大阪集会(12) 有本嘉代子さんのお
『有本嘉代子さんのお話』
皆さんこんにちは。
本当に家族会が出来ていろいろあって、本当にここまで来れたということをしみじみと感じています。
だから私たちにとっては一番良い状態だと思っております。
安倍先生が総理になられて、私たちの事はきっと感じてしてくださると信じております。
その一番最初に主人が申し上げたように、1988年に子供から手紙が来たことによって運動が始まりました。
それで9年間は一応私たち二人、殆ど主人が動きましたけど、どっこも相手にしてくれませんでした。
だけど先ほど西村先生が仰ったように、国会の場で横田めぐみさんの事を明らかにしてくださって、家族会を立ち上げる事が出来ました。
それまでもマスコミの方で朝日放送の方お一人、この拉致問題をどっこも手掛けてない時にお一人でコツコツとしてらした方があるんです。
それで私の事を分かった時点で連絡してくださったんですね。
「あなたとこ一軒じゃないんですよ、この拉致と言うのは他にもあるんです」って、今皆さんと一緒に運動しました。
福井の二人と柏崎の二人と、それから今来ていらっしゃいます増元さんのお二人と、一軒ずつ名前と電話番号を言ってくださったんです。
その時点で私が関係のお宅に全部電話を入れました。
「こういう事で私は動いておるんですけれども、皆さんもご一緒に動いて頂けませんか?」と「皆でしたら力が付きますから」ということを申し上げたんですけども「お宅は手紙が来ているから証拠があります。でも私どもはただそうじゃないかな?ということであって警察もどこも取り上げてくれない。これでは動けないので多分駄目だと思いますよ」と皆さん仰いました。
でも西村先生が国会などで言ってくださってめぐみさんの事が表に出ました。
その時に奥さんが初めて会った時に仰いました。
早紀江さんがその時に本当に私もね。
18年か確か19年になってたと思うんですけど、「めぐみさんがいなくなってこの厳しい北朝鮮でめぐみが元気に生きておったならば、私が表に出る事でもしもめぐみに何かあったならばどうしようかと思ったんよ。でも主人がね。表に出ないと解決しないと言ったもんだから、出て来たのよ」と言う事を仰いました。
私もはっきり覚えております。
それで初めて家族会が結成できたんです。
そうしましたらね。
皆さんが会ってくださいます。
今までは全然会ってくださらなかった方が、会って話を聞いてくださいます。
それで2002年に9月にああいう事があって、大勢の方が帰って来られました。
それで5月に全国大会が、今西村先生が仰った有楽町フォーラムでありました。
その時に本当に5000人それしか入らないところに、たくさんの方が来て下さったんですね。
表にまだまだたくさんいらっしゃるんですよ、と言う事をお聞きしました。
それで私どもはここに今のようにずっと並んでおりました。
緞帳がばっと上がったんですね。
そのときにばっと見ましたらね。
ぎっしりだったんです。
それを見ましてね。
感激で涙が一杯に胸が一杯になりました。
本当にやはり日本人は素晴らしい、これだけの方がここに来てくださったと言う事でやはり日本人は素晴らしいとその時つくづく思いました。
私はいつも子供の時分からそういう教育を受けておりますから、日本人に生まれて良かった日本人に生まれて良かったと思って暮らして来ております(拍手)
この事によって本当に日本の皆様が目を覚ましてくださったと、その時思いました。
それで今現在に至っております。
それでいろいろと、特定失踪者の方も来られましたけれどもね。
私も1988年に分かりまして、それから家族会を結成したのが1997年です。
その時にね。
私どもも一緒に運動しましたけれどもね。
全然私とこは家族会に入っておりましたけども、国が認定をしておりませんでした。
初めて認定されましたのは2002年の3月12日に八尾(恵)さんが、皆さんご存知と思いますけども、よど号ハイジャック犯の奥さんがヨーロッパへ出て何人かの人を連れて入ってるんですね。
よど号の人は20人連れて入ったと言っておりますけども、今のところ分かっているのは3人ですけども、その時に、とにかく3月12日に八尾さんが証言する言われてその前日です。
初めて国が拉致被害者であると認定してくださったんです。
だから拉致家族の認定はどこからくるのか、私には分からないんです。
手紙が参りましたときにですね。
最初に外務省に行きました時にですね。
「これは北朝鮮から来ていませんから」言われましたですね。
ポーランドの消印だったんです。
北朝鮮から手紙は出せないんです。
だからそういう事で、結局はっきり言うたら相手にしてくださらなかったんですね。
そういうような状態ですからきっと近い将来に、特定失踪者の方もきっと国は認めると思います。
何が基準かいまだに分かりませんけれども、そういうような状態でしたけども、国が認めなくても私は手紙が来ているし、その手紙と言うものは小さく折って切手くらいに折ってあったらしいです。
それを多分身に付けていたんだろうと思いますね。
それをある機会にポーランドの人に渡したのかな?と思ってるんですけども、私がその手紙が来ました時に主人と二人はそう思ったんです。
助けてくださいと言う手紙が、ここにおる事は絶対に知らせなあかんと、もしもの事があったら、こんな所で死んでしまったらどこで死んだか分からないから、とりあえずここにいると言うことだけは知らせなあかんと言う事と、やはり助けられたら助けてくださいと言う事でやったと思います。
その思いで、私たちは動いてきました。
だからこの20日には総理が決まると聞いております。
一番待望の安倍先生が総理になってくださると、私たちは期待しております。(拍手)
その事によって私たちはきっと解決すると望みを持っております。
だから特定失踪者の方も皆含めて全員の方を返しなさいと言う事はきっと・・・(聞き取れず)と思います。(拍手)
皆様方が支援してくださらないと、私たち今まで来れなかったんです。
今本当に並んでいらっしゃる先生方、それから救う会の方々が支援してくださったことによって、私たちも元気で今まで動いてこられたんです。
皆様のお陰でこういう状態になったんですから、どうか皆様、最後まで私たちを支援してください。
宜しくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)
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