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2006年9月17日 (日)

四年目の9.17~上野署名活動

新聞各紙、テレビなどでも、やはり9.17は節目として取りあげられていますね。
 参照記事:【闘い続く 9・17から4年】DNA鑑定 北の“決定打”封じ込める
 先日のNHKクローズアップ現代も、四年目の節目を機に作られたものでした。
 もちろん、救出運動はその前から行われていたのであり、初期からの参加者や運動体では、9.17はそれほど重要視されないのかもしれません。その後の<12.24>(細田官房長官が北朝鮮への制裁を発言した日)を、一つの節目と考えてきた人たちもいます。
 
   しかし、世論全体に強いインパクトを与えたのは、やはり<9.17>です。
 
  あのとき、もたらされた「5人生存・8人死亡」というニュースとその後の記者会見がどれだけ日本全国に拉致への認識と関心を生み出したかを思えば、やはり節目の日なのだと思います。
 
  四年目の9.17、上野では、継続している署名活動が行われました。
 救う会全国とは別の活動ですが、定着して活動しています。立川の署名活動と共に、東京でたった2つの署名活動のひとつです。
 
  懐かしい画家さんが、進んできてくださって、「ひさしぶりだね!」と声をかけてくださいます。色紙を書いてくださった書家の方も健在です。
 
 ここ上野の署名活動は、こういった人々の無言の理解と支援に支えられています。
 
  マイクのない署名活動、メガホンと肉声で「四年目の9月17日」を訴えます。
 近頃の署名活動の中では、反応が良いのは、やはり、9.17のせいでしょうか?
 
  一人二人と署名台の前に進んでくださいます。4~5人のグループのご婦人が全員で署名してくださいました。「頑張ってください」という一言がほんとうに有り難く、勇気を与えてくれます。
 
  「四年たって、まだ帰ってこれない被害者のために、あなたの取り戻したいというお気持ちを、署名という形で現してください。9.17のこの日に、取り戻す願いを署名として記録しましょう」
 
  訴える声に、行き過ぎた人が、親子連れで署名台に戻ってきてくれます。お母さんと一緒の三人兄弟は、8才と6才の女の子、そしてその下の男の子。
 
  「あなたの分、お母さんの分、これはお父さんの分ね、めぐみさんは、急に大好きなお母さんの側から、怖い国に連れて行かれたの。早く会えるように、このリボンをつけるのよ」と会話を交わし、こっくりうなずいてくれる純真な目がまぶしく見えます。手を振って後ろを見ながら歩いていく女の子の姿に、写真展のめぐみさんの幼い笑顔を連想もします。
 
  今日は、少し多くの署名が集まったように思います。あいにくの小雨模様の中ですが、暖かい署名活動でした。
 
  ただ、願うのは、もう一人二人、ボランティアが増えてくれたら、どんなに他の人が助かるだろうということです。
 
 
 
 
 
  救う会全国に加盟していない団体の活動も全国に広がってきました。ここ上野もそのひとつ。ボランティアは、ただ被害者を救いたいだけ。所属がどうのこうのは、横に置きます。
 
  茨城は独自の活動の道を選びましたね。それも選択の一つ。今までの積み重ね、水戸駅前の署名活動はきっと変わらず続けられることでしょう。
 
  新潟の小島さんも、独自の活動を続けています。全国加盟団体ではなくても、昨日の群馬の集会のように、有志で集会を開く方もいます。特定失踪者のために、奔走する人たちもいます。
 
  4年目の9.17に思いを新たにし、そのすべてが総合力になって拉致解決につながるよう、祈ります。
 

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