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2006年11月15日 (水)

那珂市集会(3) 飯塚繁雄氏-1

   北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『飯塚繁雄 家族会副代表の講演 その1』

那珂市の皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
日頃からこの拉致問題につきまして、深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。

先ほど荒木先生の方からもお話があったように、この問題の一番力になるパワーと言うのは国民の皆さんの世論です。
それだと私も信じております。
当時、1997年に家族会が結成されて、そのときはまだ私は入っていなかったんですけども、いろいろ皆さんに訴えるべく署名活動なりあるいは議員会館なり国会の前なり、訴える機会はかなりあったんですけど、その頃は本当に冷たい白い眼で見られていまして、「なんだあいつらは?」と言うような感じでしたね。
もちろん国会議員の先生もあるいは・・・(聞き取れず)方もそういう感じでいたという事を聞いています。

それが、失った家族を思う残された家族の大きな力と言うか地道な努力によって、更にそれを助けるべく全国のボランティアの方々のおかげでようやくここまで来たという感じでございます。
ましてこの所、今年になってからですね。
特に安倍官房長官になってから、この問題を絶対に風化させてはいけないという強い意思の下に素早い対応を出して来ておりました。
そういう事では私も今までにない絶好のチャンスだというふうに私も感じていますけども、私たち被害者家族だけでは何も出来ません。
北との交渉・対応は政府が進めるしかないわけですから、私たちは政府にもお願いし、あるいは先ほど言ったようにパワーをより強くするために全国に飛び回り、皆さんにこの問題を解決するをご興味を頂きにお願いに参って来ております。

私も埼玉県の上尾と言うところに住んでいるんですけど、茨城はもう4回目でしたかね。
皆さんに訴え続けております。
最近特に横田めぐみさんの話題がほとんどを占めている状況の中で、まだまだ同じような目に遭った被害者の方がおります。
そういう中ご存知の通りですけど、私の妹・田口八重子をはじめとして、まだまだ認定者とそれ以外の特定失踪者の方がたくさんいるはずです。
そういう意味ではもっともっといろんな家族の人の話を聞いていただき、更なるご支援をいただきたいというふうに思うわけですけど。

ちょこっと若干、私の妹の話をしますと田口八重子、まぁ訳あって母子家庭を営んでおりまして、1歳の男の子と2歳半の女の子が当時いたんですけども、22歳のときに東京の池袋から失踪をしたわけです。
先ほど話がありましたように拉致被害者と言うのは何も海辺の海岸だけでは無い。
東京のど真ん中からでもそうやってさらわれてしまう。
これはですね、やはり北朝鮮が何かの工作・何かの企画をするためにそれを決行するために、足らないものは物だけでなく人をも連れて来い、言う工作だと思うんですけども。

例えば後でお話が出てくると思いますけども、私の妹につきましては、例の大韓航空機の爆破事件の金賢姫。
これを日本人化して日本人にして、日本の責任であの事件が起こったんだと言うふうな企みであったようですね。
それからこれも荒木先生の方からまとめております拉致被害者の人のマッピングと言いますか、どういう人たちが連れて行かれているか?と言う話の中で、私が今言ったような大韓航空機の事件の攻撃のために連れて行くと。
私の妹は結婚の経験もあり子供を生んだ経験もあり、あるいは女の人としてのファッションなり情報なり嗜好品なりなんかの全てそういった条件の持ち主だったという事が、たまたま白羽の矢を立てられたという事なんですけども。
その他、いわゆる偽ドル偽札つくりの印刷工、あるいはそれに関係する機械工、それから看護婦さんとかそれから銀行マン、それからIT技術に関する技能を持った人たち。
こういった人に狙いをつけて拉致して行ったというのがある程度分かっております。
そういう中で私の妹については、それこそ人口1億2千万分の1として白羽の矢が立ってしまったんですけども。

当時私たちは妹が失踪したときになんでいなくなったのか?と言うのが、全く分かりませんでした。
2~3日経てば帰ってくるだろうという事で、高をくくっていたわけですけども、何せ1歳と2歳の子供ですから放っておくわけにも行かない。
当時ベビーホテルと言うのに預けてあったんですが、そこへも置く訳にはいかないという事で我々きょうだいで子供を引き取ったわけですけども。
1週間経てば帰ってくるだろう、あるいは1ヶ月経てば帰ってくるだろうというような気持ちでいたんですけども、全然その情報がない。
例えば交通事故でしたらすぐ情報が入るでしょうし、何か犯罪に巻き込まれたとしてもそんなに時間がかからないうちにハッキリするでしょうし。

という事で情報も何もない中で、とりあえず子供だけは面倒を見て育てていかなければいけないという事で、当然常識でいってもまず子供だということで家族で話し合って、私が長男の耕一郎、私の2番目の妹が姉の、本名はあえて言えないんですけども、それを引き取ってずっと育ててきた。
育てるのはこれは並大抵のことでは無いんですけども、私も子供3人おりましたしもう一人来て4人と言う中で生活があの頃苦しいあの中で、女房もパートを辞めてまた子育てと言う中で何とか過ごして来たんですけども。

耕一郎については絶対にこの事は内緒だよという事を貫き通して来ました。
これは赤ちゃんのときは分かりませんけど、物心つくについて自分が養子だとか、後でわかったんですけども恐れ多くも北朝鮮に拉致されてしまったと、そういう物凄い大きなショックにさらされたらどうなるだろう?と言う私の心配がありまして、私の子供たちにもこの事は耕一郎が20歳になるまでは絶対に内緒にしておくんだと、しゃべってはならないぞと言ったんですね。
ただ子供たちは、たった一言「分かった」と言うだけで、それが20年も約束を守ってくれた。
これが一つの私もホッとした面ですけども、そういう事で無我夢中で育てて来ましたね。

これが妹の行方についてハッキリと分かったのは、先ほどからお話に出ているように大韓航空機の犯人の金賢姫が自殺に失敗して生き残ったという事で、自白・自供をしてくれたわけですね。
証言してくれたわけです。
言ってみれば、金賢姫が死んでしまったら未だに私の妹はどこいいるか分からない、いう事になるわけですけども。
それにしても物凄い事件に巻き込まれているんだなぁと実感がひしひしと迫ってまいりまして、当初はそんな大それた事になるはずがないとか、あるいはそういった事にはなりたくないとか、そういう気分的に拒否をしましたけども。
警察の調査、先に言いましたけど金賢姫の証言によってこれが徐々にハッキリして行った訳ですね。

金賢姫の先生は日本人女性で、リ・ウネと言う女性でした。
20ヶ月の間、一緒に過ごして来たという事ですべて彼女の事を知っていましてね。
それを彼女の出版した「忘れられない女(ひと)」という単行本に出てますけども、その中の概要については過去の調査と全く違わない。
その通りだという話を頂いてます。

捜査の段階で90年から91年ごろなんですけども、日本の警察あるいは政府が本人と面会していろんな調査をしたわけですが、日本人女性と言うだけで誰か分からない。
10枚の写真を持って行きましてですね。
金賢姫の前に並べて、「この中におりますか?」と言ったら、懐かしそうな顔をして「この人です」とハッキリと指差したのがうちの妹だった。

そのときは名前は実はさっき言ったようにリ・ウネと通していたので、これは工作用の専門的な名前なんですね。
ですから誰も知らない。
工作関係に携わった人でなければ誰も分からない名前でして、しかしながら金正日は「リ・ウネなんがいない、だけど田口八重子は拉致をした」というふうに言ってるんですよね。
全くこれが切り離された関係を維持していくためにそう言っているんでしょうけども、だったらなぜ田口八重子を拉致したんだ?という事にもなるんですけど、後の真相究明で多分分かると思う。

そういう中で私たちは更にびっくりしまして、そんな大それた事件に巻き込まれてこれからどうしよう?と慌てふためいたわけですけども、その発表があってから公開しましてからマスコミの皆さんも騒ぎ立てまして、もちろん私の家あるいはきょうだいの家にすべて夜討ち朝駆けで取材に参りましてですね。
いわゆる大韓航空機の犯人と言うそういう見方で記事を書いていたようです。
要するに興味本位ですね。

私が言うのは、私たちの妹はこんな大それた事をするような人ではないし被害者なんですから、という事をしきりに訴えてはいたんですが、やはり記事の内容を見ると大韓航空機を爆破した犯人の一味と言うようなイメージで書かれている。
非常にそれに苦しみまして、これとの戦いもあったわけです。
しかも、先ほど言いました耕一郎に分かっては困るということで、相当苦労はしましたですね。
その当時私のお袋も、要するに八重子の母親も生きていたわけですけども、それから2~3年経って「八重子がまだ帰ってこない、いつ帰って来るんだ?」というふうに、細々と言いながら亡くなってしまったと言う経過もありますけども。
これはある程度寿命だから仕方がないなと思う反面、自分が腹を痛めた子がまさか北朝鮮にいて苦しい思いに遭っているとは私は言いませんでしたが、特に。
「その内帰ってくるよ」と言う慰めの中で逝ってしまったんですが。

そういう状況の中で私たちは非常に苦しみながら時を待っているわけなんですけども、結局どう助けていいか?
私たちには出来ないんですね。
警察に届けたんですが、住所が池袋ですから豊島警察署に届けたんですが、届け人の所轄の警察署に行ってくれという事で上尾警察に行きまして「実はこういうことで私の妹が行方不明です」と出したんですけど、「はい、分かりました]]ってそれで終わりなんですね。
決して積極的には調べてくれない。
逆に、1年経ち2年経ち、1年ごとに「何か情報はありませんか?」と警察の方から聞きに来るんですね。
これじゃとてもじゃないけど分からないなという事では、半分諦めの状況でもあったんですけど。

何しろ倅の耕一郎に対しては非常にかわいそうな子だと思いながらも、絶対にこれを内緒にすると言う徹底した私たち家族の思いで、やっと29歳になったんですけども。
言ってみれば29年も帰って来ていないんですね、子供の元へ。
だからそういう事を考えると、ちょうど本人は人生の一番大事な22から今帰ってくれば50です。
この人生の大事な部分を北に束縛されてしまっていると。
未だに帰って来ない。
これは取り返しがつかないことなんですけども、今となっては早く取り返してそれを何とかかんとかして挽回させて上げたいなと、言うふうに思うわけですけども。
中々それも遅々として進まないと言うのが状況でございます。

向こうにいるときにですね。
帰って来た(地村)富貴恵さんとかですね。
あるいは蓮池さんなんかにも聞きますけども、田口八重子さんは一生懸命頑張っている。
何を頑張っているのか?と言うと、北朝鮮の指導部があるいは指導員が言う事に対して、いわゆる優等生になろうと。
少しでも信頼される者になろうと言うところで頑張っていると言うんですね。
そうすればいつか帰って来られる。

招待所にいる賄いのおばさん兼監視員の人が言うには、「私は日本人でここに連れて来られた人を何人も見ている。その中でワイワイ騒いだり金正日の悪い事を言ったり非難したりする人は山に行ってしまう」
山って言うのはね。
多分収容所と言う意味だと思うんですけども、「だからあなたは苦しいけれども今ここに来たらすぐに帰れない。だから頑張りなさい」という事を言われて富貴恵さんと一緒に頑張ったらしいですね。
だから邪険にもされない粗末にもされないという事につながるんでしょうけども、そういった事を思うにつけ本当にかわいそうだなと、全くこれは悲劇だなと言うふうに思うんですけどね。

いわゆるこの状況は86年の7月まで1年ぐらい、めぐみさんと一緒に過ごしたという事実が情報がハッキリしていますけども。
ちょうどめぐみさんが金英男と結婚させられるために、その3号招待所を出て行ったと同時に八重子も出て行ったんですね。
その時の噂ですけども、八重子も誰かと結婚するんではないか?というような話が来ているんですね。
誰と結婚するかは分かりませんけども、向こうで結婚するとすれば北朝鮮人とは結婚しないと言うのはこれは決まっていますし、韓国人の拉致被害者か誰かかな?というようには憶測はしますけども、それは事実としては全く信憑性の無い話なので、そういう事をしながらでもですね。
生き長らえていて、いつか帰りを待っていていられると言う事を私は望んでいます。

・・・その2に続く・・・ 

蒼き星々サブボード への 話しの花束 ぴろんさんの投稿より

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