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2006年11月23日 (木)

古川了子さん第8回行政訴訟報告会(3)

   『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の挨拶』

★川人弁護士

どうもありがとうございました。
ご質問は後で若干時間を取ります。
竹下さんの方から、今日法廷で出ました尋ね人のこれは朝日新聞のコピーで、ちょっと報道の方へ。

★真鍋貞樹氏

お持ちで無い方いますか?(証拠として提出された尋ね人の新聞コピーを配る)

★川人弁護士

竹下さんの方から、裁判所で証言した感想を含めて。
今配ってもらっているのを含めて、初めに当時の状況などをお話していただいて、証言の感想など。

★竹下珠路さん(古川了子さんの姉)

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母が、古川了子が1973年の7月7日にいなくなってから、その年の秋に11月の4日だったと思いますけど、テレビ番組の蒸発と言う・・・・・・・・(聞き取れず)ました。
そしてその時に当時の番組担当だったテレビ局の方が分かりまして、・・・・(聞き取れず)に伺ったときにはだいたい画面に流れれば何か情報が来るものだけど、古川さんの場合は何も無いので特に際立った出演者でしたという事を覚えていてくださいました。

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それからこれはこういうふうに黄色くなってしまった新聞なんですけども、1986年5月1日、朝日新聞の尋ね人欄です。
当時母はずっと別の新聞を母の家では読んでいたんですけど、私とか姉の家では何人か朝日新聞を取っていたので、東京におります姉が勧めて、朝日新聞に尋ね人欄というのがあるから出してみたらどうか?と母に言って、母が一番了子らしいという写真を添えてここに載せたという事を当時も聞いております。
そしてこの写真が安明進さんにお渡しした最初の写真のはずなんです。
了子の最初の写真で私たち家族も、今ですから手元にございませんが、ニコニコ笑っている写真で一番私たちも妹らしいなと思う写真でした。

そしてこの写真と、恥ずかしいんですけど私が自分で忘れてしまうものですからこんなノートを、何冊目かになっているんですが、信友さんからご連絡を頂いたときの事を書いている。
信友さんから電話を頂いて、私は初めて母が手紙を差し上げた事・写真を送った事を初めて知ったんです。
同じ家に住んでおりましたけど、その事を母は何も言わなかったもんですから。
そして10月に信友さんから電話を頂いて、信友さんがすぐ家に来て安さんにお目にかかったときの話をして頂いて、それからようやく私は安さんから北朝鮮であったというお話をしていただいたんですけども。

もしかしたら1枚だけでは分からないし、それからすぐに市原警察署と言う最寄の警察署なんですが行ったときに「その頃では(拉致は)無いですよ」と。
「横田さんたちは昭和53年とかでちょっと早すぎるし、東京湾の方では千葉の方では(拉致は)無いですよ」という事だったのですが、もう一度次の写真と安さんにお目にかかれたらどこでも行きますからと、信友さんにその時お願いしてお別れしました。

そしてその次の年の3月の末に安さんの本が出版されまして、すぐに買って読んで信友さんから来た話と全く同じ事が安さんの著書に書かれていた事を確認しました。

そんな話を今日は二瓶弁護士の方からいなくなった時の当時から、二瓶弁護士が私が答えやすいように答えやすいようにと質問をしていただきまして。
実は珍しく私も緊張してまして、夕べは余り眠れなくて緊張していたんですが、終った途端に閉廷した途端にどっと汗が出て来まして、・・・・・・・・・・・・(聞き取れず)してましたけど。

安さんの今日の証言と私の証言と、それから先だっての荒木さんの証言とで、古川了子が拉致以外には考えられない事が裁判所の方にも分かっていただけたのでは無いかな?と思っております。
安さんにもお忙しいお体のところを裁判のために駆けつけてくださったり、皆様にも駆けつけていただいて本当にありがとうございました。   

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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