんです。
教官ではなくて、教官を助ける補助員のような職員のような仕事をしていた。
崔正男(チェ・ジョンナム)と言う私の先輩の工作員の証言によって金英男さんが実は韓国人拉致被害者なんだと言う事が明らかになったんですが、それ以外にも何人かの先輩たちがいるんですが、先輩たちは今口をつぐんでいます。
多分その証言をした崔正男と言う先輩の工作員もただ高校生の時の写真を見ただけではなくて、北朝鮮にいるときに金英男さんと個人的に親しくなって韓国人拉致被害者だと分かって、そして韓国に入って捕まって証言したんじゃないかと私は思います。

実は金英男さんは我々学生に南のビデオを、つまりテレビ等のビデオを見せる技術者の役割をしていたんですが、当時我々は南のビデオを見るとですね。
性に関する描写があるとそこはカットされる。
あるいは南のニュースを見るときもですね。
南北関係に関する微妙な問題が出てくるとそこはカットされて次の場面が出てくる。
それを何でこれカットするんだ?と言って、担当者の金英男さんに学生たちが「もっと見せろ、何があるんだ」と言うとですね。
彼が「私は何があったか知りません、ただ命令どおり上に言われたとおりにやってるだけです」と答えた場面を生々しく記憶しています。

今回の金英男さんの記者会見はもちろん強制的にさせられたものだと私は信じていますけれども、強制的にさせられたにしても彼は嘘をついたと言う事で、彼なりの少しは責任があると言う事で、もしかして私がこれから言った事が向こうに知れたら彼は処分をされるかもしれませんけど、いくつかエピソードを紹介したいと思います。

ビデオの授業が終わって休み時間になったらですね。
実は「休み時間にしないで、もっと面白いビデオを見せてくれ」と言うと彼は教材では無い、面白い場面の入ったビデオを見せてくれる。
それから授業が終わった後ですね。
何かを覚えなくちゃいけないと何回も同じ場面を見せられるわけですけどそれはつまらないので、担当の教官に、実は今は地下の以南化環境館という韓国人化教育の施設の中の・・・(聞き取れず)ですけど、その時には韓国のお金を貰って買い物とかをするわけですね。

担当の教官に韓国のお金を渡すとちょっと自由にして貰えると。
教官たちが何かそれで買うみたいなんです。
で、教官たちをどこかにやって、そして面白いビデオを見ていた。
その時に金英男さんは実は我々を助けてくれた。

実は今回何枚か写真が出てきたんですがその中の一枚、ヘギョンさんを抱いて写っている。
白頭山で金日成が生まれたと言うのは嘘ですけど。
そこの前で撮った写真で金英男さんが着ている服は、あれは私は大変見覚えのある服なんです。
あれは韓国製の作業服ですけれども、中で作業をしている教官たちやその助手たち、金英男さんもあれを着ていたと、以南化環境館の中で。
だから見覚えのあるもので、韓国製だから北朝鮮のものに比べて良い物だから、これは自分でも良い物を着ていると自慢をするためにソウルでも着ていたのかなぁと感じる。

それからですね。
子供を抱いている金英男さんの写真の中で背広を着ている写真を見ると、実は以南化環境館の中に背広屋があってそこで売ってた既製服です。
ポケットが(背広の)横(=脇)に入っている(=付いている)と言う意味ですね?
そういう昔韓国で作られた既製服です。
写真の中で妙高山だとか白頭山だとか平壌市内の写真は外部の人間が多いですし、もしかしたら韓国代表団などと偶然に行き当たるかもしれないのでサングラスをかける。
彼らは自由に外に出ることなど出来ないのです。
たまに外に出る事が出来たときに記念写真を撮っただけだと思います。

今回の記者会見を見てですね。
この記者会見の前に何日間かあるいは何ヶ月間か練習をさせられて、それで原稿をすらすら彼は読めるようになって出て来たんだなと思いました。
今回お母さんに上げた写真の中に、息子が後ろにいて傍に座って息子と遊んでいる写真、それから家族が熱帯系の植物がいるところで写している写真、それからヘギョン(さん)がやっぱり熱帯系の植物の前で撮った写真。
そこの所に写っている植物と言うのは一般的な北朝鮮の人間が接触できるような植物ではなくて、招待所の中でしか見ることの出来ないような植物の前で撮られた写真です。
今年の夏に、ですから自分のお母さんに会う直前に撮って渡したと思われる写真です。

その様な植物と言うのは政治軍事大学などには無い物で、自分達がいたところよりもっと良いところの環境の招待所に入れられていたんだなぁと。
家族ごと。
そこで家族ごと再会の為の練習をさせられていたんだなぁと思ったんです。
そして今回ですね。
拉致と言わないで漂流して助けられたんだと言ったと、それは三号庁舎の人間でもいくらなんでもこんな嘘が通用するとは思っていません。
しかしそれでも我々の口から拉致と言う事は出来ないと考えて、こういう事を言い出したんじゃないか。

・・・証言その2へ

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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東京連続集会20(4)

   『安明進さんの証言 その2(通訳:西岡力氏)』

拉致だと言えばじゃあ悪い事をしたと謝らなくてはならない。
責任が付いてくる。
だから絶対に拉致だと言えないわけです。

今回の記者会見で金英男さんの顔だとか動作を見てですね。
私はつまりビデオの授業で金英男さんと何回も会ったわけです。
数えてみたら何百回も会ってるんです。
その金英男さんと比べてみてですね。
私の覚えていない金英男さんの姿です。

まずですね。
私の全然見たことの無い、口が渇いて、そして何かマイクにも乾いたような音がしていた。
そしてもうひとつは話した後で息を吐く。
ハァ~と。
これは私の感じですけど、「なんでこんな嘘まで俺、言わせなくちゃいけないのか?」という彼の思いがこもっているような息のように思えました。
心の中で「ちくしょ~」と言う感じです。
そういうふうに「この野郎」とか思って喋っている、喋らされていると、そういう印象を受けたと。

それから最後に原稿をしまって誰かに渡そうとして、こうやってお母さんのところに言って向こうに渡しましたけど、あれも自分の本心では無い、原稿を読まされているんだと言う事を何とか示したいと思って彼が意図的にやった行動ではないか?と。
不自然で、ああいうふうには普通しないわけですけど、というふうに私には見えました。
原稿を自分がしまって誰かに渡すと言うのは、台本にあったと思いません。
台本どおりにやったとすれば、北朝鮮がこれはおかしいと思われるからと言って止めさせます。
だから台本には無かった動作だと思います。

ここにいらっしゃる皆さんは「まさか北朝鮮がそこまでやるか?と」思われるかも知れませんけど、北朝鮮は例えば銃を後ろで突きつけてやらせると思っても良いわけです。
会見が終わって隣の部屋に行って、そのまま刑務所や収容所に入れられてしまうと言う事が十分あるんです。
彼らは絶対に本当のこと、心の中を言うことは出来ないんです。

正確には覚えていないんですが、めぐみさんについて金英男さんが言った言葉でですね。
「死にました」とか「自殺しました」とかではなくて、「自殺したことになりました」とかという「・・・事になりました」という単語が語尾に入っている。
本当にめぐみさんが死んだところに彼が立ち会っていたとすればですね。
ああいう中にいたら自分が頼れるのは妻しかいないわけです。
幼い娘が残ってしまって、それを育てなければいけない。
大変な衝撃だったわけです。
それを死亡年度を覚えていないなんて事は有り得ない訳です。
93年だったけど間違えたなんて有り得ない訳です。

まためぐみさんの骨をまず土葬していて、その遺体を掘り出して火葬したと言う事もですね。
北朝鮮では全く不自然で、無い習慣です。
昔北朝鮮ではですね。
党の幹部たちが、自分の両親の遺体を掘り起こして火葬して故郷にもう一度移送するという事はありましたけども、めぐみさんの故郷に移送できるわけも無いし、金英男さんも故郷が無いわけです。
そんな人が掘り起こして移送する為に火葬するなんて、有り得ないんです。
全く不自然です。

そしてまた故郷も無いような金英男さんが元の妻の骨を掘り起こして火葬するなんて事を、三号庁舎が許すはずも無いんです。
火葬場として行った所も、大変豪華な招待所だと。
あんなところを何で火葬場と言うのか?と、日本人を馬鹿にしているのか?と。

北の精神病院というのはあんな所ではないと。
逃げられないようにですね。
鉄条網が引いて鉄格子が付いていてというところが精神病院で、あれは綺麗な・・・(聞き取れず)だと思います。
そこに日本を納得させる為に患者たちを綺麗な服を着せて準備しておいておいたと。
北朝鮮に中々行けないからと日本のマスコミたちも行って、北朝鮮がセッティングして「写せ」と言った所をそのまま写して帰ってきたと、言うふうに思いました。
本当に見ていられなかったわけです。
何故北朝鮮がセッティングした所を、ただそのまま素直に何も文句を言わないで写して来たのか?と。

北朝鮮は何とかしてめぐみさんが死んだという事を日本と横田さんの両親に説得しようとしているのですから。
今度はまた崔桂月さんたちを8月と9月に招待すると言ってるわけですから、そこでまた何かショーをするかも知れません。
日本の皆さんも日本のマスコミの皆さんも、このままそのショーを受け入れてはならないと思います。

(ここで横田さん夫妻が会場に入場・登壇、会場より大きな拍手)

実は今回金英男さんと言う韓国人被害者、それも以南化環境館という工作員教育に使っていた韓国人被害者を出してきたと。
その被害者に教わった工作員出身者が私をはじめ何人も韓国にいるのに出してきたと言うのは、大変日本を意識している事だと思っています。

そして韓国政府もですね。
それに対して抗議をするどころか逆に拉致の責任も追及しないで、ただ人道的な再会とだけ言ってですね。
統一部の長官が、ただ北に米をやるとか言って再会だけをセッティングして、そこまでしてめぐみさんの死を日本に納得させようとしているのか?と。
韓国政府に対しても大変な怒りとそして背信感を感じました。

韓国政府の中の専門家・実務者で、金英男さんが拉致であるという事に付いてきちんと説明が出来る人を一度も出さなくて、韓国政府の立場を表明せずに彼の会見をそのまま受け入れたと言う事を、これは許せないと思いました。
そしてその再会の場面にはですね。
私の教官たちが何人もいたわけですけども、赤十字の人間じゃない人が指揮をしているいる事は韓国政府も分かっていたはずなのに、何故そのまま放置していたのか?

そして私はここではっきり申し上げたいんですが、今後はですね。
めぐみさんが死亡したと言う一方的な主張を北朝鮮だけが言うんじゃなくて、韓国の一部の間違った考えを持っているこういう政府高官たちも含めて、そういうふうな嘘を日本に言って来るんじゃないか?と思います。

基本的な事から申し上げたいんですが、60年前の朝鮮戦争のときに亡くなったアメリカの兵士の骨も北朝鮮は今掘り起こして送っているのに、特別管理の対象であっためぐみさんが死んでいるんであれば、何故その骨を日本に送る事が出来ないのか?と。
送ってしまえば彼らは金を貰う事が出来るわけです。
なせそれが出来ないのか?という事です。

ですから北朝鮮は今ですね。
子供でも信じる事が出来ないような嘘をついているわけですけども、絶対にその様な嘘に皆様日本人は騙されてはならないという事をもう一度、喚起したいと思います。

カムサハムニダ。(拍手)


このテキストは話しの花束ぴろんさんの労作です。

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2006年8月 2日 (水)

拉致問題映画制作に協力を!

・ 狭山の黒い雨  1973
・ 矢田教育差別事件  1976
・ 斬殺せよ 切なきもの、それは愛 

上記の作品などを手がけた映画監督の須藤久さんが、拉致問題を取り扱った映画の制作を目指しています。

ダイヤルQ2「映画3分間コラム」0990-535-535にアクセスすることで、映画制作にカンパすることができます。

<font color=blue>≪PR≫
新浪漫派映画監督須藤久が、時代を揺るがす映画をめざして、拉致問題をテーマとする映画製作を決意!その資金調達のため、上記ダイヤルQ2を開設しました。ご協力のほどを!詳しくは、ホームページまで!</font>
ホームページ
http://members2.jcom.home.ne.jp/kouzanji/

<u><b>参考資料</b></u>

[調査会NEWS 377](18.6.9)

■(参考情報)映画製作ダイヤルQ2

 下関市在住の映画監督、須藤久氏が現在拉致問題をテーマとした映画の製作準備をしています。須藤氏には部落問題をテーマにした「狭山の黒い雨」や2・26 事件をテーマにした「惨殺せよ」などの社会派作品がありますが、今回、ご自分の出来ることで拉致問題解決に協力できればということで、取り組まれることになりました。

 ただ、資金的には前売券方式が難しいため、須藤監督自身が語る映画評のダイヤルQ2を設け、そこから得られる情報料を資金とされています。1回約3分で、情報料は約300円(それ以外に通話料が必要)です。番号は下記の通り

0990-535-535(携帯・PHS・公衆電話不可)

 NTT側の意向でタイトル等に拉致のことは一切入れられませんでしたが、解説の中では拉致問題にも触れています。ちなみに現在流れているのは韓国映画「ブラザーフッド」の解説です。単に映画評として聞いても興味深い内容なので、ご関心のある方は一度お聞きください。

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